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教員養成部会(第36回)・教員養成部会(第37回)合同会議 議事録

1.日時

平成17年10月21日(金曜日) 10時~15時

2.場所

如水会館2階 スターホール

3.議題

  1. 今後の教員養成・免許制度の在り方について
  2. その他

4.出席者

委員

(第36回)
 梶田部会長、安彦委員、天笠委員、石原委員、大橋委員、大南委員、門川委員、川並委員、郷委員、佐々木委員、高倉委員、田村委員、渡久山委員、永井委員、西嶋委員、野村委員、平出委員、北條委員、八尾坂委員、山極委員、鷲山委員、渡辺委員
(第37回)
 梶田部会長、安彦委員、天笠委員、大橋委員、門川委員、川並委員、郷委員、佐々木委員、高倉委員、田村委員、渡久山委員、西嶋委員、野村委員、平出委員、北條委員、八尾坂委員、山極委員、鷲山委員

文部科学省

(第36回)
 近藤文部科学審議官、銭谷初等中等教育局長、樋口政策評価審議官、板東審議官、山中審議官、徳永審議官、戸渡教職員課長、浅田専門教育課長、勝野視学官 他
(第37回)
 近藤文部科学審議官、銭谷初等中等教育局長、樋口政策評価審議官、板東審議官、山中審議官、徳永審議官、戸渡教職員課長、浅田専門教育課長、勝野視学官 他

5.議事録

第36回

(1)今後の教員養成・免許制度の在り方について

 教員免許制度ワーキンググループの審議経過報告について、野村委員から報告の後、質疑が行われた。主な発言は以下のとおり。

○ 教員の適格性の判断については、大学側も責任を持ち、学生を現場ですぐ使える教員として送り出すとのことだが、日本教育大学協会の意見表明としては、大学は教授するところであり、複雑・多様な条件がある教育現場まで見通した適格性の判断はできないとの意見を申し上げた。教員免許の取得は、単位の積み重ねによっており、教員としての資質や力量を評価していないという問題があるため、教職実践演習(仮称)という科目の新設になったのだろう。昨日の日本教育大学協会の会議では、教職実践演習(仮称)の新設は良いが、従来の単位の積み上げの中に埋没するとの懸念が出た。ここでは、複数の教員の協力方式が示されているが、複数の教員が協力し、内容が濃く、結合感が強い形で指導できれば良いが、従来の形式の中に埋没するおそれがある。教職実践演習(仮称)の新設は、これを契機に、教職課程を変革させようとの発想ではないか。教員に相応しい資質能力や人格等の養成や確認は、難しい問題があるが、そのような面が要望されているということだろう。この案に至るまでの議論の経緯について、教えて欲しい。

○ 例えば、教育実習を母校に丸投げして、大学の教員が学校に出向いて指導していないところや、教職課程の最小限の授業科目は用意したが、履修にあたって学生への指導は行わないところ等、きちんとした教員として送り出そうという姿勢が見られない大学が一部にあり、その意味では、今回の報告の「教職課程の改善・充実」の内容は、当を得ているのではないか。

○ 基本的には、教養審第一次~第三次答申の中で、各大学が養成しようとする教員像を明確に持ち、その達成のための組織を構成し、カリキュラムを編成する必要があることを示しながら、実際には、免許法にある科目の授業を行い、単位認定するだけに終わっている。各大学が養成する教員像を明確に持ち、個性ある教員を送り出さなければならないということは、戦後50年も言われてきたが、それが実際に行われるには、どうすれば良いかという問題があった。教育実習を活用する案もあったが、大学が丸投げしている現状では難しいので、第三のカテゴリーとして「教職実践演習(仮称)」を新設する案となった。教科専門科目の教員も、教職専門科目の教員も連携のないまま授業を行っているので、教職課程の指導が統合化されていない。そこで、学生が個々の授業を基にして、教員としてどのような力をつけていけば良いのかを、学生自身が考えるような授業を構想できないかとのことで、今回の新設科目を考えた。この科目を新設しても、従来の指導形式の中に埋没するおそれがあるとのことだが、各大学が科目の新設の趣旨を検討した上で、教員養成を行ってもらうことを期待する。

○ 現在、各教育委員会が求める教員像の下に、採用試験改革や、大学との連携による学生のボランティア活動やインターンシップ等の取組を行っており、採用前研修や採用後においても、様々な取組をしている。「教職実践演習(仮称)」は、それらが凝縮されている感じである。採用側や学校現場が求める教員像に合う教員を養成するためにどうすれば良いかが課題であるが、例えば、京都市の教員採用試験では、一次試験で全員面接を行い、ボランティア歴や社会体験活動歴等を自己申告してもらっている。二次試験では、指導案作成や模擬授業、グループ討論を行っており、面接には、保護者や経済界、市民、ボランティア団体等の代表に面接官として参画してもらい、社会性や人間力等を見ている。採用側も学校現場も、大学に対する批判が多かったが、これからは大学や社会と協力していくことが大事であり、今回の改革案はその切り口になるのではないか。

○ 課程認定大学の視察時の感想として、大学の教員の興味で授業が行われている部分が多い。その授業が現場でどのように生きるのかを想定していないため、今回の案で答申を出しても、大学側が真剣に改革に取組んでもらえるか懸念があり、どのような科目をつくっても、無駄になるのではないか。学習理論をきちんと確立し、それに基づいて、子どもの心理状況や、昨今の多様化した子どもにどのように対応していくかを視野に入れながら、教職課程の編成や授業展開をするべきである。その意味では、例えばp.11にあるように、教職課程に関する第三者評価の導入や、課程認定委員会の強化ができるかどうかである。また、認定後の教職課程についても、大学側の協力が大事で、これらが相まって改革されなければ、今回の改革案は成功しない。

○ 教員養成の現状は、統合に欠ける、目指すところに収れんしていかないという欠点を持ちながら、数十年経っている。今回の科目の新設は、そこを手当てしたものである。この新設科目が、従来の指導形式に埋没したり、単位の読み替えが行われたりする可能性も否定できないが、教員養成カリキュラムのコアの部分をどう考えていくのかという意味で、教員養成カリキュラムの開発の契機になれば良い。この部分の意義付けは、各大学関係者に問われている。

