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資料1

大学入学資格検定の在り方に関する大検部会(第5回)での主な意見について


 新試験の性格については、高等学校卒業程度の学力を認定する試験であるという前提で良いと思う。

 高卒程度の学力とは、幅広い意味があり、その点を考慮しなければならないのではないか。

 新試験は高卒程度の学力認定試験という表現でいいと思う。
  ただし、新試験が施行されても、大部分の生徒は全日制高校を選択するはずであるが、新試験を受けやすくする一方で、現在の高等学校教育制度に影響を与えないように何らかの担保が必要である。
  本筋としては、全日制の高等学校などからの中退者が多い現状を改革・改善すべきであるが、この部会の検討は、そういった中退者などに対して、どうしたらその先の進路へ円滑に進むことができるのかを考えることが必要である。
  たとえば、各種試験の受験資格として、新試験の合格者が認められなければならない。もし、受験資格として、認められない場合に、その進路を選択した彼らのその後の人生を狭めてしまう恐れがある。

 新試験において高卒者と同じ学力を保障するという点や、高等学校における集団活動における評価の観点から、高卒資格の付与は考えにくい。高卒程度の学力認定が妥当であると考える。
  新試験により高卒資格を付与することになると、高校教育が崩壊するという意見もある。しかし、高校教育関係者の利害ではなく、進路を選択するのは、生徒であるとの観点で見ると、新試験が選択肢の一つにあっても良いと思う。
  今後、受験科目を何にするのか、科目数はどうするのかといった細かいところをつめなければいけない。ただし、敷居は高くする必要はないと思う。

 アメリカで実施している似たような試験では、試験の範囲はハイスクールの2年生程度のものであり、3年生で履修する専門的分野は求められていない。

 新試験の制度ができた時に予備校の関係者等が商業目的で悪用しようとすれば、いくらでも悪用できるのではないかという懸念がある。確かに選ぶのは生徒であるが、後ろには学力至上主義の保護者がいることに注目してもらいたい。
  なお、自由に教育を受けられるという観点からも、バイパスとしての選択肢があるのは大変いいことだと思う。ただし、新試験の性格を高卒資格付与ではなく、学力の認定にとどめることとした場合、理解を得られない人もいるかもしれない。

 そもそも、高校中退者が10万人いることが問題である。新しいシステムを構築する際には、その点を考慮しなければならないが、文部科学省だけでなく、地方公共団体や高校関係者も高校中退者の現状を真剣に考えなければならない。

 高卒程度や高卒者と同等以上の学力などといった言葉は、一般に受け入れられないのではないか。
  そのためにも、高卒資格を付与するとした方が、一般的に受け入れられやすく説明がつきやすいと思う。
  しかし、その際に全日制の高校生に受験資格を与えると、安易に中途退学する者を増やすといった学校生活への悪影響を与えかねないため、全日制の課程の生徒には受験資格を付与することは望ましくないと考える。
  専修学校高等課程の卒業者も高卒と同等ということになっているが、いかに企業試験などで周知されていないかということをみなさんに伝えておきたい。

 現在、定時制の高等学校は、多様化し全日制と変わらないカリキュラムで運営されており、全日制の生徒に受験資格を与えないことは矛盾している。新試験の受験資格は高等学校全部の生徒に適用できるようにした方が良い。

 この制度の施行によって、現行の高校中退者10万人が増えることがあってはならない。

 もし、この制度の施行によって、高校中途退学者が増えるそれは由々しき問題である。
  ただし、個人的には、もし増えるとしたら、それはそもそも高校教育に魅力がないということではないのかと思っている。高校現場にとっては厳しい状況になるかもしれないが、それはよりよい高校づくりのための努力につながると思う。

 今の日本の学習状況を鑑みれば、大検の試験を受けて高等教育に進学する者が増えるとは考え難い。
  また、現在の全日制の高校は、東京都のチャレンジスクールの例にあるように、現在の学校教育制度を改善しなければいけない時期に来ていることを認識すべきである。

 今回の改革はそれほど大きな改革ではないのではないかと思っている。
  なぜなら、新試験と高校との関係は、いままでの大検との関係と同様である。大検受験者の大半を占めている高校中退者の中退理由の多くは学校の雰囲気が合わないことであり、新試験も学校教育に直接影響を与える恐れはないと考える。
  いろいろな理由から、学生生活の枠からはみ出てしまう者がおり、そういった者を現行の学校教育が救うシステムにはなっていない。このため、新試験の受験者を一定の枠に当てはめてしまうことは、避けるべきである。

