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中央教育審議会(第11回) 議事録

日   時
  平成13年12月10日(月)   14:00~16:00

場   所
  霞ヶ関東京會舘「ゴールドスタールーム」(35F)

議   題
  教育振興基本計画の策定に関する自由討議

配付資料
 
資料1   中央教育審議会における今後の議論の進め方(案)
資料2   戦後教育改革の流れ
資料3   21世紀教育新生プラン〈7つの重点戦略〉(概要)
資料4   主な基本計画の構成について
資料5   今後の日程(案)
参考1   教育を取り巻く現状に関する資料
参考2   21世紀教育新生プラン
参考3   科学技術基本計画
参考4   e-Japan重点計画-高度情報通信ネットワーク社会の形成に関する重点計画-
   
出席者
 
委   員: 鳥居会長、木村副会長、茂木副会長、佐藤委員、山本委員、増田委員、浅見委員、田村委員、寺島委員、永井委員、國分委員、江上委員、森委員、松下委員、高木委員、千田委員、横山(英)委員、荒木委員、梶田委員、今井委員
事務局: 小野事務次官、御手洗文部科学審議官、近藤生涯学習政策局長、矢野初等中等教育局長、工藤高等教育局長、遠藤スポーツ・青少年教育局長、寺脇生涯学習政策局審議官、玉井初等中等教育局審議官、加茂川初等中等教育局審議官、名取主任社会教育官、山中生涯学習政策局政策課長、桒原主任教育改革官、その他関係官
   
議    事
 
鳥居会長   それでは、第11回中央教育審議会総会を開催させていただきます。
   委員の皆様にはお忙しいところを御参集賜りましてありがとうございます。
   まず、本日の議事に入ります前に、今後の議論の進め方につきまして、委員の皆様にお諮りしたいと思います。
   我々が受けております諮問の一つが教育振興基本計画を策定することと、もう一つが教育基本法の検討、見直しということでございます。両者の扱い方といいますか、どのような順番で扱っていくかについて、前回もいろいろ御意見をいただいたわけでございますが、事務局に一応基本的な進め方の案を用意してもらったものがございます。それを読み上げていただいて、皆さんの御意見をお伺いし、御了承をいただければと思います。

事務局   資料1の中央教育審議会における今後の議論の進め方ということでございます。
   「(1)」は、教育振興基本計画と教育基本法の審議の関係でございますけれども、これからの教育の目標とそれを実現するための施策に関する教育振興基本計画の検討と、新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方は、密接に関連するものであるということから、本審議会としては、教育振興基本計画に関する議論を先行させ、具体的にどのような方向で教育を改革しようとしているのかについて、おおよその姿を示しつつ、そのような教育にふさわしい教育基本法の在り方についての議論を行うものとするということでございます。
   「(2)」の審議の在り方でございますけれども、振興基本計画、教育基本法につきましては、総会において議論する。この場合、教育振興基本計画、教育基本法について、全体的な議論をまず行った上で、総会に部会を置き、具体的な検討を行うものとする。部会の議論につきましては、随時総会に報告して、総会の意見を部会の議論に反映するということでございます。
   以上でございます。

鳥居会長   このような進め方でいかがでございましょうか。
   特段に御意見がなければ、この形で進めさせていただきたいと思います。
   「(1)」については、できるだけ臨機応変に両方のテーマについて行ったり来たりしながら議論をするという心構えで、ここに書いてあるような一応の順序でやりたいと思っております。
   それから、審議の在り方につきましては、後ほどまた部会の構成等について素案をお示しをしたいと思っております。ということで、よろしゅうございましょうか。
   ありがとうございます。それでは、そのように進めさせていただきます。
   御了承を得られましたので、今日は教育振興基本計画のほうを中心に全体的に審議をお願いしたいと思います。それから、教育基本法については、主として次の機会に御審議をいただき、その際、部会の構成についてもお示ししたいと考えております。
   それでは、早速でございますが、議事に入らせていただきます。
   まず資料の説明からお願いします。

事務局   では、教育振興基本計画で、今後の教育の方向、あるいは実現するための施策ということでございますので、資料2では、戦後教育改革がどういう形で行われてきたかということを概略お示ししてございます。
   資料3は、現在行っております「21世紀教育新生プラン」の概略でございます。
   資料4は、前回もお示し申し上げましたけれども、主な基本計画、ほかの基本計画がどのような状況になっているかということを簡単に内容を説明したものでございます。
   それでは、まず資料2から御説明申し上げたいと思います。
   戦後教育改革の流れということでございますけれども、まず終戦直後、戦後教育の再建ということで、占領下におきまして教育の民主化が行われ、この中で教育基本法が制定され、あるいは6・3・3・4制といった単線型の学校体系が学校教育法によって導入されたということでございます。この後、昭和27年からおおむね昭和46年ごろまで、経済社会の発展に対応した教育改革ということで、この間、右のほうに書いてございますけれども、昭和30年、高校進学率52%でございました。大学・短大進学率は10%。これが昭和50年になりますと、高校進学率は92%、大学・短大は38%という形で、大きく高等学校あるいは大学・短大の進学率が急増しております。
   この期間、社会的には経済、社会も量的に著しく発達して、科学技術の進歩、高度の経済成長という時代でございました。池田内閣時代の国民の所得倍増計画もございまして、国民の所得水準は非常に上昇したという時代でございます。それに伴いまして人材需要が増え、国民の教育に対する熱意と相まちまして、教育についても量的拡大が行われ、教育の機会均等の理念が実現していった時代であったと考えられます。この時代、そういうものに対応いたしまして、教職員の定数の改善とか、あるいは学習指導要領の中身の数次にわたる改訂、あるいは理工系の増募計画もございまして、高等専門学校制度が創設されたり、あるいは短期大学が恒久化されたり、そして高等教育が拡大していったわけですけれども、その多くの部分を私学が担ったということもございまして、私学に対する経常費助成が制度化されたのがこの時代でございました。
   この時代、あわせて右のほうに東大紛争安田講堂事件というものがございますけれども、昭和40年代からだんだん大学紛争、学園紛争も始まり、昭和44年には一つのピークを迎えた時代でもございました。
   昭和46年あたりからでございますけれども、昭和47年のオイルショックということもございましたが、安定成長下の中での教育改革ということで、経済の安定成長、国民の生活水準が向上しまして、それに伴って国民のニーズの多様化が進んだ、あるいは産業構造にしても、第1次、第2次、第3次と、だんだんと産業のソフト化も進んだという時代でございます。また、都市化、核家族化等も進み、家庭とか、地域の教育力が低下したということもございまして、一つは知識の詰め込み型教育の弊害、あるいは受験競争の激化、一方で児童生徒のいじめとか、暴力行為等の問題行動も顕在化してきたという時期でございました。
   こういう中で、昭和46年には中央教育審議会の答申が行われたわけですけれども、この答申に沿いまして、この時期、安定成長下での教育の内容的なもの、あるいは質的な改善が図られたという時期でございました。一つは高等教育、大学以上ですけれども、ここの計画的整備とか、あるいは小・中・高等学校については質的な向上ということで、教育課程の改善とか、教員の給与の改善とか、あるいは40人学級の実現ということがございました。また、教職員の資質・能力の向上ということから、新構想の大学が設立されたりということもあった時代でございます。この時代、高校進学率は92%、大学・短大は38%に達していたという状況でございました。
   50年代以降から、特に校内暴力、いじめとか、登校拒否というような、学校荒廃が目立ったということもございまして、その後、臨時教育審議会が昭和59年に設けられました。そこで3年余の審議を行いまして、昭和62年には臨教審の最終答申が行われたところでございます。この背景には、左側にございますように、産業構造の知識産業化へのより進展、国際化・情報化といった社会の大きな変化、知識詰め込み型教育の弊害、受験教育の低年齢化、いじめ、不登校等々、いろいろな問題がございまして、方向としては三つの方向を臨教審は打ち出しました。
   一つは、個性重視という方向でございます。もう一つは、生涯学習体系への移行ということで、学校卒業後も学校にまたリカレントで学ぶというような、学歴社会でなく学習歴社会を目指した生涯学習社会への移行ということもございました。それから、国際化・情報化への変化の対応ということがあったわけでございます。
   この路線で文部省は教育改革を進めてきたわけですけれども、それ以降、昨年、教育改革国民会議が発足して、そこで提言が行われて、それにも沿いながら、今、教育改革が進められているということでございます。
   一言申しますと、教育改革国民会議が臨教審時代と一番大きく変わった点は、臨教審の最終答申は1987年でございますけれども、1989年にはベルリンの壁の崩壊ということに象徴されますように、東西の冷戦構造が終わったということがあろうかと思います。それに伴いまして、経済・社会のグローバル化が進み、世界的規模での競争の時代に突入したということが、社会・経済の状況としては一番大きなことではなかったかと思っております。この中で、教育につきましても、いじめ、不登校とか、問題行動がまだなお改善されず、あるいは時代の流れに取り残されつつ、時代の変化に教育システムが対応できているのかという点が問題になったということでございました。
   そこで、教育改革国民会議から最終報告ということで、人間性、才能、学校づくり等を中心といたしました17の提案が行われたということでございます。
   現在、文部科学省では、資料3でございますけれども、教育改革国民会議の最終報告も踏まえまして、それから臨教審以来の文部科学省でのこれまでの教育のための施策を含めまして、七つの重点戦略ということで、「教育新生プラン」を今年の1月に作成して、教育改革に取り組んでいるところでございます。具体的な詳しい内容はまた見ていただくことにいたしまして、七つの重点戦略の一つ目は、資料3の1ページ目にございますように、「わかる授業で基礎学力の向上を図る」ということでございます。具体的には、例えば一番上にありますように、基本的教科で20人授業とか、あるいは習熟度別授業が実現できるようにする。あるいは、やった施策について、しっかり評価しようということで、下から2番目にございますが、全国的な学力調査の実施というようなことを内容としてございます。
   柱の2番目は、2ページでございますが、「多様な奉仕・体験活動で心豊かな日本人を育む」ということで、特に一番上にございますが、学校教育あるいは学校の外でも子どもたちのいろいろな形での奉仕・体験活動を促進しようということで、学校教育法の改正とか、いろいろな取組も行ってきているところでございます。
   次の柱は、4ページ目でございますが、「楽しく安心できる学習環境の整備」ということで、2番目にありますような、問題を起こす子どもに対する適切な対応とか、有害情報への対応等に取り組んでいるところでございます。
   4番目の柱は、「父母や地域に信頼される学校づくり」ということでございます。この中では、小・中・高等学校でも評価システムを導入すること、あるいは学校評議員制度の導入、それから保護者の参加、あるいは情報公開による教育委員会の活性化ということ、あるいは新しいタイプの学校づくりということについての検討も現在進めているところでございます。できるだけ保護者の方、あるいは地域の方の意見、あるいは御批判を受けながら、より開かれた、よりよい学校にしていくためのシステムづくりを行っているところでございます。
   次が5番目の柱ですけれども、「教える『プロ』としての教師の育成」ということで、6ページ目でございますが、優秀な教員に対する表彰制度、あるいは逆に指導が不適切な教員への厳格な対応といったことで、一所懸命頑張って成果を上げている方は伸ばす、そうでなない方にはそれなりのという形での対応を考えているところでございます。
   7ページ、8ページは、「世界最高水準の大学づくり」ということでございますが、これにつきましては、7ページの下にありますように、国立大学の独立行政法人化の検討、あるいはトップ30といった競争的な環境をつくり出す、あるいは教員への任期制の導入を促進するといったような取組を進めているところでございます。
   以上が現在の「21世紀教育新生プラン」に基づく主な取組状況でございます。
   こういう形で、現在、教育改革を進めているわけでございますけれども、ほかの主な基本計画がいろいろな分野でつくられております。その概要について簡単に、資料4でお示ししてございます。
   ほかの基本計画でございますけれども、計画の期間はおおむね5年から10年ぐらいでございます。スタイルといたしましては、まず第1に施策の基本的方向、方針を書きまして、それに基づいて、総合的・計画的にこういう分野を重点的にやるべきというような、講ずべき分野ごとの施策を書いているというものが通常でございます。
   例えば、1ページ目に、e-Japan重点計画というものがございますが、これは最新のものの計画でございます。これも一番初めに基本的な方針があって、その下にいろいろな具体的な施策がございます。後でまた御覧いただければと思いますが、参考4ということで、白表紙の『e-Japan 重点計画』そのものをお手元に配付してございますので、また御覧いただければと思います。例えば、参考4の19ページを見ますと、「教育及び学習の振興並びに人材の育成」ということで、教育の分野についての計画が書いてありますが、目標として2005年のインターネット個人普及率予測値の60%を大幅に上回ることを目指すとか、あるいはIT関係のマスター、ドクター取得者を増加させるとか、あるいは2005年までに3万人程度の外国人人材を受け入れるとか、具体的な数値目標のようなものを示して、具体的にどういう形に5年後にするかということを示しながら、それ以下で具体的な施策を書いているという例がございます。
   そのほか、資料4に戻りますが、御覧いただきますと、各基本法とも第1に基本的な方針を書きまして、それ以下に具体的なそれぞれの主要な分野の施策が書いてあるというのが、基本計画の構成となっております。
   資料4の一番最後に、A3の大きい表がございますが、これも前回お示ししたところでございますけれども、各基本法の法律内容の構成はおよそこんな感じになっておりますということをお示ししたものでございます。
   あと基本計画に関します資料といたしましては、参考3に科学技術のほうの基本計画もお配りしてございます。前回も配付してございます。
   以上でございます。

