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教育課程部会(第16回) 議事録

1.日時

平成17年5月30日(月曜日) 10時~13時

2.場所

丸の内東京会館 「11階シルバールーム」

3.議題

  1. 教育課程の在り方について(自由討議)
  2. その他

4.出席者

委員

 木村部会長、梶田副部会長、阿刀田委員、安彦委員、荒瀬委員、石井委員、石田委員、井上委員、猪口委員、植木委員、宇佐美委員、陰山委員、加藤委員、佐々木委員、田村委員、角田委員、渡久山委員、深谷委員、藤崎委員、毛利委員

文部科学省

 近藤文部科学審議官、銭谷初等中等教育局長、板東官房審議官、樋口審議官、山中審議官、根本主任視学官、常盤教育課程課長、木村教育課程企画室長、井上教育課程企画室長補佐、高橋視学官

5.議事録

(1)事務局により資料について説明の後、教育課程の在り方について自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○=委員、△=事務局)

委員
 家庭や地域の教育力がなくなっており、それを学校で補うという考えと、家庭や地域に応分の分担をするという考えの両論併記になっているが、子どもの気持ちを考えるとどちらが望ましいかは明らかだと思う。子どもは学校だけでなく、親や地域、大人全体に教育を求めており、学校だけで全部抱えることはできない。
 両論併記ではなく、地域や家庭の教育力を回復させる方向に社会構造を変えていくような問題提起を、社会に向けて発信したい。また、学校についても子どもの視点に立って考えるべきである。
 また、総合的な学習の時間について、質的な授業の内容を高めようとすれば、一定の時間は必要である。時数の国際比較等によると大きな違いはないが、考える力、発表をする力、討論をする力、実験や実習をする力などを考えるとこれまで以上に時間は必要だと思う。

委員
 学力低下は、この3年、4年の話ではない。これまで自分で考える力を付けようと学習指導要領の改訂をした。
 自分で考える力が身に付いていない原因の一つとして、大学入試がある。最近は、試験科目が3教科や2教科だったり、文系、理系にわけて、文系においては数学と理科は最初から勉強をしなかったりする。高校の影響は中学にも及ぶので中学においても勉強しないことになる。また、マークシートになるとその練習ばかりになってしまう。科目の選び方、入試のやり方などを含め高校、大学の入試の在り方について考える必要がある。
 また、大学で教養課程がなくなるなど、日本人全体に教養がなくなってきている。その中で大きな視点、総合的な視野から考えると訓練となる総合的な学習の時間は絶対に必要だと思うので、今の基本的な考え方は続けてほしい。
 総合的な学習の時間は教科の総合である。福祉や情報、環境など羅列的にしている学校もあるが、他方では、いろいろな要素の積み重ねの中で、子どもが自分で考えて深めていくような取り組みがされており、よい評価をしている。今の子どもたちに欠けている考える時間というのは重要なので、学習指導要領の中でもう少し踏み込んだ記述をしてほしい。
 各教科には、事例集や専門家、教科書があるが、総合的な学習の時間にはなく、先生の能力に任せている部分がある。すべての先生のレベルを高めるとともに、校長がすべての先生をまとめ、学校全体として総合的な学習の時間に取り組んでいくことが必要。ただ、校長は校長になるまでに教育については訓練を受けてるが、組織の長としての経営能力、リーダーシップなどの能力育成のための訓練をしていないので、その訓練をする必要がある。
 それから、学びの体系に少し齟齬がある。例えば理科では、小学校4年生で体積、空気が膨らむと習うが、体積という概念は、算数では5年生で出てくるので、体積という言葉は使えない。学びの体系をもう少しきっちり見直してほしい。
 また、職業体験ほか、社会には学校に対していろいろな要求があるが、基本的に時間が短いので、スリム化とあわせて考えていただきたい。

