未定稿
平成17年6月18日現在
子どもたちの変化について、外で遊ばなくなり、テレビやゲームの時間が長い、睡眠時間が少ない子が増えたという意見が多かった。
不審者が増え、近所の道路や公園など皆で遊べるスペースが減った。学校も勉強以外の時間が減り、コミュニケーションが取れなくなり、勉強以外のストレスの解消法が減っている。
小学4年生がままごとをしているのを見て驚いた。模倣遊びが高年齢化している。発達段階に応じた遊び(体験)がなく、一足飛びにきている感じがする。「群れ遊び」を地域でうまくできるように国の政策としてやってほしい。公園も人里離れた所にあり、子どもが気軽に集まるという環境にはない。公園に子どもを連れて行っても誰も来ない。遊ぶ相手や相談相手もいない。皆が子どもに目を向けられる場所、有効活用できる場所の確保をお願いしたい。
家で遊ぶ子が多くなった。男の子も外で遊ぶこともあるが、家でゲームで遊ぶ子が多くなった。
子どもは帰宅してからは、下校時間にもよるが、時間がある時は公園でサッカーをする時もあるが、ゲームやアニメが好きである。ゲームは始めると1~2時間はやってしまう。ただ、ゲームがなければ子ども同士の会話についていけなくなってしまう。
ゲームの普及で、現実とバーチャル世界の区別のつかない子どもたちが増えている。
昔は大家族であったが、今は核家族で子どもは家の中で「王様」扱いされている。
耐える力、我慢する力が欠けている。
最近の子どもで気になるのは、どの子も自分の気持ちを伝えるのが苦手で、相手が何を考えているのか想像するのも下手であることである。
睡眠時間が少ない子どもが多い。
あいさつ運動の継続により、あいさつが元気良くなった。
少子化により、競争をしなくなっている。
昔に比べて子どもが家の作業を手伝うことが少なくなっているし、外で遊ぶ子も減っている気がする。学校の机で勉強するだけでなく、もっと体験を与えるべき。
子どもの本質は昔も今も変わっていない。しかし、IT化など環境が変わってしまった。今は考える間もなく、物事ができあがってしまう。子どもが悪いのではなく環境に問題がある。
生徒のしつけがなっていないということは、家庭や地域の教育力が低下したせいではないか。国の政策として、長時間保育を推奨するなど、家族が離れる時間を長くするような施策を推進して、子育ての支援を軽視しているのではないか。就学前に預けられたため、しつけがなっていない子どもが増えるから、学校でしつけをするところから始めないといけなくなってしまっている。
子どもたちが「きれ」ているといわれている。原因は、朝食抜き、コンビニ弁当、カップ麺、炭酸飲料等、食生活(塩分・糖分のとりすぎ、カルシウム不足等の問題)に関連しているのではないか。
学習内容や授業時数の減少、基礎学力の低下や塾通いが一般化している状況が気になるなどの意見が多かった。現行の学習指導要領については、早急に見直すべきという意見と、拙速は避けるべきという意見の双方があった。
ゆとり教育になって、自分の子どものころに比べて明らかに勉強する内容が減っているのが気になる。特に語彙、使いこなせる言葉が少ないと感じる。
「ゆとり教育」について、異論が出ることを承知の上で、よりよい方向へ即座に軌道修正したことは評価したい。今後も問題等が生じた場合には即座に対応されることを望む。
学力低下は週5日制や総合的な学習の時間のせいだけでなく他にも要因があり、その原因を一つずつ取り除く必要がある。総合的な学習の時間はむしろ教科や特別活動全体を通じて行う必要があると思っており、総合的な学習の時間を特設して行う必要性が本当にあるのか。ゆとり教育は前に戻すべきだと思う。田舎と都会では違うのでその点も考慮してほしい。
「ゆとり教育」は今までの「つめこみ教育」の反省のもとに作られたものと理解しているが、最近はまた見直しの雰囲気がある。間違えたというのであればすぐに正すというのは大事なことだが、少し拙速すぎないか。
