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教育課程部会(第25回) 議事録

1.日時

平成17年9月7日(水曜日) 10時~13時

2.場所

丸の内東京會舘 「ゴールドルーム」(11階)

3.議題

  1. 現行の学習指導要領の成果と課題について
  2. その他

4.出席者

委員

 木村部会長、安彦委員、荒瀬委員、石井委員、市川委員、井上委員、宇佐美委員、衛藤委員、大橋委員、田村委員、角田委員、渡久山委員、増田委員、無藤委員

文部科学省

 結城事務次官、近藤文部科学審議官、銭谷初等中等教育局長、樋口政策評価審議官、板東官房審議官、山中初等中等教育局担当審議官、布村初等中等教育局担当審議官、根本主任視学官、常盤教育課程課長、合田教育課程企画室長、井上教育課程企画室室長補佐、高口視学官
国立教育政策研究所
 惣脇教育課程研究センター長

オブザーバー

 鳥居会長

5.議事録

(1)事務局より資料について説明の後、現行学習指導要領の成果と課題の検証について自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○=委員、□=オブザーバ、△=事務局)

委員
 中教審では部会ごと教科ごとに論議が行われているが、その間のつながりの議論が十分ではない思う。具体的には、幼小連携、小中連携をきちんと位置づけた方がいいと思う。現行の学習指導要領では総則に書かれていると思うが、幼児、児童生徒の交流活動をきちんと行うことや、先生方が情報交換の実施することについて明記した方がいいと思う。
 まず、幼小連携の場合、幼稚園から小学校には指導要録が送られるが、それが保育園との関係ではきちんとできていない。また、公立幼稚園と公立小学校は頻繁に情報交換を行っているが、幼稚園は圧倒的に私立が多く、公立小学校との関係は必ずしもよいというわけではないと思う。幼児期にいろいろな問題を抱えていると思われる子どもが小学校に入るときに、情報交換として、問題などを明記した方がいいと思う。
 幼小と小中において、総則に連携しなさいと示すだけでなく、もう少し具体的に一貫性を持ったカリキュラム作成に踏み込むことを教科ごとに考えなければならない。例えば家庭科などは小学校5年から中学校3年までの5年間、一貫したカリキュラムの作成をしっかり考えた方がいいと思う。また、理科なら小学校3年から中学校3年までの7年間について考える必要がある。
 幼小については、幼稚園には教科はないが、保育内容の領域はあるので、それと算数、国語、音楽、生活科などとのつながりについて考えてはどうかと思う。
 次に、特別支援教育を学習指導要領上どのように位置づけるかについても議論しなければいけないと思う。現行の学習指導要領では、総則において障害のある子どもへの対応をきちんと行うことが示されているが、現在の特別支援教育は発展し、軽度発達障害を中心として非常に多様になってきている。例えば個別指導計画をつくることも、今は各学校でやっているが、やはり学習指導要領上の根拠や方針を出した方がいいと思う。
 最後に、総合的な学習の時間では、教科総合的な発想を入れてもいいのではないかと思う。例えば、小学校であれば、算数から発展した算数の体験活動を総合的な学習の時間で行うことである。これは、小学校の中学年で長さや、面積を実際にはかる単元で、十分に時間かけて校庭の面積をはかったり、町に出てはかるなど、通常の算数の時間では行いにくい活動を総合的学習の時間の場に持っていく発想である。そういうことをもっと広げていくと、中学校などでは随分、総合的学習の時間が活発化できるのではないかと思う。

