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教育課程部会(第30回) 議事録

1.日時

平成17年10月31日(月曜日) 10時~13時

2.場所

丸の内東京會舘 「ゴールドルーム」(11階)

3.議題

  1. 教育課程部会の当面の検討課題について
    ・「基礎・基本」の徹底、自ら学び自ら考える「力」の育成について
  2. 教育課程部会の当面の検討課題(例)についてのヒアリング
    ・全国連合小学校長会

4.出席者

委員

 木村部会長、梶田副部会長、荒瀬委員、石井委員、石田委員、市川委員、井上委員、宇佐美委員、衞藤委員、大橋委員、加藤委員、角田委員、渡久山委員、中嶋委員、深谷委員、増田委員、無藤委員

文部科学省

 板東大臣官房審議官、山中初等中等教育担当審議官、布村初等中等教育担当審議官、根本主任視学官、常盤教育課程課長、合田教育課程企画室長、井上教育課程企画室長補佐、井上視学官、高口視学官、田中視学官、宍戸視学官、廣瀬視学官、平田視学官
国立教育政策研究所
 惣脇教育課程研究センター長

オブザーバー

 鳥居会長
発表者
教育課程部会の当面の検討課題(例)について
 寺崎千秋氏(全国連合小学校長会会長・練馬区立光和小学校長)
 池田芳和氏(全国連合小学校長会調査研究部長・港区立青南小学校長)

5.議事録

(1)事務局より資料について説明の後、「基礎・基本」の徹底、自ら学び自ら考える「力」の育成について自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○=委員)

委員
 資料4についてはうまく整理され、考え方の枠組みがかなり明瞭になってきた。その中で、例えば、「生きる力」の主要例の内容なども明らかになってきた。主体性の部分にある力は、民間企業が人事制度を策定するときに求める力とさして変わらないものとなっている
 ただ、主体性の部分では、忍耐力、我慢する力などを含めるべきだと考える。子どもたちの行動や育っていく過程で養われる原始的な力まで掘り下げておくことが必要である。
 また、子どもの状況を判断できるような基準を、各教科で育む力と「生きる力」との間の「発達段階に応じた指導」の部分に入れるとよいのではないか。

委員
 男女差は小学校後半に現れる。個体差、個人差が出てくるということである。例えば、身長の発育を見ると、概ね1歳以上女子のほうが成長が早く、小学校5年生くらいでは一番身長が高い子どもはほとんどが女子である。男女差の大きさは意識して取り組むことが必要だ。
 なお、発達に関しては、通常は身体的な形態の変化については「発育」あるいは「成長」と言い、働きの面、機能的な面の変化については「発達」と言うことが多い。

委員
 小学校では低、中、高という分け方が一般化しているが、その分け方がほんとうによいのかどうか、見直す必要があると思う。
 例えば低学年の場合、1年生と2年生は全然違う。1年生はまさに入門期で、幼稚園からの大きなギャップを抱えた時期だ。それが2年生になると、やや安定してくる。なお、1、2年生できちんとした基本的な生活習慣や学習習慣を身に付けることが、非常に大事なことだと思う。
 中学年の場合も、3年生と4年生は大きく違う。4年生は個人差がとても大きくなる時期だ。なお、3年生、4年生というのは、人とぶつかるなどトラブルが非常に多い時期だ。
 5年生になる際のクラス替えでは、学級が大きく変わる。このため、4年生から5年生になるとき、小1プロブレムと同じように、なかなか学級がまとまらない状況が生じてくる。この時期の子どもはそれぞれ個性を持っているが、それをセーブできないことから問題が出てくるわけだ。資料1-2の13ページでも、「周りの人から認められていると思うか」という問いで、4年生から5年生になるとき、大きく答えが変わってくる。4年生から5年生になるときの変化をきめ細かく見る組織をつくることが必要ではないか。
 ただ、この資料では、実は3年生でも、「時々思う」という回答が多くある。これを2年生と比べると、かなり増えていることも分かる。これは2年生から3年生になるときに学級解体があるからだ。毎年、担任がかわった場合と、担任が変わらない場合とでは、随分違いがあると思う。
 さらに、40年前と比べ、身体的な伸びが大きくなったり、第2次性徴が早くなっている。
 データを細かく分析し、ギャップを少なくするよう、条件整備をきちんとしていかないといけない。
 なお、中学校に入ったときに大きなギャップがあるのは、小学校の学級担任制と、中学校の教科担任制との違いが原因だと思う。このことについては、小学校6年生で、教科担任制を学級担任制に併用していくことにすればよいのではないか。
 人間はある意味で、ギャップを受けながら成長していくものだ。ギャップはある程度大事なことだと思う。適度なギャップを受けるシステムを整備していくことが必要だが、それは財政力の問題とつながってこよう。

