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教育課程部会(第36回) 議事録

1.日時

平成18年1月31日(火曜日) 9時30分~11時30分

2.場所

丸の内東京會舘 「ロイヤルルーム」

3.議題

  1. 教育課程部会におけるこれまでの審議の整理について
  2. その他

4.出席者

委員

 木村部会長、梶田副部会長、浅利委員、阿刀田委員、安彦委員、荒瀬委員、石井委員、石田委員、市川委員、井上委員、宇佐美委員、衞藤委員、大橋委員、陰山委員、佐々木委員、田村委員、角田委員、渡久山委員、中嶋委員、深谷委員、無藤委員、毛利委員

文部科学省

 近藤文部科学審議官、山中初等中等教育担当審議官、布村初等中等教育担当審議官、常盤教育課程課長、根本主任視学官、板良敷視学官、大杉視学官、小串視学官、宍戸視学官、田中視学官、平田視学官、廣瀬視学官、宮川視学官、室井視学官、合田教育課程企画室長、井上教育課程企画室長補佐、吉冨学校教育官
国立教育政策研究所
 惣脇教育課程研究センター長

5.議事録

(1)事務局から、配付資料の説明が行われた。引き続き資料2-2の審議経過報告の素案たたき台2について自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○=委員、△=事務局)

委員
 ゆとり教育と学力低下の問題が議論されてきたが、追加配付資料の1ページは、年齢段階における20年前、10年前、現在の子どもたちの体力の状況を表したものである。10年前の子どもたちと比べると、現在の子どもたちは、15歳と18歳ので、体力の落ち込みが大きく、19歳になると10年前の子どもたちの体力に追いつけないことをがわかる。このことは知育偏重であったことを表している思う。
 そして、「ゆとりと充実」が言われるようになったのが、昭和56年前後である。振り返ってみると、昭和56年は校内暴力が最も激しかった時期で、その時期に「ゆとりと充実」ということが言われたことに無理があったのではないかと思う。当時、校内暴力を鎮めるために、スカートの長さの丈をはかったり、持ち物検査をしたりして、徹底した管理が行われ、学校が息苦しくなったと言われた。この時期から不登校が非常に増え始めたため、平成元年から子どもたちに対するプレッシャーを緩和しようとした。そのためか、不登校の増加が止まり小康状態に入った。このとき、もう少し子どもたちに対するプレッシャーを取り除き、子どもたちの主体性を生かせば、もっと子どもたちの不登校は減少したはずだが、平成7年、8年、9年度から再び不登校が増加したのである。結局、修正されずに来てしまったことが、文部行政の批判を招くことになってしまった。
 子どもたちにきちんと学習させるためには、それを受け取る側の子どもたちの元気、パワーが相当必要になってくる。子どもたちの置かれている状況を見ると、生活習慣や社会、家庭の存在などに問題が出ており、そのことをパッケージとしてきちんと受けとめていくのかどうかにより結果が大きく変わってくるのではないかと危惧している。このため、学校現場を見ていくリサーチ機能を強化していく必要があることを強く感じる。
 特区研発や研発により教育課程の弾力化が広がると様々な問題が出てくる。それを監督するための制度をどのように担保するかをきちんとしておかなければならない。子どもたちの生活習慣の改善等、読み・書き・計算の反復学習により、短時間で学力向上に成功した学校がある。当校は、今年度の県の基礎基本調査で、平均点が国語87点、算数95点とこの上ない結果が出ている。また、子どもたちのIQが高くなったことが数値としても表れている。昨年度、当校のIQの平均は113であった。これは、非常に驚異的な数値だと言われている。これらのことは、学校週5日制のもと、研発においての取組ではあるが、現行学習指導要領を大きく逸脱して起きていることではない。
 ある小学校が当校で一日研修を行い、それをもとに実践した結果、平成16年度と17年度のCRTという学力標準テストの結果が、標準、または標準以下の子どもたちが非常に少なくなり、4年生、5年生、6年生を通じて全国平均を下回る子がいなくなった。このことから、学校によらず、読み・書き・計算の反復学習が効果的であったことが分かる。このことを実践するためには、授業時間をどう捻出するかという問題が出てくる。現在、この小学校では、完全に時間外で毎日30分の時間をとっている。なかなか先生方も大変であろうと思う。そうなってくると当然のことながら、給食や登校時刻をどうするのかが問題となってくる。午前中は3時間授業と30分のモジュールを行い、給食を少し早くして、午後も3時間授業を行っている。学校は「無理はない」と言うが、私は少し心配である。しかし、結果は非常によいと聞く。当校では、国語、算数をそれぞれ1時間と、上乗せの1時間をそれぞれ15分ずつ3つに分けて、火曜日・水曜日・木曜日に、授業時間に組み込んで授業を行っている。
 また、ある中学校では、総合的な学習の時間を1時間使って、読み・書き・計算の実践をし、成果を上げている。しかし、教育委員会は総合的な学習の時間に使うものではないとして、これを認めなかった。学校現場の判断だと言われながら、地域によってかなり差がある。成果をだれがどのように判断し、どのように評価していくのかというシステムをきちんとしなければならない。

