| ○ | 鳥居会長 ありがとうございました。 まず最初におっしゃった2ページの関係は、「序章」というのは下案が出てきて、まだ今日で2回目でございますので、御指摘のようにこれから少し推敲を重ねる必要がありまして、ただいまの委員からの御指摘は、いずれも大変ありがたい御指摘だと思います。 私も実は幾つか気づいているところがありますので、後ほどまた機会がありましたら申し上げますが、例えば2ページのグローバル化の三つ目の「・」のところは、「我が国産業の国際競争力の強化の必要性」、そのあと括弧で補っていますが、括弧の中に書いてあることは全然関係ないのです。別のことです。「我が国産業の国際競争力の強化の必要性」とは別に、「ライフサイエンス、ナノテクノロジーやITのような先端技術分野の勃興とその産業化」というのは別のことだから、分けて書くとか。これから直しますから。
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| ○ | よろしくお願いします。
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| ○ | 鳥居会長 「第1章」につきまして、そのほかに御意見がございましたら。
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| ○ | 「序章」はいろいろな意見を踏まえてお書きいたたいていて、まだこれからということなので、ぜひお考えいただきたいのは、かなり繰り返しといいますか、ただでさえ「第1章」のところは重複していろいろ述べられているところがあるものですから、「序章」でここまで書くと、相当くどみが出てくるといいますか、そういう感じがしますので、よろしくお願いいたします。 それから、大競争時代ということの関連で私も感じていたのですけれども、グローバル化の進展で、今後、ものすごい大競争時代が押し寄せてくるということではなくて、私たちの実業界の感覚というか、既に現実が競争時代にあると思っていまして、そこに現実の問題が対応できていないということなものですから。 例えば10ページなどは、書きぶりとしてはグローバル化が進展して、「 」の5行目などは、「地球的規模での大競争時代が到来することを意味する」と、何か将来の不安をかき立てるような書き方がしてあるのですが、この辺は認識がちょっと違うのではないかと思います。
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| ○ | 鳥居会長 今の話は、10ページの下から3行目に、「共通のルールの下で」とあるでしょう。要するにグローバル化の本体は、ルールの世界共通化とか、あるいは異文化相互理解がなくては絶対商売も成り立たないということなのだということを先に書いておくという、そういう御趣旨も今おっしゃっていることには入っていますね。
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| ○ | そうですね。そういうことです。 それから、別の観点で2点ほど申し上げると、8ページのところで、「親の子どもに対する過干渉」という、「 」の三つ目の「○」のところですが、細かい話かもしれませんが、「親のライフスタイルや職業生活の多様化等が進む中で、……過保護、過干渉や親子の触れ合いの欠如」云々ということがあるのですが、こういうこともあるのですけれども、実際は地域自身の問題とか、住宅とか、交通事情とか、そういうことが非常に大きいのではないかと思っております。ここに決めつけてしまうのは、やや誤解を生じるといいますか、以前にも、何でも教育が悪いというふうな書き方はよくないと申し上げましたが、ここでもちょっとそんな感じがいたしました。 それから、ここも意味を少しお聞きして明解にしていただいたらいいと思いますが、11ページです。これは後ほどのところと関係があるものですから。「第2章」以降で申し上げようと思っている「新しい『公共』」というところと少し関係すると思いますが、11ページの一つ目の「○」の最後から3行目のところです。「相互依存をますます深める国際社会の中で、このような格差問題や」云々とあって、「課題解決のために英知の結集を行う必要性も増大していくものと考えられる。」。この「英知の結集」というところは、これらの問題を主体的に役割として解決していく、それを担うというか、行政や政治に携わる方々のことをイメージしておられるのか、あるいはこういった問題を問題として受けとめて正しく理解をするという人たちに重点を置いて書かれようとしているのか、ここはもうちょっと明確にしておいていただかないといけないと思います。この後、「公共」と「新しい『公共』」というところが出てきます。私は基本計画のところも含めて、やや不明確だし混乱しているような気がしますので、ここは質問です。以上でございます。
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| ○ | 鳥居会長 今最後におっしゃったのは、そもそもそこに挙げてあるのは、格差問題と大量破壊兵器の拡散問題だけが挙げてあるから余計わからなくなってしまうので、例えば環境の問題とか、食糧とか、エネルギーの限界の問題とか、そういったものは従来の官民というアプローチだけではなくて、世界全体としての公共というとらえ方をして、みんなが支えていかなければ問題が解決しないのだという感じの書き方がされていればわかる。
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| ○ | そういうことでしたらわかりますね。それであれば、もっと広く国民のことを言っているのだということですね。
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| ○ | 鳥居会長 そういうことですね。ではそういう方向で修正を……。 それから、お二人の御意見の中で共通しているのが、世界規模の大競争時代の到来ないしは大競争の激化ということですけれども、委員の最初の御発言の中で感じられたのは、大競争時代云々と言うけれども、我々は競争の真っただ中に前からいる。直接はそうおっしゃらなかったかもしれないけれども、それよりもむしろ日本のいろいろな意味での国力の相対的な低下とか、経済力の相対的な低下のほうが問題の核心なのだとおっしゃっていると思うので、そこのところをそうくみ取らせていただいて、あとの修文に使わせていただきたいと思います。よろしくお願いします。
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| ○ | 7ページから「激動の時代への挑戦」ということで、時代認識について触れている部分があるのですけれども、これはロジックをもっとしっかり固めなきゃいけないのではないかと思います。 そもそもタイトルの「激動の時代」というやつですけれども、これは一番無能力な経営者が「今は激動の時代」と言うのは、何が激動しているのかというところが本当は重要なわけですけれども。戦争と革命の世紀だった20世紀に比べて、21世紀を「激動の時代」というタイトルで認識するということがね。どんな時代だって激動しているわけで。そういう意味では、どういうロジックで変化が起こっているのかということについて、21世紀の潮流をしっかり考えなければいけないと思います。 そこでですけれども、例えば「 」の「少子高齢化」の問題は重要ですが、いきなり「就業構造の変貌」というのがきているわけですが、僕はどう考えても、「 」の「知識社会への移行」とか、「 」の「高度情報化社会の進展」とか、同義語反復みたいな展開になっていて、いわゆる情報化と知識集約化型社会への移行はパッケージにして、もっとスリムな形でピシッと認識すべきだし、そういう状況下で産業構造が変わり、就業の中身が変わっていくのだという論理性をしっかり絞り込んで展開すべきではないか。 「科学技術の進歩と地球環境問題の深刻化」という「 」番目のやつは、むしろ「科学技術」は前のところにきちんと集約して、「地球環境」という問題を一つすっきり取り上げたほうが論理性としてははっきりするのではないか。 要するに、時代認識について相当考えたなというものがないと、「激動の時代」なんていう逃げ方というのはとんでもない話だという、余計なことを言う気はありませんけれども、気がするのです。それから「第2章」以降の、であるがゆえにという問題意識が必然的に抽出してくるような論理がここに埋められていないとまずいという気がします、「第1章」については。
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| ○ | 鳥居会長 今の問題提起については、逆に確認のために質問させていただきたい。7ページの「(2)」は独特の書き方をしていまして、「(2)」にぶら下がって「 」から「 」まであるわけですね、中身が。
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| ○ | そのとおりです。
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| ○ | 鳥居会長 「 」の「少子高齢化」、「 」の「就業構造の変貌」、「 」の「知識社会への移行」、「 」の「高度情報化社会」、「 」の「グローバル化」、「 」の「科学技術の進歩、地球環境」、「 」の「国民意識の変容」、これは激動の一部ではあるけれども、もっとないかということですか。
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| ○ | いや、そういう意味でなくて、「激動」というよりも、もっとロジックがね。「激動」というのは何かカオスみたいな感じですが、そうではなくて、僕が具体的に言いたいのは、「少子高齢化」はいいです。 二つ目は、「知識社会への移行」と「高度情報化社会の進展」をパッケージにして、第2項目に持ってきて、それゆえに第3項目に「産業構造」と「就業構造」の変化を持ってきて、「グローバル化の進展」というのは、さっきの大競争の時代の議論とも絡むのですが、グローバル化が一方的に進展しているだけではなくて、アイデンティティとの緊張というね。「グローバル化の進展とアイデンティティとの緊張」という時代の課題が、21世紀のテーマだと思うのです。地域とか、ローカリティとか、ネーションステートとグローバリティとの拮抗といいますか、その緊張感が伝わらないです。一方的にグローバル化が進展していく中で、ぼやぼやしていたら大変だよ的なイメージでしかグローバル化を認識していないというか。そういう意味で、ここにタイトルを書くとすれば、「グローバル化の進展とアイデンティティとの緊張」みたいなテーマであるべきです。そういう中で、「地球環境問題の深刻化」は1項目立ててもいいだけの価値があると思います。 さらに、「国民意識の変容」ということで、そういうことであるがゆえに、国民の意識も変わっていますよねということはつけ加えてもいいかもしれない。 具体的に言うと、これを5項目ぐらいに集約して、論理性をもっときちんと組み立てたらどうかという意見です。
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| ○ | 大変よくまとめていただいたことに感謝しますが、一、二気がついたことを申し上げたいと思います。 これは今の御発言にもあるのですけれども、今回の議論の流れというのは、教育改革国民会議の議論を受けてという流れが明確になったことは大変よかったと思います。そこで考えることは、生涯学習社会の中で教育がどう変わるかという議論を、幼児教育から始まって高等教育まで議論しようということで、基本法の改正につながっていくわけですね。その際、今の緊張感の話ともつながるのですけれども、ちらちら見えてくるのは、要するに生涯学習社会で、しかも21世紀は知の社会だから、もっと高度化しなきゃいかんという議論がはっきり出てくるわけです。格差が出てもしょうがないという話になるのかもしれません。 その一方、この文章の中には、基礎・基本を確実にする。つまり、全体をレベルアップすることも大事だということも触れているわけです。そのことがどう出てくるかというと、例えば34ページ、35ページのところに囲みで、振興計画の中の重点項目として挙げられているところがあります。それを御覧いただくと、例えば高等教育ですと、先端的なことは指摘されているわけですけれども、生涯学習社会の中にあって、本来やるべき高等教育の役割としての、定年後の人が勉強に行くとか、生涯学習の実践として一定の年齢をとった人が大学へ戻るということについての指摘がないのです。これは同じように、幼児教育についても具体的な指摘が何もないわけです。 これは中教審の判断だと思うのですけれども、先端的なことだけでいいのだというなら、それはそれでいいと思いますが、全体的なレベルアップも確保しなければいかんということになると、そのことは指摘しなきゃまずいのではないかという気がします。 これはさらに言えば、今議論になっているいわゆるナショナルミニマムとローカルオプティマムの議論とつながるのではないかという気がしているのです。我々がこの問題を議論するのであれば、その部分もきちんと発言すべきではないか。私は個人的には、ナショナルミニマムというのは生涯学習社会の中にあってこそ必要だと思っています。 その辺のところについて、財政的なことは、長い5年、10年かければ解決する問題だと思いますので、教育の目標としてはっきり書いておかないと、将来困るのではないかという気がするのです。お金がかかって目立たないのは書かない、効果がサッと出てノーベル賞につながらないやつはやらないというのではなくて、全体的な問題の取り上げ方も議論していただけないかという気がします。鳥居会長の中教審の姿勢だと思うのですけれども、どうするのか。バランスをとるのか、あるいは片一方だけでやるのか。はっきりさせるということであれば、それはそれで一つの考えだと思いますけれども。 私の個人的な意見としては、ナショナルミニマムも触れるべきだと思います。全体の水準アップというのは重要な項目ではないかと思っていますので、そんな感想を申し上げさせていただきました。
