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教育課程部会(第32回) 議事録

1.日時

平成17年11月18日(金曜日) 10時~13時

2.場所

丸の内東京會舘 「シルバールーム」(11階)

3.議題

  1. 教育課程の基準の見直しについて
    ・「生きる力」の育成を目指す教育内容・目標の構造について
    ・基本的方向に盛り込む項目について

4.出席者

委員

 木村部会長、赤田委員、井上委員、植木委員、宇佐美委員、衞藤委員、大橋委員、陰山委員、加藤委員、佐々木委員、角田委員、田村委員、渡久山委員、中嶋委員、深谷委員、増田委員

文部科学省

 結城事務次官、銭谷初等中等教育局長、樋口政策評価審議官、板東官房審議官、布村初等中等教育担当審議官、常盤教育課程課長、合田教育課程企画室長、井上教育課程企画室長補佐、田中視学官、板良敷視学官、廣瀬視学官、平田視学官
国立教育政策研究所
 舟橋部長

5.議事録

(1)事務局より資料についての説明の後、「生きる力」の育成を目指す教育内容・目標の構造について自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○=委員、△=事務局)

委員
 資料4の左の各教科等で身に付けさせたい基礎的・基本的な知識・技能等(例)のところに、総合的な学習の時間がないのはどういうことなのか。
 2点目として、左の各教科等で身に付けさせたい基礎的・基本的な知識・技能等(例)と、中央の各教科等・総合的な学習の時間で身に付けさせたい力の両方に「身に付けさせたい」と記載されているがこれでいいのか。例えば、中央の方は、「はぐくむ」ではないのか。
 3点目として、例えば中央の欄の各教科等・総合的な学習の時間で身に付けさせたい力の下の「情報を獲得し、思考し、表現する力(例)」の4・6・10・12は、右側の欄の1から12である。これをチェックすると、6だけが5回出てきているのに対し、1回しか出てこないのが5と11である。これは、あえてこうしてるのか。6.が5回も出てくるということは、今回、6.を強調したいのか。
 次に、将来設計という言葉は、左側、中央、右側の欄にあわせて3箇所も出さなければいけないのか。
 最後に、能力と力は概念が違うのに、いい加減に使われているのではないか。国が出すものには、能力と力という言葉の概念規定をしておかなくていいのか。

事務局
 資料4の左のところは各教科等なのに、中央の欄には総合的な学習の時間が入っている。各教科等については、それぞれ固有の知識、技能を育てるという特定された内容が含まれている。これに対し、総合的な学習の時間の内容については、環境や情報などが例示として示されているが、基本的にその内容の決定は各学校に任されており、もっぱら資料4の中央に示した力の側面の場面において、総合的な学習の時間を位置付けてはどうかという考え方で整理をした。
 両方とも「身に付けさせたい」と記載していることについては、おそらくご議論があろうかと思う。知識・技能等は身に付けさせる。しかし、力の側面については、例えば、自ら学び、自ら考える力をはぐくむ、育てるという形で、教育の「教」ではなくて、むしろ「育」の方でとらえてはどうかという考え方も成り立つが、私どもとしては、具体的な内容として特定しているのだから、できる限り実際に獲得をすることを重視してはどうかということで、こういう整理をした。この点はご議論を深めていただければと思う。
 6については、中央の欄のそれぞれの数字は、右側の欄の数字と関連している。この6は人間関係形成力で、非常に幅広い側面を持っている。コミュニケーション能力は論理的な側面であっても、情緒的な側面であっても、捉え方が広すぎるのかもしれないのだが、主体性ということを考えると、自分のことだけではなくて、他者との関係における主体性もあるので、6.の部分はいろいろなものに関わっているという整理になっている。関わり方の濃淡についてもう少し工夫したい。
 将来設計は確かに3箇所に出てくる。これは左側の特別活動の欄、中央の欄、右の欄のそれぞれに出てくる。例えば道徳で言うと、道徳の時間で身に付けさせたり、はぐくんだりするというところと、学校教育全体を通じて身に付けさせるというところの二重の性格を持っているので、左側の欄と中央の欄の両方に出てくる。また、そのことは非常に重要な価値であるので、さらに、右側の欄にも出てきている。3箇所あるのは非常に煩瑣ではないかということは、ご指摘のとおりだと思う。この点については、用語の工夫ということで対応をするのか、あるいは、構造的にそういう部分をもう少し解消するようなアイデアを考えていくのか、ご意見をいただければと思う。