委員
 小学校1年生は、以前と少し変わってきたと聞く。授業で「幼稚園でやった」とか、「知っている」という反応をするとのことで、今の1年生には新鮮味がないのではないかと思う。このため、いまの2学期ぐらいに学ぶ内容から授業を始めてもいいのではないか。
 小学校の教師によると、一番指導が難しいのが5年生だと言う。4年生までは子どもだが、5年生から大人にさしかかる。頭と体と心がアンバランスの状況があるのではないか。5年生でうまく育てないと、中学校へずっと引きずっていく可能性がある。
 各学年に違いがあるのは決まっているが、あまりに細分化するのもいかがなものかと思う。細かく分けて論じればそのとおりだとも思うが、ある程度アバウトに分ける方が、現場としては分かりやすいのではないか。

委員
 発達段階というものは、かなり大雑把に大枠を決めるものだ。いつの時期も個人差は大きく、特に小学校高学年から中学校前半ぐらいは、生理的・身体的発達において性差が非常に大きく、なかなか一概には決められないと思う。
 それでも、教育課程をつくる上では、2、3年間の大枠がないと不便で、その程度の期間について大きな特徴を決めた上で考える必要があると思う。
 問題は、幼小連携と小中連携である。ここは発達段階の大きな区切り目であり、連携の部分のブリッジングに配慮する必要がある。提案としては、発達段階的な大きな区切り目をつくり、それを尊重しつつ、その連携の部分にブリッジングを入れていく。さらに、教科ごとに、目標、内容について少しずつ学年ごとの違いを入れることだ。

委員
 1学級の人数を40人にするところに、非常に無理がある。いわゆる小1プロブレムは、個人差に加え、幼稚園と保育園から入学してくるという違いがあることで、学力や集団にばらつきが出てくるということだ。このことを前提に教育条件を整備していかなけばならない。
 資料7の8ページに、学校の授業の理解度がある。小学校3年は25パーセントぐらいが「よくわかる」と答えているが、高等学校1年生では「よくわかる」が2.1パーセントと少なくなっており、「大体わかる」、「半分くらいわかる」が、ほぼ8割である。それが教科を通しての学校の実態である。
 小学校でも教科が既に分かれているが、それでいいかどうか。例えば生活科は、理科と社会科を合科したものだが、音楽、図工、あるいは書道などを芸術的な情操を育てる教科として括り、その中で何を多くするかは、教員が考えることにしてはどうか。また、低学年で国語を多くしたり、算数を後の方にもってくるなど、各教科の時間数の配分を低学年、中学年、高学年で分けるようなことも考えられる。
 学年の区分やその間のブリッジングについては、発達心理学と教授法との関係を研究しなければならない。学問的な観点が欠けているようだ。
 豊かな人間性をはぐくむことについて、生活習慣、礼儀、人間愛などは第一義的には家庭で教えなければならないことである。家庭で人間愛らしいものを全く受けていない子に他人が人間愛を育成できるのかという問題がある。豊かな人間性、道徳的な価値は、生活習慣にかかわるが、この部分を学校で教えるのは限界がある。
 中学校の道徳の時間は、全く教科になっていて、実践哲学になってないようだ。学校での道徳は、単なる知識の学習なのかという問題がある。このことをどう考えていくのかが大事である。
 電車のシルバーシート座る子どもたちが、高齢者が来ても席を空けないでいる。これは学校だけの問題ではなく、家庭や社会の問題でもある。学校力との表現があるが、あまり学校力と表現することで、学校だけではできないことを背負い込み、言葉が形骸化していないか。