委員
 今回の教育課程部会は、義務教育が議論されていることが大前提としてある。義務教育特別部会で財務省の高官が、国として財政負担をしているのにちっとも教育がよくなっていないと言ったとき、反論する材料がきちんと用意できていなかった。
 つまり、私たちには教育課程をきちんとやっていればいいという前提があるが、一方で、学力について整理されないまま、学力が低下していると議論されているのである。そうすると、教育課程どおり行っているといっても、説得力のあるものにはならない。
 こういうことが起きる原因は、初等中等教育が国際的な影響を受け始めているからだと思う。今まで初等中等教育は基本的にそれぞれの国が行い、高等教育は国際化されて比較され常に刺激を受けてきた。しかし、初等中等教育については既に国際化しようという流れが、サミットの動きなどに出てきている。21世紀はもう確実にそういう流れになっている。それがそのまま反映され、PISAとかIEAの調査がそのまま我が国の教育の批判に使われている。このことについてはきちんと検証していないので反論できず、一方的に打たれている。その部分についてのはっきりした意識を、今回の学習指導要領の議論に入れる必要がある。PISAとIEAのことを導入するなら、それに対応できるような教育課程上の視点を明確しなければならない。
 次に、環境問題にどう取り組むかである。これは義務教育の段階から重要な課題だと思う。国際的な環境教育についての明示的な示し方というのは、日本が言い出しているわけで、持続可能な開発のための教育という言い方で環境教育を主張し、世界的に認められている。そのことについて、国内の教育にどういうふうに反映しているか。このことは、必ずPISAのテストに出てくると思う。
 次に、平和の問題にどう取り組むかである。これは宗教の対立があるので非常に難しいが、平和は21世紀を生きる子どもたちにとっては最大のテーマである。テロの解決の糸口は全く見えないが、この世界に生きる子どもたちに、どのように触れさせるのかをきちんと議論すべきである。
 以上のような国際化の影響への対応について、今回の審議会で考えていく必要があるし、そのために学力調査を都道府県に任せず、国として全国的に実施するべきだと思う。国として国際競争の中で勝てるかどうかという視点で学力が問題にされているので、そのような視点から、今までのように学習指導要領の実施状況を試すような調査ではなく、悉皆で国が実施するべきである。国としての意思をきちんと示すべきであると思う。このようなことをきちんと示せば、義務教育国庫負担を減らすなどという話は出てこないと思う。

委員
 学習指導要領がつくられていくプロセスに直接立ち会うは初めてなので教えてほしい。教科間の連携はどういう形で行われているのか。
 先ほど、縦のつながりが大事だと出されたが、同時に横のつながりも大事だと思う。特に国語や算数・数学が基礎教科と言われて、各教科とのつながりが非常に強い。各教科でのニーズが国語教育にどのように反映され、国語の学習指導要領の改善にどう生かされていくのか。また、その議論の進め方はどうなっているのか。
 もう少し具体的に言うと、小学校の国語は、各教科で生きるような力を育てるように変わってきたと思う。しかし、本来、発表やディスカッション、レポートなどの高度な国語力が、他の教科でも要求されると思うが、実際には中学校、高校の国語の中にあまり取り入れられていないのではないか。教科書編集では、小学校の方がうまく取り入れられている。しかし、中学校、高校では、他の教科からの要望に応えるような、あるいは実生活に役立つような国語力という視点が、教科書編集でも少なくなっている。
 算数・数学については、統計的な素養をもっと身につけさせてほしい。これは各教科からの要望としても、かなりあると思う。しかし、実際には、算数・数学という体系で見ると、学習指導要領の扱いも統計などについては、むしろ少なくなってしまっている。
 具体的にもう一つ指摘するなら、体積をもっと先に教えれば理科でも他の教科でも生かせるという話がある。
 教科の学習が教科内の縦の接続だけではなくて、横の関係でも生きてくる。例えば、3年生で学んだ算数の内容が4年生の理科で生きてくるというように、教科で学んでいることが遠い将来役に立つだけではなくて、自分たちが学習をしている際にも確かに役に立つことが見えやすくなるような気がする。そういう横の関係や斜めの関係を考慮に入れた体系的な学習指導要領が望まれる。そういうつき合わせを、今後どこでどういう形で行うべきか。

事務局
 ご指摘のとおり、発達段階ごとに、各学校段階と各学年における横の関係は非常に重要だと思う。それから、縦の関係も非常に重要だと思う。そういう意味で、今の教育課程部会は教科ごとの縦の構成になっているので、どの段階でどのように横の関連づけをしていくのかについて考えなければいけない。ただ、今の時点では、あるいは各教科を横断したある程度の基本的な考え方として、各教科ごとに例えば知識・技能であれば、どういう考え方でそれを子どもたちに身につけさせるのか、どのように整理をしていくのかを、まず教育課程部会の中で議論していく必要ある。
 もう一つ重要なのは、コミュニケーション能力、忍耐力、共感力など、育てていきたい力がいろいろあると思うが、それを今度は各教科でどう分担し整理していくのかについて、各教科専門部会と教育課程部会で少しフィードバックしながら進めることである。そして、教科ごとにある程度整理がついた段階で、横の連携がバランスがとれているかをチェックする合同会議の設置を検討する必要があると思う。

