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教育課程部会(第15回) 議事録

1.日時

平成17年4月27日(水曜日) 10時~13時

2.場所

如水会館「2階オリオンルーム」

3.議題

  1. 部会長の選任
  2. 教育課程部会運営規則等について
  3. 教育課程の在り方について(自由討議)
  4. 今後の検討体制
  5. その他

4.出席者

委員

 木村部会長、野依副部会長、浅利委員、阿刀田委員、安彦委員、荒瀬委員、石井委員、石田委員、市川委員、井上委員、猪口委員、植木委員、宇佐美委員、衛藤委員、加藤委員、佐々木委員、田村委員、渡久山委員、中嶋委員、無藤委員、毛利委員、横山委員

文部科学省

 塩谷文部科学副大臣、銭谷初等中等教育局長、山中初等中等教育局担当審議官、根本主任視学官、常磐教育課程課長、木村教育課程企画室長、井上教育課程企画室長補佐
国立教育政策研究所
 折原教育課程研究センター長、舟橋教育課程研究センター研究開発部長

オブザーバー

 鳥居会長

5.議事録

(1)塩谷文部科学副大臣より挨拶が行われた。

(2)委員の互選により、部会長に木村委員が選出された。その後、木村部会長が、副部会長に梶田委員、野依委員を指名した。

(3)本部会の議事等の取扱いについて諮られ、教育課程部会運営規則(案)が了承された。

(4)事務局より資料について説明の後、教育課程の在り方について自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○=委員、△=事務局)

委員
 日本の子どもたちの学力低下という問題は非常に国民的関心になっているが、資料5を見ていると学力の二極化というものが進んでいると思う。また、国語の問題では記述式の正答率が前回を非常に下回っている。他の教科も同様の問題があり、今の教育課程、授業がこのままでよいのかということがある。授業実践の中で子どもたちに能力が身に付く、わかる授業ができているかどうかが非常に大きな問題であり、意欲の問題も含め、考える力や生きる力を形成するためには、総合的な学習の時間の充実が必要である。また、義務教育の在り方、教育課程の在り方が問われており、日本の教育や各教科の水準、ナショナルミニマムがどうあるべきかも検討しなくてはいけない。

委員
 教育課程の流れの中で、生活科をつくり総合活動に発展したが、これは生徒の学習意欲を高めることが目的であり、背景には教科の再編成という議論があった。別に学力低下という問題が出てきているが、教科の学力低下を緊急に議論していく方がよいのか、教科の再編成の議論も取り上げるのか伺いたい。

事務局
 教科の再編の問題であるが、平成元年の学習指導要領改訂で生活科、小学校1年生、2年生の理科、社会科から生活科という新しい教科をつくり、平成10年の改訂で、小学校3年生以上に総合的な学習の時間を設けた。今回の学習指導要領の見直しに当たり、教科の問題については、教育課程審議会から中央教育審議会の教育課程部会を常設化し審議しているが、教科の再編については、それほど議論が煮詰まっていない。教科の再編は大きな課題であり、引き続き検討が必要だと考えているので、今後の審議の中でご意見を伺いたい。

委員
 最近の東アジア、特に中国における状況を見ていると、国際社会においてはモラリティー、道義というものが一番重要だと痛感している。ある民間の、中国と韓国と日本の高校生約4,000人を対象とした調査結果によると、中国はものすごく自己主張、自意識が強いが、日本はそれがとても弱く、英語力も弱い。これで、果して21世紀の国際社会で、日本の若者が自己主張できるか非常に心配である。

委員
 学習指導要領は義務教育を担保をしている根幹である。現行の学習指導要領は平成14年に実施されたばかりで、短期間で成果が出るのか。現行学習指導要領のねらいが間違っているとは考えていない。学力観としての生きる力はだれも反対しないだろうし、それを実施する手段として「ゆとりの中での教育」があり、実施するツールとして総合的な学習の時間があるが、これは実践の段階である。ゆとり教育は、「ゆとりの中での教育」を言っており、意図的に現行学習指導要領の欠点をあげられている気がする。今後、学習指導要領の実践的対応力により問題が起こるのか、授業時数を含めた現行学習指導要領に内包する問題によって起こるのか整理をした上で、議論をしていただきたい。