○ 更新制の土台にあるリニューアルという基本理念は、大学側においても、教職に対する組織体制をリニューアルする機会になるのではないか。カリキュラム委員会等はつくっているが、それをより充実しようとする意識が高まるだろうし、それを確実なものにするためにも、教職課程の運営状況に関する定期報告を課すことも必要である。それがなければ、大学によっては、意識が薄れていくだろう。

○ 「教職実践演習(仮称)」は、具体化させてもらいたいが、現行の「教職の意義等に関する科目」を新設科目の中に含めて2単位としても良いのではないか。大学教員が協力形式で指導するというのは、不慣れで大変だが、小・中・高等学校の教員がチーム・ティーチングを推進している中で、教職課程に関わる大学教員がやらないわけにはいかない。また、総合演習でディスカッションや事例研究、実地調査等、様々な経験を積んできているから、その実績を活かしながら、新設科目を推進していく方が良い。1つ提言したいのは、現行の教職課程で情報機器の操作があるが、今の学生はコンピュータ関係を習熟しているし、現行学習指導要領で、情報が中・高等学校で必修になっているので、教職課程から外すことも検討してはどうか。また、p.11の(3)について、第三者評価を教職課程単独で導入すると理解したが、現在、各大学で行っている自己点検・評価や第三者評価に向けた評価書作成の中で、例えば、自分の大学では、教職課程を単独で取り上げて、その方向性やカリキュラムの在り方について、現状把握や分析をし、ポジティブ評価やカリキュラムの改善方策等を報告書で示している。各大学は、評価疲れを起こすほどの作業を強いられているので、現在、義務化されている第三者機関評価に向けた自己点検・評価の中で、教職課程も位置付けて評価してもらいたい、という方が良いのではないか。課程認定審査の充実や、認定後の是正勧告や認定取消等の措置にかかる調査機能を拡充することにより、教職課程を機能させる方が現実的である。

○ 課程認定大学が800を超える中で、教員養成の質に格差があり、それをどのように解消していくかが課題であるとともに、免許とは資質能力の最低保証であるから、それをどのように保証していくかが課題となる。ワーキンググループの報告では、まず各大学に、教職課程を総括する「教員養成カリキュラム委員会」を置いてもらい、その機能を果たしてもらうことを求めている。その中で、従来、1年次でガイダンス的に行っていた教職指導を実質化させて、4年次まで含めて行われるように求めている。また、どの大学も、モデルカリキュラムをつくり、特にシラバスのレベルで、どのような内容を行えば良いかを共有財産として持っている形が必要と指摘している。その上で、教職実践演習(仮称)を創設して、今まで個別になりがちだった科目を、相互に関連付けながら、実践的な力を養わせる案が示されている。このようなカリキュラムの改善の上に、最終的に是正勧告や認定取消等も含めて、教職課程を評価しなければならないという構想になっている。

○ 単位数については、ワーキンググループでも議論されたが、平成10年の免許法改正時に、教科専門科目を減らして教職専門科目を増やしたことに対する反発があったため、総単位数を増やすことは消極的にならざるを得なかった。この科目であれば、2単位が必要という意見もあるし、教職課程の入口で1単位を与えて、出口でも1単位を与えるという意見もあるが、この点については、本部会で今後審議いただきたい。また、事後評価については、積極的に行っている大学とそうではない大学があることからすると、事後評価制度の義務付けが必要ではないかとのことで、提案している。

○ 平成9年の教養審第一次答申の際に、教職科目の単位数増に対する反発があったことは事実だが、国立大学は好意的であったものの、私立大学からの反発が強かった。報告書は、総単位数の増加を積極的に容認する内容ではないが、これまでの経緯があったとしても、今回の改革は大きな構造転換を図るものであるので、改革の内容以外に、量的な側面である単位数についても、勇気のある提言がなされても良いのではないか。

○ 学校は多くの事柄を抱え過ぎているから、社会にも役割を返すことが言われているが、現実には学校に対する要求が増えていて、それを引き受けている実態がある。学童保育がその典型であり、これからさらに、学校に対して子どもを長く預かって欲しいという要望が出てくると思われる。教員の資質を考える場合に、そのことについて、どのように考えるのかをテーマとしなくて良いのか。学校が、教育の分野に限って子どもに接し、家庭のことは家庭でと割り切っていて、世の中は学校に満足するのかという議論が必要ではないか。家庭が変化し、家庭の機能がどんどん失われている中で、社会のニーズは学校に求めるようになり、学校や教員はどうするのかという問題がある。また、p.20の上から3つ目の○に、校長に関する記述があるが、今後の改革の流れからすると、学校は校長次第という時代に入ってくる。校長をどのように養成するのかについて、教育委員会に任せれば良いという考え方もあるが、養成段階で触れておく必要があるのではないか。また、民間人校長の登用が行われており、その評価も様々あるが、この点について本部会として意見表明しておく必要があるのではないか。何でも民間人であれば良いということではないので、これからの校長像を本部会としてどのように考えるのか、その基礎として教員免許をどのように考えるのかを示した上で、整理する必要がある。

○ 更新制の導入に関する本部会の議論で、当初は、あまりにも朝令暮改ではないかと意見した。その次の機会には、平成14年中教審答申は決して更新制を否定するものではなく、その後の社会変化等に対応して、新たな対応が必要だとなれば、更新制の導入はやぶさかではないと意見した。その後、その答申の中で、いくつかの課題が指摘されたが、それらについて、1つ1つ答えを示してもらいたいと意見したわけである。p.13以降の2で適切に示してもらっているので納得したが、10年経験者研修の今後の在り方についても、もう少し丁寧な説明を盛り込んでもらいたい。

