参考資料4 スクールミーティングでいただいた意見の概要(教職員)

未定稿

平成17年6月18日現在

子どもたちの変化について(学習意欲、体力、精神力の低下など)

子どもたちの変化については、外遊びが減り、テレビやゲームの時間が長くなった、睡眠時間が不足している、実体験が少ない、塾通いなどで多忙になった等の意見が出された。また、我慢ができず、すぐにあきらめる傾向がある、主体性がなく受身である、学習意欲の低下や基本的な生活習慣が身に付いていない、基礎学力やコミュニケーション能力や体力の低下を指摘し、手のかかる子が増えている、学力や体力が二極化しているという意見が見られる。一方、昔と変わっていない、今の子どもの方が、物おじしない、情報収集や発表が上手になっているなどの意見もあった。

小学校

 マイペースな子が多い。他の子をずっと待たせていても、「悪い」と感じているように見えないというか、その子がどう考えているのかが分からない。

 思いやりの気持ちがなくなっている。相手の気持ちを考えることができない。

 習っていないことは、わからないとすぐあきらめる傾向にある。

 子どもたちの間で「将来の夢」という意識が少なくなってきている。何かに対するあこがれという感覚を持たせるために何をしていけば良いのか、課題に思う。

 人の話を聞かない、指示を出しても動かない子が多い。

 子どもたちは、「やりなさい」と出されたことはするけれど、自分で進んでは勉強をしない。

 社会事象に対して関心、意見をもたなくなってきた。グラフも認識できなくなってきた。

 決まりごとなど、集団生活を行う上で身に付けておくべきことが身についていない。

 基本的な生活習慣(挨拶、服装、廊下を走らない等)や学校のルール(ノートの使い方、忘れ物、持ち物の準備、下敷きの使い方等)が身に付かないままの児童の割合が増えてきている。

 子どもたちの思考力が落ちてきている。少子化による話すことの不足や、読書をしてじっくり考えることの不足などが原因ではないか。

 子どもについては、まとまって何かをやろうという意識が低下していると感じている。対人関係能力について、ソーシャルスキルというものを取り入れてがんばっているがなかなかうまくはいかない。

 昔は問題が起こると、子どもだけで解決しようとする意識があり、解決できている部分もあったが、今の子どもは解決する能力がない。

 話をしっかりと聞くことができない子ども、自分の言葉で表現することができない子どもが増えている。語彙力が不足している。

 言語力、表現力が弱い。画面でのメディアが幼児期から入ってきているせいか、言葉をイメージ化する能力が落ちている。

 学力テストでは、学力が戻ったとされたが、安心できない。応用力、体力の低下は歯止めがかからず、平成15年度の校内暴力件数は史上最高となった。子どもの元気が回復しないうちの学力向上の取組は、新たな問題を発生させる。

 20年前の子ども達と比べると体力的に全く異なっている。外で遊ばないなど、生活の中で負荷が与えられていない。体育の授業だけでは補えないと感じる。

 擦り傷、打撲が多く、最近はちょっとしたけがでも保健室に来るようになってきている。危険回避能力を学校現場でつけていくようにしなければならない。

 児童の体力が低下している。放課後は習い事が多く、遊ぶことが少ない。

 生活のリズムが取れていない子どもがいる。11時、12時まで起きている。塾に行っているので家に帰ってから学校の宿題、塾の宿題をやっている。睡眠時間をとって欲しい。

 中学校に入る段階で、計算力がしっかりついていない。1つの単元をやるにも、結局時間が押してしまい時間がとれなくなる。

 小学校低学年から塾に通っている児童が多く、塾に行っていない子との学力の差がある。

 子どもたちの感覚が変わっている。ゲーム中のバーチャルの世界の話を平気でしており、内容によっては怖いと感じることもある。

 子どもたちのテレビの視聴時間は長すぎる。子どものディスプレイ中毒症状が、学力、体力の低下を生み、コミュニケーション能力の低下を招いている。

 10年前には勉強はすべきものであったし、悪いことはしたら叱られるものであったが、現在はそういう認識が薄くなっている。

 大切なのは、家庭での「早寝、早起き、朝ごはん」、テレビ視聴の制限と学校でも反復学習の実践。

 学力の低下が話題になっているが、基礎学力が下がったとは思わない。

 学力低下と言われているが、教える側からみれば、以前より低下したという実感はない。

 学力のとらえ方(見える学力か見えない学力か)が、世論は見える学力が主である。しかし、現場としては、見えない学力に対しても努力しており、数値のみでとらえて欲しくない。

 パソコンを使っての情報収集能力や英語、発表力は向上しているが、読み書きなどの基礎学力が低下していると感じる。

 自分の考えをはっきりと主張できるようになっている。

 理解力・吸収力・スピードなどは、昔より良いのではないか。

中学校

 外で遊ぶことよりも、テレビゲーム・テレビを好む。

 生徒の学習意欲が低下し、ハングリー精神が欠け、少しでもわからないとあきらめる。

 きついこと、疲れることを避けて、楽な方に逃げる傾向がある。心が弱く、我慢ができない。子どもそのものは変わっていないはずだが、周りに情報が溢れている中で、情報を選び取ることができないでいる。

