ここからサイトの主なメニューです

教育課程部会(第33回) 議事録

1.日時

平成17年11月30日(金曜日) 10時~13時

2.場所

如水会館 「オリオンルーム」

3.議題

  1. これからの高等学校教育の在り方について
  2. 幼稚園教育と小学校教育の接続・連携について
  3. 「これまでの審議の整理」に盛り込む項目について

4.出席者

委員

 木村部会長、荒瀬委員、石井委員、石田委員、井上委員、植木委員、宇佐美委員、大橋委員、田村委員、角田委員、渡久山委員、深谷委員、増田委員、無藤委員、毛利委員

文部科学省

 結城事務次官、板東官房審議官、布村初等中等教育担当審議官、常盤教育課程課長、合田教育課程企画室長、井上教育課程企画室長補佐、吉冨教育官、石塚教育官、豊岡幼児教育企画官、篠原教科調査官、田中視学官、吉野視学官、宍戸視学官、板良敷視学官、廣瀬視学官、小串視学官、平田視学官
国立教育政策研究所
 舟橋研究開発部長

5.議事録

(1)事務局より資料について説明の後、これからの高等学校教育の在り方について自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○=委員)

委員
 高等学校は多様化している。多様化している学校ごとに学習指導要領に基づいて教育課程を編成していく上では、やはり学校の裁量を大きくしていく必要があるのではないか。
 例えば、義務教育段階で学ぶ内容が十分に身に付いていない生徒も高等学校に進学している。一方で、内容については十分に理解していて、もっと専門的に高い内容を学びたいと思っている生徒もいる。それぞれの生徒に応じた教育内容が用意されているということが高等学校の場合は必要ではないか。
 約97パーセントの生徒が高等学校に進学していることは、ほとんどの生徒が高等学校まで来ているということである。だから、中学校までの学校内での幅の広さを、高等学校は学校ごとに選抜を行って一定の集団にまとめ、その集団をそれぞれ将来の国の担い手、実社会で役立つ人間として育てていく必要がある。中学校までの9年間の学習内容をしっかりと身に付けると相当な力がついていると思う。十分身に付いていない場合には、高等学校でそれをしっかりと補填し身に付けさせることが大前提である。そして、その補填したことを基に、さらにプラスしていくことが必要である。
 選抜制度の関係で、成績の面で相当に違う生徒たちを見ていて常に思うのは、どの生徒も高等学校に入って自分ができなかったことができるようになりたいとか、知らなかったことを知るようになりたいという思いがあって、できなかったことをできるようにするために、大前提として義務教育段階での学習内容が必要だということである。
 必履修科目は、現在でも相当少ない状態になっているので、高等学校教育で幅広い教養を身に付けるという観点からすると、さらに少なくすることは必要ではない。だから、それ以外の部分について学校の裁量を広げられるようにしておくことが必要ではないか。
 もう一つ別の観点から、教育では、やはり負荷をかけないといけない。負荷をかけた状態の中で、生徒たちの希望や興味・関心のある部分を展開させていく。そして、それを今度は1つの目標に向かって収束していく、1つのパターンを教育活動の中で考えていかなければならない。その点について、いわゆる成績のよい生徒も、十分でない生徒も、全く変わらない。
 生徒たちはみな学びたいと思っているし、学んで知れば楽しいし、楽しければもっと学びたいと思う。学習指導要領の中で枠組みとして、最低限のものをこれだけはきちんと身に付ける、義務教育でできていないものはきちんと力を付けるとした後は、それぞれの学校の状況に合わせて学校が判断できるようにすべきではないか。

委員
 学習指導要領は何度か改訂されているが、趣旨と内容に沿った教育が高等学校でなされているだろうか。実際にはどこの大学に入れるかという視点から教育課程が決められている状況ではないか。学校によっては2、3教科だけを中心に教育していなかったりするのではないか。
 共通テストは5教科型だし、私立を受験するときは2、3教科型が多い。すると、美術とか体育とか音楽などは息抜きになってしまう。学習指導要領には、バランスのとれた教育と書いてあるが、そういう教育がなされていない。
 だから、高等学校において国家社会の形成に必要な資質をと言うが、実際には大学入試が弊害になって、できていない。また、その影響が中学校まで及んでいる。高等学校でも2教科しか勉強していないから中学校でも要らないと考えるような状況である。そして、こういう高等学校では、一般的に生徒は学校の補習や塾で一方的に教えられ、自分で考える能力がつかない。自ら学び自ら考えるではなくて、指示を待って覚えるという勉強の仕方になっている。
 さらに、大学でどのような学問を究めるかということが明確でないまま、大学に入ること自体が目標になって勉強していく。そして、大学に入ったら、もう目的は達したのだから、大学は遊ぶところだと勘違いする。このことは、昔から指摘されていながら未だ変わっていない。
 これを変えるためには、大学の推薦枠を少しでも増やすことが有効ではないか。中高連携というよりも、高大連携を行うことが必要だと思う。それは、大学の授業をいくら高校で実施したかということではなく、高等学校と大学が連携して、大学入試についてその高等学校から一定の推薦枠を持たせることである。そうすることで、より全人的な教育ができるのではないか。
 それから、現在の、専門学科では、取得できる資格がほとんどなくなった。国家資格制度との関係だが、やはり高等学校の次の段階で社会に出たいという子どもたちには専門学校に行かなくても、しっかりと資格を取得できるような制度にしなければならないのではないか。

