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生涯学習分科会(第12回) 議事要旨

1.日時

平成13年10月31日(水曜日) 14時~16時

2.場所

文部科学省分館 201特別会議室

3.議題

  1. 青少年の奉仕活動・体験活動の推進方策等について自由討議
  2. その他

4.出席者

委員

 鳥居会長、山本分科会長、今井副分科会長、高木委員
臨時委員
 鎌谷委員、島田委員、榛村委員、祐成委員、千葉委員、中原委員、和田委員

文部科学省

 御手洗文部科学審議官、近藤生涯学習政策局長、寺脇生涯学習政策局審議官、山中政策課長、その他関係官

オブザーバー

 横山英一委員

5.議事要旨

○:委員
 △:事務局

(1)事務局より、資料について説明が行われた。

(2)青少年の奉仕活動・体験活動の推進方策等について自由討議が行われた。

○ 今のところ、18歳以降ということで、18歳までのところは7月までで意見をいただいている。

○ ほとんど議論の中身はこちらに触れられていると思うが、私がちょっと気になったのは、1ページ目の「・」の四つ目のところで、「今回の諮問の背景」というところで、前回も話があったと思うが、「日本の青少年の現状に対する危機意識」とあるが、それも確かだと思うが、この出発点は、青少年の荒廃とか、そういうところではないのではないか。むしろ社会というか、そういう環境――その次のところにある、むしろ子どもなり青少年の成長に必要な環境を整えていなかったところに出発点があるのではないかと思ったので、そこら辺、これについての提言をするときには、ちょっと気をつけていただければと思う。
 それに伴って、もともと大人がボランティア活動をしていなかったわけである。この中に、年齢を問わずというか、世代を超えて一緒にできるボランティアということについても触れたほうがいいのではないかと思った。

○ どのようにまとめていくかだが、今回の答申の社会的背景をきちんと言わなければいけないということである。

○ 今おっしゃったこととも関連するが、例えば社会貢献意識は歴史的にいうとどんどん高くなってきている。そういう点からすると、「公共というコンセプトが消え」とあるが、「公共」と「社会貢献」について若干違いがあるかもしれないが、物より心とか、あるいは社会貢献、社会のことについて何か貢献をしたいという意識はむしろ高まっているので、それをどういう形であらわしたり、実際に行動に移すかというところの社会的な仕組みとか、合意が不十分だったので、そこをしっかりつくるのだという感じで、トーンとしては進めたほうがいいのではないかという感じがする。

○ 前回、前々回、ずっとヒアリングを聞いてきて、いろいろな分野、NPOであり、社協であり、そういったところでボランティアをしている方が、実際にこんなにもというイメージで、私の無知さかげんというか、知らなかったということで驚いた。つまり、それは情報がなかったというか、世の中に知られていないということで、そのあたりが問題と思う。そこで、問題を挙げてみると、18歳以降のボランティアに関しては、一つは時間的制約で、どうしても学生はという話になってしまう。高齢の方でも技術とか、能力がいろいろあって、時間もあって、そういった活動で発揮できる方々もいると思う。そのあたりのパワーをどのようにとらえていくかというところが抜けているかと思う。
 あと企業で働いている本当に働き盛りの方々は、とてもボランティアはということで、ボランティア休暇がある。このボランティア休暇というのは随分前から言われているような気がするが、実際にはこれが、ここでもまだ奨励しようという形でしかないということは、実施に移している企業が少ないのではないかという気がする。日産のすばらしいお話も聞いたが、企業側の意識がまだまだ足りないのかなと思うので、働いている方々のボランティア精神というか、意識を高めるためにも、例えば一部上場、二部上場を両方足して2,494社とかいう数字が出ているが、そういうところではたぶん入社して、まだ大学を出たばかりということで、研修期間というのがあると思う。そういった研修期間の中に、ボランティア意識を持ってもらうための、何日間か何週間かわからないが、そこに必ず組み込むようにしましょうと。このあたりで組み込む側の会社も意識が変わるかもしれないし、その期間に経験することによって、そういう意識に目覚める人がどのくらいいるかわからないが、少し改善に向かうかなという気持ちがある。時間的制約がまず一つあると思う。
 それから、やはり情報不足がある。『ボランティアへの誘い』という、全国のボランティアの団体の名簿のようなものが本屋さんにあった。そういうことも含めて、もっと日常化するような方法はないものだろうか。ただそう思うだけで、方法は見つからないわけだが、もうちょっと皆様のアイデアが出れば、この情報がもっと知られると思う。
 それから、若い人たちはボランティアへの気持ちが高まっているとはいえ、知らない団体に参加していく不安とか、そういったものもあるだろうし、あと先ほど、その背景に青少年の現状の危機意識という、これをあまり前面に出すのはという話もあったが、多くはやはり自分の生きる目的がないとか、見つけられないとか、何かしたら見つかるのではないかとか、夢や希望や目標を求めてボランティアでもやってみようかというのも、大学生あたりは多いと思う。そのあたりが日本人の甘えの精神で、ここが実は違っていて、欧米などでは自分自身の満足感を高めようという、本当に自発的な思いが身に付いているような部分があっての活動のような気がする。日本の学生はまだまだ、何かやれば何か見つかるもしれないというような。だから、ボランティアのサービスラーニングというようなことが起こるわけだが、両方兼ね合わせながらコミュニケーション文化みたいなことで、情報を発信し、学生も刺激し、人と交わることはもっと楽しいことだということの、大学生に向けての積極的な働きかけの方策もとても大事になってくるという気がする。

○ 今の関係についてはどうか。一つ出てきているのは、我々が検討してきたが、どうしても具体的、実践的なところに目を向けてやってきているから、先ほどからのお三方の発言だと、それをちゃんと社会的な流れの中に位置づける必要があるのではないか。教育改革国民会議からきているところだと、問題があって、それに対してどうするかというのできているが、我が分科会としては改めて、それはそれとしてどこかに位置づけなくてはいけないが、社会の流れの中でこれをどう位置づけていくのか。今間違ったら大変なことになると思う。そのあたりを検討しなくてはいけない。
 先ほどのお話ででたのは、昭和8年くらいから、国民の意識調査が5年に一遍ずつある。戦前なので、奉仕とか、公的なというのが圧倒的だが、戦後は本当にゼロに近いぐらいになくなったのが、最近また増えてきている。そういうことをやりたいとか、そういうことが話題になってきているというデータがある。このパーセント調査は、質問項目はわずかだが、非常に貴重である。例えばそういう流れがあるとか、それから社会全体の中で、これからを見込んで、どのようにこれを位置づけていくか。それは今までの議論ではというか、ヒアリング中心だから無理だが、ないので、そういうところで少し整理してみてもいいと思う。それを持っていないと、我々としても目先のことだけを言っていることになる恐れもある。

