戻る

資料4

中央教育審議会初等中等教育分科会教育行財政部会(第6回)議事要旨


1. 日時 平成15年9月19日(金)14:00〜17:00

2. 場所 如水会館   松風の間

議題 学校の管理運営の在り方(主としてコミュニティ・スクール)について
(1)    金子郁容慶應義塾大学大学院総合政策学部教授からの意見聴取
(2)    足立区教育委員会及び津市教育委員会から「新しいタイプの学校運営の在り方に関する実践研究」に関する発表

4. 配布資料:
 
資料1    意見発表要旨(金子郁容氏 発表参考資料)
資料2 「新しいタイプの学校運営の在り方に関する実践研究」について
資料3 意見発表要旨(足立区教育委員会・足立区立五反野小学校)
資料4 意見発表要旨(津市教育委員会・津市立南が丘小学校)
資料5 今後の教育行財政部会開催日程(案)

5. 出席者:
(委員)
木村部会長、佐藤委員、田村委員、渡久山委員、横山委員、小川委員、河邉委員

(文部科学省)
矢野文部科学審議官、結城文部科学審議官、近藤初等中等教育局長、加茂川私学部長、金森初等中等教育局担当審議官、辰野初等中等教育企画課長、前川財務課長

(意見発表者)
金子郁容       慶應義塾大学大学院総合政策学部政策・メディア研究科教授
儘田政弘 足立区教育委員会教育改革推進担当部副参事
小島俊子 足立区立五反野小学校校長
坪井守 津市教育委員会学校教育推進課長
遠藤正芳 津市立南が丘小学校校長

6. 概要:

(1) 金子意見発表者より資料1に基づいて意見発表が行われた。

○コミュニティ・スクールとは何か
   コミュニティ・スクールとは、自治体が設置する新しいタイプの公立学校であり、学校を地域コミュニティの自律的な経営体と考え、様々な権限を任せた学校のこと。そのかわり、しっかりとモニターをして、評価をしていく。このような仕組みを、今の公立学校システムの横に、複線的に作ってみてはどうかという試みである。
   具体的には、教員の採用や、大枠を定めた予算の使途、カリキュラム、クラス編制等々の教育課程に関する決定を、学校ないし学校長と、「地域学校協議会」と私が呼んでいる第三者機関*に権限移譲し、学校の経営を学校に任せてみるという発想である。これにより、公立学校に新しい選択肢を作って、全体を活性化させるという狙いである。
   構想のキーとなる「地域学校協議会」については、イギリスの学校理事会のようなモデルを想定している。
   すなわち、勝手に何でもやってもいいという学校ではなく、自律性や大幅な自由度を認めるかわりにアカウンタビリティを担保し、住民が見守りながら一緒に育てる学校である。
   また、一気に日本中の公立学校を全部コミュニティ・スクールにしようという構想ではない。そのような機運があり、準備が整い、人材が揃っている地域には導入できるようにしようというのが提案である。

○どんな選択肢ができるか
   この構想は、学校を経営体としてみることが前提となっており、責任意識を持った住民が参加することが前提。これにより、全体のニーズによりよく対応するような効果的な方法、多様な選択肢を提供できるのではないか。

   第一に、新設校を設置する際に、どうせ作るならコミュニティ・スクールとして、今までとは違う形で設置をしようという選択があってもよいのではないか。
   第二に、学校の統廃合を行う場合。一部の地域では、行政が一方的に学校の統廃合を進めようとすると、意見の調整に時間がかかったりすることがあるようだが、その際に住民主導のコミュニティ・スクール構想の一環として議論することによって、全体としてスムースな統廃合ができる可能性があるのではないか。
   第三に、不登校やLDなどの多様なニーズに対応する場合。これは、公立学校が今までのシステムの中で対応しようとすると、必ずしもうまくいかなかったり、コストがかかったり、先生に負担がかかったりという可能性がある。このような場合に、特定の目的をもった教員と執行部、親が集まってコミュニティ・スクールを作れば、従来の公立学校よりも効果的な対応ができる可能性があるのではないか。
   第四に、一般的なケースとして、既存の既存学校の活性化。学校が沈滞しているという現状があった場合、元気のよい校長先生を連れてきて、やる気のある教員を集め、再スタートしようということもできる。
   また、空き校舎を利用して少人数校を作るといった場合も、コミュニティ・スクールであれば柔軟に対応できるという可能性もある。
   第五に、これまでの学校に比べるとコミュニティ・スクールは起業家精神を発揮する場であるということ。これまでは教員にならないようなタイプの人たちが参入してくる可能性がある。多様な人が参入してくることで、学校システム全体が活性化する可能性があるのではないか。