委員
 難しいのかもしれないが、教育課程部会あるいは教育課程企画特別部会だけではなく、合同会議を設置してもいいのではないかと思う。
 例えば、中学2年生で数学の証明で、言葉の定義と定理の違いがわからずにつまづく子どもがいるが、言葉を定義することは数学でなくても、小学校の高学年ぐらいからの国語の中でもできると思う。人とコミュニケーションをとるときには、ある言葉をどういう意味で使っているのかという定義が必要である。そのときに定義ということを学ぶと、中学2年生の数学の証明の中で実際に生きてくることになる。こういうことを合同会議の中で話し合えば、もっと教科の結びつきができていくのではないかと思う。

事務局
 合同会議ついては、前回、教育課程審議会で行われていたが、その中に総会と分科会があった。そして、分科会としては初等教育教育課程の分科審議会、中学校教育課程の分科審議会、高等学校教育課程の分科審議会があり、そこで学校段階ごとの横の調整を行っていた。今回は新しい枠組みの中で、どう整理し、関連づけしていくのかは、これから検討しなければいけないと思う。
 なお、教育課程企画特別部会は、学習指導要領の考え方についての大きな枠組、あるいは総則的なことを取り扱うことになるが、その中で今話しのあったような機能は若干あろうかと思う。しかし、教育課程企画特別部会は小学校教育の専門家、中学校教育の専門家、高等学校教育の専門家で必ずしも構成されているわけではないので、やはり何がしかの横の関連づけの工夫は要るのかと思う。

委員
 合同会議についての問題提起は非常に重要なことであるが、簡単にはできないと思うので、事務局で体制等を考えてほしい。

委員
 今日、学力について議論をすべきである。学力については大変批判をされ、嫌な思いや悔しい思いをしたが、これについてずいぶん整理されてきた。
 一つは、読み書きそろばんという基本的な力が足りないのではないか。もう一つは学習指導要領をきちんと教えていないのではないか。最後に国際的な新しい学力観、つまり問題解決、問題発見能力などに対応する必要があるということ。これら3つが混在して降りてくるので、対応しにくい。
 やはり説明責任があるので、きちんと整理してこの部分はきちんと対応していると言えるような仕組みをつくる必要がある。そうしなければ、また同じことが繰り返される危険があると思う。

委員
 幼小連携は研究開発学校で実際に行われている。しかし、小学校の先生が幼稚園に行くと、幼稚園はみんな遊んでばかりいると捉える。逆に小学校に行くと、勉強ばかり教えていると捉える。このように、両方の教員の意識が全く別々な形で教育活動、あるいは養育活動が行われている。実験校などでは、連携したカリキュラムをつくることができるかという、非常に難しい課題に取り組んでいる。
 小1プロブレムといわれるように、小学校1年生はすでに課題を抱えているので、それをどう解決するかは非常に大事なことだと思う。実験校で成果があった事例を示し、幼稚園と小学校での連携のための具体的なカリキュラムをつくらなければならない。
 学習指導要領であれば人間力という極めて抽象的な話で始まるが、最終的には各教科のことが問題になり、学校の職員会議では時間数の増減の話ばかりになる。だから、理科でもない、国語でもない教科というのは、実際、具体的には考えられない。教科はあまりにも分化し過ぎてはいないか。
 一方で、小学校における生活科は、社会科と理科とのコア・カリキュラムを中心に、生活に密着した取組であったが、もとに戻すべきという意見がでている。生活科は成功していない部分がある。
 今、生きる力というテーマで、生きるということを考えるが、人間は別々の教科で生きているのではないと思う。やはりそれなりに自分の中でいろいろなことを総合して生活していると思う。そういう生活のあり方に、小学校の低学年はどう応えていくか、高学年はどう応えていくか、中学校はどう応えていくか。人間の生活、子どもたちの生活に応じたカリキュラムをつくっていかないと、総合的なものは出てこないのではないかと思う。
 小学校では単科の教員が増えている。このことは、教科が中心になり、総合的なところは減っているということになる。
 高等学校では非常におもしろい現象が起こっている。それは、それぞれの教科の系統性を非常に大事にすることと、総合性、応用性を大事にすることである。例えば物理なら物理の授業を系統的に、非常に勉強している子がいるかと思ったら、非常に総合的な教科をとって、物理だけではなくていろいろな形のものも勉強していることである。そういうことが起こっているから、教科が非常に系統性がなくなってきている面と、応用力をつける、いわゆるリテラシーの部分をその教科の中にどう生かしていくかという面があるべきではないか。しかし、リテラシー部分がなくなっていくので、総合的な学習の時間という教科でもないような、カリキュラムがないような教科が必要になってきたと思う。
 ですから、そういう面では今、具体的な教育課程、カリキュラムをどうつくっていくか、それぞれの教科でどう生かされるか、生かすかを真剣に考えなければ、この部分は生きてこないのではないか。

