資料2 教員養成部会(第44回)議事要旨(案)

1.日時

 平成18年6月16日(金曜日) 10時~12時15分

2.場所

 ホテルグランドアーク半蔵門 3階 「華」

3.出席者

 梶田部会長、安彦委員、大橋委員、大南委員、小原委員、門川委員、川並委員、高倉委員、田村委員、角田委員、渡久山委員、永井委員、西嶋委員、野村委員、平出委員、八尾坂委員、山極委員、山﨑委員、横須賀委員、鷲山委員、渡辺委員

文部科学省関係者

 銭谷初等中等教育局長、板東審議官、山中審議官、布村審議官、徳永審議官、戸渡教職員課長、浅田専門教育課長、勝野視学官 他

4.議事

 (1)教職大学院における実務家教員の在り方の検討に当たって

 主査の横須賀委員から、資料3に基づき検討状況の報告があった。

 (2)今後の教員養成・免許制度の在り方について

 答申(素案)に基づき、論点ごとに討議が行われた。主な発言は以下のとおり。

委員
 答申素案では、教職の専門職性を強く打ち出している一方、社会の動きの中では、教員給与は特別扱いをしないという流れもある。中教審で専門職性を高めることを主張し、それに従って教員が一生懸命取り組んでも、それが評価されない体系では、教員になろうとする者が出てくるのか心配である。普通の者が教員になるという形でいくのか、教職は専門職なので、強固に訓練して信頼を高める形でいくのか、それらを今の社会の流れと照らし合わせてどのように考えれば良いのか。

委員
 政府部内の別のところでは、教員には専門職性はないと言っているところもあり、一般人を教壇に立たせれば良い教育が行えるという趣旨の答申が出されたりもしているが、本部会では一貫して、教員は専門職であると打ち出してきている。この辺りの打ち出し方が弱いのであれば、「1.教員養成・免許制度の改革の基本的な考え方」の中で、もう少しきちんと示しておかなければならない。例えば、二次方程式や古文を理解できることと、理解できるように子どもを指導することとは違う話であり、誤解があると思われるので、この辺りのニュアンスを工夫する必要がある。

事務局
 通常国会で行政改革推進法が成立し、教職員については、総人件費改革を進める二つの内容が含まれている。一つは、教職員定数について、今後5年間で子どもの減少に伴う教職員の自然減数を上回る数の減少を図ることが内容として含まれているが、実際の運用では、自然減数を上回る部分については、国庫負担対象外の用務員や給食調理員等の削減で対応すると思われる。もう一つは、教職員給与について、人材確保法の廃止を含む見直しを行い、平成18年度中に今後の給与の在り方について結論を出し、平成20年春までに所要の制度改正を行うという内容が含まれているが、この点についても、国会審議の中で、大臣等から人材確保法の精神は維持すると申し上げている。文部科学省の基本的な考え方としては、教職員の専門性を考えた場合に、一般公務員に比べて教職員の給与を優遇するという現れ方になっているので、これは今後も必要だと思っている。教職員の給与については、その専門性に照らして、他の一般公務員とは異なる給与の在り方があるはずで、それについては、優遇幅の問題と併せて、今年1年をかけてきちんと検討を行い、結論を出そうとしている。教職員に対して専門性を求める点は変わらない。

委員
 p.55の「教員に対する信頼の確立に向けて」の中で、教員の使命や専門職性についてのイメージを刷新すると書いてあるが、世の中に理解してもらう努力をしなければならないので、もう少し表現を強めた方が良いのではないか。

委員
 文部科学省や地方の首長が善意であっても、総人件費や人員削減の問題など、社会情勢は厳しい。過去に人材確保法を制定し、教員を優遇したことは良かったが、それが揺らぎかねない状態なので、これからも人材確保法を維持し、その趣旨を活かして、専門性を高め、給与の相対的な優遇をしていくことを答申案に書き込んではどうか。

