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 教育行政と首長

 さて、首長は、自治体の教育行政・教育政策過程においてどのようなスタンスで関わっているのであろうか。市区町村教育長調査において、教育長から見た首長の教育施策に対するスタンスを尋ねた。


教育施策に関する首長のスタンス

  全くあてはまらない あてはまらない どちらでもない あてはまる よくあてはまる 市町村平均 都道府県平均
具体的な指示をする 5.3 25.4 40.8 26.9 1.6 82.94 43.86
自身の発案を委員会を通して実施 3.5 22.5 38.8 30.0 5.1 73.11 14.19
政策の説明を要求し変更指示 6.7 35.2 42.8 13.8 1.6 92.68 24.14
首長部局との事前協議が必須 0.6 10.4 25.0 49.1 15.0 43.67 34.00
発案するが教育長と事前協議 1.8 12.2 30.9 43.1 12.0 53.51 53.84
アイデアを積極的に提示 0.9 9.7 43.8 36.6 9.0 63.43 83.31
教育長の施策を支援 0.4 2.5 18.1 54.6 24.3 34.00 92.97
教育長のアイデアを尊重 0.4 1.0 11.8 59.7 27.2 14.12 63.68
教育長への全面委任 0.4 3.4 16.5 48.9 30.7 24.06 73.38

 「教育長のアイデアを尊重」、「教育長への全面委任」、「教育長の施策を支援」の回答が高得点となった。これらの3つは、「全くあてはまらない」を1点、「よくあてはまる」を5点として得点化した際の平均点が、4.00点を超えており、「よくあてはまる」と「あてはまる」を合わせた割合が80%程度になる。このことは、首長の多くが教育長に信頼や支持をよせ、教育長に任せていることの証左といえる。
 反対に、「政策に関する説明を頻繁に要求し、変更を指示することもある」、「具体的な指示をする」の項目は、上記と同様の方法で点数化してみると、2点台にとどまり、低得点となった。「よくあてはまる」と「あてはまる」をあわせた割合は、30%前後となっている。つまり、首長が自ら発案した教育施策を教育長に具体的な指示として提示し、その実施を促すという形態は、多くの自治体ではとられていないという可能性が高いといえる。
 首長の教育施策に対するスタンスと人口規模とのクロス集計を行うと、「自身の発案を教育委員会を通して実施しようとする」、「具体的な指示をする」の2つの項目に関して有意な関係が見いだされた。両者ともに、人口規模が大きくなると、「あてはまる」とする回答数が増加していく。特に、「具体的な指示をする」に関しては、「あてはまらない」との回答が人口規模が小さくなるにつれて増加していき、その傾向が顕著に現れているといえる。これらの両者は、自治体の人口規模が大きくなればなるほど、首長が自身の発案を施策化しようとしたり、具体的な指示を出すことが多くなっていくということを示している。

教育施策に対する首長のスタンスと人口規模とのクロス集計表


  また、教育長に、教育長から見た首長像を聞いたところつぎのような結果となった。

教育長から見た首長像


  全くあてはまらない あてはまらない どちらでもない あてはまる よくあてはまる 市町村平均 都道府県平均
教育政策のアイデアが豊富 1.6 12.0 46.1 31.5 8.7 43.34 14.70
国・県・市町村の教育情報通 1.6 11.0 43.9 33.4 10.1 33.39 33.95
住民ニーズの把握に積極的 0.9 9.1 26.1 47.5 16.5 23.70 33.95
地域の教育問題を優先課題 0.4 4.3 16.4 50.7 28.2 14.02 24.14

 その結果は、「地域の教育問題を優先課題にしている」が平均値で最も高い得点となった。「よくあてはまる」と「あてはまる」を合わせて78.9%となっている。その他の項目に関しても概して得点が高い。ここからは、首長が教育に対して関心を有しており、その課題意識も高いと教育長は認識していることが理解できよう。
 さらに、総合行政志向の強さについて、つまり「教育行政の独立性を保持するために独自の教育政策を持つというよりも、自分の仕事は、首長部局との調整により総合的な行政の中で教育行政を円滑に進めることだと考える」かどうかを尋ねたところ、全体の57%が「強く支持する」あるいは「やや支持する」と回答している。「全く支持しない」あるいは「あまり支持しない」と回答した教育長は20%に過ぎないという結果になった。
「全く支持しない」を1点、「強く支持する」を5点とした平均は3.48である。このことは、首長部局との連携のもと総合的な行政を志向する教育長が多数にのぼることを示している。