委員
 私は世界各地の教育を見ていて、世界的に大きな力を発揮している国が重視している教育には二つの軸が共通してあると感じている。一つ目は、リサイテーションという教育で、暗記反復である。一定のことは暗記し、反復により定着させるという形で暗記をして、立て板に水で相手にこれをぶつけることができるようにすることが教育の中で重要である。二つ目は、立論する力の教育である。立論する力として重要なことの一つは、社会文明の発展の経緯を理解させることである。アメリカでは大学に入ると最初にシビリゼーションの歴史を学習するが、人間社会にとって譲れない価値、つまり自由民主主義、人権、最近では環境、男女平等、それらの社会文明的発展史を踏まえた上で立論すると、相手を論破できるということだと思うので、社会科教育の再検討よりもう少し広い課題として提起したい。
 また、外国語教育の改善充実を考える必要がある。日本の学生の英語力について、TOEFL(トーフル)のアジアにおける平均点数のランキングは最下位級だったと思う。学習指導要領を改訂し、教育現場で実施されるまでには相当な年月があるので、外国語教育の小学校への導入を検討していただきたい。導入の際には、発音力の大幅な改善のため、きちんとした地位を与えられたネイティブスピーカーを導入し、家庭の事情の格差によって差が出ないよう、すべての子どもに一定水準の教育内容を提供することが重要である。

委員
 英語教育は大事であるが、英語の力を規定するのは基本的に国語力である。自分の国の言葉がどれだけできるか、あるいはその言葉を使いこなす能力の高さによって、外国語の能力も必然的に決まるのではないか。
 日本人の書く文章は英語、日本語とも論旨がたどりにくい特徴があるが、これは自己主張力、自己主張意欲と関係がある。国語の教育にとって重要であるのは、どのような文章、表現がモデルとして使われるかということ。望ましい日本語の国語力をもう一つ考え直してみる必要があるが、日本の国語教育の教材に使われているものは少し文学作品に偏り過ぎている。自分が言いたいことを相手にわからせる論旨の展開を教えるような教材が重要ではないか。

委員
 教育の場では、自分の経験に基づいて感覚的に物を言いがちなところがあると思う。感覚的あるいは経験的に基づいて教育に対する意見を言う場合、その手助けとなるのが定量的に物事を示す資料である。資料5が今回のキーポイントになるが、この資料は解釈に偏見を持たれて書かれている気がする。例えば、1ページ目について言えば、これは国語を重要視せよ、ということであるが、整理の仕方が、前回との比較しかなされていない。教育とは、もっと長い目で見て、傾向的にどうなのか考えるべきである。新学習指導要領になった前回と比較するのはよいが、社会的ないろいろな変化があり、大きな流れの中でこういう結果が出て来ているという方が重要ではないか。ただ、2年間あるいは3年間の差だけの結果に基づいて結論を出し、変えてしまうこと自体が一番問題だと思う。全体的に過去10年、20年どうだったか、これから10年、20年で何を目標とするのか、という中・長期的な視点に基づいて今を判断しないといけない。その場しのぎの対症療法に陥いらないよう、科学的、客観的に判断し、定量的な解釈をすることが必要だと思う。

委員
 学習指導要領については、戦後一貫して、社会や経済の変化、あるいは時代の要請を踏まえて改訂されてきたと思う。現在の学習指導要領については、平成8年の中教審答申に基づくものであり、生きる力の理念の下に自ら学び、考え、判断し、行動することを育成することを含めた学力観は、現在の教育界でもあまり異論がないと思う。
 学習指導要領の実施状況調査を見ると、内容あるいは教育の在り方についての分析が十分なされていないと思う。現在の学習指導要領は、過去の学習指導要領がそれぞれの学校種別で重複しているのを見直し、内容的に若干重複は削減したと思うが、今度はそういう内容などを発展的内容として補充している。今回の学習指導要領の見直しについての基本的な考え方として、現在の学習指導要領の内容、教育の実施においてどこに問題があるか分析する必要がある。
 国際的な学力調査結果が社会的にも衝撃を与えたと思うが、学力の基礎になる学習指導要領、カリキュラムの国際的な比較をする必要がある。我が国の初等中等教育は世界でも先進的という評価を受けていたと思うが、国際的なカリキュラムの比較を行い、日本のカリキュラムのどこが十分ではないかを見直さないと今後の国際的な知の競争時代に対応できないのではないか。子どもたちが本当に身に付けるべき基礎・基本を踏まえた応用力をトータルに考えた上で、学習指導要領をさらに検討すべきである。
 学ぶ意欲が非常に低下しているという指摘が多いが、基本的な生活習慣が身に付いた子どもたちは学習意欲も高いという議論が展開されており、学校だけではなく、家庭の役割を明確にして国民、保護者の理解を得るということが非常に重要である。特に、国語力の低下については、テレビやIT化というメディア時代における子どもたちの読書離れが影響している。現在、文部科学省では司書教諭の養成を進めていると思うが、司書教諭資格を多くの先生方に身に付けてもらうとともに、学校の教育においても国語だけではなく他の教科においても読書を通じてさらに教育内容の理解を深めることが必要ではないか。

