資料13 これまでに出された主な意見

(下線部分は第28回教員養成部会において出された意見を踏まえて追加した部分)

1.基本的な事項

(1)教員に求められる資質能力

  • 医学や法学については、専門職性がはっきりしているが、教職としての専門職性とは何なのか、まずこの点を明確にすべき。
  • 教員とは、1.児童・生徒の人格形成の支援、2.基礎知識の学修の支援、3学習の方法を教える、4.人生の支援、に関わる職業である。将来的に、教育の質をアップグレードするには、教える力をより高める養成、再教育のシステムをつくる必要がある。原点に戻って、教育の質を高めるために、いかに教員の質を高めていくかを議論し、その結果として、免許制度をどうするか、チェックポイントとして更新制はどうかという議論をする必要がある。
  • 教員には、1.人格形成の支援、2.基礎的な知識・技術を定着させること、3.一人一人の学ぶ意欲を高めること、4.生きて働く力の基礎を身に付けること、5.子どもや保護者の支援、6.地域とどのように関わるのか、7.社会の変化への対応や柔軟な発想、8.専門性に優れ、教育愛があること、などが大切。
  • 大学でも学生が多様化し、教員がついていけないという現状がある。米国でも教師に求められる資質能力は高まっており、これは世界の流れである。専門職大学院にしても、更新制にしても、世間から出てくるというのはやむを得ない。
  • 教員としては、教養を子どもたちに示すことができ、また自ら考えることができる人が大切であり、この点をきちんと議論して、教員養成の仕組みを考えるべき。
  • 専門性や指導法は大切だが、児童生徒の人間力の向上の前に、先生自身の人間力の向上が大切。教員が自らの後姿を児童生徒に見せ、人生を語ることが大切であり、知識だけでは不十分。

(2)教員の現状

  • 教員の資質に問題があるということが前提となっているが、教員の現状や、国民がどう見ているのかをきちんと把握しているのか。現場を見ると、圧倒的多数の教員はしっかりやっており、指導力不足教員は全体からすれば少数である。
  • 現在の教員政策がどのようになっているのか。教員の資質能力が強調される一方、免許状が無い民間人が教壇に立てるような仕組みがある。また、正規教員が少なく、臨時採用の教員が増えており、学校の教育力が相対的に落ちてきている。教員政策全体の哲学が必要。
  • いじめや不登校の問題などは、教員だけに帰する問題ではなく、教員がきちんと教育に専念することができる環境をつくることが大切。

(3)教員養成の現状

  • 小学校と中・高等学校では異なるものが求められる。教育学部では、小学生にトータルとして何を教えるのか分らない。また、中・高等学校は、教職に関する科目を重視してきたため、理数系や外国語などで、十分な専門性が身についていない。専門学部卒と教育学部卒との間で、学力の格差が出てきている。専門性に尊敬がなければ、授業が成り立たないという現状がある。
  • 従来の教科教育の在り方は批判的に検証されるべきだが、現職教員の能力開発の一つとして、授業作りやカリキュラム開発は益々重要である。今の大学には、トータルなカリキュラムの構築や全体的なカリキュラムマネジメントの研究者がいない。
  • 演習や実習、実技などが苦手で、教材開発ができない学生が増えてきている。知識だけでなく、演習や実技等の技術を高めていかなければいけない。また、児童・生徒理解や教育愛も大切。
  • 大学で受ける授業は、児童生徒がきちんと学習に向かうという前提で行われているため、新任教員は躓くことになる。大学は、学校現場の実態に対応できる教育を行う必要がある。
  • 専門性を高めることは大切だが、子ども、保護者、地域との関わりで問題を抱える教員もいるため、教員養成の段階でどのように対応すべきかを検討する必要がある。
  • 資質に問題のある学生でも、単位を修得すれば免許状が取得でき、採用される。採用後に、キャリアや研修を積めば教員としての適性が身につくのかというと難しく、これらの問題をどのようにしてクリアしていくのかが重要。
  • 大学によっては、採用選考試験を受けない学生には、教職課程を履修させないなど、厳しく対応しているところもある。教養審の第1次答申において、養成段階は「最小限必要な資質能力を身に付けさせる」とされているが、大学はこの点を踏まえて、成績を評価しているのか。厳しい課程認定を通ったら、簡単に単位を与えるという現状を変えることが必要。
  • 大学側が免許状の取得を抑制する傾向にあり、免許状取得者の実数が減ってきている。取得を厳しくしてレベルを上げる一方で、教職に魅力がなくなっているという面がある。また、本当に取りたい人にだけ取らせるという大学の経営判断もある。
  • 専修免許状の取得者は、2年間学んでいる割に教育のパワーがなく、子どもをうまく抱えたり、学級を上手に運営していく力に欠けている。