委員
 高等学校で十分教育効果が上るような教育が行われているかどうかは、例えば、参考資料4の27ページのアンケート調査がある。そこでは、「学校の授業がよくわかる」のは40パーセントにすぎない。ただ、小学校6年は66パーセント、中学3年生が49パーセントとある。これは、従来から七五三教育と言われている状況が依然として変わっていないということだ。
 それから、(4)で、学校の授業以外に1日に勉強を全く、またはほとんどしないというのが、高等学校では41パーセント、小学校では9パーセント、中学校では8パーセントとある。このような実態があるとなると、やはり今の高等学校教育は高校進学者に対して多様化してきているが、果たしてそういう人たちを受け止められるような教育内容となっているか、先生は教育に対する熱意を持って子どもたちにわかる授業をしているのか、また教育方法は適当かということについて、疑問に感じざるを得ない。
 高校進学率が昭和30年代の50パーセントから今の97パーセントまで上ってきたというのは、日本全体が経済的にゆとりがあって、少なくとも高等学校まではというインセンティブが働いたためだと思う。このため、子どもたちは勉強があまり好きでないのにみんなが行くから高等学校へ行くようになってしまっている。
 学ぶ意欲については、将来の生活や就職、社会人としての活躍する場を選択することを考えれば、自分の将来の職業生活を視野に入れて勉強した方が人生を充実したものにできるのではないか。
 それから、実態として、大学の志願率が約6割ぐらいで、実際の進学率が50.1パーセントになっている。そういう状況を考えると、大学進学も2007年からは全入時代を迎えるわけだから、本当に勉強が好きだとか、勉強が得意な人は大学に進学するかもしれないが、半数は大学進学ではなく、専修学校などで資格を取りにいく人もいることになる。そういう実態を踏まえ、高等学校教育が多様な学生に応じた教育になっているかどうかは、1つの問題点ではないか。
 それから、資料4の2ページによると、従来昭和30年代から昭和50年代にかけて、普通高校が6割で、専門高校が4割という時代があったが、それが7割と3割となっている。普通高校に行って、そのまま社会に出ると、資格もなく自分が働きたい職場で受け入れてもらえないということになる。このことが、フリーターやニートの問題の1つの背景なのではないか。その点、高等学校は非常に難しい実情にあることはわかるが、実態をよく分析して、今後の高等学校教育の在り方について総合的に考えていきたい。

委員
 高等学校には、普通科、専門学科があり、普通科の中でも進学校があれば困難校もある。だから、どこに焦点を当てるかが非常に難しい。そこが盲点ではないか。
 それから、資料3の論点のうち高等学校の課題の2つ目に「義務教育段階で身に付けるべき学習内容の基本的な箇所が修得できていない」とあるが、よくない意識である。中学校教員は、小学校がいい加減だから中学校が大変だと言う。そして、小学校教員は、保育園・幼稚園がよくないのだと言う。みんな原因を下へ下げていく。私はこれが日本の教育の一番根源的問題ではないかと思う。やっぱり各々の段階で全力を傾けるべきである。
 それから、親からの苦情について、ある中学生の親が、授業がなってないから子どもの成績が上らないと言ってきた。ところが、高等学校では授業が悪いとは言ってこない。親は、高等学校へ行った段階で自分の子どもを値踏みしているのではないかとも思う。
 それから、高等学校の先生と話をすると、普通科に限定すると、先ほどの話にあったように、有名大学へ入れることを求め、それが社会の評価だと考えている。だから、道徳や総合的な学習の時間などは、たたき込むより仕方がなくなる。
 そこで、一つの提案として普通科であろうが、専門学科であろうが、高等学校として根源的にやらなければならないことを明確にすべきではないか。その上で多様化することは大いに結構なことだと考える。
 また、実社会との連携をどうとって、どう教育課程を組むのかということが重要である。例えば、中学校以上へのキャリア教育や法教育などといったいわゆる実学を考えてはどうか。
 それから、高等学校の校長先生は地域に顔がない。とりわけ職業科などは地域に生きるという視点も考えていただきたい。
 最後に、高等学校の授業研究を私は見たことがない。高等学校の先生はそれぞれの教科についてのプライドが高い。子どもに聞いても、先生は一方的に話しているだけだという。そうでない人もみえると思うが、そこを詳細に分析しないと、私は新たな高等学校教育にはならないという気がしている。