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| ○ | 鳥居会長 過去数回の審議を振り返ってみますと、ナショナルミニマムの達成、あるいはナショナルミニマムというコンセプトそのものをはっきり持とうということと、それから全体的な水準の向上という話は再三出ていると思います。今日また委員から出していただいたということなので。今まで全く議論がなかったわけではないわけですから、今の御意見を取り入れた形でちょっと修正を考えるという方向でします。
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| ○ | 今回の在り方をまとめるに当たっては、周到な議論を重ねてここまで御努力されてきた会長及び事務局の皆様に敬意を表したいと思います。 私が申し上げることは、中教審委員の数名の女性委員を代表して申し上げたいことでございまして、何人か御一緒に同席しておりますので、また加えて御発言があれば修正をお願いしたいと思います。 委員の荒木委員、今日は不在ですが石倉委員、それから今井委員、内永委員、永井委員、中村委員、増田委員、松下委員、それに私を加えて江上の9名の女性委員で少し検討をさせていただきました。 総括的なコメントを申し上げたいと思います。平成11年6月に男女共同参画社会基本法が公布、施行されました。同基本法は、男女共同参画社会をつくっていくために、人権の尊重、社会制度や慣行の再検討、政策立案や政策決定への共同参画、家庭生活と社会活動の両立、国際協調の五つの基本理念を掲げ、行政と国民それぞれが果たさなくてはならない役割を定めております。新しい時代にふさわしい教育基本法の改訂と教育振興基本計画の策定では、男女共同参画社会基本法の理念を十分におくみ取りいただき、教育分野においてその実現を目指すべきであると、私ども9人の委員は考えました。 したがって、今回のまとめの中に幾つか具体的な修正点を加えさせていただきたいと思っております。 特に学校において特定の教育を行うことによってのみ男女共同参画が実現できるものではありません。個人の能力の伸長や社会の形成への主体的なかかわりを促す教育、生涯学習機会の提供、職業観・勤労観の育成などのあらゆる局面において、また、学校経営、教員の育成、家庭教育、社会教育の場などでの系統的・意識的な取組が必要と考えます。 「第1章」におきましては、2ページの「少子高齢化による社会の活力の衰退」のところに、「・」で三つ項目が挙がっておりますが、今、少子化、女性の特生率の予測については、国の人口問題研究所の予測をはるかに下回るものが、先日、日本大学の人口問題研究所からも予測が出まして、このままですとますます少子高齢化が進むということです。なぜ少子が進むのかということの一つには、女性の職業と家庭生活の両立という問題がございます。これは家庭と地域と職業、そういったものが系統的に絡み合って、連鎖の中から起きている現象の一つでもあります。 したがって、「・」のところに「女性の能力発揮の障壁となっている慣行と構造」、これをぜひ入れていただくようにお願い申し上げたいと思います。 また後ほど、「第2章」「第3章」について発言をさせていただきたいと思います。 以上です。よろしくお願いいたします。
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| ○ | 鳥居会長 どうもありがとうございました。 御意見の内容については検討させていただいています。また折に触れて、具体的に何行目に何を入れたほうがいいのではないかという御提案があると思いますので、よろしくお願いします。
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| ○ | 簡単に申し上げますが、前から思っていたことなのですが、14ページの最後の2行ですが、先ほど委員もおっしゃいましたけれども、これは滅私奉公を連想して書かれているのではないかということなのですが、私もあまり反対意見を過大視して、書かずもがなのことを書かないのが中教審の見識のような気がしないでもないのです。
と申しますのは、「私」をなくして全面的に奉仕すると考えている人がいるとすれば、そちらのほうがおかしいのです。そういう意味で、「私」をなくするのではなくて、「公」に役立つ、貢献することができる自分の存在が充実していてうれしいという、つまり、自己犠牲と自己実現が重なり合った生き方をしている。それが人間の理想だと思いますので、むしろ「精神ではない」という否定的な書き方で書くのではなくて、書くならば肯定的に「そうあってほしい」とか、そういう書き方をしたほうがいいので、この2行にはこだわりたいような気がしたので、申し上げました。
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| ○ | 鳥居会長 ありがとうございました。 実は、14ページの御議論のありました最後のブロック、「国民の主体的な参画に支えられたよりよい国づくり」云々から始まる文章全体を読んでみますと、何を言いたいのかが途中で焦点がぼけてしまうような挿入句が幾つかあるのです。 例えば、2行目の「国民一人一人の自覚と行動が極めて重要である。そのためには、」が、どこへ本来つながるかというと、2行下の「互いに支え合い協力し合う互恵の精神に基づき」こうこうこういうふうにすべきであるというところにつなげば何でもないのに、間に「現在問題となっている」云々というのが挟まってしまうので、これが焦点がどこに行ったのかわからなくしている。本来だと、「現在問題となっている」から「一方」までをとったほうが、文章としてはすっきりすると私も思っています。 同じようにその2行右下には、「地球環境」の後にいきなり「エイズ問題」だけが出てくるので、それに気をとられているうちに、先へ話が進んでしまうので、もう少しほかの話を列挙するのか、あるいはもっと大ぐくりの抽象的なくくり方をするかが、必要なように思います。 それから、今御指摘の最後の行が象徴しているような配慮は要るのかという問題があります。 そういったことを考慮しながら、14ページの最後のブロックについての修文をする必要があるという御意見が幾つか出たように思いますけれども、後でまた検討したいと思います。
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| ○ | ちょうど今のところですけれども、私は別な観点でお話ししたいと思います。 民と官とか、あるいは国と民という二分法ではないという基本的な考え方で、「新しい『公共』」という概念というか、これを強調していることはよくわかるのですけれども、「公」というものを強調するあまり、あるいは「国」を強調するあまり、基本的人権がやはりきちんと担保されていかなくてはいけないだろうという気がするのです。ここに書いてある表現がいいかどうかは別としても、そういうことは今の近代的な社会の中で常識ですから。成熟社会における基本的人権の尊重はきちんと踏まえておかなくてはいけないと思います。表現云々は別としましても、そういうことにはぜひ配慮していただきたいと思います。 同じ文章の中に、15ページですが、「郷土や国を愛する心」というのがございます。それはそれなりにずっと今までも議論してきたことなのですが、指導要領などでは、この言葉が出てくると、次に続けて、「世界の平和、国際親善に努める心」というのがあるのです。ですから、これはそのようにして入れていただきたいと思います。確かに「郷土や国を愛する心」というのは、7ページにも出てきますし、その後にも幾つか出てきますが、どこで今の言葉を入れていいかわかりませんが、ここで入れたほうがより適当ではないかと思います。「世界の平和と国際親善に努める心」ということで入れていただけば、今までとの整合性もあるのではないかという気がいたします。以上です。
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| ○ | 鳥居会長 ありがとうございました。 14ページのほうについては、今の委員のお話は、最後の行について、ここにこだわるかどうかは別として、「基本的人権の尊重」をどこかに入れるべきであるという御指摘ですね。 もう一つのほうは、これもどこに入れるか迷うのですが、要するに一番最小の単位では、例えば兄弟愛とか、親子の愛とか、家族愛とか、それから自分の卒業した学校に対する母校愛とか、あるいは自分の属する社会に対する何らかの意味での愛着の気持ちとか、郷土を愛する気持ちとか、国を愛する気持ちとか、さらにそれを広げていくと、世界の人々と仲良くやっていくという世界愛というのか、そういったものまで広げて、それらすべてについて言及することができる一つの言葉があれば一番いいのだけれども、それがないから、結局、何とかに対する愛とか、何々を愛する心とかと列挙していきますよね。その列挙型のときに、今のお話だと、あと世界に対するというのが一つ必要であるという御指摘ですね。ありがとうございました。
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| ○ | 私は、いつも申し上げております体のことについて、「第2章」「第3章」でもそうですが、「第1章」の「これからの教育の目標」の中でも、「豊かな心と健やかな体」ということできちんと触れていただいたことは大変うれしく思っています。これで9月30日の子どもの体力に関する答申とも整合性がとれているかなと考えております。 ただ、その前の「序章」のところで、「心の危機」というのが出てくるのですが、「体の危機」が触れられていないということ。それから、「教育の現状と課題」の中でも、6ページの上のほうで、「子どもたちはひ弱になり」という一言だけ、それらしき言葉が出てくるのですが、この辺でも体のことについてちょっと触れていただくと大変うれしく思います。
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| ○ | 先ほど委員から御指摘がありましたように、「知識社会」という言葉が何を意味しているのか、ちょっと不明確ではないかと思います。あまりうまい言葉ではないのですが、たぶん高付加価値産業社会の中にモノとサービスというのがありまして、そういうイメージでもう少し書かれたほうがいいのではないか。技能の育成なども非常に小さくなっているような気がいたします。 それと同時に、心の問題と両方なのですけれども、21世紀は知的サービス社会を担う人材が大事なのだと思いますが、そういうことも何か書いていただきたいと思います。 それから、国際社会に生きるという国際的な問題は、グローバル化とか、大競争時代にたくましく生きるみたいな、そういう人材のみのイメージで書かれているのではないかとちょっと気にしております。後半の11ページのあたりにあるわけですけれども、経済社会問題で苦しんでいる人たちとともに、その課題を解決していくような寛容と慈悲の心を持った人材みたいな、そういうトーンも必要かなと思います。 それから、これはこの報告のキーワードなので、私は基本問題部会で異議を申し立てたところなのですけれども、「21世紀を切り拓くたくましい人間」ということだったので、「『たくましい』だけでいいですか」と疑義を申し上げましたところ、その前に「心豊かでたくましい」というふうについたわけですけれども、何か一つのタイプを、中教審で「こういう人物がいいんです」という言い方は、私はあまり賛成できない。つまり、「心豊か」というのは理想ですので、これは言っても言わなくてもというか、ニュートラルに聞こえると思うのです。「新しい時代を切り拓く」ということの中に、「たくましさ」は入っていると思います。「たくましい」とやはり書くのかどうか。 女性委員たちの議論の中でも出たのですけれども、男性原理、経済的な原理に傾いた印象があるのではないかと思います。もちろんそれは大事ではあるのですけれども、全員がたくましくなくて、多様な人間が21世紀を切り拓いていくのではないかと思います。突進していく人物、それを背後から支えていく人、多様な人間が21世紀に大事だと思うので、一つのパターンを推し進めるようなことを書かないほうがいいというのが私の希望でございます。以上です。
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| ○ | 鳥居会長 おっしゃる意味は、具体的な修文でいうと、「21世紀を切り拓くにふさわしい人材」とか、そういうことですか。要するに、「心豊か」と「たくましい」と両方とっちゃう。
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| ○ | いや、「心豊か」は残してもいいのですが、「たくましい」はちょっと……。
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| ○ | 鳥居会長 それはきっと異論のある人が出てくるのではないかと思うのですが。