○ 報告書のポイントは、時代が変化しているため、10年もすると、免許授与時の資質能力と知識内容が変わってくるのではないかとの立場に立ち、リニューアルの必要があるということである。10年もすれば、子どもも親も、社会も、教育を取り巻く状況も変わってくるので、何らかの形でリニューアルしなければならない。これが、今回の更新制の基本的な考え方であるので、問題教員を排除するという面は出ていない。もちろん、本当に問題があれば、その段階で更新されないことになるが、それが更新制の目的ではない。問題教員に教壇から降りてもらうためには、平成13年6月の地教行法改正による措置で対応されているし、免許法上も、懲戒免職及びそれに相当する場合に、失効及び取上げというのがある。公立学校に勤めていれば、任用制度の中で処分や指導もあり得る。更新制が検討された経緯の中で、問題教員の排除のために更新制を用いるという議論はあったが、今回の報告では、そうではないということが、文面から読み取れるのではないか。

○ p.15の3だが、ここで「都道府県教育委員会等」との文言があり、また、「協力や参画」という表現がされているので、私学の研究団体等も努力して、協力や参画していけるようにするのが、次の課題だと思っている。家庭の要求が学校に持ち込まれる状況が幼稚園で既に始まっているという指摘は、そのとおりである。幼稚園では、預かり保育が行われているが、時間の限度が設けられていないため、保育所の長時間並みに11~12時間開所の地域もある。子どもにとって望ましい教育時間や在園時間があるので、一定の歯止めが必要である。幼稚園では、教員に預かり保育の対応も求められているが、小学校は現在、学童保育の形で、別の福祉制度として行われているものの、原理的には、小学校に預かり教育を求めているのと同義であるので、この辺りは、整理する段階に来ている。p.14の2つ目の○の我が国全体の資格制度との関係に関連して、幼稚園教員の場合は、似た国家資格として保育士資格がある。保育所は、幼児教育機能を持つことになっているため、保育士の仕事も、3~5歳時については、幼稚園教員とほぼ同じ仕事内容や能力が求められている。今回、幼稚園教員の免許が更新制の対象になると、保育士資格との関係上、不公平な状況が出てくるので、厚生労働省に検討してもらうよう、文部科学省から働きかけてもらいたい。

○ 幼稚園と保育所の総合施設化を進める方向が中教審でも出されており、幼稚園教員免許と保育士資格の併有を行うことになっているが、幼稚園教員の免許だけ更新制が適用されるとなれば、ひずみが出てくるかもしれないので、事務局でも関連資料等を集めて検討してもらい、本部会にも報告してもらい、議論したい。

○ 自分の短大では、幼稚園教員と保育士資格の両方を取得できるが、最近、公立保育所の中で、園長の要件として幼稚園教諭一種免許状の保有を義務付ける県が出てきており、卒業生の中には、保育所に勤続しているため、一種免許状取得の要件である経験年数が障害となり、免許が取得できず、主任で終わる例が出てきた。特に、公立保育所は、幼保一元化の流れの中で幼稚園化しているので、園長資格に一種免許状を要求しているのだろうが、その点に関して、上進の問題も検討できないものか。また、構造改革特区で、幼稚園と保育所の合同活動が提案され、その特区が数年後、全国化される流れの中で、免許制度の改革を含めて、追いつかないものが出てくるのではないか。特区の問題と教員免許の問題等を少し考えてみる必要があるのではないか。

○ 更新制の導入については消極的だったが、リニューアルの視点で導入することは、開放制や教員免許の在り方から見て、意味があることではないか。p.16の「免許更新講習の在り方」の中で、「全体で20~30時間程度」と示されているが、講習の内容についてはどのように考えているのか。これだけを見ると、2年間に20~30時間の講習を、ぽつぽつと受講すれば良い印象になってしまう。「教職実践演習(仮称)」の新設は、単なるカリキュラムをつくるのではなく、教え方から体系化していくことが重要であるが、それが意外と大学教員に欠けているので、講習の体系化を行い、モデルを提示する必要がある。免許更新講習でもモデルを提示できれば、時代に合わせて中身を更新していくと思われるので、そのような視点を持つ必要がある。

○ 講習内容については、これから本部会で検討していただきたいが、子どもや教育についての新しい研究成果が次々に出てきている中で、それらの成果に立って、大学が、あるいは大学と教育委員会が連携しながら、講習を行う形になる。講習も、どのように体系化して、具体的な内容とするかについては、本部会で検討が必要となる。1つのモデルを示して、その上で各大学や教育委員会が個別的・主体的に、教員の資質向上のためにどうするかを検討しなければならない。

○ 更新講習の在り方についても、厳正な形で行われることが必要である。当然、内容もある程度基準を決め、それに基づき講習を行ってもらいたい。一定基準以上の内容が加わっても構わないが、最低限、一定基準の内容を設定してもらいたい。また、地域の学校の実情を、地域の方や保護者はよく知っているので、更新制が導入されたにも関わらず、その学校に問題教員が在籍したままであった場合、どのような印象を与えるのか。更新制は良い制度であるが、制度導入の際には、きちんと世論形成しておかなければ、このようなことが起きるのではないかと危惧している。

○ 免許更新講習については、社会的に明確な基準が必要である。また、現に仕事に就いている者と、免許を取得したが仕事に就かない者との不公平感がないことも大事である。教員免許は学校教育を担保する資格だが、教員に求められる条件として、子育てに関わることも多くなってくる。これを具体的に、どのように明確化するかは、教員免許が何を担保しているのかということを、国民が合意形成していく時に大事になる。p.24に「4教員として求められる教科等の指導力に関する事項」とあるが、実際に現場を見ると、授業が学校生活の大半を占めており、授業の中で、生徒理解や生徒指導が行われるのが良いのではないか。能力が違う子どもを1つのクラスの中で、どのように教えていくかということも、指導力の1つになる。教員として教える以上、子どもの状況や能力、求められることについて、十分に教えられて、その中で生徒指導や生徒理解が基本になってくるので、それらはむしろトータルな形が良い。生徒指導や生徒理解が、授業とは別のところで行われがちだが、授業が子どもにとってわかりやすく楽しいことが最大条件になってしまい、教科の指導力が弱くなっている。何を教えるかがより明示的であることと、教員とは一体何を目指している仕事なのかがより明示的である必要がある。学校教育とは、一体どこを守備範囲として、どのような責任を担っているかについて、国民的な合意形成が得られるように明確であれば良い。学校が、子育ても含めて担い、教員が親代わりになって子どもに対応することは、現実には難しい。