委員
 学校に頻繁に足を運ふが、学校がうまくいっているか、うまくいってないかはすぐにわかる。うまくいっている学校は、子どもの目が生き生きとして、授業中も先生を向いており、先生は校長の方を向いている。同じ学習指導要領でも、現場でどれだけやる気があるかが非常に大切である。校長は現場の先生と目的を一つにして教員のやる気を引き出させており、一生懸命やった先生たちはよい結果を出し、自分たちはこれでやれるという感覚を得てきている。だから、もう少し長いスパンで見てほしい。国家百年の大計のもとにやっているわけで、基礎・基本はあまり変えてほしくない。文科省と現場との信頼関係、その中で自分たちも頑張ろうという現場の気持ちを大切にすれば、保護者、マスコミなども応援してくれるし、学校においても、校長と教師の信頼関係があれば、子どもの目が向き、地域全体がついてくるので、信頼関係をぜひつくっていただきたい。
 総合的な学習の時間について、今、大学でそのことについて教えるカリキュラムはなく、何年かかけてようやくノウハウを蓄積している。総合的な学習の時間は非常に重要であり有用であるが、それを教師が教える手だてをみんなで共有する訓練が必要で、教師を同じ水準に引き上げていかなければいけない。
 子どもに物を考えさせて、課題解決させることは教えるよりとても時間がかかり、考える授業をやろうと言いながら時数を減らすのは論理矛盾である。何らかの時間を確保するという手だては必要だと思うが、そもそも社会全体で子どもが考えるようなシステムになっていない。家庭でもお手伝いはしない、家庭学習もしない、本も読まない。与えられるばかりで、考える訓練を受けてない子どもたちが、学校の授業の中だけで考えることはできないので、子どもが幼少のときから考える仕組みの社会的構築が必要であると思う。

委員
 私は戦後教育に不足しているものは、知識教育ではなく人格の教育だと考えている。総合的な学習の時間が生まれたことで、この時間を使いながら、その欠けている部分を補うということは、とても大切ではないか。知識教育のレベルが下がる傾向にあるので、総合的な学習の時間を止める方向で再検討した方が良いという議論には、同調できない。知力も大切だが、体力も大切であり、同時に文化に対する感性も非常に大事である。それを総合的な学習の時間を使って子どもたちの心に教えるということが出来たら素晴らしいと思う。特に日本の伝統文化に対する認識と愛情を子どもたちが持つことが出来れば、民族の歴史に対する誇りにもつながる。
 学力低下は時間割ではなく、教員の質の問題にあるのではないか。東京大学では、大学院レベルで教員の講座を開くということが検討されているそうだ。私の出身校である慶應義塾大学でも、そのような教育システムを考えているようだが、大変結構だと思う。総合的な学習の時間は、民間も協力しながら、じっくりと育てていく事が大事である。
 実は、随分前になるが、私は佐藤内閣時にも中教審の委員をしており、その時、教育関係者といろいろ交流し、文化に対するこの人たちの意識が決して高くはないとしみじみ感じた。そこで東京都の教育委員会に提案して、日生劇場を使いながら子どもたちに無料で劇を観せる仕事をはじめた。これはニッセイ名作劇場と称し、もう四十二年間上演を続けている。今この企画は全国都市にも広がった。各地の教育委員会と協力し、最近は札幌、仙台、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、広島、北九州、福岡などにも展開している。四十二年間でこの仕事を通じ、劇を観た子どもたちは六二〇万人に達している。これらのミュージカルのテーマは、家族愛、友情、連帯、忍耐、自己犠牲などという教育現場ではなかなか教えにくいとされているモラルの教育である。これを感動と共に子どもたちの心にとどけるのである。
 このように私たち民間も大いに教育に協力していきたいと思っている。その意味で官民協力の接点となる時間の新しい展開が総合的な学習ではないかと考えている。