○ふたつの流れ
   コミュニティ・スクールが最初に提案されたのは、教育改革国民会議である。その後の3年間、二つの大きな流れでこの構想は動いてきた。

   第一に、文部科学省が主になった教育改革の流れ。
   2000年12月の教育改革国民会議の提案を受け、翌2001年に策定された「21世紀教育新生プラン」においてコミュニティ・スクールについて検討するというアイデアが盛り込まれた。これを受けて、文部科学省の「新しいタイプの学校運営の在り方に関する実践研究」が昨年4月より全国7か所の9校を指定して開始された。
   また、本年5月にはコミュニティ・スクールを含めた様々な義務教育の管理体制に関する諮問がなされ、まさにこの中央教育審議会において議論が進められているところである。
   このひとつ目の流れは、従来から文部科学省が進めてきた教育改革の統合という解釈ができる。
   臨時教育審議会以来、開かれた学校を目指して学校評議員制度や、住民参加の促進が進められている。また、学力に関しては、習熟度別学習や少人数教育が進められている。
   さらに、近年の学校は説明責任と結果責任の両方の意味を含むアカウンタビリティを果たすことが求められており、昨年4月に学校設置基準の改訂によって情報の開示と学校評価が規定された。
   それと並行して、校長の裁量権を拡大しようという試みも着実に進んでいる。また、民間人を含めた校長の公募や、社会人経験のある教員の登用も進んでいる。
   一つ一つの施策はよいのだが、それらが個別に行われているために必ずしも期待された効果が上がっていないケースもある。
   聞いたところでは、民間から公募に応じて校長になったが、予算も人事も動かせず、何をしてよいのか途方に暮れているということもあるようだ。また、アカウンタビリティと言われても、どうすればよいのかわからず、先生に個々の努力をお願いするしかない学校もあるようである。さらに、学校評議員については校長に意見を言っても、どのように学校の改善に反映されたかよくわからないということもあるようだ。
   これらの長年にわたる教育改革を包括的に実現する一つの可能性が、コミュニティ・スクールである。

   第二に、分権化、規制緩和という流れ。
   私も専門委員を務めている総合規制改革会議では、規制緩和という観点や、教育を受けるいわば消費者の選択肢を増やすという観点から、コミュニティ・スクールを促進するべきであるという提案をしている。総合規制改革会議が昨年12月に出した提案(「総合規制改革推進3か年計画(再改定)」)のおいては、コミュニティ・スクールを実現するために必要な人事制度など様々な法制度の整備について「2003年中に検討・結論」するべきであるという提言がなされ、閣議決定されている。
   さらに、本年6月の「骨太の方針(経済財政運営と構造改革に関する基本方針2003)」にも、コミュニティ・スクールを推進するべきであるという指摘がある。
   現行の教育行政は既にシステム上は分権化が進んでいるが、実態は異なり、学校は市区町村教育委員会を、市区町村教育委員会は都道府県教育委員会を、都道府県教育委員会は文部科学省を、それぞれ、かなり気にせざるを得ない、いつも「上を向いて」いるという指摘がある。
   その結果、小・中学校に関する責任者がわかりづらくなってしまっているのではないか。そこで、人事権や予算の裁量に関して、この不明確さを解消するということが今後の大きな課題であり、コミュニティ・スクールはその解消のための一つの可能性である。

