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資料2 教育課程部会(第3期第1~20回)における主な意見

1.教育課程についての基本的な考え方

基本的な考え方

  • 現行学習指導要領がねらいとする生きる力は,誰も反対しないのではないか。それを実施する手段として「ゆとりの中での教育」があり,実施するツールとしての総合的な学習の時間があって,今まさに実践の段階にあるということである。
  • 自ら学び,自ら考え,自ら判断し,自ら行動するという生きる力の学力観は現在も異論がないのではないか。
  • 同じ学習指導要領でも現場でどれだけやる気があるかが非常に大切であり,校長が教師のやる気を引き出している学校はいい結果を出している。教育は国家百年の大計のもとにやっており,基礎・基本となる考え方はあまり変えるべきではない。
  • 現行学習指導要領の理念や考え方に誤りはないが,実際にねらいが達成されているか,必要な手立てが十分講じられているかに課題がある。
  • 基本的な考え方として,「生きる力」の育成を目指すことはますます必要になっている。学校と家庭や地域が連携をとりながら生徒指導,学習指導に取り組んでいくことが必要。
  • 学習指導要領の内容について,これまで学問的視点が重視されてきている。もっと社会とのつながりを考え,子どもたちにこういうことを学んでほしいという視点が必要ではないか。
  • 中学校卒業で一人前という社会をもう一度取り戻すため,ものづくり教育や職業観を重視し,子どもたちに達成感やものづくりへの個性の反映などを実際に学び取らせることが必要。
  • 教育の目的には,生活者としての教育,将来の専門家を育てることを目的とした能力を高める教育,主権者としての国民を育てる教育の3つがある。これらは,相互排他的ではなく,年齢によって重点も変わる。
  • 一定のことは暗記し,反復により定着させて,相手に話すことができるようにすべきである。
  • 学ぶということは,自分に足りないものをもっと知りたいという欲求が背後にある。生徒が学ぶということは大切だが,基礎・基本をしっかりと教え込むということも非常に大切。
  • 限られた時間数の中で教育課程が複雑になるとそれぞれが薄くなってしまうので,必修教科を重視し,時間をかけて徹底すべき。
  • 考える力の育成には,体験を通して言いたいことを作っていくことと,言葉を通して組み立てていくことの両方の強化が必要。
  • 地方分権,規制緩和の推進により,現場に権限と責任が降りることで,現場にやる気が生まれ,学力の向上にもつながっている。
  • 我が国の教育がきちんと行われている原因は,質の高い教員であり,それを前提としているからこそ教育課程の議論も意味を持つのであり,その基本をゆるがせにすべきではない。
  • 子どもたちの「生きる力」を考えたときに,一番優先しなければならないことは,教師の生きる力であり,教師の資質を高めることが必要。
  • 自分で考える力が身に付いていない原因のひとつとして,大学入試があるのではないか。少ない出題教科・科目に勉強の対象が絞られ,また,マークシート式に対応した勉強に終始している。入試の在り方をもう一度考えていくべき。
  • ゆとりが失敗する経験を奪っている。うまくいくことばかりして,失敗する経験が  ないために,失敗したときにどうしたらいいのか分からなくなる。小さいときから,  一定程度の負荷を与え,多くの経験を積む必要があるのではないか。
  • 学習指導要領の見直しの前提として,学力の低下傾向に歯止めがかかった要因を分析する必要がある。一つの分析としては,学習指導要領が最低基準であることを明確にし,規制緩和をすることで,現場のやる気が生まれ,学力の向上につながったと考えられる。
  • 高校には99パーセント進学するといっても,制度上義務教育ではないので,基礎とそうでない部分をはっきり区別すべきである。
  • いわゆる「ゆとり教育」が学力低下の原因のように言われているが,実態は全く違うところに問題があり,事実でない方を多くの人が信じてしまっている。このことに混迷の最大の要因があり,実態を把握ししっかりとメッセージを出していくことが中教審の課題である。
  • 生きる力を育むということは,子どもの履歴を肯定してあげることであり,子どもが自己を肯定する力を持つように育てることである。
  • 生きる力というよりは,何のために生きるのかということを子どもたちに教えるべきではないか。
  • 多様性のある時代に向かって,どういう子どもを育てるかを考えた場合,学校ごとに様々な違いが出てくることを認めていくべきである。子どもたちが自分の能力を引き出したいと思うように育てることが学校教育の役割である。
  • いずれ教壇に立とうとする教育学部の学生でさえ,自信を持って富士山の位置を言えない者がある。このような現状を踏まえると,至急学習指導要領の内容を変えるなどの対応をとる必要がある。
  • 義務教育においては,子どもたちを将来的に日本国民として自立させることが目標であり,納税と勤労の義務を果たせるようにすることが,最低限必要である。
  • 私立学校や塾とは違い,いろいろな子どもがいる中で教えるという,義務教育にしかできない内容を考えるべきである。
  • 小学校においては,知育,徳育,体育に情操教育と異文化理解を加えることが必要である。
  • 小学校における異文化理解は,総合的な学習の時間の中で,英語を中心とした言語によるコミュニケーションが行われているが,位置づけを明確にすべきである。
  • 私立中学校の入試は,学習指導要領と関係ない高いレベルの内容が出題されており,公立小学校の在り方について,ダブルスクールの状態になっている。これが学力低下の原因となっている。
  • 競争があるから,協力や協調がある。競争が教育界になじまないということはなく,バランスを考え,全体としての競争を考えるべきである。
  • 入試が学習行動を規定する要因となっていることから,学習指導要領は最低基準であっても,入試では高い基準を求めるという柔軟な考え方もある。
  • これまではすべての子どもに共通の内容という観点が強かった。共通の内容として高いレベルを求めると自立が遅れる。
  • 選択教科は自分で選ぶ経験,能力を育てさせる意図がある。
  • 従来国内の問題として扱われてきた初等中等教育が世界的な流れとして国際化されてきており,PISAなどが日本の教育の批判に使われている。こういった状況にどう対応していくか考えていく必要がある。
  • 我が国においては,天然資源が乏しいので人材育成が必要であり,従来,教育立国を目指すことを国のスローガンとしている。
  • 忍耐力や集中力を育成するということは人格形成の議論であったが,その多くを学校で背負うようになってきており,その意味で学校教育はよくやっているのではないか。
  • 高校では,中学校で学習内容が減っている中で,限られた時間で大学入試を突破するために,高校3年間で学習指導要領の目標をどう達成させるのかを,各教科が連携して考えるようになった。このため,体験的な学習をどの時期に入れれば,生徒の成長を促すことができるのかという観点から検討できるようになった。
  • 学習指導要領は枠組みであり,学校は,それを実現するために学校の組織力をどうつくっていくかを考えるべきである。
  • 多義的に使われている用語や概念については整理が必要である。
  • 「生きる力」の捉え方は低学年,中学年,高学年で違ってくる。
  • 教育水準の到達度,到達目標,実施状況,確かな学力,学力,基礎学力,基礎・基本,受験学力,生きる力,人間力などは,同じような概念を別の言葉で言っている面があり,統一できるものは統一すべきである。
  • PISAやTIMSSの問題を日本の学習指導要領はどれだけカバーしているのか。例えば,イギリスと日本の教科書はぜんぜん違っており,各国が別の土俵で比較されていることを考えると,調査結果に騒ぐ必要はないとも考えられる。

学力観について

  • 知力に偏るのではなく,体力,知力,人間力という3つを考える必要がある。その中で,忍耐力や共感力を教えていくべきである。
  • 今後重要なことは,科学セクターと技術セクターとのコミュニケーション,専門家と一般国民とのコミュニケーションなどの社会的コミュニケーション能力である。
  • 現行の学習指導要領の理念は理想主義的であり,堅持すべきものであるが,それを実現する手立てを考える必要がある。
  • 入試は知識中心で行われているように,今の学力観が社会に受け入れられていないところがある。
  • 自ら主体的に判断し,行動する力は,社会人としても求められることであり,現在の学習指導要領の理念が3年の実施状況を見て,時代に合わないものになっているということはない。
  • 生きる力を育むという考え方は間違っていないので,国としてもう一度しっかりとしたメッセージを発して,この力を育てていくべきである。
  • 知,徳,体すべてについて,見えやすい学力と見えにくい学力がある。見えにくい力にこそ,ほとんどの問題の原因があり,例えば,「活用力」といったものをこそ全力で取り組む必要がある。
  • 生きる力として育むべき力,あるいは今後の日本に必要な能力は問題解決能力であり,さらに重要なのが問題発見能力である。
  • 学力の概念を広く考え,従来の学力の中心であった組織的な知識に,総合的な部分,実践的な部分を加えていく必要がある。
  • 求められる学力として,「基礎学力」「計画力」「選択力」「行動力」「創造発見力」「シンプル力(論理的に考える力など)」「持続力」「元気力(ユーモアや表現力など)」「仲間力(コミュニケーション力など)」「幸福力(感動する力など)」というようなものがあるのではないか。そして,このような様々な力が求められるという社会の現実を学校に取り入れていくべきである。
  • 教員は,評価のための4観点を基礎として指導しているが,一方で,確かな学力で8観点が示されていることについて,どのように対応させるか戸惑っているので,概念の整理をすべきである。
  • 学力の定義が整理されないまま,PISAなどの結果をもとに学力が低下しているという議論がなされ,一方的に批判されている。このため,学習指導要領において学力についての視点を明確にすべきである。
  • 学力は,どういう目標で何を見るのかが重要である。
  • フィンランドと日本の教育内容はかなり違うが,発達段階で必要な知識は各国であまり変わらないと思うし,また変わるべきではないと思うので,国際的に共通した学力観を持たなければならないと思う。

学校週5日制について

  • 今は定着過程で,時間がないからといって元に戻すべきではない。学校週5日制の趣旨を踏まえるとともに,これからの新しいライフスタイルを定着させていく意味でも,学校,家庭,地域の三者がバランスを持って,活用のあり方を工夫していくべきである。
  • 学校週5日制を元に戻すことは時代の流れに逆行する。国や各自治体が,学校週5日制の趣旨を生かした教育環境をつくっていくことが重要である。
  • 学校週5日制は国際的にも大勢であり,維持すべきである。土曜日や長期休業の活用の在り方については,例えば,地域の社会人との連携をさらに活性化するというような観点からも検討していくべきである。
  • 多様性のある生活をするということが重要で,学校週5日制は週6日間同じところに行くこと自体を考え直すという意味もある。学校週5日制の下の2日間の休日について,自分が管理する時間の重要さについて認識させ,自由な時間を得ていることの価値を教えていく必要がある。その際,保護者の働き方,2日間の家庭での責任について,男女共同参画の観点も重要である。
  • 学校週5日制を維持する中で,NPOなどが積極的に学びの場の受け皿を提供できるようにすることや,地域の大学が地元を重視し協力していくことが必要である。
  • 日頃できない学びや日頃接することのできないスポーツ選手に接するなどの工夫が要るのではないか。
  • 隔週で土曜日を休みとするよう見直してもよいのではないか。当初言われた学校のスリム化も指導力の向上も実現が難しく,家庭,地域の教育力も対応は十分ではない。
  • 土曜日の活用の仕方としては,単純に月曜日から金曜日の授業時間を置くのではなく,体験的な学習や地域人材を活用した補習を中心にすることが考えられる。
  • 義務教育段階と高等学校は区別して考えるべきである。高校生であれば長い時間の授業やそれ以外の地域活動,部活動に取り組む力がある。
  • 学校週5日制はナショナルスタンダードとして維持すべきだが,保護者の教育的配慮や,土曜日の活用方法について検討する必要がある。
  • 学校週5日制の捉え方として,土,日曜日は子どもを学校から解放するという考えや,以前週6日制だった感覚から潜在的に土曜日は学校で何かをするという考えなどがあるので整理すべきである。
  • 学校週5日制で時間がないから学校で補習授業を行う状況になっているが,学校週5日制の下での土曜日,日曜日においては,学校は全くタッチしないことが原則であっていいと思う。地域が補習授業的なものを行うなどして,子どもたちを返さなければ地域や家庭が責任を持たなくなる。
  • 海外の学校の中には,土・日曜日は学校の先生は一切関わらず,生徒は教育委員会とボランティアに委ねられたコミュニティで過ごしている例もある。そのような取組を,日本としても考えていく必要があるのではないか。

学力調査について

  • 評価は原則的に部外者にさせないといけない。学力調査を住民に評価させるという方法もよいのではないか。
  • 学力調査があることで,学校の勉強が試験に向かうことになってもよい。試験に向けどういう準備をすればよいかを学ぶことも学習である。
  • 意識調査などで子どもの実態を捉え,学力調査の結果との関連を分析していかないと数字がひとり歩きしてしまう。また,国や自治体でいろいろな学力調査が行われている実態があり,負担なども考えると最終的には一つに収斂されていく方向が望ましい。
  • 何年か後に調査結果を比較できるような内容であるとともに,学校や子どもに負担を与えないものであるべきである。
  • 実生活への知識の活用力を捉えるため,子どもの生活習慣についても合わせて調査するとよい。その結果を踏まえ,弱い部分に予算的な補助をすることも考えられる。
  • 学力調査の結果については,かつて目的と違ったところで議論が起こってしまったということへの反省に立って,公表の扱いやデータ管理については十分配慮する必要がある。
  • 学力向上に資するため,設置者に結果を還元し,設置者がどういう教育政策を実施していくかを明らかにすべきである。
  • 新しい学力観の下,目に見えにくい学力を捉えるべきである。学力調査というと,目に見えやすい学力を測ることと捉えられがちなので,理解度把握など名称の配慮や経年で結果を把握する方法も必要である。
  • 国レベルでの調査は,学習指導要領の到達水準や海外との比較,都道府県レベルでの格差について把握するために必要である。地方自治体レベルでの調査は,学習改善に役立てることができる。
  • 国レベルの調査は悉皆で行う必要はなく,詳細な調査は地方自治体に委ねればよい。国と地方自治体それぞれの調査の棲み分けが必要である。
  • 調査を悉皆で行うなら,調査結果を学習改善に活かすなど,悉皆で行うメリットを活かすべきである。
  • 教員の意欲を失わせるような調査とならないよう,学校にとってプラスになるような調査結果の活用方法を考えるべきである。
  • 調査結果の公表には,過度の競争が起こったり学習内容が受験科目に偏るというマイナス面がある。学校選択制も踏まえて,マイナス面をどのように緩和するかを考えるべきである。例えば,結果を一般には公表しないことや,公表に当たって調査結果以外の学校の状況もあわせて公表することで,学力だけが学校の選択基準にならないように配慮することが考えられる。
  • イギリスの例では学校により児童生徒の質に違いがあり,学校の質の判断を単に学力調査の点数の良し悪しだけで行うと,もともとの児童生徒の質に左右されることになるので,調査結果は点数の伸び率を示すことを求める声もあった。
  • 学力だけでなく,複数の種類の内容を対象とした調査を行い,全体のバランスを図るべきである。悉皆の場合は調査体制が重要であるが,国で実施する場合,年度ごとで対象をずらすという考え方もある。
  • 学校の説明責任という観点から,学校は自分の学校が全国の中でどのような位置付けになるのか,調査結果を通じて知るべきである。このため,全国的な学力調査を実施すべきである。
  • 調査結果は,情報公開法も施行されているので,序列化や過度の競争に陥らないよう配慮しつつ,可能な限り公開すべきである。
  • 調査の内容は,知識・技能だけでなく,思考力・表現力も含めた内容とすべきである。
  • 評価はある側面しか捉えることができないので,学力調査は最低限の内容を押さえればよい。
  • 調査は,得意教科など生徒個々人の特性を把握できる内容が好ましい。
  • 調査は,保護者や地域の協力を得る手段にもなる。
  • 学力の目標設定は,マイナス面もあるが,目標を子ども,親,教員で共有することは必要である。
  • 子ども一人一人の到達状況を把握するのは学級で十分。国として,ナショナルスタンダードが達成されているかどうかについて調べるなら,抽出調査でもできる。
  • 評価の在り方,実施方法,スケールについての研究が必要である。PISA調査ではリテラシー調査が入っているが,日本の調査は,受験学力のテストになっている。
  • テストの点数は分かりやすいので,学校評価や教職員の業績につながると,教員の努力がテストの点数のみに向けられる危険性がある。
  • 学習指導要領の内容は知育,徳育,体育すべてに及んでいる。学力調査というと受験に要する学力と捉えられがちであるが,体育,芸術なども含めてトータルに考えるべきである。
  • 学力調査というと知識偏重になってしまいがちになる可能性があるので,義務教育が本来やらなければならないことを明示すべきである。
  • 学力調査については,なるべく検討段階から情報を公開し,その目的,進め方,問題等の考え方を理解してもらい,学校現場がすぐに対応できるようにすべきである。
  • 大学入試が高校以下の教育課程に影響を与えるのと同様に,学力調査の問題が教育課程に影響を与えるものと考えられる。
  • 目的に応じていろいろな調査のやり方がある。
  • 学力調査の実施については,国際的な背景があるものの,国が説明責任を果たすという国内の要請がある。文部科学省が実施する行政を自己評価するためのものという考え方に立ち,データの取り方,公表の仕方について検討すべきである。
  • 競争をあおることや序列化も問題だが,一方で情報公開法の要請もあるので,公開の在り方について検討すべきである。
  • 学力調査への参加は義務とするのか希望とするのか,希望とした場合に希望が少ないときはどうするかについて検討すべきである。
  • 学力調査においては,PISAの考え方によるのか,日本の考え方によるのかを整理すべきである。
  • 学力調査については,現場における指導に関わる部分については地方に任せるべきである。国は,自治体間に格差がないか,国際的に比較してどいうかという視点から行うべきである。

