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教育課程部会(第28回) 議事録

1.日時

平成17年10月17日(月曜日) 15時~17時

2.場所

丸の内東京會舘 「ゴールドルーム」(11階)

3.議題

  1. 国としての人材育成の在り方
    ・教師の指導方法の改善について
  2. 地方や学校の特色を生かす教育の在り方
    ・地方や学校の特色を生かす教育の在り方について
  3. その他

4.出席者

委員

 木村部会長、梶田副部会長、荒瀬委員、石井委員、井上委員、植木委員、宇佐美委員、大橋委員、陰山委員、加藤委員、田村委員、角田委員、渡久山委員、深谷委員、毛利委員

文部科学省

 結城事務次官、近藤文部科学審議官、板東官房審議官、山中初等中等教育担当審議官、根本主任視学官、常盤豊教育課程課長、合田教育課程企画室長、井上教育課程企画室長補佐、高口視学官
国立教育政策研究所
 惣脇教育課程研究センター長

オブザーバー

 鳥居会長

5.議事録

(1)事務局より資料説明の後、国としての人材育成の在り方について、自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○=委員、△=事務局)

委員
 本部会では、焦点を絞って論議しないといけない。例えばティーム・ティーチングについて、1足す1が0.5にしかならないという指摘があったり、習熟度別学習についてうまくいかない場合があるという指摘がある。それらの善し悪しや、それらを定着させるための方法については、ここで話し合って結論が得るようなものではなく、現場や大学で行われている研究や研修における検討の結果を踏まえて考えなければいけないものだ。国は、国のレベルで何をやったらいいのか考えるべきである。
 基本的には、地方の教育委員会がもっと研修などに取り組みやすくなるために、お金ほかいろいろな面で、国はどのような支援ができるかということを考えるべきではないか。教育委員会は今まで苦労して指導力を上げるための研修を工夫してきたのである。
 あるいは、教育研究団体がどうすればもっとたくさん出てきて、自由に活動できるようになるのかということを考えるべきではないか。多くの研究団体は、お金がなく出張旅費も出ない。その中で、みんなが手弁当で集まってくる。そういう取組を国としてどのように支援していくかが議論の課題である。
 私たちは、指導法を論ずることについて非常に謙虚で慎重でなければならない。指導法をどう変えたらということではなくて、仕組みの面で、現場の教育方法改善の動きを支援するにはどうしたらよいかを議論すべきではないか。

委員
 教員養成大学について感じることは、大学教員は現場経験者が少ないのではないかということである。現場の経験が少ないから、学生に理論的なことばかり教える。しかし、学生には現場でどういうことが必要とされているかを伝えるべきである。このため、大学教員には現場の経験がをもった人を増やしてほしい。
 一方で、現場の教員は、小学校はまだよいが、中学、高等学校になると、指導内容が非常に専門的で、社会がよくわかっていないことが多い。そういう意味では、現場の教員には社会経験が必要である。
 今、現場の教員を大学院で学ばせるよう進められているけれど、本当に現場で必要な教員は、大学院に出されない。この人を育てたいということで大学院に出す場合もあるが、一般的に、現場で生徒や保護者に頼りにされている人は出されない。また、研修についても同様で、研修のリピーターが増える一方、忙しい人には研修の時間がない。その点は、制度的に変えなければいけないと思う。
 なお、わが市では、教科書が選定された後、指導方法について示す基底教育計画をつくる。市の教員は基本的にこれによって指導をする。この取組は、個々の教員の自分でカリキュラムをつくる力が落ちるという問題も考えられるが、市の教育のレベルを一定に保つ上では効果がある。

