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教育課程部会(第18回) 議事録

1.日時

平成17年6月13日(月曜日) 10時~13時

2.場所

如水会館「スターホール」(2階)

3.議題

  1. 各教科等の成果と課題の検証(社会、外国語、総合的な学習の時間)
  2. その他

4.出席者

委員

 木村部会長、梶田副部会長、浅利委員、阿刀田委員、安彦委員、荒瀬委員、市川委員、井上委員、猪口委員、宇佐美委員、陰山委員、加藤委員、角田委員、渡久山委員、深谷委員、無藤委員、横山委員

文部科学省

 近藤文部科学審議官、銭谷初等中等教育局長、板東大臣官房審議官、山中初等中等教育局担当審議官、根本主任視学官、常盤教育課程課長、木村教育課程企画室長、井上教育課程企画室長補佐、片山教科書課長、山脇国際教育課長、大杉視学官、平田視学官
国立教育政策研究所
 折原教育課程研究センター長、その他関係官

5.議事録

(1)事務局より資料について説明の後、社会科及び外国語の成果と課題の検証について、討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○=委員、△=事務局)

(社会科の成果と課題の検証について)

委員
 社会保障や税など日本の社会を支える仕組みがあり、社会を維持していく観点からしっかりと教えないといけない。また、資料6の主な意見の中で、「学習内容の現状が、アカデミックな観点が中心で、市民生活面からのニーズに十分合致していない」という意見があるが、小学3、4年生の社会を見ると、むしろ自分たちの地域や町を理解する内容が中心になっている。なぜこうなっているのか。教科書と現場での教え方について実態がどうなのかを掘り下げていかないと本当の対策にならないと感じる。

委員
 日本では、理数科離れが叫ばれてから久しく、社会全体にとって深刻な問題となっており、各企業では、技術研究所や技術セミナーなどによる入社後の社員のレベルアップやトップを引き上げる努力している。また、メーカーなどでは、理科や算数がどのように実社会で使われているかについて多くの蓄積があるので、それらを学校に提供をしたり、現場の実体験を教壇で生かすことはできると思う。
 社会科について、産業界、実社会とのつながりを強めてほしいという声がある。特に国際社会の中では、日本人、社会人としての素養をしっかり身に付けておく必要があり、そのためには、日本の伝統や文化、歴史の教育が重要である。また、社会の構成員としての責任と義務、政治の重要性についての認識、しっかりとした宗教観も必要だと思う。今は社会の国際化やIT化、知的財産権の問題、環境の問題、企業の社会的責任などといわれるが、こういう知識や世界的な動向についての認識について日本全体がやや遅れ気味である。社会科は時代の進歩を反映する教科であり、これらの問題をどのように取り扱うかが重要なので、世界的な視野で社会的事象がある程度理解できる素養を先生も含めて身に付けてほしい。
 先生の資質の向上が叫ばれているが、学習指導要領をきちんと教えるには先生の自己啓発が非常に重要である。そこで、この科目や項目を教えるには、これを勉強したらよいという資料を学習指導要領に加えることはできないだろうか。自己啓発の指針や具体的に何をしたらよいかがわかるようにすることが必要だと思う。
 教育の現場では非常によい取り組みが数多く行われているが、なかなか浸透しないので、よい事例を知らせる役割をどこかが担うわけにいかないだろうかと思う。

委員
 理数離れについて文部科学省でも民間でもさまざまな取組があるが、それらを捕捉しているか。

事務局
 努力してできるだけ多く把握し提供したい。

委員
 民主主義について教えることは大変難しいが、じっくりと自由と平等について、例えば勝手と自由との違い、平等と悪平等などを考えさせてきたかを考える必要がある。言葉だけでなく、それが何かを問わせることが重要である。
 小学校5年生は地理的要素を学ぶが、6年生では学ばず、中学校1、2年生でまた学ぶ。また、小学校6年生は歴史と政経を中心に学び、歴史は中学校1、2年生とつながるが、政経は中学校3年生まで2年間学ばない。どの教科にも共通することだが、小学校高学年と中学校の学習内容に断層がないか疑問に思う。