見直しに当たっての視点

  • ニートの問題を含め,義務教育の在り方,教育課程の在り方が問われており,日本の教育や各教科の水準,ナショナルミニマムがどうあるべきかの検討が必要。
  • 学習指導要領の実践的対応力により問題が起こるのか,授業時間数を含めた現行学習指導要領に内包する問題によって起こるのかを整理した上で,今後の議論が必要。
  • 10年,20年といった中・長期的な視点で目標を考えるとともに,科学的・客観的に判断し,定量的な解釈をすることが必要。
  • 現在の学習指導要領の内容,教育の実施に当たって,どこに問題があるかを分析することが必要。その際,国際的なカリキュラム比較を行い,日本のカリキュラムの課題を検討しないと,今後の国際的な競争時代に対応できないのではないか。
  • 基礎・基本を積み重ねていくという観点からは,幼稚園,小・中・高等学校の系統性という視点が必要。
  • 今般の学習指導要領の見直しに当たっては,緊急に各教科の学力低下について議論するのか,教科の再編成の議論も取り上げるか,検討が必要。
  • 国家・社会の側から考えるのではなく,子どもの視点に立って考えるべきである。子どもの側からすれば,教育を学校だけに求めているのではなく,親や地域など大人全体に求めているのであって,全部学校だけで抱えることはできない。
  • 教科間で類似の内容の学習時期が異なるなど,学びの体系に齟齬がある。学びの体系をきっちり見直すことが必要。
  • 子どもたちの現状を論じるに当たって,そもそも論と対策が混同されている。家庭的に困難な状況を抱えているなど,何らかの対策が必要な場合はあるが,それを標準とするのではなく,複眼的な見方が必要。
  • 義務教育における設置義務について,建物だけではなく,教育内容も含めて考えるべきであるということを首長が認識することが必要。
  • 一律に教育内容を3割削減した現行の学習指導要領の現状について,教科ごとだけではなく教科間の相互の体系性という観点も踏まえて,具体的に検証することが必要。
  • 学年によって教科や時間配分の重点化を検討すべき。
  • 職場体験などの体験活動や教育課程外の部活動などをどのように扱うか検討が必要。
  • 国として方針を示すことと各地域や学校が対応すべきことを区別して考えることが必要。
  • 総合的な学習の時間が「生きる力」とどのように関連しているか,また,成果があがっているかどうかの評価指標をはっきりさせることが必要。
  • 「生きる力」は,国家,社会あるいは国際社会といういろいろな場で生きていくという多様な要素を持っており,きちんと区分けして教育の在り方を考えなければならない。
  • 現代の子どもたちをとりまく環境を十分に把握しながら,国家・社会の形成者を育てるという観点と,一人ひとりが充実した人生を送るために個性や能力を伸ばすという観点から,現行学習指導要領の問題点を分析していくことが必要。
  • 学習指導要領を変更するということは,システム自体を変えることであり,良い事例の発表や知恵の共有とは分けて考えるべき。
  • 現場で実際に使われるのは教科書であり,また,日本の教育が優れているのは授業の在り方にあると海外からも注目され研究が行われている。学習指導要領や教育課程が,実際にどのように子どもたちの教育活動のためになっているかを多角的に検討することが必要。
  • 学習指導要領の見直しに当たっては,平成15年の一部改正の延長で考えるべきであるが,学問の進展と子どもたちの発達の変化という新しい視点での議論も必要。
  • 教師は学習指導要領よりも教科書を教えているのが実情であり,学習指導要領の問題点と教科書の問題点,現場教師の問題点を整理して考えることが必要。
  • 学習指導要領はノウハウ集なのか,マニュアルなのかが明確ではない。教科書との関係,実際の教師の実践や評価を踏まえ,PDCAのサイクルで考えるべき。
  • 教員の資質向上のためには,自己啓発が重要であり,学習指導要領の中にそれぞれの教科を教えるために必要な参考資料などを加えることができないか。
  • 日本のカリキュラム,授業や教科書はあまりに知識偏重であったことの反省に立って,生活科などが導入されたと考えるが,いまだに知識偏重になっている。例えば,理科で生活理科という考え方があるが,そういったことも検討する必要がある。
  • 子どもたちの生活の根本である衣食住が昔とは大きく変わっているということを考えないといけない。
  • 現行の学習指導要領は細分化されすぎている。カリキュラムの考え方を教科と教科外という考え方で整理すべきである。
  • 現行の学習指導要領は体験学習が多すぎる。実態はゲストティーチャーに丸投げになったりしており,教材開発能力が低下している。
  • それぞれの教科で教育方針がばらばらになっている。総則で基本的な教育方針を明確にすべき。
  • 学習指導要領を変えるとしても,運用の実態・中身を考えないといけない。
  • 学校が荒れ,子どもたちの心が荒廃した状況の反省から,これまでゆとりと充実という政策が制度的に整えられてきた。ようやく子どもたちの個性などが芽生え始めており,今後それを評価する方法を開発していかなければならない。
  • 今は国民が非常に多様化している。一律にまとめてやることがなかなか難しい。
  • 時代に即して,学習内容を削ることも重要である。
  • 学校における授業がどう充実していくのか,子どもたちが今の学習指導要領の目標や内容をどれくらい習得しているかということを考えるべきである。
  • 各教科,特別活動,道徳,総合的な学習の時間の関係性を明確に示すべきである。
  • 教育のレベルについて,昔の子どもができていたのに,今の子どもにはできないのであれば,今の子どもにレベルを下げるのではなく,今の子どもがなぜできないのかを検討するべきである。
  • 今は,以前に比べ不登校の児童生徒の数が増え,その保護者にも連絡がつかないことも多く,教員は学力問題にまで力を割けないような状況がある。このような現状を理解した上で,対策を考えるべきである。
  • 学習の評価方法を国レベルで研究するべきである。明確な評価方法があれば,明確に到達度を示すことができ,教員の目標が明確になる。また,その評価を高校や大学の入試に反映させれば,テスト偏重から生じる教育の問題点を正常化することに寄与すると期待される。
  • 国が教育課程の基準を設定しているのだから,それを国として尊重すべきである。大学受験にあわせて高等学校の指導内容が減るような現状に対し,国として指導ができないかと考える。
  • 基礎的・基本的な内容については合意が得やすい。中学校終了時点で身に付けるべきと考える内容を並べるだけでも骨格が出てきて,これを学年ごとに割り振るというやり方も考えられる。
  • 子どもには成長段階で個人差がある。成長して社会に適応できるかどうかが問題なので,失敗したら再チャレンジできるようなシステムが必要である。
  • 各教科等の目標や内容についての区切りを検討する必要がある。
  • 学級や学校などの教育システムと一人一人の子どもをどのように育てるかということを分けて考えるべきである。
  • どのような国民を育てるかということについて,具体的な概念をもとに議論するべきである。
  • スタンダードの教育とエリートを育てる教育とを分けて考えるべきである。現行の学習指導要領の数学の内容は,ミニマムではなく,エリートを育てる要素がある。
  • 留年制度を取り入れた場合,今の子どもは弱いので,できなかった子だけが残されるということが本当に大丈夫なのか,疑問である。
  • 国の示す内容は,家庭や社会でどのようなことがあるかということと一体的に考えるべきである。
  • 子どもに関わる内容としてもすべて受け入れることはできない。例えば家庭教育や社会教育に関わる内容や,食育,地震・防災教育なども子どもに関わるが,学校でするべきことをもう一度見直して欲しい。
  • 学習指導要領において幼小連携を明確にすべきである。
  • 小中の連携について,各教科等のカリキュラムの中で具体的に検討すべきである。
  • 教科間の連携について,総則で連携について言及するのみならず,各教科ごとに考えるべきである。
  • 軽度発達障害の子どもが入ってきていることを踏まえ,特別支援教育を学習指導要領上どのように位置づけるべきか考えるべきである。
  • 持続可能な開発教育は日本が言い出したことだが,そのことについてどのように取り組むか,また,テロや宗教対立など平和に関する問題は21世紀を生きる子どもにとって最大のテーマであり,こういった国際化の影響への対応をどうするか十分検討すべきである。
  • テロが起こるなど平和が問題になっている。国際化による影響を踏まえるべきである。
  • 教科間の連携が必要である。中学校国語ではあまり他の教科の要望に応えたり,実生活に役立つものを取り入れるという視点が薄いのではないか。また,数学に対しては,統計を早くやってほしいという声が他教科から出ているし,体積を早くやれば理科に生かせるという声もある。
  • 将来役に立つだけでなく,ある教科の学習が別の教科で役立つことを明らかにすることが必要である。
  • 学力についての批判においては,基礎的なものが足りないということ,学習指導要領の問題,国際的な新しい学力の3つが言われる。これらについて整理をし,それぞれ対応していると言える仕組みをつくるべきである。
  • 幼小連携については,各々の教員の意識がまったく別々になっている。研究開発学校の事例などを参考にして,連携した合理的なカリキュラムをつくる必要がある。
  • あまりにも教科が分化しすぎているのではないか。実生活は分化しておらず,総合的なものでできているので,それに対応したカリキュラムを検討すべきである。
  • 小学校と中学校のカリキュラムはスパイラルとし,繰り返し学習させる方がよい。双方が学習してつなぎの内容が増えることで,小中連携も促進される。
  • 食育,キャリア教育,金融教育など現代的な課題に対応した教育が求められているが,現状としては,それぞれの内容は各教科に点々とあり,それを整理統合しているのは学級活動の時間しかなく,十分高めきれない。それぞれの教育内容について,教科の中に明確に位置づけてはどうか。
  • 学校5日制導入と学習内容の3割削減は,国民に学力が低下したという印象を与えてしまった。PISA調査の成果も踏まえつつ見直しを行い,グローバル社会においても我が国がトップレベルを維持できるという強力なメッセージを発することのできる,充実した内容の教育課程をつくるべきである。
  • 教育課程全体の層を考え,例えば人格性のような基礎的な部分と学力としての基礎になる部分,さらに活用力,応用力のように整理していくことが必要である。
  • 教科の中で何を主とし,副とするのかについて区分けが必要である。新しい分野が入ってきたときに,すべてができるわけではないので,学校として何を主として考えるのか検討するべきである。
  • 教科における縦の筋道が重要である。義務教育のみならず,高校の内容も加え一貫性をはっきりとするべきである。
  • 学習指導要領の内容に,教科間の連携を踏まえつつ,ここまでは卒業までにクリアすべきなどという軽重を付けてもよいのではないか。
  • 小学校においては,生活科,総合的な学習の時間,他教科等の関係性について明確にすべきである。
  • 教科間のアジャストメントは,まず研究者による研究がないと実現不可能ではないか。
  • 数学への興味・関心が中学1年で落ちるという調査結果がある。子どもたちのつまづきについての研究をもっと進めないと,改善に生かされてこない。

2.学習指導要領の見直しに当たっての検討課題

1.「人間力」向上のための教育内容の改善充実

1.社会の形成者としての資質の育成

  • 社会科で諸外国について調べるのは,小学校6年生の3学期で,都道府県の学習についても,例えば九州と北海道の風土の違いを学習する時間が少なく,総合的な学習の時間に調べ学習を行おうとしても,基本的な知識が十分でない状況である。
  • 主権国家平等の国際社会において世界各国の国名や首都を覚えることが重要。
  • 記述力の向上のためには,立論する力の教育を重視すべきであるが,そのためには,社会文明の発展の経緯を理解させることが必要。
  • 日本人あるいは,社会人としてしっかりとした素養を身に付ける必要がある。そのためには,日本の伝統や文化,歴史の教育が重要である。
  • 文明的社会を希求した人間の発展の軌跡を理解させることで感動が生まれ,その価値の理解が深まり,自由をはき違えるということもなくなるのではないか。
  • 差別を突破あるいは克服するために努力してきた人々やその足跡を教えることで,愛国心については,若い世代が慈しむべき自分の国という感覚をもつことができるのではないか。
  • 国際社会で対等に伍していくためには,自分の国を愛し,自分の国の歴史あるいは文化を自分の言葉で語れなければならない。一方で歴史教科書の評価で大変な議論が起こる現状は問題である。
  • 現場で近・現代史が十分指導されているか,しっかりと議論する必要がある。
  • 社会の中で自分が何がしたいのか,社会とどう関わっていくのか,人間の幸福な暮らしと調和や発展をどうリンクさせていくのかを考えさせることが重要。
  • 生活者としての技術を教えることはあっても,科学技術のガバナンスを教えることはなされていないなど,主権者としての国民を育てるという観点の教育がなされていない。
  • 社会の構成員としての責任と義務,政治そのものの重要性をよく理解させることが必要である。
  • 日本の社会を支える仕組みとして,例えば社会保障や税の重要性をしっかり教えるべきである。
  • 国際化,IT化,知的財産権,環境の問題,企業の社会的責任などが日本の社会全体として遅れている。世界的な事象がある程度理解できる素養を身に付ける必要がある。
  • 社会科において多様性への視点を重視すべきである。例えば,世界各地で同じ10歳の子どもがどういう生活をしているかを学ぶことで多様性が生まれる。
  • 国際社会においてはモラリティー,道義というものが重要。
  • 民主主義,自由と平等など哲学的,倫理的な内容について,言葉だけでなくそれが何かを問わせることが重要である。
  • 学校における問題行動や犯罪の低年齢化などの問題を考えると,小学校3,4年生から,社会の成り立ち,個人が社会において果たす役割やルールなど,社会的な規範性を身に付けさせるようにすべきである。
  • 国際化の中で,しっかりとした宗教観を育てることが必要である。
  • 学習内容が「市民生活面からのニーズに十分合致していない」という意見がある一方,小学校3,4年生の社会では,自分たちの地域や町を理解することが中心となっており,実態がどうなのか踏み込んで議論する必要がある。
  • 小学校の社会科は5年生で地理,6年生で歴史と政治経済が中心となっており,中学校1年生で学ぶ地理や3年生で学ぶ政治経済など接続に断層があるのではないか。
  • 社会科においても義務教育の9年の系統性が重要であり,覚えるべき基礎的・基本的なものを具体化して絞り込む作業が系統的なものにしていく土台となる。
  • 社会科の課題は,生活科,総合的な学習の時間などとの関連を明確にしていくことである。例えば,生活科との関係で,具体的な地域とのかかわりについて生活科をどのように発展させていくかが重要である。
  • 子どもたちのベースとなる体験や感覚が非常に異なってきており,小学校高学年での地理的内容,歴史的内容の指導が難しくなっている。総合的な学習の時間との関連を通した体験が重要であり,例えば,社会科の教科書の発展的項目に,総合的な学習の時間における活動例を入れるなどの工夫が必要である。
  • 目の前にある仕事に一生懸命取り組み,そこから楽しみを感じる力を身に付けさせることが重要である。
  • 生きる知恵を付けさせるため,経済教育を行うことは重要である。基礎的なことは義務教育段階で教えるべきである。教えるに当たっては,最低限必要な内容を押さえた簡単なマニュアルがあればよい。
家庭
  • 小学校に洗濯機が一つしかなかったり,ミシンも古いミシンだったりするなど条件整備が整っていない。小学校で衣食住について指導するのは重要であり,しっかりと時間を確保すべき。
  • 小学校の家庭科で,いろいろなことをねらい過ぎているのではないか。新しい教育課題に対応できるものを用意しておき,家庭科では家庭に関することのみとすべき。
  • 技術・家庭科は生活に最も密着した教科であり,社会が変われば内容も変わる必要がある。時代に応じて見直しをすべき。
技術
  • ものづくり教育で期待できるものを3つあげると,1つは,ものづくりの心,向上心や高めていく喜び。2つ目は,実際につくってみてつくることができるという領域。3つ目は,ものづくりが日本で果たしている社会的な重要性がある。それにより,ものづくりに関わる子どもが出てくることが大事。
  • 日本の強みは,1つは個々人の技量が高いこと。2つ目は,個々人が創意工夫して改善をすることが絶えないこと。3つ目は自分のした仕事に責任を持つことである。技術・家庭科の目標としては,日本の強みを伸ばす視点を書くべきである。また,技術・家庭だけでなく,小学校・中学校の段階で各教科等に振り分けながら学んでほしい。日本の強みは,日本の民族が特性として持っているものではないか。それを意識して育てていくことが大事である。
  • 高校と義務教育は分けて考えるべき。普通教育と高校の専門教育としての教育は違う。普通教育としての技術・家庭は自立への基礎を作る芯を育てる必要がある。
  • ものづくり教育について,実用性も必要。中学校からものをつくる教育を行い,ものをつくることに興味を持てるようにする必要がある。
  • 技術・家庭科については,ものづくりが重要。航空機などについて,設計図は描けても,ものをつくる段階になると製品が完成しないことがある。ものづくりの達成感は完成したときに得られる。
  • ものづくりについては,教科の枠を超えてやるべきである。図工に理科的なものをうまく組み合わせたりする必要がある。キラーコンテンツのように,いろいろな教科に組み合わせることができる教材を開発すべき。
  • 近年,金融で直接投資する商品が増えているが,金を右から左に動かせば儲かるというのが果たしてはたしてよいのか。ものづくりや金融教育をどの時期にやるのかについては,社会的コンセンサスが必要。
  • 日本は加工貿易で成り立っている。ものづくりの心,楽しさを小中一貫して教えるべき。
  • 日本のものづくりは大切である。図画工作では小学校1~6年までの内容に造形の遊びとあるが,遊びで終わるのではなく,小中一貫してものつくることの楽しさを教えるべきである。また,生活との関わりについても,もっと教えるべき。
情報
  • 情報が入ってきて,全国の学校にコンピュータが配置されてきたのはよいことである。ただ,現在のような形で情報をおいておくのがいいのか検討する必要がある。
  • 情報モラルや遵法精神などの課題が出ているが,情報を教科としてやっていくことに限界があるのではないか。各教科との絡みの中で情報教育を行ってはどうか。各教科の中で情報モラルを育成することは可能である。それによって各教科の時間数を確保できるのではないか。
  • IT化により教育をバージョンアップできると考えているが,世間ではインターネット等に関わる様々な問題点がクローズアップされている。どのように活用していくのかを,実態に先んじてもっと戦略的に検討すべきである。
  • インフラの整備が進んで,ブロードバンドは日本が世界で一番安く利用できるまでに整備されたが,一方で校内LANすら整備されていない学校もある。
  • イギリスでは,学校現場の20パーセントくらいでデジタル黒板が活用されている。インターネットからチョークと黒板より圧倒的に多くの情報を出すことができる上,板書をする時間が省けるので子どもの興味を途切れさせない。
  • SSH(スーパー・サイエンス・ハイスクール)と普通の高校の差が激しい。現場教員の情報リテラシーが不十分である。
  • 学校では,教員は自分のパソコンを私費で買っている。また,生徒のパソコンは古く校内LANすら入っていない。設備が整うと,今度は研究が求められる。今はIT化の過渡期なので,どうレベルアップを図るかが課題である。
  • コンピュータは技術革新が続々と起こっているので,学校教育の中では追い付かない。また,セキュリティの問題もあって学校に専門家を置かないと難しい。
  • 情報教育については,コンピュータはあくまでツールなのだということを子どもに教えるべきである。人の資料を組み合わせて論文を作る生徒がいるが,大切なのは,できた資料をもとに,何を考えるかということである。
  • 現在,小学生でもパソコンを使いこなしている子どもも少なくない。情報モラル教育が必要である。
  • IT化を無条件に進めることがよいのか。情報技術を習得させる手立てが不十分である。小・中でリテラシーを身に付けさせるのが基本である。
  • 情報教育については,他教科と連携を図ることにより,他教科の内容も深まる。
  • 現在,大学の卒論はパソコンで書くのが当たり前になっている。小中高でパソコンが必要かどうかは,教育内容についてリサーチを必要とするかどうか,問題解決的学習としてどの程度を求めるかにかかっている。

2.豊かな人間性と感性の育成

  • 戦後教育に不足しているのは知識教育ではなく,人格教育である。総合的な学習の時間ができたことはとてもよく,じっくり内容を充実させ,単に学力だけでなく,バランスのとれた人間をつくることを考えていくべき。
  • 美に対する教育,文化に対する教育をしっかりするとともに,その機会の充実が必要。
  • 芸術・文化について,生徒の理解が伸びる方向できっかけを提供していくことが必要。
  • 大学において教養課程が減ってきて,日本人全体に教養がなくなってきている。その中で総合的な学習の時間は絶対に必要であって,これを継続するとともに,高校と大学の在り方も考えていくべき。
  • 心を伝えるということ,感動を伝えるということが一番の基本である。教育現場と文化は離れがちであるが,文化,情緒,心を教育の中に取り入れ,先生の個性が少々乱暴でもどんどん入っていくことが大切である。
芸術
  • ハウツーではなく,感動を伝えることが必要である。技術だけでなく,心も伝えないといけない。そのためには,教師自身が感動を持つことが必要。
  • 情報教育をするならば感性教育が必要。情緒というものが最近なくなりつつある。日本を豊かな文化立国にするためにも情操教育が必要。
  • 生きる知恵を教育の中で培うことが必要である。生きる力には2種類あって,1つは,職業について自分の一生を賄っていくための知識で,国語や算数,英語などの教科で身に付ける。もう1つは,音楽を聴き,絵画を描けるという自分の一生を豊かにするためのものであり,芸術教育で身に付けることが必要である。
  • 知徳体と言いながら,現場では,読み書きそろばんに傾斜している。音楽,図工も時数は少ない。時数を増やすのは難しいと思うが,全体のバランスとしてある程度の時数を確保すべき。
  • 学習指導要領では,日本の楽器を選択できるようになっているが,大変すばらしいことだと思う。しかし,教師がその楽器を操れない。また,楽器が高価である。外部人材の活用や楽器の購入などの条件整備も重要である。
  • 教師が子どもの興味や関心を呼び起こして,才能を伸ばしたり,可能性を引き出すことが重要である。
  • 芸術が学校教育の中で生活の潤いになり,感性や情操を培うことは重要であり,教育内容や方法を見直しながら,充実を図っていくことが必要である。
  • 芸術の領域で,保護者が期待しているものは幅がある。また,音楽が好きという子どもたちは,小学校では7割くらいだが,中学校では5割くらいになる。学習指導要領には,小学校・中学校の段階でまったく同じ目標になっているが,目標が同じでよいのか,検討する必要がある。
  • 感性教育,情緒教育は小学校段階では遅い。幼児教育の段階から連携を強める必要がある。また,幼児教育と小学校教育の連続性の中で,感性教育,語学教育を考えるべきである。
  • 日本の音楽教育は西洋音楽を中心に教えているが,日本の伝統や文化という視点から教えてはどうか。例えば,日本にはカラオケ文化があるが西洋音楽は歌唱に向かない。生涯を楽しむことを考えて,皆で楽しんで歌える歌謡曲みたいなものを教えてもよいのではないか。
  • 音楽,美術を選択制にしてもよいのではないか。選択で選ばせて倍の時間を行うのはどうか。
  • どこの町にも祭りがある。笛や太鼓をやっていて,子どももなじんでいる。祭りは,音楽や技術,そして人との付き合いの宝庫である。システムとして,学校教育に取り入れたい。
  • スポーツの芸術性についての学生のレポートで,棒高跳びについて,あの人達にしか見えない空があるという表現がみられた。芸術をやっている人は,物事を美しく捉えようとしているおり,幼少から芸術に触れることが大切だと感じた。
  • 芸術教育を生涯芸術として捉えて,大人になってからも芸術活動ができるようにすべきである。どうやって大人になってからも楽しむか,という視点が必要。
  • 芸術家の活動に子どもたちが入っていく機会を作ったり,外部の人が入ってくるシステムを作る必要がある。
  • 時間数は制限があるので,学校教育をきっかけとして,土曜日や夏休みに芸術に触れ合う機会を作ってやることが大事。
  • 劇をつくるというのは,脚本を書くのは国語,BGMは音楽,舞台作りは技術などいろいろなことが体得できる。音楽は音楽だけ,技術は技術だけというのではなく絡めて行うことも必要である。総合的な学習の時間を生かすことも奨励されていいのではないか。
  • 教育課程外で行っている音楽の活動を音楽の評価に生かし,音楽として指導してもよいのではないかと考えている。ここで自信をつけると,中学校で地域との連携ができる。地域との連携の中で,伝統的な音楽教育が変わってきている。
  • 音楽の時間の中で,何をもって基礎教育と捉えるのかが明確でない。それをはっきりすると,地域の実態に応じた教育ができるのではないか。
  • 芸術を国家で議論するのは難しい。
  • 小学校では音楽の基本を教えるべきである。方向性を見極めてもらうような教育が必要。内容としては,メロディ,リズム,ハーモニーが大事である。また,中学校,高等学校では鑑賞を主に教え,西洋音楽教育の基本を教える必要がある。
道徳
  • 道徳は,学校の中での取り組みだけではなく,家庭・地域と連携していくことが重要である。
  • 心のノートは内容は良いものなので,積極的に使ってもらえるようにすべきであり,その場合,国が一律に作成するより民間で様々なものを作成するほうが良い。
  • 週1時間の道徳の時間だけでは短いので,最近の様々な要素を盛り込んだ上で,総合的な学習の時間と連携して行うべきである。
  • 命の教育について,現場でどういう教材と子どもを関わらせるかが大事である。例えば,生き物を食べるためには殺さざるを得ないという事実を,実生活との関係の中で学ばせるべきである。
  • 道徳は,概念そのものを教えても理解が難しい。歴史を担った人,新しい正義を社会に位置付けてきた人物などの足跡を教えることで感動のある知識として教えることができる。その際,偉人ではなく,無名であっても苦労を乗り越えた人や女性についても取り上げるべきである。
  • 学習指導要領では,低・中・高学年で目標と内容が分かれているが,教師はどう考えているだろうか。人間として最終的に持ってほしいという内容はそんなに多くない。生命の大切さや自然の崇高さなど,最低限教えなければいけないが,大切なのは教える教師たちの体験や考え方である。
  • 生物や国語など他教科にも道徳に関連するものがある。例えば,国語の中で道徳と関連させて感動のある実話を教えることも考えられるのではないか。
  • 人間として根源的に備える倫理以外に実社会にはバーチャルなものがあり,IT化の進展や少子高齢化など環境の変化を含めてどう扱うか研究が必要である。
  • 道徳の充実には,身近なところで教材をつくり,子どもと教師がしっかりと話しあうことが大切である。
  • 現在,学校で教える道徳と現実社会にギャップがある。学校が家庭に入れないが,子どもの問題行動の多くが家庭に問題がある。
  • 自尊感情は大切だが,わがままになっている場合がある。豊かな人間関係を育てるには人格教育が大切であり,コミュニケーションの場面でも聞く能力が重要。
  • 小中学生は継続的な精神発達が続いており,個人差が大きく,義務教育の枠で区切ることは難しい。精神発達の状況が違う子どもに道徳を教えていくためには工夫が必要。
  • 中学校1年生では,人間関係や社会的存在としての人間と生物としての人間という2面性を教えるべきである。また,中学校2年生では,自分の人生は自分で切り拓く,自分の責任でチャレンジしていくことを教える必要がある。
  • 道徳教育ということばは教員や保護者,中学生になると生徒にも抵抗感がある。社会生活のルールとマナーなどみんなが一丸となれる名称にすべきである。
  • 道徳の内容として,心のメカニズムについてデータを盛り込みながら考えること,現実にある犯罪を取り上げ,自分がしない,巻き込まれないためにはどうあるべきかということ,法律との関係で法律の背景にあるものや社会生活を生きていく中で必要なことを教えるべきである。
  • 価値観の多様化により,道徳教育はある程度抽象的にならざるを得ない。
  • 企業の視点からも,法律や就業規則などルールを守ることを身に付けるさせることは重要である。心のノートについても法律と絡めて教育をすることを盛り込むべきである。
特別活動
  • 特別活動は位置づけをはっきりする必要がある。特別活動は体験そのものを目的としているのに対し,総合的な学習の時間は体験から生まれる思考力や探究力を育成することを重視している。
  • 学校では行事を中心に年間計画を立てているが,どこまで精選できるかが課題である。また,道徳や特別活動は週1回で行事があると2週に1回ということもあり,計画的な取組み難しい。
  • 部活動は,生徒・保護者ともに要望が強い。いろいろな人間関係を学ぶことができるので,充実すべきだが,時数としてカウントするなど位置づけを明確にすべきである。
  • 授業時数が減っている中で,学校行事が精選されているが,それぞれの行事がどういう意味をもっているのか,どういう力を子どもたちにつけているのかを考えていく必要がある。
  • 特別活動でやるべき内容が多すぎる。一部内容を各教科に取り入れたり,家庭教育,社会教育でやることと整理すべきである。

