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資料4

地方教育行政部会(第1回)における意見(論点ごと)

1 教育委員会の意義・役割

  1中立性、安定性、継続性の確保

  政治的対立の厳しいところでは、教育委員会制度による政治的中立、レイマンコントロールが必要。戦後の日本の教育で最も不幸だったのは、イデオロギー対立、政治的対立が教室まで持ちこまれたこと。国旗国歌問題がその典型だ。首長が替わることにより教育が変わることがないよう、政治的中立性を確保しておく必要がある。
  教育委員会制度について、制度をどう変えていくかということをまず考えるのではなく、運用でどこまで活性化できるのかを考えるべき。
  運用の問題というが、どんな制度であっても、見識のある人がリーダーシップを握ればよい行政ができるのは当たり前である。
  どのような人が市長になるのかに関わらず、教育が適正に行われるよう制度的保障が必要。教育委員会制度を撤廃し、とんでもない市長がたまたま当選したら大変なことになる。教育はあまりぶれてはいけない。

2レイマンコントロール

  レイマンは一般に「素人」と訳されるが、教育という点での素人が教育行政ではプロだということはあり得る。
  レイマンコントロールは緊張感を持つという役割がある。裁判員制度と同じで、専門家だけだと偏った方向へ行くという考え方が、レイマンコントロールに道を開いている。
  レイマンは重要なコンセプトである。これまで素人という意味合いが強かったが、むしろ予断や偏見を排して事柄に臨む人たちを指すと考えるべき。
  教育長もレイマンの教育委員に説明して合意されないと決裁できない。この制度は緊張感がある。このような特長を発揮できているかどうかは運用の問題である。
  レイマンコントロールの考え方は大事にしたい。教育委員会が教育の専門家だけで構成されるのはいかがか。レイマンは素人でなく、一般常識人ととらえるべき。一般常識人たる国民の代表が、教育について意見を言う機会を持つことを大事にしていかないと、特定の人間だけで教育が動いてしまうことになる。
  教育長の役割は大きい。全くのレイマンではなく、ある程度の経験者であることが必要である。

3教育委員会の在り方

  小中学校の現場が教育委員会を向いている。教育委員会は首長を見ないで都道府県に直結している。都道府県は文部科学省の方を見ている。このような点が批判や物足りなさを生んでいるのではないか。
  政令市、中核市、特例市、その他の市町村は、抱えている問題や行政資源も違い、これを一律に議論することは無理である。現行の地教行法について、可能な部分を標準法化することや、規模の違いによって教育委員会の運営や構成に選択肢を与えるようにしても良いのではないか。
  独立行政委員会は、19世紀の終わりにアメリカで生まれ、戦後、日本でも公安委員会や農業委員会としてつくられた。日本でつくられ、後で性質が変わってきている。現在、制度の在り方について問題提起されている以上、そこまで立ち返って考える必要がある。
  教育委員会は一般人の意見を反映する点で民主的な制度とされているが、一方現代の行政は複雑で高度になってきており、実際に細部まで一般人がチェックすることは難しくなっている。このため事務局が多くの事務を処理し、それを承認するという仕組みになってきている。これは教育委員会に限らず、首長、議会でも同じである。このような中で、事務局が複雑で外から見えにくくなっていることに対して、不信の念が生まれている。
  教育委員会についても、教育委員だけではなく教育長を始めとする事務局の在り方も問われているのではないか。
  地方分権では、それぞれの地方が自ら望ましい組織を考えていくことが、自己決定、自己組織権として重要となる。地域が責任を負うのが地方分権の理念とすると、現在の教育委員会制度は地方の裁量をしばっているのではないか。このことから、必置規制は見直すべきではないか。
  一定のミニマムの基準を満たさなければならないとは思うが、他の形態で合理的なものがあれば、それを選択する余地があっても良いのではないか。

4教育委員の在り方

  教育委員は選挙で選ばれるわけではなく、非常勤であることから非力であり、当事者能力に欠けることがある。
  教育委員に見識のある人を選べば解決できる問題は多い。総じて首長は教育委員の選任に無頓着である。
  教育委員が名誉職にならないよう、現場主義を徹底し、できるだけ学校現場や教職員、社会教育委員の会合に出てもらうようにしている。
  教育委員会が機能していないのは人材の問題があるのではないか。小さな町村では人材の確保の面でどうなのかと思う。
  教育委員の人材が問題。市町村合併を機に人材の一新をしないといけない。
  本当に民意の反映というのであれば、公選制の仕組みが考えられても良いのではないか。

2 首長と教育委員会との関係

  1首長と教育委員会との連携

  現在の教育委員会制度は、いささか中途半端な制度であり、首長と教育委員会との間で、狭間ができてしまう。お互いに頃合加減を見るスキルが重要。
  首長が学校を訪問したり、教育委員と定期的に協議したり、小中学校の校長の研修会に参加して直接議論したりすることにより、学校教育に首長の意見を反映できる。人口20万人くらいまでの市ならば、このようなやり方が可能ではないか。
  多くの首長は「教育委員会があるから私は遠慮します。」という発想が非常に強い。そういうことではないということを中教審として発信すべき。連携のノウハウや首長、議会の果たすべき役割についても提言すべき。
  首長が影響力を持っているという議論があったが、それと中立性は両立しない。
  教育委員会と首長の連携が良いところほど、教育行政がうまくいっている。教育委員会は、地域の慣行や制度の枠内で政策を執行しようとする傾向があるが、首長は、教育委員会よりも住民の要求をストレートに受けるので、制度の枠や慣行を度外視した発想で地域の教育問題を考え、教育委員会に問題提起する。そういう緊張関係が良い結果につながっている。