委員
 学習指導要領の学習内容で、以前は中学校にあったものが高校に移行している場合がある。特に中学校の理科では、それがかなり多かったように思う。小学校と中学校のカリキュラムはスパイラルでつながっていくものがいい。つながりのところは、双方が学習すれば、共通の素材が増え、かなり連携も進むのではないかと思う。
 次に現在的な教育課題として、食育、キャリア教育、経済教育、消費者教育、環境教育、性教育、エイズにかかわる指導など、様々なものが教育に求められているが、学習指導要領を見ると、それらの内容は各教科に点々としている。それらを整理、統合、深化させるところは学級活動の時間しかなく、どの教育をとっても深め切れないのが現状である。
 だから、それらの内容は各教科での連携を図るためにも、各教科の内容として位置づけたらどうか。例えば、消費者教育であれば社会科や家庭科とも関係してくると思う。そういった位置づけを教科の中にしていかない限り、求められる教育はなかなか現場では進まないであろう。
 現代的な教育課題を仮に各教科の中に位置づけると、教科総合のような取組もできる。そのためには、各教科の時間をゆったりとっておかないとできない。現在、音楽や美術は1.5という形であるが、心の教育の重要性が叫ばれている中で、情操にかかわる教科はしっかりとした時間確保が必要ではないかと思う。

委員
 今は、義務教育のあり方が問われる中、学習指導要領の見直しが進められている。我が国全体を考えた場合、大臣の諮問にもあったように、天然資源が少ない我が国においては、人材育成こそが我が国の力を増進させるために必要であることから、国として教育立国を目指すためにスローガンを掲げている。今回の学習指導要領は学校週5日制の実施を目指した見直しで、マスコミなどに3割削減されたと報道されたため、国民は学力が当然低下したのではないかという印象を非常に強くもったのではないか。そう考えると、次の学習指導要領は充実した内容のものであるというメッセージを発しなければならないのではないか。
 学校の現場の教員や教育委員会にこの点について感想を求めたところ、学力低下等を払拭するような中央教育審議会からのメッセージが必要であるという声を非常に強く聞く。グローバル化が進み、国際的な競争の中で、我が国の初等中等教育が、PISAやIEAの調査などで揺らいできているので、次回の学習指導要領では、科学技術の点から学術研究成果を初等中等教育に十分取り入れること、学問的な体系に十分配慮すること、あるいは、実生活との関連で子どもたちの興味・関心を十分引きつける教育内容にすることなど、教育課程部会で出された様々な意見を取り入れて総合的に見直す必要がある。そして、確かな学力の育成、義務教育の目標である社会の形成者としての資質形成、豊かな人間性と感性の育成を行うことにより、一人一人が豊かな人生を送ることを目指す学習指導要領であるというメッセージが発していただきたい。

委員
 高等学校の段階では、どうしても専門的な部分に入り込まざるを得ない。各教科の中で専門家がいて、それぞれが自分たちが受け持つ単位数、年間の計画、あるいは3年間を通じた計画などを考えなければならない。
 私の学校の場合、それを打ち破るような動きが出てきた。中学校で学習内容が減っている中で、例えば化学でイオンを学習しないで高等学校に入ってくる。イオンを学習しない生徒に化学を一からどうして教えていくのかを考えると、どうしても化学の授業だけでは難しくなった。その上で大学入試がある。必要に迫られて、他教科との関連性を図るか、時間数をどうするかを考えた。この中では、教科間の連携はもとより、ほんとうにコミュニケーションを行っていかざるを得なくなった。
 また、各教科間での宿題をどういう割合で出すか話し合いをせざるを得なくなっている。こういう状況の中で、学習指導要領の目標を3年間でどう到達していくのかを、学校の中で考えていくことが自然な流れとして生まれてきた。
 特に私の学校には専門学科と普通科とがある。専門学科は学習指導要領の規定上、その他の専門学科であるから、必履修科目は既にあるが、それ以外の科目をどのように配置していくかは、すべて学校全体で考えることになった。そこで考えたことが、今、普通科にも適用され、さらにその発想を他の高等学校にも発信するようになってきた。枠組みとして示されたCSやその到達目標があるならば、到達するためにいかなる取組でもって達成するのかを考えるようになった。
 さらに、教科・科目の学習だけではなく、体験的な学習をどのように、どの時期に取り入れていけば、どのように生徒が成長するかも考えることができるようになった。
 このことをしようと思うと、まさに各高等学校の組織的な教育力をどう打ち立てていくのかが問われることになる。これは教員個々の指導力を高めることはもちろん、教員の持っている力をさらに発揮させることでもあった。組織的な教育力を高めていくことで、学習指導要領の目標を達成できた。