3.健やかな体の育成

  • スポーツを多く行い,体力の向上だけでなくチームワーク,連帯感などを子どもに植えつけることが重要。
  • 体力と脳の力の関係についても,体力が低く,きちんとした生活習慣が身に付いていない子どもたちが増えており,視点を絞ってエビデンスベースで調べることが必要。
  • 学級活動が昼の時間にかけておこなわれて,ゆっくりと食事をとる時間がないときがある。しっかりと食事をとれるような環境をつくる必要がある。
  • 子どもの体力低下は憂慮すべきである。もっと鍛えるという観点が必要である。
  • 食育などは特別活動,技術・家庭科,保健などいろいろな場面で行うべきである。
  • 小学校では明らかに体力が低下している。体育の授業時数が105時間から90時間になったことも原因ではないか。
  • 子どもの体力の低下は,生活の変化が根本的な原因である。体育の授業時数を増やすよりも,朝の時間などを有効に活用して,毎日運動する機会をつくることが必要である。
  • 性教育は保健以外の教科や総合的な学習の時間でも行われている。また,薬物乱用防止教育も総合的な学習の時間で行われている。これらについては,学校全体で構想し,一つのまとまったカリキュラムをつくる必要がある。その際,スクールカウンセラーなど専門家の助けを得るべきである。
  • 子どもの体力の低下は二極化の状態にある。部活動もしないような層に焦点を当てて青少年の体力づくりの対策を講じるべきである。
  • 学校外も含めて体力をつけることを目指すべきであり,そのためには,体を動かすことが楽しいと思うきっかけをどのように作るかが重要である。
  • 競争や達成することについて義務教育でも強調すべきである。弱者を思いやる気持ちも競争があってこそ育つものである。
  • 保健の内容にはもっと医学的知識を盛り込むべきである。義務教育においては,中高年の病気についての知識なども含めて,生涯にわたる健康についての知識を網羅することが必要である。
  • 体育の授業では,楽しいだけではなく,持久力や持続力といった基本的な力をのばしていくことが必要である。
  • 体育の本当の楽しさは何かを乗り越えたときに得られるものであり,子どもたちがその子に応じて乗り越えた楽しさを重視すべきである。
  • 授業の中だけで体力をつけることは無理である。日常の活動の中で体力を付けることが必要で,学校では,そのための動機付けを行うべきである。
  • 子どものころ身体を動かすことが,大人になってからどう影響するかについて,医学的な知識やデータを示して自分の体に興味や関心を持ってもらうことが大切である。
  • 企業の視点からも,保健体育は安全衛生という分野であり,企業活動の基礎になるため,学校教育段階から力を入れるべきである。
  • 体力に関わる指導は全ての教師ができるようになる必要がある。
  • 学校における体力づくりを徹底するために,午前中に教科の授業を行い,午後を体育に充てるなどの時間割の工夫が必要である。
  • 現行学習指導要領では心と体を一体的に捉えるということを重視しているが,そのことの成果と課題がどうなっているか調査し見直すべきである。
  • 体力の向上は学校だけでなく,地域の役割が大きい。スポーツ施設や公園など日本では社会的なインフラが絶対的に不足している。
  • 家庭での食生活や食指導が不十分なので,学校では食育にも力を入れる必要がある。
  • 体力の低下が感じられる。知・徳・体がバランスよく育つことが重要だが,知識にウェートが置かれがちであり,特に保護者の見方は音楽や体力が抜けている。

4.国語力の育成

  • 日本の中では相当知力の高い人のグループであっても,その人たちの書く文章の論旨がたどりにくい。自己主張力や自己主張意欲とも関係するが,どのような文章,表現がモデルとして使われるべきか,望ましい国語力を見直すことが必要。
  • 日本の国語教育の教材は少し文学作品に偏り過ぎており,自分が言いたいことを相手に分からせる論旨の展開を教えるような教材が重要。
  • テレビやIT化というメディア時代において,子どもたちの読書離れが国語力の低下に影響しており,国語だけでなく各教科において,読書を通じて教育内容の理解を深めることが必要。
  • 国語力は国語科だけの問題でなく,初等中等教育で行う全教科にわたる非常に重要なポイントであるが,そのためには学校図書館,司書教諭の充実が必要。
  • 教養教育の中心が総合的な学習の時間であり,従来は国語の中で自然科学,社会科学,文学など多様な文章を読むことで扱ってきた。国語力を高めることが,総合的な学習の時間を高めることになるのではないか。
  • 国語力の向上には,基本として教師が子どもに対する言葉遣いに気を付け,美しい日本語で子どもと話すことが重要。そのために,教師は日本語の表現の仕方を意識すべきである。また,大量に美しい日本語を読むことが必要であり,そのためには,学校図書館の充実とあわせて学級文庫も重要。さらに,教科書を読むことで読書量を確保できるような教科書が必要。
  • 言葉は暗記であり,国語において美しい詩などを暗記させるような指導が必要。
  • 日本の教育において不十分なのは発表能力であり,調べたことを自分で表現したり,読んだ内容を人に伝えることが重要であり,3分スピーチの導入などわずかな時間でも工夫ができる。
  • 国語力の育成に当たっては,人間力などの文化としての切り口,ディベートの力,日本人としてのアイデンティティが入ってくるのではないか。
  • 覚える力だけではなく,IT等を活用し,情報を読み取り,文章を探し当て,その情報を比較して,事実がどうか確かめる力が必要。
  • 日本語は論理的なものを表現するのに適当な言語かということがよく言われるが,日本語がどのようなリテラシーを持つべきか議論が必要。
  • 現在小学校4年生で学ぶことになっているローマ字については,小学校3年生で始まる総合的な学習の時間での英語学習や,中学校の英語との接続を考えると,もっと早く教えるべきではないか。特に,パソコンの活用がローマ字の定着を図るために有効。
  • 一定程度の国語力が身に付いていないと,ローマ字で表記しても何をどのように表現するか分からないのではないか。子どもの実態を考えると,ひらがな,カタカナ,漢字とたくさん覚えるものがあり,あまり早くローマ字を入れることはどうか。
  • ローマ字やパソコン学習は否定しないが,文章作成の際の推敲のプロセスや手書きのよさがなくなってしまうのではないか。ローマ字と英語の関係は慎重に考えるべき。
  • 日本語をきちんと書く力,漢字を理解する力,言葉を作っていく力など,子どもたちが実社会に出て求められる力を総合的にパッケージで考えることが必要。
  • 国語は最も総合的な教科であり,他教科との関係を体系化し,相互に発信して影響を与えることが必要。また,すべての教科を通じて国語の大切さを位置付け,各教科における文章の作成や発表,ディベート等で国語の指導を行うことが有効。
  • 各教科における国語力の育成については,読書だけでなく,読解活動や表現活動を通じて幅広く行うことが必要。
  • 国語でも科学的教材など他教科の教材を取り入れ,国語と各教科の枠を取り払って,国語が全知識に関わることを意識することが必要。
  • 教科の枠を超えるためには,国語の教師と社会の教師,理科の教師などとのコミュニケーションによって国語力を多面的に捕らえていくことが必要。
  • 国語では文学作品を学ぶとともに,コミュニケーション能力を育成することが必要。その際,コミュニケーション能力を体系化し,プレゼンテーションを中心としたスキルを柱として入れることが必要。また,論理的に構成して短い言葉で伝える力,質問する力,文章を作成する力等の育成や,声,発音などの指導も重要。
  • 日本文学は日本人のオリジナリティに関わるものではあるが,言語能力と論理構造という日本語を扱う技術を教えることが国語の第一義である。
  • 国語は生活の中で培われるものが多く,暗記,音読など入門期では型が重要。大事なことは徹底的に指導すべきであり,一直線に表現力,コミュニケーション能力に行くのはどうか。
  • コミュニケーションを重視するのであれば,高等学校の国語表現の必修化を検討することが必要。
  • 文学的な作品では優れたものがあるが,論理的な作品でも定番でこれだけは読むことが必要というものを提示することが必要。
  • 日本では句読点やカンマの使い方などがバラバラであり,もう少し統一して教えることが必要。
  • 日本語は曖昧な言語であり,句読点などの統一のルールを作るのは無理であるが,学校教育の場においては,ある程度標準的なものをつくることが必要。
  • 読書指導について,図書館は大切であるが,司書教諭が兼務になっており,専任教諭を配置することが重要。
  • 外国籍の子どもが増加しており,その子どもたちに対する日本語指導,教材,指導方法の検討が必要。
  • グローバル化の中で日本人のアイデンティティが重要になっており,教科「日本語」とした方がグローバル化の中で日本語の大切さが理解できるのではないか。
  • 「話すこと・聞くこと」,「書くこと」,「読むこと」の順序性に意味があるのか,それでいいのか検討が必要。
  • グローバルの時代において,外国語を習得するために,日本語をきちんと習得しておくことが必要である。
  • 厚い本を読み通すという経験を持たないと,日本語の力が落ちる。また,読書をしないとストーリーを自分で構築する力が落ちる。

5.理数教育の改善充実

  • 理数系の教育では,将来の専門家を育てる教育は早い段階から行われるが,必ずついていけない子どもを生み出し,理科離れが進んでしまう。そういった子どもたちに,どう手当てをするかということをきちんと考えておかなければならない。
  • 理数教育は,人が考える力を養うのに大切であるが,現行の学習指導要領では,そのためのハウツーが中心になっている。子どもが疑問を持ったことに,教師がしっかりと答えられるような力をつける必要があるが,そのためには,小学校であればフォローする専門家がつく必要があるのではないか。
  • 理数科離れが社会全体の深刻な問題となっている。「理科離れ」については長年議論され,対策も講じられており,その効果はどの程度のものか検証するべきだ。
算数・数学
  • 算数・数学をなぜ学ぶのか,どういうところで使うのかといったある種の理念のようなものを教えていく必要がある。こうしたことを教えることで,数学が楽しくなってくる。
  • 例えば,統計の学習では,実生活や他教科の中で活用することを通して,数学がどう生かされているか教えていく必要があるのではないか。
  • 例えば,小学校5,6年生で帯分数を使った計算がなくなったため,公約数や公倍数,方程式を解くための基礎が弱くなっている。子どもたちがどこにつまずくのかを考えて,どのような力をつけるのか,また全体の系統性をどうするのか考える必要がある。
  • 与えられた問題を時間内に早く解くことに子どもの注意がいき,そのための指導になってしまって,自分の考えた筋道を論理的に表現するといった指導が十分なされておらず,評価もされていない。
  • 計算だけではなく,数学的な考え方についても学習指導要領で例示するなどして,教師の理解を促し,数学的な考え方を育成する指導を充実すべき。
  • 学習指導要領だけではなく,教科書の問題が現場では大きい。例えばアメリカの教科書は論理的な思考力を育てるよう,文章が多くなっている。日本でも,教師の指導力だけでやっていくのは難しく,教材とセットで考えていく必要がある。
理科
  • 最近の理科教育は観察・実験に偏っている面があるのではないか。科学者は本から学ぶ一方,自ら観察・実験を行っている。教科書の知識と観察・実験の両方をバランスをとる必要がある。
  • 理科については,高校までを見通した体系だったカリキュラムを考えるべきである。小・中学校の学習内容が高校に移行され,高校の内容が過密になっている。
  • 中学校の理科の教科書からフレミングの法則など法則名が消えている。学習の成果として,また系統性の観点からも覚えるべきものは覚えさせるべきである。
  • 生活科は社会科的な内容が多い。例えば,低学年に理科があった頃にはやじろべえから力学の基礎を学んだ。基礎的な体験学習の不足により知識とのズレが生じ,本質的な理解が不十分。低学年において理科を復活するか,生活科に理科的な要素をもっと取り入れてはどうか。
  • 探究的な活動は大切であり,実験などを多く取り入れ,じっくり取り組ませることが重要。そのための時間も必要。また,大切な内容は小学校で教え,中学校でも重複して教えてもよいのではないか。
  • きちっとした教材研究,授業研究を行って,子どもたちがより楽しく,より理解できるような授業ができるかどうかが大切であるが,実際に実験して具体的に見せるためには十分な教材研究費,教材費が必要。
  • スーパーサイエンスハイスクール(SSH)は,学習指導要領を超えた内容に取り組んでいるが,子どもたちは十分理解できており,全国でも取り組めるよう広げていくべきである。

6.外国語教育の改善充実

  • 日本の若者は自己主張,自意識が弱く,英語力も弱いため,21世紀の国際社会で自己主張していくことができないのではないか。
  • 外国語教育の小学校への導入を検討すべきである。その際,臨界期までにやらなければ間に合わないので,発音力の大幅な改善のためにきちんとしたネイティブスピーカーを導入すること,家庭の事情によって差が生じないよう一定水準の教育内容を提供することが必要。
  • すべての小学校でネイティブスピーカーによる授業を実現するためには,大きな仕掛けが必要であり,国をあげて取り組まなければならない。
  • 英語力を規定するのは,日本語をどれだけ使いこなせるかという国語力である。
  • 日本人は自分の表現に自信をもっていない。全ての児童生徒が発音力を身に付け,表現できるようにすることが公教育の哲学として重要。
  • 英語が国際語となっていく中で,日本人として英語に対してどういったスタンスに立つべきなのか議論が必要である。
  • 中学校における英語教育の指導法が大きく変化し,文法や辞書を引くこと,発音記号といったことが教えられなくなっている。ALTやインターネットを使うことで実際にコミュニケーションをする場面は増えているが,学習のツールとして文法や辞書を引くこと,発音記号は必要であり,バランスのある指導が重要である。
  • 中学校で目標となっている実践的コミュニケーション能力の規定が現場でまちまちに解釈されており,場合によってはゲームをやっていればよいということになっている可能性があるのではないか。
  • 文法を体系的に理解するということは重要であり,中学校でそういった学習に時間をかけるためにも小学校から英語教育を始めるべきである。
  • 言語の習得は基本的に単語量によるので,反復練習を通じて語彙数を増やすことが重要である。また,自分がいかに表現できるかということが重要であり,例えば5分間スピーチなどの練習を通じてそういった能力を身に付けさせる必要がある。
  • 小学校に英語教育を導入する場合に,ALTにはしっかりとした資格を与え,その水準についても常にチェックすることや指導に当たる小学校の教員のTOEFLの水準を問うなど発音をよくしていくための措置が必要である。
  • 小学校において英語活動を進める中での課題は,日本語の力との関係と高学年になるほど中学校の英語の雰囲気になり低学年で楽しくやっていたのと変わってしまうことである。また,親の入試を重視する意識も実践的なコミュニケーション能力の育成という点では難しくしている場合もある。
  • 教育課程の議論では結局時間数が足りないということになり,小学校でも重点を絞り込むことが必要である。英語教育についても,教科や総合的な学習の時間ではなく,教育課程の外の時間でやるべきである。
  • 日本が国際化していく中で,コミュニケーションの手段として必要な言語は韓国語や中国語ではないか。また,英語は必要になれば身に付けることができるということも聞くので,中学校からしっかり教えるようにするとともに,2か国語を教えることもあっていいのではないか。
  • 小学校で英語教育を進めるとしても,多くの課題の解決が期待されている中で担任に指導を任せることは無理である。また,ALTについても,必要な人数を確保することが難しく,かなりたくさんのALTが入ってくると質の問題になり,熱心な先生とそうでない先生との間に差が出てくることが考えられる。
  • 小学校における英語学習については,教材の研究が重要であり,IT機器の活用などを積極的にやっていくべきである。
  • 小学校における英語活動の現状については,既に多くの学校で取り組まれているという印象があるが,実際は全体の1パーセントの時間であり,ALTが参加している時間となると学期に1回から2回程度であり,ほんのわずかだというとらえ方をすべきである。
  • 小学校における国際理解教育を考えた場合に,どの国の人でも人間として共通しているということをしっかり身に付けることが大切であって,英語の発音や英語が話せるということは少し早い。むしろ日本語を正しく使える,自分の思いをきちんと相手に伝えることができることが小学校では重要である。
  • 小学校でナショナルミニマムとして日本語のコミュニケーション能力を育てていかなければならないということを考えたときに,英語を本当に必修化しなければならないか,その余裕があるのか考えなければならない。
  • 小学校の高学年からせめて週1時間程度は英語を導入するべきである。その際,総合的な学習の時間における国際理解とは切り離して,中学校の英語教育の基礎として位置付けるべきである。また,教材が決定的に重要であり,AV機器やIT機器などを活用してALTがいないときでも学習できるようにする必要がある。
  • アジア諸国でALTに対する大量の需要がある中で,日本がALTを質,量ともに確保していくためには,人材獲得の面でアジア諸国との競争に勝つということが必要。
  • 海外に駐在する家庭が多くなり帰国子女が増えてくれば,日本全体としては英語を使える人が増えるので困らないという考え方があるが,どの子どもも将来英語を使う仕事に就くという可能性はあり,子どもの未来を予断せずに,民主主義の中の公教育の役割として全ての子どもたちに英語を教えるべきである。
  • 小学校の英語教育については,必ずしも教科にする必要はないが,教育の内容については国が関与する必要がある。
  • 小学校で英語を教えるのであれば,外国人と話す面白さや楽しさを覚えれば十分である。それによって,子どもたちは自発的に伸びていくのではないか。
生活科
  • 現場においては,生活科は社会と理科を統合したものという受け止められ方をしており,一方で,総合的な学習の時間との違いが判然としていない。
  • 生活科は総合的な学習の時間と異なり教科として位置付けた方がよいが総合的な学習の時間とのつながりを意識した指導ができるようにする必要がある。
  • 第1学年と第2学年の内容をまとめて表示したことで,地域に合わせた指導がしやすくなった。
  • 人とのかかわりや社会とのかかわりに比べて,自然とのかかわりが薄くなってしまう。明確に目標を立て,自然に対する関心を高める必要がある。
  • 生活科の理科的な内容が薄く,一方で,理科は系統性が求められる教科であるので,生活科の中で取り組むべき理科的な内容を明示するべきである。その際,低学年の幅広い興味・関心にあった内容を取り入れるべきである。
  • 生活科が社会科に傾斜し理科の内容が手薄になっているという指摘については,担当する教員や地域の状況などによるところが大きい。学習指導要領や教科書はバランスがとれており,現場において理科的な内容に十分配慮した指導ができるようにすべきである。
  • 幼児教育の発展・つながりとして重要である。低学年の教育について十分な検討が必要である。その際,より合科的な指導をすべきである。
総合的な学習の時間
考え方
  • 総合的な学習の時間は地方のふるさとの山川草木から沸いてくるエネルギーを教えることであり,地方の力を引き出すためにも総合的な学習の時間を発展させるべき。
  • 課題発見能力や課題解決能力など見えない学力を育むためにも,総合的な学習の時間は重要である。
  • 総合的な学習の時間は体験から生まれる思考力や探求力を育成することを重視したものであり,教科から発展したことを明確にすべきである。
  • 総合的な学習の時間をすればするほど各教科の力が求められるし,逆に各教科の力を充実するほど総合的な学習の時間の学習が進むものである。各学校において,その共通理解をもう一度見直してみることが必要。
  • 基礎・基本である教科はしっかり教え込み,総合的な学習の時間は児童生徒の内発性を引っ張り出すような教え方をする必要がある。
  • 中学校は,生活指導や専門とする教科の指導,高校入試などの現実的な問題があり,意識調査などで総合的な学習の時間に対して消極的な結果になる。中学校ではまず必修教科をしっかりやるべきである。
  • 自ら学び考えるなど方法論に主眼が置かれている総合的な学習の時間と各教科は性格が異なり,教育課程全体における位置付け,評価,系統性などの点について,もう一度整理する必要がある。
  • 学習指導要領に見直しに当たっては,環境や情報,国際理解など各教科等にまたがる内容を各教科等に入れるか,総合的な学習の時間で学習するかという内容の割り振りのようなことを検討する必要がある。
  • キャリア教育など新たな課題への対応が求められる中で,総合的な学習の時間の内容が細切れになっている。各教科と総合的な学習の時間のどこで学習するかということを検討していく必要がある。
  • 現場における総合的な学習の時間が横断的,総合的な課題になっているか,あるいは体験が表層的なものになっていたり問題解決的な学習が十分できていないなど,検証すべき課題がある。
  • 平成15年の学習指導要領の一部改正により,総合的な学習の時間の充実・改善が図られたが,その趣旨が現場に十分伝わっていない。
  • 総合的な学習の時間は,事例集や教科書がなく,教師の力量に左右される。全ての教師がきちんと指導できるようになるためには,校長のリーダーシップにより各教師をまとめ,学校全体として取り組むことが必要。
  • 学校として総合的な学習の時間をどう位置づけ,どういう内容にするかという教育目標を立て,組織的に取り組んでいく必要がある。
  • 高等学校の総合的な学習の時間に求められるのは,スクールアイデンティティとかかわりが深いものであり,各学校が先進例などを取り入れながらどんどん工夫していく必要がある。
  • 社会が教育に参加することが必要であり,その窓口として総合的な学習の時間は重要である。総合的な学習の時間の意義としてアピールしていくべきである。
  • 総合的な学習の時間は始まって3年であり,試行錯誤の中で各学校で取り組まれているが,一方,サポート体制は不十分なので,その整備が必要であり,また,評価の方法についても工夫が求められる。それらができて初めて総合的な学習の時間の評価ができるのではないか。
  • 中学校は子どもたちが多様化し,自分が確立していく時期であり,小学校と中学校を分けて考えるべきである。中学校については,総合的な学習の時間を他の教科の補充に使ってもいいのではないか。
  • 社会全体として総合的な学習の時間の考え方について合意が得られているとは言えない。このことは入試の問題が絡んでいるが,総合的な学習の時間で身に付けた力を評価するシステムを導入する必要がある。
  • 総合的な学習の時間は,国語を基軸に据えて,自分の言葉で相手に正しく伝え,相手の言うことを正しく理解できるようにすることを基本的なコンセプトとしていくべきである。
  • 義務教育に関する意識調査に出ているとおり,中学校の受け止め方に問題がある。中学校に対して高校入試から知識教育重視の要請があることも,一つの原因であるが,バランスの在り方を検討していく必要がある。
  • 断片的な情報だけでなく,ストーリーを構築する力が大切であり,総合的な学習の時間についても,読書を中心に構成していくべきである。
  • 運用するための人や教材面での援助をしない限りは,中学校や高等学校では実現が難しい。
  • 総合的な学習の時間については,ふるさとへの愛情と誇りを重視したい。
  • 教科総合的な発想を入れるべきである。教科総合だと,中学校でも総合的な学習の時間をうまく活用できるのではないか。
示し方
  • 総合的な学習の時間における内容について,現場に任せるのか,それとも方向性としてある程度内容を示すべきか考えるべき。
  • 総合的な学習の時間は,今の子どもたちに欠けている重要な考える時間であるが,学校によって取組の差が大きく,学習指導要領の中でもう少し踏み込んだ記述をすべきである。
  • 基礎的に学ぶべきものはしっかりと学習して,それをもとにして自主的に様々な方向に学習を展開していくことが必要である。また,中学校では受験の問題があり総合的な学習の時間はどうしても引き気味になっている。そういうことから考えると,各学校がばらばらというのではなく,もう少し明確に目的を示すべきである。
  • 総合的な学習の時間について,年間で100時間以上設定されているが,事前の準備などの時間の確保や学級規模など,授業の基本的な条件の面で難しいものがある。
  • 総合的な学習の時間の授業時数について,他の教科とのバランスや中・高等学校において波型になっていることからも,70~105時間というような波があってもいいのではないか。
  • 総合的な学習を地域での学習や他の教科の中に吸収する方向も考えられる。
支援
  • 総合的な学習の時間については,再度その意義を確認し,統一カリキュラムを導入するのではなく,各学校の創意工夫や自立性を引き出すための支援体制をどうするか検討すべき。
  • 総合的な学習の時間の課題は,まだ十分定着していないことと条件整備が不十分なことである。ひとつは授業の方法などの面で研究を重ねていく必要がある。条件整備については,地域で取り組むための時間や,人的,財政的な援助などを含めて,総合的に,いろいろな角度から援助体制を組むことが必要である。
  • 義務教育に関する意識調査の結果などからも,総合的な学習の時間の充実のためには,民間との連携やそのための財政的な支援などサポート体制の整備が必要である。
  • 総合的な学習の時間については安易な課題設定も見られ,教師も考えなければならないことがあるし,教育委員会の指導力も問われる問題である。
  • 総合的な学習の時間は非常に重要であり有用であるが,それを教師が教える手だてをみんなで共有する訓練が必要であり,教師を同じ水準に引き上げていくことが求められる。
  • 中学校は教科担任であり,他教科との関連を深めたり小学校より高度な学習をするために学校全体として取組みを進めるには,一人の教員では難しく,全体をつなぎコーディネートする役割の教員が必要である。
  • 総合的な学習の時間を充実させるためには学校図書館が重要である。図書館司書が総合的な学習の時間を含めて全体のイニシアチブをとることで各教科等とも有機的に結びつけることができるようになるのではないか。
  • 総合的な学習の時間の充実を図るための支援として研修を行い,管理職も含めて本当の意義を理解できるようにしていく必要がある。
  • 中学校,高等学校段階になるとある程度専門的な内容を理解した上で,総合的な学習の時間の指導をすることが求められる。そういった能力のある教師を養成の段階から積極的に育てていく必要がある。
  • 総合的な学習の時間についてのプランを大学の教育学部や民間の研究機関などが提案し,その内容を競い合うことで,実践内容やカリキュラムの具体化において進歩していくのではないか。
  • アメリカでは学習プログラムを企画し調整するようなプログラマーがいて,学校における様々なニーズに機動的に対応できている。日本にはそういったプログラマーが決定的に不足しており,特に総合的な学習の時間では,外部の人材を活用したり,アイデアを出してもらったりすることが必要である。

