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教育課程部会(第7回) 議事録

1.日時

平成15年8月4日(月曜日) 10時~13時

2.場所

如水会館 「スターホール」

3.議題

  1. 初等中等教育の教育課程及び指導の充実・改善方策について

4.出席者

委員

 鳥居会長、木村部会長、赤田委員、阿刀田委員、安彦委員、石川委員、今井委員、小栗委員、梶田委員、加藤委員、國分委員、田村委員、渡久山委員、中許委員、西嶋委員、西村委員、平野委員、船津委員、前田委員、宮委員

文部科学省

 近藤初等中等教育局長、有本生涯学習政策局審議官、金森初等中等教育局審議官、大槻教育課程課長、今里教育課程企画室長
国立教育政策研究所
 月岡教育課程研究センター長、西尾研究開発部長

オブザーバー

 小久保委員

5.議事録

(1)事務局より「審議の中間まとめ(案)」について、資料3から資料6に基づく説明の後、自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○=委員、△=事務局)。

○ 審議の中間まとめは、知識や技能を含めた基礎・基本に加えて、自ら学び自ら考える力を付けさせるために各学校で創意工夫をしてほしいというものと読みとっている。自ら学び自ら考える力を付けるには、待ちの姿勢が教員の側に必要になるので今まで以上に時間がかかり、学校週5日制の中で行うのは難しい状況である。
 高等学校は、小・中学校から指導内容の減った生徒を受け入れ、16年度からは国公立大学が5教科7科目を課すということもあり、その間に挟まれて、特に公立高等学校では苦しい状況にある。東京都の進学指導重点校では受験者が増えていて、保護者や生徒の関心の大きな比重は、まだ上級学校への進学にある。公立・私立に限らず、どの学校でも学校週5日制を弾力的に運用できるような方法を検討していただきたい。
 夏季休業中は高校生にとって、学校行事や部活動などを通して[生きる力]を付ける重要な期間であり、授業時数の不足のために、休みを削って授業をやればよいということではないと考える。
 学校の形態や施設設備によって学校格差が生じないような、また学校外の教育機関へ行くことが必然とならないような施策をお願いしたい。

○ [生きる力]というときに、審議の中間まとめでは、職業観やものづくり教育の重要性についてどのように考えているか。また、[生きる力]は知識だけではなく、食事や運動、遊びなどの授業時間以外の時間の過ごし方が問題になると思うが、何らかの視点があるか。
 また、教員の日ごろのコミュニケーションといった問題を大事にしてほしい。他校との情報交換などについても、学校現場での話し合いや協議がなければうまくいかない。そのときに大切なことは、最終決定権を誰が持っていて、どこまで責任と役割があるかを、明確にすることである。例えば、10ページの「必要な学習指導時間の確保」については、誰に最終決定権があるのか。

△ 職業観については、審議の中間まとめの4ページに記述している。今回の主な検討事項ではないため簡単な触れ方になっているが、文部科学省では調査研究協力者会議を設けて、職業観等の育成について検討を行っている。
 「必要な学習指導時間の確保」については、学校長に教育課程の編成の権限と責任があり、ご指摘のように、各教員の共通理解がなければ有効に機能しない。よって、学校長のリーダーシップの下に、全教員が目的意識を一つにして取組、そのために必要な支援を教育委員会や文部科学省が行うということで、まとめていただいている。

○ 企業の立場から言うと、子どもたちの職業観、勤労観が希薄になっているのは、子どもたちが自分とは何だろうかということを悩みながらでもつかめていなく、仕事のことも知らないからである。学校では就業体験など様々な試みを行っているが、自分と職業との結びつきができていない。
 企業では結果としての学力より、学びたい、勉強したい人が欲しい。その土台として[健康・体力]が必要である。[確かな学力]とは、確かな学ぼうとする力と考える。

○ 職業観は大事であり、それとともに生き方、在り方、私の言葉では「我の世界を生きる力」も必要である。
 審議の中間まとめは大事なことをたくさん書き過ぎである。学校教育法や地教行法(地方教育行政の組織及び運営に関する法律)が改正され、教育委員会や学校の責任が明確になったが、これを前提に考えると、国のレベルでこれだけ「~が必要である」と言うのがよいのかどうか。「~が必要である」と書くと、制度上そうではないのに各教育委員会では全てやらなくてはいけないと思い、少ない人数と予算での事業化に追われている。「~が考えられる」や「~が望ましい」にしてほしい。すべて国が、行政指導で一定の枠をはめているという印象で受け取られないようにしてほしい。
 各地の教育委員会の方は、最近の教育改革については理解していて取組への意欲もみられるが、この数年間は教育委員会や学校は疲労困憊している。語尾を、例えば、「各学校や各教育委員会の実情においてもし必要と考えるならば、こういうようなことがあります」という書き方にしてほしい。