○関心を示す自治体の動向
   コミュニティ・スクールについては、既に多くの自治体が関心を示している。

   一つの具体例は、地方分権研究会。
   これは、改革を中央に任せないで、地方からやってしまおうという「改革派知事」たちが集まった研究会である。様々な改革の提案や実施に取り組んでおり、教育に関しては、構成している8県で共通の統一学力テストや、小・中・高全ての学校における学校評価などの導入が予定されている。
   その中で、コミュニティ・スクールも検討課題となっている。既に宮城県ではこの4月からコミュニティ・スクールと同様のプロポーザル校が7校導入され、来年度も拡大の予定である。その他の県でも、来年度かそれ以降の導入に向けて、順次、企画・検討し、具体的な提案がある県では、予算措置についても準備している状況である。

   また、長野県では多部制・単位制高校を新設する計画が検討されている。この件について検討する委員会が提出した提案書の中で、現在の財政難の状況下で新しい学校を作ろうというのであれば、明確なアカウンタビリティを担保しないと県民が納得しないのではないかという指定がされ、その結果、コミュニティ・スクール方式の運営体制をとることが望ましいと提案されている。

   そのほかにも幾つかの自治体でコミュニティ・スクールの研究会や協議会が立ち上がっている。

○文部科学省「実践研究校」の試み
   文部科学省が指定したコミュニティ・スクールのモデル校、正式には「新しいタイプの学校運営の在り方に関する実践研究」が、全国7ヵ所でスタートしている。
   注目すべき動きとして、津市の南が丘小学校や足立区の五反野小学校では、赴任先の学校を公表した上で、校長を公募なり内部募集し、さらに、地域の代表者が人選に関わるというケースがみられる。また、他のモデル絞では、教員に関しても、純粋な公募ではないものの、希望者を募り、その人が実際に配置されたというケースがみられる。
   また、住民が参加する「地域学校協議会」はすべての学校で立ち上がっており、学校運営に関して、かなり活発な議論がみられるようだ。

○教育特区とどう違うか
   共通点は、教育特区もコミュニティ・スクールも地域ニーズをくみ上げ、地域の自発性を尊重することを重視していること。また、どちらも規制緩和の流れの中で提案されてきたものであること。
   相違点の第一は、コミュニティ・スクールは大幅な権限委譲をしようという分権化であり、全国的な制度設計をしっかりと行い、権限委譲する替わりにしっかりとアカウンタビリティを確保しようとしているのに対して、特区の場合には個別的・特定的であり、アドホックな規制緩和であること。
   第二に、コミュニティ・スクールは従来の文部科学省の様々な教育改革の方策の延長線上にあるのに対して、特区は提案によってはこれまでの方針と必ずしも整合性がないということ。
   第三に、コミュニティ・スクールは、アカウンタビリティの明確化と住民参加とを制度化し、しっかりと担保するようにしているということ。勝手に何でもやってもいいということでは決してない。特区の提案の中には、アカウンタビリティが担保されていないのではないかと見受けられるものもあり、制度的にもアカウンタビリティが必ずしもビルトインされているとはいえない。特区については、首長のアイデアに議会の同意を得られれば少なくとも申請可能であり、住民参加が十分でない意思決定がなされる可能性がある。

   また、アメリカのチャータースクールは、コミュニティ・スクールと似たところがあるが、異なる点もある。
   チャータースクールの法律は州によってだいぶ差があり、研究者による定義は様々であるが、基本は「一定の成果をあげることを契約することで規制を免除された公立学校」である。つまり、特定の目的を持って、NPOや住民グループが、学区ないし州と契約関係で規制免除を受けるということで成立しているもの。
   チャータースクールはかなりの度合いでアメリカ的な制度であり、アメリカ社会独特の様々な問題に対応するための公立学校の活性化策である。よく指摘されるチャータースクールの問題点の多くは、アメリカ社会の病理や課題が直接反映したものである。一方、コミュニティ・スクールは、アメリカに比べると比較的安定的で多様性に欠けている日本の教育制度に、多様性を持ち込み、活性化しようという形の規制緩和策である。つまり、コミュニティ・スクールは、チャータースクールとは、社会的前提が違うということだ。