2.学習内容の定着を目指す学習指導要領の枠組みの改善

1.各教科等の到達目標の明確化

  • 学習指導要領の共通に教えるべき内容についての最低基準としての性格をどう考えるか,子どもたちが目標を達成できない場合にどうするか,また,評価の在り方についてもその考え方と表現の工夫を検討すべき。
  • 各教科専門部会で,現行学習指導要領で削減された内容について見直すという検討も必要だが,その際,学校教育法上の小・中・高等学校の目的・目標も含めて,それぞれの学校段階で到達目標をどう設定するかを検討することが必要。
  • 最低限度の目標を学年ごとをに明記すべき。しかも,それが父兄にも見られるようになっていて,家庭での学習と連携ができるとよい。
  • 到達目標の示し方としては,学習指導要領に明記する方法のほかに,学習指導要領が指導する立場から記述されていることを踏まえ,別途文書を出す方法が考えられる。
  • 到達目標は目標の一種なので,目標を分類して,全体像を示した上で,そのうちの一部を到達目標として限定的に捉えることもできる。
  • 個々人の個性に応じた評価をしないと,評価はうまくいかない。
  • 例えば8割の子どもが達成することを目標とした場合,できなかった2割の子どもにどのように対応するかを考える必要がある。
  • ナショナルスタンダードである義務教育においては,何割以上の子どもができるという目標ではなく,すべての生徒ができるようになるまで教育する必要がある。

2.国民として共通に必要な学習内容の示し方

  • 子供たちが本当に身につけるべき基礎・基本を踏まえた応用力をトータルに考えた上で,学習指導要領をさらに検討すべき。
  • 教師にも個性があり,能力の違いもあるので学習指導要領がそういった差を埋めるためのマニュアルであることが重要。
  • 学習指導要領には教えるべき内容と教え方に関する記述が混在しているが,具体性があるか,現場にとって分かりやすいものとなっているかという観点から,性格付けを見直すことが必要。
  • 基本的に時間が短い中で,社会の要求するままに,内容を増やすことはできないので,スリム化と合わせて考えることが必要。
  • 教科の内容の中に,日常生活や他の教科への応用がもう少し必要ではないか。
  • 学校の創意工夫をできるだけ生かせるようにすることは重要であるが,その際,学習指導要領で示す範囲を限定して裁量を広げるのか,位置付けそのものを見直すのかという検討が必要。
  • 教科によっては,目標や内容を2学年まとめて示したり,1学年だけ示しているが,これでよいか検討が必要。また,小学校6年生と中学校1年生の段差がないか,9年間を見通したカリキュラムとなっているか検討が必要。
  • 多様な子どもたちに指導するのであり,最低基準とともに,発展的な内容を示すなど,幅広い示し方をするべき。大切な内容は,小・中・高であえて学習内容を重複させることも必要である。
  • 学校現場は学習指導要領の見解を一字一句変えてはならないと受け止めている。どうしてそうなっているのか検討すべき。
  • 生きる力ではなくコミュニケーションという言葉を使うことで整理しやすくなる。数学者になるには,数式コードについての最高レベルのコミュニケーション力が必要などとコミュニケーションのコードの違いやレベルにより学習内容を整理することで,一般の子どもに対して過大な負担を防ぐことができる。
  • 学習指導要領は最低基準と目標を定めるだけとし,指導の手段は現場に任せることが,一人一人の教員を活性化させることになる。
  • 公立の中高一貫校が出てきているが,同じ義務教育でも中高一貫の中での3年間と,普通の中学校での3年間は役割が違う。また,中高一貫校から公立中学校へ進路を変更するという場合もある。このため内容を明確にしたり,量的な妥当性を示すことは困難である。
  • 国際的通用性について,教員が教えられないほど優秀な子どもや教員の手助けをした方がよい子どもがおり,明確に基準を示すのは難しい。
  • 国として身に付けさせるべき基準を記載し,それはしっかりと教え込むことが必要である。
  • いわゆるはどめ規定は,児童生徒の興味・関心に応じた指導という観点から,見直すべきである。
  • 国としては,選択制よりも,最低限の内容を定めることが必要である。
  • 社会に出るために必要な,国語や数学など義務教育の最低限を示し,それをすべての子どもに妥協なく求めることを明確にすべきである。高等学校や大学は,義務教育とは別物であり,入りたい人が入って勉強するところである。

3.授業時数等の見直し

  • 子どもたちにものを考えさせ,課題解決させるためにはとても時間がかかる。考える授業を行うためには何らかの時間を確保する手立ては必要であるが,社会全体で子どもが考えるようなシステムを作っていくことが必要。
  • 学力低下傾向と授業時間数を増やすことを直結すべきではなく,家庭学習や地域学習とセットで考えるべきである。
  • 総合的な学習の時間などにおいて,思考力,発表力,討論する力を養い,実験や実習をする力など,授業の内容を質的に高めようとすれば,一定の時間は必要。
  • 低学年の授業時間数を増やして,日本語を読んだり,反復練習をするなど,頭で理解することだけではなく,耳でも体でも覚えることで後の学習にも効果があるのではないか。
  • 学校週5日制をこのまま継続するならば今より授業時数を増やすのは難しく,総合的な学習の時間を含めて,教科の割り振りをどうするのか方向付けをすることが必要。
  • 子どもたちの未来を真剣に考えていくなら,横並びではなく授業の工夫や改善が必要で,そのために時間数が必要であれば,学校週5日制についても考えていくことが必要。
  • 学校週5日制は,子どもが後の2日間で自由に発展する余地を与える積極的な意味で維持すべきと考えるが,登校日は全体的にもっと多くしても良いのではないか。
  • 現在の授業時数は,年間35週で割り切れないため,時間割が組みにくい状況になっている。
  • 日本の学校は教科以外の時間が多すぎる。また,諸外国と比較しても小学校の低学年は今のように早く帰らせる必要はないのではないか。
  • 教材研究などができるよう,教師の持ち時数を減らす方向で考えるべきである。
  • 多くの時間が選択教科として入っている。到達目標の明確化に関連して,目標を達成できるような時間を確保するために,選択教科を見直すべきである。
  • 現代的な課題に対応した教育を各教科に位置づければ,教科総合という考え方もある。そのためには,各教科の授業時数はゆったりとした時間が必要だと考えられる。
  • 授業日数は年間200日を割っている。週5日制は国際的な流れの中で維持すべきだが,時数を増やすことは考えないといけないのではないか。
  • 年間35週の週数となっているので,学校としては,授業時数が35で割り切れる方が児童生徒の生活にリズムがあり,外部講師を招きやすいなど,指導がしやすい。

3.学ぶ意欲を高め,理解を深める授業の実現など指導上の留意点

1.個性や才能を伸ばす教育の推進

  • 基礎・基本の確実な定着と個性を生かす教育には実体験が重要であり,体験的な学習をどう取り入れていくのかが課題であり,総合的な学習の時間を充実させる観点から人の問題,お金の問題など必要な手立てを検討すべき。
  • 全体のレベルを上げることも非常に重要だが,トップのレベルを上げることも視点に入れるべき。

2.補充的な指導の必要な児童生徒への教育の在り方

  • 平成15年度の教育課程実施状況調査で一定の改善傾向が見られたことはよかったが,今後の課題として学習が遅れている子どもの意欲をいかに向上させるかを考えることが必要。
  • 小学校では1人の担任の教師が様々なタイプの子どもの生活や学習を見ているが,遅れをサポートする専門の教師が必要ではないか。
  • 学力がないわけではないがつまづいてしまい,きっかけを失ってしまう子どもを早期に救い自信を付けさせることが必要である。全国の良い実践の成果が学習指導要領に盛り込まれたりすることで全体の学力が上がるのではないか。

3.教科書,指導方法等の改善

  • 国際学力調査にみられる学力の二極化や,教育課程実施状況調査での国語の記述式の正答率の低下などが問題となっており,わかる授業が非常に重要になっている。
  • 教えずに考えさせ,教師は指導しないで支援することが行き過ぎており,教えて考えさせる指導がなされるよう改善が必要。
  • 学級規模を小さくすることや教科によっては専科教員による指導を充実させるべき。
  • 読み書き計算の反復練習を朝に行うことで,子どもの脳の力が向上し,学力全般を向上させることができている。
  • 優れた教師を確保するための条件整備はかなり進んでいるが,教師一人一人が創意工夫ができるようにして,やる気を引き出していくことが必要。
  • 社会科の教科書は現状では薄いが,いろいろな内容を全て教科書に盛り込むのは難しい。副読本のような形で充実させ,教科書は必ずしっかり理解し,覚えさせる知識を中心にすべき。
  • 日本は教師に対して親切すぎるのではないか。教師に生きる力,考える力が必要である。例えば,フィンランドでは,担任にカリキュラムを編成する権限があり,それが良い結果を生んでいる。
  • 基礎については,反復教育により付可逆な定着を図るべきである。
  • いかに目標に到達させるかという教授法や指導方法が欠落している。

4.地域や学校の特色を生かす教育の推進

1.地域や学校の特色を生かす教育の推進

  • 学校現場での改善について,現在多くの裁量を学校現場に与えつつあるが,裁量を与えるだけでなくサポートを増やしていかなければ,その裁量を十分活用できない。総合的な学習の時間についても,国や自治体のサポートが少なかったことにより,問題が生じたように思う。
  • 教育課程実施状況調査の結果についても,総合的な学習の時間や,少人数学習,学習指導要領の最低基準性の明確化による成果と考えられ,さらに地方の力を引き出す方向で検討すべき。
  • 全国各地で行われている良い取組を広げていくことが必要。そのためには,現場の優れた取組をどんどん吸収していく体制と,それを広げていく仕組みを作ることが重要。
  • 小・中学校の9年間で基礎的な内容をしっかり身に付けていれば,高等学校では一層特色化して,総合的な学習の時間を発展的に行ったり,基礎となる国語に傾斜して総合的な学習の時間はやらないという学校があってもいいのではないか。
  • 学校がいかに創意工夫を生かして教育課程を編成し,そのために国や教育委員会がどのような支援体制を整備するかということが重要である。
  • できるだけ現場に権限を下ろし,現場が指導方法や教材などの授業づくりに挑戦していけるようにすることが重要である。
  • 教材づくりを地域で議論するプロセスがない。そういったプロセスが重要。また,市町村は学校の管理権に基づいて,学校の教育課程の編成や授業づくりを支援する必要することが必要である。

2.学校と家庭,地域社会との関係の在り方

  • 学ぶ意欲の低下に関しては,学校だけではなく,家庭の役割を明確にして国民,保護者の理解を得るということが非常に重要。
  • 保護者に,早寝,早起き,朝ご飯などの基本的な生活習慣の徹底や家族の団欒などをお願いしてきた結果,子どもたちが元気になり,短期間で学力も向上した。
  • 教育は教育界だけの問題ではなく,例えば,教育界と産業界の人的な相互交流の促進など,民間や産業界など国を挙げて取り組まないといけない。また民間の力を信じることも重要。
  • 地域との連携は不可欠であるが,完全に地域や塾任せにするのではなく,学校でミニマムのことを行い,経済的に十分恵まれない子どもたちでも活用できる準公教育のようなシステムを検討すべき。
  • 学習塾については,学力向上のために資するところもあるが,家庭や地域とのかかわりを減少させるという面もある。学習塾への依存度を減らし,家庭や地域による教育を促すことを検討すべき。
  • 十分な形式知と暗黙知を子どもたちに与えるためには,学校・家庭・地域が責任を果たし,適正な生活習慣を育てることが重要。
  • 学校週5日制になっていることの自覚と,それにどう対応していかなければならないかという責任を,家庭や地域に対してどのように説得していくかが重要。
  • いかに家庭と連携するかが大切。マスコミの影響で先生と生徒が対等であることが理想のように言われるが,やはり生徒は教師を敬わなければならない。
  • クラブ活動について,指導できる先生がいない。地域の人材が積極的にクラブ活動に入ってくることができる仕組みを作ることが大切である。
  • フィンランドでは,宿題や家庭教師や塾がなく,子どもが家庭で過ごす時間や家庭内での学習,中でも体験学習を大切にしているということだが,そのような考えは大事である。
  • 総合的な学習は家庭の中でやるべきことである。学校は,家庭でしてほしいことは指導すべきである。学習指導要領において保護者編をつくることも考えられる。
  • 食に関する教育,経済に関する教育等は,すべてこれまで家庭で行ってきたことである。今は家庭の教育力が落ちてきたので,代わりに学校で扱わざるを得なくなっているが,保護者にも勉強していただき,その内容を家庭で伝えていただく方法が考えられるとよい。

3.教育課程部会における当面の検討課題

1.「基礎・基本」の徹底

  • 基礎・基本は義務教育で確実に身に付けさせたいものであり,その上に発展がある。その際,個性をどのように伸ばしていくかということが課題となる。
  • 学校では学習指導要領の内容を基礎・基本と捉えているが,現実にすべての子どもたちが習得できる訳ではない。家庭等の変化に伴い子どもたちが大きく変わる中,各教科等の基礎・基本の一層の重点化を図るべき。
  • 科学技術立国を実現する人材の育成と義務教育において最低限の教育内容を定着させるということの差をどう考えるかについて検討が必要である。
  • 現在は教科が細分化されているが,各発達段階において何を学習すべきかということを高等学校まで視野に入れて総合的に検討すべき。
  • 授業は一体的に生徒を捉える方法を基本と考えるのか,個別性をもった指導を考えるのか,前提によって教育課程を考える視点も大きく異なる。
  • 基礎・基本の徹底は,叩き込んでも刷り込んでもやるべきことである。
  • 基礎・基本=学習指導要領の内容とある一方で,基礎的・基本的な知識・技能という言葉があると,それぞれの意味する内容が誤解される可能性がないか。
  • 各教科で全員共通に指導する内容を検討し,基礎・基本は何なのかについて,具体的に明示することが必要である。

2.自ら学び自ら考える「力」の育成

  • 今の子どもたちに不足しているのは自分で考える力である。そのため現行の学習指導要領は子どもたちが考える時間を与えたのであり,そのことは教育課程を見直すに当たっても重要である。
  • 自ら学び自ら考える力については,学習意欲や学習習慣をいかに身につけるかということにかかっている。しかし,実態としては,子どもたちは家でテレビなどをみる時間が増えている。現在の週5日制の下で学校での指導にも限度があると考えると,学習意欲,学習習慣を身につけるためには,宿題,読書の課題,暗記の課題を与えるなど,学校外での学習活動を充実させていくべきである。
  • 自ら学び自ら考えるという表現を,積極的に学び着実に考えると変えてはどうか。自らというと自主性,自発性と捉えられ,それを強調することで指導の放棄が見られる。子どもは一人だけで学ぶのではなく,教師に教えを請い,教師から物事をどう学んだらよいかを学んでいくのである。自らという言葉を慎重に扱うべきである。かつて,生きる力が自ら学び自ら考える力とイコールになるという矮小化した解釈が広まった。そのような誤解を招かないようにする必要がある。