鳥居会長   それでは、資料の説明は以上にさせていただきまして、あとは適宜資料に戻って御覧いただくことにいたします。
   今回は全体的な検討ということでありますので、教育振興基本計画をどのように構想していくかということを中心に御議論いただきたいと思います。できるだけ今日は幅広くいろいろな角度から御意見を出していただいて、だんだんにそれを絞っていくというふうにしたいと思いますので、どうぞ御自由に御意見をいただきたいと思います。
   何に重点を置くかという御意見もありましょうし、基本計画なるものの構成をどう考えるかという点についての御意見もおありでしょうし、いろいろあると思いますけれども、特にどこから始めるということは選びませんので、御自由にどうぞお願いしたいと思います。

   たくさん資料をいただいたものですから、まだ十分にのみ込めておりませんが、教育振興基本計画で一番大事なのは、当面の一、二年やることではなくて、5年あるいは10年という一つのパースペクティブで、これからの教育にかかわる政策とか、予算とか、それは裏表でしょうが、そのようなことの基本的な枠組みをつくっていくことだと、このように一応理解をしておるのですが、それでよろしいかどうかということです。
   つまり、お互い共通のフレームを決めないと、なかなか議論できない。一応5年という、今、進展が激しいですから、5年ぐらいで考えるという一つの行き方があるでしょうし、それから5年ぐらいでしたら、「教育新生プラン」をどう延長していくかといいますか、こんなことで考えられると思います。ただ、10年ということになりますと、この数年に起こっている世界のいわば構造的変化みたいなものをどのようにとらえるかということで、10年あるいは20年でもしフレームをつくって考えるとすれば、その辺でかなり議論をしないと、よさそうなものをメニューブックみたいに並べても、どういうふうにもならんだろうという気がしておりまして、その辺でもしお考えがあれば聞かせていただければと思います。

鳥居会長   事務局に答えていただくほうがいいか、私の私見を述べたほうがいいか、いろいろあると思いますけれども、まず事務局側で何かあれば。

事務局   今までの基本計画でございますけれども、先生がおっしゃられますように、世の中の変化が激しいということもございまして、おおむね10年ぐらいを見通しながら、具体的にでは何をやるかという計画につきましては、5年程度の施策を考えていくというものが多い。それから、2年ごとに見直すとか、あるいは5年ごとに見直すとか、毎年見直すとか、それぞれ状況の変化に応じて見直し規定を設けているものも多いという状況でございます。

鳥居会長   委員は御質問の形で実は御指摘しておられると思うのですけれども、46答申、昭和46年の中教審の答申は、本当によくできていて、今になってもなるほどと思うことが大部分を占めていると言ってもいいと思います。
   それから、46答申から約5年遅れでつくられた、今度は臨教審の答申も、これまたかなりオーバーオールに日本の教育の改革のデザインをしたと思います。
   しかし、今まさに委員がおっしゃったように、あの時代と今とでは違うことが余りにもまた増えてきている。それを最初に検討しないと、この後の5年にせよ、10年にせよ、新しい教育振興基本計画と呼べるものにはならないのではないかと私は思っています。恐らく皆さんそれは共通しておられる御認識だと思うのです。でありますので、そういう点について、今日は特に御意見をいただければありがたいと思います。

   実は一昨日、日本経済新聞が主催した「知の大競争時代に備えて」というシンポジウムございました。たまたまパネリストとして出席させていただいたのですが、午後1時から5時まで、とにかく居眠りが1人もいないという非常に変わった、ものすごく熱が入っている。参加した方々はみんな大人ですけれども、普通の方々がいかに今の時代の教育に対して関心が深いかということを実感して帰ってまいりました。
   そこで出た話ですけれども、要するに議論していて出てくるのですが、こういう問題はどうだ、こういう問題はどうだって出てくるわけです。それはみんな実は文科省が手をつけているのです。みんな対策をつくっているわけですね。その議論の中で、全部やっているけれども、全然効果がないではないかという話になってくるのです。効果がないというのはちょっと暴論だと思うのですけれども、しかしきちっと対応しているのです。対応しているということをきちんとした総合計画みたいなことで示さないと、世の中のほうで何もやっていないのではないかみたいな間違った考えが随分強くあるのだなということを実感しました。
   もう一つ、その中で感じたことは、対応していることが結果を出すためには、こちら側の考え方としては、一つは予算の問題があるのだろうという気がしました。ですから、お金の問題を基本計画でどの程度触れることができるのか。例えば、OECDの国際比較なんていうのが数字的に出ているわけです。それをそのまま使ってもいいのかどうか。それとの関連でいえば、『e-Japan』にまたベンチマーク集というのをつくっています。ベンチマークを項目ごとに設定して、それを基本計画の中に入れていく。それが達成されているかどうかを見直しのときにチェックするというような仕組みにするとか、何か具体的なものを出していかないと、施策としては文科省がいろいろ考えてやっておられるのですね。ですから、そのことをきちんとした形で世に訴えるというのが、これから基本計画の中心的な仕事かなという実感を持ったのです。その辺の議論から進めていただけるといいのではないかと思いました。
   幾つか申し上げましたけれども、総合計画の趣旨と予算の話とベンチマーク集をつくるのかどうかですね。

   私も委員がおっしゃったように、最終的に予算の裏づけといいますか、財政の裏づけがないと、恐らく難しいと思うのです。ただ、今、財政状況が非常に苦しい中で、どう効率的に使っていくかということも含めて考えなくてはいけないのかなという感じがするのです。今のOECDの比較表があるというお話がありましたが、どんな数字があるのか、私よく存じませんので、もし事務局のほうから何かお示しいただければ、国別にGDPの中のどれぐらいの比率という、恐らくそういう表だと思うのですけれども、教えていただければ、今後の議論の参考になると思っております。後で結構です。何かプリントしていただければ。

