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教育課程部会(第26回) 議事録

1.日時

平成17年9月15日(木曜日) 10時~13時

2.場所

丸の内東京會舘 「ロイヤルルーム」(12階)

3.議題

  1. 教育課程部会の当面の検討課題について
  2. 子どもたちの変化に対応した教育課程の在り方について
  3. 社会の変化に対応した教育課程の在り方について
  4. その他

4.出席者

委員

 木村部会長、梶田副部会長、安彦委員、荒瀬委員、石井委員、石田委員、植木委員、宇佐美委員、大橋委員、佐々木委員、田村委員、角田委員、渡久山委員、中嶋委員、深谷委員

文部科学省

 結城事務次官、近藤文部科学審議官、銭谷初等中等教育局長、板東大臣官房審議官、山中初等中等教育局担当審議官、布村初等中等教育局担当審議官、根本主任視学官、常盤教育課程課長、合田教育課程企画室長、井上教育課程企画室長補佐
国立教育政策研究所
 惣脇教育課程研究センター長

オブザーバー

 鳥居会長

5.議事録

(1)事務局より資料について説明の後、資料3「教育課程部会の当面の検討課題(例)」について自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○:委員、□:オブザーバ、△:事務局)

委員
 資料3の3番目の「●」は、一番最初に出てくるのではないか。今回検討する教育課程の特徴というのは、不断の変化に対応していくということである。
 特に、初等中等教育段階における国際化を前面に打ち出すことは、非常に重要である。例えば、資料8の「環境教育の推進に向けて」にはKEYWORDということで、「国連持続可能な開発のための教育の10年」という項目があるが、この持続可能な開発のための教育というのが、国連レベルでは環境教育と位置づけられている。これを言い出したのは日本で、世界中がそれに賛成したが、日本の教育課程には生かされていない。そのようなことを、大きな問題として意識する必要があるのではないか。
 国際的な動きというのは、教育課程の中における国の役割である。地方分権が大事だといっても、国が何もやらなくてもいいということではない。国は、国家戦略として教育を、特に重要な初等中等教育をどう考えるかについて、役割を果たさなければならない。そのためにも資料3の3番目の「●」を最初に出して、これから重要になることを指摘すべきではないか。
 最近、ユネスコの国際交流の活動で、韓国が日本を招いてくれたので見学をしてきた。その際驚いたのは、韓国では、ユネスコの教育目標を初等中等教育に普及するための「共同学校」という仕組みが広まっていることである。一方、日本では、この共同学校は16校であり、いかに初等中等教育の現場において、国際理解教育が行われていないかと思う。日本も国際化を前面に打ち出して、組織的にやらないといけない。

委員
 今のご意見に賛成だが、最終的にどのようにまとめるかは別の問題として、本日は、2番目の「●」から議論を始めたい。

委員
 基礎・基本の徹底とくると、次は発展がある。そして、発展の中には個性というものが含まれてくる。個性はすべてのところに関わってくる問題で、きちんと解決していかなければならないことである。その点が、もう少し明確になるとよい。
 それから2番目の「●」は結構だが、その下の、「○子どもたちの変化への対応」を独立させた上で、家庭の変化、家族の変化、保護者の意識の変化を明らかにし、子ども、家庭、社会それぞれの役割、現状をはっきりさせるとよい。

委員
 今のことについては、おそらく2番目の「●」の、はじめの「○」の中に含まれているものと思う。それを、項目として取り出すかどうかは、今後の議論の状況による。

委員
 1つ質問をしたい。ここでの議論というのは、教え方として、クラスを一体として扱い、先生が基本的なことをレクチャーして、子どもたちとやりとりするというやり方を前提とするのか。それとも、ばらつきのある児童生徒を相手に、個別性を持って指導することを前提とするのか。
 私は、高校1年のときに、個人ベースの数学の授業を受けたことがある。それぞれの生徒が、単元ごとに自分で教科書を読み、練習問題を解き、先生に申し出て試験を受ける。そこで一定レベルの点をもらうと、次に進める。だから、クラスの中で、半年で学習が終わる者と、1年かかる者が生じる。なお、この授業は最初に先生が、普通の一斉授業か、個人ベースの授業かなどで選択肢を示し、生徒が個人別授業を選んだことで納得ずくで行われているのである。
 科学技術立国を実現するための人材育成という高い問題設定と、最小限ぎりぎり必要な基礎的な力という現実論的な問題設定とのギャップ考えるとき、今お話したような教育のやり方も、一緒に考える必要があるのではないか。