委員
 いじめや犯罪の低年齢化など最近の学校を取り巻くいろいろな問題を見ていて、社会の成り立ち、個人が社会において果たす役割、社会や学校におけるルールなどの基本的な事柄は、小学校3、4年生の社会科において教えるべきではないか。日本は法治国家であり、基本的な法知識、ルールについて小学校段階で教えないと、お互いの生命や人権の尊重に対する基本的な理解が十分できるか非常に心配になる。小学校3、4年生で社会的な規範性を身に付けさせるという方向に学習指導要領を改訂し、明確に位置づけてほしい。

委員
 暗記しなければならない基本的な内容がある。例えば、主権国家平等の国際社会においては、世界各国の国名、首都を知っているのは相手国への最低限の礼儀である。暗記能力が高いときに、暗記するべき事項はできる限り確実に覚えてほしい。
 社会科の課題として、感動を与えることがある。人間社会は、長い年月をかけて人間性の完成を目指し努力してきている。その本質的な考え方の中に、文明的社会、つまり自由民主主義とは何かという問いがあり、そこにある本質的な文明的社会を希求した人間の発展の軌跡、歩んだ道を理解させることが社会科の深い課題であり、それを理解するとき必ず感動が出てくる。自由を獲得するためにどれほどの犠牲が払われたか、どれほどの人が命を落としたか、あるいは課題を掲げた思想にどれほど偉大な突破力があったか、その思想的発展の部分がきちっと伝わるとその価値の深さを認識するので、自由を乱用したり、誤解して勝手な権利と取り違えることがなくなるし、また、親しむべき自分の国という感覚を持つことができるのではないか。特に、小学校の段階だと抽象能力が弱いので、具体的な事例と人物の人間像を通して教えるとよいと思う。
 それから、教えてほしいこととして、多様性への視点がある。小学校の教科書のレベルでは、非常に極端な多様性で直感できる。例えば、世界各地で同じ10歳の子どもがどういう生活をしているのかという内容。イヌイットの10歳の1日というのはどういうものか、イラクの生き延びた10歳の子はどんな1日を過ごしているのか。教科書の記述が、イラクの首都はバグダッドだという知っておくべきことを直感できる内容であって、読み物のような面白さと重さを持つとなれば、そのページは二度と忘れないページになると思う。小学校4年生で読んだその記憶は永久に忘れないものになり、そこから多様性が出てくると思うので、部分的にでも取り入れていただきたい。

委員
 生活科、総合的な学習の時間、算数など他教科との関連から教科書を見ると、社会科では、例えば算数では習っていないグラフが出てくることがある。学習指導要領の中に、生活科、総合的な学習の時間、あるいは他教科との関連について、それぞれの取り扱い事項をぜひ明確に示してほしい。
 小学校1、2年生については、生活科という新しい教科が出てきた。具体的な地域との関わりという点では、生活科が非常に大きな役割を果たしていると思う。生活科の発展の中で、小学校3年生の社会科をどう捉えたらよいか。いまは市町村合併や自由学区制の問題などが出てきており、生活科ができた頃と社会状況は大きく変わっている。そうした視点を抜きに社会科だけを論じることはできないので、生活科についても考えていただきたい。
 小学校、中学校、高校の社会科で教えるべきもの、あるいは育てるべき視点は何かをもう1回吟味し、社会科での基礎基本は何かを明確にしていく必要があると思う。