 高め合うことが嫌われるなど、子どもたちの考え方が多様化してきている。

 興味のあることにはよく取り組むが、不得意なことからは逃げようとする。

 生徒の考える力、体力、粘りが低下し、幼稚になっている。

 今の生徒はもまれていないし、実体験も少ない。子ども同士の関係が希薄で、交流そのものが少なくなっている。

 人との付き合いは下手になっている。

 人の話を聞けない。コミュニケーション能力が不足している。感情のコントロールのできない生徒が増えている。人間関係が希薄になっている。

 保健室に来る子で、心の病ではないかと思う子が増えた。人間関係が上手に築けない子が多い。友達とのトラブルで教室に入れない状況がある。

 語彙力が低下している気がする。話をするときに、単語だけで話すこともある。

 子どもの表現力、ボキャブラリーの数など、昔と比べ低下していると感じる。

 国語の力は落ちている。読むことだけでなく、書く力も落ちていると感じる。

 子どもたちの生活のリズムが乱れていると感じる。

 この数年で、実感として基礎学力が低下している。

 家で勉強する時間が少なく、自分で何かに取り組んだという経験が少ない。

 以前の生徒と比べると、学力、学習意欲とも二極化してきている。両方にあわせた授業が難しい。工夫する必要がある。

 手のかかる子が増えてきていて、教員が親や兄弟、友人の役割も求められている。

 まず自分で考えてみることなく、すぐに「先生これどうするの」と訊く。すぐに他人に頼る。

 今の子ども達は、物おじしなくなった。表現力が豊かになった。

 実体験が不足しているので、自然体験などを通して命の尊さを学んでもらいたい。

 人懐っこくて素直であるが、何がよくて何が悪いのかがうまくつかめておらず、TPOが身に付いていない。保護者や地域を巻き込んでTPOを教えていくことを考えていく必要がある。

 学習習慣を身に付けていない子が多いが、やり方を教えてあげれば納得するし学習する意欲はある。

 黙っていても学習習慣がある子もいるが、そうではない子については、手間暇かけてあげないと学習意欲に結びつかない。

 ニートは、子どもの頃に充分遊んでいないこと、子どもらしい生活を送っていないことが原因なのではないか。もっと遊ばせることが大切だと思う。

 性に対する興味が強く、給食や休み時間の話題としている子が多いことを心配している。実態に合った性教育をきちんと考える必要性を感じる。

教育内容、授業時間について

教育内容、授業時間については、教科の授業時数が足りないなどの意見が多かった。総合的な学習の時間については、ねらいについては賛同する意見が多かったが、小学校では一層充実させたいなどの意見が多くみられた一方、特に中学校では、準備・計画の負担が重い、教科の時間との関係でジレンマを感じる、学校により取組方に格差があるなどの意見が多くみられた。総合的な学習の時間の今後については、方向性を明確に示すことや、小学校と中学校との連携、教員の研修の充実、職場体験における受入れ体制の整備が必要という意見などがみられた。

小学校

 現在の学習指導要領は、「考え方を身に付ける」ということが主眼であろうが、授業内容が減った結果、時間数も減ったので、考える時間がない。

 現在の学習指導要領が最低ラインなら達成するのは難しい。子どもたちの中には、現在の時数で理解できる子どもと理解できない子どもがいる。

 新学習指導要領は、学習時間を削減したが、大事なことは、学習意欲をつけること、分かる授業をすることであると思う。いまの子どもたちは学習意欲がないと言われるが、原因は「分からない」ということだと思われる。少人数授業、習熟度別授業などを取り入れることで対応していきたい。

 総合的な学習の時間はもちろん大事であるが、国語等の基礎学習能力がないと対応できないので、授業時数が減る中ではあるが、国語等の時間を確保したい。

 小学校では、教科指導で基礎学力を付けることが重要。総合的な学習の時間がなくなっても、教科単位でカバーできると思う。

 今の教育で一番大切なのは、「生きる力」を育むことであり、総合的な学習の時間は、とても重要。

 総合的な学習の時間の果たす役割はたいへん大きく、調べて得る感動、地域の人との触合い、地域の誇り、いろいろ子どもは感じている。ペーパーで測る力を学力ととらえ、低下してきたというのは問題だ。

 「英語活動」「情報教育」「食育」をするためには、総合的な学習の時間は大切な時間である。

 総合的な学習の時間には学校間格差がとても大きい。授業の準備は大変であるし、一人ひとりが違うテーマを扱うため膨大な時間がかかり大変である。

 総合的な学習の時間については担当者により区々だと思う。年間100時間もあって多すぎると思っている者もいるし、その反対の者もいる。

 総合的な学習の時間は時数が多いと思う。やる気のある子はよいが、そうじゃないと他の子の邪魔をして過ごしている子もいて、ドリル学習をさせた方がよいのではないかと思うことがある。