委員
 「生きる力」を支えるものは、基本的な生活習慣であろうと思う。学習を続ける力は基本的な生活習慣の部分に含まれると考える。「生きる力」を支えるものとしてどのような要素があるかを整理したほうがよいのではないか。
 発達段階の問題について考えなければならないのは、小学校と中学校の接続を学習指導要領の中でどう対処するかである。例えば算数・数学の例で、小学校の比例は中学校の関数になることから、小学校で関数に関する内容を取り入れ、中学校で比例の内容を取り入れた上で関数を取り上げる。そのような重なりのある学習指導要領が求められている。
 各教科の理解度、学習の定着度を深められるよう、子どもたちに学習上どのようなつまずきがあるのかを見つけ、小・中学校を接続する材料にしていくべきであると考える。

委員
 資料4については、「確かな学力」の中に「基礎的・基本的な知識・技能」とありながら、左側にも「基礎・基本」とあり、言葉がダブっていてわかりにくい。「自ら学び自ら考える力」は、身に付けさせたい一般的な力としてまとめたほうがよいのではないか。私としては、「確かな学力」は、左側の「基礎・基本」と、「自ら学び自ら考える力」をあわせたものだと考えている。
 「基礎的・基本的な知識・技能」にある「実生活に活用する」ことは、「自ら学び自ら考える力」の内容として組み込めるのではないか。特に、概念や原理・法則などの理解を深めること、暗記暗唱、反復学習は、自ら学ぶとときの重要な要素ではないか。特に学習観や学び方、どうすればうまく勉強ができるのかということが、学習意欲や学習習慣にも増して自ら学ぶ力だと思う。
 その認識は、小学校高学年ぐらいから自覚的に発達してくる。抽象的でたくさんの内容を習うときに、自力で乗り越えられる子もいれば、先生からの指導がないとできない子もいる。そこが、思春期以降の学習に適応できるかどうかの大きな分かれ目と言え、学習方法や学び方を重視したい。
 「主体性」から「個人と社会との関係」までの部分について、個人の生活、家庭の生活から、周りの人たちとの関係や社会全体と自分のかかわりという流れを意図するなら、表現としても、個人、家庭、周りにある小さな社会、大きな社会として、その中でどのような力を発揮していくのかを整理し直す方がわかりやすいのではないか。
 具体例として挙がっている「権利と責任」は、「個人と社会との関係」に位置付ける方がよい。「言語・技術・情報活用力」、「感性・想像力・鑑賞力」は、個人的なもののような気もする。枠組みとその内容を整理した方がよい。
 「生きる力」が図中では小さく見える。むしろ、全体を囲むものとして位置付ける方がよいのではないか。

(2)寺崎氏、池田氏から教育課程部会の当面の検討課題についてヒアリングが行われた。

1.はじめに、寺崎氏、池田氏から教育課程部会の当面の検討課題について発表が行われた。主な概要は以下のとおり。(△=発表者)

