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教育課程部会(第24回) 議事録

1.日時

平成17年8月29日(月曜日) 14時~16時

2.場所

丸の内東京會舘 「ローズルーム」(9階)

3.議題

  1. 有識者からのヒアリング
    ・食育について(服部幸應・学校法人服部栄養専門学校理事長・校長、医学博士)
    ・キャリア教育について(玄田有史・東京大学社会科学研究所助教授)
    ・金融を含む経済教育について(高橋伸子・生活経済ジャーナリスト)
  2. その他

4.出席者

委員

 木村部会長、阿刀田委員、安彦委員、荒瀬委員、石井委員、井上委員、植木委員、宇佐美委員、大橋委員、陰山委員、加藤委員、佐々木委員、田村委員、角田委員、渡久山委員、深谷委員

文部科学省

 銭谷初等中等教育局長、板東官房審議官、山中初等中等教育担当審議官、布村初等中等教育局担当審議官、常盤教育課程課長、合田教育課程企画室長、大杉視学官、井上教育課程企画室長補佐、坪田児童生徒課長、宮内健康教育企画室長
国立教育政策研究所
 惣脇教育課程研究センター長

オブザーバー

 鳥居会長
発表者
 食育について:服部幸應氏(学校法人服部栄養専門学校理事長・校長、医学博士)
 キャリア教育について:玄田有史氏(東京大学社会科学研究所助教授)
 金融を含む経済教育について:高橋伸子氏(生活経済ジャーナリスト)

