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教育課程部会(第42回) 議事録

1.日時

平成18年7月24日(月曜日) 10時~13時

2.場所

フロラシオン青山 「ふじ」

3.議題

  1. 国語専門部会での審議について
  2. 生活・総合的な学習の時間専門部会での審議について
  3. 家庭、技術・家庭、情報専門部会での審議について
  4. その他

4.出席者

委員

 木村部会長、阿刀田委員、安彦委員、荒瀬委員、石田委員、市川委員、井上委員、植木委員、衞藤委員、陰山委員、高橋委員、田村委員、角田委員、渡久山委員、中嶋委員、中村委員、深谷委員、無藤委員、毛利委員

文部科学省

 結城事務次官、近藤文部科学審議官、布村初等中等教育担当審議官、常盤教育課程課長、合田教育課程企画室長、南野専門官
国立教育政策研究所
 惣脇教育課程研究センター長

オブザーバー

 鳥居会長

5.議事録

(1)事務局から配付資料の説明が行われた。

(2)国立教育政策研究所が実施した「特定の課題に関する調査」(国語、算数・数学)の概要について事務局より報告が行われた。

(3)国語専門部会における審議について事務局より説明が行われた。その後、国語専門部会における審議についての説明を踏まえ、質問及び意見が出された。主な意見等については以下のとおり。

○ 国語については、学習指導要領上、文法の記述が弱いのではないか。言語を考えるときは、語彙の問題とそれがどう組み合わさっていくのかを考慮する必要がある。従って、基本的な文法をいつ、どこで、どのようにきちんと定着させるのかを考える必要があるのではないか。このことは、小学校英語にもかかわってくることである。日本語、英語としての言語をきちんと理解させるには、文法をしっかりと指導することが重要である。

○ 言語の学習には、語彙の学習、文法の学習、社会的な場面でのコミュニケーションの3つの層がある。その場合、文法という意味で言えば、段落とか文章全体を構成するルールを身に付けるために、文と談話レベルの両方を組み合わせて学習する必要があるのではないか。また、実際の文章に即して様々な言語を使うルールを教える必要がある。その際、接続詞や助詞など、いくつかの鍵となる言葉を精選し、各学年ごとに段階的に教えていく必要があるのではないか。

○ 「読解力」、記述力の低下についての課題はこれまでも言われてきたことであるが、その改善の方向性として、目標・内容について、資料5-1、2ページの目標や内容に挙げられていることを行えば解決できると考えているのか。

○ 資料の目標・内容については、ご指摘のような課題に対応するために視点を新たに構成し、現行学習指導要領の内容を改善する方向で考え提案したものである。

○ 国語科にすべてを求めすぎているのではないか。国語科では、漢字や語彙、敬語、文法など、自分を表現し、他を理解するための技能とともに、国語に関する基礎的・基本的なことをきっちり教えこむことが必要である。

○ 国語については、母語教育としての位置付けを考えて、言語表現能力を学ばせる姿勢を一層強調すべきではないか。

○ 「国語」を「日本語」とすることで、外国語との比較がなされ、日本語のすばらしさを知ることができるようになる。「国語」ではなく、「日本語」と位置付ける発想の転換が必要ではないか。

○ 英語と国語のかかわりは大きいと認識しており、外国語専門部会でもその点について、意識して議論している。

○ 「国語」を「日本語」とすると、国際化の中で、日本語を相対化し真の国際化ができると考える。そういう観点から考えると、「国語」という語を用いることは適切なのだろうか。

○ 国語について、資料4では、「論理的に理解し、思考し表現する」とあり、資料5-1では、「国語を適切に表現し理解する」とある。「理解し、表現する」と「表現し、理解する」ではどちらが先であるのか。現行学習指導要領においては「表現し、理解する」となっているが、認識の順序として「理解し、表現する」の方が良いのではないか。

○ 資料5-1の現状には、「国語を尊重する態度を育てる」とあるが、目標・内容には「国語の尊重」という言葉は全く出てこない。ここでいう尊重とはどういうことを示唆しているのか。日本語は日本語として使い、表現し、理解していくものであるべきで、「尊重」という言葉により一つの価値観を認めているのかどうなのか。

○ 「読解力」の問題を各教科通して真剣に考える必要があるのではないか。その際、日本語の中におけるリテラシーのありようを大事にすべきであり、日本語の中におけるキー・コンピテンシーは何かということに視点を置いて考えていくべきである。

