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教育課程部会(第22回) 議事録

1.日時

平成17年7月25日(月曜日) 10時~13時

2.場所

丸の内東京會舘 「シルバールーム」(11階)

3.議題

  1. 教育課程の基準等の在り方について
    ・現行の学習指導要領の理念・目標
    ・教育水準(質)の維持向上のための方策
    ・学習指導要領等の教育課程の基準等の在り方
  2. その他

4.出席者

委員

 木村部会長、梶田副部会長、安彦委員、荒瀬委員、石井委員、石田委員、市川委員、井上委員、猪口委員、植木委員、宇佐美委員、衛藤委員、大橋委員、陰山委員、加藤委員、佐々木委員、田村委員、角田委員、渡久山委員、深谷委員、中嶋委員、無藤委員、増田委員

文部科学省

 結城事務次官、近藤文部科学審議官、銭谷初等中等教育局長、板東大臣官房審議官、山中大臣官房審議官、布村大臣官房審議官、根本主任視学官、常磐教育課程課長、高口視学官、合田教育課程企画室長、井上教育課程企画室長補佐
国立教育政策研究所
 惣脇教育課程研究センター長

5.議事録

(1)事務局より、文部科学省の人事異動について報告があった。

(2)事務局より資料について説明の後、教育課程の基準等の在り方について自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○=委員、△=事務局)

(現行の学習指導要領の理念・目標について)

委員
 学力観については、知力、知識に傾きがちだが、体力、知力、人間力という3本柱で考えていかなければいけない。人間力に結びつく忍耐力や物事に共感する力は、いろいろなことを経験することで鍛えていくことができると言われている。
 総合的な学習の時間については、小学校と中学校を分けて考えるべきではないか。中学校は、小学校と異なり子どもたちも多様化してくるし、自分が確立していく時期である。そういう中で、先生が提供した一つのテーマについて、みんなが同じように感じるということの難しさがある。中学校については、総合的な学習の時間を他の教科の補充に使ってもよいのではないか。
 学校週5日制については、維持すべきである。いまは定着過程で、土曜日等の活用の在り方を工夫する時期であって、時間が足りないからといって元に戻してはいけない。中規模以上の会社では週休2日制が相当定着してきているという実態もあるので、新しいライフスタイルを定着させていく意味でも、地域、家庭、学校という三者のバランスをもって、制度を生かしていくという方向が必要なのではないか。

委員
 現行の学習指導要領の理念や目標は、理想主義的につくられており、堅持するべきだが、現実にうまくいかないところをどのようにするかという手だてを考えないと、理想主義的な側面が、いろいろな弊害を生むことにもなりかねない。
 現在の学力観は、バランスのとれたものであると思う。ところが、例えば入試では、これまでどおりの知識中心の入試が行われているなど、社会全体としては受け入れられていないところもある。
 総合的な学習の時間については、私は堅持するべきだと思うが、社会全体として合意が得られているとは言えない。例えば私立学校では、ほとんど実質的に総合的な学習の時間などやっていない。その方が、生徒集めに非常に役に立つという状況がある。すると、公立の中でいくら理想主義的な総合的な学習の時間を実施しても、なかなか社会全体の動きにならない。このことには入試の問題が絡んでおり、総合的な学習の時間で得た力を評価するシステムを導入しないと、知識中心の教育になってしまう。
 学校週5日制については、元に戻すことは時代の流れに逆行する。土曜日に通常と同じ授業をやる学校があるが、自由参加である限り、土曜日に教科の補充、発展的な内容を実施することはよいことだと思う。
 ただ、学校週5日制には、地域で学ぶ内容を充実させて、土曜日や長期休暇は、それに参加することを促す趣旨があったはずである。地域の教育環境を充実させる動きが、随分活発になってきているが、まだ十分ではない。文部科学省や各自治体がどう支援していくかが問題ではないかと思う。
 文部科学省からは、今、地域子ども教室という形でかなりの補助金が出ている。これからは、生涯学習との連携を深め、学校週5日制の趣旨を生かした教育環境をつくっていくことを考えなければいけない。

