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教育課程部会(第37回) 議事録

1.日時

平成18年2月8日(水曜日) 13時~15時

2.場所

グランドアーク半蔵門 「富士」

3.議題

  1. 教育課程部会におけるこれまでの審議の整理について
  2. その他

4.出席者

委員

 木村部会長、梶田副部会長、赤田委員、阿刀田委員、安彦委員、荒瀬委員、井上委員、植木委員、宇佐美委員、大橋委員、加藤委員、角田委員、渡久山委員、中嶋委員、中村委員、深谷委員、無藤委員

文部科学省

 結城事務次官、銭谷初等中等教育局長、樋口政策評価審議官、板東官房審議官、山中初等中等教育担当審議官、布村初等中等教育担当審議官、常盤教育課程課長、板良敷視学官、大杉視学官、小串視学官、宍戸視学官、田中視学官、平田視学官、廣瀬視学官、宮川視学官、室井視学官、合田教育課程企画室長、南野教育課程企画室専門官、吉冨学校教育官
国立教育政策研究所
 惣脇教育課程研究センター長

5.議事録

(1)事務局から、文部科学省の人事異動に伴う紹介に引き続き、配付資料の確認、配付資料の説明が行われ、資料2の審議経過報告(素案)について自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○=委員、△=事務局)

委員
 Plan・Do・Check・Actionは審議経過報告全体を通じての大きな特徴であるので、ぜひ進めていただきたい。Plan・Do・Check・Actionは国や県、市区町村、学校、教員レベルで、うまくかみ合うことが重要である。目標の立て方については、10年先、20年先の日本の在り方などを視野に入れた長期的な観点からの目標や、量的だけでなく、質的、定性的に表せる目標なども、教育においては評価対象になり得るのではないか。
 全体で種々提言があるが、それを裏打ちするための情報提供その他の基盤整備が非常に重要である。全国種々方々で行われている優れた教育を、横に展開する力があれば全体のレベルが上がる。そういうものをどうやって広めるのかをもっと具体化していく必要があるのではないか。例えば、広報の在り方、人事異動、表彰などは横に展開する有力な手段であり、具体化をさらに進めていく必要がある。研修は教員の意識を変えるものである。よいものはどんどん取り入れようとする意識をどのようにつくっていくかが問題である。
 学校現場の効率化を、基盤整備の一環としてぜひ入れていただきたい。そのためには、例えば教員の職務分析を行ったり、専任部署を設置したりすることが大切になる。また、国や県、市区町村、個々の学校は何をすべきか、責任や権限をもう少し明確にしていけば、一層の効率化になる。現場の創意工夫を引き出すためにも、どこが責任を持ち、どこが遂行するのかをはっきりとさせた組織、責任や権限が明確化された組織が、学校現場の効率化に役立つのではないか。
 基盤整備の一環として、キャリア教育は、企業の働きかけが重要である。実際に学生の7割から8割は企業人になることから、学生との相互関係を企業サイドでもつくっていく必要があるし、つくるよう呼びかけるべきではないかと思う。
 海外勤務経験者には小学校段階の英語を、ものづくりの体験者やエンジニアが実践的な理数を教えることができるし、情報処理分野についてもそういう人材がかなりいることを認識しているので、こうした企業人を十分に活用していただけるのではないかと思う。そういう意味では基盤整備の充実として、学校界と経済界の結びつきを密にしていく必要があるのではないか。

委員
 現行学習指導要領では学習内容が削減された。その後、「学びのすすめ」を出し、発展的な学習を行ってもよいとした。次の学習指導要領の改訂では、その両方を加味した形の内容を取り入れていただきたい。
 新しい国際関係ということで、国際貢献、あるいは国際的な競争力と書かれているが、国際平和に積極的に寄与する人材や共生社会という概念について、記述が不十分である。新しい日本人を育てるため、発展的、進歩的な考え方を取り入れていく必要がある。
 授業時数の見直しについて、現行の標準授業時数をきちんと守ろうとすれば、学校の創意工夫はほとんどできないのが実態である。市区町村や学校の裁量が生かせるように弾力的に考えていただきたい。それが学校活性化につながるのではないかと思う。
 現在、日本の義務教育段階の問題は条件整備である。財政的な裏付けをどうするかを真剣に考えてる必要がある。
 現在の学校の体制での部活動の意味を十分考えて、現状でよいかどうか、積極的かつ具体的な検討をしていただきたい。