首長との一体化など、総合行政志向の強さ

 市区町村教育長調査で明らかにされた、首長の教育行政のスタンスや首長像は、首長の面接調査においても十分に裏付けられている。
 面接対象の首長のほとんどが教育を政策課題として重視し、自らの政策アイデアを施策事業として具体化していると答えていた。よく現行の合議制の行政委員会方式の組織機構では、首長は自治体のリーダーとして教育政策のイニシアチブが発揮できにくいということを指摘する者もいるが、面接の中では、イニチアチブを発揮しにくいという首長の声はほとんど聞かれなかった。首長は、日常的な接触の中で教育長と相談したり、自分の政策アイデアを伝えることもできるし、時に指示を出すこともしている。予算を伴う教育施策の場合、首長は必然的に関与することになる。
 とはいえ、首長のほとんどは、自分がリーダーシップをとらないと教育改革は進まないといった考えをもっているわけではない(なかには、教育問題の解決に意欲的であるあまり、首長の教育行政権限が、委員の任命権、教育財政権、条例提出権限に限定されていることに無頓着とも思える首長もいた)。教育を重視するが、基本的なスタンスとしては、教育行政・教育政策の領域は教育委員会が主体的に動くべき分野であり、自分から動くことはできるが、総じてそれを抑制しているという見方が可能である。自分の役割は、教育委員会が主体的に行う教育施策を必要に応じてチェックする、あるいは、サポートすることであるとする首長が多い。
 予算編成にしても、法制上は、首長(部局)で編成したものについて教育委員会の「意見を聴取」することになっているが、実際には、他の首長部局と同じく、教育委員会事務局が、特に次長を中心に編成し、それを財政担当と調整した後、首長の査定を受けるという手続きをほとんどの自治体で採用している。もちろんその場合、当該自治体全体としての基本方針に即して予算編成が行われるのはいうまでもない。特に、新規事業については必ず首長が査定する。ただし、自治体によっては、ある一定の予算額までは、助役の査定事項としているところもある。この段階で、ある施策事業を承認するしないということで、リーダーシップを発揮することができる。
 もっとも、近年、多くの自治体が「計画行政」というコンセプトの下で自治体行政にかかわる10ヵ年計画、5ヵ年計画等を策定し、各部課は、それに沿って特定年度の施策事業を立案し予算要求を行うようになっている。教育委員会の所管事業もその中で処理されている。そういう意味では、予算を伴う教育政策については、教育行政もすでに、総合行政の一環として動いているといっても決して過言ではない。
 とはいっても、教育委員会による、自律的な教育行政はもはや存在しないかといえば、決してそうなのではない。教育委員会設置の根本的な趣旨である教育行政への自主性への配慮は、首長のスタンスの中にみられる。首長は、われわれが予想した以上に、教育行政への関与について慎重なスタンスがみられた
 自己抑制的なスタンスについていえば、N市長は興味ある事例を語ってくれた。市長は学習指導要領における学習内容の削減、学校週5日制の完全実施に大きな危機感を持った。これで地域の子ども学習機会の質的低下をもたらしてはならないという強い決意でもって、教育問題への「介入」を決断した。それは、学習内容の削減を補完するための、首長のイニシアティブによる副教材づくりである。これは予算を伴う施策であり、首長の専管事項でもあるから、その施策を打ち出すこと自体が「政治的介入」とはいえない。しかし、副教材作りは、教育委員会の専管事項である教育課程にかかわることだけに、市長は、そうした施策が政治的介入と受け取られることを懸念し、議会において、「これはN市という地域の子どもの学習機会を保障するための施策である」という説明を丹念に説明することにより、議会の了解を求めたのである。(しかし、議会にはこのような首長の行動を、教育行政に対する「介入」であると受け止める意識は希薄だったという)。そして、そのためにほぼ1億円の予算を計上することになったが、これは教育委員会からの予算要求という形で承認されたという。
