資料2 中央教育審議会初等中等教育分科会教員養成部会 (第43回) (懇談会) 議事要旨(案)

1.日時

 平成18年6月8日(木曜日) 10時~12時30分

2.場所

 東京會舘 11階 「シルバールーム」

3.出席者

 梶田部会長、天笠委員、石原委員、大橋委員、小原委員、門川委員、河邉委員、甲田委員、渡久山委員、野村委員、平出委員、宮崎委員、八尾坂委員、山極委員、横須賀委員、鷲山委員

文部科学省関係者

 山中審議官、徳永審議官、磯田審議官、戸渡教職員課長、勝野視学官 他

4.議事

(1)教職課程の改善・充実について

 協力者グループ代表の山極委員及び事務局から、資料3~5に基づき説明が行われた後、自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。

 資料3のp.3に、実習開始後に問題が生じた場合には、個別指導を行うとなっているが、個別指導は実習中止まで含むのか、最後まで実習を行わせ単位を認定するのか。

 大学が教育実習生を送る以上は、責任を持ってもらわなければ、受け入れ校が困る。そのため、個々の学生の履修履歴等を把握し、受け入れ校へ送り出すためのきめ細かい事前指導をしていくことが必要である。実際に、実習生を送り出した後、学校側から大学に苦情がきていることもあるので、大学は個々の事案について指導するとともに、場合によっては教育実習を取りやめるくらいは必要だと思っている。最終的な表現ぶりについては、答申を取りまとめる中で検討してもらいたい。

 実際に、自分の学校に受け入れた実習生で、教育実習としての成果を上げたとは思えない者がいたので、評価せず、大学に単位不認定を受け入れてもらった事例がある。教育実習の単位を認定しないと卒業できないため、既に企業への就職が決まっている者で、何とか単位を認めてもらったという事例もあるので、単位の不認定については、個々の実習生によって微妙なケースがあることは認識しておく必要がある。

 教員養成大学は別に考える必要があるが、大学の卒業要件と教員免許の取得は分離することによって、教育実習の評価もきちんとできるのではないか。母校実習をやめるとするなどの提言は、現在の課題を的確に整理している。京都市では、教員養成大学が連合して教職課程認定大学協議会を設置し、教育委員会と校長会の三者で研究会を立ち上げ、教育実習希望者に対する事前研修を合同で行ったり、合同の評価表をつくるなどしている。これにより、教育委員会や校長会の果たす役割が大きくなってくるため、これまで、大学が実習生から実習費用を徴収して個別に実習校に渡していたものを、大学が京都市に収め、市から実習校に公費として配分するシステムを確立していこうとしている。個別に実習生が母校に実習受け入れをお願いするのではなく、制度として確立していくことが必要ではないか。

 課程認定大学の実地視察の際、必ず教育実習の内容について意見を述べているが、協力者グループの報告は、現状の疑問を払拭する内容になっているので、ありがたい。実習生が多数いる大学になると個別指導は困難だろうが、可能な限り学生の適性と履修履歴等を確認し、個別指導を行っていくべきである。私学に多い母校実習だが、受け入れ校側に、「単位が欲しくて来たのだろう」と発言をする教員がいたり、学校の行事等の手伝いをさせられただけで単位を認定されたという問題もあるので、原則廃止の方向とすることで、それに代わるものを各大学で検討していかなければならないだろう。母校実習の受け入れ校の中には、大学作成の教育実習の手引きに従って、指導案づくりで実習生の苦労していた点や、研究授業の内容やつまづいた点などを記録して、指導教員が細かく指導している例もあるが、稀である。事前指導を行っている大学は多いが、事後指導は不十分であり、次年度実習生のために、発表会を開き、事後指導の経験を発表する実習生を指導しながら、次年度実習生にも留意させるということを行っているところは稀である。事後指導の内容についてもきちんと触れているので、このようなことが実行されると、成果が上がるだろう。

 教育実習の指導を充実させることは賛成だが、以前から、学校現場における実習公害の指摘や、学校現場が教育実習を受け入れる法的根拠が必要との意見が出されていた。教育実習を充実させるほど、学校現場の負担は重くなる。後輩育成なので、努力すべきではないかという論理でこれまで行われてきたと思うが、その論理がまだ通用するのか。資料3では直接触れていないが、それを伏在させたまま、実習指導のみ充実していけば、また同じ問題を引き起こすのではないかと思うが、それについての議論はどのように消化されたのか。