委員
 豊かな財政を持っているところは、例えば英語教育を十分行うことができるなど、教育と財政の関わりは非常に大きい。教育財政が文部科学省に残ったので、教育内容や教育財政に関し、文部科学省はもっと指導性を持つべきである。規制緩和、地方分権という流れがあるが、教育の根幹としては、譲れないという一線をきちんと出していただきたい。
 学習指導要領の大綱化や弾力化はどうなるのか。調査によると、教員はあまり学習指導要領を重視していないという結果がある。学習指導要領は教育の根幹として遵守すべきものである。そういう意味で、文部科学省の指導により、国全体の教育の質を保証するならば、これは譲れないという目標の明確化が必要である。
 学力調査は国語と算数で行われ、部活動や音楽、絵画などは学校評価の中で評価されているが、この点についてもう少し記述していただきたい。学力だけでなく、体力や情緒的な力を重視することで、競争に陥らなくなる評価方法をぜひ考えていただきたい。

委員
 質の保証という観点で、相対的な質の保証をしようとすることはわかるが、子どもたち個々人の質の保証という観点をもう少し色濃く出してもよいのではないか。例えば、小学校の教員はクラスを総体として、こうなればよいと考えるのではなく、個人が持つ力を伸ばす保証も重要である。
 現場主義と言っているが、教員は何をどうするればよいかわからないと思う。習熟度別の学級編制や少人数教育を行うことによって、個人の質の向上を図ることができるという観点が必要なのではないか。
 IT化時代における学校の図書室をどのように位置付けるかが大切になってくる。蔵書数が極めて少ない学校図書館が、今後の情報の拠点として機能するのか。ITを利用した市区町村の図書館との連携や学校間での図書室の連携などが考えられるが、学校教育の中で図書室をどのように位置付けるのかを考えなければならない。
 学校評価に関し、学力だけが評価の観点ではない。部活動など様々な観点で評価をすべきであると思う。校長は学校経営能力があるのかどうかを評価しようという動きがあるが、これは校長の能力評価であって学校評価とは別のものである。こういう観点で見ると、評価の中には学力だけでなく違う要素も加味する観点もぜひ入れていただきたい。

委員
 現行の各教科や総合的な学習の時間の授業時数はかなりぎりぎりの状態である。従って、国として学習指導要領を定めた上で、それを確実に習得するために最低限必要とされる時数として見た方がよい。その部分まで弾力的にして減らすこともできるという扱いにすると、かなり問題が大きくなるのではないか。このような規定は、国として責任を持って人材を育成することの表れと理解しているが、自治体ごとにそれを変えてよいということになると、その目的が実現できないと考える。
 一方、地域に即して考えるべき学習の内容や方法は、体験的な活動を中心としたものや、地域人材を活用したものであり、それを拡充する必要がある。また、子どもの学力その他の水準に地域差もあるので、学校によっては補習的な学習を組み入れることを弾力化すべきである。
 到達目標の明確化については、本部会での議論が少ないような気がする。現在、学校では目標準拠評価が行われ、目標が達成できない場合には、更なる指導を補う方向が打ち出されている。それを一層強化していく必要があるのではないか。そういう意味では、子どもたち個々の学習内容の習得状況を目標に準拠して評価し、達成できていない場合には、補習等で進めることが必要である。しかし、そのことは反復的な学習には限らず、様々な教育目標に応じて補っていくことが大事である。これまで学習指導要領の改訂が終わった後に、学習指導要領その他の教育評価が行われているが、教育課程部会では、教育評価や学校評価よりも個別のクラスや子どもの評価にも踏み込んだほうがよいのではないか。