委員
 実社会の中の私立学校では土曜日に授業を行うところが多数派である。入試が存在する以上、社会がその方向に引きずられていくのもやむを得ない。
 ただ、行き着くところまで行き着いてしまっていることは問題である。中高一貫の私立学校へ行くためには、学習指導要領の内容とは言えないような内容の受験問題を受けなければならない。このため、公立小学校でいくら頑張っても、中学入試には全く影響を及ぼさない。また、入試に合格するために塾へ行くことになり、学校では寝ているという現象が起きている。さらに、小学校で行う基礎教育の部分について、体で感じたり、実験して驚いたという経験がないまま、知識として覚えてみても、大学や実社会へ出てから役に立たないという問題が出てくる。
 先日、ある大学のアメフト部の監督と話したとき、統率力があるすばらしい人間が、過去に50人いたと言われていた。そして、その8割以上は、田舎の公立高校出身だったという。
 実は、公立学校の枠組みの中にも非常にうまくいっている部分があるのだと思う。東京大学合格者は、高い年収の人たちばかりであるとまことしやかに言われているが、2003年のデータでは年収が950万円以下は50パーセントを超えている。
 教育をめぐるこれまでのいろいろな混乱の最大の要因は、実は本当のことが伝わらないままに議論されていることにあるのではないか。以前、学力問題を考えるシンポジウムで、東京大学、京都大学などの先生が学力低下を指摘していた。つまり、ゆとりとは関係ないところで、ものすごく勉強しているはずの学生たちの学力低下が議論されていた。
 ゆとり教育の結果、学力が低下したように言われているが、実は実態は全然違うところにあるのではないか。社会に誤解があるために、中央教育審議会や文部科学省のメッセージが社会に伝わっていかない。実態調査等を行って正しいメッセージを伝えるということが、一つの課題ではないかと思う。

委員
 日本では高度経済成長期に、サラリーマンの働き過ぎや、家庭における父親の不在や、核家族の孤立化による地域崩壊という社会問題が引き起こされた。そして、この経済至上の政策が学校教育にも取り込まれ、学校は受験戦争や偏差値至上主義という現象に見舞われた。そして、学校が荒れ、子どもたちの心が荒廃してきた。このような状況の反省から、これまで40年間、社会でも、学校教育でも、ゆとりと充実という政策が制度的に整えられてきたのだと思う。今からは、すべての分野において、内容を充実させていく時期なのである。
 例えば福岡市では、平成11年から、地域子ども育成事業を開始した。各小学校区を基礎として、公民館、学校、自治会、青少年育成連合会、おやじの会、PTAなどが連携して、子どもを見守る運動である。母親が過度に子どもに手をかけ過ぎた結果、子どもが何もしなくなったことへの反省から、子どもの自主性を尊重し、例えばアメニティ空間を地域の中につくったり、地域の行事に子どもたちを自主的に参加させてきた。その中で子どもたちが群れて遊び、人間関係や子どもの創造力が取り戻されつつある。
 これからの教育を受験戦争に戻すようなことはしてはいけない。子どもたちの個性や独創性が芽生え始めたこの時期に、これを適切に評価できるような大学、高等学校の入試体制をつくっていかなければならない。

委員
 生きる力は大変美しい表現ではあるが、それが何なのかということがよくわからない。また、それをどのようにして子どもに身に付けさせていくのかということについての具体的な方法論がわからない。
 自ら学び、自ら考え、自ら判断し、自ら行動するということは、一言で言いかえると、コミュニケーションではないか。科学は科学者相互のコミュニケーションで成り立っており、技術には技術のコミュニケーションがある。学校には学校のコミュニケーションがある。また、内部のコミュニケーションだけではなくて、科学と技術、あるいは技術と国民一般などというセクター間のコミュニケーションがある。
 我々日本人は日本語という言語を用いているが、言語をきちんとコミュニケーションの手段として活用できる能力を身に付けることが、最大の生きる力の要素であると思うし、学力の問題だろうと思う。
 しかも、それは自分の感情を伝えるだけでなく、きちんとした文法にかなった、あるいは概念をきちんと押さえた上でのコミュニケーションでなければならない。特に、グローバル化の時代において、外国語を習得するために、日本語をきちんと習得しておくことが必要である。
 また、科学や技術の世界は、数式や化学式といった人工的なコードを用いたコミュニケーションが使われているわけだが、理科教育、数学教育というのは、それに向かって一歩一歩積み上げていくものである。このコミュニケーションをどの程度まで身に付けなければならないのかについては、コードの種類によって違ってくる。数学者になるには、数式のコードについて最高のレベルまで達していなければならないが、普通の社会人になるには、もう少し低くてもよいのかもしれない。それを整理することで、一般の子どもに対して過大な負担を防ぐとともに、最高位の数学者や物理学者を育てるだけの基礎教育も適切に行うことができる。
 生きる力はコミュニケーションという言葉をに言い換えることで、整理しやすくなるのではないかと思う。
 次に、総合的な学習の時間は、国語を基軸に据えて様々な内容を扱い、自分の言葉で相手に正しく伝え、相手の言うことを正しく理解できるようにすることが、授業のデザインの基本的なコンセプトではないかと考えている。

