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中央教育審議会(第13回) 議事録

1   日   時
  平成14年1月22日(火)   10:00~13:00

2   場   所
  グランドアーク半蔵門「富士の間(東)」(4F)

3   議   題
  (1)新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方に関する自由討議
(2)基本問題部会の設置について

4   配付資料
資料1   教育基本法
資料2   教育基本法の制定に関する資料
資料3   各国における「教育基本法」に相当する法律について
資料4   基本問題部会の設置について(案)
資料5   今後の日程(案)
参考1   教育財政に関する資料
参考2   諮問関連の主な新聞記事(略)


   
   出席者
委   員: 鳥居会長、木村副会長、茂木副会長、浅見委員、荒木委員、今井委員、内永委員、江上委員、梶田委員、國分委員、佐藤委員、髙木委員、髙倉委員、田村委員、寺島委員、永井委員、中嶋委員、中村委員、森委員、山本委員、横山(英)委員、横山(洋)委員、吉川委員
事務局: 青山副大臣、池坊大臣政務官、小野事務次官、御手洗文部科学審議官、結城官房長、近藤生涯学習政策局長、矢野初等中等教育局長、工藤高等教育局長、遠藤スポーツ・青少年局長、寺脇生涯学習政策局審議官、玉井初等中等教育局審議官、加茂川初等中等教育局審議官、名取主任社会教育官、山中生涯学習政策局政策課長その他関係官
         

6  議  事

鳥居会長  ただいまから中央教育審議会の第13回総会を開催させていただきます。
  去年の11月に文部科学大臣から諮問をいただきましたが、諮問は「教育振興基本計画の策定」と「新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方」について検討するということでございました。あのときにも、両方をあまり順番をつけないでやっていく、両方並行してやっていく。できれば最初にまず教育振興基本計画について少し審議をしてみたいということを申し上げましたが、少し教育基本法のほうについてフリートーキングをしてはどうかということもございまして、本日は教育基本法の在り方について、フリートーキングをさせていただくという総会にしたいと思っております。よろしくお願いいたします。
  それでは、早速ですが、議事に入らせていただきます。
  初めに、事務局から関係資料の説明をお願いしたいと思います。

事務局  それでは、関係資料に基づきまして、教育基本法に関して御説明申し上げたいと思います。
  委員の皆様方には、資料1、2、3に関しましては、あらかじめ送付させていただいておりますので、御覧いただいているところかと思いますので、簡単に御説明させていただきたいと思います。
  資料1でございますけれども、これは教育基本法本文そのものと、それから憲法のそれに関する条文でございます。
  資料2でございますが、主にこれに基づきまして御説明申し上げさせていただきたいと思います。
  資料2の1ページ目でございますけれども、教育基本法の制定の経緯に関します流れを簡単に御説明したものでございます。これは第1回目のときにお出ししたのと同じ資料でございますが、終戦になりまして以降、昭和22年3月に教育基本法が公布されるまでの流れでございます。当初、「新日本建設ノ教育ノ方針」というものを政府として昭和20年9月に出したわけでございますが、21年3月には米国教育使節団が来日、報告書を提出しましたが、その中には教育基本法のようなことは触れられていなかったわけでございます。それが昭和21年6月ごろ、帝国憲法の改正案が議会で審議されているという中から、教育基本法のようなものの制定を考えている旨が、当時、田中文部大臣からございまして、その流れに沿いまして、昭和21年8月以降、教育刷新委員会で教育基本法の検討が進められ、昭和22年3月に教育基本法の閣議決定が行われ、それに基づきまして22年3月に可決、成立したという流れでございます。
  次の2ページ目でございますけれども、教育刷新委員会のほうで教育基本法の制定に関しまして建議を行ったわけでございますが、どういう建議が行われたかというものが、2ページに示されているものでございます。ここにございますように、教育刷新委員会といたしましては、教育基本法の「二」にありますような基本理念でございますとか、あるいは前文に次のようなことを書くという「三」の事項ですとか、「四」といたしまして、教育基本法の各条項には次のような事項を取り入れる必要があるということで、教育の機会均等でございますとか、義務教育、女子教育等々の基本的な事項、原則を明示することが示されたわけでございます。
  教育刷新委員会の建議自体は、このような大枠を示したものでございましたが、次の3ページから4ページでございますが、これは教育刷新委員会の特別委員会のほうで作成された「教育基本法案要綱案」というものでございまして、これが参考案という形で、総会のほうに参考添付されているということになっております。
  上のほうは、教育刷新委員会の第一特別委員会が作成した案として添付されたものでございまして、下は政府が帝国議会のほうに「教育基本法案」として提出したものでございます。
  例えば、3ページ目でございますと、前文の一番初めの反省をしている部分がございますが、この部分がなくなったり、あるいは前文の第2パラグラフで「伝統の尊重」というのが途中にございますが、そういうものがなくなったり、あるいは次の「一」として「教育の目的」がございますが、「人間性の開発」となっていましたものが「人格の完成」となる。あるいは、「四」で「女子教育」となっておりましたが、これが「男女共学」と変わる。
  次の4ページ目にまいりまして、「七」の「宗教教育」で、「宗教的情操のかん養」とございましたが、これが「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位」というような表現に変わっております。
  あるいは、「十」の「教育の自主性」という部分が、「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべき」という表現に変わっております。幾つか主なところを横に棒線を引きましてあらわしてございます。
  こういう形で刷新委員会の建議を受けまして、政府として提案された教育基本法の法案でございますが、議会においてどういう形で議論が行われたかにつきまして、全部御紹介申し上げますと、大部でございますので、5ページ以下で、ここでは各条文に関しまして政府のほうでどんな答弁が行われたか、そこを中心に簡単にまとめたものでございます。
  「第一条」は、「教育の目的」でございますので、ここで教育の基礎としてどのような人間観によっているのかという質問があったわけでございますが、一つは個人の尊重を重んじるということ、あるいは個人の価値を尊ぶということ、人間というものの尊重ということと、「第三に」ということで、「国家及び社会の成員であり、形成者でなければならない」ということ、こういう三つの面をうたっております。
  さらに、「真、善、美などの絶対価値の実現を追求するもの」として、教育は人格の完成を目指すという点が言われております。
  次の2段目ですが、教育の理念を法律の形で規定することの意味は何かという質問もございましたけれども、高橋国務大臣答弁がございます。その時代において「法律の形を以て教育の本来の目的」を規定することは極めて重要なことという答弁が行われております。
  また、理念の中で、よき日本人の育成、あるいは祖国観念の涵養といった観点がこの教育基本法の法案には欠けているのではないかという議論もあったわけでございますが、高橋国務大臣答弁にございますように、普遍的なるものと日本的なもの、特殊的なものといいますか、そういう個性ある文化も求めて進んでいかなければならないという精神に基づいているものだということ。あるいは、この基本法の中では、従来、日本の欠陥と言われたところ、あるいは現状においても欠陥と考えられるようなもの、そこを特に強調したということを言っておりまして、「勤労と責任を重んずる」、あるいは「自主的精神に充ちた」云々というところに、そういうところがあらわれているということ。
  6ページでございますが、一番上でございますが、あらゆる徳目を書くことは必ずしも適当ではないということで、その当時、重要である、欠けていると思われた点を強調したのだという説明がなされております。
  その次にも同じような質問がございます。勤労と責任を重んじとか、あるいは国家・社会の構成者という形で、国民の養成という観念が書かれているという説明がございます。
  「第二条」につきまして、これは「教育の方針」が書いてありまして、よくこの条文は意味がわからないというような質問があったわけでございますけれども、この「第二条」の「教育の方針」というのは、「第一条」に掲げてある「教育の目的」を達成するために、教育を行う者がこういうふうにやらなければならないという心構えを後段で記しているというようなことが答弁されております。
  次に、「第三条」は「教育の機会均等」について述べられておりますけれども、この点につきましては、第1項で、教育の機会均等の本質ということを述べまして、第2項でそれを実現するための奨学の方法等、特に義務教育におきまして、当時でございますので、修学の奨励という方向で教育の機会均等を実施し、義務教育以降につきましては、これは育英事業の拡充によって対応するのだという考えが述べられております。
  「第四条」でございますけれども、教育基本法の「第四条」では、資料1と対照していただきますと、「第四条」では「国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。」ということになっているわけでございますけれども、憲法二十六条を受けて、国民の立場から書いた。国民の立場から権利があると同時に、9年間の普通教育を受けさせる、あるいは受ける義務を負うということにしたものということで、第2項で授業料を徴収しないとなっておりますけれども、これは憲法二十六条二項の「義務教育は、これを無償とする。」という内容につきまして、ほかの国の法令等、あるいは我が国の財政状況等を考慮して、授業料を徴収しないということが、憲法の「無償」の具体的な内容としたということが明らかにされております。
  また、義務教育の年限の問題でございますけれども、これにつきましては、義務教育は9年ということで決めておりますが、刷新委員会にも議論があったところですけれども、今の財政状況等からしても9年ということにしたという旨が述べられております。
  その下は、私立学校で授業料を徴収することの是非でございますけれども、これは自分のほうで私学に入るという選択をした場合には、私学に授業料を支払って差し支えないという考え方を示しております。
  次に、「第五条」は、「男女共学」についてでございますけれども、これにつきましては、下のほうにございますが、今後、一層民主的な国家を建設していくという面から、共学というような方法で教育が行われるのが最もふさわしいという考えを示しております。
  続きまして、8ページでございますけれども、これは学校教育の意義につきまして、「第六条」で、「学校は、公の性質をもつものであって」という条文でございますけれども、これに関しまして、学校教育というのは本来国家がやるべきものなのかという議論があったわけでございますが、この内容については、教育自体は公の性質を有するということですけれども、学校を経営する主体については、国あるいは地方公共団体、あるいは法律に定める法人が経営するという考えで、当然、私学も予定しているのだということを答弁しております。
  それから、「第六条第二項」の「教員」についてでございますけれども、これにつきましても、教育者として自己の使命、あるいは自覚をして、職務の遂行に努めなければならないということを、「第六条第二項」の前段で述べておりまして、そのために、教員の身分が尊重されなければならないということを、国なり地方公共団体、教育行政に当たるべき者の考え方を後段で示したのだという考えが述べられております。
  また、「第七条」につきまして、ここでは社会教育について述べられているわけですけれども、家庭教育は奨励されなければならないということになっておりますが、家庭教育に国が立ち入るのかというような質問がございましたけれども、今まで日本で欠けていた社会教育についてもっと奨励しようという、そういう趣旨であるという答弁が行われております。
  9ページにまいりまして、これは政治教育、「第八条」、それから宗教教育、教育行政等に関する条文のくだりでございますけれども、「第八条」の「政治教育」につきましては、一般的な政治的教養は尊重しなければならないけれども、特定の政党を支持し、あるいは反対するような政治的教育、あるいは政治的活動を学校として行ってはならないという点が述べられております。
  また、「宗教教育」の「第九条」に関しましては、辻田政府委員答弁の後半のほうにございますけれども、宗教の寛容の態度につきましては、宗教に対する寛容の態度のほかに、無宗教、あるいは反宗教、いろいろな立場に対する寛容の態度もここに包含されているというようなこと、あるいは宗教の社会生活における地位については、宗教がこれまで社会生活において重要な役割を担ってきたようなこと、そういうものを教えることを説明したということでございます。
  また、最後の「第十条」でございますけれども、不当な支配とはどういうことかということでございますが、下のほうにございますけれども、単なる官僚とか、あるいは一部の政党のみでなく、一般的に不当な支配に教育が服してはならないという精神をあらわしたものだという答弁が行われております。
  各条文について、いろいろな議論の概要でございますけれども、このようなそれぞれの条文につきましての議論を経まして、教育基本法が成立したわけでございまして、最後の10ページに「教育基本法制定の要旨」というものがついておりますが、これが公布された際に、高橋文部大臣のほうからこの要旨とあわせて、教育基本法が公布されたということでございます。
  資料3でございますけれども、諸外国では教育基本法がどんな状況になっているのかということにつきまして、幾つかの国について簡単にまとめたものでございます。
  アメリカは、連邦国家ということでございますので、教育の仕事は州の仕事になっておりまして、そういう意味からも連邦レベルでの教育基本法に相当するものがないという状況になっております。
  イギリスにおいても、教育基本法という枠組みはございません。
  フランスでございますけれども、フランスにおきましては、教育基本法は何度か制定されておりまして、現在通用しておりますのは1989年の教育基本法、通称「ジョスパン法」と言われる、当時のジョスパン文部大臣―今は首相ですけれども―の時代につくられた法律でございます。ここでは教育基本法の主な内容といたしまして、教育の水準向上のための目標ですとか、ここに掲げてありますような事項が書かれております。詳しい内容は、後ろのほうに「フランス」という小見出しをつけておりますが、そこを見ていただきますと、全文が載っております。
  ドイツでございますけれども、ドイツも連邦国家でございまして、特に教育に関する事項は州の専管事項ということで、連邦レベルの法律はございません。高等教育については、基本的な方向について連邦政府が定めることになっております。
  中華人民共和国では、「教育法」が制定されまして、社会主義建設理論の指導でございますとか、そこに掲げてありますような内容の教育法が制定されております。これも全文を後ろほうにつけております。
  また、大韓民国におきましても、「教育法」が制定されております。最近の改正で、1997年に「教育基本法」という形で新たに制定されまして、ここにありますような教育の理念以下の事項が規定されているという状況になっております。韓国につきましても、後ろのほうに参考資料としてつけております。
  ロシアにつきましても、そういう法律があるという状況でございます。
  このように、世界各国、それぞれ歴史的な背景、あるいは連邦制をとっているというような国家の制度とか、そういうものによりまして区々でございますが、教育基本法を規定している国もあるという状況でございます。
  以上でございます。