委員
 47都道府県の学校教育の質の保証を考えると、学校教育を幼・小・中・高等学校まで入った概念として押さえた上で、義務教育を位置付けていただきたい。
 資料2-2、48ページの到達目標について、教育課程企画特別部会の議論では学習指導要領そのものに細かく到達目標を書くことはしないという意見が多かった。仮に細かく学習指導要領書に書かれるのであれば、外から見た場合、規制緩和の流れに反して規制を強めるような懸念を生み出す。到達目標をつくってもよいが、きめ細かく決めるのは別の記述などを工夫してアプローチしたほうがよいのではないか。
 現場主義とこれだけはっきりと書くと、教員の力量をきちんと育てなければならなくなる。そうなると、ある程度の時間が必要になることには配慮しなければならない。モデルのない時代であるから、自分たちで様々な試みをして、失敗をしながら経験をし、その中でよいものを選んだり、見つけたりする経験主義の時代に入っているという認識を持っていただきたい。
 教育評価については、幼稚園や高等学校の場合、アカウンタビリティーの観点からいえばいろいろ出てくると思う。そういう観点からすると、学力調査だけではなく、もっと別なものも含めた複数の調査で教育評価を行わなければならないことを明確にしておいていただきたい。

委員
 小学校6年と中学校3年で国語、算数・数学について全国的な学力調査が行われるのは、まさに義務教育についての質の保証を全国的な観点から行うということを言っていると思う。それだけに、全国的な学力調査を行う場合、学校間の序列化や過度な競争等が一切起こらないよう、十分な配慮のもとに実施していただきたい。
 審議経過報告に「教育成果の適切な評価は、教育活動へフィードバックされ教育の質の向上が図られることに重要な意味がある」と書かれているように、全国的な学力調査は、全国的な成果や各学校の問題、課題を見つけるためのものである。それによって我が国の義務教育の水準をさらに維持向上させていく大きな新しいシステムになるので、是非進めていただきたい。それとともに、学校でどういうことが行われているかわからないという保護者や国民に対する説明責任を果たすという意味でも必要である。

委員
 全国的な学力調査が行われるが、学力というのは国語と算数だけではない。学習指導要領では「生きる力」をはぐくむと言っているので、これを調査するのであれば、理解度や知的学力の調査であることがわかるようにするべきである。
 アウトカムとして国が行うことは大事なことだと思うが、指導方法の改善に向けた手がかりを得ることが大切である。学校間の序列化や過度な競争につながらないよう、専門家会議で十分検討していただきたい。学力調査を小学校6年と中学校3年の国語と算数・数学について行われるということだが、実施学年時期が大きな問題になってくると思う。小学校が修了する段階の6年で調査をすると、一体フィードバックするとなるとどこでやるのかということが問題になるので、結局は中学校でそれを行わなくてはならなくなる。そうすると、6年の早い時期に実施し、5年終了までの力を見て、足りない部分をフィードバックしたり、指導方法の改善に役立てたりするのであれば、その校種の中でできるわけである。このことは、中学校でも同じことが言えるので、時期を明確にしなければならないと思う。
 現場主義というと、子どもの学力低下は教員の指導力の低下と結びつけられる可能性がある。教員の指導力の指導レベルを向上させるため、必須の研修が行われている。その必須の研修の充実や個人的に研究をする研究機関の充実など、条件整備の問題が非常に重要になってくる。全国的な研究機関が各都道府県の研修所に少なくなっていることから、教員が研究や、研修を行うことができるシステムを考えていく必要がある。
 学習指導要領の評価も学校評価以上に考えなければならない。学校週5日制や授業時数の問題は、教師の力の及ばないところで課題に挙げられている。従って、教育課程部会では、現行の学習指導要領に基づく教育がどうだったのかという大きな視点での評価が必要である。

委員
 「生きる力」のうち、「確かな学力」と「豊かな心」に関しては、なぜそれが大事なのかが書かれているが、「健やかな体」については書かれていない。心と体がともに成長するという視点が弱い。スポーツ・青少年分科会の基本的な考え方の中で、心と体の相伴った成長を促すということが言われている。その意義は、青少年期は体を動かすことでの達成感や喜び、悔しさなどを感じて心が動き、心と体が一体となって成長するということである。
 体を動かすことは身体的な能力を高めるだけではなく、情緒や知能などあらゆる機能を伸ばすことにつながるので、心と体の部分を入れていただきたい。