委員
 現行の学習指導要領の理念・目標については、学習指導要領の変遷過程から明らかなように、学習指導要領が学問的に系統的な学習を重視してきたという考え方が基本にあって、時代や社会の変遷に応じて、子どもたちの学力をいかにすべきかという観点から見直しが行われてきたと思う。
 そして、生きる力という理念については、臨時教育審議会答申で社会や時代の変化に対応して、従来からの学歴偏重社会からの脱却が目指される中で、平成元年の学習指導要領改訂において自己教育力をいかに付けるかということが強調され、さらに、平成10年の改訂において、基礎、基本の徹底した学習により得た知識を生かしながら課題探求的な探求型の学習をすることによって身に付ける力として、また、自己教育力をさらに高めたものとして出てきたと考えている。
 自らが主体的に判断し、行動する力は、社会人として活動をする上でも求められることである。そういう意味では、今の学力観は社会的にマッチしていないということはないのではないかと思う。
 教科学習で身に付けた基礎的な知識・技能として総合的に生かすという考え方で総合的な学習が取り組まれている。学校によっては非常に成果を上げているという報告もあるが、まだまだ不十分だというところもある。よい学習事例の情報を提供することで、それぞれの学校が地域に応じた総合的な学習をさらに発展させていく時代を迎えている。
 問題は、中学校の受け止め方が十分ではないことがある。その原因の一つは、中学校に対する高校入試からの圧力として、知識教育をもっと重視すべきだという要請があることである。総合的な学習の時間については堅持すべきだが、見直す点があるかどうか本部会で検討すべきだと思う。
 学校週5日制は国際的にも大勢であるし、国が責任を持ってこの制度の根幹を維持すべきだと思う。また、学校、家庭、地域社会の教育力を連携することは、生涯にわたる学習の在り方を見直す上では絶好の機会だと思う。
 土曜日や長期休業日をどのように活用するかについては、学校、家庭、地域の三者が互いに連携・協力しながら社会全体で子どもを育てるという趣旨を踏まえて、例えば、地域の社会人との連携をさらに活性化するというような観点からも検討していくべきではないかと思う。地域や家庭によって温度差はあるが、子どもの居場所づくり、地域子ども学習の機会の確保などの取組が出てきている。