委員
 p.5の4で、教職に対する情熱や使命感の低下が記載されている一方、5では、多忙感を抱いたり、ストレスを感じる者が少なくないことが記載されている。揺るぎない信頼を得るには、それにふさわしい優遇が必要である。フィンランドで優秀な教育ができているのは、教員の学歴もあるが、教員の優遇措置が十分になされているからであるので、十分な配慮が必要である。通常国会で、町村元大臣が、OECDが行った各国のGDPに対する教育支出を比較して、「日本は教育小国である」と発言されたように、教育行政関係者や国会議員の一部から、教育に対する予算が少ないという指摘がなされているが、教員や教育に係る予算を削る動きが出ていることは残念である。教員に対する優遇も大事だが、少人数学級や少人数指導など、教育効果を上げるための条件整備が大事である。p.18に、「各地域において実習生を円滑に受け入れていく仕組みづくりを検討することが必要」とあるが、指導教員の負担だけでなく、教育行政側の負担として、ある程度の財政措置を行わなければ厳しいのではないか。実習生の受け入れは義務ではないが、義理と人情で母校実習が行われている。母校実習を原則行わないということになれば、実習ができなくなる可能性もあるので、心配である。p.20に、「最終的に教職課程の認定の取り消し等の措置を可能とするような仕組みを整備することが必要」とされているが、養成段階できちんとした対応をすることが、教員の信頼回復の一つになるので、ぜひお願いしたい。

委員
 教職実践演習(仮称)は大事な科目なので、2単位とするのは良いが、前回、総単位数を増やすという議論があったので、その後、関係者等と意見交換したところ、人員的にも財政的にも負担が大きい。教員養成系大学では外部資金を獲得できないため、効率化や総人件費抑制については人員削減で対応していくしかない。p.16に、「総合的に考慮しつつ、今後、検討することが必要」とあるので納得したが、このような状況にあることは認識してもらいたい。

委員
 教職実践演習(仮称)を2単位とすることは合意していると思われるが、総単位数の内枠にするか外枠にするかは、もう少し検討しなければならないとしている。

委員
 総単位数を増やすかどうかについては、平成9年の教養審第一次答申時に議論があり、教員養成大学・学部関係者は総単位数の増加に肯定的だったが、私立大学は開放制の原則を根本から揺るがすものとして否定的だった。しかし、開放制の原則は、安易な教員養成の代名詞とされることもあったので、教員に対する揺るぎない信頼を確立することを考えれば、総単位数の問題について積極的に検討してもらいたい。p.16の3つ目の○は、配慮が行き届いた表現であるが、開放制の原則に引きずられて、安易な教員養成を是認するような方向は避けるスタンスが必要ではないか。

委員
 開放制の原則とは、教員養成を師範学校に固定せず、課程認定を受けた大学であればどの大学でも教員養成ができるというものであるが、安易に教員になれ、責任はどこも負わないという間違った理解に流されがちだった。この答申素案では、開放制の原則は堅持するものの、大学が責任を持って教員を養成しなければならないとし、教育実習も含めて、教職課程の一層の充実を謳っている。それらを評価し、必要ならば課程認定の取り消しまでを含む措置の取れる仕組みをつくらなければ、開放制の原則の名の下に、安易で無責任な教員養成が横行するのではないかという危機感が、共通認識としてあったのだろうから、1.の基本的な考え方の中で強く指摘しておいた方が良ければ、事務局で表現を工夫してもらいたい。

委員
 p.17の最後の○について、母校実習は良くなく、体制をきちんとつくり、教育実習を充実していかなければならないが、例えば、京都市では、小・中学生が10万人余りなのに対して、大学生が14万人もおり、多くの学生がボランティアで学校に入ってくれているのはありがたいものの、大学が集中している都市では、子どもよりも学生の方が多いとなりかねない。母校に実習に行き、郷里の教育に触れて教育実習を受けること自体は良いことなので、否定されるべきものではない。そうでなければ、過疎地で教員志望者が減っていくことにもなりかねないので、大学と教育委員会、学校のきちんとした連携の下、教育実習を体系的に受け入れていくという表現が良いのではないか。