委員
 アメリカの場合には、制度として、全員が高等学校まで卒業することが義務化されており、同時に高等学校をドロップアウトした場合にも、高校卒業資格を取れる制度が普及している。だから、無理に高等学校を出なくてもその資格を取ればいいのだが、アメリカ社会についてのフィールドワークの報告を見ると、一定期間学校に通ったということは、資格よりも高く評価されているという。おそらくそれは、かなり長い時間の経験値から出てきていることだろうと思う。だから、基本的にある一定期間高等学校へ行くというのは、意味があるというふうに考えるべきだろう。
 一定期間学校で同じ年代の子が生活をしていくということに意味があるのは経験的にわかっているということをまず確認して、次に、その生活をどうしたらよいかを考える場合に、これからの社会は、基本的に自己責任、自己決定を軸にして制度を考えるべきだろうと思う。そう考えた場合、今の高等学校制度は、必ずしも十分対応していない。問題は学校側に与えるという姿勢が非常に強い。
 その証拠に、例えば、アメリカでは、日本でも大学ではかなり普及してきたシラバスという制度があるが、これを日本の高等学校でやろうとすると非常に困難である。シラバスも示さないで、何となく普通科で、教える内容は学習指導要領であるといい、必要な教科書を渡すが、実は全然教えていないような学校には問題があるのではないか。
 教科書について、高校生のうちわかるのは3割ぐらいだろうという話もあるが、これも問題である。
 高等学校の多様化路線はもっと進めるべきだと思う。国は基本的にこれだけはやるということを示す程度にとどめ、あとは、各学校が、自分の学校はこういう教育をするということをはっきり示すべきである。
 学校は制度によってつくられている。現場が意識を持って行動できるように、制度を少し緩めるような方向を教育課程の中でも考えないといけない。
 進学する学校を非難する場合があるが、これは困る。やっぱりある程度の勉強の方で頑張れる人間が育ってないと、日本として、リーダーがいなくなってしまう。そのことがほかの高等学校の邪魔にならないように整理できないか。

委員
 高等学校教育というのはいろいろと困難な問題を抱えている。特に、学校教育法や学習指導要領が、後期中等教育という意味で果たして成功しているかどうかは大きな問題である。
 子どもたちのニーズに合わせて多様化が進められてきたようでいて、実際には、だんだん二極化しているのではないか。トップのクラスは、進学を目指したトップ校をつくっている。一方、そうでない子どもたちについては、例えば、ある例では、エンカレッジスクールという形にして中学校の教科を教えている。
 多様化という言葉は非常に簡単なようだが、実は、子どもたちのニーズに合っているか、あるいは、後期中等教育を成功させるためのシステムになっているかという問題が出てくる。
 もう1つは、選抜制度の問題がある。高校入学率は97パーセントであり、ある程度今の高等学校の枠では、どこかの学校には入れるようになっているが、高校入試はなくならない。ある県の場合は、中学の進路指導の先生方は、子どもたちを全く点数で輪切りして、高等学校の程度に応じて割り振っている。ここでは、大胆に選抜制度そのものを変えていけるかどうかが問われている。
 それから、子どもたちの学習意欲も少なく、学習の積み上げも七五三の状態で来ているという場合に、普通高校全日制はいまだに40人学級である。今、例えば、35人学級というのが41校ぐらいという県があり、また、先ほどのエンカレッジスクールなどでも2人担任制であるとする。これらはその県にお金があるからできるのであり、ほかの県では真似できない。むしろ逆に、標準法(公立義務教育諸学校の学級編成及び教職員定数の標準に関する法律)よりも下回っている県が既に出ている状況である。そういう条件整備が改善されていない。条件整備をしていかなければ、本当にわかる授業はできない。
 SSH(スーパーサイエンスハイスクール)の中には成功している学校もある。その学校は生徒も優秀で、教員も苦労し学校での創意工夫があるのはもちろんだが、やはりわかる授業とか、楽しい学校づくりのためにはどういう条件をつくっていくのかが重要である。

委員
 私は、公立高等学校について言うと、随分頑張っているのではないかと感じている。中退率や不登校生徒の数がどんどん下がってきている。また、各学校が特色を出し始めて、意欲的に高校生が学校に通い始めたように思う。もちろんいろいろな問題はまだたくさんあるが、一時ほどひどい高校バッシングはなくなってきた。それは、各高校が努力をしているとともに、各自治体がそれぞれの地域に合った学校制度、システムに変えてきているからではないか。そういうことについてはきちんと評価していかなければならないのではないか。
 それと同時に、専門高校の場合も、例えば工業学校などについては、ロボットコンテストなどが引き金になって、IT関係で一生懸命ものづくりをやっていこうという子どもたちが目指すようになってきた。
 小学生あたりでも、すごく手作業や指作業が得意で、自分は大工さんになりたいとか職人になりたいという子どもがいるが、それが中学、高等学校に行く頃になると、周りからの影響なのか、普通高校に行くように言われるからか、その夢が崩れていってしまうという。私は、もっとロボコンと同じように、ものづくりということに対してきちんとした評価を日本全体が与えるとともに、手作業が得意で、指先の器用な子どもたちがしっかり学べるような学校をもっと宣伝していけばよいのではないかと思う。そうすれば、自分に向いたところを選ぶことができてくるのではないか。さらに言えば、高等学校の教育課程そのものがもっと弾力化して、職業人を育てるのであれば、その職業についての最低限必要な内容だけをやっていけばよいという考え方になる必要があるのではないかと思う。
 日本人の遺伝子と欧米人の遺伝子はもともと違うのだという話がある。日本人は、みんなと一緒に、そして少人数で学習すればきちんとやれる子どもが非常に多いとのことである。
 進学だけを目指すなら、予備校の例をみれば1クラス60人でも100人でもできてしまう。逆にそうでないところではもっと手厚く、10人とか12人といったように学級規模を小さくしたり、学級規模は変わらずとも指導をするときにそういう配慮をしないといけない。
 一律に人数を付けて指導をするよりも、もっと高等学校教育そのものの枠組みについて、地方自治体だけに任せるのではなく、国が支援することも必要になってくるのではないか。