鳥居会長  ただいま、資料1と2と3について、事務局から説明をしていただきました。資料1については、御覧いただきますと、すぐわかりますように、最初の3行に、一般の国民の方はえっと思うようなことが書いてあります。「朕は、枢密顧問の諮詢を経て、帝国議会の協賛を経た教育基本法を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」。これは戦争が終わって、2年たっているのに、なぜだということで、我々もびっくりしたのですが、資料2で説明してもらいましたような経緯で、昭和22年5月3日の憲法発布まではこういう扱いになっていた。まだそこまでは帝国議会だった。したがって、枢密顧問の諮詢を経なければならなかった。それから、天皇は御自分を朕と呼んでいたという時代であったことがわかるわけでございます。
  その次の「われらは」というところも、1行目の下のほうに「さきに、日本国憲法を確定し」となっていますけれども、「確定」というのは、まだ憲法を発布していませんので、原案だけはつくったよ、これから後で発布するよという意味だと考えられるわけです。
  このようなわけで、最初の部分を読んだだけでも、歴史的な経緯をいつまでも引きずっているというのは、どんなもんかなというふうな感じを持つ方もおられると思います。私自身、そんなふうに思ったわけでございます。
  そのようなわけで、資料1を受けまして、いろいろなことを調査していただいたというわけでございます。
  それから、各国の教育基本法の経緯につきましても調べていただきましたけれども、あえてここでは我が国の歴史については、これ以上触れないことにいたしましたけれども、考えてみますと、国の経済発展の段階、社会発展の段階に応じて、後進国時代には後進国時代の一種の基本方針のようなものが必要になる。それがあるときは聖徳太子の十七条憲法であり、あるときは明治22年の教育勅語でありというふうにして、国民に訴えるべきことを訴えるということであったということがわかるように思います。それぞれの国の発展段階に応じて、また、その国の形といいますか、成立の経緯によって、もともと教育基本法的なものがない国もあれば、ある国もあるというのが、資料3の、例えばフランスのジョスパン法とか、あるいはドイツの州ごとの教育法でありますとか、あるいは韓国の教育法でありますとか、そういうものに見てとれるように思うわけでございます。
  もう一つは、これらの資料を見てみますと、教育法、あるいは教育基本法と我々が一般に呼んでいるものには二つの側面がございまして、一つは、理念法的な部分、教育の理念について、あるいは教育のシステムについての理念を述べている部分と、それから教育の制度について基本的なことを定めている部分とに分けられると思います。その理念法的な性格の非常に強かった代表的なものが、例えば教育勅語であったと思うのですけれども、今後、私たちが日本の新しい時代の教育の在り方を定める基本法として考えていく上で、理念の部分をどのようにうたうか、そして、それを法律の上でどういう位置づけにするかということと、それから教育の仕組みについてきちんと定めておくべきことをどのように定めるかという部分とを、どう仕分けしていくかもぜひ御審議をいただきたいと思うわけでございます。
  以上、まだ私たちも事務局のいろいろな御努力をいただきまして、資料は山ほど用意しているのですが、未消化の部分については今日お配りしきれないのですが、主として今は、教育基本法の制定過程のところに調査を集中してもらっていますので、そのあたりについては御質問があれば、事務局や皆さんからお答えをいただけると思います。
  途中で文部大臣がかわっていまして、最初、田中耕太郎文部大臣だったのですが、途中から高橋誠一郎さんにかわりまして、その辺のところも交代過程でいろいろなことがあったように思います。そのようなことも含めて、まず御質問もどんどん出していただきたいし、いきなり御意見でも結構でございますので、お出しいただきたいと思います。
  それでは、あとはしばらくの間、フリートーキングということにしたいと思いますが、よろしくお願いいたします。

  今、会長から資料についてのコメントをいただいたので、大変ありがたいのですけれども、資料についての若干の質問と要望を最初に申し上げたいと思います。
  特に、会長も指摘されたように、今回は制定過程を中心に、資料2の基本法制定の経緯という中で、ここには触れられていませんけれども、一つは、1ページの真ん中の「○ですが、教育刷新委員会が設置されて、刷新委員会で教育の根本法のごときものの制定をするという田中耕太郎大臣の意を受けて、教育基本法についての調査審議が始められます。刷新委員会といってもメンバーがたくさんいらっしゃるんで、その中の第一特別委員会というのが、実質的な審議をされている。羽渓了諦さんという龍谷大学の学長が主査をされている。私も全部は目を通しきれていないのですけれども、13回ぐらい開かれているのです。
  今、教育学の専門の方々の中で議論になっていると私も聞いているのは、ここにもちょっと出ていましたけれども、刷新委員会の総会に第一特別委員会の羽渓主査から報告があった基本法の要綱といいますか、基本法の要綱案が当時、文部省の審議室辻田力さんから提案された際には、この「伝統」というのがなかったと。羽渓さんが、務台理作委員が退席されたときに、急遽この項目を入れられた、いや、そうでないとかあるとか、あるいは要綱案から政府案に決定する過程でGHQの指導があったのではないか、いや、なかったんだとかということで、かなり論争がある。私も全部の文献を読むだけのまだ時間的ゆとりがありませんが、ただ、この「伝統」とか、「文化」とかというのは、GHQの指示でそうなったのかどうかということをめぐって、かなりの議論が教育学者の専門的な方々の中である。
  その辺のところの経緯と、それから戦前、戦中の教育勅語体制と言われるものと、戦後の教育基本法体制ということ、つまり教育勅語を、基本法をつくったときにどうするかという議論は、刷新委員会の中でもかなり深刻な議論があったようなのです。ところが、教育勅語について、その後、衆議院と参議院で失効、無効確認とかという手続をやっていますが、その辺の経緯について、資料には全く触れられていません。これから議論していく際に、制定時どういう考え方でなされたかということを知る上では、評価の仕方があるいは分かれるかもしれませんけれども、一応そこのところはきっちり議論しておかないといけないのではないかということで、その辺の資料を次回にでも出していただけるか、事務局がコメントできるのであればコメントいただきたいと思う。
  それから、帝国議会における条文に関する答弁というのは、私も全部読み切れていませんけれども、幾つかの質問を私も読みましたけれども、資料ではかなり要約してあるのですね。出典が何なのか、誰の責任でこういうふうにまとめられたのか、教育改革官室の責任でまとめられたのか、政策課の責任でまとめられたのか、これは取りようによってかなり変わってくる。長いやりとりの中を、例えば、「教育の基礎として如何なる人間観に拠っているのか」、こういう質問は会議録には見てもないのです。要約の仕方によっては、読み取り方が異なってくる場合がありますから、中央教育審議会で配られ、中教審として確認された文書であるというふうに他に広まることについて、相当配慮しなければなりません。そういう意味で、出典とか、誰の責任でまとめたものかということは、資料を出すときにはやっぱりきちっとしてもらいたいということを、申し上げておきたいと思います。
  外国のものについては、私もさっと見ましたけれども、それぞれ各国の歴史が違いますから、一概にどういう方式がいいということではなくて、基本的に参考にするとすれば、私は韓国の一番新しい法律は隣国でもありますし、考え方なんかもかなり共通している部分もあると思います。ジョスパン法とか、中華人民共和国とか、全く体制の違うところのものはあまり参考になりませんが、いろいろ勉強する意味で配られたと思いますから、これは資料として目を通させていただきますけれども、そういう印象を外国のものについては持っているということを申し上げておきます。
  本格的な基本法の議論については、また後の機会に発言させていただきたいと思います。以上です。