○ 昨日、文化功労賞を受けた緒方貞子さんが、芸術とか、学術だけではなくて、人道的文化が認められたことの喜びをおっしゃったのと、もう一つは、今までしてきたことを褒めていただいたと、たぶんそのような言葉だったと思うが、褒めていただいたことだと私は認識しているということを、テレビで見たときにおっしゃっていて、これも資料1の中にいろいろ書かれているが、評価を受けるということである。
 評価が目的のボランティアになってはいけないが、例えば、国が「あなたはやりましたね」ということの何かが日本でも導入されたら、社会的な形もかなり整ってくると思う。
 それから、自分はやっているのだという誇りを持てるような、バッジのようなものなのがあって、正式に認められるようなボランティアをしているのだという形も一つあれば、励みというか、やる気が誇りにつながっていく気がする。

○ 評価のところはどうか。今、社会は評価ばやりで、これまた気をつけないと大変なことになる。企業ではどうか。

○ これが一番難しいところで、ボランティアの場合は、時間数でもなければ、ボランティア対象先でもなければ、その人自身の価値で決まるわけである。周りが評価できない、評価基準がないのである。だから、私どもも、例えばボランティアのための資金支援とか、マッチングはやっているが、一切評価はしない。抽選でやっている。大きなもの、小さなもの、何でもいいと。そうしないと、特に学校時代とか、18歳にしても、いろいろなことを人生の中で試している段階のときに、一定の評価というのはなじみにくいと思う。そういう意味で、評価基準がとても難しい。国際的には、緒方貞子さんのような方は別だと思うが、一般の人のボランティアに関してはそこが一番難しいところだと思う。
 それと私どもも評価制度は設けていない。人命救助とか、そういうのは別だが。というのは、私たちは基準がつくれない。むしろつくってはいけない。それから、社長に褒めてもらうよりも、むしろ周りの人たち、例えばボランティアをやることで、リフレッシュ休暇を取ったり、そういう人もいるわけである。そういう人たちを快く送り出すことのほうが、本人にとってはずっとメリットになる。そこら辺はとても難しい判断だと思う。

○ 評価については、私も同じで、関係者は非常に難しいということは共通している。ただ、学校でこれに取り組む場合は、やはり評価なしで何か行動を起こしたり、プログラムを組むのは非常に難しい。先生のまた当然の悩みである。それで関係の先生方が、今、いろいろな研究をしているが、いろいろな評価の仕方を提案いただいたり、例えば特定の人だけが評価するのではなくて、まず自己評価、自分でどう評価するか。それから、活動を受け入れてくれた施設側、受け入れ先の方がどう評価をするか。それから、指導者がどう評価するか。そういう三者もしくは四つぐらいのかかわりのある方々に、それぞれの評価基準をつくって評価していただくということで進めたらどうか、ないし進めているといういろいろなレポートなどが寄せられている。恐らくそういう先生方も大変努力をなさっているので、そう遠くない時期に一つのパターンみたいなものが、評価については生まれるのではないかという感じがする。
 ただ、私どもが青年たちを対象にやっていく場合に、学校と違うので、厳密な評価をしているかというと必ずしもそうではない。ただ、評価しないまま、次から次に事業を積み重ねていくことはいかがなものか。やはり、評価、反省というのがあって、次の新しいステップが生まれてくるには違いないわけだから。ということで、それぞれ評価が大事だということはみんな気がついてはいるのだが、その仕方についてはまだ統一的なところまでできていないという感じがする。

○ いろいろ開発している評価というのは、事業をやっているそれを評価する。個人、個人が何か成果を出したという、個人、個人の評価ではなくて、事業そのものの評価なのか。両方か。

○ いろいろな評価があると思う。事業評価もあれば、個人の場合は自分で目標を立てて、これを何日間でやる、それがうまくできたかできなかったかということも含めて。

○ 達成した成果ではなく、活動そのもの、プロセスを見ていくというようなことが中心であろうか。いろいろあると思うが、評価というのは本当に気をつけないと、おかしなことになりかねない。

○ 評価のことで気がついたことがあるが、私どもでボランティアの感想文を集めたコンクールを5年間ぐらいやっていて、それを途中で変えて、今は活動の記録コンクールに変えた。作文の場合だと、一人一人の人が場合によっては1回だけの活動の中で、個人にとって大きな意味があったということが、割にインパクトが強い。記録のほうだと、ある程度長期間やっていると、山あり谷あり、うまくいかなかったこととか、いろいろな体験をして、その中でいろいろなことを身に付けていくというか、苦労をするというものが多くて、かなり違いが出てきている。おそらく両方とも大事なことなのだが、今おっしゃったように個人が活動したことをどう評価するかという問題と同時に、可能性としてあるのは外形的な評価しかないのではないか。長期間やったとか、どのくらいエネルギーをかけているかとか。その中には恐らく今申し上げたようないろいろなことが入っているのではないか。
 もう一つは、社会的な評価で、ボランティア活動をやったことが寄り道だとか、いろいろなことにならないで、例えばずっと勉強してきた人と、途中で寄り道してボランティア活動のほうにエネルギーをかけた人とが全く同等に扱えるような社会の仕組みをしっかりつくっていくほうが、それは社会的な評価ということでそういうことになるのではないか。そういう雰囲気とか、空気も含めて、ある種の外形的なものと、社会的な評価が、評価ではすごく大事なのではないか。

○ 評価問題、これは学校段階にもある。

○ 評価では、話があったように、私は非常に印象的だったのが、英国でボランティアの父みたいに呼ぶ人もいるが、アレック・ディクソンという方が、もう亡くなったのだが、この人がボランティア活動をずっと進めたということで、エリザベス女王からサーの称号をいただいたということを、本人は大変光栄に思っていて、言葉が悪いが、ある意味では非常に自慢されていた。そういう点で、そういうことに非常に努力いただいた方を、社会的に権威あるというか、そういう評価をして、いいことだと褒めてくれるというのは、社会システムとして大事かなと。自分はまねできないかもしれないが、あの人のような仕事をしてみたいと思って目指す子どもとか、人たちがいるのではないか。そういう点で、国として名誉なものを、社会のためにずっと汗を流した人に与えることも大事だろう。
 日本でも、賞勲、褒賞制度の中に、そういうものが全然ないわけではないが、もう少し目立つような形にできれば、英国とか、アメリカあたりのものにやや似てくるような効果があるのではないかという感じを持つ。

○ 社会としてボランティア、奉仕活動等々をどのように考えていくかということとも絡んでくる。勲章とは別にそういう表彰制度を設けるかとか、そんな話にもなってくるのかもしれない。それだったら本来の精神に反するとか、またいろいろ議論が出ると思うが。