委員
 先ほど、なかなか学力が伴わないで高等学校に進学してくる子も多いというお話があったが、中学校でも、確かな学力を定着させるための努力はしている。ただ、習熟の差が出ているのも事実である。
 中学における高校進学に向けた面接を見ていて、前と変わってきたのは、デザイン、あるいは服飾など自分の生き方を考えた中で高校選択をしている子がだんだん増えてきたことだと思う。これは、やはり高等学校が多様化したために、自分の生き方を考えながら進学校を決めてきているということだろう。
 必ずしも習熟度が上っていない生徒も、自分の希望を持って、今までの学習生活を省みて、高校生活に夢を託してもう一度やり直そうという気持ちになるのが、高校選択ではないか。そういう意味では、専門学科の中で学科が多様化されてくるということは、子どもにとっては大変よいことだと思う。ただ、科学技術の場面において、科学の部分が大きくとらえられて、技術の部分が弱いように思う。高等学校教育においても、特に専門学科の中で技術にかかわるような教育内容を充実すべきではないか。

委員
 今までの議論は、高等学校の現状の問題点を、委員それぞれの立場から指摘されるものだった。これは、人間に例えてみると、病気になったので、それをどう治したらいいかということを対症療法として考えてきたということだが、そういうことを議論している限りにおいては、国が本来目指す健康な高等学校は出てこない。つまり、健康な高等学校の在り方というのは何だろうかということの議論が、その前提にあると思う。
 前回までは、義務教育というものを議論してきた。その義務教育というものが国として、日本の国民としてどうあるべきかを基本として、個々の問題を論じ、ある程度目指すべき義務教育というものが見えてきた。同じように、高等学校についても考えるべきではないか。
 昔は小学校しか行かなかったが、それから中学校、高等学校に行くようになってきたという大きな流れがある。では、なぜ高等学校が生まれてきたのか。それが、昭和22年の段階では、学校教育法42条、41条に書かれている。今は進学率97パーセントで、もう義務教育と同じようなものである。そこで、では義務教育として考えるべきなのか、国が関与すべきなのかというところの認識がまず必要ではないか。
 高等学校は、今のところは義務教育ではないから、かなりの部分を個々の学校に任せている状況である。その中で、例えば、中途退学が2パーセントなどと言っているが、多様化していく中では中途退学があっても当たり前だと考えられる。中途退学をなくそうという発想自体がおかしい。このことも多様化の一環として抱えていい。今の時代は、義務教育ではもう満足できない多様な社会になっているので、単に大学に近づくためだけの発想ではなく、もっと基本的なことで議論された方がいい。
 先ほどアンケート調査についての意見が出されていたが、高等学校における学校の授業がわかるというのは、何パーセントを目指しているのだろうか。義務教育の場合は、私は、日本国民として100パーセントが身に付けていないといけないと思う。つまり社会に出る前に、日本国民としてある程度必要な素養を身に付けるというのが国の義務である。それが義務教育だからである。そういう義務教育を修めた者が高等学校に入ることにならなければならないと思う。

委員
 アンケート調査については、今の高校教育の実態として、今後、高等学校教育をどう改善するかの1つの契機になるだろうと考え問題提起をした。
 本当はすべての生徒に教えるべき内容を学習指導要領で示しているわけだから、本来100パーセント理解させるように教育するのが、学校側で努力すべき目標だと思っている。しかし、その実態は、先ほど中学校でさえ5割ぐらいの子どもしか理解していないという実態が出てきている。また、小学校でも7割ぐらいしか子どもたちが学習指導要領の内容を理解していないという調査結果は出ている。そういう点では、小学校、中学校、高等学校それぞれが課題を持っているということになる。
 そして、十分授業の内容が理解できない状況があるならば、教科書について、上級学校を目指すような子どもに対するものと、基礎的なことをもう一度学ぶ子どもに対するものと分けていくことも考えられる。
 また、日本は、ある意味で貿易立国だから、ものづくりは中心にあって、職業教育を行う専門学科はスペシャリストを養成するように推進すべきだと思う。