5.議事録

(1)事務局より資料について説明の後、服部氏から食育についてヒアリングが行われた。

1.はじめに、服部氏から食育について発表が行われた。主な概要は以下のとおり。

 本年、食育基本法が施行されたところだが、初等中等教育においても、食育の在り方を取り上げることが重要である。
 食育は、家庭教育、学校教育、社会教育すべてに普及していかなければいけない。核家族化が進む中、衣食住の伝承が途切れ、はしを持てない子どもたちが非常に増えた。現在、小学1年生では12パーセントぐらいの子どもしか、はしをまともに持てない状況である。
 はしの持ち方を教えることは、本来、家庭でのしつけだと思うが、このところ、家庭のしつけが崩れてきた。そこで、学校教育の中でも、食べ方や食文化を知らせてほしい。
 食育基本法自体は、文部科学省、厚生労働省、農林水産省の3省が共同でつくったが、そのことには意味がある。
 厚生労働省は、健康日本21として、2000年から健康問題を取り上げている。その中の糖尿病については、2002年で740万人がかかっており、880万人が予備軍であるとされている。また、年200万人ずつ増えており、10年前から比べると8倍という現状である。いかに食べ方が大事かということが分かる。
 それから、子どものアレルギー疾患という問題がある。シックハウスやダニ、カビ、杉花粉の問題もあるが、今一番大切だと思うのが食生活のことで、離乳食を与える期間が問題ではないかと考えている。
 例えば、小児科の話では、離乳食としてカスタードプリンを1日7個食べさせていた母親がいたという。2000年に厚生労働省がアレルギー疾患を誘発する物質を指定しているが、カスタードプリンの中には、その指定された物質である牛乳と卵が入っている。牛乳は母乳と同じものだと考えられたりするが、哺乳動物ごとに乳の成分に違いがあり、子どものときにほかの動物の乳をあげることは免疫機能を狂わせると指摘する学者もいる。
 そのほか、このごろ小学生男子で4割、女子で6割が変温動物化しているという問題がある。彼らの体温は登校時には35度以下で、下校時には37度以上だという。この原因は食生活にあると考えられる。生後4、5カ月目にみそ汁の上澄みなどをスプーンであげると口呼吸になる。口呼吸だと、雑菌が免疫機能を担う腸の中にストレートに入ってくる。そのことが神経を侵して、変温動物化しているのであろうと考えられている。
 これからは、そのようなことを家庭教育、学校教育、社会教育それぞれにおいて普及していく必要があるだろう。
 世界で一番調理のできない子どもを育てた国は、日本ではないかと思う。世界では、身の回りの片づけができるのが大体8歳であるが、日本では調理の準備などもできない。学校教育においては、小学校5年生から家庭科で料理を教えているが、私としては、もう少し早目から始められないかと思う。
 ところで、食のほかに、環境にも問題がある。今は公園が子どもたちが遊べる環境にはなっていない。このため、子どもは家の中で同級生や機械を相手に遊ぶのである。
 昔は、近所の年の差のある男女が声をかけ合い、群れ遊びをした。群れ遊びにより、人に対する態度を学ぶことができた。それは、同級生と遊んでいる中では、うまく学べないことである。
 それに、大人と子どもの関係も変わってきた。現在は、戦前の3分の1の時間しか、大人は子どもたちに接していない。このことにより崩れてきているものが相当ある。
 さて、食の話に戻るが、ばらばら食というのをご存じだろうか。家庭で食事をするとき、父親がカレーライス、母親がスパゲティー、子どもがピザなどと、それぞれのメニューで食べている。
 昔は、9割方は共通のものを食べていた。たまたま父親が刺身などを食べていると、「お父さんは偉いから」と説明され、父親の立場を教わったような気がするが、今はばらばらで、親が子どもにオーダーをとっている。このことは、食べ物に対してだけでなく、すべてのものに共通してわがままな性格をつくってしまうということがわかってきた。だから、家族で共通のものを食べていくことを教えてほしい。
 また、バッカリ食いというのがある。1975、6年から出てきた現象で、トレーの上にハンバーグ、みそ汁、サラダ、御飯があったとすると、まず、ハンバーグばっかりを食べてしまい、それが食べ終わらないと、次へ進まないという食べ方である。
 通常は、甘いもの、酸っぱいもの、苦いもの、辛いものがあれば、交互に食べてあんばいを整えて食べる。そのあんばいが、人とのつき合いに出てくるのである。今、人づき合いができない人たちが出てきているのは、このことに関連している。
 ここで、食育について整理したい。食育には三つの柱がある。1番目は選食能力である。どんなものを食べたら安全か危険か、そして、それが安全、安心、健康につながるものであるかということを自分で考え、選ぶ能力を、小学校、中学校の義務教育の間に、子どもたちに与えてほしい。なお、親にも同じように教えていく必要があるだろう。
 2番目が、マナー、しつけである。はしというのは、1,400年ぐらいの歴史があるが、この2、30年の間に、はしが持てなくなっている。このことは、物を伝えていくということや人との触れ合いに関して重要な意味をもっているのではないか。学校の先生も、核家族で育った方々になってきており、危惧されるところである。
 3番目が食糧問題である。日本の食料自給率は、今から40年前は73パーセントあったが、どんどん下がって今は40パーセントとなっている。欧米諸国は自給率を上げる努力をしてきたが、日本は農業関係者が少なく、生産が上がらない状況である。このことについても教える必要がある。
 今は、もったいないという言葉を外国から教わるような時代になった。日本の消費する食糧の重量は6,430万トンである。そして、そのうちの2,000万トンが捨てられている。金額にして11兆1,000億円である。日本の自給する4割は、金額にして12兆4,400億円である。日本は6割も輸入して、自給する4割のうちの9割程度を捨てている。このことは問題である。
 世界人口の8パーセントに当たる人たちが衣食住で満たされており、日本人は全員その中に入ると思う。92パーセントの人たちというのは、衣食住で本当に悲惨な思いをされているところが多い。世界では8億4,200万人が栄養失調で、1日に大体3万5,000人が餓死している。この年間で1,300万人にもなる人たちに、日本人が捨てている分をあてがうと、実はおつりが来るのである。
 なお、今、コンビニ等では弁当が売られている。大手では、弁当は時間が来たら捨てるシステムになっており、去年では1社だけで400億円分を捨てている。これからは、コンビニ等にも食は大切であるということを知らせるべきではないかと考える。
 次に、20カ国に対して行った規範意識の調査について話したい。「先生を尊敬しますか」について、中国の北京では80.3パーセントの高校生が、アメリカでは82.2パーセント、EU15カ国では82.7パーセント、韓国では84.9パーセントが「尊敬する」と答えている。これに対して、日本は21パーセントである。なお、この割合が50パーセントを切ると、国家として危ないと言われている。
 今から40年前、アメリカは53.2パーセントだった。それをどのようにして現在の82.2パーセントまで戻したのか。
 アメリカでは子どもたちを育てるときに、両親が同じ目線で育てるということが大事だという。ところが、日本の現状としては、片方の親が一生懸命やっていても、もう片方の親はテレビを見ていて、知らん顔である。
 叱る場合については、アメリカでは手の甲とおしりしか叩いてはいけない。また、8歳までに叩き終えろという。8歳から子どもたちは好奇心を持つが、その前にある程度方向を示すのである。
 日本においては、8歳までにしつけるということについて、家庭教育、学校教育の中でできているかは、難しい状況だと思う。片方の親がもう一方の親をくさすことがある。親が親になり切っていないのである。親の教育も、改めてしっかりやってもらいたい。
 最後に、小学校、中学校の義務教育期間中に、学習指導要領の中で食育というものを明示することをお願いしたい。

2.次に、質疑応答等が行われた。主な概要は以下のとおり。(○=委員、▽=発表者、△=事務局)

委員
 これまで日本では、はしの持ち方、しつけなどはずっと継承されてきた。ところが、この3、40年の間に、調理も、しつけもできなくなった。何が問題なのか。

発表者
 核家族化が進み、祖父や祖母が子どもを見守るという家庭環境が崩れたことが大きい。父母が学校に何でも任せて社会で働き、子どもが家に帰っても父も母もおらず、何でも食べよとお金だけ置いてある状況がある。こうして朝食を食べない子が出てきていることは問題である。
 人は20歳に骨密度がピークを迎える。しかし、今の20歳ぐらい人の骨は、軽石状態である。重くて、密度がある骨をつくっているということは、ほかの器官にもよい食生活をしていたということだ。
 だから、私は、バランスのよい食生活をすることを教えられるような能力を持った親が必要であると考えている。しかし、家庭ではそのような教育ができないので、代わりに学校がある程度カバーする時代になったのではないか。