○ 先の先の話かもしれない。

○ でも、考え方としてそういうことも持ちながら考えてもらわないと、例えば学校の場合に、自主性を育てるといいながら、変なふうに評価すると、萎縮してしまうとか、こういうことだってありうる。

○ 先ほど資金支援の話を申し上げたが、これは実は評価の代わりに行っているものである。マッチングファンドもそうである。あくまでも資金支援というのは、本人が活動するための交通費とか、お弁当代ではなくて、その施設なり、ボランティア先で必要なものの資金である。物を買ったり、あるいは運営をするための資金を提供するわけである。それをその本人を通してあげると、そのボランティアをしている人自身が、先方からもすごく喜ばれるし、自分がボランティアをやっていることを会社からも認められているのだという認識を持つわけである。そういう助成金を出すということが、大学などであるのだろうか。ボランティアの人にというか、むしろその活動先に出すという形での助成金もつくれるのではないだろうか。

○ 変な評価より、ある意味でいったらずっといい評価だと思う。

○ 2ページ目の「『ボランティア』について」というところの最初のところで、とりようによっては、ちょっと誤解を与えることにならないかと思う。ボランティアというと、ここにあるように、「報酬はもらわず清く正しい活動というイメージがある」というのだけれども、本当だろうかという気がするが、ここで強調したい点は、むしろ一定の報酬を受けたり、活動に対して資金を提供することもボランティアといっていいのではないかという、考えに幅を持たせたらという指摘だと思う。
 私は、資金を提供する活動に対して、スポンサーになっていただく形を資金ボランティアと呼んで位置づけるのだという話を聞き、事実、自分は体ではなかなか協力できないけれども、つまり、障害を持ったり、病気だったり、高齢であったりしてできないが、せめてお金か物で協力したいということであれば、それは立派なボランティアとして位置づけ、考えてよろしいのではないかという意見は確かにある。
 ただ、一定の報酬を受けたりというところでいうと、以前に何回か議論になったのだが、有償ボランティアという形で活動経費の実費はいただいていいのではないかということで、例えば交通費とか、昼飯のカレーライスぐらいは、要求としてではなくて、先方の方からそういう提供があった場合、それをいただけばボランティアとはいえないのだというふうには理解しなくていいのではないかという理解である。
 ただ、一部、活動に対して報酬を幾らかもらうボランティアグループないしボランティアに対しては、ボランティアの世界ではかなり議論が続いていて、そこまでボランティアといってしまうと、歯どめがきかなくなってくるのではないかという懸念を持つ向きがだいぶある。したがって、ここで指摘されている方も、そういうことは理解の上でいっておられると思うが、表現等を工夫いただくと、そこの誤解というか、懸念がなくなるのではないかという感じを持つ。

○ ボランティアもこう進んでくると、今みたいな問題がいろいろ出てくる。ボランティアをやる人も動機は様々で、皆さん何を目指してボランティアをやっているかというあたりのところがある。その辺もそろそろ踏み込んでいただいても、今回はいいのかなという気もする。
 この前も申し上げたのだが、例えばボランティアをやって、セミプロになって、プロになりたいというので、最初はお金は稼げないから、ただでやっているというのも、国によってはもちろんある。その段階はボランティアと呼ぶけれども、お金をもらうようになったら、セミプロだというので切り離すとか、いろいろなことがあり得ると思うが、そろそろその辺の議論もしないと、初期の段階だけで一所懸命皆さん無償でやって、ハッピーだというだけでは済まないのではないかと思う。

○ 私は都市経営をやっている人間なので、まちづくりと人づくりを一緒にやっている。参考までに申し上げると、ボランティアというのはやる気を持たせることが大事なことなのである。どういう範疇の人がいるかというと、まず全国どこでもある自治区、コミュニティというのがある。大字でもあるし、小学校区のもう一つ下に。江戸時代に7万あった村社会。それの世話役というのは、都会では町内会というのだろうが、それもボランティアである。地域をまとめて、うまくいろいろなケアをしたりする。それには区長、副区長、会計の三役が全国どこでもある。その人たちがうまく動いているというか、うまくやっていると、いい町である。これが一つ目。
 二つ目は、全国に100万人いる消防団というのがある。消防団員というのも、ファイヤーボランティアとアメリカではいっているが、そういう精神がなくなってくると消防団がなくなってきた。神戸の地震のときも、神戸市にはファイヤーボランティアがなかったので、安否情報が確認できるまでに2日かかった。北淡町のほうは消防団があるものだから、発災後2時間で安否情報がわかった。そういう意味で、うちのまちでは女性消防団が、地域の安全・安心のためにというボランティアの大事な組織がある。消防団に入ったほうがいいというのは、命令したり、大きい声を出したりするのは、日本の社会では消防団以外にない。だから、そういうことがまちづくりとしては大事なことである。
 3番目は、どこのまちにも体育協会とか、スポーツクラブとか、文化協会とか、文化連盟とかがある。それの指導員である。この指導員は、プロでもない、アマでもない、中間みたいな存在だが、この指導員がボランティアなわけである。この人材が育っていることが非常に大事である。また、評価もしてあげるということが大事である。必ずスポーツにしても、文化にしても、うまくやっているというか、ちゃんとしているまちは、指導員がみんなしっかりしている。その指導員のグルーピングもできている。図書館なんかも図書館ボランティアという指導員みたいなものがある。そういう指導員グループの育成が大事である。
 4番目は、キャンプ場とか、公園とか、どのまちにも触れ合い施設として屋外施設ができている。それが街路樹の管理とか、公園の花の管理をやる。公園的なこと、街路樹的なこと、トイレの掃除とか、そういう意味でそのボランティアについての言葉が、なかなかいい言葉がないが、私はこれからまちの公園にも「園長」をつくろうと思っている。そういうボランティアがあると思う。
 5番目は、半分アルバイトで、ちょっと小遣いも稼ぐけどという、厚生労働省が補助金を出しているシルバー人材センターがある。これは全国にネットを張っている。公的に補助も入っていて、生きがい、ボランティア、アルバイト、健康管理、友達づくり、五つの目的があってやっているので、長生きしてもらうためにはシルバー人材でやってもらうのが一番ということである。
 6番目に、どこのまちでもエンターテイナーみたいなものが少しずつできてきている。エンターテイナーというのは、プロにはなりきれないけれども、フルートをやるとか、ヴァイオリンをやる人もいるし、田舎芝居の人たちもいるし、ただ単に福祉施設に慰問に行くだけというグループもあるが、21世紀の社会を明るくするためには、エンターテイナー・グループはボランティア活動として価値があるということが大事な問題だと思う。
 まだたくさんボランティア的な刺激をしてやっていくと、まちづくり、人づくりが総合的に、多目的にできるのである。
 そこで、評価の問題だが、うちのまちでずっと20年近くやっていて、まだできないのだが、人生単位制みたいに、ボランティアをやったら加点していって、どんどん加点していく。減点はなし。消防団に10年務めたら5単位とか、区長さんをやったら何単位とか、そういう価値づけをするなど、そういうことをやってみようと思い、試案は幾つかつくった。
 何かしなければいけないというので、何でもないようなことだが、なかなかできないことに対する表彰状とか、感謝状をいっぱい出している。それがやっぱりいいようである。一定の叙勲制度ではないということが大事なことだと思う。
 それから、私は市長を24年やっているが、市長というものは、市民のボランティア活動を認めてあげるときに、「いつも御苦労さんね」という一言が大事なのである。そうすると、その人はものすごくやる気になる。
 それとうちのまちは二宮金次郎の教えの本山があるので、お金を寄附するとか、本を寄附するということは割に盛んである。新幹線の駅をつくるときも、1戸平均10万円出している。10万円みんなが出したので、我がまちをよくすることによって、自分の人生もよくする。まちがよくならなければ人生がよくならないというやり方である。
 ある意味で戦後社会に、徳ということが評価の中になくなってしまったと思う。「君子は人知らずして慍みず」という言葉が孔子の言葉にあるが、人が評価してくれなくたって、一所懸命おのれの本分を尽くすということである。しかし評価されたいという欲望とか、評価されたら非常に喜ぶというのが人間なので、市長というのは市民に対して評価のささやき人だと思っている。ちょっと雑談的なことで。

