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教育課程部会(第35回) 議事録

1.日時

平成18年1月23日(月曜日) 10時~12時

2.場所

丸の内東京會舘 「シルバールーム」

3.議題

  1. 教育課程部会におけるこれまでの審議の整理について
  2. その他

4.出席者

委員

 木村部会長、梶田副部会長、阿刀田委員、安彦委員、荒瀬委員、石井委員、石田委員、市川委員、井上委員、植木委員、陰山委員、加藤委員、田村委員、角田委員、渡久山委員、中村委員、深谷委員、増田委員

文部科学省

 結城事務次官、近藤文部科学審議官、銭谷初等中等教育局長、板東官房審議官、布村初等中等教育担当審議官、常盤教育課程課長、根本主任視学官、板良敷視学官、大杉視学官、小串視学官、宍戸視学官、田中視学官、平田視学官、廣瀬視学官、室井視学官合田教育課程企画室長、井上教育課程企画室長補佐、吉冨学校教育官
国立教育政策研究所
 惣脇教育課程研究センター長

5.議事録

(1)事務局から、新たに就任された委員の紹介の後、配付資料及び教育改革のための重点行動計画について説明が行われた。引き続き資料3の審議経過報告の素案たたき台について自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○=委員、△=事務局)

委員
 資料3は参考資料3と併せて読めば理解しやすい。参考資料3は図式化されたもので、資料3は文章化されたものである。参考資料3では、「豊かな心」と「確かな学力」、「健やかな体」の3つの関係は並列ではなく、「豊かな心」は背景として全体を覆っている。つまり、「豊かな心」がベースとしてあって、その上に「確かな学力」や「健やかな体」が乗っているようにも読める。その3つの関係について伺いたい。
 資料3には、「人間力」という言葉が多く出てくるが、参考資料3には出てこない。「人間力」とはどういうものなのか、資料3と参考資料3が整合性を持つように位置付けていただきたい。
 「生きる力」は「豊かな心」や「確かな学力」、「健やかな体」すべてを含んでいると思っていたが、参考資料3を見るとすべてを含んでいるようには見えない。

事務局
 教育に求められているのは、子どもに基礎的・基本的な内容を確実に身に付けさせ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力である。これが「確かな学力」に相当する部分である。それから、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの「豊かな人間性」、たくましく生きるための「健康や体力」、これらが「生きる力」として使われてきた。
 「確かな学力」を身に付けさせるに当たっても、その背景には子どもたちの学習意欲や学習習慣の問題、将来の夢との関係がある。そう考えると、「豊かな心」を根本に置き、その上で「確かな学力」や「健やかな体」をはぐくんでいくという両者の相互関係を盛り込むとどうかということで、この図のように整理した。
 今までの3者並列の関係にあっても、それぞれの相互関係は重視されていたので、あえてコントラストをつけて、関係をもう少し明確にしている。
 「生きる力」はこれまで学校教育の中で身に付けさせようと議論してきたが、それを社会の側から見ると、参考資料3の右側の部分は、どちらかというと「生きる力」というよりも「人間力」に近い内容を列挙している。

委員
 この改革が成功するかどうかは、資料3が現場に下りていったときに、現場の教員がこれを見てやる気になるかどうかである。問題は学校週5日制という基本的な時間の枠組みを維持しながら、学習内容を増やそうとしているところに私は不安を感じている。私は授業時数を増やそうする方向には基本的に異論はない。学校週5日制も賛成である。
 資料3に役割や責任をもう少し盛り込む必要があるのではないか。そうすることによって初めて、教育が国家戦略になると思う。国家戦略になるということは、地域や家庭、企業、マスコミが、それぞれ子どもたちのために何ができるのかを考えることである。
 資料を読んでいくと学校の先生が悪いと読めるが、本当に教師の質が低下しているのかどうか、検証すべきである。ノイローゼで学校に来れない教職員はここ3年間で3,500人となり、近年になってさらに急増している。その事実がきちんと分析されているのか。
 従って、きちんと現場の状態をチェックした上でアクションがなされているのかどうかを重視すべきである。この機能をきちんと持っていることは、リスクを回避する力を持っていることである。
 新しい学力観により、自ら考え、自ら学ぶようになれば、不登校は減り、校内暴力も減るはずだと言われていたが、この方針が現場に定着し始めた平成5年、6年、7年から不登校や校内暴力が急増した。ところが、これは途中で修正されないまま進められた。そのときのチェック、アクションが弱かったのではないか。ここを直していかない限りは、きちんとした方針が現場には定着しないのではないか。
 文部科学省で提起した方針が現場へ下りていったとき、伝言ゲームのように、全然違ったものになる危険性が大いにある。この方針と同時に、これをどのようにチェック、アクションしていくのか。もちろん学力テストは重要であるが、日々の中でそのシステムづくりを進めることが、この方針がいい形で現場に入っていく1つの支えになるのではないか。