委員
 議論のポイントは、各教員や各教科間の縦割りの意識を排除し、協力体制を築くことである。そのためには親や子どもたちの理解を得ることが必要である。
 この報告書を読むのは国民であるが、これだけの文章をいくらまとめても、内容を読むのは難しい。そこで、イメージ案を付けて全体像を示すことができないかと考える。イメージ案は家庭、地域、学校の役割分担がよくわかる。
 ものづくりの心は非常に重要な観点だと思う。ものづくりを直接学ぶ教科だけではなく、すべての教科で育んでいけるような視点をぜひ入れていただきたい。

委員
 英語教育について、外国語専門部会では今年度中に、小学校段階での英語教育に検討内容をまとめ、報告したいと考えている。
 幼稚園教育と幼児教育を使い分けているのであれば、その理由を尋ねたい。幼稚園教育で、道徳性の芽生えに関してはこれでよいと思う。幼児教育で一番大事なのは感性や情操教育であると思う。幼稚園教育、あるいは幼児教育を入れるに際しては、そういう文言で補っていただきたい。

委員
 幼稚園教育と幼児教育は意図的に使い分けている。幼稚園教育はもちろん幼稚園における教育で、幼稚園というのは学校教育の幼・小・中・高のひとつである幼稚園を指すわけである。これに対して、幼児教育部会から1年ほど前に出された中央教育審議会報告では、幼児教育という表現を使っている。そこでは、幼児教育等施設ということで、幼稚園と保育園とあわせて考えようということと、幼稚園などでの教育と家庭や地域での教育をあわせて全体として幼児教育として考えようという趣旨で示されている。そういう意味で、幼稚園教育という表現を意図的に使う場合は、学校教育という枠でいった幼稚園なのである。もう少し広く考えると、当然保育園や家庭教育も含めるので、今、幼児教育としている。

委員
 学校教育の質の保証のためのシステムの構築という項目があるが、内容としてシステムについての記述が弱いのではないか。
 学習指導要領の改訂はいつ行われるのか。今から5年後に改訂がなされるとすると、社会も変化し、学習指導要領と実態とのひずみが出るのではないかと危惧する。
 今や世の中は学力一辺倒に見えてならない。学習指導要領の改訂の時期を見据えて考える必要がある。また、基礎・基本と考える力にしっかりと軸足を置くことが必要である
 英語教育は小学校を含めて、今後どういうふうに変えなければいけないのか。日本の教科書は全然変わっていないという指摘もある。例えば、“This is a pen.”という同じフレーズを繰り返すことになると、英語への興味を失わせることになるのではないかと思う。
 最後に、体験は大変大事だと思う。しかし、よく考えておかなければならないことは、学校現場は喜んで体験学習に取り組むが、他の授業時間を犠牲にする確率が高いということである。

委員
 言葉や体験の重視が明記されているのは大変よいことであると思っている。言語活用能力には、日本語はもちろんのこと、英語や数学など記号化されたものを含めて言語活用能力というように広い捉え方をする必要があると。
 2点目は資料2-1の15ページ、確かな学力の育成の2つ目の「○」印に、習得型の教育と探究型の教育の両方を総合的に育成するとある。これもずっと議論のあるところで、習得型の教育をしていると詰め込みだと言われ、探究型の教育をしているとゆとりだと言われ、相反する形になっているときに、総合という言葉が出てきたのかもしれないが、習得型の教育も探究型の教育もともに必要であると思う。総合的に言うと、相乗的に重要視して、育成していくことが必要なのではないか。その意味で、それらを含めて学力であるから、その学力が調査できるような学力調査でなければならない。単に知識のみを問うような学力調査にならないようにしなければならない。
 高等学校は多様化しており、義務教育段階までで一定程度力をつけても、一層個性を伸張させていくという面が強くなっていくと思う。そのときに必要なのは多様な価値が国民全体に共有されているのかどうかということである。大学に数多い合格者を出す学校やスポーツで全国を制覇する学校は、それはそれでよいことであるが、それだけではなく、高等学校はそれぞれ個性を持つ必要がある。そうしないと、魅力のある高等学校教育がつくれないのではないかと思う。
 最後に、義務教育では、教育委員会が校長に権限を委譲して、校長の権限を強化し、仕事を精査するとともに、学校の特徴をもっと発揮できるようにする必要がある。