委員
 小学校、中学校、高校のそれぞれの区切りにメリハリを付けて議論する必要があり、特に小学校では、体験的な事柄とのつながりを考える必要がある。
 また、社会科の教科書については現状ではかなり薄い。工夫されているが、いろいろな要望をすべて教科書に盛り込むことは、少なくとも今の教科書検定の在り方を前提とする限り無理である。副読本のような形で、読み物として面白いものを充実することを積極的に進め、教科書についてはしっかり理解し、覚えてもらう知識を中心にすべきと考えている。
 小学校高学年ぐらいから歴史、地理を学ぶが、非常に指導がしにくくなっている感じがする。それはベースとなる体験や感覚が子どもそれぞれで違っているためだ。例えば、大河ドラマも見ておらず、豊臣秀吉と言われてもほとんどの子はわからないというような違いがある。その点では、総合的な学習との関連を通した体験は重要になると思う。例えば、歴史について、自分の身の回りのところからさかのぼって歴史をはっきりさせたり、ワールドカップに出てきた国々を調べたりするとよい。
 また、教科書の発展的な項目について、総合的な学習の時間における活動例を入れるような工夫もあってよいと思う。社会科に限らず各教科で、現在の授業時間の範囲で体験的な活動を十分行うことは無理なので、教科と総合的な学習をつなぐという意味でそういう方法もあると思う。

委員
 学習指導要領について、ほとんどの都道府県ではさらにブレークダウンし、教育目標を定めている。その目標のほとんどで国際社会の中で国際人として対等に伍していける人材の育成というのが入っているが、経済界の方と話をすると、自分の国を愛して、自分の国の歴史あるいは文化を自分の言葉で語れない人間は、およそ海外に行っても相手にされないとよく言われる。これらは、社会科の歴史や公民の分野だが、歴史教科書の評価について大変な議論が起こる現状は問題である。
 授業について、近・現代史をしているかという問題がある。多くの学校ではその前の段階で授業が終わってしまうと聞く。果たしてそういう日本の歴史教育の現状でよいのだろうか。国際問題は政治レベルで議論がされているが、学校教育レベルで1回議論すべきではないのか。

委員
 学習指導要領の議論では、アイデアが提案され、今のいろいろな問題点が入ったが、その結果、そもそも基本的なところが抜け落ちてしまった感じがする。
 また、小学校から中学校にかけて義務教育9年間トータルでの系統性の問題がある。今これをすれば、次の学習で役に立つという流れがあるので、基礎的、基本的なものを具体化して絞り込んでいくことと系統性を土台に置く必要があると思う。
 私が子どもの頃に受けた学習の中で非常によかったのは、国立公園の学習だった。国立公園を学習することで、理科の地形や火山の学習などの役に立つし、理科的あるいは社会科的、地理的な観点から見た日本という国が、非常に立体的に浮かび上がる。それがまず基本にあって、他国との比較というものが出てくるので、覚えるべきはきちんと覚えるということもさせなければいけないと思う。
 公民分野について言うと、若者たちの投票率が非常に低いという問題がある。例えば、イラン、イラクの問題などが政治の一つの争点に上がったとする。そのイラン、イラクの問題について義務教育ではほとんど触れられることもないが、実はその問題は、日本のエネルギー問題に深くかかわる重要な問題である。政治的な立場もあり難しいが、社会科で絶対考えておかなければならないこととして、私たち日本の課題というものを含めることが必要ではないか。総合的な学習の時間とも関係させて、いろいろな観点で考えさせることが必要になっていると思う。

(外国語の成果と課題の検証について)

委員
 英語が国際言語になりつつあるが、何も考えずにそこに入っていってよいのか。アメリカ的、英語的グローバリゼーションは、世界の中で実際的な権力を持っているが、相当英語の達者な日本人でも細かい話や駆け引きとなるとかなわない。そういう英語的グローバリゼーションが進む中で、日本人はどういう位置をとるのかについて議論が必要。中国人などは、その辺にある種の抵抗を持っており、本会議で英語で話すということはほとんどしない。英語に入っていくとき、英語を指導する側として、世界が英語的グローバリゼーションの中に組み込まれてきたことに対して相当意識を持っていかねばならないと考える。