委員
 母校実習が良くない理由として、評価の客観性の問題が挙げられているが、大学が学校に頼りきり、教育実習に責任を持たなくなってしまうところに問題があるのではないか。今、大学は、インターンシップに力を入れているが、教育実習は典型的なインターンシップであるので、大学自身もインターンシップの一環として、同じシステムを使いながら、教育実習ができる仕組みづくりに取り組んでいく必要がある。母校実習の良し悪しの問題ではなく、大学側の教育実習の在り方をより強調すべきで、母校実習を避けることが強調されてしまうと、方法論だけに終わるのではないか。

委員
 評価の客観性の問題だけではないので、この部分を残すとすれば、「実習内容・実習体制が安易なものになる恐れがある」など、書き加えた方が良いかもしれない。基本的には、教育委員会との連携の下で実習計画をきちんとつくって取り組まなければ、教育実習にはならない。

委員
 教員免許の概念について、どこかに入れなければならないのではないかと、ワーキンググループや本部会でも意見が出されていたので、それが素案の中にちりばめられている。平成14年答申では、免許状は大学で教科や教職に関する科目の所要単位を修得した者に対して授与されるもので、授与時に教員としての適格性を判断していないため、更新時に適格性を判断する仕組みは制度上取り得ず、更新を可能とするには、授与時に適格性を判断する仕組みを導入するというような免許制度自体を改正することが前提となるので、更新制は慎重にならざるを得ないとなった。今回は、恒常的に変化する教員としての必要な資質能力を担保するものとして、学部の教員養成改革を行った上で、更新制の導入を謳ったので、教員免許の目的や意義といった概念を追求すべきとの議論があった。

委員
 p.9の2の2段落目を最初に書いて、その後に1段落目を続けることも必要かもしれない。p.8の枠内に、「2.教員免許状を、教職生活の全体を通じて、教員として最小限必要な資質能力を確実に保証するものへ」とあるが、「教員として最小限必要な資質能力を保証する教員免許状の授与及び更新の仕組みを」などというように、表現の工夫を検討してもらいたい。

委員
 p.17の下から2つ目の○は、大事なことなので内容自体に異論はないが、既に多くの国公私立大学では、事前指導を行い、必要な単位を履修させ、大学によっては学習ボランティア等の経験を前提条件にしながら実習に送り出している。大学の努力があるのに、この部分だけを読むと、これまでそのようなことはなかったと誤解され、課程認定大学に対する信頼が揺らいでしまうので、自主的な努力をさらに広げて励ますような記述にしてもらいたい。

委員
 中・高校の教員免許状を取得する場合の教育実習と、小学校や幼稚園の教員免許状を取得する場合の教育実習では、事前・事後指導や授業内容の指導が異なるが、その点が素案には何も触れられていないので、幼稚園、小学校、中・高校と区別する必要があるのではないか。自分の大学の小学校教員を目指す学生の出身県は30県くらいにまたがっており、特に女性の場合は、親元から通わせるのが望ましいということから、ほとんどの場合、地元で教員採用試験を受けるため、自分の母校の恩師や校長、実家の両親の関係を通じて実習校を探してもらう以外に方法がない。諸外国では、教育実習期間が長い国が多いと聞いているが、教育実習を重視するのであれば、幼稚園、小学校、中・高校の教育実習の期間についても、将来的には考えていく必要があるのではないか。附属小学校に採用された教員を見ても、不安で最初からクラス担任を持たせられないので、ある程度の期間で教育実習を行うなど、配慮をしていく必要があるのではないか。

委員
 答申素案では、幼・小・中・高を包括して論じているが、幼稚園では保育士資格との関連付け、小学校では思春期の発達が早まっていることから、小中一貫教育など小学校高学年の扱いの変更など、免許状の内容と関係する課題がいくつか出ているので、答申後において、提起された課題を検討していきたい。