委員
 朝食の欠食は弊害が大きいと指摘されている。アメリカでは、朝食の給食をしているところもある。日本でも、家庭での食生活や食指導が不十分であるので、学校で食育に力を入れ、朝食の給食をすることがあってもよいと思うが、いかがか。
 それから、日本の食糧自給率は低いが、この原因の1つには、伝統食をあまりにも大事にしてこなかったということがあるのではないかと思う。日本の伝統食と、食糧輸入率について教えていただきたい。

発表者
 給食についてアメリカでは、1960年代後半から実験が始まり、70年代には、州によっては無償のところが出てきた。今は大体が無償になってきていると思う。
 夜、食べたもののエネルギーは、肝臓と筋肉の中にグリコーゲンとして60グラム蓄えられ、寝ている間に40グラムが消費される。残り20グラムのうち、通学、通勤の段階で10グラムが消費される。朝食を食べずに学校や会社に行くと、席についたときには10グラムしか残っていないことになる。10グラムでは、大体10時か10時半には完全にエネルギーが消える。その後は、中性脂肪がエネルギーに変わり体を動かすことになるが、中性脂肪は分解してもブドウ糖にはならないため、ブドウ糖しか受け付けない脳は動かない。だから、家庭でできない朝食を給食でいかに補うのかは、これからの課題である。
 栄養教諭制度が本年4月から始まったが、活用しているのは、まだ2県である。お金がかかるという問題があるなら、特別非常勤講師制度を使っていただきたい。そのときには、講師として料理学校の先生を呼んでほしい。
 伝統食については、今から30年前ぐらいの日本の伝統食は、日本人にとって一番バランスがよいと言われている。伝統食は、カロリーベースで見た食料自給率が63パーセントになる。

委員
 パン食の御飯食への切りかえが進められてきたが、当初、牛乳と御飯は合うのか、西洋食的なものと和食的なものが混じっているのではないかという味覚の問題が言われたが、慣れてしまった。幼いときに子どもたちの味覚を培っていく上で、今の給食をどう考えるか。また、私は、給食は全部パンから御飯に切りかえてもよいと考えるが、いかがか。

発表者
 私は、今、すべての給食を御飯食に切りかえるのは不可能だと思うが、徐々に切りかえていく必要はあると考えている。タンパク質が体内でどのように分解していくかは、プロテインスコアの問題で、米はパンよりプロテインスコアが高く、パンよりも御飯の方が好ましい。

委員
 切りかえられるなら、切りかえた方がよいのか。

発表者
 レジスタンス・スターチといって、米はパンよりも腸の中に入ったときに消化吸収される速度が遅い。例えると二糖類はティッシュに火をつけるようにボッと燃えるが、御飯や芋などは、まきに火をつけるようにゆっくり燃える。だから、そういうものを食べた方が、穏やかな人になると考えられる。

委員
 日々の給食の中で、ばらばら食い、バッカリ食いを目にする。そして、そのことについて注意すると、親から勝手だと苦情が来る。このため公立学校での給食指導は、かなり難しい。
 一方、私立学校の場合は、はしの持ち方や食べ方を厳しく指導して、それに賛同しない方は来なければよいとなってしまうという難しさがある。
 自治体によっては、例えば、子どもにお弁当を持ってこさせているところや、バイキング給食やリザーブ給食という、子どもたちの要望に応える給食形態をとっているところもあるが、これからの学校給食の在り方としては、どのようであることが望ましいのか。

発表者
 その問題については、私も給食指導協会などに関連して、一番効率よく、無駄のない、よい方法はないか議論をしているところである。オーダーをとる時間を確保するのは難しいし、欧米のようなカフェテリア形式では食料に無駄が出ると考えられ、日本に向いているか分からない。
 ついでながら、給食ではバケツにみそ汁やスープを入れて持ってきて子どもたちに配る。そして、子どもたちが食べて最後に余ったものを、まだみそ汁などが残っているもとのバケツの中に入れる。それはもう誰かにあげられるものではなくなってしまうかもしれない。そういう行為を平気で見せたり、やらせていることがよくない。そういう環境を変えることも大事なのではないか。

事務局
 学校給食における米飯給食の実施状況について、補足説明させていただきたい。学校給食における米飯給食については、昭和60年から全国で週3回程度を目標に実施してきて、今、平均週2.9回まで達した。ただ、各都道府県でばらつきがあるので、さらなる上昇を目指しているという状況である。