 教員を育てるのは学校現場であるという基本理念に立ちつつ、これからは、教育実習への参画や、次世代の教員育成といったものも学校評価の中に入れていき、一部の教員のみに実習指導を任せるのではなく、学校が組織的な体制をつくっていかなければならないので、p.3の上から2つ目の○に示している。実習生を受け入れるのは職務であることを担保するために、法的にも明確に示す必要があるのではないか。免許法施行規則第21条に、教育実習施設に関する事項の書類提出が義務付けられているが、薬学部では、実習に必要な施設を確保するための措置を講ずることまで明記されているので、教員養成においても、この辺りについてきちんとしておく必要があるのではないか。

 実習校が、きちんとした受け入れ体制づくりをしない限り、実習の効果を上げることはできない。例えば、実習校の指定を行い、そこに指導できる教員を配置し、きちんと実習生を指導するなど、明確な体制づくりが必要である。現在の学校は、教員を職場で育てていく機能が脆弱なので、実習生を受け入れた時に、どのように教えていくのかが大事である。今までの母校実習には課題があるが、学校側としては実習生を引き受けるメリットがなく、良い学生ばかり来るわけではないため、母校以外に引き受ける学校がないという現実がある。講師や臨時任用教員が多くなっているので、指導体制を整えるのは難しい。教員養成大学は、附属学校における実習を原則とするのは良いが、附属学校は選抜により保護者の階層や子どもの学力が一定化しており、特殊な環境にある。公立学校は、保護者も子どもの学力も多様で、地域や保護者からの苦情も多いため、教員は授業力よりも苦情処理や危機管理能力の面で初めからつまづくのが現実である。教職志望の学生は、そのまま学校に出ると社会を1回も経験しないため、社会との齟齬が生じている。教員が尊敬されていた時代から、保護者の学歴が高くなり、地域からの苦情も多く、保護者や子どもも多様な時代の教職であるので、実習校もそれに対応できる能力を付けていくことが大事ではないか。

 p.1に「全教員の参画と協力」とあるが、一般大学・学部では難しいのではないか。また、「課程認定大学と学校、教育委員会が共同して」とあるが、私立大学は地域の教育委員会との関係が希薄であり、母校実習が原則になっているので、問題が出てくるのではないか。学校側が喜んで実習生を受け入れることはないが、教員の出身校や出身学科の出身者だったり、教え子だったりすると受け入れる事が多い。実習校の体制をつくらなければ、実習公害はなくならないのではないか。大学が、実習に不向きな学生は出さないと決めれば、実習生が減り、質も高くなってくるが、大学の経営上、難しいのではないか。母校実習を行わないのであれば、大学の多い都市部では、その都市部で学校が実習生を全て引き受けることになるが、そのような受け入れ体制が都市部の学校にあるのか。母校実習をやめた時に、どのような問題が起こり、どのような解決策を講じなければならないかという踏み込んだ検討をする必要がある。

 実習期間は2~4週間で行われているが、実習期間の考え方はどのようになっているのか。その期間だけ集中的に学校に行くことは、学校側にとっては日常が乱され、教育実習後の回復措置にエネルギーを使うため大変である。一方で、大学には教育委員会や学校から、対応が難しい子どものアシスタント等として、教職を目指す学生を募る要望がきて、実際に学生が学校で活動しているので、教育実習の問題を整理し、このような動きにつなげていくことはできないか。実習校と実習生の付き合い方について、例えば、実習期間だけ学校と関わるだけでなく、その後も学校行事等で応援を頼まれたりする話もよく聞くので、長期間の関わりを持つことによって、実習生も戦力になるところがあるので、教育実習の時間設定を通して、教育実習で目指すものを考えても良いのではないか。場合によっては、4年間の教職課程の中で、教育実習を位置付けていくことが示されても良いので、もう少しそのような視点を加えても良いのではないか。

 音楽で実習生を受け入れたが、バイオリンの専攻だったため、ピアノ演奏や歌唱指導が不得意で、授業の効果が出ず、大学側も困っていたという事例があった。p.3の「複数の教員が協力して指導」することについて、どの学校でも、校長や教頭、生活指導主任の講話があり、教務主任が世話する形で実習生を受け入れている。教科指導は教科担任が、学級指導は学級担任が行うことになるので、多くの教員が関わりながら指導しており、その意味では、この表現のようになっている。