○今後の課題
   コミュニティ・スクールが有効に機能するには、いくつか、今後検討されるべき課題がある。第一に、権限と責任の分担を明確化するということ。教育委員会から「地域学校協議会」にどのように権限委譲されて、誰が責任をとるのかということを明確にする必要がある。
   第二に、コミュニティ・スクールの設置に必要な「地域のニーズ」の捉え方。首長が導入しようと言ったら地域ニーズなのか。数名の非常に声の大きな市民団体が主張すれば地域ニーズになるのか。それとも、条例請求のように住民の50分の1とかの署名なのか。現在、私の研究室で、足立区教育委員会と共同で地域住民を対象にしたアンケートやグループインタビューによるニーズ調査をしているが、そのようなアプローチが参考になろう。
   第三に、実質的な人事権を学校もしくは「地域学校協議会」に持たせるということについて、現行の人事体制とどう整合性をとるのかということ。
   第四に、財源の問題。ただ、この問題はコミュニティ・スクール独自のものではなく、これからの日本の義務教育を考えるときに避けて通れない重大なものである。


(2) 金子意見発表者の意見発表に関する意見交換が行われた。(○=委員、●=意見発表者)

   コミュニティ・スクールに関する人事について、ご提案にあったような弾力的な対応は現行でも可能であるが、このことについてはどのようにお考えか。
   教育課程の決定にも「地域学校協議会」が関わるということだが、義務教育における学習指導要領の担保の必要性との関係をどのようにお考えか。
   人事の問題については、現行でも校長が地方市町村教育委員会に意見具申をし、それが県に上がっていくというシステムになっている。しかし、その経過が外からは大変見えにくい。コミュニティスクールでは、校長はおおっぴらに教員をリクルートでき、学校が情報を開示して教員を公募し、たとえば、保護者や地域学校協議会メンバーも参加する公開授業などをとりいれてもいいかもしれない。校長や教員の代表が、協議会と相談の上、人選をし、それを協議会が承認するという仕組みにするなど、プロセスが透明で、学校と地域学校協議会の権限が明確になっているところが、現行制度と顕著に違うところだ。透明性を高めた形にしたほうが、住民の参加意識の向上も期待でき、学校の活性化につながるのではないか。
   教育課程については、当然、学習指導要領は満たすということが前提である。ただ、私立学校でそうであるように、各学年ごとの細かい決まりというより6年間でしっかりと達成するという程度の弾力性が望ましい。授業内容やクラスの編制、非常勤の採用の仕方等に関して、学校が自主的に計画を立て、「地域学校協議会」の承認を受けながらやっていくということである。

   コミュニティ・スクールについては、現在の公立学校に対して指摘されている問題点のひとつである閉鎖性を打破するための一方策として、地域住民の意向を反映させた運営形態をとっていくという理解でよいか。
   地域住民の意向を反映させた運営形態をとるということを明示的に規則化するのがコミュニティ・スクールである。

   コミュニティ・スクールは、今までやってきている教育改革の延長線にあると理解。
   カリキュラムの決定について「地域学校協議会」に権限を持たせるとした場合、これはどのような形で実施されるのか。
   例えば、校長や学校側のいろいろな要望を聞いて、「地域学校協議会」が責任を持ってカリキュラムの中身まで決定し、学校側に指示することは困難だと思われる。
   「地域学校協議会」が権限を持つといっても、実質的には校長を中心とした学校側がカリキュラムづくりなどの学校経営の素案を作る。それを計画化していく過程で「地域学校協議会」がいろいろ意見し、学校と議論を経て最終案として「地域学校協議会」に提案し、「地域学校協議会」がそれを認めて計画を実行に移すという方法になるのではないか。
   実際のコミュニティ・スクールの運営についてはいろいろな方法があると思うが、校長が中心になるという理解でいいと思う。例えば、現在の私立学校における理事会と校長のイメージを想定している。
   校長は理事会に計画や採用人事を諮り、理事会がそれを承認する。校長の意向を却下するということはあまりないが、承認は必要だし、校長も緊張感をもって意思決定することになる。もちろん、校長が不適当な提案をしたら、さし戻しもあるだろうし、計画の実行にあたって当初計画から逸脱するようなことをしたら、いつでもストップをかけられるという関係である。