(2)玄田氏からキャリア教育についてヒアリングが行われた。

1.はじめに、玄田氏からキャリア教育について発表が行われた。主な概要は以下のとおり。

 キャリア教育のパンフレットを見ると、キャリア教育というのは、児童生徒一人一人の勤労観、職業観を育てる教育だと書いてあるが、その勤労観、職業観を育てる教育というのは何なのか。私が考えるには、キャリア教育というのは「道」、「路」、「途」のどれかの「みち」教育である。
 キャリアは、語源的には車のわだちである。「道」というのは、敵の大将の首をぶら下げて行進する「道」である。
 「路」の教育は、これまで進路指導、進路学習として行ってきたところである。キャリア教育そのものは、これまで進路指導、進路学習としてやっていることと全く違うわけではなく、かなりの部分共通している。進路指導、進路学習は、次の道として何を選ぶか、例えば高校の次にどの大学を選ぶかという次のワンステップを一番望ましい方向にさせていくという内容になっているが、キャリア教育では、次のステップだけではなく、その人が一生を歩んでいく上で、どういう道のりを歩んでいけばよいのか、どういう生き方をすればよいのかを内容とする。
 また、「道」の教育は、道徳とどこが違うのか。多分キャリア教育の内容は、こう生きるべきとか、人間としてこうあるべきだというのではなくて、これからいろいろなことがあるときに、一体どうしていくのがその人にとって一番よいのか、あるいはよりよいのかを正確に情報提供することである。
 また、「みち」を歩いていくときには、目標が欲しい。どういうふうに目標を持てばよいのか、目標を持つことが大事かどうかということを教育していかなければならない。
 私が所属する東京大学社会科学研究所では、新しく希望学を始め、希望とは何かを探るため、20代から40代の方々に調査を行った。そのうち小学校6年生のときに、なりたい仕事があった人は7割ぐらい、中学3年生のときには大体6割ぐらいいた。しかし、そういう人のうち、小学校6年生のときに希望した仕事に就いたことがあるのは8パーセントで、中学3年生のときに希望した仕事については15パーセントである。特に今の子どもには情報があるので、夢をもっても、自分ぐらいの実力では無理だとかなり早い段階でわかってしまう。
 では、希望を持つことに意味がないのか。調査では、今までやりがいのある仕事についたことがあるかを聞いたが、4人に3人ぐらいは「ある」と回答した。この回答については、中学3年生のときの希望の有無と非常に深くかかわっている。希望する仕事があったが、途中でその仕事につく希望がなくなった。なくなったが、その過程で何かの経験があって、別のことに希望が持てるようになったということだ。
 希望というのは、求めれば求めるほど逃げていく。だから、希望は多くの場合、絶望や失望に変わっていく。ただ、その絶望や失望の中で、こちらの方が自分は向いているのではないかという修正や調整をすることによって、人は本来の自分のやるべきことや充実感にだんだん近づいていく。
 このため、キャリア教育の中で大事なことは、小さな挫折経験、失敗経験をいかにリアルに経験させていくかということである。そして、それを単なる頭での学習だけではなくて、本人の中にうまく埋め込んでいくかということである。
 キャリア・スタート・ウィークについてお話したい。今年度から、兵庫県や富山県、福島市などが公立中学校の2年生すべてに対して、5日間の職業教育を行っている。これを、早目に社会に触れた方が自分の適性に合うという目的で行えば、間違いなく失敗する。たった5日間で、やりたい仕事など絶対に見つからない。親でも先生でもない大人と1週間暮らす生活は厳しいが、しっかりあいさつなどできれば何とかなるということを実感させることが、極めて大きい意味をもつ。
 キャリア教育で怖いのは、頭だけの学習になることである。働く意味を考え過ぎると、働けなくなる。ニートの子はそういう若者たちであり、不登校、引きこもりの子もそのような傾向がある。
 必要なことは、働く意味ではなくリズムである。早寝早起きをし、朝御飯を食べることは、働く上で一番大事である。
 一方、よく言われるような即戦力、専門性、早目に自分のやりたいことを見つけること、適性などということは必要ではない。
 それから、もう一つ気になるのは、やはり現実的なことを教えていただきたいということである。
 フリーターにならない方がよいが、現実問題として、地域によっては正社員の仕事がないところもあるのである。ならばフリーターでも、20時間以上、30時間働けば、保険にも入れることや、自治体には必ず総合労働相談コーナーがあってそこに相談にいけばよいということなど、自分の身をどうやって守ればよいかということを現実的に正確な情報として伝えていただきたい。
 もう一つは、個別的、持続的、包括的な支援が重要である。これはキャリア教育のキーワードである。
 私は、理想としては、1学期に1回ぐらいは、子どもたちに、ホームドクターのようなかかりつけの相談ができる人に話をするということを3年間、6年間、9年間と続けていくことを求めたい。その中で、子どもの変化が分かった段階で、福祉や医療などの連携機関に連絡し、つなげられるようにする。そういう相談室をつくって、そこが個別的、持続的に相談に乗っていく。
 ニートは親が贅沢させ、甘やかしているからなるのだと言われている。確かにバブル経済が崩壊した直後は、比較的経済的に余裕のある家からニートが生まれる傾向はあったが、今はどちらかというと経済的に余裕のない家庭の方で、働くことを断念する若者が増えている。昔は、貧しいながらも、向こう三軒両隣など、いろいろな人間関係のネットワークがあり、その中で、こういう大人になりたいなどと思えたが、今は経済的に豊かでない家庭ほど孤立していたり、教育を受けることができないからチャンスがない。だから、学校段階から個別に持続的に相談できる制度をつくっていかないとうまくいかない。
 最近の希望としては、若者を支援する若者が増えてきたことである。彼らは自分たちの世代の問題は、自分たちで解決したいという思いを持っている。だから、若者を支援する若者を支援した方がよい。子どもたちに自分の兄や姉に当たる人が相談相手になってくれる、つながっているという感覚を持たせることも大変重要だろう。
 さらに、要望になるが、キャリア・スタート・ウィークにイベント性を持たせて、できれば、11月の第2週に全国一斉で実施してもらいたい。キャリア・スタート・ウィークでは、先生が一番大変である。ただでさえ学校の通常の授業がある中で、理解のない受け入れ先の開拓を行われなければならない。しかし、このことは、みんなで一緒に実施して社会の認知を広げていけば、変わっていくと考える。
 11月の第2週は秋であり、14歳の秋は大人と子どもの境界の部分である。非常に大きな変化がある時期で、将来のことを見据えて不安になったり、自信を失ったりするときである。そういう多感な時期に、大人と1週間出会い、自分でも何とかなるのだという実感を持たせることが重要である。
 正しいキャリア教育を考えるのも大事だが、どうすればみんなに知ってもらえるのか、どうすればみんなが学校の味方になってくれるのか、また、協力してくれる地域の大人たちを見つけていけるのかを考えるべきである。