「生きる力」の育成を目指す教育内容・目標の構造

生きる力の内容について
  • 生きる力として必要なものは宗教心である。このことに関連して,私立学校には多いに援助していくことも考えていかないといけない。そのようにして,多様性を確保していく必要がある。
  • 国際化の問題について視点がない。具体的には,国際理解,利害調整力などを入れるべきである。
  • 生きる力は,生涯学習時代には必要なことである。以前,自己教育力の育成ということが言われたことがあったが,生涯学習時代にあっては,さらに主体性や自己と他者との関係を身に付ける必要があり,自己教育力では不十分である。また,現行の学習指導要領を生かす意味でも,総合的な学習の時間の中で,主体性,自己と他者との関係,個人と社会との関係をはぐくむということに配慮することが必要である。
  • 健やかな体の内容として,健康の保持増進が念頭に置かれているが,WHO(世界保健機関)においては,ヘルスプロモーションとセイフティプロモーションの2つが言われている。これを踏まえ,健康と安全の促進と考えるべきである。
  • 健やかな体という表現は検討が必要である。学習指導要領においても,心を体を一体として捉えとあるので,健やかな心と体と言うのがふさわしいと思う。
  • 生きる力の主要な例としての主体性の内容に,健康や体力が挙げられているが,健康促進のためには環境づくりや条件整備も大事である。みなで力をあわせて健康を作り上げているという視点を忘れるべきではない。
  • 国際化という観点から,基礎・基本の中に,多様性の社会で生きる力を入れるべきである。具体的には,自分のことを説明する力や自尊感情が必要である。
  • 豊かな人間性の内容として感性を入れるべきである。古代ギリシャから音楽などを通じて感受性を養うことは基礎と考えられていて,その上に論理性などが出てくる。
  • 豊かな人間性の内容として人生観を入れるべきである。特定の宗派性ではなく,宗教的な天才が残した古典を通じて宗教性を学び,深い人生観を築くことが重要である。様々な宗教上の古典を国語や社会,道徳の教材に入れていくとよい。
  • 生きる力の主要例として掲げる内容は,民間企業が人事制度で掲げるものと変わりがなく,会社でも通用しそうだが,さらに,子どもたちの行動や育っていく過程で養っていく原始的な力まで掘り下げることが必要ではないか。例えば,忍耐力,我慢する力などが考えられる。
  • 生活習慣,礼儀,人間愛などは,第一義的には家庭で教えるべきものである。家庭で人間愛らしきものをまったく受けていない子に,人間愛を育成できるのか。また,道徳的な価値など徳に関することは,学校でどの程度できるのか。このことには限界がある。
  • 学校の道徳は実践哲学にはなっていない。単なる知識を教えるだけになっているのではないか。
  • 学校力ということが言われているが,生活習慣づくりなど学校ではできないことを背負いこんで,形骸化してしまっている。
  • 生きる力を支えるものは,基本的な生活習慣である。学習を続ける力などは,基本的な生活習慣に含まれる。
  • 生きる力のベースになるものを取り出し,それを支える力としてどんなファクターがあるのかを整理すべきではないか。
  • 生きる力の主要例の内容として,権利と責任は,個人と社会との関係に関わる内容として位置づけられるとすっきりする。また,言語・技術・情報活用力や感性・想像力・鑑賞力は個人的な内容として位置づけられると考える。
  • 日本の教科書を中心とした教育内容にリテラシー部分が非常に少ない。
  • 義務教育では宗教について弱いところがある。宗教にかかわることだと思うが,理屈を超えてだめなものはだめといったことに触れる時期にきているのではないか。
  • 休むことの大切さ,力を抜くことの大切さもあるのではないか。
  • 今の子どもは価値より期待の要求水準が高いのではないか。勉強ができなくてもいいというように価値を下げ,期待の要求水準を下げる方がやりやすくなる。誰でも最初からできるわけではなく,努力する中で自分の限界が伸びていくという感覚を知ることが大切である。
  • ノーマライゼーション,障害者に対する感覚というのは,他の人と同じようにできない人も,同じように生きていく人間として尊重すべきであるという感覚だが,我が国では非常に遅れている分野だと思うので,そのことに気づけるようにすべきである。
  • 知識・技術を実生活で活用するというところで,環境と地球が無限ではないということやリサイクルが必要だということが入るのではないか。
  • ものづくりの世界を描きだしてもらいたい。設計図どおりにできればよいという感覚の人が増えてきているが,設計図とは違うクオリティがあり,それが日本の優位性である。
  • 技術の基礎は型である。基本的な型から身に付いていくものだ。日本のものづくりの得意分野として維持していかなければいけない。
  • 健やかな体は非常に重要である。子どもたちの体力が低下し,知育にウエイトがかかりすぎてきている状況を考えると,体育を明確に出すべきである。
  • 生涯にわたる健康づくりが大切になってきている。ヘルスプロモーションの考え方が入っている方がよいのではないか。
  • 自尊感情と協調性に関して,小1プロブレムの問題にも見られるように,少子化,一人っ子が増えてきたので,忍耐力,相手を認めて自分が我慢することがなかなかできてこないのではないか。それが小1のみならず小学校全体,あるいは中学校まで尾を引きずっているのではないか。自尊感情と共に忍耐力は合わせて示すべきではないか。
  • 知的好奇心を持って,自分が興味を持ったことを探究していくことが重要であり,それとともに継続する心,力も重要である。
  • 今,実社会で必要と思われる自己責任がどこにあるのか。
  • 創造力,新しいものをつくりあげていく力も必要ではないか。
  • 環境の問題は全員が認識しなければいけない。
  • 健やかな体,体力が必要である。
  • コンピュータについて知ることも必要である。コンピュータは国際コミュニケーションにおいても必須となっている。
  • 生きる力には4つのステップがある。1つ目に,自分なりの実り,成果をつくり出すことができる。あるいは,周りから見つけることができる力がある。2つ目,問題が起きたときに自分の行動によって,その結果によって自分なりに解決ができる。3つ目に,自分をほめて,認める。4つ目に,一人よがりにならずに,人のために何らかの行動ができる。こういう子どもを育てることが大切である。
  • 将来設計は重要だが,今の現実につながらない子どももいる。それよりも,今の計画力,今何をするのかを考えて解決する力に重点を置くべきである。将来のことばかり考えて,不安になったり,今が不満であると思ったりするのではなく,今の行動をどうするのかを考えるべきである。
  • ものの考え方,発想術も重要である。言語で言うと,例えば,悩みという言葉を使わないで課題と使う。言葉の使い方やものの考え方一つで発想の転換に触れることも生きる力の一つである。
  • 我慢する力,簡単に言えば体をじっとさせることも重要である。また,ストレスを受けたときに,それを体から外へ出す方法を学んでいくことも重要である。
  • 知識として情報リテラシーが重要である。ものを調べたり,比較したりすることが全体的に必要になってくる。
  • IT活用など国際社会の中で生きていくためにどのような力を身に付けなければいけないのか。未来へ向けた戦略性が必要になってくる。
  • 情報を選択する,分析するというように自分が生活していく上で必要な力を付ける。生きる力は具体的に言うと職業選択である。どういう職業を選んで,その職業から一定の所得や賃金を得て,自分の生活を営んでいくということである。職業選択ができなければ生きていけない。生きていくために何が必要かが問われてくる。実社会から学校教育を見直さなければならない。
  • 体力という言葉の定義には,行動力,気力に加え,抵抗力,克服力がある。今,我慢することや継続することが足りず,養っていく必要があるので強く推した方がいい。
  • 個人種目においては,自尊感情は身に付いていく。集団競技においては,協調性を養うことができることは,いま特に大事である。
  • 第一弾はシンプルなものとして,後々詳しい内容を付け加える方がよい。
  • 構成員が,社会のために自分に何ができるかを考えるのが民主主義の社会であり,何をしてもらうかを考えるのが奴隷社会である。教育においては,社会のために何ができるかを考えるような構成員を育てなければならない。
  • 生きる力の主要例(例)に「義務」があってもよいのではないか。
  • 社会参画(例)にも「勤労」を入れた方がいいのではないか。
  • 「確かな学力」の知識・技能等の例について,整理の観点をきちんとすべきである。また,内容については,もう少し抽象化していってもいいのではないか。
  • 言葉として「国際理解」や「異文化理解」を入れるべきではないか。
  • 忍耐力やこつこつやるという態度,みんなが一緒にやること,同じことでも繰り返してやっているうちに身に付いてくることなどが重要である。それらは確かな学力のベースになる態度である。
  • 健やかな体の前提になるものとして,例えば姿勢のよさがある。悪い姿勢で食事をすると,外国では持っている能力を過小評価され,自分自身が自信を失うことになる。それは,自尊感情が乏しく,自信を持っている子どもが国際的に見て少ないという指摘に結びついているとも考えられる。
  • 振る舞い方や挙措も大事な問題である。
  • 自信や自尊感情は少な過ぎても困るが,あり過ぎても困る。現在,自我肥大や自己全能感があり過ぎるという問題がある。叱ってばかりではだめで,褒めて育てるという話が一時期あったが,それだけでもだめである。そこで「自制」,「自戒」を取り上げるべきではないか。
  • 自分は人類社会の一員であることを,社会科だけでなくあらゆるところで学習する必要がある。人類社会の一員であるという気持ちと日本の伝統文化の担い手であるという気持ちをセットにして取り入れる必要がある。
構成・表現方法について
  • 基礎・基本と別に基礎的・基本的な知識・技能があると分かりにくい。むしろ,基礎・基本は,自ら学び自ら考える力としてまとめた方がよいのではないか。
  • 個人の生活,家庭の生活,そして周りにいる人たちとの関係,さらに社会全体に,自分はどうかかわっていくのかが想定されていると思うが,表現としても個人,家庭,まわりの小さな社会,大きな社会とし,その中でどんな力を発揮していくかというふうに整理し直した方が分かりやすいと思う。
  • 生きる力の枠組みのネーミングとその中に具体的に何を入れていくかということを整理した方がよい。
  • 生きる力は確かな学力やそのほかの力をすべて包括するものである。また,そのように捉える方が,生きる力が大きくクローズアップされてよいのではないか。
  • 各教科等で身に付けさせたい基礎的・基本的な知識・技能等に総合がない。また,真ん中は各教科等で「身に付けさせたい」ではなく「育む」が適当ではないか。
  • 各教科等・総合的な学習の時間で身に付けさせたい力に関係するものとして人間関係形成力だけが5回,協調性と知識・技術活用力等は1回しか出てこない。1回出てくるものから,5回も出てくるものがあるが,その論理性を明確にしなければならない。
  • 能力という言葉遣いと力とは概念は変わるはずではないか。概念規定をきちんとすべきではないか。
  • 弱いものいじめをしないなど他者を思いやることやあいさつやマナーの基本を理解実践できることと,正義や公正さを重んじてトラブルを解決するということとは,たいへんプリミティブな段階と高度な段階の違いがある。基礎・基本の力が付いて,それから力が付き,さらにその上に考える力が付くというスパイラルの状態を表現するために,何枚かシートを設け段階別に表すことが必要ではないか。
  • 現場は言葉に非常に敏感に反応する。力と能力をわけるのか,能力で統一するのか,混乱を招きやすい。
  • 学習指導要領は基礎・基本であるといいながら,一方で,基礎的・基本的な知識・技能が出てくる。基礎と基本をきちんと見つめる必要がある。基礎的という的がついた場合には違いがあると思う。
  • 基礎はこれ,基本はこれと使い方をしっかり分けるべきである。基礎・基本は都合よく使われているので,整理した方が現場では混乱が少ない。一般の人にとっても基礎・基本の捉え方にズレが出る。言葉をきちんと定義をし,わかりやすく誤解を招かないようにすることが大切である。
  • 意思決定能力と選択能力ではニュアンスが変わってしまう。
  • 基礎の技能のレベルが,すべての教科においてほぼ同じように描ききれるのか。シンプルに同一レベルで表せるものにした方がいいのではないか。
  • 学校・家庭・社会の関係が見えてこない。学校がやるべき内容は何なのか,地域との連携ではどういうものが必要なのかということを明らかにしていく枠組みづくりが必要なのではないか。
  • 「豊かな心」と「確かな学力」のつながりがあることや,「確かな学力」の基盤として「豊かな心」があることは重要である。諸外国の研究者にも,日本の学校教育の非常にいいところは,豊かな心と学力形成とのつながりが学級指導の中で実現されていることだという声もある。
  • 確かな学力の中央にある矢印は,左右の対応関係を表したかのように誤解されないように,書き方を工夫した方がいいのではないか。
  • 各教科を通じて,どのようなテキストを使うのかとか誰に質問するのかという,学び方が培われていると思う。学び方のレパートリーを広く身に付け,臨機応変に使いこなせる力が大事であり,そのような学び方について「確かな学力」で触れるべきである。
  • 道徳においては,心の問題だけに集中すると,マナーなど表に現れる行動は扱われなくなる。社会的ルールやマナーが,特別活動,道徳を含めた学校教育のどこに入ってくるのかを考える必要がある。場合によっては,特別活動や地域との交流に関する活動の中で,社会の大人とかかわりながら,社会的ルールやマナーを身に付けるようにするといいのではないか。
  • 例えば発達という問題を考えれば,2次元で全てを表現するのは難しい。縦軸をつくれば,発達段階に応じた学び方などを示すこともできる。
  • エッセンスだけを示した場合,非常に便利でわかりやすいが,場合によっては誤解が生じる可能性がある。
  • 学校・家庭・地域がすべきことを発達段階に合わせて表現できないか。
実現のための方法について
  • 学習指導要領にはいろいろと注文が出されるが,その原因は,学習指導要領にこれからの社会におけるあるべき人間像をきちんと出していないからだろう。人間像が出されていれば,だからこういう学習指導要領になると言える。
  • 基礎・基本,生きる力は複線的に存在するものではない。各発達段階で生きる力があり,スパイラルに学んでいくべきものだろう。例えば,小学校低学年が体験的に理解をすることは,その時点での生きる力であるとともに,その後のための基礎・基本にもなっているのである。細かく発達段階ごとに,基礎・基本を出すべきだと考える。そして,その段階ごとに子どもたちが基礎・基本を身に付けているかを検証していくべきである。
  • 学校でやるべきこととは別に,学びの姿勢を身に付けることや,家庭・社会での体験があることは見逃してはいけない。また,家庭や社会が担う役割に対しては,学校からも多少働きかけをしていくべきだろう。
  • どのような子どものあるべき姿を目指すのか。ある市では,学び続ける市民という生涯学習のコンセンサスができている。課題としてはそれを義務教育にどのように結びつけるかということである。
  • 生きる力は教えられることではなく,引っ張り出すべきことである。それは,現場が得意とするところなので,国には生きる力の細目を決めてほしくない。また,生きる力は確かにぼやっとしているが,言葉として書くと内容が阻害されることになるし,書けるものでもない。
  • 総合的な学習の時間はとてもいいと思う。総合的な学習により生きる力をはぐくむことができる。国は,「総合的な学習を実施してください」程度の指示を出せばよい。
  • 基礎・基本の徹底と生きる力をはぐくむことは,別の手法で行うべきことである。
  • 基礎的・基本的な知識・技能と自ら学び自ら考える力の両方について,学力調査するべきではないか。
  • これまでの中教審答申を踏まえつつ,生きる力の具現化が進められている。この内容が,今後の社会に通用するのかどうかを見るべきである。
  • 条件整備を進める必要がある。条件が整えば,教育委員会における創造性が高まり,各学校が活性化していく。
  • 生きる力の内容の検討などは,本来現場でやるべきことだが,時間がないことなどからできていない。しかし,国際学力調査の結果や,実感としての子どもたちの学力低下を目の前にすると,現場としても,受動的ではなく能動的に考え,改革を進めていかなければならないと考える。
  • 概念や原理・原則の理解を深めることや,暗記・暗唱,反復練習も自ら学ぶというときの重要な要素ではないか。学び方,勉強はどうやって成立するのか,どういうやり方をとれば自分はうまく勉強できるのかということは,学習意欲や学習習慣よりも大きな自ら学ぶ力である。学び方が分からないとき自力で乗り越えられる子もいれば,先生からの指導がないと,特に抽象的な内容やたくさんの内容があるときに適応できなくなる子もいる。それが思春期以降の学習に適応できるかどうかの大きな分かれ目である。
  • 学習指導要領の目的・目標と,子どもたちが身に付けた力との間に乖離があるのではないか。
  • 教師の力量によることだが,小学校低学年において知る楽しさや考える充実感を持たせることは重要である。調査結果では,4年生までどんどん教科が嫌いになっていくことがみられるが,本来は,どんどん興味をもっていくべきものである。
  • 生涯スポーツという在り方を考えると,小学校低学年で汗をかく楽しみを体感していくことが必要である。
  • 問題解決,課題解決は重要だが,教師がどのように何を教えるかが重要である。ただ,自力で考えさせるようにすると,先取り学習している子どもには面白くなかったり,ついていけない子どもも出てくる。子どもたちが,教員から教わったことを踏まえることと,その後,自分たちで考え体得していくこととのバランスが必要ではないか。
  • 到達目標を明確化する場合,学校が説明責任を果たすという面では効果があるが,学校の裁量が脅かされる部分もあるのではないか。
  • 生きる力について,何を改善し,何を充実するのかが明確でない限り,授業時数の軽減につながらないのではないか。
  • 中学校の先生は選択も総合的な学習の時間も好んでいない。うがった見方をすれば,総合的な学習の時間がいまだに実施されず,教科の指導に変えられているところもあるのではないか。
  • 今まで学習指導要領は,国内だけの枠組み,今までの反省に立ってのみつくられてきたような気がするが,それだけでは弱いのではないか。
  • 学校週5日制は時間数が削減された中で,将来のことを考えると盛りだくさんになってしまう。だから,家庭教育でどこまでやるのか,社会にどれだけの協力を求めるのかを提起すべきである。例えば,学校だけで忍耐力を養うのは無理である。いわゆる小1プロブレムは小学校に入ってくる段階で起こってしまうのである。子どもたちがおかれている環境や将来の方向性という点から考えたい。
  • 外国語教育や,生活科と理科教育の連続性については,高等教育との関連でつっこんだ議論が必要である。
  • 義務教育特別部会の答申の中に,市町村と学校の自由裁量を増やすことが示されているが,今の学校教育はきついものになっている。月曜日から金曜日まででいろいろなことをやるのは厳しい。最終的にはスリムなものにし,市町村や学校の裁量が十分に発揮できるようにしたい。
  • 限られた時間に学校体育で体力を付けるのは無理である。子どもたちの全生活の中で,体力を付けるために,どこで,どういうふうにしたらいいのか。生涯スポーツにつながるものにすべきである。
  • 2つのイメージで整理してもらいたい。1つは実社会に出てどのような形で生きていくのかということ。もう1つは,学校の管理時間の中で,何ができるのかということ。教科を細分しないでまとめていくこととして,それは学校に裁量権を持たせてやるようにすればよいのではないか。
  • 教育に対する責任が,少し学校に偏り過ぎているのではないか。教育は国家戦略だということは,単に学校が国家戦略に則して動いていくということではなく,社会の人たちがそれぞれの立場で,教育に対してどのようなことができるのかを考えるということである。そうしてもらえるような環境をつくることが重要である。
  • 教師の自殺が増えたり,新任教師が1年もたずにやめていく現状があることについて,考えるべきである。
  • 入学してくる生徒が具体的に何ができるようになっているのかを知るために,単に書類だけではなく,教員の交流も含めた各校種間の密接な連絡と連携が必要である。
  • 生徒の中には自尊感情が非常に乏しく,他者にどういうかかわりをしてもらえるかということだけで自分を見つけている者も多い。自尊感情をいかに植えつけるかは,いくら言葉で言っても無理で,学校は様々な体験活動をもっと取り入れる必要がある。
  • 他者に依存しすぎることの解決のための1つの方法として,メディアリテラシーの育成に取り組むことが考えられる。情報を受け取って,考え,判断し,表現していくまでのプロセスのうち,考えるということについては試行錯誤が重要で,他者と相談したり,指導者から適切なヒントを得たりしながら,自分なりに判断することを大事にする必要がある。
発達段階に応じた指導
  • 発達段階に応じた指導は,理屈としては小学校低・中学年と小学校高学年・中学校と分かれるかもしれないが,実際にはそうではないのではないか。
  • 発達段階に応じた指導は大事である。条件整備を進めることによって,発達段階に応じた指導ができるようになる。また,指導法の研究はもとより,どういう授業法がいいのかについての研究を進めることが必要である。
  • 小・中学校,あるいは小・中・高等学校の連携を進めるべきである。高等学校から要請する,あるいは支援できる小学校教育,中学校教育を進めることも考えられる。
  • 発達段階に応じた指導として,テキストに没頭して着実に取り組むという力が必要である。活動的なことばかりでなく,教科書,参考書などをしっかり読まないといけない。
  • 小学校後半になると,男女差などが出てくる。個体差,男女差の大きさを意識して教育すべきである。
  • 通常,発達の内容については,身体の変化としての発育(グロース)と機能的な面で変化する発達(ディベロップメント)に分けて考えられている。
  • 小学校の発達段階として低中高に分けることが一般化しているが,その分け方について見直す必要があるのではないか。低学年で1年生と2年生は全然違う。1年生は,幼稚園との大きなギャップがあるが,2年生になってくるとやや安定してくる。また,3年生と4年生も違う。特に,4年生は個人差が最も大きくなる時期である。5年生になると,理論的,抽象的な思考ができてくるが,クラス替えがあり,学級がまとまらないことが起こってくる。これは1年生のときの小1プロブレムよりもっと難しい。
  • 40年前と比べて,身体的な伸びや第二次性徴が早まっているなど発達度合いの変化があるが,そのことへの対応以上に,低中高という分け方を見直した上での発達段階に応じた条件整備をしていくことが必要である。
  • 周りの人から認められているかどうかという実感について,各学年により違いがある。このことは,毎年担任が変わる場合と担任が全然変わらずクラス替えもなく1年生から6年生まで持ち上がった場合とでも,違いがある。
  • 各学年のギャップへの対応として,教員の指導力の問題もあるが,それぞれの学年に応じたきめ細かな条件整備をしていく必要がある。
  • 中学校にあがったときのギャップは,小学校の学級担任制と中学校の教科担任制との違いが最も大きい。このため,小学校6年生で教科担任制に少しずつ学級担任制と併用すれば,ギャップが少なくなるのではないか。
  • 4年生から5年生になるときのギャップをきめ細かく見ることができる組織をつくれば,ギャップを少なくしていくことができるのではないか。
  • 子どもや人間はギャップを少しずつ与えながら成長していかなければいけない。ギャップはある程度大事である。
  • 小学校1年生は以前と少し変わってきた。今の1年生にとっては,授業に新鮮味がないと考えられるので,2学期ぐらいの内容から始めてもよいのではないか。
  • 小学校で一番難しいのは5年生である。4年生までは子どもだが,5年生から大人にさしかかっており,心と体がアンバランスな状況にある。また,5年生でうまく育てないと中学校へ引きずっていく可能性がある。
  • 学年などで区切っていくと,それぞれに違いがあるのは決まっているが,あまりにも細分化しすぎるとうまくそれにはまらない場合も出てくる。大きく区切った方がよいのではないか。
  • 小学校高学年から中学校の前半ぐらいは,生理的,身体的発達において性差が非常に大きく,2~3年間の大枠がないと不便である。その大きな特徴を決めて,教育課程をつくる必要がある。
  • カリキュラムをどういう区切り方をしても,切ったところの間にはブリッジングをどのようにつくるかが問題になってくる。幼小連携,小中連携などは発達段階の大きな切れ目なので,連携のブリッジングを配慮すべきである。そして,学年ごとに各教科ごとに目標,内容を決めていくことになる。
  • 小1プロブレムについて,幼稚園からくる子どもと保育園からくる子どもがおり,子どもに差があることを考えるべきである。
  • 生活科は理科と社会科を合科してできたものだが,そういう観点で,音楽や図工などを芸術的な情操を育てる教科として括り,その内容を,教員が考えていくことも必要である。
  • 教科による時間数の配分を,低中高に分けて考えていく必要がある。
  • 児童心理,発達心理と教授法との関係を研究することが必要ではないか。
  • 小学校と中学校の接続を学習指導要領の中でどうするのか考えるべきである。例えば,算数・数学では,小学校段階の比例は中学校段階では関数になるが,小学校で関数のさわりを入れたり,中学校で比例をしてから関数へ入るといった重なりをつくることが考えられる。
  • 各教科の理解度,学習の定着度をさらに深めるためには,学習のつまずきがどういうところにあるのかを分析することが必要である。
  • 発達段階に応じた指導や合科的な指導をしていく上で,適切な児童生徒数があるのではないか。
  • スクールミーティングの結果によれば,家庭環境が多様化して,子どもたちの二極化が起こっており,子どもが生活習慣を身に付けている度合いに差が出ている。基本的な生活習慣などは家庭の役割であり家庭への期待はもちろんだが,幼稚園,保育園にも期待することがある。
  • 小学校には文系の先生が多いが,算数・理科の内容が高度になってきたとき,小学校の先生は教えられるのか。このため,自然科学系の専科教員を増やした方がよいのではないかと思う。
  • 小・中学校は授業改善のための研究指定校がたくさんあるが,高等学校では授業研究をしているのか。高等学校で成果をあげた場合には,それを義務教育に生かせる方策があるのではないか。
  • 部活動を一生懸命やりたい子,勉強ができない子,不登校の子などいろいろいる。子育てのネットワークや老人の問題は話題になるが,青少年の問題は話題にならない。これは現場ばかりでなく,省庁をまたいで,日本の問題として今のうちに手を差し伸べないと,大変なことになる。例えば,教員の授業後の在り方について,地域を指定し,抜本的にどう改善したらよいのか考えていただきたい。
  • 学習観は,中学校ぐらいで大きな転換期がくる。小学校段階は比較的反復習熟を厭わずに学習を進めていけるが,中学校ぐらいになると,ある程度工夫をし,知識を体系化した学習観を取り入れないと適応できなくなる。

