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教育課程部会(第23回) 議事録

1.日時

平成17年8月22日(月曜日) 14時~16時

2.場所

丸の内東京會舘 「ローズルーム」(9階)

3.議題

  1. 教育課程の基準等の在り方について
    ・教育水準(質)の維持向上のための方策
    ・学習指導要領等の教育課程の基準等の在り方
  2. その他

4.出席者

委員

 木村部会長、阿刀田委員、安彦委員、荒瀬委員、石井委員、市川委員、井上委員、植木委員、宇佐美委員、衞藤委員、陰山委員、加藤委員、田村委員、渡久山委員、中嶋委員、深谷委員、増田委員、毛利委員

文部科学省

 近藤文部科学審議官、銭谷初等中等教育局長、板東大臣官房審議官、布村初等中等教育局担当審議官、常盤教育課程課長、高口視学官、合田教育課程企画室長、井上教育課程企画室長補佐
国立教育政策研究所
 惣脇教育課程研究センター長

5.議事録

(1)事務局より資料について説明の後、教育水準(質)の維持向上のための方策について自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○=委員、△=事務局)

委員
 資料3について、学習指導要領の内容面があり、次に目標面、評価面がある。「授業等における学習の状況や成果の評価」について、学力調査をすることに反対ではないが、内容、目標、評価と右へいくほど、目に見えやすい学力の話になっている。学力調査というと進学学力の調査だと保護者や国民は考える気がするが、新しい学習指導要領のもとで目に見えやすい学力だけを評価していいのか、見えにくい学力についても考える必要がある。

委員
 この夏に、ある国立大学教育学部の集中講義を受け持った。そのときに、生徒に富士山の位置を正確に言えるか質問したところ、1割ぐらいの学生が自信がないと正直に手を挙げてくれたが、おそらく手を挙げなかった人たちの中にもわからない人がかなりいる感じだった。これから日本のことを教える国立大学教育学部の学生たちでさえもそのような状況にあるので、今の学習指導要領でのカリキュラムを検討せざるを得ないのではないか。また、まもなく教壇にたつ彼らに対し、至急何らかの手を打つべきではないか。
 義務教育における子どもたちの到達目標を考えると、納税や勤労の義務を果たし、日本国民として自立できる、つまり社会に出て働くことが当然最低の目標で必要になると思う。また、レベルについて、昔の子どもたちは理解できていたが今の子どもたちには難しいというのであれば、今の子どもたちに合わせてレベルダウンするということではなく、まず、なぜ難しいと感じるようになってしまったのかを考える必要がある。
 さまざまな教育改革の報道の中で、教員免許の更新制や統一学力テストが出ているが、すべての課題が教師に課せられており、教師も頑張ろうという気になかなかなりにくい。例えば不登校の数は増えているが、不登校の子どもがいたら教師は家庭訪問を行い、どうしようかという話をする。しかし、今は保護者が家にもいないので連絡がとりにくかったり、不登校であることを開き直ってしまう場合もある。その中で、教師はいろいろと心悩ませながら、家庭訪問などを繰り返しているのである。学力低下が非常に話題になっているが、それにすら反応できないぐらい疲れ切っている学校や教職員の実情がある。そのような現状が認識されない中で対策だけを立ててもうまくいかない気がする。
 まず、子どもたちの将来の自立のためには何が必要かを考えてレベルを設定し、うまくいかなければ、なぜうまくいかないのかを考える必要があると思う。
 統一学力テストについては、単にレベルを設定するだけではなく、さらに突っ込んで内容を分析して、例えばこの地域にはこういうものが抜けている、こういう支援が必要だということを把握でき、予算がつくようになれば教職員も頑張れると思う。競争原理と言われる中で、単にテストの点数だけが出てくると教職員が精神的な苦痛を感じてしまう心配を強く感じている。