委員
 教育実習の問題とペーパーティーチャーの問題は絡んでいるのではないか。実習生の受け入れを渋る学校が多くあるが、それは大学に責任があり、きちんと事前指導を行わないからであると言われている。ある中学校では、5人の実習生を受け入れたが、全員が当分の間は教員になるつもりはなく、その年の採用試験も受けないということがあって、忙しい時になぜそのような学生を受け入れなければならず、大学もそのような学生を送り出したのかと、大学教員が校長に呼ばれたこともあったが、大学は、免許を取得したいという学生の気持ちを無視できないので、その辺りをどうするべきか。教育委員会から一定人数以上は実習生を受け入れないとされた場合、附属学校があれば良いが、特に小学校では附属校を持っている大学は少ないので、断られた学生をどこで受け入れるのか考えなければならないので、p.18にある教育実習連絡協議会の仕組みをきちんと検討する必要があり、この部分は強調してもらいたい。ペーパーティーチャーが多いことよりも、教員免許を取得して教員になれる者の割合が3分の1以下であることが問題なのではないか。

委員
 今回の答申素案は、これまでの中教審の答申を踏襲しながらも、良い改革案が出ているので、自信を持って進めていきたいという気持ちが湧いてくる。答申が出されると、今後、教員養成・免許制度に関わる多くの者が答申に従って行動を始めることとなるが、課程認定大学の実地視察の際、これまでの答申に基づく制度改正に伴う取り組みを行っているのかも触れるので、国や中教審が過去から継続して今回の答申素案にある内容を取り組んでいるんだという証として、最後に付録として過去の答申のタイトルを載せておいてもらいたい。教育実習連絡協議会は、おそらく各都道府県にある国立の教員養成大学・学部と教育委員会の間で設けられているが、今回、私学も含めて示されているので、ぜひ行ってもらいたい。この協議会は、福祉体験が義務付けられた際、各都道府県の社会福祉協議会に依頼して、人の配置等を決めてもらったが、これと同じようなやり方になるのではないか。教養審第一次答申でも触れていたと思うが、拠点となる実習協力校をきちんとつくり、そこにしかるべき指導教員を1~2名を配置するということも考えていかなければならないし、場合によっては、拠点となる協力校を各都道府県教育委員会が設置するなど、教職大学院における教育実習も考えれば、ますます必要ではないか。

委員
 p.17の下から1つ目の○について、現在、いくつかの大学では1~3年の間に体系的な事前実習が行われており、これからはどの大学でも、できる限り体系的な事前指導を行ってもらいたいので、「体系的」という表現を入れた方が良いのではないか。p.18の教育実習連絡協議会について、これまでは、課程認定大学間の連絡協議会のような感じであり、教育委員会や私立学校が入る余地がなかった。県によって違いがあるのだろうが、これまでの課程認定大学間や国立の教員養成大学・学部と教育委員会のものだけでなく、私立学校など他の関係者も連携・協力して行うような表現でも良いのではないか。初任者研修に拠点校方式があるが、実習についても拠点校など、何らかの財政的裏付けのある中で、プロフェッショナル・ディベロップメント・スクールのようなモデル的な学校があっても良いのではないか。

委員
 教育実習について厳しく対応していくことで、実習生の総量規制をしなければならないということがこれまで出てきていると思われる。責任ある実習体制をつくるためには、教育実習連絡協議会を設置することも必要だし、教育委員会の全面的な支援がなければならないと実感している。その上で、人的・財政的支援を多く割り当て、実習をきちんと行ってもらえる学校がつくられる方向で検討していかなければならないのではないか。教職大学院で連携協力校をつくる動きが、一つの足がかりになると思われる。普通の実習ではないインターンシップについて、初めは嫌がる向きがあったが、理解してもらえると受け入れてもらえる。実習校側にどのようなプラス効果があるのかが見えてこなければ、時間やエネルギー、人員をサービスとして持ち出し、実習を引き受けてもらうのは難しいので、もう少し議論を行い、責任ある体系的な実習の在り方をつくっていかなければならない。