委員
 一方で学力、他方で忍耐力、集中力など、やたらと「力」とついている。それで、「力」というと、何かみんな学力の方に引き寄せられているように思う。
 形式陶冶と実質統治、あるいは人格形成と学力形成という言い方をして、論議が学力の方に行ってしまうと、必ず人間性はどうなんだ、人格形成はどうなんだということが出てくる。人格形成については実社会の条件、家庭の条件、その他が悪化して、学校が何もかも背負わなければならない状況を生んでいる。
 そのために必要なお金が総務省、財務省から出ているが、それはマイナスの面をゼロに戻すためのお金であって、とてもプラスにするほどのレベルのお金ではない。実際に、GDP比のパーセントからすれば、日本は先進国と比べて国の出す教育費がほんとうに低い。そういう観点から見れば、ある意味で学校教育はよくやってきていると思う。
 学力というと一面的に受験学力に引っ張られ過ぎるが、ほかの部分はどうなのか。また、その部分のうちでも、国語と算数・数学とでは意味する内容が同じなのか。さらに、総合といっても、国語を核にした総合、あるいは算数を核にした総合、理科や社会科を核にした総合と同じ性質のものかどうか。
 また、どの部分を基礎に見るかという問題もある。人格が基礎、あるいは全体だと捉え、学力はその一部にすぎないと見るか、あるいは生活が非常に基礎的な層であって、学力にも影響していると見るか。その上に基礎学力的なものを考えて、それをさらに発展させ、応用、実用、発展的な力をその上に見るなど、全体のカリキュラムの構造を考えておかないと、漫然と教科を横並びにすれば済むようなものではない。国語と算数・数学はやはり人間としての基礎である。その人間としての基礎とする活動がいろいろな分野に分化していけば各教科になる。そういう意味では全体をまずイメージしないと、同じ関連でも意味が違うことになる。単なる横の連関、年齢の段階の縦の系列とはまた違った部分が入ってくるので、まず何を一番下に置くのかを議論しないといけない。
 さらに、教科の中でも何を主とし、何を副とするか。教育課程全体、あるいは学校全体としても、何を主として、何を副とするのか、主と副の区分けが必要である。食育やキャリア教育等の話があったが、この新しい分野について何もかも学校でできるわけではない。そうすると、学校は何に責任を持たなければいけないのかということになる。
 省庁再編のときに文部科学省には教育課程課ができて、学校段階の縦の筋道がつくりやすくなった。そういう意味で、教育課程を学校段階別に分けず、18歳まで縦の連携をもった内容としてつくることが非常に大事である。次の学習指導要領はそれがはっきり出ないと、課の改編を行った意味がない。今までの議論は義務教育ばかりであったから、高校の部分も議論して、一貫性のあるものにしなければならないのではないか。
 義務教育も国際化を視点に入れなければいけなくなってきた。日本は先進国にキャッチアップして新しい段階に入った。新しい段階の義務教育をどう設定するのかを根本的なところで考えなければいけない。今までの学習指導要領との関係よりも、ほんとうに新しい段階での義務教育、高校までの教育はどうあるべきかという議論をもっとしっかりとやらなければいけないと思う。