事務局  一番最後の帝国議会での議論でございますけれども、これにつきましては、先ほどもちょっと触れましたが、長い審議の状況がございます。ここでまとめましたのは文部科学省として、特に各条文につきまして、その趣旨について、いろいろ質問が議会の中でございまして、それに対して政府側、大臣なり政府委員がこういう趣旨ですということで、少しわかりにくいようなところ、あるいは明らかにしたいというところにつきまして答弁しているもの、そこを中心に、各条文の解釈、内容について説明しているものを中心に編集したというものでございます。
  答えだけを出しましても、ちょっとわかりにくいということがあると考えまして、質問者のほうの質問を、答弁の部分でどこを反映しているかということがわかりやすいように、簡略にポイントをゴチックで記しているということでございます。これは文部科学省のほうで、今回の説明用に編集させていただいたというものでございます。
  それから、そういう形でいろいろなまとめ方、帝国議会での教育基本法についての議論、まとめ方があると思いますが、委員御指摘のとおり、教育勅語の取り扱いについてどうするのかということが、いろいろ議論がございました。教育基本法の議論の中では、政府の答弁は行われておりますけれども、その後で衆議院、参議院になりまして、それぞれ失効決議、無効確認の決議が行われているわけでございます。直接教育基本法の法案自体と結びついておらなかったものですから、教育勅語の取り扱いにつきましては、今回は資料としてはお出ししていないということになっております。教育基本法の議論をしている中で、教育勅語についての関係とか、そういうものについて議論されているということはそのとおりでございます。
  また、教育刷新委員会での案と、それから政府で提出しましたもの、これがどのように違っているかというところを、文部科学省の中に残っている資料、あるいは当時の説明資料で拾ってみますと、上にありますような要綱案というものが刷新委員会の場にも提出されていたようでございまして、それと政府が提出した資料の違いをここで一応お示しした。この違いがどういう経緯でできたか、これは当時の関係者がいろいろおりまして、正式な公開の会議などで行われたというものでもなく、政府、それから刷新委員会、それから当時、GHQがございましたので、この三者の間でいろいろ協議しながら法案が詰められたという経緯があるようでございますけれども、日本側のイニシアチブというのはこの法律に関してはかなり強かったということも言われておりますが、その辺、いろいろな方がいろいろな資料を出されているということであろうかと思っております。
  以上でございます。

  教育基本法制定の経緯については、だいぶいろいろな資料をいただいておりますが、今まで教育基本法の見直しの議論がいろいろあったと思うのですが、その資料も一度全部見せていただくと、非常に勉強になるような気がいたします。特に一昨年の教育改革国民会議の中でいろいろ議論があったというふうに聞いておりますが、そこら辺の議論の推移、これを一遍勉強させていただきたいと思っております。以上です。

鳥居会長  今、委員からお話のあった件は、もちろん次回、ぜひ詳しく資料で見せていただいたほうがよろしいのですが、そうすると、総会としてはだいぶ先になってしまいますので、あらあらのところを、今、事務局から御説明いただくというのはいかがでしょうか。ごく簡単に。

事務局  また、資料につきましては送付させていただくとか、いろいろな形でお送りしたいと思いますけれども、教育基本法が制定されまして、その後幾つか、教育の基本的な理念でございますとか、教育基本法に関しましての検討の動き等がございました。
  まず、昭和24年に吉田茂総理の教育宣言をつくるというふうな構想もございました。教育基本法は法律で、抽象的な規定はあれでいいけれども、具体的にもう少し国民に訴えかけるようなものが何かできないだろうかという、教育宣言のようなものがつくられないかということで、総理の私的な諮問機関を設けて検討しようということもございましたが、その後、中止したということでございます。
  あるいは、昭和26年に、天野貞祐文部大臣が、講和回復後の日本国民が真に独立の精神を持って生きていく目標について、教育基本法でもって足りるとは思わない。何か国民の参考になるような生活の指針、道徳的な基準がつくれないかということで、国民実践要領というものをつくろうという構想を打ち出されたこともございました。これは後に、天野文部大臣が文部大臣をやめられた後に、「国民実践要領」を天野氏の私見という形で公表されているものがございます。
  あるいは、昭和31年、鳩山総理の時代に、臨時教育制度審議会設置法案というものが提出されまして、教育基本法についても検討してはどうかということもございましたが、これは審議未了、廃案ということになっております。
  あるいは、昭和41年に中央教育審議会におきまして、後期中等教育の拡充整備についてという形で、後期中等教育の在り方について議論したわけでございますけれども、その中で、第2部といたしまして、日本人に特に期待されるものということで、別記で、「期待される人間像」というものを中央教育審議会の中で明らかにしまして、「期待される人間像」というものは、教育基本法を日本人の精神的風土に定着させるためのものであるという形で、個人として、家庭人として、社会人として、国民としてという形で、いろいろなことを示したというものがございます。
  最近でございますと、昭和59年に発足いたしました臨時教育審議会、中曽根総理でございますけれども、この臨時教育審議会におきましては、教育基本法の精神にのっとりという形で、教育について全般的な議論を行ったということがございます。この場合は、教育基本法の精神にのっとり、そこについてはそのままで議論していたというところがございます。
  教育改革国民会議が平成12年3月に、当時、小渕総理のいわゆる私的諮問機関として設置されたわけでございますけれども、その中で、教育基本法も含めまして、全般的な議論が行われまして、最終的な報告、平成12年12月の報告、「教育を変える17の提案」の中で、「新しい時代にふさわしい教育基本法を」という提言が行われております。その提案につきましては、お手元のほうのファイルでとじた資料がございますが、昨年の11月26日の第10回総会の資料でございますが、その中の資料4ということで、国民会議報告の2ページ目に、「新しい時代にふさわしい教育基本法を」という提言が最終的にまとめられたという経緯になっております。
  ここでは教育基本法について、第2パラグラフでございますけれども、教育基本法に書かれています個人の尊厳とか、平和の希求というような普遍的な原理、これはこれで大切にしていくということを基本にいたしまして、そういう目でこれからの日本の教育を考えた場合に、新しい時代にふさわしい教育基本法には三つの観点が求められるということを示しております。
  一つは、新しい時代を生きる日本人の育成という観点。
  二つ目は、伝統、文化など次代に継承すべきものを尊重し、発展させるという観点。
  第3番目といたしまして、これからの時代にふさわしい教育を実現するために、理念だけでなく、具体的方策を規定する。
  この三つの観点から今の教育基本法を見直す必要があるのではないかということを提言したところでございます。
  以上、簡単でございますが。

鳥居会長  大変要領よくまとめて説明していただきましてありがとうございました。まだまだ詳しく説明すれば詳しくもできると思いますが、今、事務局が昭和24年から歴年でずっと説明してくださいましたので、大体のことはおわかりいただけたと思います。最後の平成12年の教育改革国民会議の抜粋のところも御参照いただければと思います。