委員
 教育方法に関する調査が行われた場合、現場にとっては、調査自体が誘導的になっている。つまり、調査の問いが「ティーム・ティーチングをやっていますか」とか「習熟度別学級編成をやっていますか」とあると、「それをやりなさい」と誘導されているように捉えてしまう。調査をしている以上は、調査する側は、それがよいと思っているわけだから、現場には、当然「よい」というふうに答えなくてはいけないというプレッシャーがかかる。そして、さらに問題なのは、現場で調査の回答をまとめるのに結構な時間がかかってしまうということである。これからは、どのように教育をしていくかということよりも、指導した結果の評価をどのようにしていくかについて改善される必要がある。
 さて、現場の教師の力量を考えたとき、私は教師に「子どもを見抜く目を持ってほしい」と言っている。つまり、子どもたちがつまずいているのかどうかを、一瞬で判断してほしいということだ。そして、なぜつまずいているのかを分析しなければならない。
 しかし、今、学校現場では改革に忙しすぎて分析をしているような時間がない。ある先生は、帰りは夜10時で、それから教材づくりを始めて午前1時過ぎに寝るという毎日である。また、教務主任になってほしい人がいても、そのご主人が教務主任をやっていて帰りが11時過ぎだから、家庭のために、教務主任にすることを見送ったということもある。
 ある高等学校の校長先生は、学校に調査がくると自身で調査を行ったという。その先生の考えでは、教師は授業で勝負すべきだから、そこに集中できるように無駄な仕事をさせないようにすることが校長の仕事であるはずだという。事実、学校全体でうまく取り組んでいるところというのは、教師の帰りが遅くない。帰りの遅い日がずっと続くようでは、教師が子どもを見る目が落ちる。これは問題である。
 それから、こういう方法がいいのだというところに、みんな縛られていると思う。例えば、漢字はある一定時期に集中的に教えてしまうというやり方があり、成果が上がっている。ところが、今までは、そのようなやり方は無謀だという先入観があって、なかなか目新しいやり方を取り入れることができなかったと思う。私は、もっと多様な実践が保証されるとよいと思う。
 そのための提案としては、塾の先生に学校で授業してもらうことや、私立学校と公立学校が教職員を入れかえて交流するということや、民間で使われている教材を学校現場に入れるということなどが考えられる。とにかく硬直化しないような工夫をしていくことが重要ではないか。
 それから、一方で、ある実践方法が継承されていくためには時間がかかるので、めり張りのある人事異動も重要だろう。今の教職員の人事異動は、全国的にやや早過ぎて、特に小学校では、3年もたてば教職員の半数近く入れかわっている状況である。

委員
 今、一番求められているのは、いわゆるフタコブラクダ状態への対応、すなわち授業についていけない子や遅れている子たちに絞り込んだ対策ではないか。
 しかし、現役の教師に聞くと、とにかく教えること以外の仕事量が増え、考え方や方法論も次々と示されることに大変悩んでいるようだ。このため、時間がなくて、特に丁寧に見てやらなければならない子どもたちに充てる時間がないのだという。
 さて、本日は、学校教育における改善サイクルが示されているが、確かにPLAN-DO-SEEになっているが、このような大きな目標や方法論を掲げていたのでは、一般的には改善とは呼べない。改善するために、何がどう悪いのかということをもっと絞り込んでいかないと、現実には対策にならない。例えば、国の基盤整備のところで、「信頼される教師」などと書いてあるが、なぜそれができていないのかということをもっと追求してほしい。さらには、授業に遅れている子をどんどん増やしている実態に肉薄していかないと、なかなか真の対策にならないのではないか。