2学期制にして授業時間不足を補ったほうがいいのではないか。
学習指導要領が3割カットされ、教科書が薄くなった。
教科に対する不安はあるが、子どもたちにとっては、普通の教科はやらされているという感覚なのではないか。学力低下を食い止めるといっても、やらされている時間を増やしても意味がないのではないか。
基礎学力が落ちてきていると感じる。家では、本は読まないが、ビデオ、パソコンなどを通じて情報が氾濫している。
特に小学校低学年で、基礎学力の向上が必要。
学力の2極化を是正する必要がある。
テレビゲームに非常に集中できるのだから、興味があることについては集中して取り組む力は持っている。学習でも発揮できるのではないか。
学校と塾のあり方が逆転しているのではないか。
塾に通う子どもたちが増えすぎている。
ゆとり教育、学力低下で塾に行かせなければならないのが問題。高校受験は塾に行かなければ間に合わない。学校でもっと指導してほしい。
最近のゆとり教育には不安がある。週に5時間削られたり、教科書も薄く、私学に通っていた子どもと大学受験の段階で競うことは不安。
最近の保護者は、学力について最初から学校には期待せず塾頼みになっている。
子どもの漢字力が低下している。表現力も低下しているが、そもそも言葉を知らない。教科の授業時数が減っている分、理解が不十分なのではないか。
今の「ゆとり教育」で、子どもが大人になったとき十分な知識・経験を身につけているのかが心配である。芸術、体育、主要5教科すべてが減ってしまった。時数について考えてほしい。
「ゆとり教育」には賛成である。教師、保護者などが連携して、総合的な学習の時間も活用しつつ、子どもの意欲を伸ばす個性ある教育、地域に合った特色ある学校づくりをしていくべきだ。
学校的な評価がよくても、高校に行ってレベルが違うと困るので、市や県単位で生徒が今どのくらいのレベルなのかを客観的に知りたい。
学力の二極化の原因は塾に行ける子と行けない子である。
学校での教育内容については、総合的な学習の時間に関して、引き続きやってほしい、一定の成果を上げているとの意見があった一方で、目標が明確ではない、時間が有効に使われていないのではないかなどの意見や内容の充実のための施策を求める意見があった。
日本は先進諸国の中でも英語教育が遅れている。中学からでは遅すぎる。もっと早い学年から取り組んでもらいたい。
英単語の丸暗記のような努力と忍耐を強いるような英語学習ではなく、子どもたちが英語に親しみをもてるようなスムーズな導入をしてもらいたい。
日本の学校教育は日本の近現代史の学習が不足していると感じる。海外の人は日本の歴史等に非常に関心を持っているが、日本人が外国人に伝える力がない。これからは、古代・中世を多少カットしてでも近現代を中心に日本が「されたこと」や「したこと」を子どもたちにしっかり伝えるべき。
総合的な学習の時間よりも、基礎をしっかりお願いしたい。
総合的な学習の時間は役に立っていると思う。時間をかけて検証してほしい。
総合的な学習の時間の発表を見たが、素晴らしいものだった。
学校で、将来の職業観を身に付けるような教育をもっと充実してほしい。
学力低下も気になるが、総合的な学習の時間で伝統を踏まえた活動をすることは大事。
例えば、植物を種から育て、それが実を結ぶか最終製品になるまでの過程を学ぶことができ、子どもたちの行動範囲が狭まっている現在の社会の中で、総合的な学習の時間が補っているものは大きい。
総合的な学習について、基本的考え方はすばらしい。だが、応用力や「生きる力」は、基礎学力が順調についていっている上でつけていくものだと思う。先生が忙しすぎて時間が取れていないことが重要な課題だと思う。うまく回っているところとそうでないところがある。
教員の力量により定着しているか否かに分かれている感じがするが、田畑から苗をもらってきて学校で育て、それを収穫し料理したりしている。親も関わっていけるので良いと思う。