3.子どもたちの変化,社会の変化への対応について

子どもたちの変化への対応

  • 「きれやすい」など子どもたちの問題が様々指摘されるが,情報過多,強いストレスの中でそうなっている。小学校の低学年までに専門家が子どもの状態を専門的・科学的に判断し特別プログラムを提供するなどの対応も検討すべきである。
  • 今の子どもは幸せを感じる力がなくなっているので,それをケアできるような方策を考えるべきである。
  • 子どもたちの変化を捉える方法として,脳科学などの知見を取り入れていくことが必要である。
  • 幼稚園や保育所での生活と小学校での生活は大きく違う。小学校と幼稚園・保育所との関係について考える必要がある。
  • 集団で生活の規律や学習習慣を身に付けることが必要であるが,その際には幼小の連携を考えるべきである。

社会の変化への対応について

  • 食育や環境教育などは各教科の中で体系的に教えられるようにすべきである。
  • 国家戦略として政治教育についても検討すべき。
  • 時代の変化に対応した新しい課題に取り組むことは重要だが,学校教育の限られた枠組みの中で実効ある教育が行われるようにするためには,これまでの教育内容の精選を含めた教科等の教育の在り方を具体的に議論する必要がある。
  • 社会の変化に合わせて内容を増やすためには,減らすものも決めないと結果的に薄く形だけなぞる教育になってしまう。
  • いまや国際化という言葉が古い。今はグローバル化である。また,IT化され世界が同時進行的につながるようになった。そして,各地域のアイデンティティが強くなっている。この状況が生まれたのは,わずかここ十数年前のことであり,以前はこのような世界は考えられなかった。将来を見越してみると,まだまだ変化するかもしれないが,そのような時代に対応した学習指導要領としたい。

国と地方の関係

  • 住民に近いところに政策決定権がきている。国家戦略として教育を考える場合にもコミュニティーの視点が必要。学校はコミュニティーの崩壊の歯止めをかけている。
  • 初等中等教育においても国家戦略として教育課程の動向を考えるべきであり,そのことは地方分権を否定するものではない。
  • 日本の学校文化は国際的なレベルの意見に対して弱かった。学習指導要領の見直しに当たっては,地域の意見の総合だけではまとめることはできない。
  • 地方の独自性を発揮できるシステム,弾力的な運用方法を検討すべき。その中で国の役割としては,学校週5日制を維持することと少人数学級とするか少人数指導にするかを明確にすること。一方で,長期休業の活用方法などは地方に任せるべきである。

家庭,地域との関係

  • 「知・徳・体」のうち,「知」は学校を中心に,「徳」は家庭を中心に,「体」は社会を中心に考える。例えば,部活動あたりは学校教育から外してしまうということも含めて,考え方を整理していかなければならない時期にきている。
  • 子どもたちの変化への対応とともに,家族や家庭の変化,保護者の変化も検討の視点とすべき。
  • 学校は本来は家庭が担うべき役割を担っており,これを家庭支援を言っているが,結果的に家庭放棄の支援になっていないか。食育,環境教育,福祉教育などを学校で教えているが,扱いに気を付けないと家庭での教育の放棄を助長することになりかねない。
  • 教育課程の見直しについては,家庭と地域,社会全体の問題として捉えられる出し方をする必要がある。
  • 学校,家庭,地域社会のそれぞれの教育機能は何かということの整理が必要。
  • 学校と家庭の連携と言葉で言っても具体性がなく,結局学校が抱えることになる。家庭に対して厳しく大胆に言わなければならない。
  • 学校がいくら抱え込んでも,家庭,地域で教育的関心がなければ子どもにとって幸福ではない。
  • 家庭教育については地域と連携をしなければうまくいかない。家庭教育のための組織として,地域にある自治協議会を活用することが考えられる。
  • 親の中に家庭教育を放棄し,すべてを学校に任せ,場合によっては学校に文句を言ってくる人もいる。このことへの対応から学校を解放するため,学校からも,親からも独立した第3者機関をつくることも考えられる。
  • マスコミに対しても教育していかなければならない。マスコミには,誤った一方的な情報で社会を煽り立てるのをやめてもらいたい。また,マスコミをうまく活用し,教育の第一責任者は親であるということを盛り立てていくことが必要ではないか。
  • 学校・家庭・地域社会との関係の在り方だけではなく,それぞれの役割はどういうものであるかを検討し,明確に示しておく必要がある。何もかも学校で役割を果たすことは限度があり,無理である。
  • 家庭・学校・社会の関係については,例えば学校5日制などのところで,より具体的に議論してはどうかと考える。

部活動について

  • 部活動は中学校において大きな部分を占めており,きちんと位置付けるべきである。
  • 部活動は課外活動として行うべき。学校だけではできない。
  • 部活動について,学校教育とするか社会教育とするか検討すべき。
  • 部活動については,生涯スポーツの観点から考えれば,社会が責任を持って取り組むことが必要である。
  • 部活動については,これまで課外活動へ出すようにしてきた歴史的経緯があり,そのことは踏まえるべきである。
  • 子どもたちからは部活動をしたいという声が大きい。部活動を学校の活動から外すなら,きちんとした制度設計をしてからでなければならない。
  • 部活動は生徒指導のかなり大きな部分を占めている。先生が時間を取られたり,顧問不足だったり,勝つことを意識するあまり本務との関係が問題になったりしているが,部活動を学校からすぐになくすことは難しい。社会体育に移行するとすれば,どのように移行したらよいのか考える必要がある。
  • 中体連が顧問を教師に限っており,サポーターでは中体連の指導者にはなれないということもあるので,全体的に考えていかなければならない。
  • 部活動は社会体育に移行すべきである。中学校で保健体育の時間は2,3時間だが,それで学校体育が成り立っているか。子どもたちの体力がどんどん落ちている。中学校でどれだけの基礎体力をつくろうとしているのか。
  • 体力づくりは社会教育の分野として位置づけて,その中に部活動も含めてはどうか。
  • 部活動はスポーツの活動のことばかりなのか。音楽,演劇などいろいろあると思う。体育に限られるのであれば,スポーツ活動と言い切った方がよいと思う。部活動の実態はどうなのか。
  • スポーツを中心とした部活動の観点から,体育を部活動に滑り込ませてはどうかと言う意見があったが,甲子園や県大会を目指すスポーツの部活動と健全な体育は分けるべきではないか。体の弱い子も鍛えるという意味での体育はあるべきではないか。
  • 部活動を学習指導要領に位置づけ,必修としてすべての子どもにさせることになると,かえって弊害が出てくるであろうし,学校としてもできないであろう。一方,社会体育に移行するといっても,社会体育でもできない。どのようなやり方があるのか,中学校側からモデル案を提示すべきではないか。
  • 部活動の大会に参加する場合,必ず引率が必要である。安全などいろいろ事情があるのはわかるが,現状は変わっている。学校,親が了解すれば,別の者が引率できるように変えればよいのではないか。そうすれば,現場の考えがずいぶん変わる。世の中には,教員に期待している層としていない層があり,期待していない層が増えている。
  • 中学校の教員が部活動を指導するということは,勤務時間の問題に関わる。朝早くから,放課後,土・日曜日,長期休業中などの指導に関わった場合,それを勤務時間として認められるかどうかである。勤務時間として認めるということは,勤務日の振り替えをどうするかということになり,弾力的なやり方を学校レベルの裁量で認めていくことが必要となる。
  • もっと文化クラブを育てることが必要がある。現在,文化クラブで全国的に目標を立てられるのは,吹奏楽部と合唱部だけである。文化クラブの振興のために,目標をもたせる手立てを考えるべきである。文化庁も文化振興という観点から力を入れてほしい。また,このことは産業界も支援すべきである。

5.国としての人材育成の在り方

国際的に質の高い教育水準を実現するための手立てについて

育むべき力
  • 日本では自分で学ぶということと同時に,いい先生に従って虚心坦懐に学ぶということが同時に強調されてきた伝統があり大切にすべき。先生が本当に大切なことを教え,子どもは先生に従ってきちんと学ぶという姿勢を育てていく必要がある。
  • 国際化が進展する中で,日本の文化,特に地理や歴史,伝統といったことについてはきっちり教える必要がある。
  • 日本では子どもたちへ文化を教えることがスポーツに比べてはるかに遅れており,重要な課題である。
  • 日本語や日本の文化をしっかりと身に付けることや,アイデンティティーをきちっと学ぶという機会を徹底することが必要である。特に小学校の低学年で重視されるべきである。
  • 基本的な考え方が,OECDあるいは先進諸国の考え方が支配的になっている。今後,国際化が進む中では,競争に勝つ人材の育成ということではなく,国際理解の教育あるいは国際連帯のための人づくりを大きな要素として,ヒューマニティーに富んだ人間育成ということが必要である。
  • 日本の国内にいてもグローバル化が進展している中で,何が問題となっているかを感じ取る力,日常の中でそこに参加する動機付けが必要である。
  • OECDが重視している力との関係を考えれば子どもたちに追究する力,何かを練り上げる力を育てる必要がある。
  • コミュニケーション能力を重視すべきであるが,そのための知識や経験を十分培えていない。活用すべき知識はきちっと教え,それが定着しているかは調査をすべきである。
  • コミュニケーションは情報を受け取り,それを試行錯誤し,一つのものに形作り外に出すことで始まり,それに対する反応があって成り立つ。そういった経験を早くから積ませるべきである。
  • 日本の科学技術の進歩は日進月歩であり,目覚しいものがあるが,それが学習指導要領に十分反映されているかということについても,学習指導要領の見直しに当たっては十分検討すべきである。
OECDのコンピテンシーに関連して
  • コンピテンシーと同時に,文化的な側面でのアジアにおける日本の位置づけを今まで以上に重視していくべきである。
  • 例えば人間観や本質的に人間が平等であるというようなコンピテンシーの部分の底にある普遍的な価値観に対するなんらか配慮した言及が必要である。
  • 国際的に質の高い教育水準を実現するためには,コンピテンシーの考え方のような手立てが必要であるが,それらは教師にかかっているということを触れておく必要がある。
  • 日本の子どもたちの学力あるいは教育水準,文化面がOECDのどのレベルにあるのか。OECDのコンピテンシーの考え方をそのまま取り入れる必要があるのか,考えなければならない。
  • グローバル化が進む中で国際的にみて日本の学習指導要領をどう評価するかということについては,OECDのコンピテンシーと比較して具体的に何が欠けているのかを明確にするべきである。
  • 日本人が今までやってきた教育観,教育方法に自信を持ち,その上に立って例えばOECDの考え方をどのように上手く取り入れていくかという視点が重要である。
  • コンピテンシーという考え方は企業では優れた業績をあげている人の特性をずっと集めていく考え方をとっている。OECDのコンピテンシーという考え方をどのように日本の教育に当てはめていくかは,ヨーロッパ的かアジア的かということではなく,その相違点も含めて議論を重ねることで一定の成果が得られるのではないか。
  • OECDのコンピテンシーによる分析という考え方は現在の日本の教育課程では暗黙のうちにある程度踏まえられているが,いくつかの力に分析してその力をそれぞれどのように伸ばすかを具体的に検討するという方法論が異なっている。これは,評価をどうしていくかという問題意識があるからだと考えられる。
  • 現在の学習指導要領では各教科は独自の内容に即しているので,OECDのコンピテンシーで考えられているような,教科横断的な力を各教科等及び総合的な学習の時間全体でどのように伸ばすのかという視点が不十分である。
  • OECDのコンピテンシーについては,ヨーロッパ的な考え方とアジア的な考え方という対比で見るのではなく,学校で学習することが社会の中で生かされていないという問題意識のもとに考えられたものだと考えるべきである。
実現のための方法について
  • 手立てという視点は重要であり,教員の養成,教材など教育条件の基盤整備についてもっと考えていく必要がある。
  • どういう力を伸ばすかということと,どのような指導方法をとるかは別の問題であり,そのことを踏まえた検討が必要である。
  • 自ら学び自ら考える力を育てるためには,時事問題のような生々しい問題や答えのない問題を扱うことがいいのではないか。
  • 国際理解教育という点では既に総合的な学習の時間等で取り組まれており,それに対して支援をしていくべきである。
  • 国際化が進展する中で,国としては子どもたちが国際的な交流をする機会を充実するようにすべきである。例えば,近郊のインターナショナルスクールなどとの交流やITを通じた交流などを促進していくべきである。
  • 知識基盤社会というものがどういうイメージのものかということを,現場で議論するプロセスが必要である。
  • ユネスコの共同学校のような取組を積極的に取り入れていくことで,初等中等教育における国際化に重要な役割を果たすことができる。
  • 知識・技能というもの自体は大事であるが,それはリソースとして使われることによって初めて意味があるのであり,知識や技能をしっかり身につけた上でそれを活用するような学び方を学校で導入するべきである。
  • 初等中等教育の12年の中で,各教科を縦断してどのように組み合わせていくかという視点が必要である。
  • 教員の問題が指摘されており,学校の中でより活発な議論がなされるよう,学校の主体性が発揮できるようにすべき。

科学技術教育,小学校の英語教育などのあり方について

科学技術教育について
  • 科学技術教育の課題は,自分でやるという部分をいかに導入し,子どもたちが興味を持って取り組めるようにするかということである。
  • 理科における基礎・基本として,知的好奇心などが重要である。小学校の低学年という好奇心の旺盛な時期に面白い実験などができるようにするべきである。生活科の中で科学的な教材を増やしていくことが必要である。また教科書についても好奇心をくすぐるような工夫が必要である。
  • 理科教育の課題としては,指導がだんだんと受験へとシフトし実験が少なくなること,実験器具などきちんとした設備整備ができていないことである。
  • 理数教育の課題としては,教科書が面白くないこと,教員に単元構想力が不足していることがある。学習指導要領の内容についても小学校と中学校では区別して考える必要がある。
小学校の英語教育について
  • 英語は伝えるためのツールだと位置付けて教えることが必要。自分がどういう意見なのか述べるなど訓練は日本語でしっかり行い,論理的思考力やディベート力など相手に伝えるための技術を英語を学ぶ中で身に付けることが必要である。
  • アジア諸国の多くで小学校段階から英語教育に取り組む中,何十年後かの日本を考えた場合に,日本でも導入すべきである。
  • 21世紀の我が国においては英語が確実に必要になる。他の教科が影響を受けるほど多くの時間を割く必要はないが,小学校から英語に関わるきっかけでも取り入れる必要がある。
  • アジア諸国でも小学校段階の英語教育が盛んになってきており,それらの国々ではかなり時間をかけて教員養成などを行ってきた。教材研究や教員養成に着手するためにも,今回は触れておくべきである。
  • 自分の考えを英語でまとめるということを小学校段階からするのは難しい。日本語をベースにして,異言語に対応できる身体的な能力が身に付く程度でいいのではないか。
  • 言語を習得するということがその人の論理にかかわるという非常に重要な問題であって,日本人は日本語で物事を考えるということをきちっと踏まえた上でないと,いたずらにヨーロッパ語を取り入れて,本当に思考能力が大丈夫かということを慎重に考える必要がある。
  • 小学校の英語教育は必要ない。日本人としてのアイデンティティー,日本の文化をしっかり身に付け,聞く・話すということも中学校からの学習で遅くないのではないか。
  • 本当に必要な英語力を身に付けるには相当の訓練が必要であり,小学校から始めるかどうかではない。むしろ社会教育の中で,必要な時に英語教育が提供できるシステムを構築することが重要である。
  • 小学校で英語教育を行うのに現行の体制では不可能である。人員と教材,IT機器の整備を相当の予算をかけてやる必要がある。その際,民間等で使われてきた教材を積極的に取り入れることを検討するべき。
  • 小学校の英語教育を実施する前提として,中・高等学校の英語教育がコミュニケーションのツールとしての英語になっているか,どう改善していくかという視点が必要である。
  • 小学校で英語活動をすると低学年では熱心に取り組むが,学年が上がるごとに興味が低下している。高校入試が影響しているという面もあるのではないか。
  • 小学校から英語教育を導入する場合は,高等学校まで一貫したカリキュラムと人的補助が必要である。
  • 中学校からでも留学を促進すべきである。
  • 小学校における英語学習については,条件整備が必要である。
  • 小学校における英語教育については,特区制度によって実施している学校で成功している例もあるので,国としても早く結論を出していかないといけない。
  • 小学校における英語教育については,現在の状況で教員の負担が増えるということだけで結論付けるのではなく,グローバル化や諸外国の状況などを踏まえ,将来のためにという視点も入れて議論すべきである。
  • 北京の小学校教育で,6年生が英語でべらべらやり取りをする姿を見て圧倒された。小学校の段階で習得すべき英単語の量は1,000だという。韓国においても似たような話を聞いた。10年後,20年後に,今の子どもたちが東アジアの若者たちの中に入っていけるのか心配である。
  • 小学校での英語教育は,行ってもせいぜい週1時間程度であろう。また,それを行うために,山間僻地を含めたすべての学校にネイティブを配置するのも不可能である。それを教育機器などを活用することで代替することが可能かどうか,また,代替することの是非についても議論する必要がある。
  • 英語教育を必修科目として課すことは,現実問題として難しいとも考えられる。すると,現在のように,総合的な学習の時間の中で国際理解教育の一環として,それぞれの地域の実態に応じて実践するのが妥当であると思う。

