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4  教育委員会制度をめぐる今後の方向性と改革課題

 自治体教育行政の中心的アクターである首長・教育長・教育委員長それぞれに関する調査データを整理しながら、教育委員会制度に寄せられている批判的論点の検証を試みてきた。その結果、端的に言えば、つぎのようなことが明らかになった。すなわち、分権改革が推進され、自治体の自主・自律が強調され、教育行政の地方自治も自治体の重要課題となるなかで、教育委員会制度は主体的かつ積極的な教育行政を担いうる装置として存続可能であり、組織機構として致命的欠陥を抱えているわけではないと評価されていること、また、自治体のリーダーである首長が、自らの政治的イニシアチブを教育行政・教育政策の領域で発揮しようとする場合、教育委員会制度は必ずしも制約となっているわけではない、ということであった。とするならば、現行の教育委員会制度は運用次第により十分に機能しうるということになる。それでは、教育委員会制度の今後の方向性について、自治体の関係当事者はどのようにみているであろうか。まず、委員長調査でそれをみてみよう。

  これからの教育委員会をめぐる課題について4項目を挙げて聞いたところ、以下のような結果を得た。4項目とは以下の通りである。

  1 今後、分権改革が進み、自治体の主体的な行政能力が問われてくると、複数の自治体が合同で教育委員会を設置することが必要になってくると思いますか。(教育行政の広域化)
  2 地方教育行政も、国の文部科学大臣のように教育長を位置づけ、合議制よりも独任制の執行機関による行政に切り替えた方がよいと思いますか。(独任制執行機関)
  3 今後、学校の裁量権限を拡大することにより、教育委員会の責任と権限を縮小する方向が望ましいと思いますか。(委員会権限の縮小)
  4 現代のような教育問題の高度化、専門化の中で、教育行政における住民参加を保障する制度は維持されるべきだと思いますか。(住民参加制度の維持)
平均値は、「全くそう思わない」を1点、「とてもそう思う」を5点とした平均である。


教育委員会制度の課題(教育委員長調査)

  全くそう思わない あまりそう思わない どちらでもない ややそう思う とてもそう思う 市町村平均 都道府県平均
1 教育行政の広域化
13.3% 28.9% 18.9% 27.4% 11.5% 22.95 23.08
2 独任制執行機関
30.8% 35.7% 21.3% 9.7% 2.5% 42.17 41.78
3 委員会権限の縮小
16.4% 33.5% 25.4% 22.8% 2.0% 32.60 32.66
4 住民参加制度の維持
1.4% 8.4% 20.6% 41.8% 27.8% 13.86 14.13

 4の住民参加制度の維持については「ややそう思う」「とてもそう思う」との回答が多く、教育委員会制度の意義の一つが住民参加の保障にあるという意見が依然として根強い。そして、2の独任制と3の委員会権限の縮小に対しては否定的な回答が多いことが注目されよう。1の教育行政の広域化については若干意見が分かれる。

   人口規模別に見ると、小規模自治体になればなるほど1の教育行政の広域化については肯定的な回答が多くなる。2については人口3万人を境にして規模の大きい自治体では「そう思わない」との回答が7割を超える。 教育行政の広域化・独任制執行機関についてのアンケート統計表
   首長アンケート調査によっても、現行の教育委員会制度を大幅に変更することに賛意を示す首長は少ないことが明らかになっている。「現行の教育委員会制度を変更する必要はない」という意見に対して、「賛成」「どちらかといえば賛成」をあわせると39.2%、「どちらともいえない」が34.1%、「反対」「どちらかといえば反対」をあわせると26.8%となり、賛成派が多い。また、「合議制の執行機関としての教委制度を維持しつつ、必要な制度的改善を図る」という意見に対しては、「賛成」「どちらかといえば賛成」をあわせると、69.6%になり、首長の3分の2以上がこのような意見を持っているということになる。さらに、「現行の教育委員会制度を廃止して、その事務を市町村長が行う」という意見に対しては、「反対」「どちらかといえば反対」が、あわせて過半数を占めている。さらにまた、仮に教育委員会を設置するかどうかが、首長自身の選択に委ねられた場合についての意見では、「教委制度を維持するが必要な制度的改善を図る」が52.0%と最も多く、ついで、「現行の教委制度を維持する」が33.4%、そして「現行の教委制度を廃止し、その事務を市町村長が行う」が13.6%となっている。