委員
 私は、高等学校では100パーセント理解させる必要はないと思う。かなりレベルが高くなってくるので、80パーセントがわかればいいのではないかと思う。そこで、現場の先生が到達目標として持つことが大事ではないか。そのように何パーセントを目標にするという意識が大事だと思う。

委員
 学ぶ意欲をスポーツに例えて考えると、スポーツの世界でもよい結果を求めてやり過ぎてしまうと、やっていることを楽しむ気持ちを忘れ、完全燃焼して失敗する場合もある。大事なことは、体を動かすことが楽しくて、そのステージごとにやっていくうちに結果がついてくるということだろう。学力も一緒で、やはり楽しく学ぶ、つまり、勉強していろいろなことを知ることが楽しくなってくるということがとても大事だと思う。学ぶ意欲は、楽しんで基礎をつくっていくことではないか。
 先ほど意見あったように、義務教育の内容を高等学校でしっかりと身に付けさせる、補てんすることができれば、また楽しみも出てくると思う。今は、若いときから大学入試に向かっていって、勉強することを楽しめるという気持ちがなくなってしまう人も多いと思う。義務教育や高等学校において、どこまで学力が到達したかをチェックすることだ。しっかり基本を身に付けることが、次へつながる楽しみにつながっていくと思う。

委員
 私は、高等学校は、教養を身に付けて経験を積むところだと思う。ただし、97パーセントの生徒が入ってくる現状の中では、そればかりも言っていられない部分がある。
 高等学校を卒業したら半分は大学に行くが、半分は大学へ行かない。だから、高等学校では、一方ではきちんとした教養、経験を身に付けさせ、もう一方では、やはり中学校まででできていないところがあったら、それをきちんと補てんをしていくことだ。そうしないと、その子はもう二度と広く学ぶということを経験できない可能性もある。
 また、中学校までであれば学級活動、高等学校であればホームルーム活動とというように非常に温かな人間関係の場所がある。今一番大切なのは、大学入試があるからといって大学受験だけできればよいわけではなくて、大学へ入ってから、あるいは大学を卒業してからの長い人生をどう生きていくのかということを、もっと高等学校の間に考えさせておかないといけない。
 高等学校でも、例えば、シラバスをつくったり、授業研究をしたり、あるいは校長が地域に出ていって顔を見せるなどいろいろやっている。しかし、まだまだ足りないところがある。
 本校では、学校は学びの場であり、小さな社会であり、楽しいところだという、生徒と3つの約束をしている。
 学びの場だから、「君たちは学べよ。学ぼうとする謙虚さを持て。我々は学ぶ機会を提供しよう」という。
 小さな社会だから、「君たちは大きな子どもじゃなくて小さな大人として対応しましょう。そのかわり君たちは場と状況を理解して責任をもって行動せよ」という。
 楽しいところだから、「楽しさなんて待っていても絶対得られない。参画して参加する意思を持ちなさい。そうすれば本物の楽しさが得られる」という。
 高等学校においては、こういう当たり前のことを、ホームルーム活動あるいは学校行事を通してできる最後の場面であるという意識持つべきなのだろうと思う。

委員
 高等学校の卒業生の問題は、いろいろ各国で悩んでいる。例えば、英国の状況としては、やはり一時ニートがかなりたくさん出て、国民的な議論になり、16歳の中学校卒業生対象に、GCSE(General Certificate of Secondary Education)という卒業試験をやることになった。英国の社会は合理的にできていて、そのGCSEでいい成績を取らないとなかなかいい企業へ就職できないようになっている。逆に言うと、企業はそういう制度を信用しているわけだ。だから、国としては、そのGCSEでできるだけいい成績をとってもらうため、7歳、9歳、11歳、13歳、15歳、17歳のところで到達度試験を始めた。
 アメリカも非常に多様化して、必然的にコミュニティカレッジやリベラルアーツカレッジが出てきて、教育システムそのものをつくっていったわけである。
 先ほど、中退でもよいではないかという意見があったが、困難校のケーススタディをみると、ドロップアウトした生徒は生きていく道はあるものの、悲惨な状況になっている。日本のシステムの中だと、中退すると落ちこぼれになる可能性が非常に高い。
 英国では、今、企業の統計では、大学進学率が106パーセントになっている。ところが、18歳の進学率というのは23パーセントしかない。つまり、落ちこぼれにならないようになっているわけだ。一遍ドロップアウトしても、そこからまた大学へ行けるシステムがきちんとできているということが、1970年代ガタガタだった国が今のダイナミズムを取り戻した大きな要因になっているのではないかと思う。

(2)事務局により資料について説明の後、幼稚園教育と小学校教育の接続・連携について自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○=委員、△=事務局)