委員
 中学校での英語について、この十数年間での指導法の変化には非常に驚いている。10年間英語教育を受けてもなかなか英語が話せないことが非常に批判され、その反省から、英語教育の指導法がシフトしたが、それがかなりシフトし過ぎではないかと思う。
 文法については、とにかく文法を徹底的にやり、それが原因で英語嫌いになったということで、文法がきちんと教えられなくなったが、例えば、中学校の3年生になっても一般動詞とbe動詞の区別を知らないとか、数と人称によって動詞に「s」が付いたり付かなかったりするという区別を知らないことが多い。品詞になると、副詞と形容詞の違いについてほとんど授業で教えないので、やはり知らない。全体的な英語の時数が減り、やむを得ずということではなく、指導法の方針そのものが違ってきており、あまり教えないでよいというふうになってしまったということがあると思う。
 また、辞書を引かないということがある。英語の教科書を見て、新しい単語が出たときには教科書の後ろに単語集のようなものがあり、それを見ればわかるという形になっている。教科書だけならよいが、その他の英文を読もうと思っても、辞書を引くことができない。辞書を引くという基本的な行動が、子どもの学習習慣のレパートリーに入っていない。
 さらに、ほとんどの子どもは発音記号を知らない。これも一応教えられるが、ほとんど徹底されていない。文法や辞書、発音記号は、あまり豊かでない学習環境で外国語を学ぼうする時の重要なツールである。今、その環境が多少よくなっており、ALTが入り、インターネットも使える中で、実際にコミュニケーションする場面は増えてきたが、日本の今の英語の学習環境は、まだそれほど豊かではない。ネイティブの子どもたちのようにはなかなか身につかないので、文法などをある程度しっかり身に付けた上で、インターネットや実際の外国人を通じて実践的なコミュニケーション能力を付けるという形にしてほしい。
 学習指導要領の内容そのものは同じでも、どこに重点を置くか、どういう指導法をするかによって子どもの学力は大きく変わる。それが90年代に随分大きく変わってしまい、結果的に、学力テストなどを見てもわかるように、文法を知らないので、話す、書くということがしっかりできなくなっている。バランスをうまくとった指導方針へと向かってほしいと思う。

委員
 外国語教育について、小学校の段階が、特に発音について臨界期にあたり、この段階でしかきちっとした発音を習得できない可能性があるので、どの小学校でも外国のネイティブ・スピーカーによる教育を受ける機会を確保してほしい。
 文法は体系として知的に理解させることが必要であり、決しておろそかにしてはならない。そこでは日本人教諭の役割が非常に大きいが、時数が足りないということで、ぜひ小学校から実施してほしい。小学校から始めないと、中学校でしっかりと文法をするときに文法だけに専念できないということになる。
 それから、基本的に単語の量が少な過ぎる。ALTなど外国の先生に教わるときは、反復練習を通じて単語をどんどん覚えるということが重要である。また、小学校のうちから普通の活字で書く練習をし、単語を習得する。言語は基本的に単語量によるので、単語を覚えていれば何となく話せるようになる。また、そこで文法が入ると、初めてしっかり話せるようになる。教科書については、やりとりではなく、暗記し話せるようになることに重点を置いてもらいたい。
 また、自分をいかに表現できるかということが重要である。「How are you?」「I'm fine」というやりとりというよりも、自己表現できる能力はどの場面でも重要だと思う。スイスやアメリカなどの学校では、「show and tell」というのがあり、それは、何か自分の持ち物を持ってきて、それについて3分間ぐらいスピーチするという取り組みである。日本においても、そのようなスピーチの練習などを通じて自己表現する能力を身に付けてもらいたい。
 ALTはアシスタントであり、非常に立場が弱いので、ネイティブスピーカーを小学校で導入する場合は、もう少ししっかりとした特別の資格を与えるとともに、その水準についても常にチェックをしてほしい。また、英語教育に関わる小学校の教員についても、小学校では発音とイントネーションの教育が基本になるので、TOEFL(トーフル)の水準を問うなど発音をよくしていくための措置が重要である。小学校のレベルで新しく英語教育を導入するときには、外国人の先生を使うということが、発音が上手な日本人を生んでいくために必要だと思う。