○ やはり今までは地域の観点が抜けていると思う。それは仕方がないのかもしれないが、地域の観点でこれを見直して、そういうところを立てていく必要があるような気がする。

○ 今のことにも関連するが、ボランティア活動の考え方は、例えば報酬をもらわず清く正しい活動というイメージがあるというのに典型的にあらわれていると思う。実際にボランティア活動をやっていたのに、「私はこれはボランティア活動ではないと思うけど」という人がいっぱいる。「ボランティア活動をしていますか」と聞くと、大体5%から10%で、「こういう活動をやっていらっしゃいますか」と言うと、30%、40%、50%になる。だから、ほかの国ともあまり違わないのではないかと思うが、そういう意味で、ボランティア活動というものでいろいろ発言すると、もしかすると受け取られる方々は、それに参加するのはちょっと難しいというように思って、実際には例えば野球の指導をしているとか、いろいろなことがあるのに、その辺はそれではないと思っている。そこはそれぞれのやり方で地域社会に参加するとか、社会に参加しているというぐらいの感じで、幅広く考えていくことが、特に体験活動との関係では大事なのではないかという感じがする。

○ 掛川市は市民の意識として、例えば地域のいろいろな役目、役割がある。これをやっていかなければ地域が成り立たないからである。そういうことに対する無関心さとか、そういうあたりは出てきているのか。やはり皆さん自覚していて、みんなやらなくてはだめだというので、掃除にしてもやってくださるというところがずっと続いているのか、その辺はどうなのか。

○ ローカル・コミュニティという地域で、冠婚葬祭を中心としていろいろおつき合いがあって、それが煩わしいというのが近代社会、都会社会である。だけど、都会社会、近代社会は、適切にリーダーなりがいれば、テーマ・コミュニティというものをつくるわけである。地球温暖化に取り組むとか、あるいは国際交流を積極的にやろうとか、うちのまちではモンゴルの砂漠緑化に行っている。市民がボランティアで砂漠緑化に行くのである。そういうのはテーマ・コミュニティである。そうなると、地域問題には無関心とか、地域問題は煩わしいということで、都会人化した日本人が、それだけでは立脚点が不安になって、もう一遍テーマに基づいて地域に戻ってくるとか、グループに参加するということになると思う。それを行政なり、リーダーなりがいかに動機づけなり、サポートするなりということが大事だと思う。

○ 今、その辺が一番求められているのかもしれない。

○ 18歳以上ということになると、学生さん、あるいは社会人の世界で、リタイアされた人の世界もあるが、こういう議論にも、やはり企業社会がどうかかわっていくか、あるいはかかわらせていくのか、その論点を整理しないといけないのではないか。企業の社会的責任とか、社会的な存在としての役割論、コーポレート・ガバナンス論等、いろいろあるが、本当に企業が社会的ないろいろな活動で一定の役割を担うときに、企業の哲学としてそういうものを担い得るのだという整理が、日本の企業社会がどこまでできているのか。確かに経団連の何とか宣言とか、景気のいいときの話だが、利益の1%という、1%クラブ論とか、かつてもいろいろあったし、多くの企業は企業イメージというフィルターを通してこういう活動を見てきているのではないか。
 どこの企業でもいいが、企業がこういうボランタリーな活動にある種のサポートをする際、「A社の人」という冠らせ方でサポートをするのか、「何々町に住んでいる人」という意味でサポートをするのか。多くの場合は「A社の人」というA社を冠らせたサポートが多いと思われる。企業のイメージアップに資する部分を意識することは、私は悪いことではないと思うが、そういうことも含めて、企業とそこに働く者とボランティア活動というのか、そういう意味では職場起点のボランティア活動がたくさんあるわけだが、これらの活動をどのように社会的に認識していくのか。
 先ほど評価の話もあって、国なり公的な評価ということになると、何か必死に頑張った人とか、滅私奉公型で苦労された人とか、歯を食いしばったイメージが前に出る感覚でどうしても議論してしまう。私どもは組合だが、25年ぐらい前から社会奉仕活動賞という賞を設け、大会の都度、表彰している。ちょっとした盾を渡すだけで、金銭的なものは何もだしていない。ある年は100人表彰しなければならないときもあるし、あるときは30人しかそういう人がいない。それも個人と団体、それぞれ両方ということで27~28年やってきた。最初のころは、年に献血何十回とか、あるいは先ほど話があった消防の活動を何十年とか、子どものソフトボールチームの監督を何年とか、どこどこ施設の慰問回数何回とか、まさに試行錯誤でみんながそれぞれ思うことを挙げてきていた。もちろん今でも献血も入っているが、活動の内容が多様になってきたというのは、ここ数年非常に感じる。
 お金を出す出さないという話があったが、私どもは自分らで主体的に参加していく部分と、組合員の皆さんから、例えば私どもでいうと、こういう活動に毎月10円出してもらっている。そうすると、50数万人だから、年間6,000万円ぐらいになる。それを組合員一人一人がやっている、例えば点字の何とかとか、地域のサークルでそれぞれやっているようなところに少しずつサポートをしている。まさに機材費とか、そういう物理的な経費のサポートというのか、あるいは、国内でいえば、そういう活動をやっている団体に一部、運動費の足しにしていただくという意味での一種の寄附行為になるのか。海外も何ヵ所か、例えばカンボジアの地雷を踏んだ人たちの義足とか、リハビリの世界とか、バングラデシュの農村開発・識字教育の関係とか、カンボジア、ラオスの学校建設とか、スリランカの子どもの森プロジェクトとか、いろいろなものがあるが、内外ともにこういうことなら使っていいのではないかというのを、みんなでそれぞれ素人なりに議論をしてサポートしてきている。
 そういう運動に一度でもかかわった人間の人数がどんどん膨らんで、最初はゼロから始まるのだが、20何年間続けていると、そういう層が何千、何万になってくると、そういう社会の土壌全体が少しずつ変わってきているのではないか。そういう意味では、いろいろな活動に参加をした人の中から、仕事をやめて、そういう運動のコーディネーターみたいなところに出ていく人たちが、最近、時々出てくるようになったり、そういう意味で、継続してやっていくことだということを痛感している。
 そういう観点から、企業との関係、あるいは職場というものが絡む運動の世界をどのように認識していただくのか、その辺をどのように書き込んでいただくのか、一つのポイントではないかと思っている。
 ボランティア休暇の話があったが、これも世の中が明るいときはすぐこういう話になる。うっとうしくなってくると、いつの間にかそういう話はどこかへいってしまう。もちろん私どもも会社側に要求書を出して、ボランティア休暇を交渉して、幾つかの組合は制度を実現してきた。とりわけ青年海外協力隊等の現職参加及び復帰後の現職復帰の問題等々あるので、これはかなりの組合で組合員からそういう人が出たときには、帰ってきたときには原職復帰をさせるという協定はかなり実現している。ボランティア休暇といってその制度ができているところも、景気が悪くなると制度があってもなかなか取らないとか、取れないとか、そんなことなので、もう少し一般化するためにはどういう努力が要るのかという、そういう切り口からも一遍見てみなければいけないと思う。