委員
 今の問題提起については、多分1番目の「●」の、基礎・基本を徹底するための指導方法の中に入ってくると思う。ただ、個別指導はリソースの問題があるので、それがどの程度までできるかは、相当難しい問題だと思われる。

事務局
 従来は1学級を一斉に指導するのが基本だった。しかし、子どもたちには、現実に能力、適性等において差があるので、現行の学習指導要領では、個に応じた教育をかなり重視しており、習熟度別の指導が、この数年の間に、急速に広まっているという実態がある。これを、さらに充実をさせ、個別のニーズにできる限り対応していくことが方向性だろう。
 ただ、リソースの限界はあるし、具体的にどのような内容を発展的なものとするか、どういう指導の仕方をするかについて、まだまだ蓄積が不十分であり、その点の議論が各専門部会で必要である。

委員
 具体的なスケジュールをお尋ねしたい。秋までに基本的方向性をまとめるということだが、具体的に、いつまでに、どの程度の内容をまとめようとしているのか。そのことによって、議論をするポイントや中身が違ってくる。

事務局
 秋までにということになっているが、今の段階では、何月何日の会議までに何をするかという段取りがついていない。当面の進め方については今日提案したとおりだが、義務教育特別部会の流れとの関係も含めて、よく検討した上で、ご説明したい。

委員
 もとに戻って考えると、今、子どもたちに自分で考える力がなくなっているということが問題となっていて、だからこそ、考える力を身に付けさせるために基礎・基本を徹底し、時間を与えて、ゆっくり考えさせようということだった。今までの反省として、教え込み過ぎたために、指示待ち症候群となり、無気力になり、「生きる力」が弱くなったということがある。
 そういう意味では、次の段階として、もう一遍すべてを教え込もうとしたり、学校で抱えてしまうということが果たしていいのかどうか、私は懸念している。
 これまで、家庭ができないからといって、学校で抱えてきた。それが家庭教育支援になっていたのだろうか。家庭教育放棄支援になっていなかったか。だから、役割分担というときには、これは家庭で行う、これは社会で行う、ここまでは学校で行うということをはっきりさせる必要がある。また、家庭や社会に期待しても無理な場合でも、仕方がないから当面学校でこれだけ行うということを、わかっておかなければならない。そうでないと、家庭や社会が、その役割を放棄していくことになってしまいかねない。
 つぎに時間数に関して、例えば食育・環境・福祉など新たな教科を作らなくとも、現在の教科の中で、教科を超えたマトリクスを作れば指導できるはずである。新たな時間枠をとることがよいのかどうか、慎重に考える必要がある。

(2)事務局より資料について説明の後、子どもたちの変化に対応した教育課程の在り方、社会の変化に対応した教育課程の在り方について、自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○:委員、□:オブザーバ、△:事務局)

委員
 子どもの教育は家庭と地域、社会全体の責任として捉えるようにしたい。
 それから、部活動について言及されていないが、中学校段階での部活動というのは、生徒生活の3分の1ぐらいを占めている。一方で教師には、それに対する多忙感がある。だから、部活動についてどのような位置づけにするのかについても議論していきたい。

委員
 部活動の話は放ってはおけない。各国でそれぞれ違った考え方があって、学校で取り組むべきではないと考える国もある。時間をかけて議論することになるかもしれないが、このことについては、国として議論したほうがいい。

事務局
 部活動は、教育課程の課外活動という位置づけになっている。本部会においても、具体的な取り扱いについての議論はないが、いくつかご意見も出されているので、また相談させていただきたい。