委員
 本校に今年度行った市内学力テストの結果が届いたが、非常に高い数値が出ていた。週5日制でも、土曜日に補習をしなくても、短期間で成績を向上させることは可能で、そこには二つの理由がある。
 一つ目は、早寝早起き、朝御飯を食べるなどの生活習慣の徹底や、家庭の団らんなどを保護者にお願いしてきた結果、子どもたちが学校へ来たとき元気なので、学校として思い切った指導ができるようになったことである。
 二つ目は、全体の約1割である週3時間で読み書き計算の反復学習をしているが、この反復学習を朝行うことによって、子どもの脳の力がアップし、学力全般の向上につながっている。否定的な意見もあるが、実際に子どもたちを見ると、読み書き計算の学習によって、子どもたちが非常にパワフルになり、短時間で多くのことを覚えたり、考えたりすることができるようになっている。
 今一番問題になっているのは、子どもたちの現状について、そもそも論と対策が区別されていないということ。確かに家庭的に恵まれない子どもたちはおり、何らかの対策はしないといけないが、それを標準とするのではなく、複眼的な見方で考えていく必要があると思う。

委員
 専門部会も同時進行しているので、本部会では、全体としての教育内容や方法、枠組みも含めて、方向性を示すことが非常に重要だと思う。
 学習指導要領について、最低基準という考え方を踏襲するのか、それとも標準として考えるのか、きちんと議論していく必要がある。最低基準ならば全員が小学校を卒業するまでにクリアしなければならないので、クリアできない場合はどうするのかという問題がある。現場にとっては、最低基準が出てきたことで、評価規準、基準という考え方も出てきた。そこを議論し、きちんと表現していくべきではないか。
 週5日制を継続すると、授業時数を大きく増やすことは難しい。教科の割振りや総合的な学習の時間の週3時間という枠についてどうするのか方向づけていく必要がある。総合的な学習の時間は根づきはじめており、ばらつきはあるが少なくとも小学校段階では相当熱心に行われ、成果が出つつあるので、必要な授業時数をしっかり考えていくべきだと思う。また、総合的な学習の時間の教育内容も、完全に現場に任せるのか、それともある程度の内容を示すのかも考えていくべきだと思う。
 基礎・基本の確実な定着と、自分自身が物事や問題を解決していく力は、これから世の中において必要なことである。表現力にしても、いくら英語が話せても中身がなければ英語が話せるとはいえないし、日本語も話せないということでもある。この中身の問題として、体験的な学習、自然体験などをどう学習の中に取り入れていくのかは大きな問題である。
 今の学習指導要領では、人やお金の問題についてはほとんど触れられていない。総合的な学習の時間をより充実させるためには、コーディネータのような人材などを準備するという手だてについても検討すべきではないか。今後の学習指導要領の改訂に向けて、この部会でもう一度議論をしていかなければいけないと思う。

委員
 義務教育、公教育のキーは教師と授業である。長期低落傾向にある学力に歯どめがかかったが、この原因としては学習指導要領の見直しが一番大きい。これは、最低基準レベルを定め、あとは自由とした規制緩和であって、これにより現場の教師たちに工夫と努力が生まれ、学力に歯どめがかかった。地方分権と規制緩和により、権限と責任が現場に与えられ、教師にやる気が出てきている。総合的な学習の時間についても、教師が授業の組み立てを自力で考えなければならず、このことが教師自身のトレーニングとなり、内発的な成長を促している。総合的な学習の時間に逆行するようなことはやめてほしい。
 義務教育については、市町村に設置義務があるが、この設置という言葉について建物を建てるだけと解釈されていることがある。首長が教育の内容についても義務があることを認識し責任を持つことが必要。

委員
 学習指導要領は、文部科学省と現場の教師の間を結ぶ、非常に重要な材料であるが、ここまでを教えるという具体的な部分とこのように教えるというノウハウ的なものとが混在している。最低基準であると書かれているが、この学習指導要領の性格をはっきりさせる必要がある。
 また、マニュアルは、ものごとを伝えていく上で非常に重要だが、その点では学習指導要領は少しあいまいである。この学習指導要領自体の性格づけの見直しについて検討する上で、具体性があるのか、わかりやすいかを現場の教師に聞いてはどうか。教師はこれを一体どうとらえて、どう使っているのかを押さえたい。
 教科の相互関係の体系化という面で、非常に大きな問題がある。一律3割減らしたことをどのように検証しているのか。教科ごとに見ていたのではわからないので、誰が具体的にどうするのかをはっきりさせる必要がある。また、基準性の解釈を変えているが、前回と今回の関係はどうなったのか。次の改訂をしたときに、具体的に示す必要がある。
 体力と脳の力の関係について、体力も低く、きちんとした生活習慣が身に付いていない子どもたちが増えており、調べていく必要があると思う。