(4)今後の教員養成の在り方

  • 学校教育をめぐる危機的な状況の中で、教育をより良いものとしていくためには、教員の資質能力の向上が不可欠であり、養成段階から改善を図ることが重要。その意味で、修士レベルで養成教育を行うことは良い。
  • 高等教育をめぐる議論の中で、学部と修士との関係が変わってきており、専門職大学院の構想は、時代の流れに合っている。社会的に他の分野でも大学院の修了者を採用するようになってきている。
  • 大学が、2年後には誰でも入れる仕組みに変わろうという時代が来ている。このユニバーサルアクセスの時代に高等学校までの教育が変わるという時期に合わせて、教員の専門職大学院を考えることには意味がある。
  • 専修免許状の取得者が現場であまり評価されないのは、量的に少ないためであり、ある程度数値目標を持って養成をしなければならない。これについては、教育委員会が大学院へ派遣しないことにも問題があり、今後、地方分権の進展に伴い、益々派遣が難しくなることが危惧される。
  • 一般的に、資格の取得は学部段階では完成せず、学部で基礎的な素養を身に付けて、大学院で専門性を高めるという方向となっており、その中で教員養成については、どのように考えるのか。中・高等学校の教員の専門性は低下しており、小学校の教員についても、全教科担任を基本とすることでいいのか。教員養成について、今の4年制が良いのか、6年制が良いのかを論じなければならないが、当面の審議事項として提示されていることを考えると、現行制度を前提に考えるのが実際的ではないか。
  • 一種免許状があり、専修免許状が学校現場で十分活用されていない中で、6年制を前提に議論するのは非現実的。
  • 新教育大学は、大学院大学として創設されたようで、学部を持っており、6年一貫を指向したのではなかったか。専門職大学院を創設する場合、学部との関係を一貫にするのか、切り離すのかについて検討することが必要。
  • 社会が急速に変化している中にあって、決まったことだけを教えるのではなく、今までとは異なる新たな専門性を身に付けさせることが必要。現場の評価を受け止めて、新しいことを身に付けさせるよう、学部とは異なる新しい仕組みを検討していくことが重要。
  • 社会全体が高学歴化する中で、教員に修士卒が増える傾向は出てくると考えるが、その場合、各都道府県にある教育学部が、現職教員の再教育と新任教員の養成の二本立てで対応するのが良いのではないか。
  • 教員について、大学院を出た人が歓迎されないという状況は考える必要がある。他の分野も以前はそうだったが、努力により変わってきた。既存の大学院制度をきちんと押さえた上で、専門職大学院を考えることが必要。
  • 大学院を出た人が必ずしも良い先生ではないという声がある。大学院だけで養成するというのは納得されない。
  • 教職課程の教育は、大教室で文学などの授業を受けるだけで、単位を修得できるが、人格形成の支援の仕方や教え方等を教わったとはとてもいえない。何年間かの移行期間を経た上で、免許制度を抜本的に改正することを考えなければならない。
  • 専門職大学院や更新制は、教員免許の問題、処遇の問題、養成・研修の問題の3者をうまく絡めて検討する必要がある。また、教員の社会的地位が高いという日本の特徴を踏まえて検討することが必要であり、処遇の問題を真剣に考えなければいけない。
  • 幼稚園の教員については、約80パーセントが短期大学卒であり、専門職大学院等の検討に伴い、資質能力を高める観点から、抜本的に改革しなければならない。