オブザーバ
 学習指導要領第4章の特別活動には、部活動ではなくクラブ活動という言葉は出てくる。このクラブ活動について少し力を入れて書くことが基本ではないか。

委員
 学校の役割等を議論する際に考えたいのは、明治以来、日本の学校は何もかも抱え込み過ぎてきたのではないかということだ。知、徳、体といったときに、知は学校を中心に考え、徳は家庭を中心に考え、体は社会を中心に考えるというように大きく括り、例えば部活動については、全く学校教育から外して、社会教育分野の内容として整理していかなくてはいけない時期に来ているのではないか。
 それから、そういう観点で見ると、食育などいろいろな教育が必要だということについては理解するが、それぞれの分野を独立させていくということになると、時間数がいくらあっても足りない。今の社会科の中でも、法教育や経済教育は含まれており、教えられている。ただ、教えられているが、それが系統的で妥当かという問題がある。あるいは指導者が、内容を把握しているかどうかという問題もある。昔から、経済学者は経済学をよく知っているけれども、金もうけは上手とは言えない。すると、日本の経済学は、金もうけは関係ないのかというと、そうはならないはずである。生活力と捉えると、金もうけも含めて経済学と理解しないといけない。
 私は、教科などにはあまりこだわらないで、また、中学校までではなく、高学歴化していく中では高等学校まで視野に入れて、どういう学習をしていくかということを総合的に考えていかなければならないと思う。

委員
 子どもたちは、自分がキレる子どもになろうとか、乱暴な子どもになろうと思ってそうなっているわけではなく、それまでの育ちの中でそうなってしまったわけだ。私たちの子どもの頃とは違う状況の中で、ストレスを受けつつ育っているということを考えなければならない。
 アメリカに行ったとき、小学校2年生までにそのような問題に対応するために、どの学校にも学校心理学者がおり、心理テストなどもきちんと行って、行儀の悪い子どもなのか、あるいは何か違うストレスを抱えているのかということを判断して、特別なプログラムを特別な教師によって提供することを行っている様子を見た。幼稚園、小学校1、2年生くらいの3年間というのは、専門家も入れてどのくらい協調性が回復できるのか、あるいは指導し直せるのかということに取り組むことも必要ではないか。
 それから、その学校で、教室の入り口にツリーがあり、はじめは幹だけだが、よいことをすると、先生からカードをもらって貼っていくことをしていた。今、子どもたちが自尊心を失っているのは、幸せを感じる力がなくなっているからだと思うが、自分が何かをやったときに、幸せだとか、うれしいとか感じる積み重ねを、日々、家庭、社会、学校で行っていくことが重要だと思う。そのことが、その後出てくる問題の解決策にもなると考える。

委員
 今度の総選挙にも見られるように、住民に近いコミュニティに政策決定権がおりてきている。地方分権化は止めようがなく進んでいく。
 私は、国家戦略として教育を考えなければならないと思う。そして、その国家戦略の中にコミュニティ論を入れるべきである。コミュニティの中で一番大事なのが学校で、小学校、中学校が、崩壊しつつあるコミュニティに歯どめをかけている。そのことを、もう一度国民的な議論にしてほしい。
 課外活動については、絶対コミュニティでやるべきで、学校は授業に命をかけるべきである。
 それから、法教育などいろいろな教育のことが言われたが、私は、政治教育も行わなければならないと思う。中学生による子ども議会は面白く、表現は稚拙ながら、内容は鋭く市会議員とほとんどレベルが一緒である。日本は投票率が低く、若者の政治的無関心も問題なので、国家戦略として子どもの頃から政治教育を行わないといけない。

委員
 国家戦略として考えるべきという話が出ているが、整理をしておかなければならないことは、家庭、地域社会、学校の教育機能である。学校教育の役割としてこのような機能を果たさなければいけないから、このような教育を進めるという論点整理が必要である。
 部活動については、中学校にとっては大変大きな内容である。現在は課外活動という取り扱いになっており、校長が部活動の顧問をしていただく先生方にお願いして、先生方は時間外に活動をしているというのが実態だが、中学生は部活動に対する活動欲求が非常に高い。部活動の位置づけを、学校教育機能とするのか、あるいは社会教育の機能とするのかについて考えたい。