総合的学習について、地域におんぶしようという意識があったのではないか。総合的な学習の時間によって子どもに何の知識をつけさせるのか、何を目標として学習していくのかという先生の意識が大事である。
大勢の大人に褒められる経験が重要。学校の先生に褒められるのはあたりまえだが、他の大人に褒められる経験が今の子どもには少ない。他の大人に褒めてもらえた喜びをもとに自分から努力していく。今の世の中では、学校以外で子どもに声をかけづらい。「総合的な学習の時間」はぜひ続けてほしい。
総合的な学習の時間の事例を全国から拾い上げて、分析・整理して全国の学校へ事例集などを配付してほしい。
地域の協力を得られるようなシステムを構築すべきである。
総合的な学習の時間では、教職員・保護者・地域の方が協力することも多いので、子どもや学校の様子を見るよい機会となっている。一方で、協力してくれる地域の方のためにも、何かあった時のボランティアの補償制度を充実させてほしい。
現在、同窓会の寄付により、総合的な学習の時間で英語教育のためバイリンガルを呼んで授業を行っている。大きな金額ではないが、こういったものに対して国の方で経費をしてほしい。
皆で研究を行うなど違う意味で子どもが発達していき、それが普通の授業での発言の増加につながることもあり、非常によいのではないか。ただ、何かを調べるという手段そのものについて教えてない。また調べるテーマが1年で途切れてしまうなど中途半端な面もあり、今年と去年と連続していないとせっかく作った土台が無駄になる。
教科書について、サイズが大きくなり、写真や絵が多く見やすくはなっているが、内容量が少ないと思う。国際競争の時代に対応していけるのか不安である。
小5を対象にした授業で、助産師を招いて大きな性交図や、実物大の模型を使いながらの授業があったとの話を聞いたが、行き過ぎなので是正すべきである。
特に理科、社会につき、中学校に入ると急に専門用語が増え、小学校までの学習内容とのギャップに驚いた。小中の架け橋のような取組みがあればスムーズに中学校の学習内容に入っていけるのではないか。
中学で英語を習うが、英語イコール勉強となってしまい拒否反応があるので、小学校低学年から音から覚えさせてからの方がよいのではないか。
英語活動の内容が前に通っていたい学校と比べてレベルが低い。こうした地域格差を解消してもらいたい。
英語教育に力を入れるのはわかるが、その前にもっとすべきことがあると思う。日本人としての愛国心を育てる意味で、もっと国語教育をするべきではないかと思う。
国際化が進展していく中で、日本の子どもは自分の国のことを知らなさすぎる。まずは一番芯の部分を持つことが重要である。
歴史教育で、日本人の誇りを奪ってしまうような教科書を使って教えることは問題だ。
歴史教科書を近隣諸国と共同して作るようにしてはどうか。
総合的な学習の時間は、これらからの社会で必要とされる能力を身につけるものであり、必要だと思う。
総合的な学習の時間の削減についてニュースなどでいろいろ言われているが、生きる力をつけるために始められたものであり、週2回という現状でもう少し様子を見てもよいのではないか。一定の成果を挙げていると思う。
総合的な学習の時間は親からは理解しづらい面もある。
総合的な学習の時間については疑問を持っている。大事な時間を数学や英語等に使ってほしい。
総合的な学習の時間が有効に使われていないのではないか。
総合的な学習の時間は先生によって温度差があり、一生懸命やっている人もいれば取りあえずやっているという人もいる。
総合的な学習の時間はすべて学校に預けてしまうとばらつきが出てしまうので、方針を示してくれた方がよいのではないか。また、土曜日に学校があると保護者が参加しやすいのではないか。