 自分の大学では、キリスト教系の女子教育をしている学校に多くの学生が就職しているので、やむを得ず母校実習を行っているのではなく、意義があって行っているので、そのようなケースがあることも知っておいてもらいたい。不向きな学生を実習に出さないために、個別面談等により実習に行かない方向で学生を納得させても、保護者が納得せず、大学側に苦情を言ってくるケースも多くなっているので、対応が難しい。

 学校週5日制になり授業時間の確保が難しく、学力低下の問題もある中で、義務でない教育実習を引き受けなければならないので、これまでに色々な問題があった。教育実習だけでなく、教員養成の在り方そのものを根本的に問い直そうと、所要単位を修得すれば免許を取得できる形を抜本的に改革するために、教職指導を行い、明確な教員像を持って大学組織を構成し、カリキュラムを編成するという、大学全体を挙げての教員養成を行うべきということが中間報告に盛り込まれているので、それが実践された場合を想定して、教育実習の在り方を考えていく必要があるのではないか。一般大学で教員養成ができなくなるようでは、開放制の原則から問題があり、やむを得ず母校実習に出すこともあるかもしれないので、母校実習を全くさせないのか、一部認めるのか、あるいは各大学が必ず地域に教育実習校を持ち、教育実習を行わせるのか、考える必要がある。教職指導や教職実践演習(仮称)がきちんと行われ、その一連の中で教育実習があるとなると、これまでのような不十分な対応は許されないので、今回の提案は重要な意味を持っている。

 資料5については基本的に案の3が良いと考えるが、無理であれば、案の1の2つ目の○の例が良い。1つ目の○の例について、情報機器の操作は、各大学が必修化に取り組み、ようやく定着してきたので、これを減じるとなると大学側はがっかりするだろう。案の3、案の1の2つ目の○、うまく工夫できるのであれば案の2の順で考えてもらいたい。

 特に教職は志していないが、教員免許を取得しておいた方が良いと考えている学生が多く、気が付いたら教職に就いていたという者が多いので、教職課程をより厳しくした方が良く、案の3を課すことによって、安易に教員免許を取得しようという学生を排除できるのではないか。それにより、大学側も少ない学生に教職指導を行えるし、実習校も少なくて済むのではないか。

 案の3が良いのではないかというのが個人的な意見である。開放制とは、安易にいつでもどこでも誰でも教員免許を取得できるということではなく、高度専門職としての教員を確立していくためには、開放制の原則を守りつつ、教員免許を取得する者の総量規制を行い、真剣に教職に就きたいと思う者しか資格がないという、必要十分条件を備えた者が免許を取得する方向に持っていかなければならない。開放制の原則を堅持しながらも、安易な形では免許取得は許さないという方向でいくことを、書き込まなければならないのではないか。例えば、資料3のp.3の下から二つ目の○では、「なお十分な成果が見られない学生については、最終的に教育実習に出さないという対応をとることも、考慮する」とあるが、これを「必要である」としたり、「課程認定大学は実習校と協力して速やかに個別指導を行うなど、責任ある対応に努める」とある点については、「実習中止を含む、責任ある対応」とするなど、少し強めの表現を用いて例示した方が良いのではないか。

(2)教員免許更新制の導入等について

 ワーキンググループ主査の野村委員及び事務局から、資料6~8に基づき説明が行われた後、自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。

委員
 ペーパーティーチャーの場合も、10年経過後に教員になろうと思う者は、もう一度講習を受けなければならないとされているが、その他の者にある「望ましい」という表現と、「必要」という表現をどのように区別しているのか。

事務局
 免許状を再取得するためには回復講習の受講が必要である。一方、教員にはならないが免許を持ち続けていたく、更新講習を受け続けたいというペーパーティーチャーもいるので、その場合は更新講習の受講が「必要」としている。それ以外の者については、更新講習の受講か回復講習の受講かといった場合には、回復講習の受講が望ましいという意味で、「望ましい」としているものである。

委員
 ペーパーティーチャーについては、免許状が必要となった時点で回復講習の受講・修了は必要なので、「望ましい」という表現ではその他の選択肢があり得る誤解を生じる可能性がある。表現を工夫してもらいたい。

委員
 教員免許更新制の法制化についての考え方については、既に免許状を取得した者に適用できるかどうかが重要な壁になっていて、答申の遅れに繋がっていたと思うが、資料6では、合理的であれば問題ないとあっさり書かれている。これから、現に免許状を有する者への適用について反対論も起こってくることを考えると、もう少し、これまでの問題点や、それをどのように乗り越えることができたのかということを可能な範囲で示した方が、議論上、良いのではないか。