委員
 教育は100年の大計であり、軽々に基礎・基本は変えるべきではない。また、現場主義をとることが重要であると考える。
 審議経過報告には不易の部分があまり表現されていないと思う。学校は昔から変わらず、知、徳、体の育成に取り組んできた。大体において、日本の教育は素晴らしかったと言える。今の状況を肯定することも書くべきである。
 様々なレベルの学校があるので、教員のバイブルになるのは学習指導要領である。それをどのようにして子どもに伝えるかは現場に任せるべきである。最低限ここまではこの時数で行いなさいというナショナルミニマムをきちんと出していただきたいと思う。

委員
 教育課程部会において、教育課程の構造を明確化することが理念を実現する基本的な手立てとなるのではないかという考えのもと、教育課程部会が検討している基本的な方向が経過報告に書いてある。理念が何であるかは推測できるが明確になっていないところがある。教育基本法には教育の目的、目標があり、どちらかというと理念を実現するよりは学校教育の目的を実現するのが学校ではないかという点から言うと、理念を実現するためにと書いてあるが、表現はこれでよいのかどうか、さらに検討すべきと思う。
 資料2-1、22ページ、平成8年の中央教育審議会答申以来ずっと議題になっている少子・高齢化社会は、家庭や学校現場、地域社会全体に影響を与えている。従って、少子化を視野に入れた議論をしたことを明確に示すべきではないか。
 資料2-1、22ページ、3つ目の「○」で、「このような教育を通じて民主社会、経済社会」とあるが、民主社会ではなく民主主義社会ではないか。
 教育条件の整備は重要である。予算や人が削減される中、学校教育の基盤整備に力を入れることを書いておくべきではないか。

委員
 資料2-1、5ページに学校教育の目的とある。学習指導要領はそれぞれの学校種別につくっているので、学校教育の目的もとすれば、義務教育を小・中・高でやってよいのではないか。
 義務教育という言葉と学校教育という言葉が混在している。今後これをどういう観点で整理するか考えなければならない。また、幼児教育と表現するのであれば、初等教育や中等教育と表現しなければならないので、厳密に表現する場合なら配慮したほうがよいのではないか。
 教師と教職員という言葉が混在している。学校の中には教師だけでなく職員も入って、協力、共同の関係で学校経営、運営がなされている。この実態に鑑み、教職員という言葉に変えたほうがよいのではないか。
PlanやSeeは国においてのみなされるものではない。地域における教育としてのPlanもあるし、学校の自己評価というSeeもある。幅広い考え方で記述したり、整理したりしたほうがよいのではないかと思う。
 学校現場や市区町村の裁量権を拡大する場合、都道府県が決める管理規則について考える必要がある。

委員
 Plan・Do・Check・Actionは国だけでなく、県や市、各学校、教員などそれぞれの段階できちんと実施する必要がある。それから教育と実社会との結びつきが従来以上に強まって記載されていると感じた。
 中身が多くあり過ぎるが、誰がいつやるのかは今後議論すべきところである。「人間力」が強調されているが、「生きる力」とどこがどう違うのか。新しい概念なのか、あるいはそれを包括する概念なのか、どうもはっきりしない。社会の側に立ったときの言葉の解釈はできるが、「人間力」はあるか、ないかで判断できるのか。「人間力」がないという話になると人格否定ともとれるような印象を受ける。
 コミュニケーション力の重要性が記載されているが、これはコミュニケーション能力ではないか。教師力や学校力など○○力という表現が多過ぎて、内容がよくわからない。読書やまとめ、議論などによりコミュニケーション能力が養われるのではないかと思う。
 本報告書全体を読んで、話し合う、議論するという要素が少ないのではないかと感じる。個々人の能力向上に重点が置かれているように見えるが、学校という集団の場での集団生活のよさや集団生活を通じての社会的なマナー、倫理観が養われることも書く必要がある。
 倫理観を身に付けることは教育の重要な要素である。倫理観について、子どもの社会的自立の推進の項目に入っているが、むしろ公民の項目の中に入れた方がよいのではないか。倫理観とどのような関係に立つかは分からないが、遵法精神と倫理をしっかりとした項目として言及すべきである。
 少子化社会を考えると、出産や育児の大切さについての記述も必要な項目ではないかと思う。
 学校週5日制における土曜日の有効活用のために、各企業が学習やボランティア活動などに様々なメニューを準備し、それに参画した人の成長を評価する取組も必要ではないかと思う。