委員
 教育課程の根幹をどう表現していくか、日本の学校教育をどうするかといういい議論が行われている。確かに知識をきちんと身につけることは重要であるが、子どもたちの体力の低下を非常に強く感じる。知・徳・体とあるのが教育としては当たり前のことではあるが、体力の部分が非常に落ち込んでいることをどうバランスよくしていくのか。また、学力のうちでも知識にウエートがかかり過ぎているのではないかという心配から現場を見ると、保護者の中では、学力というと体育や音楽、図工は抜けてしまう。学力の捉え方をはっきりしないと、学力調査は知識偏重の調査になっていってしまいかねない。義務教育が本来やらなければならないことについて、もう一度きちんと表に出す必要がある。
 学習指導要領はミニマムエッセンシャルとして当然やらなければいけないことだと思うが、もう少し軽重をつけてもいいのか。つまり算数でいえば、例えば足し算があり、引き算、掛け算、割り算がある。その上にいろいろなものが乗っかってくるわけだが、このことは絶対に小学校の中学年までにクリアしていかなければいけない。あるいは、卒業するまでにはどうしても育てたいという軽重についても、他教科との関連を踏まえながら、つけていく必要がある。
 教科全体の時数の枠組については小学校の5、6年生は945時間が標準授業時数になっているが、授業日数が今、197、8日という形になってきている。5日制を堅持していくのは、国際的な流れの中で当然のことではあるが、今の授業日数、授業時数でほんとうにいいのか。5日制はそのままで時数を増やしていく必要があるのではないかと考えると、大きな枠組みを検討する必要がある。また、年間35週の週時数も、子どもの生活習慣を考えて、70とか105のように35で割り切れる数字であれば、小学校の場合、比較的リズムがとりやすい、外部の方を先生に招きやすい、あるいは時間講師に来てもらいやすいなど、様々な利点がある。学習指導要領の標準授業時数の検討が必要ではないか。
 さらに、生活科、総合的な学習、教科等の3つはどう関連づけられるのか。次の学習指導要領では明確にしていく必要があると思う。

委員
 今回、学力調査は非常に重要な役割を果たす気がする。学力調査については、立ち上げの段階から、目的、議論の内容、進め方、問題等などについて、できるだけ情報公開をすることが大事である。大学入試が高校以下の教育課程を変えるように、学力調査の意味は非常に強く出てくるので、考え方を改めてみんなにわかってもらい、それに対する準備をしてもらえるようにしたい。

委員
 本会議の発言や前の答申、学習指導要領の中にいろいろな概念が登場してくる。これらの概念の中身をきちんと整理していただきたい。そうすると非常に議論が明快となり、コミュニケーションがきちんと成り立つのではないか。
 例えば、学力調査はいろいろな目的とやり方がある。このことがきちんとわかるようにしなければならない。また、週5日制について、残りの2日は学校から子どもたちを解放するという考え方と、潜在的に週6日制を念頭に置いて、足りない部分は学校が補習したりすることが暗黙のうちに含意されているという考え方とでは、全然違ってくる。
 本来、週5日制では、土曜、日曜は学校に来なくていい。どこかへ親と一緒に遊びに行ったりするものである。ところが、日本の場合、それがどんどん潜在的に6日制に近づく傾向がある。週5日制といいながら、その意味は非常に揺れ動いており、あるいはどちらかを念頭に置いたりしている。これでは議論が詰まらないと思う。
 複数の考え方があれば、それぞれがどう違うかをきちんと整理していただきたい。生きる力も、小学校の低学年における生きる力の教育とは何か。中学年では何か、高学年では何か。それぞれが違うはずである。
 国民の義務をしっかり教える場合、義務といっても勤労と納税の義務は全く性質が違う。納税の義務というのは、国民が同意して払うという形で義務が発生する。租税法律主義のもとでは租税は法律で決まっていない限りとってはいけない。法律になっているということは、国会の議決という形で国民が同意したことを意味する。勤労の義務はそれとは全く違う性質のもので、きちんと区分けしないと、様々な考え方や意見が来たとき、同じ議論が繰り返されることになりかねない。

委員
 確かに週休2日制に関しても、考え方がいろいろある。この部会でどの考え方をとるのか整理していくことは必要だと思う。

委員
 先ほど、学力調査を国際化との関係で述べていたが、そのほかに今議論されている学力調査はむしろ国内におけるアカウンタビリティーを求める議論の中で必要性が出てきたと考えている。
 個人的には、文科省が行う学習指導要領作成その他の行政上の活動に対し、自己評価をし、その成果はどうなのかを知りたいし、知る責任があるという趣旨で調査を実施すると筋が通ると思う。
 そういう意味で、データの取り方や出し方を、その趣旨に伴ったやり方にするべきである。そこが甘いと、イギリス流のリーグテーブルをつくるようなことになると思うので、ぜひ国としては責任を持って考えてもらいたい。