委員
 学力が向上したという結果が出ているものの、学力の二極化の現象は解消されていないので、学習の遅れている子どもたちにどう対応していくのかという課題がある。
 また、総合的な学習の時間については、統一したカリキュラムをつくると、学校現場が画一化するので、総合的な学習の時間の意義を再度考え、統一的カリキュラムは導入せず、支援体制をいかに構築していくかを考えてほしい。
 教科について、諸外国では、学年や教科によって時数の配分を変えている。日本でも、コースによって重点化している場合があるが、画一的にせず、学年によって教科、時間配分の重点化を考えてほしい。
 教科の内容について、生活や他の教科への応用がもう少し必要である。日本は受験のための学力にシフトしている。例えば社会科では、特に高校3学期の授業では、現代史は入試に出ないからやらないということがあるので、教科そのものの在りようも含め、教科の内容について議論していく必要がある。

委員
 教育課程の基本的な考え方について、生きる力を目指すことはますます必要である。子どもの教育は、学校だけでできるものでない。家庭が基本であるが、学校に期待されている部分が多く、それが多忙感につながっている。生徒指導や学習指導など基本的なところは学校だけでなく、家庭と地域と連携をとりながら取り組んでいかなければいけない。
 教育課程の在り方について、学校週5日制の中では限られた時数しかない。その中で9教科の必修教科や、選択教科、道徳、特別活動、総合的な学習の時間がある。加えて、基礎と発展、読書と国語力さらに英語、理数、体力などいろいろな課題がある。現在でも中身が薄くなっているのに、これ以上増えて大丈夫なのか。少人数指導や習熟度別指導などいろいろな工夫をしているので、必修教科の中で基礎も発展も十分にできるが、あまりメニューが豊富になると、それぞれが薄くなってしまう。必修をもっと重視してほしい。
 総合的な学習の時間についてねらいは大変よく、考え、判断し、行動する中で発表する力を付けるのは大切だと思うが、取り組み方にばらつきがあることや、時間が取れないことは問題である。例えば東京では、体験学習、職場体験を5日ぐらい行う話もあり、この日数を増やすのは、受け入れ側も大変で、出す側も時数確保などで大変である。
 中学校では部活動が大変盛んに行われている学校が多い。部活動は教育課程外の内容で教員の職務ではないので、やらなくてもよいとのことだが、保護者や子どもたちの欲求は非常に強い。
 体験的な学習や部活動のような活動は生きる力につながることなので、どのように扱うか検討が必要だと思う。

委員
 基本的に現在の学習指導要領はよくできているが、悪いところは直していかなければいけない。1点目は、学校が週5日制になったことへの自覚と、そのことに家庭や地域が対応していかなければならないという責任について、家庭や地域に対してどのように説得したらよいかということである。性教育の問題、虐待事件や子育ての問題、不登校やニートの問題などが現実に起きている。市町村独自で福祉体験をしてほしいなどいろいろな要望が地域からあるが、実際にはどの時間で行えばよいのか。家庭や地域の問題は学校へ盛り込まれ、事件が起こればすぐ道徳教育、心の教育、そして、学力低下となり現場が右往左往する。知・徳・体バランスよく成長するためには、どの部分を修正すればよいかを考えていきたい。
 総合的な学習の時間は大変よいことだが、安易な課題や問題の設定をしている場合がある。また、「調べ学習」だと言われているが、「写し学習」になっていることがある。子どもが資料をただ写してくるので、読めない字まで写してしまい、発表でそれを読めないことがある。教員にも考えなければならない問題があり、教育委員会の指導力も問われるが、総合的な学習の時間についても考えなければならない。