2.教員養成における専門職大学院の在り方について

(1)専門職大学院の役割・位置づけ

  • 教員養成は、師範学校から始まり、現在は幅広く一般大学においても行っているが、これらをきちんと評価した上で、専門職大学院を議論することが必要。
  • 教員には、小学校、中・高等学校、大学の3種類の教員がいる。戦後、師範学校、高等師範学校、大学における養成が一本化されて、それぞれの特色ある教員養成がなくなってしまった。専門職大学院を考える場合、小学校の教員養成はどうするか、中・高等学校の教員養成はどうするかを、あわせて検討しなければならない。
  • 法科大学院は、従来よりも合理的、効率的に法曹の資質向上を図ることを目的としているものであるが、教員の場合、専門職大学院の役割は何かを考えるべき。
  • 専修免許状は、学生が自分の得意分野をつくるということで、それに大学が応え得るという準備をして作った。このため、教員一般について専門性を高めたり、実践的指導力を強化するという考えではなかった。このような現状を踏まえると、専門職大学院は、教員一般について、高い専門性や高度な実践的指導力を育成するということを考えて、構想すべきではないか。
  • 専門職大学院を作る際には、学部における教職教育の延長ではなく、現職教員のキャリアアップや特定分野の職能開発に目的を絞ることが考えられる。
  • 4年制を原則として、専門職大学院は、大学の教職課程を活性化するもの、あるい は管理職やマスターティーチャーなどを養成し、資格を付与するなど、教職のキャリアをシステム化するものとして位置づけるのはどうか。
  • 専門職大学院には、教育のアドミニストレーターのコースを設け、その修了者が教育委員会に配置されるようなシステムを作ることを考えるべき。
  • 校長のリーダーシップやマネジメント等は極めて大切であるが、既存の組織を活かしていくだけでは難しく、専門職大学院が一つの提起となるのではないか。
  • 専門職大学院は、少数の高度な専門性を有する教員を養成するためのものなのか、現職教員が現場の課題に対応するためのものなのか。
  • 教員養成系大学・学部と異なり、一般大学・学部では、児童生徒への接し方など、教職の様々な問題を含む教職課程を履修するのは相当困難。このため、専門職大学院でさらに学び、そこを出れば教員になれるというように、制度改正すべき。
  • 大学院卒の教員が少ないため、増やしていくことは必要である。現職教員の構成をきちんと分析して、専門職大学院の在り方について考えていかなければならない。
  • 新教育大学の考え方が、一般の大学・学部に広がらなかったのは、新教育大学をバックアップするという状況が生まれなかったことに原因の一つがある。専門職大学院を考える場合、ある程度数のボリュームを持つ必要があるのではないか。
  • 全ての現職教員が一度は専門職大学院において学ぶことにしても良い。
  • 全員が専門職大学院の修了者になる必要はないが、各学校に何人かは専門職大学院の修了者がいるようにすべき。
  • 専門職大学院の議論には、1.専門大学院若しくは専門職大学院、2.修士課程若しくは専修免許状、という2つの流れがあり、これをどのようにマッチングさせるかが課題。