発表者
 基本的に現在の学習指導要領に基づく教育を推進してほしい。すなわち、各教科の基礎の基盤となる「読・書・算」を徹底し、その上で、基礎的・基本的な教育内容を実施し、さらに総合的な学習の時間や特別活動等との関連の中で総合的に教育活動を進めることで、子どもたちの「生きる力」を育むという基本的スタイルは踏襲されたい。
 但し、子どもたちの多様な課題については認識しており、学習指導要領の示し方を考えるべきではないか。現在、学習指導要領は、総則のもと、各教科が縦割りで示されている。したがって、学校が教育課程を編成する際、どうしても各教科ごとに考えることになる。1年生、2年生という発達段階に即した形での総合的な教育課程編成が不十分である。学習指導要領において、1学年ではこういう子どもを育てていく、2学年ではこういう子どもを育てていくなどと、ある程度の子ども像を示すことが必要ではないか。
 もちろん、各教科の内容は、系統性、発展性があるわけで、それぞれ作成されることは必要だが、その示し方については、発達段階別の示し方も必要ではないか。
 このことを基本にして、目標を明確にしつつ、知・徳・体のバランスよい教育を進めていくという視点から説明することにする。

発表者
 学校から見ると、「生きる力」をどのように定義していくかが、とても大きな問題だ。
 義務教育特別部会などでは、「生きる力」を育てることは「人間力」を育てることとされた。学校の教育力や教師の力量を強化し、それを通じて、子どもたちの人間力の豊かな育成を図ることが国家的改革の目標であるとされる。人間力については、人間力戦略研究会の報告では、「生きる力」を発展的に具体化したものだとされる。「生きる力」を人間力と結びつけ、より具体的に展開できるような方向にしてほしい。
 例えば、構成要素として、基礎学力、知的能力的要素、社会対人関係的要素、自己制御的要素などが具体的に整理されると扱いやすい。
 学校は非常に目標が多く、目標でつぶされているような感じもある。義務教育の目的は、一人一人の国民の人格形成と国家・社会の形成者育成の2点とされ、学校教育法18条では8項目の目標が示されている。それが基本となって、学習指導要領においては、総則、各教科、道徳、特別活動が縦割りにつくられてきているのではないか。この部分について、もう少し学校に即した形でつくられるようになるとよい。また、確かな学力、豊かな人間性、健康・体力という3つの柱の下位目標が明確になればよい。
 また、実践化するための理論を大事にしてもらいたい。平成5年9月に文部省から出された「新しい学力観に立つ教育課程の創造と展開」では、自己教育力の育成と個性を生かす教育の実現を目指す方向で、教育課程が編成されている。それを実践化するための理論として、新しい学力観に立つ教育と子どものよさを生かす教育とが提案されてきた。
 学力観について、基本的な考え方、学力形成についての問題、教育方法の問題、実践全体の問題などが示されているが、大事にしてもらいたい。
 また、子どものよさを生かす教育は、「子ども一人一人が豊かなよさや可能性をもち、それを発揮しつつ、主体的、創造的に生きることができる資質や能力を育てる教育」として、5点挙げられている。「生きる力」を育てていくための実践の理論は、こういう中から生まれてくるものではないか。
 「生きる力」を育てるためには、子どもの問題解決力を段階的に育てていくことが大事である。子どもたち自身に考える機能の発達を意識化をさせていくことで、自主性、自立性が生まれてくるだろう。
 例えば、生活科で言うと、春の公園を理科のみの視点で見れば、自然の認識という面で、落ちこぼれがあるのではないかと一部批判はされているが、子どもが公園の木と自分との絡みの中で、木の変化を見ていく目が育てば、問題解決力の高まりも期待できるし、自立という面での物の考え方の認識も深まると考えられる。また、生活科の町探検で、実際に人とふれあうこと、体験をすることによって深まっていくものはたくさんある。そういうところで自分が思うことを解決するということを、スパイラルに、1年、2年、3年、4年、5年と、何度も繰り返しやることが大事と思っている。