委員
 必修教科枠を増やしていくべきであると思う。現在、中学校の授業時数は、1日6校時設定すると最大30校時になるが、大体の中学校は28校時で1週間の授業を組み立てており、増やせるとすれば、あと1校時程度である。そこで、必修教科のうち3教科(国語、数学、英語)を帯状に履修できるようにすれば、最大3時間増やすことも考えられる。このような3教科のうちから1教科を各学校の生徒や地域の実態等により選択して履修させていくことも考えられるのではないかなと思う。
 それから、選択教科については、2年生、3年生を一緒にした履修も、教科によっては可能ではないかとも思う。そのような工夫が各地域でできるような枠組みをつくることができないかと考えている。
 当校では、8時から8時半まで朝学習と読書タイムを行っている。このような取組は、現在は学校の主体的な取組としての位置付けでしかないが、教育課程上カウントできるようなシステムが可能とならないかと思う。
 最後に、部活動については、国として何らかの位置付けをしていただきたい。

委員
 審議経過報告(素案たたき台2(見え消し修正版))26ページの「豊かな人間性と感性の育成」は非常に重要で、幼児教育や生活科教育に非常に関わってくるので、しっかり言及していただきたい。
 次に、学力は回復傾向にあるが、体力は下がる一方である。そこで、28ページの「健やかな体の育成」については、幼児期から高校生まで、体育科の授業以外の生活や休憩時間に体を動かすことの重要性について言及してもよいのではないかと思う。
 33ページ、「理科教育の改善充実」で「自然事象についての体験的な理解を重視する必要がある」とあるが、特に幼児期から小学生における動植物との関わりが重要である。
 36ページ、37ページは、小学校英語について触れ、特に、1、2と書き込んでいただいてありがたいと思うが、外国語専門部会では小学校英語はコミュニケーションを基軸としながら、スキルにつなげていくことにまとまってきている。「小学校段階における英語教育の充実」については、もう少し踏み込んで書くこともできるのではないか。
 最後に、総合的な学習の時間については、重要であるので一定程度確保して、ふさわしい活動を行うべきである。反復学習も重要であるが、この2つは異なるものだと思うので、反復学習が可能になるように、特に算数・数学を中心とした時間を含めてしっかりとした位置付けを行うことが肝心ではないか。

委員
 全体的に見て、審議経過報告(素案たたき台)は精選されてきていると思う。 これを通読すると、今まで教育内容の改善、あるいは教育課程の基準の改善の場合は、平成元年の臨時教育審議会以来、生涯学習という理念の下、学校教育も生涯にわたる学習の基盤形成という位置付けがあった。ところが、生涯学習という理念はどこにもあらわれていない。我が国は知識基盤社会へ移行する考えがあったので、生涯にわたり学習する場合の基盤的な能力を育成することが、まさに義務教育の段階ではないか。そういう観点からの自己教育力が、前回の教育課程の改正には強調されていたが、今回もそういう意味では、子どもたちが生涯にわたって学習するという生涯学習についての理念をもう少し強調すべきではないか。それは学校教育、あるいは教育行政の観点などで共通する理念ではないかと思うので、さらに検討願いたい。
 今回の教育課程の見直しの内容は必ずしも明確には出ていないように思う。内容等については、すべての児童生徒に教えるべきものとして学習指導要領が示されているので、その内容をいかに学校現場で創意工夫をして、効率的に、確かな学力として身に付けさせることが重要になってくる。
 総授業時数を見直し、その中で各教科の授業時数をもう少し弾力的に、場合によっては類似の教科を合わせた授業時数を設定したり、総合的な学習の時間をどう生かしていくのかについては、さらに検討する必要がある。また、夏休みなど長期休業期間における補習授業についても10日間程度行えば、それを授業時数としてある程度認めることができるようにすることも考えられる。