委員
 教員の資質を上げ、専門性をより高めていく意味で、教職大学院制度の創設は意義があり、これが刺激となり、既存の教員養成系大学がそのような形で改革されていくことに期待したい。学校現場の中核的・指導的な教員が対象になっているが、今の現場の状況では、2~3年間職場を離れて研修をするのは厳しく、研修から戻っても戻るべき職場がないということもあるので、教職大学院制度の創設とセットで研修定員枠をつくるべきで、それくらいのことをしなければ、教員の質は向上しない。修了者に対する優遇について一定程度書かれているので、その方向で取り組んでもらいたい。今回の改革案を魂のあるものにしていくためには、教職大学院に現職教員が入ってくることが必要なので、条件整備を行ってもらいたい。

委員
 教員を2年間大学院で研修させるための定数を国は持っているが、約2,000人の研修定数のうち、実際に都道府県教育委員会から申請されて定数を使っているのが約1,100人となっている。都道府県の財政事情によるところが大きいが、都道府県が研修に予算を割いて、教員を研修に出してもらえるよう、PRしていかなければならない。兵庫県には兵庫教育大学の2年間のマスターコースに100名ほど教員を派遣してもらっているが、大阪府は数年前から0名となった。知事は理解を示しているが、財務当局に理解してもらえていない。国がせっかく研修等定数を措置しているのに使い切れていない実情があるので、この定数枠を使いやすくするためにはどうすれば良いか、検討しなければならない。教職大学院を設置するとすれば、それに対するバックアップの仕組みが必要であり、どのようにすれば都道府県や市町村が教員を送り出してくれるのかも検討しなければならない。

委員
 これまで、大学や大学院における研修と教育委員会における長期研修が分かれていて、制度上も質の上でも分かれていたところに問題があり、それを克服するために教職大学院を創設しようとしている。宮城県で言えば、教育研修センターにおける長期研修については、現在、20~30人の定数が確保されているが、これとは別に教職大学院が位置付けられるならば設置しない方が良く、大学と教育委員会の両者が協力できる形になった時に教職大学院の意味が出てくるので、それを支える条件整備が必要である。これまでのように、大学に行きやすくするだけでは意味がないのではないか。

委員
 教職大学院制度を専門職大学院の枠組みの中でつくっていくだけでなく、それを教育界全体の共有財産としてうまく機能させるにはどのようにしたら良いかという問題もある。

委員
 p.25に「スクールリーダー」の定義があるが、現在、小・中学校で特別支援教育コーディネーターを指名して、その活動が開始されているが、教職大学院でこのコーディネーターをコーディネートするスーパーコーディネーターを養成してもらいたいので、この定義の中に含めて検討してもらいたい。将来、幼稚園から高等学校まで、全ての学校で特別支援教育コーディネーターの指名が行われると思われるが、それらの者が自校の中でどのような支援体制をつくっていくのか悩むと思われるため、それらの者の仕事をサポートするスーパーコーディネーターを養成して、支えていくシステムが必要であり、その役割を教職大学院に担ってもらえると、大きな力になるのではないか。

委員
 更新制の対象者について、現に教員となっている者、特に1条校の教員と、ぺーパーティーチャーに二分されているのではないか。実際には、塾など教育関係の職に就いている者で教員免許を保持し続けたいという者は多くいるだろうし、ぺーパーティーチャーの中にもいるはずであり、それらの者は更新講習の対象になるので、それらの者へ配慮した表現にした方が混乱しないのではないか。

委員
 素案では、現職教員とペーパーティーチャーしか示されていないが、現職教員と学校外で教育関連の職業に就いている者、ペーパーティーチャーというように書き込んでおいた方が良いかもしれない。