○ 古典には、「理解する」部分と「鑑賞する」部分がある。小中学校の教育課程を考える際には、それぞれを合わせて、「親しむ」とするのではなく、もっと具体的な言葉で表現し、具体的な教材で選んでいくという方向性がよいのではないか。

○ 古典の理解・鑑賞の段階では、読書指導が重要である。国語の時間だけで鑑賞までやるのは難しいため、図書館を活用して、子どもたちの自主的な学習活動の中に古典の鑑賞を入れていくことは大事である。

○ 義務教育として何を教えるかを考えたとき、教えたいことが最終的に子どもに伝わり、それによって子どもが具体的に変わることが重要である。

○ 目標・内容は、具体的にイメージできるものである必要がある。教師自身があいまいであれば、子どもに対しても伝わらない。実社会で使えるように訓練するなかで、何が大事なのかを理解してくる。子どもたちに分かりやすいように、もっと具体化していくべきである。

○ 現場の中で、どれだけ具体例を子どもたちに見せるかが重要である。勉強の目的は、成績を上げるためだけではなく、社会で生きていくためであるということ。学校において、例えば、敬語の使い方では、校長先生と教師の会話を生徒に見せながら学ぶとか、実生活で使う状況を各教科、特に国語について入れていくことが必要ではないか。

○ 言語活用能力は、受け取る力、考える力、判断する力、表現する力という順番で構成されていると思う。考えて判断するときには、自分一人で考えたり、いろいろな人と話し合って考えたり試行錯誤した上で判断し、表現する。したがって、「理解して表現する」という順をきちんと押さえることが必要である。その際には、発達段階に応じて、受け取り方、考え方、判断の仕方、表現の仕方の型を指導することも重要であり、それが自由な想像力につながると考える。

○ 「論理」には、答えがある。しかし、「思い」には答えがない。その「思い」が事実に基づいた「思い」か、誤解を基に陥った「思い」かというところまで踏み込んでいかないと、言語活用能力はなかなか身に付かないのではないか。

○ 今後の目標として、言語活用能力と言語文化の継承・発展・創造の2つがある。

○ 言語活用能力を身に付けるには、国語だけでは完結しない。各教科からの支援が必要であり、各教科の相乗効果を期待しなければならない。

○ 各種調査結果から出された改善の方向を踏まえて、議論を進めていくべきである。

○ 教材の選定については、しっかり考えていく必要がある。

○ 国語は、小学校低学年から学校で習うとともに実生活や家庭、社会の中で使っている。小学校では、これを教えるけれども、家庭、マスコミなどに対しては、こういうことをやってほしいと発信することが必要ではないか。

○ 教材の選定は大きな問題である。国語については、教科書によって教材が異なる。だれもが知っている教材であれば、家族で論じ合うこともできるのではないか。日本全体として文化の継承を考えたとき、また、子どもに教わった力が定着しているかどうかを考えたとき、最低限必要と考えられる教材として、共通教材を考えていく必要があるのではないか。

○ 現行学習指導要領では、言語活動に関する事項が、ばらばらに示されている。例えば、これを総則で「国語力の育成」と位置付けることが有効ではないか。国語力育成のための年間指導計画を各学校が作成することになり、各学校の実態に応じた取組が推進されると考える。

○ 言語活動の中で方言を考えることは大事である。

○ 国語能力の活性化のため、小・中・高等学校では図書館を中心に読書を広めていくことが重要である。

○ 日本の国語教育では、文学教育が強すぎるのではないか。文学以外にも美しい日本語で書かれた文献は多数あり、そういったものを活用すべきである。また、義務教育で手紙の書き方など実用的な日本語をしっかり教えるべきである。

○ 方言の取り扱いは、文科省でやるのは難しいため、地方が、地域の方言を活性化させる観点から考えるべきことである。

○ 敬語については、今後の国語分科会での整理を踏まえて、考えていく必要がある。

○ 「国語」か「日本語」かということについては、過去の議論を踏まえる必要がある。

○ 資料1の3ページからも分かるように、漢字が日常生活に必要と考える子どもは、90パーセントいる。一方、文章を書くことについては、重要と考える子どもの数は減少する。この点を踏まえると、子どもたちが好きと考える漢字の学習を中心に授業を展開することも考えられるのではないか。