 ここには、首長といえども、教育行政を本来所管している教育委員会(広義)に理由もなく介入することはできないこと、しかし、自治体全体の教育課題にかかわる問題には、必要に応じて積極的に行動を起こすというスタイルが示されている。これについて、N市長はつぎのように述べている。「おれは教育について言いたくてしようがなかったけれども(教育については独立した執行機関である教育委員会があるから、これまで)言わなかったんだ。だから、これ(副教材の作成)だけはいわせてくれ」「(議会に対して)自分でははっきり掟破りするからなと言ってやらせていただいた」(括弧内は引用者注)。この市長の場合、教育委員会が地域の教育行政(学校教育)に関する独立した執行機関であるという原則に配慮しつつ行動している(「掟破り」という言葉をN市長が使ったのは、副教材作りは、予算を伴う施策事業であっても、教育課程にかかわるだけに、それは教育委員会の所管に属するとの考えがあるためと思われる)が、これほど慎重な行動スタイルではないにしろ、多かれ少なかれ、これが首長の多くがとっているスタイルである。
 「私としてはよその部局には干渉しないという方針をとっています。最低限、原則だけいって、あとは関与しません。」「私自身が、何で部局を分けているのか知っているでしょうという考えですから」「教育長の行っていることは、全面的に信用してますから、それを切ってしまった方がやりやすい。だから口出ししない。その代わり責任を持ってやってくださいと言っています」(K市長)。N市長は「基本的に政治家は教育にかかわってはいけないものだと私は思っていますから、ずっと言わないできているのです」とまで述べている。TA市長は「市(首長部局の意。引用者注)のほうで教育については一切干渉しませんし、私は全部任せてありますから。」「私は4権主義者ですから、行政、司法、立法、教育権というのはお互いに侵してはいけないということを昔から、政治が教育に関与するとろくなことがないということを無条件でやっていますから」と語っている。
 このようなスタンスないしスタイルは、現行の制度ゆえにしかたなくとらされている部分ももちろんあるが、それだけではない。そうすることで、教育行政の一般行政からの自主独立性という教育委員会制度設置の精神に忠実であると評価されるだけでなく、そのようなやり方でも特に問題が生じていないからである。たとえば、合議制のため、迅速な意思決定が不可能であるために対応に遅れがでたとか、要請したにもかかわらずなかなか動き出すのに時間がかかったといった問題は生じていない。TA市長は語る。「教育委員(の選任、引用者注)というのは市長の固有の権利ですから、自薦・他薦があっても、市長が任命しない限りはないのですから、言うことを聞かない教育委員なんてのはちょっとありえないのであって、そういう発想自身がおかしいのではないかと思いますよ。教育委員会が言うことを聞かないというのは、かなり特定な思想なりを持っているから、5人なら5人の教育委員が、『市長、それはちょっと具合が悪いよ』ということでブレーキをかけるので、おれの思うようにならないということだろうと思うんですよ。」「教育改革をするために教育委員会が足かせになるというのは、市長自身がだらしがないからそういうことになる。もっとやればいいじゃないのと。TA市を自賛するわけではないですけど、もっと意思疎通を図っていけばそういうことはないし、もっと市長の思いをどんどん意思疎通を図って教育委員会にやってもらったら私はいいと思いますね。」
 首長アンケート調査によっても、そういった傾向があらわれている。まず、「教育委員会が首長部局から独立していることが首長にとって制約となっている」という意見に対して、「そう思う」「どちらかといえばそう思う」を合わせても25.4%で、「そう思わない」「どちらかといえばそう思わない」が47.5%になっており、否定的な意見が多い。また、「教育委員会が合議制であるため教育委員の責任が不明確となっている」という意見には、「そう思わない」「どちらかといえばそう思わない」という否定的な意見が、あわせて44.2%で、「そう思う」「どちらかといえばそう思う」の肯定的な意見(26.8%)を上回っている。また、「教育委員会が合議制であるために事務執行が遅滞しがちである」という意見について肯定的か否定的かを聞いた質問では、肯定的な意見がわずか11.5%で、否定的な意見が65.0%と、否定的な意見が大勢を占めている。