2.次に、質疑応答等が行われた。主な概要は以下のとおり。(○=委員、▽=発表者)

委員
 中学校における進路指導は、1年生で自己理解のために行い、2年生で職業調べや職業体験学習を組み、3年生で自分の進路決定のために行われていることが多い。職業体験学習について、多くの学校は1、2日ぐらい実施していると思うが、実施する期間の問題をどう考えるか。市町村区で一斉に実施すると、受け入れ先を探すのが大変難しい。

発表者
 1日、2日では仕事のことがわからないから駄目である。人間のリズムは1週間でできているので、最低でも5日必要だと考える。
 受け入れ先の確保の問題は、例えば、今、中学2年生は全国で120万人ぐらいおり、世の中に600万事業所がある。1事業所が4人受け入れたとすると、600万事業所のうちのたった5パーセントの事業所が協力してくれれば、120万人全員を1週間働かせることができるのである。一方、もし、ばらばらに実施していると、いつも病院と幼稚園、保育園などが受け入れ先になってしまい、広がりがない。大変なのは、最初である。
 体験学習をしようとすれば交通費がかかるが、日本全国の鉄道会社に協力してもらい1週間フリーパスをつくってもらうことはできないかと思う。多分キャリア・スタート・ウィークも、最終的にはお金が全くかからないと思う。おそらく先生方も大変だが、子どもたちが1週間で顔が変わるという実感と、地域の協力が得られるという実感をもつのではないか。
 もし、みんなで一斉に行うことになったら、何かが動く。その1週間はみんなが本気で子どもたちのことを見つめる。そのぐらいの覚悟を見せていくと変わっていくのではないか。

委員
 自分の向いている仕事がわからないなどという質問を受けるときは、目の前にある仕事を、何でもよいから熱中してやるということを大事にした方がよいと答えている。日々の中から仕事を見つけ出したり、目の前に与えられた仕事に取り組んで、そこから楽しみを感じる力を、小さなときから身に付けていくことが非常に重要である。どこかに行くとよい仕事が待っていると想像することが大きな間違いだと思うが、いかがか。また、小学生から働くということが生活の中に含めて入ってくるとよいと思うが、いかがか。

発表者
 自分探しをやり過ぎると働けない。しかし、ほどほどに迷わせる。簡単に答えを出させてはいけない。今の若い人は安心指向が強いため難しいが、迷わせることはとても大事である。
 中学2年生なら1週間働くことは十分できるし、やるべきだと思う。小学生については迷うが、まずはキャリア・スタート・ウィークの中で実験をしていただきたい。親や先生ではない大人とつき合う機会をつくることが大事である。
 昔から、他人の飯を食わすという言葉がある。子どもにとっては、大人とはコミュニケーションがとりにくいものだが、その大人と1週間つき合えることがわかる。また、こんなヒントを与えてくれるんだということを実感させる。そして、それを実感させるには、やはり大人の力が必要である。
 ある店での職業体験の例だが、最初の日は、お客さんに対しておつりを渡して「ありがとうございました」と言うのが苦しい子もいるが、次第に言えるようになり、最後は絶妙なタイミングで言えるようになる。こうした瞬間に、お店の雰囲気がフッとよくなるということが見えると、やはり自信になる。そういうことを、よいお店の人は考えられるので、私は地域の教育力とか、現場の教育力、特に一人親方の人たちの教育力というのは相当なものがあると思う。
 また、小学生ぐらいのやりたいことというのは否定しない方がよい。例えば、野球選手になりたかった子たちが、途中で自分は野球選手になれないと思うときがくる。そのときにある人が、「何で野球が好きになった?」と聞き、子どもは「甲子園で緑の芝生を見て感激した」となる。そこで「芝生だって野球には欠かせない」と上手に方向修正していくことによって、希望は変わる。多分その子は、芝生の会社に入ると、やりがいを見出す。小さいときの希望を大切にして、失敗、挫折経験をさせ、上手に軌道修正させていくことを考えるべきである。