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| ○ | これは3ページ、13ページ、16ページ、3回にわたって出てまいります。これは御議論いただいて構いません。多数決でございますので。
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| ○ | 鳥居会長 宿題として残します。 それでは、今のようなこともまた再論することを条件として、「第2章」の審議に入りたいと思います。 では、「第2章新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方について」、時間をかけて御審議をいただきたいと思います。
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| ○ | 実は最近、国において例えば地方分権会議であるとか、あるいは規制改革会議であるとか、私ども地方行政を担う者から見て、義務教育を崩壊しかねない動きが非常に強いわけです。そういった視点から、2点についてぜひとも御検討願いたい点がございます。 まず23ページの「義務教育」の項でございますが、この5行目に「国及び地方公共団体は良質の教育を保障する責務を有しており」云々書いてございますが、この辺に、「義務教育というのは国と地方が共同の責任を負っている」と、そういう点をぜひとも書いていただけないかというのが1点でございます。 実は24ページに「国・地方公共団体の責務」があるのですが、これは現行第10条に関連した項目ですので、場所はいいのですが、今、義務教育というのがともすればいろいろな議論の中で、制度的にも、あるいは内容的にも崩壊しかねないような状況があるという認識を我々は持っているのです。義務教育につきましては、国と地方が共同して実施する責務を負っているのだと、そういうことを明確に中教審の意見としてぜひ述べていただきたいということでございます。 例えば、23ページの「 」に「義務教育」があります。この5行目に「国及び地方公共団体は良質な教育を保障する責務を有し」と、これも事実なのですが、こういう文言ではなくて、明確に「共同して実施する責務がある」と。 要するに、最近は義務教育について、国の責務をある種ぼかすような方向で議論がされているわけですね。例えば国庫負担制度の問題一つをとりましても。そういう点について、国の分権会議なり規制改革会議の動きを牽制するような方向性をぜひ打ち出していただきたい。それが1点でございます。 もう一つは、それと関連しますので、「第3章」になってしまうのですが、37ページ、38ページに地方分権のことが書いてあるのですが、私自身は義務教育のミニマム的なレベルについては、これは地方の人間が言うのはおかしいのですが、地方分権に限界があると思っています。なじまない。例えば全国レベルで義務教育のレベルを保障する。その上乗せをどうするかは、分権になじむ話です。今の国の動きというのは、根底のレベルにまで波及しかねない議論がされているわけです。したがって、地方分権の議論そのものは是としますが、義務教育との関係でいえばおのずから限界があるということをぜひ入れていただきたい。その2点でございます。
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| ○ | 鳥居会長 ありがとうございました。 これはとても難しい問題なのです。文言として入れること自体は、特に23ページに関しては、今、委員がおっしゃったような文言に直すことは可能だと思います。 ただ、事実認識として、義務教育に関して地方分権を徹底して進めるべしということに国論全体が向いているというふうに中教審が理解してしまうのは、本当にいいのだろうか。まだその議論は行われ始めたばかりであると思うのです。そこは難しいところだと思います。
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| ○ | 結局、義務教育の議論をいろいろ聞いておりますと、義務教育全体を―例えば今、いろいろな地方団体の義務教育に関する動きがあります。例えば県独自で30人学級をやるとか、いろいろな動きがございます。ただ、ミニマムのものは保障されるべきですよね。個々の団体の思惑いかんにかかわらず。その上で、それぞれの首長あるいは教育委員会の判断で上乗せをしていく。ここはまさに地方分権の世界です。ただ、下は違うでしょうということです。この根底まで覆しかねない動きがかなりある。
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| ○ | 鳥居会長 いや、そこを申し上げているので、先ほど来、ほかの方からナショナルミニマムという御発言があって、我々はそれを是として受け入れたわけですが、要するにナショナルミニマムは、日本中全体について保障されなければいけない、確保されなければいけないということは、ここで合意されていると思うのです。その上で、さらに地方分権にゆだねるか、あるいはそれぞれの独創にゆだねると表現するかは別として、いろいろな新しい教育の工夫が行われることを奨励するということ自体は……
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| ○ | それはいいのです。
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| ○ | 鳥居会長 結構ですよね。
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| ○ | したがって、文言として、今おっしゃったナショナルミニマムの部分については、地方分権上おのずから限界があるということを一文入れていただきたいということなのです。例えば地方分権、地方分権といって、地方に全部任すことによって、ナショナルミニマムの部分まで崩壊しかねないわけです。
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| ○ | 鳥居会長 私流の表現をすれば、どこかにナショナルミニマムということを書くときに、ナショナルミニマムというのは必ずしも地方分権だけで実現できるものではないというふうに書くことになるのでしょうか。
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| ○ | 地方分権の議論を敷衍していくことが、結果的にミニマムの部分を壊してしまう恐れがあるということです。
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| ○ | 鳥居会長 同じことを私は考えているのですけれども、その表現方法は、最後におっしゃった表現ですね、それだと違う意味にとられるような気がしませんか。
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| ○ | いや、地方分権の流れに逆行するような面にとられかねないです。とられかねないけれども、それはぜひとも入れるべきではないかと思っています。 例えば、地方分権の流れというのは、現状においては必然です。ところが、一方で義務教育というのはまさに義務教育的教育を施すことによって、日本を担う人材の育成のベースです。地方分権という流れの中で地方にすべて任すことは、その部分を崩壊しかねないわけです。
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| ○ | 鳥居会長 だから、我が中教審は、ナショナルミニマムを確保するために、すべてを地方分権に任すとは言っていない。
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| ○ | 文言的にそこを明確に記載をしていただけないかということ。限界があるということを。
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| ○ | 鳥居会長 限界があるということをね。御趣旨はよくわかるのですが、表現方法は後で検討してもらうことでいいですか。
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| ○ | ナショナルミニマムと発言した責任がありますので、一言申し上げさせていただきたいのですが、つい最近経験したことなのですが、ウィントン・マルサリスというトランペットの世界的な名手がいるわけですが、それが日本に来たときに、うちの学校へ来て、半日授業をしてくれました。そのときにいろいろ話をしていたら、ニューヨーク・フィルですと、ニューヨーク・フィルの構成員全員が、1年のうち何回かボランティアで学校に行って教えることが義務づけられているのだそうです。こういう社会が目指すべき社会だろうと思うのです、これから我々は。そういう議論を中教審ではするべきであるし、それがナショナルミニマムを支えるというふうに私は考えて発言しているのです。 ただ、今のお金の問題だけでナショナルミニマムを議論してしまうと、矮小化されてしまうのではないかという気がするので、委員のお気持ちはよくわかるのですが、私の発言した趣旨はそういう意味なのです。それをみんなで支えなければいけないということです。お金だけではなくて、いろいろなことがあるわけですから。
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| ○ | 鳥居会長 そうそう、いろいろなことがある。
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| ○ | ナショナルミニマムをとにかく提言するということです。今、あまりにも無視されているというかな、全体をレベルアップするのが、遠い道だけれども一番確実な結果が出てくるということだと思います。委員がおっしゃるように、お金の面も国が面倒を見てくれれば一番簡単なのですけれども、それができないなら理念だけでも提言して、それを実現するようにみんなが考えるようにしようと言うとか、そういうことを申し上げたつもりだったのです。
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| ○ | 私が言っているのはちょっと違うのです。金の面で国が面倒を見てくれという話をしているわけではないのです。例えば国庫負担制度というものが現実の問題として、地方の義務教育のレベルを保障していることは紛れもない事実です。一方で、学習指導要領が全国的にある一定の教育水準を保障してくれるのも紛れもない事実です。そういった意味で、全国的にある意味では義務教育というのは画一的な部分が必ずあると思っています。そこをすべて地方に任せるということはあり得ない話であって、そこにまで波及しかねない動きを現実にはしているわけです。規制改革にしろ、地方分権にしろ。そこのところの歯どめをぜひとも中教審として、文言は確かに難しいとは思いますが、そういう方向性だけはぜひとも打ち出していただきたい。
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| ○ | 鳥居会長 思いは同じつもりです。私、いつも例に引くのがサッチャー改革で、サッチャーが1980年に総理になってすぐに言い出したことは、イギリスは長いこと―長いことというのは、1944年教育法に基づいて、約40年間、地方にすべてをゆだねてきたために、ナショナルミニマムが崩壊した。だから、改めてイギリスの教育のナショナルミニマムを再構成しよう。それにはある程度中央が中心になってつくったナショナルミニマムを地方も使ってほしいという形で、1988年法に向けて法律改正をしていったわけです。同じことをたぶん考えていると思うのです。ただ、その道行きをどういうふうに想定しながら今回の中間答申に書き込むか、ちょっと検討させていただきたいというのが私の返事です。
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| ○ | 今の発言に関連して、ナショナルミニマムというのは、使う人によっていろいろな意味合いがあると思います。先程の委員がおっしゃるのは、平たい言葉で言えば、ナショナルミニマムなんてそんな生やさしいことではないですよと。義務教育については絶対国がやってもらわにゃ困るんだと。国庫負担制度はたまたま一例にすぎないのであって、例えば40人学級にしても、学習指導要領にしても、これはきちんと国の責任でやってくれと。その上で、地方分権的に足し増ししてくださいという趣旨なので、今の流れは地方分権、地方分権として、本来きちんとすべきものまでなし崩しにされてしまうではないかと、こういう心配だろうと思います。どこにどういう表現を盛り込むかは別として、私は先程の委員の御発言を尊重していただきたいと思います。
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| ○ | 鳥居会長 ありがとうございました。 それでは、この問題は大体そういう形で扱わせていただきます。