   学校評議員制度をうまく機能させることによって、このコミュニティ・スクールと同じことをやっている学校もある。結局は校長に新しい制度を活用する気があるかないかではないか。
   校長の意欲が大事だということは、ご指摘のとおり。ただ、コミュニティ・スクールでは、校長、地域学校協議会などに、学校経営の意思決定権が制度的に付与されているというのがポイントだ。権限が委譲されているかが大きい。たとえば、評議員には何も権限がない。また、校長が選ぶことになっているので、校長によっては、自分の仲間のような人を評議員に選んでお茶を濁すだけになるかもしれない。
   評議員制度がうまくゆく可能性もあるが、それを、よりよく機能させるために、権限と責任をきっちりと制度設計しようというのがコミュニティ・スクールの発想だ。

   地域ニーズの把握は難しい。
   現代社会では、住民の地域意識が低くなっている中で、コミュニティ・スクールの導入の前提である地域の動機の高まりはあるのか。一方、コミュニティ・スクールを導入することで、逆に地域意識が高まっていくという考え方もあるかと思うが、結局、形から入らざるを得ないのではないか。
   地域ニーズの把握がそう簡単でないことはおっしゃるとおりだ。具体的な方法論としては、先ほど述べた、足立区教育委員会と共同で開発しているニーズ調査のやり方など、今後、検討する必要がある。
   いいシナリオとしては、学齢期の子どもがいる人もいない人も、「自分の地域に優れた小・中学校があるということは町の誇りであるから、卒業生なども集まって時間とエネルギーを投入しよう」という気持ちを持ち、単に意見を言うだけではなくて、責任も共有して学校経営に参画し、それが地域コミュニティの活性化になるというもの。
   ただ、このような取組に無関心な住民が多いと、町の有力者のような人が「地域学校協議会」、ひいては学校に大きな影響力を及ぼしてしまう可能性があることも否定できない。しかし、そのようなことを起こさせないということを含めて、権限と責任を委譲して、地域の中で学校を運営してもらおうということだ。
   福祉の分野では、地域住民がとてもいいデイケアセンターを作ったりしている。痴呆性高齢者のグループホームが、全国で3,000戸以上設置されており、この1年間では2,000戸の増加という急な伸びをみせている。このうちのかなりの部分が地域NPOが設置したものだ。
   このように、保育や介護の分野をみると、日本の地域には自主的で効果的な取組を十分できる力があるのではないかという気がする。

   長野県の教育委員会の委員をしておられるということでお伺いしたい。
   長野県が構造改革特区に申請を出している株式会社やNPO法人による小・中・高の運営と、今回のコミュニティ・スクール構想は関係あるのか。
   長野県の教育委員は務めているが、その決定は就任前のもので、私は関与していない。
   一般論としていうなら、大学や大学院はともかく、小・中学校を株式会社が学校法人を作らずに運営するということに関しては、私個人は慎重にしたほうがいいと考えている。
   ただし、問題は、誰が設置主体になるかということではなく、むしろ、何をどうやるかということだろう。ちゃんと住民参加がされ、アカウンタビリティを担保するような仕組みがあるかということが重要であると考える。
   コミュニティ・スクールは、現行の制度を一歩進めて多様化を行おうという取組であり、原則的に特区とは別のものであると考えてよいのではないか。

   コミュニティ・スクール導入の前提は、地域のニーズというご説明であったが、現在の保護者の要望は学力問題なのではないか。すなわち、地域が望む学校像、教師像、教育内容というのは実は普遍的なものではないか。
   また、不登校児やLD、あるいはハンディキャップを持った子どもたちを対象とすることも想定しているとのことだが、それは地域のニーズではなく、個々の子どもたちに対するニーズではないか。
   そのようなスタンダードがあるとすれば、地域のニーズに応じた特別な学校を作る必要があるのか疑問。
   地域とは何かということについては、ご指摘のとおり、もっと丁寧な議論をしないといけない。多様なニーズというのは地域ではなくて、個別の問題であるが、それを地域として解決しようという意志があるかということだと思う。障害者や不登校などの問題への対応は、ある程度広域で対応する問題だろう。すなわち、従来の通学区域という区切りで対応するより、関心を共有するより広い地域の人たちが集まって対応するほうがいいかもしれない。このような関心を共有する人たちの集まりをテーマコミュニティを呼ぶことがあるが、コミュニティ・スクールは、地域コミュニティとともにテーマコミュニティという意味も含まれる。また、こういった個別のニーズに対しても、行政が対応する必要があるが、それには、従来の公立学校制度だけではむずかしく、コミュニティ・スクールという選択肢があったほうが可能性が広がる。