○ 先ほど私が言い出したのだが、それを否定するようなことを言って申しわけないが、本当のボランティアの喜びというのは、賞とかは実は関係ないと思う。自分がそのことをやることによって、いい意味で変化をして、自己認識とか、自己評価が高まるとか、喜びがそこにあるということが、ボランティアの本当の喜びで、だからこそ続けていけるというところがあるわけである。私自身としてはあまり評価をいただくと、かえって恐縮して、ちょっと申しわけないという思いにさえ実はなるわけである。本当に喜んでいる人を喜ぼうという意味合いの評価が何か見つけられたらいいという気がする。

○ 前回、不登校の子どもたちの支援などの話もあったと思うが、今までの話にもつながると思うが、例えば不登校の子どもたちは、不登校をしていたという歴史を今までは割と隠してというか、ハンディとして、なるべく知られないように次の人生をスタートさせるという感覚があったと思う。それはたぶん社会が、不登校をした子どもに対する評価がやはりネガティブだったのではないかと思う。むしろ不登校をして、彼らがその間にどんなことを体験してきていて、どんなふうに成長してきているのかということに関心を持って、そこを評価していけるような社会になることがものすごく大切ではないかと思っている。そういう意味では、不登校の体験をいろいろな形で自分なりにレポートに書いて、それを高校受験のときに出して、自分は学校時代にこういう体験をしてきましたということを、ちゃんと高校側が受験のときに評価してくれるという仕組みになりつつあることは、ものすごくうれしいことだと感じている。
 同じようにボランティアをする、社会的な貢献を何らかの形でしたきたという、その人の個人的な成長に対して、どこかできちんと認めていくとか、それを意味あることとして受けとめていくとか、そういう仕組みをつくっていくことが必要だなと感じている。例えば大学生なら、最初のころに出たが、就職活動のときに、学生時代にこういう場所でこういうことを自分は体験してきたということが、ちゃんと履歴上に載って、それを見た方が、そこでどんな成長をこの人はしてきたのだろうかということをちゃんと確認して、それが試験に反映されるようなことをどのように用意していったらいいかなと思う。それは、ただ賞を与えるとか、社会が褒めるとかではなく、人間の成長の一つの足跡として、何らかの形でそれが残っていって、そこのことを社会がきちんと評価していくという形ができるといいと思っている。
 もう一つ、不登校支援に関して、例えば居場所づくりで、いろいろな居場所がつくられているが、例えば適応指導教室という教育委員会がつくっている場所がある。そこに学生がボランティアで子どもたちと接する、支援する、かかわりができるような形で送り込んで、私が後ろで彼らがどんなことを感じているかとか、子どもとどんな体験をしているのかということを見ていると、そこでの体験が十分に生かせる学生は、家庭でもそうだし、それから仲間関係やそれまでの学校生活の中で、不登校をしていくということを何か意味がある、人間として真剣に生きる姿の一つなのだということをどこかでつかんでいる子どもたちは、入ったときに対等にその子どもたちと接するし、子どもたちの尊厳みたいなものに、何にも言わなくてもちゃんと向き合っているという感じがする。しかし、行っていても、どうも動かないなという学生は、そういうところに来る不登校になるような子どもは、何か問題があるとか、欠陥があるということをずっと思ったままきてしまって、そのために目の前にいる人そのものに出会えない。そのこともすごく大事なことだと思っている。
 前回だったか、鳥居会長が、人と出会ったときに、出会ったことの温かさや、出会うことによって自分が受けていく、何かを感じる力がすごく弱くなっているのではないかという話があって、そこのところが耕されていくという活動をどのように評価していったらいいのかというと、継続してそこを見ていく人がそばにいて、しかも、心の中でどんなことが起こっているのかということを、ちゃんと振り返り、つき合いながら、支えていく形があって、初めて人と人との交流がもたらすボランティアというのが成り立つのではないかと思う。そういう意味では、そこをやれる指導者やリーダーをどう確保していくか、育てていくかというのは、これまでいろいろ話があったけれども、私も大切だと感じている。

○ この分科会の4月からの特色としては、今の意見のように、人間の内面のところをちゃんと見て、奉仕活動とか、体験活動をとらえていく。どうも今までの外での議論は、外側からだけそれを議論して、やるべきだとかどうだとかという議論だけなので、その辺が特色なので、できるだけその辺を切り開いて、つまり人間の内面から見ればこうだということを理解いただけるように出していったほうがいいと思う。
 それでは、戻って、先ほどの高木委員が言っていた企業の問題ですが。今、どんどん変わってきているから、我々の側としてはこういう会議なので、企業に呼びかけるということしかできないと思うが、企業の側の変化をとらえ間違っていると、ピント外れなことを言い兼ねない。しかも、対企業で上のほうの組織の大きいところを言うならいいが、地域で動いている社員の方々とか、企業の方々が一人一人動いているところに対して物を言うときに、地域でこうやっていると、その辺のところをつかんで物を言わなければ、我々としては何やってんだと言われてしまうと思う。その辺のところで、企業の変化に対して我々が何か呼びかけることができれば呼びかけるということにしなくてはいけないが、その辺の変化はどうか。今、企業関係というと、島田委員、高木委員だが、外側にいても企業を見ていて何かお気づきの点があれば。