学校における改善サイクルの確立について

教師の指導方法の改善について
  • 教育委員会は,小・中の教員の指導力を上げるために,工夫して研修をがんばっている。このため,具体については,教育委員会にもっと下駄は預けることが必要で,教育委員会がもっと研修をやりやすくするために,国はお金などの面でどのような支援できるかということを考える必要がある。
  • 大学教員には現場経験が少ない。大学では学生に理論的なことばかり教えて,現場でどういうことが必要とされているかを教えていない。教員養成大学の教員としては,現場の経験をもった人をたくさん入れてほしい。
  • 現場の教員は中学,高校になると専門的になり蛸壺的になっているので,社会がよく分かっていない。そういう意味で,現場の教員には社会経験を積ませる必要がある。
  • 教育委員会は,現場で本当に必要な教員は大学院には出さない。どちらかといえば,そうでない人を大学院に出す傾向がある。研修も受けてばかりいる人がいいというのではなく,リピーターばかりになっているので,制度的に変えなければならないと考えている。
  • わが市では,教育のカリキュラムについては,学習指導要領が変わって教科書が決定した後,規程教育計画をつくる。これにより,レベルを保てるのだが,一方で個々人の教師が自分で作る力が落ちてくるかもしれないという問題もある。
  • 教育方法論についての調査は,現場にとって誘導的である。T・Tや習熟度別指導をやっているか問われると,現場では誘導的にとってしまい,猫も杓子もそれをやるようになってしまう。また,調査を行った以上は,上がいいと思って行ってきているのだから,いいと回答しろという意味として受けとってしまい,いいと回答してしまう。さらに,現場として問題なのは,調査結果をまとめるのに時間がかかってしまうことである。
  • 調査については,指導の方法論から見ていくよりも,調査結果の評価をどのように見ていくのかという方の改革が待たれる。
  • 現場の教師の力量については,子どもを見抜く目をもってほしい。子どもたちがつまずいているかどうかを一瞬で見極める必要がある。何に,どこでつまずいているのかを分析をしなければいけない。ところが,改革で忙しすぎてその時間がない。
  • ある先生は,先生方は授業が勝負なのだから,そこに集中できるように無駄な仕事をさせないようにすることが校長の仕事だと話していた。事実,よい学校は,先生方の帰りが遅くなっていない。毎日深夜まで仕事をし,帰りが遅くなるのでは,教師の子どもを見る目が衰える。
  • こういう方法がいいということに,みんなが縛られてしまう。多様な実践を現実的にやっていくためには,それを保障することがあっていいと思う。そのために提案したいことは,例えば,塾の先生が学校に来て授業をしてもらう,私立と公立の教職員を入れ替えて,互いに交流しあう,民間で使用している教材を学校現場に入れていくことが考えられる。とにかく硬直化しない工夫をすることが重要である。
  • 一つの実践方法がきちんと検証されてくるには2,3年かかる。そのことを考えると,教職員の人事異動が早すぎる。特に小学校の場合では3年もたてば,半数近くが入れ替わっているのがごく普通である。メリハリのある人事異動が必要である。
  • 現役の教師の話では,教えること以外の仕事量がどんどん増えているとのことである。考え方や方法論が示されるが,それらがmore and moreでくるので悩んでいる。時間がなくて,丁寧に見てやらなければならない子どもに当てる時間がない。
  • 二こぶらくだ,すなわちできる子とできない子に二極化したことに手を打っていく必要がある。
  • 基盤整備として信頼される教師などが挙げられるが,それがなぜできないのかをもっと追求すべきである。そこに肉薄していかないと真の改革にはならない。
  • SEE-PLANのサイクルについて考えるならば,SからPへどう変えていくのかというところが大きな課題である。もちろんPLAN-DO-SEEのところまでは,現場でやっているのだから,このことを極めていくことは大事だ。
  • SEEのところで,全国的な学力調査の結果があるが,その調査の結果が出て,それをどのようにPLANに結び付けていくのか。現場の指導力向上にどう高めていくのかということの施策が何もない。
  • 教育課程実施状況調査について,結果が上がったか,下がったかだけの話になっている。例えば前の調査では下がったが,今度の調査では,先生方ががんばったので上がった。ただ,本当にがんばったのかどうか。たまたまそのときの学年の子どもたちの質が高かったり,低かったりしたから,上がったり下がったりしたのかもしれないし,あるいは他の要因があったのかもしれない。SEEからPLANへどのように結びつけるのかということが,国として非常に大きな施策を必要としてくる部分ではないか。
  • 今までであれば,現職教員が校内で指導することで,若い先生のレベルアップが期待できたのだが,今は,忙しくてなかなか校内ではできない。一方で,校外の研修機関にもなかなか出ることができない。
  • 地域にある研修所,研究機関を,NPO,企業等も含めて使っていかなければ,SからPのところにはいかない。
  • 学習指導要領の新しい考え方が導入されたときに,各地域の研修所,研究所が研究や教材開発をした。また,現場と大学がタイアップをし,子どもの意欲やつまずき,指導方法を研究した。
  • 現場と大学のつながりが薄くなってきた。しかも教員研修センターも悉皆研修を重視し,最低限のレベルを維持するということに特化してきたので,質が落ちてきている。
  • 地方に研修を下ろすのであれば,地方がもっと研修や研究ができるように,きちんと財政的,人的援助をしていかなければいけないのに,できていない。
  • 地方の研究所の研修は,ほとんどつまらないものとなっている。独立行政法人教員研修センターが中心となって,各地方の研修センターが,現場にとって魅力のある研修を行うシステムを構築すべきである。それがないと,いくら悉皆のテストをやっても,次のPLANの改善に結びつかない。
  • 義務教育の問題点は,今までDOの部分が薄弱だったことである。学習指導要領や教育課程のが目指している到達度は,日本の子どもたちの学力から乖離している。せっかく付いた学力も受験学力だからはく離してしまって,実践力になっていない。DOの部分をもっと真剣に研究をしていくべきである。
  • 検定教科書だけが唯一の教材となっている。そして,中学校なら高校受験で,高校学校なら大学受験にシフトしており,教科書の中の一部分の受験の内容だけが教えられることになる。そして,それだけが学力として測られる。
  • SEEとしては教育課程の実施状況調査を行っている。どのような過程を通じて,どのような結果になったか把握するのには,教育課程の実施状況調査が妥当性があり,この調査が,DOやPLANの問題点の指摘になっていくと考えた方がいい。
  • 教科そのものの問題点もあるが,大きな流れとしては,学校における実践などが吟味され研究されるとよい。
  • 授業改善ではなく,授業改革として根こそぎ考えるということが必要である。
  • 子どもの実態把握は,つまずきだけではない。道徳で言えば,その子の中にどういう価値観が育ちつつあるのかを見るべきである。それを踏まえ,どのような教材が適切なのかについて議論すべきである。
  • 学校現場の難しさは,人間関係を非常に気にすることがある。これは,学校を改革するための難点である。
  • 現場教師が,いい授業というのがどういうものなのか分かっていない。教えて考えさせる指導がなされるよう改善が必要だが,実際の授業はどのようなものなのかを示すことが必要である。
  • PLAN-DO-SEEのDOの中身は何か,また,指導方法の改善やわかる授業の実現との関係はどのように考えるか。核心は現場教師の授業である。
  • 授業実践の研究が必要である。個人単位,学校単位,市町村単位でもよいが,研究を支援する研究費を出してやることはできないのか。
  • 高等学校での授業の大きな問題点は,公開されないことである。人間関係があるので,授業を公開しようと言いにくい。そこで,管理職はあえて嫌われ役になっても,学校経営に支障のないような人間関係をいかにして築くかが重要である。
  • 授業を公開して評価を行うことを続けることが,授業の改善につながる。授業公開と評価を通じて,教員の潜在的な力を引き出せるのではないか。
  • 公開して評価を繰り返し検証し,具体的に次の目標を立てることで,授業の改善が図られる。私立はそれがうまくいかなかった場合,つぶれてしまうので真剣である。公立もその姿勢を学ぶべきである。
  • 教員を信じることが大切である。もっと力を付けたいと考える教員や,生徒に対する愛情を持っている教員がいる。一方で,表現の仕方が分かっていない教員がいる。
  • 研修で英語教育の最先端が示される一方で,大学入試では旧態以前の長文問題が出ている。ただ,耳がいい生徒は長文も読める。だから,どんどん生徒の習熟に応じて英語を聞かせている。そうすると,使える英語にもつながるし,大学入試にも対応できるようになる。
  • 日本の財政問題が教育に大きな影響を与えている。研究団体への補助金が縮小され,研究自体に活力が失われている。各教師の研究活動にも大きく影響を与えている。
  • 各教師が日常の指導の中で疲れが生じている。中学校では,教員の持ち時間を下げてあげるべきである。そうでないと,ゆとりがないし,教材研究を行う時間も見出せない。
  • 各市区に文部科学省主催の出前研修を開きながら,そこに教員の参加を募って,資質向上を図る。または,大学の研修に参加して,教員の質を上げる。国として教員研修をどうするのか,地方の教育委員会にどのようなアプローチをできるのかという内容を示してほしい。
  • 学校における授業改善に当たっては,学習をどのようにやるのかが分かることが大前提である。学習しておもしろい,活動して楽しかった,その結果,もう一度やりたい,もう少しやってみたいとやる気を起こさせてくるプロセスを考える必要がある。
  • 学習を支える力は意思の力である。そのためには継続をする力,忍耐力が必要だから,それらをどのように培うのかという観点も必要である。
  • 教員の指導法の改善は,PLAN-DO-SEEをどうしていくかという観点で改善方法が取り上げられているが,教員養成段階から指導方法を十分考慮したカリキュラムを充実すべき。
  • 初任者研修では,先輩教員が新任の教員に1年間という長期にわたって,教案の作り方,指導方法を徹底して指導している。2年目以降も自らが,子どもたちの実態を見ながら,それを自分なりに改善して,授業を展開している。国際調査でも日本の教師の質が高いことを評価していると思っていたが,危惧される面も表明されているので,DOの部分にも手を入れる必要があると考える。
  • 教員養成大学と共同で研究して現場に生かすことが必要である。国立大学が法人化されて,県の教育委員会,研修センターと連携して,実践センターが共同研究している実態があるが,さらに進める必要がある。
  • 評価の部分では,全国的な学力調査をして,その結果を活用し,全国の水準からそれぞれの学校の位置づけを把握する。それをもとにPLANを見直し,DOをさらに改善する仕組みをつくる必要がある。
  • DOの部分については,少人数学級,T・T,習熟度別の指導が取り入れられてきた。それは現場からの要請を受け,国として教職員定数の改善を現場の要望を受けて進められてきたが,今後,国として,条件整備はどういうことが必要か,教育課程部会で検討すべきではないか。
  • 日本の義務教育は世界的レベルではかなりよい。どんどん改善をしていかなければならないということをあまり強く言うと,世の中に誤解される可能性もある。ただ,現状でまま何もしなくていいということでもなく,現状がよいという前提にたって考えると,公開していくということ大事である。
  • 公教育では,できるだけいい人材を教員に採用し,先生に工夫してもらう。教員の質の確保がうまくいかなければ,教育の成功はない。
  • 企業の実践を前提にすると,DOと基盤の整備と一緒ではないか。
  • 企業だと,本社と事業所の役割分担を常に考えている。全体と個との関係は何が最適かは難しいが,両者が一体となって,相互理解が十分であってこそ,うまくいく。
  • 企業の場合,改善というと,企業の中の小集団活動でそれぞれの小集団がこういうことをやりますと発表する。事業所ごと代表が争って発表して,最終的に一番を決め,それを本社で発表させる。これを公開をすることで,いい事例が全体に広まるようになる。
  • 教師が忙しいことについて,職務の分析を統計的に調べるべきである。このことが教員の仕事の改善に役立つのではないか。
  • 社会とのつながりについて,企業ができることは,DOを支える基盤の整備の一端である。学校外のリソースの積極活用では,企業も協力したい。

6.地方や学校の特色を生かす教育の在り方 (国が示す基準と地方の裁量について

  • 目標は「日本人の義務教育として最低限必要な内容」と定義し,国はそれを明らかするべきだと考える。(最低限ではなく)標準というと,議論が変わってしまう。
  • 現場に権限を委譲するのが大きな流れである。どこまで地方,学校,教員の裁量を拡大するかという議論をすべきである。
  • 地方によって自然,文化が違う。教員の得意とする科目も違うので,その裁量を拡大することは重要である。国は,中途半端な関与はしないということを明確にすることが重要である。
  • 裁量を拡大するに当たっては,国の意図きちんと説明することが必要である。これまでは審議会で練られたときはいいものであっても,現場には十分伝わっていなかった。国と地方のコミュニケーションをよくすることが基本である。
  • 研修をしっかりすることなどについては,地方に任せればよい。
  • 国は,国が最低限の基準として示した基準に対して,地方が内容を減じることは許すべきではないが,加えることはいくらでも認めてもよいのではないか。
  • 評価を行うことで地方の状況を明らかにして比較すべきである。その際,評価は,偏差値だけでなく,スポーツに熱心な学校があれば,そのことについての指標も入れてオープンにしていけばよい。
  • 国として最低限必要なものは,日本全国できちんと守られるようにすべきである。具体的には,教育内容,時間がある。しかし,これらが実際に守られるかどうかは学校現場では難しい。
  • 教育内容については,全国各地で自然はいろいろ特色があるのに,教科書が寡占化しているのは問題である。また,教科書が国の基準に準じているとすれば,基準自体に妥当性があるかどうかも問われる。
  • 地方が内容を加えたり,減じたりすることに問題はないが,今の基準そのものが,地方の特色とナショナルミニマムとの観点から妥当かという問題がある。
  • 地域の伝統や文化,食習慣を考えると,子どもたちには地域の文化を身に付けてほしいと考える。そのとき,地域の副読本などの教材づくりやカリキュラムづくりをしていくことになるが,もっと地域の裁量を増やすべきである。
  • かつては週1時間の学校裁量の時間があったが,時間も内容も裁量を増やすべきである。
  • 指導方法については,様々な方法があるべきだと言ってきたが,カリキュラムの問題については心配がある。時間数については,地域によってかなり差が出てきているが,時間の差はカリキュラムの内容に出てくるし,カリキュラムについて国が最低基準を定めると言いつつ,入試の問題や公私のダブルスタンダードの状態がある。
  • カリキュラムについて,あまり軽々しく地方の自由に委ねることには不安がある。委ねた場合,子どもたちの塾通いが加速して,経済の勝ち組負け組みがそのまま反映されることになるし,結果として教育における平等原理が著しく損なわれる危険がある。
  • 高校入試は中学校の学習指導要領から出されることになっているから,中学校教員は,この部分を厚く,この部分を薄くと差を設けて指導することはできない。また,時間数が限られており,例えば台風が来た場合,冬休みを減らしたりしている。このように教師の指導では補いきれない問題がある。そこで,基準性をいま一度考える必要があると考える。自由化の方に走りすぎていることに危惧を感じる。
  • 地方分権化が進んでいくことは間違いない。政令指定都市では都市の独自性を出してきており,中核市でも権限をもつようになっている。また,現在,ある市の校長会が,県の教育の方向性と違っているというので,県の校長会から独立するような動きも出ている。国としての教育内容がきちんと押さえられないと,各々がばらばらの方向にいってしまう。
  • ナショナルスタンダードは最低基準の内容としてきちんと押さえつつ,若干地方の裁量が発揮できる余地は残すべきである。
  • 国は,ナショナルミニマムをしっかり示してほしい。
  • 地方には違いがあって,地方色の現れた教科書を採択したりしている。
  • 私立学校よりも高いレベルであったり,半分が家庭の経済状況が厳しいなど,学校によって保護者に差がある中で,一定のレベルを保つ必要がある。最低限を定め,それ以外は学校によって違いがあってよいという覚悟をもって進める必要である。
  • 特色あるということの難しさは,そうはいってもすぐ横並びになってしまうことである。隣の学校ではやっているのに,なぜ私の学校ではやっていないのかという保護者からの要望がある。また,市町村の取組も,隣の市でやっているのに,なぜわが市ではでやらないのかという声も出てくる。
  • 義務教育特別部会の答申素案で示された義務教育の構造改革から考えても,全国的に一定水準を確保するため,国がナショナルスタンダードを示す学習指導要領を定めるのは当然のことであるが,地方分権改革については,どの分野で学校の自由度を高めるかということを考えなければならない。
  • 学習内容については,すでに発展的な学習は可能になっているわけで,一定の内容以上については,ある程度の裁量がある。ただ,そのことと学習指導要領の到達目標との関係について議論をすべきである。
  • 学習指導要領の到達ラインをどの程度のレベルとするかは,80パーセント程度わかるようにするということもあるし,50パーセント程度ということもある。このように到達目標を考えていく中で,現在行われている発展的な学習は,かなり吸収されるはずである。
  • 教科書が寡占化しており,県の特徴が必ずしも生かされていない。地域の文化,伝統,自然を学習しようと思ったら,投げ込み教材や独自の副読本をつくらなければならないし,それを取り扱う時間もない。
  • 小学校の理科の振り子と衝突のような教科の内容の課題選択については,現場では結果的に両方を行わなければならなくなり,教師の負担感が大きくなり,内容もあいまいになる。課題選択を入れたことは理念としてとてもよかったが,実際にやってみると時間数の制約の中で,難しい問題が起こっている。
  • 世論では学習内容を増やすべきだと言われ,基礎・基本の徹底といいながら,学習内容を増やす傾向が出てくることが危惧される。むしろ基礎・基本を減らし,発展的な学習をできるようにすることが必要ではないか。945時間という時間数を増やすということは難しいので,最低限の学習内容の量をきちんと決めておくことが必要である。
  • 各学校では,各学年ごとにきちんと学習できているかを見るために学力調査を行う。できていなければもう一度最初から見直す。PDSのサイクルは短く,1週間単位,2週間単位で,すぐに見直さなければならない。そのためには,基礎・基本とは何かをはっきりと分かりやすくしなければならない。
  • 教員が自ら考えるという形をつくっていかないと,いつまでたっても地方には任せられない。地方に任せることは,挑戦させて,苦労させるという面をつくることである。教育の再生は,教員の再生である。
  • 今の日本には多様性が欠けている。特に公務員の世界には多様性がなく,多様性についていけないので,その考え方が批判される。
  • 現場を預かる教育委員会としては,学習指導要領の改訂は人事に関係することがある。教員の構成に関わってくる。
  • 市町村教委は,各学校に委ねてやりたいと考える。ところが,学校はそれをやってきた経験がないので右往左往してしまう。各学校には,それだけの力がない。また,一学年一クラスの小学校と大規模学校とでは,卓越した能力をもっている教員の数も異なってくる。この現状を踏まえれば,各学校の判断の余地はなくなると言われるが,まずは教育委員会に委ね,その5年後に各学校に任せるようにしてはどうか。
  • 基本的に教育委員会ではなく,学校現場が新しい取組を発想して試みられる仕組みにすべき。現状を見ると,言われたことしかやらないという習性は直っていないという状況がある。思い切った制度改革をするのであれば,学校が発想できるということを前提にすべきである。
  • 小学校の校長が一貫校をやりたいといったとき,校長は相手の中学校を捜すことになるが,設定教科,授業時数の増減などの問題を現場が考えるという発想ではないとうまくいかない。
  • 中高一貫校の議論をしたときは,できないという意見が強かった。しかし,いくつかのパターンをつくり,取組をすすめ,情報発信をしていくうちに,広まっていった。
  • 学校教育法施行規則の縛りが細かく,領域も時間もすべて決まっている。学校現場では,これを守るということが前提になっており,自由にできる時間がない。市町村や学校の自由度を増すには,抜本的に学校教育法施行規則を見直さなければならない。
  • 学校教育をインプット,プロセス,アウトカムに整理することが必要。
  • 学校教育におけるインプットとしては,予算もさることながら,学習指導要領とともに授業の標準時間の在り方も入ってくる。教科の1時間毎まで厳密にやるべきかとなると議論の余地があるが,国が責任をもつところである。その上でプロセスとしての地方,学校に裁量権を大幅に委ねることはあり得る。
  • 今は,どの学校も教科ごとの授業をきちんとやることで,ある程度の責任を果たしているということができ,緩やかなアウトカムである。そのような在り方は,ある程度学校の裁量権を確保できるので,必ずしも悪いことではない。インプットとアウトカムのバランスのとり方を注意しないと,結果として,逆に学校の裁量が狭まる可能性もある。
  • 国はスタンダードをつくることが必要である。スタンダードは目標,内容,そしてある程度の時間数について定めるべきである。その後,うまくいったかどうかを学力調査その他のやり方で,きちんとチェックして,だめなところは,設置者に情報としてフィードバックしなければいけない。
  • スタンダードには強さ弱さがある。国語や算数・数学については何時間以上必要だと言わなければいけない。一方,音楽・図工・美術などについては,かなり教育委員会の判断が入ってもよいのではないかと考える。
  • スタンダードの示し方は,基礎・基本と対応して考えるべきではないか。
  • 学習指導要領総則には,各学校が教育課程を定め,創意工夫を生かし特色ある教育活動を展開することとされている。教育委員会で教育課程などを決めすぎると,学校の裁量の余地がなくなってしまう。いかに学校の創意工夫を生かすかということを検討していくべきである。
  • 小中一貫,中高一貫などの多様な仕組みがあることが重要である。多様性は21世紀のキーワードであり,それをいかに実現するかという視点が必要である。
  • 現在は,時間数が決められ,標準科目数が決められており,学校の裁量の余地が少ないのではないか。その中で学校の目標を達成できるのか。
  • 国は,学習指導要領に基礎・基本の最低ラインをきちんと定めることが必要である。この部分での地方分権はありえない。その最低ラインを達成するためにどうするか,また,最低ラインを超える部分をどうするかが地方分権の内容である。
  • 学習指導要領に示す最低ラインの実現のために,学習指導要領解説を拘束力を持った指導書に戻すことを考えてもよいのではないか。
  • 基礎・基本の内容については,各発達段階ごとに細かく設定してもらいたい。
  • 中学校では,教員の配置等の関係で,授業時数の平準化が行われている。このため,コマ数の少ない先生が総合的な学習の時間を持つことになり,授業を面白くなくしているという考えもある。
  • 技術・家庭の成り立ちは,その時代にあう人づくりであった。社会が変動している中では,技術・家庭もそれに合った内容にするべきである。これこそが生きる力の教科である。また,高校の家庭科の中には,福祉,環境,消費者教育などを含んでいる。このことから,技術・家庭を変えて総合して専門の学問とすることも考えられるのではないか。
  • 地方分権については,制度や基準を変えても,現場に自立心がなくては駄目である。一番大事なのは現場の一人一人の教師が自立心をいかに持つかということである。一般の教員にアンケートとると,仕事をやらされている,管理されていると思っている教師が8割近くいる。これではいくら制度や基準を変えても,自立心は育たない。自分の頭で考え,自分自身の言葉で話すことができる教師をつくることが大事なのではないか。一般の教師の自立心を引き出す措置を考えないと,いつまでたっても空理空論に終わるという心配がある。