首長アンケート調査統計表
 これらのデータは、改革の方向性についての、きわめて一般的な意見の分布を示しているにすぎないが、少なくとも現行制度を改善・活用することで今日の問題状況に対応できるという意見が大勢を占めているという判断を下すことができよう。事実、首長の面接調査では、現行の教育委員会制度を改善・活用することの可能性について、多くの首長から証言を得ることができた。
 首長の面接調査でも、教育委員会無用論や首長部局への教育委員会の事務移譲論に示唆されている、教育行政の首長部局への一元化に対しては、ほとんどの首長が賛意を示さなかった。むしろ、一元化論への警戒心の方が大勢を占めたといってもよい。その理由は、根本的には、現行の教育委員会制度の下で、創意工夫を加えることにより、教育改革の実があがっていること、満足できる教育行政が推進できているということである。そして、一元化の問題としてあげたのは、つぎのような理由であった。まず、(1)一元化した場合、首長の交代により、継続性・安定性が損なわれる可能性がないとはいえないことがある。つまり、上記したように、首長の多くは、教育行政に対する関与において、確かに自己抑制的な態度を持っているが、これがすべての首長にあてはまるとは限らないということである。つぎに、(2)これ以上、首長が地域の政治・行政に対して責任を背負い込むことはきわめて難しいということである。自分の管轄の下で直接処理するには、教育問題はあまりにも重大であり、責任が大きすぎる。少子高齢化社会のなかでの地域づくりや、福祉事業など、自分にはやるべきことが他にもたくさんある。現行の、教育行政権限を首長と教育委員会で「分担」して、いわば二元的なシステムで処理していても、必要に応じて、コントロールが可能であるし、十分に首長の意向を反映させることはできる(それができないのは、首長の責任ではないか)。もちろん、そのためには、双方向的な意思の疎通を図り、地域の教育課題について共通の認識を持ち、互いに議論を重ねながら、パートナーとして行動しなければならない。そうするならば、責任の所在について互いに回避するような事態は生じないであろう、というのが多くの首長の意見であった。さらに、一元化に対して慎重な理由として挙げられたのは、(3)教育問題の高度化や専門性という点からいって、教育委員会(広義)が一定の自律性をもって問題解決を図っていく方がより有効であるということである。すなわち、学校教育に関する「専門性の蓄積」は軽視できない。教育委員会が自律性をもつことは、自治体の一体性のある行政を妨げるものではない。ただし、首長と日頃から相談し、問題の処理については常に報告すべきである。教育関係の情報は、教育委員会制度があるがゆえに不足することなく収集・保管されている。さまざまな情報を基に首長が政策判断を下すことができるし、首長では判断のむつかしい部分については、教育委員会の「専門性」にゆだねることもできる。こうして、このシステムであるからこそ、「間違いのない判断」が保障されるのではないか。
 これに関連して、TG市長は地方分権も大事であるが、「地域内分権」もまた大事であるという表現で、首長から一定の自律性をもって教育委員会がさまざまな施策を展開することが重要であり、教育委員会にとっても、その方が積極的な行政をモチベイトすると述べた。自律性を許容されれば、それだけ独自性を発揮して一所懸命やらなければという気持ちが高まる面があるということであろう。教育行政の「専門性」と一般行政の「専門性」は異なる専門性であり、教育問題をどちらか一方の専門性のみで処理することは適当ではない。一元化することは一般行政の「専門性」で問題を処理する危険性が高くなるのではないか。今の仕組みは、双方の連携・協働により、それをうまく調整することができるし、特に、教育問題を総合的に、つまり、教育の側からも行政の側からも、考えることのできる教育長がいるならば、その可能性はさらに大きくなる。