○ 2001年の文部科学省の発足にあたって、当時の事務次官が都道府県教育長協議会で講話した際、子どもの自主性・自発性を尊重する名目の下で、指導の放棄が一部に見られる、との指摘がなされた。90年代に盛んになった、指導ではなくて支援であるという考え方について、明確な形で否定したものだと思っており、これが教員養成の中にもきちんと出てこなければならない。p.24のイメージの4を平易に表現すれば、教科の授業力である。この授業力がきちんと養われなければならない。また、更新講習でも、10年も経てば教える内容も子どもも変わってくるので、もう一度、授業力を付ける内容が必要ではないかとの指摘である。

○ 教員に対する社会からの信頼や尊敬が失われつつある中で、教員も自信をなくしている。教育とは、子どもと教員、それを支える社会、保護者の間に築かれる信頼の上に成り立つ。教員が自信と誇りを持って教壇に立つことができ、社会が尊敬し信頼できる教員であると公証することが、つまり、新科目の創設により、学校現場に送り出される時も力を持ち、更新制により、10年経った時も立派な教員であると公証することが、ワーキンググループで一貫して議論された。更新講習の内容・基準については本部会で検討いただきたいが、ワーキンググループの審議の底にあったものは、教員とは授業のプロであり、授業を中核にしたものでなければ、学校におけるあらゆる教育活動は空疎になるため、教科と他の教育活動が相乗効果を持って、行われなければならないという認識に立って、学校教育を考えなければならないし、更新制も考えなければならないということだった。社会が学校に何もかも持ち込むことについては、p.1の2で、具体的な方策は示していないが、前段で触れている。

○ 時代の流れと共に、国の権限が大綱化され、現場に下りてきている。そのプロセスの中で、色々な考え方が現場に入ってくるため、小学校教育に悪影響を与え、教育がぶれてしまっている。中・高等学校は、入試があるため、それほどぶれることはないが、小学校は入試がないため、軸足がぶれて今の状況になっている。こう見ると、更新講習の内容も、大学における新設科目も、国が基本的な部分を示すべきである。例えば、「教職実践演習(仮称)」について、「含めることが必要な事項」と「実施に当たっての着眼点」を示しているように、教員養成大学にも、学習指導要領のようなものをつくるべきではないか。国の関与が難しければ、各県で行っている講習会の内容や質について、国がアウトカムをチェックし、評価し、指導・助言していくという、出口部分で全体の質を高め、向上させる工夫が必要ではないか。

○ 現行の資格制度の中で、更新制の導入にどのような意味があり、整合性が取れているかを考えなければ、教員だけが不公平になる。有効期間を10年とすると、少なくとも3回更新があることになるが、各更新段階がリニューアルという考え方だけで良いのかという問題もある。運転免許の更新は、有効性の継続であるから、ペーパードライバーでも問題はないが、教員免許の場合も、有効性の継続だけなのか。教員は、子どもとコミュニケーションが取れて指導ができる、同僚性があることが必要で、現場で育つという実態を重視する性格のものが教員免許であろう。ペーパーティーチャーと10年間教職に就いていた者が、同じ講習で更新できるのか。ペーパーティーチャーは教職に就いていないので、リニューアルの必要があるが、現職教員はリニューアルでも同じ概念で言われる必要はないのではないか。40歳近くになると管理職試験の対象年齢になるので、更新制の導入に意味があるのか疑問がある。また、民間人校長が登用されているが、更新制の趣旨との整合性が取れていない。免許とは何なのかを、教育行政や教員政策上、真剣に議論した方が良い。「教職実践演習(仮称)」では、実践力を養う必要があるが、教育実習とどのように関わるのかを考える必要がある。教育実習を受け入れると、指導教員が授業も生徒指導も十分にできない状況に追い込まれるため、教育実習が十分に行われていない可能性がある。だからこそ、財政面や人員面の改善を図ってもらいたい。そうでなければ、ただでさえ教員に対する風当たりが強く、辞めていく教員や精神疾患となる教員も多い中で、教職が優位性のある職場なのかという問題が出てくる。財政審が公立小中学校教員の給与が高いため、給与費を削減すべきと言っているが、国際的にはそれほど高くはない。

○ 我々が検討しているのは、教員を縛りつけるための方策ではなく、国民から一層信頼してもらえるように資質向上を図る方策であるので、誤解を与えず、運用上も問題がないように、中間まとめで示さなければならない。

○ p.15の3の1つ目の○に、「大学の関与や大学との連携協力のもとに都道府県教育委員会等が開設する講習等も、対象とすることが適当」とあるが、ここで言う大学とは、課程認定大学のことなのか。また、教職課程の科目の内容と、更新講習の内容の関係はどのように捉えれば良いか。

○ ここで言う大学とは、課程認定大学である。これからの課程認定大学には、責任を持って教員を送り出すことが求められ、現代の子どもや教育についての、最新の研究成果に立脚した教員養成を行わなければならない。10年後には社会が変化し、子どもや教育についての研究が変化し、進展していく。特に、「脳科学と教育」研究に関する検討会から、次々と検討内容が公表されているが、あまり科学的なデータに基づかない脳科学教育についての意見等も出てくるおそれもあることから、正確なデータに基づいた研究成果の下に、講習が行われる形になってくるだろう。その点では、教職課程の内容と更新講習の内容が重なる部分があるが、10年を経験した者でなければ持ち得ないものを、さらにリニューアルしていくという部分もある。教養審第三次答申において、大学教員も、現場に視座を置いた教員養成を行わなければならないと提言されたが、現場とつながりを持ちながら教員養成や更新講習を行わなければならないし、教育委員会との連携を深めなければならない。

○ 例えば、脳科学の最先端の研究を、課程認定大学が必ずしも行っているわけではない。活発な研究を行っている、様々な大学や国内外の研究所の最先端の成果を、現場の教員にも学んでもらえる機会が、更新講習にあっても良い。ここで言う大学を、課程認定大学に限らず、広げることも必要ではないか。