委員
 資料6の参考で示されている更新制を導入している職業資格と教員免許状とは、質的な違いがあるので、法制化に向けての理論付けをもう少し整理した方が良かったのではないか。

事務局
 現に免許状を有している者への適用の問題については、中間報告でも、法制度上の課題の他に、実施上の課題が示されており、ペーパーティーチャーを含めると相当数に上り、制度設計によっては取り扱いも変わるため、検討に時間がかかった面もある。法制度上の課題については、資料6にあるように、制度上は不利益を課す場合でも、比較考量の上で導入できないわけではないが、制度が必要最低限で合理性と客観性を持つ設計になっていることが必要であり、今回の議論はそれに該当すると考えられる。更新制が免許制度上、本来的な在り方として必要だと考えるにあたって、現在、免許状を有する教員がこれからの教育を長期間担っていくため、現行の免許状には、リニューアルの考え方は顕在化されていないが、それを顕在化させる仕組みを取り入れることには合理性があるという考え方で整理したので、この理屈で法制的には説明できると考えている。他の職業資格との関連では、3つ目の○にあるように、「教育は、その特性上、その成果を客観的かつ短期間に評価することが、他の職業資格と比べてより困難であり」、「教員が心身の発達段階にある幼児児童生徒に対して強い影響力を有する」ことを踏まえれば、他の職業資格において更新制が導入されていなくても、教員免許の本来的な在り方として、必要な資質能力の更新を制度的に担保する仕組みを取り入れていく必要性・合理性は高いと説明できるものと考えている。

委員
 教員免許の目的や趣旨、性格をはっきりすべきというワーキンググループでの意見を踏まえ、資料7のp.1の3つ目の○に「教員免許状は、いわゆる公教育を適切に実施する者に授与される資格である」と示し、その中で、4つ目の○にある「今日の公教育が直面している課題や急激な変化、教員の果たす役割等に鑑みれば、国民の期待に応える公教育を実現していくためには、教員免許制度を、恒常的に変化する教員として必要な資質能力を担保する制度」とするには、更新制は客観性と国民に対する説得力があり、免許制度との関わりの中で容認されるのではないかという意見が出されていた。平成14年答申では、専門性と適格性の問題が出ていたが、「なお慎重にならざるを得ない」とされたのは、所定の単位を取得すれば免許状が授与されるという現行制度を前提にしての更新があり得るのかということが、そのような結論に至った一つの要因である。今回は中間報告にもあるように、養成段階でこれまでとは異なる形式での教職指導や、第3のカテゴリーとして教職実践演習(仮称)を行うことで、大学が責任を持って子どもの前に立てる教員を送り出し、その上で、10年目に更新講習を行い修了認定させるので、平成14年答申時とは基本的に異なる部分があるのではないかということで、このような結論になった。

委員
 p.6の一番下の○について、免許状の失効の解説をするのは良いが、身分上、失効すれば直ちに失職となるのが前提であれば、「部分失効」という表現では部分失職と解釈されるおそれがある。失効はあくまでも失効ではないか。

委員
 「部分失効」という表現は、解釈上誤解を招くのではないか。p.10の図について、ペーパーティーチャーの場合は、免許状が必要となった時点で、回復講習を受講するというのが前にあり、その後に教員希望者とその他の者に分けているので、ペーパーティーチャーで教員希望者の場合、10年ごとに更新講習を受講するというのは直結しないのではないか。

事務局
 ペーパーティーチャーは多数いるので、更新制を導入すると、全員が更新してくるのではないかという指摘や心配があったため、実際に更新講習を受講して常に有効な状態に保っておきたい者はどのような者かを理解してもらうために作成した図である。教員採用試験では全員採用されているわけではないので、試験を受け続けている者は常に免許状を有効な状態に保っておきたいと思うので、有効期限前に更新講習を受ける層になると思われる。それ以外の者は、通常は更新講習を受講しないが、教職に就きたいという時に、免許状を復活させるべく回復講習を受けるという違いがあるだろうという趣旨を示したものなので、より趣旨が明確になるよう整理したい。

