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(参考4)


教育行財政部会における部会委員の主な意見の概要


   教育行財政部会において、公教育及び義務教育の意義・役割、また、これらを踏まえた学校の管理運営の在り方等について、これまでの審議の中で指摘のあった事項、提起された意見等の概要は以下の通りである。

公教育及び教育制度の在り方について
公教育が国民の信頼に十分応えているか、どのような部分で学校が信頼を失っているか分析し、そのために制度改革を含め、どのようなことを行う必要があるのかということについて検討することが必要。
公教育として確保すべき一定の教育内容・水準は全国的なものでなければならず、国民に対して平等に保障されることが必要。
教育の公共性という観点から考えたとき、教育というサービスを提供する側の視点だけでなく、教育を受ける子どもの側の視点に立って考えることも必要。
教育を受ける子どもの視点から考えたとき、学校教育という公共性の高いサービスについては他のサービスとは大変異なる性質を持っている。例えば、学校教育以外の他の多くのサービスについては、購入するかどうかは自由であり、代替性もある。また、サービスを提供する側も比較的容易に方針を変えることができる。こうした学校教育というサービスの特質も踏まえて、学校教育の在り方について検討することが必要。
日本の教育は世界的にも評価されているが、経済社会構造の変化に対応しきれなくなっている。過去の教育制度に対する評価を行い、さらに必要なことを改革していくことが必要。
単なる競争原理の導入で学校が良くなるかは疑問であり、追跡調査を行うことが大切。
教育は将来に向けての先行投資であるという考え方に立って、家庭の教育状況や我が国の経済情勢を考えたとき、教育の質を高めていくためには公教育に対する財政投資が必要。
財政支出削減については、経済の活性化や国の財政の逼迫状況の観点からの考え方が先行しているのではないか。
最少の経費で最大のサービスという財政の論理だけでなく、子どもにとって最善の制度や内容は何かを考えていくことが必要。
とりわけ義務教育については国の根幹であり財政投資を減らすべきでなく、教育に対する予算全体もメリハリをつけていくことが必要。
就学年齢を弾力化すると、今までの日本の同学年はみな同年齢という基本的な意識が大きく変わることになるため、慎重な検討が必要。
就学義務の弾力化は、就学義務の猶予・免除との整合性を図って検討すべき課題。
教員の給与にはインセンティヴメカニズムが働いていない。すぐれた人材を確保するためにはそれに見合う給与が必要。
学校教育における教員の役割を明確にする必要がある。学校では、教員は児童生徒の生活指導に多くの時間を取られており、授業等に有効に使える時間が減っている。少なくとも、学校に入る前に最低限のしつけがなされるべきである。

義務教育の意義・役割、義務教育の在り方について
義務教育におけるナショナルミニマムを明らかにすることが必要。
義務教育の大きな意義・役割は、国家・社会の形成者の育成であり、また、一人一人の個性・能力を伸ばすということと考える。
義務教育のナショナルミニマムは、国家が国民に対してどのような教育を保障するかということと考える。
日本のどの地域に住んでいても、一定水準の教育を受けられることを保障することが義務教育の役割であり、国策としてこれを維持することが必要。
我が国の義務教育制度の最大のメリットは、日本中のどこでも同質の教育を安心して受けられることが担保されていることである。画一性を排除するための努力は当然必要であるが、過度の規制緩和により、義務教育制度の優れた面が崩れてしまうことはあってはならない。
義務教育については、子ども一人一人の発達段階に応じて、何を身につけさせるかという面からの検討が大切。
義務教育は国民の信頼に十分に応えられるようにすることが必要。
義務教育制度を変えたことが学力低下をもたらした他国の例もあり、国民に保障すべき国の最低基準を確保する観点から制度の改革には慎重な検討が必要。
未来を担う子どもたちに対して良い教育条件を整えることが今の大人の使命であり、義務教育では、通学しやすく、安心して信頼できる学校を用意することが大切。この点、消費者主権を強調しすぎると、何のための改革かが忘れられる可能性がある。
義務教育に国際競争力の視点を忘れてはいけない。そのためには、諸外国の事情を分析することも必要。
公立学校は、一定の教育条件を整え、ある意味では画一的な教育をせざるを得ない。そのような制度に合わない不登校の児童生徒が増加しており、このような子どもたちについては、民間の教育施設等の協力により何らかの教育を行っている。義務教育制度の在り方を検討するに当たっては、このような点も十分考慮することが必要。
不登校児童生徒数等を見たとき、今の義務教育制度が必ずしも機能していない面もあるのではないか。その点、学校外の資源を活用していくシステムを考えていくべきではないか。
障害児教育やLD/ADHD等発達障害を持つ子どもに対する支援についても検討することが必要。
我が国がよって立つところは人的資源に他ならず、教育が人的資源向上のために役立つものであれば、教育を受けた子どもは一部の地域のみならず国全体の財産であるから、国庫負担制度の維持は大きな意味があるのではないか。
教育は人づくりの基本であり、それを支えているのは義務教育制度である。その教員の給与等の基盤が地方公共団体に完全に委ねられてしまうことは義務教育段階の学力の一定レベルを保つ上で不安がある。
保護者の経済状態によって義務教育に格差が出るということは認められない。
我が国では、公立学校に子どもを通わせている保護者が、子どもの前で、平気で担任の悪口を言う風潮がある。米国では、「自分の子どもの世話をしてくれている先生は味方である」と認知されており、我が国では、学校や教員の悪い評判が増幅していく風土があるように思われる。
義務教育段階の公立学校で、給与を高くして優秀な教員を雇い、追加的に発生したコストを保護者に負担させるということは、公立学校の理念として馴染むかどうか疑問。