委員
 学校、家庭、地域の役割分担と協力、協働のあり方とはよく言われるが、それは何をやることなのか。具体的実像が、私にはなかなか浮かばない。これはよほど大胆にやらないと、結局は学校が全部受け持つことになってしまう。例えば、はしを持つことなど家庭でやってくるよう、ばしっと伝えないといけない。
 また、今、学校では特別支援教育で忙しい。私の市のある学校で全盲の子どもを受け入れているが、特別支援が必要な子どもは約6パーセントいる。その一人一人支援することは難しい。あるいは、いじめ、不登校の問題もある。また、給食費を未納の家庭が年々増えることから、給食費を担任教員がとりに伺ったりする。
 このような中、ここにあるように法教育、防災教育、性教育、金銭教育、税教育など何もかも入ってくる。部活も同様である。社会への対応については賛成だが、教育内容から何を出すのかという議論はいつやるのか。確かに時代の変化でこれをやろうというよいが、一方でこれは大胆に出すというのがない限りは難しい。
 学校現場は、やれというならやる、となる。それが恐い。結果論として薄っぺらい何かがなぞられていくだけということになりはしないかと思う。本当に力を注いでいけるようにしてやらないといけない。

オブザーバ
 課外活動、部活動は小学校学習指導要領では特別活動の第4章に書き込んである。ところが、中学校学習指導要領には、何も書いてない。だから、部活動については、中学校学習指導要領にまず書いて、学校の活動であるということを認めて、先生の処遇の上でもある程度のことを保障していくことが必要である。
 次に、教育基本法における政治教育という条項についての議論が据え置かれているが、政治教育について、ぜひ議論していただきたい。
 それから、法教育については、私も司法制度改革審議会の委員を務めているが、司法制度改革をやってから急に出てきたことである。しかし、もう少し健全な法教育のあり方としては、刑法で列挙してあるやってはいけないことについて、ここに書かれているからやってはいけないと子どものときから教えていくやり方をとるのか、それとも、人を殺してはいけない、それは神様がいけないと言っているからだという教育をするのかということであろう。
 最後に、子どもたちに何を教えるかについてである。アメリカではほったらかしの学校がある一方で、モンテッソーリの学校もある。モンテッソーリ教育の幼稚園段階での第一歩は、靴をそろえてげた箱に入れること、自分の着ているものを人に手伝ってもらわないで自分で着がえることである。モンテッソーリの学校では、昔の日本のお行儀の教育と同じことを学ぶ。日本の学習指導要領では、モンテッソーリ的なことが道徳教育のところに全部書いてあるので、それを実行するかしないかだけの問題といえる。
 また、資料4の下のほうに、社会的自立、自己責任、それから司法等々の場面での国民の参加が書いてあるが、相互信頼の社会ということを教えるということが書いていない。要するに、全部の人が交通ルールを守っていてくれない限り、自動車というのは走れないし、環境も、人がごみを捨てないということを前提にしない限り、守ることができないということを教えないといけない。