(2)既存の教員養成系大学・学部・大学院との関係

  • 既存の大学院は、論文や研究指導があり博士課程に進学できるもの、専門職大学院は、専門職の養成に専念し、論文、研究指導は行わないものなど、両者の性格付けをしっかり整理すべき。
  • 新教育大学の狙いは、今日の専門職大学院の目指すものと同じであった。それにもかかわらず、なぜ新教育大学が専門職大学院を目指すという改革案を打ち出さなければならなくなったのか、その理由をきちんと検討することが必要。
  • 今の教育学部の大学院はどうするか、国立大学の教員養成学部が大学院教育をきちんと行っているかを検証した上で、専門職大学院と何が違うのか等について検討することが必要。また、兵庫教育大学、鳴門教育大学、上越教育大学の見直しも必要。
  • 教員養成系大学の修士課程でも、教育実践にあまり重点を置かない教育が行われているという問題がある。
  • 新教育大学の大学院は第二文学部、第二理学部的な指向が強く、そこから戻った教員は、教育実践から疎遠になってしまっている。また、設置審の基準の関係で、実践的な指導力を持つ教員がいるにもかかわらず、アカデミックに偏重せざるを得なかった。
  • 兵庫教育大学の大学院にスクールリーダーコースという、校長、教頭や指導主事になることを想定したコースを設けたが、評判がいい。

(3)専門職大学院の制度設計等

1.教育内容・方法等

  • 専門職大学院制度は、学部でリベラルアーツの基礎を身に付け、その上で専門職としての指導をするというもの。また、一定の現場経験のある教員による実際的な指導、修士論文ではなく双方向的・多方向的な授業を充実するものであり、教員養成でも参考になる。
  • 「生きる力」や「人間力」を身に付けさせるためには、知識だけではなく、体験に基づいた問題解決能力を身に付けた人が教える必要がある。教職課程において、実習や、学校教育以外の場面も体験できるようにすべき。
  • 専門職大学院では、発達段階、年齢に応じた指導を行うことが必要。また、校長は全体の教育課程、組織のマネジメント等の専門性が求められるため、校長、教頭、指導主事などが専門性を付加することを担保するような仕組みをつくるべき。

2.教員免許状

  • 専修免許状は、教科に関する科目、教職に関する科目について、どのような履修でも免許状が授与されることになっているが、専門職大学院については専門職大学院修了相当の免許状を授与することが当然であり、どのような免許状とするのか、そのため、どのような教育内容・方法が必要かということを議論することが実際的。

3.入学資格

  • 子どもたちを理科好きにしているのは、工学部、農学部の先生であり、これらの学部の出身者を入学させて、実践力のある大学院をつくることが必要。

4.修了者の処遇

  • 法科大学院については、修了後、ある程度の(採用面の)保証があるが、教員については、それがないため、色々なルートを考えることが必要。

3.教員免許制度の改革、とりわけ教員免許更新制の導入について

(1)14年答申との関係等

  • 14年答申では、「導入には、なお慎重にならざるを得ない」となったが、中教審としては、引き続き検討すべき課題という認識であったと理解。
  • 14年答申では、更新制については見送ることとなったが、再検討することもあり得る事を鮮明にしていた。当時は、更新制を導入しない理由が中心となり、政策論議が欠けていた。
  • 2年前にこだわらずに議論しても良いのではないか。国際化、グローバル化の中で、日本の義務教育や高等教育がどのように対応していくのかを考えた時、教員の在り方についても根本的に考え直すことが必要。
  • 教育改革国民会議の議論で問題となったのは、学校の閉鎖性であり、更新制は、これにショックを与えるという意味があった。14年答申の時点では、10年経験者研修を新たに創設する等により、更新制を導入するまでの必要は無いとなったが、一方で、いまだ更新制導入という声があるのは、学校現場がまだ変わっていないということであろう。14年答申にこだわらず、再度、議論することが必要。
  • 公務員制度改革の議論が盛り上がっているということが、この2年間の変化の一つではないか。更新制は、更新しない場合、教員としての身分を失うことになり、公務員制度との問題が出てくるため、この改革の方向を見ながら議論することが必要。
  • 朝令暮改という見方もあるが、様々な外的要因があり、国民の間には教育の質を上げて欲しいという声がある。また、世界中が教育の質の向上に取り組んでいる。そのような視点で議論すべき。
  • 14年答申で、適格性の観点からは指導力不足教員の認定等で対応し、専門性の観点からは10年経験者研修の創設等で対応することとなった。この答申で一定の結論を出しており、また、多くの教員はしっかりやっており、住民参加が進む中で、教員が独善的に授業できる状況でもない。これらの取組みを総合的に評価して、更新制の導入が必然的なのか議論すべき。
  • 更新制は、教員の自己研鑽を促すという効果はあるが、平成14年の答申以降、社会状況にどのような変化があったのか。更新制を導入するメリット・デメリットについて、整理することが必要。
  • 14年答申を受けて、更新制に代わるものとして、10年経験者研修が導入されたが、実際にどの程度機能しているのか、実態を明らかにすることが必要。
  • 新しい免許制度が施行されて間がなく、本年度初めて新課程の修了者が出たところである。大学のカリキュラムについても、実践力の強化を目指しているところであり、制度改正は性急に過ぎないか。