委員
 学校週5日制については、堅持すべきである。多様性のある生活を生きるということがとても重要なことであると考えるが、学校週5日制にした理由として、そもそも週6日間、同じところに行くこと自体を考え直すべきだという発想があったと思う。週6日制にした方がよいという意見をもつ保護者の世代は、画一的な、多様性のない考え方が強い社会の中で教育を受けた世代ではないかと思う。これからの世代の子どもには、多様性のある生き方を考えさせる意味で、自分が管理する休みの2日間という時間の重要さや価値を認識させることが必要だと思う。
 そのことに関連して、日本は男女共同参画型の社会に移行する必要があるので、文部科学省は内閣府が推進している男女共同参画社会の確立に手を合わせていってほしい。
 また、NPOや企業には地域貢献を通じた次世代の育成を重視してほしい。それも、地域差が生じないようにしてほしい。
 総合的な学習の時間については、総合的な読書の時間として展開していくべきではないか。これまでは、読書が軽んじられてきたと思う。厚い本をしっかりと読み通すという経験を持たないから、日本語の力も落ちている。また、読書をしていないと、ストーリーを自分で構築する力が落ちてしまう。例えば、実務に就いたときにも、目標達成までのプロセスを構築できなくなってしまう。
 それから、小学校におけるネイティブスピーカーによる英語教育の提供が実現するならば、そこには相当時間を使うかもしれないので、総合的な学習の時間をどうするかを考えなければならない。なお、教科としての英語教育が実現しない場合には、現状のように国際理解教育という形を維持したい。
 学力観については、反復教育によって基礎の不可逆な定着を図るべきである。先生方には子どもに何度でもドリルをやらせてほしい。
 それから、自己表現力が必要で、そのために美しい日本語が語れなければならない。そのためには、教師が美しい日本語で子どもに語りかけることが一番よい方法なので、教師は日本語の表現方法を工夫することを意識しなければならない。
 生きる力を育むことは、その子の個性を認めてやるということだと思う。個性は、その子の生きてきた履歴の中からしか生まれてこないから、生きる力を育むということは、その子の履歴を肯定してやることだし、自己を肯定する力を持つように育てるということだろう。そうすると、その子が自らの不足しているところを自己発見できるようにもなる。
 また、文明的な社会はどのように発展してきたかということを、義務教育の中でしっかり教えてほしい。民主主義や人権の考え方や被爆についてなど日本の発展の歴史を知らせなければならない。

委員
 学校週5日制はぜひ維持したい。そして総合的な学習の時間についても継続したい。
 学校週5日制の関係では、今の学校の授業日数は200日を下回っており、それで本当に大丈夫なのかという不安は、すべての国民が持っているのではないか。もちろん、充実した土、日曜日を過ごしているならよいが、そのための条件整備が十分できていないように思う。
 今の教育課程は、非常に不幸な教育課程であることを思い出す必要がある。つまり、初めはゆとりの中で生きる力を育むと言ってきたが、その後、PISAやTIMSSといった国際的な調査が出てきたために、日本の学力が下がっているのではないか、学力重視にしなければいけないと新聞から叩かれ、文部科学省が揺らぎ、国民が揺らいでしまった。
 今、当初の学力観にもう一回焦点を戻す必要があるのではないか。私は、生きる力を育てるということは素晴らしいものだと思う。国からしっかりとメッセージを発しながら、力を育てていくべきである。
 ただ、今は国民が非常に多様化している。例えば、土曜日を休みにしてほしいという人もいれば、土曜日も授業を実施してほしいという人もいる。一律にまとめてやるということがなかなか難しい。

委員
 学力観については、基本的にいまの理念でよい。
 学力には、知、徳、体すべてについて、見えやすい学力と見えにくい学力がある。例えば徳でいくと、荒れた学校が治まると、それでよしとされ、荒れていた子どもの心に育っているものは伏せられてしまう。この見えない学力にこそ、ほとんどの問題の原因があると考える。
 例えば、資料3では「基礎的な知識・技能を徹底し」とある部分はすぐに見えるが、右側の部分は、具体的な子どもの事実の中に、どうやって見つけるのか。また、「実生活で直面する課題への活用力が求められている」の中の「活用力」をどうやって見つけるのか。ここの部分の指導にこそ、全力を挙げる必要があるのではないか。
 学校週5日制の関係では、あれこれと学習内容を入れる話が出てくるが、時代に即して、学習内容を削ることも重要な課題である。
 また、学校週5日制は社会改革だと思われるので、文部科学省以外からどのような支援をしてもらうかも考える必要があると思う。