委員
 本部会で、何を議論すればどういうところに反映してくるのか。専門部会では、具体的な指導法や内容の問題を検討するが、本部会では、PDSのサイクルでSからPにどのように変えていくのかということが大きな課題になるだろう。
 もちろん、DOやSEEの質を高めていくことは当然大事である。今、SEEで、全国学力テストを行うことが出てきている。しかし、その調査結果が出てきたとき、それをどのようにPLANに結びつけていくのか、あるいは現場の指導力向上につなげていくのかという施策については、何にも示されていない。学力テストの結果の上下というだけの話であれば、例えば前の調査のときは下がったが今度はあがった、ということで終わってしまう。そのように結果が上がったのは、先生方が頑張ったからなのか、たまたまそのときの子どもたちの質が高かったからなのか、あるいはほかの要因があったのかが分からない。SEEからPLANにどのように結びつけるのかということが、国として大きな施策を必要としてくる部分であろう。
 その点、今までなら、校内研修やベテランの先生が若い先生方を指導していくということで指導力のレベルアップが期待できたが、忙しくなってなかなか校内だけでできなくなってきている。まして校外に出ると、もっと大変である。私は、地域にある研究所や研修機関等の力を使っていかなければ、うまくいかないのではないかと思う。
 昭和40年代から50年代の初頭にかけて、いわゆる科学技術教育の振興ということで、学習指導要領でもかなり新しい内容が盛り込まれた。そのときに、各地域の研究所や研修機関が研究や教材開発をしたり、大学と教員が一緒になって研究した。それが、だんだん現場と大学とのかかわりが薄くなってきた。また、研修機関も悉皆研修を行うようになり、最低のレベルの指導力に揃えるようになり、全体として教員の質が下がってきた。教員研修センターでは、国でやる必要はないといって事業を縮小していっている。
 しかし、国が実施すべき研修は、歴然とあるのではないか。また、研修を地方で実施するようにするなら、地方がもっと研修や研究ができるように、財政的、人的な援助をしなければならないのではないか。それをしないでいるから、もう地方の研究所はほとんどつまらない研修だけで終わりになってしまっている。早く教員研修センターを中心にして、各地方の研修センターが現場にとって魅力のある教材開発をできるようなシステムにしていかないといけないのではないかと考える。

委員
 教育、特に義務教育の問題点は、学習指導要領あるいは教育課程は非常に高い水準で示されている一方で、DOの部分が非常に薄弱だったことである。学習指導要領や教育課程が示す内容と、子どもたちの実際の到達度に乖離があるのではないかと思う。そして、せっかく身に付けた学力も、受験学力にシフトしているから、一定の目的を達したら、その学力は剥離して自分の実践力になっていない。DOの部分は、もっと熱心に研究されるべきだと思う。
PLANの部分は、具体的には学習指導要領で、国が一定程度の水準を決めて、最後は教科書になる。DOの部分には、「教育課程編成上の裁量の拡大」とあり、学校に教育課程の編成権があるようだが、学校は結局、検定を受けた教科書を使っていて、極端な言い方をすれば、それが唯一の教材になっているのである。そこへ、中学校は高校受験のための指導、高等学校なら大学受験のための指導になっており、教科書の中にいろいろな内容が出てきても、受験のための内容だけが教えられて、それだけが学力として測られている。これが、学習指導要領の内容と実際の到達度との乖離につながっているのではないか。
 そういう意味では、DOの下の「実践を支える基盤の整備」のきめ細かな内容が出てくる必要がある。この部分が抽象的な内容では、DOの部分は十分に成果を発揮し得ない。
 さらに、SEEについては、PLANの部分が教育課程であり、それがDOを通じてどうなったかを知るということから、全国的な学力調査ではなく、既に実施している教育課程実施状況調査の方が妥当性があるのではないかと考える。その調査によってPLANやDOの問題点を考えていく。特に、教科そのものよりは、指導の実践、あるいは教職員の教育力等について研究されるべきだと思う。