授業時数について

  • 時間の問題については,学校現場では,いろいろなことがあって,学習時間が守られないのが普通である。このため学校では,3学期制を2学期制にしたり,夏休みなどを減じるなどの工夫をしているが,果たしてこれでいいのか。子どもも教師もゆとりがなくなり,形式的に時間を守ろうとしているという問題が出てくる。
  • 諸外国における授業時数の定め方について,日本はかんじがらめになっており,学校の裁量を発揮できる余地がないのではないか。学校の裁量と,知・徳・体のバランスのとれた教育を確保するという観点から,総授業時間数を定めつつ,各教科ごとではなく,組み合わせに配慮した一部教科の授業時数をまとめて示すことも一つの方法ではないか。その中で学校現場の自由度を高めることができるのではないか。
  • 学習指導要領の在り方あるいは国の責任としての最低限の学力の確保について言えば,授業時数をある範囲で増やすことについては,学校や教育委員会単位で認めることはあり得るが,減らすことについての地方の裁量は,慎重であるべきである。
  • 教科ごとに時間を設定するということが基本であるべきである。教科は小・中学校教育の中心で,一定の目標,内容をもっているが,現在,各教科に割り当てられた時間が決して十分あるとは言えず,最低ラインだと思うので,時間数の増減は難しいのではないか。そういう意味で,教科の骨格をいたずらに弱くするというのはよくない。
  • 授業時数のまとめ方について,フィンランドのように,かなり類縁の教科についてある種のまとまりをつけた教科群という発想はあり得る。
  • 国の基準に加えることについて,学校設定科目の開設はできない。減じることについても,研究開発学校としての指定がないと,減じることは認めない。中学校における年間時間数は,1日6時間を5日間で週30時間を行うと1050時間になる。このうち決められている時間は800時間ぐらいとなると,学校現場は不自由ではないか。
  • 国は,最低標準時間というのをある程度決め,後は学校の裁量の時間を大幅に増やして,それぞれの地域で,それぞれの時間を生かすということにしてはどうか。
  • 教科の時間の配分も,発達段階,興味あるいは必要に応じて,フレキシブルに考えられるようにしてはどうか。今は画一的になっている。
  • 小学校では基礎・基本の確実な定着ということで,基礎・基本をしっかりと教える。現在,小学校高学年では,年間総授業時数が945時間あるが,基礎・基本は800時間ぐらいでできるようにし,後の145時間は学校の裁量で,学習指導要領の発展的な学習を可能にすることが必要である。
  • 基礎・基本は発達段階によって異なる。前の学年で最低ここまでやっておかなければ,次には行けないという内容がある。その内容を細かく定めることによって,時間数は変わってくる。その時間数は最低ラインとしてきちんと取らなければならない。
  • 国は,基礎・基本を指導するための最低時間数を示し,それ以上は学校に任せてほしい。
  • 教科ごとの授業時数をあまり緩めてしまうと,アウトカム評価が重たくなってくるのではないか。例えば,ある学校がある教科の時間を非常に短くしたとする。それが学校の自由だとしたら,学校はアカウンタビリティを果たさなければならないが,学力調査やその他で証明することが非常に重たくなってくる。
  • 国はナショナルスタンダードを定める必要があるので,到達目標を定め,学力調査により成果を検証し,教育の質の確保を行っていくことになる。そこで,各学校において到達目標を達成できるよう,授業時数について教科の括りで弾力的に運用できるようにし,各学校の裁量を生かせるようにするべきだと考える。
  • 5日制では5日間で1日6時間やれば1050時間になる。標準授業時数の980時間が今の学習指導要領の時間数だが,学校現場は窮屈になっている。このため合科制をとればよいと考える。例えば,音楽,書道,美術を芸術に関する科目として,また,家庭・技術を家庭生活に関する科目として,内容は学校に創意工夫させることも考えられるのではないか。
  • 今は各教科・領域,標準時数によって決まっており,中学校の創意工夫のある授業をすることは難しいのではないか。

7.その他

高等学校の在り方について

  • 高等学校の学習指導要領,教科書は機能しなくなっているのではないか。小学校の内容に戻って指導を行うような場合もあるが,そこでは高校の教科書は使えない。そのような中,今までのように教育課程を編成していくことが適当かどうか。教育課程の示し方はどう考えるか。
  • 受験の機会が広まり,高校の進学率が高まることはよいが,学力差がありすぎるのではないか。
  • 一部で,「高校くらいは卒業しておかないと,社会に出てから困る」という意識もあるが,この意識の低さは問題である。
  • 最近,大学は地域に関わってきている。一方,高校は地域から完全に阻害されているという印象であるので,がんばる必要がある。
  • 中高一貫校の取組が必要だと思う。
  • 多様化に対する社会の理解はまだなく,学力で上中下に分かれているという見方となっている。学力差が広がることは現実問題として仕方がないことなので,高等学校は生徒の多様化に対応していく必要があり,また,そのことについての社会の理解が広まっていく必要がある。
  • 高等学校の数が多いと言うが,学習指導要領に示す基準にあう内容があると考えられる高等学校は,現実としては少ないとも考えられる。
  • 高等学校の多様化について認めるべきである。学習指導要領には,義務教育で培われる基礎・基本を踏まえ,それに付け加える内容を学校,設置者で考えられる裁量を求めたい。義務教育で国民の素養を培い,高等学校でそれを学問研究に結びつけていけるようにしたい。
  • 高校入試は,全員が入れる中で実施する特殊な入学試験である。このため,単に中学生にラベル貼りをすることになっていないか。ラベル貼りにより,自分はだめだと感じる場合もあるかもしれない。高校入試は本当に慎重に考えるべきである。
  • 高等学校卒業程度認定試験ができたことで,大学入学試験は高等学校の専売特許ではなくなった。このことにより,高校自体が,高校に行くことに価値があるということを証明することが必要が出てきた。アメリカでも高卒資格の認定試験があるが,それでも,ただ,認定を受けるよりは高校3年間で学ぶということが社会的により高く評価されている。日本でも,高校に行くことが意義があると証明してほしいし,それが今の社会の望むことだと考えるべきである。
  • 高等学校の多様化を進めないと子どもたちに対応できない。それも,上中下という多様化ではなく,進学校がある一方で,理解の遅れた生徒に小学校段階の内容から教え直す学校もあるというように,質的に多様化させていかないといけない。
  • 高校教育については,どの県でも熱心に検討が進められていると思う。ある県のエンカレッジスクールという取組の例では,実施前に比べ同校の中退率が下がった。このことは,学ぼうという意欲をもつ子どもたちが増えているということだと考えられ,社会的にも非常に重要な取組である。
  • 高等学校の教育については,目標をはっきりさせて,多様化させていくことがよい。例はアメリカの大学であり,世界で最高の評価を受けている。
  • 高校入試は,全員が入れることが分かっている中で実施する,不思議な入学試験である。一つの指標で子どもにラベリングしているようでは,子どもは高等学校に行ってもやる気をもてない。
  • 高等学校は多様化している。小学校と中学校は各学校レベルで多様化しているが,高等学校は学校ごとに多様化している。学校の裁量を大きくすべきである。
  • 高等学校へは義務教育段階の学力が身に付いていない生徒が入学している場合もある一方で,その部分は十分身に付いていて専門的なことを学びたいと考えている生徒もいる。義務教育段階で十分に学力が身に付いていない生徒に対し,高等学校ではその部分をしっかり補填する必要がある。高等学校には,それぞれの生徒に対応できるような仕組みが必要である。
  • 中学校までは学校内での幅の広さを育て,高等学校では,実社会で役立つ人間に育てる必要がある。
  • 必履修科目は現在でもかなり少なくなっているので,さらに少なくすることは高等学校としては必要ない。それ以外の部分で学校の裁量を広げるべきではないか。
  • 高等学校では改訂された学習指導要領の趣旨や内容に沿って教育がされているのか。一般的な傾向として,どこの大学に入れるかという視点で教育課程が決められているのではないか。
  • 国語,英語などの5教科を中心に教育しているのではないか。5教科型では,美術や体育,音楽などは息抜きになっており,バランスのとれた教育がなされていない。これがなされていれば,学習指導要領を変えなくてもよいのではないか。
  • 高校教育は大学入試の影響が大きい。大学の推薦枠を増やすことが必要である。そのほうがより全人的な教育ができる。
  • 高校段階では補習や塾など一方的に教えられているので,自分で考える能力はつかない。自ら学び自ら考えるではなくて,指示を待って覚えるような勉強の仕方になっている。
  • 大学に入ること自体が目標になっていて,大学に入ってどのような学問を究めるかが明確でないまま,大学に入学しようと勉強をしている。そうすると,大学に入ることで目的は達されたということで,遊んでしまうことになる。このことは昔から指摘されていながら,今も変わっていない状況である。
  • せっかく専門学科に入っても取得できる資格がほとんどない。このため専門学校に行くことが必要なる。そこでは,普通の高等学校と子どもと同じことを学ばなければならなくなる。高等学校の段階で社会に出たい子どもたちには,資格を取れるようにすることが必要である。
  • 勉強があまり好きではないのに,みんなが高等学校へ行くから行くというようになっており,学ぶ意欲に問題があるのではないか。どうすれば学ぶ意欲を高めることができるかが課題である。
  • 大学進学は2007年から全入時代を迎える。勉強が好きで得意な生徒は大学へ進学するであろうし,生徒の半数は大学進学ではなくて専修学校などで資格を取りに行くことになる。高等学校教育は多様な生徒に対応した教育をしているのかが問題である。
  • 昔に比べて普通高校への志願率が高く,専門学校の割合が下がっている。普通高校にいってそのまま社会に出ると資格がないので,自分の働きたい職場で受け入れてもらえなくなる。そのため,フリーターやニートになっているのではないか。実態をよく分析し総合的に考え,せっかく子どもたちが高等学校に進学してくる以上は,子どもたちの将来についてプラスになるような高等学校にしていくべきである。
  • 小学校がいいかげんだからと中学校がいうように,すべて下の学校種に問題があると言ってしまうのは問題である。
  • 普通科であろうと,職業科であろうと,高等学校での最低線を明確にすべきである。実社会との連携をどのようにとって,どのような教育課程を組むのかを考えなければならない。
  • 中学生以上にキャリア教育をもっとしなければいけないのではないか。また,法教育をしなければいけないのではないか。もっと実学について考えてもらいたい。
  • 高等学校の校長先生は地域に顔がない。特に職業科は地域に根ざすといった視点について考えていただきたい。
  • 高等学校の授業研究は見たことがない。高等学校のそれぞれの教師はプライドが高い。子どもに聞くと,授業では先生が一人でしゃべっているだけと話す子もいる。そのあたりのことを詳細に分析しないと新たな高等学校教育は来ないと思う。
  • アメリカでは全員が高校まで就学することが義務化されており,高校をドロップアウトした場合,高校卒業の資格をとる制度も普及している。しかし,一定期間学校に通ったことが単に資格を取得することよりは高く評価されている。
  • これからの社会は基本的に自己責任,自己決定が重要になってくるので,このことを軸にして制度を考えるべきである。今の高等学校制度がそれにあっているかは疑問である。高校ではシラバスをつくることは困難だが,私の学校ではこういうことを行うということをはっきりと示すべきである。
  • 多様化路線はもっと進めるべきである。示すことは基本的にもっと少なくして,これだけはしなさいという程度にとどめ,後は各学校が,自分の学校ではこういう教育をするということをはっきり説明すべきである。
  • 現場が意識をもって行動できるように制度を少し緩め,整理すべきである。教育課程の中でそういう方向を考えなければいけないのではないか。
  • 進学を中心にしている高等学校を否定すべきではない。ある程度そういうことで頑張れる人間が育っていないと,国としてリーダーがいなくなってしまう。
  • 高等学校の教育は困難な問題を抱えている。後期中等教育として成功しているのかどうか。日本の中等教育の在り様が問われている。
  • 高校への進路指導が,高等学校の程度に応じて子どもを配分するというようになっている場合もある。そういう面で,大胆に選抜制度を変えていけるかが問われている。
  • わかる授業をやるために,楽しい学校づくりのために,どういう条件整備をしていくのかが課題である。
  • 公立高校は随分がんばっている。中退率や不登校の数も下がってきている。各学校が特色を出しつつあり,一時ほどひどい高校バッシングがなくなっている。これは各高校が努力をしているとともに,各自治体がそれぞれの地域にあった高校づくりをしているからではないか。こういうことはきちんと評価をしなければいけない。
  • 職業高校でもロボットコンテストなどで注目され,ものづくりをやっていこうとする子どもたちが進学するようになってきた。ものづくりを評価し,指先の器用な子どもが学べることが重要である。
  • 高校のカリキュラムをもっと弾力化すべきである。
  • 高校について,10人あるいは12人に学級規模を小さくしたりすることも必要ではないか。そのために,高校教育そのものの枠組みを各自治体に任せるだけではなく,国が支援することも必要ではないか。
  • 中学3年の進路に関する面接で志望校を聞くと,以前と変わってきた。デザイン,服飾など,自分の生き方の中で高校選択をする子どもが増えている。高校の多様化が進む中で,自分の生き方を考えながら進学も考えている。習熟をしていない子どもも高校に夢を託して,もう一度やり直そうとしている。そういった意味では専門学科の中で,学科が多様化されていることは,子どもにとっては大変よいことである。
  • 科学・技術において,科学の部分が大きく捉えられて,技術が弱い。高等学校でも技術に関わる教育内容を充実していただきたい。
  • 対症療法的な議論では,国の目指す健康な高校は出てこないと思う。健康な高校とは何なのか,高校の教育とは何かを徹底して議論すべきではないか。
  • 高校進学率が97パーセントで,義務教育と同じようなものとなっているが,義務教育と同じようには考えられていない。個々の学校に任され,多様化しているのであれば,中退もあり得ることだ。
  • 今の時代は,義務教育では満足できない高度な社会になっているので,大学に近づくために高校は必要ではないか。
  • 高校では生徒に100パーセント理解させる必要はないと思う。80パーセントくらいわかればいいという到達目標を持てばいいのではないか。
  • 現場の先生方が何パーセントを目標にするかという意識をもつことが重要である。
  • 勉強をすることで,いろいろなことを知り楽しくなってくることが大事である。
  • 高校で義務教育段階の内容をしっかり補填することも必要だと思う。
  • 高校はホームルームという暖かな人間関係を持っている最後の場面である。
  • 必履修科目はこれ以上狭めるべきではない。必履修というのは一定の負荷になるが,負荷は必要である。
  • 大学入試があるので大学受検だけができればいいのではなく,大学を出た後の人生を考えさせることが高等学校では必要である。大学ではホームルームというもので学ばせることはできない。だから,高等学校の最小限の責任としてこのことをやらなければいけないと思っている。
  • 高等学校については,諸外国でも国民的な議論となっている。

幼小の接続・連携について

  • 幼小のつながりがうまくいっていないのは,幼児教育の成果が小学校教育で十分生かしきれていないことや,幼稚園側で小学校教育を見据えた場合の教育がされていないということがあり,両面からの改善が必要である。改善のために,子どもの交流,教師の交流,一貫したカリキュラムという3つの軸で考えることが必要である。
  • 幼児教育が行っていることと,小学校教育で行っていることをうまくつなげることが重要である。
  • 「日本の幼児教育は世界一だ」という評価もあるが,その世界一の幼児教育が機能しなくなっている。幼児教育が機能しなくなった最大の理由は,男女雇用機会均等法により,家庭教育の在り方が変化したことである。家庭教育の変化を踏まえたシステムの変更が必要ではないか。
  • 幼稚園から小学校へは,指導上の留意点が伝わっているが,保育所からは伝わっていない。さらに,家庭教育の変化がある。これが小1プロブレムの問題である。いまは1年生は担当したくないという人もいる。そのような状況を整理して議論する必要がある。
  • 社会の変化の中で,4時間の保育でできる幼稚園はほとんどない。
  • 幼稚園と保育園があり,幼稚園の中にも私立と公立があって,それぞれ方針がまちまちであるという問題がある。私立の幼稚園は,保護者の要望を受け,音楽,言葉,英語を教えているという状況である。
  • 小学校には,4月になったときに様々な子どもが入ってくる。特に,学校選択で地域を知らない子どもが入ってくる場合もある。すると,資料のない子どもを教えることになるので,小1プロブレムは起こらざる得ないと考えられる。
  • ニュージーランド,オーストラリアでは5歳児入学を実施している。1年間を生活習慣をそろえるための準備期間とし,幼稚園に近い子どもと小学校に近い子どもに振り分けをしている。これを参考に,小学校は,6歳児入学のままでよいが,1学期は十分な教師を配置し手厚く子どもたちを見ることとし,2学期から学級を編成して授業を始めることも考えられる。
  • 学校選択制にする場合,親は学校を選ぶことになるが,学校側は選ぶことができないというのはルールに反する。その場合には,親と学校が契約を結ぶということが必要ではないか。
  • 1つの学校に,幼稚園,保育所などいろいろな施設から子どもたちが入学してくるが,各園の考え方の違いによっていろいろな子どもがくる。
  • 私立の子どもの数が圧倒的に多い。よい研修をしているところもあるが,経営論理から研修もできないところもある。どの幼稚園も保育所も研修を受けるシステムをしっかりすべきである。
  • 人の話を聞く態度を身に付けさせるなどということは,小学校に就学する段階ではなく,幼稚園段階でなければうまくできないという意見もある。
  • 家庭教育ができていない状況にあり,幼児教育を社会的にどうするのかを考えるべきである。
  • 地域で教育を考える場合,子どもがどういう大人になるべきかを考えることが必要である。具体的には,例えば,生涯学ぶ大人をつくることである。地域では生涯学習がとても盛んである。その点は市町村教育委員会が議論すれば,よい方向にいくのではないか。
  • 子育ては子どもを預かるだけではなく,教育という立場から,教育委員会や文部科学省がイニシアティブをとるべきである。
  • 幼保の一元化については,窓口がバラバラでやっていけるのか。保育所を教育委員会で担当するとか,幼稚園を教育委員会から別に移すということも考えられる。
  • 保育園では,園児に時間的感覚がない。45分座ることは苦痛である。このため,年長で30分の座学をやってみるという考えもある。
  • いまの子どもは,マスコミなどでいろいろと知識を身に付けているが,小学校1年の教科書は,今の時代にふさわしいものか検討が必要である。
  • 公立幼稚園は公立小学校に属している場合が多く,両者の交流がうまくいく。私立幼稚園は小学校に属していない場合が多く,交流は難しい。また,交流には忙しいとか,免許が違うという問題もある。
  • 幼稚園は幼稚園で完結し,小学校は小学校で完結している。この状態を乗り越え,合同のカリキュラムをつくることが必要である。

審議の進め方等について

  • 複数の案を提示して国民に選んでもらうということをすべきである。
  • 教育課程部会の議論については首長にも問いかけるべきである。
  • 子どもからも,どのような内容を学校,家庭,地域がそれぞれ受け持つべきか聞くべきではないか。
  • 各教科等の専門部会で検討を進めるに当たって,教育課程部会としてこれまでの審議の蓄積を整理し,大きな枠組みを示す必要がある。
  • 教育課程部会として短期的に検討すべき課題と長期的に検討すべき内容を整理し,長期的に検討していく課題については,随時提案していけばよい。
  • DOを議論をするとき,目標がはっきりしないと議論が進まない。
  • 本部会では,かなり焦点をしぼって論議しなければならないと考えている。例えば,T・Tがいいかどうか,定着させるにはどういう方法があるかなどについて,ここで話し合っても,結論が得られるものではない。現場で行われているいろんな研究,研修,教育方法の研究などにかかわってきた大学の教員が全国にいるので,むしろ,そういう人たちの検討結果を踏まえて考えなければならない。国には,国の役割として論じるべきことがある。
  • 絞り込んで議論すべきで,本当に必要なところに必要な手を打つべきである。今は,授業についていけない子どもに絞り込んだ対策が求められている。
  • 大きな目標や方法論を掲げていたのでは,一般的には改善とは言わない。改善するためには,何がどうあるのかをもっと絞り込んでいかないと,現実には対策にはならない。
  • すぐにできないことでも意見として出し,すぐにできることとできないことに分けて処理するようにする。
  • 現在,小・中学校を念頭においた議論をしている。はぐくまれる生きる力が実社会に通じると考えるとき,高等学校や大学は飛ばしていいのかと思う。これらについての視点も必要である。
  • これまでの学習指導要領は,教科別にばらばらだった。横断的に考える必要があることは,各専門部会でも議論されており,各教科等の専門部会の主査,副主査による合同部会を開催することも考えられる。
  • 各教科等で身に付けさせたい基礎的・基本的な知識・技能等や各教科・総合的な学習の時間で身に付けさせたい力とを,教科等にどのように落とし込んでいくのかがこれからの課題になってくる。各教科で押さえていくべきものは何かを整理すべきである。
  • 中教審は大臣への答申をするというだけでなく,国民を教育するという開かれた機関になるべきである。
  • 中教審は中央集権をしたいと考えているわけではない。各市町村教育委員会にはかなりの自由度があるのに,その十分な権限や機能を知らないだけである。中教審は誤解を解くようにすべきである。
  • 一人一人の国民の人格形成と国家・社会の形成者としての資質の育成が教育の目的であることは,不易である。教育課程部会も,そのような観点から議論をするべきである。

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初等中等教育局教育課程課教育課程企画室

(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)

-- 登録:平成21年以前 --