 S市長は、教育委員会制度は教育問題を政治的分業で解決するという仕組みであるが、教育委員の任命権、予算編成権等を有することからいって、究極的にいえば、「他の行政サービス同様、教育問題の責任も私にあります」と断言していた。Y市長も「教育行政についても何も、すべて責任は私がとる、教育長があれをやったのだからあちらが悪いのだとは言わないと、そういう覚悟でやっています」と述べている。
 N市長いわく、「今のシステムの骨組みを変えるべきではない・・・。不満はありますが、変えるべきではない。なぜかといえば、システムが変わったとき、首長が自分の判断を入れることに対する危険性の方がまだ動かないまどろっこしさよりももっとあると私は思っています。」「現行制度のなかで本当にできないかといえば、そうではないと思います。私は何回か掟破り(首長が直接的に教育政策の提案をしたこと、引用者注)しましたよと言っていますが、形は全部作っているわけです。教育委員会の方の発案で教育委員会がやったことにしてありますが。そうすればいいのだから、自分で予算をつけてやればいいだけですよ。」
 Y市長「やはり、今のままの方がやりやすいですね。今度、教育の細かい問題まで全部市長がやることになってしまったら、頭が回らないのではないか。特に、教育というのは、こちらの経験の少ない分野ですよね。判断を間違ってしまうと大変な部分もあると思います。だから、出てきた意見を十分に見ながら、考えてまちがいないように指導する。そしてある程度独自性をもってやってもらいながら、チェックし、指導しながらやっていく方が私としてはやりやすい。−中略−一元化しても、やることは別にいいことならいいのですが、やはり限界がありますよね。教育だけが本当に大事なことですし、ある程度いろいろなことについて情報を集めてもらい、それをオープンに見せてもらって、こういう意見もあるのだけれども、市長はどう考えていますかとやってもらった方がやりやすい。こちらで全部組み立てていって、これはこうしなくては、ああしなくてはというのは、それだけではやはり・・・。他の分野もありますから、いいかなと思いますよね。」
 このように、多くの首長が、教育行政の首長への一元化よりも、現行制度の改善を支持している。言い換えれば、運用次第により、現行の教育委員会制度の枠組みの下においても、自治体に求められている自主的かつ積極的教育行政の展開が可能であるとみている。
 とはいえ、教育委員会が、教育の専門性の名の下に、学校教育をいわば「独占」することによって、結果的に教育界の閉鎖的な学校文化を温存し、教育界の「護民官」的存在として機能してきたことに対して、根深い不信感を隠さない首長がいたことも事実である。そうした教育委員会と学校との関係が、新しい教育施策の展開にとって桎梏になっていることに不満をもらす首長もいた。つまり、教育委員会制度が、教育行政の自主・独立性という理念の下に外部の介入を容易に許さない閉鎖された世界を築いてきた側面がなかったとはいえない。例えば、CH市長は、つぎのような教育委員会に対する厳しい見方をしている。「(人件費がかさむために教育費が少ないという)極めて具合の悪い結果が出ていますから、これを市民に明らかにしながら、もっと教育委員会はきちっとやるべきことをやりなさいと。今までなぜこんなに(人件費が)多かったのかと思いますけれども、逆にいうと、これは裏目に出ているかもしれませんね、教育委員会制度が。(複数の)市立高校を経営するという独自の選択は歴史的にとってきましたけれども、その結果として小・中、あるいは生涯学習絡みのスポーツ、文化施設に対する投資が圧倒的に遅れています。(数百億の)差というのはそういう分野ですからね。道路なんかも入れますが、道路以外はほとんど文化施設ですから、市町村の持つ有形固定資産というのは。昭和44年以降の35年間で、ほかの都市の半分以下の文化施設。そして、ほかの都市の半分以下の小・中学校の教育予算しかない。そういうところに落ち込んでいることの認識すら、教育委員会という一つのたこつぼになってしまって、市長部局と違うということで情報過疎地帯に置かれてきたということかなと思います。」そして、つぎのように苦言を呈している。「まず、公務員というのは一般国民の水準から標準偏差が明らかにずれる世界にいますよね。その中で最もずれるのが教育公務員なのです。非常に特殊なたこつぼに入ってしまっていて、お相手は幼い子供たちとPTAですよね。世の中一般の水準の人と違う人と常に相対してやっていきますし、仲間意識が強い。そして差をつけることを嫌がる徹底した平等意識。これは悪平等が進もうとしている傾向までありますよね。いろいろな問題が起こっていることについては言いませんが、とにかく水準からあまりにもずれすぎている集団の中だけで物事を決めることが、教育委員会制度の現在の一番の弊害ではないかと思います。」