委員
 私の市では、「授業改善」という言葉は使わず、「授業改革」と言っている。それは、根こそぎ考え直すという考えがある。子どもの実態把握というのは、ただ単につまずきだけではなくて、道徳でいけば、丸ごと子どもを捉え、その子の中にどういう価値観が育ちつつあるのかを把握することである。
 学校現場の難しさであり、改革をしないといけない問題は、人間関係を非常に気にするということだ。学校訪問で指導主事が訪れても、ずばずばとした意見が出にくい。ここを抜きにして語っても十分ではない。ベテランであるが故に、必ずしもいい授業ができるわけではない。若い教師でも、非常にセンスのいい授業もある。
 それから、教師が、いい授業というのが分かっていない。資料でも「『教えて考えさせる』指導がなされるよう改善が必要」とあるが、言葉としてはそのとおりだと理解するが、実際どのような授業なのかが分かりにくい。また、「知識・技能の確実な定着」や「思考力・表現力」を身に付けさせることも、そのとおりだと思っても、どのように実践するかは難しい。DOの内容はどのように考えるべきかは疑問が残るところだが、ともかく、核心部分は、現場教師の授業なので、それをどのように支援していくかが課題である。
 余談だが、著名な実践家は、ほとんどが小学校の方である。中学校の方はほとんどいない。中学校の実践例は、生徒指導上の問題の出版物が多い。このことは、一つの問題を示唆していないか。
 今後、国として授業実践に対して支援をする研究費を出すことはできないか。これは個人単位でも、学校単位でも、市町村単位でもよい。本当に教師の授業をどうしていくかということがない限りは、改善、改革はなされていかない。

委員
 学習指導要領という大きな枠組みを具体的に実現する学校の授業というのは重要だが、この授業が、特に公開されないことが非常に大きな問題だった。そこで我々は授業を公開することを考えた。すると、先ほどお話があったように、確かに授業についての意見が言いにくいという問題があった。
 そこで重要なのが、管理職が何をするべきかということだと思う。管理職があえて嫌われ役になるか、学校経営に支障のないような人間関係をいかに築くかということである。
 もう一つは、授業公開の案内の対象を広げるということである。近県の各地から来られる先生方というのは、公開校と何の関係もないため、授業について非常に公平な評価をしてくださる。授業を公開して評価を行うということを続けることが、授業の改善につながる。
 教員というのは、社会性がないなどの批判はあるが、専門的な教育を受けており、またもっと指導力を付けたいという思いを持っている人たちである。生徒への愛情を持っているがそれをいかに表現すればよいかが十分に分かっていない人もいるのである。
 授業を公開して、評価して、検証していく中で具体的に次の目標を立てていくという繰り返しは、やる気があれば学校現場の中でできると思う。私立学校はそこがうまくいかなかったらつぶれてしまう可能性があるので真剣だ。その真剣さを、公立学校においても持たないといけない。授業公開と評価を通じて、教員の潜在的な力を引き出していくことが重要である。
 なお、研修については、国における中央研修は最先端の教育を知ることができ有意義である。例えば、大学の入学試験での英語の問題の中には、旧態依然たる問題が出ていることもあるのだが、その問題を解くためには、実は中央研修で学んだ最先端の英語教育が役に立つのである。研修で耳がいい生徒は解けることが分かる。そこで、どんどん生徒の習熟に応じて英語を聞かせようとする。そうすると、使える英語にも役立つし、かつ大学の入学試験にも対応できるようになる。

委員
 日本の財政問題が教育に大きな影響を与えている。例えば、ある区では、中学校の教育研究会に補助金を出していたが、それが縮小され、研究自体に活力が失われてきている。
 また、教師は日常の指導の中で大変疲れており、特に、中学校においては教員の持ち時数を下げないと時間にゆとりがなく、教材研究を行う時間もない。そのような点を考慮していく必要がある。
 それから、国は、研修の考え方と各教育委員会の研修へのアプローチを示してほしい。例えば、各地区ごとに国主催の研修を開き、そこに教員の参加を募って資質向上を図ることや、大学等が実施している研修に教員の参加を促して、資質向上を図ることも考えられる。都道府県・市町村教育委員会に対して国はどのようなアプローチをするのかということについての内容を具体的に示さないことには、研修の充実はあり得ないだろう。
 最後に、授業改善は、子どもが学習のやり方が分かるようになるということが大前提である。学習活動は、学習して面白い、そしてまた学習したくなるという流れがあるので、その流れを細かく考える必要がある。
 また、学習を支えるのは、意思の力だと思う。その意思の力というのは、継続する力や忍耐力に関係するから、それをどう培うかといった観点も必要ではないかと思う。