委員
 日本の教育は、宗教について、ある意味で非常に弱いところがある。幼稚園から小・中・高等学校と学習してきた学生が、宗教についていま一つしっかりした考えを持っていないという気がする。事実、公立学校では、憲法に書いてあるので教えることを避けていたということがもしあったとすれば、この問題は少し考えなければいけない。
 会津の日新館では、教えることを項目にして書いた校則がある。その校則の最後にならぬことはならぬと書いてある。これは、理屈を超えて、とにかくだめなものはだめということを掲げている1つの見識だと思う。今日的な意味で、宗教に触れる時期に来ているのではないか。本部会においては、家庭教育、社会とのかかわりにはっきりとした姿勢を出しているわけだから、そこまで踏み込めないか。

委員
 中央の欄の自尊感情は「生きる力」のうちで前向きのものだが、昨今のストレス社会では、こういう面に加え、休むことや力を抜くことの大切さなども必要ではないか。
 私が触発されたスポーツ・青少年分科会における報告がある。その内容は、今の子どもは自分の力より期待の要求水準が高すぎると考えている。むしろ、勉強はできなくてもいいというように価値を下げ、期待の水準も下げたところから出発した方がやりがいが出てくるという考え方があるとのことだ。
 人間はだれでも最初からできるわけではない。努力していくうちに、自分の限界が伸びていくという感覚を知ることが大切ではないか。そういう概念を取り入れていただきたい。
 それから、障害者に対して同じように生きている人間として尊重する感覚が必要だ。その感覚は、我が国では非常に遅れている。その概念についても、取り入れる必要がある。
 中央の欄の「知識・技術を実生活で活用する力(例)」のところでは、環境の話はもちろん出てはいるが、環境と地球が無限ではないことやリサイクルが必要であること、ものを大切に使わなければいけないことが入るのではないか。
 最後に、ものづくりの世界を描き出してほしい。特に、左の欄の技術・家庭に「材料と加工法、製作物」とあるが、このことから身に付けるものとして、日本の優位性、つまりクオリティの高さがある。できればこのことをどこかへ入れていただきたい。技術の基礎というのは、型のようなものだ。はしの使い方から始まって、のこぎりの引き方など、基本的な型から身に付くところがある。

委員
 中央の欄の各教科等・総合的な学習の時間で身に付けさせたい力の「人間関係、共感・協力(例)」のところだが、例えば、「弱い者いじめをしないなど他者を思いやる」、「あいさつやマナーの基本を理解実践できる」から、「正義や公正さを重んじてトラブルを解決する」まで、大変プリミティブな段階から高度な段階までを表している。そういう意味で、基礎・基本の力が少しずつ身に付き、その上に積み上げられて、さらに次の段階の確かな基礎・基本となり、このことの繰り返しが考える力につながるのだということを矢印が表現しているのだと思っているが、そのことは、何枚かシートがあった方がわかりやすい。発達段階に応じ、基礎・基本はこの段階ではここまで、そのときはぐくむべき力はここまでというふうに示してもらえたら、地方の現場の教員にとってもそこまで達成させるように頑張ろうというはっきりとした動機づけになると思う。小学校段階の低学年、中学年、それから中学校に上がる段階などをより細かく検討していただけたらと思う。
 それから、中央の欄の各教科等・総合的な学習の時間で身に付けさせたい力についてだが、以前のイメージ案によると、確かな学力、豊かな人間性、健やかな体と3つになっていたが、今回のイメージ案では、健やかな体の部分が抜け落ちているので、再度入れていただきたい。