  委員のお話にかかわってなのですが、あの時期、国民会議として議論していたということがございましたが、その議論の特徴というのは、教育計画、いわゆる振興基本計画と基本法の改正というのが、盾の表と裏みたいな議論が一つあったわけです。そこがそれまでの基本法の改正とはちょっと違っていた。そこで、科学技術振興基本計画で科学技術振興基本法を例として研究したりしたという経緯があったわけです。
  もともと委員がおっしゃったように、教育基本法は、教育勅語がなくなってしまって、それに必要なものがあるのだろうということで、これは当時の文部大臣、中途でかわられたのですが、田中耕太郎さんが10年後、ハーグの国際司法裁判所の判事に就任される前に、『教育基本法の理論』という700ページぐらいの莫大な本を出してハーグに行かれるのですが、その本の中にその経緯が最初のほうにはっきり書いてあるのです。教育勅語のかわりだということを。ただ、論文の最後のところになると、10年たったところで見ると、やはり制定当時は国際化というか、そういう意識がほとんどなかったけれども、その部分についてはこれから改正して、検討してもらう必要があるだろうと。国際化というのは、一つの見方をすれば、教育というのは本来ドメスティックなものですけれども、それ以外の要素が国際化の中で入ってくる。入ってくると、その国独自の伝統、文化みたいなものを強調しておかないと、国際化に対応できないというこういう矛盾が出てくるわけです。じゃないと、根っこがない国になってしまいますから。そういう意味で、田中耕太郎さんが指摘している。これは国際化ということを一つ取り上げても、基本法についての性格を1回議論しておく必要があるのではないかということを当時考えました。
  実際10年ほど前に東南アジアのシンガポールに学校をつくった経験があるのですけれども、当時、先ほど会長がおっしゃったように、東南アジアの各国の状況というのは、日本とかなり違っていました。しかし、現在見てみますと、東南アジアの各国はかなり変わっているのです。つまり、教育については開放的になっています。もちろん愛国心というか、民族独立という余波がまだ残っていますから、非常に閉鎖的な部分も残ってはいるんですけれども、開放化の方向でどんどん進んできている。この10年の間に完全に東南アジアに追いつき追い越されつつあるのではないかという気が率直にいたします。学校の国際化という観点で考えた場合ですね。その辺のところをどう考えるかを基本法の中で、教育振興基本計画とのかかわりで検討する重要なテーマではないかという気がしております。
  2点目は、社会の変化です。戦後の50年で非常に豊かになった。豊かになったということは、教育に対するニーズが多様化してくるということですから、多様化している教育のニーズに対して、教育内容の面、制度の面で十分に対応しきれないところが出てきたのではないかという気がします。昨年暮れに出た総合規制改革の答申を見ても、今後は国としては機関補助という形ではなくて、むしろ個人に対して支援するという方向にいくのだということを明言していますけれども、最終的には多様化していくと個人、バウチャーみたいなことになっていってしまうのかなと。そこまでは考えておられないかもしれないですけれども、そのようなことも視野に入れて検討しなければならない、振興計画と基本法の問題があるのだろうという気がしております。
  最後ですけれども、これはまた重要なことで、教育費にかかわる問題が出てくるのだろうと思います。教育費というのは、憲法の89条の問題と26条の無償の問題とのかかわりですけれども、私立学校の扱いをどうするのかというのは、今度は避けて通れないのではないかと考えているのです。これは非常に難しい問題ですから、簡単にはいかないと思いますけれども、教育費とのかかわりでどのように考えていくのか。それぞれの学校の位置づけをどうするのかということは、今回、50年の総決算で検討することができるのかどうかという問題が残っているのかなと思います。
  全部できないと思うのですけれども、幾つかの点はぜひ今回の機会に取り上げて、新しい時代に向けた基本法の改正―基本線は私は今でも正しいと思うのです。前文に書かれている精神は、全く万古不易だろうと思いますが、幾つか項目をつけ加えないと、今の時代に合わなくなってしまうのではないかという気がしてしょうがないのです。これは私の個人的な意見ですけれども、そのように考えているということをちょっと申し上げさせていただきました。

鳥居会長  今、シンガポールの話が出ましたが、先ほど来何人かの方の御発言でも、アメリカにはないのだからもう見なくてもいいと、我々はつい思いがちですが、むしろアメリカは教育基本法的なものがないかわりに、学校の設立形態はかなり自由ですよね。それ自体がアメリカの憲法でなのか、何かの法律で保障されていると思うのです。6歳から9歳まで教える学校を開設する人もいれば、もっと超えて12歳までの学校もあれば、10歳から18歳まで教えるという学校をやる人もいれば、日本流にいえば中学の2年生ぐらいから入学して高校3年までという学校もあれば、高校1年から高校3年までという学校も開設自由であるというか、届出をして認可されれば、認められるわけですね。そういう自由度が保障されているという意味の基本的なポリシーがありますよね。
  そういう観点から言うと、シンガポールというのはどっちを向いているのですか。

  自由主義の国の一部と言っていますけれども、実際国の管理の強いところです。

鳥居会長  強いですよね。

  はい。基本線はしかし、イギリス的な考え方です。

鳥居会長  かつて、あれはどっちでしたか、オックスフォードテストでしたか、ケンブリッジテストでしたか……

  ケンブリッジです。

鳥居会長  ケンブリッジテストでしたか。それが採用されていて、生徒たちは必ずそれを受けましたね、シンガポールでは。今はそういうことはないのですね。

  今はだいぶ変えられてきております。つまり、意図的に外国の学校を国内に導入するのです。自分の国の子どもをそこに通わせるということを、ドラスティックにシンガポールはやっています。ああいう小さい国だからできるのだと思います。日本は外国人学校とか、そういうのをこれから、いろいろ難しい問題があるのは知っているのですけれども、それはそれとしてもその問題は避けて通れないのかなと考えます、今回の基本法を議論するときに。現実に、日本の小学校を選ばないという親が出始めているという事実もあります。それから、非常にたくさんの人が入ってくるということで、それに対してどうするのか。外国人に投票権を認めるというような動きがある中で、教育が一番遅れていていいと思うのですけれども、そういう問題があることからは逃げられないのではないかと思います。

鳥居会長  東南アジアの国ですから、1970年ぐらいまでは、たしか労働力人口の定義が、11歳から労働力人口。言い換えると10歳までは学校へ行かなきゃいけませんと。10歳までの子どもでも、エンロールメント・レートといいますか、学校へ本当に通っているレートはうんと低くて、警察官とか、村の役場の人が行って、シンガポールでいうとカンポンへ行って、「学校へ行きなさい」ということをやらせる。そういう意味の義務教育だったわけですね。それがだんだん上へ上がってきて、今はたしか日本とほとんど同じで、15歳以上が労働力人口になっていると思う。つまり、労働力人口のすぐ下までが義務教育年齢で、それもシンガポールもずうっと上がってきたのだと思います。タイは、私の記憶では1960年代は10歳までが義務教育、今はたぶん15歳になっていると思いますが、そういう歴史がありますよね。
  それから考えると、今日の資料2の7ページに、義務教育というのは何なのかという問いかけがありまして、「第四条」でいう義務教育は国民の義務なのか、国家の義務なのかという話も、一度は議論しなきゃいけない問題だと思います。

  教育改革国民会議での論議の大事な部分を委員がおっしゃってくださいまして、教育基本法の改正問題と、教育振興基本計画を絡み合わせて考えようというのが一つポイントだったと思います。
  もう一つ、私の理解では、戦争に負けて50何年たっている。戦後すぐの敗戦直後の教育改革の理念をもう一度考えてみて、それが50何年たった現在、どういう意味を持つかということを考えてみようと、これももう一つあったと思うのです。
  教育基本法は、文言だけ見ると、これは立派なものなのです。でも、それを支えている枠組みみたいなものがあるわけです。その枠組みから考えていかないと、結局ちっちゃな言葉をいじって、「いや、『人格の完成』よりこの言葉のほうがいいんじゃないか」とか、そういうことで終わってしまうのではないか。そうではなくて、教育勅語も続いたのが50年ほどなのです。教育基本法も50年以上たったわけですね。そういうことで、制定時のコスモロジーですね、一つの世界観、物の考え方をもう一度認識し直して、現在のものとぶつけてみなきゃいけないのではないか。そういうことで、何回目かに私も、戦後の教育改革を貫く理念的なものについて小さな報告をするようにということを言われましたので、4点申し上げました。
  戦後、教育改革を導いたのは四つの原理があるだろう。一つは、敗戦という戦争状態から解放された。そういうことでの平和主義という一つの理念が大きなものとしてあった。ただし、当時の平和主義、これは戦争がなければいいという平和主義でしたから、どうしても平和を積極的につくり出すという、今、アフガンの会議をやっておられますけれども、つくり出すというところについてはなかなか気持ちがいかなかった。つまり、戦いさえなければ平和であるという、非常にパッシブなとらえ方であったのではないか。これが第1です。
  第2が、当時、全体主義だったわけです。そういうものから個人主義という転換があったのだろう。これもいわばフリーフロムという面がありますから、全体主義から逃れて、それが嫌だから個人主義。それが何を生んだかというと、結局、自分の責任でやることだったら何でもいいだろうという、今のような放縦なものを生んでしまった。教育の面でいいますと、きちんとした指導が、親からも、教師からも、社会からもかからないようなものを生んだのではないか。
  3番目に、当時、日本がすべてという日本主義だったわけですね。それからのいわばフリーフロムで、国際主義ということを目指した。ただし、この国際主義というのは、日本は負けましたから、戦勝国へのあこがれが底にある国際主義であった。このこと自体悪くはないのだけれども、どうしても伝統とか、文化とか、日本古来の大事にしていくものを国際的な場で生かしていくという視点、つまり、国際主義というのは、ハンバーガーを食べて、コカコーラを飲むことではないはずなのですが、そういう欧米文化への同調という色彩を持った国際主義が、どうしてもはびこったのではないか。
  4番目に、当時の国家神道体制からのフリーフロムということで、脱宗教化が進められていった。このことは、当時としては当然いいわけですけれども、しかしそれによって宗教というものの意味がわからなくなった。だから、基本法にも、宗教の社会的な意義しか説いてないのです。宗教というのは実存的なものなのですね。宗教的情操を各宗教がどのように追求してきたかということを全然考えない。それが今何を生んだかというと、宗教はうさん臭いものだ、あるいは宗教とカルトを同一視するというものを生んでしまったのではないかということを、私は報告させていただいたわけです。これは河上亮一委員の『教育改革国民会議で何が論じられたか』という草思社の本があります。あれの中に要約してそこの部分もありますので、これはまた見ていただくといいと思います。
  私が申し上げたいのは、個々の文言ということにとらわれ過ぎた論議をすると、全体を見失ってしまうのではないか。当時正しかった―私は、平和主義も、個人主義も、国際主義も、脱宗教化も、当時の状況としては正しかったといいますか、極めて大事な時代を導く理念だったと思うのです。50年して、しかしそれが今、何を生んできたのか。状況、つまり枠組みが変わってしまった、コスモロジーが変わった中で何を生んだかということを少し考えていかないと、言葉いじりで、これはすばらしい理念だ、あれもすばらしい理念だ、しかしこの言葉はこうやったほうがいいのではないかという、ちまちました話に終わってしまうのではないか。教育改革国民会議でも、私もそういうことを申し上げました。何人かの方は同じようにおっしゃったと私は理解しております。そういう点もあったということをちょっと申し上げておきたいと思います。