2首長と教育委員会との役割分担

  首長が自分で教育行政をできないもどかしさがあるが、全てを首長がやるということではなくて、独立行政委員会として教育委員会が機能すれば良い。
  社会教育などについて、首長の意見が通らないから首長に事務委任をするという方法をとるのではなく、図書館も文化施設を財団に管理運営を委託するなど工夫すべき。
  生涯学習や青少年教育についての首長の意欲と認識に濃淡がありすぎる。生涯学習にしても、あれは教育委員会の仕事だということで済ませてしまう。急速な高齢化の中で、生涯学習、生涯スポーツの振興は公共事業よりも大事な問題であり、首長は真剣に取り組むべき。
  青少年の問題行動への対策には乳幼児期の対策が必要となる。青少年教育と家庭教育についても認識を持って、首長と教育委員会が密接に連携していくことが必要。

3首長・議会の在り方

  首長自体や議会の在り方も論点である。首長や議会が、見識を持って教育について真剣に考え、人的にも財政的にも投資をするようにすべき。
  教育の背後にある地方自治制度についても、提言をしても良いのではないか。
  教育委員会のみ取り上げるのではなく、首長や議会が教育行政にどう関わっていくか教育委員会、首長、議会それぞれの役割分担や連携の在り方について議論が必要。
  ある制度の改革について、知事部局の類似制度との均衡から実現できないことがある。
 
4予算に関する権限

  教育委員会は財政自主権がないため、首長に見識がない場合、教育に関心も予算も振り向けられない。
  都道府県の教育庁の予算の大半は市町村立小中学校の教員分も含めた人件費であり、裁量が少ない。
  予算を教育委員会に一定枠の予算をわたして、教育委員会の責任で使えるようにし、それを市民が政策評価するようにしている。

3 市町村教育委員会の在り方、都道府県と市町村との関係

  政令市を抱えている県では、政令市と県との関係が大きな課題である。
  市町村立の小中学校と都道府県立の高等学校では状況が違うのではないか。高校は管理が行き届いていない。方面別教育委員会でもつくらないといけないのではないか。
  都道府県が持っている人事権を市町村に移せという議論があるが、懲戒処分や採用も含めて考えると無理がある。ある程度広域でやった方が良いのではないか。
  県費負担教職員制度は市町村にとって窮屈な部分がある。離島へき地を抱えている県では広域人事が必要であり、制度は廃止すべきではないが、広域人事を基本としつつ市町村のイニシアチブが働くような工夫ができないか。
  教育長と教育委員長の2本立ての制度が小規模の市町村にとって必要なのか。教育長が教育委員会を代表するという選択肢があっても良いのではないか。

4 学校と教育委員会との関係、学校の自主性・自律性の確立

  利用者のニーズに応じた行政を実現するため、保護者や生徒の近くにいる校長に権限を持たせるべき。県から市へ、教育委員会から学校へ権限を下ろしていくことがコーポレートガバナンスの考え方から望ましい。
  リーダーシップを取れる人は多くないということを踏まえ、制度設計しないといけない。何でも下に下ろせば良いというわけではない。下に下ろすほど、関わる者の人数が増え、人材を見つけることが難しくなる。
  立派な人が広く影響を及ぼせるような、しかも民主的な仕組みを維持するためには透明性を高める以外にない。権限を下ろすだけでは問題は解決しない。
  校長の権限を増やした場合、どのような弊害が生じるのかという点を重視して議論すべきである。
  校長の能力が不足しているという意見があるが、校長の責任を強くすれば、それに見合った人が選ばれる仕組みができてくる。
  学校を利用者が選択する仕組みをつくることにより消費者主体のサービスが実現できる。
  校長・教頭の他に校長の権限で副校長を置くことができるようにしている。こういうものを管理職の扱いにできるような権限が教育委員会に欲しい。

5 その他

  全国市長会の中にも教育を考える研究会が設置されているが、その発端は、ある市長が教育委員会制度を廃止し市長自らが教育行政を行うことや、審議会をもって教育委員会に替えることを発議したことにある。それが危うく市長会で決議されかけたところを、異議を言って研究会で継続審議することとした。研究会では様々な議論をしているが、制度が問題ということではなく、運用の問題について多く意見が出されている。
  地方分権改革推進会議は、中間論点整理においては確かに教育委員会制度を尊重することとしているが、その後かなり強く必置規制を廃止してほしいと言っている。
  小さな町村を忘れないで議論してほしい。町村は市町村合併で減っていくが、それでもなお残る町村はある。
  一般には、教育委員会が何をしているかわからない。保護者だけでなく教員も同じ。一般市民が教育行政、教育委員会に関心を持つことが課題である。

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