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| ○ | 先ほど申し上げました9人の女性委員の共通認識について、「第2章」について指摘させていただきます。 22ページ、「(vii)」の「職業生活との関連の明確化」の中に、3行目から「一方、若者の就職難が恒常化し」という表現があるのですが、ここに「また、女性の人生における職業の位置づけも大きく変化してきている」という一文を入れていただけないかということでございます。 男女、同じ教科を受けて、同じ専門知識を学習しても、卒業時、就職率の違いが厳然としてある。また、女性は高学歴にもかかわらず、社会の中で学習した力を発揮できていないということがありますので、女性の職業生活についても若干言及する一言があれば大変ありがたいと思います。 それから、24ページでございますが、「男女共同参画社会への寄与」のところでございます。4行目、「趣旨が広く浸透するとともに、性別による制度的な教育機会の差異もなくなったこと」と、このように書いてございますが、確かに公的な制度の差異はなくなったわけですけれども、現実には男女共同参画は実現できていないので、ここに「教育機会の差異は減少しつつあるが、社会のあらゆる分野における男女共同参画はまだ十分には実現していない。21世紀においては、男女が……」と続けていただければありがたいと思います。 そして、下から2行目のところに、「教育、学習のあらゆる場に不可欠となっている」と、「男女平等の促進に寄与する」という視点につなげて、つけ加えていただければありがたいと思います。 さらに、26ページでございます。「家庭教育」のところでございますが、最初のパラグラフの最後、「教育の機能の低下が顕在化している。」、この後にぜひ「また、父親の教育参加の促進など、家庭教育にも男女共同参画の視点が不可欠である。」と、この一文を入れていただきたいと思います。 今、日本の働いている人の有給休暇の消化率が5割を切っております。有給休暇をもっと取得して、家庭教育や家庭の中での参画に励むとか、そういった動きが必要だと思います。男女が家事とか、家庭、家族にかかわる時間の際立った違いが厳然とありますので、家庭教育における父親の教育参加は非常に重要な一文ではないかと思います。よろしくお願いいたします。
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| ○ | 鳥居会長 一番最後におっしゃったのは、実は10ページにも関係しまして、10ページの一番上に、前のページから読みますと、「子どもの養育や親の介護などで一旦は職業から離れた女性」と書いてありますけれども、これは男女なのですね。別に女性だけが離れるのではけしからん話で、男もやらなければいけないわけだから、ここは男女でもいいかもしれないということとペアにして考えたほうがよろしいのではないかと思います。 そのほかは、今御提案の趣旨は、いただいた資料で私も見ておりまして、検討させていただきたいと思います。 ただ、実はよく読んでみますと、「第2章」は、場所によっては後でだんだん出てきますけれども、具体的な教育基本法の新しい条項の内容をイメージさせるような素案になっている部分があります。それのいろいろなところに全部、男女共同参画を散りばめてしまうと、逆に焦点がぼけてしまう可能性もありますので、その点は若干調整の余地を、後で修文するときに私たちに残させていただいて、基本的には御提案をいただいたということにしたいと思います。
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| ○ | 20ページ以下でございますが、この報告案には、教育の基本理念に追加すべきだとして多くのことが挙げられておりますが、よく読んでみますと、3種類か4種類に分かれるのではないかと思うわけでございます。 一つは、個人の自己実現、努力や向上心、公共の精神、道徳心、自律心、規範意識、伝統や文化の尊重、郷土や国を愛する心、国際社会の一員としての意識などでございます。これは国民のすべてが心がけるべきこと、あるいは徳目のようなことであろうかと思います。 二つ目は、国民の心がけとか、責任というよりは、政府の、あるいは国家の政策課題と見られるものがございます。例えば生涯学習社会の実現、時代や社会の変化に対応した教育、職業生活との関連の明確化、男女共同参画社会への寄与などがそれでございます。 三番目としましては、例えば個人の能力の伸長、創造性の涵養、感性、自然や環境との関わりといったようなことは、国民の心がけるべきことであるとも思いますし、また、同時に国家あるいは政府の責任というふうに両面性を持ったものとして考えられます。 それから、教育の基本理念以外の各条項に追加すべきとされている事項の中にも、例えば教員の使命感と責務とか、児童生徒の規律遵守及び学習の責務とか、保護者の家庭教育の役割と責任、学校・家庭・地域社会の連携・協力などといったものは、保護者や住民や教員や児童生徒が担うべき責任あるいは責務を記述したものだと思います。 このように四つぐらいの理念と言われているものが一緒に入っていると思います。 現在の教育基本法に基本理念としてこの中間報告で挙げられておりますのは、「個人の尊厳」「真理と平和」「人格の完成」などでございますが、こういった現行法の教育理念と言われておりますのは、国の教育政策をそういった理念に基づいて行う旨を宣言したものだと思われるわけでございます。 ところが、今申しましたように、中間報告案では教育理念が4種類ぐらいございまして、その半ば以上ぐらいは国民が遵守すべき徳目や心得、あるいは担うべき責務、責任などであります。こういった徳目とか、心がけ、あるいは責務は、望ましいことには違いありませんと思いますけれども、これを法律に規定することが果たして適当かどうか。あるいは、それによって効果が期待できるものかどうかと考えますと、疑問がないわけではございません。 そこで、新たに追加する教育理念というものは、やはり国家による教育施策的なものに限りまして、国民が遵守すべき徳目、あるいは心がけ、担うべき責務、責任というようなものは、大事なことではございますけれども、別途の方法で世間に発表したほうがよろしいのではなかろうかと考えるわけでございますので、御検討いただければ幸いでございます。
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| ○ | 鳥居会長 今おっしゃった御趣旨はわかりましたが、委員が徳目というふうにくくられたものですね。徳目そのものを挙げて、これが徳目ですよと説く理念法のアプローチもあると思うのです。もう一つは、その徳目は守るべしというふうに、一人一人の若き国民に呼びかける形の徳目表現もあると思うのです。 しかし、私はそうではなくて、学校、家庭、社会、国、そういうところが広い意味の教育―広い意味の教育と言っているのは、訓育と才能・能力の開発と学習の支援、個人の自立の支援、そして社会人となっていく成長の支援という活動を通じて、今、委員が徳目とくくられたようなことを教えていく、あるいは社会的に醸成していく必要があるという書き方があると思います。私の頭の中では、この中間報告はそういう想定のもとに書かれているように思うのですが、その点、いかがですか。
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| ○ |
こういったことは、これまでの中教審答申でも、例えば「心の教育」の答申がございましたけれども、ああいうところに書かれていると思います。ただ、中教審答申として、こういうことが大事ですよということを出すということと、法律に規定するということは別ではなかろうかと思うわけでございます。あるいは、会長声明として出されるとか、あるいはかつてありましたように、「期待される人間像」というようなものを出すとか、いろいろな方法があるのだと思います。やはり法律には国の政策目標みたいなもの、そういった理念を掲げるのが妥当ではないかとこう思っているわけでございます。
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| ○ | 鳥居会長 ですから、国の教育に関する政策理念として、国は学校、社会、あるいは家庭、いろいろな仕組みを通じて、これをフランス法的に言えば、教育共同体だと思うのですけれども、教育共同体全体を通じて国の教育の目標を実現していく必要がある、あるいは責務がある。その責務の中に、今、徳目とくくられたものの中の幾つかは、やはりそれは学校でやらなければだめだとか、家庭でやらなければだめだということが書かれれば、それは委員が最後に言われた方法になるのではないか。それを中教審答申のどれか一つで、ああしましょうとか、こうしましょうと呼びかけるだけというのとは次元の違う話なのではないかと思うのです。
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| ○ | そういった徳目を法律に書きますと、教育基本法そのものが大きく性格を変えてしまうのでは。
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| ○ | 鳥居会長 だから、法律に徳目そのものを書くのをやめましょう、そうではなくて、国の政策としてこういう方向で政策を進めるという書き方をする中で、徳目が実現するようにしたらどうでしょうかということを言っているわけです。
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| ○ | それは結構です。これを見ますと、何か基本法に徳目を列挙するように読めるわけでございます。
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| ○ | 今、委員がおっしゃったことは、結果的には会長がおっしゃったようになるのですけれども、例えば26ページの一つ目の「○」の「なお」から始まる文の終わりが、「引き続き検討していくこととする。」となっているのです。だから、規律を守るようなそういう徳目的なことは、「引き続き検討する」わけですから、これは理念には入らないと私は読んでいるのです。よく読めば、「引き続き検討する」という書き方で終わった文章と、例えば同じ26ページでも、「家庭教育」の最後は、「規定することが適当と考える。」と、書き方が違うのです。そこを読むと、おのずから委員がおっしゃったように分類されているのではないかと私は読んでいたのですが。
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| ○ | あちこちいろいろ意見があることを顧慮し過ぎているから、そういう表現になるのではないかと思いましてね。 今の関連から言うと、政策課題だけを法律にするのでは全く意味がないわけで、教育そのものはすべて徳目にも、人間の生き方にも関係することで。それから、さっき委員の言ったことは大事なので、いわばナショナルミニマムは、言ってみれば教育の原点としての型をきちんと押さえるということですよね。もっとわかりやすく言えば、読み書きそろばんがそうなのであって、そこが崩壊しているところに危機感があるわけです。当然それはある意味では徳目にも関連してくる。だけど、それを復古的に徳目だけをこれというふうに並べるのではないわけだから、私はこの整理でいいと思います。 それから、先ほどの続きですけれども、「第1章」のところで先程委員のおっしゃった、確かに「激動の時代」、あるいは「大競争の時代」という表現は考えていただいて、例えば「激動の時代」というのを「歴史的変動の時代」と置き換えただけでも、中身が随分変わってきます。そのようなことがあちこちにあるので、その点を中心にできるだけ簡潔に申し上げたいと思います。 17ページの「 」の「『知』の世紀をリードする大学改革の推進」は、さっき言いましたように、大学というのは大学院を含むのか。含むとすれば、今の学校教育法上のような形でくくればそれでいいのですけれども、もしそうでなければ、大学、大学院としていただくなり、「初等中等教育中心」という言葉が出てきますから、そこは「一方、高等教育」という言葉を使っていただいたほうが、よりはっきりすると思います。 17ページの「 」のところですが、ここは終わりから3行目、「地球環境問題など、国境を超えた人類共通の課題が顕在化し、」と、これは大変結構な表現だと思います。まさに国境を超えた人類共通の課題というのは、いわば国境を超える義務なのです。そうしますと、地球環境問題だけではなくて、そこはさっき委員もおっしゃったけれども、人権尊重というようなことを―基本的人権という言葉がいいか。私はむしろ人権というのは国境を超えた公共財だと思います。そういう言葉も入れていただいたほうがいいと思います。 それとの関連で、18ページの上のところですが、「平和のうちに生存する権利を守ろうとする国民一人一人の思いが」とありまして、ここに平和のこともちゃんと出ているのです。「我が国だけではなく、同じ思いをもつ他国の主権を尊重しなければならないという国際的な視点に通じるものとなる。」、これはかなり問題でしてね。「他国の主権」、つまり、国家主権を尊重しろということになってしまうわけで、国家主権とともに人権があるわけです。例えば、北朝鮮が拉致問題で、自分の主権だと言えば、それを尊重すると同じようなことになりますので、「他国の主権」という言葉はぜひ考えていただきたい。ここはむしろ、「同じ思いをもつ他国の人々の気持ちを尊重しなければならない」と、そのぐらいの表現のほうがいいと思います。よろしくお願いいたします。 それから、21ページ、それとの関連で、ここは非常によく書けていると思いますし、社会学者の言葉によりますと「開かれたナショナリズム」、「開かれた」というのはいわばローカリズムから出るわけで、郷土愛がナショナリズムの模範だというのですけれども、大変いい書き方をしていると思います。 その中でちょっとひっかかるのは3行目、「国際社会に出ていけばいくほど、自らを日本人として意識する機会が増え」、これはそうなのですが、同時に、国際社会に出ていけば出ていくほど、国際人という意識があるのですね。ですから、2行目のところに、「グローバル化が進展する中で、これからの時代には、国際社会の一員として生きるという国際人としての自覚とともに」という言葉を入れていただく。その表現はまた考えていただいて。その中で今度はアイデンティティの問題が出てきて、しかも、それは郷土愛みたいな開かれたローカリズムからつながる一種のナショナリズム、これは決して偏狭なナショナリズムではあり得ないわけです。ローカルに徹すれば徹するほど、それは広い意味での国を愛するという表現で、非常に結構だと思います。 マスコミを見ると、これを「愛国心」とマスコミの人たちはみんな書いているけれども、マスメディアの人もそこをきちんとつかんでいただいてですね。この書き方はよく工夫されていると思いました。