   人事の問題について、日本の学校は原則的に終身雇用であり、賃金が保障されているという前提があり、優秀な人材が教員になってきている。それに対して、地域がどのような権限で採用し、どのような労働関係になるのかが不明確なままでは優秀な人材の確保が難しいのではないか。
   日本の教員は、たぶん、世界各国と比べて、潜在的資質は大変高いものがあるのではないかと思っているが、今のままでよいとは思わない。
   評価が悪ければすぐリストラされるといったシステムは極端で、望ましいとは思えないが、やはり多くから望まれる人材はより尊敬を受け、より自分の意向を広げられるような立場にたち、逆に、よい評価をうけず、教員に向いていない人には教員をやめてもらうというような入れ替わりがなければ停滞してしまう。コミュニティ・スクールでは、学校も教員も、開かれたプロセスの中で、お互いを選ぶということから、活性化が期待できる。しかし、教員の身分の問題などを含めて、これは、コミュニティ・スクール独特のものというよりはもっと大きな問題である。

   日本の制度というのは、教育に限らず、それぞれが大変緻密に構成されている。けれども、緻密であるがゆえに動かないという面が、司法や行政などにおいてもみられる。
   問題は、うまく動かないところをどうするか。そのときに、工夫して新しい仕組みを導入し、今までとは別のものをやってみるということも必要である。このコミュニティ・スクールもそういう趣旨であると理解。そこで、「地域学校協議会」という重要な組織を作って、新しい試みをするときに、誰がどのようなイニシアティブをとるのか。「地域学校協議会」というのはどのようなメンバーに構成されるのが望ましいのか。具体的な構想があればご教示願いたい。
   「新しいタイプの学校運営の在り方に関する実践研究」校の実例では、公募した委員のほうが学校運営に関わることに積極的であるなどの例がみられる。地域学校協議会メンバーについても、一定程度は、公募委員を入れる形式が望ましいと考えられる。
   ただし、構成員のすべてを公募にすると、特定の思想を持った者に偏るなどの危険性があるかもしれない。イギリスの学校の理事会の場合は、保護者と地域代表、教員など、いくつかのグループからなり、そのどれもがマジョリティにならないようにという規定がある。フランスの場合は保護者の間で、委員の選挙なども行うようだ。


(3) 足立区教育委員会及び足立区立五反野小学校より資料3に基づいて意見発表が行われた。

   当初は、全国で初めての公立学校の「地域学校協議会」設置ということに懸念の意見もあったが、学識者による助言や理事の研修の実施などで不安を払拭するように努めてきた。その結果、地域の要望を直接学校に伝えることのできる「地域学校協議会」を支持する意見も多くなってきている。

   「地域学校協議会」の委員については、当初は学校運営にあまり知識や経験のない方が多く、自由な発言もみられたが、研修などを通して建設的な意見をいただけるようになってきている。
   「子どもを地域で育てる」という意識が保護者以外の地域住民にも広まってきている。また、一部の保護者は学校の授業への関心が非常に強まり、学校からの家庭学習等の要望も受け入れられている。

   教職員については、学校外の者から学校を評価されるということに当初は抵抗する姿勢がみられたが、最近はこれを受け入れ、地域や保護者を意識する姿勢がみられるようになってきた。

   校長と「地域学校協議会」の責任と権限の分担の問題や、「地域学校協議会」は誰が評価するのかという問題、校長の裁量権の拡大などの課題がみられる。

(4) 津市教育委員会及び津市立南が丘小学校より資料4に基づいて意見発表が行われた。

   学校の人事や予算について「地域学校協議会」の委員に意見をいただく場合、教員に対する好みといった理由だけで意見が出る懸念がある。意見をいただく際の境界線をどこに引くべきかが非常に難しい。