新入社員を見ていると、答えのない課題に取り組めない者や自分の考えを表現することができない者がいる。総合的な学習の時間というのは、自ら考えて取り組むことに意義があるのだから、充分活用して、子どもの頃から教育してもらいたい。
先生は授業を大変工夫しているが、中学くらいになると先生が先回りすると自分で考える力がなくなるのではないかと思う。
自分たちの頃は理科や社会など教室の外で学ぶ機会(体験学習)が多くあったと思うが、最近はそういう機会もなく、学校で作ってもらっている。後に残るのはそのような教室の外での体験なので今後とも充実させてもらいたい。
通知簿について、同じ3や4の評定でも学校によって評価のされ方が異なる。優秀な中学校の3は評価されることもあるが、問題の多い中学校の4は評価されないこともある。内申書の得点が少なからず受験に影響している割には、学校により評価の数字にばらつきがあるのは困る。
進路や就職先を考えるにあたって「とりあえず」という若者が多い。キャリア教育を中学校でしっかりとやって、教育の中で社会的能力を身につけるようにしてもらいたい。今、中学校で学んでいることがどのように将来役立つのか見えるようにすべき。
今の授業では算数、国語などの教科の時間が少ないので、生きるために必要な能力が定着しにくいのではないか。学校の授業だけでは厳しい。今の子は授業だけではなく、塾に行かないと乗り切れなくなっており、結果、ゆとりの時間、遊ぶ時間が減っている。学校で基礎基本がしっかりと学べるようでなければならないので、もっと授業時間を増やしてほしい。
「食育」については、「朝食べないといけないよ」と教えるのではなく、「食べなかったらこういうことになるんだよ」と具体的に教えてほしい。
夏休み中の教育については、校長に権限を与えるべき。
ジェンダーフリーで徹底して男女差を否定しているような教育が行われていると聞いたが、行き過ぎである。
全国一斉テスト等で学力を評価することは、偏差値至上主義の時代に逆戻りすることになると思われる。真の「学力」とは何か、それをどのようにして評価するのか。何らかの基準を定めた上で教育効果は判断するべきだと考える。その尺度の多様性を維持していくことが極めて重要。足が速い子、絵が上手な子、やさしい子など、定量的に評価できるものばかりではない。
指導要領の位置づけを明らかにしてほしい。県と市で解釈が違ったりしている。
学校週5日制に関しては、土曜日に何をしていいかわからない子どもが多い、子どもの居場所が不安である、学校などで土曜日に様々な活動を行ってほしいなど様々な意見があった。
土曜日にサッカーなどをやっている子はいいが、一日何もしないでいる子もいる。土曜日に塾に行っている子と学力差が生じるのは当然。
土・日は家庭で、と言われても、共働きのため対応できない。
自営業なので、休みの日もなかなか子どもたちと遊べない。ゲームに頼ってしまう。お昼ごはんを必ず一緒に食べたりして、工夫はしている。
週5日制でゆとりというが、本当に子どもにゆとりが生まれているのか疑問である。また、この導入により、新たに土曜日の子どもの居場所が必要になった。
隔週土曜日休みの頃と比べると、休みがうまく使われなくなった。土曜日があったほうがメリハリがあったと思う。
学校が5日制となり、授業のスピードが速くなり、内容が薄っぺらくなったと受け止めている。
子どもは学校で友達と一緒に学ぶのが一番身に付く。子ども自身も、学校に行きたいと言っており、ぜひ土曜の授業を復活させてほしい。
先生が子どもとじっくり向き合えていない。子どもの基礎学力がついていない。できる子かできない子にはっきり分かれていて、子どもは必死でついていく感じである。小学校、中学校でできなかったことについて高校にしわ寄せがきている。1+1の足し算からじっくり教えてほしい。土曜日の授業を見直してもよいのでは。
授業はなくても良いから、土曜日は学校に一旦集まり、友だちと遊びに行くなど遊びの拠点にならないだろうか。