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| ○ | 19ページですが、最初の「○」の「もちろん」からのところですが、「教育基本法を見直すだけで、いじめ、不登校といった現場の教育課題が直ちに解決するものではない。」と。私はこれは前から気になっているのですが、教育改革国民会議でも、いじめはなくならないのだから、そのまま変えなくてもいいではないかという意見があったのです。私は、現場に影響を与え得ないような教育基本法が問題なので、ただ理念として飾っておくだけなら、なくてもいいわけなので、いじめを解決するような教育基本法の改正を目指すというスタンスでなくてはいけないのではないかと思います。 そうすると、理念というのは簡潔でなければいけないので、委員が先ほどおっしゃったように、細かい徳目は書く必要はないと思うのです。ただ、平和とか、基本的な理念は書かなければいけない。平和の場合には、国際平和とか、戦争をしないとか、そういうグローバルな、マクロの視点の平和だけが強調されて、心の中にある平和とか、家庭の平和というのが浮かんでこないから、いじめとか、不登校といった問題が出てくるのだと思います。基本法を見直すことによって、現場の政策に影響を与えるような基本法にするということが一つ必要ではないかと思います。 そういうことを考えますと、存在感のある教育基本法といいますか、ただ壁にかけておくだけではなくて、存在感のある、そして簡潔でなければいけないと思います。あまり長くてもいけないし、本当は12、3条がいいと思いますが、最大限17条ぐらいかなと思うのです。18条になると20条に近くなりますから、理念は簡潔にと。 理念が実現されるには理論が必要なのですが、理論を導くようなインパクトのある理念、そしてその理論が実現に移されるような施策に反映されるような展開を伴うような理論。ですから、理念、理論、政策という3点セットがなければいけないのです。そういう意味では、いじめが直ちになくならないといった書き方には不満なのです。むしろ胸を張って、これをなくすために変えるのだというように書いていただきたいと思います。
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| ○ | 鳥居会長 ありがとうございました。 今御指摘のいじめ、不登校云々は、これをみんななくす方向で考えていることは、全体としては筋は通っているのですが、ここへこんなことを書いてしまったから。ここはちょっと直す必要があると思います。
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| ○ | 21ページです。先ほどの委員も言われましたけれども、「国際社会に出ていけばいくほど、……無関心でいることはできず」、これは言葉が冗舌過ぎるのではないかという感じがするのです。これはなくするか、あるいは書き換えられたほうがいいと思います。特に「国際人」というのも非常に自覚されてくるわけですから、そういう言葉を補強されたらどうかと思います。 同時にここで、「真に国を愛する」という「真に」という言葉が要るかどうか。それだけが気になります。
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| ○ | 先ほど委員は、徳目を盛らなければ意味がないとおっしゃいましたけれども。
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| ○ | いや、徳目を盛る必要はない。おのずとじわりと徳目が出てくるようになっているから、これでいいのではないかということです。
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| ○ | ですから、徳目を書いていきますと、教育基本法がいつの間にか教育勅語のようなものになってくるのではなかろうかと思うわけです。 それとは別に、そういうものを書いて、いかなる現実的な効果があるのかということでございます。ですから、国や地方団体の政策理念であるならば書くことに意味があるかと思いますけれども、国民が守るべき徳目とか、心がけというものを法律に書いても、刑法に書くのと違って、実際的な意味はほとんどないのではないかと思うわけでございます。
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| ○ | 鳥居会長 御意見はよくわかりますが、20ページの上から二つ目の「○」から読んでいただきたいのですが、こういうふうに書いてあります。「本審議会におけるこれまでの議論においては、現行法に掲げられている基本理念に加えて、現在及び将来の教育において重要であり、教育基本法に規定すべきと考えられるものとして、以下の(i)~(vii)が挙げられたところである。」と書いてありまして、これは議論としては出たのです。それが20ページの「(i)」から22ページの「(Vii)」まで書いてあるのです。 現行の教育基本法が挙げている基本理念だけでは、新しい時代に向けて足りないものがあるのではないかということで出てきたものの幾つかなのですが、これがそのまま一つ一つが新教育基本法の1条、1条になるということは、まだ決めてあるわけでもないし、恐らくそうはならないと思います。 それから、徳目というふうにくくったもののうち一番典型的なのは、20ページの「(i)」番、「個人の自己実現」「個性・能力の伸長」「創造性の涵養」等々ですが、これは一人一人の国民ないしは学生生徒に対して徳目を要求するものではなくて、むしろ彼らを教育する側、彼らに学習機会を与える側の我々、我々というのは学校や家庭や社会ですが、そこが配慮すべき事柄だと思うのです。
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| ○ | それは私が先ほど言ったことと同じです。
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| ○ | 鳥居会長 そうですよね。それを言っているわけです、だから。
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| ○ | 私はこれは徳目にはくくっていません。私は、3番目の個人の能力の伸長、創造性の涵養、感性、自然や環境との関わりというものは、国民も心がけるべきだけれども、同時に国家、政府の責任としてやっていくものだと分類しておりまして、徳目には入れておりません。
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| ○ | 鳥居会長 いや、1番を徳目と呼ぶかどうかは別として、1番は結構ですけれども、2番、3番等々についても、同じように考えられないでしょうかということを言っているわけです。
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| ○ | 今のことですけれども、私は基本的には会長のおっしゃったことでよろしいのではないかと思っております。 例えば、1番のほうはないということですけれども、徳目とはどういう意味かということにもよるのですけれども、例えば憲法の第13条をお読みいただきたいのです。資料2にありますけれども、第13条に「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」という規定があります。これは法の規定としていかがなものかという批判もありますけれども、この規定がある意味では憲法の中核をなしている規定なのです。国政の在り方についても定めると同時に、個人としての自律といいますか、自己責任といいますか、そういうことも含んでいる、極めて重要な規定なのです。そのように理解されております。 ですから、教育基本法にどういうものを書くかにもよるのですけれども、基本法ですから、その骨格になる精神はおのずから表現されてしかるべきことではないかと思います。 それから、3番目の公共の精神ですけれども、これも何回か繰り返し申しておりますが、やがて裁判員制度が設けられることになります。陪審制と共通の考え方の制度が導入されることになります。そして、司法制度改革審議会の答申の中に、初等中等教育でも司法教育の重要性ということをしっかりやりなさいということを強調しているわけであります。これは徳目の意味にもよるのですが、決してそういうたぐいのものではなくて―具体的にどう書くかは問題ですよ。一々個別的に書けと言っているわけではありませんが、この趣旨のことは当然、教育基本法に書き込まれてしかるべき事柄ではないかと思っております。
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| ○ | 事務局 20ページ「(1)」の「教育の基本理念」の「○」でございますが、現行教育基本法第1条は、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、……心身ともに健康な国民の育成を期して行」うとなっておりまして、「平和的な国家及び社会の形成者として」有すべき徳目として、現行基本法は「真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた」と、こういうふうに既に掲げられておるわけでございます。これは昭和22年の基本法でございますから、時代、社会の変化を踏まえ、当然普遍的なものは大切にしながら、現時点においてさらに重要なものとしてつけ加えるものは何かないだろうか。そして、その議論の結果として、ここに掲げられておりますような1から4までの項目が出てきている。これをすべて書くかどうかはまた議論があるかと思います。そこは国民的な議論をお聞きしながら検討していくという議論でなかったかと承知をいたしております。
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| ○ | 鳥居会長 では、もしほかに教育基本法についてまだ御意見があれば、後で出していただいても結構ですという条件つきで、「第3章」に移りましょう。どうぞ。
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| ○ | 34ページなのですが、これは施策の基本的な方向です。基本的な方向なのに、最初の「○」がいじめ―先ほど私はいじめと言った手前、ちょっと困るのですが、いじめという具体的な問題が出てくるのですけれども、基本的な方向ですから、もう少し高邁にと言いませんが、先ほど来議論になっている義務教育の充実・強化とか、分権の限界とか、何でもいいのですが、そんなようなことが一つあってもいいのかなという気がしないでもないです。 それとリードの部分で、「学校が良くなる、教育が変わる」、これは文部科学省の施策のキャッチフレーズだから、それはそれで生かされていると思うのですが、学校がよくなるにはどうすればいいのかということが見えてこないのです。学校のよしあしは教師次第だと思うのですが、教師のことが基本的な方向で出てこない。後から出てくるのですが、それがちょっと不満なのです。 もう一つは、35ページの枠の中の下から2番目「○」ですが、「地域におけるボランティア活動や自然体験活動などの奉仕活動・体験活動」云々とあります。基本計画は重点化をねらいとしていると思いますが、39ページを見ますと、「豊かな心の育成、自立心の育成」ということで、40ページにかけて「○」が五つ挙がっています。まず「道徳教育の充実」があって、これを全部読んでいきますと、どんなふうに重点化されるのかなと気になるのです。「道徳教育の充実」という総論的なことが書かれて、次は「ボランティア」「奉仕活動」と各論的なことが書かれているわけですけれども、どちらが大事なのか。みんなが大事だといえば、体系だからそうなのだと言えば終わりなのですが、重点化というのは、どこが入り口で、どこを出発点にするかということだと思うのです。そういう意味では、奉仕活動なら奉仕活動に絞って、これを徹底すればおのずから道徳教育の充実に発展的につながるとか、そういうのが計画のシステム化ではないかと思います。重点化の点でもう少し御配慮いただきたいという希望でございます。
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| ○ | 鳥居会長 34ページの「教育振興基本計画に盛り込むべき施策の基本的な方向」ですが、「目次」を御覧いただきますと、本来この「基本的な方向」という「第3章」の「3」は、中が「(1)」から「(4)」までの四つからなっている構造になっているのです。ところが、34ページを開きますと、いきなり具体例が出てきて、本文はそれが終わった36ページの「(1)」から始まるのです。これは非常にまずいので、場合によるとこの四角囲みの2枚は一番後ろに持っていったほうがいいのではないか。一番後ろにくっつけるときに、施策の具体例とか、そういう形で例示にとどめるというふうにしたほうが、委員の御指摘のとおり、これは勘違いされる可能性がありますので、そこは配慮します。ありがとうございました。