委員
 家庭の教育力に関して、もう少しきちんと打ち出すべきではないか。資料3、17ページの中に家庭の教育力の問題は分散して入ってはいるが、それがすべて隠れてしまい、学校に責任があるかのように読める。食育を含め家庭が負うべきことは多い。家庭が第一義的に責任を担うことをもっと直接的に出すべきではないか。このことはつまり、学校力だけで「生きる力」が養われるわけではない。親が子どもをきちんと養い、育てなければならない。家庭力があり、その家庭力の総合されたものが社会力になる。それが学校教育の「生きる力」を支えるベースであることが明確に示されていない。ここでは、学校力を高めれば解決できるという書き方になっている。
 学習指導要領の見直しの視点が2つしか示されていない。1つは読み・書き・そろばん、計算といった基礎・基本を確実にすること、もう1つは将来の職業云々とある。中央教育審議会の答申には4つの点が示されていることを踏まえ、「家庭と連携し基本的な生活習慣、学習習慣を確立すること」、「国際社会に生きる日本人としての自覚を育てること」を第2の視点の中に含めるのではなく、別立てとして出すべきではないか。
 17ページで一応区切りをつけて、次に課題を明確にする。そして、課題の解決のために学校に対する提言や家庭を含めた地域社会への提言を盛り込むべきである。そうしないと教育課程はどんなによいものを構成しても、同じ轍を踏むことになるのではないか。

委員
 国民の教育への権利をどう財政的に保障するのかという観点が弱いのではないか。日本の教育は、明治時代から受益者負担主義である。そういう中で、保護者の負担軽減をどう図っていくかが重要である。教育費の問題として項目をきちんと立てるべきである。そうしないと、学力の階層化は解消しない。
 少子化対策として教育費をどうするのかという戦略がなければ、制度を守るだけで戦略にならない。特に、OECDにおける日本の義務教育や高等教育に対する教育費の国家予算の劣悪さは、先進国の中でも特に極立っている。このことをきちんとしなければ、教育費を増やす視点や観点が出てこないと思う。教育条件の問題に対する財政保障をどうするかについて考えていく必要がある。学校の実態を把握して財政保障を行わなければ、どんなにすばらしい改革であっても生きてこない。

委員
 国の責任によるインプット、実施過程は市町村、教育の結果は国の責任であると述べられている。しかし一次的な教育の結果は実施主体である市区町村が負うべきであると思う。だから、国の大きなPDSのサイクルはそれでよいが、市区町村が主体として行わなければ、本当の意味での地方分権にならないのではないか。地方には国の見えない部分があると思う。細やかな分析は実施主体である市区町村に任せるべきである。
 家庭教育のところに「早寝・早起き・朝ご飯」を出しているが、これを実際に子どもにさせることができない親が多い。携帯電話を持ちながら授乳し、子どもの目を見ない。要するに、親力がないのである。そういう意味で、家庭教育は親の教育まで踏み込んで考える、教育力をなくした親をどう教育するかという問題に、真剣に向き合わなければならない。
 「豊かな心」や「健やかな体」、「確かな学力」は学校教育の目標になっている。「豊かな心」や「健やかな体」も学校教育で、はぐくむべき「人間力」として評価するシステムを考えなければならない。