 総合的な学習の時間と他の教科とを分けるのではなく、関連させながら進めるとよい。

 総合的な学習の時間において、1年間ひとつの課題で行っていくことは難しい。課題を途中で区切るなどの工夫が必要。

 総合的な学習の時間の課題が多様化し、教師だけではまかないきれない。人材バンクや周辺の施設(役所・福祉会館など)を活用している。

 総合的な学習の時間を始めて何年か経過したが、子どもたちが初めは何をしたらよいのか分からないという状況から、今はやりたいことを自主的に見つけてきて意欲的に取り組むことができるようになってきている。こうしたことが大人になってからの「生きる力」につながると思う。

 総合的な学習の時間は、学校独自の系統性をもたせることでもっと効果が上がると考えられ、それを完成させる必要がある。

 児童は総合的な学習の時間に意欲的に取り組んでおり、自分で課題を見つけてくることもある。総合的な学習の時間を通して児童の物事を調べる能力が高くなってきたように感じる。

 理科の授業内容だけでは不十分であったが、総合的な学習の時間で環境問題を考えていたときに、理科と総合的な学習の時間と関連づけていくことで効果を上げることができる。

 総合的な学習の時間は、子どもが地域へ出て交流する機会となり賛成。ただ、グループ別に分かれた活動の際など、目が届かない。子どもの思いにも応えられない。総合的な学習の時間をやるには、教員の加配が必要。

 歯止め規定がなくなり、発展的な学習が可能となったのはよいことと思う。発展的な学習を行ったほうが、高い所から全体を見渡すことができ、基礎・基本が身につくと思う。

 「英語」を3年生以上に2週間に1回は行っている。いろんな国籍のALTの先生に来てもらっている。子どもたちも違和感がなくなった。教科としての成果は今後考えていくべきだが、リテラシーとしては成果がある。

 英語教育もよいが、日本の伝統を学ぶことが先にあってほしい。海外に行って外国人より日本を知らないということがある。

 英語活動は、子どもたちが生き生きとして楽しんでおり、よい取組である。

 英語活動で、6年生になっても教師の発した言葉を繰り返すだけにとどまっているような状況もある。

 英語学習を取り入れるのであれば、どの学校にも英語教諭を配置してほしい。また英語学習のある程度のモデルやマニュアルがほしい。

 英語活動で教師の勉強が必要になる。特に、発音などは自信がないのでALTに来てもらいたい。そのための財政措置をしてもらいたい。

 最近の教科書は、子どもを引き付けるアニメなどはあるが、文字が少なくなっているのではないか。ただし、じっくりコースの子どもたちはかわいらしい文字、きれいな図の方がやる気が出るようだ。

 今のクラスの児童はなかなか上手く話せないのが実情だが、「話し方」を教える等の工夫をしている。

 コミュニケーションを育てる授業を通して、子ども同士のトラブルを本人たちで解決しようとする様子が見られたり、話し合いの場で友達への質問の仕方に工夫が見られたりするようになった。

 道徳教育で、自分に優しくできる子どもは、人にも優しくできると伝えている。

 学習の中で他の子どもたちとふれあう「高まり学習」を行うことにより、子どもたちの中に孤独感がなくなってきた。

 生活に密着させた学習が必要である。

 習い事をしていない児童に関しては、学校の宿題以外の家庭学習をしていない場合が多い。

 学力テストの結果がこの3年間に向上した。原因の1つとして、異学年同士のコミュニケーションの成果があると思う。

中学校

 クラスに数名ずつ分数がわからないなど小学校でのやり残しを持った子がいる。この子達は、たとえやる気があってもまったく授業についていない。この子達に手をかけると授業が進まなくなってしまうというジレンマがある。

 中学校で掛け算ができない生徒がいる。学力の二極化は小学校の段階で起きているのではないか。

 学習内容が生徒にとって魅力のない薄っぺらなものになっていると思う。教科書が薄っぺらになってきたが、これを魅力あるものに変えるためには、教科書に書いてある以外のことも生徒に教えながらやる必要があり、教える側での工夫がもっと必要となっている。

 今回の学力調査の結果を見て、やっぱりというのが第一印象だ。もっと内容を盛り込むべき。

 数学や英語の授業が週3時間では教師も生徒も苦しい。2極化がますます広がるのではないか。週4~5時間あれば余裕を持って学力向上に取り組める。

 義務教育段階の子どもには基礎基本を徹底するため、必修教科を重視し、時数を増やすべき。

 授業時数が減少し、深く教えることができない。総合的な学習の時間や選択教科の時間を減らしてほしい。

 総合的な学習の時間は生徒が一生懸命取り組んでおり、うまく機能している。生徒が自ら課題を見つけて解決していく姿を見られるようになってきているので、このまま腰をすえてしばらく続けてほしい。

 総合的な学習の時間は計画を立てるのが難しいが、調べる力もついてきている。

 「生きる力」を育む総合的な学習の時間の理念・理屈は正しいというのは分かっているが、どのような授業を行ってよいのかモデルが示されていないため、悩みの連続である。

 総合的な学習の時間の授業は必要だと思う。ただ、準備が大変で時間がかかり、エネルギーがいる。

 現行の学習指導要領の「生きる力」を育むという目標は間違っていない。総合的な学習の時間については、ようやく軌道に乗ったところであり、学習指導要領の見直しとの報道もあるが、これまでの努力が無にならないよう、その努力を今後の検討に生かしてもらいたい。