(2)教員免許更新制を含む教員免許制度の改革の必要性

  • 更新制導入が必要なのは、教員のレベルが低いからではなく、社会状況の変化の中で、教員自身が努力していく意欲に乏しいことが問題だからである。更新制のみに目を奪われるのではなく、養成・採用・研修の中で、更新制がどのような位置づけとなるのかを、高い立場から議論すべき。
  • 更新制を導入する場合、免許制度の在り方や現職研修、専門職大学院などを総合的な戦略として位置づけ、優れた教員を教職に入れ、質の高い教育をしていくためにはどうしたら良いのか、処遇との連動も含めて、検討する必要がある。
  • 更新制の導入は、透明性の確保、競争原理の導入が求められているため。従来の学校文化では、家庭教育がきちんとしていることが前提だが、現状は異なり、教員は対応方法を習っていない。また、仮に義務教育費国庫負担金がなくなれば、全国で様々な学校、学校文化が出てくる。これらを踏まえて更新制を議論することが必要。
  • 教員としての適格性や専門性に加えて、信頼性というのが免許制度全体における一番大きな問題であり、更新制もこの観点から議論することが必要。
  • 更新制だけでなく、教員の養成や採用の根本的なところを議論しなければいけない。基本的にペーパーテストと若干の面接だけで公務員となり、終身雇用となるが、これは直していかなければいけない。
  • 課程認定の在り方について、開放制の原則は大切だが、節度ある開放制を前提にした上で、更新制を議論すべき。また、米国の免許状には、プロベーション、リミテッド、パーマネントの3段階があるように、更新制だけでなく、免許制度の抜本的な改革も視野に入れた議論が必要。
  • 開放制の原則がこのままで良いのかという議論は大切であるが、抜本的な免許制度の改革は現実的ではなく、現行制度の中で考えていくことが必要。
  • 米国では、開放制のもと、認定機関の基準に合致すれば誰でも教員免許状を取得できる。ただし、例えば成績が4段階で2.5以上が必要とされるなど、要件があることが日本と異なる。
  • 専修免許状については、創設することに精一杯で、これにより教員の資質能力が具体的にどう高まっていくのか、また、新教育大学や教育学部の大学院との関連づけがどうなるのかについて、具体的な議論はあまりなかった。
  • 専修免許状の基準が、一種免許状に量的な基準をプラスしたものとなっており、質的な基準が議論されていない。
  • 上進制度による専修免許状の取得は悪いことではないが、甘いという感じもするので、再検討する必要がある。
  • 小学校は全教科担任制がとられているが、今のように、一人の教員が小1から小6まで教えることで良いのか。
  • 医療職のように、教員について、統一的なレベルを確保する試験が必要ではないか。
  • 現行制度では、学校側に教育実習生を受け入れる義務がないため、教育実習を法的に明確にすることが必要。また、教育実習は、母校以外の学校で行うようにすべき。
  • 社会状況等の大きな変化の中で、例えば国際機関等に勤務した人で、教員としての適格性があるような人が教員になれるよう制度を柔軟にすべき。