委員
 高等学校こそが教養教育をする場所だと思う。教養教育のやり方は、いろいろあるが、一番端的にあらわれるのが、総合的な学習の時間だと思う。これは、本来国語科が行っていたような内容で、国語の時間に文学だけでなく、自然科学的な文章や社会科学的な文章など、さまざまなジャンルのものを日本語ではなくて国語という科目で、日本語で書かれたものをいろいろ勉強してきたが、総合的な学習の時間がこれだけ議論されているのにその国語力が落ちている。
 国語力を高めることは、総合的な学習の時間を高めることだと思って取り組んでいる。例えば、高校1年生で物理はしないが、この総合的な学習の時間の中で、物理に関する研究をする生徒はいる。そこでの基礎的な知識は小学校、中学校での理科の知識だが、それだけでは不足している。高等学校では、単に調べるだけではなく、仮説を立て、それをいかに解決していくかという段階であり、重要なのは、自分たちが知っている知識や経験を超えていくということである。それが総合的な学習の時間の大きな魅力であり、総合的な学習の時間をやればやるほど、教科の学習はもっと必要になるし、今まで勉強したことのないことを勉強してみたいと思えるようでないといけない。
 また、高等学校でいろいろな特色を持つ高等学校がある。小・中学校の9年間で基礎的な、読み書きそろばん、科学の目、学校としての社会生活などを学びしっかり身に付けていれば、高等学校ではもっと特色化して、総合的な学習の時間を発展的に行う学校や、国語に傾斜して、総合的な学習の時間はあまり力を入れない、やらないという学校があってもよいと思う。
 学校を守るということよりも、子どもたちの未来をどうするかということを真剣に考えないといけない。横並びでなく、授業の工夫や改善を行わなければならないし、時間が必要であれば、学校5日制についてももっと考えていくべきではないかと思う。私の学校では毎日50分、7時間授業でロングホームルームを入れて週35単位行っているが、土曜日に授業をしていた頃にくらべて1時間しか授業は増えていない。高等学校では、大学入試がある意味での学習指導要領と言え、ここに到達しなければどうにもならないという面があるが、本当に高等学校は特色化しないといけない。守られるのは子どもたちであり、その中で高校や大学が淘汰されて減っていくのはかまわないとも思う。

委員
 高校や大学が減ってもよいという考えとは違う考えを持っている。子どものための教育ということを考えれば、減ってよいという発想は出てこない気がする。アメリカでは、基本的に、希望するすべての子どもに教育を与えるための工夫をする制度を持っており、世界的に非常に大きな影響を与えている。いろいろな子がいるから、いろんな学校があった方がよいと思う。
 総合的な学習の時間については賛成で、むしろ教科をもう少し総合化するよう工夫した方がよい。これまで教育課程を変え、教科書が変わるなどいろいろあったが、日本の教育は割りとうまくいっている。その原因は、日本は教育のインフラがしっかりしており、質の高い教員を集めているからである。最後は生徒と教師の間の関係であり、そのようなインフラが前提にあって、教育課程の議論は意味を持つと思う。