   最終的には校長が責任と決定権を有するということを前提として、「地域学校協議会」の委員にも責任ある発言をしてもらうために、校長や市教育委員会と何らかの契約を結ぶといった形式は取れないか検討中である。

   学校評議員制度と「地域学校協議会」をどう関連付けていくかが研究課題。

   教育課程の柔軟な編成という観点からも、例えば外国語教育に力を入れるための英語科教員の採用など、できるだけ人事に関する校長の決定権を重視し、市教育委員会は、それを尊重し、そのまま県教育委員会へ内申するような人事システムを導入できないか検討中。

(5) (3)及び(4)の意見発表に関する意見交換が行われた。(○=委員、●=意見発表者)

   カリキュラム作りなどで地域の要望がどのように最終的な計画に結びついたのかをご教示願いたい。
     その過程で「地域学校協議会」と学校側との間で意見の調整に手間取ったといったケースがあれば、あわせてご教示願いたい。
   教育課程について、「地域学校協議会」から基礎基本を重視した学力問題に対応してほしいという要望がみられた。これは徹底した反復学習といったかたちで学習に取り入れられている。
     「地域学校協議会」と校長との考え方の違いについては、学力問題について基本的な認識が異なっている部分があり、調整に手間取った。例えば、考える力や自ら判断する力、学習意欲といったものも学力なのだということがなかなか理解していただけず、まずはペーパーテストの点数を上げてほしいという強い要望がみられた。

   校長のリーダーシップといっても、人事権も予算裁量権もない中で、リーダーシップを発揮しろというのは無理な話であるというご指摘であった。人事権については、具体的にあってほしい人事権というのは、どのような内容のものか。
   やはり、優秀な教員が欲しいという一言に尽きる。

   優良企業というのは顧客満足度も高いが、従業員満足度も高い。
     実際に「新しいタイプの学校運営の在り方に関する実践研究校」に勤務している教員から、例えば勤務時間などの面において苦情が出たりするようなことはないか。
   本校においては、自分の時間を犠牲にしてでも教育に熱を注いでいる教員が多い。
     その意味では、教員が目標を見失って不安になることがないよう、学校の運営方針を明確に示すことが必要。
   現実には、いつまでも教員の奉仕的なものに頼っているわけにはいかないのではないか。
     土曜日の夜からの地域住民との会議に出席する必要があるのなら、その勤務時間の休暇への振り替えを柔軟に認めるなどの法的な措置も必要となってくるのではないか。現行制度で振り替えは一日単位でしかできない。

   学校評価について過去の体験でいうと、個々の学校は非常によいものを作っている。ところが、公表という点が全然進んでいない。公表するという意識がない。
     それぞれの学校では、どのような取組をされているか。
   従来は学校が自己評価するシート、項目を外部評価にも使っていた。ところが、最近は評価する側から評価項目も自分たちで作りたいという動きがみられる。
     そういった点からも制度に対する理解と学校運営に関する関心の高まりを感じる。

   この「新しいタイプの学校運営の在り方に関する実践研究」に取り組まれての感想をお伺いしたい。
     この試みをずっと続けることによって、日本の学校が変わる可能性はあるか。
   あると思う。
     ただ、校長と「地域学校協議会」とのせめぎ合いはものすごいエネルギーを必要とするという懸念もある。

   英国の例をみても、なにかを変革しようとする際はどうしても利害関係をめぐって様々な衝突が起きる。
     英国での経験からすると、日本の学校では会議がやたらと多く、また、運営もうまくないように思う。
     英国では、大体会議は1時間位で終わり、議論も後戻りせず、効率的に行われている。民間から学校に入られたという立場から、このような効率性ということについてはどのようにお考えか。
   ご指摘の、職員会議の効率性の改善にも取り組んでいる。
     職員会議の一週間前に、校長である私と教頭と教務主任で議題すべてに目を通し、会議にかけるかどうかを決定する。その後、資料をセットして前日までに各教員に配布し、目を通して意見を考えておくことを求めるようにした。

(6) 事務局より次回以降の日程の説明が行われた後、閉会。



以上


*以後、本稿においては用語を「地域学校協議会」で統一しています。


ページの先頭へ