委員
 先ほど能力と力という言葉について問題が出されたが、現場はこういう言葉に非常に敏感に反応する。力の方が幅広い概念があり、混乱を招きやすいということを念頭に置き、能力と力をきちんと使い分けるのか、それとも、能力で統一をするのかを考えなければならない。
 学習指導要領は基礎・基本だと言いながら、それとは別に基礎的・基本的な知識・技能という言葉があるので、わかりにくいという指摘がある。もう少し基礎と基本というものをきちんと煮詰める必要があるのではないか。また、基礎的という「的」がついた場合には、もっと概念が広くなってくると思う。そういう言葉がかなり曖昧に使われているような感じがする。
 例えば、理科で、基本ではなくて、基礎となる知識・技能と表現されている。また、道徳でも、基本的な生活習慣という表現がある。基礎・基本という絡げた表現ではなく、基礎的な、あるいは基本的なという表現になっている。これを機会に、昭和30年代か40年代にあった学問的な議論ではなく、基本とはこうだと言葉の使い方を明確にすると誤解を招かなくて済むのではないか。その点を整理すれば、現場としては混乱が少ない。
 また、この教育課程部会できちんと定義しておかないと、各教科等の専門部会では混乱する可能性がある。
 健やかな体についても非常に重要だと思う。子どもたちの体力が低下していることや、知育にウエイトがかかり過ぎている状況を考えると、健やかな体についてきちんと明確に出しておいていただきたいと思う。

委員
 中央の欄の自尊感情、生命尊重などの中に、「生涯にわたり運動やスポーツ、文化や芸術、読書に親しむ」と記載されている。ここにヘルスプロモーションという観点を入れた方がよいのではないのか。
 なお、資料5の12ページの右下にある「ヘルスプロモーションの考え方を生かし、生涯にわたり健康に関する情報を正しく判断し、行動に結び付けるための知識」というのは、極めて限定した言い方になっている。「生きる力」の育成を目指すためには、学校に通っている時だけ健康であればよいというのではなく、学校を卒業して社会で働き、老いていくまでを見通した力を付けていくということが大変大事だと思う。

委員
 「生きる力」の主要例1.自尊感情と5.協調性のことについて、少子化で一人っ子の子どもが増えてきたこともあって、いまの子どもは相手を認めて自分が我慢をすることが少ないのではないか。そのことが学級崩壊等の問題と関わっており、小1のみならず小学校全体、あるいは中学校まで尾を引いているのではないかと感じている。イメージ案の中には、弱い者いじめをしないことや他者を思いやること、我慢することも入っているが、自尊感情とともに、我慢するという忍耐力もあわせて入れないと、学校教育の中で協調性を欠く要因になるのではないかと思う。
 生涯学習の観点から、放送大学に入学する人達にとって何が一番重要かというと、まず、学びたいということと、生涯にわたって自分が知らない様々なことや、興味を持ったことを探求していくという知的好奇心と探究心である。そして、それとともに、継続する心や継続する力も生涯学習の中では重要になる。忍耐力や努力を継続する力は小学校段階から必要ではないか。

委員
 イメージ案は左から右ではなく、右から左へ、つまり実社会・実生活から基礎的・基本的な知識・技能等の例などの方へ見ることができる。その場合、実社会で必要と思われる自己責任というのはどこに入るのか。また、創造力、新しいものをつくり上げていく力も、これから必要になると思う。
 それから、左側の欄と中央の欄については、環境の問題は全員が認識し、しかるべき行動をとっていかなければならない。
 それから、働くことの基本である体力の記述が少し欠けているのではないか。
 コンピュータについては、手段や技能、情報収集、自分の意思の伝達、国際的な理解、国際的なコミュニケーションにおいて必須である。パソコンに関するレベルが入っていないのではないか。