 教育委員会制度には、こうした問題性が潜んでいることは否定できないが、教育委員会制度が地方分権の時代において、自主的かつ積極的な教育行政を展開し、地域の教育問題を解決する機構として存続可能な存在であると多くの首長によって認められていることは明らかであるといわねばならない。しかしながら、それを現実のものにするには、クリアしなければならない課題は少なくない。
 確かに、教育委員会会議が政策フォーラムとして機能しているとは必ずしもいえない。しかし、人数の制限のある中で、その方向への努力が生まれている。「教育の話もない、地域の情報もない、上がってきたものを審議して終わりという時代があった」が、分権改革以降、政策づくりへの関心が高まっていることは事実であり、事務局職員と議論もするようになり「活性化」が目に見えるようになっているという市長(K市長)もいた。
 また、T市では、教育委員会とは別に教育審議会を組織し、そこで地域の教育課題について調査、審議し、教育委員会に政策上の「建議」を行う。教育委員会はそれを受け止めて、施策事業化できるかどうかを検討する。それとともに、教育審議会で活動してきた人が教育委員として任命され、審議会での経験をさらに生かして、より活発な教育委員会とすべき努力を傾けている。ということは、審議会の設置は、住民参加の拡大をねらったものであるが、それは同時に教育委員をいわば「育成」する機能をも果たしている。
 教育長と教育次長との連携、教育職と行政職とのパートナーシップ、首長と教育長との協働関係、こうしたものが形成されるならば、現行の制度の下でも教育委員会は十分に機能しうる。現行のシステムのなかで、首長は、任命権、予算編成権、条例提案権を通して、「必要に応じて」教育行政に強い影響を与えることもできる。「こちらの権限は十分及ぶと思いますので、逆に言えば、教育に関してそういう機関があり、私の方の意思も十分に反映したり、言うことも聞いてくれる機関であればかえってやりやすい。−中略−基本的には知識も深い面もありますし、−中略−いろいろな面でのアドバイスもいってくれますから。今のところ、十分、こちらの監督下で言える立場でもありますし、だめならだめといいますから、それが大事だと思います。」(理論的には、相当の「政治的介入」が可能なシステムといってよいが、「教育と政治の分離」という規範が働いており、首長の中には、そのことに自覚的な首長も少なくない。それに、教育問題は本格的にコミットするにはハードルが高すぎると考える首長も多い。そこで、基本的に教育委員会の自主・自律を尊重する形で、教育行政をゆだね、教育問題が地域の課題として顕在化したときに、予算編成等の面で「介入」するというスタンスをとることになる)。「縦割り行政」の縛りも以前ほど強くないために、パートナーシップを構築するにはよりよい環境になっている。
 事務局の陣容の充実が重要であることが本調査でも明らかになった。TG市長は、TG市の場合、政策立案能力という点からいえば、教育委員会事務局は非常にすぐれている、他の部局以上に力がある、見習う必要があるといっていた。もちろん、これらの関係の形成が簡単にできるとはいえない。そこには、人の問題があり、人と人との信頼関係を築く地道な努力がこれまでなされてきたことを、TG市長は強調し、その点から教育委員会事務局を高く評価していた。事務局の陣容の充実という場合、単に量的な側面だけではないことを、暗に示しているといえよう。



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