○ 審議の中間まとめについて全体的に感じることは、小・中・高等学校という学校種の違いへの配慮はどのようにしているのか。高等学校と小学校では、指導時間の確保の問題についても相当違いがあるし、[生きる力]にしても小・中・高等学校の児童生徒それぞれに違いがあると思う。
 また、16ページに「保護者や地域の関係者等から成る学校サポート(学校協力)委員会などの推進体制を整備することも考えられる」とあるが、この整備の主体はどこか。明確にしておかないと、学校は非常にまじめなため、学校が何とかしなくてはいけないと思いがちなので、その辺を考えていただきたい。

○ 4ページで、[生きる力]を子どもと社会とのかかわりに関連して規定していることは良いが、「その際、子どもたちと実社会とのかかわりという観点から」の後に、「勤労観、職業観の育成も重要である」とつながるのは唐突である。その間の論理的な過程として、子どもたちが社会の仕組みと個人とのかかわりを理解するということを記述すべきである。
 [生きる力]とは実社会を主体的に生きていく力であるとして、資料6の[生きる力]の中に、「社会的適応力」を位置づけてはどうか。
 自ら学び自ら考える力をつけるには時間がかかるとの話があったが、子どもたちには思考力、判断力、創造力、問題解決能力といった力は既に身に付いており、これをどう引き出すかが問題で、現場の教員の工夫にかかっている。一人一人が工夫をして、回りに影響を与えていくのが改革の本質である。

○ 審議の中間まとめの前文には、[確かな学力]という言葉が出てこないので、補強してはどうか。また、前文の最後に「新学習指導要領の実施状況を不断に検証し、必要に応じて教育課程の基準全体の見直しについて検討していくこと」という記述があるが、本文の最後の「新学習指導要領の趣旨やねらいについての継続的かつ積極的な周知」のところにも、同様の趣旨のことを入れた方が良い。
 授業時数を確保しつつ、様々な会議もあるので、学校現場ではどういう形で時間をつくっていくかが大変である。記述のある、教育の日、学校公開週間、また、総合的な学習の時間には、準備に非常に時間がかかる。学校現場では、プラスしてまた何かやりなさいという受け止め方があるので、学校行事等を含めて精選していかないと、学校がうまく行かない。子どもたちが夢やロマンを持てる楽しい学校づくりを、教育課程全体の中でフォローできるようにしてもらいたい。
 入試と学習指導要領の「基準性」の関係については、今の学習指導要領を基準とした出題範囲とするのか、発展的な部分の出題もあるのかは問題となり、大学入試ではこの点についてある程度ガイドラインのようなものを作ることについて今後検討していただきたい。

○ 現場は、総合的な学習の時間について、設備、教員定数のことで苦労していて、その取組も一番遅れている。個に応じた指導は、教員定数の面でも措置があり現場に浸透しつつあるが、総合的な学習の時間はほとんどフォローがない。総合的な学習の時間の面からも教員定数をと言ってもらえるとありがたい。

○ [生きる力]をはぐくむ基本の一つとして、目上の人の話を聞くということを入れてほしい。60代以上の方々は心身ともに抵抗力や免疫力があるが、今の子どもたちにはあまりない。人と比較されることに弱かったり、対人関係で思ったとおりにならないとショックを受けたり、キレたりする。また、自然とのかかわりも不足している。今は低いハードルさえ乗り越える力を持っていない若い人や子どもたちが多いが、ちょっとした悔しさを乗り越えられたときの達成感が人を強くしたり、その積み重ねが[生きる力]を付けさせて、やる気をわき起こさせるのではないか。
 よって、心身ともに基礎体力を付けるために、先人の知恵を学んだり、人生の大先輩の話を聞く場を子どもたちに設けることが必要ではないか。このような点を「保護者や地域住民等との連携・協力」の中に入れてほしい。

○ [確かな学力]の核となっている基礎・基本は大切であるが、今の子どもたちには応用力や柔軟性が欠けている。問題解決能力などに含まれるかもしれないが、その時々に応じた柔軟な思考、周りの状況を見て応用ができる判断といった応用力や柔軟性を[確かな学力]に含めてほしい。
 また、コミュニティの活用については、学校現場の方が地域の社会資源をあまり知らないのではないか。そうした情報が伝わっていないかったり、伝わっていてもコミュニティの活用が上手ではない。よって、コミュニティを上手に活用しているようなモデルケースを情報提供するとよい。
 企業の側から見ると、教育の効果、効率という視点がもっと入っていいのではないか。学校での時間のやりくりは大変だと思うが、何が一番大切なのかといった優先順位付けをマネジメントとして実行していくという仕組みがない限りは、時間が足りないという形での対応になってしまう。