父親との会話は増えるなど、家でゆったりする時間が増えてよい。しかし、子どもたち同士でなにかやる機会がないので、家族べったりでごろごろしてしまう。一日中本を読んでいるとか、テレビゲームなどずっとしている。
土曜日も学校を開放し、先生方が交替制で子どもたちを学校で見てもらえると、学力の補充にもなりありがたい。現在も開放は行っているが2~3時間程度なので、もっと臨機応変に対応してほしい。
土曜学校を開催し心を育てるなど、大人と子どものつながりを作る必要があるのではないか。
土・日に地域活動する学校の先生が少ないと思う。
土・日も社会体育を指導している先生には負担になっている。クラブチームではないが、どこか取りまとめて教員以外の人が指導してくれると、その点が改善されるのではないか。
働く親への支援をしてほしい。保育園より、小学校に上がってからの方が、土曜日は子どもが家にいるために働きにくい。少子化もこれでは歯止めが利かない。
子どもの生活リズムが5日制となっている。独自の取り組みとして、「土曜ふるさとの時間」により、地域に子どもを戻そうとの取り組みを行っている。5日制の成果を長くみてほしい。
土曜休みは、親が家にいるわけでもなく、心配事が多い。
週5日制になったことで、塾に頼る部分が多くなったと思う。家庭や地域に返そうという趣旨は分かるが、実際には、部活をやっている子以外は家でゲームなどをして過ごしているのではないか。
母子・父子家庭は土曜日に子どもにかまってやれず、荷が重い。
土曜日がなくなった分、平日の帰りが遅くなるなど、かえってゆとりがなくなっているように感じる。
部活などのすることが何もない子どもにとって2日間は退屈ではないか。親も働く人が増え、土曜日に子どもの面倒を見ていられないのではないか。土・日に、あてもなく自転車を運転している子どもを見かける。土曜日を有意義に使う子どもと無駄に過ごす子どもと、両極端な子どもができる。
週5日制導入当時は、国は子どもが家庭に帰ることを期待したのだろうが、実際にはそうなっていない。現場では核家族化・地域コミュニティの低下などの影響が顕著であり、そのようなことも含めて総合的に考えていかなければ、週5日制の良いところを活かすのは難しい。
学校にいる時間が長くなったので、友達同士で遊ぶ時間がなくなった。土曜日も授業を行ってほしい。
土曜日は午前中授業、午後は部活にした方がゆとりができる。
土曜日がなくなったため、学校行事が減ってきている。土曜日の授業を再開してもらいたい。
学力低下に対する懸念やクラブ活動に専念しない子どものことを考えると、月に2回程度、土曜日に授業復活があってもいいのでは。
教育条件に関しては、少人数学級や校舎や設備の充実、教育予算の充実を求める意見が多かった。
きめ細かな指導という観点から、せめて小学校1、2年生の学級編制は20人~25人とするべきだ。
少子化や環境の変化で学校の先生も20年、30年前と同じ指導でやっていくのは難しくなっている。1クラスを40人からせめて35人に減らすだけでもよいので、そういった所でゆとりを作ることに力を注いだほうがよいと思う。
40名を1人の先生で見るのは難しい。特に手のかかる1、2年生は、40名クラスは厳しい。1、2年生は20人1クラス、5、6年生は40人1クラスなどのように、生徒の状態や保護者との話し合いの中でクラスの人数を決めれるなど、幅のある学級編成ができるようにしてほしい。
きめ細かな指導、トラブルに対応するためには、少人数クラスがよい。ただし、子どもたちは大人数の中で切磋琢磨して「生きる力」を育てる。だから、上限35人、下限20人など幅を決めて、その範囲でなら自由に決めれるようにするのもよい。
先生も、子どもの数が減れば学級経営に専念でき、子どもの基礎学力アップにもつながるのではないか。
教育の機会均等というが、図書費などは地域差が大きいのではないか。