(3)教員免許更新制の導入の意義及び位置づけ

  • 知的な面は発達しているが、人間関係が十分形成できないなど、子どもたちをめぐる状況は大きく変化しており、これらの問題への対応が教員に求められるため、更新制が取上げられているのではないか。専門性向上に努めない者がいることを考えると、何らか工夫して、制度の導入を検討することが必要。
  • 本物志向の中で、教員についても、本物の教員になってもらうには、更新制が必要。
  • 米国では、社会の変化が教員の資質向上を求め、また教育内容を変化させる中で、更新制が出てきたと理解している。今の日本社会では、若い人を中心に経験というものが通じなくなってきている。子どもの成績には、教職経験ではなく教員の社会体験や学歴の高さと相関関係があるとの結果も出ている。社会は変わるもの、流動的なものということを前提に考えていく時代に入っている。このため、我が国においては、更新制は、新しい流動する社会に対応する仕組みとして導入することは考えられないか。
  • 米国と同様、日本においても、教員免許状の価値や重みに鑑みて、終身有効で良いのかという問題がある。
  • 現在の免許制度では、上進制度がとられており、現場で教育に従事することで、資質能力は向上していくという考えがある。このため、なぜ更新制を導入するのか、また更新する観点を明確にすることが重要。はじめから更新制には問題がある、導入すべきではないではなく、更新制にどのようなメリットがあるのか、どうすれば機能するのかを議論することが必要。
  • 現行のシステムは、養成、採用、研修を通じて、次第に教員の能力が向上していく、また教職生活を続けることにより、さらに資質が高まっていくという考え方をとっている。更新制を導入するとすれば、一つには自己又は教員全体の資質能力を高めるためのインセンティブとして機能させることが考えられる。もう一つは、教員の能力が高まっていくという考えに相応しくない、あるいは免許状の信頼を損なうような場合については、更新制を活用してチェックすることも考えられる。
  • 更新制については、今の評価や分限に関する取り組みについて、さらにメリハリをつけていく上で、それが良い方向に機能する可能性があるのであれば、検討の価値はある。
  • 更新制については、不適格教員を排除するものではなく、キャリアの中の節目節目で、専門性を高めていくためのものであれば意味がある。
  • 不適格教員を出さないための更新制でなければならない。排除の論理ではなく、研修を受けることで専門性が高まっていくという更新制には意味がある。
  • 教職生活の節目ごとの学習の機会は必要であり、従来の研修システムの課題を踏まえながら更新制を考えることが必要。
  • 日本の場合、民間の研修の機会等をオープンにした上で、教員が自らの職能開発の計画や、長所短所を踏まえた研修計画を立案して受講するなど、裁量を拡大することが、更新制の可能性を検討することに値するものとなるのではないか。
  • 米国の更新制は、指導力不足教員の排除を目的とするものではなく、教員の職能成長の中で、研修とどう関連付けるかを考えることが必要。また、教員は、教職経験を積むことで色々な課題、ニーズが出てくるため、これと更新制を結びつけることが必要。専門職大学院に関連して、新たな上級免許状と更新制とを結びつけることも考えられる。いろいろな領域と絡めて、教職生活の中での更新制のメリットを考えることが必要。
  • 更新制は、不適格教員を排除するためのものではない。かつての議論に、免許状が失効した人が教員になりたい時は、大学で学び直す機会を与えるというものがあった。
  • ペーパーティーチャーや、様々な課題を抱えた教員がいる中で、更新制は必要だと考える。また更新制で教員を排除するのではなく、再度チャレンジできるというシステムを作ることが大切。
  • 更新制には、教員の自覚を高め、自己啓発を促すという意味もあるが、排除の論理が不可欠であり、現行の条件附採用期間の取扱い等も含めて議論することが必要。
  • 米国とは異なり、日本では公的な行政研修が義務付けられているため、更新制を導入する必要性があるのか。上級免許状やマスターティーチャー、管理職等、特別な資格を付与する免許状への上進のための更新制は考えられるが、それ以外で更新制を導入する場合、現行の研修システムを見直すことが必要。
  • 米国は各州が免許制度を持っており、更新の際の研修も州や学区がシステムを作り、主催している。州の認定の下、様々な機関が研修を行っているが、主体はあくまで行政である。
  • 更新制の検討に当たっては、今の分限制度など公務員法制との関係について整理することが必要。
  • 米国では、更新制は教員個人の研修を促すインセンティブとして活用されており、不適格教員への対応や職務能力の評価・処遇については、評価システムがある。
  • 盲・聾・養護学校については、大きく変化してきており、免許授与時の知識のままで良いのかという問題がある。研修とセットで考えることが必要。また、小・中・高等学校の教員としてはふさわしいが、盲・聾・養護学校の教員としてはいかがかという場合も考えられ、小・中・高等学校の教員の更新制とは観点を別にしなければならない。
  • 更新制の導入により、教職の人気が低下することも考えられるため、教職を魅力ある職業であることを維持するためにはどうしたらよいのかという視点も大切。