委員
 幼児期には幼稚園、保育所2つの機関がある。国の大きな流れとして、私たちが将来を考えるときに、それが一緒になるという方向で議論をするのか、今ある幼稚園をベースにして議論をするのか、方向性を示してほしい。

事務局
 現在、幼稚園と保育所を両方認可を取って一緒に経営されている数も増えてきている。幼保一元化に向けて、今、幼児教育機能と保育機能、それに加えて地域の子育て支援という機能をあわせ持った総合施設として拡充していきながら、将来的に幼保一元化を目指すのではないかという現状である。

委員
 資料5の19ページから掲載されているが、ごく簡単に私の意見を述べたいと思う。私の意見は、個人的意見というよりは、これまでの研究開発学校における研究その他の知見の整理とご理解をいただきたい。
 その前に、幼稚園と保育所との関係については、答申概要(資料5別添)で幼稚園等の教育施設として保育所を含んでいるように、既に中央教育審議会では、幼稚園と保育所をあわせて両方ともが幼児教育を担うと位置付けられている。
 幼児教育は、参考資料3のイメージ図で言うと、一番左端のほとんどがピンクの部分で、特に体験や具体物にかかわる部分を担っている。小学校は、ピンクからブルーに移行して、高学年だとブルーが中心になる。すると、小学校の特に低学年は、「読み・書き・計算」を中心とした繰り返し指導と、いろいろな教科の中で、その右側の物事を対象化して認識するという部分が入ってくる。また、ピンクとブルーをつなげるものとして生活科が導入されているのだと思う。これまでのところ、そのピンクの部分としての具体的活動を幼稚園がやっているのに対して、小学校になるとブルーの部分が入ってきて、そのあたりのつながりがうまくいっていないのではないかと考えている。
 幼小連携の問題の1つは、小学校側で子どもが入ってきたときにいろいろと問題があり得るということだが、もう1つは、幼児教育のさまざまな具体的な体系を通した成果が小学校教育で十分生かし切れていないということである。また逆に、幼稚園側で小学校を見通した教育活動が十分ではないということである。つまり、幼稚園と小学校のそれぞれの改善が必要ではないか。
 まず、もっと幼児と小学生の交流を進めるべきである。
 それから、教師の交流も必要で、先生がお互いに相手の教育の仕方を理解したり、情報交換することが必要だ。特に指導が難しい子どもについての情報を、幼稚園、保育所、小学校の間で交流させていく必要がある。
 それから、教育課程上でも一貫させていくことが必要である。このことは3つの軸から整理でき、それぞれ資料7のイメージ図の一番右側にある「「生きる力」の主要例(案)」で、個人の部分と、周りの子ども同士の協力の部分と、個人と社会という部分に対応させることができる。
 つまり、第1の軸は「自己と社会性の育ち」で、これは個人の主体性を育てる部分だが、これが幼児期から小学校につながる。第2の軸が、幼児教育では「協同的な学び」と呼んでいるが、子ども同士が協力しながら学ぶ部分だが、これが自己と他者の関係の学習につながる。第3の軸は「学習の芽生え」で、さまざまな保育内容にかかわる部分だが、これが個人と社会、社会・文化・自然理解、言語・情報活用等々にかかわる部分につながる。
 申し上げたいのは、小一プロブレムなどでのいろいろな適応上の問題を含めて、幼児教育が行っていることと小学校教育が行っていることをもう少しつなげることで、それぞれの成果をうまく生かした教育が実現できるのではないかということだ。

委員
 日本の幼児教育は世界一だという話がある。しかし幼児教育が、実はもう機能しなくなってきているということを私たちは問題にしている。
 機能しなくなってきた理由はいろいろあると思うが、最大の理由は、1986年の男女雇用機会均等法の成立である。そこから明らかに日本社会は変わったのである。社会が変わったということは家庭教育が変わったということになるが、問題はそれを前提とした教育システムの変更が日本はまだ十分ではなかったということである。
 象徴的なのは、幼稚園に通う子どもと同じぐらいに今は保育所に通う子どもがいるという現実である。ところが、小学校と幼保の連携というのがほとんどされてこなかった。具体的には、例えば、幼稚園と小学校はようやく最近、子どものいろいろな指導資料を幼稚園と小学校が交換し始めた。だから、幼稚園でこうだったというのが小学校の先生がわかる、あるいは、小学校でどうなっているということを幼稚園が踏まえることが相当できてきている。ところが、保育所とは全く交流がなかったのである。
 これまでは世界一と言われるようなものをつくり上げたが、現実の社会が変化したために機能しなくなっているという問題だ。その辺をきちっと整理して議論しないと、歴史のある、内容のある幼児教育が生かされなくなる危険がある。
 幼児教育の前提としては、4時間の保育である。ところが、社会変化によって、今は、4時間の保育でやれる幼稚園はもう本当にごく一部になってしまって、ほとんどの子どもは延長保育という形で長時間の保育をしている。総合施設になるともっと長くなる。
 それに対して、今までの4時間を前提とした幼児教育がそのまま適用できるかどうか、整理して議論する必要がある。