委員
 p.40の上から3つ目の○の内容は大事であるので、この内容を強調する形で冒頭に置くなどの配慮をお願いしたい。今回の更新制では、リニューアルという考え方が大事であり、平成14年答申で検討した更新制とは異なっている。日本の教員全体の資質が低下しているから色々な問題が起きて、信頼性が揺らいでいるのではなく、大きな時代的・社会的な状況変化の中で、子どもや保護者の意識の変化があり、それに十分対応できていないことが問題となっている。若い教員だけでなく、キャリアを積んだ教員も、これまで蓄積してきた経験等がそのまま適用できなくなっており、そのような時代の中でもがいているという基本的な認識が大事である。単純に資質が低下しているから、そのような者を排除していく更新制ではなく、時代に合った形でリニューアルしていくためのシステムが導入されようとしている。現職教員にも適用となっているが、この部分の論理が大事なので、p.38の枠内にこの部分の内容がはっきり示されるような書き方に強調してもらいたい。p.5の4について、色々な問題を起こす教員がいるからという書き方で、指導力不足教員という表現が強調されているが、現在、問題になっているのは、大きな社会状況の変化の中で、子どもの変化や保護者の意識の変化に十分に対応が追いついていかない中で、色々な批判等も起こっており、それに対応する仕組みを今回検討したということが大事なのではないか。

委員
 答申素案では、現在、教員に問題があるから抜本的に検討しようという意味では書いていないが、現実問題として教員に対する信頼は揺らいでいるので、その外側からのイメージについて、どのように対応するかは書いておかなければならない。人材確保法を廃止しようという動きがあったり、免許を持たない者を教壇に立たせた方が良い教育ができるという規制改革・民間開放推進会議の報告が出されている状況を見据えて、中教審としては教員に対して、特に将来の教員の在り方について、専門性の確保を強く打ち出す一方で、現在の教員に希望も持っているわけである。教員バッシングに対しては、素案にある方策を打ち出し、資質を確保していくことを訴え、安易な気持ちで教員養成を行うことはせず、研修もより一層濃密なものにして、社会からの期待に応えられるものにし、その中で更新制も位置付けていく。p.40の3つ目の○については、p.38の枠内にも書かれてあるので、もう少し強調できるかどうかは事務局で検討してもらいたいが、適切な表現があれば事後に事務局に提案してもらいたい。

委員
 p.43の受講機会について、課程認定大学のほか、都道府県・指定都市・中核市の教育委員会等も講習を開設できるようにすることが適当とあるが、教員は大学で養成するという原則との関係はどうなるのか。p.45の5では、更新講習を受講して、これが十分でない場合は免許状が失効するものの、大学で修得した所要単位は終身有効であるとしているが、なぜ大学の修得単位は有効なのに免許が更新されないのか、無効にする権限は何を根拠とするのかが、大学の修得単位の有効性との関係で問題となる。現行免許法上、大学で単位を修得し、申請すれば免許状が授与されることに加えて、更新講習を課し、受講しなければ失効するとしているが、その失効の意味はどうなるのか。p.47について、現職教員の場合は、10年経てば必ず更新講習を受けなければならないが、ペーパーティーチャーは、教員免許状の再取得が必要となった場合に回復講習を受ければ良いとなっており、現職教員とペーパーティーチャーとの間に格差が生じるのではないか。自動車運転免許の場合は、ペーパードライバーでも実際に運転している者でも、同じ講習を受けて更新する原則があるが、なぜ教員免許の場合は対応が分かれるのか。「公共の要請により、合理的な範囲内で新たに制約を課すことは許容し得る」とあることについて、現在の日本の教育の現状において、教育に対するバッシングの問題があるが、それが公共の要請として妥当性があるのか。生命を預かる医師免許は教員免許より重いが、更新制が導入されていないことを考えると、日本の免許制度において、教員だけに公共の福祉の観点から更新制を導入する必然性や妥当性があるのか疑問である。特に現職教員への導入については慎重であるべきだが、導入を前提とするならば、色々な配慮が必要である。