市では学校向けに教育ソフトの配信を行っているが、学校のパソコンが大変古いのでデータを取り込むだけでも苦労している。
子どもが多様化してきているので、個々に対応する必要があるが、先生の負担が重過ぎるように感じる。負担を軽くするようにすべきである。
子ども間の学力差は、今も昔もあったが、少人数制で学力の低い子も吸い上げてもらえるのはいいと思う。
授業を見ていると、明らかに授業についていけていない子どもたちがいる。同じことをやるのが平等ではない。習熟度別クラスを導入して、わからない子どもたちにも対応できるようにしてもらいたい。
心の教育が大切だと考える。例えば40人学級を35人学級など、少人数制にしてもらいたい。
教師の負担も重いと思うので、教師の人数を増やしてほしい。
先生への負担が大きくなっていると感じる。本来は、家庭でやるべきことに充分に時間が取れないため、学校にお願いしている状況。子どもはみんな自分を見てほしいのだから、先生の数を増やすなどして、きめ細やかな対応をしてほしい。
保護者の思いが学校に伝わりにくい現状がある。専門性を持った教職員の数を増やしてほしい。
三位一体改革で進められている義務教育費の削減にぜひストップをかけてほしい。義務教育水準こそが日本の国力の源である。財政基盤が弱いところでは教育費が担保できない。現在、親の所得による子どもの学力の格差が生じていると言われているが、国庫負担がなくなると、地域による格差が生じることになる。また、国庫負担の廃止は教員のモチベーションの低下を招く。優秀な若者も教員を目指さなくなってしまう。
義務教育は全国的に同じものを希望する。県独自となると不安がある。
地方と都市で義務教育に差がついてはいけないので、義務教育費国庫負担金が堅持されるよう、頑張ってほしい。
学校・教員に関する要望として、意欲を育てる教育や、社会規範を身につけさせる教育、学力や体力の向上を望むなど様々な意見があった。
ゆとり教育=(イコール)学力低下というが、子どもたちの学習意欲低下が心配。意欲向上を学校にもお願いしたい。
学校に行きたくなり、楽しく、授業が面白くよくわかるように思わせてくれる先生に子どもを預けたい。
実生活に役立つ知識を身に付けていないほか、人との付き合い方を知らない若者が多い。スポーツなどを奨励し、ルールを守ることを教えるべきではないか。
人間関係を教えるのは、本来は親や家庭であるが、学校に一部お願いしたい。
学力の問題も大事だが、犯罪の低年齢化を憂慮する。命の尊さについても学校で教えてもらいたい。
子どもが中学、高校に進んだときに戸惑わないよう十分な基礎学力をつけてほしい。
今の子ども達は、将来の家庭像について夢を抱いていない。非常に現実的だ。親になることに憧れがもてるような内容を授業に入れてほしい。
職業意識の啓発に力を入れてもらいたい。
子ども達が家で自発的に勉強しなくなっている。中学校に行ってついていけるか心配で親のあせりみたいなものもあって塾に通わせてしまっており、小学校高学年ぐらいから塾通いは一般的になっている。
塾に行かせなければいけないので、両親が働く、両親が働くと親が家にいないといった悪循環が生じていると思う。できるだけ学校の授業だけで対応できるようにしてもらいたいと思っている。
怪我をする子どもが増えている。外で遊ばせたり、身体作りにも力を入れてほしい。
学力低下の問題もあるが、体力低下のこともある。小学校でも、体育など専科の若い先生をつけてほしい。
教員の資質をしっかりさせなければ、子どもが勉強以外に余計な気を遣わせてしまうことになる。採用試験において、成績だけでなく、本当に子どもが好きであるとか、人間性を重視してほしい。一定期間評価がよくない教員は辞職させるといった制度も必要ではないか。
子どもに好かれる教師はよい教師であることが多い。これは大人による評価とは必ずしも一致しないと思う。
