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中央教育審議会(第2回) 議事録

1  日  時
    平成13年2月28日(水)  10:00~12:00

2  場  所
    ホテルフロラシオン青山「孔雀の間」

3  議  題
(1)今後の検討課題について
(2)その他

4  配付資料
  資料1  中央教育審議会の今後の検討課題(案)
  資料2  中央教育審議会の今後の進め方(案)
  資料3  今後の日程について
  (参考資料)
    21世紀教育新生プラン(略)
    教育改革国民会議報告(略)

5  出席者
(委  員)
鳥居会長,茂木副会長,浅見委員,荒木委員,石倉委員,今井委員,内永委員,江上委員,奥島委員,國分委員,佐藤委員,髙木委員,髙倉委員,田村委員,千田委員,寺島委員,中嶋委員,増田委員,松下委員,森委員,山下委員,山本委員,横山(英)委員,吉川委員
(事務局)
町村文部科学大臣,大野副大臣,池坊大臣政務官,小野事務次官,青江文部科学審議官,御手洗文部科学審議官,近藤生涯学習政策局長,寺脇生涯学習政策局審議官,事務局,田中初等中等教育局審議官,工藤高等教育局長,遠藤スポーツ・青少年局長,その他関係官

6  議  事

○鳥居会長  おはようございます。第2回の中央教育審議会総会を開催させていただきます。
  それでは,事務局から,まず配付資料の確認をお願いします。

○事務局  配付資料の確認をさせていただきます。
  お手元に,1番目に「中央教育審議会の今後の検討課題(案)」。
  2点目に,「中央教育審議会の今後の進め方(案)」。
  3点目に,「今後の日程について」の資料をお配りさせていただいております。
  また,参考資料といたしまして,「21世紀教育新生プラン」「教育改革国民会議報告」をお手元に用意させていただいております。
  また,机上には,参考資料のファイルを置かせていただいておりますので,審議の途上で御活用賜りたいと思います。

○鳥居会長  ありがとうございました。
  本日は,中央教育審議会におきまして今後検討が予定されております課題につきまして,まず事務局から御説明をいただき,その後,委員の皆様方から自由に御発言をいただきまして,今後の本格的な審議に向けて,問題意識を共有するための御討論をいただきたいと思っております。ただいま資料説明にありました「資料1」の左端に,主な検討事項と考えられるものが書いてございますが,これを中心に御審議をいただきたいと思っております。
  それでは,今後の検討課題と進め方について,事務局のほうからお考えを御説明いただきたいと思います。

○事務局  資料1を御覧いただきたいと思います。
  本日の審議のたたき台といたしまして,「中央教育審議会の今後の検討課題(案)」を用意させていただいております。
  お手元の資料,2ページにわたりまして,中教審におきます検討課題,あるいは検討の視点,それらの今後の検討スケジュールについて,2枚紙で取りまとめさせていただいております。諮問的な事項といたしまして6本,中教審におきまして意見をお伺いする事項を2本,計8本の検討事項案をたたき台として取りまとめさせていただいているところでございます。
  3ページ目以降は,これら中教審の検討課題の背景になります教育改革国民会議報告におきます具体的な提案を,後ろのほうに参考資料として用意させていただいております。
  まず初めに,中教審に諮問をさせていただきまして,御審議の上,しかるべき時期に取りまとめをお願いしたいと考えている事項6本につきまして,御説明を申し上げます。
  まず第1点目は,「新しい時代における教養教育の在り方」でございます。この教養教育の在り方につきましては,昨年の5月に文部大臣から諮問を行いまして,旧中教審におきまして約7か月ほど審議を重ね,昨年12月に「審議のまとめ」を取りまとめたところでございます。しかしながら,「審議のまとめ」におきましては,時間的な制約もございまして,旧中教審に諮問されました事項についての基本的な考え方を示すにとどまったわけでございます。教養教育の視点から見たこれまでの教育改革の検証,あるいはその検証の成果を踏まえた教養教育の改善についての具体的な方策について,更に踏み込んだ検討を行う必要があろうと考えまして,今後,中教審におきましては,これらの残された検討課題につきまして,引き続き審議をお願いし,平成13年度中を目途に答申の取りまとめをお願いできればと考えているところでございます。
  次に2点目でございますが,「奉仕活動の充実方策」でございます。これにつきましては,今国会に一連の教育改革関連法案といたしまして,独立行政法人国立オリンピック記念青少年総合センターに「子どもゆめ基金」を創設いたしまして,青少年団体等が実施する子どもの社会奉仕体験活動,あるいは自然体験活動に対する助成金を交付することができる法律案を提出いたしますとともに,学校教育や社会教育におきまして社会奉仕体験活動,あるいは自然体験活動等の体験活動の促進を盛り込む規定を,学校教育法,社会教育法の改正法案として提出をすべく準備を進めているところでございます。今後,中教審におきましても,ここにございますように,子どもたち一人一人に思いやりの心や社会の構成員としての奉仕の心を養うことができるよう,学校教育,社会教育におきまして,子どもの成長段階などに応じた社会奉仕体験活動などの様々な分野での地域における体験活動を充実するための具体的な方策等について,御議論をいただきたいと考えております。
  また,教育改革国民会議報告におきましては,満18歳後の青年が一定期間,様々な分野におきまして奉仕活動を行うことができるような社会的な仕組みづくりについて提言が行われているところでございます。資料3ページにございますとおりでございます。今後,この社会的な仕組みづくりにつきまして,中教審におきまして御審議をいただき,平成13年度中を目途に取りまとめをいただければと考えているところでございます。
  第3点目は,「教員免許制度の在り方」でございます。現在,小学校,中学校,あるいは高等学校などの学校種間の連携,あるいは中高一貫教育が進められている現状等を踏まえまして,学校の種類や教科の枠を超えました教員免許の弾力化あるいは総合化など,教員免許制度の在り方について御検討をお願いできればと考えているところであります。
  また,4ページにございますとおり,教育改革国民会議報告におきまして御提言いただいております,免許更新制の可能性につきましても,平成13年度中を目途に,これらの課題とあわせて御議論を賜りたいと考えているところでございます。
  4点目は,「教育基本法の見直し,教育振興基本計画」についてでございます。教育基本法の見直しにつきましては,資料の5ページにございますとおり,国民会議報告におきまして,3点からの見直しの検討の御提言をいただいております。
  すなわち,1点目が「新しい時代を生きる日本人の育成」,2点目に「伝統,文化など次代に継承すべきものの尊重,発展」,3点目に「これからの時代にふさわしい教育を実現するための教育振興基本計画の策定」の三つの観点からの御提言をいただいているわけでございます。
  新しい時代にふさわしい教育基本法につきましては,今後,文部科学省内におきまして具体の検討を行った上で,しかるべき時期に中教審において御議論をお願いしたいと考えているところでございます。
  なお,その際,教育改革に関します基本的な方向を明らかにするとともに,教育施策の総合的かつ計画的な推進を図るために,教育振興基本計画の策定の検討をあわせてお願いしたいと考えているところでございます。
  ページをおめくりいただきまして,2ページ目でございますが,第5点目,「高等教育の国際競争力の更なる強化方策等」でございます。この点につきましては,今後,中教審において検討を進めていくに当たりまして,まずこれまでの大学改革の進捗状況を検証するとともに,更なる改善方策を検討することから始めてはどうかと考えておるわけでございます。また,具体的に検討することが考えられる課題といたしましては,1点目にプロフェッショナル・スクールの整備の在り方,2点目には大学の設置認可の改善方策,3点目には短期大学,高等専門学校から大学院までの高等教育制度の在り方など,この3点があるのではないかと考えている次第でございます。
  まず,プロフェッショナル・スクールについてでございますが,これにつきましては平成11年から高度専門職業人の養成に特化した専門大学院制度を創設いたしまして,その整備を順次進めているところでございますが,現在,皆様方御案内のとおり,司法制度改革の一環として構想されております法科大学院の在り方と関連しながら,新しい形態の大学院制度の在り方や専門職学位の在り方などについて検討することが考えられるわけでございます。
  2点目の大学の設置認可の改善方策等についてでございますが,昨今の産業,経済の大きな変化や18歳人口の減少,あるいは独立行政法人化の検討,更には昨年12月に公表されました規制改革委員会の指摘などを踏まえながら,今後,大学等の教育水準を維持しながら,主体的・機動的な対応が可能となる方向で,認可制度の在り方や認可の基本方針等を検討していくことが考えられるわけでございます。
  3点目の短大,高専から大学院までの高等教育制度の在り方につきましては,これまでの大学審議会における検討を踏まえながら,今後,更に短大,高等専門学校等の在り方について,検討を続けていくことが必要と考えられるわけでございます。また,あわせて大学の学部の修業年限の在り方等についても検討していくことが考えられるわけでございます。
  次に,6点目でございますが,「子どもの体力向上方策」についてであります。これにつきましては,近年,子どもの体力が長期にわたって低下傾向にあることが,つとに指摘されているわけでございます。このような状況を踏まえまして,スポーツ,健康教育,あるいは自然体験活動等を通じた子どもの体力向上を図るための総合的な方策について,中教審において御検討を賜ればと考えているところでございます。
  以上6本が中教審に諮問をお願いしたい事柄でございます。
  次に,事柄の性質上,文部科学省内におきまして,実務的な検討を行った上で,適切な時期に中教審に御意見等をお伺いしたいと考えている二つの事項について御説明申し上げます。
  まず第1点目は,「新しいタイプの学校」についてでございます。これにつきましては,教育改革国民会議の提言,8ページでございますが,新しいタイプの学校についての御提言をいただいております。私立学校の設置を促進する観点から,小・中学校の設置基準の策定を,現在,私ども進めることといたしておるわけでございます。その際,あわせまして地域独自のニーズに基づきまして,地域が運営に参画する新しいタイプの公立学校,いわゆるコミュニティ・スクールなどの新しいタイプの学校の可能性や課題などについても,文部科学省内で検討を進め,煮詰めながら,しかるべきタイミングで中教審に御意見等を伺うことを考えておるわけでございます。
  2点目に,「年齢と共に学年進行する方式の見直し」についてでございます。これは資料の9ページの国民会議報告にございますとおり,一律主義を改め,個性を伸ばす教育システムを導入することを御提言いただいているわけでございます。この国民会議の御提言を踏まえまして,私どもといたしましては,新しい学習指導要領の実施の中で,理解や習熟の程度に応じた個別指導やグループ別指導など,個に応じた指導の一層の充実を図るための方策について御議論いただくことを考えているわけでございます。
  なお,これらとあわせて,年齢に応じて進級・進学する方式の見直し。具体的には年齢にかかわりなく,本人の能力に応じて柔軟に進級・進学する履修方式について,文部科学省内におきまして具体の検討を進めまして,しかるべきタイミングで御意見をいただくことを考えているわけでございます。
  以上が中教審において今後検討をお願いする事項のたたき台でございます。
  次に,資料2を御覧いただきたいと思うわけでございます。
  本日は第2回の総会でございまして,今後の審議事項につきましてフリーディスカッションをお願いしたいと考えているわけでございますが,3月に入りますれば,教育制度分科会以降,五つの分科会を発足させていただきまして,各分科会の運営の在り方についてお決めいただくとともに,これまでのそれぞれの審議会の改革の成果のフォローアップを行っていただく。そして,法施行に必要な事務の処理をしていただく。そして,新しい諮問に備えたいわばウォームアップを各分科会でお願いできればと考えているわけでございます。
  次回,第3回総会は,「新しい時代における教養教育の在り方について」の自由討議を考えているところでございます。自由討議の後,教育制度分科会におきまして,引き続き教養教育についての具体的な審議をお願いすることといたしております。
  新年度に入りますと,備考欄にございますとおり,具体の諮問事項をお願いすることとなる予定でございます。中教審におきます政策的な事項に関する今後の諮問につきましては,まず総会で諮問を行い,自由討議を総会で行っていただいた上で,分科会におろしまして,分科会におきまして専門的な角度からの審議を行い,適宜その結果を総会にフィードバックさせていただきながら,最終的には総会の責任において答申を行うことを原則として審議を進めさせていただきたいと考えているところでございます。
  以上でございます。よろしく御検討のほどお願いいたします。