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| ○ | 今の会長のおまとめで結構だと思いますが、マスコミ的に言うと、ここの部分は囲みの中で挙げられているものだけが報道されるのです。いろいろ文章に書かれているのは大体報道されないのです。ですから、ここは非常に重要だと思うのです。 そういう意味で言いますと、先ほどもちょっと申し上げたのですが、やはり幼児教育をどう取り上げるかという項目は入れておかないとまずいのではないかと思います。 それから、高等教育が世界的に通用するという、これは非常に重要な視点ですけれども、それだけではなくて、高等教育機関が一般の市民にリカレント教育の重要な役割を果たせるようないろいろな仕組み、あるいは制度的な考え方をつくり上げていくのも振興計画の重要な一つだと思いますので、この項目をぜひつけ加えていただきたいと思います。 最後にもう一つ、後でいろいろ出ているのですけれども、いろいろな事情で問題があるのだろうと思いますが、できましたら私立学校の振興というのが入るとありがたいと思っております。これは自己実現という意味で、今回の教育改革の柱があるとしますと、自己実現という視野でいうと、私立学校は公立学校の参考になるようないろいろな教育事例がつくれるわけです。実験的なこととか。従来もそういう形で考えられて、多くの実例がございます。例えば帰国生徒の教育とか、中高一貫校とか、現在、公立学校でもいろいろと活用されている制度は、私立学校が最初に試験的にやったものです。そういう意味でいうと、そういうものもあっていいのではないかと思います。 ただ、これが外れているのは何か理由があって外れているのだと思いますので、無理なことは申し上げませんけれども、できればこの中に入っていると大変ありがたいと思っております。
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| ○ | 鳥居会長 一番最後の私立学校ですが、これは今御指摘のような点を含んで検討させてください。39ページを御覧いただくと、たった一つ、「私学助成の充実」というのがポッと出ているのです。前文はついていますけれどもね。これはちょっと検討させてください。 それから、確認のために伺いたいのですが、さっきから主張しておられる幼児教育については、どう書けばいいとおっしゃっているのですか。
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| ○ | 幼児期に、つまり、2~3歳から就学年齢6歳までの教育は非常に重要なのです。というのは、例えば500年ぐらい昔に書かれた『風姿花伝』に、能、謡曲の始めはいつからやったらいいかというのが書いてあります。初舞台は7歳がいいと書いてあるのです。7歳は今流に言うと満6歳ですから、その頃、人間としてきちんと組織的に教育できる段階に入るのだと思います。ただ、その前段階の教育は、発達心理学の成果を我々は知っているわけですから、自主性を確立するという意味でいえば、いろいろな項目についてそこの部分でいろいろな形で教育が可能なのです。その部分の重要性を指摘しておくことは大事ではないかと思います。 例えば厚生労働省と文部科学省が分かれているのはおかしいのです。これは文部科学省が全部やるべきなのです。教育の内容ですから。文科省がやるべきだということまで言う―預かるだけではないはずなので、教育内容と考えれば文部科学省がやるべきですから、そのようなことを言っておかないと、新しい教育にならないのではないかという気がしますから、幼児教育の重要性という指摘ができないかどうか。これは省庁の問題がありますから、難しいとは思いますけれども、問題点は非常に重要なことが含まれていると思っています。
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| ○ | 鳥居会長 整理のために申し上げますが、幼児教育の少なくとも幼稚園については、学校教育法の第1条で、幼稚園はちゃんと学校と規定されているわけです。にもかかわらず、今のような御発言があるということは、学校教育法第1条に規定した学校としての扱いをもう1回、では幼稚園についてはどうするのかということを考えるとか、そういうことも含むわけですね。
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| ○ | 保育園との関係です。ですから、保育園的な役割を幼稚園の中に入れるとかね。だけど、教育だから、文部科学省がやらなければ絶対にだめなのです。そこのところをはっきりとさせないとまずいと思うのです。
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| ○ | 先日、ベルリンの日独センターで行われた幼児教育の「子どもと音楽」という国際シンポジウムに出てきたばかりなものですから、それに若干インスパイアされているのですけれども、日本は私が関係している鈴木メソッドの子どもたち、それから私が行って報告しました。ハンガリーのコダーイの研究所とか、ドイツとか、それから御指摘のように大脳生理学も非常に発達していますし、発達心理学の先生たちも加わって行われました。 この場合の幼児教育は単なる幼稚園、保育園ではなくて、広い意味でのまさに幼児教育なのです。才能教育と言ってもいいかもしれません。これは今まで日本の教育の中には必ずしも視野が十分広がっていなかったのですが、今、アメリカでもそれが非常に議論されています。 そういう意味からすると、41ページの「幼児教育の充実」というところを見ていただきたいのですが、大変いい言葉が書いてあるのです。具体的に「幼児期にふさわしい教育の充実」とか、そういう言葉が書いてあるのですが、一体どういう教育なのか。これはひとえに、できれば音楽のような感性教育なのです。プレスクールでもって受験競争に入らせては困るわけです。そうではなくて、まさに感性とか―実は外国語教育もそこに本当は入るのです。そういう意味での言葉をぜひ入れていただければ、単なる制度としての幼児教育以外に、広い意味での幼児教育が視野に入ってくるのではないかと思いまして、発言させていただきました。 ついでにもう1ヵ所ですが、43ページの上から二つ目の「○」に、英語教育について取り上げていただいて、大変結構だと思います。ただ、小学校から大学における「具体的な目標に基づく英語教育の充実」というところに、「具体的な目標と一貫した指導方法に基づく」という、一貫した指導方法がないから、日本の英語教育はバラバラでということがありますので、それを入れていただければと思います。 それから、17ページに「政治的教養」という言葉がポッと出てくるのです。これをもし入れるなら、「社会的教養」という言葉も入ったほうがいいかなと思います。そこは日本の政治がいかに貧困かということなのかもしれませんけれども、ここに「政治的教養」だけが出てくるから。もしそれでしたら、「社会的教養」なんていう言葉もあったらいいかなという気がいたします。
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| ○ | 鳥居会長 最後におっしゃったのは確かに気になる言葉なので、検討させていただきます。「社会的教養」として、括弧の中にもう少し、政治だけではなくて、社会全般にわたる関心、判断力、批判精神が登場すれば、先生のおっしゃるとおりになると思いますので。
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| ○ | 以前からちょっと気になっていた言葉の問題で、「子ども」というのがあちこちに出てくるのです。この「子ども」というのが小・中学校の児童生徒の意味なのか、さらに上までいくのか。学校教育は今度の場合に、大学までも視野に入れるのだということになっていますが、例えて言えば、体の問題にしても、大学生、さらに言えばお年寄りまで含めた大きな課題であるわけで、それを子どもの体の問題だけに押し込るのか。それと「子ども」というのが一体どうなのか。その辺は一度、中教審としてきちんと考えるというか、言葉として何を使うかというのをきちんとしたほうがいいような気がしておりますので、一言申し上げました。
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| ○ | 鳥居会長 この話は、実は別の分科会で出たことがあって、そのときも委員から御指摘いただいき、私も発言したことがあるのですが、これは事務的に詰める必要があると思います。
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| ○ | 「第2章」と関連しますが、先ほど申し上げた「公共」という部分で、「第3章」で言えば、40ページ「(ii)」と「(iii)」にかかわるところですが、基本計画の位置づけというのは、詳細にわたるところまでではないと思いますが、政策を具体的に述べる部分だろうと思うのです。そういう面で言いますと、40ページにある、例えば「(ii)」の「国家・社会の形成者としての資質を養う教育の充実」とか、それから「(iii)」の二つ目の「○」の「郷土や国を愛する心をはぐくむ教育の推進」とか、これは具体性にあまりにも欠けるのではないかという感じがするのです。 といいますのも、17ページに戻っていただきたいのですが、「第2章」の「『公共』に関する国民共通の規範の再構築」という部分で、ここに「新しい『公共』」という概念が出てきて、これは教育基本法見直しの必要性の大きな柱になっていると思います。 それに関連して、今度は21ページに、「第3章」につながるであろう「(iii)」と「(iv)」で、真ん中の「○」のところで「公共に主体的に参画する意識や態度を涵養」とあって、その下のほうへいくと「新しい『公共』の創造」という、二つの「公共」の概念が出てきているわけです。 「新しい『公共』」というのは、先ほども私が触れまして、これから必要な理念だと思っているわけですけれども、その前の「公共」というのが40ページの表現にかかわってくると思います。 「第3章」の「振興基本計画策定の必要性」のほうにきて、31ページの「(2)」の「これからの教育の目標」に「 」「 」「 」「 」とありますが、ここには「新しい『公共』を創造し」ということしか出てこないのです。その辺の関連が私には少し理解がしにくいということです。 結局のところ、40ページにきまして、「『公共』に主体的に参画する意識や態度」と「日本人のアイデンティティと国際性の育成」というところで、先ほどの「郷土や国を愛する心をはぐくむ」と出てくるのです。抽象的なものですから、これは先ほど鳥居会長が言われたように、この愛というのは自分を愛するところから始まって、世界まで広がる概念だということであります。ほかのところの「○」は、言葉は多少抽象的ですけれども、政策的に、ああ、そういうことだな、ということが思い浮かぶような書き方がしてあると思います。ところが、ここのところは一体どういう教育だろうかと思わざるを得ないのです。この「郷土や国を愛する」というところが今回の答申のキーワードとして注目もされているだけに、もっと具体的に育てるという―私は二つ目の「○」がなくても、上と下の四つだけでもそういうことがはぐくまれるのではないかと感じるわけです。あるいは、もう一つ二つあったほうがいいかもしれませんが。 そういう意味で、具体的に「公共」と「新しい『公共』」の両者の何を具現化するために、このことをここで言わんとしているのかという結びつきを明らかにしないと……。結論で言えば、基本計画のところに「郷土や国を愛する」という抽象的なものを残すのはあまり賛成ができないということと、それから先ほど言いました「国家、社会の形成者としての資質を養う教育」も非常にあいまいなことであって、もう少し具体化をする必要がある。それは何となれば、「『公共』に主体的に参画する意識や態度」ということで、これまで述べられた中身を具現化しなければいけない部分であるのに、あいまいであるというところが問題ではないかと思います。 これは前にも申し上げたのですが、30ページ、31ページのところの、特に31ページです。教育振興基本計画の位置づけということで、私は前回も申し上げたのですけれども、政府として国民に対して教育全般についての説明責任がある。そして、今回の教育基本法の見直し方向は、地域や家庭や高等教育に広げていった。そこのところで言えば、ここにそれを思わせる文章があるのですけれども、一番上の「○」です。「関係府省に対しても、幅広く計画策定に向けた協力を求め」ということで、「政府として教育振興基本計画を速やかに策定されることを期待したい。」とあるのです。また下へいくと、教育に関する事項だけ振興基本計画で定めると限定してあるのです。これは仕方がないとは思うのですけれども、「……求め、政府として」ということではなくて、ここで書くべきは「関係府省に対しても教育基本法に盛り込まれた理念の実現に向けた諸施策の策定事項を求めるとともに、教育分野においては、政府としてこの基本計画を定める」というふうに書くべきではないか。 つまり、ここで教育基本法を実現するためには、今回の振興基本計画だけではなくて、何となれば先ほどから出ている、例えば我々でいきますと、家庭教育を充実するために労働時間の短縮とか、男性の教育参加とか、そういうことがものすごくかかわってくるわけです。ですから、そのことは非常に重要であって、何でも教育ではないということがどこかにあらわれるといいと思いますが、こういうところにぜひあらわしていただきたいということが二つ目でございます。 あとは細かいことですけれども、私が言った趣旨がまだ理解されていないかもしれませんが、38ページの「教員の評価システムの導入」と「公立学校の教員給与の見直し」という二つの項目があるのですが、これはまだちょっと不分明なのです。特に上の「評価システムの導入」というのは、恐らくこれは人事処遇にかかわる評価システムのことだと思うのです。その下に「不適格な教員に対する厳格な対応」がすぐきているものですから。これは勤怠とか、素行とか、そちらのほうのマネジメントの話に結びつく可能性があると思いますので、こう書くのであれば、表裏一体である「人事処遇及び評価システム」と書くべきではないかと思います。 それから、下の教員給与の見直しというのは、水準のことを言っているのか、いわゆる人事処遇と表裏一体の教員給与の格差の話を言っているのか、これは重要なことだろうと思いますので、単に教員給与の見直しということで済ませることは少し問題だと思います。