委員
 教員については、養成段階からの教職科目として、教育の指導方法を十分に考慮したカリキュラムを充実していく必要があるのではないか。
 採用された教員は、初任者研修で、校内において先輩の教員から1年間という長期にわたって、教案のつくり方から指導方法まで徹底して指導を受けてきており、それをもとに、2年目以降は教員がみずから指導方法等について子どもたちの実態を見ながら自分なりに改善して、わかる授業を展開しているのではないか。それがために、国際的な学力調査で日本の教員はよくやっていると評価され、本部会や義務教育特別部会でも教員に対する信頼ということが発言されているのではないかと私は思っている。
 しかし、今お話を聞くと、その辺に対する危惧の念が表明されている。そこで、指導方法の改善をさらに進めるとすれば、児童生徒の実態を踏まえて、大学の教員養成学部あるいは学校現場で共同で研究をし、それを現場に生かすということが今後必要ではないかと思う。国立大学が法人化されてから、教員養成学部が県教育委員会あるいは教員研修センター等と連携して、教員の研修なり教育方法の改善等に向かった取り組みをしているという実態がある。そういう共同研究をさらに進めることによって教育方法が改善されていくことを期待する。
 評価のところでは、全国的な学力調査をし、それを活用して、全国的な水準から見てそれぞれの学校がどのような位置づけになっているかという評価を学校自らが行うことによって、もう一度PLANのところを見直し、DOをさらに改善するという仕組みを、今後つくっていくことも必要ではないかと思う。DOについては、現在の標準法などでも、例えば少人数学級、ティーム・ティーチング、習熟度別の指導が従来取り入れられてきている中で、国として条件整備についてさらにどういうことが必要かというのは、まさに本部会で教育実践という実態を踏まえて定数改善に結びつけていくということが非常に重要ではないか。

委員
 日本の初等中等教育は、世界的なレベルで、現状としてかなりいいということを確認しておく必要がある。だから、どうしようもないから改善するというわけではない。ただ、現状のまま何もやらなくていいということでもない。
 現状はいいという前提に立って考えると、公開していくというのは非常に大事だろうと思う。実際、日本の教育の仕組みというのは、できるだけいい人材を教員に採用して、その先生たちにいろいろ工夫してもらうということだった。国は、できるだけいい教員を教育界に確保するということを政策の中心に据えていたと思う。そして、それは、現実にうまくいった。今、その政策が変えられる危険が出ているというので、非常にショックである。どんな人が教員になっても大丈夫なような仕組みができるのかどうか。これは、私は少し問題があるのではないかという気がする。
 それは、結局、最終的には教育というのは教員の問題だからである。教員と生徒の1対1の対応が最後の勝負になるわけだから、教員の質の確保がうまくいかないところでは、教育の成果を上げることには成功しない。どんどん改善していかないといけないということをあまり強く言うと、世の中は誤解してしまう。今のやり方は悪く、どんどん改善していかないといけない状況に陥っているなどという誤解の言葉が出る。
 しかし、いろいろチェックをしてみると、そんなことはない。そこは、まずきちんと言っておかないといけないし、それを前提にして議論していく。
 公開の問題というのは、確かにある。これまでは、あまりにも公開をしなさ過ぎていた。内部だけでなく、世の中の批判をきちんと受けるような仕組みを広げていかないと、学校に対する誤解はなかなか解けない。