 試験における学力の捉え方の問題であるが、ボランティア等での努力を評価することは、ペーパー試験の一環として行うには難しいのではないか。
  高校受験、大学受験においても、受験者が何万人にもなると、マークシートによる機械的な採点方法に頼らざるえないのが、現状だと思う。
  そのため、ボランティア等の評価については、ペーパー試験では判断しにくい。個別の審査となり、審査基準の統一化など公平な審査することとなると、試験の受付期間内で対応することは、現実的に不可能ではないか。
  また、ボランティア等については、大学入学や就職において、職歴などとして評価できるので、あえて、この試験に反映させる必要はない。
  新試験の名称や受験科目は資料のとおりで妥当である。

 試験の合格者に高卒資格を付与することとなると、ペーパー試験による学力のみの判定で高卒資格の付与は難しいと考える。学力プラス社会性といった試験での判定が難しい部分についても判定する必要があるが現状では難しいのではないのか。
  また、新試験において、学力試験だけで合格者に高卒資格を付与することとした場合、高等学校の中途退学者が増加して現在の学校教育体系が崩れることはないと考える。高等学校側からの論理で高校教育に混乱を招く恐れがあるなどの理由で、高等学校側の理由だけで否定することは、理由にならないと思う。
  今までは、将来のことを考えると学校に通うという選択肢しかなかったが、新試験では、学校教育からはずれた人が世間から認めてもらえるように、大学入学資格に加え、職業資格としても活用されるようにするべきである。
  なお、高等学校の卒業と同等以上の学力を認定する試験であっても、様々な進路へのパスポートになる余地は十分にあると考えている。

 新試験について、試験の合格者に高等学校の卒業資格を付与することになると、試験自体のハードルをかなり高くせざるを得ないと思う。高校中退者や勤労青年などの受験者の足かせになってしまうのではないか。

 将来の日本にとってどのような方向が望ましいのかと考えると、学習歴の知力以外の部分、例えばボランティアなどを評価して、大学や企業が採用を選択するのが望ましい形態と思う。
  なお、大検の検討とは別に、後期中等教育全般的について考える必要性もでてきたのではないかと思う。

 新試験では、大検で対応が難しかった就職や各種資格の取得に際しての配慮を充実しなければならない。
  また、大学入試センター試験との関係については、今回、検討している新試験の趣旨と性格が異なっているとは思うが、将来的には、アメリカで実施しているSATも参考に今後の課題とすることが望ましい。

 結局は、学力の認定をどのようにすべきかということを検討すべきであり、試験では計れない社会性などは、社会に出た時や大学の面接の際に活用すれば良い。

 高等学校では、数値で評価しにくい部分があり、それを試験で評価することは困難である。このため、保護者などの立場からすれば、新試験に高卒資格を付与したいが、試験のみの評価では、学力の認定にとどめるべきである。

 高卒程度学力認定試験という名称は良いと思うが、新試験の性格を理論付ける必要がある。従来の学校の仕組みの中で考えると、救済措置であるが、生涯学習社会において、どのように位置付けられるのかを考えることが必要である。
  まず、新試験を学校の中に取り込むのか、学校の外において対応させるのかの2パターンが考えられるが、生涯学習社会の発展や豊かさを求めるのならば、外において対応させるべきであろう。そうすれば、もっと自由で豊かな社会になっていく。

 高校では、知・徳・体を中心とした教育体系であるが、高校から大学への進学の為の大学入試センター試験などの入学者選抜試験では、知・徳・体のうち知だけで評価しているシステムとなっている。
  これは、多くの受験生に対応しなければならない試験については、物量的な問題からマークシート方式で試験を実施していることから、知についての評価に偏らざるを得ないからである。
  そのため、知と徳・体を分けて評価でき社会的に認知されるシステムを将来的には、考える必要がある。

 現在の日本では、人物評価を差別などの観点から避けている面がある。新試験においても、学習面だけを評価するという整理にしておかないと、難しくなるのではないか。

 就業への接続という面から意見を述べさせていただく。
  企業では採用の際、人物を見ることが中心となっており、特に、熱意・意欲については、重要なポイントとなっている。
  そのため、現在の企業では、1次試験が面接、2次試験が筆記というように、変わってきている。
  ただし、高卒程度学力認定試験として名称を変更しただけでは、企業に認知してもらうのは難しく、説明会を開くなどして、社会的な認知度を上げていかないとまくいかないのではないか。

 新試験において、知以外の評価を課すことは、受験者への足かせになってしまう。やはり、明確な方法がない現状では、知のみの試験としたほうがいい。

 新試験を学校の外におくという考えは良い。この制度ができた時には、各学校現場で受けとめると捉えていたが、どうすれば学校の外におけるのか。教育委員会との関係など、制度上の矛盾が生じないようにすることが必要。
  現状では、底辺校からは中退者が続出しており、最終的には現場の教員の責任にされてしまっている。

 高等学校側も組織を守るだけではなく、高等学校に魅力がないからなどの理由により中途退学する者がいるのではないかと考えることが必要ではないか。
  また、新試験によって、そういった問題意識を高等学校側がもつことができれば、高等学校教育にもいい影響を与えることになるのではないか。


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