委員
 到達目標の視点について、現場の教師たちは、知識・理解、技能・表現、思考・判断、関心・意欲・態度という4観点を指導要録をつくる際の基礎にして、その充実に取り組んでいる。一方で、平成14年からは「確かな学力」での8観点が示されており、どう対応すればいいのか現場の教師は戸惑っている部分があるので、考える必要がある。
 生きる力というときには、意欲・関心、表現力、思考・判断など多様な学習評価活動がより重視されなければならない。単なる学力テストをするのではなく、評価方法について国レベルで研究を行い、開発をしてほしい。今までのテストとは違った評価方法を確立すれば、到達目標がより明確になり、教師もそれに準拠することができる。現在の義務教育は、大学や高校入試による影響を受けているが、今述べたようなことを高校や大学入試に反映させることができれば、教育の正常化に寄与することができると思う。
 学力調査については、学習指導要領の到達目標に全体的に達しているか、国際的な水準に達しているか、県など自治体レベル間での格差がないかについて、国はしっかりとした情報を持ち、指導を行う必要があるので、国による調査は必要だと思う。
 一方、学力調査は自治体でも必要だと感じている。わが市でも、現場の教師が子どもに対してよりきめ細かな指導を行うとともに学校間の格差をなくすため、来年度より悉皆調査をすることになった。現在多くの自治体で学力調査を実施しているのは、その結果を直ちに現場へ伝え、子どもと目線を合わせながら改善することができるからである。
 国と自治体の学力調査の目的はそれぞれ異なるので、それに合った調査をすることが必要である。

委員
 全国的な学力調査では、抽出、悉皆のどちらで行うかが話題になっている。これまでの経緯について、1999年頃に、学習指導要領を出すだけではなく、どのように評価をするかという問題について話し合いが行われた。その中で学力調査の議論もあり、教育課程の実施状況を調査するのであれば抽出で十分という結論になったが、もう一度これが見直され、悉皆のほうがいいのではないかという議論が今起こっている。
 もし、悉皆で行うのであれば、そのメリットを十分生かし、個々の子どもの学習改善や学校の授業改善に生かすことができるものにするべきである。悉皆では個々の子どもやクラスの情報が出てくるので、その結果をもとに授業改善をどう図るかを検討をして、実際に改善されていくようにならないと、悉皆でやることの意味が生かされない。悉皆での調査は、学校では嫌がられるが、学校や学級の学習改善、授業改善につながり、受けたほうが非常にプラスになるものにしてほしい。
 以前の学力調査では、結果公表によるマイナス面が問題となったので、過度の競争に陥らずに適度な競争にするにはどのような方法がいいかを検討する必要がある。一部の受験科目にだけに力を入れてしまい偏った学力になるとか、競争が学習の動機づけの手段となりエスカレートするという指摘があったが、特に最近では学校選択制との関係もあるので、データが公表されることでいろいろなひずみが起き得ると思う。
 これをどのように緩和していくかだが、方向性として2つあると思う。1つは、各学校では、自分の学校やクラスがどれくらいの位置にあるのかは知ることができるようにして、それをもとにいろいろ改善を図れるようにするが、一般には公開しないという方向性である。
 もう1つは、実施した以上は公表するが、ただ学力調査の点数だけではなく、例えばこの学校はこういう学校であるというように、学力調査以外の情報も含めて公開するという方向性である。大学ではいろいろな情報を公開することで広くアピールして、総合的に大学を選ぶようになっているが、中学校などでもその学校の特徴や先生の紹介、授業方針、また部活動や生徒会活動なども含めた幅広い情報を提供することで、学力だけが選択基準にならないようにしていくことである。
 既に実施しているケースを参考にして、どうすれば過度の競争、偏った学力にならないかを検討し、対策を立てた上で、悉皆調査にしてほしい。