鳥居会長   わかりました。

   先ほど10年ということで、少なくともパースペクティブはそのぐらいで考えて、5年ぐらいで打つ手を考えるということで、ぜひ検討の中に入れてほしいなというのが2点、今、頭にありまして。
   これも、先ほど委員がおっしゃったように、文科省がこれまでやらなかったというか、検討しなかったわけではないけれども、結局、何もできなかったというものです。これは46答申にあります二つの大きなポイントです。一つは、子どもの心身の発達が、昔、6・3・3・4を考えたときと比べて、発達前傾現象とか、発達加速現象という言葉で呼ばれておりますけれども、前倒しになってしまっているのです。それに対応した教育制度を新たに構想しなくてはいけないのではないかというのが、46答申の非常に大きな一つのメッセージだったわけです。ところが、たぶんこれは大変なことになるというあれがあったのでしょう、教育研究開発室を初中局につくって検討はされましたけれども、私も入りましたが、でも結局どうにもならなかった。
   ただ、そのときにいろいろな学者グループに実証的なデータを出していただきました。例えば、5歳児は既に小学校1年の6歳児のカリキュラムをこなせるとか、あるいは小学校低学年、1年生、2年生と小学校5、6年は、発想から感覚から、論理の進め方から非常に違いがあって、むしろ5、6年生は中学1年生ぐらいと同じとか、あるいは中3はほとんど高校生と同じとか、いろいろな形でデータが出ております。しかし、46答申はかなり古いものです。
   どうしても教育の話というのは腰だめで、何の根拠もなく「発達が……」なんて言う人が多いものですから、私は心理学をやってきた立場から言うと非常に腹が立つわけです。やはりその辺も踏まえて、今の子どもたちの発達の実情、つまり、よく言われるように子どもたちの発達と教育というのは裏表なのです。教育によって発達する部分もあるし、その発達に即してまた教育を考えなければいけない。これは改めて言うまでもありませんが、そうすると、マスコミの発達とか、生活様式の変化によって、子どもの発達そのものが非常に変わっているということを念頭に置かないと、いろいろな手を打っても、結局、後追いの、悪いとは言いませんが、心にいろいろと外傷を持つ子が増えたから、カウンセラーを増やしましょうという程度の話なのです。それは必要でしょうけれども、その前に、カウンセラーを必要としないような子どもが育つにはどうしたらいいかということを本来は考えなければいけないはずなのですがね、と私は思います。
   したがって、子どもの発達の現状をもう一度おさらいをして、これはよほどお役所でそういうことについての研究プロジェクトにボンボンお金を出さなければ、今、老人の発達研究はいっぱいあるのですけれども、その辺はあんまりないのです。ぜひそれも考えてほしい。制度までいくかどうかわかりませんが、少なくともカリキュラムの在り方については非常に必要です。
   ついでに言っておきますと、アメリカでいいますと、15年ぐらい前にタレント・ディベロップメントという非常に大きな包括的な研究がありまして、例えば、幼児期には非常に温かい包み込むような指導が必要だけれども、小学校5、6年のいわゆる思春期発達の時期以降は、かなり厳しい指導に出合わなければ伸びていないという、いろいろなデータも出ているのです。というようなことも含めて、日本だと二十になっても、25になっても、温かく包み込むのが一番いいような話にすぐなってしまいますけれども、これは一流の科学者になった人の追跡調査も含めてやっております。そういうこともありますので、ぜひ発達の事実を考えていただきたい。
   もう一つは、それと関係しますが、46答申で、豊かになってきたために、子どもたちが我慢する機会もなく、いろいろなことをやってきたせいか、内面的な成熟に弱点が出ているという指摘が繰り返しされております。これが今も拡大したままできていると思うのです。二十の子が成人式にああいうとんでもない幼い行動を各地で繰り広げるというね。やっぱり二十で成人式をするのは間違いで、30になったときに成人式をしなければいけないのではないかという話が出るぐらいです。そういう内面的な成熟、昔だったら大学生というのはしっかりしていましたよ。今はそれを前提にして指導していたらどうにもならないというのは、大学で教えたことのある人はよくおわかりだと思います。そういうことに対して後追いでなくね。後追いの策はいっぱい出ているのです、今。根本的にどう考えるかという論議も、いわゆる青年期教育といいますか、そういうところで必要ではないかと思います。既にこれは46答申で提起されてはおりますけれども、私の見るところでは、その後、ほとんど根本的な論議なしに今に至っていると思いますので、どこか念頭に置いていただければありがたいと思います。

鳥居会長   今、委員から46答申に書いてあるけれどもということで、二つ挙げていただいたわけですが、その中の1番目の学校制度といいますか、学制の問題はいずれ触れざるを得ない問題で、46答申が書いた当時と今と我々は発想を変えるべきなのかどうなのかということを自らに問うべきなのは、一つの学校制度、6・3・3・4を5・5何とかに変えても、一つの制度が全部の同じ年齢の子どもにお仕着せられるのか、それともそこのところを自由にゆとりを持たせるのか、その辺のところは実は46答申ではまだ検討しなかった問題で、そのこともたぶん含めてなのでしょうね。

   企業の場合は、こういう基本計画といいますか、長期計画あるいは中期計画でもいいのですが、つくりますときに、大体定性的な目標もありますけれども、定量的な目標がかなり出てくるわけです。売上をどうしようとか、利益をどうしようとか出てくるわけでございますが、教育の場合にもちろん企業と違って、定性的な目標が企業よりは多くなると思うのです。しかし、定性的なものばかりですとわかりにくいので、定量的なものも出てこなくてはいけないと思うのです。その場合に、この間、1週間ぐらい前ですか、新聞に何か小・中学校の学力差みたいなものが出ていましたよね。日本は割合よかったと思うのですけれども、ああいうものがいろいろなレベルで、国際的に比較できるのかどうか。よく日本の子どもはできるとかできないとか、それから日本の教育はいいとか悪いとか、いろいろな議論がありますけれども、数字を抜きにして言っている場合が多いのですけれどもね。数字でわかるものというのはどのぐらいあるのか、伺いたいと思うのです。数字でわかるものがあれば、定性的な目標ばかりでなくて、定量的な目標もある程度出していくべきではないのかなと思っております。

   教育振興基本計画については、この前の議論を伺っても、計画自体を策定することについての異論は、私が聞く限りではなかったと思うのです。したがって、今、いろいろな委員の方がおっしゃるように、総合的な施策をどういうぐあいに実施していくかという目標と、その裏づけとしての財政的な基盤といいますか、よく教育は未来への先行投資だというようなことは、G8などでも言われているようですけれども、どの度の投資をするかということが、ある意味では決め手だろう。計画が立てられてもそれがなかなか実行に移されないというのでは、国民的にも理解が得られないと思うのです。要はどのようにして財政的な裏打ちをするかということを、中教審としても相当議論を積み重ねないと、前に佐藤委員からかなり大がかりな仕掛けが必要だというような趣旨のことをおっしゃられて、いろいろな計画は立てても、5年なら5年のスパンで見ても、2年目か3年目に財政事情によって凍結されたり足踏みしたりというのは、40人学級のときとか、教職員の定数改善計画も財政事情によって足踏みをしたという事実経過もありますから、問題は本当に国民的な世論を大きく結集していくようなことがないと、これは実現できるのかなという一つの不安を現状においては抱かざるを得ないと思うのです。
   その際、基本法に基づいて基本計画を立てている場合と、一般法で計画を立てている場合とか、財政的な裏打ちは単年度主義という予算の中でそれぞれの年次ごとにやっていく場合と、この前、道路の話も出ましたけれども、特定財源を持っていて、それが財政的な裏打ちになっている場合と、私が見る限りでもいろいろなケースがあるようです。アメリカでは教育費は、日本でいう固定資産税の何%となっているということで、かなり安定的に実施されているのですけれども、今の地方財政の状況を考えると、国と地方で計画を立てて、財政的にどうするのかというのを相当詰めた議論――分権の話も当然あるし、これから地方制度調査会でまた地方財政の問題について、税財源の問題も議論されると伺っていますけれども、そういうところも基本法の中に盛り込んでいけば、このことが実施されるというはっきりした担保が、これから議論していくどこかの段階で、政府全体として、小泉総理が言われるように「米百俵」という流行語にもなったぐらいですから、そういう意味で先行的に投資をしていくのだという大きな世論をつくり上げていくということをしないといけないのではないかということが一つです。
   なお、この前も諮問の中では、国民にわかりやすい教育目標、教育改革の基本的方向、教育投資の在り方とか、三つほど出ておりましたけれども、総合的・計画的に実施すべき施策という中に、これから議論するための、ある意味で例示として出されているとは思うのですけれども、この前も申し上げましたし、定数をより少人数の学級にしていくということで、いろいろな地方自治体の取組もありますし、これは国民的にかなり期待が大きい。それから、校舎とか、施設設備も、大規模な改修計画が、第1次ベビーブーム時代につくられて改修が迫っているようなものが、市町村によってはかなり大量に抱えているということもあります。そういう問題についても、五つほど例示されている項目の中では、生涯学習の基盤の充実ということが、私が見た限りではなかったし、スポーツ・文化の振興とか、そういう問題も、例示項目の五つの中になかったので、そういうものも含めて、これは各分科会が、例えば2番目に挙がっている「教員の資質向上と学校運営の改善」なんていうのは、初中分科会等でも議論している問題ですから、10年目検証を本格的にやるためには幾らぐらい金が必要なのかというのを、生涯学習の分科会とか、スポーツ・青少年分科会とか、それぞれの分科会でも一定程度議論して、総会に上げてきて、それをくみ上げて、最終的に総会が調整するとか、そういうことが必要ではないかということを強く感じています。
   今、私が持っている公財政支出の学校教育の国際比較、平成11年度の文部省統計によると、日本はGDPに占める教育費が3.6%、アメリカが5.0%、イギリスが4.6%、フランスが5.6%、ドイツが4.6%。とりわけその中で初中と高等教育に分けると、高等教育が諸外国に比べて低いというのは歴然とした事実です。初中はそれで十分という意味ではありませんけれども、初中に比較して高等教育のGDPに占める予算の比率は極端に低いというのが一目瞭然でありますから、高等教育の整備充実という問題も十分議論する必要があるのではないかということを感じています。
   それから、振興計画とは直接関係ないのですけれども、先ほど資料2で示されたものを私も見て、これは中央教育審議会に配られているので、特に15期以降の中教審について何らこれには触れられていないので、ちょっと意外な感じがしたのです。「21世紀を展望した我が国の教育の在り方」ということで、「生きる力」とか、「ゆとり」とか、完全学校週休2日制の問題とか、教育内容の厳選とか、あるいは今後の地方教育の在り方ということで分権の問題とか、今進められようとしている教育改革の方向は15期、16期の一次答申、二次答申、分権とか、心の教育ということがかなりベースになっているのです。臨教審のことは詳しく書いてありますけれども、臨時教育審議会から教育改革国民会議に飛んで、その間の15、16、17期の中教審について全く記述がないというのは、中教審に配られる戦後教育改革の流れとしては、やや問題があるのではないかという感じを、今ちょっとみて、まだ細かく分析はしておりませんけれども、いずれ戦後教育全体をある意味でレビューする作業も、基本法の問題と関連してあるのでしょうけれども、ぜひその際はもう少し総合的に戦後教育史を俯瞰したようなものを作成してほしいということを、これは要望ですが申し上げておきます。