○鳥居会長  ありがとうございました。
  今,事務局から御説明をいただきましたように取り進めるわけでありますが,当審議会の委員を初めてお引き受けくださいました先生方もおられますので,私からも若干の補足説明をさせていただきます。
  まず,机の上に厚い資料が置いてあります。これはごく最近の中央教育審議会,生涯学習審議会等々から出されました答申等でございまして,1枚めくっていただきますと,委員名簿の次に,冊子の目次がついております。これを御覧いただきますと,まず中央教育審議会は,主としてこれは平成12年までに答申あるいは報告書,あるいは中間答申をお出ししたもの5冊が載っています。その中で,本審議会がこれからも審議を続けていくべきテーマの一つであります教養教育につきましては,「新しい時代における教養教育の在り方について」というものが挟んであります。これは「(審議のまとめ)」となっておりますように,文部科学大臣に最終答申をお出しする一歩手前の「審議のまとめ」でとまっているということでございます。それから,「少子化と教育について」も報告書となっています。それから,「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」は答申を出していると,このように読んでいっていただければよろしいわけであります。生涯学習審議会のほうは,「新しい情報通信技術を活用した生涯学習の推進方策について」の答申が出ている。それから,教育課程審議会は,そこにございますような答申が出ている。教育職員養成審議会は第三次答申を出した。大学審議会は,これも随分たくさんの答申を出した審議会でありますが,ごく最近では二つの答申が出ているというわけであります。それから,保健体育審議会が答申を出している。それだけがここに挟んであります。
  次に,今日説明がありました資料2に飛びますけれども,今日は第2回総会をやろうとしているわけでありまして,後で御説明しますが,資料1の一つずつについて御審議いただきたいと思いますが,第3回総会まで総会レベルでいろいろな問題点を先生方から出していただいて,第3回総会の後,右に矢印が引っ張ってありまして,教育制度分科会で引き続き審議。ということは,事務局側では教育制度分科会はまずとにかくスタートさせようというお気持ちがあることがわかるのですが,その他の分科会,つまり生涯学習分科会,初等中等教育分科会,大学分科会,スポーツ・青少年分科会については,どのぐらいのタイムラグでスタートしていくのか,大ざっぱな感じを。1か月遅れぐらいでスタートするものもあり,2か月遅れぐらいでスタートするものもありという感じですかね。

○事務局  先ほど御説明申し上げましたとおり,各分科会の運営の在り方は,当然,分科会長をお決めいただくとともに,議事の公開等,議事の運営の在り方をお決めいただく必要がございます。また,これまでの改革の成果のフォローアップということが当然ございますので,私どもといたしますれば,3月中には各分科会をそれぞれ立ち上げていただいて,各分科会のそれぞれの事情によりまして,4月以降の諮問に対応したウォームアップと申すべきものを,各分科会で適宜1ないし2回行っていただくというように考えているわけでございます。

○鳥居会長  ありがとうございました。そのようなやり方で進めていくということでございます。
  以上で,進め方につきましての概略を御理解いただけたのではないかと思いますが,進め方につきましても,後ほどもし何か御意見があれば承りたいと思います。
  早速でございますが,資料1に戻っていただきまして,今,私が御説明いたしましたような過去の経緯を一応念頭に置いていただきながら,資料1の左方に書いてあります六つのテーマ,1ページ目に「教養教育の在り方」「奉仕活動」「教員免許制度」「教育基本法と教育振興基本計画」,それから次のページにいきまして,「高等教育の国際競争力の更なる強化方策」,六つ目が「子どもの体力向上方策」,この六つはいずれにしても何らかの形で文部科学大臣から諮問がくるわけです。文部科学大臣からの諮問は,短い簡潔な言葉で出てくるのだろうと思いますが,その短い簡潔な言葉に凝縮されてしまってからでは議論がしにくくなってしまっても困りますから,その前に諮問そのものをこのような視野で出していただきたいという御意見もあるいはおありかと思います。それもどうぞ含めまして,今日は点線の上までのところについてオーバーオールに御審議をいただきたいと思います。
  それでは,しばらくの間,自由討議とします。

○鳥居会長  では,差し当たってこの順番で,教養教育の在り方について,机の上の資料の1冊目ですが,昨年12月25日に取りまとめました中央教育審議会の「審議のまとめ」もございますので,これらも御覧になりながら,今後の日本人の教養教育といいましょうか,日本の子どもたちの教養教育について御意見をいただければ幸いですが,いかがでしょうか。

○  ここで議論すべきは,この6つプラス2つで良いかという点なのか,それとも諮問というプロセス自体に対する議論なのか,私ははじめての経験ということもあり,そこを明確にしたいのですが。