委員
 「生きる力」のある子どもの育ちは4つのステップがある。1つ目は自分なりの実り、成果をつくり出したり、あるいは、周りから見つけることができることである。
 2つ目は、問題が起きたとき、自分の行動、あるいは発想の展開によって解決できるのではないかと考え、確信することである。
 3つ目は、自分を褒め、認めることである。
 4つ目は、一人よがりにならないようにし、自分が周りの人のために行動し、役に立とうというふうに行動を起こしたり、気持ちを持ったりすることである。
 イメージ案で、少し気になるのは、将来設計という言葉が出ていることである。子どもには、大人になったら何になるのかを周りの人と話したり、学校で話したりする機会が多くある。しかし今から将来の職業を決めなくてはならないと思いこみ将来のことばかりを考えていると、不安になったり、今を不満に感じたり、迷って立ちどまってしまったりすることになる。今どのような行動をするのか。自分の周りのことを参考にして何をしたらよいのかを考えたり、今何をすべきかを考えたり、解決したりする力にも重点を置かなければならない行動できる力が加わわればよいと思う。
 物の考え方、発想術も生きる力の一つではないか。ポジティブシンキングや様々な発想の仕方として、例えば言語ならアクティブ言語というものがある。「悩み」という言葉を使わないで「課題」と使うなど言葉の使い方やものの考え方で、捉える力が変わってくる。先生が日々導入するなどし、子どもたちに発想の転換のようなものを触れさせることも、「生きる力」の一つとして重要ではないか。
 先ほどの発言の我慢する力について、体をじっとさせることだけでなく、ストレスを受けたときにそれを体から外に出すこともある。運動や体の動かし方を学んでいくことが重要である。
 知識・技能等の欄については、教科書、親、先生だけでなく、テレビなどから子どもたちに様々な情報が入ってくるので、情報リテラシー、つまり、物事をどうやって調べたり、比較したり、選んだりするのかが必要になってくる。

委員
 次の学習指導要領を出すときの時代性を考えたときに、ITの活用を含め、今後、子どもたちが国際社会の中で生きていくときに、どのような力を身に付けなければいけないのかという、未来へ向けた戦略性が必要になってくるのではないか。
 北京の小学校教育では、小学校6年生が英語でやりとりする。それで、中国の英語教育について向こうの先生に伺うと、小学校の段階で習得するべき英単語の量が1,000語とのことであった。韓国においても、やはり似たような話を伺った。
 それを考えると、例えば10年後、20年後に、今の子どもたちが大人になり、街角や国際会議で、東アジアの子どもたちや若者たちの中に入っていけるのだろうかと心配になる。今まで我々が学習指導要領を考えるとき、国内だけの枠組み、あるいは、今までの反省の上に立って作成してきたのではないか。今までのものをどのようにリファインするのかということが基本的な枠組みでは、若干弱いのではないか。
 前回の資料や現行学習指導要領には、環境問題等について、戦略的な意図が感じられ、この考え方は継続したらよい。ところが、将来を考えると、再度盛りだくさんの内容に戻ってしまう。だから、この点について、家庭教育ではどこまでやるのか、社会に対して協力をどれだけ求めるのかを、どこかに提起する必要がある。例えば、忍耐力を学校だけで身に付けさせるのはもう無理である。小1プロブレムなど、小学校入学段階で起きる問題があることを考えると、小学校からは積み上げていくことはできない。今子どもたちの置かれている環境と、将来の方向性という2点から考えて欲しい。
 外国語教育や生活科と理科教育との連続性については、もう少し将来性や高等教育との関連で少し突っ込んだ議論が要るのではないか。