委員
 DOのところは、むしろその下にある「DOを支える基盤の整備」と一緒ではないかと思った。というのは企業だと、本社と事業所のそれぞれが何をすべきで、どういう関係が一番効率がよく仕事ができるかというのを絶えず考えているわけで、DOのところに自治体の裁量の拡大だけがあるというのはどうかなと思う。全体と個の関係というのは難しく、何が最適かは変わるかもしれないが、両者一体となって、相互理解も十分あってこそうまくいくのではないかと思う。
 改善について思ったのは、企業の中の小集団活動というのは、それぞれの小集団自体がこれをやったということを、それぞれ部同士なら部の、事業所同士なら事業所の代表選手が全部発表して争い、その中のナンバーワンが本社に来て争うというやり方で、いい事例が全体に広がる効果があったということだ。
 先生が忙しいというのはよく聞く話だが、会社の中でも、忙しい部門があったりすると、何で忙しいのかという職務分析をする。企業の中でも無駄というのは、一番排除すべきところである。先生方が実際にどういう部分で忙しいのか、それにかわる方法がないかというように仕事を分析的、統計的に調べることも、仕事の改善に役立つのではないか。
 それから、社会とのつながりという話があるが、それはここでいう「DOを支える基盤の整備」の一環と考えられ、学校外のリソースの積極的活用の促進というのも非常に重要なことである。我々企業に属する者も積極的に、一緒になっていい教育ができるようにやりたいものだと思う。

委員
 教師の指導力の問題は、教員養成部会で議論している。ここで、同部会でどういうことが議論されているかということを簡単に報告しておきたい。
 1つ目は、大学での教員養成の責任を明確化することについてである。教員免許法の改正も含めて、今までの教員養成のあり方を考え直そうとしている。
 2つ目は、専門職大学院を設置することについてである。教職大学院をショック剤にして、ほかの大学での教員養成のあり方を変えていくことを考えている。具体的には、教職大学院の指導者を実務経験のある人が4割以上とし、その経験に基づく教員の研修を行い、その成果を既成の教育学部、教員養成大学にも及ぼしていくことである。
 3点目が、教員免許の更新制についである。これは、子どもの変化やカリキュラムのあり方の変化などを踏まえ、10年に1回、教員にかなり詳細な講習を受けてもらい、持続的に教員の力量をが維持向上していこうというものだ。

(2)事務局より資料について説明の後、地方や学校の特色を生かす教育の在り方について自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○=委員、△=事務局)

委員
 本日の議論はDOが中心だが、それにしても目標の明確化がはっきりできていないと、DOの議論もできない。
DOというのは、全体の流れとしては現場である学校、地域にいろいろな権限を移譲していこうという大きな流れだと思う。その大きな流れの中で、どこまで地方、学校、先生個人の裁量を拡大するかというところが議論だと思う。
 私は、まず目標として、国は日本人の義務教育の教育として最低限必要なものをきちんと学習指導要領に明らかにするということを前提として話を進めたい。基準、標準というと、地方によって標準の上に行ったり下に行ったりするためである。
 そのもとで、地方のどれだけの裁量を許すか。地方は自然、文化に違いがあり、学校もそれぞれ特色があり、先生方の得意な科目も違いがあるので、その裁量を大きくするというのは非常に大事だと思う。はっきりしているのは、そこまで国は関与しない、中途半端な関与をしないというところを示すべきだということだ。
 今まで、総合的な学習の時間もそうだが、ここで練られたときにはすごくいいものが出てくるが、それが教育委員会を通って現場に行くときに、その意図が十分伝わっていない。大事なのは、国の意図をきちっと伝えるというシステムをつくることだろう。教育委員会に、国はここまでしかしないので、あとは地方の工夫でどんどん学習効果が上がるように、自然を利用したり、地域の人脈を利用したりしてやってほしい。あとは競争であるという国の立場を理解してもらうことだ。地方と国とのコミュニケーションをよくするのが基本である。
 だから、あまり細かいことは今ここで決めなくてもよい。現場の先生の雑用が多過ぎるとか、研修をもっとしっかりしたほうがいいといったところは、もう地方に任せてしまう。
 国の基準に加える、国の基準から減じるという自由度については、国が示すものは最低限なわけだから、それから減じることは許さない。日本人としての素養が身に付いていないことになるわけだから。それは中途半端に地方に任せるべきではない。一方、加えるのは、地方によって幾らでも加えてよいのではないかと思う。あとは、評価のときに透明にして比較すればいい話である。
 評価についても、例えば、単なるペーパーテストの偏差値がいいところばかりでなく、もしその地方、学校が、実はスポーツにすごく熱心だというならば、その指標も全体の評価に入れて、オープンにするぐらいの器量を持って、地方にぜひ移譲してほしい。とにかく、国は中途半端に口を出さないということだ。