それから、最後に、戻ってしまうのですが、これも細かいことですが、26ページの「 家庭教育」の二つ目の「○」の「子どもを産み育てやすい社会環境づくりを教育を通じて進めていくという条件整備を通じて」とあるのですが、これは教育行政の役割となっているのです。ところが、先ほど事務局が御説明になったときは、子育てに関する云々と、こういうふうに説明されたような気がするのですが、私はそちらのほうの話だろうと思うのです。教育でできるのは、この項で言えば、「子どもを産み育てやすい」ということではなくて、子育てに関する教育とか、知識とか、そういうことであって、「社会環境づくりを教育を通じて進めていく」というのは、教育行政ということでもし限定するならば、あまり妥当ではないのではないかと思いました。ちょっと細かい点ですが。以上です。
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| ○ | 先ほどの続きを御説明させていただきます。9人の女性委員の共通認識の点でございます。 34ページと35ページに黒い枠で囲った項目がございますが、先ほどの委員の話によれば、ここだけが新聞記事に載るということなので、ぜひともこの項目は入れていただければと思うのですけれども、35ページの下から四つぐらいの「○」の近くあたりが適切な場所かと思っておりますが、「大学、大学院における女性教員比率の向上及び高等学校管理職への女性の登用促進」というようなことを入れていただければと思います。 もう一つ、47ページでございます。最後の「男女共同参画に関する教育・学習の推進」のところでございますが、これは項目のところにも、「男女平等を推進する教育・学習の推進」と明記していただいておりますので、大変安堵しておりますが、さらにこういう文章をつけ加えていただけたらと思います。 今、雇用の場における法的な整備は、日本もOECD並みに全部条件が整ってくるところまでまいりました。諸外国を見ていますと、アメリカでも、カナダでも、あるいはヨーロッパ、特に北欧などでも、女性が社会的に能力発揮できるということになりますと、中学生ぐらいの教育の段階が一番の活動のメルクマールになってきております。そういう意味では、ここの「男女平等を推進する教育・学習の推進」の前に、「学校・家庭・地域等あらゆる機会を通じて固定的性別役割分担の見直しに取り組むとともに」という一文を入れていただくと、さらに具体的な教育・学習の推進の内容、そして何を見直していくべきかということが明確になっていくかと思います。 あとこれは私の個人的な意見で、別の論点ですけれども、35ページの先ほどのところに戻っていただきまして、下から「○」四つ目のところでございますが、「高等教育機関の活性化を図るため」というところで、出身者比率の数値目標の設定とか、流動を高めるというのがありますが、これは教員・学生の流動性を高めることが目的ではなくて、むしろ教員・学生の多様性を高めることが目的ではないかと思いますので、「流動性」よりも「多様性」という文言のほうが真のねらいに適しているのではないかと思います。 今申し上げました男女共同参画の視点の幾つかの訂正申し入れの事項でございますが、ほかの委員の方々で少し補足等がございましたら、よろしくお願いいたします。特に放課後児童のことなど、少し御説明などあればしていただければと思いますが、よろしゅうございますか。
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| ○ | 46ページの「(ii)」の「地域の教育力の向上」というところになるのですけれども、ここのところで今、保護者も、母親も働いている家庭が多いので、どうしても放課後、子どもたちが一人で家にいるか、どこか友達とつるんでコンビニとか、いろいろなところに行くか、または何もしないで運動場にポツンとしているとかというケースがあるわけです。ですから、子どもがいても、親が安心して働ける環境ということで、教育の部分からも放課後児童の健全育成ということを追加していただいて、特にまた地域にいる皆さんに子どもたちのための育成の場をぜひとも図っていただきたいと思います。
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| ○ | 42ページですが、「 グローバル化、情報化」というのがあります。その下に「教育の国際化の推進」とあります。この中間報告を見ますと、「グローバル化」という言葉が、21ページ、22ページ、40ページと出てきます。「グローバル化の進展」と文の初めであったり、文の中身であったりするのですが、それはスラッと読めるのですが、「グローバル化」と「国際化」というのが近づいて出てくると、両方の意味は私は違うと思いますが、ここでは「グローバル化が進展する中で、教育の国際化は」と、厳密に区別されているのだろうと思います。そこまで読み取る人と読み取らない人と同じだと思う人と、何となく言葉が違うと意味が違うかなと思う人と、国民は様々だと思います。「グローバル化」というのは、「世界標準化」とか、「均一化」とか、いろいろな訳がありますけれども、「国際化」というのは国際的な違いを認識して、その国が独自の道を歩くというのが「国際化」なので、そういったことの言葉の区別といいますか、違いをはっきりさせたほうがいいのではないか。前にも申し上げたのですが、そこのところがちょっと気になりますので、申しました。
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| ○ | 30ページの「第3章」の始まりに、「教育振興基本計画の在り方について」、その必要性が縷々書いてございます。これは結局、教育基本法に示されている事柄を実現していくための計画なのだと思うわけです。 そうしましたときに、まず人は両親から生まれてくるわけでございまして、45ページに「家庭の教育力」等々について書いてあるのですけれども、これを読みますと、先ほど会長がおっしゃいましたように、34ページ、35ページは、例えばということで出てきているわけですから、あまりこれが唐突にここへ出てくることは、誤解を招くということは私も本当にそう思います。 その次の36ページ、「国民から信頼される学校教育の確立」というところから始まるわけですが、教育そのものは、まず両親から子どもが生まれてきまして、家庭教育のところに「家庭はすべての教育の原点である」と書いてあるとおり、学校教育がどんなに重要でありましても、原点になることはできないのですよ。まず家庭、両親が主体なのですね。成長すれば、子どもが主体なのだと思います。そういう意味での考え方が、教育基本法に述べられている事柄を実現していくためには、国民一人一人なのだと思うのです。それを学校教育というような部分からだけ迫っていくと、本当に教育って学校教育から始まるんですか、という疑問が出てくるのです。 今現在の教育基本法に述べられている事柄がなかなか実現しないのは、もちろんいろいろな要素があると思いますが、例えば受験競争が激しくて、試験をクリアするだけの勉強―そういうことはないと思いますけれども、何とか試験をクリアしたくて勉強したり、努力したりしているということがとても強いと思うのですが、人間が生きていくとき、試験をクリアするために学んでいるわけではない。もちろんそれもありますけれども、もっと根本を考えてみる必要があるのではないかと思うのです。ですから、受験競争の激しさを打開していくのにはどうしたらいいかということは切実な問題だと思うのです。 先ほどおっしゃった、教育は両親、父親、母親が行っていくのだけれども、父親だって自分の子どもは愛しいですし、健やかに成長させたいと願っていますが、家庭の糧を得るために仕事をしなければいけません。そういうわけであって、昔のように第一次産業で仕事をしながら子どもにいろいろな人生を語っていくという場合は少ないのではないでしょうか。やはり父親が戻っていかないと、中学校から高等学校に向けて、本当に男の子が自立していくときに、しっかり自立していけていない状況を強く感じるのです。そういう意味からしても、父親が我が子の教育をしっかりするということは、ひいては国のため、世界のためになるわけですから、そういう視点がまず出てこないと、振興を幾ら書いていっても実現していかないので。そこの主体がまず家庭であって、それを自分が全部担うわけにはいかない、公教育にゆだねなければいけない部分があるわけですから、ぜひその辺の流れがわかるようにしていくことが大切ではないかと思っています。
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| ○ | 鳥居会長 具体的には、36ページの「 」の「一人一人の個性に応じて」云々というそのもう一つ前が必要だとおっしゃっているのでしょうか。
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| ○ | はい。教育の主体ということは、どこが主体なのだといったら、やはりまず産んだ両親なのですね。でも、両親がすべてやるわけではないわけですから。教育の主体がきちんと国民にわかることが……。
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| ○ | 鳥居会長 委員は既に言及されましたけれども、45ページの「(3)」の「(i)」に書いてある話、「家庭はすべての教育の原点であり」というものが、一つの脈絡となって最初に概観できるようにしておくことも必要なのかもしれないと、こうおっしゃっているわけですね。
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| ○ | 私はそう思っているのです。
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| ○ | 鳥居会長 ちょっと検討させてください。
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| ○ | 一人の人間が成長すれば、今度は自分が主体だと思うのです。
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| ○ | 鳥居会長 コンセプトとして、この書き方の中で、個としての自立とか、社会に入っていくための準備とかいうものの重要性を、この報告書自体が相当重視していることを謳っておかないと、今おっしゃっていることができないので、そこのところはかなり大手術しないとこの文章は直らないのですね。ですから、中間報告でやるか、中間報告以後の修文でやるか、そこも含めて検討させてください。
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| ○ | ちょっと前に戻って恐縮なのですけれども、先ほど基本理念のところでの徳目の議論がありましたが、以前あった文言が、今回の総会の資料でポコッと抜けているのです。基本問題部会で、現行の基本法の審議のときに、「教育の目的にすべての徳目を掲げるのは適当ではなく、従来、我が国の教育の比較的欠点と言われていたところや、現在においても欠点と考えるところを特に強調し、それ以外は人格の完成に包含させるとの説明が行われている」という注釈がついていたのです。今回、抜けているわけです。 私の理解では、新たに今足りないものは何かというときに、ここのところの当時の考え方がやはり今も踏襲されるべきであろう。現在あるいはこれから先、何が今足りないのかという視点から、幾つかの徳目が出てきたように私は記憶しているのです。ところが、今日の資料にはそこが抜けているわけです。確かにそれは注釈であり、説明でありますから、あるいは解説でありますから、要らないといえば要らないのですけれども、取ったがために、先ほど委員が言われたような、部会では出なかった議論が総会で出てくるということにつながるのではないかと思いますので、どうやるかは別として、ここを何か生かす工夫が必要なのではないかと思いますので、御検討いただければと思います。