(4)生活・総合的な学習の時間専門部会における審議について事務局より説明が行われた。その後、生活・総合的な学習の時間専門部会における審議についての説明を踏まえ、質問及び意見が出された。主な意見等については以下のとおり。

○  総合的な学習の時間について、目標としては、教科横断的な学力の育成であり、方法としては、体験的・総合的活動を行うという2つのことを明確に打ち出した方が良いのではないか。さらに、各教育課題を例示する際に、教科との関連を明確にすることを加えた方が良いのではないか。

○ 生活科について、幼児教育との連携の視点として、子どもたちがグループで共通の目標を持ち協力しながら行動する「協同的な学び」を取り入れてほしい。

○ 小学校の国語教育が、幼児期までの話し言葉の基本を書き言葉に変換することであるとするならば、小学校初期の国語教育においては、幼児教育とのつながりを考える必要がある。

○ 総合的な学習の時間について、活動のねらいがどういうものか、また、どのような活動が典型的かということを現場に伝えていく必要があるのではないか。

○ 総合的な学習の時間の基本として、1つ目は、総合的・横断的な学習であること、2つ目は、自ら課題を設定して、それを体験的・探究的に行っていくことである。さらに、それらに加えて、資料の集め方やまとめ方、分析の仕方など、追究するための方法論を教えていくことが必要ではないか。

○ 総合的な学習の時間には、自分の知識を総動員して探究するという側面と、生活科からのつながりとして教科ごとには分かれていない未分化な状態での体験活動を通して下地を育てるという側面がある。この体験と探究についてバランスを保ち、発達段階を踏まえて、うまく組み合わせていくことが必要ではないか。

○ 総合的な学習の時間のイメージを整理し、事例を増やしていくことが必要ではないか。

○ 現場では、学校差や教師による個人差が大きい。このため事例を集めて提供するという方向性は良い。

○ 総合的な学習の時間は、学習指導要領の総則の中にあるためわかりにくい。できれば、章立てにするなど、特出した方が現場はわかりやすいのではないか。また、授業の責任者を決めるなどの方策も必要ではないか。

○ 総合的な学習の時間と生活科との関係について、相互を関係付けるとするのかしないのか、どちらにせよ明確にすべきと考える。

○ 総合的な学習の時間については、例示として、今日的課題を示している。これを義務教育の間に子どもに問題として認識させておくべきという観点から、今日的課題の取扱いを考える必要がある。

○ 小学校低学年段階では、子ども自身が、体験的に、興味、関心を中心に総合化していく学習でよいが、小学校高学年、中学校段階になったら、ある程度総合化された内容を持った学習を行うなど、それぞれの段階で重点を決める必要があるのではないか。

○ 総合的な学習の時間については、横断的な例をあまり見ない。中学や高校では、教科担任制からすると、横断的な学習ならばやりやすいはずである。具体的に実施できるレベルや可能性を現場の裁量として認めているのだから、もう少し幅広く工夫していくべきではないか。

○ 生活科について、教師が、3つの目標を持ってもらいたい。1つ目は、道徳的な感覚で、どんな人も平等だという「人間感覚」、2つ目は、人間は、自然に手を加える場合慎重にしないと取り返しのつかないことになるという「自然感覚」、3つ目は、社会は人間がいくらでも手を加えよりよいものにできるという「社会感覚」である。そのためには、教材等もしっかり考えていく必要がある。

○ 日本の今の学校教育の中では、教科の系統性だけがあって、リテラシーやキー・コンピテンシーがほとんどない。教科の中で、応用力をつけたり、あるいは生きる力をつけるような指導ができるようになっていないところに問題があるのではないか。

○ 総合的な学習の時間は環境・平和・国際・福祉に収斂しつつある。ねらいを明確化しすぎていくことによって、逆に教科化しているのではないか。

○ 総合的な学習の時間において、地域に出て、地域での実際の生活を体験するというのは、今まで学校では十分できなかったことであり、成果と言えるのではないか。一方、今以上に地域に出て学習することが増えると、財政的な問題や教師がさらに多忙になることから人的な問題が起こってくる。これらを考えていく必要があるのではないか。