○鳥居会長 わかりました。それははっきりさせておいたほうがいいと思いますので,まず私から説明して,それから事務局に補足していただきたいと思います。
  文部科学大臣と文部科学大臣のもとで仕事をしておられる文部科学省の皆さんは,教育問題を本当にオーバーオールに見ているわけです。同時に,随分整理統合しましたけれども,七つほどのいろいろな審議会を通じて検討を,それこそ戦後ずうっと続けてきているわけです。その歴史を引きずりながら,いよいよこの問題には本気で取り組もうというテーマをその都度浮き彫りにさせていって,それを審議会で徹底審議していただくという意味で諮問してくるわけです。その諮問に答えて,大体1年とか2年とか審議をして,答申を文部科学大臣に御提出する。その提出された答申の中には,物によっては,例えば大学マターでありますと,改めてそれが,かつては大学審議会に投げ返される。大学審議会がそれを大学審議会として審議して,ぜひこれは制度化すべきであるというように文部科学大臣に御答申すると,それを今度は制度化していくための法改正であるとか,あるいは設置基準の改正をやるわけです。最終的に制度改正が行われて,次の年度から早いものは実行に移されていくというようになっているわけです。
  物によっては,国民全般に対する精神訓話に終わる,むしろそのほうが望ましいものもありまして,2年前の中教審答申は,むしろ日本中の親に向かって語りかけたというのが正直のところだという答申だったと思いますが,そういう答申もあると思います。それは事項によると思います。
  今回ここに出されているものは,私の個人的な受けとめ方から言いますと,過去のいろいろな審議会を今回一つにまとめましたが,その各審議会が途中までずうっと考え続けてきていたものをどうも引きずっている。そろそろこの辺で,ある種の1回目の結論をつけようかなとお考えになっているものが,ここにいくつか並んでいる。
  したがって,例えばそれぞれの委員のお立場で,こういうテーマもあるのではないですかというのをもしお出しになると,それはここでワーッと議論して,それを文部科学大臣に受けとめていただいて,なるほどそれは大事なテーマだ,いずれまた諮問しようとお考えになっていただく引き金にはなると思います。

○事務局  会長のおっしゃることを補足させていただきます。文部科学省組織令がございまして,第86条で中央教育審議会の事務が規定されているわけでございますが,文部科学大臣の諮問に応じて重要事項を審議するということになっているわけでございます。私ども文部科学大臣の立場から,具体の諮問を新年度に入りますればさせていただくわけでございますが,これらの諮問事項等につきましては,「21世紀教育新生プラン」の具体のプランの中にも,今後,教育改革を推進していくために必要な事柄について,中教審で十分練り上げていただいて,そういった提言を受けとめて,教育改革を更に推し進めていこうという観点から,この検討事項を整理させていただいているわけでございます。本日の御審議では,私どもが提示をさせていただきましたたたき台を更に肉づけをさせていただく,あるいは私どもの足らざる部分について,更にこういった観点から,こういった事項についても御検討を賜ればということがございますれば,自由濶達に御議論をいただきたいと思っているわけでございます。

○町村文部科学大臣 大体1,2年とおっしゃるのですが,もっとかかることも短いこともありますが,できるだけ短くというのが私の方針で,私が前回の大臣のときは,諮問から答申まで全部1年と,相当無理をお願いしました。でないと,さっき言ったように,審議会から審議会を渡り歩いているうちに数年たってしまうのです。こんなのんびりしたことをやっていたらば何も変わらないわけです。ですから,できるだけ早くということで,お忙しい皆さんには申しわけありませんが,かなりインテンシブにやっていただきたいと期待はしております。物によって変わるかもしれません。

○  この6つでは違うという意見が出た場合,どのような基準でいくつにするという線を引くのでしょうか。それから一度検討課題として決めても検討している途中でこちらの課題についても考えないと結局解決はできないというような場合,その時点で諮問事項にあげることはできるのでしょうか。手続きを教えていただきたいと思います。

○  今,文部科学省組織令について事務局からお話があって,組織令をこの前私どもも読ませていただいて,「文部科学大臣の諮問に応じ」云々となっています。たしか文部省設置法での中教審の規定は,諮問に応じ調査,審議して,まとめて答申というのと,諮問以外にも,委員自らが議論して,「建議」という言葉は古い言葉で,今の法律用語にはなじまないので,「建議」という言葉はほかにはないみたいですけれども,「建議」する場合もあるというように,たしか私の記憶ではうたわれていました。今回は,特に「建議」というのは文部科学省組織令にはないのですが,必要なものはどんどん建議していくのだということなのでしょうか。
  場合によっては,前の第16期のときに「少子化と教育」ということについては,文部大臣からは別段諮問があったわけではありませんけれども,やはり少子化問題が教育に及ぼす影響は重要だということで,委員の中からそれを議論して,小委員会をつくろうという話にまとまって,「報告」という形で出したという経緯があります。
  六つの課題は,いずれ時期を見て,それぞれ町村大臣から諮問があれば,それは諮問を受けて審議しなければなりませんけれども,その過程の中で,いや,この問題についてももう少し審議会自体として一定の考え方をまとめて,大臣なり国民全体に対して一つの提案をするということは,当然あり得ていいと思います。諮問に応じてやるのが中心だろうとは思いますけれども,その他の独自のマターについて,中教審が審議して結論を出すことがあってもいいという理解に私は立っているのですが,そういう理解が間違っているというのであればまた別ですけれども。

○鳥居会長  建議には2種類ありまして,一つは今おっしゃったような旧中央教育審議会等のいろいろな審議会が独自の建議をしたケースがあります。そういう建議はかつておおらかに文部大臣に受けとめてもらってきていたわけです。これがやはり続いたほうがいい。 もう一つは,科学技術会議は,あれはかつてほとんど建議という形で先に出すのですよね。そういう建議もあったのです。
 ですから,2種類の建議がありますが,我々の自発的な建議と呼ぶかどうかは別として,意見の集約,あるいは問題提起も,将来,皆様の審議の中で浮き上がってくる新しい問題があれば,それは取り上げていくということでよろしいかと思います。

○  つい最近,町村大臣に英語教育指導方法の改善に関する最終報告を出させていただいたのですが,これは昨年の1月に,中曽根前文部大臣から委嘱を受けまして,報告を出したのです。ところが,御案内のように,英語教育をどうするかという問題も,議論していると10年かかっても結論が出ないと思います。まさに甲論乙駁で,英語教育に関する考え方,その指導方法,いろいろ議論があるのです。それを例えば数年かかって議論していると,国際社会の中で日本はこれまで以上に取り残されてしまう。アジアの近隣諸国をとっても,国際的な発信力がものすごく高まっていますから,そうした状況の中で,この問題は議論よりも提言だということで,そのかわり14回も会合を開きました。現地視察も加えますと,1年間で都合16回も委員の方々に御協力いただいて,ものすごく議論が割れましたけれども,ある種の危機意識を持ちまして,最終的には一本の太い線でまとまったと思っています。
  先ほど町村大臣がおっしゃったことも,そういう意味では,教育問題というのは議論し始めれば数年かかっても,まさに国家百年の計ですから議論は尽きないと思いますが,今の教育をめぐる諸状況,諸環境を考えますと,早く結論を出して,一つの方向性に持っていかないといけないと思います。そういう意味で,できるだけ1年ぐらいというターゲットをきちんと決めるべきだと思います。そして,永遠の課題については,また別途考えるというようにさせていただければと私も思います。
  そこで,発言のついでに,先ほどの教養教育の問題について,一言申し上げさせていただきたいと思います。教養教育,特に前回の中教審の「審議のまとめ」を拝見しますと,これは単に高等教育,つまり大学などにおける教養教育のみならず,いわば生涯学習的な観点に立った広い意味での教養教育,初等中等教育からの教養教育だというように拝見しております。しかし何といっても教養教育というのは,大学における教養教育がすごく重要だと思います。ところが,大学の現場に行きますと,教養教育と言った途端に,ある種のアレルギーが教官の中から起こるのが現実なのです。
  それはどういうことかというと,たまたま私の所属する大学は,御案内のように外国語専門ですから,専門教育を入学当初からしますので,いわゆる教養部ないしは教養の先生と専門教育の先生とのフリクションはなくて済みました。初めから,いわば区分けをしていないわけです。
  ところが,多くの先生方御案内のように,平成3年の大綱化以来,いわゆる教養部なり教養課程なり教養学部の解体があったわけです。そのことによって,多くの教養の先生は分属されるという大変な問題が,主として国立大学を中心にありまして,その後遺症というか,学内のいろいろなトラブルがあって,それまでは何となく誤解によって,私はそうではないと思いますが,教養を担当する先生は専門の先生よりも一段と低く見られるという風潮があって,全部そこを平等にしたかわりに,今度は教養部なり教養教育の担い手がいなくなってしまう。そのことによって,各大学,高等教育機関の中にはいろいろなフリクションがあって,ようやくそれが鎮静化しつつある段階で,もう1回教養教育を問うときには,少なくとも大学の現場から見ると,それでは大綱化,教養部の廃止を,文部科学省なり日本の高等教育の方々はどのように総括し,どのように考えているのか。それに対する問題点はどうなのかということが,前回の中教審の「審議のまとめ」には出ていないのです。ここのところを避けて通るわけにはいかないのではないかと思いまして,その点について,文部科学省なり関連の先生方の御意見を伺えれば大変ありがたいと思います。どうもありがとうございました。