鳥居会長   今、委員が整理してくださった点は、いずれも大事な点でございまして、特に根拠となる法を基本法とするか、一般法に置くか、それからまた財源を一般財源からとるか、特定財源からとるかという整理の仕方はとても大事で、科学技術振興のほうを見ますと、基本法を持っていて、多くのものは財源は一般財源からとっているという組み合わせになっていますので、今後、我々はそういうことも意識しながらやっていくことはとても大事なことだと思います。
   それから、最後におっしゃってくださった、臨教審からいきなり国民会議へ飛ぶという感じの整理の仕方になってしまったのは、ここのところが抜けていますので、また次回にでも、もう1回これはつくりましょう。

   基本思想をしっかり書かれていることをもう1回考え直してみて、要するにだれに何をせよというのかというポイントと、何をするのかというところで、もう一つ踏み込みたいと思うから、そういう発言をするのですけれども、問題意識だけをざっと言いますと、今回、こういう新しいプランをつくるといったときに、我々の気持ちとして、まず第1点目ですけれども、文部省と科学技術庁が統合して、文部科学省になった最初のプランだと思うのです。その意味で、では何が変わるのだという部分で、科学と教育という考え方について、たぶん日本の欠落がここにあるのだと僕も感じている部分があるものですから、足し合わせて省の名前が変わったというだけではなくて、文部科学省になったということを背景にしたいわゆる教育プランがあってしかるべきではないかというのが、まず1点目です。
   二つ目に、「21世紀教育新生プラン」の七つの重点戦略という中に、我々がこれは議論してきていたことだと思うのですけれども、再確認のために申し上げると、「父母や地域に信頼される学校づくりを行います」というのが「4」に出てきますけれども、私は今、教育の荒廃をいろいろな局面で再度勉強させてもらって、じっくり考えてみると、本当は「子どもに信頼される父母や地域」ではないかと思うのです。「父母や地域に信頼される学校」ではなくて、「子どもと学校に信頼される父母や地域」の問題が重大な問題として横たわっている。だから、僕は今回の中央教育審議会は、世の中に対しても教育は学校制度とか、そういうものをいじくる問題では終わらないところまできていますということを、率直にぶつけるべきではないか。父母や地域が変わらない限り、子どもにどうせいと言ってみても、非常にむなしいという、多くの事例が出てきていると思うのです。
   例えば、何を言いたいのというと、例えばメディア環境を一つとっても、今年から幾つかのテレビ局が、ついに最後の牙城が落ちて、ゴールデンアワーにサラ金の宣伝がメジロ押しに入ってきていますね。気軽に金を借りてハワイに遊びに行って、気軽に踏み倒すという風潮を一方でつくっておきながら、教育にまじめに取り組むなんていう話が成り立つのかという部分があるわけですよ。ですから、国家がそういうものを規制していくという話ではなくて、パブリックの問題意識として、官と民の間の公というコンセプトとして、例えばNPOの在り方を背景にして、そういうメディア環境に対して官が規制するのではなくて、世の中で限界を超している部分についてきちんと制御していく。官の規制とパブリックの制御とは違うということを、きちんとした考え方として出していく。これは実は地方分権でも委員をやっているものですから、議論をしていて本当に思うのは、ごく少数の人が立ち退かないために、全くパブリックのプロジェクトが動かないというケースがありますよね。官でなぎ倒して立ち退かせればいいという話ではなくて、地域社会の人たちが主体的に方向づけをしていかなければいけないという時代がきているわけで、所有と利用とは違う。資本主義社会だから、所有権を否定するものではない。だけど、利用権はパブリックというところで大きく制御されるのだという考え方をつくっていかないと、話がおかしくなるよということをきちんとしないと、大変なことになるだろうと思うのです。
   したがいまして、僕が言いたい2点目は、「子どもに信頼される父母や地域」という考え方を出さなければだめなのではないかという点が一つです。
   3点目。大人としてどういう大人になることが望まれているのかというあたりがものすごくぼけているから、教育議論が混迷するのだろうと思います。あれだけ教養教育のことについて議論してきたわけで、いろいろ考えてみても、和漢洋のバランスのとれた教養を身に付けた大人をつくるのだという思想を、日本人ならばしっかり持つべきではないか。今回、例えばメディア的に注目されるのは、社会貢献の義務づけとか、そういう部分だけが殊更に取り上げられていくだろうと思うのですけれども、大人としてミニマムな教養というものについて、例えば高校生ぐらいまでの間にどういうものを身に付けさせようと思っているのかということを、いつかの議論にこだわるわけではないですけれども、例えばどういう本をきちんと読んでほしいと思っているのかなんていうことも、明快なリストを、それは各地域ごとに任せてという意味ですよ。国が「こういう本を読め」なんて強制するという意味ではなくて、地域の教育者たちが主体的に、この地域ではこういう本を読ませたい、新潟ではこうだ、北海道ではこうだという考え方でいいと思うのです。
   もう一つだけ、これが問題なのだという意味で、いい資料があったから申し上げるのですが、参考資料1の「教育を取り巻く現状に関する資料」というのがありますが、これの55ページ、これは重大な数字だと思うのです。前から僕は気になっていたのですけれども、「日・米・中の高校生の規範意識」です。ほかのところはそれほど差がないと言ってもいいぐらいです。誤差の範囲だと言われてしまえば、それっきりという部分もなくはないけれども、これだけはすごいですよね。要するに、日本の高校生というのは先生に反抗することも、親に反抗することも、ポケベルを授業中に送ることも、学校をずる休みすることも、パソコンで性的画面をみることも、全部本人の自由でよいというところがストンと突出していますよね。これは何だというと、規範意識というよりも、それこそねじれた自由主義ですよね。
   戦後教育改革の流れでも、ここでの議論でも「行き過ぎた平等主義」という言葉がよく出てくるのですけれども、行き過ぎた平等主義よりも、間違った自由主義、個性尊重という名前の画一主義のほうが恐ろしいというか。本当の意味での平等主義なんて実現されていると思いませんよ、日本でね。現実問題として。そういう意味からいうと、ちょっと思想的に混乱があるのではないかということがあるのです。
   最後のポイントですけれども、本当に我々になけなしの教育予算がここにあるとしたら、何に使うべきか。企業だったら、副会長がおっしゃったけれども、プライオリティの議論を徹底的にしますよね、限られたバジェットの範囲の中で。例えば、20人授業というのが一つの大きな柱になっていますけれども、20人授業を実現するためには教員の数を当然増やさなければいかんです。設備も変えなければいけないですね、たとえ少子化の流れがあるとしても。今、本当に20人の授業に少なくすることがベターだとはしても、マストなのかということを考えたなら、そこのところを真剣に議論すべきだと思うのです。
   例えば、我々は団塊の世代だったから、65人とか、70人のクラスだったですよ。それは確かに大問題で、20人だったほうがよかったなと思う部分があるけれども、であるがゆえに、教育の根本的なところが見失われていたかというと、そうでもないです。ものすごい大量の人数の中で切磋琢磨する部分もあるわけです。本当に金を使うのなら、例えば40人学級を20人に減らすためのお金を使うよりも、個人的な意見としては、例えば社会貢献を18歳から以下の若者たちに定着させていくために、ここはドーンと金を使っても、徹底的にこの国に定着させる方向にお金を使うほうがマストではないかとか、最初に申し上げた科学技術教育のところにドーンと金を使うほうがマストではないかとか、そのことをしっかり議論して、この委員会としてはこう思うと。いや、ベターということを言えば、20人のほうがいいし、場合によっては個人教授のほうがいいかもしれないです。だけど、そこのセグメントが思想としてものすごく問われているのだろうと思います。

   お二人が言われた生涯学習とか、親とか、その他規範とか、全く賛成です。パラダイムという言葉がありますが、クーンが言うようにあいまいな意味でここでは使わせていただきますが、教育のパラダイムの転換をこの際意識する必要があるのではないだろうかということを前提として申し上げます。
   教育についての意識とか、教育の中での行動の仕方とか、規範とか、いろいろなものがありますけれども、その辺を変えていくことを、この際、我々は議論する必要があるのかなと思いまして、若干申し上げてみたいと思います。
   まず、教育の転換を図るときの社会的な背景があるわけで、いろいろ挙げられると思いますが、例えばということで言いますと、情報化に伴う情報の豊かさというのは、教育の世界に自由の拡大と選択幅の拡大をもたらしています。いい面、悪い面があると思います。それから、先ほど来出ているように、社会の流動化とか、社会的変化の早さ、激しさということもあると思いますし、少子高齢化の進展もあると思います。そういう幾つかのものがあると思います。
   それらを社会的背景としながら、我が国の場合には生涯学習社会の実現を目指すということを言ってきているわけです。それについては考え方がありますが、今はそれは省略しまして、具体的にはというと、この前の諮問にあったのが象徴的ですけれども、「人材・教育大国を目指す」というのが入っているわけです。「人材」と「教育」が入っているわけです。これは考えてみると、言葉の語感でしかないですけれども、経済的価値を追求する面で「人材」という言葉が使われることが多いと思います。「教育」というのは、人間的な価値を追求する面で、人間を形成するとか、そういうところに使われることが多いと思いますが、その二つが「・」で並べられているのは象徴的だと思います。
   つまり、何かといいますと、今までもそうだったと思いますが、これからの教育の場合には、人間的価値の追求と経済的価値の追求のバランスをとっていかなくてはいけないのだろうと思うわけです。日本にはほかに資源がありませんから、これが非常に大事なのだろう。そうすると、社会的な次元でいえば、これをどうやって支えていくのか。今もお話が出てきているようように、行政のセクターと民間のセクターの間にパブリックなセクターをつくっていかなければいけないのだろうと思うのです。それらがこれらをどのように受け持っていくのかということを、この際検討していかないと、やはり混迷してしまうのではないか。見通しがつかないと教育はやりにくいですから、困ってしまうのではないかというのが一つです。それが社会的側面です。
   それに対してもう一つ、生涯学習社会でいえば、時系列の側面があるわけです。人の一生という時系列ですが、それは生涯学習を前提としていえば、教育と学習を生涯にわたって分散化するということだと思います。これは言うは簡単ですけれども、どのようにこれをしていくのか。生涯にわたって教育、学習を絶えずうまく利用できるようにして、資質・能力の柔軟性を保っていく。非常に大事なことです。さっきのような社会的な側面での行政、民間、パブリックと、それから生涯にわたっての教育、学習の分散というあたりを思い切って考えないと、依然として今までの発想が続いていて、教育、学習は若年層というか、人生の早い時期に集中したままになってしまうという感じです。この前申し上げましたけれども、「21世紀教育新生プラン」を私も分析させていただいたのですけれども、改革が人生の初期の問題に集中しているのです。それはそれでいいと思うのです。それだけでは困るということで申し上げているわけですけれども、やはりその辺のところのパラダイムの転換が必要なのではないかと思いましたので、ちょっと発言させていただきました。