 総合的な学習の時間に関して、公立学校では教師が勉強する機会が極端に少ないように思う。

 ゆとり教育を見直すようだが、現場では非常に困る。何が問題かをきちんと整理、分析してほしい。長い目で見ることも必要だ。

 教育課程編成上、35週で割り切れない教科の編成が大変である。モジュール式で編成したがややこしく、特別教室の使い方も大変である。

 総合的な学習の時間は誰もが素人のようなものであり、我々にとって大変苦しい時間だが、取組によって成果も上がる。今後の方向性を出す際にサンプルなども含めしっかり方向性を出してほしい。

 総合的な学習の時間の意義については先生それぞれに受け止め方が違うので、スタート時の学年、学校単位での意思統一が重要だと思う。

 総合的な学習の時間の導入当初、小学校と中学校とで同じ内容にしてしまった。連携が必要であるし、今後はキャリア教育をもっと取り入れて行かなければならない。

 キャリア教育は、計画を立てて1年生から始めるべきである。更に言えば小学校段階から始めるべきである。義務教育の9年間を見通し、きちんとした準備をし、計画を立てなければならない。理科を勉強する時に、理科だけではなく、様々なこととリンクしていることを少しずつでも教えていくことや、体験したことを日頃の授業とリンクさせることが大事である。試験に合格するための勉強だけでは興味関心が育たなくなる。

 国にして欲しいサポートは、事業所で理解のあるところもあれば、子どもが電話をするだけで怒り出す事業所もある。世の中が広く子どもを育てるために、こうした「壁」を無くし、スムーズな受け入れ体制の整備をお願いしたい。せめて市役所などの公共の職場では、簡単な手続きでキャリア教育を進めることができるように、社会の理解を得るようにしてもらえると現場は大変助かる。

 小学校で英会話活動が行われるようになっているが、小学校によって取組に差があり、中学校に入ってくる段階で生徒の英語力の差が大きい。

 生徒の選択能力を身に付けさせていないのにコースを選ばせるのは難しいと思う。

 選択教科で、問題行動がある生徒が集まってしまい授業にならない。

 キャパシティや教材の問題で生徒が本当に選択したい授業が選択できない場合がある。生徒のモチベーションも下がってしまう。

 選択教科については、本来は個々の生徒に選択させるためにコースをたくさん用意するべきであるが、必修教科の時間を増やせないかという声があるのも事実。

 時数減、内容減の上に、選択教科をさせるのは厳しい。中学校までは義務教育段階なので、必修教科に重きを置いた教育課程にし、基礎基本を押さえたい。具体的には、前回の指導要領くらいの内容が良かった。

 文部科学省の指導のせいなのかどうかは分からないが、選択教科の選択数を増やすことばかりが主眼になって、かえって一つ一つの教科の内容が薄くなっているように思える。むしろ数をしぼって中身を充実させるべきではないか。

 授業の中では「学びたい」という芽を培うことが大事だと思う。

 文部科学省のホームページでも調査官が各県の研究会などで言及した内容などを載せてほしい。

 毎日8時15分から8時45分まで読書の時間を設けて、ひたすら本を読む。感想は求めない。その効果として、挨拶がよくなった、集中力、学力の定着も良好というよい傾向がでている。

 評価規準を文書にして明確化し、保護者や生徒に配布している。

学校週5日制について

学校週5日制については、維持すべきという意見があった一方、子どもが生活リズムが作れていないという意見や、平日が忙しくなった、土・日の子どもの活動の場が必要といった意見が多かった。土曜日の授業の実施については様々な意見があった。今後は、土日の子どもの活動の場を保護者や地域住民の協力でつくることの工夫が重要という意見がみられた。

小学校

 学校週5日制は変えないでほしい。

 親との触れ合いがもててよいとの声も聞く。

 習い事(英語塾、学習塾)、スポーツ活動(野球、サッカー)、保護者の協力を得ての公民館での工作など、学校でできないことが土曜日にできていて、そうした活動を楽しみにしている子どもは多い。

 土曜日が休みになって、子どもが生活リズムを作れていない。土・日を休むと月曜日は気分が乗っておらず、金曜日になると疲れている子どもが多い。

 学校週5日制になって、平日の5日間は忙しくなったと感じる。

 土曜日に授業があったときは、遠足や調理実習などいろいろなことができた。隔週でも土曜日に授業ができればよいと思う。

 子どもたちに対して土・日の地域の情報(子どもが行ける場所、楽しみになる場所)の発信が必要である。

 家庭での教育こそが大事。企業もせめて週に一度は社員を家庭に返してほしい。学校週5日制は、土・日は子どもを地域と家庭に返そうということだったはず。6日制に戻しても学力がもどるとは思えない。

 学校に来る日数が減る中で、2日間の休みで何をするか考えていくことが重要。もっと長いスパンで考えていくべき。また、長期休暇中に学習日を設けるなどの工夫をするなど、いろいろな方法を考えるべき。

 地域がいかに協力していくかがカギとなる。土曜日や日曜日に、子どもをみんなで見ていこうという動きが大事。そのためのネットワークの中心をどうしたらよいかは課題である。