○ 報告書では、課程認定大学が教員養成にこれまで以上に責任を持ち、なおかつ、リニューアルについても責任を持つということである。課程認定大学が、基本的に関わると言っても、全てをその大学の教員が行うわけではなく、他大学から講師を呼ぶことも考えられる。これについては、更新講習の内容を詰める中で、検討したい。

○ 「教職実践演習(仮称)」が1~2単位となっていることについて、現在、各大学が任意に1単位の時間数を設定できるようになっている。イメージ案にある内容を、例えば、1単位15時間とする大学で何ができるのかを考えると、教職に関する科目の中に、重なる内容があると思われるため、教職に関する科目も見直し、弾力的に対応できるようにしても良いのではないか。

○ なぜ、教員だけに更新制を導入するのかという議論があったが、学び続ける者だけが教える資格があるので、今回の制度は、教員の誇りを保つためと位置付けることで、現場の教員にも受け入れられるのではないか。そのような、教員としての精神や専門性に着目した制度である。したがって、リニューアルについては、内容の厳正さや公正さとともに、柔軟な対応も必要である。ベテラン教員が基礎基本に立ち返ることも大事だが、更新制により、不得意分野を克服したり、得意分野に磨きをかけることがないと、ただ制度の屋上屋を重ねることになり、更新制の趣旨が生きない。また、教員が、家庭・地域が担うべきことを引き受けて過ぎているとの意見があり、そのとおりではあるが、それを家庭・地域に言える教員でなければならない。それは、教科の指導以上に難しく、人間関係能力等あらゆる力がなければ、学校が社会の中で守られなくなるので、そうした能力も、更新制の中で養成していければ、更新制の可能性が開けてくるのではないか。

○ 教育改革国民会議や平成14年中教審答申において、更新制に関わってきたが、リニューアルという切り口で良いのではないか。小学校教員に対する親の要望は、授業をきちんと行うことは当たり前で、加えて家庭教育も行って欲しいのであり、それについて、対応できなくなってきている。学校では、教育しかできないという言い方もあるが、これはもう通用しないだろう。要望には応えるが、教員以外の者を雇う、つまり費用がかかるという言い方もあるが、これも現在の日本では通用しそうにない。フランスでは、役割を完全に分けているが、場所は同じ学校で行っている。現在の流れは、家庭教育の一部分を学校で受け止めてもらわなければ困るということであり、今後ますます強くなってくる。それを教員がきちんと理解する必要があるが、これまでの教職課程では取り上げていなかったため、リニューアルする必要が出てくる。日本では、家庭教育の一部分を学校で行わざるを得ないのだろうから、そこを克服する必要性を指摘しつつも、給与は引き下げるべきではないというくらいは示した方が良い。日本の教育の仕組みは、給与を高く設定して、良い人材を集めて、未来投資することで教育水準を保ってきたが、給与が下がると人が集まらなくなるため、教育が危ぶまれる。そういうことまで含めて、答申に書き込まれなければいけないのではないか。

第37回

 事務局から配付資料の説明の後、中間報告のとりまとめに向けて、自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○:委員、●:事務局)

委員
 専門職大学院ワーキンググループは、7月26日の審議経過報告によりワーキンググループとしての役割を終えていたが、その後、教職大学院のモデルカリキュラムつくり等、詳細の課題を検討する必要性があったため、再開してもらっている。次回以降、ワーキンググループの主査出席の際に、その後の検討状況について、報告していただきたい。

委員
 資料7-2の柱立てについては、この方向で良い。資料7-1にある「4:改革の具体的方策」の(1)~(6)についても異論はないが、全体として動き始めた時に、相互に連動して、各論で目指したものが成果としてきちんと現れるかが課題である。具体的には、例えば、教職大学院の発想や取組には、それなりの意義があるが、教職大学院を充実させるほど、学部教育が衰退する懸念もあることから、学部教育との関係をどう考えれば良いのかが問題となる。教員養成は、学部教育がしっかりしていないと、その先の手立ても崩れていくので、その点では、教職大学院について学部教育との関係での位置付けや運用の仕方、条件整備を考えなければいけない。両ワーキンググループの報告を、改めて部会で検討する必要があるし、今のような課題を詰めていくことが重要となる。「教職実践演習(仮称)」を充実させていくことと、教職大学院を設置して機能させていくことを、どのように相互に関連させ、相互に成果が得られる形にしていくかについて、考え方や運用の在り方を詰めていかなければいけない。この柱立てだけでは、その辺りのことが浮かび上がってこないので、「(6)改革の円滑な実施のために」に記載することも考えられるが、どのようにすれば、相互に関連させ、成果が得られる形になるのかがポイントである。改めて、教員養成・免許制度の改革の全体像や具体像をきちんと描いて、各取組がそれぞれに位置付けられて、改革が行われていくことを示す必要がある。

委員
 学部教育、教職課程の充実が基盤になる。その場合に、教職大学院が学部教育や教職課程の改善を促す起爆剤になり、教職大学院の充実が、教員養成そのものを変えていくという流れの中で、学部教育と教職大学院を捉えていくことが必要である。教員養成の質的な充実を基盤にして、教員となった後も、必要な資質を保証し、10年ごとにリニューアルしていくというつながりを意識していけば、良い改革ができるのではないか。

委員
 大学院レベルでの教員養成については、望ましい方向であるが、報告書では、大学における教員養成と開放制の原則は守るという表現になっている。現状では、開放制の原則の下で、大学における教員養成を行っているにも関わらず、現在の社会は教員免許の質に対して満足しておらず、1つ高いレベルのものを求めているという受け止めが欲しい。その求めに対して、教職大学院が応えるという論理の組み方を検討してもらいたい。教職大学院について、安易に設置しようとする大学が出てくると、何のために努力して準備しているかが認められなくなるため、設置基準は厳しくし、設置審査をきちんと行ってもらいたい。資料7-2の、1.2.「これからの社会と教員に求められる資質能力」の中に、学校、教員として責任を持つべきところは持つが、それ以外については、保護者や地域がそれぞれ責任を持つべきだという観点を入れて欲しい。その上で、教員として求められている責任に応えられる資質を育てるとする視点を入れる必要があり、単に過度の要求や期待がかけられていると指摘するだけでは不十分である。子どもは教育を教員だけに求めているのではなく、親や大人一般にも求めており、その求めに応えられなかった時の子どもの寂しさは大きいもので、子どもの問題行動の例には、そのようなケースも多い。その意味で、子どもの側の視点で、大人に求められている教育の責任を果たすべきだとする問題提起が入っていないと、ますます少子化が進むのではないか。