学校の設置主体の在り方について
学校は児童生徒の立場から、ゴーイングコンサーンを基本としている。このことを無視して、マーケットメカニズムの観点から淘汰が起こることを前提に考えることはいかがなものか。
私立学校が株式会社と異なる点は、私立学校の設立は私財の寄付によって成り立っており、事業失敗の退路を断っていることにある。
我が国の学校法人制度は、世界に類をみない優れた制度であると考える。参入障壁はかなり低く、多様な活動ができる仕組みになっている。
株式会社は学校法人と比較したとき、目的、ガバナンス(運営)、財務等の面から、学校教育の主体として扱うことについては、十分慎重であるべき。
株式会社の目的は営利追求であるから、悪いサービスの提供者は自然淘汰されるという考え方もあると思うが、短期的にも、学んでいる子どもを犠牲にするようなことはしてはならない。
地方と都会では教育事情が相当異なることに留意する必要がある。地方においては、地域が学校を中心としてコミュニティを形成しており、公立学校が子どもの教育のセーフティネットの役割を果たしている。株式会社による学校設置等により、このような機能が切捨てられることにならないか懸念する。
アメリカにおいては、チャータースクールなどの学校の設立は比較的自由であるが、公金の使用は厳しい。日本で同様のことを導入するのであれば、公金の支出については、厳しく点検することが必要。

公立学校の管理運営の在り方について
包括的な民間委託については、現存の教員では対応できないような特別な教育を行おうとしている高校などにおいて導入することも考えられるのではないか。
管理運営を民間に委託してしまった学校を公立学校ということができるのか。特別なニーズに対して委託をするのであれば、地方自治体が校地校舎を提供し、私学助成を出すことによって、公私協力方式で行うべきではないのか。地方自治体が教育についての責任を負うことができないものを、地方自治体が行った教育と呼ぶことができるのか。
公立幼稚園については、コストが高くついているという指摘もあり、委託するニーズがあるかも知れない。
新たな試みについては、構造改革特区制度を活用して、限定的にやってみることも考えられるのではないか。
義務教育段階の公立学校は全入制であり、教育のセーフティネットの役割を果たしている。そのような機能が損なわれるようなことに懸念。
どこの国においても、義務教育は、その社会の中で生きるために最低限の共通のものとしてきちんと身につけなければならない教育を行う場として、非常に大切にされている。よって、義務教育である小・中学校と、幼・高を同列に扱うべきでない。
公立学校であっても、全員が必ず教育を受けなければならない義務教育と、選択に基づくそれ以外の段階の教育とでは、法的な仕組みが異なっており、また、公的な責任の果たし方について、分けて考えなければならない。
管理運営の委託について、義務教育段階は非常に難しい。高等学校段階についても、安易な委託はいかがなものか。
管理運営の委託を考えた場合、設置が義務的ではないものと、義務であるものでは、考え方に差があるのではないか。
英国においては、株式会社は営利目的にしてはならないという前提で、学校設置が認められている。公立学校の管理運営を委託する場合についても、営利目的にならないような仕組みが必要ではないか。
民間委託ということであれば、学校法人も民間である。
公設民営については、すでに保育所で始められているが、人件費の安い、経験の浅い人材を登用することにより、保育の質が低下しているのではないかと懸念されている。
現在の公立学校も私立学校も、制度的によく整備されており、責任体制もきちんとしているが、これには設置者管理主義を明確にしていることが基本である。
保育所の運営を委託することによって、保育の質が落ちたという話があるが、教育活動を外部に委託した結果として、教育の質が落ちた場合、誰が責任を持つのか、ということがはっきりしない。
教育の成果等について訴訟が発生した場合、誰が責任をとるのか。
公設民営が行われている他の分野を参考にすれば、公が最終的な責任を取るという形式は失敗している。最後は、民間業者が公に責任を押し付けるということになる。
公立の学校を委託して、受託者側の校長が教育についての責任をとることは不可能ではないか。
学校教育法において設置者管理主義が明示的に示されていることには相当の意味があり、慎重な検討が必要。
学校の管理運営を第3者に委託を可能にした場合、その学校において行われている教育活動をいかに実効的にモニタリングするかということが重要。外部評価の一環で授業を参観しても、よいところしか見ることが出来ない。
学校の公設民営の検討においては、教育の質、教員の質が維持されるような枠組みをしっかり作ることが必要。
米国のチャータースクールでは、教育についての最終的な責任は教育委員会が持つことになっている。学校の目標をチャーター(契約)上で明確にし、それが達成されなければ学校は潰されることになる。そのため、教育委員会はしっかりモニタリングを行わなければならない。
学校は一定の年限学ぶことが前提になっており、子どもたちにとっては、学校はゴーイングコンサーンであることが重要。
予め、委託が上手くいかなかった場合の、子どもたちの受け入れなどの処理の手続きを決めておく必要がある。
受託者がやりたいことだけやって、それでいて最終的な責任を取れないということであれば、そのツケはその学校で学ぶ子どもたちに回ることになる。そのような制度設計は慎重であるべきであり、米国の経験を参考にすべき。
公が施設設備を整備し、民間が公のお金をもらって既存の私立学校と競争することになれば、既存の私立学校との関係において不公平ではないか。
公立学校の管理運営の民間委託の結果、非常に特色のある公立学校が出現した場合、公立学校の持っている、どこの学校に入ってもある一定の教育を受けられるという特徴を壊してしまうことになるのではないか。
保護者のニーズに応えるという観点から、目玉となるような教育を安易に行い、本当に必要なものを身につけることができるような教育を行っていない幼稚園や、運営方針が頻繁に変わってしまうような幼稚園がある。これでは教育の水準を一定に保つことができない。