  先ほどから出ている教育基本法と教育振興基本計画とのリンケージという問題ですね。これは確かに大事なのですが、教育基本法を審議するという重要な任務を負っている我々としては、やはり避けて通れないのは、現行憲法との関連だと思うのです。
  私は前回は出られなかったのですが、遠山大臣から諮問をいただいたときに、それらについても発言させていただきました。というのは、私自身がまさに憲法世代、墨塗り世代でありまして、現行憲法の中で育ったわけです。特に鳥居会長も御存じのように、戦後、文部省がつくった『民主主義』上・下というのは、私は1冊の本を挙げろといったら、これを挙げようかと思うぐらい、私どもをインスパイアーしまして、戦時中の教官を見ていた者からすると、本当にこんなに世界が違うものかということを徹底的に教えられた。これは復刻版も出ておりまして、大変立派な本だと思うのです。そういう憲法世代からすると、新しい憲法というのはまさにグリーンのイメージで、我々の世代にとっては貴重なものだと思うのです。したがいまして、教育基本法と憲法との関連を避けて教育基本法を議論するということ自体が、本来は大きな瑕疵があるというか、盲点があるのです。
  御案内のように、明治憲法は、大日本帝国憲法ができて、その翌年、教育勅語ができている。これは私は何も、明治憲法というと不磨の大典と言われるのですが、教育勅語に基づく明治憲法をそのように考えるものでは全くないのですが、しかしながら、その関連ですね。しかも、明治憲法は御案内のように明治初年にできたのではなくて、明治の既に日本が、いわば森有礼などが教育についてもいろいろ言い出したり、そうした時期に、まさにこれは忠君愛国というような儒教的な精神だったと思うのです。教育勅語の根本は儒教で、しかもこの儒教的精神は、一方、渋沢栄一なんかが『論語とそろばん』で強調したような、産業立国的な日本的儒教解釈とは違いまして、かなり正統的な忠君愛国だったと思うのです。それで明治時代はやってきた。しかし、当時は日清、日露の前ですから、ある意味では大きな意味を持ったことは私が言うまでもないわけです。
  戦後の憲法は、言うまでもなく21年の日本国憲法が制定されて、翌年に教育基本法ができたわけですから、まさに明治憲法ができ、教育勅語、それから現在の現行憲法ができ、そして教育基本法と。それでもって日本は大きな二つの近代史のいわば新しい世界を開いてきたと思うのです。
  そうしますと、現在、皆様御案内のように、我が国はまさにいろいろな面で問われているわけです。言うまでもなく国際化という問題も、国際貢献という問題も、昭和21、22年にはなかった課題ですし、それだけではない、アフガンの問題を見ても明らかなように、集団的自衛権とか、国際貢献を本当に日本の国家が成し得るかということを抜きにして、日本の将来の活路は開けないと思うのです。
  そういうことを考えると、今日はここに青山副大臣も池坊政務官もいらっしゃいますけれども、やはり政治家の課題だと思うのです。政治家はだけど、憲法議論をすると、すぐにいわば政局絡みになったり、なかなか難しい課題だという形で、一日延ばしに先延ばしして本格的な議論をしない。それでこの中教審に、まさに憲法と一体的に考えられなければいけない教育基本法を議論せよというのは本末転倒なのでね。私は議論してはいけないというわけではないし、教育基本法は、基本的に私のような憲法世代であっても、憲法も含めて見直すべきだと思います。そのことを勇気をもってはっきり言わないで、この場に教育基本法を直せというところがね。それは直そうと思えば我々が議論して直せると思うのです。基本法の理念だけを生かして、国際化の問題を入れるとか、いろいろ入れる。それで果たして日本がよくなるか。全くそうではないと思います。今、問われているのは、憲法論議を避けて通れないわけであります。そこを含む政治の在り方が問われているので。ですから、もし我々が何か結論を出すとすれば、教育の分野から日本を直していくようなすごい提言を、まさに国家に対して、政治家に対して、小泉さんをここへ呼んできて、我々が説得するだけではなくて、我々の気持ちをぶつけるぐらいのことをしないといけないのではないかという、若干私もある種の使命感みたいなものを持ち始めておりますので、そんなふうに考えるわけです。どうもありがとうございました。

  どういうふうに議論を進めていくかということなのですけれども、教育基本法ができたときには、戦争という社会、経済、政治、あらゆる意味の激変下の中で生まれてきたわけです。普通の人が持っている価値観というのが天と地ほどひっくり返った中で、憲法もそうですが、基本法というものができてきたわけです。
  今、見直そうということになって、このような話し合いの場というか、審議会が開かれているわけですけれども、一つ何がそういう動機になっているのかということを考えてみますと、一種の私たちの経済的な豊かさの中の一つの混乱の部分が非常に強いかなと思っております。で、私もジャーナリストですので、子どもたちの間のいろいろな事件とか、いろいろな問題点というのを、たとえ一つあったとしても非常に大きく報道するような立場ではございました。しかしながら、確かにいろいろな問題はあるのですけれども、資料の24ページを御覧になりますと、小学生の4年生から中学生に至るまで、「あなたは今の学校での生活が楽しいですか」といいますと、「とても楽しい」「楽しい」という答えが90%以上あるというこの現実も、しっかり目に入れていかなければいけないのではないかと考えております。
  教育基本法を見直すべきだという世論調査というのはあるのでしょうか。そういう声がどこから出てきたのかなということをもう少しはっきりしなければいけないということと、しかしながら、教育基本法を見ますと、理念的には、今でもかみしめてみるとすばらしい理念である部分もありますし、それから先ほど資料で見せられた当時の閣僚の方々がお答えになっている範囲から見ても、この書き方が明確さを欠いているというところもあるような気がいたします。現代の視点から文言的に少し修正できるところがあるのかなというような意見を私は持ちます。例えば、これは歴史ですから仕方がないということかもしれません。「朕は……」というその3行あたりをどうするかという問題とか、いろいろな問題もあると思いますし、閣僚が答弁なさっていることを必ずしも表現できていないような条文もあるように思います。
  もう一つ、補足ということでは、閣僚の答弁を見ても表現できていないなと。宗教に対する社会的な、「第九条」ですが、これの解釈なども情操みたいなことを最初は書いておられたのですが、そういうところが、これは書きようによっては危険な書き方になるのですが、そのようなことが求められているとすれば、何か書きようがあるのかなという感じもいたします。
  それから、「第六条」などは、システムに関することです。システムに関することは私たちももう少し議論していいかなと。これは法人格の問題ですね、学校の。それから、教職員の身分の問題というようなところは、システムの問題に非常にかかわる。あるいは、義務教育とは何かというような経済的な問題。この辺は、今という視点の中で私たちは積極的に議論すべきかもしれません。
  それから、国際的な視点ということですが、しかし教育基本法の後に、世界の平和とという国際的視点がないわけではありません。世界の平和という視点を確かに持ちながら、私たちの教育という面で、伝統、文化みたいなことは確かに落ちている。その辺は補足すべき部分かと思いますけれども、その辺の理念的な整理、制度的な整理を分けて議論を進めていけばというふうに私は考えます。以上でございます。