委員
 医師免許も本来は更新すべきである。教員の場合、専門職としての資格を若い時に取得すれば、その後に状況が変わってもいつまでもその資格を保持して対応できるということではなく、専門職として社会の信頼を得るためには、状況に応じて新たな条件を付けなければならないということで、今回、10年ごとに講習を課して、リニューアルすることに踏み切ろうとしている。ペーパーティーチャーに対して、10年ごとの更新講習を課すのが良いが、これからは、40歳や50歳になって教壇に立つことはあり得るし、教員免許状を所有している多様な人材が教壇に立つ道は広げていかなければならない。特に、これからの10年は、団塊の世代が退職するが、20代前半の者ばかり採用したら、今と同じ問題が数十年後に起きるので、年齢の幅も多様であった方が良いことを考えると、回復講習で再取得できるとする方法は良いのではないか。例えば、二人の子どもを育てていれば、10年ごとの更新講習の受講は難しいが、子どもが自立して子育てが終わった時に、もう一度教壇に立つ意欲を持って、50歳で教員になることがあっても良い。

委員
 平成14年答申時の更新制と今回の更新制の持つ意味合いは異なっており、失効についても、部分失効であって本質的に免許状が失われるわけではなく、これから10年間先のリニューアルをしていくという意味では、これまでの更新制の考え方よりも進歩して良くなったのではないか。更新制によって、教育現場がより質の高いものになっていくことを望むが、校長や教頭に免許状を持たない民間人も登用できるようにすることとの整合性はどのようにしていけば良いのか。p.38の枠内に、「公教育の改善・充実が期待でき」るとあるが、私立学校の教員にも更新制が適用されるので、公教育の概念が公立学校だけでなく、もう少し幅広く捉えていく必要があるのではないか。10年経験者研修との整合性については詳述されているので良いが、現職教員、特に現場の中核となる教員にとって、30時間の講習を受ける時間を確保するのは大変である。p.41に受講の免除があるが、これが前面に出すぎると更新制が骨抜きになってしまうものの、現場で苦労しながら、学校を支え、実質的な研修を受けている教員の研修実績や勤務実績を上手に評価しながら、10年経験者研修等と整合性が取れるように機能するものにしてもらえると、より良いものになるのではないか。

委員
 勤務時間中の講習は行わない方が良く、長期休業期間中や土日を利用した方が良い。更新講習のやり方についても、モデルとなる講習内容をつくるなど、きめ細かく検討しなければ、形骸化してしまうので、更新講習の具体については、ワーキンググループで詳細に検討してもらいたい。

委員
 p.50に「我が国の教員養成システムを、将来的に大学院修士レベルまで含めた養成へとシフトしていく」とあるが、研修実績を大学院修士課程の単位に換算できる、大学院修士課程に入ったり修了できる基礎にしていく観点については、例えば、科目等履修生の制度により単位を積み重ね、少し単位を修得すれば修了できる状態で大学院に入り、修士論文や課題研究を書ける形にしていけば、受身の研修よりも教員にとっては良く、教員の成長に良いのではないか。

委員
 ワーキンググループでは、医師や弁護士の場合は、患者や利用者がいなければ生業が成り立たず、患者や利用者が医師や弁護士を選ぶことができる一方、教員の場合は子どもが教員を選ぶことはできないので、医師や弁護士とは異なるという議論があった。更新講習を受講することが、教員の重荷になるのではなく、自分の実践が整理されたり、さらに新しい知見を得て、10年ごとに講習を受けることが教員の自信や誇りになり、それによりリニューアルして社会的にも認められるという形で更新講習を受け止めなければならない。問題になるのは、更新講習を行う大学の在り方だが、これまでは所定の単位を修得しただけで教員になれていたのを、各大学がきちんとした教育目標を持ち、全学を挙げてそれを達成するために取り組んでいくという、学部段階での教員養成の在り方が根本的に変わらなければならず、具体的には教育実践演習(仮称)で捉える。これまでも、教育実習の在り方が問題になったが、今回の改革で、これまでの教育実習と違うものにならなければ意味がなくなるので、学部教育も変わってくる。更新講習の内容によっては、重荷になったり自信につながったりするため、教員に喜ばれるような更新講習でなければならないので、大学には厳しい要求となっている。