   今、委員の先生方がおっしゃったことに賛同なのですけれども、特に、臨時教育審議会の設置の状況の中で、都市化と核家族化を背景とした家庭の教育力の低下というのは、この時代からしっかり背景が見えてきていたわけですけれども、その後、どんどん悪化していって、今現在の状況が出てきていると思うのです。家族制度の問題の変化がとても大きいだろうと思っているのですけれども、それを一体どこでどのように是正していくことがいいのかということを私もいつも考えるのですが、なかなか良い方法がない。
   例えば、初めて子どもを得て、親になっていくわけですけれども、親になっていくための学習といいますか、教育というのでしょうか、昔の大家族の中ですと、自分の父母等からいろいろなことを教えてもらいながら親になっていくわけですけれども、現実に社会の中でしっかり仕事をしなければいけないという立場にもある親であって、仕事もしなければいけないし、子どもも育てなければいけないという状況で、やはり安心して子育てができる状況をどのようにつくり上げてきたのかということを考えなくてはいけないと思っているのです。
   では、いろいろな育児をする場所をたくさんつくればよいかというと、やはり親に代わる人はいないわけで、その辺のバランスですね。例えば女性の場合ですと、ある時期、子育てに専念できるような制度があって、そして自分が子育ての経験を経たことによって、一層他の子どもさんに対して、公的にも自分の力を発揮していけるシステムとか、男性の場合も随分企業のほうでこういう事柄が言われ始めまして、休みをたくさん持つようにしましょうとか、父親を家庭に戻すようにしましょうということが提言されてきていますけれども、親になる人が、親になることはどういうことかということを具体的に学ぶところが、今は少なくなってきていることがとても大きくて、家庭の教育力がちっとも向上しないという感じがいたしております。
   東京都が「心の東京革命」ということで、ほんの当たり前のことですということで提言をされて、冊子が配られたりしたことによって、例えば私どもの学区域の保護者なども、「あ、こういうことを気をつけなければいけないのだ」といって、本当に初歩的なことですけれども、子どもには「あいさつをしましょう」ということから始まってきているのです。その辺の家族制度の変化によって、核家族化になって、子育てがいかにも不十分になってきて、子どもたちがよりどころを失っているという意味での提言的なところをぜひ入れていかなくてはという思いでいっぱいでございます。

   皆さんおっしゃっていることと考えていることが若干似ているかと思うのですけれども、やはり教育というのは、幾ら「新生プラン」といいましても、ほかの計画のように、もちろん革新しなければいけないのでしょうけれども、将来のことを考えると、リスクというか、危ないことをとりにくいですよね。ですから、時間をかけてやらなければいけないと思うのですが、先ほどどなたかの、文部省が手をつけてないことはほとんどないのだというお話は、そのとおりだと思います。施策をいかに早めるか。いいと思うけれども、金がつかないという部分については、重点的に投資して早めていく施策の背を押すといいますか、そういうことをやらなければいけないと思います。
   一つは、最近、アメリカのコネチカットあたりの教育水準の高い小学校に出かけて、1週間ぐらいですから大したことはないのですが、教室内を見たところ、非常にいい雰囲気で、規律などもきちんと―アメリカというのは非常に自由だという感じだったのですが、逆に廊下なども整列して歩くというような雰囲気でして。その一つの鍵というのは、比較的コネチカットあたりは中流以上の家庭が住んでいるところが多いようですけれども、20人学級でクラスサイズが小さいということが一つポイントだと思います。
   それから、クラスサイズだけではなくて、日本の場合も平均すると、1人の教員が持っている数は少ないというふうに統計的に出るわけです。でも、なかなかうまくいかないのはどうしてかということですが、教えるということの専門性を教室で十分発揮できるような状況にはないみたいなのです。アメリカの状況を見ますと、1人の先生が教えるその周りに補助的な職員が数が意外におりまして、それが必ずしも常勤の職員ではなくて、例えば地域のある高等教育を受けたようなお母様方がパートタイマーというような形で、しかも、そのお母様方はパソコンとか、コンピュータとか、映像技術とか、今ある最新の情報技術をお持ちの方がサポートしているということがありまして、どうも補助事務職員の数というところにも、十分に何かを教えるということの専門性を発揮できない、一人一人を見詰める時間が少ない、まあ、先生方に味方し過ぎかもしれませんが、そんなような気がいたします。その辺をきちんと数量化して応援していく。
   同時に、教職員の方も、御自分の教えることについては責任を持っていただいて、しかるべき評価システムとか、あるいは学力調査の結果を公表していただく。そして、地域社会の信頼も得るということで、ある程度クラスサイズを小さくして教育の質を高めていくことに重点を置いたプランを立ててみるべきではないかと思います。
   これは高等教育でも、大学の場合もそうではないかと思います。教授が十分に魅力的な授業展開ができるには、今、情報技術を展開し、映像なども使って、魅力的な居眠りの出ないような授業を展開しなければいけないわけですけれども、サポート要員があまりいなくて、ひとりでやらなければいけない。
   いい例としては、放送大学がございまして、私、最近、放送大学に出ましたものですから、見ますと、そこはまさに授業内容の効果を管理するがごとき、ディレクターという職種がいるわけです。ディレクターが取材をし、映像で補助している。もちろんこれはその授業が4年間も放送されるということですので、そのぐらいのコストをかけるということは合理性があるかと思うのです。放送大学の授業内容は多くの方に見られるという、透明性もあるということもありまして、内容的には大変高いものだったと思っております。恐らく大学においてもそういうことをやっていらっしゃるところは少ないのではないかと思いまして、その辺の補助要員をどうするかという問題ですね。
   教育はもちろん学校教育とか、そういう中だけでする時代ではなくて、あらゆるリソースがあるわけです。メディアとか、いろいろなものがある。それから、地域の文化施設なども大いに活用していただきたいと思いますが、やはり基本のところは学校なりという本筋のところを崩してしまうと、ちょっと難しいかなと思うのです。例えば、私立と公立の関係をどうするのかということもありまして、バウチャー方式なんていうのも、若いころは何度か頭に浮かんだのですが、しかしバウチャーでどうなってしまうだろうかという心配もあります。しかし、3人子どもを私立へやりますと、学齢期の間、10何年美容院に行けないというお母さんもいるようでございまして、私立に不幸にして入ってしまったようなお子さんの場合には、もう少し援助を考えるとか、バウチャーではないような援助方式、そして私立と公立がお互いに競争し合って、質を高めていくような、そういう形のプランをつくっていくべきかなと。パラダイム変換というところにもいかないのですが、そのようなことを一つ思います。
   それから、これは教養教育のところでも申し上げているのですが、統計でOECDと日本とを比較いたしますと、高等教育に進む年齢が日本は非常に若い。18から19歳の間にほとんど進んでしまうのですが、ヨーロッパの場合は平均して20歳過ぎです。この間で自分の進路を熟考して、そこに社会奉仕活動なんかが入るのかわかりませんが、むしろヨーロッパの場合は、自分が興味のあるところに職業体験として高卒で入ってしまうということが多いようでございます。自分の進路を十分にというか、やはりモチベーションがないとなかなか勉強しないものです。自分がここに魅力があると感じれば、そんなにものすごく優秀でなくても、かなりのところへいくというその効果の面において、18から20歳ぐらいの間の猶予期間は、せかさないで、センター試験が受かったその点数を担保して、学者なんかの場合ですと、その2年間がいかんとおっしゃるのでしょうけれども、でもその間に自分自身の進路を良く決めるというような、これもおっしゃるように生涯学習の前半のほうに重点を置いた考え方かもしれないですけれども、その辺のところの猶予期間を置くような学制のシステムを考えたいと思います。

   今、高校生の問題がいろいろ取りざたされていますけれども、先ほど委員から御指摘のあった55ページの資料は、私もまさに本当に同感でございまして、これは本当に大変なことだと痛切に思うわけです。なぜそうなっているのか。これだけ日本が文化的にも、経済的にも、先進国並みのレベルに達しているのにもかかわらず、15、16、17の大人になっていい年齢の子どもたちが、なぜこういう現状なのだろうかというのを、非常に深刻に受けとめざるを得ないと思うのです。いろいろな原因があるにしても、諸外国の高校生に比べると、日本の高校生は幼過ぎる。つまり、大人に甘えているというか、別の言葉でいえば独立心がなさ過ぎる。
   ということは、逆に言えば、子どものころから親から独立心をきちんと養う育て方をされていないのではないだろうか。日本の親は、結局、子どもが倒れれば、そして泣き叫ぶと、周辺に迷惑だということもありますし、すぐに抱き起こす。しかし、それが本当に子育てにとっていいのだろうかということについてよく議論されますけれども、高校生を見ていても、いろいろな問題行動をする、あるいは勉強について怠けをする、遅刻をしてくる、中抜けをする、様々な逸脱行動をしても、きちんとした責任の取らせ方がなかなかできない。「怠けているから、君は進級は無理なんだよ」ということになるはずなのですけれども、なかなかそれが親にも、本人にも納得してもらえない場合が非常に多い。えてして親もそうですし、私たち教員もそうですけれども、どこか子どもを一人前にするための厳しさを我々自身が欠いているところがあるのではなかろうかと思います。
   それを前提にして申し上げれば、これまでの教育は学校を中心にして行われてきましたけれども、これだけ日本国民の学歴等も向上し、文化程度も発達してきた中で、やはり子育て、教育は、学校ももちろんそうですけれども、家庭やその地域社会の人々がもっと本腰を入れて取り組むべきものではなかろうか。また、責任をとるべきではなかろうかと思います。つまり、国民の民力をもっと教育に使っていいのではなかろうか。そのための支援策が国のレベルで行われていってほしい。つまり、官主導ではなくて、民主導、そしてその民を支援するための施策が、国レベル、あるいは地方公共団体レベルで組織的に行われていいのではなかろうかということを痛感しています。
   その意味で、学校について言えば、もっともっと地域に開いていくべきですし、それと同時に、地域の人々が学校をきちんと評価する。評価することは支援することでもあると思います。支援する地域や家庭はまた学校とともに子育てに責任を取るということでもあろうかと思います。そんなふうな一つの大きな方向づけを盛り込んだものにしていただければありがたいと思います。