委員
 私はまず、学校週5日制堅持で進めるよりしようがないと思う。学校週5日制で進めるということは、時間数でいうと週30時間という枠で考えざるを得ないということだ。本部会では、国語を増やしたらどうかとか、理科とか算数・数学は大事だという話があったので、それぞれ今よりも1時間増やすという可能性はある。その上で、今日も話に出た法教育とか政治教育などを行うとなれば、どこに入れたらよいのか。
 そこで、例えば、小学校では社会科、高等学校では公民科の内容構成を、法や政治について教えるという観点からから考え直すという議論は意味がある。また、環境教育の視点を大胆に取り入れて、理科や社会のカリキュラムの捉え直しをするとか、性教育は今の学習指導要領では明示されなくなっているから、何年生からどうするということを入れるとかいうレベルの議論もしていかなければならないだろう。さらに、クラブ活動や部活動も、学習指導要領に明示すべきなのか、あるいは解説書みたいな形で示していくのか。その内容として、これまでの伝統的なやり方はまさに課外だったが、学校はこの程度の関与にとどめて、地域のいろいろな人たちの活動にお願いしながらやっていくというのも一つの考え方である。このようなことについて、もし、あと2、3年あるなら、私はぜひ議論を展開していくべきだと思う。
 しかし、もう方向性を出す時期にきている。登校から下校までの時間は限られ、授業時数は30時間だとすると、その中に入れられるものはいいけれど、入れられないものについても考えないといけない。新しい内容を教科の中にどう組み込むかについて、各教科の専門部会に議論してもらいつつ、今入っているこの内容はもう入れないということを素案として出さなければならないのではないか。この点に関して、家庭科や技術科などについてはいろいろな議論があるし、音楽や図工、美術についても、一部では選択制にしてはどうかというような話もある。

委員
 問題は、除くべき内容をしっかり除くことができるかということだ。このメッセージを専門部会にはっきり伝えるべきだ。例えば、法教育にしても金融教育にしても、先ほどのお話にあったとおり、独立させることはできないわけだから、現在のどの教科の中で重点を置いて教えるかということを議論してもらうことになろう。

委員
 そこへ行く前に、もうワンステップ欲しい。それは、本部会が模範解答を書く前に、どのような選択肢があるかということを国民にはっきり示すことである。どのような問題が背景にあって、複数の考え方が出てこざるを得ないのかということを示して、国民に選ばせる。それから次へ進むのが、一つのやり方ではないか。
 親がだめ、コミュニティがだめ、だからみんな学校でやる。そこで、そのようなことがやれるかという意見が出る。私もその通りだと思うが、だからといって学校が投げ返したら、親やコミュニティは何ができるのか。
 コミュニティのサイズなど条件が揃っている地域には何かできるのかもしれないが、できない地域もある。コミュニティの状況によって違うのである。それで、こちらではできないからそちらでやるようになどと押しつけ合っていたのでは、一向に問題の解決にはならない。
 例えば、はしの持ち方を教えることを親にやらせるのか。そうだとすれば、親を呼び集めて、どのようにやるのか伝えるところまでやらなくてはいけない。それができるなら、学校は別のことに専念する。それができないなら、学校ははしの持ち方も教える。その代わり音楽は犠牲になるかもしれないなどという選択肢を示して、国民自身に考えてもらうことだ。ジャーナリズムも考えてほしい。優秀な作文はいくらでもできるが、それが絵に描いた餅ではだめなのだ。みんなが納得して、やる気になって、分担ができるのが最良である。そのために、国民に問題を投げかけるという姿勢が必要ではないか。

委員
 具体的なやり方としては、我々のレポートの中で、例えば、学校、家庭、社会の機能の明確化として、箸の持ち方などについていくつかの選択肢を示して、パブリックコメントを求めることが考えられる。
 なお、部活動については完全なextra curriculum activityとして実施しないと、もう学校は受け持ちきれないと思う。私は、20年ぐらい前に世界中の大学のextra curriculum activityを見て回ったが、大学で部活動を実施しているところは全然なかった。完全にコミュニティだけで実施しており、その流れは、小学校、中学校にきている。日本的なやり方として、部活動を学校で抱えるというのも一つの手だが、それができるのかという問題提起は、一度してみる必要がある。