委員
 教育課程部会の報告をどこまでの内容とするのが妥当かという点が難しい。
 報告ができたとき教員一人一人がどれだけ熟読するのか。国から出されたものが現場の教員までどのように下りていくのか。言葉を多く入れると、解釈が分かりにくくなってしまい、最終的にはやりやすいところだけやればよいという結論になってしまうことを心配している。
 「人間力」のように「なになに力」というと言葉が多いので、どういう力かを明確にし、厳選すべきではないか。また、17ページの情報教育、環境教育、法教育などの言葉や15ページの「早寝・早起き・朝ご飯」など繰り返しでてくる言葉について、もっとスリムにすべきである。
 最後に、学力テストの問題は統合的なものにできるのか。簡単に言うと、目に見える知識・技能だけを問うテストであることを現場が見抜けば、それだけを教えればよいのだということにならないかを懸念している。

委員
 社会の教育力について、社会全体に向けてものを言うべきである。社会に教育力がないからよくないではなくて、ない状態をこのまま進めていたら少子化の解決などできない。このような社会に子どもは幸せを感じない。そういう意味で、もっと社会全体に向かって発言することで、社会改造まで考えていかなければいけないのではないか。
 参考資料1について、重点行動計画で3つの部分が周りを支えている。矢印は一番太いので意図はわかるが、むしろ家庭・地域の教育力の向上という下の部分は、2つの横にある環境整備と教育の充実を支えるものであるから、横に大きく、両方の端まで広げていただきたい。
 参考資料3で「豊かな心」や「健やかな体」は全体で、学力はその一部であることをしっかりと押さえるとともに、それを審議経過報告に反映していただきたい。部分と全体の意識として、子どもの学力が先にくるのではなく、学力をどう使うのかは子どもの心と体によって決まる。この人格に規定される心と体の方が先にくるべきではないか。
 学校教育となると、どうしても義務教育の答申が前提になり高校教育の取扱いが軽くなってしまう。高等学校は義務教育に近いので高等学校までを枠として示して、義務教育について書いていただきたい。そういう意味ではまだ議論が十分ではないので、もう少しその点を詰める必要がある。
 国際競争について言葉が出ているが、21世紀は競争だけでは済まない。国際協力が必要である。環境など様々な面で国際協力、あるいは国際協調という観点を入れなければならない。そして、学校の教育課程の中にもその部分を入れなければいけない。そうしないとバランスが悪いし、一面的になるのではないか。

委員
 平成17年10月の中央教育審議会義務教育特別部会の答申を踏まえれば、この審議経過報告のような書き方になるだろう。中央教育審議会義務教育特別部会で、学校は膨大なお金を使いながら効果を上げていないという意見が出されたが、教師は一生懸命やっている。家庭に問題があると言っても世の中の納得は得られない。世の中と部会との認識の差を整理しておく必要がある。
 習得と探究を分けて書いているが、義務教育の議論の中で高等学校まで視野に入れた場合、果たして探究活動まで取り組むことができるかどうか疑問である。現場の指導などから見ても、中学校段階での探究活動は難しいという実感を持つ。ただし、それはある時期までで、それ以上はかなり探究部分が増えてくると思う。今のままの条件ではできない。義務教育でそこまでの内容を求めるなら、もっと教員の人数を増やさなければならない。

委員
 エビデンスと政府の方針とが矛盾しているとすれば、そのことを表現すべきである。その矛盾を解消する方策も併せて示さないと国民は不安に思うであろう。
 参考資料3のイメージ図は目標を考えるときには非常にわかりやすい。このような図は大事だと思うが、教育課程部会としてどこまで家庭や地域の問題を書くべきかが難しい。また、学校との関係も整理しなくてはならない。「確かな学力」や「人間力」というときに、どうしても知力のほうに傾いた書き方になっている。「健やかな体」は体操や体力を補うだけではなく、それによって培われる人間形成の部分や、個人が運動する中で自分と向き合って自分を理解することにおいても大事である。その点について、なかなかうまく書けていない。