委員
 国際競争という側面ばかりではなく、共生や平和など国際協調ということがますます必要になってくる。そういう意味で、8ページ、2行目の文明の共存の後あたりに、国際協調の重要性についても記述すべきではないか。
 質の問題について受け身で覚えるだけの学習ではなく、使うという点で授業の質を活用に重点を置いた授業に変えていく必要があることを記述すべきである。
 社会的な少子化の問題等も含めて考えたとき、極端に言えば、子どもの教育を外注しているような現状があり、子どもは、親や地域の大人に対して教育してほしいと求めている部分がある。家庭や社会に対する子どもたちへの見方をよくしていく意味でも、地域や家庭が、それぞれの教育的な関心を強く持っていくべきである。
 一方、社会教育から家庭に改善を呼びかけても難しい面があるので、家庭科の内容の改善に際して、家庭の持っている意味や価値を教え、私たち男女の家庭の見方を少し変える必要があるのではないかと思う。専門部会において、このような観点の議論が必要なのではないか。
 最後に、行政のあり方の改善ということで、今後、現場主義も含めて分権化が進むとなれば、地方教育委員会へ向けて今後どのような姿勢でやっていくのかということを伝えるべきではないか。

委員
 小学校段階の外国語教育、特に英語教育導入については、慎重に議論していただきたい。今の若い人を見ると、昔に比べ国語力は低下したが、英語力はずいぶん伸びた。このような状況を考えると国語力をきちんとする方が大事なのではないか。
 日本や日本文化は大変特別な発達をしてきた文化で、フランスやドイツと比べようがない。フランス人やドイツ人は英語を同じ言語のように話す。日本語は言葉の音が極端に少ない言語であるので、音のたくさんある言語を理解するのは不利である。この点について本質的な弱点を持っている。
 日本人の読む力について、大学を出ている人なら読むことに関して相当な力を持っており、これを培ってきたことは大きい。読む力を培うという根底の中から私たちは外国文化を取り入れてきたという伝統は非常に重要なことで、読むこと中心であった英語教育は丸っきり間違っていたとは思わない。
 早期からの英語教育については、今までの日本の英語教育の弱点と長所をよく考えるべきである。英語教育を初等中等教育で取り入れるならば、言語教育の一貫として大きな流れの中で位置づけることが大切なのではないかと思う。

委員
 社会の変化として、マスコミの問題点を入れてもよいのではないか。思想や言論の自由はあるが、典型的なことを言うと、性教育は本当にどうやればよいのか。少女コミックの内容にはひどいものがある。
 だれがどこで子育てを教えるのか。子育てについて何も習っておらず、結婚して子どもができて、しつけなどをどうしていくのか。そして、介護について、だれがどこでどうして教えるのか。きれいごとでは済まない。教科ごとではなく、系統的に考えていく必要がある。
 現場主義の重視は結構であるが、それが始まる前に補完してやっておくことはないのか。例えば、現在の人事は3年ごとに異動するようなこともあるが、その在り方については、各教育委員会が考えておくべきである。教員の資質向上も難しい問題である。

委員
 本日出された意見の中に体力や情緒力の増進をはかるべきであるとの意見もあったが、そのようなことは審議経過報告にも盛られており、学力一辺倒にはなっていないと考える。
 「生きる力」と「人間力」について、「生きる力」は過去の中教審答申における定義として、いわゆる知・徳・体からなっていることをはっきり定義しているがゆえに意味が若干狭い。これに対して「人間力」は、さらに、生活習慣や社会への順応性を含めて広く捉えようとするものである。

(2)事務局より今後の日程について説明があり、閉会となった。

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課教育課程企画室

(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)

-- 登録:平成21年以前 --