中学校

 学校週5日制になってから、より忙しい。

 土曜日が休みの場合、月曜日から金曜日までの間にすべて処理しなければならないということとなり、多忙感を感じるのではないか。

 土曜日は学校があった方がよい。部活や生徒指導で放課後が非常に忙しい。

 土曜日があれば子どもと関われるし、土曜日に授業をしてもよいのではないか。

 学校週5日制で行事が減ったことにより、学習以外での子どもとの触れ合い、心を育む指導などの機会が減少したと思う。

 先生同士、先生と子どもの会話が減ってしまった。

 土曜日が休みだと、緊張感はとれるのでリフレッシュになる。

 部活を担当している教師にとっては、5日制となったことにより、休みなく働いているという状態が解消された。

 公園が少ないので、子どもがゲームセンターなどに流れてしまう。小学校などが空いているのであれば、そこを開放するのは良いと思う。中学校は部活で予定が目いっぱい入っているので難しい。

 土曜日の子どもの活動の場がない。

 週5日制になったが、この制度は家庭と地域の力量も試される。家庭や地域にも方向性のようなものの提示が欲しい。

 土曜日に校外の人材を活用することは、一つの方法ではあると思うが、気持ちとしては自分で教えたい。そのためには夏季休業等を学校で自由に設定できる形にしてほしい。

教育条件に関すること

 教育条件に関しては、少人数学級編制や少人数指導については、価値観が多様化している中できめ細かな指導の効果があることを指摘し、そのための教員の増員を望む意見が多かった。義務教育費国庫負担制度については、廃止すると地方格差が広がるおそれがあるので堅持すべきとの意見が多かった。また、図書の充実やインターネット整備などの学習環境の整備、物品の購入費の不足の改善を求める意見もあった。

小学校

 少人数指導で、子どもが分からないことを言えるようになった。教員加配のおかげで、少人数指導ができている。

 担任はクラス全体を見ているので、特に配慮のいる子を見てくれる先生が欲しい。クラスに一人ずつ、そのような先生がいると大変助かる。

 少人数学級が集団指導に悪影響を与えているということはない。各教科ごとに少人数学級と通常人数の学級を使い分ければよい。

 価値観が多様化している中できめ細かい対応をするためには、30人学級程度がよいのかと思う。

 30人学級にならないものか。地方に任せるという形になっているが、格差もある。

 40人学級よりは30人学級がよいと思うが、それなりの人数と一緒にいることにより子どもが成長するということもあるので、少なければよいというものではない。

 1年生は様々な幼稚園や保育所等からきており、かつ親の所得もばらばらなので、子どもたちも多様である。人の話を聞けない子が何人かいて手がかかるので、1クラス20人くらいが適当である。

 特に低学年の子どもについては、少人数学級できめ細やかに対応することが必要。

 学年総数によって、1学級の人数に10名前後の違いが生じる。このことから児童一人一人への目の行き届き具合に差が出てしまうので、今の40人学級という定数基準を30人から35人で1学級を構成するというように、定数に幅を持たせるような制度にしてほしい。

 少人数指導の場合、普段発言しないような子にも発言の機会があり、目が届きやすくなる。

 教員の年齢構成が偏っており、体育を担当すると、一人ではできないことを気軽に他の先生にお願いできない等問題が出てくるので、バランスを考えてほしい。

 教員の年齢構成が不安。今は二十代三十代が極端に少なく四、五十代ばかり。今後の学校における職員構成の空洞化が心配。

 けがや病気の対応だけでなく、学校教育の中で、保健室登校や保護者の子育て相談など、保健室の重要性が高まっているので、養護教諭の全校配置をお願いしたい。

 図書の充実やインターネット整備、コンクールの活用、教科担任制など、学ぶ意欲を喚起する魅力のある学習環境を整えることが必要。

 子どもの作品をプリントアウトするためのインクすら買えないという状況はさびしい。教育予算の大半が人件費ということは承知しているが、もっと子どものための予算も増やすべきである。

 学校運営に係る経常経費について、現場では校長の執行決裁の裁量が拡大されたり、学校毎のフレーム予算が設けられたり様々な工夫がなされているが、交付税によるそもそもの予算措置が減っており、各学校は直接予算縮小の影響を受けて苦しんでいる。しっかり交付税予算を確保してもらいたい。

 義務教育費の国庫負担金制度の改革について、金のある自治体しか良い教育を受けられないのではないかと不安がある。

 義務教育費国庫負担制度を堅持していただきたい。財政上豊かな地方はない。国も地方も苦しい中で、一般財源化された時に、教育費として使えるかどうかは極めて疑問であり、地域によって教育の大きな格差が生じる。

中学校

 少人数指導や生徒指導などの教員の加配はきめ細かな指導上効果があるので、もっとできるよう、加配教員を増やしてほしい。

 30人以下の学級、少人数指導などを実現して欲しい。教育にお金をかけて欲しい。

 一人の教員がこなさなければならない仕事が多すぎるので、学級の規模はそのままで、教員の配置を増やしてほしい。一人で何役もこなすことにより教員としての資質が上がるという部分はあるが、現状では体を壊すことになりかねない。

