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資料2

第8回教育制度分科会における主な意見の概要

   

     日時   平成13年10月10日(水)  14:00〜16:00
     
     場所   文部科学省分館201・202特別会議室
     
     議題   新しい時代における教養教育の在り方について
     
     配付資料
 
   資料1   新しい時代における教養教育の在り方について(骨子案)
 
   資料2   教育制度分科会の今後の日程(案)
     
  出席者
 
   委員:鳥居会長、茂木副会長、奥谷委員、竹内委員、田村委員、永井委員、藤原委員、船津委員、森委員、横山委員
 
   事務局:近藤生涯学習政策局長、寺脇生涯学習政策局審議官、名取主任社会教育官、 山中生涯学習政策局政策課長、その他関係官
     
     概要
     
  ・   資料1について事務局より説明を行った。
  ・   資料1をたたき台に、答申をまとめるにあたり、盛り込むべき内容等について討議が行われた。主な意見は以下の通り。
       
 ○ 昨年12月に出した「審議のまとめ」よりも、踏み込んで書く。骨子案の第3章第4節が今回新たに付け加わった観点だ。
       
 ○ 日本には、対立する2つの歴史観があって、お互いに遠慮して、歴史教育が中途半端になっている。特に間近な歴史は教わる機会が少ない。体系だって教えた方がいいのではないか。歴史をいつ教えるかということも重要である。英国では、名誉革命といえば、国民の権利の獲得という意義の他に、王様がお金に困って始めてお札を作ったという意義もあわせて理解している。教養としてはこういうことを知っていることが重要ではないか。
       
 ○ 初中教育など「審議のまとめ」に書いてあることは、「審議のまとめ」に任せて、今回は、高等教育に重点をおいたほうがいい
       
 ○ 構成についてだが、大学を詳しく書きすぎると、教養は大学で見に付けるものとの誤解を生んでしまう。一人一人が身に付けるものとしての教養ということを重点的にいうべき。
       
 ○ 骨子案に書かれていることは正しいことばかりだが、正しい断片の羅列であり、総花的だ。インパクトに欠ける。何が本質なのか、根底に流れているものは何かを摘出する作業をすべきであり、本質をもっと前面に出し、踏み込んで書くことが必要。
       
 ○ 骨子案に国語の力が重要と書いてあることは評価できる。母国語は言語技術としてだけではなく、全ての知的活動の基盤。語彙の量は思考の内容を規定する。論理的思考力は算数ではなく言語を通してもっともよく育成される。数学の論理と日常の論理は違う。
       
 ○ 国語は日本人のアイデンティティの基盤。家族愛、兄弟愛、祖国愛、人類愛といったものは、国語を通して優れたものを読んで獲得していくしかない。日本人としてのしっかりしたルーツがないと外国で尊敬されない。
       
 ○ 国語教育は大事であり、きちんと見直すべき。外国語の習得のためにも国語力は重要。マナーの問題も小中学校で身に付けるべき。
       
 ○ 情緒力の不足が言われているが、もののあはれ、他人の不幸への同情、感動する心などは、主に日本の詩歌、文学などを読んで身に付いていくもの。芸術や自然も重要であり、体験や出会いも必要だが、中心は読むことであり、教養教育には読書文化の復活が必要。そのための国語力が重要だとはっきり言わないと日本の教育は立て直せない。
       
 ○ 図書館の機能強化の際には、司書の配置が必要。
       
 ○ あえて、答申の中に宗教を言う必要があるのか。憲法や教育基本法によって、国公立での宗教教育が禁止されている中、現実にどう取り組むのか。よほど配慮する必要がある。
       
 ○ 宗教は、戦後教育においてタブーになってきたが、英国ではシチズンシップエデュケーションの中で5大宗教を教えるとのことである。日本でも宗教とは言えないまでも、思考方法としての生活文化のかたちを教えていくことが必要。日本人としてのアイデンティティを確立するためにも民俗文化や伝統行事等を重視することが必要。
       
 ○ 宗教を正面からいうのではなく、「愛」の問題として捉えることも可能ではないか。
       
 ○ これまでの教育改革に対してどんな評価を加えたのか、その話が抜けている。特に大学の教養教育以外の部分が抜けている。
       
 ○ 放課後、個別指導を行ったり、宿題をきちんと出すことは必要なことである。ただ、答申にそういうことを書くと、また一時期のように、一斉に各学校が学校を挙げて0時間目や8時間目などの形で始めかねないので、その点が難しい。
       
 ○ 受験のために高校で放課後の個別指導をするというと問題だろうが、6歳から12歳くらいまでの間は、勤勉性を身に付けるべき時期であり、宿題や放課後の指導が必要。
       
 ○ 教養の要素として自己責任や自律性という観点が抜けている。
       
 ○ 教員のサラリーマン化は大きな問題。もっと校長に人事権を持たせたり、人事を流動化させることが必要である。
       
 ○ 今の大学は行政の言いなりになっていて、主体性がない。カリキュラムを自由化することが必要ではないか。文部科学省が介入するとよけいに大学が弱体化するのではないか。
       