委員
 到達目標については、教育課程企画特別部会でも議論があり、どのように到達目標を明記するかが話し合われ、委員の中には学習指導要領そのものを到達目標の形にするのかという意見も出された。学習指導要領は事実上従前から教える側の立場でつくられているため、目標や内容は教える側に依拠すべきという前提がある。だが、到達目標は子どもの側が到達すべき目標であるので、学習指導要領を変えるとその文書の性格が変わってしまう。基本的に今までの学習指導要領の性格を変えないとすれば、国立教育政策研究所等が出してきた評価に関わる参考資料等をもとに、評価の部分は別のもので考えるほうがいいという考えが有力なものとして出された。到達目標というのは目標の種類の一つで、それ以外にも目標の表現方法はある。到達度がわかる表現の仕方が到達目標だが、そうではない目標もあるので、目標そのものを少し分類した上で全体像を示し、この部分については到達目標で掲げるというように少し限定的に示すのが望ましいと思う。
 学力調査について、先行したイギリスの場合で非常に問題になったこととして、単純にテストの得点をそのまま出して、高いところは非常にいい学校、そうでないとよくないという読み方をされてしまったことがある。条件のいい子どもたちが入った学校は高い点が出るが、条件の悪い子どもたちが入ってきた学校はそんなに高くは出ず、一面的で非常に誤解されるという現場の反発と、このぐらいの子どもたちがこれだけ伸びたという伸び率を中心にデータを出してほしいという現場の声が強くあった。日本で実施する学力調査についてもよく検討し、先生が意欲を失うような調査にならないようにしてほしい。
 測れる学力というのは教育成果のごく一部にすぎないことをはっきりさせ、そのことを社会的にどのように認知させるか。調査には、複数のカテゴリーの調査が含まれることをしっかりと認識して、それ以外の教育成果を測る別な方法を組み合わせることで全体のバランスをとる必要がある。
 また、悉皆で行うのであれば、お金やスタッフの問題も検討してしっかりとした研究・実施体制をつくるとともに、学校の改善や活動改善に役立つデータを公表しなければならない。地方自治体では、ほとんど悉皆で学力調査をしており、それらと兼ね合わせて、全体の学力向上が目当てであるという明確な性格を持たせていくのがいいと思う。

委員
 学習指導要領について、実施後数年でもう一度見直しをするのは、まさに義務教育の在り方について今再び問われているからである。全国的に一定の教育水準を維持確保する観点から今の学習指導要領は果たして適正かどうか、また一定の水準を維持向上するためには何が問題なのかといった現状分析とその改善点を議論する必要がある。
 全国的な学力調査について、それぞれの学校が教育目標を立て、教育課程を定めて実施しているので、学校の説明責任や指導方法の改善など教育の質の向上の観点からも、自分の学校の教育の実施状況が全国的な教育水準からして適切かどうかを見るためには、全国的な学力調査が必要であり、実施すべきである。評価の内容については、単に知識や技能というだけではなく、思考力、判断力などいわゆる新しい学力観に基づいた評価の内容を十分に研究してほしいし、各学校で改善する取組ができるような調査にしてほしい。
 また、結果の公表については、情報公開法が施行されているので、学校間の序列化や過度の競争等につながらないよう十分配慮した上で、可能な限り情報提供をする必要がある。

委員
 判断する目安としての評価が必要なのはわかる。しかし、評価に絶対というのはあり得ない。国が調査をすると絶対的なものが出てくると思うこと自体が間違いであり、評価を全部信頼してすべてを決めつけようとすることに問題がある。パラメーターだけでは、隠れているものを評価できないこともある。
 学力調査は最低限の内容を押さえればよく、むしろ大事なことは、だめだったら再挑戦させる。学校や教育委員会もチャンスを与えることである。これに落ちたらもう終わりだ、という発想にとらわれているような気がする。子どもの成長段階により個人差があるので、無理に合わせようとすること自体が間違いで、黙って成長するのを待てばいい。例えば留年があってもいいのではないか。飛び級もあるのだから。また、序列化という問題もあるが、それを大人の立場でしか見ておらず、子どもの立場に立つと、序列化とは関係なく成長するものだ。きちんと社会に適応できる能力を与えてやることが一番大事である。だめでももう一回チャレンジして、追いつき、そして追い抜いたらさらに上に行けるというような、子どもに対する大人の温かい見方が必要であり、学習指導要領、到達目標、評価などにとらわれすぎると、伸びるものも伸びなくなると思う。