委員
 総合的な学習の時間について、小学校高学年で110時間が設定されたが、教科書も何もないところで実施するのは、現場としては大変である。非常に時間がかかるので、私の学校では、読み書き計算の反復学習をしながら、そこで浮いた時間を体験的な学習に振り当てている。また、理科の実験にしても、準備に時間がかかりすぎるし、社会科の調べ活動をしようと思えば、まず教師が行って事前に調査をするが、その時間の確保が難しい現状である。一方、40人学級を基本とする教員定数の問題もある。仮に発表させようとしても、1人1分発表させれば、45分のうちの40分を使うので、濃密な話し合い活動をすることはかなり難しい。理念はよいが、それを実現するための、授業における基本的な条件が非常に難しい。週1時間35時間程度であれば、そこに自由に当てられ、子どもたちのためのやりたいことができるので、そのような段階がもう少しあってもよかったという気がする。
 その一方、総合的な学習の時間を確保するために、子どもたちが基本的に覚えておかなければならないことが削減された。3割削減が言われているが、子どもたちのその後の学習を考えたとき、かなり精密な議論が必要だったと思う。例えば総合的な学習の時間の中で、国際的な問題もすればよいということがあったが、海外の国について調べるのは、小学校6年生の3学期であり、中学校でも3、4カ国を調べるということだから、実は世界中にどのような国が存在するのかを知る課程が、学習指導要領の中から消えてしまっている。都道府県の学習について、都道府県名を覚えることがあるが、例えば九州と北海道にどのような風土の違いがあるのかを学習する時間は、ほとんどないに等しい。その中で子どもたちが調べ学習をしようとしても、基本的な知識がないというアンバランスが、学習指導要領の理念のすばらしさに相反した信頼性のなさにつながったのではないかという気がする。
 現実として、義務教育ではここに高校入試という問題があり、例えば地理の問題ではいろいろな国が出てくる。実際には、地理の教科書に入っているものは早い段階で終え、時間を無理やり生み出し、主だった国をざっと学習する例があると聞いたことがあるが、こういう理念と実態の乖離が大きな問題ではないかという気がする。
 それから日本では研究と現場が割りとつながっており、総合的な学習の時間についても学習プランというものが提起をされ、それを教育委員会や学校が採用していることがある。しかし、教職員や管理職は3年ないし6年で変わるので、3年たつと半分は入れかわってしまい、そのような中で継続的な実践をすることが難しいという問題がある。
 それから、現場の教職員にゆだねると、例えばある豆を特産品とする地域があるとして、小学校でも、中学校でも、高校でも豆について学習することがあり、トータルとしてカリキュラムがずたずたになることがありえる。このことについては、例えば、大学の教育学部や民間の研究機関などがプランを提供し、各プランの競い合いをすればよいのではないか。教職員と学校を直接競争させると、最終的に生徒の競争に転化させないかという危惧をすごく感じるが、プランのどちらがよいかという話であれば、むしろ実践内容とか、カリキュラムの具体化というものが進歩していくのではないかと思う。

委員
 国語力の低下について、基本的には教師が子どもに対する言葉遣いにもっと気を付け、美しい日本語で子どもに話すということが重要だと思う。子どもたちは正しい日本語を常に大人によって話しかけられていない場合は、そのようなものを自ら話すことはできない。また、大量に美しい日本語を読まなければならないと思う。まずは耳から聞き、次は目で読む。また、学校図書館の重要性が既に議論されているが、図書館に行かない子どもが多いように思う。私の小さい頃は、学級文庫が必ず教室にあり、担任の先生は非常に気にかけて世話をしていた。そういう教師の姿や親が読書をする姿が、子どもたちに、読書が大事なのだということを伝えることになるので、図書館の充実だけでなく、学級文庫についても考えていただきたい。
 日本の教科書は読む量が少ない。ほかに本を読まない子も多いので、せめて教科書を読むことにより大量の読書量を確保できるような教科書が必要である。教科書に載っているすべてを最低基準とするのではなく、発展的学習の考え方も含めたくさんのものを読ませたらよいと思う。
 暗記は大切だ。言葉は暗記なので、国語についてもまずは美しい詩などを暗記したらよいのではないか。単なる詰め込みと違って、美しい言葉は、言語なので、読むというより頭の中にインプットされ、自分で再現できないといけない。
 日本の学校ではいろいろ行事があり、修学旅行など行事を通じてチームでリーダーシップを発揮したり、分担を決めるという経験が相当積めるが、欠けているものとして発表能力がある。発表については、調べたことよりも、まず自分が表現できなければいけない。3分スピーチなどを導入すると、子どもはたちまち表現力がついてくるが、これも30人学級であれば可能だと思う。まず自分を語るが、子どもは必然的にすぐ表現すべき内容が尽きることを発見し、もっと内容を付けるため、今度は本を読む。そして、読んだことを語ったり、人に伝えることができるということが重要だとわかる。時数よりも、時間の使い方で大きな変化が出るではないかと思う。
 国がやることと、それ以外のところがやることを区別して考えないといけない。国が方針を出したり、示唆をするということは重要だが、その他のところは各地域、各学校、あるいは教育委員会で対応できるので、中教審の中では国としてやることを本当に深く考えなければならないと思う。
 ネイティブスピーカーによる英語教育を小学校から導入するのは、不可能に近いが、国には考えてほしい。文部科学省だけではなく、国を挙げてこの課題の重大さを理解し、すべての小学校にネイティブスピーカーによる授業を実現してほしい。日本人は、英語で表現するときも内容は持っているが、自分の表現に自信を持っていないし、発音力についても自信を持っていないから、結果的には表現しないということになり、国として将来的に残念な結果になる。そういう表現力はあった方が豊かな人生が送れるのではないかと思うし、すべての子に等しくそのような能力を授けるのが公教育の哲学である。
 英語力について、国際共通の基準で、例えばTOEFL(トーフル)の平均点などを見ると、アジア地域で最低の水準であることはやはり非常に危惧することである。
 週5日制については、子どもがあとの2日間で自由に発展する余地を与えるので、積極的な意味で維持したらと思うが、もう少し登校日を多くてもよいかもしれない。
 教師の水準について、日本の基礎学力の水準が世界に冠たるもので、日本の教育の方法を学びたいという国が多かったが、そのときのキーは、日本は優秀者が教師になっていたということではなかったかと思うので、その仕組みを維持していくことはとても重要ではないか。