  4点ばかり申し上げたいと思います。
  一つは、先ほど会長がおっしゃいましたように、教育基本法というのは理念的なものと制度的なものがあると整理なさったのですが、私は理念を実現するには理論が必要なので、理論を実践に移すには方策が必要なので、この3点セットが欠けていると物事は進まないというのが私の持論なのです。そういう意味で、教育基本法の理念を実現する理論、田中耕太郎さんのすばらしい『教育基本法の理論』という本があるのですが、私も何回も読みましたが、田中先生は法律学者ですから、大体リーガルマインドで書かれているわけであります。それでも、我々が読みますと、教育的な観点もあるなと思うのです。ただ、短期間であれだけのものを書かれたというのは天才的なことだと思うのですが、いろいろ外国の文献の引用とか、解説があるのですが、出典がないのが一番残念なのです。私も原典を読もうと随分探したのですが、わからないのです。その理論を実現する方策こそが振興計画なので、それが欠けている。それをどうするかということが一つの問題点で、今、基本法と名のつく法律が20ありますが、20のうち大部分が振興計画、実践に移す方策を持っているのに、教育基本法にだけそれがない。ですから、教育改革は100年たっても変わらない。「教育は百年の大計だ」と言って100年たったのに、ちっとも変わってないとは言いませんけれども、それほど変わっていない。これが第1点であります。
  第2点は、議論する際に、必要性と可能性を一応区別したほうがいいと思います。必要性からいけば、新しい時代に何が必要だといろいろ議論が出てきて、結局、総花的になると思うのです。総花的になってきますと、これは基本法の大幅な改正ということになるのですが、総花的に大幅な改正ということになりますと、必ず反対論が出てくる。現に私のところへも電話がかかってきていますけれども、「反対するな」とか、「だれそれさんが反対しているけど、おかしい」とか、私は「本人に言ってください」と言うのですけれども、改正派の人は何とかとか。これは国民会議のときもさんざんいろいろな電話がかかってきたりしたのですけれども、それだったら可能性にかけて、今、基本法に欠けているものは何だろうかということに絞って、付加価値をつける。欠けている分を補完するような改正にすれば、今のものと比べてよくなったというのが目に見えてわかりますから、反対できないのではないか。反対を恐れるわけではないですけれども、そのほうが実効的ではないかという気がするわけです。
  欠けているものは何かというと、たくさんあるのですけれども、これも並べるとまた総花的になりますので、それぞれ一つか二つぐらいに……。私の考えでは、それは教育の原点は家庭であるという国民会議の提言の第1番目にある家庭教育が、「第七条」でその他大勢の中に含まれているということで、非常に軽視されていると思うのです。そういう意味で、家庭教育についての条文をきちんと整理する。
  それはどういう意味かといいますと、前にもこの会議で申し上げましたけれども、家庭が多様化している、多様化に応じた家庭教育ということですが、それに絞ったほうが実効的ではないかということが第2点です。
  3番目は、国民会議の議論で、現場では教育基本法というのは存在感がないといいますか、それでいじめがなくなるわけではないし、どうでもいいというような、変える必要はないという方もいらっしゃいましたが、結論は憲法でさえ論議しているんだから、基本法も議論はしてもいいのではないか、そこまで全員賛成になったわけですけれども、一時は、50年かかってようやく基本法が定着しかかったのに、ここで変えるのはけしからんなんていう意見もありましたけれども、私に言わせれば、50年もかかってようやく定着するようなものなら、もう50年たっても同じではないかという気もするのです。そういう意味で、振興基本計画が必要だと思いますが、そういう議論をするとまた、議論が逆ではないかと。理念をきちんと議論して、基本計画を考えるべきではないかといったような批判も見られますけれども、私はそうではないのではないかと思うのです。
  ですから、現場にもっと存在感のある、教師が基本法というのは我々の教育実践と関係があるのだとわかるように橋渡しをするのが、振興計画ではないか。だから、それを整備する。振興計画で実をとって、基本法の改正は付加価値をつける微調整といいますか、そのくらいのほうが今の時点ではいいのではないかという気がいたします。
  最後に申し上げたいことは、国際化というのは国際的な画一化でないと思うのです。臨教審のとき、9月入学の議論が出たときに、外国では9月入学が多いのに、日本だけおかしいではないかという議論があったのですが、私は地球全体が9月入学にならなければいけないという必要もないのに、どうしてああいう議論ができるのか。外国の方は9月に受け入れればいいだけの話であります。国際化というのは、国内化なくして国際化はあり得ないのに、何となくみんな同じになる。グローバリゼーションと国際化を混同している人があるのではないかと思うのです。外国の例というのは、参考という意味が非常に難しいのですが、参考にならないということがわかっただけでも参考になっているので。ですから、プラスの参考とマイナスの参考があると思うのです。フランスではどうなのかなと、わからないよりも、フランスは参考にならないということがわかったことが参考になっているので、そういう見方をしていかないと、国際的な画一化がいいなという風潮に流されるのではないか。
  そういう風潮というのは、世論調査に一番出ているので、世論調査がないと改革できないというのもおかしいと思うのです。ある企業の方は、今、改革の時代ですが、改革はトップダウンでないとできませんよとおっしゃった。ボトムアップの改革を待っていれば、いつになるのか。世論調査というのは、大体調査しなくてもわかるようなことが非常に多いと思うのです。例えば、完全学校週5日制になったら、親は塾へやりたいと思っているのがこれだけいる。子どもは行きたくないと思っている。そんなことは調査しなくてもわかっていることだと思うのです。ただ、数字が何十%かはわかりませんけれども、特定のどこを批判しているわけではないのですが。そういう意味で、改革というのはトップダウンだというのは、今、非常に印象に残っているのです。そういう意味で、基本法の改正も、大衆は改正を望んでいないからやめるというのはどうなのかなと。それもわからないのですけれどもね。そんな感じがいたします。
  それで、変えてはいけないという議論で、マスコミを見ていますと、新聞に「不磨の大典・基本法の改正論議」とでている。「不磨の大典」というのは、私は明治憲法では聞いた言葉ですが、教育基本法が「不磨の大典」だという文献を読んだことがないのですが、そういう言葉が先行したりしていますので、そういう世論になっていくのは非常に怖いなという感じがいたします。以上です。

  先ほどの委員や今の委員の意見に賛成なのですけれども、教育の根本を検討するときは二つあると思います。
  一つは、国家体制の変革に伴って国民像をどうするかということがあるわけです。これは先ほどの委員が言ったとおりだと思うのです。ほかにも、例えばドイツでも第二帝政ができたときに、盛んに国民意識の形成ということをやっているわけです。日本も明治維新のとき、五箇条の御誓文についてやっています。これはやはり立法府のほうで、国をこういうふうに変えます。ですから、教育のほうで国民像の検討をしてくださいという話です。教育を第四権として独立させるという議論もある位ですから、教育のほうが先走ることではないと思うのです。ですから、そこはきっちり整理したほうがいいと思います。
  もう一つあるのは、社会の変化に伴う教育の根本の検討ということで、これが今回諮問になっているのです。諮問の理由を見ても、国家体制が変わったから検討してくれとは書いていないのです。むしろ社会が変化したから、検討してくれと書いてある。そのことを私たちははっきり自覚しておく必要があるかと思います。
  そうしますと、今お話に出たように、社会が変わった、ではどこが具体的に足りないのかということで議論したほうがいいわけです。教育振興基本計画をこれからつくらなくてはいけない。とすれば、ビジョンが必要だから、生涯学習社会のことは根本的に検討していただかなくては困るということをすぐ思います。それから、今、家庭教育のことがございました。それに関しても具体的なので申し上げますが、今、委員が言ったように、「第七条」に家庭教育が入っているのです。これは先ほどの帝国議会での政府答弁でもありますけれども、広い意味での社会教育の中に入っているのです。ところが、平成13年に社会教育法改正がございました。その中で、このことについては、どのようになっているかといいますと、社会教育が学校教育及び家庭教育との密接な関連性を有することにかんがみということで、社会教育と家庭教育を分けているのです。そうなると、条文だけを見たら混乱していてよくわからない。政府答弁を見れば、広い意味での社会教育に家庭教育が入っているというのはわかりますけれども、社会教育法を見ると、社会教育と家庭教育は違うとなってしまっているのです。その辺の整合性もきちんと保つようにしていかなくてはいけないので、具体的なそういうことを検討するというようにしていってもらいたいし、また、すべきだと思います。
  国家体制の問題と、教育のことというのは慎重に、しかも、厳格に区分していただきたいと思います。以上です。

  私も先ほど委員がおっしゃった、教育基本法を根本的に新しく変えようという議論ですと非常に難しい。必ずしも今の基本法の文言で否定されるべきものというのは、厳密に検討していくと、なかなか見つからないということもあるわけで、私はもう少し実践的な視点で、欠けているものは何か、あるいは枠組みとして変えるものは何かという視点で議論をしていったほうがいいのではないかと思います。
  国家というお話もありましたけれども、教育基本法が成立したときの日本の社会と、現在これからを考えると、大きな社会変動があったわけで、この50年というのは社会変動の累積のプロセスであったと思います。そのときに教育基本法を成立せしめている社会の様々な秩序が、どういう均衡の枠組みにあったのか、そして、今どうなのか、今後どうなのかということを考えていきますと、資料3の3ページに結構ヒントがあるような気がしております。例えばジョスパン法第1条を拝見しますと、上から6行目あたりに、「障害をもつ青年の学校への統合は促進され」る。それから、その後3行目、「男女平等の促進に寄与する」という、「促進され」る、「促進に寄与する」という文言になっているわけです。
  一方、我々の教育基本法を見ますと、第五条の「男女共学」については、「男女は、互いに敬重し、協力し合わなければならない……男女の共学は、認められなければならない。」という表現ぶりになっているわけです。今、日本の社会は、あるいはヨーロッパの社会は、男女という問題について言えば、結果として実効性を上げるというところまで法的な表現が踏み込んでいるわけです。ですから、こういったものについて、私は変えていくべきものだと思っております。
  それから、第1条のパラグラフの三つ目でしょうか、「各小学校、コレージュ及びリセにおいて」というところで、「すべての人々により教育共同体が構成される。」ということで、教育は総合力で、要するに教育機関だけの責任ではない、総合力で行われるべきものであるというような形の法文が制定されている。
  そして、私は画期的だなと思いましたのは、その2行後に、「生徒及び学生は、……職業に関する進路計画を立案する。」ということでございます。ヨーロッパあるいは非常に成熟した社会においては、青年の自立的な時期が遅れております。そして、若年者の失業率が高まっている。日本でも私立大学で、無業者で卒業する比率が非常に多くなっている。いわば教育、学習だけではなくて、職業に対しての計画に踏み込んだ、そういったことを教育基本法にうたっている。このキャリア形成に対する取り込みは、日本の教育基本法にもつけ加えるべきではないかと思いました。
  その次に、最後のパラグラフですけれども、「生涯教育」をうたっております。教育基本法でも「社会教育」という言葉があるのですが、実際に日本の中で「社会教育」という言葉が認知されているかというと、これは行政側が利用している言葉でございまして、一般には「生涯学習」というような言葉のほうが定着しております。教育基本法ができた時点では、教育機関を卒業したら社会に出て働くというライフサイクルの認識でつくられていたと思いますけれども、ヨーロッパを中心に、今の社会では教育―労働―教育―労働という形で、何度も生涯の間に学習を繰り返していくという枠組みの中で、生涯教育を大きな柱として基本法に取り込んでいくことがジョスパン法でもうたわれております。こういった海外比較をしながら、教育基本法のフレームづくりを具体的に検討していけるのではないかと思います。