(4)教員免許更新制の制度設計等

1.免許状授与の仕組み等

  • 大学の教職課程は単位修得の認定を与えるだけで、免許状まで与える必要は無いのではないか。採用選考試験に合格し、1年間の条件附採用期間を経ることで、免許状を与えるという形にする必要がある。教員になった後に、ステップアップしていくような免許状を与えることが必要。
  • 大学卒業後すぐに免許状を授与するのではなく、初任者研修の終了後に正規の免許状を授与し、これらの教員を更新制の対象としていくこととすべき。
  • きちんとしたプロセスを経ないと免許状が取れないような仕組みとすることが必要。1~2年の仮免許状の期間を設けて、現場で鍛えるということが考えられる。
  • 条件附採用期間を2~3年にし、全ての人が仮免許状で振り分けられて、その後にパーマネントの免許状を授与する仕組みが、うまく機能するのではないか。
  • とりあえず免許状を取っておこうという人がいるのは問題であり、思い切った改革が必要。
  • 実習期間をもっと長くして、その結果として不適格と判定しても良いのではないか。

2.更新時の判定方法等

  • 指導力不足という時に、教科の指導力以上に大切なのは、児童生徒の扱いができるかであり、この点は、ペーパーテストでどこまで見ることができるのか疑問。
  • 米国では、教員の給料を3段階に分けて評価し、一番下の人を対象に、子どもからの授業評価や、第三者による授業のチェックなどが行われる。この例によれば、更新制を導入する場合、管理職の判定やペーパーテストで基準以下の人を絞り、その人を対象に教員や子どもの目で評価をするという2段階の手続きで、判断することが考えられるのではないか。
  • 米国では、更新制において、ペーパーテストで判断するのではなく、専門性を高めるような研修を課している。
  • 米国では、免許更新の際の研修について、教科のみならず、カウンセリング、学級経営、生徒指導、学習指導全般など様々なものがある。米国では主に夏期休業中に研修を行うが、日本でも、夏期休業中に教員が自主的に研修することは可能ではないか。
  • 米国では、免許更新の際の修得単位について、申告の際にチェックされるため、全く関係のない単位を簡単に修得するということはない。
  • 全ての教員について、同じ尺度で測るのではなく、専門性が足りない、適格性に問題があるなど、個々の教員の状況に応じて方策を考えることが必要。
  • 指導力不足教員については、教壇から降ろすだけでなく、それが重い場合には、免許状を更新しないとすることが必要。また刑事事件を起こした教員も、教壇には戻れないようにすべき。