○ 総合的な学習の時間で言われている「横断的」ということは、教科間の横断だけでなく、異学年の横断ということも考えていく必要があるのではないか。

○ 生活科などにおいて、幼稚園の立場と小学校の立場、それぞれにおいて、連携がしやすいように、幼稚園教育要領と小学校学習指導要領の関係を研究すべきである。

○ 総合的な学習の時間において、新しく出てきた課題として、小中一貫や中高一貫、あるいは、幼小連携があるが、このような縦の横断ということも考えて内容あるものにしていく必要があるのではないか。

○ 総合的な学習の時間を設けたことは非常に価値がある。今後は、さらに議論をすすめ、内容を充実させていくべきである。

○ 幼小連携を考える際には、幼稚園ばかりでなく保育園も考える必要がある。

○ 生活科は、幼稚園や保育園での遊び中心から小学校における教科学習への円滑な移行を図るため、社会科と理科の合科的な内容として発足したものであり、教科横断的にあらゆる教科に及ぶ総合的な学習の時間とは性質を異にするものではないか。

○ 幼児教育との連携については、平成18年10月より認定子ども園の発足により、幼稚園と保育園両方の連携が図られると思うので、そういう点を配慮して、学習指導要領などとの関連も十分に検討していくべきではないか。

○ 総合的な学習の時間が始まって4年が経過したことから、ねらいが達成されている地域、学校とそうでないところの分析を行い、情報提供をしていく必要があるのではないか。

○ 総合的な学習の時間は校長や教務主任が中心となって教育内容を設定するなど、学校全体として取組むべきである。

○ 国語については、「国語を適切に活用する能力を育てる」など、目標を具体的に示すべきである。

○ 生活科について、気づきや関心だけに終わるのではなく、生活の中で身の回りのものと関連させて、「なぜ」と考える習慣をつけることが重要である。

○ 総合的な学習の時間については、ねらいの明確化が必要である。その際、学年段階を踏まえて、系統的な学び方や目的を与えていくべきではないか。

○ 生活科や総合的な学習の時間においては、子どもの自由な思考、多様性に対応する教師の力が必要である。

○ 特定課題に関する調査の「書き」の結果をみると、4分の1の児童が個別指導が必要な状態であるが、この子ども達のための指導の時間が確保できないところに教師の悩みがある。

○ 総合的な学習の時間の推進を考えていく上で、カリキュラムの問題と教材の問題は丁寧に考えるべきである。

○ 総合的な学習の時間を現場に任せてしまうと、あれこれとやるべきことが多い中で矛盾が生じてくる。学習指導要領全体として、教科内容の確実な定着と、それを踏まえた教科横断的な学習の観点から、総合的な学習の時間の在り方を再度精査して、現場にどこまで委ねるのか、現場に即した提案をしていくことが重要である。

○ 総合的な学習の時間のねらいについて、研究協議会等において、テーマとして取り上げ研究を行うなど、中学校長の多くは賛成している。

○ 基礎・基本の定着のため、必修教科を重視することと、総合的な学習の時間の現行の授業数とのバランスを考えていくべきではないか。そのため、育てたい力を明確にして、内容を整理する必要がある。

○ 中学校において、仕事や将来を考える学習を例示に加えることには賛成である。また、各学校が指導計画を作成する際に、日数や時数については、各学校や地域の実情に応じて裁量に委ねる方向で検討していくべきではないか。

○ 高等学校の立場から、総合的な学習の時間は、教科を超えて様々な教科の教師が集まって相談し、生徒に身に付けさせたい力や学校としての課題が明らかになるなど良い点がある。つまり、総合的な学習の時間に取り組むことにより、各教科の何が弱いのかが見えてくる。その際、生徒個々、あるいは学校の取り組みに対する評価を考えることが重要である。

○ 国語について、高等学校の科目構成に関しては、案1も案2も両方とも活かし、総合的にやったり、個別にやったり、どちらもできるようにすべきではないか。

○ 総合的な学習の時間は重要であるが、単元構想の経験がないなどにより、教師の力量によって指導に差がある。このため、ねらいに即した単元構想や実践事例を出していく必要があるのではないか。

(5)家庭、技術・家庭、情報専門部会における審議について、事務局より説明が行われた。なお、質問及び意見については次回に持ち越されることとなった。

(6)最後に、事務局から今後の予定について説明があり、閉会となった。

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課教育課程企画室

(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)

-- 登録:平成21年以前 --