○鳥居会長  ありがとうございました。今,教養教育の話題を振ってくださいましたので,もしできましたらそこでしばらく御審議をいただければと思います。教養教育につきましては,去年までの中央教育審議会でいろいろな議論をしてまいりましたが,簡単に要約しますと,これは私の勝手な要約になりますが,教養教育の崩壊,あるいは教養教育の危機と呼ばれているものは,何が問題なのかということで,いろいろな御議論がありました。当審議会の現在委員をしておられる何人かの方も,寺島委員もそうですけれども,ヒアリングにおいでくださって御説明してくださったわけです。
  いろいろな御説明を要約すると,一つは日本人全体の人間形成における教養教育サイドの基盤が崩壊ないしは危機に瀕しているのではないか。もう一つ,国際的な日本人のプレゼンスの根幹になるものは,国際的な共通性を持った教養ということではないか。もう一つは,これからは更に国際的なモビリティー,世界のいろいろなところに動いてみんな仕事をするわけですから,そのときに日本人が国際的に必要とされる教養を持っている必要があるのではないか。それから,これからは専門教育が重視されていくのでありますけれども,専門教育と教養との関係がもう一度見直されないといけないのではないかという問題。そして,平成3年の大綱化以来のいろいろな歴史の中で,どうも大学の中での教養教育が,まさにアレルギーという言葉で表現されたわけですが,いろいろな問題をかえって引き起こしてしまったのではないか。結果として,大学における教養教育が危機的な状態になっているのではないか。同時に,初等中等教育における教養教育を,これからどのように考えるべきかについては,もう一遍新しい議論を起こす必要があるのではないか。大体そんな御議論がいろいろな方から出たように思います。
  そういうことを一応の整理として申し上げまして,教養教育につきまして,今日少し時間をかけて御議論をいただければと思います。

○  教養教育という提言がされ,それと大学の大綱化の問題がどのような絡まりがあるのかという御質問が一つございました。その背景には,やはり社会の変化,つまり戦後の50年という時間を限って言っても,明らかに1970年代の前と,70年代,80年代,90年代という後半とは違った日本になっていたということがあるわけです。しかし,学校の教育制度はそう簡単に変えるわけにいきませんから,70年代以前の,つまり1950年,60年といった敗戦後の貧乏な時代を乗り越えていくために実施されてきた教育の仕組み,あるいはその内容が,豊かになってきたときにそのまま動かなくなってきているという実態があることを認めなければいけないだろうと思います。
  それはどういう点で出てくるかというと,具体的に言いますと,学習のモチベーションということになるだろうと思います。つまり,貧乏な時代には,豊かになるために学ぶという意味で,学習をすることに意図的な方向づけをしなくても,社会全体がコンセンサスを持っていて,学んで技術力を身に付け,あるいは国際的に活躍をする人間になっていかなければ日本は生きていけないという,非常に強いモチベーションが存在していたわけです。70年代,80年代でヨーロッパに追いつき,あるいは追い越しという状況になってくると,90年代はいわゆる失われた10年間という,バブルが崩壊した時間ですけれども,少なくとも70年代,80年代にかけては豊かさが実現してしまった。
  実はそこのところで問題が起きるのですが,高等教育に進学したいという意欲がものすごくわき起こるわけです。18歳人口も増えてきますから,本当はその時点で問題が起き出してくるのですが,実は大学をその間全然増やさなかったという経緯もあって,70年,80年,約15年間ぐらいは大学進学率はむしろ低下するわけです。その状況の中で,普通の人たちが高等教育を受ける機会を専門学校に求める。その時期に専門学校への進学者も急速に増え,内容も高等教育に近いものになっていくという流れがありました。
  90年代に入って,これは平成年度ですけれども,大学を増設するという方向に文部省は踏み切るわけです。それをきっかけに,急激に大学進学率が増えていきます。これはどういう現象を巻き起こすかというと,大学に在学する学生がものすごく増えていくということですから,確実に今までの大学のままではいられないということが,要請として出てきます。つまり,従来の大学は厳しい入学試験で選別した学生だけを教えていればよかったという流れがあったのですが,これが90年代,そして21世紀にかけて,そうではなくて,大学はどんどんつくる。つまり社会の考え方として,希望する者が全員大学に入れるのはいい社会ではないかと思い出したということだと思います。私もそれは間違っていないと思います。では希望する者が全員入れる大学像はどうだったのか。そのいろいろな悩みのスタートが,いわゆる大綱化と言われる流れだったのかなと今思っているわけです。
  しかし,大綱化では完全に対応できなくなるわけです。そうすると,いろいろな方が御指摘になっているように,初等中等教育から大学教育までバリアがない,何の障害もない,一本の流れとしての教育の仕組みを考えていかなければいけない。そういう時代には,高等教育に対する新しい要素をいろいろな部分で提案していかなければいけないだろうと思います。これが今の中教審に課せられた高等教育に対する要請という問題だと思います。
  その際,お話を申し上げてきたので,すぐおわかりいただけると思いますが,学習のモチベーションを考えた場合,何が必要になるかというと,小学校から教養教育の根幹にかかわる部分について教育の中に入れていかなければいけないのではないか。今まではその必要はそれほどなかったわけです。貧乏だったから。しかし,豊かになったら,人間として生きるということについてどう考えるか。教養教育というのは,学校の世界と社会の世界をもし分けるとすれば,そのつながりを考えることだと思います。つまり,学問が社会にどう役立つかということを意識する部分が,もとにあるのだろうと思います。何のために学問をするかということを問いかけることですから。
  そういう意味で言えば,教養教育は,実は高等教育あるいは社会の情勢が変わった中では,小学校,あるいは幼稚園かもしれません。つまり,人間が教育を受けるところから,教養教育を意識して育てていかなければいけない時代に入ってきたのではないかと考えているわけです。その考えが,中教審の教養教育についての「審議のまとめ」の基本的な流れなのだろうと私は理解しておりました。
  したがって,大学の混乱というのは,当然のことであります。つまり,時代が変わったわけですから,高等教育が変わるためには混乱があるのは当たり前で,しかも,時代の変わり方が,大臣がおっしゃったように,ものすごい早さなのです。これは変化の程度よりも,とにかくスピードがものすごいのですから,これに早く日本人が慣れなければいけないわけです。それに応じて,私たちもこの審議会では,できるだけ早くその点についての議論を詰めて,教育というのは,率直に言って従来の初等中等教育は,何のために勉強をするのかということをあまり教える必要がなかったのです。
  話が長くなりますけれども,一言だけでやめます。例えば中学校で,ちょっと難しい数学が始まるのは中2か中3から始まるわけです。代数が入ってくるわけです。代数が何で必要かということを,今の子は質問をします。かつては代数を学ぶことが必要なのかという疑問は出てこないのですが,今の子からは質問があるわけです。それは豊かだから,何のために勉強するのかということを,実際自分に問いかけたいのだと思います。しかし,今の教育の仕組みはそれにきちんと答えるような形にはなっていません。
  例えば,私が質問をされたときは,生徒にこう答えました。代数は,アルジェブラという言葉でわかるように,アラビア人が学問としてつくり上げてきた学問だろう。アラビア人がどうしてそういうのをつくったかというと,恐らく砂漠の中を隊商で歩いていくときに,星を見て道を見つけなければならない。そのために代数を考え出して,道に迷わないようにしないと生きていけないから,必死になって考えた。その代数の考え方を応用すると,人間の社会のいろいろなところにものすごく役に立つ。だからずうっと伝わってきているけれども,もとは人間が生きるために考え出した学問の仕組みです。そういう意味で,人間の生活に全然関係ない,どこか天空で考え出したものが子どもたちにふってきているということではない。「だから,やってごらん」と言うと,わかったかわからないかよくわかりませんけれども,わかったような顔をして取り組む子も出てきます。
  持って回った話になってしまうのですが,すべての学問が人間の社会とつながっている,あるいは生き方とつながっているというところを意識しながらやっていく。それが実は教養教育なのだろうと思います。そのこと自身が人間の生き方にかかわることですから。ですから,まさに前回の中教審の報告の基調は,初等中等教育から高等教育まで教養教育を根幹にしていかないといけないという中間報告になっていると理解しているわけであります。