委員
 総合的な学習の時間では、7割強の小学校で英語をしているとのことである。この総合的な学習の時間は、当初文部科学省は内容を一切示さなかったが、非常に強い要望があり、ある一つの事例として国際理解教育を示したら、小学校で英語が取り入れられた経過があると聞いたことがある。これまで中教審では、小学校段階から英語を教えることが母国語である日本語にどういう影響を持つかということについて非常に多く議論されてきた。その中で、既に研究開発学校の77校が英語教育に相当取り組んでおり、小学校段階の英語の定着状況や発達状況は調べていると思うが、一方で、英語と日本語、国語との定着状況の連関にかかる調査があるのか知りたい。

事務局
 研究開発学校など数多くの学校で取り組んでいるが、小学校の英語についてそのような調査結果はまだない。実際に多くの学校で行われているのはゲームとか歌であり、英語に対する抵抗感がなくなったとか、興味関心が増したというデータはあるが、いわゆる言語能力としての英語の定着が深まっているという状況ではない。また、国語力についても、逆に国語力が小学校で英語を行うことによって低下したというデータはない。

事務局
 もう少しいろいろなデータがとれるかも含め、深めるつもりである。諸外国の状況について、中華人民共和国については2001年に全国の小学校で順次必修教科として導入する計画を発表しており、第3学年より開始することしているが、地域によって異なり、北京や上海では1年生からしているのが主流である。また、時数は週に4回以上、3、4年生では1回20分を4回する形が多く、5、6年生では40分ですることがあると聞いている。
 韓国については、3年生から必修科目として導入しており、また、台湾については、2001年から第5学年より必修科目として導入、2005年からは開始学年を第3学年に引き下げているが、これも台北市など都市部では、1年生からしているところもあると聞いている。これらについては国立教育政策研究所で研究もしているので、これらの研究を生かしたい。

委員
 中学校の外国語の学習指導要領について、目標の最後が「聞くことや話すことなどの実践的コミュニケーション能力」とあり、高等学校の学習指導要領は同じように「実践的コミュニケーション能力」とあるが、規定を見ると高等学校の方がはっきりしている。では、実践的コミュニケーション能力はどのように考えればよいのか。学習指導要領に同じ言葉がありながら、片方は明確に規定があるが、もう一方はないので、現場の英語教師の中には中学校の実践的コミュニケーション能力というのをまちまちに解釈をしている可能性があるのではないか。場合によっては、ゲームをやっておればよいということで終わっている可能性がありはしないかと思う。
 小学校英語について、私の市では小学校全校にALTを導入しており、放課後とか給食、掃除など学校生活の中での会話や触れ合いを重視している。現在3年目になり、低学年の生徒は楽しくしているが、高学年になるに従い中学校や入試を意識するのか、指導力の問題もあるが、全然雰囲気が変わってしまう。小学校英語をどうするかは、日本語で話しができているかとか人との関わりができているかという問題をどうしても避けて通れない。また、英語で何か書かせると親がその上に片仮名でルビを振ることがある。せっかくネイティブによる指導にしても、親の世代の入試を意識した英語観があるので、これが大きな問題ではないかと思う。

委員
 中学校の英語の教科書の内容は非常にベーシックな英語だが、小学校ではこれ以下またはこの程度のことをやるのだろうと思う。そうであるならば、何も小学校で学習せずに、中学校から学習を始めてもよい気がする。教育課程の議論では誰もが時数が足りないと言っており、小学校では主に何に力を入れるのか絞り込んでいかないといけない。基本的には、各教科や総合的な学習の時間に英語を入れるのではなく、教育課程の外の時間で、プラスアルファとして考えてはどうか。例えばネイティブを導入する余裕がある学校は学習するということでよいと思う。
 また、中学校の英語教育をもう少し見直したらどうか。本当にリビングイングリッシュにするのか、それとも受験英語に対応するのか、または両方に対応できるようにするということもあると思う。
 言語は、基本的にはコミュニケーションの手段であるが、国際化していく中で日本で一番必要があるのはハングルや中国語ではないか。子どもたちにハングルや中国語を教えることで、最も多い外国人とコミュニケーションができるようになる。国連では英語を使い、学者などは自由に英語でコミュニケーションしているが、必要ならば身に付けることができるという話を聞くので、中学から、英語をしっかり教えることに加え、2カ国語を教えることもあってよい。もう一度、コミュニケーション手段としての言語を見直してもよいと思う。