委員
 家庭の問題に関し極論を言えば、学校教育ではこういうことはやりませんという表現が入ってもよいのではないか。
 行動計画等や本文の中に、子どもの居場所づくり的な表現があるが、一般的に国民には同年齢での居場所づくりという発想が強い。小・中・高校生という異年齢の者が一緒にいる場所という観点をぜひ入れていただきたい。高校生が小学生の面倒を見るなど、縦社会での居場所づくりや社会参加という視点もぜひ入れていただきたい。

委員
 国が青少年の教育にどう責任を持つのか。目的から見ると、市民社会や国、国際社会の担い手となる人材をつくり出すことが、国の教育政策の究極の問題ではないかと考える。その基本線に照らしてみると、全体として子どもたち、あるいは国民一人一人に対する配慮が強く出過ぎているのではないか。つまり個人が個人として幸せであり得るかどうかは、基本的に個人が頑張るべきことであり、それを育てる親が考えるべきことである。そこまで学校に担わせるべきではない。
 「生きる力」や「豊かな心」という表現からは個人への配慮が強く感じられる。たとえば、「社会の中での個の確立」という言い方をしたほうがわかりやすいのではないか。
 全体として、英語ではどう表現できるかという言葉が幾つかあることが気になっている。

委員
 確かに英語での表現が難しい言葉が確かにある。これについては、ネイティブでも理解してくれなかったので困っている。日本の教育改革を外国に伝えることは非常に難しいと思う。

委員
 教師は頑張っているのか、いないのか。教師の側から言えば頑張っているいうが、必ずしも教師が頑張っているとはいえないという意見もある。前提としては教師は頑張っていると思いたい。ただ、頑張り方としてどのように頑張ったらよいのかが示されていないために、学習指導要領の理念や目標、具体的な内容と、学校での実態が重なり合わないのではないかと思う。ここのところをきちんと示さなければならない。
 親は子どもの指導について学校を頼みとし、子どもは学校が嫌だと言いながら登校してくる。学校は子どもにとっても、親にとっても心のよりどころである。高等学校でさえそういう面があるのだから、小学校、中学校ではもっと心のよりどころは大きいと思う。
 求心力は教育力の前提であると考えるが、学校が求心力を持っている間に、教師がどのように頑張るとよいのか、どのように理念を具体的に実践していくのかを押さえることが大事なのではないかと思う。

委員
 うまくいっている事例(グッドプラクティス)をきちんと出していくことは大事であると思う。
 もう一つは、エビデンスの話である。例えば私自身が一番最初に子どもたちの朝食のことを問題にして、保護者会で母親に朝ご飯を食べさせてくださいと言ったら、猛反発にあった。つまり、自分の指導が悪いのを親のせいにするのかということで、随分おしかりを受けた。翌年はあちこちの資料を調べて、たくさんの食品を食べると成績が上がるというデータを示した。すると、親は理解しそれに従った。要するに、グッドプラクティスとエビデンス、つまり、これが子どもが伸びるスタンダードだということを示すことは大事である。
 また、睡眠時間と学力の相関関係をデータでとってみると、7時間から9時間程度の睡眠があると、成績が一番高いことがわかった。勉強ができるからたくさん寝られるのではなく、たくさん寝るから勉強がよくできるのだということがわかった。
 グッドプラクティスとエビデンスにより、提起の仕方そのものの質を変えていくことは大事である。校内暴力があったとき、とにかく対症療法的に子どもたちを管理した。すると不登校が増えた。次に緩めると学力低下が出てきた。絶えずイタチごっこのようになってくるのは、ある現象に対して対症療法的に当たってきたところに大きな問題があると思う。その間に、子どもたちの生活環境の悪化しひどくなった。子どもの権利条約などが変にゆがんだ形で伝わってしまい、子どもたちの生活を調べることがプライバシーの侵害の問題に触れるということで、子どもたちの生活環境に踏み込めず、悪化に対して歯どめをかけることができなかったと考えられる。