初任者にいきなり担任をさせるのは無理がある。
「生きる力」のほか、「人と人が繋がる力」をつけさせる政策を加えてほしい。人間関係の希薄さが犯罪等を増やしている。
ゆとりや総合的な学習の時間についていろいろ言われているが、学校に一番求められているのは学力をつけることだと思う。
授業は流れていくだけで、「あとは塾でやりなさい」というようなことがある。昔は学校だけで学力をつけていた。
生徒が先生に敬語を使うようにすべき。友達同士のような話し方では困る。敬語の練習にもなる。
良いところ、悪いところ含め、学校が情報をオープンにすることも重要だと思う。
今は、子どもたちに対して、親も学校も甘い体質となっている。
子どもは絶対評価を喜んでいるが、保護者としては疑問が残る。
行事が少ないと思う。行事は子どもの社会性を育むものであるし、家庭、学校、地域が連携して参加していける、よい機会であると思う。
現在、少子化が進んでいるが、小学校の段階から小さい子への接し方など、少子化対策の教育を進めてほしい。
人とのふれあい、人を思いやる気持ち、自分を発揮する場、協同などを期待。
家庭や地域の役割については、親の家庭での子どもとの関わり方の変化や地域での子育ての重要性を指摘する意見などがあった。
親が変わってきていると思う。基本は家庭教育であり、学校任せにするのは違うと思う。家庭で子どもと接する時間を少しでも作ることが重要。
親が時間に追われていて余裕が無い。ゲームをやらせていた方が楽に感じることもある。
若い親に子育て教育を行う必要がある。
就学前の躾が大切である。
地域の人が子どもに声をかけることが減ってしまった。
親の読書傾向が子どもに引き継がれている。新聞を読まない親もいる。
自分の子どもを大切にするあまり、「失敗させたくない」という考えから、親が先回りすることによって、子どもが消極的になっているのではないか。
子育てに悩む親への支援を。悩みの相談ができる場が必要。
ゲームばかりをして人と話をあまりしなくなった子どもたちの読解力が落ちるのは当然で、文部科学省の方から家庭教育に対して、「家庭ではこんなことをしていきましょう。」といった家庭に対するメッセージを発することが必要ではないか。
アメリカ等では、学校の運営に係る予算や人材について地域全体で協力している。部活動の指導者など地域の方の協力で実施しているところが大きいが、指導者がいなくなると継続していかない部分がある。
大人が子どもとどう関わるかが重要。「子どもの居場所づくり」事業でつくったボランティアハウスは地域の大人が入っていてすばらしいと思うので、継続して事業を実施するとともに、予算を充実してほしい。
食育について、朝食を抜く子どもが増えている原因は生活リズムが乱れていることではないか。子に教育するためには、親自身が生活リズムを正すことも必要ではないかと思う。
子どもの好き嫌いも親に責任がある。「食べ物」の視点から子どもを育てる必要がある。
共働きの家庭が増え、PTA活動に参加する人も減っている。また、PTAとはいっても、教職員を休日に出させるのは難しいので、実際には保護者会になっている。
母親まかせではなく、父親も教育に関わり、子どもたちがどのような環境にいるのかを、自分で確認することが重要。しかし、働いていれば、休みを取りにくい、という現実もある。そこで、国の方で、「学校を見に行こう」キャンペーンのようなものをやってほしい。
総合的な学習の時間の中で、家庭がすべきことをやっている。家庭ですべきことは家庭にやってもらわないといけない。しかし、家庭教育について学校やPTAが行う講習や研修に出てくる親は、いつも同じ人たちである。国は、このような状況を制度の面・制度運用の面から改善してほしい。
特別支援教育コーディネーターは、専門的知識を持った人を配置してほしい。