 現在、いろいろな学校で1分間スピーチが行われいる。これは、朝の時間の活動、昭和52年度学習指導要領のゆとりの時間、国語のスキルの時間に行われるようになった。話題は自由にさせ、低学年から、中学年、高学年と進むにつれて、非常に高まりを感じる。これは、自己を見つめて、自己を変えていくことに役に立っていると思う。今、自分のやっていることについて考え、どのようにしたらよいのか、それを行動化していったらどのようになるのかを、自分自身で1分間でしゃべると、大体400字詰め1枚になる。そういうことがしっかりと身に付いてくれば、表現力も高まり、自己主張もできるし、友達との関係の中で、コミュニケーションもうまくいって、非常によい効果が出てくると考えている。
 これは長い間続けられているので、子どもたちに聞くと、入試のときに役立った、人前で話すのを怖がらない、結婚のスピーチで役立ったなどと言っている。そういう意味で、このようなスピーチが果たす役割は非常に大きいと考えている。これもやはり子ども自身の問題解決力につながっていると思っている。
 算数は課題解決学習という形である。考えるときには必ず操作をする。低学年であれば、ブロックを操作する、テープ図を使うなど考えるための手立てをしっかりと身に付けさせることが、確かな力を身に付けていくために資することである。その中で、低、中、高学年で、論理的に説明する力を付けていくことが、非常に重要である。
 理科学習においても、3年生では共通性と差異といった物の見方、4年生では変化、5年生では条件の付与、6年生では多面的な見方・考え方を指導している。そのような物の考え方が、仕組みを理解したり、個体差の問題から種の特徴をつかんだり、部分から全体へと、認識を進めさせると考えている。理科においても、問題解決学習、課題解決学習的なものを、しっかりと積ませていくことが大事である。
 小学校段階における各教科間の関連について、問題解決学習、課題解決学習という手法をとることが、子どもたちの成長にとっては、非常に大事だと思う。資料の7ページの上段にあるとおり、国語で一人読みや課題を持たせること、社会科で課題を持って取り組むこと、算数の数学的な考え方を導き出すために、課題解決について考えることが大事だろうと思う。
 各学校の特色を生かす教育の在り方について、小学校で総合的な学習の時間がつくられたことを、全国の教師がとても喜んでいる。但し、温度差があることについては事実で、しっかりと取り組んでいかなければならない。35時間から40時間を、他の時間に回してくれたほうがありがたいという弾力性を求める声も一部に聞かれる。これがよいか悪いかについては、判断が難しい。
 国としての小学校の共通内容について、現行学習指導要領の内容が少ないとの指摘があるが、「生きる力」を育てる教育のシステムの中で充実させることが基本的には大事だろう。
 学校と塾との関係について、学校では知識の生成過程を踏まえ、学習計画を立てて問題解決力を高めているが、一方、塾では、問題の解き方によって習熟しているが、原理を知っている子どもは比較的少ないのではないか。そういう意味で、保護者の考え方も、塾と学校は違うのだということを明確に持っているようである。学校が塾化するようなことは、決して保護者は望んでいない。保護者は、人としての在り方を学ぶ学校であってほしい思っている。
 子どもの変化への対応、社会の変化への対応について、今の子どもは確かに小1プロブレムという形での問題はあるかもしれないが、個々に対応すると、そんなに昔と変わっていないと思う。どこが変わってるかと言うと、しつけられ方であると思う。80年代に育てられた子どもと、90年代に育てられた子どもとでは、子ども自身の情報の違い、大人自身の情報量やその内容の違いが、子どもたちに大きな影響を与えていると考えている。
 資料8の8ページにあるようなことを保護者説明会などで具体的に話して、学校と保護者が契約を結ぶような形をつくればよい。そのためには、学習指導要領の示し方を学年単位にすることが考えられる。そうすると、家庭との連携の部分を、具体的に発達段階等に即して記述ができるのではないか。それを保護者の方に読んでいただければ、家庭と学校とが一体となって教育ができるのではないかと考えている。社会の変化については、きちんとした道徳的な価値観をしっかり育てていくことが大事であると思う。
 その他の教育課題としては英語学習がある。これについては、条件整備が大事だと思う。

2.次に、質疑応答等が行われた。概要は以下のとおり。(○=委員、△=発表者)

委員
 英語学習のためには条件整備をきちんとしなければいけない。
 総合的な学習の時間をやめて教科にまわすべきだという意見もあるが、総合的な学習の時間こそ、本来、小学校教育が持っているクリエイティブな時間で、その時間をいかに充実させるかが大事だと思う。総合的な学習の時間についてどう考えるか。