委員
 教員の中には、授業後にのんびりする者もいるが、大忙しの者もいる。不登校やいじめのことを考えたり、学校へのクレーマーに対応しなければならないこともある。私もクレーマーからの電話を2時間受けていたことがある。そうなると、もう何もかも動かなくなってしまう。教員の授業後をどのようにするかということは、今まで議論されていない。
 ついでながら、社会ではトイレが洋式になってきているが、学校はほとんどは和式で、小学校低学年ではうまくできずに汚していく者もある。学校では、そのようなことまで面倒を見ているのである。これは、文化の変化に学校の施設、設備は対応し切れていないということでもあるが、私としては、そんなことは小学校に上がるまでにできるようにしてくるよう、学校から保護者に伝えるべきであると考える。
 それから、保育園と小学校の違いは、保育園には時間的感覚がないということだ。小学校になると、45分間は、教室に缶詰になることになるが、これは子どもにとって非常に苦痛である。だから、保育園の年長が小学校に上がってくるときの関連をどうするかについて、保育園や幼稚園も、学校も考えないといけない。
 それから、資料4の観点1について、これまでの教育課程部会における意見例として、小さな挫折・失敗経験を持つこととある。内容としては、私はよいことだと思うが、本当にこの通り書けるのだろうか。というのは、それが紙一重のところで事故につながって、特に今では訴訟問題なども起こるから、教員が恐れるためである。だから、私はそのことについて教育委員会などが支えるようになっていないと難しいと思う。この言葉は、言うことはできても、文章の中に書き込めない。

委員
 学校文化というものを考えたほうがいい時期に来ていると思う。日本の学校文化のどういうところに問題があったのか。それは、やはり国際的なレベルの意見に対して一番弱かったと思う。例えば、アメリカのハーバード大学で同窓会をやると、一番威張っているのは、アフリカの平和部隊に行った者やニューヨークの金融市場で活躍している者だという話を聞く。そういう文化が、日本において学校文化として定着しているのか。そのことが今、日本の場合は問われてきていると思うが、そのような発想は、地域からは出てこないのであって、国が考えなければならないことなのではないか。
 今も現場のいろいろな苦労や実際に起こっている問題についての指摘があった。それは一つずつ解決していかなければならないと思うが、国としては以上のようなことが重要なことではないか。それは地域の意見を統合してもまとめ切れないことなのである。国家戦略として、本部会が示す基本的な考え方に含めたい。

委員
 クラブ活動と部活動は分かれている。クラブ活動は必修化しているが、ほとんど時間がない。一方、部活動については、入る子どももいるし、入らない子どももいる。運動する子どもはハードに励んでいるが、その一方で、運動しない子どもは、本当になにもやらない。日本の子どもは全体として、非常に体力が落ちてきているとも言われている。
 そこで、もし、生涯体育という形で、健康のためのスポーツを習慣づけようとするなら、社会体育が、もっと組織化されてこないと無理だと思う。これから、とりあえず競技スポーツは置いておいて、健康増進のための体育はどうあるべきかということに焦点を当てていかなければならない。
 なお、部活動の具体的な問題としては、例えば、部活動をするためには監督がいないといけないということで教員が担うことになるが、教員みながその競技が得意というわけでもなく、ただ見守っているだけということもある。しかし、それではあまり効果も上がらない。部活動の在り方を見直す際には、現場の実態から見て、必要なのかどうかを選択することが非常に大事である。
 それから、先にお話の出た国際化の問題について、日本には、例えば在日朝鮮人や在日韓国人がいるが、彼らに対しても日本人教育を行っている。一般に、例えば国語や社会科の中における日本史を行っており、全く日本人のための教育になっている。外国人がいてもいなくても関係がない。だから、日本の学校は全く国際化しておらず、他民族文化を認めていないようにもみえる。学校文化としての国際化が問われているような気がする。

委員
 ある地域では、生徒の80パーセントが外国人だという学校もあると聞く。そこでは、日本人がマイノリティとなっている。先生も対応ができず、問題になっているようだ。

委員
 市長会の中には義務教育を議論する部会があり、私も2度ほど出席したが、そこは、中央教育審議会を全く誤解している。私は本日出されたようなコメントを市長たちに聞かせたら、ほとんどの市長は感動するのではないかと思う。
 市町村長の心理を代弁すれば、自分たち何もできないと思っている。教育は他人のせいにしやすいシステムなのである。だから、本部会で議論して、いろいろなよいものをつくっても、自分たちとは関係ないところで決まったのであって、関係ないと思ってしまう。だから、先ほどのご意見にあったように、国民全てに問うのは難しいかもしれないが、せめて全国の市町村長には、中央教育審議会でこのようなことを議論をしているのだということを伝えてほしいと思う。