委員
 いま示された学力観、総合的な学習の時間の捉え方、学校週5日制について、基本的には賛成である。
 総合的な学習の時間のねらいに載っている問題解決能力を付けることは重要である。ただ、「自ら学び、自ら考え、主体的に判断し」という部分は、問題解決にかかっているが、むしろ、問題発見能力の方が重要だと思う。
 発見から解決へというサイクルがどんどん上がっていくというのが、生きる力として、今後の日本に必要な能力だと思う。そういう意味で、「自ら課題を見付け」という前にも、この発見能力を身に付けるために「自ら学び、自ら考え」と入ることが重要だと思う。また、子どもたちに求められる学力としても、問題発見能力や問題解決能力を高めるほどに、基礎的な知識・技能を徹底し、自ら学び自ら考える力が重要となることを入れるとよいのではないかと思う。
 週5日制については、企業関係では大企業に1970年ぐらいから導入されてきたと思うが、そのときも土曜日の使い方として、日ごろできないスポーツや自己啓発研修をするという思想があったと思う。その考えの下、週5日制を堅持しながら、実業団のチームがスポーツなどを子どもたちに教えている。学校においても、日ごろできない学びや、日ごろ接することのできないスポーツ選手に接することなどの工夫も要るのではないかと思う。

委員
 学力については、生きる力に結び付けて考えると、概念を広げて考える必要がある。現行の学習指導要領にもある程度書いてあるが、もう少し明確にした方がよい。従来の中心的な学力であった知識に、より総合的な部分と実践的な部分を加えていく必要がある。そして、それを主に総合的な学習の時間が担うのだと位置づける。
 総合的な学習の時間については、堅持したいと思うが、実際に運用するための人や教材面での援助をしない限りは、中学校、高等学校では実現が難しいと思う。また、総合的な学習の時間と各教科の結びつきを、学習指導要領上にはっきりと明記するとともに、言語表現を重視するということも明記していかないといけないと思う。
 学校週5日制については、見直すべきだと考えている。以前、経過的に行っていたように、隔週で土曜日を休みとする方法も考えてよいのではないか。今の学習指導要領においては、学校のスリム化ということで、学校でやるべきことを減らすことと、効率的に指導力を上げるということが言われたが、二つとも実現はなかなか難しいと思われる。また、家庭、地域の教育力が上がることで対応できるという考えもあるが、実際を見ると、対応は十分ではない。また、その状態は1年や2年で改善されない。そうだとすれば、部分的な学校週5日制というものを考えるべきだと思う。それも、国として統一的に考えるべきである。なお、土曜日の在り方を考えたときには、単純に月曜日から金曜日の授業時間が土曜日にあるというのではなく、家庭、地域との関係も踏まえ、体験的な学習や地域人材を活用した補習を中心にするということが考えられる。
 最後に、義務教育段階と高等学校とは区別した方がよいと思う。高校生は、十分長い時間の学習に耐え得るし、地域活動や部活動をできるだけの知力、体力を持っていると思う。

(教育水準(質)の維持向上のための方策について)

委員
 今、振り込め詐欺については予想以上の被害があり、どこの自治体でも、警察が随分警告している。その状況を分析すると、お金や物で解決した方が早い考える人が多い。このことから、例えば振り込め詐欺に関する教育は、社会全体の価値観を含んだ問題があり、学校教育の世界だけでは解決できない。
 ここで、重要なのは、教師が思考停止しないようにすることである。このため、学習指導要領は最低基準と目標を定めるだけとし、指導の手段、方法は現場に任せることが、全国の一人一人の教師を活性化させることになると思う。現場主義に徹してほしい。
 ほとんどの教師は学習指導要領を読んでいないという指摘があるが、教師たちに尋ねると、全員が読んでいないということはなかった。私の市では、教師に教材開発、副教本の作成をしてもらったが、教師はその際、丁寧に学習指導要領を全部読んでいた。このことから、教材開発などを教師にやらせることが大事だという教訓を得た。
 評価については、原則として、部外者に評価させないとうまくいかない。学力調査についても、文部科学省が評価するのではなく、住民に評価させるという方法もよいのではないか。
 基礎、基本の内容と、真に生きる力というのは分けて考えなければいけないと思う。基礎、基本の内容は教え込むものである。真の生きる力というのは、教えられないものである。
 誰にでもふるさとへの愛情と誇りがあるが、総合的な学習の時間においては、それを重視したい。私の市では、総合的な学習の時間については、愛情や誇りに基づいたふるさと学を基本戦略に据えて実施している。自治体のふるさと学に任せれば、極端なイデオロギーを排除しつつ、究極的には愛国心を教えられるのではないかと思っている。