委員
 この10年ぐらいで、企業の人事制度での一番大きな変化は、いわゆる属人的な賃金制度から、仕事で賃金が決まるような方向に変わってきているということがある。その一方で、仕事、職務が細分化されていったときに、やり直しがききにくくなる。従来は会社に入ることでしかなかったのが、今は職務を見ることで会社を選びやすくなっていると考えるが、そのような傾向についてどう考えるか。

発表者
 これからは職に就く時代だといわれるが、現実には正社員は、まだ就社である。すぐにやりたい仕事ができるわけではない。
 今の若い子たちは、サラリーマンに対して恐怖感が強い。サラリーマンは成果主義で、評価によってメンタルな病気になり、解雇されると思っている。働くことに対して、悪い噂ばかりがある。しかし、サラリーマンはそんなに悪いものではない。いやが応でもいろいろなことをやるから、その中で、自分に向いているものが見えてくる。
 重要なことは「ちゃんといいかげんに生きる」ということである。ちゃんといいかげんに生きるぐらいでちょうどよい。ほどほどに働くのはよいが、行き過ぎると疲弊感ばかりになってしまう。

(3)高橋氏から金融を含む経済教育についてヒアリングが行われた。

1.はじめに、高橋氏から金融を含む経済教育について発表があった。主な概要は以下のとおり。

 金融や経済に関する教育は、金融教育、経済教育、経済学教育、アントレプレナーシップ教育などさまざまなジャンルがあるが、どれも厳密に定義されているわけではない。学校教育として考える場合、あまり範囲を狭めずに導入を検討した方がよいと考える。時代の要請としてこの分野の教育を充実させる必要性がいわれ、私の所属する社会・地歴・公民部会でも検討を重ねた。本日は効果的に導入するにはどうすべきかという視点で意見を述べさせていただく。
 まず、金融経済教育のニーズと範囲について話したい。なぜ今、金融経済教育が必要なのか。我々は貨幣経済の中で生活しているので、お金の扱い方とか生かし方を身に付けることは「生きる力」の大切な部分である。これまで学校では金銭教育として取り組んできたが、金融経済環境に大きな変化が起きており、それにふさわしいものにしなくてはならない。
 振りかえれば第二次世界大戦後、長い間にわたり日本経済は国のコントロール下にあった。一般の人々は自分で考えて金融商品等を取捨選択する意識が乏しく、銀行や郵便局頼みで貯蓄に励んだ。ところが、国や金融機関は個人金融資産を上手に活用できずバブル経済を発生させ、経済は混乱状態に陥った。それで金融システム改革すなわち金融ビッグバンが始まり、終身雇用・年功序列賃金制度も見直され、金融分野ではペイオフ解禁により利用者の自己責任原則が貫かれるようになった。
 しかし、金融分野に限らず、人生において自己責任意識で意思決定できる個人を育てる教育は十分には行なわれていない。そこで、子どもたちに金融経済リテラシー教育が必要との認識が広がった。金融経済リテラシーとは、お金に関する読み、書き、そろばん能力に匹敵する。
 金融経済教育の範囲として、金融広報中央委員会で整理した4分野がわかりやすい。1つは、生活設計、家計管理の分野で、我慢したりする気持ちや夢を持ち、意思決定能力を養う教育である。
 2つめは、「金融・経済の仕組みや現状に対する理解」である。お金の機能や、身の回りの生産消費活動、市場の機能、資本主義社会と会社の関係、金融政策、公共活動と税金、社会保障の仕組み、時事問題も含めた経済事象の理解に関する教育である。
 3つめは、「消費者保護やトラブルの未然防止に関する理解」。社会の中で、契約と責任、消費者の権利に加え、金利計算能力やインターネットによる商取引などに関する消費者能力の醸成や消費者活動などである。
 4つめは、「仕事や職業に関する理解」である。労働の価値を知ると同時に、職場体験や進路決定に関する情報収集などを行い、それらと自分の生活設計、将来設計との結びつきを学んでいく。
 このように金融経済教育は、さまざまな教育分野とかかわりがある。金銭教育はかなり昔から学校でも行われていて、消費者教育は40年ぐらいの歴史がある。
 最近は環境教育も消費者教育の一環であり、環境にやさしいお金の使い方や、エコマネー、エコファンド、環境にやさしい企業の選択などを含めるようになっている。
 キャリア教育も労働、将来の職業選択という意味で入ってくる。アントレプレナーシップ教育は、起業家精神を醸成する新しい教育分野である。
 投資教育は、貯蓄から投資へという国策から、賢い投資家になるための教育と言われたり、お金もうけのための教育と言われたりする。また、金融工学を駆使した大学以上の高度な教育を指すこともあるが、初等中等教育段階では、リスクとリターンの関係をしっかり学び、人生において不確実性すなわちリスクとうまくつきあっていくことを学ぶことが主眼である。
 経済教育は、経済、金融の仕組みや機能の理解の教育ということで、経済学的な考え方を身に付けて合理的な意思決定をすることを教える。また、社会問題を考える視点も身に付ける必要があり、租税や社会保障に関する教育もこの分野に入れてよいと考えられる。
 このように用語や概念は必ずしも統一されていないが、初等中等教育ではお金に関すること、生き方に関すること、将来に関することを中心に展開するのが適切と考える。子どもたちが社会人として健全に成長し、社会に出て一定の役割を果たせる力を身に付けさせることが目的だ。