首長アンケート調査統計表

 TO市長はつぎのように語っている。「制度自体が問題点というよりは、今まで綿々と続いてきた、教育風土というか前例踏襲主義、お上踏襲主義、そういったものを続けるのか、それを変えていくのかというふうなことだと思います。制度に関しては、やはり教育というのが行政や政治的な背景の中で決定されるものではありませんし、中立・独立というふうな独自性・独立性というのは確保されなければならないものだと思いますので、これは一体的にくみ上げるというのは、現段階では非常に危険かなというふうに思います。今の制度自体が問題点とすれば、制度が問題なのではなくて、そこで働く人の問題が多いのではないですか。」「制度上の責任の所在の在り方とすれば機関というふうなことになりますけど、これはやっぱり行政を司る、また教育を司る立場としては、当然首長も教育長も機関としての教育委員も、これは同等だというふうに私自身は認識しています。それから意思決定機関としての迅速性というふうなことから考えれば、それは機構自体の連携性だとか、それから今まで行政機関というのは、幾つもの部署を経なければ決定がなされなかったというような仕組みの問題で、そういったものを非常に簡素化していく。必要なところに直接意見・具申ができるような仕組みに変えていけば、そういった弊害というのは起こらないというふうに私は認識しています。」
 要するに、首長は、現行の制度の下でも、教育行政・教育政策に対して根本的な疑義や不満は持っておらず、自分の意向を反映させることは十分にできるし、事実反映されており、したがって、現行の教育委員会制度という枠組みの下での現在の教育行政に十分に満足しているといえる。教育委員会制度自体の変更を望んでいる首長はほとんどみられなかったが、それはそうした現行制度の下での教育行政に対する満足と関係しているといえよう。文部科学省や県教育委員会の行政指導が強いために、教育委員会がなかなか動かず、自分のイニシアチブによる施策事業が実現を見ずに終わったという経験を語った首長はほとんどいなかった(もちろん、そこには、制度的に何が可能か、何が不可能かを検討した上で、施策を提起するという慎重な政策決定への取り組みがあるであろう)。
 確かに、「縦割り行政」の弊害というものが現れることもないではないが、地方分権一括法以降、かなり状況に変化が生じていることも事実であって、S市長は「相当に変わりました。今の教育委員会は文部科学省や県教委の指導で動くことは少なくなっています。」と述べている。また、N市長は、(副教材づくりの施策事業を発案したときのことを思い起こして)市長が発案してもすぐに動かなかった教育委員会が、学習指導要領の「最低基準化」が宣言されてからは、急に動き出したということを語ってくれた。このことは、文科省、県教委の行政指導が教育委員会の行動を「縛って」きたということ、その「縛り」がなくなることで、教育委員会が動きやすくなっていることを示唆する。
 このエピソードからもわかるように、首長にとって制約となっているのは、機構として独立している教育委員会制度の機構自体ではない。制度機構が機能する上での、とりわけ市町村にとっては義務教育をめぐる作用法上の諸規制といえる。たとえば、補助金によって作られた施設は10年間は他の目的に使用できないとか、学校教育と社会教育とを隔てる壁の高さとかいったものである(たとえば、N市長、T市長)。特に、首長は、社会教育施設に関する利用規制については早急に緩和すべきという意見を表明している。それが、民生、福祉部門の政策展開を大きく制約しているからである。「生涯学習の部分が民生部門、福祉部門とどうしてもオーバーラップしてしまう。公民館、図書館、博物館を使って福祉の活動をしたい。しかし、社会教育施設としての公民館でこういうことをしてはいけませんという話があるわけです。」「社会教育施設だという縛りのなかで踏み込めない部分があり、制度としてそこのところは仕切をはずしてもらわないといけない」。幼保一元化にしても、地域にとってそれは「子育て」という一つの事業である。それを統合的に取り組むには、このままだと「ごまかしごまかしの仕事」をしたり「どこかで目をつぶらなければならない」という矛盾があるというわけである(N市)。
 このように見てくると、首長の多くが、自治体教育行政の中心的アクターはあくまでも教育委員会であり、教育委員会はそのことをもっと自覚することで、期待されている本来の機能を発揮することができると考えているといってよい。特に、そのために、教育長は先頭に立ってリーダーシップを発揮すべきであるし、教育委員もいわば「教育議員」としての自覚を持って行動すべきである、と苦言を呈する首長もいる。例えば、SA市長は、教育長について、つぎのように語っている。「教育長は市長から任命されたという意識が強いのかもしれませんし、この4月に来たからというのもあるかもしれませんが、『こう思いますけどどうですか』と大体相談に来ます。本当は相談ではないようにしてほしいのです。『市長、こうやらせてもらいたいけど、いいですかね』と言ってほしいのです。考えてみますと、助役は職員の先頭に立って施策なんかを全部、事務事業をやるわけでしょう。ですから、教育行政については、助役と同等のものを教育長に私は求めたいです。助役もいろいろ市によって違うでしょうけども、うちの助役は、『市長、これはこうした方がいいと思いますよ』『いやあ、それでは駄目だ』とか私も言うときもありますけど、でも、そういうのは教育委員会にないよね。『市長、これ、どうしましょうね』と。すべてがどうしましょうねというだけなんですよ。これは権限の問題じゃなくて、意識の問題だと思うのです。もっと自ら決断しろと、私は言っているのですけどね。」また、教育委員については、「もっと教育委員自身が勉強していただいて、市長への提言をしてほしいのです。(なぜなら)先ほども言いましたように、教育委員さんは市長部局でいえば議員なんだから」と、述べている。
 首長にとっての教育委員会制度の問題性は、首長が教育行政・政策に関わるイニシアチブを発揮しようとする場合の制約条件になるという点にあるのではない。むしろ問題は、教育委員会が自治体の教育課題を解決する担い手として行動しようとするときに働くさまざまな作用法上の規制が多くあること、また、変化の兆候が現れているとはいえ、これまでの集権・官治的なシステムが醸成してきた指示待ち意識や横並び意識が生み出す政策革新への消極的な姿勢が依然として残っていることにあるといえよう。


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