 ○ 大学については自由に任せるのが大原則。今回の答申は、このとおりやれというものではなく、何も考えないでいる大学の先生に刺激を与えるような答申にしなければならない。
       
 ○ 原点を決めて最重要課題を整理するシステム思考に基づいて、骨子案を再構成すべきである。総花にせず、整理して再構成すべき。
       
 ○ インパクトを持たせるためには、教養のある人とない人とはこう違う、ということを書いてはどうか。70歳になっても、教養のある人として死にたいといって学び続ける人もいる。具体的な例を挙げてその上でキーワードを整理してはどうか。なぜ今教養かといえば、日本人のアイデンティティがないからである。我々がどのような社会にしたいのかをはっきり書くべき。
       
 ○ 今の日本人は、教養もないが、常識もなく、常識の危機である。特権的教養ではなく、国民的な教養を考えるのであれば、常識と教養の関係について考えることも必要。答申にその話も盛り込んだ方がいい。
       
 ○ 最終講義や初任の講義が感動を与えるのは、教師が自分のことを話すからである。客観主義が科学だという考え方のもとで、教師自身はいつも別のところにいて話しているというような授業は、何の反発も感動も与えない。
       
 ○ 放送大学のように、教師の授業のサポートをしっかりする体制があれば、いい授業ができる。放送大学の授業は非常によいので、大学の講義ののうち、最初の1時間は放送大学のビデオを流すなど、授業を工夫するとよい。
       
 ○ ボランティアやアルバイトが単位につながることもあっていい。
       
 ○ 感動を与える教育ができないのは、大学の教員は学問の水準を考えすぎて自分の失敗談などを言いにくいため。教養教育は、人とのつながりがないと意味がない。
       
 ○ 大学では新しいことの学び方を教えるべき。先生が自らの経験を語るのは大事なこと。
       
 ○ 知性だけでなく感性が教養教育の中に入ったのは重要。感動ある授業や人格ある教育などはまさに感性の部分。また、少人数授業や50分授業を週2、3コマ実施することの意味は、生徒の名前を覚えられるような、密度の濃い授業を行って、知性のみならず教員との密接なつながりの中で学生の人格を形成することにある。
       
 ○ 初中教育は学校だけで全部はできない。地域の出番。学校にいろいろな人が参画するのはよいことである。初中教育の後に生涯学習を持ってきて、大学についてはむしろ大学改革の課題として整理することもできるのではないか。
       
 ○ 生涯学習の部分は、従来型の施設依存、行政の視点のものが多い。
       
 ○ 骨子案の構成として、初等中等教育段階、高等教育段階のように、制度ごとに書くのではなく、人を基準にして、人格形成期の教養教育、生涯にわたる教養教育というような区分にして、その中で、初等中等教育段階、高等教育段階と分けて書くとよい。また、日常生活における教養や教養ある生活文化といったものも考えるべき。この辺りは、ワーキング・グループでもっと詰めてもらいたい。
       
 ○ アトラクティブに表現するなら、国語の重要性を書くほか、教員の研修として社会体験もいいが、効果的な方法は演劇をさせることだ、といってはどうか。
       
 ○ 答申の書き方として、「文化の時代」という報告書を参考にするとよい。コンセプトを書いて細かいところを解説書のようにしてもいい。
       
 ○ 社会全体としての教養の喪失を書くべきか。
       
 ○ 政界も、官界も、学会も堕ちている。大局的な判断ができるエリートがいなくなった。今の日本の不景気を脱するためには教養教育の充実しかない。全く役に立たないようなものを知らないで目先のことばかり言っている人には大局的な判断はできないことを知るべき。これは日本がエリートを育てなかったことへの反省でもある。
       
 ○ 個人の教養や常識は、個人にとって大事なだけではなく国にとってのインフラでもある。
       
 ○ 品性・品格とはどういう意味で使っているのか。いやしくないといういうことか。教養があっても品格がない人もいるし、その反対もある。
       
 ○ 古典をもっと重視すべきである。漢文や百人一首を暗記させたり、北原白秋を暗唱させたり、強制的に古典のリズムを覚えさせることは、大人になってから、非常に教養として生きてくる。
       
 ○ 骨子案に「きめ細やかな指導」とあるが、それに加えて、厳しい指導も必要だ。古典は先人の知恵や伝統が凝縮されているものである。
       
 ○ 最近の教科書自体が、古典が減って、現代文が増えている。
       
 ○ アメリカでは、一流企業の経営者が、古典の素養を学びにアスペンなどに行っている。幅広い意思決定に役立つということで、30年くらい前から人気がある。3年前に日本にもできた。生涯学習の例として言えるかもしれない。アスペンのグレートブックスなど調べると参考になる。リンカーンの独立宣言を暗唱したりして、リズムをつかんでいる。素読や暗唱は重要で、それが自分の文体になっていく。
       
 ○ 七・五・三現象の中で、厳しさをどう取り入れていくかが問題である。
       
 ○ 英語やパソコンも結構だが本質は国語である。国語は教養の中核であり文化の中核である。教養ある国民、教養ある社会は、国際的に尊敬される条件というだけでなく、こういう国を攻撃したいとは誰も思わないという意味で、防衛力にもなる。

 

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