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外国語教育は,聞くことや話すことなどの実践的コミュニケーション能力の基礎を養うことをねらいとしており,いわゆる文法訳読方式を中心とした教育内容では,このねらいを達成できない。
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現状においては,幼児期からテレビや音楽を通じて生の英語に触れる機会が身近になっていることも踏まえ,聞き取る能力が高いなど,柔軟な適応能力を有する小学校段階で音声やコミュニケーションに焦点を当てて英語教育を行った上で,文法などの論理的理解を図ることが効果的である。
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小学校における英語教育のアンケートにあるように,ネイティブスピーカー等の活用は重要であり,現在高校に配置されているALTを小学校に充て,さらに,ICT教材を充実することが必要である。また,大学の留学生を大幅に活用することも有効ではないか。
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中学生は,1年生の時は英語が好きだと答える生徒が多く,声も良く出ているのに対 し,3年生になると声が出なくなる。これは,オーラルコミュニケーションより文章の読み書きを重視する受験が悪影響を及ぼしていると考える。小学校で英語の導入を考えて,柔軟な時期に耳のトレーニングをすることはとても大事だが,このことを改善する手立てを講じなければ,小学校から英語教育を導入したとしても効果は上がらないだろう。
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小学校段階の英語教育において共通の目標や内容によるなどして共通する一定の素地を作ってほしい。特に,小学校段階の英語教育においては,外国人と接する態度,積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度を身に付け,英語のリズムに慣れるようなことを積み重ねてほしい。
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義務教育修了段階での到達目標を具体化することについては賛成である。中学校の教員も分かりやすいということで賛成するのではないか。公立学校の場合,あらゆる子どもが学ぶので,到達目標のレベルについては配慮してほしい。
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中学校において「言語・文化」の内容を新設することに関して,生徒の過重負担にならないように配慮すべきである。
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小学校段階から英語教育を考える上で,アジア諸国では相当高いレベルの英語教育が行われているという事実がある。将来,日本人とアジア諸国民との間の英語力の差が大きく離れてしまうことを憂慮している。
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例えばALTの数が少ないなどということばかり言われているが,根本的に日本人が英語を学ぶことは難しいということを認識する必要がある。
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教育課程実施状況調査において,語彙や文構造が身に付いていないなどの結果があるが,国語でも同じことが言えるのでないか,英語能力の獲得の上で,母語の獲得が重要である。
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これは小学校のときには英語やるべきではないといいうことを言っているのではなく,研究開発学校の例で,全学年で英語活動を行っている学校があるが,当該学校の学力調査において,算数や国語の点数が県の平均を上回ったという結果がある。
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授業時間数を論ずるのではなく,研究開発学校の事例なども踏まえ,小・中・高等学校においてどのようにバランスよく考えていくのかということが重要である。
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英語教育においては繰り返しや積み重ねが重要である。指導上の改善を行うとともに教育課程上幅をもたせるべきである。
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英語の場合には慣れることが重要であり,教材・教具を活用して英語に接する機会を充実する必要がある。
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中学校とのカリキュラムの接続を考えるに当たっては,具体の指導を考慮して,一定程度の連続性を確保する必要がある。このため,拠点校などにおける教員研修や講習会が重要である。
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小学校の英語教育の導入に当たっては,現状の教員では英語を話せないことを踏まえ,指導者の養成を徹底する必要がある。そのための条件整備はもとより,英語を含む外国語にしっかり取り組むことについて,多くの国民の世論を形成していくべきである。
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アジア各国を見ると小学校に英語を導入しているところが多い,日本がいつまでも導入できない状況はいけない。条件整備をきちんとした上で,あるいはしていく中でこれを成功させることが非常に大事である。
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高等学校は普通科と専門学科があり,また,普通科は学校による差が大きいことや,専門学科は専門による差が様々であることを踏まえると,高等学校修了段階でどこまでを共通として身に付けるのかをはっきりさせなければ,そこから下りてきた中学校について,改善を考えることは難しい。
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覚えなさいという授業の根底があることと,それをどう打ち破っていくかという英語の授業の新たな在り方を求めていく必要がある。
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英語や国語の学力は国民から分かりにくいが,英語が他国に比べ劣っているとの批判がある中で,反省点や課題を列挙し,考えていく必要がある。
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国語は家庭で補完できるが,英語について家庭教育や社会教育にどこまで期待するのか,あまり補完できないということを前提として,義務教育でどこまでやる必要があるのか,この点を議論すべきである。
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小学校における英語教育については,世間の受け止めとこの場での議論にギャップがあるのではないか。世間では小学校段階での導入により,ある程度英語を話すことができるようになるというイメージをもっているが,外国理解とかコミュニケーションへのバリアをとっていくということをやろうとしていることを周知する必要がある。
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中学生に求める水準が相当高すぎる気がする。基本は繰り返しだと思うが,どのように学習していけば英語が上達するのか,もう少し具体的に書く必要がある。
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各教科を通じて,発展的学習についての議論がない。伸びる部分をどう伸ばすかという発展をどう考えるのか。また,改善点や現状のままでよいかどうかということについてもっと触れるべきではないか。
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英語へのかかわりについて,昔は海外への赴任する人が英語を苦労して身に付けていたが,現在では国内にいても,外国からの実習者を受け入れる際,共通の言語は英語である。現実に海外から日本にきて働くということが今後増えると考えられる。そういう中で柔軟度のある若いときから学ぶ方が意義があると思う。
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英語については,中学校に入ってくる子どもの英語力も様々で,出口で必要な英語力も様々であり,いっそのことスキルの部分に関しては,徹底した習熟度別指導でもいいのではないか。
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補充的な学習,更に発展的な学習などを希望する子どもに対して,しっかりと授業を提供できるシステムを用意しておけば対応できる。
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小学校段階から英語教育を導入するとしても,中学校での目標・内容を現在より水準を高めるべきではない。
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現在の英語教育では文章をきちんと書くという鍛錬が全く行われていないといってもいいくらいである。基本的な語形を暗記させるなど,この点を英語でも重視していくべきではないか。
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授業を受ける学級の人数を少なくするべきである。その際,到達度別に分けることも考慮すべきである。
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英語教育を抜本的に変える必要がある。
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目標は現実的なものを示すべきである。例えば,国語であれば,漢字の配当表により,1年生はここからここまでということが決まっている。このような形で,英語について,基礎基本を考えた上で,例えば文法について,カリキュラムを作成できないか,また最終的には,英語だけでなく,国語や全教科を一枚のカリキュラム表に整理することができるのではないかと考えている。 |