   先ほど、15期、16期のときの一次答申、二次答申の話もありましたが、そういう議論に参加をさせていただいてきた過程も振り返ってみまして、二方面作戦が必要だと思います。児童生徒、学生、いろいろなとらえ方があると思うのですが、一つのアプローチは、子どもたちに対してです。
   もう一つは、先ほど来出ております、親というか、大人の社会といいますか、こちらのほうの教育へのアプローチの仕方、あるいは臨み方、また臨む際の意識、感覚の変革というのでしょうか、その両方を一緒にやっていかないことには、改革に何十年もかかってしまいます。そういう意味では、子どもを育てられない親、甚だしきに及んでは子どを産んではいけない親が、最近の幼児虐待やなんか見ていましたら、あります。もちろん子どもを産むのはそれぞれの権利ですが、日本の社会はマスコミも含めまして、悪いことは悪いこととして、直さなければならないものは直さなければならないというものを、みんな民主主義の名のもとに遠慮したというか、そういう発言をすること自体も抑え込んできた。両面からのアプローチをしないと大変ではないか。社会政策みたいなところにこんな議論を及ばしていいのかどうかという大変難しい議論もあると思いますけれども、そんな感じかなと思います。
   もう一つは、これはさっき寺島さんが言われた話にも関連しますが、日本はどんな分野でも幕内弁当なのです、社会が。いろいろ入っているのですが、一つ一つ見ると、どうしてもシャビイだという意味で。そういう意味で、資源、原資の効率化という意味も含めて、ベターかマストかという区分けの仕方になるかどうかも議論したらいいと思うのですけれども、優先順位をギリギリ詰めて、そこに原資を投入するというその発想は重要なのではないかと思っております。
   3点目に、先ほどの社会状況みたいなことにもかかわるのですが、私どもは企業との関係にかかわって、自分の仕事をしてきておりますが、例えば企業の立場が現在のような社会状況をつくってきたのに、それが社会にどういう作用、影響を与えてきたか。世にいう「会社人間」という言葉がございますが、特に男親と企業の社員としての生活みたいなものが、現在の教育の状況にどのような因果関係を持ってきたのかということを、企業の側もいろいろ考えて、一定の役割―僕はかなり影響を与えてきたと思うので、一定の役割を企業の側も果たすべきであり、これは企業社会でも議論していただく必要があるかなと思います。
   とりとめない話になりましたかもしれませんが、そんなものも総合的に議論して、振興計画なるものを詰めていかないと……。親にとって良い子とは何なのかということと、コミュニティがトータルで求める良い子とは何なのかというそのギャップも埋めて、議論していかなければいかんのではないか。

   私は先ほど委員がおっしゃった、教育のバラダイムの転換を大きく打ち出すべきだというお考えに大変賛成でございます。
   教育の問題というのは聖域化されておりまして、何かが問題があるとなったら、すべて文部科学省が何か方針を出さなければいけない、あるいは範を垂れなければいけないというような、国民と行政との関係ができ上がってしまっているのではないかと思います。でも、今抱えている教育の問題は、行政が、文部科学省ができること、しなければならないこと、これは文部科学省ではできません、これは国民全体の問題ですということをはっきり仕分けを打ち出していったほうがいいのではないかという気がいたします。
   子どもの問題は大人の問題の反映で、先ほど大人の問題ということが出ておりましたけれども、私も大学で公共性のマナーの問題を学生に調べさせて、レポートとか発表で必ず出てくるのが、公共空間で問題行動をしているのは、若者ばかりではないのです。大人がかなり高い比率で出てきます。そのことは必ず出てまいります。
   たまたま私、今、JRの研究所に参りましたので、駅公共空間、あるいは電車の車内空間での暴力とか、そういったデータが出てくるわけですけれども、そういう暴力行動も50代の男性が一番多いとか、出てきております。そういう意味では、大人の問題なわけですね。それが一つです。
   もう一つは、先ほど茂木副会長がおっしゃっておりました、産業界では定量的な目標を策定するというお話ですけれども、私もこういう方法をもう少し積極的に取り入れていいのではないかという気がいたします。もちろん定性的なものをすべて定量化すると、そこにこじつけが起きますので、それは慎重に注意しなければならない問題ですけれども、例えばどういうことを定量化の目標に設定していただきたいかというと、私は長年、大学でインターンシップを指導してまいりまして、また、ドイツでデュアルシステムも随分調査をしてまいりましたけれども、学生と産業界の交流の仕組みは、座学や教室内での授業よりはるかに大きな効果を生むわけです。知識が増えるということではなくて、大きな価値観なり、それから個人の生き方の枠組み設定に対する大きな影響があるわけです。そういう意味では、例えばインターンシップの普及率について、何%を目標にするとか、そのような形で、年次計画を積極的に出していってもいいのではないかと思います。
   もう1点は、生涯学習分科会のほうで高校や中学の現場のお話などを伺って、私、小・中・高の仕組みがどうなっているのかというのはよく存じ上げませんので、当たっていないかもしれないのですけれども、校長とか、教頭の任期期間が短いということで、なかなか本格的なリーダーシップをとれない。あるいは、大きな流れを変えることが難しいというようなお話があったかと思うのですけれども、今回の「教育新生プラン」は様々たくさんのことがあって、これを一つの学校ですべて取り組むというのは大変なことで、無理があるかと思います。ですから、もっと校長や教頭の任期期間を長くして、そしてカフェテリアプランのように、我が校では重点的に3ヵ年、5ヵ年で、このテーマとこのテーマの二つを積極的にやりますと。例えば、非常勤講師を我が校ではこれだけ増やして、様々な産業界やNPOの世界のシニアの人や若い人をこれだけ入れますと。こういうことによって、こうこうこのように変えて、こう活性化しますという、独自のプランを策定させるような権限や期間や仕組みを提供することが、活性化なり自主的な改革につながっていくのではないかという気がいたします。
   これに対して都道府県の教育委員会が、果たして今、バックアップの役になっているのか。むしろ硬直化させる仕組みとして作用している部分がないのか。私も地元で教育委員会の依頼を頼まれましたけれども、そのときは断ったのですが、そのときの接触の印象では非常に硬直化した感じを受けました。ですから、人選であるとか、運用であるとか、そういった部分の精査が必要ではないかという気がいたします。
   もう1点、どなたかが人材と人間という概念について御説明されておりまして、人材が経済的価値、あるいは人間が教育的価値と、このようにおっしゃっておられたのですけれども、今の時代、経済界もホモエコノミクスという概念だけでは立ち行かない時代でございますよね、副会長。経済界における人材育成は、会計も環境会計になってきておりますし、環境問題もそうですし、福祉の問題もそうですし、すべて人間的な価値、社会的な価値を取り入れた上での経済活動が、今、必要になってきているわけで、その辺はかなり統合化の方向にいっているのではないかと思います。そういうことを踏まえても、インターンシップとか、産業界、あるいはNPOの世界と教育の世界のデュアルシステムの大きな抜本的な仕組みをもっと考えていただいてよろしいのではないかという気がいたします。

   委員が先ほどおっしゃいましたけれども、父母や地域に信頼される学校ではなくて、子どもとか学校に信頼される父母や地域ではないかと。まさにそのとおりだと思っております。国民会議のときには、父母や地域に信頼される学校ということで、いろいろな提言をさせていただいて、その施策が今、文部科学省のほうでも随分出てきておりますが、それに対応するように形といいますか、来年から私たちはどうしていくのかということで、私たちPTAの中でも、学校とどのようにかかわっていくかということの冊子を出させていただきました。その中で第1に書きましたのは、教育の原点は私たち家庭であるということ、それから小学校に上がる前までに必要最小限守らなければいけないこと、これができていないと、皆さんが望むような開かれた学校づくりはできないということを、まず第1として書かせていただいております。
   問題なく学校が活性化しているところは、そういう信頼関係がとてもできているところでありますし、逆に問題が起こっているところは、家庭にも問題があることは指摘されているとおりです。
   私はずうっとこの問題を考えていまして、特にPTAでも単位PTA、それぞれの学校でPTAの役員を構成している主な人たちは、どうしてもお母さんなのですね。どうしてお母さんが出てくるか。お父さんが役員となっていても、そのようにして受けても、お母さんが出てくるというケースがものすごく多いのです。これはお母さんがお父さんの代わりにしゃしゃり出て、学校にかかわっているのかといったら、そうではなくて、ごく普通に考えると、やはり子どもと働くこととどっちが大事かということをそれぞれの家庭で天秤にかけているような気がするのです。やはり働いているお父さんのほうは、仕事が大事だから、子どものことは私が何とかするからというところから、自分の名前で、役員でなくても出なくてはいけないという現状があるような気がするのです。
   これは幾ら家庭が大事だとかと言われても、何かDNAというか、体にしみ込んだようなところのものがあって、そのようなところで「では私が出ます」と言われてしまうと、それ以上それぞれの家庭になかなか個として入りにくいのです。だから、親業教育もぜひこれからの中に取り入れてもらいたいと思うのですけれども、子どもが生まれたときに、今の乳幼児健診のときというのは、どちらかというと小さいころに子どもがどのように育つかというあたりを中心に、健診をしていると思うのです。そうでなくて、親になるということは、働いてキャリアを何かを持てば、親としても立派にいけるというように勘違いしながら子育てしている家庭もたくさんあるわけです。ですから、子育てすることと、仕事をするということは全く違うことであるということを、これからはっきりさせなくてはいけないと思いますし、親業教育というのも生涯にかかわって、自分がこの子どもの責任者としてどのように育てていくのかという大きなプランとか、どのように自分は子育ての当事者として子どもたちに道しるべをしていってやればいいのかとか、もう少し大きな視点に立った上での親としての教育も必要だと思います。
   例えば、何か問題を起こした場合についても、もう少し親への責任は強く問われてもいいのではないかという気がします。子どもたちの犯罪がなかなかなくならない背景に、親がこんなことをしているではないかという、本当にちょっとした軽いこととか、例えば子どもには信号は青できちんと渡りなさいと言いながら、時折ちょちょっと渡ってしまう。それがすべて悪いとは言いませんけれども、そのようにきちんと子どもに言うことについては、大人もその後ろ姿を見せる、またそれができないときには、大人がある程度罰せられることは、これだけ大人が子どもに信頼をなくしてきているわけですから、その辺についてしっかりやってほしいと思います。
   もう一つは、個性の問題です。何でも個性というふうに取り違えられて、ここまで教育してきているところに、やはりこれも大きな間違いがあると思います。では私たち一般の親が、個性とはどういうものなのか、どのように教育していけば個性が出てくるものなのかとか、先ほど梶田先生もおっしゃいましたけれども、子どもの発達というか、その段階において個性がどうかかわっていくのかとか、まだまだきちんとした形での情報が伝わっていないと思います。ですから、はき違えた個性にならないような方向というか、それを示してあげられるといいなと思います。