委員
 教育課程部会として、さまざまな社会問題にどのように取り込むかという点が問題である。その辺については事務局と相談しながらまとめ方を考えたい。

委員
 全国の市町村長10人ぐらいと地方分権をテーマに話をした。その際、地方分権は地方の多様性を認めることだという結論になった。地方分権の時代には地方の意見はまとまらないし、中央の統制も効かないということを予想しておかなければならない。中央の統制はなるべく減らすほうがよい。
 ある人気のある町を訪問したとき、町の設計をした建築士は、都市計画法を知らなかったから、よい町ができたと話している。極論をすれば、学習指導要領を読まない教育長でも、コモンセンスがあれば立派な教育ができるのではないかと思う。
 学習指導要領をどう書くかということよりも、現場の教師のやる気をどう引き出すかという議論をもう少ししていただきたい。その議論の中では学力調査や教師の評価については出さないほうがよいと思う。

委員
 2として全体が「人間力」の育成になっていて、(2)「人間力」向上のための教育内容の改善充実とあるが、ここに心のこと、体のことに続いて、学力に関することが個別に並列して並んでいる印象を受ける。章立てとしては、参考資料にもあるように、心のこと、体のこと、学力のことという3本の柱があり、学力の中に国語力、理数教育、外国語教育が位置付けられている方が分かりやすいのではないか。こうして一つ一つを見ていくと、後半になると学力に関する内容が多くなる。
 「人間力」は、基礎となる心や体力を養って、それが発展的に社会に出て行く「人間力」として結実していく、というように広い概念である。章立てとして「人間力」という言葉を大きなタイトルにし過ぎない方がこれまでとの整合性や分かりやすさの観点からよいと思う。

委員
 国際社会に積極的に参加し、発展に貢献するだけではなく、国際的、人類的に共生していこうという思想が大事ではないかと思う。
 自尊感情というの言葉が随分使われているが、これはもう少し整理したほうがよいのではないか。
 食育の内容としては健康維持のための食生活という観点が重要である。この部分に朝ご飯と学校給食のことを入れると具体的でよいのではないか。また、部活動をしている子どもたちの食生活をどうするのかについても触れるとよいのではないか。
 外国語については英語だけにシフトしているように見える。英語は国際語として重要であることは分かるが、在日朝鮮人や中国人、日本に働きに来ているブラジル人が多いことを踏まえ、韓国語や中国語、ポルトガル語など、自由に取り組めるような形をとるのはどうか。

委員
 学習指導要領はマニュアルか、ノウハウ集かということについて、どちらでもないというのが私の今の結論である。学習指導要領を英語に直すとマニュアルになるのかもしれないが、読めばマニュアルでないことははっきりはしている。国が教師に伝える明確な方針書であり、考え方を示す唯一の手だてであることは確かである。
 無理や無駄は少なくし、日々変わりゆくことはマニュアルにできない。そういう意味で言うと、はっきりしなければならないのは何を求めているのか、何を目標にして、どういうところに到達してほしいのかである。
 学習指導要領の見直しについては、1の学習指導要領における到達目標の明確化は同感である。しかし、現場主義の重視や基礎整備の充実、成果の適切な評価の視点に立って検討を進めるということについては、学習指導要領にどういうことが書かれるのか、はっきりしてない。
 実態として、学習指導要領は教員には読まれていない。そうであれば、中途半端な状態で、学習指導要領という名前や内容もそのままにしておくべきではないと強く感じた。
 英語がどういう場面でどういうふうに必要で、そのため、英語の力が必要な人たちがいるということをどこかでみんなに認識してもらわなければいけないと思う。英語を学習することが非常に楽しいということだけでもよいのかもしれない。また、小学校で英語を学ぶときに、国際コミュニケーションが大切と考える。

委員
 日本には資源がないので、発明や技術で生きていくしかない。これについて、国民の科学に対する関心が低いのではないか。理数教育の改善充実が必要でだが、計画として手薄なような気がする。

委員
 授業時数の見直しについては、審議経過報告の方向で進めていただきたい。足りないという意味は、知識・技能のところで、習熟するまでの時間が必要であるし、能力であれば、活用する時間がない。そういう意味では、時間をある程度保証すべき。自習など、授業でない形で学習する時間について、全体として不足していることを認識しておくべきである。

(2)事務局より今後の日程について説明があり、閉会となった。

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課教育課程企画室

(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)

-- 登録:平成21年以前 --