委員
 私の学校は文部科学省の研究開発学校の指定を受け、情報科、英語科、郷土科という教科をしている。英語についても、系統的に学習させることを目指してカリキュラム開発をしている。
 本校では、まず日本語との関係でいうと、当然のこととして国語力も重視しており、音読や暗唱、漢字など日本語の基礎的、基本的なものをしっかりしようと取り組んでいる。英語においても、その手法をそのまま活用しており、英語の音読や暗唱をしているが、子どもたちに英単語一つ一つを教えなくても、簡単なものから始めていくと、何となく読み方がわかっていくと担任教師等から報告が出ている。
 日本語の音読、暗唱が苦手な児童は、やはり英語も苦手であることから、基本的な言語力はあるという気がする。例えば、世界一の学力と言われるフィンランドも、フィンランド語という非常に特異な言語があり、周囲を大国に囲まれており母国語を粗末にすると衰退してしまうという危険性からフィンランド語の言語教育をしっかり行っているが、英語についても幼い段階から指導している。私は2カ国語を習得するのは、基本的には可能だろうと思うが、これを日本の学校教育で行うに当たっては、非常に中途半端な状況がある。学校として英語の優先順位は低いが、保護者、社会からの要望は強く、ジレンマのある教科になっている。その中で、コミュニケーション能力を前面に出すのは、そのジレンマからきた苦肉の策ではないかと解釈をしている。
 では、具体的にどう進めるかを考えたとき、多くの課題について期待を寄せられている通常の担任に、英語の指導を任せるのは難しい。また、ALTの活用には二つ問題がある。一つは、それほど人員を確保できないことである。英語科を設定している私の学校でもALTは10日に1度ぐらいの間隔になっている。10日に1度、1時間だけALTの先生に来てもらい、英語が自在に話せるようになるというのは、おそらく幻想だと思う。
 もう一つは、ALTの質の問題である。かなりたくさんのALTが入ると、非常に熱心な者とそうでない者との間に差が出てくるので、均一に指導力が高まるということを望むのはかなり難しいと思う。
 本校では、対策としてITの活用に取り組み、コンピュータを使った英語のソフトウエアの開発をしているが、これは非常に有効である。ALTの先生に何度も「発音しなさい」というのは非常に失礼だが、IT機器を使うと何回でもできる。また、映像も一緒に出てくるので、いろいろなバリエーションが設定できる。その他英語のかるたなども非常に有効で、英語学習については、教材の研究が最も大切だと思う。これは全教科に通じるが、教材の開発、とりわけIT機器の活用については、積極的、戦略的に取り組んでしてほしい。

委員
 ALTの質の問題について、個人的に若干そういうことを感じている。選抜の方法等について伺いたい。

事務局
 ALTについては、JETプログラムがある。これは、海外の若手ネイティブ・スピーカーを1年から3年間程度来日してもらう制度で、現在5,500人以上が来日している。これ以外に、自治体が独自に採用するALTが約4,600人、全体で1万人を超えるALTがいる。
 JETプログラムによるALTについては、人数が増えており、質の確保をどうするかが課題になっている。海外の大使館等を通じて、書類の選考や面接をするなどの対策をしており、質の向上、確保、維持に努めている状況である。また、自治体が独自で採用する場合についても、契約の形態などにより、質の高いALTを確保できるのか工夫が必要だと聞いている。