委員
 生きる力ということを考えてみたとき、何が問題なのか。子どもの周りの環境で一番優先しなけれならないのは、先生の生きる力であり、先生の資質を高めることだと思う。学習指導要領というのは学習内容などを規定するものだが、一番子どもとともに時間を過ごし、一番子どもの人生に影響を与えるのは先生である。この、先生の質をどのようにして高めていくかが重要である。現実的にはかなり先生のレベルが下がっていると思う。そこを直していかない限り、どのような方策をとってもなかなか生きる力に結びつかないと思う。
 また、総合的な学習の時間というすばらしい取組が始まっているが、これが生きる力とどのように関連しているのか、また成果が上がっているのかどうか、という評価指標をはっきりとわかるようにした方がよいと思う。調査結果での成績とか隣の国との比較だけで判断するのではなく、総合的な学習の時間については感覚的にはかなり評価が出ていると思うので、それをよりわかるようにし、さらにどのように高めたらよいか、そして生きる力とどういう関係にあるのか、というところまでを含めたつながりを考えなければいけないと思う。

委員
 生きる力というだけでは、実はほとんど何も言っていないに等しく、どういう立場でいかに生きるのかということがわきまえられないと、言葉としては内容が空疎だと思う。
 教育の目的、あるいはいかなる人間を育てるのかという目標については、大きく分けて三つの考え方があり、教える対象の年齢や発達程度によって重点が変わる。おそらく小学校、中学校で考えられているのは、生活者としてしっかりした人間を育てることだと思う。
 それから、将来の立派な専門家を育てようという目的がある。そういう専門家を育てるための教育というのが、実は非常に早い時期から始まっており、順調に登っていけば立派な数学者、物理学者になれる階梯をみんな一斉に登らせれば、どこかで必ずほとんどの者は登れなくなるはずで、登れなくなった子どもをどうやってケアするかが問題である。しかし、日本の場合、その手当てが不十分であって、理科・数学に対して悪い思い出だけが残るようになっている。科学音痴、理科音痴、理科離れが起きている。
 もう一つは、市民、殊に主権者としての国民を育てる教育があると思うが、日本の場合はほとんど念頭に置かれていない。例えば、中学校技術の学習指導要領を見ると、その内容は生活者としての技術教育である。科学技術のガバナンスを行う能力をどうすれば涵養できるかという観点からの教育はほとんどなく、高校でも大学でもない。
 生きる力は、国家、社会あるいは国際的な社会などいろいろな場でいろいろな問題に直面しながら生きていくための多様な要素から成り立っており、それをきちんと区分けして教育の在り方を考えていかなければならないのではないか。