委員
 1点目は27ページに書かれている特別活動についてである。これは時代の流れとともに新しくしていく必要があるのではないか。特別活動には「学級活動」、「生徒会活動」、「学校行事」などがある。これらを考え直す必要があるのではないか。教育課程部会では、このことについてあまり突っ込んだ話し合いはなされていなかったと思う。
 2点目は小学校英語に関してである。これについては、世間の関心も高く、早かれ遅かれ実施せざるを得ないのではないか。
 3点目は選択教科についてである。これはいっそのこと「選択講座」にして、芸術、文化において学年の枠を外してはどうか。
 4点目は授業時数の見直しについてであるが、小学校1年から中学校3年まで総授業時数を1時間増やしてもよいのではないか。例えば、小学校の場合、遊ばない、体力がないというのであれば、小学校1、2年は、体育関係の時数を増やしたらどうか。それから、小学校3年から中学校3年までは、各市区町村あるいは学校の主体性を認め、実情に応じて考えさせてはどうか。
 最後に、学校週5日制の問題は、基本的に堅持したい。一方で、授業日数は35週を超えてもよいのではないか。また、休みの在り方についても考える必要があるのではないか。例えば、年末いっぱいまでと年始から授業を行うことも考えられるし、逆に夏は暑くて座学などできないので、夏休みを増やすことも考えられるのではないか。

委員
 16ページに「形式知」や「暗黙知」と書いてあるが、これらには説明が必要ではないか。
 26ページの「豊かな感性」というところで、いろいろ詩や歌を感じる、創作することが書かれているが、それよりも楽しむことが大事であると思う。もう少しゆとりを持った表現がよいのではないか。
 31ページの「思考力・表現力等の育成」のところで、A4・1枚(1,000字程度)で、自分の考えをまとめて表現すると書かれている。原稿用紙は400字であるのに、何故1,000字なのか。
 理科で、実験のところに条件整備が入っているのは、よいことである。条件整備について、具体的には器具や薬品などが中心であるが、少人数学級にしなければ、40人が1時間で何か実験しようとすると大変である。授業時数を守るのであれば、条件整備の中でクラスの子どもたちの数を減らしたり、実験で助手やアシスタントをつけたりすることが大事であると思う。
 35ページから37ページの「外国語教育の改善充実」の部分に様々な言語ということを目標にしていただいたのは非常にありがたい。だんだんと英語以外の外国語を習得するという2カ国語を習得する時代に入ってきている。特に日本の場合は、英語以外に中国語や韓国語の習得は当然だと思うので、広く外国語教育を見ていただきたい。小学校英語については、もっと大胆に踏み込んで具体的な議論をしていかないと、教育課程部会としての責任が果たせないのではないかと思う。
 総授業時数については現在のような形でいくと、学校現場は創意工夫する時間的な余裕がない。学習指導要領で定められた標準授業時数を守るだけで精いっぱいである。授業時数を守るために学校が2学期制になった。これはまさに総授業時数を守るための工夫である。単に標準授業時数を守るために2学期制を行うことはよくない。日本の四季の移り変わりを踏まえると3学期制の方がよい。プラン・ドゥー・シーのうちのプランの中に、もっと市区町村や学校現場の創意工夫があってよいと思う。国は最低限の、あるいは大綱的な基準を示し、学校現場の創意工夫が生かせるよう、学校の裁量の時間を増やしていただきたい。
 土曜日、日曜日は、子どもたちを全く学校の管理下に置かないほうがよいと思う。こうすることで、家庭や地域の教育力、あるいは地域で子どもたちを育てようという責任感や連帯感が生まれてくるのではないかと思う。子どもを地域や家庭の責任で育てることを明確に示すべきである。
 最後に、全体を通して内容をもっとスリム化していただきたい。