委員
 一般的には客観的な指標は必要である。学力調査という客観的な指標が出てきて、それにより教育が改善されていくのではないか。調査は得意不得意など生徒個々の特性把握にもつながるし、保護者や地域社会の協力を得るための一手段にも役立つと思う。
 例えば名称について、企業では試験という名称ではなく理解度把握という言葉を使って工夫をしているし、また経年的な結果の把握方法も必要なので、改善する余地はいろいろあると思う。
 また、競争原理が教育には当てはまらないとよく言われるが、企業における競争は誤解されている。競争があるからこそ協力や協調があり、企業の中では競争よりも協調のほうが重要である。教育界において競争の度合いをどうするのかは重要なので、教育全体での競争をよく考える必要がある。

委員
 企業内での評価について、いわゆる成果主義人事がここ数年日本で非常に話題になってきたが、実際に成功している例は非常に少ない。
 失敗をする要因は2つあり、1つは、企業には対人交渉能力の優れた人やこつこつと仕事をすることが優れた人などいろいろな人がいて、絶対的な能力だけをそのまま比較することは非常に難しい。その人の能力と仕事を掛け合わせてはじめて具体的な評価が問題になってくる。
 資質・能力の具体的な水準について「なん割以上の児童生徒」という表現があるが、もともと能力は絶対的な能力が子どもたち全員に同じように備わっているわけではなく、議論の中でそこが非常にあいまいになっている。義務教育で「なん割以上」というところに非常に違和感を感じている。そのなん割にいかなかった子どもたちはどうするのか。もし学習内容がミニマムであれば、学校はできるまでしっかりと指導しなければいけない。評価をされる側の子どもたちの見方と、政策の到達度を見ようとしている行政側との見方が全く違うからこのようになるので、調査によって何を確認するのか、を明確にしないといけない。
 2つ目は数値評価である。例えば評価を公表しないとしても、例えば自治体という狭い中では評価が分かってしまうので、それを上げるためだけに教えるようになってしまうことがあり得る。あくまで確認なのだということを、前提に置いていかないといけない。
 目標の共有というのが非常に大切で、企業では、マネジメントする人と働いている人たちの目標が一致しているかを重要視している。ただ、数字だけを追うのではなく、経済、社会、環境などでどのように役に立つかを共有できるかが非常に重要である。
 学力調査でも出てきた結果を子どもや親、教師がいかに共有できるかが重要である。子どもたちや教師にとって目標となり、その結果として親にとっても目標になるような方法をとり、そして進歩の度合いが見えてくれば、悉皆で行うことの意味が出てくると思う。義務教育にしかできないことやナショナルミニマムについてもう少し議論した上でないと、調査方法等について議論しても不十分であると思う。

委員
 学習指導要領の内容、基準性については、科学や学問の進歩、あるいは国民的な要求により変化する。一般的には高度化すると思うが、どの程度までを基準とすべきなのか。例えば、かつて発展的学習というと最高基準というものになっていたが、そのことをどう考えるか。
 参考資料2に各教科における内容の区切りがあるが、例えば、小学校の理科では学年ごとに理科という教科があるが、中学校では第1分野、第2分野という形で理科が総合化されているなど、内容についての検討が必要である。
 また、目標と評価との間の内容として、教育法や授業研究を考える必要がある。高い目標や内容の基準性があっても、どのように到達させるかという方法論がない。条件なども含めて授業の仕方や方法を考えるべきである。
 到達目標や評価について、子どもたち一人一人の到達度を見るのであれば、学校や学級で行えば十分で、そこで個々の学力やいろいろな興味も判断できるので、別にナショナルのものである必要は何もない。ただ、国が教育水準というナショナルミニマム、あるいはナショナルスタンダードを決め、その達成を国として見るというならば、抽出により行えばいいと思う。
ただ、対象、目標、方法など評価に対する研究は必要である。いまは学力といっても、受験学力、ペーパーテストだけが評価されていて、そこだけにシフトした学力だけで競争させようとしている。また、PISAではリテラシーの問題が入ってきているが、日本の学力調査はリテラシーを見るのではなく、受験学力を見ている感じがするので、その研究が必要である。