委員
 資料7-1の「4:改革の具体的方策」で、教職課程の質的水準の向上、教員養成分野における専門職大学院の活用、教員免許更新制の導入が挙げられているが、これが、独立に動いてはならず、根幹でつながっていることを打ち出さなければいけない。教職が高度な専門職であることを冒頭から述べ、それを土台にして、開放制の原則の下に教員養成を行われているものの、開放制とは、誰でも教壇に立てるという安易な意味ではないことを示す必要がある。開放制は、誰もが教員免許取得にアクセスでき、教員免許を取得すれば、きちんと教壇に立てることであって、教員免許が中核に据えられている。したがって、免許取得のアクセス方法は開かれているが、免許を取得する課程は高度専門職を育てる課程であり、きちんとした内容がなければならない。そのため、モデルカリキュラムの開発研究や、教職指導の充実、「教職実践演習(仮称)」の新設等が検討されているので、内容がきちんとしていなければならない。免許取得後は、取得した免許を生かして教壇に立つのであれば、きちんとした資質が保証されるということである。開放制の理念は、中間まとめのいずれかの部分で示す必要がある。教職課程の質的充実の延長線上に教職大学院があり、教職大学院が創設されることで、学部レベルの教職課程にも良い影響を与え、同時に現職研修にも活用され、それが免許更新制ともつながり、リニューアルしていくことが求められるのである。教員免許を取得したまま、リニューアルする努力もせず、定年まで過ごすというのは、高度専門職である教員には許されず、そのため、免許更新制や学部教育の充実、教職大学院の活用等が連動してくるというようにつながらなければならないので、中間報告には、その趣旨が入るようにしたい。

委員
 高度の専門性を要求しているなら、なぜ教職大学院に免許を取得していない者も入れなければならないのか。より高度の専門性を要求するのであれば、既設の大学院と区別するべきで、そのような特色を持たせなければ、同じになってしまうため、そこを明確にした方が制度が生きる。

委員
 教職大学院の入学者は、大半が現職教員と想定されるため、教員免許の取得者が多くを占めることになる。しかし、様々な社会経験をした者や、教員養成学部以外の修了者にも、教壇に立てる道を高度な形で準備しようということである。

委員
 既設の大学院に3年間の修了課程があることを否定するのではなくて、既設の大学院の他に、教職大学院を創設するのであれば、免許取得者しか入学できないという差別化を行っても良いのではないか。

委員
 既設の大学院よりも、教職大学院で新たに免許を取得し、修了する方が、よりハードルが高い。教職大学院で免許を取得するためには、既設の大学院の教職課程と同じ科目で取得できるわけではなく、内容としても高度なものが求められている。多くの国では、高度専門職と言われている医師や法曹になる場合、どの学部を修了しても良く、メディカルスクールやロースクールと呼ばれる大学院で、3年程度の課程を修了する形で養成が行われている。教職大学院の入学対象者の一部として、他学部出身者や社会人経験者を受け入れることは、バックグラウンドが多様になることからも、これから時代に望ましいのではないか。既設の大学院に教員養成プログラムを付加するのとは違い、内容の組み立てが大きく異なっている。

委員
 学校はどのような機能を果たす場なのか、教員の役割は何かをもう少し明記したり、開放制の意義だけでなく、それが持つ今日的な問題も明記した方が良いのではないか。また、資料7-1の4(2)で、教員養成分野における専門職大学院の活用という文言がいきなり出てくると、唐突な印象を受けるので、具体的な制度設計にすぐ入るのではなく、その前に、なぜその制度を組み入れるのかという、論理の組み立てが必要である。その論理が入ることで、教職課程の質的水準の向上と相補う形で、内容が明らかになってくる。入学対象者については、制限しないという考え方で一貫しており、対象を絞るか絞らないかは、教職大学院が独自に考えれば良いことである。

委員
 全体のとりまとめの構成は資料の案で良い。審議経過報告のp.1の2の最後が、「学校や教員に過度の期待が寄せられている」との表現で終わっているが、親や地域の代わりを、学校や教員が果たすことはできないので、これは家庭が、地域がやるべきことであると言う力が必要ではないか。だからこそ、学校が、家庭・地域の教育力を高めていくプログラムを持たなければならないし、その仕組みをつくらなければならないが、同時に、家庭・地域には、学校の教育力を高めていく協力をしてもらわなければならない。それが参画という意味であり、ボランティアも含めて、双方向の関係をつくることが求められているので、その辺りがもう少しわかるようにして欲しい。学校とは本来、教育活動、知的な訓練をするのが基本であり、躾までの全てを押し付けられている現状に迎合してはならない。

委員
 項目だけを見ると、脈略がないような感じがするので、例えば、1と2のそれぞれの冒頭に、つながりを踏まえた各項目の趣旨や狙いを入れれば、一般国民も理解できるのではないか。

委員
 資料7-2の「6.改革の円滑な実施のために」は、例えば、更新講習の在り方や、教育委員会と大学の連携についての問題が出てきているので、それらについていくつかの項目を起こし、実際に円滑に実施するための具体的・積極的に努力すべき課題を示してはどうか。教育実習の問題は大きいので、2.1.(1)で触れられるのだろうが、2.「4.教員養成・免許制度に関するその他の改善方策」でも、強調したらどうか。つまり、教員養成や免許制度に関わるいくつかの課題を、ここに具体的に記述したらどうか。また、教職大学院のカリキュラムは、教員養成学部出身者と他学部出身者で全く同じであれば、学部段階の教職課程は何だったのかとなる。高度なカリキュラムを用意するのであれば、他学部出身者には、教員養成学部の教職課程にプラスして高度なカリキュラムを課していくのか。現職教員が教職大学院に入りやすい工夫がなされていることは評価するが、教職大学院に研修に出た際、同じ職場に復職できる保障、研修等定員を増やす措置、研修費用の負担等も検討してもらいたい。専修免許状やM.Ed(修士レベル)を取得して現場に戻った時の処遇の問題は、明確にしておく必要がある。自己負担して学んだにもかかわらず、何のメリットもなければ意味がなく、充実した研修にはならない。