  資料を見せていただいて、私も委員と一緒のように、三つの国の中では、フランスのジョスパン法というのが、素人の私には一番しっかりと入ってきました。というのは、今もお話になりましたが、日本ではそれぞれの役割分担というところで、学校、家庭、地域の連携ということは申しますけれども、この中に教育共同体という形で、はっきりとそれぞれの責任が第1条に明確にされているということで、読んだときに何かドキドキしながら、とても当事者としての責任があるのだなということを感じながら、このジョスパン法を読んでいったのです。そういうことが具体的にきちんと書いてある形の基本法になるといいなと思います。
  それから、同じように保護者だけでなくて、生徒、それから学生、それぞれが当事者意識がきちんと持てるような裏づけが法律にあっていただきたいと思います。例えば、今、大学改革とか、いろいろ進んでおりますけれども、それぞれの大学がどうやってそういうことをやっているのか、実際に学生にとってはどうなのかということが、公の情報としてこれから出てくるようになると思うのです。でも、そこをクローズドしてしまうようなところがあるのですけれども、そういうところも学んでいる学生たちが自分たちでいろいろな情報が取れるような形の仕組みになっているといいなと思います。
  それから、理念についてですけれども、とてもこれは立派過ぎまして、いかようにもとれて、私どもにとりますと、もう少し具体的な形で理念を書いていただけるとありがたい。だれでも読んだときにハッとするような形の理念にしていただきたい。そういう意味におきましては、身近な理念ということで、先ほどから家庭教育が原点ということが出ておりますけれども、私もそう思います。それから、家庭が原点というか、スタート地点で、それから地域社会または日本とか、それから世界とか、そういう形に広がりを持っていかれるような考え方みたいなものもそこに入るといいなと思います。
  それから、今、親というのは子どもを育てるときに知識的な教育をすることが子育てであると勘違いをしているところがとてもあります。子育ての基本というのは、社会的な自立が基本になると思いますので、そのあたりも教育の理念として入れていただけるとありがたいと思います。
  それから、もう一つは、ジョスパン法にも、ほかのところにもありますけれども、評価制度のことです。これもやはり法律できちんと裏づけをして、構成的な形で、財を投じたことについてどれだけの評価が出てくるのかということは、制度的なことも今から日本もできてくるので、そのあたりも基本法の中に具体的なこととして盛り込めればありがたいなと思います。
  それから、社会教育については、今までも随分言われましたが、これはこの50年の間に変わってきているというか、発達してきているところの分野であると思いますので、ここについては少し掘り下げて、今のボランタリーな組織とか、そういうところもここの中に入ってくればいいなと思います。
  それから、理念の中で、貢献するという言葉が出てくるのですけれども、貢献というと大変美しい言葉で、献身するということはとても大事なことだと思いますけれども、献身するという、私たちもボランティアでいろいろなことをやってきましたが、常に自分の自己犠牲が一緒になっているのですよね。よく私たちは犠牲的精神を発揮しながら頑張るとかと言うのですけれども、そういうボランティアという活動というのは、自分の中のやりたいことと、自分の個の時間を犠牲的精神を発揮しながら出すという、二つのことが表裏一体であるような視点、そういうことが自覚できるようなことも理念の中に要るのではないか。貢献するというと、自分の犠牲的なところとか、そういうところが出てこなくて、みんな嫌々やらなくてはいけないというところがあると思うので、そういうことの表裏一体というところを書いていただけるとありがたいと思います。
  それから、もう一つ、これまでの日本の教育システムというのが、やはり明治以降、こういう基本法をつくって、すばらしい理念をつくっていっても、国の施策として先ほどからもお話しになっていますが、科学技術とか、社会科学とか、そういう方向性を目指していますし、これからもそういう方向性を目指しているのではないかと思います。そういう中で、宗教とか、道徳とか、芸術とか、文化というのが、中心に置くべきものなのだけれども、横のほうに追いやられてきていた。今もそういうふうな感覚が社会の中にあるので、私たちが当事者としてそこのところを中心というか、すぐ経済とかの近くにそういう理念を置くことがなかなかできないという、この相反する二つのことをどのように国民にわかりやすい形で書いていくのか、また、実践できるのかということも、これから議論できればありがたいと思います。
  
鳥居会長  今、お二人の御発言の中で、ほかの国の韓国とか、特にジョスパン法に言及されましたが、実はよく読んでみますと、韓国とジョスパン法とははっきり違う、両極端を示していると思うのです。と申しますのは、韓国の基本法を見ますと、最初の部分だけは理念を述べていますけれども、それ以外は全部国家の義務を述べているのです。国家はこうすべきであるということに絞っているのです。ジョスパン法のほうは、今、委員がおっしゃいましたように、まず学生の個人の義務、それから社会の義務、社会の共同の義務、そして国家のやるべきことということが全部述べられているわけです。ですから、どちらもいろいろな意味で参考になると思います。

  第1点目は、未来に向けて何かを決めていこうとするときに、我々ビジネスの世界なんかでは戦略企画の際に、自分たちの時代認識をどうとるのかということについて、相当厳密な作業をするものなのですけれども、例えば教育基本法が制定された50年前と、今と、50年後について、できるだけ構想力を絞って、一体どういう時代変化が起こっているのかということについて、まず時代認識の踏み固めという作業について、共有の情報としてもっと真剣にやるべきではないかという点を、1点まず発言したいのです。
  例えば、2050年という年に、この国の人口は1億人を割ると言われています。2005年にピークアウトして、100年前に4,400万人の国だったのが、1億2,300万人にきているわけですけれども、これが50年後には1億人を割っていく。人口予測だけは当たっちゃうのです。エコノミストの経済予測とは違うわけです。
  そういう中で、さらに重要だと思うのが老齢化指数で、2050年にこの国の65歳以上の人口は32%を超すということで、3人に1人は65歳以上の老人だということになる。教育基本法ができたときは、10%ぐらいだったと思います。かなり戦死者が多く出ていて、若い人が少なかったときでもたぶん10%ぐらいだったと僕は覚えていますが、今、65歳以上の人口が18%です。これが32%になるということです。
  ということは、我々がしっかりイマジネーションを描かなければいけないのは、家庭教育が大事だというのは僕は大賛成なのですけれども、1人の子どもに、おじいさんおばあさんが4人と両親と6人が群がり回って、教育に血道を上げるような環境を、ある意味では象徴的ですけれども、想定していかなければいけない。それがもたらす弊害みたいなことも含めて。要するに社会システムとしての教育を考えるときに、イマジネーションの中に入れておかなければいけない基本認識について、もう少し厳密な数字でもって頭の中にたたき込んでおくべきことがあるのではないかという点が1点です。
  2点目は、先ほど教育基本法の思想の4点の基軸という整理をしていただいて、平和主義、個人主義、国際主義、脱宗教、これはなかなか鋭い論点だと思います。我々が問われているのは、まさに思想の基軸なわけで、新しい社会思想といいますか、世界観に立った思想の基軸を何にとるか。戦後の50年の蓄積を否定するのではなくて、四つの思想軸みたいなものが大切にされながら、否定ではなくて、どのように発展的に展開されねばいけないのかということが、我々に問われているカギだろうと思います。
  そこで、幾つかの論点が当然浮かび上がってくるわけですけれども、なぜ教育基本法ではだめなのだということを、だめというのは否定という意味ではなくて、なぜ改正しなければならないのかということについて厳密に考える必要があるわけで、理念法だから、きれいごとを書いているからそんなに問題ないでしょうというふうに見える部分もあるけれども、じっくり見るとやはり論点が確かにありますよね。
  例えば、まず第1点、明快に出てくるのが、戦後の反動で、個の尊重、個人の尊重ということをうたって、奉仕的精神については「勤労と責任を重んじ」という表現だけで終わらせていて、間違ったことを書いているわけではないのだけれども、明らかに我々が既にこの審議会で議論してきていた官と民という二つの枠組みの間にある「公」という考え方、パブリックという考え方ですね。昔の「滅私奉公」の「公」ではなくて、パブリックという概念がどうも戦後の教育システムの中では定着させられなかったなという反省があると思うのです。これは国家に対する奉仕とか、そういう意味ではなくて、社会生活を営んでいる人間だったなら基本的に感じ取らなければいけないようなコミュニティとか、社会に対する公共という概念をどうしたらいいのだろうかという論点が、ここに明らかに出てきています。
  二つ目は、僕なりに見ていると、国際性と民族性といいますか、教育基本法ができたころというのは、海外に1年に出ていった人は100万もいなかったと思いますが、今、1,800万の人が毎年海外に出ていっている。50年後を目指して我々が議論するというのだったら、3,500万から4,000万ぐらいの人が毎年海外に出ていくような時代を想定して、海外で教育を受ける人たちが日本にまたフィードバックしてくるということも想定した仕組みを構想しなければいけないだろうと思います。そういう面で、地球規模の知の所産みたいなものを共有していくような問題意識ですね、環境問題なんかを含めて。その国際性をどのように入れるかということと、やはり日本人としてのアイデンティティですね。何も国籍不明のコスモポリタンみたいな人間をつくればいいというわけではないわけで、やはり日本人としての文化、民族に対するきちんとした理解を持って、国際社会で発言していける人間を育てていくというのが大事なわけです。このバランスにおいて、国際性と民族性をどのようにこの議論の中に入れるか。
  あと僕自身として気になるのが2点ぐらいあって、例えば教員の身分尊重、待遇の適正なんていうことを教育基本法はきちんと書いてありますけれども、これは正しいことだと思いますが、それがとにかく一旦教員になったら一切チェックもなく、身分が保障されているという仕組みになっちゃって、それがものすごく教員の質の低下につながっているということを我々もさんざん議論してきているわけですけれども、やはり教員たる者の資格とか、義務というものは一体どういうものなのだろうかということについての考え方が、この思想ではどうも見えない。
  もう一つは、科学技術教育という指摘がさっきもありましたけれども、機会均等をあまりにも強調したがために、英才教育とか、IT化とか、それから今度は文部科学省ということになったわけですが、文部科学省となった科学教育と文部行政との連携という中から出てくる教育基本法みたいなものの思想が、新たにもしつくるとすれば付加されてもいいのではないかという視点とか、そのあたりが気になる論点としてあるのです。
  最後に、委員がおっしゃっていましたが、憲法ということが横たわっているわけで、何もすぐさま憲法改正の議論に踏み込む必要も全くないですけれども、やはりそれとの関連は頭に置かなければいけないということと、もう一つは、グローバル化という中で、市場主義と競争主義が新しい時代の価値だみたいな雰囲気があるわけですけれども、教育という場で議論をする人間は、ただ市場主義と競争主義だけ礼賛していればいいのかというと、必ずしもそうではない。ここを何か精神的に持ちこたえる基軸を持たないと、時代の、ある表層な部分に迎合していくような教育改革みたいな議論になってしまうのではないか。そんな点が私の意識の中にあります。