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| ○ | 先ほども御意見がございましたが、全体のトーンが21世紀を切り拓くたくましい人間像になっておりまして、国民から信頼される学校教育の確立も、そういった人間をつくるところに焦点が合っているわけでございまして、別にそれに反対するわけではございませんが、25ページの学校の役割というところでも、学校の役割としては「知・徳・体を教授する場であることを明確に規定する」とございます。これはこれで結構なのですが、これはどちらかといえば伝統的な学校観でございまして、これが悪いというわけではないのですけれども、今日の状況からいって、これだけで十分かどうかということでございます。 現状から申しますと、「子どもたちが共同生活を体験する場」というようなことをつけ加える必要があるのではなかろうかと思います。それは趣味とか、遊びとか、あるいは友達との交流、あるいは単なる安心できる居場所というような、そういう生活の場としての学校という機能が現実に拡大しつつあるわけでございます。これは理想ではないと言えば言えるのでしょうけれども、現実にこれが次第に大きな比重を占めてきており、また、政策的にもこれを容認するような方向にきていると思います。ならば、学校の役割としてこれを規定したらどうか。 教育振興基本計画におきましても、教えの場や学びの場だけでなくて、生活の場とか、遊びの場のような学校を整備していくことを検討してみたらどうかと考えて、御参考までに。
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| ○ | 鳥居会長 ありがとうございました。 その点については、過去3回ぐらいの基本問題部会で、学校の役割についていろいろな御意見が出まして、わかったことは、切り口はいっぱいあるということなのです。そのうち、ここでは例えば知・徳・体という切り口で書きましたけれども、過去の記録をたどってみますと、ほかの切り口もあります。私が言った切り口で言うと、学校の役割は訓育と才能の開発と学習の支援、自己の自立の支援、そして社会に入っていくことの支援と言いましたが、いろいろなことを皆さんがおっしゃったわけです。それらを総合的にもう1回洗い直して、委員の御指摘のことを考えたいと思います。 それから、先程の委員の御指摘の点ですが、20ページに書いてあるのとの関係を、真ん中に「本審議会におけるこれまでの議論においては、現行法に掲げられている基本理念に加えて」、「(i)」から「(vii)」に掲げられたことがつけ加えられることが重要と出てきましたが、これが先ほどおっしゃった、外れてしまった脚注とどういう関係にあるかという問題だと思うのです。
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| ○ | この部分は前から基本問題部会でもあるわけですね。ありますけれども、いわばここを解説する形で脚注みたいなのが入っていたと思うのです。そうすると、非常にわかりいいのです。いろいろな徳目のある中で、まさにここに書いてあるように、全部書くのではなくて、何を書くのか。それはもう少し国民の議論なども伺ってやりましょうと書いてあるわけで、それは基本法制定時にも、徳目はいろいろなものがあります、しかし今必要なのは何か、それを書きましょう、それ以外は人格の完成ということで包括していますと、こういう国会答弁をしているわけです。その考え方が今日でもやはり引き継がれて議論があったと思いますので、そこのところがないと、ここのところの意味合いが十分理解できないのではないだろうか。だから、脚注というのが問題があるなら、その種の事柄を中に書き込む工夫をしたらどうだろうかと、こういう意味でございます。
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| ○ | 鳥居会長 ありがとうございました。非常にすっきりとわかったと思います。
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| ○ | 今の教育基本法の中で弱いのは、職業教育ではないかと思うのです。「勤労と責任を重んじ」とは書いているのですけれども、職業教育についてあまり書いていない。今回のリポートも、22ページのところにちょっと書いてあって、しかし教育振興基本計画の中にはあまりないのです。 22ページの分析なのですけれども、今、就業構造が変化してきまして、今までは学歴を取得して、2年か3年ごとに異動するいわゆる総合職的なものがあるべきエリート像といいますかね。だけれども、今は変化しまして、また、高齢化社会でもあり、一生を通じて定年のない自己実現もできるような、従事できる専門的職業が重視されてきているのではないかと思います。その辺、総合専門職の重視みたいな視点で、そういう分析が22ページのところは弱いかなという感じがいたします。 振興基本計画のほうも、これは他省庁も絡みますのでなんですけれども、ドイツなんかと比べますと、職業教育が日本ではよくわかりにくいところがありまして、もっと商工会議所が出たほうがいいのではないかと思うときもあるのですが、そこをもう少しきちんと……。他省庁の提案も含めて政策的には出てくるようで、経済産業省とか、厚生労働省とか、いろいろあるのでしょうけれども、教育だけやったって、それを社会に貢献できなければ全く21世紀は開かれないわけですから、そこのところをもう少し書いたらどうか。単に職業観だけがポイントで書いてあるような気がします。
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| ○ | 鳥居会長 この問題は、結構奥の深い問題だと思うのです。イギリスの1988年教育法とか、皆さんにお配りしたジョスパン法を見ますと、学校の当然の責務が書いてありまして、知識を教えることと、学習の仕方を教えることと、それから自分の一生にわたる職業のパスについて、計画を立てたりあるいはそれを実現していくのを支援することという大体3本立てになっているのです。ところが、日本の今までの感覚では、その3番目は、ほとんど感覚としてはないというのか、入っていないのです。それが初めて22ページに入ったことは入ったのです。ただ、おっしゃるような趣旨で入ったかと言われると違うし、フランス法的な発想とも違うし、イギリス法的な発想とも違う。違って当たり前だと思うのですけれどもね。イギリスやフランスと日本は事情が違いますから、違うのは当たり前だと思いますが、その辺をもう1回検討させていただきます。
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| ○ | 33ページですが、国の教育投資の充実について書いてあるのですけれども、新しい未来への先行投資だけではなくて、先ほどから議論がありましたように、国の義務教育に対する責務を果たすと同時に、先行投資というような形でそこで補強いただいたらどうだろうかと思います。 それから、先ほども議論になりました39ページの私学のところです。これは初等中等教育について書いてあるのですが、今、私学教育の大きなウエートはやはり高等教育です。ですから、高等教育にもきちんと触れて、国が私学に対してどういう考え方を持つべきかということについても触れていただければありがたいと思います。
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| ○ | 皆さんの御発言の中で気がついたところを幾つかアトランダムで、ごく手短に申し上げます。 最初の委員がおっしゃった異文化を理解し尊重するといいながら、理解が抜けているではないかと。これは非常に重要なポイントだと思います。理解しないで尊重すると、何でも外国はいいよという話になってしまうのです。割に日本人はそういう人が多いわけでございまいて、理解し尊重するという、理解は絶対やらなければいけないのだろうと思っております。 それから、男女共同参画社会の話が随分出ましたが、やはり重要な問題なので、まとめて入るということは鳥居会長が言われたとおりであって、前文とか、基本理念とか、そういうところにまとめて入れるほうがインパクトがあるのではないかという感じがいたします。 同じことは、権利と義務、それから私も以前から何回か申し上げているのですけれども、あと平和の問題ですね。滅私奉公云々という話がありましたが、権利と義務の関係がきちんとどこかで謳われていれば、改めて滅私奉公ではないということを言う必要はなくなってくるのだろうと思います。 それから、世界の平和に貢献するというのは重要なことでございますが、その場合に一国平和主義になってはいけないという、きちんとした考え方を、男女共同参画社会の重要性などと一緒に最も基本的なところに入れるべきではないかという感じがいたします。 それから、さっき委員がおっしゃった「他国の主権」というものですね。これも誤解を生むことになるので、「主権」という言葉はよほど慎重に扱われたほうがいいだろうと感じます。
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| ○ | 先ほどのお話は大変重要だと思います。3年前にものづくり基本法というのができましたけれども、そのように他省庁関係で、大事な職業とか、教育の進路とか、その辺にかかわるものがありますので、そこに敷衍するようなきっかけを、ぜひここを入れていただきたい。くどいようですが、先程の委員の関連でも私はそのように思いましたので、よろしくお願いします。
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| ○ | 鳥居会長 ありがとうございました。 今日は、副大臣にもおいでいただいておりますので、副大臣から一言。
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| ○ | 河村副大臣 長時間にわたりまして熱心な御議論をいただいてありがとうございました。 一歩外へ出ますと、拉致のことか、あるいは不良債権のことかという状況下にありますけれども、実際は最後に返ってくる改革は教育改革だと私は思っておりまして、この会場でそうした熱心な議論があったことを大変うれしく思うと同時に、これを今からどのような形で、まさに国家百年の大計と言われて久しい教育改革でございますが、最終的にいかに取りまとめていくか。そして、最終的には教育基本法の見直し、そして教育振興基本計画も最終的には内閣が責任を持ってということになっていくわけでございます。まさに最終的には国を挙げて取り組む課題になっていくわけでございます。さらにまだいろいろな議論をしていただくわけでございますが、どうぞひとつよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。
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| ○ | 鳥居会長 どうもありがとうございました。 それでは、最後に、11月14日の総会で、中間報告案を最終案としてお諮りして、もしそこで合意ができれば、中間報告を提出することにしたいと思っています。 今日は、本当にたくさんの貴重な御意見をいただきました。非常に重要な、そして建設的な御意見をいただいたと思いますので、これをできるだけ取り入れるという作業がまず必要になります。その上で、御意見を賜りました委員の皆様にそれをフィードバックして、こういう形で修文しますということを申し上げる必要があれば申し上げる。細かいところはお任せいただくことにしたいと思います。 そういうことで、最終的な中間報告案の取りまとめを会長に御一任いただくということを御承認いただけますでしょうか。
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| ○ | 鳥居会長 ありがとうございます。 それでは、木村副会長、茂木副会長とも御相談しながら中間報告案を取りまとめます。御欠席の委員には書面で御意見の提出を求めたいと思います。それで今申し上げました必要な修正をいたします。 なお、中間報告を提出しました後で、公聴会を開くということを既に公表もしておりますし、この中教審でも何遍か皆様に申し上げてきております。ただ、今までに申し上げましたのは、東京と京都と福岡の3会場を予定していたのですが、これに加えまして、福島と秋田の2会場を追加させていただくことにいたしました。したがって、5会場。もっとやれという御意見もあるみたいですけれども、どう考えてもスケジュール的に無理なので、そのほかはまた別の形で御意見をいただきたい。 それとは別にヒアリングは基本問題部会でやるのでしたか。
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| ○ | 事務局 はい。基本問題部会で実施しますが、総会の委員の先生にもできるだけ御出席をいただきたいと思います。
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| ○ | 鳥居会長 場としては基本問題部会を舞台として、碩学泰斗の先生方やいろいろな分野の意見をお持ちの方々からのヒアリングを行いたいと思っています。ただし、これは基本問題部会ではありますけれども、中央教育審議会のできるだけ多くの委員の皆様に御一緒していただいて聞いていただいたほうがいいと思いますので、御案内はいたしますので、できるだけおいでを賜れば幸いでございます。 それでは、最後に事務局から今後の日程の説明をいただいて終わります。よろしくお願いします。
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| ○ | 事務局 資料4に、次回総会は11月14日、木曜日、午後2時からの予定をさせていただいておりますので、よろしくお願いいたします。
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| ○ | 鳥居会長 どうもありがとうございました。 |