○ 企業の立場で。私は推進している立場なので、そうではないところもいっぱいあることはよくわかっているが、一つ、制度化の問題である。先ほど休暇制度の話が出て、実は私どもは休暇制度はとっていない。社員にもアンケートをしたが、本当にやりたい人は、実はリフレッシュ休暇というのがあって、5日間とか、休みを続ければ10日でも休めるが、そういうときにやったりするのである。それから、先ほど有給休暇の取得が進まないという話だったが、私たちの場合は有給休暇をできるだけ活用してくださいと。そうすると、3月ぐらいになると、私どもでちょうどイベントがあるときなのだが、有給休暇を消化するために会社がやる社会貢献活動にボランティア活動をしてくれる人もいる。休暇制度をつくったからといって、必ずしも社員が活用するわけではない。
 先ほども景気が悪くなったらという話だったが、景気が悪くなったから活用しなくなったのではなく、ちょうど1990年代の初めに休暇制度だけ先につくってしまったわけである。ただ、社員のマインドはまだ進んでいなかったり、ボランティア団体でも受け入れが整っていなかったりという状況の中で、だんだんそれに応募する人が少なくなって、何となくすぼんでしまったという感じがある。制度化すればすべて事足りるではなくて、マインドを高めていくための地道な努力、本当に日頃の努力なのである。それも動員をかけたりでなくて、やる気にさせるいろいろなメニューをつくる。それが担当者の一番苦労するところなのだが、やはりそれが必要なので、企業に働きかけるときに、こういう制度化をしてくださいということを提言されると、もしかしてうまくいかないかなという気がする。実際に10年間かかわってきていてそういう印象があった。
 もう一つ、今、グローバル経営になってきて、これは必ずしもどの企業もということではないと思う。特に私どももそうだと思うが、いわゆステークホルダーズの中でもシェアホルダーズ、株主の評価というか、企業運営にかかわる株主の方々がそれを認めてくれないと、会社として厳しい環境の中で推進するのは難しいと思う。そこら辺をどうやってやっていくのかというのは、私もわからないが、それは社会全体の流れ、マインドだと思っている。企業もこういうことにかかわるべきだという社会全体のマインドがないと、一定の株主さんだけでは企業の評価を認めてくれないと思うので、そこも一つ考えなければいけないところだという気がした。

○ 企業関係は今日だけではなくても、いろいろお考えいただいておいたほうがいいかもしれないし、学校と企業、行政と企業のかかわりとか、いろいろあるかと思う。

○ 企業とのかかわりだが、特に中小企業、中でも小企業が、企業として社会奉仕のことを十分理解したとしても、現実には対応しにくいと思う。その辺の工夫をどうするかということである。私も何かないかと考えてみたが、なかなかないのだが、そんな中で、私の学校の卒業生にちょこちょこ聞いてみた。建設業界なので、今、非常に不況である。社会奉仕とか、ボランティアということに絞って聞いてみたが、とてもとてもそれどころではないと。残業しても残業手当ももらえない。下手したら日曜日も出ていく。そんな中で、会社の仕事以外のことをする気にならない、体も続かないと。
 仕事がないのに、なぜ忙しいか。結局、人減らし。そして、残った人に会社全体の仕事をやらせる。そういうことで、景気のいいときより、不況になればなるほど忙しくなる。よって、そういう余裕がないと。何人もの人からそういうことを聞いた。ますます困ったという感じを強く受けた。
 今の日本の社会の不景気の中で、小企業に対してどのように持っていくかということが非常に大事ではないか。当然、中小企業で働く人のほうが圧倒的に多いわけだから、その辺のことを、具体的にどうということはいわないが、その辺を十分考える必要があるのではないかと思う。

○ 今のあたり、零細とか、小企業というあたりのところで、何か。

○ ボランティア休暇というのは、とらえ方の問題があるのではないかという感じがする。例えば1週間とか、10日のオーダーというよりは、半年、1年ぐらいのオーダーの議論の場合と、それから1週間、2週間、1ヵ月ぐらいのオーダーの場合。そういう意味で、例えば青年海外協力隊へ行きたいという方々は、数年オーダーの議論だし、それからヨーロッパ、アメリカの概念かもしれないが、例のサバティカルホリデーというのは学校の先生でもそれをお取りになる方が多い。そういう意味では、ボランタリーな活動というよりは、自身の精神的な、あるいは知的な意味でのリフレッシュ、あるいはリバイタライゼーションみたいなことで意図される時間を求められる議論等もあったりする。
 そういう意味で、基本的にはそれぞれが週末を使える人は週末を使うし、あるいは週末ごとにいかなければ、自分が年次休暇が取れそうなときに少しやってみようかとか、そういう次元の時間の取り方の問題と、もう少しシステマティックに取ってあげないと、例えば祐成さんのところでやっている1年間ボランティアに参加したいという人がいたら、1年間である。ただし、「そんなものに行くんなら、おまえ帰ってこんでもいいよ」と言われたら、みんななかなか行けない。その辺は仕分けをして考える必要があるのかと、先ほどの話を聞いていてそんな感じがしたので、私も舌足らずだったとしたらお許しをいただきたいと思う。
 それから、昨今、株主代表訴訟等いろいろやかましいものになってきているので、企業にとってそういうものがどういう意味があるのだということを、ステークホルダーの皆さんがいろいろな立場でコンセンサスできる、とりあえずその中でも株主がどう理解をするかというのは大きなポイントではあると思う。ただ、株主というのは、大株主で目に見える人もいるが、市場にいるから、この市場の株主が企業にとっては大変厄介な存在で、嫌なら株の値段を下げてあげるというだけの反応になってしまう世界の怖さの裏表に企業はいるのだろうと思う。その辺まで含めたような話だと大変難しい議論かなと思う。