委員
 例えば学級や学校、教育課程など教育システムの問題と一人一人の子どもたちをどのように育てていくのかという問題は深く関係しているが、分けて考えないといけないと思う。
 学習指導要領などに具体的に盛り込むコンテンツをどうするか。ナショナルミニマム、ナショナルスタンダードという議論があるが、どういう国民を育てるのかという目標がはっきりしない限り、それらもはっきりしない。例えば自立した国民、勤労と納税というような具体的な目標を出し合って議論することが必要だと思う。
 教育システムの問題について、学校での教育というのは、ミニマムやスタンダードといわれる人を育てるとだけでなく、エリートをも育てている。例えば、理科離れの問題は、立派な研究者、技術者が育たないから問題とされるのであり、その場合にはエリートを想定している。理科や算数の学習指導要領の内容では、必ずしもナショナルミニマムとしての最低内容ということだけでなく、エリートを育てるという要素があり、カリキュラムや教育課程の中には、そのようなダブルスタンダードがある。どういう段階でどういう国民、人材を育てるという具体的な目標を示していかないと、違う対象について違う内容のことを議論し合うことになりかねない。また、資料3で「学習指導要領」の内容面を見ると、ミニマムのものが想定されているが、目標面のなん割というダブルスタンダードが入っており、そこをきちんと整理する必要があるので、議論の土俵だけはきちんとしておいたほうがいいと思う。

委員
 具体的なことが現場にどうおりてくるのかを具体的にイメージしてほしい。統一学力テストについて、現在は一方で学校評価制度、学校選択制度が実施され、教職員の業績評価や給与評価と連動されるということがある。そのときにテストの点数というのは非常にわかりやすく、教師の努力がテストの点を上げることにシフトしてくる危険性がある。テストできちんと点をとることも重要だが、あくまで基礎的、基本的な知識があることを前提に、そこから次は理科の実験をどのように体感していくかなどを考えていくものであり、80点を取れたら次は100点を取れるようもう一回プリント学習を繰り返していくということではないと思う。
 また、中学校段階で約12万人の子どもたちが不登校であるという実態があるが、それを学校や先生だけで何とかしなさいというのは難しい。社会全体の問題として考えないといけない。
 子どもたちの睡眠の不規則が脳の成長そのものに影響を与えているというデータも出ている。なぜ昔できたことができくなくなってきたのかもかなり科学的に出てきつつあるので、現状をしっかりと立体的に見ていき、対策を立ててほしい。

委員
 資料3について、教育水準(質)、学習指導要領の内容というのは、本来は知育、徳育、体育全部にかかるものであり、知徳体の実態調査として、トータルでどのように育っているのかや問題点、改善点を考えないといけない。ところが、この資料を見ると目に見えるものばかりが書かれており、上の欄と下の欄の整合性を考える必要があるのではないか。特に、中学校では教科を割り切って考える傾向もあるので、音楽、美術、芸能、文化、体力なども含めて日本人としてどういう育ちをしているのかについて、トータルな調査を考えていく必要がある。

(2)事務局より資料について説明の後、学習指導要領等の教育課程の基準等の在り方について自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○=委員、△=事務局)

委員
 小学校では知育、徳育、体育という議論があるが、それに情操教育と異文化理解を加えてほしい。今は、学歴・学閥思考が大きく崩れているが、小学校からこれらをきちんと積み重ねることにより、総合的な教育の復権ができると期待している。特に国際的な共通性や通用性を育てるには、異文化理解を小学校時代からすることが必要である。ただし、総合的学習の時間の中で異文化理解として英語教育をする学校は数多くあるが、国際的な通用性の一番の要は言語によるコミュニケーションであり、外国語を小学校段階からしっかり位置づけていくことについてはっきり提起し、議論したほうがいいと思う。