   二つのことを申し上げたいと思います。一つは規律に関することであり、一つは財政に関することであります。
   規律に関することは、先ほど来多くの委員から表現は様々であり、事例は様々ですけれども、やはり子どもの規律の問題が多く出ました。それは本人に向けられた問題であると同時に、親、保護者、あるいは地域社会に対する一つの批判といいますか、意見ということだろうと思います。やはり私も同様の認識を持っておりますが、これを具体的にどのように展開していくかということを考える前に、またそれは必要だと思いますけれども、どういう倫理観に基づく規範であるのかということがなければしょうがないだろうという気がするのです。同時に、それは大変難しいことでもあろうと思います。冒頭に、今後の審議の進め方の中で、基本計画を議論する中で、基本法の在り方についてもというお話がございましたが、まさにそこにかかわってくる問題ではないかと一つ目は思います。
   二つ目は、財政の問題ですが、もちろん教育施策を進めていく上で、理念が大事なもの、あるいはシステムが大事なもの等々、直接財政負担を伴わないという問題もあるかと思いますし、財政がすべてだとは思いませんが、この基本計画の中で財政ということはそれなりのウエートを占めなければ、幾ら計画を立てても実行するのにお金が必要だ、その裏づけがないというのでは、まさに絵に書いたもちになるだろうと思います。
   その場合に、現在の予算単年度主義という中で、こういう基本計画の中にどこまで踏み込めるのかということがあるので、私も先日お話があったときに、科学技術基本計画の中では相当効果があるということを言われていたので、どこに書いてあるのかなと思って見たのですが、バーッと見ただけでよくわかりませんが、12ページの中ほどに、「13年度より17年度までの政府研究開発投資の総額の規模を約24兆円とすることが必要である」という一文が入っております。あるいはこのことを指しているのかなと思いますが、そういったようなことを、これは閣議決定ですから、閣議決定の中でやるということがなければ、つまり今のシーリングのもとでやりくりでやってくださいと。もちろんその中で優先順位はあるわけですけれども、限られたパイの中で優先順位といったって限度があるので、そこのところをどうするのかという問題が一つ。
   もう一つは、国がやれることと、この案の中にもありますが、都道府県の計画というのがあります。今日、教育において、都道府県・市町村の自治体の占める役割は相当大きいだろうと思います。特に財政においてもそのとおりなので、財政の議論をする際に、国の財政だけでなくて、地方財政ということも念頭に置かなければならないだろうと思います。法令等に基づく義務的な事業というのは、市町村あるいは都道府県がやるでしょうけれども、任意の分野、特に生涯学習であるとか、文化であるとか、スポーツであるとか、これは主として地方自治体がやっているわけですので、この計画全体の中に地方自治体の役割をかなり積極的に書かないと、やはり意味がないのではないだろうかと思います。

   「新生プラン」の一番最初に、「わかる授業で基礎学力の向上を図る」ということがあるわけですが、この辺をきちんと考えていかないといけないのではないか。小・中は義務教育で、しかも学習指導要領の中で授業が展開されていくわけで、平均値レベルにある子どもにとっては何とかそれでいいのかもしれませんが、現状を見てみますと、わからない、できないままに進んじゃっていく子どもたちがかなりいるのではないか。できない子というのはもちろん昔からあるわけですが、できるほうにも心のひずみとか、いろいろな問題も出てくるのだと思いますが、できない子どもたちのほうに問題行動にはしるケースが、上に行くに従って増えてくるのではないか。特に小学校のときにできないままでいって、結局、どこまでいってもできないままで終わってしまうという置き去りにされた子どもと言うと変ですけれども、その辺にどう対応していくのかというのは、かなり重要な問題ではないかという気がします。
   「基礎学力」とここにありますが、本当に基礎学力というのは何なのだろうか。よく〈2分の1〉+〈3分の1〉が〈5分の1〉だという大学生がいるというようなことを聞きますけれども、実際にどのくらいの割合でそういう大学生がいるのかという調査も、ある意味では必要なのかもしれません。学力調査ということも書いてありますけれども、本当に分数をどこまで知っておく必要があるのか。これは特にITが進んできて、全員がパソコンを持つというような時代になると、極端に言えば、かなりの部分の知的情報はパソコンが出してくれる。もちろんEメールで、仮名から漢字に変換するときに漢字がわからないと、間違った漢字のまま送ってしまうかもしれませんが、そういうことを含めて、一体、頭と体と心の健全な発育・発達にとって、どのような基礎・基本が必要なのかということをきちんと押さえておかないと、教育振興基本計画といっても、何を本当にきちんと教えるのかというもとがあやふやなものになってしまうのではないかという気がしています。そうい意味で、基礎・基本ということと、できないほうの子どもたちに対する対応をきちんとした基本計画でありたいと考えています。

   三つばかり申し上げたいのですが、基本計画の基礎・基本というのは何かなということをずっと考えてきたのですけれども、それぞれの方がこれが重要だというのは違うと思うのですが、先ほどから優先順位の問題も出ていますが、私は、一つは原点から考えるべきではないかと思うのです。何から始めるのかというのをはっきりさせないといけないのではないか。
   先ほどから、資料4のいろいろな基本計画をずっと見ているのですが、非常に緻密なものもあればいろいろ書いてあるのですけれども、どれからやるのかなというのを私はすぐ考えるのですね。全部できるわけがないので、結局、これは絵に書いた餅に終わるのではないか。計画を緻密に考えれば考えるほど、結果的には計画ごっこ―ドイツでもそれは失敗したのですが、プランシピールと言われておりますが、計画ごっこに終わるので。「新生プラン」はそんなことはないと思うのですが、基本計画がそうならないようなことが必要なのではないかということが第1点です。
   第2点は、資料4のいろいろな基本計画の構成はおおむね以下のようであるというので、「○」印で三つあるので、これを手がかりに考えながら、教育振興基本計画はこういう点に注意したほうがいいのではないかということを、個人的に考えたことを申させていただきますと、まず基本的な方針、基本的な方向は、今言いましたように原点から。教育の原点は家庭教育ですから、言うまでもないことなので、それから始める。それを計画の中で明確にするということ。
   次の「○」印の、総合的かつ計画的ということですが、ここですぐ頭に浮かんだのは何を総合するのか。教育計画の場合に、教育の領域なのか、教育の機能なのか、対象なのか、これをどう考えたらいいのか。大体それは混在して、混沌としてくるのではないかと思うのです。そういう意味で、少なくとも家庭教育振興基本計画とか、学校教育振興基本計画とか、社会教育振興基本計画といったようなものを、名称はどうでもいいのですが、そういう意識でつくられたものであってほしいと思うのです。それぞれの家庭教育振興基本計画の中に、また原点があって、何から始めるか。これは親の教育に決まっているのですが。そのことを考えて、文部省では「家庭教育ノート」というのがありますけれども、その「家庭教育ノート」は、すべての家庭を同じだという前提でつくられた「家庭教育ノート」です。家庭というのは崩壊したのではなくて、多様だというのが私の意見です。ですから、シングルマザー用の「家庭教育ノート」とか、核家族用の「家庭教育ノート」といったように、「家庭教育ノート」をバージョンアップしないといけないということを何回も申し上げているのですが、一向に変わらないわけであります。
   そこで、男女共同参画基本計画というのが3ページにありますが、これを見ておりますと、「5」のところに「多様なライフスタイルに対応した子育て支援の充実」とあるのです。これは内閣府ですから多様なライフスタイルでいいのですけれども、文部科学省ですと、「多様な家庭に対応した子育て支援」としなければいけないのではないか。そこまでいってないのではないか。内閣府のほうが子育て支援をして、文部科学省のほうが労働条件改善のようなことをやっていてはいけない。やっているとはあえて言いませんけれども、駅の近くに保育所をつくれとか、それは働きやすくするだけで、ちっとも子どもの教育に役立っていないような気もするのです。
   それで私は考えたのですが、大体育児と仕事の両立というのは幻想だということをみんな自覚しなければいけないのに、何か両立するという前提で議論をしている。人間というのは二つのことを同時にできないので、これは幻想だとある雑誌に書きましたら、早速、ある女性評論家から反論がきまして、「両立しなくても、私は大志を持っている」と言われましたけれども、私は、育児と仕事を両立させるのは大変な努力ですよ、そんな安易なものではないですよということを言わなければいけないのではないかと思うのです。
   それから、学校教育振興基本計画で現場で一番困っているのは、来年4月から学校週5日制になりますが、どう対応するかで、まじめな先生は大変悩んでいるのですが、どうでもいい先生は安閑としていますけれども、これは教育の一種の構造改革なので、学校へ来るのが5日間になって、家庭・社会が2日ですから、6対1が5対2になるという外見上、制度上だけでも大変な改革なのですが、これが教育機能面でどう変わるのかということを十分考えなければいけないのです。
   言いたいことは、子どもの教育のことばかり考えていますが、教師が5日制でどう変わるのかということへの対応がないのです。教師は土曜が休みになっても給料が下がるわけではないので、学校の予算も、休みになるから減るわけでもないと思うのです。そうすると、教育委員会は土曜対策として教師向けの研修講座とか何か、どのくらい考えていらっしゃるのかという気がいたします。
   それから、社会教育振興基本計画で、原点で大事だと思うのは、先ほど寺島委員がおっしゃったような、テレビのプロデューサーの生涯学習といいますか、プロデューサーにそれこそ和漢洋のバランスをとってもらうとか何かしないと、とんでもないものが出てくる。私、先日、夜遅くテレビを見ていてびっくりしたのですが、これはちょっと言えないような番組で、こんなことをやってるのかと思ったのですけれども、まず深夜放送をなくすというのが一番簡単でいいと思うのです。人間の生態リズムに反することを堂々とやっているのもおかしいと思います。
   3番目に、計画推進のために必要な事項、留意事項というのが、資料4で挙がっておりますけれども、私はここでは、いろいろな計画がたくさん出て、現場で何をやっていいかわからないという相談をよく受けるのですが、そこで私が言っているのは、一つでいいですと。1校1計画と言っているのです。1校1計画、何が大事かと思うか、それだけやりなさいと。それをやり遂げると、人間というのは不思議なもので、一つのことをマスターすれば、次にまた何かやりたくなる。欲望は高度化するわけですから、何でもいいからとは言いませんが、大事だと思うものを一つおやりになったらどうですかと、こう言っているのです。そのことを国民全体について言えば、親とか大人は何か一つのことを計画を立てて改革しない限りいけないのではないか。人間の生活の計画というのは、信念にあらわれますので、人間の生き方といいますか、信念を持ちましょうとか、何かそういうスローガンでスタートしなければいけないのではないかと思うのですが、なかなかそうはいかないなという感じもいたします。
   以上が、私が考えている振興基本計画への希望であります。