委員
 現行の学習指導要領が教育課程の基準として、全国的な義務教育の水準を維持し、さらに向上させるためには、現代のいろいろな子どもたちを取り巻く環境の背景を十分に把握しながら、今後我が国を担って立つ国家社会の形成者を育てる教育と、一人一人が充実した人生を送るために、それぞれの個性、能力を伸ばしていく教育が実施されているかどうか。その点から現行の学習指導要領の問題点を十分分析していく必要がある。
 学習指導要領のねらいについては、生きる力というのは非常に包括的で、子どもたちがどういう社会でも生きていく基礎・基本を培うという観点の教育が、義務教育段階では特に強く求められていると思う。
 現在の学習指導要領の実施について、各専門部会で各教科ごとに今回の学習指導要領で削減した内容についてもう一度見直し、実際に欠けている部分は、それを補うことが必要だと思う。その際、一番の問題は、小学校、中学校、高等学校でそれぞれの到達目標をどう設定するかである。それから、学校教育法上の小学校、中学校、高等学校には目的、目標が掲げられているが、それも含めて全体的に見直していく必要があると思う。
 教育は人にありと言われるように、教育の実施について最大の責任と権限を持つ教員にはよい人材を確保する。我が国では、教員は免許制であり、採用後の研修制度もかなり充実をしているし、優秀な人材を得るための人材確保法があるなど、条件整備がされており、処遇についても特別な配慮がされている。優秀な人が教育に魅力を感じるかが最大の問題であり、先生のやる気をいかに引き出していくかが必要だと思う。
 学校、家庭、地域社会の果たす役割を明確にしていく必要がある。これまでの中教審答申でも、学校、家庭、社会の役割分担を明確にした上で連携をして、子どもたちを育てる環境を整備することは言われてきたが、どうしても学校に頼りがちである。この点について見直しを行い、学校の役割を明確にしていくことについての説明責任が、国民、あるいは学校現場の先生に対してあるのではないか。中教審は非常に重要な役割を果たしており、学校現場の先生との信頼関係が非常に重要なので、今回の改訂についての基本的な考え方は、学校現場の先生に十分理解できる視点で、明確にしていく必要があると思う。

委員
 いろいろな成果があったという現場の声は大変貴重だと思うので、事例集のようなものを作り、例えば文部科学省のホームページからアクセスできるようにすれば、大きな改正をしなくてもお互いに学び合えると思う。学習指導要領を変更するということは教育のシステムを変えることであり、よい事例を発表することや、知恵を共有することとはわけて考えてほしい。
 生きる力についての教育は、家庭で言えば親、学校で言えば先生、つまり大人がどう生きていくかということに尽きると思うが、教員のやる気を高め、実力を最大限に発揮するためには、その先生がいろいろ教えるのではなく、自分の専門、得意なところを自慢しながら教えられることが必要だと思う。
 アメリカの公立学校を見学して、学校心理学者の配置が必要であると思った。先生、親、子どもの心のケアを行い、子どもが怠慢なのか、それとも心理的な障害があるのかを見きわめることができ、先生のケアも合わせて行うことができる、カウンセラーとは異なる立場の心理学者を設置することが必要ではないか。
 また、学校の中に子どもの学習の遅れをサポートできる専門の先生が必要だと思った。見学した学校では、担任のほかに国語や算数に関して遅れている子どもを指導することを学んだ特別な先生がおり、該当する子どもだけを別室に集めて授業をしている姿を見た。日本の小学校では、一人の担任の先生がいろいろな子どものすべてについて見ているが、これを分担していくことが必要ではないか。
 情報化された現在にあっては、小さな子どもたちの目や耳に入ってくる情報がたくさんある。小学校低学年では、授業時数を増やし、日本語を読んだり反復練習をするなど、頭で理解するだけでなく、耳や体で覚えしっかりと身に付けていくことができれば、その後の学習に非常に役に立つのではないか。