委員
 教育水準の維持について、いまだに七五三の割合で授業が分からなくなっていく状況があるのは、状況がよくなってはいないということではないか。
 学習指導要領には生きる力の育成という理念があるが、生きる力というよりは、何のために生きるかということを子どもたちに教えるべきではないか。憲法や教育基本法の理念を汲んだ生きるための価値について教えていかなければならない。
 それから、基準性をどんなにつくっても、各教科の目標がそのまま生かされるのでなく、最終的には受験のための学力になっているのではないか。受験のための勉強になっていて、成果が一定程度上がると、もう勉強しないようになってしまう。
 このため、総合的な学習の時間もずれている感じがする。総合的な学習の時間の構成要素として、基礎、基本の学力がなければならない。だから、もっと基礎、基本を充実させるとともに、学ぶことによる喜びを与えるようにしないといけない。そういう意味では、学習指導要領の内容をつくっていくとき、学校における授業がどう充実していくか、子どもたちが今の学習指導要領の目標や内容をどれくらい習得しているかということを考えていかなければならない。
 それから、PISAで出ている学力について、学校で付けた学力、プラス塾で付けた学力のトータルが出ていると言われる。だから、必ずしもフィンランドと同列に論じることはできないのではないかと考える。
 最後に、本日の議題を見ると、1に理念・目標とあり、3にも理念・目標がある。それらの兼ね合いを見て、学習指導要領の理念・目標をもう一度押さえ、その中で各教科や総合的な学習の時間の考え方というものを整理してはどうか。

委員
 多様性のある時代に向けて、どういう子どもを育てるのかということが大前提だと思うので、学校ごとに違いが出てくることは基本的に問題ない。それを認めることが、これからの教育界のあるべき姿でもあり、大人社会のあるべき姿であろう。
 教育水準の各教科の到達目標については、最低限度がしっかりと学年ごとに明記されたらよい。しかも、それが、教師だけでなくて父兄にも見られるようになっていて、家庭での学習と連携できるとよいと思う。
 学力調査について、実施することで学校の勉強がその試験に向かうとしても、私はそれもよいと思う。試験に向けどういう対策を練って準備すればうまくいくのかということを学ぶことも、一つの学習である。ただ、それだけが人間を決めるのではないことが示されればよい。
 学校の目標として考えることは、幸せだと感じながら生きる子どもを育てることと、自分の持っている学力や能力を引き出したいと思ってくれる子どもを育てることである。
 求められる学力ということで、10の学力を考えてみた。まずは基礎学力で、読み、書き、計算、調べる力、理解する力。次に計画力で、自ら全体像を見て、分析し、行動する力。これは自己教育力も含むものとして理解している。次に選択力で、自分で選んで決めるということ。自分が選んだからオーナーシップを持ち、責任を持って行うということ。次に行動力で、アクションを起こすということ。次に創造発見力で、ストーリーを考えたり、大きな夢を持って考える力。次にシンプル力で、論理的に物事を考えたり、問題解決をしていく力。次に持続力。次に元気力で、笑ったり、それから気を出す力で、ユーモアや表現力も含む。それから仲間力で、人を思いやったり、コミュニケーションをとったり、分かち合ったり、受け入れたり、認める力。障害者とともに生きる力でもある。そして幸福力。これは自分が幸せだと感じたり、感動したり、関心を持ったり、多様性を認めたり、感謝をしたり、自信を持ったりする力である。
 学力テストで測る力は一つのものであって、学校では全体として総合的な力を付けていくべきだと考える。学力だけが重要なのではないと認められる社会の現実も、学校教育に入れたらよいと思う。
 週5日制と総合的な学習の時間については賛成である。小学校については、学力がないわけではないが、きっかけを失って、だんだんみんなから離れてしまう子どもがいる。このような子どもたちが早期に救われることが重要なので、そのための学習指導の方法や全国のよい実践の成果などが学習指導要領上措置されると、全体の学力が随分と上がるのではないかと思う。