○ 配慮がなされた審議の中間まとめだと思うが、何から手を付けていいのか、どうやって決めていくのかなど、学校としては難しい課題を与えられたとの印象である。
 また、2ページに「教育課程の内外を問わずその教育活動全体を通じてはぐくむことは重要である」という記述については、自分の発言の趣旨は、教育課程の内外の様々な仕事を精査して、スクラップ・アンド・ビルドの中で、必要な仕事を組み立てる必要がある、ということであった。

○ 総合的な学習の時間の実施上の課題として、11ページに、「学校において具体的な『目標』や『内容』を明確に設定せずに活動を実施し」という記述があり、現実の問題として現れてきているが、総合的な学習の時間を教育課程審議会で議論した時は、学習指導要領には具体的な目標や内容をあえて示さないことにしたが、その後、何か具体的な基準をつくっているか。

△ 総合的な学習の時間については、国が目標や内容の基準を示してはいないが、小・中・高等学校の事例集を出している。

○ 総合的な学習の時間は、他の教科と違って蓄積がない分野であり、各学校が事例集を参考に、具体的な形で検討すると思うので、事例集の一層の充実をお願いしたい。
 前回、学力とは何かについて共通のルールがないから議論がかみ合わない。「基準性」についても同じことではないかと言ったが、少なくとも新学習指導要領における学力と限定すればかなり明確になり、今回の文章はその意味で随分整理されてきている。
 資料5は初めて見た人には難しい感じがすると思うので、正確さを犠牲にしてもポイントだけにするなど、もう一工夫をしてほしい。

○ 11ページに、「学校において具体的な『目標』や『内容』を明確に設定せずに活動を実施し、必要な力が児童生徒に身に付いたか否かの検証・評価が十分行われていない実態」という記述があるが、プラン・ドゥ・チェック、マネジメントなど改善の基本的なことを押さえ始めたと理解しており、これで良い
 また、資料6に「学ぶ意欲」があるが、関心や感性といったものがないと学び得ないと思うので、そういうものも必要である。

○ 資料6の[確かな学力]、[豊かな人間性]、[健康・体力]をもう一歩具体化、実施化する中で、例えば「他人を思いやる心」や「感動する心」をどうやって導いていくか。ストレスをある程度かけて、そのストレスに反発する中から、思いやる心や協調性が出てくる部分もあると思う。ある程度お仕着せというようなものが加わることによって体力もでき、学力も確かなものになる。一方的に押しつけて暗記だけでクリエイティブな学力ができるわけではないが、逆に九九を覚えさせないと発展的な力も出てこない。
 よって、子どもたちに一定のストレスを与えていく方向も考えていただきたい。具体的に制度として嫌なこともやらせる、嫌いなものも食べさせるといったことである。やり過ぎたら逆効果が大きいので、そのバランスが大事であるが、どうも自由度を高める方向にだけ振れているのではないかという印象を持っている。

○ 勉強には、苦しみを通して何かをつかみ、それで本当の喜びを得るという面もある。心理学の世界では、ストレスばかりではいけないが、ストレスも必要であることが実証的に明らかである。頑張るというのは一つのストレスで、「頑張れ」と自分自身に言い聞かせる力、あるいは自分自身に「ここは無理してでもやり遂げろ」という力を育てないと、本当の[生きる力]にならない。心理学では「コーピング(対処性)」といって、90年代のイギリスとアメリカでは盛んにその必要性が言われた。
 教育には子どもの自主性・自発性を大事にして好きなことをさせる面と、しんどいがこれをやったら後で面白くなるよというストレスをかけていく面の両方が必要である。

○ [生きる力]の中に[確かな学力]があるが、社会で役立つ知識を身に付けて、よい会社に入り、いい仕事をするような印象を受ける。[生きる力]とは、職業としての力に直結するものではなく、生きる喜びという面もあると思う。音楽や絵画の授業は、専門家をつくろうということではなく、生きる喜びを教えるということを受け持っている。今回の中間まとめでは、そこのところが有意の人材の育成という面を強く打ち出しているように思う。
 審議の中間まとめは、少しネジが緩んできた日本の教育に対して、少しはシャンとした普通の意味での正当な教育に戻そうという意図もあってのことか。

○ [生きる力]については、平成8年の中央教育審議会で初めて打ち出され、国に役立つ人材をつくるためのということだけではなく、21世紀を控えて、不透明な時代を子どもたちがきちんと生きていけるようにということで定義している。

○ 今回の中間まとめには、学校と社会教育の連携のことも多く盛り込まれ、社会教育に携わる者として喜んでいる。学校週5日制の実施に当たっては、学校だけではなく、家庭、地域社会の三者で子どもの教育を担うということで、青少年団体、少年少女団体も準備していた。ところが、学力低下論や私立学校の6日制への移行により、また学校だけに教育を押し返すような流れになっているが、もっと家庭や地域社会は頑張らなければいけない。学校週5日制の堅持が打ち出されると、社会教育団体も意気が上がり、ありがたい。