○ ボランティア休暇の話が出たが、私もこの件について、ボランティアというか、それと教育のほうの休暇ということで、国民会議の中でも提言させていただいたが、今、確かに企業の中にいるということは、当然、仕事優先という形で、企業から見るとそういう位置づけということになると思う。では実際にだれのために働いているのかということになると、これは特に私は子どもたちを持っている家庭の中で組織している立場からすると、やはり家庭、子どもたちのために働いているケースもかなりあると思う。そういう中で、特に学校教育の中に、なかなかお父さんたちが出てきてもらえない。今、PTAも女性会長が結構増えたが、それはいい意味で女性会長が増えたのではなくて、特に都市部においては、お父さんたちが全然仕事から離れられないので、仕方なくお母さんたちで連合会から何から全部組織をつくってやってしまうというところがある。その辺のところに対して、私たちはとても問題意識を持っている。
 今、特に子育てにおいても、母親の影響を非常に受けやすくなってきていて、母親もどっちかというと中性化して、どっちもの役割をやらざるを得ない。本当はニコニコと子どもを受け入れていたいのにという部分もある。その部分からしたときに、どんなに仕事のために働いていたとしても、その人が自分で子どもたちのために何かやりたいと思ったときのチャンスというか、環境は、できたら企業のほうでは整えておいてほしいという気持ちがすごくするのである。
 これはこれまでにも何回も言ったのだが、大企業に勤めていた方で、人柄もいい、熱心に教育の活動をしてくださるということで、PTAの会長をされたのだが、本当にお忙しい中、土曜日、日曜日を中心に活動され、ほとんどの休みの日を子どもたちのために使って、それでもどうしても足りなくて、ふだん少し休まれたときに、それがもとで職場を左遷されたというケースがあって、あとあとそのときのPTAの人たちも何か申しわけないという、後味の悪さというのがあった。そのときに、まだまだ子どもたちのための環境づくりというのが、社会の合意を得ていないというか、企業と私たちの子どもたちを守る団体との中でも、まだまだ合意を得ていない部分がいっぱいあると思った。だから、長いボランティア休暇というよりも、例えば午前中とか、午後とか、ほんのちょっとしたというときに、使い勝手がいいような休暇が私たちは欲しいと思う。

○ 社会的なエトス、雰囲気みたいなものをどうつくって醸し出していくかというところもすごく大事だから、そのあたり企業のことも、地域のことも含めて、アイデアを温めていただいて、いずれ出していただけるとありがたいと思う。
 私の個人的な研究だと、日本人の精神構造ということで、伝記を集めていろいろやっていた。企業の場合だと、もうこれは企業関係はほかの方も御存だが、ヨーロッパの場合には近世になってからの話で、「神の物は神に、カエサルの物はカエサルに」と言ったけれども、そうではないと。地上で稼いだものを神の恩寵だから神に返せというので、みんな社会貢献をやる。日本にはそれがない。
 ところが、私が調べていておもしろかったのは、松下幸之助さんである。あの方は御存じのように小学校を出て、自転車屋に奉公に行って、アイデアのある人である。自転車屋で、「おい、小僧。たばこ買ってこい」と言われるのである。それでたばこを買ってくる。ところが、毎回買いにいくのでは大変なので、1カートン買う。すると割引になる。それを自分のところにしまっておいて、「おい、小僧。買ってこい」と言われたら、パッと出す。お客さんは喜ぶわけである、おまえは偉いなといって。あるとき、店主に「おまえ」と呼ばれたらしい。褒められると思って行ったら、「だめだ。おまえ、そんなことはやめろ」と言われた。何だといったら、上のほうの小僧たちがみんなそれを見て、嫉妬して恨んでいると。12、13歳でである。それでハッと気がついたのは、社会でもうけたら、社会にお返ししないと恨まれると。それ以来、松下は教育関係でも視聴覚のものをつくったら、無料で貸したり、いろいろなことで社会に還元するのをやっているのである。だけど、これは珍しい例なのである。
 日本の場合だってないことはないので、報徳とか、石門心学がある。石門心学については、アメリカのベラという人がヴェーバーのまねをしてそういう分析をやっているのだが、石門心学だけで、報徳のほうはちょっと弱いのである。そういう考え方があったのだが、それが途切れちゃって、変になってしまっている。だからといって、古いものがいいというわけではないが。例えば小企業にしても、小企業でもそういうところで結びついたほうが、かえってもうかるわけではないが、何とか生き延びられるとか、生活の一部に社会貢献とか、社会奉仕がなくてはおかしい、生きていかれないわけだから。そこら辺の考え方みたいなものも我々としては社会的な背景として出していかないといけないのかと思う。何か奉仕活動だけを出していると、特別のものをやるような印象で受け取られて、これをどうするのだ、こうするのだという変な話になってしまう可能性もある。その辺もお考えいただけるとありがたいと思う。

○ 企業と地域社会の問題だが、私は20社ぐらい工場誘致をしたのだが、その方々にいつもお願いしているのは、普通の市町村長は企業誘致をしたら、まず雇用が増えるからと。そから税金が増える。その二つで企業誘致している。それはそれで大事なことだけれども、もう一つ、その企業が来たことによって、そのまちの文化力とか、技術力が高まらなければだめだと。だから、おたくの会社を少し開放してもらって、うちの生涯学習市民が行ったときに、ボランティアで――例えば資生堂さんがあるが、資生堂があるからお化粧がうまいとか、美的センスが高いということにならなければだめだと。行ったときに、NECならNECがボランティアでコンピュータのことを教えてくれるコーナーをつくっておいてくれと。企業が地域社会、生涯学習社会にどういう貢献をするかということで、具体的に市民が自由に出入りできるスペースをつくってもらうといい。文化力、技術力が高まる。
 もう一つは、いざというときにドネーションを出せるか出せないか、人を出すか出さないか。企画力とか、太鼓をたたくことを企業がやってくれるかどうか。工場長さんが持っている権限は少ないけれども、本当は地方の時代とか、地方分権だったら、工場長の決裁で、ボランティア人材を出す。もう一つ、ジョンソンという会社がうちのまちにあるが、ジョンソンに「アメリカはそうですか」と聞いたら、大体そうだと言うのである。計画を持ってその地域社会に貢献する日とか何か決めている。それは労働組合とか、経営者とか、そうではなく、全体として会社として地域社会に一定の日時を決めてボランティアをやるということをやっている、アメリカの企業は。

○ 私も今のお話で思い出したのだが、横須賀にNTTの大きな研究所がある。あそこはみんな理系のドクターの人ばかりで、およそこんな世界に関係ないと思ったら、あるとき生涯学習について啓発的な話をしてくれと言われて、伺ったことがある。「何で必要なのですか」と言ったら、所員のすごい方々が地域で何か要望があれば、ボランティアで行って話をしたりとか、今の生涯学習をやるというのである。なぜかというと、いざというときにアルバイターを雇うときに、いい人を地域から送ってもらいたいと。だから、地域とつながっていないと、パイプがなくなる。あんな大きなところでもそういう考えなのである。私は、筑波大学にいたとき、理系の実験室の人たちが、積極的に地域の講習があれば行きたいというのである。なぜかというと、理系の実験をやるときもアルバイターが必要なのである。そのときに、ちゃんといい人をつかんでおかないと困るらしいのである。だから、行きたいと。だから、ボランティアをやっていても得るところがあるということがあって、やりがいがあるということもあるのである。そこら辺までも含めて我々は考えておかなくてはいけないような気もする。