委員
 資料4-2の1(2)の公立小学校における取組を見ると、既にかなり多くの学校で英語教育が行われており、7割の学校でしているとのことだが、実際は年間11時間程度で全体の授業時数の1パーセント程度であり、ALTが参加しているのはその6割ということなら学期に1回か2回程度であり、ほんのわずかだという捉え方をすべきである。資料からは、英語教育をしているという間違った認識を植え付けられているような感じがする。
 小学校の学習における国際理解教育は、現行の学習指導要領では、児童が外国語に触れたり、外国の生活や文化などに慣れ親しんだりするとなっており、英会話はその一環として行うものである。
 ネイティブというとイギリス、アメリカ、オーストラリアなどさまざまな国の人がおり、オーストラリア語でもアメリカ語でも英語であり通じる。そうすると、きれいな英語、きれいな発音とは何であるか。また、日本人がきれいな発音の英語を話さなければいけないのかを考える必要もある。小学校で教える英語教育、国際理解教育というのは、どこの国でも人間として共通していることや自分たちはいろいろな国との関わりの中で生きていることを身に付けることであるとすれば、せいぜい「こんにちは」というあいさつをすれば小学校の英語教育は十分ではないか。どの国の人でも人間として共通しているという認識をしっかり身に付けることがより大切なのではないか。発音をよくすることや、英語がしゃべれる日本人をつくるということは少し早い。むしろ、日本語を正しく使えて、自分の思いをきちんと相手に伝えることができる日本人をつくることが、小学校としては重要ではないかと思う。
 実践的なコミュニケーション能力がどの程度までを指しているのかについては、曖昧だと思う。英語が話せる日本人をつくりたいのか、今後英語が使えるような、つまり、辞書を引くことができ、発音記号を見れば自分なりに正しく外国人に伝えられるなど基礎的、基本的な能力を身に付けさせることなのか、定かでない。最近は、中学生が英会話にウエートを置いたために、高校や大学へ行って英文学が読めなくなってきているという話もあり、どこにスタンスを置いたらよいのか考える必要がある。中学校における基礎的、基本的な学習は、自分が学ぼうと思うときに辞書が引けて、発音記号が読めて、きちっと話せるような力を身に付けることがまず第一で、その上で若干の実践的なコミュニケーション能力が身に付くことが大事なことではないかと思う。

委員
 日本語は、世界にもまれに見る難しい言語だが、小学校でナショナル・ミニマムとしての日本語によるコミュニケーション能力を育成することを考えたときに、小学校の英語教育を本当に必修にしなければいけないのか、それだけの余裕があるのかと思う。
 私は昔から英語が苦手で、最近勉強をして英語で少し意見交換ができるようになった。確かにきれいな英語の重要性や臨界期における「R」や「L」の指導の重要性は理解できるが、国際会議でいろんな国の人が英語で意見を言うのを聞いていると、それほどきれいな発音ではなくても通じており、必ずしもみんながきれいな英語を話す必要ないのではないか。ビジネスや外交など、国家あるいは企業を背負って交渉するときは極めて重要であるが、それでも英語が嫌いな人間はたくさんいるが、海外のビジネスで極めて不利になったということはそれほど聞かない。また、海外駐在員の子どもたちなど相当多くの日本人が英語の使い手となってきており、英語のベースというものは確実に広がっていると思う。
 資料2の外国語について、中学校での目標として「積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成」や「実践的コミュニケーション能力の基礎」がある。外国語でできれば言うことはないのだが、このようなコミュニケーション能力は、英語の授業で培うのがよいのかどうか。総合的な学習の時間の英語は、英語自体がみんなが初めて触れる言葉なので、日本語でうまく交わることができない子が、積極的に会話に参加してきたなどという効果を聞いたことがあるので、小学生がコミュニケーションのツールとして英語に触れることについて反対するものではないが、それを必須の水準として掲げるということには否定的である。

委員
 小学校英語について、高学年ぐらいから最低週1時間程度は英語の時間を導入した方がよいと思っており、その場合は、総合的な学習における国際理解とは切り離して、中学英語の基礎ということでした方がよいと考える。
 また、教材は決定的に重要で、オーディオ・ビジュアルやITなどを導入し、ALTがいないときでも授業を可能にすることが必要だと思う。韓国などの話を聞くが、やはり担任だけで指導を行うのはかなり厳しく、限界があると思う。担任による指導だけでは、場合によっては効率が悪く、中学英語に悪影響が出る場合もある。