委員
 学習指導要領のフレームの問題だが、現在、教科、特別活動、道徳、それから総合的な学習の時間とあるが、この4つの領域の関係を明確に示してほしい。例えば職場体験学習をやるといった場合、進路指導の一環としてやるのか、総合的な学習の時間としてやるのかということは非常にあいまいとなっている。年間の授業時数を確保するという観点からも、この関係性を明確にすべきであろう。
 次に、部活動は、今は学習指導要領の中での位置づけはほとんどされていないが、非常に関心が高い。だから、義務教育段階での部活動を、どのように教育的に位置づけていくのかについて、明確に書き込んでほしい。
 次に、教師の持ち時数の問題だが、28コマぐらいある中で24コマぐらい授業を持っている実態があるので、教材研究をしたり、指導案を立てたりする場合、非常に時間的余裕がない。だから、一人の教師の持ち時数を下げる方向で考えてもらえば、教師の忙しさは多少緩和されてくるのではないか。
 それから学力調査だが、学校現場は調査に一喜一憂するし、学力調査は保護者にとっても大変関心の高いものである。テストを構成する問題については、学習指導要領に則った形での構成になると思うが、意識調査などで子どもの実態を捉え、学力調査の結果との関連を分析していかないと、数字のひとり歩きになってしまうのではないかと考えられる。また、最終的には、国が行う学力調査に、市区町村、都道府県が行っているテストが収れんされていくという方向が望ましいのではないか。

委員
 学習指導要領の到達目標を明確にすることは、大変重要である。また、その到達目標に達するかどうかを評価するための手段の一つとして、学力調査を行うということも重要である。学力調査は、何年か後に同じように調査を行った場合に比較ができるような内容とし、また、調査自体が学校や子どもたちにあまり負担を与えないようにすべきである。
 また、知識などの実生活に直面する課題への活用力を考えると、子どもの生活習慣などについてあわせて調査することも、意味のあることではないかと考える。

委員
 学習評価、全国的な学力調査についてだが、教育政策を考えていく上で、自前の基礎データを持つことは極めて重要である。これまでの反省として、このデータをうまく扱わないと、目的とは非常に違った議論ばかりが起き、せっかくの取組が無駄になってしまう。
 発表の仕方とデータ管理が重要である。学校が特定されると、保護者としては、少しでもよい学校に入れたいという思いになる。例えば、京都市内の特に有名な小学校の学区は、マンションの値段が値上がりしているという。調査の結果が出るとそのようなことも起こると考えられるので、配慮してほしい。
 東京大学や京都大学の先生方が、入ってくる学生たちのレベルが下がっていると指摘されているが、送り出す側から見てもそのとおりだと思う。本校で数学の学力について経年で比較していると、以前はある大学に入れなかった生徒の方が、今、その大学に入れる生徒よりも力があったという状況がある。毎年の大学入試は、単なる競争になってしまっているから、本当の意味の学力を高めるために、調査をきちんと行い、設置者に結果を還元し、設置者がどういう教育政策を実施していくかを明らかにするべきである。
 その際の調査の内容としては、例えばPISAの調査では読解力が出てくるが、知識・技能と知識・技能の活用能力である。私は、総合的な学習の時間というのは、それをまさに高めるための一つの非常に有効な方法であると考えている。
 本校では、総合的な学習の時間としては、探求基礎、総合探求という2つの科目を持っているが、いずれも生徒が中心にやる。先生は、生徒と到達目標の設定についてやりとりする。総合的な学習の時間の趣旨に則り、いわばバックヤードを体験させて、彼らがその中で失敗したり、悩んだりすることを見守るようにしている。
 受験との関係では、探求基礎で設ける委員会の委員長は、2代続けて東京大学の文科1類に現役で合格している。総合的な学習の時間での学習は受験勉強とは無縁ではないのである。
 ただ、本校でこのような実践ができるのは、スーパーサイエンスハイスクールで学校指定を受けているおかげである。指定を受けると、金銭面で補助があり、教員の加配もある。金銭面では、物を買うだけでなく、大学院生を雇い授業を細かく見てもらえる。このように各学校の取組がしっかり支援されるようになることをお願いしたい。
 本校で最も重視しているのは、言語能力である。情報を受け取り、考え、判断し、表現するというサイクルを大事にしていく。それは、総合的な学習の時間を通じて高められることであり、生きる力として必要な力だとも思う。

(3)事務局より今後の日程について説明があり、閉会となった。

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課教育課程企画室

(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)

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