○ 学校だけで何らかの取組をするというだけではうまく行かないということが前提にある。学校が今まで何もかも抱え込んで学校だけが責任が負う、教育のことは学校だという誤った理解がむしろ子どもを不幸にしてきた。学校週5日制の堅持について言われたが、審議の中間まとめの最後に、学校週5日制の本来の趣旨である学校、家庭、地域社会の連携・協力を打ち出している。
 審議の中間まとめの骨子に、[確かな学力]の定義があるが、本文と同じように「知識や技能に加えて」という文言を入れる必要がある。

○ 子どもたちが楽しいと思って学校に来ているかどうかをきちんと見ていく必要がある。学校に来ていることが、自分の人生に役立つという実感を持たせているかどうかが問題で、その部分が欠落してただストレスを与えたら、学校から逃げて行くだけだろう。今の子どもたちは私たちが小さい時には知らなかったような世界を経験しており、大きく揺らいでいる社会の中で働いている両親の下で教育されているので、ストレスだけで解決するというのは、無理な話ではないかと現場にいて感じる。
 [生きる力]ということが言われ出した時期は、まさにその辺の矛盾が表に出てきた時期である。よって、子ども自身が納得して、これは意味があるのだと思わせる手だてが必要である。その点の工夫が総合的な学習の時間の創設に結びついたのだが、総合的な学習の時間は意味があると考えている現場の教員が少ない。これで本当に学校という制度が続くのだろうかという気がする。
 高校生で、ちゃんと受験をして大学へ行っているのは2、3割で、その他の7、8割の生徒に、どのような楽しさ、どのような面白さ、学校へ来ることの意味を理解させるかが大事である。
 30代で引きこもりが増えているが、生きていることの意味、生きていることは楽しいということを伝えていくことが大事で、その重要な場所が学校である。ストレスを与えた方がいい子もいるし、そうでない子もいるということを考えなくてはいけない。

○ 規制的なものから自由、個性への流れの中で、たくましさや我慢する力など画一の部分も大事であるということも言おうという思いを多くの委員が持っていると思うので、審議の中間まとめは、そこのところをもう少しはっきり記述した方がよい。
 学校が忙しいのは、改革を重ねているときに、これまでのことを否定しないで、どんどん増やしているからである。よって、やらなければいけないこと、やった方がよいこと、選択してやっていいことなどを明確に記述する必要がある。そして、その中で誰が決定するかも明らかにする必要がある。
 十人十色、千差万別の能力を持った教員が教育に携わっているので、画一的にできないことはよく分かるが、教員は社会から一般常識がないと見られている面もあるので、このまとめではなく他でもよいので、求められる教師の資質というものに視点を当てた書きぶりが欲しい。

○ 多くの子どもたちから、「つらいこと(考えること)がこんなに楽しいこととは思わなかった」という意見をもらったことがあり、あとは教員がそれをどう引き出すかだと思う。
 審議の中間まとめの全体を通じて、事例集をつくるということが目立つが、事例集はあくまでもオプションで、事例集を参考にする前提として、学校が何を軸として教育するのかということをしっかり考えることが大事で、その点を付記して欲しい。そうしないと、面白そうなものだけを表面的、部分的に取り入れるいう現象が起きる。

○ 大学入試の話があったが、現在の日本の大学入試は、大学が高等学校までの教育記録をほとんど無視して行っており、異常な姿にある。国立大学は、来年度から独立行政法人化されるが、教育についても評価が行われ、アドミッション・ポリシーに従った学生が採れているかということも点検される。よって、大学側も高等学校までの教育記録を参照するなど、大学入試は相当変わるのではないかと考えている。
 また、ストレスについての議論があったが、日本はどちらかというと楽なほうへ、楽なほうへ行っているのではないかと感じる。イギリスやアメリカでは、大変厳しい教育をしている学校が一部に残っているが、日本ではどこにも無くなってしまったのが問題ではないかと考える。

○ 前文の最初の2行は、正確に言うと「包括的な諮問が行われ、これを受け、中央教育審議会は初等中等教育について多角的に検討している」ということであり、まずはこのことを国民や小・中・高等学校の教員に知っていただく必要がある。続けて「その中で、本部会では『初等中等教育の教育課程及び指導の充実・改善方策について』の審議を行っている」として、中央教育審議会全体の審議の中での教育課程部会の審議の位置づけを明確にするべきである。

(2)「審議の中間まとめ(案)」については、委員の意見を踏まえて修正し、修正の内容は部会長一任とすることで了承され、内容を確定した上で、国民からの意見募集及び初等中等教育分科会、総会へ報告することになった。

(3)事務局より今後の日程について説明があり、閉会となった。

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課教育課程企画室

(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)

-- 登録:平成21年以前 --