委員
 先ほど、学校がクレーマー対応で困っているということだったが、私たちも同様だった。それで、私どもは第三者機関をつくった。学校ですべてのクレームを受けていると、学校の機能が麻痺するから、学校や親から独立した相談機関をつくり、学校の広聴の機能の一部を外に出し、学校の負担を軽くしたのである。
 また、私たち市では小学校区毎にコミュニティ活動の拠点となる公民館があり、学校とコミュニティの関係が非常に強い。地域のよっては、学校にガードマンを置かなければいけないというところもあるようだが、私たちの所では、コミュニティみんなの目で子どもを見守る運動をしている。このように地域の取組は様々である。
 そういう意味で、国には地方の独自性を発揮できるようなシステムを考えていただきたい。例えば、5日制については、国はこれを、堅持すべき基準として示す。これを地方に任されると、地方としてはとても困る。また、少人数学級か、少人数指導かということについて、国は少人数指導にすべきことを示すべきだ。国がどちらでもいいと言うと、地方では保護者の圧力で、絶対少人数学級を実施しなければならなくなる。
 そのような基本的な問題については、はっきり基準を示した上で、地方の裁量でよい部分を残してほしい。例えば、学校週5日制は堅持だが、夏休みの使い方は地方で考えよと言われれば、地方は行政と教員が一緒になって考える。
 それから、学力調査については、現場の指導にかかわる部分は地方に任せてほしい。きめ細かな、一人一人の生徒のニーズに合ったような結果を出すような調査なら、地方に任せていただきたい。国が実施するべき調査というのは、国の教育の質を保つことや、各自治体のレベルに差がないかどうかを確認することや、外国と比べて基準はどうかということを確認するような調査であろうし、それならば、その結果については、全部公表してもらって結構だと思う。地方としては、管内のこの学校とこの学校のレベルが違うとまで言われるような調査は迷惑である。先生たちは地域の状況に合わせて一生懸命指導しているわけだから、それを尊重してほしい。

委員
 本部会で、全体の大きな枠をつくるのかつくらないのか。例えば専門部会での議論について、この部会がある程度枠をつくるのかどうかが気になる。
 例えば、部活動は、これまでの学習指導要領ではむしろ外へ出してきた流れがある。そういう歴史的な流れからすれば、また規制緩和の大きな枠の中で、網をかける部分というのはどの程度なのかを示さないと、専門部会は非常に混乱するのではないか。
 それから、学校、家庭、地域の役割分担についてはしっかり議論し、一種の社会改造まで見越して提案していけるようなものを考えたい。この3つのそれぞれの中身は、暫定的に可能な範囲で決めていく。ただ、大きな方向性は示す必要があるのではないかと思う。そうでないと、学校でいくらいろいろなことをやっても、子どもからしたら満足しないと思う。家へ帰ったら、全然親に教育的関心がない。地域も全然関心がない。そんな社会が子どもにとって幸せだとは思えない。そういう意味で、学校ですべて受け持つのは、むしろ子どもにとっては、幸せを感じない社会にしてしまう。この部分は家庭で、あるいは地域でということについて、子どもの意見や気持ちを聞いたりする場も必要なのではないか。
 それから、社会との関係について、社会から我々はいろいろな影響を受けているが、その視点をどのように入れるか。社会の変化への対応ではなく、今の社会構造の変化や家庭の崩壊などの変化によって、我々や子どもが受けている影響についてどう押さえるのかを考えなければならない。
 最後に、先ほどの意見で3番目の「●」が一番重要ではないかという話が出たが、このまま子どものほうの観点が先で、国のほうが後にきているという順序になっている方が健全だと思っている。もちろん、国として方針は出してほしいが、下手にそれを出すと、規制緩和の流れを抑えるのかという声も出かねないと思うためだ。