事務局
 専門職大学院ワーキンググループの審議経過報告のとりまとめの際も議論があって、資料6のp.16で、修了者の処遇について、色々な経緯を踏まえながら、この程度の表現にとどめることで整理している。現在、教員には、大学院修学休業制度があり、また、派遣ではなく教員個人の判断で修学する場合でも、教育公務員特例法等で身分は保障されている。

委員
 研修等定員は、小・中・高等学校で約2,000人程度の枠があるが、給与の半分は都道府県が負担しなければいけないため、実際の措置は、約1,200人前後とのことである。例えば、大阪府では、財政負担が重いため、研修等定員の要求は3~4年前から行われていないが、兵庫県では、兵庫教育大学だけで、毎年50人程度派遣されており、全体で約100人以上措置されていると推測されるが、都道府県によって格差がある。現在は、休職して無給で大学院へ修学する者も増えてきている。教職大学院は、学校現場で勤務しながら、休日や夜間、長期休業期間を利用して修学する形を検討しなければならない。これから、義務教育費国庫負担金が税源移譲されると、研修定数枠を国が措置していても、1年目は良くても2年目以降、地方自治体の財源不足により派遣教員が大幅に減るのは目に見えているので、そのような修学形式が一般的になるのではないか。研修制度は一層充実させる必要があるので、どの程度記述できるかわからないが、中間報告に何らかの形で触れたい。

委員
 資料6のp.16「5初任者研修等との関係」に関して、専門職大学院ワーキンググループの下に置かれた作業班が、初任者研修の全部又は一部について免除できる内容のものを、教職大学院での学校における実習の科目の中で扱うことができるのかを検討している。

委員
 教職大学院の創設を前提に、スクールリーダーの養成コースの修了者の処遇について、いくつかの県で管理職試験の一次試験を免除する案がある等、色々と検討は行われている。しかし、教職大学院修了者の処遇は、任命権者の権限なので、中間報告には明示していないが、処遇案の検討が進んでいる県の事例を示すことで、インセンティブを与えられるかもしれない。

委員
 教職大学院は、新しい学校づくりの有力な一員となり得る新人教員の養成が期待されるとのことだが、ここで言う人材は、教員養成全般にわたり、いかなるレベルの教員養成においても必要なことであるので、その人材を大学院で養成するならば、今後の教員養成を6年制で行うのか、4年制プラス2年制で行うのか、方向性を示す必要があり、それがなければ、有力な新人教員を教職大学院で養成する説得力がなくなる。今後の改革の方向性を論ずる中で、修業年限の問題について、方向性を示しておくべきではないか。教職大学院の創設は、既存の修士課程に対する注文でもあるので、審議経過報告で若干の記載はあるが、既存の修士課程に対し、何を求めるのかを明確に打ち出すべき。また、「教職実践演習(仮称)」の新設によって、教職大学院がどのような影響を受けるのかを整理する必要がある。教員免許とは、教員として最小限必要な資質能力を担保するものであるから、免許状授与時や更新時においても、同じく求められるのであり、また、教員は大学で養成するわけだから、大学が授与時も更新時も、教育内容・方法に責任を持って対応する形になる。現行制度を見ると、授与時においては、どの科目をどの程度履修するかは規定があるものの、具体的内容や方法は、大学の判断に任されているから、更新講習についても、どのようなものを行うかは国が規定すべきだが、内容や実施方法については、各大学の判断に任せるべきではないか。「教職実践演習(仮称)」を、新たな科目群として設けることは賛成だが、例えば、教職の意義等に関する科目や教育実習は、教職専門と教科専門をそれぞれ担当する教員が協同で担当することが相応しく、新たな科目群に移した方が良いのではないか。現行の教員養成の問題点は、教科専門の教員が、専門性に偏した授業を行い、学校現場が抱える課題に十分に対応しておらず、それが教科専門の教員が持つ限界であることを踏まえて、教科専門の教員が教職専門の教員と一緒になって、授業にあたるような科目群として設定できないか。このことを通じて、教職課程に関わる教員全体の協同関係をつくり上げることを企図したい。「6.改革の円滑な実施のために」に関連して、現在、大学における教員養成の位置付けが問題となっている。先端的な学問分野に重点的な学内投資等が集中しがちであるため、基礎科学の学問分野に不安を覚えている。我が国における大学教育全体の中で、教員養成は重要であるという視点を、明確に打ち出していく必要がある。今まで、教員養成・免許制度の枠内だけで重要性を謳っていたが、大学教育全体の中で、あるいは我が国の学問分野全体の中で、教員養成は大事であることを訴えなければならない。そうでなければ、教員養成が軽視されたり、教職大学院を設置しようとしても、設置できなくなる懸念がある。

委員
 既存の大学院の問題については、中間報告において、教養審第二次答申の位置付けを明確にしておかなければならない。これまで、他学部でも行われているような、学校現場の実践に関係のない内容を学んでも、大学院で専修免許状を取得できることについて批判されてきたが、第二次答申で指摘された問題点を克服しないまま、専門職大学院制度の活用案が出てきたことは問題である。既設の大学院の問題点については、資料6のp.2に触れられているが、どのような形になれば、最も相応しい修士課程となるのかを検討し、それと対比させながら、教職大学院がどのように質が違うのかを示さなければならない。そうでなければ、どんなに良い教職大学院を創設しても、既存の修士課程をそのままにしていたのでは、我々が追求してきたものの一部が欠陥を持ったまま進むこととなる。