委員
 この部会では、国民として共通に学ぶべき学習内容を明確に定めた上で、学校ができる限り創意工夫を生かして教育課程を編成できるようにすることが求められていると思う。会社の中でこの学習の内容ということを考えると二つの目的があると思う。
 一つは、全体のレベルを上げるということであり、もう一つは、トップのレベルを上げていくということである。全体のレベルアップの使命を担っているのが学習指導要領だと思うが、一方でトップのレベルを上げることについても示した方がよいと思う。実際に小学校などを訪問すると、習熟度別教育など非常に先進的な試みが行われている。
 また、学校ができるだけ創意工夫を生かせるよう、権限委譲や規制緩和することが非常に重要だが、このことと学習指導要領がどう関係するか非常にわかりづらい。現場での創意工夫をするほど、学習指導要領の範囲というものは限られてくるので、学習指導要領で示す範囲を限定して裁量を広げるのか、学習指導要領そのものの位置づけについて見直すのか検討が必要だと思う。
 この創意工夫は非常によい教育であることは間違いないと思うが、全体に広がらない。不登校児童の事例、家庭、地域との連携の事例を出そうということが載っているが、事例を出したり、教員の現場の意識、質を上げるほど、それを吸収していく意欲や体制も必要だと思うし、そういう事例が広がる仕組みをつくることも重要である。

委員
 学習指導要領は、非常にすばらしいものだが、学校現場、教室では、教科書を通じて子どもたちに教えており、教科書づくりや教科書検定というフィルタを通っている。
 教科書は無償配付になっているが、そののための予算というのは大体400億円で推移している。学習指導要領が学校現場の教育に直接効果を上げているか、目的、目標が達しているかは検証することも一つの課題だと思う。
 現場では教育活動や学習指導要領を生かすための教職員の教材研究などが行われているが、時間的な問題も含めて保障されることが必要だと思う。そのためには教育行政において、教員その他の人材の条件整備というものが十分でなければならない。日本の教育が優れ非常に成功しているのは授業の在り方に原因があるのではないかと、アメリカなど海外からも注目されて研究されており、学習指導要領や教育課程が実際に子どもたちの教育活動のためになっているかを多角的に検討することが必要だと感じている。

委員
 最後は教師が要であり、優れた教師の養成、研修をどのようにしたらよいかについて議論が進んでいる。この部会は、次の学習指導要領をいつ新しいものにするか、どのようなものにするのかという課題を担っており、かなり熾烈な議論をしなければならない。1週間の時数は限りがあるので、総合的な学習の時間、国語、小学校英語、理数など大事な話があり過ぎ、削る話をせざるを得なくなる。
 今までの延長で何をどのように改善しなければならないのかについて、基本的には平成15年10月に出た中教審答申、あるいは平成15年12月26日にそれに基づいて文部科学省が学習指導要領の一部改正の告示が土台とすべきだが、延長上で考えられないものが、少なくとも二つあると思う。
 一つは、学問は進展しているということである。例えば理科で言うと、現在、物理、化学、生物、地学だが、これらが自然科学の柱として本当に有効性を持つのかという話がある。生命科学だとか別の筋の立て方をしないといけないかもしれない。そうすると、極めて古典的な学問領域を土台にしてやってきたものを、新しい発想で考えざるを得ない。
 もう一つは、子どもの発達が随分変わってきており、しかも、多様性を持つようになってきたということ。発達加速現象とか発達前傾現象というが、女の子で言うと、以前は中学で初潮、初経を迎えたが、今は小学校でほとんど終わり、小学校5、6年から思春期発達が始まっている。また、小学校の上級生が読んでいる少女コミックやメールの交換には、先生が知らない世界が広がっている。
 課題集中校や指導困難校や学級崩壊の中で生徒指導をしている学校に行くと、驚くようなことがある。先ほど性教育について話をしたが、頭では何も知らないまま、行動が先に行っていることが随分ある。どのように今の子どもの実態に応じた内容を考えていくか。命が大事だということを単に子どもに言い聞かせてもだめで、どう実感させるか。そのためには子どもの育ちがどうなっているか理解し、子どもの実感や本音を考えなければならない。

(2)事務局より今後の日程について説明があり、閉会となった。

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課教育課程企画室

(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)

-- 登録:平成21年以前 --