委員
 学習指導要領というのは、まさに文部科学省と現場の教師をつなぐ非常に重要な絆だと思うが、教師の側にやや戸惑いや混乱が見られ、改善をする必要がある。
 教師にも個性があり、能力の差に大きなばらつきがあるわけで、直ちにすべて同じことができるわけではない。この学習指導要領がそういう差を埋めるようなマニュアルであることが非常に重要ではないのか。また、中学校卒業で一人前という社会をもう一度取り戻すべきであり、ものづくり教育や職業観を重視し、ものづくり教育における達成感や、きちんとつくらないと物はできないということや、子どもの個性でいろいろ違ったものができ上がることを実際に学び取ることが必要ではないか。
 資料2-5の基準全体の見直しについて、「私は、知識や技能を詰め込むのではなく、基本的な知識や技能をしっかりと身に付けさせ」とあるが、「詰め込むのではなく」という言い方が少しミスリードになるかもしれないと思う。繰り返しや記憶の重要性を否定するわけではないと思うが、前のものを完全に否定して次に移行していくのではなく、積み上げていくものであり、詰め込むことが何か悪いような言い方は、若干違うと思う。

委員
 総合的な学習の時間について、理念はすばらしいが、目標について十分学校間、教員間で共有されていないのではないか。総合的な学習の時間において、立論力、国語力、英語力、データの分析、科学的な物の考え方という学びの方法を身に付けるには、各教科、科目の力が大前提である。総合的な学習の時間をすればするほど各教科の力が求められるし、逆に各教科の力を充実するほど総合的な学習の時間の学習が進むものである。各学校において、その共通理解をもう一度確認していく必要がある。
 学ぶということは、自分がまだまだ足りない、もっと知りたい、もっと知らない世界を見たいという欲求があるということである。生徒が学ぶということは当然大切だが、そのためには基礎・基本を教え、場合により教え込むということが非常に大切であると思う。
 進路指導について「自己実現」という言葉があるが、自分のしたいようにする、自分のなりたいようになるということにウェートが置かれてしまっている。社会の中で自分が一体何がしたいのか、社会とどう関わっていくのか、人間の幸福な暮らしとの調和や発展をどのようにリンクしていくかを考えさせる進路指導も重要だと思う。また、芸術・文化についても、生徒の理解が伸びる方向で、きっかけや仕掛けを提供していかないといけない。

委員
 教育問題に関して、非常によい取り組みが全国各地で行われている。産業界ではよいなと思うことはチャレンジし進めていくのだが、教育界ではその取り組みが広がらないので、広げる方策を考える必要がある。教育は教育界だけの問題ではなく、民間や産業界など国を挙げて取り組まないといけない問題であり、我々ができることは何かを絶えず考えていく必要がある。
 また、教育界は人的な相互交流がない社会であり、相互理解に欠ける部分がある。例えば教育界と産業界との交流などはもっとできるのではないかと思う。

委員
 現在全国の市長の一番のテーマは三位一体論であり、深刻な悩みであるが、財政論から教育問題を論じては絶対にいけない。三位一体論とは独立した議論が必要であり、三位一体論とは関与しないところで議論をしていただきたい。
 資料2-5の大臣挨拶については、全部なるほどと思うが、中央集権的とも感じられる。もっと地方のポテンシャルをいかに引っ張り出すかということをもう少し考えていただいた方がよいのではないかと思う。国家という言葉が頻繁に出ているが、国をネイションとかカントリーではなく、ランド、山川草木と把握したい。これぞまさしく我々地方のふるさとであり、そこに人を教える、育てる、学ぶという一番のエネルギーと愛情がある。総合的な学習の時間はこの山川草木から湧いてくるエネルギーを教える時間であり、地域の力を引き出すためにも総合的な学習の時間をぜひ発展させていただきたい。
 教育課程実施状況調査の結果がよいとのことだが、これは明らかに総合的な学習の時間や少人数授業や学習指導要領を教える最低基準性の明確化による成果である。これこそ地方分権のすばらしい表現だと思うので、さらにその方針を進化させ、さらに地域の力を引き出す方向で検討をお願いしたい。

委員
 国語力は国語科だけの問題でなく、初等中等教育で行う全教科にわたる非常に重要なポイントであるが、その前提として、自ら本に手を出す子どもを育てるため学校図書館の充実を図るとともに、さらに本に手を伸ばし読書する子どもをつくるため、補助的な立場でなく学校において指導的な立場にある司書教諭の充実が必要であると思う。司書教諭の実態を調査していただきたい。

委員
 各教科の個々の課題を検討することは必要であるが、基礎・基本を積み重ねていくという観点から、幼稚園から小学校、中学校、高等学校という各学校段階を考える系統性という視点を加えていただきたい。
 諸外国の状況について、国立教育政策研究所で諸外国の教科等の構成に関する研究がなされていると聞いているので、資料がほしい。