  この問題の今まで議論されていないもう一つの問題ですが、教育基本法自体が国民に見えていないというか、知らないということが極めて重要なことではないか。私もこの議論に参加するようになって、いろいろな人に聞いてみたのですけれども、知らない。憲法なら必ずとは言わないけれども、知っていますし、何かしら憲法について語れると思うのですが、教育基本法については、一体、今何が問題なのかということすらというか、その前に教育基本法が何を語っているのかということすら知らない国民のほうが多いのではないか。教育というのは一番身近な問題でありながら、そういう事実があると思います。
  そういうことで、この改正の議論も含めて、また、改正の結果出てくる、新しくなるかどうかはこれからの議論ですが、特に基本計画のほうは具体的な政策が入ってきますから、なおさらよくわかる問題が出てくると思いますが、そういうものをいかに国民に見せるかということもある程度議論して考えておかないと、せっかくここでいろいろ議論して、いかにいい法律ができたとしても、また、基本計画ができたとしても、実際の教育にかかわる国民にそれがどれだけ浸透するか。教育勅語は全員が知っていたわけです。これは教育の力だと思います。そういうことを含めて、むしろ教育の中で、教育の基本というものをどう教えるかということも大事な視点ではないかというのをちょっと申し上げたいと思います。

  今までいろいろな先生方がおっしゃっていたことに対して、私の意見も同じ部分があるのですけれども、幾つか強調したい点があります。
  一つは、基本法なのですが、私も基本法をじっくり読ませていただいたのは、大変恥ずかしいことなのですが、今回、委員にならせていただいてから初めてなのです。よくよく読んでみますと、非常にいいことが書いてあるのですけれども、先ほど会長がおっしゃいましたように、基本法というのは二つの側面があって、基本的には理念と制度というのがある。これがどうもこの基本法はごちゃごちゃと入っていて、この理念を制度としてやるのにどうしたらいいのかよくわからないということで、例えばジョスパン法を見ますと、理念がまずあって、それに対して制度はどうあるべきかというのが非常に明確に出ている。構成としてどういう形がいいかというのは、これから検討する内容ではあると思うのですが、もう少し理念と制度をきちんとわかりやすい格好にしないと、理念はいいのだけれども、実際に実行しようとすると、制度自身がそのようになってこないという感じが一つあるのかなということを感じました。
  中を見ますと、確かに本当にすばらしいことがたくさん書いてあるのです。ただ、先ほど何人かの委員もおっしゃいましたけれども、やはり時代の背景があるために、特に今振り返ってみると、個人的に思いますのは、それぞれのアイデンティティをなるべく無視するような形にどうもなっているのではないか。例えば、一番最初の人格の形成といったときに、どういう理念に立って人格を考えているのかという質問に対しても、何かあまりはっきりした答えが出てこない。これからグローバリゼーション、それからいろいろな国の中に日本人が出ていく、それから日本の中にもいろいろな人たちが入ってくるという中で、日本の国としてのアイデンティティというか、国民としてのアイデンティティ、それが伝統であり、文化であるかもしれません。それもとても大事なことだと思います。それと、あと個人としてのアイデンティティをきちんと自分で築ける。そういうアイデンティティに従って、それぞれの個人の能力を高めるといった考え方がもう少し明確に出ていいのではないかという感じがしました。
  そういう観点で言いますと、男性だから、女性だからとか、体に例えば支障があるからとか、そういうことではなくて、その人たちが持っているそれぞれの能力に合った形で、教育なり、仕事のチャンスなりがある。そういった社会を築き上げるために、どういうことをすればいいのかというのが一つある。
  もう一つ、最後に、なかなかこういう言葉は言いにくいかもしれないですが、いろいろな行動をとる。例えばビジネスの中で、いろいろ競争していく。儲けなければいけないとか、いろいろなことがあるわけですけれども、すべての人間の行動の規範になるような倫理観というものが、日本の国民としてはとても大事なのではないか。それはいろいろな形で出てくる。それが哲学であったり、いろいろあると思いますが、やはり倫理観をどういう言葉で示していいのかよくわかりませんが、これからますますグローバルになっていったときに必要になってくるのではないかということを感じました。

  私も各委員の議論を聞きながら、前回は確かに私も、憲法との関係を重視して議論すべきだということを申し上げまして、憲法の掲げる理想というか、目標は、挙げて教育の力で実現しようというのが基本法制定のバックボーンになっているわけで、委員がおっしゃるように、それがまだ厳然として理想は変わっていないのに、基本法のほうだけ変えるというのはいかがなものかということで申し上げたのです。しかし「不磨の大典」などと私も申し上げていないので、もちろん大いに議論をしながら、どうしても今の日本の子どもの教育を将来的に考えて、変える必要があるということで合意が得られれば、それは変えることにやぶさかではありません。
  ただ、基本法に二つの側面があるということは、私もそう思いますけれども、前文とか一条に書かれている理念は、不易なものといいますか、普遍的な価値を掲げていますから、そうそう変える必要はないので、もし今日的な社会の変化、将来の社会の変化に備えて変えるとすれば、付加する文言があるのかないのか。ただ、今いろいろな方がおっしゃったものを、全部基本法の中に入れられるのか。私はかなりの部分は、学校教育法とか、社会教育法とか、基本法の下位法と言ったら語弊があるかもしれませんが、そうした法律の中で必要に応じて改正していくこともありますし、根本法とその他の、何百あるのか知りませんが、根本法とその他の法律との関係、基本法と下位法との関係も含めて十分に議論をすべきではないかということだけ、一言申し上げておきます。

鳥居会長  ありがとうございました。
  この後御提案いたしますが、教育振興基本計画について審議を進め、同時に教育基本法についての審議を進めていくために、下仕事の部分をやっていただくための部会をつくらなければなりません。これは前回の総会で御了承をいただいたことでございます。恐らくその中で、今、委員がおっしゃった教育の基本的な法律、いろいろな制度がありますが、それらについてもさわるような審議を結局はしていかざるを得ないのだろうと思います。その中で、教育基本法の改正に盛り込むべきもの、あるいは教育振興基本計画の審議の中で、例えば学校教育法について触れるべきもの、いろいろ出てくると思いますので、またそれらを総会に戻していくという方法をとりたいと思います。
  そこで、本日、最後の御提案なのですが、前回の総会で御了承いただきました、二つの諮問事項、教育振興基本計画の策定と、それから教育基本法の在り方についての審議を進めるための専門的な調査審議の部会を設置するということをお諮りしたいと思います。もし特に御反対がなければ、前回も申し上げたことでございますけれども、そのような部会を設けさせていただきたいと思います。
  事務局ともいろいろ相談したのですが、名称、それから所掌事項等、案をつくってみました。資料4を御覧いただきたいと思います。資料4に書いておきましたが、本審議会に諮問された諮問事項を調査審議を専門的に行うために、中央教育審議会令、それから運営規則に基づきまして、部会を置く。部会の名称の案でございますが、「基本問題部会」としてはいかがかと思います。
  所掌事務は、「(1)」「(2)」と二つ書いてございますが、「教育振興基本計画の策定について」、もう一つが「新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方について」、これは文部科学大臣からの諮問事項そのものをここに掲げておきました。
  このような部会を設けるについての法的な裏づけといいますか、それは参考のところに書いてございます。簡単に申しますと、部会を審議会、分科会のもとに置くことができるということでございます。
  それから、下のほうの規則を見ていただきますと、部会の名称及び所掌事務は、会長が審議会にお諮りをして定めるということになっています。
  ということで、皆様にお諮りをいたしますが、このような部会を設けてはいかがでしょうか。よろしゅうございましょうか。

〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

鳥居会長  ありがとうございます。
  これも審議会運営規則に基づいて、会長がその部会のメンバーを提案することになっておりまして、これもいろいろ事務局とも相談し、御提案するわけでございますが、2枚目を見ていただきたいと思います。
  そこにありますようなメンバーで、会長、副会長は、重要事項でありますので入らせていただいて、その下に書いてあります皆様に御協力をお願いしたいということでございます。
  また、臨時委員としては、中央教育審議会の大学分科会にお出になっておられる方として、一橋大学の石学長及び東芝の西室会長がおられますが、それ以外の方は今回初めてでございますけれども、市川さん、黒田さん、鶴田さんにお願いをしてはどうかということで、お諮りをしたいと思います。いかがでございましょう。よろしゅうございましょうか。

〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  
鳥居会長  特に御異議がございませんようでしたら、これで始めさせていただきたいと思います。この基本問題部会にしばらく審議をしていただきまして、それを総会にフィードバックして、総会の議論をいただく。それを今度は部会に反映させる。重要な問題ですので、あまり間遠にならないように、できるだけ総会にあまり時間を置かずにお諮りをするというふうに私としては考えております。よろしくお願いしたいと思います。
  今後の日程等については、事務局のほうから説明をつけ加えていただけますか。

事務局  本日御了解いただきましたところによりまして、部会の先生方と調整させていただきまして、できるだけ積極的に開かせていただければと思っているところであります。
  また、部会の議論につきましては、会長のほうからもございましたけれども、適宜総会のほうにフィードバックさせていただいて、またそれを部会の議論に反映するという密な形で、部会と総会の運営をしていきたいと考えております。よろしくお願いいたします。
  それから、総会の今後の日程につきましては、資料5にございます。
  次回は、1月30日(水)でございますが、場所は同じくグランドアーク半蔵門の3階で開催されます。午前10時から開催でございますけれども、教育制度分科会のほうで今検討されております「新しい時代における教養教育の在り方について」の答申案、それから大学分科会のほうで作成されております「大学等における社会人受入れの推進方策について」の答申案、この2点につきまして御審議いただくということを考えております。よろしくお願い申し上げます。

鳥居会長  そのようなわけで、次回は教養教育の在り方についての答申案につきまして、これが最後になると思いますが、御審議をいただきたいと思っております。ぜひ1月30日御参集をいただきたいと思いますので、お願い申し上げます。
  それでは、本日はここまでにさせていただきます。どうもありがとうございました。