○鳥居会長  ありがとうございました。
  教養教育については,ただいまお話がありましたような経過を踏まえてずっときたのですが,この後,この新中央教育審議会で今後どのように教養問題のとらえ方をするか。例えば具体的に言いますと,教養教育を子どもたちの成長段階のいつ,どんな形で,具体的に取り入れていくか,再構築していくかということについても,具体的なお話を今日はある程度していただいて,それを受けとめていただいた上で,諮問をしていただくというようにしたいと思います。

○  今おっしゃいましたように,子どもたちは社会の変化とともに,本当に変わってきています。これは子どものせいというよりは,周囲が変わってきているということです。今,私は小学校の校長であり,幼稚園の園長を兼任しているのですが,日本の言葉を十分使いこなせる子どもになっていないということです。つまり,生まれたときに,お母さん,お父さん,おうちの人とか,語りかけると思いますけれども,言葉が大変乏しいと思っています。
  なぜそういうことになるかと申しますと,やはり映像文化といいましょうか,感覚でとらえるというところが非常に大きくなっていますので,子どもたちは自分の見た感覚でとらえているということです。そうしますと,人間関係の中では大変誤解を生じたりするわけです。本来,自分が伝えたいと思っていることが伝わらなくて,いじめになってみたり,そういう状況になるわけです。
  ですから,冊子の8ページ,9ページ等にいろいろ書いてございますが,私どもはそのとおりだと思っています。それを今度学校の段階で実現していくとき,日本の言葉を十分使いこなせる子どもに育てていく。例えば幼稚園ですと,「おはようございます」というあいさつから始まりまして,大きな声で相手に伝わるように言うという,まさに人間が生きていく上の基本の力を育てていきたいと思っています。小学校では,今度は伝え合う力,これは教育課程審議会での答申が出て,国語科でしっかり強調しているところでございますが,それらを具体的に進めていくのが私どもの役目だと思っておりまして,そのことに力を入れて今後もやっていきたいと考えているところでございます。

○鳥居会長  ありがとうございました。今のお話はとても大事なことなので,またいずれ突っ込んで御議論いただきたいと思いますが,要するに人間のコミュニケーションという側面と,それからリプレゼンテーションという側面ですね。自分がいろいろなものから受けとめた情報を,心の中で醸して,それを今度は外に出すという操作,リプレゼンテーションだと思いますが,それが教養の一つの発露の仕方であるということを,我々も教育の中でほとんど忘れていますから。その一番いい例が大事な言葉を暗唱させる。アメリカであれば,リンカーンの言葉を暗唱させることが,国の成り立ちの考え方をリプレゼンテーションすることです。そういう教育を今はしませんので,何かそういうことも含めて,どこかで1回集中的に,先生の今のお話は取り上げさせていただければと思います。

○  今から考えてみますと,教養教育の報告書は,「教育全般」という言葉に置きかえても通じるような内容で,教養教育と教育一般との区別がはっきりしないなということを私も前から反省していたのです。
  そこで,特に小・中学校の場合,ではどういう言葉で置きかえたらいいのか。私は「人間性教育」とか,「社会性教育」とか,何かそういう言葉にしたほうがわかりやすいのかなという気が最近しているのです。といいますのは,こういう変革期にこそ不易なるものが大切なのではないかとつくづく思っています。21世紀とか,政治,経済,教育について,改革,改革で,現場の先生はそれをどう受けとめているかというと,「津波のようだ」という手紙をもらったりしているのですが,どう対応していいかわからないと。新しいものがどんどんくると,みんな新しいものはいいものだと思っていますけれども,新しいものには新しいリスクがあるので,私はこの変革期にこそ不易を忘れずにと今思っているのです。その不易の中身の一つに教養というものがあるのではないかと考えます。特にこれからは一律主義を排し,個性化の時代とか,平等から自由へと言っていますと,ますます基礎といいますか,基本といいますか,そういったものが忘れられるのではないかということで,教養というものをもう一度とらえ直したほうがいいのかなと。結果的には同じになるかもしれませんが,そういう意味で,豊かな人間性の中身を,社会性とか,道徳性とか,教養もその一つかもしれませんが,ということで考えたらどうか。
  ですから,教養というのは山に例えれば,頂上が専門教育・職業教育なら,幅広い裾野が教養なので,富士山の頂上が大学の専門教育なら,近くの山は小学校の教科教育と教養ではないか。それぞれ山の高さに応じた教養がないといけないのに,現代は高層ビルのようになって,裾野のない社会です。高層ビルと富士山を時々新幹線の中から見ながら考えたのですが。

○  今の要望とのかかわりですが,報告(「新しい時代における教養教育の在り方について」)の7ページに「生涯にわたる教養教育」というのがあるのですが,これは奇異な感じがするのです。生涯にわたる教養教育というのはちょっと考えられない。数年前に高齢者の学習に関する国際比較調査をやりましたときに,日本の場合には学習の中に教養についての学習が入っています。でも,これは国際的には通用しないのです。言葉をいろいろ並べて御理解いただくようにしたけれども,教養を身に付けるというのは学習ではない,教育でもないという話になっているわけです。我が国は学習というときに教養に関する学習も取り上げる。これはいいのですが,生涯にわたるといったときに,学校のほうの話では教育ということがあると思いますが,学校を出てからも,生涯にわたって教養を身に付けたり磨いていくというときに,教育だけでは困るので,学習を入れていただきたいと思います。
  ところが,教育と学習の関係は議論されていないのです。教育関係の法規の中に,「学習」というのは一つも出てこない。生涯学習振興法にしか出てこない。というのは,生涯学習振興法をつくるときに,法制局で調べてくださったのですが,一つも入っていないのです。これは,教育基本法もかかわってくると思いますが,生涯学習社会とか,生涯学習とか,学習というのを入れていくときには,教育と学習についてかなり議論していただかないといけないのではないかという気がします。教養教育というところでも,生涯にわたるときには学習についての議論をしていただきたいと思います。

○  今の教養教育を見ていまして疑問に思いますのが,枝葉ばかりを教えているのではないか。言い方をかえると,魚の釣り方を学ばすのではなくて,魚を与えることばかりで,それが教育だと勘違いしているのではないか。教養教育の中で,枝葉ではなくて,幹あるいは根っこ。先ほど出てきましたけれども,学ぶとはどういうことなのか,あるいは人生とは,生きるとはと,そういうことを授業を通しながら子どもたちに考えさせていく。そういうことを考える目を少しずつでも伸ばしていく視点が非常に欠けているのではないか。これは教員の在り方にも関係していると思いますが,本来の教育が,人物あるいは人間をつくる,あるいは人間,人物をはぐくむという視点から言いますと,教育の中で教師が授業を通しながら自分の人生を語ったり考えさせる部分が大事であって,その一番大事なところが欠けてしまっている。この辺をぜひ変えていかなければいけないのではないかと考えています。