委員
 11ページ、3つ目の○については、学校と家庭の責任だけでなく、企業の責任が書かれているので、とてもよいことだと思うが、「男女共同参画社会において、職業をもつ母親も父親も、子育てや教育への参画のために職業と両立できるよう、行政や企業の積極的取組が求められる」と修文されたい。
 2点目は36ページ、英語教育については、昔は英語に触れることは少なかったが、今はテレビやラジオで簡単に多くの英語を聞くことができる。また、外国人とのコミュニケーションも、私たちが思う以上に隔たりなく行われているように思う。スキルとコミュニケーションは両方ができるようになればよいと思う。子どもたちが大きくなったときに、海外の方々と共通の文化を知ったり、共通の背景を持ったりしていると仲良くなれる。例えば、初期段階の英語教育においては、海外の子どもが遊んでいるのと同じゲームのルールを覚えて教室で遊ぶこと、マザーグースなどは英語でのビデオを見ながら歌ったり踊ったりしているうちに発音を覚えるだけでなく、何となく共通の体験ができること、大人になったときに、チェスならできるといったときに同じ言語で少し話せることなど、共有できる体験を小さなうちに英語を通してできるとよいのではないかと思う。
 3点目は気力である。現在の子どもたちを見ていると気力が足りない。頑張る力や我慢する力、やってみようという気力を持たせたい。このことを心なり体を育てるというところに入れられないか。
 4点目は、学年別、年齢別、ブロック別など、発育に応じた指導のステップとして、押さえなければならないところを明確にまとめて示すことができればよいと思う。
 5点目はまとめ方である。最終的にどういう形でまとめるか。書かなくてはいけないところはたくさんあるが、どういうポイントで、何を伝えるのかが大変重要である。ポイントが何かがわかるような打ち出し方、まとめ方が必要である。報告書はどの程度の影響を及ぼすものなのか、教員はどこまで自由なのかをはっきりさせるとよい。

委員
 あまりにも完全な人や教育を目指すと気力がなくなっていく。また、あまりにも要求することが多く、間違いばかり指摘されると、社会全体が沈滞してくる。報告書を見ると、もう少し褒めることや日本人として自信を持つことを書いてもよいのではないか。それがあって初めて安心して、次に頑張ろうという方向に行くのではないか。例えば、PISAやTIMSSの比較では、日本に課題はあり、それを克服していかなければならないが、それ以上に日本はトップレベルのグループにいて、成績はよいということを知っておかなければならない。低いところだけを指摘すると、よいところをなおざりにしてしまい、日本として本来持っている他の国にないよいところが失われてしまうのではないかと心配する。
 国際貢献にしても、PISAにしても、弱いところをなくすのではなく、強いところをどんどん伸ばしていくと、最終的には国際協力もできるし、競争にも残っていけると思う。つまり、自信を持たせる部分をきちんと残し、さらに伸ばそうとする観点を示す必要があると思う。具体的に言うと、日本のITは世界に先駆けてどんどん進化している。文章の表現力には弱点があるかもしれないが、3Dを使ったアニメを中心とする表現力は、世界の文化を引っ張っていくリーダー的な立場にある。そういうよいところは、この資料の中には入っていない。自信や気力を日本全体に持たせるためには、そういうものをわかるように書いていただきたい。

委員
 生涯学習の観点から、発達段階の意識を教育課程に反映させるという新しい考え方に立ち、学校区分を柔軟に考えた接続について、幼児教育や高等学校、大学、その後の人生とのつながりを詳しく、丁寧に表現していただきたい。
 資料2-2、36ページに書かれている小学校段階の英語教育については、コミュニケーション重視という切り口でよいと思う。そろそろ実施に踏み切ることを示してもよいのではないか。外国の文化に親しむことは、日本の伝統文化の意識を深めるという効果があると思う。コミュニケーションを行うと外国のことばかりになって、日本人はおかしくなるのではないかという意見があるが、そうではなくて、むしろ外国のことを知ることによって、日本の文化の大事さがわかると思う。例えば、文楽や歌舞伎などを子どもたちに紹介するよい機会になると思う。
 最後に、資料2-2、33ページに書かれている理科教育について、義務教育の中で我が国が世界に誇れるのは環境教育である。日本が持続可能な開発教育を提案して、世界中が今それに従って動き出しているわけである。環境教育はまさに我が国が世界で一番進んでいるものである。そういうことはきちんと書いたほうがよいのではないか。そうすると、やる気が出てくると思う。