発表者
 総合的な学習の時間については、確かに各学校による格差がある。しかし、きちんとスケジュールを組みしっかり取り組んでいる学校は、大変な成果を上げている。そういう意味で、基本的には、この時間は確保していくべきであると考えている。
 ただ、構造改革特区等で見られる英語活動などのように、いろいろな内容が入り込んできている。このような状態をきちんと整理し、何を目指しているのか、小学校段階で何をすべきかを示していくことが必要だと考えている。この点をあやふやにすると、何もかもが総合的な学習の時間に入ってしまい、子どもたちが主体的、創造的に学習活動を進める時間が保証できないことになりかねない。

委員
 教科縦割りの学習指導要領を、学年別、発達段階ごとの横割り的に示すことが望ましいという話は大変示唆的だが、同じ学年でも発達の程度には個人差がある。子どもの個人差と横割り的な学習指導要領との関係はどう考えるか。

委員
 現実に子どもたちには、同じ学年でもかなりの差がある。特に1年生は未発達で社会性が身に付いておらず、その一方で、知識については3、4年生程度の内容をもっている子どもがいる。教員は、そういった子どもたちをまとめ、いかに共に学ぶ学校生活、学級生活をつくるかということにかなり苦労している。
 そういう意味で、各学年ではおよそこの程度まで育てていくべきだという、一つの目標を示していくことが必要ではないか。各教科の目標や内容を横並びにみると、大まかに見えてくる内容がある。ただ、それを学校ごとに行っても、かなり判断が違ってくる可能性がある。そこで、各学年でおおよそ育てる姿を示すとともに、教科としての系統性や学習面で身に付ける内容について、学習指導要領の中で示す必要がある。

委員
 学習指導要領の目標と、実際に子どもたちが身に付けた内容とは乖離している。これは非常に大きな課題だと思う。学校の裁量で教育課程をつくるとは言っても、決められた教科・科目、時間数の中では、非常に窮屈な状況にあるのではないか。果たしてこのままで、目標に到達できるか。
 それから、40人という子どもたちの中でどれぐらい授業が成功しているか。発達段階に応じた指導や合科的な指導をしていく上で、もっと適正な児童生徒数を考えることが必要ではないか。

発表者
 目標と内容に乖離があるとのことについて、これは先生の学習指導要領の内容の捉え方の問題だと思う。子どもたちに学習内容をどのように自覚させていくかが根本になければ、学習は成立しない。例えば、4年生の算数で複合図形を扱う際、長方形と正方形の2つに分けることで面積を求める授業があるとする。子どもから、「図形を分けたことによって面積が出せることがわかった」との発言があったとき、先生はどう答えるかということだ。学習指導要領の、量の保存と量の加法性を押さえている先生なら、「図形を分けても、それぞれの面積を足したらもとの図形と同じだけの面積になるのだね」と言える。分かっていない先生は、「あ、そう」と過ぎてしまう。それは教師の指導力の問題である。
 また、児童数の問題について、2、30人ぐらいでは、それほど教育効果が高まらないという意見もある。また、人と人とのかかわりが大事なわけだから、少なければよいという問題ではないのではないか。