 少人数学習やチームティーチングは高い教育効果があるのだろうが、ある程度の人数の集団で学ぶことも重要。多様な生徒と一緒にいる方が教育効果がある点もある。

 きめ細かな指導のための人員が欲しい。中学校は教科担任制であり、県立学校の人員は、学級数の2倍いるが、中学校は1.5倍しかいないのが平均である。せめて1.7倍から1.8倍の人員になれば、先生の余裕が高まり、力量を高めることができる。

 学校として地域の教育力を活用しきれていない。地域の人材を活用できるパイプ役となるコーディネーターを配置してほしい。

 常勤の相談員を配置する制度について、広めてほしい。思春期の心の問題は重要。教師ではなく、評価もないので、子どもも親も教師も安心して相談に行ける。

 養護教諭の複数配置を。養護教諭は本業以外に不登校、発達障害など業務が多い。授業にも立ちたいが保健室を空けられないのが現状。

 スクールカウンセラーの役割が重要になってきている。生徒はもちろん、保護者からの相談も多い。さらには、教師の悩みの相談もある。現在、週1度来校であるが、1日でも多くの来校を望む。

 校務の効率化が必要。特に年度始めは職員会議や研究会が合理的にできない。

 子どもたち一人一人に声かけをすることで、心を育てることができる。そうした積み重ねが、子どもたちの心を育むための指導の要諦である。

 教員数が少なく、研修で教員が出張すると生徒は自習となってしまう。離島の学校に対して特別な配慮が欲しい。

 義務教育費国庫負担金は堅持してほしい。加配が減るのではないかと心配である。

 三位一体の流れもあるが、国が財政的なものはもつべき。

 予算がある市町村では、国の施策を踏まえた対応ができるが、予算がないところでは、難しい。条件整備の機会均等をお願いしたい。

特別支援教育について

特別支援教育に関しては、人的配置や予算の充実を望む意見が多かった。

小学校

 LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥・多動性障害)等の障害をもつ児童が確実に増えている。

 特別支援教育が検討されているようであるが、理念は賛成だが、人員を増やして複数の目で見るようにしないといけないと思う。また盲・聾・養護学校との連携が必要である。

 LD、ADHDについて専門的な知識を持つ人材が学校に欲しい。

 親の会においても知的に遅れのある子どもの指導は、特殊学級で行ってほしいという要望がある。通常学級で学ぶ事は非常に難しいので、特殊学級を存続した上で、別個に考えてほしい。

特殊教育諸学校

 軽度の発達障害の生徒の自立活動の必要性を感じる。

教員に関すること

教員の多忙感

教員の多忙感に関しては、授業や部活の準備、生徒指導、報告資料の作成などに追われ多忙となっており、児童生徒と接する時間が減少しているとの意見が多かった。一方、時間の有効活用などにより効率的に取り組むことが可能ではないかとの意見や充実感を得られない中に多忙感があるのではないかとの意見があった。

小学校

 小学校の教員は、持ち時間が多く、授業だけでいっぱいになってしまう。

 小学校では一人で複数の教科を教える必要があり、その準備や研究会、校務分掌に関わる様々な研修等で非常に忙しく、職員会議や校内の会議の時間をとることさえ難しい。

 勉強をしっかり教えてほしいという家庭もあれば、勉強以外のことに重点を置いてほしいという家庭、防犯対策を確実にしてほしいという家庭などもあり、家庭によって要望が異なるため、様々な要望を聞こうとすると必然的に多忙になる。

 研修の曜日や時間を決めたり、長期休業期間を有効に活用したりして、教材研究や研修を効率的にやっている。

 子どものためになることであれば、多忙であっても充実感がある。多忙感は充実感を得られない中にあるのではないかと思う。

 教育委員会等への報告ものが多い。実績報告、成果報告したことによって次年度予算が付くので仕方がないが、同じような問い合わせが複数の箇所から来る。

 文部科学省等への提出書類や調査物が多くなっており、多忙感が増している。

 たくさんの計画書作りや書類作成など、直接子どもに還元されない仕事が多い。事務作業を軽減することによって、子どものために使う時間を増やしたい。

 司書の担当だが担任も兼ねているので図書室にはほとんどいけない。司書教諭の配置があれば、子どもにもっと良い本を紹介できる。

特殊教育諸学校

 教員も、総合的な学習の時間、道徳、特別活動、部活の準備、他の校務などで忙しく、時間的ゆとりがない。教材研究を行う時間や教員同士の打ち合わせをする時間、担任している生徒と向き合う時間がほしい。

 子ども一人一人にあった指導を行い、部活動も見て、研修も実施するというのは非常に大変である。

 絶対評価になってから、子どもたちの日常の様子を記録しておかなければならず、忙しくなった。

 価の事務的処理が多く、それに時間をとられて子どもと触れ合いたくても難しい。評価のための評価になっていないか心配である。

 職場体験は生徒がよい経験をしているが、受入先を探すことが教員の負担になっている。

 忙しい。要求がどんどん増え、全部に応えようとしたら1日24時間では足りない。教員と子どもが話す時間がないと子どもの心が育たない。

 教師の多忙さについては、もっと効率的にやれる部分は効率的にやればよいと思う。

教員の資質向上、研修、教員の採用・配置等について

教員の資質向上に関しては、研修を充実させたいという意見が多かった。また、教員の採用・配置等に関しては、人物面を重視してほしいという意見が多かった。

小学校

 教員養成の抜本改革をお願いしたい。

 よい先生を採用できるようにしてほしい。非常勤講師として回ってくる中には、とてもよい先生がいるが、採用試験の点数が悪くて採用されない。こういう先生は、一生懸命仕事をしているので、試験の勉強をする時間がない。何校か回っていて、評判の高い先生には加点してほしい。