委員
 例えば、教育水準の到達度、教育水準、教育の到達目標、教育課程の実施状況という言葉がある。また、確かな学力、学力、基礎学力、基礎・基本、受験学力などという言葉がある。それから、生きる力と人間力がある。それぞれ似ているようで、全く使い方が違っていたり、同じような概念を別な言葉で表現しているような気もする。統一できるところは統一すべきである。
 次に学力の問題である。これはどういう目標で何を見るのかという趣旨が非常に大事だと思う。やたらに競争をあおるような学力テストであれば非常にまずいと思う。個人情報の開示の問題も含めて、Aさんが何点で何番だという話の公表にはならないだろうと思う。個人情報保護法との関係等も考えれば、今までの状況とは違った状況がある。悉皆で実施するとすればどこまで義務づけるのか。あるいは、希望制で実施するのか。希望が少なければ、義務化していく可能性もあるが、どうするべきか検討する必要がある。
 国際化の問題について、確かに、今の教育課程の実施状況の到達度の問題とPISAとは違いがあったと思う。PISAあるいはTIMSSの考え方で学力調査するのか、それとも日本の中で言われている考え方で調査するのかということも、整理をしておかなければいけない。それによっては、悉皆あるいは抽出、学年の選び方も変わる。そういうことは、今後もう少し集中的に議論しなければならない。

委員
 教科間のアジャストメントの話ができないのは、教育学者の責任であると思う。研究者がきちんと研究していなければいけない。
 義務教育特別部会で行った意識調査で非常に印象的なのは、数学である。数学を好きだと答える生徒の割合が6年生から中学1年生になると下がってしまう。中学1年になったときに数学がわからなくなってしまっているということだ。どこで子どもたちがつまずくかを詳細に研究している人もいるやと聞くが、学会の場に出てこない。その辺の取組が日本は非常に弱い。
 教科間のアジャストメントや子どもたちがどこでつまずくかを研究する人がもっと出てこないと、実践は非常に難しいという気がする。

事務局
 各教科の専門部会でも、体系的な観点よりも、経験的な観点からの意見がある。例えば、算数・数学でいうと、分数の割り算のところでつまずくことが多いということが、ある程度、関係者には共通の理解としてある。教育課程実施状況調査や各県のいろいろな調査の結果から、そういうものをできるだけ多く拾い出していく努力が、我々としてできることかと思う。研究の世界の中でそういう研究がなされているなら、我々も情報をとる範囲を広げていきたいと思っている。

委員
 PISAやTIMSSの問題を、日本の学習指導要領がどのぐらいカバーしているかについて研究がなされているのか。日本と英国の教科書を比べてみると、教えている内容が随分違う。そういうこともあってPISAやTIMSSは、別の土俵で勝負させられているのではないかという気持ちもある。PISAやTIMSSの結果についてそんなに騒ぐ必要あるのか。余談だが、シンガポールの教育大臣に、TIMSSに合わせて教育しているのではないかと聞いたら、笑っていた。現実にそういうところがあると思う。

事務局
 TIMSSとPISAでは性格が少し違う。TIMSSの場合には、学校で教えたカリキュラムをベースにして、その実現状況を測ることになるので、日本のや各国のカリキュラムにTIMSSがどう反映しているかについての資料的なものはあると思う。
 一方、PISAについては、活用能力が前提になるので、カリキュラムとの対応性は言いにくい面がある。

委員
 フィンランドはPISAの成績がいいと言われ、日本は悪いと言われるが、両国の教育内容が全然違う気がする。私としては、発達段階、成長段階に応じた必要な知識というのは、日本の子どももフィンランドの子どもも国際目標で見たらそれほど変わらないと思うし、変わらないようにしたい。そう考えると、国際的な内容からあまりにも乖離した学力観を持つのではなく、もっと国際的にも通用するような学力観が必要だと思う。
 子どもたちが、必要な基礎知識を踏まえた生きる力をどうすれば持てるか、もっときちんと研究して、考えたらいいと思う。

委員
 明日、義務教育特別部会で教育課程部会における審議状況について報告することになっている。今日いただいたご意見も踏まえ、報告したいと思う。

委員
 次回以降、同じような議論を繰り返しても成果は上がらないと思う。今までの審議により、部会長がある程度主な意見を集約できるのではないかと思うので、部会長の責任において取りまとめていただきたい。

(2)事務局より今後の日程について説明があり、閉会となった。

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課教育課程企画室

(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)

-- 登録:平成21年以前 --