委員
 スクールミーティングの結果報告によると、現在の学校では、父子家庭、母子家庭が2割程度あるなど家庭環境がかなり多様化しており、生活習慣を身に付けるなどの点でも差が出ているという。それに加えて、子どもたちは幼稚園や保育所から小学校に入ってくるため、小学校に対する期待や教育内容の受けとめ方が違っているのではないか。それらのことは、小1プロブレムを形成する要因にもなっているのではないか。
 そこで、学校としては、家庭で基本的な生活習慣や学習習慣について役割を果たしてもらいたいと考えるのは当然として、そのほかに幼小の連携が必要ではないか。従来から幼小中高と一貫した教育課程の編成が要請されているが、幼小の連携についてどう考えるか。
 それから、子どもの身体的な発達や心の発達により、小学校4年生から5年生にかけて、子どもたちの学習の理解度に差がつく。また、調査では、特に自然系の教科について、好きから嫌いに変わっているようである。小学校の先生はどちらかと言うと文系の先生が多いが、小学校高学年で教育内容が高度化していくとき、特に算数や理科の自然系の教科について、子どもたちが十分理解できるように教えることができているのかどうか。そこで、小学校高学年では、理科や算数の専科教員を増やすことで理解度を増やすことがよいのではないかと思う。なお、中学校の教育が小学校で教えられることにより小中連携にもなるのではないかと思っている。

発表者
 幼保との連携については、強く意識している。幼保と小学校との連携を考える中で、小学校へ上がるまでにどういう生活習慣や人とのかかわり方を身に付けていればよいかを明らかにして、それを幼稚園、保育園から家庭に伝えることが必要である。保育者と家庭が一体となり、子どもたちにそういう力を付けておくことが必要である。
 5年生以上の学級担任については、単に知識を教えるということはどの担任でもできるが、思考面の指導が問題である。子どもたちの深く多様な考え方を生かしながら、その教科で本質的に求めているものを実感させる指導は、その教科に関する理解と指導力がないとできない。ただ、5、6年生といえどもまだ小学生であり、先生と子どものかかわりが学習意欲に相当影響してくる。理解と指導力ある先生が学級担任と連携を図りながら指導していくことが望ましい。

委員
 先生の力量について、資料8の6ページに、「知る楽しさ・できる喜び・考える充実感を味わわせる」とあるが、このことは一番大事ではないかと思う。
 スポーツで言うと、生涯スポーツとしてずっとスポーツに向き合うことは大事だが、小学校のうちに、汗をかく楽しみを体で覚えているかがその始まりだと思う。
 資料7の9ページの調査では、小学校4年生から中学校3年生まで、どの教科でも「嫌い」が増えていく。これは学ぶ内容が難しく、覚えるのも大変になっていくからだと思うが、ほんとうは学ぶことが楽しくて、どんどん興味を持って好きになっていく傾向になければいけないのではないか。

委員
 人間力戦略研究会は経済財政諮問会議の発案で内閣府にできた経緯から、人間力を検討すると言っても、教育界のスタンスとは相入れないところが出てくるではないかと考えられた。しかし、その一方で、学校教育が職業生活にどう結びつくかについて明らかにすることへの期待があった。また、文化的なことやスポーツも大人は生活の中で行っていることから、それらも含めた内容として広く人間力を捉え、「生きる力」を基本に据えてつつ、それを発展させ具体化した。
 それから、確かに問題解決型の学習は非常に大切である。しかし、それを充実したものにするためには、教師はどのように教えるべきか。
 90年代には、子どもが自ら考えることとか、自力発見、共同解決が強調されるあまり、考えさせる活動が多くなっていた。先取り学習をしている子どもにとっては面白くなく、ついていけない子どもにとっても、結局、授業の中で自分が発見したという充実感が得られず、教師からも丁寧な説明を受けられないまま授業が終わってしまうこともあった。
 子どもの側から言うと、教師から教わるとか、本や教科書などからも知識を得るという学習があると、問題解決や討論がより活性化されることになる。
 例えば、技能系科目はインストラクターから教わるが、教わっただけでは身に付かないから、自分の体験を通して体得する。そして、自分で応用発展させていく。
 この点については90年代のことも踏まえて、どのように議論されているか。