委員
 まず、小学校段階の英語教育については、もっと具体的に提案したほうがよいのではないか。音声を中心とした、楽しい内容の英語教育を行えばよいし、本物の発音で少し会話ができれば、それで十分であると思う。小学校で英語学習をすれば、中学校で英語の文法などを習ったとき英語が好きになると思う。私の時代は小学校に英語がなかったので、中学校では初め文法から入ったので、英語は頭で考える学問であった。小学校の先生で、英語の発音の上手い人がたくさんいるとは思えないので、映画を使うとよいと思う。子どもたちは映像を通じて簡単な会話や聞く練習をすることで十分ではないか。聞くことができれば、中学校でも英語の力は伸びると思う。
 総合的な学習の時間に否定的な意見があるが、こんなに重要なものはないと思う。この時間があることと学力低下とは別問題であって、何故この学習が必要ないという議論が出るのか理解できない。総合的な学習の時間はまだ始まったばかりで、まだうまくいっていない部分があるだけである。今後どうすればよいのか考えなければならない。
 私は自分の仕事で教育のお手伝いをしなければいけないと思い、美しい日本語の話し方という講座をつくった。50年間、私たちは美しい日本語を学校に行って教え、好評を得ている。これなどは、完全に総合的な学習の時間の一つであり、私たちのような社会人が教育のお手伝いをする絶好の機会があると思う。
 また、ミュージカルでは情操教育とモラル教育ができる。一緒に歌うことで、友情の尊さや愛情の大切さ、自己犠牲の大切さを子どもたちに訴えることができ、非常に浸透している。
 今年はモーツアルトの生誕250年になる。モーツアルトは世界の巨大文化である。日本の小学生がモーツアルトを聞くということは、国際文化を共有することにもなる。これも総合的学習の時間でしかできない。こういう形で社会人が参加して教育のお手伝いができるのは、総合的な学習の時間が機会を広げているからである。文化に関わっている立場から言わせて頂ければ、そこの議論をなくして、全体の学力が下がったから総合的な学習の時間は必要ないという議論は、受け入れ難い。

委員
 実際に英語教育を行うとなると、先程のご意見は非常に重要である。もう少し、きちんとゆっくり考えていただきたいと思う。
 英語は確かに便利で重要な言葉である。基本的に国際舞台で話すときに役立つ言語としての英語と、国際理解をするための言語としての英語とでは、重要性はかなり違うのではないか。ヨーロッパで英語が通用するかというと、通用しないところも多い。その国の言葉を理解するには、やはりその国の言語を知らなければならない。
 今、アメリカが世界をリードし、ビジネスなど、何もかもがその傘下にあるので、英語をやらないと不便だということもあるが、国際理解に必要なのは本当に英語だけなのか。日本人が日本のアイデンティティーをきちんと学ぶことの大切さについて、常にその意識を持ってほしい。
 音に対する敏感な耳を養うことは、様々な生活環境の中でできると思う。英語教育は、中学校から始めることではだめなのか。英語を堪能に話せるようになるには、本人の相当の努力が必要である。本当に国際化と近接に結びついているのかということに対して不安を感じるので、英語教育の取り入れ方について、慎重であってほしい。