委員
 参考資料1の「生きる力」の3つ目の側面にある健やかな体の部分について、資料4では、その取り扱いが少ないのではないか。
 健やかな体としての健康といった部分は、体自体の健康や心の健康、社会的な健康もあるので、こういった部分での記載ができると思う。
 先ほど、ヘルスプロモーションについて話があったが、そういった観点も重要な点ではないか。
 資料4の中央の欄について、各教科等・総合的な学習の時間で身に付けさせたい力と、左側の各教科等で身に付けさせたい基礎的・基本的な知識・技能等の関連をどのように記載していくのかが、これからの課題になるのではないか。各教科等の中でこれらをどのように記載していくかは、各教科等で押さえておかなければならないものは何かについて整理がないと、混乱してしまう可能性がある。

委員
 10月26日中央教育審議会答申「新しい時代の義務教育を創造する」のポイントとして、市町村や学校の自由裁量を増やすということが考えられている。学校は月曜日から金曜日までの時間でいろいろなことを行っているので、資料4の内容をどのように実現していくかについては難しい。
 だから、教科の概念や教育内容、カリキュラムなどを考える場合、最終的にスリムなものにするとともに、市町村や学校の裁量をもっと発揮できるようなものにして欲しい。
 イメージ案に、例えば「寒冷前線が通過すると気温が下がることを予想し、外出するときに上着を持っていくと判断する。」という書き方より、天気予報を聞いて、どういうようなことをした方がいいのかという能力を書いた方がよいと思う。
 また、情報については、子どもがいろいろな情報を自分で選択したり、分析したりして、自分が生活をしていく上で必要な力を身に付けることが重要ではないか。
 「生きる力」は具体的に言うと職業選択だと思う。
 生きていくために何が必要かが問われたとき、職業選択がなければ生きていけない。実社会から見直せば、学校教育はスリムになる。
 学校体育の限られた時間で、体力を向上させることは難しい。全生活の中で、子どもたちに体力を付けさせるには、どこでどういう形で行うのがよいのか。例えば外部の方が学校の施設を使って、部活動や体育を指導し、生涯スポーツにつなげるようにするべきではないか。
 資料4を整理するための視点として、一つは、実社会に出て、どういう形で生きていくのかという職業選択である。もう一つは、学校の管理時間の中で、何ができるのかということである。これらのことを主に考えた上で、教科も細分化しないでまとめていただきたい。例えば芸術に関する教科という中で、図工や書道などを実施してはどうか。このことは学校や教員に裁量権を持たせる形で盛り込んでほしい。

委員
 国際化は言葉自体が古い。国際化というのは、ネーションステイツ、つまり、国家対国家の間の関係であり、今はグローバル化だと思う。
 グローバル化が始まったのは、まさに東西冷戦体制が崩壊した90年代の初頭である。その時代の大きな特徴は、一つには、ボーダーレスになってきたから、ネーションレベルではなくなったことである。もう一つは、ITの発達によって、世界が同時進行的につながるようになったことである。その一方で各地域のアイデンティティが非常に強くなってきていることである。この状況が生まれたのはわずか十数年前である。その前にはこんな世界など考えられなかった。
 そうすると、今の討議の内容は、将来を見越すとまだまだ変化するかもしれない。その時代に対応したような学習指導要領や方向性を出していただきたい。
 今、外国語専門部会で論議していることは、ある意味では非常にデリケートな問題で、反対論も多い。問題は、そのことをやるにはどういう具体的な措置が必要かということを考えていかなければならない。授業時数が少ない中、どの時間で小学校英語を行うのか、また総合的な学習の時間そのものをどういうふうに考えるのか、そのようなことを慎重に詰めていきたい。