発表者
 前回の改訂では、「支援」という言葉が盛んに使われて、その内容が誤解された。
 支援を中心とした指導を行う教科として生活科や、総合的な学習の時間がある。一方、教えなければいけないことを教えた上で、子どもたちに主体的に考えさせる教科もある。そういう意味では、学習指導要領の各教科の中には、バランスよく様々な内容が配置されているはずである。
 しかし、ともすると新聞の見出しだけで動き出してしまう教員がいる。当時は生活科でも、「外へ行って春を見つけてきなさい」と言って、子どもたちをいきなり外へ追い放してしまう例もあった。だが、現在は、教えるべきことはきちんと教え、その上で子どもたちに考えさせる教育をしていく方向に転換していると思う。
 小学校では、子どもに任せると非常に主体的に行動するわけだが、それが這い回りになりかねない部分がある。そこを、教師がどうリードしていくかが、教師の力ではないか。力のある教師が指導していくことで、きちんとした知識、理解のもとに、主体的、創造的な活動を進めることができる。子どもたちがただ這い回っているだけで、そのときは楽しいが、結局何も身に付いていないという結果とならないよう、取組を進めていきたいと考えている。

委員
 基礎・基本の徹底については、教員は得意である。一方で、自ら学び自ら考える力の育成は不得意だと思う。これは相当な力量を要する問題が背景にある。これを実際にやっていくときにカリキュラムとかかわる問題や、時間数の問題がある。その点については、現場である校長会をはじめとしてでもきちんと考えてほしい。
 それから、時代の新たな要請に応じて、いろいろな教材や学習内容が入ってくる。これは大事だと思うが、何もかも学校が受け入れて、その内容を表面上実施しているだけでは、本当に子どもを育てることにはならない。これは入れたほうがよいが、これは今の時代には合わないといったことについて、校長会からの主張があってもよいのではないか。

発表者
 学習指導要領は、国民に必要な基礎・基本をしっかりと身に付けるための基準としてあるわけだから、徹底していく必要がある。そして、そこに書いてないことを取り入れるかどうかを判断するのは校長の見識だろうと思う。
 様々な教育課題にかかわる教育内容が提言される。校長会にも、いろいろな団体からこういう教育をやってもらいたいとの話がくる。しかし、それをすべて取り入れたら、本来やるべきことができなくなる場合があることは十分承知している。

委員
 教育課程の改訂の大きなねらいとして、学習指導要領において到達目標を明確化したらどうかという意見がある。それは、現在、学習指導要領に大綱的に書かれた目標を具体的に達成したかどうかを明確にするとか、説明責任をどうするかといった議論につながる。学校としての責任を果たすという意味ではよいことだが、弊害としては、特定の目標にこだわり過ぎて、学校の裁量が縛られることもあり得ると思うが、どう考えるか。

発表者
 目標を明確にすると、指導がしやすくなるため、大事なことだと思う。
 ただ、現行の学習指導要領では、目標を明確にできるものとできないものがある。そうなると、明確にできるものの方にウエイトが行くことが予想される。そのバランスを考えていかないと、教育指導が偏っていく可能性はあるのではないか。

委員
 英語学習については、条件整備が整わなければやめたほうがよいという考えか。

発表者
 条件整備が整わなければ、結局、教師の負担になって、十分な教育はできない。現在、構造改革特区等で英語活動が進められているが、そこでは外国人講師の派遣や教材の準備、教室等の環境などでかなりお金をかけている。それと同じことが全国できちんとできるのかは、かなり不安がある。このため、条件整備をきちんと整えていかないと、結果的に格差が出るとともに、子どもたちの好き嫌いの差が広がっていくと受け止めている。

委員
 英語教育については、国として早く結論を出してもらわないと困るとの意見もある。外国語専門部会できちんと詰める必要がある。
 現在の状況のままで、教員の負担が増えることはできるだけ避けなければならない。しかし、これからの我が国は、まさにグローバル化の時代に生きていかなければならないわけで、条件整備が整うかどうかだけでこの問題の結論を導いてよいかどうかには、大きな問題がある。これからのグローバル化社会に向けて、いかに我が国の子どもが適応できるかを議論することも必要だ。

(3)事務局より今後の日程について説明があり、閉会となった。

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課教育課程企画室

(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)

-- 登録:平成21年以前 --