委員
 今回のまとめは、家庭との役割分担が、今までに比べて非常に整理されている。
 総授業時数については、現在、小学校6年生では950時間、1年生では800時間程度である。これは200日という授業日数からすると、ぎりぎりであると思うが、低学年については、もう少し授業時数を増やすことは可能である。高学年については、帯の時間やモジュール、ユニットといった分割したものを統合してもよいということになれば、週に1時間、つまり年間35時間程度の上積みは可能になる。
 国は標準時数を明確にするよりも、もう少し幅のある標準時数を示すことでよいのではないか。後は各自治体や学校の裁量で決められるようにしてはどうか。義務教育ということからすれば、最低の基本線を示し、負担にならない程度にという表現を入れてはどうかと思う。
 現在、学校で一番課題があるのが特別活動だと思う。学校では特別活動の学校行事が非常に大きなウエートを占めている。学校によっては100時間ぐらい学校行事に割いているところもある。学校行事には、いわゆる入学式や卒業式といったような儀式的な行事、学芸的な展覧会や音楽会、遠足などいろいろある。これらは子どもたちが、成長していく上で大きなステップにもなるし、卒業した後の思い出にもなるが、一切授業時数にはカウントされていない。各教科で学習した結果が総括的なものとなり、学校行事によい成果となってあらわれている。学校行事を総合的な学習の時間ではなく、総合学習として位置付けてしかるべきではないか。こういうことから、学校行事についての扱いをもう少しきちんと教育課程部会の中で明確にしていく必要があるのではないか。
 小学校への英語導入については、目的や中学校との関連が何であるのかはっきりしない中で、導入ということが先行しているような感じがする。小学校に英語が導入されるのであれば、研修を含め、IT機器やネイティブのスピーカーの確保、地域人材の活用など、大きな問題がある。英語教育を週1時間行うとしても、この1時間は大きな問題になる。1時間が2時間に増えることになれば、他の教科との兼ね合いも出てくるので、十分慎重に議論をし、ねらいを明確にして導入していただきたい。

委員
 小学校への英語教育導入について決断しない状態が長引くことはよくない。今年度中に、外国語専門部会で、教科か領域か、実施時間はどの程度とするのかなど詳細を詰めてまとめをつくり、教育課程部会に提出して議論をいただこうと考えている。
 英語は単なる英語圏だけの言語ではなく、国際コミュニケーションとしての共通の言語になる。その位置付けが必要である。また、小学校に英語を導入するならば、教科なのか、領域なのか、あるいはどんな時間を使うのか。週何時間行うのかということを考えなければならない。中途半端な体制の中で実施するならば、非常に弊害が多くなると思うので、それらのことを詰めた上で審議いただきたいと考えている。
 外国語専門部会では小学校段階の英語教育に加え、これまでの英語教育の改善方法についても併せて議論している。これについては文部科学省も、英語指導方法の改善に関する懇談会を行って、英語を使える日本人の養成のためのプログラムをつくってきているので、それとの整合や条件整備などを考えなければならないと考えている。また、国語力との関連では、英語を導入すれば国語がだめになるのではなく、むしろ相乗効果があると考える。

委員
 市町村の教育長には、財政権や行政官の人事権がない。このような中で、どのように教育委員会としての責任を果たしていくのかは難しい問題である。
 社会で殺人事件などが起きているが、人間形成と学力向上とは違うものとして捉えられているところに問題があるのではないか。

委員
 市町村の教育委員会は権限がある。市町村の教育委員会には内申権があり、自由にできる。財政権も、教育長が首長と一体になってやれば全然困らないと思う。制度ばかり幾ら変えても、制度の使い方が自立していなければ意味がない。

委員
 「人間力」を看板に出すのであれば、これまで「生きる力」という言葉を使ってきいるのに、なぜ「人間力」という言葉が導入したのか、「生きる力」とはどういう関係にあるのか、学力とはどういう関係にあるのかなどを併せて書いた方がよいのではないか。
 人間力については、その内容というよりは、その力がどのような場で発揮されるのかというコンセプトのほうが大事ではないかと思う。社会の中で自立し、他者と関係を持ちながら生きていく人間が、人間力のコンセプトとしてあったわけである。大人は社会の中でどういう生活をやっているかと考えたとき、職業生活と市民生活、文化生活が挙げられる。これが省庁になると、例えば厚生労働省や経済産業省では、かなり職業生活のところに重点を当てて、「人間力」という言葉を使っているが、文部科学省の方は文化生活ということに重点があるのは当然である。ただし、全体としては、教科の学習をしていても、それが社会に生きていく人間としての力につながることを打ち出すので、「人間力」という言葉を使う意義があるのではないか。
 社会の側から教科を通じて得られる力を見直すというようなことがあるのだが、それが各論の中でもはっきり出てくることによって、「人間力」というコンセプトを使う意味が出てくるのではないか。

委員
 54ページのところで、教職員の負担軽減についても言及していただきたい。教える内容が増えれば、そのための研修を設けなければならないが、むしろ、そのための時間は減っているのが現状である。このことから、指導要録はワープロ処理にするなど、事務負担の軽減が望まれる。

(2)事務局より今後の日程について説明があり、閉会となった。

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課教育課程企画室

(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)

-- 登録:平成21年以前 --