委員
 教職大学院では研究者を育てないのか。研究者を育てるなら、将来は5年の博士課程があっても良いのではないか。既存の大学院における教員養成の改革を求めても、それがなされないのは、教員養成学部の上の大学院の内容が、他学部の上の大学院の内容と同質になっており、現場の教育実践と乖離しているからである。その意味で、一般大学の修士課程と、新教育大学の修士課程、教職大学院の修士課程がどのように違うのかを考え、既存の大学院をより専科的に考えていくとすれば、教職大学院でも博士課程をつくり、教育学の専門的な研究者を生み出すことは、我が国の教員養成にとって重要ではないか。米国で見た例によると、高校の校長が博士号を持った研究者だったが、高校教育に直接関係しないものの、権威もあり、自校の経営に自信を持っていたことから考えると、より実利的な大学院の在り方を検討されたい。

事務局
 専門職大学院であるため、高度専門職業人の養成に特化している。ここから、結果的に研究者が輩出されることは考えられるが、専門職大学院は、基本的に教育機能を重視している。一般の大学院は、教育と研究を並行で行っており、具体的に大学院としてどのような人材を養成し、どのような形で研究活動を展開してかは、個々の大学院に委ねられている。教員養成学部以外の学部の上にある修士課程と、教員養成学部の上にある教育学研究科とは全く異なり、教職課程が機能しているかどうかの問題はあるが、修士課程そのものの在り方について、指摘することはできない。それは、課程認定の審査の中で、教職課程としての実質が備わっているかどうかを確認するしかない。教員養成学部の上にある修士課程はどうあるべきかであるが、既存の教育学研究科は教育と研究を両方行っており、研究者養成機能を持っている。その中で、人材養成部分については、教職大学院に移行する動きと、従来型の大学院を残す動き、あるいは全てを教職大学院に移行する動きがあるが、それは大学自身の判断である。いずれにしても、教員養成学部の上にある修士課程は、元々教員養成という大きな機能があるので、それらの問題点については、資料7-1にあるように、特に修士課程にこれらの課題があるという表現で指摘をしている。教員養成学部の上の教育学研究科については、本部会での議論を踏まえて、一定の改善の方向を示さなければいけないが、そのことと課程認定を受けている一般の研究科は、取扱いが違うことを理解していただきたい。

委員
 教職大学院の創設が、学部や既設の大学院も含めた大学全体に影響を与えるという趣旨を持ち込むことで、全部が良くならなければならないので、そのニュアンスは出していきたい。米国のEd.D(博士レベル)のようなものを我が国でも取得できるようにすべきだから、修士レベルの教職大学院が創設されたら、博士レベルも創設されるのではないか。米国のように、現職教員が学校を離れず、長期休業期間中や夜間、土・日を利用して学修を積み重ねることによって、Ed.Dが取得できるような環境整備も考えなければならない。今、問題になっているのは、制度改正をしても改善されないことであるが、人を入れ替えなければ、改善されないのである。教職大学院の創設で期待しているのは、実務経験者を4割以上入れなければならず、設置を検討している大学は、必然的に、教員の配置を工夫し、場合によっては大幅な入れ替えをしなければならない。制度の問題ではなく、誰が教員養成を担当するかが問題であり、各大学のリーダーシップや構成員間の話し合いによって、決まってくるだろう。

委員
 資料7-2の4「(6)改革の円滑な実施のために」は、重要な部分であり、この部分にきちんとした内容を書き込むことが大事である。(1)~(5)に具体的方策が記述されるはずだが、(6)では、それをどのように目標達成のために具体化していくのか方策を記述すべきである。具体的方策については、例えば、教職大学院を設置する場合の学部教育との連携を、どのような形で具体的に行っていくのかといった基本的な留意点等を示しつつ、戦略から戦術にかけての配慮や条件整備について、整理して記述すべきである。

委員
 教養審第三次答申時に提案されつつも、時期尚早で見送られた問題として、ドクターコースがある。東京学芸大学等を中心に、教科教育の研究者養成を目的としてドクターコースが開設されているが、ある時期までは教育研究者養成の機関であり、その後、高度の専門的職業人を育成する機能も入ってきた。ドクターコース=教育研究者養成ではないととされてきていることから、高度な専門的職業人養成のためのドクターコースがあっても良いのではないか。医師の世界では、開業医や勤務医、大学で医師教育を行っている者の区別なく、ドクターを取得しているのだから、教員の世界でも、幼・小・中学校の区別なくドクターを取得している者がいても良い。諸外国では、それが普通になっているので、我が国でも今後の課題として、ドクター取得の展望について記述すべきではないか。

委員
 教養審第三次答申に、「教員養成を担当する大学教員の養成のための大学院の充実」が指摘されていることから、今回の中間報告には、少し進んだ表現ができれば良い。兵庫教育大学もドクターコースがあり、研究者養成だけでなく、高校の現職教員が多く来ている。例えば、大阪の府立教育センターには、博士号を取得した理科や数学の指導主事がいるなど、既に一部ではドクターの取得が行われており、これを充実させても良いと思われるので、中間報告にどのように記述するかは検討していきたい。

委員
 九州大学では、10年ほど前から社会人のために大学院に夜間開講の学校改善コースをつくり、指導者養成を行ってきた。小学校教員で、夜間の修士課程で修学し、その後一般の博士課程に進み、博士号を取得した上、公募により、国立大学の教員として招かれた者もいる。いずれは、実践的研究者の要素もある実務家教員が、大学で修学できるようなシステムの中で、博士課程も考えていければ良いのではないか。

委員
 教職大学院も、その延長としての博士課程も、大学に通うという旧来の修学方法だけでは難しく、夜間の大学院等も充実させなければならない。兵庫教育大学でも、現職教員が教壇に立ちながら、論文で博士号を取得する者が増えてきており、その中から国立大学の教授になる者も出てきた。指導主事や校長、教育長が博士号を取得しても良いが、それ以外にも、現場にいながら修士号や博士号を取得する者が増えていくべきであるので、中間報告に盛り込みたい。

6.閉会

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総合教育政策局教育人材政策課

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