委員
 確かに国が最低限必要なものを示し、これはきちんと日本全国で守られるようにすべきであろう。それを原則にして、いま教育内容とその教科のための学習時間は、国がほぼ画一的に決めている。しかし、学校現場では、それが守れるか、守れないかというのは非常に難しい。
 教育内容の問題でいうと、今、教科書が非常に寡占化している。非常に幅広く、同じ教科書が多くの県で使われている。自然というものはそれぞれの地域によっていろいろな特徴があるにもかかわらず、同じ教科書が使われているというのは非常に問題である。その教科書が、もしも国の基準だとすれば、地方の中で見たときに必然的に、その妥当性について問題が提起されることになろう。
 それから、時間の問題は、学校は学校行事等いろいろなものが入ってきて、必ずしも学習の時間が守られないのが普通である。それで、今、学校で工夫されているのが、3学期制を2学期制にしたり、夏休みや冬休みを少なくすることである。
 果たしてそれでいいのだろうか。そうすると、子どもたちも教員もゆとりがなくなってきている。今度は、何しろ形式的にでも時間を守ろうとするようになる。だから、ここで書かれているように、基準に加えるとか、基準から減らすということについては、ほとんど議論にならないと思う。問題は、今の基準そのものが、地域性とナショナルミニマムとの関係からみてどうかということになるのではないかと思う。
 もう一つは、例えば理科でもそうですが、地域の伝統や文化、食習慣等からくるいろいろな問題等を考え、地域の子どもたちには地域の文化をもっと身に付けてほしいといったときに、地域の特徴のある副読本をつくったり、カリキュラムに入れたりしていくわけだ。そういうことは今でもできるが、もっと地域の裁量を増やしていく必要があろうかと思う。前に学校裁量の時間というのを週1時間つくったことがあるが、教育内容、時間数における基準というのは、最低基準とするなら、どの程度にしていくのかということは、もう少し研究があってもいいのではないか。

委員
 私はこれまで、さまざまな指導方法があるべきだということを言ってきたが、カリキュラムの問題に関しては、非常に心配である。というのは、授業時間数についても、現段階でも、各地域によってかなり差が出てきていて、当然、時間の差というのは、カリキュラムの差にも反映していくだろうし、国が最低基準を決めるとはいいながら、現実的には、特に入試という問題があるし、私立と公立というダブルスタンダードの問題もある。実は私自身も答えが出せていない。だから、私は、ここについてあまり軽々に地方の自由にすることについては不安がある。そのことによって、例えば、子どもたちの塾通いなどが加速せざるを得ないということになってきた場合には、経済の勝ち組、負け組というのがそこにストレートに反映してくることにもなるし、結果的に、教育における平等原理が著しく損なわれるという危険性もあるためだ。
 一例を挙げると、公立高校の高校入試の場合には、一応全部の中学校の学習指導要領、教育課程から出てくることが基本になっているから、公立中学の先生は、ここだけ厚くしてここを薄くするという指導法はなかなかできない。しかも、時間数が非常に限られてきている。そうなってくると、一日台風が来ても、結構その影響が出たりして、冬休みを縮めるということも出てきている。このように、教師の力量論では補い切れない部分があるので、むしろ基準制ということももう一度考えてみるのも必要ではないか。いまは少し自由化のほうに走り過ぎている。