 学校長の経営ビジョンにあった弾力的な人員配置ができるようにしてほしい。

 学校長に人事権をもっと持たせるべき。

 初任者の教員に対する指導については、きめ細かな指導が出来る体制等、改善を期待したい。

 学生時代にプロの意識を育んでから現場に出てくるようにしてもらいたい。人間としての資質が重要であり、向上させるためにも教員養成のあり方が重要。

 専門性をもった他の校種の教員との交流、連携も重要である。小学校にはない専門的な知識を教えてもらい、実際の指導に生かすことは有効である。

 教える技術を磨きたいと思っているので、研修の機会がもっと増えるとよい。生徒が興味を持つような導入や、表現力をつけるために頭を悩ましている。教材研究の時間も増えるとよい。

中学校

 インターネットなど、情報をたくさん持っている子どもたちなので、批判能力なども育っており下手な授業ができない。教師側が「以前と同じ」では通らなくなってきている。

 今の若い先生は、あまりにもお膳立てをし過ぎてしまっており、子どもが一工夫する余地がない。

 教員研修は、大講義室での講義ではなく、授業のうまい先生の授業を実地に学べるような内容にしてほしい。

 2週間の教育実習では通常2~3時間の授業を行う。ある大学では3週間かけて20時間くらい行った。教員を受け入れる方にもいろいろあると思うが、これぐらいの時間があると生徒に対する接し方も身につけることができる。長期間の研修を設け、実際に子どもに教えることを教員養成に組み入れていってはどうか。

 職教員に大学院再教育の機会を増やすべきである。2年間学んだことは力となり、今でも源となっている。誰にでも開かれたシステムとなればよいと思う。

 教員採用についても学力だけではなく、できない子や障害のある子の気持ちがわかるような全人的なバランスの取れた人を採用してほしい。

 小学校の先生になっている人たちには、自らが中学生だったころに理科の実験などをやっていない人がいる。

 今は子どもに教え切れていない教師が増大している。教員養成機関としては、教員資質の確保のためにも今後の対策を考えることが必要。

 指導力向上を考えると、職員の研修を充実させたい。

 教員免許制度は、更新制を視野に入れて見直すべきである。

家庭・地域との関係

家庭や地域に関しては、保護者の価値観が多様化し対応が困難になっていること、家庭で基本的生活習慣を身につけさせてほしい、しつけをしっかりやってほしいという意見や、保護者との対話や、授業への参加、通学路の安全確保、職場体験などにおける地域住民との協力の必要性を指摘する意見が多かった。

小学校

 保護者の価値観が多様化し、対応が困難。

 離婚による片親の家庭が多くなっており、子どもの心の不安定感を増している。家庭環境について、改めてその大切さを考えていく必要があろう。

 護者は言いたい放題である。子どもが無断で学校を休んだ時に、学校から電話がないと言って、学校は児童の心配をしていないのかと言う保護者がいた。もっと保護者は責任を持つべきだ。

 子どもたちのため学校側が保護者を対象に講演会などを開催するが集まらない。熱心な保護者もいるが来てもらいたい方々が来ない。

 “友達親子”対応に苦慮する。学校の先生を悪者にする親の影響を受ける子ども。しんどい。何を基準に良し悪しを判断しているか分からないが、とにかく教師を批判する。

 家庭は基本的な生活習慣の確立をしっかりしてほしい。しつけも含めて、一緒に食事をしたりして、楽しい生活ができるようにしてほしい。

 今の保護者には、「うちの子は」という思いが強いあまり、全体のことを考えられなくなっている人もいる。

 高齢社会になって、しかも核家族化しているが、地域の高齢者の方と子ども達が自然と一緒にいられるような(交流できる)施設・場があればいいと思う。高齢者の方が、自分が学んできたことを子ども達に教えてあげられるような場が欲しい。

 最近、地域が学校に関心を持ってくれるようになってきた。今までは閉鎖的だった学校が、開かれた学校になってきたせいもあるのだろうが、協力体制ができてきた。老人会の方々が、腕章をつけて登下校を見守ったり、自転車に安全をよびかけるプレートを張ったりするなどの提案をしてくれた。虐待などについても、何か気付いたら学校に知らせてくださっている。

 親が子どもにどう接していくかということを見失っている。親が子どもを正面から見ておらず、大事なものを見落としている。10年前は学校教育と家庭教育が両輪で動いていたが、親が一緒になって、同じ方向を向いてやってくれない。親が変われば子どもも変わるが、どう変えるか具体的な施策が見えてこない。