○ 今の話を伺っていて思い出したのが、中小企業の若い社長さんと話していたら、最初は自分のところの職員の人たちがばかに見えてしょうがなかったと。あるとき、高校の野球の監督を自分の職員にやってほしいという話がきて、どうしようかと迷ったのだけれども、「いい」という許可をした。そしたら、周りの人が「よく許可した」と。実際知らなかったのだが、高校の野球の監督はしょっちゅういなくなるというので、ひどいことになったと思っていたが、気がついてみたら、実際はその職員が土・日に来て仕事をしたり、朝早く来てやっている。どんどんその人が成長していって、周りからの評価も非常に高くなって、今までと全く違う人たちとのつき合いが会社としてもできてきた。
 考えたら、職員の研修費を何百万か組んでいたそうだが、何の役にも立たなかった。実際そういう活動に参加してもらったほうがものすごく成長するとわかったので、今度は地域のそういう役割を果たすという要請があれば、どんどんやってください、構いませんという方針を出したら、これが非常によくて、中小企業は人材養成にすごく苦労して、効果が上がらないのが、これが一番よかったと。そういう点で、一番財産である人づくりという点で、これはすばらしい方法だとおっしゃっていた。
 そのほかにまだいろいろあるのだが、そういう意味では、確かに非常に厳しいという側面があるのだが、地域の中に参加して、いろいろな体験を積み重ねることを従業員にやっていただくということで、またそれが返ってくるという側面も相当あるのではないかという感じがする。

○ 私は最後の報告書がどういう形になるかばかり気にしている立場なので、生涯学習分科会の幾つかの議論の中で、青壮年、つまりここでいう青年、社会人の奉仕活動をなぜ中教審が取り上げるのかというところをどう書くかというのを気にしている。
 今日の議論を伺っていて、それから前回の話も伺っていて、幾つかキーワードは既に出てきていると思うので、山本先生にまとめていただければと思うが、例えば品格ある社会の復活とか、互恵社会とか、日本人がともすれば忘れ始めている側面を、もう一度みんなで考えましょうということをやろうとしているわけですが、考えないと、日本が世界の大きな流れの中で遅れた国になっていくというようなことを、どのように表現するかなのだろうと思う。
 もう一つは、なぜ中教審がこれを取り上げるかというと、ここにも書いてあるとおり、大人がちゃんとやらないと、子どもたちに対する教育にならないと。「徳人」という言葉が出たが、子どもたちが「徳人」という言葉を知らなくなってしまっている社会というのは、大人に徳人が少なくなったというか、ほとんど希少価値になってしまったということだと思う。
 大学生の無目的在学というか、それが蔓延している状況に対する警告であり、教育行政の一つの大きな仕事だということもあろうかと思う。
 もう一つは、これから煮詰まっていく議論だと思うので、あまり早手回しに私の意見を申し上げるべきではないと思うが、ここでは「社会の仕組みづくり」と言っているが、どうやってこの仕組みをつくっていくかというときに、仕組みの性格の側から分類すると、公営の仕組みもあり、それからまさにお金を取って営業する民営の仕組みもあり、それからいわゆるボランティアという仕組みもあると思う。そのボランティアも企業が行うボランティアとしての仕組みと、何らかの団体をつくってやる仕組みと、個人一人一人がやるものとあって、そういう仕組みの中で行われる活動のほうも、いわゆるボランティア活動だけではなくて、ボランティア活動のための準備の仕事があり、それからロジスティックの仕事があり、バックアップの仕事があり、それから訓練の仕事がある。そのようにして組み合わせてみると、消防団というのは昔は公営、今は半公営的な性格を持った民間団体の訓練の仕組みで、その中に身を置くことによって、実はボランティアのスピリットがわかってくるということで、幾つか当てはめていくと、いろいろなものがつくれるのではないかと思う。
 事故災害等を例にとれば、それが起こってしまってから、ある仕組みをつくるというのもあっていいと思う。例えば公営か、あるいは半官半民の仕組みで、災害のときの救助の仕方を訓練する場所が日本に1ヵ所か2ヵ所あって、そこに行って1週間の訓練を受けておくと、いざというときに役に立ち、かつそこの訓練を受けたというサーティフィケートを持っていることが意味があるとか、そういう仕掛けもつくれるのではないかと思っている。そんなふうに考えてみたらどうかと思う。

○ 今、社会の変わり目だから、その辺のところは柔軟に考えて、従来どおりというわけにいかないから、いろいろな知恵を出していただいて、うまい方向を見出せればと思う。

○ 何か足りないなとずっと思ってきたことで、これに若い人、例えば大学生とか、大学を出たての人とか、そういう人にオブザーバーで入っていただく必要があったのではないかと思っている。というのは、ここで最初に私は申し上げたが、今の青少年に問題があるというか、そういう発想になってしまう。我々の年齢からいっても、どうしても昔はこうだったという話になりがちなので、そういう意味では、これからを生きる人がコミュニティ活動をどうとらえているのかとか、我々が考えていることについて、どう受けとめるのかということを知る必要があるのではないか。特に私どもがやっているNPO、ラーニング奨学金制度で、これを受けた学生さんたちの意見はとても参考になっている。例えばそういう経験のある人に入ってもらうということも必要だったのではないかというのを、今ごろになって申しわけないが、例えばワーキング・グループの中で入っていただくとか、何かまだ方法があるのではないかと思うが、そういうことはできないのだろうか。

△ それもできると思うし、今、おっしゃったような事柄は、私どもでも実は事務方では随分考慮して、どうしようかと悩んだところである。ただ、中教審という立場上、委員の先生方のほうからそういうお話が出れば一番だと思っていたところであり、スケジュール等を見て、どういう形で、分科会の形でするか、ワーキングの形でするか、何らかの形で、いわゆる一般のこうしたから意見を言いなさいということではなしに、実際に活動をした方や、する可能性のある方に来ていただいて、直接お話をしていただくような機会を何らかの形で考えさせていただければと思う。

○ そのあたりは事務方にお願いしたいと思う。
 ついては、これからの進め方だが、ワーキング・グループのようなもので検討して、それをまたこちらの分科会に出していくというようなことをしたほうがいいと思うが、そんなところで進めさせていただいてよろしいか。

〔「異議なし」〕

○ それでは、そのメンバーとして、こちらの分科会の副会長の今井佐知子委員、島田京子委員、今日欠席の松下倶子委員、横山洋吉委員、和田敏明委員に、私を加えて6人で、まず何か作業をしてみようということを考えてみたいが、いかがか。

〔「異議なし」〕

○ それでは、次回以降、ワーキングのほうで用意したたたき台みたいなもので議論いただくことにしたいと思う。

(3)事務局より今後の日程について説明があり、閉会となった。

お問合せ先

生涯学習政策局政策課

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