委員
 これから地方分権がどんどん進んでいく方向にあることは間違いない。その中で、現在、14政令指定都市があるが、政令指定都市は、ほかの都市と違って権限を持ち、都市の独自性というものをどんどん出してくる。中核都市等においてもそうだろう。
 そういった地方分権が進む中では、国としての教育内容がきちんと押さえられていないと、ばらばらな方向に行ってしまう恐れがある。現在も、ある市の校長会は、県の校長会と独立分離する方向で考えているという問題も起こってきている状況がある。それは、県の教育の方向と市の教育の方向が違ってきているためとのことだ。こういう問題はこれから各地で起こってくるかもしれない。そういった意味からすると、若干の地方の教育が反映できる部分も残しながら、最低基準の内容はしっかり押さえなければいけないと思う。

委員
 私も、ナショナルミニマムというのをきちんと示してほしいと思う。
 地方には違いもある。市によっては、地方の違いに従って教科書もできるだけ地方色の豊かなものをと考えて採択している。
 ところが、ある市の場合でも、数百校ある中で、学校の情況は、そこのコミュニティー、構成する家庭と子どもたちによって違う。生活が非常にハイレベルの方たちが住んでいる地域がある一方で、半分以上が生活保護世帯という地域もある。
 この中で、市は一定程度の教育レベルを保たなければならない。それかといって全部同じにすると、地域ごとの要求も違うので、基底教育計画でも少し幅を持たせている。最低限はここだ、後はその地域、学校によって違っていてもいいというぐらいの覚悟でもって、やらせていただいている。
 だから、特に、ナショナルミニマムは崩すべきではなく、教え込むべき最低限のところはきっちり教えてほしいと思う。

委員
 実は、特色あるということの難しさは、すぐ横並びになってしまうところである。これは、親から「なぜ隣の学校はこうやっているのに私たちの学校ではやらないのか」と言われるためである。ポリシーのある校長は頑として実行するだろうが、場合によってはうまくいかない可能性もある。このことは、市町村においても同様である。
 ここで、ポイントは算数、国語、英語の部分に引っかかってくるということである。例えば、「私たちは道徳教育で行こう」と言っても、「今は学力のが大事である」と親から言われて、なかなか説得がしにくい。見える学力も、見えない学力も含めてということを言わない限りは難しいのである。ここが揺らぐと、みんな横並びになっていく可能性がある。

委員
 義務教育特別部会で示されている答申素案においても、「義務教育のシステムについては、目標設定とその実現のための基盤整備を国の責任で行った上」「地方・学校の権限と責任を拡大する分権改革を進めるとともに、教育の結果の検証を国の責任で行い、義務教育の質を保証する構造に改革すべきである」とある。
 教育内容について考えていくとき、義務教育については、全国的に、一定の教育水準を維持・確保し、それを向上させるという観点から、ナショナルスタンダードとして、ある意味ではナショナルミニマムとしての学習指導要領を教育課程の基準として定めるというのは当然のことである。その上で、地方・学校の権限と責任を拡大する教育の分権改革するには、どういう分野で学校の自由度を高めるかを考えていく必要がある。
 それで、資料7「諸外国における授業時数の定め方」の中で、日本の場合には各教科ごとの授業時数、年間当たりの総授業時間数を定めており、ある意味ではがんじがらめになっていて、果たしてこれで学校現場の裁量が発揮できる余地があるだろうかと考える。義務教育の水準を確保する上では、総授業時間数は定めて、その上で知育、徳育、体育のバランスのとれた学校教育を確保するという観点から、授業時数については、各教科ごとではなくて、ある程度一部教科の授業時数をまとめて示していくというのも一つの方法ではないか。
 仮に総授業時数だけ定めていると、国語や算数の方に時間数が多く割り当てられていくことになってくると、体育や道徳はどうするのかという話が当然出てくるので、一部教科の組み合わせを考えながら授業時数をまとめて示して、そういう中で学校現場の創意工夫、自由度を高めるというのも一つの方法ではないか。
 このことについては、今後、さらにご議論いただけたらと思う。

(3)事務局より今後の日程について説明があり、閉会となった。

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課教育課程企画室

(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)

-- 登録:平成21年以前 --