委員
 公立中高一貫校が全国的なレベルで広がっており、大変いい試みだと思うが、進路変更を認めている点が従来の義務教育の中学と違っていて、退学して普通の中学に行くという道が予定されている。同じ公立でありながら、中高一貫校における中学の役割と普通の中学の役割は異なる。中高一貫の義務教育は高校含めた6年間の中で教える内容となるが、普通の中学校は義務教育の完結を意識するので、誰でもできる内容であることが大前提にならざるを得ない。そのずれをどうするかという議論をきっちりとしないと現場は少し混乱するという感じがする。
 普通の義務教育の中学校を考えると、今はほぼ全員が高校に行くので、国際的な共通性などは意識している。中高一貫校に入った後に進路変更して普通の中学に行くような場合についても考えて制度設計するのは難しいので、内容については非常に大まかに書いておかないといけない気がする。小学校ではそういう問題はあまりないが、学校年齢が進んでいくに従い、全員が同じことをするのは次第に難しくなるので、それをどう表現するのか。明確性や量的な妥当性というと、必ずその問題が出てくると思う。
 また、国際性については、国際的な競争力を身に付けさせる芽を見つけ出すことだ。ただ、できる子どもは先生より優秀だと思うが、明らかに先生が手助けしたほうがいいという子もいるので、この点からもあまり明確に書けないと思う。

委員
 この夏、仕事で学力世界一と言われるフィンランドのヘルシンキに行き、ある家庭を訪問したが、そこでは驚くことの連続であった。フィンランドでは、学校の宿題がない、家庭教師がいない、塾が存在しないということであり、その家庭の母親が言うには、家庭で過ごす時間をとても大事にしており、家庭内での学習、特に体験学習を多くしているとのことであった。
 特に、総合的な学習については、本来、学校に任せっきりにするのではなく、家庭の中でやるべきことだと感じた。保護者に対して、学校でやることとは別に家庭でしてほしいことを簡単に指導していく必要があり、例えば、学習指導要領の中に保護者編みたいなものをつくることなどが考えられる。総合的な学習について家庭でも取り組んでほしいとと強く感じた。

委員
 学習指導要領について、国の果たす役割は従来と基本的には変わらないので、各教科等の内容はすべての児童生徒に共通して指導すべき内容として示されているという基本的な性格も変わらないと思う。ただ、資料5の各教科等に示された指導内容に関して、現在の学習指導要領には「~は扱わないものとする」という範囲を限定しているような表現があるが、児童生徒の興味・関心をさらに増やして理解を深めるためには、こういう制限規定を見直すべきだと思う。
 それから、学習指導要領の性格と義務教育の在り方については、総合的な学習の時間や選択教科の授業時数をかなり増やしているが、中学校と高等学校という中等教育を一貫して見直した経緯があるので、現在の義務教育の在り方全体を見直す中では、選択教科がこれだけ必要なのかを十分に検討する必要がある。到達目標を明確にするからには、それぞれの科目で十分到達目標を達するための指導ができる時間の確保が必要がある。
 学校だけではなく家庭や地域の役割を十分果たす意味から学校週5日制がスタートしたが、学校週5日制の趣旨を生かすためには、土曜日に家庭内での保護者の子どもに対する教育的な配慮や子どもの居場所づくりなど土曜日の活用方法等についてもさらに検討していく必要があると思う。

委員
 国が教育課程の基準を設定しているが、国全体としての教育体系の中で尊重してほしい。例えば、大学が3教科型の入試をすると、高校は3教科しか重視しなくなり、さらには中学校の学習体系のバランスも崩れてしまうので、国の教育行政として、少なくとも共通テストでは5教科、7教科を受けさせる指導をしてほしい。
 基準として示すべき内容について、このレベルまでは国民として当然身につけておくべきという最低限の内容はあるはずなので、例えば漢字、計算の仕方、基本的な地理や歴史などはしっかりと内容を示し、学校で徹底的にたたき込む必要がある。