委員
 幼小連携は、非常に難しい。中高の連携、高大の連携も同じだと思うが、特に難しいのは、幼稚園と保育園があり、そして幼稚園の中でも私立幼稚園と公立の幼稚園があり、それぞれの教育方針がまちまちだということだ。幼稚園教育要領はあるが、その法的拘束力というのは、公立幼稚園には適用されるかもしれないが、私立幼稚園にはほとんど適用されていないのかと思う。私立幼稚園では、言葉を教え、音楽を教え、英語を教えている。そういう子どもたちが1年生に入ってくる。公立幼稚園では、4時間が基本だが、実際には、4時間ではとても子どもが集まってくれないから、延長保育という形で親御さんのニーズにこたえる保育をせざるを得ない。
 私自身も幼稚園長と小学校長を兼務していたから痛切に感じるが、とにかく様々な子どもが小学校に入ってくるという現状である。
 まして、今の小学校では、学校選択制が出てきたために、全く地域のことを知らない子どもたちや親たちが学校を選んでくることになる。そうなったときに、学校としては何の資料もない子どもを受け入れることになる。これでは、小一プロブレムが起きないほうがむしろ不思議だと私は思う。
 ニュージーランドやオーストラリアでは、5歳児入学ということをやっていた。この5歳児入学というのは、誕生日が来ると自動的にそこに入ることができ、生活習慣をある程度そろえるための準備期間を過ごす。そこで、幼稚園に近い子ども、小学校に近い子ども、その中間の子どもぐらいに振り分けをした上で訓練をして、次に小学校2年生に入ることになる。
 日本の場合を考えると、先ほどご意見あったように、家庭教育が変わって、小学校にはさまざまな子どもが入ってくるわけで、5歳児入学にしたらまた大変なことになってくるだろうから、6歳児入学でいいだろうと思う。6歳入学にして、例えば1学期間は子どもたちの生活を見て、そこに手厚く先生方を付けて、2学期から学級編制をするといったようなことをしていかないと、なかなか今の状況で小一プロブレムを防ぐことはできないだろう。それぐらい幼稚園教育、幼児教育が多様化している。
 全連小の発表の中に、小学校では契約を結ぶという提案があった。私は、特に学区域が自由化された学校については、親と学校が契約を結んで、「こういうことが約束できない子どもは、悪いが来てもらっては困る」としないといけないと思う。親は学校を選ぶ権利はあるけれども、学校は一切親や子どもを選ぶことができないというのはルールに反する。子どもが抽せんで学校に入ってきて、その結果として、学校は40人ぎりぎりいっぱいの子どもを抱えて、しかも、その中にいろいろな問題を抱えた子どもがいる。関連して全連小から幾つかの提言が出ていたが、せめて自分に関することと食事に関することぐらいはきちんとできていなければ、小学校に入って集団的な生活を普通に維持していくことはなかなか難しいだろうと思う。

委員
 連携の大切さについて、現場の立場から言わせていただきたい。
 1つの小学校に2、30園の子どもたちが来る。それは公立幼稚園、私立幼稚園、公立保育所、私立保育所いろいろである。受け入れる小学校や1年生の担任は、全部の子どもたちの状況を一応把握しているが、各園の考え方には違いがある。それから、公立に比べ、私立の子どもの数が圧倒的に多い。私立では、子どもに関する研修について、いい研修をしているところもあるが、公立と比べると、経営論理で研修ができにくい状況がある。そういう中での1年生だから、問題が起きないわけがない。
 家庭教育についての研究組織を設けて検討しているが、そこでは小学校の先生からは、人の話を聞くとかあいさつをするとかいうことは小学校に上ってきたときに身に付けさせようとしてももうだめで、小学校に上ってくるまでの幼稚園保育所段階でなければうまくいかないという意見も多い。
 そういう意味で、幼児教育は、社会化の体制づくりの必要があるのではないか。今までの幼児教育は、例えば、保育所などは、基本的には保育は家庭がするもので、その保育に欠ける子どもが通うという考え方があった。しかし、もう家庭教育に期待ができなくなっている状況だから、社会的にどうするべきかということを組織的に考えなければならない。社会的に幼児教育をどういうふうにしていくかは、幼稚園だけでなく、保育所もあわせて、みんな一緒に考えていく一番大切な時期だと思う。特に、どこの幼稚園、保育所でも、先生や保育者が研修を受けるシステムをきちんとつくっておかなければいけない。
 それから、先ほど学校選択制の話が出たが、私は地方の立場として少し違和感を感じる。地方では、学校は地域の中にあるものだ。また、基本的に公教育というのはまだ崩れてはいない。高等学校ですら、私立はたくさんはなく、みんな公立高校に行きたいのである。だからこそ公教育の担っている役割は大変大きいのである。また、学校はいろいろ言われるけれども、それは期待が大きいからである。地域みんなが学校を見守って、学校は地域の中にある学校として機能しているのだ。このような中では学校選択制は考えられない。これは都市部の状況とは違うだろう。