委員
 資料4の内容は、できるだけシンプルでわかりやすいものにしてほしい。
 右側の欄の「生きる力」の中で、1自尊感情については、理解できると思う。3.意思決定能力と選択能力は少しニュアンスが違うと思う。そうすると意思決定能力のところに選択能力を記載していいのか。4.将来設計能力も理解できると思うが、役割把握とはどういうことなのか。これらのことは一例であり、シンプルでわかりやすものにしていただきたい。
 中央の欄で、例えば「自尊感情の下の自分自身の良さや個性を見出す」については、力として身に付けさせることである。2つ目の「早寝早起き朝ごはんなどの生活リズムを身に付ける」については、すぐにわかることである。しかし、これらは例として挙げられているが、同レベルのものなのか。
 各教科等で身に付けさせたい基礎的・基本的な知識・技能等の欄については、国語の最初の例が「…討論」で終わり、理科の例の文末がすべて「…知ること」で終わっているが、この部分についてもすべての教科等をシンプルに同一レベルぐらいで整理できないか。

委員
 先ほどから、「生きる力」の主要例のところで、健やかな体が欠けているという意見があったが、同意見である。また、体力という簡単な言葉を使ったことに対しては、これを強く押したかったのではないかと理解している。
 体力には、行動力、気力に加えて、抵抗力、克服力という言葉の定義があり、今の子どもたちには、我慢することや継続していくことが抜けているので、それらを養わなければならない。そのために健やかな体という言葉を加えるとともに、体力をその定義とともに強く押してほしいと思う。
 それと、各教科等で身に付けさせたい基礎的・基本的な知識・技能等の体育、保健体育ではぐくまれ、各教科等や総合的な学習の時間で身に付けさせたい力の中の自尊感情は、個人種目において身に付いていくと思う。ただ、1つ抜けているのは、チームスポーツや集団競技によって協調性を養うことができるということだ。このことは今大事なことではないか。中央の欄の人間関係、共感・協力のところには、「他者に感謝したり、協力したりする」と協力という言葉があるが、もう少しチームスポーツにおいて協調性が養えるのだということを入れていただきたい。

委員
 中央の各教科等・総合的な学習の時間で身に付けさせたい力(例)には、6.感性・表現力が5つある。これを見た方は、6.を強調していると捉えてしまう。相当慎重にやらないと、誤解や混乱を招くような気がするので、その辺を少し考えたいと思う。
 次に、資料4はシンプルにする必要があると思う。ある程度浸透した後に、もう少しディテールを付け加えるということはよいと思うが、最初からディテールを出すと、相当混乱するのではないか。

(2)事務局より資料「『8.基本的方向』に盛り込む項目」について説明があった。

(3)次回の議論に関し、高等学校教育の在り方について発言があった。(○=委員)

委員
 自分は何ができるかを考える人を育てるのが民主主義と教育との関係になるとすれば、高等学校の場合、目標を明瞭化し、多様化していくことが一番よい方法かと思う。その一番いい例がアメリカの大学教育である。アメリカでは、多様化を前提にした大学や高等教育の再編を行い、これが見事にうまくいっている。今、アメリカは世界最高の高等教育機関の仕組みを持っており、うらやむべきものがあるという評価を受けている。
 東京都には、入学した生徒の半分ぐらいが中退した学校があったが、学校の目標を明確にすると、中退者がほとんどなくなったという実例がある。このようなことについて、国が明確なヒントを与え、各都道府県に考えさせないといけないのではないか。
 高等学校の場合、受験者全員が入学しているにもかかわらず、入学試験が行われているというのは非常に不思議なことだ。入学試験の目的は何かをきちっと議論して、各地域でそれを踏まえた対応をする必要があるのではないか。今のように、1つの指標だけで子どもをラベリングするようなことでは、高等学校へ入ってやる気が起きるわけがない。このことについては、よほど考えなくてはいけないのではないか。

委員
 東京都には初年度の中退率が35パーセント以上で、通算すると50パーセントを超える高等学校があった。その高等学校を新たにエンカレッジスクールとして、子どもたちにはっきりとした目的意識を持たせる取組を行った結果、中退率がほとんどゼロになった例がある。教育の力というのは凄いものであると改めて感心をした。

(4)事務局より今後の日程について説明があり、閉会となった。

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課教育課程企画室

(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)

-- 登録:平成21年以前 --