3.いわゆるペーパーティーチャーの取扱い

  • 免許状の授与件数が20万であるのに対して、採用者数が2万人というのは、数の面からして問題であり、いわゆるペーパーティーチャーの問題なども検討すべき。
  • ペーパーティーチャーの免許状について、終身有効とするのは問題。
  • ペーパーティーチャーについては、免許状が自動的に失効するような仕組みが必要。
  • 毎年20万人を対象に、更新制のためのペーパーテストを行うことができるのか。
  • 教職につくには、大学での履修と採用選考試験という2つのハードルがある。教壇に立たないが免許状を持つ人が大勢いて、学校ボランティア等で学校に入っていくことは、見方によっては、学校の理解者が大勢いるということ。

(5)免許状と処遇との関係

  • 専修免許状は処遇と関係が無いため、形だけになっている。専修免許状を取得しなければ教頭や指導主事などになれないという方向を示すべき。
  • 現在、専修免許状を有していても何の処遇上の措置が無いが、これは上進制と言えるのか。
  • 更新制と資格認定とを連動させ、例えば最初の更新をした人のうち優秀な教員を認定教諭、次のステップとして専門教諭、さらに指導教諭の資格を与えることとし、校長となるためには指導教諭の資格が必要なこととしてはどうか。
  • 普通の教員と指導資格を持つ教員とでは、給料、処遇、学校内の役割が異なるようにすべき。教諭の上に、例えば教頭級の主任教諭や校長級の主席教諭を設けてはどうか。優秀な教員が早くに指導主事や管理職になることは問題である。
  • 免許状の更新制の問題と教員の人事や採用とは切り離して考えて良いのではないか。
  • 日本では、処遇に反映されなくても、自ら資質能力を高めていこうという考え方がある。教育委員会による指定研修だけではなく、自主研修も組み合わせて、どのように教員の資質能力を向上させていくのかを考える必要がある。

4.その他

(1)採用、条件附採用期間関係

  • 採用の際、採用側が求める教員像をきちんと示しているのか。求められる教員像は段々と変わってきている。
  • 教員としての向き不向きを1年間で分かるのは管理職である。本人が自覚するには3年かかり、条件附採用期間は延長すべき。

(2)現職研修関係

  • 初任者研修は、良い成果をあげている。10年経験者研修は、受講までの期間が長いという印象があり、例えば7年目に持ってくるなどとしてはどうか。一人一人のニーズにあった研修を行うことが必要であり、何が欠けているのか、考えて研修ができる制度が必要。
  • 初任者研修や現職研修の成果が上がってきている中で、さらに研修を充実させ、教員の意識を高めるためには何が必要なのかを検討することが大事である。
  • 現在の研修は、受講者がきちんと評価され、その評価が校長に届き、さらに結果が次の研修に活かされているのか疑問。あらゆる手段を通じて、教員に緊張感を持たせることが必要。
  • 更新制の代わりとしての10年経験者研修の意義・目的について理解されていない。更新制と研修との乖離が出ている中で、両者の関係について吟味することが必要。
  • 現職教員の資質能力の向上には、研修で対応すれば十分ではないか。また、勤務評価等に応じて、給与等の処遇面で優遇するなどのインセンティブが必要。
  • 修士号取得者を増やしていくことは大切であり、在職のまま、2~3年、大学院での長期研修を行うことができるようにすることが必要。
  • 教員にとって一番大切なことは授業であり、子どもたちに分りやすい授業ができる、子どもの興味・関心を引き付け、意欲を高める授業ができる、子どもたちのことを考えて指導・助言ができることが大切。これらは、初任者のときから備わっているものではなく、徐々に備わっていくものであり、そのための指導体制を整えていくことが重要。
  • 教育委員会と大学との連携により、大学1年次から現場体験の機会を提供しているが、現場の先生も学生をフォローすることで、力をつけてきている。教員になって5年目くらいまでは、大学で学んだことで間に合うが、それ以降は、大学で再び学び、実力を付けていくことが重要。養成段階で全てを完結させることは不可能。
  • 研修については、自らの職能開発であるから、自己負担とするなどの柔軟なシステムを考えても良いのではないか。

お問合せ先

初等中等教育局教職員課

-- 登録:平成21年以前 --