障害児の特別支援については、他の自治体と比べて補助員が不足している。子どもたちも同じ教室の中で一緒に学んでいるので、ノーマライゼーションもスムーズに浸透してはいるが、障害者に対する支援体制をもっと整えてほしい。
実際、障害を持った児童が普通クラスに入ると、教室を飛び出したりと安全確保ができず、保護者が付き添っていないと危ないという状況がある。障害児を普通クラスに受け入れるなら教師の加配等の手当が必要。
文部科学省の特別支援教育改善の案は、理想が書いてあり素晴らしいと思う。しかし、予算も教職員数も増やさないでやるのは、無理という感じがする。
急に方針を変えて欲しくない。
モデル校や先進校で成功した取り組みを国内で一律実施するのではなく、標準校に合わせた施策を実施してほしい。標準レベルからの発展を認めることで、全体が活性化するのではないか。
特色を出すような学校づくりを義務教育段階から打ち出してみてはどうか。
図書を例にとると、学校への司書の配置が遅れ、蔵書の絶対数も足りない。市の予算の問題ではあるが、自治体だけに任せてしまうと差が出てくるのは目に見えているので、文部科学省でもサポートする体制を作ってほしい。
教育については中央が地方の意見を吸い上げなければいけない。一方で、国は、教育は国の根幹という意識をしっかりと持って、根本的な部分では一貫した方針を示してほしい。
ゲーム、CMの内容、不正な販売を規制してほしい。家庭の中では防ぎようがない。報道のあり方などは保護者会でよく話題になっている。
学校安全対策をしっかりやってもらいたい。
いろいろな事件がおこって安全面に不安がある。警備やガードマンを雇ってほしいが、学校や自治体の状況により対応が変わってくるので安全面が不安。
社会との接点をどう作るか。社会とかけ離れた道徳教育をやってもダメだ。現実に即した教育が必要。
高い教育費が悩みの種であり、今後の生活面で心配している。
教育費の充実をお願いしたい。
私立の考え方は子どもはお客様という考えなので、学校はコスト意識をはっきりさせているが、公立は疑問。例えば他地域で暴力行為を見て見ぬふりということがあったと聞いているが、コスト意識が低いことから出てきた問題ではないのか。
次世代育成の観点で幼稚園・保育所の連携必要。
学校選択制については、地元・地域とのつながりがない学区外の子どもたちへのフォローをどうしたらよいか、地域として悩んでいる。国は安全面なども含めて考えてほしい。
子どもの通っている私立は強気で、いやならやめてもかまわないという認識だが、公立ではそうはいかない。
今は早く自分が将来やりたいことを見つけた者が勝ちだと思う。子どもは将来なりたいものがあれば頑張ることが出来る。親、学校、地域が子どもの興味・関心を引き出すことが出来るかどうかが重要ではない。
いろいろな事件が起こることによって、子どもたちが遊ぶ場所や遊ぶ時間がどんどん制限されてきている。子どもが制限を受けていることのハンディを社会的に補填していくことが必要。
子どもたちが遊ぶ場所がない。地域が開放している場所もあるが、中学生が遊ぶ場がなく、親子が一緒に参加する場がない。
ボランティアをする場がない。場を提供してもらいたい。
父母が仕事の休みをとりやすい環境になっていれば子どもの非行も抑えられるのではないか。文部科学省だけの問題ではないが、親のゆとりも必要ではないか。
最近のテレビ番組は暴力シーンが面白く見えるように構成されている。子どもの心の育成上問題である。
情報教育やパソコン操作の学習は重要だと思うが、家でもパソコンに夢中。画面に向き合う時間が長すぎるように思う。なんらかの親の指導の指針のようなものがほしい。
塾で行われているように、小学校から中学校へ、中学校から高校へ進学するときに予備講習をやってもいいのではないか。
どんな階層の子どもでも、希望は失わないようにしてほしい。競争に参加できるような機会を与えられる仕組みにしてほしい。
初等中等教育局教職員課
-- 登録:平成21年以前 --