 次に、我が国の金融経済教育の歴史を振りかえりたい。最初は消費者教育の形で社会人に対して行われた。学校教育に入るきっかけになったのは、1988年の「消費者教育を考える研究会報告」である。若者が変な商法の餌食になったり、豊田商事事件など金融に関する重大事件が多発したため、子どものころから金融経済知識を身に付けて賢い消費者になる必要があるとの認識が深まり、平成元年には学習指導要領に消費者教育が入れられた。金融経済教育は金融分野の消費者教育の形で導入されたわけである。
 また、経済企画庁と文部省共管の消費者教育支援センターが誕生した。ここでは、主に学校教育用の教材や教育指導法を開発している。米国の金融経済教育で用いられるロールプレイゲームやクイズなどを参考に、子どもの関心をひく教授法を開発するなど、知識にとどまらないような工夫を行なっている。
 その後、90年代後半には金融ビッグバンによって金融商品、金融サービスの選択肢が激増した。国が“貯蓄から投資へ”という政策転換を行うにあたり、証券市場改革プログラムの中に、投資知識に関する教育が必要で、学校でも証券に関する理解を含む金融・証券教育を行う必要性が書かれた。
 金融システムの改革が進展し、2004年12月の金融改革プログラムには「利用者のライフサイクルに応じた身近な実例に即した金融経済教育の拡充」が組み込まれた。
 また、「骨太方針2005」にも金融を含む経済教育に力を入れることが書かれた。
 金融経済教育の具体的な実施にあたり、金融広報中央委員会では2005年度を“金融教育元年”と位置付けた。金融広報中央委員会は、日本銀行内に事務局がある団体で、日銀のほか内閣府や金融庁、財務省、文部科学省からも委員として参加している。全国の都道府県に金融広報委員会を設置し、県庁や日銀の支店が窓口になって、地域の幼稚園、小学校、中学校、金銭教育研究校と手を組み、PTAなどの協力も得て動いている。
 学校教育支援としては主に次のような事業を行っている。金銭・金融教育の研究校の委嘱や金融教育研究グループへの援助、協議会の開催、教員対象のセミナーやシンポジウム実施など、教育現場で教えられる人を養成している。高校生や教育関係者を対象とした小論文のコンクールの実施や、教材や指導書、実践事例集を作成して教育現場への無料配付も行っている。
 また、金融庁の金融経済教育懇談会が2005年にスタートした。学校の現場の先生も参加して意見交換をしたが、学校教育においては小中高ともに学校や先生ごとに教育の実施状況や質の差が甚だしい点が指摘された。時間的な制約のほか、教える教師の意識や知識や指導力にかなり差がある点も問題視された。問題意識が高い先生は一生懸命いろいろなところで金融経済について学び、工夫をして生徒に教えるが、全く取り組まない先生もおられる。学校教育に関しては、単にお金の価値や物の大切さを認識させることに加え、社会や市場、マーケットできちんと行動できる能力を養って、たくましく生きる力を育むべきという意見が非常に多かった。
 現実のネックとして、学習指導要領の記述と現場の実践とのギャップが非常に大きく、先生が具体的に子どもが興味を持つような形で授業を展開していくのがなかなか難しいという点も指摘された。実践的、体験的な教育をもっと行うべきと考える。金融経済教育の普及にあたっては、ITをもっとうまく活用し、情報収集がうまくなったほうがいいという意見もあった。
 また、専門家、地域、家庭との連携の重要性も話し合われた。語弊があるかもしれないが、学校の先生方は特殊な社会に生きており、リスクがあまりなく、企業や会社員ということに対してよくわからないのかもしれない、と。先生たちと意見交換する中で、自分たちは教え切れないから、プロに来てほしいという要望も強かった。実社会に生きている大人、そして金融経済分野の専門家が学校にもっと入っていける体制を整備してはどうか。
 そして、教科の壁を超えて、もっと柔軟な教え方ができるといい。海外などでも、金融経済教育は、教科の壁を超えて、数学でやったり、国語でやったりといろいろなところで指導している。体系的な教育プログラムを組んで、小学生から高校卒業するまでに、社会生活に必要な金融経済知識の基礎をさまざまな教科で学べるようにすべきだ。
 学校教育現場における実践上の問題点としては、学習指導要領と金融経済教育の関連を理解しにくいことがある。現場の先生たちからは、学習指導要領に書いてあっても、どのように授業展開すべきかわからない。また、ほかに優先すべき教育課題が山積で手が回らない。それから、実践に当たって、使いやすい実践例や教材がない、ともいわれる。
 このような状態を是正するには、児童生徒の発達段階への配慮と学校段階間の連携も必要である。教育体系をきちんとつくって、金融経済教育が円滑に行なわれるようにすることだ。指導方針の明確化と教科の連携を含む学校全体の取組が不可欠である。
 授業の実践事例の収集と共有も大事だ。金融教育ガイドブック(机上資料3)では、金融教育の内容が学習指導要領のどこに対応しているのかを表示して、先生たちが指導を行いやすく配慮している。それに加え、社会・地歴・公民ばかりではなく、国語や特別活動でも金融経済教育を実施できることを具体的に示している。
 既存の副教材やセミナー情報の活用も大事である。金融学習ナビゲーター(机上資料4)は金融経済教育に関連する教材を集め、ニーズ別に整理している。難易度や有料、無償の別に整理した便利な教材カタログである。
 金融学習特区などの環境づくりも必要だ。金融広報中央委員会では、普及地区を定め、地域ぐるみで金融学習を行っている。また、金融意識調査などを定期的に実施し、ニーズに応じた教育の展開を考えている。
 このように、金融経済教育はあらゆる場面で柔軟に実践していけるはずだが、初等中等教育にどのように組み込むかを、具体的に詰める段階にきていると思う。