委員
 基礎的、基本的知識に関する部分は合意が得やすいと思うので、中学校3年生卒業までに基本的に知っておかなければならないことを並べるだけでもかなりの骨格が出来上がるのではないか。そうすれば、どの学年に何を割振るかもはっきりすると思う。
 実質的に今の日本の学校制度は、私立と公立というダブルスタンダードになってきている。特に小学校の段階では、私立中学校入試が、学習指導要領とは全然関係ない高いレベルを求めており、公立小学校での勉強をしてもあまり意味はないので、当然塾へ行くことになるが、私は、小学校段階でのダブルスクールが子どもたちの脳をパワーダウンさせるきっかけになっており、特に、比較的偏差値の高い大学での学力低下の原因はそこにあると思っている。もう一度日本全体のシステムを見直し、学習指導要領では、まず絶対的に身に付けなければいけないものを確立することが、急務だと思う。

委員
 国が教育課程を示す時には、家庭や地域、社会でどのようなことがあるのかをセットにして考えないといけない。もし社会に豊かな環境があれば、国が定めなくてもいいが、まだ十分育っていない場合には国のほうである程度決めないといけない。例えば総合的な学習の時間について、日本の場合は、これを学校で行うことを決めてそういう意識がかなり高まったが、この先どうするのか。地域でできるのであれば、すぐになくすということではなくても、ほかの場面でどう吸収していくかが重要だと思う。
 学習指導要領や学校の授業だけではなく、入試が子どもたちの学習行動を大きく規定しており、例えば高校の理系クラスでは、学習指導要領にプラスして入試に出すという自由はあってもいいと思う。学習指導要領は必要最低基準であるならば、それにプラスの部分を入試で求めることで、ある部分では高い学力を求めるというような柔軟な考えがあってもいいと思う。

委員
 量的な妥当性について、いろいろなものが教育に入ってきているが、一方で出すものがないと袋だけが大きくなってしまう。食育、地震、防災対策など、家庭教育や社会教育にかかわるものでも、子どもにかかわることは学校で教えることになってしまっているので、学校でするべきことを一度見直してほしい。例えば、文化芸術などを選択教科として考えてみてはどうかと思う。

委員
 国の義務教育については、最低限必要な基準は何かをはっきりさせる必要がある。そして、家庭の関わり方についても、6歳以下の子どもたちに対する家庭の役割を国がはっきりさせる。本来学校の役割というのは6歳から15歳までの義務教育を考えるというミニマムなものであり、それ以上は関係がなくていいと思う。大学や高校、私立についてもそれぞれが受験科目を決め、入りたい人が勉強すればいいものであり、日本人として社会に出るためには、最低限義務教育として何をするかが大切であり、その基準を満たさない人はもう一度勉強してもらう。これは別に恥でも何でもないので、あまりがちがちに考えることない。しかし、国として最低限しないといけないものは絶対に妥協することなく、算数、国語など基礎的なものは完全に教え込む。それ以上のものはかなり緩やかにしてもいいと思う。

委員
 今まで共通という観点が強過ぎた。あまりに高いレベルまで共通を要求すると、かえって自立が遅れてしまい、いつまでも自分で選択するということができない。選択的な経験、能力というものは非常に大切で、企業ではそういうものを非常に強く求めているが、子どもたちが育っていく姿を見ていると、自分で選ぶということに伴う責任や判断の基準というものをきちんと経験していない。そういう経験の場が選択教科や選択学習などにあるので、自立や共通という内容の面からだけでなく、子どもの活動や選択的な能力を育てるという面からも考えておかないといけない。

(3)事務局より今後の日程について説明があり、閉会となった。

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課教育課程企画室

(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)

-- 登録:平成21年以前 --