 家庭とのコミュニケーションが大事。これまで学校は家庭に対して必要なことを十分に言って来なかったのではないかと反省している。

 保護者の声を十分受け止め、学校でできること、家庭にお願いしなければならないことを見極めていきたい。

 「親を家庭に返す」ために、親の就業条件(就業時間など)を社会全体で変えていくようにしてほしい。今は子どもが家に一人で居る時間が多く、親とのスキンシップが足りないために、生活習慣などで本来子どもの頃に身につけなければいけないことが身に付いていない。

 体力低下が言われているが、体育について、ストレッチ、筋力トレーニングなどの補強運動と、球技などでの体を動かすことの楽しさの二つを体育の時間だけでこなしていくのは難しい。家庭や地域でのスポーツに関する取組が課題。

中学校

 子育てについて過度に学校に依存している。

 家庭に学校・教師と協力して子どもを育てるという意識を持ってほしい。

 社会全体で、子どもが悪いことをしても何も言わないようになってしまっている。家庭でも地域でもしつけが十分できていないように思われる。

 地域も注意できない状況に変わってきた。注意すると「変な人」と見られてしまうため、地域の方々はすべて学校にお願いしてくる。学校は学習の場であって欲しいのに、それ以外の仕事が学校に求められている。

 「開かれた学校」と「学校の安全」は矛盾しない。むしろ、学校を開いて常に住民の目が行き届いて、多くの目で子どもを見守っていくことによって学校の安全が守られるのではないか。

 福祉などの分野は教師だけでは指導できない。地域のそれぞれの分野の専門家に学校に来ていただき、授業に加わってもらいたい。

 三者懇談で親子の考えがバラバラ。事前に話し合ってないのでそれぞれが主張してまとまらないケースが多い。もっと会話を持ってほしい。

 授業参観など保護者がよくしゃべる。やかましい。私語が多すぎ。家ではいい子だが学校では不安定な子が増えてきた。学校が家庭にどう伝えるか苦慮している。担任と複数で保護者に伝えるようにしている。

 職場体験学習を1年生で実施したが、地域の方々に働くことの意義を話してもらい、子どもたちが変わった。受け入れ側の商店街の皆さんにも喜んでもらえた。もっと地域で子どもを受け入れることを進めていきたい。

 地域とのつながりは大人と子どもをつなぐ効果があると思う。学校の外に先生の応援団があれば心強いのでは。

 複数担任制であるため、保護者のところに足を運び直接指導し、話をする。年間家庭訪問を約500件行っている。その成果もあり、子どもは落ち着いている。

その他

 文部科学省の方針が変わり過ぎるなどの批判や、スクールミーティングに期待しているという意見、教育予算の増額の要望などがあった。

 ゆとり教育なのか学力向上なのか、どちらに主眼をおいているのかわからない。これまでは心の教育が重要と言っていたのだが、学力低下の話が出たとたん、学力を向上させることになり、方針がすぐ変わるように感じられる。

 文部科学省の人にもっと学校現場を見てもらって、現場の人、時間、環境の過密度を理解してほしい。

 こういう機会をつくってもらい、文部科学省の人に現場の声を知ってもらうことは、うれしい。

 現場の教師としては、文部科学省と現場の間にある県教委や市教委のしばりが大きいと感じている。

 現場の意見をもっと理解してもらえるような仕組みがあればよい。

 国の方針をはっきりと現場に分かるような形で示して欲しい。

 政府の予算を見ていると、日本政府は教育予算を削っているように思えて、「日本の将来はどうでもいいのだろうか」と感じてしまう。もっと教育にお金をかけて欲しい。

 テレビ、ゲーム、インターネットなどの情報の内容の規制を是非行ってほしい。暴力や性描写など、子どもたちの価値観を覆すような情報が氾濫している。この規制は地方ではできないこと。是非国で検討していただきたい。

 今後、クラブ活動や図書館活動、学校安全などにボランティアを活用していくに当たって、教員にはコーディネート能力が求められると考えている。その涵養の仕方を考えていかなければならない。

 家庭教育に関する施策を全面に出してほしい。

 現在の教育において重要なことは多いが、例えば、総合的な学習の時間、選択教科、キャリア教育、道徳など、全てを行おうとするとパンクしてしまうので、どこまでやるかのバランスが難しい。しかし、最も重要なのは現実社会に目を向けることであり、文部科学省には、ある程度方向性を示してほしい。

 文部科学省には、国として政策を担う責任、また教育に係る事項をサービスとして提供する責任があると思う。地域格差を容認するのではなく、例えば子どもが転校したとき、どの地域にいっても継続的な教育を受けることができるような環境を整備してほしい。

 アメリカで日本人学校の講師をしていたことがあるが、アメリカの教育は自分に自信をもたせるような教育を徹底して行っている。日本でも、子どもの得意なこと・好きなことを支援するような教育を行うことが、将来のことや自分を好きになることなどのために重要だと思う。

 幼児教育を改めた方がよいのではないか。子どもは、スポンジのように知識を吸収する時期が来るのだから、親が急いで小さな時から知識を学ばせようとしなくてよいと思う。最近では保育園でも幼稚園並みに学習の先取りを行うところが出てきたが、この時期に知識の先取りをさせないで、心の教育をすべきだと思う。

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