○  教養教育に関連して,社会工学的視点から教養教育を考えるという意味で発言してみたいと思います。ソーシャル・エンジニアリングといいますが,僕は現実に仕事柄,世界中を動き回っている仕事なのですが,結局,教養というのは,現実に生身の人物であるか,既に死んでしまった人であるか別にして,人物に出会うということが教養をスパークさせる大きなきっかけになるわけで,講座で教壇に立った先生の話を聞かされるだけが教養とはとても思えないです。
  そういう中で,例えば日本の教育システムの中に教養を取り入れていくとしたら,これは一つのエンジニアリング的発想ですけれども,要するにこの国総体が持っている知的遺産を,子どもたちあるいは若者たちにどうやって伝えていくのかというテーマだと思います。そうなったときに,この国総体が持っている知的遺産が凝縮されている層は,高齢者であり,その人たちが十分な力を持っているかどうか別にして,少なくとも戦後の日本をつくり上げてきた人たちが,要するに高齢者となってこれからあふれてくるわけです。その高齢者をいわゆる教育の現場にリクルートするエンジニアリングみたいなものが,人物に触れるという意味において大変大きな意味があるのではないかと思います。
  例えばのイメージで,「教員免許制度の在り方」というところとものすごく連関してくるのですが,50歳以上,60歳ぐらいまでの人たちが,自分の体験してきた世界をもう1回踏み固めて,3年間なら3年間,ほとんどNPOに近いような年収で,自分たちの蓄積してきた体験を次の世代に伝えたいという人たちを,ボランティア活動とかそういうのではなくて,公的なシステムとして認知して,日本の教壇に送り込んでみるというエンジニアリングを展開してみたら――世界中どんな国でもポリティカル・ソーシャリゼーションといって,自分の国の蓄積してきた知恵を次の世代に伝承するために,ものすごく呻吟しているわけです。ユニークな仕組みがいろいろあっていいというか,日本の場合には高齢者を教壇にリクルートして,核家族化して,爺さん,婆さんに触れ合う機会がほとんどない少年が増えている中で,老人というのは気難しいとか,問題を抱えているという部分も含めて伝えていくようなことがすごく大事ではないか。
  同時に,ソーシャル・エンジニアリングの関連で,教員免許制度に教養というのが結びついてくると思いますが,やはり教師の業績評価が厳しくなされたシステムを導入しなければ,この国はだめだと思います。それは何も国が教職に就いている人たちを評価して切っていくというのではなくて,できるだけ社会システムとして客観的にだめな先生を排除していけるような仕組みを持たなかったなら,教育の現場は再生しないし,教養も何もないという気がします。
  もう1点だけ発言させていただきたいのは,議論のパラダイムを変えたいからなのですが,この間私が発言したときに,若干大臣の受けとめ方に誤解があったかもしれないので,その部分を補足させていただきたいのですけれども,私は期待される人間像みたいなものをもう1回明確にすべきだという趣旨の発言をしたのではなくて,つまり時代がどんどん変わっているから,教育をどう変えなければいけないかという議論を我々は必死にやっているわけです。そうではなくて,教育改革のために社会をどう変えなければいけないかということを,審議会として発言するような方法論もあっていいのではないか。例えば親とか,家庭に,家庭教育は大事ですよという意味で発言するだけではなくて,今の教育の荒廃を考えたならば,大人社会の鏡なのだということをいろいろな方が発言していましたけれども,やはり日本社会の根幹を変えなかったら,子どもたちに期待される人間像を押しつけても,学校の先生に一所懸命責任を押しつけてみても始まらない。
  例えば,私が言いたいのは,メディアの状況です。これは何も表現の自由に対して踏み込むべきだなんていうことではなくて,度を越した荒廃した文化を大人社会がつくってしまっています。中学生,小学生までがテレビの番組ではしゃいでいるような国なんていうのは,まず世界にはないです。それから,経済界も,我々自身の問題ですけれども,極端な拝金主義で,全国どんな町に行っても,駅前で眺めたらサラ金とパチンコの宣伝しか見えない町をつくっていて,子どもたちにまじめに頑張れなんていう話ではないです。政治も言うまでもないですけれども,根本的なところで何かごまかしがあるということを,小学生の子どもでさえ気づいています。そういう意味で,この国の社会の在り方について,教育審議会としてはこう思うよということを発言しなかったならば,学校の制度とか,子どもたちに期待される人間像を押しつけても限界があるのではないかということを,この間言いたかったのです。それだけちょっと発言しておきます。

○  まず最初に,文部科学省の事務局にお尋ねしたいのですが,「21世紀教育新生プラン」の6ページのところに,今議論になっています「教養教育の充実」ということが出てまいるわけです。「平成13年度中に中央教育審議会から答申」となっているわけですが,これを見ますと,大学にふさわしい学習を促すシステムを導入するのだ,そのための教養教育の充実だと,このように読み取れるわけです。
  そうだとすると,私は中等教育を担当しているのですが,どういうところからこの議論をするのかなということで,教養教育というとらえ方がいま一つピンとこないところがあるのです。その辺を後ほどお聞かせいただきたいということが一つでございます。
  今,高校生等を見ていますと,学習の動機づけが非常に弱いと思います。かつては一所懸命勉強すれば,いい暮らしができる,そのために勉強をして,学歴を積んで,それが将来につながるということできたと思いますが,今の子どもたちにはそれは必ずしも通用しない,あるいは多くの子どもたちにはそういう動機づけは通用しなくなっていると思います。なぜそうなったかという背景はいろいろあるのだろうと思いますが,子どもたちの家庭の中が空洞化する,あるいは地域も空洞化する,そして自分たちの暮らしは他人,仲間とコミュニケーションを密にしなくても,簡単にコンビニ等で欲しいものを手に入れることができる。つまり,他者とのコミュニケーションなしでも,子どもたちは自分なりの空間をつくり上げてしまうという生活環境の中に置かれているように思われます,特に高校生の場合は。そういう中で,それぞれ孤立して,自分の将来に対する生き方のイメージを持てないでいる子どもたちが非常に多いと思います。
  そういうことを考えますと,先ほどから各委員から出ておりますように,今こそここで子どもたちに,よりよい生き方とは何かということについて考えさせる教育が改めて必要だろうし,そしてそのような教育をするためにどういうことが必要なのかを,この審議会で答申すべきだろうと思っております。具体的に申し上げますと,他者とのかかわりということは,子どもたちの生活と密着する,あるいは体験と密着した中で他者と深くかかわり,その中で,学校でいえば教員が,地域でいえばその地域社会の人々との多様な交わり方の中で,コミュニケーション能力をはじめとする社会性を身に付けさせていくことが必要であろうと考えております。そういう意味で,教養という言葉を単なる教科書的な,学校の教室の中の教養ということではなくて,もっと広い観点からとらえていただきたいと考えております。

○鳥居会長  千田先生は両国高校の校長先生でいらっしゃるのですが,先生のお仕事をしておられる学校の一帯でも,ものすごい勢いでコミュニティというか,社会が変わっていますよね。実は私も一つの経験だと思って,5年間,上野の米屋さんの2階に住んでみたのです。最初は,子どもにみんな御神輿を担がせたのです。5年後には,一軒家が全部ビルに変わってしまって,御神輿を担がなくなってしまった。朝顔市にもみんな行かなくなってしまった。たぶんものすごい勢いで両国も変わっているのではないですか。先生のお言葉の中にあったコミュニティをどうするか。ビルの中でコミュニティをつくれるのかという問題なのですね。

○  私の申し上げることはいつも単純なことで,前回,トワ・エ・モアの世界の話をしましたけれども,今回も実はそういうことでありまして,「友を得る者は覇者となる。師を得る者は王者となる」。つまり,いい友を得るか,要するに徹底的にいい先生に出会うかということしか,一方ではよくしていく道はありません。それが中途半端であって,それは望みがないと考えれば,制度の上でゴリゴリ詰めていかなければいけない。しかし,どっちも徹底はできない。だから全部,いろいろなことを中途半端にやらざるを得ないわけであります。しかし,中途半端にやらなければいけない中で,我々はいろいろなことを長いこと試してきていて,現実にやっている教育のシステムの中では,まだまだ十分にそれを生かしていないために,それをもっと十分に生かした上で,その次の展望を考えるということが,今まで十分なされていないのではないかということを,私は随分と感じるわけであります。
  例えば自然体験といえば,みんな「そうだ,そうだ」ということでもって,日本中の学校が自然体験に行くわけです。たった1泊2日で行くわけです。前の日は行くことでもって準備に大わらわ。着いたら帰ることでもって大わらわ。それが自然体験の日本の教育の実情であるということです。それを3日に延ばした。3日に延ばしたから少しはよくなったか。そんな問題ではないのです。自然体験といえば,私の乏しい知識でいえば,フランスのコロニードバカンスの例をいえば,40日ぐらいは親と離れて行くわけであります。
  教育というものは,自分で感じ取るものを出さなければいけない。それをうまく先生が引き出す,そういう語り部の先生がいるか。これはなかなかいないわけです。先生はたくさんいても,本当に子どもたちの心の中に入り込んでいけるような先生はほとんどいない。そういう先生でないと先生でないと思いますから,どんどん代えていくべきだと思っております。しかし,そう簡単に事柄はいきません。そのように先生方が努力してもやはり十分ではない。
  そうすると,今度はシステムとして子どもたちに自分で感じさせなければいけない。そのためには,子どもたちに痛い目をさせなければいけない。自分が痛い目に遭わないものが,他人の痛みがわかるわけがないわけです。そういう意味でも,自然体験はいい意味を持ちますし,簡単に言いますと,運動会であろうと,遠足であろうと,演芸会であろうと,かつてのそういう行事は,学校全体の,あるいは地域全体の行事であった。そういうものを子どもたちが一所懸命にやれるようなシステムが,システムとしてあってもそれが機能していないというところに今の問題点がある。
  現在の学校制度が持っているいい部分を思い切りもっと伸ばしていくようなことが考えられないのか。どうも学校の先生たちの話を聞いていると,とてもそんな問題ではないみたいなことをおっしゃる。とてもそんな問題ではないから,それでは従来のいい,例えば運動会であるとか,学芸会であるとか,そういうものに一所懸命になれないのか。どうもそのあたりについてもはっきりしない。そういうことを一所懸命やっているのだけれども,これだけではどうにもならないということでもって,そっちの手を抜いてしまっているというのが現実の問題ではないかと思っているわけです。
  「かわいい子には旅をさせろ」と言われた昔からの言葉は真理を含んでいて,今,大学に入った手遅れの子どもたちをどうしてやっていくかということでもって,大学として学生をどんどん留学に出す。留学生を迎えるのではなくて,留学に出すというところに私はウエートを置いているわけであります。文部科学省では10万人を受け入れるということをどんどんやっていこうとおっしゃったので,実は中曽根元首相にお会いして,その考え方は私は間違いだとは言わないけれども,10万人迎え入れるぐらいだったら,それだけの費用があれば,実は40万人送り出せるのですと。30万人ぐらいまず送り出すことを考えるということを,中曽根さん,言ってもらえませんかということを随分言いました。文部科学省の関係の委員会でも,私は多少そういうことを申し上げております。
  今,日本の人たちはどこかおかしいのではないですか。今,学ぶ時代ではない,日本の学問を輸出する時代だ,だから学生を呼ばなければいけないと。それは話が違うと思います。教育の問題として学生の問題を考えるのだったら,日本が空っぽになるぐらい学生を送り出してみたらどうだというぐらいに思っているわけであります。それぐらいして,学生たちが外で痛い目に遭い,日本がいかにやさしいシステムをつくり上げているか,いかに日本が住みやすい国であるかということを実感させることのほうがはるかに大事ではないか。そして,日本の在り方を見,他人の痛みを感じて,そこでもって自分たちが何をやるかということを考え始めるきっかけを与えることが必要であろうと思っております。しかし,これは大学で多少やってみてもあまり意味がありません。そういう意味で,それでは小学校から全部学校を空にして,外国へ出すなんていうことはできっこありませんので,そのあたりについてはそう簡単ではないということはわかっております。しかし,子どもたちに自分で痛い目を経験させるという教育の原点みたいなものを,今の制度の中でもっと拾い出して,そこを徹底的に強めていき,そういう中から新しい展望を見出していくような努力がもう1回なされてもいいのではないかという取りとめのない感想を持っているということであります。