   先ほど委員のほうから、教育への予算の話がありましたけれども、私も前から思っていたのは、先生方の給料をもっと上げていかなければいけないのではないかと思うのです。なぜならば、そうしないと優秀な人材が全部、産業界とか、経済界のほうに行ってしまって、リーダーが教員を目指していけるような、そんな環境にならなければいけないのではないか。ナンバーワンが教育であってというような環境に―これだけ子どものことでいろいろと問題が出てきている状況なので、その辺の環境をもう少し考えていかなければいけないような気がします。とは言っても、先生方の給料がどのくらいかわからないのですけれども、子どものときにいろいろと部活動とか、熱心に教えてくれた先生方の様子なんか聞いていますと、今わかるのは、サラリーマンのような残業手当はつかなかったような状況の中で、本当に熱心に教えてもらった先生の印象が強いので、そういうことをすごく考えます。

   二つのことを申し上げたいと思うのですけれども、一つは、この基本計画は、諮問理由にもありますように、わかりやすい具体的な政策目標、あるいは政策ということを強調していらっしゃいますけれども、このことがとても大事だと思います。
   その中で、一つ、子どもがどんな人になってほしいのかという目標をはっきり出すことが大事なのではないかと思うのです。どんな人になってほしいかというときに、人間として普遍なことというのと、それから計画がどのぐらいの期間にわたるものかということによりますが、例えば5年ぐらい先までを見通すとすれば、次代を担う人材としての子どもが、その5年ぐらいの間の社会でどのような資質を持って過ごしていってもらえたら、担い手としてよいのかということ。そのためには、どういったような社会になるかという社会への予想といったようなものも盛り込む必要があるのではないかと思います。
   例えば、生涯学習社会の構築ということが、当初、行政レベルで努力が始まったころは、学習機会の提供ということに重きを置いていました。10何年たった今、その学習成果を生かした活動を学習者がどのようにしていったらいいかということを考えるようになったというように、この後、生涯学習社会がどのように展開していくのかという予想が必要ではないかと思います。そこで、その担い手がどういう資質や能力を必要とするかということが一つあるのではないでしょうか。
   もう一つは、今言われております学社融合ということですけれども、平成8年の中教審の答申に「生きる力」を養うのが必要で、それは学校でだけ養われるものではないとあります。いろいろなところで学社融合という方向性を出していこうとするときに、縦割り行政がまだ強い力を持っていて、学校は学校、社会は社会というように壁が厚いということを聞きます。例えば、自然体験が大事、生活体験が大事と言いましても、学校の教育の中にどう入れ込むかということが大きく話題になっておりますけれども、青少年教育施設の活動をどのように振興し、それを学校教育とどう連携させていくかということについて、もう少し積極的に考えられる必要があるのではないかと思うのです。自然体験、生活体験、あるいは心の教育ということが強く言われるに従って、青少年教育施設を活用する度合いが低くなっているという現状がございます。ですから、これは本省のほうの各局の一つ政策が出たときに、うちの局はどのようにそれに対応できるかという対応をしていただきたいとともに、地方行政のレベルでもぜひそのようなことを努力していただきたい。そういったようなことが基本計画に盛り込まれる必要があるのではないかと思っております。

   計画について、先ほど基本計画の総体にかかわっては、計画の目標明示とか、予算の問題とか、ベンチマークの問題に触れるにとどめたわけですけれども、もうちょっと踏み込んで考えさせていただきますと、振興基本計画をお立てになる際に、できれば前文を憲法のようにお書きになるといいのではないかと思います。
   つまり、基本的な振興基本計画が成り立つには、こういう条件が必要だということを書いておく。具体的に言いますと、例えば豊かさとか、家族制度としての家がなくなってきて、それが核家族になってきたということで、いろいろな障害が出ているわけです。例えば、1950年代のアメリカというのは世界一の豊かさを誇ったのですが、必ずしも教育が荒廃したということは起きていないわけです。ですから、豊かさが必ず教育の荒廃につながるというのは誤りなのだろうと思っているわけです。では、どこにあるのだろうか。
   それから、核家族が出てきたという社会の変化が教育の荒廃をもたらすという議論があるわけですが、ではヨーロッパではどうだったのだろうかというと、必ずそれに結びついているわけでもない。ヨーロッパの場合に思い出すのですけれども、やはり王室というのが非常に役割を果たしているのです。先ほど委員がおっしゃっていた、大学を出てすぐ勤めないということですね。こういうのは皇室がおやりになると随分世の中が変わってくるのではないかという気がします。いわゆる履歴書の白地の部分がないと、日本の社会は本当に変わっていかない。それがあると、教育がだんだん狭められていってしまうのですね。もうちょっとゆったりと考えて、教育を自分の問題として対処できるような社会をつくるために。
   あと計画の基本は、こういう項目が出ていますので、特別にお願いすることはないのですが、私の考え方では、やはり教育という分野でできるだけ公開する。そして、評価してもらう。ある意味での競争原理をいろいろな形で導入する。すべてが競争というわけにはいかないと思いますけれども、それを導入するということもいろいろなところで試みていただきたい。
   私としては、公立と私立の併存というのは、先ほど委員がおっしゃっていただきましたが、それは大賛成でありまして、ある意味での健全性を保つ重要な仕組みではないかと思っておりますので、その点をお願いいたします。

   いろいろと皆さんのお話を聞かせていただきまして、私自身、大変勉強になりましたけれども、二つの点だけちょっと申し上げておきたいのです。
   今日、科学技術基本法の文献が紹介されて、これは成功した例の一つでしたか、なぜ成功したのかということを少し研究してみたらどうかということでありました。これは議員立法で、閣議決定をやってということでしたけれども、我々がここで基本計画を立てて、これが本当に国民の大きな支持を受けて成功するためには、どのようなことを考える必要があるのか。その辺を、今日すぐ結論を出すとかそういうことではありませんけれども、やはり相当真剣に考えないといけない問題ではないかということが、第1点です。
   第2点は、私は国立大学に長くおり、また、私学へ移りましたけれども、文系の予算は圧倒的に少ないのです。本当に少ないのです。科学技術といいますと、比較的国民にはわかりやすいところがあるかと思うのです。科学技術基本法も成功したと言えば、そういう面にかかわっていると思うのですけれども、文系の重要性といいますか、意義が必ずしも日本の社会に十分理解されていない感じがしてなりません。既に昭和46年に、量的拡大から質的向上へ転換を図ると言われながら、その後、いろいろなことが指摘されながら、大きな転換ができなかった最大の理由は何なのかということを考えてみる必要があると思うのです。これは皆さんおっしゃいましたけれども、決して教育の中の話だけではなくて、日本の社会そのものの、我々が個人として、あるいは社会の在り方として、どういうことをこれから目指そうとしているのかということを、相当インパクトのあるものを書きませんと、最初の話になりますけれども、国民にああ、そうか。これからこういうことでということには、なかなか意気込みが出てこない。
   司法制度改革審議会で、国民参加裁判員制度を導入するということは、非常に大きな関心を引きつけているわけですけれども、それ自体はまた機会があればお話ししますが、ここではともかくとして、何か日本の教育の質的転換を図らなければならないというときに、一番その背景にある我々の抱えている問題は何で、何を目指そうとするのかということを、相当インパクトのある形で示す必要があるのではないか。それが最初の国民を巻き込んでのそのような措置につながっていくのではないか。やや抽象的な言い方ですけれども、今日は既に具体的なことは委員がいろいろおっしゃいましたけれども、そういうことをちょっと考えております。

鳥居会長   今、メモをとりながら伺っておりましたが、随分大事な論点を出していただいたように思います。この論点をもう一度整理しながら、次回どのように皆さんと審議を続けていくか、そのやり方も考えたいと思っておりますので、次回またよろしくお願いしたいと思います。
   今後の日程につきまして、事務局から御説明をお願いしたいと思います。

事務局   今後の日程につきましては、資料5でございます。第12回の中央教育審議会の総会でございますけれども、12月20日(木)午前10時から、場所は同じこのゴールドスタールームでございます。20日におきましては、現在、初等中等教育分科会で御検討していただいております、「今後の教員免許制度の在り方」の中間報告案等につきまして御検討いただきたいと考えております。
   その後でございますけれども、一応今年中の12月25日は予備日ということでございますが、年明けまして平成14年1月22日(火)午前10時から、それから1月30日午前10時からというものを予定しております。このうち1月22日(火)午前10時からでございますけれども、ここではできれば初めに会長のほうからもございましたが、教育基本法を中心として全体的な御議論をいただければと考えているところでございます。

鳥居会長   というわけで、中教審は5つの分科会から成り立っているものですから、総会はその5つの分科会のいろいろなものをここへ持ってきては審議しなければならないため、次回は12月20日、こちらのほうは教員免許制度の在り方について御審議をいただきます。
   1月22日は教育基本法ということで、恐らく教育基本法については、いきなり議論をする前に、歴史的な資料とか、いろいろなものを我々は勉強していかなければいけないと思いますので、御議論はもちろん御自由にいただくわけですが、中にはいろいろと御専門分野の先生方で、そのことについての知見をお持ちの先生方もいらっしゃると思います。どうぞそういうことを御披露いただいて、我々の議論の素材にしていただければありがたいと思います。
   本日は、どうもありがとうございました。