委員
 現行の学習指導要領の理念や考え方に誤りはないが、実際にねらいが達成されているか、必要な手だては十分講じられているかに課題がある。
 授業時数について、学力低下傾向というだけで授業時数を増やすことに直結してほしくない。学力の問題、また人間力の向上を考えた場合、家庭学習や地域学習とセットに考えるべきである。地域との連携は不可欠であるが、完全に地域や塾任せにしてしまうと格差が出てしまう。公教育は、学校でミニマムのことを行い、その回りに、経済的に十分恵まれていない子でも活用できる準公教育のようなシステムをつくっていくべきで、学校の授業時数の中ですべてを取り込む必要はない。
 また、授業についてここ10数年に起きていたことは、量というより教育方法の変化という質の問題であると思う。教えずにとにかく考えさせ、先生は指導しないで支援することが行き過ぎてしまうという質的な問題が起きている。教えて考えさせるという指導がなされるよう、改善が必要である。
 もう一つは、学習指導要領自体の内容の改訂について、これまでミニマムの内容は学問的視点だけが重視されすぎたのではないか。もっと社会とのつながりを考え、子どもたちにこういうことを学んでほしいという視点がほしい。例えば、仕事や生活に結び付くということで、国語でプレゼンを行うとか論文を書くこと。数学での統計学は、学問体系の中ではあまり重要視されないが、社会的には重要である。また、地動説や進化論は小学校高学年から取り入れると科学館や博物館などのイベントの際、随分参加の仕方、楽しみ方が違う。

委員
 私には小さい子どもがいるが、12歳までの子どもの教育というのは非常に重要だと思っている。犯罪の低年齢化ついて見ていると、小学校卒業までに、もっといろいろなことを考え、自分から幸せをつくれる人間に育てる土台をつくれるかどうかがとても重要であり、お金や人材や愛情を一番かけるときだと思う。今、40人クラスを30人にする議論があるが、さらにアメリカ並みに20人にすることはできないか。また、20人クラスにすると教員の負担も減り、教員数も増えるので、できれば専科を充実してほしい。核家族で数少ない大人を見て育つ中、子どもが多くの大人に触れることができる。今のように1人の先生が1年間指導するのはどうかと思う。

委員
 学力調査で、学力低下の歯止めがかかったことはよいことだが、教育課程の内容を削減したので、本来は正答率が以前より上がるべきものであるので、さらなる努力が必要だと思う。
 また、考える力を伸ばすことは今回の教育課程の大きな目標のはずだが、あまりうまくいってないのではないかと思う。考える力の育成は、一つは体験的な活動を通して言いたいことをつくっていくこと、もう一つはその言いたいことを言葉を通して組み立てていくということからなると思うので、その強化が必要ではないか。
 学校現場での改善について、現在多くの裁量を学校現場に与えつつあるが、裁量を与えるだけでなくサポートを増やしていかなければ、その裁量を十分活用できない。例えば、教員の数、財政、研修の充実や資料提供などをしてほしい。総合的な学習の時間は、その裁量権が非常に大きく、国や自治体から学校現場に対するサポートが非常に少なかったことによりいろいろな問題が生じたように思う。

委員
 私は21世紀は知識基盤社会だと思うが、そこではいわゆる形式知と暗黙知の両方が大事だと思っている。もし日本が現在衰退を招いているとすれば、子どもに限らず、大人たちの暗黙知が衰退していることだと思う。十分な形式知と暗黙知を小さな子どもに与えるために、学校と家庭、地域社会が整合的にそれぞれの教育の責任を果たし、子どもたちに適正な生活習慣を持たせることが不可欠だと思う。子どもたちは学校で形式知を受動的に習う。一方、家庭や地域社会でさまざまな暗黙知を教えてもらい、そこから積極的、能動的に、日本国とは何かということや日本の伝統文化、さらに情緒を学んでいくと思う。
 ところが、現在の日本では学校で習得する内容は学力に偏重している。学習塾というのは、学力向上のためには資するところはあるが、家庭、地域社会との関わりが減少し、失うものも非常に大きい。だから、学習指導要領改訂にあたっては、学習塾への依存度を減らし、家庭や地域社会による教育を促すことを検討すべき。
 学習塾は禁止するか、いわゆる落ちこぼれの子どもたちを少し適正な水準に上げることに留めるべきであると思う。学習塾の存在の功罪や学力教育に対する依存度をどのように考えているかを伺いたい。

事務局
 学習塾に通っている子どもたちの実態を見ると、補充的に行っている場合や進学も含めて発展的に行っている場合などさまざまなバリエーションがある。実態のデータなどを示しながら、委員の方々に議論をしていただきたい。

(5)事務局より今後の検討体制について説明があり、了承された。

(6)事務局より今後の日程について説明があり、閉会となった。

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課教育課程企画室

(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)

-- 登録:平成21年以前 --