委員
 小学校教育、あるいは義務教育の基礎・基本は何なのかということを、もう一度、きちんと徹底する必要がある。学習指導要領に書かれているものはすべて、基礎的・基本的事項としてきちんと理解させていかなければいけないものだということが、学校現場では徹底されている。しかし、現実問題としては、指導した内容がきちんと子どもたちに定着しているかは、実態調査でも明らかなように、難しい状況である。現在の授業時数で、今の学習指導要領の内容を徹底することも実はなかなか難しいということを踏まえると、基礎的・基本的事項というのは、もっと精選して、重点化していかなければならないだろう。
 また、このことの背景には、子どもの変化や家庭の問題がある。子どもには基本的な生活習慣がついていないという実態があるが、もし生活習慣について教師が強く指導すれば、それに対して親から、もっと優しく指導してほしいといった意見が出てくる。結局、保護者の言うことによって学校は指導を緩めたり強めたりするのが現状で、このために学習指導も徹底できない。居残りをさせて、完璧に指導したいと思っても、家庭の都合のために子どもを学校に残せないという実態がある。
 法教育、金融、経済についての教育などについては大事だが、それぞれ今の教科の中では、かすることはできても正対することは難しい。
 幼小連携については、ニュージーランドの例だが、5歳児入学をして、子どもたちに集団で生活の規律や学習習慣が身につけられるようにする授業をし、6歳から正規の入学をさせていた。幼小連携の在り方も考えていかなければいけない。
 部活動、クラブ活動のことについては、ぜひ時間を確保してほしい。今、部活動をやめると言ったら、大パニックが起こる。クラブ活動についても、小学校の特別活動35時間のうち、学級指導がほとんどで、せいぜい5から10時間がとれるだけである。しかし、クラブ活動が好きだという子どもが圧倒的に多く、中学校に行ったら部活動をやりたいという声が強い。だから、もし、部活動やクラブ活動の枠組みを変えるなら、きちんとした制度設計をしてからでなければならない。

委員
 2001年2月から教育課程部会が成立してから、いろいろと議論の積み上げがある。例えば家庭、地域、学校の問題も繰り返し出てきている。ここで、少し整理し、議論することが必要ではないか。例えば学習指導要領の総則に入れていかなければいけないことと、各教科に入れて入れていかなければいけないことはどういうことがあったのかということである。特に各教科については、各専門部会との間でフィードバックしないといけない部分がある。そこで、まず、本部会で素案を出して議論し、それを各専門部会に下ろし、そこで素案がさらに議論され、本部会に上がってくるようにするとよい。

委員
 専門部会にある程度の大きな枠を示す必要がある。その中で大事なのは、期間が限られていることから、短期に結論を出せるものと、長期的に議論するものに分けることである。長期的なものについては、今後の議論に示唆を与えるようなことができればよい。
 我々がこんなに悩むのは、やはり子どもたちが変わっていることである。変わった原因について、家庭のしつけができていないからと言われるが、私は、それは違うのではないかと思っている。むしろ社会が子どもたちをきちんと育てていないということではないかと思う。
 最近の脳科学の研究でわかってきたことだが、人間の脳細胞の中には顔を認識する脳細胞があり、その細胞は実物を見ないと育たず、前頭葉も発達しないのだという。子どもの頃からインターネットなどをやっているとその部分が全く発達しないと聞いた。前頭葉の働きは重要で、前頭葉を破壊された人が全く人格が変わってしまって、すぐキレるようになったり、判断力がなくなったりしたという症例もある。その点を踏まえないと、家庭の責任というだけでは事が進まないのではないかと思う。
 なお、脳科学では、臨界期までに刺激を与えないと、脳細胞が発達しないと言われる。語学については3歳から7歳までに第2外国語の経験をしていないと絶対にうまくならないというデータもある。

(3)事務局から次回の日程について説明があり、閉会となった。

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課教育課程企画室

(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)

-- 登録:平成21年以前 --