委員
 アジアの近隣諸国が小学校、中学校で教える英米圏の英語の先生を増やしており、中国、韓国では大量の需要がある。もしALTを多く導入するのであれば、まず人材獲得の面で競争に勝つ決意が必要だと思う。
 また、特定の家庭に生まれたことにより、将来国際的な活動ができる基盤が整う子と整わない子とができてしまうことがよいのか。民主主義社会では、どの家庭に生まれても、どの小学校に通っても、将来そういう仕事に就くことはある。どの分野でもいろいろと国際的な接点はあり、みんなが英語ができるようになる必要はないという議論は予断し過ぎである。民主主義の中での公教育の役割を考える時は、すべての子が前向きに新しい時代に取り組めるようにしていただきたい。
 また、英語について保護者の要望が強いが、それは、保護者、特に父親が仕事の最前線において苦労しているからである。その声を理解する必要があるのではないか。今の40代、50代が自分たちが受けた教育で何とかなったとしても、今の日本の10歳の子が40歳になった時に闘う相手である中国や韓国などは別の教育を受け始めている。アジアの中で英語圏の国家の植民地となった国ではないところに調査に行ってほしい。例えば、ALTに相当するようなネイティブ・スピーカーの教員はどう調達しているのか、教諭との関係をどう維持しているのか、組織上の関係はどうなっているのか、教育の内容はどのように構築しているのか、教材の開発はどのようにしているのか、他国で開発した教材を日本語に翻訳して使えるのかなどについて調査してもらいたい。日本のTOEFL(トーフル)の平均点は、アジアにおいては北朝鮮と並んで最下位だが、こういう状態を克服していかなければならないという強い国家的意思を持ってほしい。小学校で教科にしなくてもよいとは思うが、単語をよく学習するなど教育の内容については国として関与する必要があると思う。

委員
 教育問題には人間味が足りないのではないかといつも感じている。例えば、小学校で子どもたちに英語を教えるということだが、それであれば、外国人と話す楽しさやおもしろさを味あわせればよい。子どもたちが自主性を保ちながら英語でもフランス語でもカタコトで外国人と言葉を交わすことは、楽しいと思う。そういうアプローチがやがて外国語力を高める子どもたちの動機にも繋がるのではないか。
 歴史や倫理の教育も、観念でなく、感動と共に教えること。つまり、教育は情緒を伴って行われる必要があると考えている。また、先生は大いに個性的な人であるべきで、その個性が十分発揮されながら、子どもたちとコミュニケーションが生まれるといいと思う。
 私は四十二年間ニッセイ名作劇場という形で六二〇万人の子どもたちに感動を伝えるミュージカルをお届けしている。今年のテーマは「君の手と僕の手をかたくにぎり わけあおう僕たちの心のぬくもりを」ということ。これが歌詞の中にある。「誰かの優しい心で幸せになれたとき 心をこめて言おうよ ありがとう」という感謝。文化が教育の中に入っていき、この情緒を通じながら子どもたちの心を高めるということを考えている。その点を教育関係の皆様にも、もう少し御配慮いただけたらいいのではないか。

委員
 帰国子女などネイティブのような日本人が出てくるから、日本人に英語教育が必要ないのではないかというのは少し違うと思う。アメリカ人、イギリス人、オーストラリア人と変わらないような授業を日本人にしている学校があるが、生徒達は日本に自分たちの場所がないと言っている。その学校の外国人の先生と話をしても同様に感じており、日本ではそこの生徒の場所が日本にないと言っている。要するに、彼らを日本の社会が受け入れていないということである。

(2)事務局より今後の日程について説明があり、閉会となった。

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課教育課程企画室

(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)

-- 登録:平成21年以前 --