2.次に、質疑応答等が行われた。主な概要は以下のとおり。(○=委員、▽=発表者、□=オブザーバ、△=事務局)

オブザーバ
 学習指導要領には経済教育について十分書かれていない。また、産業構造の変化を全く反映していない。農業、工業、商業、水産業などが入っているが、新しい産業が入っていない。
 ところが、社会科の副教材にはよくできているものがあって、牛丼屋の開業の仕方から始まって、マクロ経済の理解について非常に多角的に示されている。これをさらにブラッシュアップする必要があるのではないか。
 それから、紹介のあったナビゲーター(机上資料4)には、教科書が載っていないので、載せてほしい。

委員
 学校の教員はこのような内容を扱うことがすごく苦手だと思う。愛、友情、未来、希望という言葉には反応するが、金融や株には背を向けてしまう。
 子どもたちが今後生きていくに当たっては、金融ビックバンもあったことだし、金融についての教育が必要になってきたと思う。しかし、食育、キャリア教育、それからこの金融を含む経済教育などは、本来家庭の中で受け継がれてきた内容だ。昔は、例えば、それぞれの家庭の財産の管理の仕方や家をどのように建てたとかということについて、それぞれの家庭の経済状況の中で習ってきた。
 家庭での教育機能が失われてきた分が、学校に入ってきている面がある。それなのに、授業時間を増やして、土曜日も学校へ行くことになると、そもそも家庭とは何なのかとも思う。
 本日の議題となった教育について一度親に勉強してもらって、家庭で伝えていただくという方向はないのだろうか。

委員
 私は昭和25、6年に高等学校に入って、1年生のときにこのような内容を社会科で徹底的に教えてもらった。私の生涯の金融に関する知識は、そのとき得たものばかりで、かなり役立っている。
 私は、このような教育は夏目漱石について学習するよりも重要なのではないかという気がする。このような内容は生きていく知恵だから、義務教育段階において最低限必要な内容を押さえた簡潔なマニュアルによって、基本的な実務にかかわることを一通り知ってから、社会に出ていくようにすることが望ましいのではないか。

委員
 内容はよいが現場としては、「またか」と声が出るだろう。教える内容を増やしてもよいが、何を減らすかということの論議がない。文部科学省がやれと言い、やれと言われるから、よく分からないまま形だけ整えて教育委員会が行うという現象が生まれることは怖い。
 また、多くの教科、あるゆる場面でという内容も現場は嫌がる。教科ごとで押し付けあって、結局、内容がスコッと落ちてしまうのも怖い。
 実態として、教師の意識改革という大変な問題があるということは理解してほしい。

委員
 「日本21世紀ビジョン」でも、選択と集中と言っている。本部会でも選択と集中について議論しなければいけないのではないかと思う。

(4)事務局より今後の日程について説明があり、閉会となった。

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(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)

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