委員
 更新講習を受け、自動的に修了とされれば、更新制にどのような意味があるのか疑問を生じるので、社会的な信頼という意味で、さすが免許を更新した教員だと言われるよう、例えば、何をもって修了とするのか明確にしてもらいたい。自分が持つ免許が保証する能力が、時代の要請等の中で、きちんと担保されるのかが明確である方が良い。小学校であれば、初等教育の中で何を専門性として見ようとしているのか、中学校・高校であれば、最低限の授業をし得る指導力が、きちんと担保されているのかがわかれば、公教育は安定的に行えるのではないか。例えば、英語では、かつて文法を日本語で教えていたが、今はコミュニケーションを取りながら英語で教えるため、それができない教員が多くいる。そのために、チームティーチングや別な教員を充てるなどするが、このような問題を良い形でクリアできることが大事なのではないか。子ども理解について、幼稚園から高校まで一律というのは難しいのではないか。所有している免許の担保している能力が今後の10年間も担保され、新しい時代の要請に合わせて能力もきちんと備わっていると担保されることが一般にも分かりやすいのではないか。講習の受講時期等の制度設計も含めて、良い方向に向かっているが、講習内容が教科種に関わらずとされている点について、教職専門が中心となれば、講習を受講しても身に付かない部分があるので、明確にした方が分かりやすいのではないか。

委員
 講習を実施する大学の認定や、更新講習のモデルカリキュラムづくり、各学校種の講習内容、各学校種に共通の講習内容、修了認定の基準等も示さなければならないので、主要な部分は答申に書き込みつつ、答申後も、その内容を現実にするために、ワーキンググループをつくり、細かく検討しなければならない。

委員
 「部分失効」としたのは、自動車運転免許の場合は、一度免許を失えば、もう一度初めから取り直さなければならないのに対し、教員免許の場合は、修了しなければ免許が失効し教壇に立てなくなるが、大学で取得した単位は有効で、回復講習を受ければ再授与されることから、このような表現にした。失効したら、大学で取得した単位が全て無効となり、免許を取り直さなければならないという誤解を招かないために用いた表現である。修了認定については、研修の場合でも、受講しさえすれば良いとするところがあり、評価が伴っていないという批判があることから、きちんと評価を行い、求められる資質能力が備わった者について修了認定すべきという意見があることから、更新講習の場合も、厳しく対応していこうということである。

委員
 現職にも適用するという考え方がマスコミでも報じられたことで、現職教員からは、まさか導入できないだろうという反応が見られ、ペーパーティーチャーからは、1回くらいは講習を受講するが、その後は受講しないという反応が見られた。60歳になって、改めて教職に就くとなれば、また講習を受講しなければならないのかというのが、免許状を持っている者の問題意識である。資料6の(参考)に、更新制を導入しているものとして、海技士や水先人等が挙げられているが、類似免許は医師免許ではないか。医師免許は生命に関わる免許だが、日本では更新制がない。資料の考え方を取れば、最も更新制が必要と思われる医者にはないのに、なぜ教員に導入するのか。「他の職業資格における更新制に照らしても、バランスを欠くものではない」とされているが、もう少し検討する必要がある。公務員制度との関係でも、教員免許は職業資格なので、更新制により失効すると、身分上どのようになるのかが問題となる。他職種に就ければ良いが就けず、失効すれば教員にはなれないので厳しい。昨今は、免許を有しない者が校長等に登用されたりしているが、学校現場では教員免許状を持たない者でも、きちんと仕事ができている。管理職になるには無免許で良いが、一般教員は何回も更新を受けなければならないという矛盾が残っていて、現場感覚としては本当にそれで良いのか疑問がある。学位等の基礎資格等はあるとされているが、免許状は過去の実績のトータルで授与されているので、全て失効するのが免許状の在り方だと思われるが、基礎資格の失効は、大学の単位を全て否定することになるため、それもできないのだろう。現在、大学で教職に必要な単位を修得しても、申請しなければ免許状は交付されないが、部分失効はこれと同じ状況にあると理解するのか。現職になるためには、もう一度講習を受けなければならないが、採用後の初任者研修と同一に考えられるかどうか。その辺りをもう少し議論した方が良いのではないか。

委員
 現在、教壇に立っている者だけでも100万人はいるので、教員の不安をどのようになくし、制度上もスムーズに持っていくかが、素案や答申案のポイントになる。ワーキンググループからの報告を土台にしながら、表現の仕方や実施上の工夫について意見を出してもらいたい。教職大学院のモデルカリキュラムや実務家教員の資格問題等の具体的な内容については、答申後も議論してもらう必要がある。

(3) 実地視察の充実及び課程認定委員の追加指名について

 教員免許課程認定大学の実地視察の充実に関して野村委員から説明が行われた後、部会長より、課程認定委員の追加指名があった。(非公開)

5.閉会

お問合せ先

初等中等教育局教職員課

-- 登録:平成21年以前 --