委員
 平成14年答申との関係が明確に説明されていて、更新制については理解できた。10年経験者研修との関係について、p.53に「得意分野づくりに重点を置いた研修としての性格をより明確にする」とあるが、「得意分野づくり」というのが理解しにくいので、例えば、p.3の平成9年教養審第一次答申における教員に求められる資質能力のところで、ここで触れられていない「個性の伸長と得意分野づくり」があったので、ここで触れておいてもらえれば、後に続くのではないか。

委員
 教育実習については大学側に責任があり、教職大学院についても、連携協力校の設定を大学側に義務付ける形になっているため、大学側がいつも責任を持つわけだが、逆に教育委員会や学校から要望があっても、これは大学の仕事であるので要望は受け付けないとなりかねない。学部の教員養成や教職大学院における教育実習について、単なる連絡協議ではなく、学校や教育委員会が要求しているものも含めて決められるようなものにしていく必要があるのではないか。この部分の表現では、大学側にのみ義務付けをし、教育委員会や学校側に対しては考慮しないという捉え方もできるため、大学側が最終的に責任を持つとしても、もう少し共同して後輩教員を養成していくという形で、特に教育実習については教育委員会や学校側の色々な要望も受けたいというニュアンスで表現できないか。大学側のみに義務付けや責任を求めている表現は、今後の在り方や、実際に実習校を見つけにくい状況があることを考えた上で、もう少し全体的に、学校や教育委員会を含めて実習を組み立てたいという流れで、表現を考えていただきたい。

委員
 更新制が導入されることで、教員は変わるだろうという期待を社会が持つため、その期待を裏切った時には大きな反動がくるので、講習内容が決め手になる。教員の意識を変え、日々の教育活動が反映できるような講習内容でなければ、期待を裏切ることになる。教職大学院に送り出す現職教員は、既にスクールリーダーになっているか、それに近い者であるケースが多いと思われるため、学校で重要な存在になっている教員を送り出すことになるので、その後のフォローがきちんとされていないと、学校の経営力が落ちてしまうことになりかねないので、フォローアップ体制をどのようにつくるのかが課題である。

事務局
 教職大学院の場合は、従来の学部段階における教育実習とは異なり、何百時間という多くの時間の実習を行うことにしているため、開設をする大学の責任として、きちんとした実習の場を確保することで、大学院設置認可申請を行うということである。これは、大学設置認可システムのことであり、義務付けるという表現が必須であるため、学部段階における教育実習の場とは切り分けて考えていただいた方が良い。

委員
 p.3の教員の資質能力とp.72の講習内容について、教員は人権意識・人権感覚を持っていなければならず、それを資質能力の大事なところに据えた方が良いので、表現を検討してもらいたい。先日、私立大学の研究会が全国規模のシンポジウムを開催したが、公立学校の校長が障害者の人権を侵害するような発言をし、教員養成系大学の教員がそれを肯定する言葉を使っていたが、それが気になった。小・中・高校の校長と盲・聾・養護学校の校長に格の違いがあると発言する者もいるので、どのような教員が養成されるのか心配である。

委員
 その辺りについては修正が可能か事務局に検討してもらうこととしたい。

委員
 教職大学院について、京都では大学の枠を越えて、連合で取り組んでいこうという動きがある。更新講習について、全国レベルで水準を確保しなければならないのと同時に、地方がそれぞれ教育テーマを持ち、何が課題で、何を目指していくのかという地方の自主性・自立性が尊重されなければならないと考えている。十分な配慮をしつつ、学校現場の元気が出て、専門性が高まり、教職大学院を志望する教員が出て、更新制が意味あるものになっていくようにするためには、全国的な水準の維持と地方の独自色の調整が大事ではないか。

5.閉会

お問合せ先

初等中等教育局教職員課

-- 登録:平成21年以前 --