コミュニティ・スクールについて
コミュニティ・スクールについては、これまで進めてきている教育改革の延長線上にあるか、もしくは現行制度の枠内でもかなりのことができると思われる。一方、学校の経営について、地域が参画する学校協議会に一部の権限が委譲されるということが違いであると言える。
地域学校協議会に近い形態で学校評議委員制度を運用している例もあり、校長の姿勢次第で、既にかなりのことができると思われる。
地域のニーズを把握することは困難であると思われる。現代の日本社会では、住民の地域意識が希薄になっているが、コミュニティ・スクールが成功するためには、地域における動機が高まっていくことが不可欠。一方、このような制度を導入することにより、逆に、地域の意識が高まっていくことも考えられる。
教員の公募に関し、現行では原則的に終身雇用となっているが、地域が権限を持って採用することになると、労使関係がどのようになるのかよくわからない。
地域が望む学校像、教師像、教育内容というものは、実は普遍的なものなのではないか。そのようなスタンダードがあるとすれば、地域のニーズに応じたコミュニティ・スクールという特別な学校を作る必要があるのかどうか疑問。
校長がリーダーシップを発揮できる環境作りに関し、現在、自治体で進められている様々な教育改革は、集約すれば、そのような環境整備に他ならない。一方、校長が教職員の人事権を持つことについて、「あの子が欲しい、この子が欲しい」では、人事制度は絶対に成り立たないものであり、今後、学校の特色化に応じた適任教諭の配置について検討していく必要がある。
開かれた学校づくりや、地域コミュニティの参加による学校運営を進める際、教員の勤務形態の問題が最大のネックとなる。すなわち、現実に、いつまでも教職員の奉仕的な活動に頼っていてはうまくいかない。
このような変革には、大変なエネルギーが必要だが、このような試みによって、我が国の公立学校が変わっていく可能性があるのではないか。
義務教育においても、制度として多様化した部分があってもいいのではないかと思う。

その他、外部資源の活用の在り方等
児童生徒の生活指導等で教員に対する負担が高まっていることに関し、教員がもっと子どもと接する時間を確保できるよう、補助員等を導入することによって、教育に専念できる環境を作っていくことが重要。
国家の財政状況が厳しい中で、米国におけるPFIの活用など、民間でできる部分は民間に委ねる手法を取り入れて、費用を削減し、予算が必要なところを増やしていくという細かい気配りが必要なのではないか。
不登校児生徒の数は14万人と言われているが、学力論争においては、蚊帳の外に置かれているように思える。学校の教員を動かすだけではなく、学校外の資源を活用していくシステムを考えていくべき。
放課後の学童保育等において、学校外の教育資源を上手く活用していくことが必要なのではないか。


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