○  私は子どもたちも,お母さんも,また先生方も,今,すごく忙し過ぎているのではないかというのを感じるのです。先ほど委員が,人間教育の中で,先生方が枝葉の部分ばかり見ていて,本当の幹と根っこをしっかり持った,人間をはぐくむ教育をしていないということを言われましたけれども,私は大賛成なのです。と同時に,子どもたちが一つのことに夢中になれる,また打ち込むことができる環境がすごく少ないような気がするのです。本当の意味で自分に自信を持って,人間づくりをしていくことは,何かに夢中になって初めていろいろなことを知っていけるのではないかと思います。それが音楽であったり,スポーツであったりという中で,今,余裕がみんなにないなということを感じています。
  自分が力を発揮することができて,夢中になれれば,自然とやっていく中で,人のありがたさがわかったり,応援してくれた人に礼を尽くすことができる。それが成長していって,自分も何か人にしてあげたいというところで,奉仕という言葉が出てきていますけれども,本当の意味での奉仕活動を行うような気持ちで,何かしたいという気持ちに向かっていけるのではないかと思います。そういった意味で,もう少し余裕を持って一つのことに打ち込めるような環境づくりが必要ではないかと感じました。

○  二つ質問があります。まず一つめは,実は先程からよくわからなくて悩んでいるのですが,資料で検討事項としてあげられている6項目と,「新生プラン」とはどういう位置づけになっているのかということです。「新生プラン」が全体として教育はこのように持っていきたいということの総まとめで,それに対して細かくいろいろなプランがなされていて,その中のある部分を6項目取り出されたのかなと思って見ているのですが,継ぎ合わせてみると必ずしもそうなってはいないようですね。

○鳥居会長  中央教育審議会が新しくなってしまいましたので説明しにくいのですが,去年までは中央教育審議会が言ってみれば上にあって,その下に大学審議会とか,いろいろな審議会があって,そういう政策立案にかかわるような審議会のもう一つ下に,実行部隊の審議会,例えば大学設置審議会みたいな審議会がある。そこの審議会に文部大臣から諮問がきて,その諮問の答申を出す。その答申を受けて,文部科学省は実行計画をつくる。過去の何回かの,大げさに言うと10年分ぐらいのいろいろな審議会の答申を受けて,文部科学省が今回責任を持ってつくった今回のプランである。だけど,これはこれで実行すると言っているのだから,実行してもらって,これについて当審議会は意見を言うことは大いに言って構わないけれども,恐らくこれは文部科学省の責任で実行するだろう。さて,その次,我々は何を文部科学省に考えてもらうべきかをここでやる,ということです。

○  わかりました。それですと,私も最初そうかなと思って伺っていたのですが,そのように考えたときに,なぜこの6項目が,この順番で提示されているのかがわかりにくいという感じがします。
  それともう一つ,例えば教養というのはどういうものかとか,教育基本法の見直しですとか,非常に大きな内容のものと,奉仕活動の充実とか,教員免許制度など,これは小さいとは言いませんけれどもレベルが少し異なるものが一緒になって,少しおさまりが良くない部分があり,なおかつそれぞれが相互に大きく関係しているのではないかと思うのですがいかがでしょう。一つ一つを議論していくことはとても大事だとは思いますが,相互にまたがっている可能性があるものなので,もうちょっとこれは今までの経緯の中で整理ができないのかなと,自分の中で悩みながら一所懸命これを見ていたというのが今の状況です。これはたぶん私の不勉強によるところが多いと思いますので,その辺は自分なりに勉強したいと思います。それが1番目です。
  2番目は,先ほどからお話がありました教養という観点で,皆さんがおっしゃっているのと全く私も同意見なのですけれども,やはり世の中は大きく変化して,価値観も多様化していく中で,基本的な倫理観というか,ディシプリンをきちんと持つ,物事の本質は何なのかを理解する,といった努力をなおざりにして技術の細かいところまでいきますと,一所懸命やっても,応用がきかないことになります。結局,もう1回どうしてそうなるのかという本質に戻るべきではないかということを本当に思いました。そういった基盤があってはじめて自分の意見をきちんと相手にコミュニケートできるし,相手もそのベースで話ができると思います。どうも見ていますと,個々の技術や細部に一所懸命で,本質のところがいま一つ押さえ切れていないので,逆にコミュニケーションしようと思っても,相手のよさ,自分のよさ,相手の弱さ,こちらの弱さがよくわからないという状態になるのではないかと強く思いました。

○鳥居会長  前半の部分でありますが,私と事務方と両方からお答えしたほうがいいと思いますが,まず机の上に置いてあります厚いファイルの1枚目に名簿がありまして,2枚目に,2枚目以降に入っている内容の目次がくっついています。この目次を御覧いただきますと,旧中央教育審議会が「新しい時代における教養教育の在り方について(審議のまとめ)」となっています。これは,要するに,答申を出していないということを書いてあるわけです。答申を出していないから,もっと徹底してここで議論をしていきたいというように読んでいっていただくと,今までのいろいろな審議会の積み残しを丸々受けとめた新中央教育審議会になったのだということを御理解いただけると思います。
  次に,さっきここで確認されたことですが,中央教育審議会とか,大事な審議会は,文部科学省とか,文部科学大臣からの諮問をポンと受けて,それについてだけ議論しましょうというだけではなくて,我々の議論の中から浮き上がってくる問題意識を,例えば建議という形で申し上げる,意見を表明するというプロセスもあっていいのではないか。かつてそういうことがなかったわけではないということです。

○  よくわかりました。しかし,本当にたくさん課題があるものですから,そのときのベースのスタンスをどこに置くのか,私の不勉強で明確でなかったものですから。

○鳥居会長  いや,不勉強なのではなくて,たぶんみんなわからないのだと思うので,むしろこれからの議論の中で,その輪を絞っていくことになるのではないかと思います。 事務局のほうから何か追加の御説明がありましたら,どうぞ。