委員
 高等学校教育と幼保一体化、就学前の教育は、全国の首長にとって盲点であり、大事なテーマである。
 私は、地域で教育を考える場合には、子どもがどういう大人になるべきか、子どものあるべき姿をまずイメージしないといけないと考える。そして、生涯学ぶ喜びを追求する大人になることが子どものあるべき姿だととらえている。地域では、生涯学習は盛んであり、健康な人は勉強に対して積極的である。地域を信頼し、地域に任せるという視点も重要である。
 幼保一体化について、子育ては、単に子どもを預かるということではだめで、教育という立場で明確な情報を出していく必要がある。その延長線上で、子育てについて、文部科学省や教育委員会がイニシアチブをとるべきだと考えている。
 各市町村教育委員会は、自由度があり、地方の首長や教育委員会がその十分な権限や機能を生かしていけるように周知していくべきではないか。

委員
 わが市で平成14、15年度の2年間をかけて、審議会を設けて答申をしていただいた。その発端は、小学校1年生の担任をやりたがらないという話があったことである。
 答申の中では、幼保の一元化について、窓口を一本にしてはどうかという意見があった。つまり、幼稚園と保育所の所管を一つにしてはどうかということについて議論をしようというものである。
 他の問題としては、保育園の場合、園児に時間的感覚がなく、小学校1年生になって45分座ることが、子どもにとっては苦痛であるということを踏まえ、そこで、年長だけは、30分座学のようなことをやってみてはどうかというものである。。
 それから、小学校1年の教育内容と教科書は、今の時代にふさわしいかという問題もある。今の子どもたちはマスコミやいろいろなところで知識を得ている。
 最後に、幼保一元化問題については、例えば、0歳から1、2歳は、全部保育園にして、そこから上は全部幼稚園にすることも考えたりしている。

委員
 幼保の関係については、事務局から一元化の方向だとお話があった。日本政府は子どもの権利条約を批准しており、その中の、子どもの最善の利益というのが、大事である。実際の制度として、幼稚園は3歳から5歳児を対象とし、また、保育園は0歳児から5歳児を対象とするという違いが一元化を阻んでいる。また、総合施設も二元化しているので、そこは直していく必要がある。
 幼小の連携の問題として、子どもたちの交流というとき、公立幼稚園をつくっていない、私立幼稚園と公立小学校との交流が難しい。
 自治体の場合、その原因としては二つのことが考えられ、1つは教員が多忙であるために時間がないという点、もう1つが、教員養成課程が異なるため、免許が違い、関心の度合いが異なるという点である。
 そういう問題点がありながらも交流は進めざるを得ない。この問題点をしっかり考えなければ、この教職員の負担が、ややもすると子どもたちへの過重負担になってくる。
 また、幼稚園、小学校が合同して一貫したカリキュラムをつくらないといけないと思う。このためには幼稚園、小学校の両方から乗り越えないといけない。

委員
 現状としては1、2人の小学校の先生が幼稚園に行っただけで、一種の見学扱いされかねない状況である。免許の問題などいろいろあることは知っているが、幼稚園と小学校、あるいは幼稚園と保育所の先生方の交流というのは、制度的、理論的、現実的に極めて難しいものかどうか伺いたい。
 それから、小学校と中学校、中学校と高等学校、高等学校と大学の交流が進むことで、横割りの問題をお互いに認識できるきっかけになると思うが、実態はどうか伺いたい。

事務局
 場面を分けて、研修については、現在のところ、幼稚園、保育所の先生の合同研修も促進しており、地方でもいろいろな取り組みがなされている。また、幼稚園、保育所、小学校の先生まで含めた交流、研修についても、なるべく取り組んでいただくようにお願いしているところである。
 一方、人事の交流まで含めると、若干難しい問題はある。それは、ご指摘の免許の問題もあるが、例えば、幼稚園と保育所については、公立か私立かということもあり、また、同じ公立の幼稚園、保育所の先生方と同じ公立の小学校の人事交流であっても、それぞれの先生方の任命権者が違っているということである。小学校の先生の任命権は県にあるが、市町村の公立幼稚園の先生の任命権は市にある。ただ、調整がつけばできることで、現に実例もあるようだ。
 人事の発令を伴う交流以外にも研修制度を活用する例もあるようなので、そういった事例について、積極的に情報発信していきたいと思う。

委員
 校種間連携の1つのブレークスルーになったのが、中高一貫だと思う。非常に難しいと言われていたが173校もできた。
 私も就学前教育というのは、非常に重要だと思う。最近、脳科学の研究が随分進んでおり、研究者の話によると早い時期にある程度のことをやっておくことは重要であるとのことである。

(3)事務局より、三位一体改革及びその中での義務教育国庫負担金制度の取り扱いについて説明があった。

(4)事務局より今後の日程について説明があり、閉会となった。

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課教育課程企画室

(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)

-- 登録:平成21年以前 --