○事務局  教養教育の在り方については,今,会長がおっしゃったとおりでございます。6項目のうちに,「奉仕活動の充実方策」以下,5本あるわけでございますけれども,基本的に私ども教育改革国民会議の提言を受けまして,我が文部科学省として緊急に講ずべき教育改革のプログラムを,「21世紀教育新生プラン」にまとめたわけでございます。そこで,直ちにやるべきことは,この国会に法案を提出する,あるいは政省令の改正でできるものはやっていく。
  なお,更に議論を深めていくものがいくつかあるわけでございます。例えば,「教育新生プラン」の2ページをお開きいただきますと,「人間性豊かな日本人を育成する」という課題の中で,奉仕活動の問題があるわけでございます。そこで,私どもは教育改革国民会議から社会的な仕組みづくりを行うようにという宿題をいただいているわけでございまして,文部科学省としてはこの問題につきましては,関係省庁と協力しながら,中央教育審議会で検討を行い,13年度中を目途に取りまとめるというように,文部科学省として「新生プラン」を策定したわけでございます。したがいまして,この項目につきましては,ぜひこの中央教育審議会にいずれかの時期に諮問し,御検討いただきたい。
  それから,順番のお話がございました。この「新生プラン」の順番にいきますと,次に教員免許制度の問題が,8ページをお開きいただきますと,「新しい時代に新しい学校づくりを」ということで,教員の意欲,努力が報われ,評価される体制をつくる。その中でいくつか政策課題があるわけですけれども,免許更新制の可能性の検討もまた教育改革国民会議から私どもは宿題をいただいている。したがいまして,これは今後の教員免許制度の在り方とあわせて,ぜひこの中央教育審議会で御検討をいただきたい。
  それから,教育基本法の見直しはまさしく11ページにある,極めて重要な政策課題でございます。これもまた大変恐縮でございますが,11ページの「16」「17」の項目でございますが,中央教育審議会で諮問をいたしまして御検討をいただきたい。
  これが「新生プラン」で掲げている項目でございますが,「検討課題」の2ページをお開きいただきますと,「高等教育の国際競争力の更なる強化方策」「子どもの体力向上方策」につきましては,実は「新生プラン」では中教審に諮問して検討するということまでは決定はしていないわけでございますが,やはり事柄の重要性にかんがみまして,ぜひこの審議会で私どもといたしましてはここに書いてございますような検討の視点につきまして,更に御議論をいただきたいと思います。こういったような観点から,このような課題につきましてぜひ御議論をいただきたいということで,私どものほうからたたき台を出させていただいているということでございます。
  それから,せっかくの機会ですので,恐縮でございますけれども,先ほど委員から,「新生プラン」の6ページのところに「教養教育の充実」とあるのは,高等教育,大学のことではないかという御指摘がございました。確かに教育改革国民会議は,大学にふさわしい学習を促すシステムを導入するということで,教養教育の充実を図れという御提言でございますので,この審議会で教養教育の在り方とあわせてこの問題は御議論をいただきたいと思っております。例えば「新生プラン」の2ページに,先ほど言葉の教育の重視という御提言がございましたけれども,当然この審議会で御議論をいただく教養教育は,大学に限らず,もっと幅広い観点から御議論をいただくのだろうと思っております。
  それから,続いてで恐縮でございますけれども,先ほど委員から,文部省は平成3年に大学設置基準を大綱化して,国立大学は教養部がなくなっているのではないか,それを一体どうするのだという御指摘がございました。確かに平成3年に大学設置基準を改正し,いわば国が人文,社会,自然,3分野にわたって36科目という縛りをなくして,大学が自由にカリキュラムを組めるように改めたわけでございます。
  ただ一方,平成3年,厳しい財政状況の中で,大学が新しい時代,社会の変化に応じて学部・学科をつくっていこうとするときに,スクラップ・アンド・ビルドという形で,教養部をなくすといいましょうか,教養部をスクラップするかわりに,新しい学部をビルドしていくという過程の中で,そういうことが起こってきたわけであります。当時,文部省が意図したところは,全学的な仕組みをつくって,教養教育は一所懸命やってほしい。ただ,それが現時点でうまくいっているのかいっていないのか,そこは十分に考えて,大学で教養教育をどうやって充実させていくかという具体策をぜひ御議論いただきたいという考え方でございます。

○  今また事務局からも,人文,社会の縛りをなくしたという大学の大綱化のお話もございましたけれども,人文,社会に関連した知識は,現代社会では定量的に計測をして評価をする仕組みに乗りにくい部分でございまして,今の社会は情報と技術と市場経済が圧倒的に評価を決定しているというところがございます。ですから,多くの大学では,確かに今のグローバル化,産業社会化に対応した学科編成や学部設立ができまして,その部分はもちろん時代の変化に対応できたということで評価できるわけですけれども,一方,文化であるとか,人文であるとか,そういう部分をだれがどこで守り,推進していくのかという部分が大きく欠落してきているように思います。
  先ほど委員から,「教養」という言葉よりも,「人間教育」「社会教育」という表現のほうが適切ではないかというお話がございましたが,私も従来の教養教育ということではなくて,人間とは何なのか,あるいは社会との関係とは,あるいは自然とは,そういった本質的なことを探求する学問としての在り方を再編成することが,今の時代に必要なのかなという気がしております。
  もう一つですが,IT(情報通信技術)と職業能力ということで,昨年,2,400社ぐらいの人事部門に調査票を送りまして調査をしましたら,どういう能力を最も重視するかということで戻ってきたのが,統計的能力,コミュニケーション能力,自己管理能力,こういうものが上位に挙がってきたわけです。学生にも同じような調査をしますと,学生も統計的能力は自覚しているわけです。それについては,結局,産業社会に入って,統計的能力を身に付けていれば,チャンスにありつけて,ポジションにありつけて,自分で評価されるということがわかっておりますから,彼らの学習に対する達成動機はそういうところに大きくシフトしていくわけです。
  ところが,学生があまり及んでいなかったのは,自己管理能力です。この自己管理能力とは何かということを,この間,日経新聞に大阪大学の猪木先生が書いておられましたけれども,それこそ自己統治能力ということで,表面的な行動を単にコントロールする力ということだけではなくて,これこそがまさにリベラルアーツの本質につながっていくところなのではないかという気がするわけです。
  また,調査アンケートのたくさんのフリーコメントを読みましても,一方では外国語,コミュニケーション能力,ITに関連した操作能力,それから専門力。統計的には順位が出るもののフリーコメントで,多くの企業が教養に関連した,物事の本質を見極める力を身に付けてほしいという回答を寄せられておりました。
  この部分を推進するのは産業界ではなかなか難しい。やはり学校教育,あるいは家庭教育,地域教育の中でしかできないことだと思います。しかしながら,学校教育というのはまさに社会の鏡でございまして,幾ら学校教育で声高に言っても,社会に出たときに,それで職業として成立する分野があるのか,あるいは評価されるのかということを,きちんと子どもは見ているわけです。そうすると,今,社会の中で評価される能力は,極めて表層的な市場経済に直結した教育,知識部分ばかりなわけです。ですから,産業政策や,もっと文化政策としても,教養教育の部分の知識のバックボーンになるような仕組みをつくっていかなければ,これだけ市場経済が隅々まで浸透した社会の中では,子どもの学習動機には訴求しにくいのではないかという気がしております。
  もう一つは,先ほど教育改革国民会議でのお話から「教育新生プラン」が出てきているということで御説明をいただいたわけですけれども,教育改革国民会議でのいろいろな提言を拝見しておりましても,教育分野だけではできないことを理念的におっしゃっている部分がかなりあるわけです。家庭教育の重要性ということで,家族と過ごす時間を長く持つようにしようということを言っているわけですけれども,だったら日本の年間総労働時間の短縮を,こちらの会から厚生労働省のほうに提言をするとか,あと教育休暇制度もいいですけれども,有給休暇の消化率がまだまだ日本は上位にいっていないにもかかわらず,教育休暇制度を更に導入というよりも,有給休暇をどんどん使って,家庭教育を促そうではないかという提言をするとか,いろいろな形で他の省庁に対する政策に切り込んでいく必要があるのではないかという気がしております。
  まさに今の子どもの問題は,我々のやってきたことの成果が子どもにあらわれているわけですので,我々がやってきた部分でいろいろなひずみを起こしている様々な制度について,働きかけていくことが必要なのではないかという気がいたします。特に労働時間については,具体的な提言として今後検討していってもよろしいのではないかという気がいたします。
  それから,「21世紀教育新生プラン」の主要施策とタイムスケジュールを拝見しておりまして,杞憂にすぎないのかもしれませんけれども,不安材料がいくつかありますのは,例えば「各家庭における『しつけ3原則』の作成」を進めるに当たって,では具体的なアクションプランは何かというと,「家庭教育手帳」をつくる,「家庭教育ノート」をつくって配布する。あるいは,道徳教育の強化というテーマに対して,具体的なアクションプランは「心のノート」を作成して,小・中学生に配布する。これだけいろいろ深い議論をして,問題が抽出されているにもかかわらず,アクションプランになると単にノートをつくって配布するということで,十分事足りるのか。これは旧来的な方法論にしかすぎないのではないか。私は「心のノート」を作成して配布するということよりも,むしろ先ほどどなたかおっしゃっていましたけれども,高齢者の心の問題を語れる語り部をNPO的な謝礼で,それこそ1,000人を任命して,全国の小・中・高を回らせて語り部活動をさせるほうが,はるかに効果があるのではないかという気がするわけです。ただ物をつくって配布すればいいというアクションプランについては,今後の中教審でも厳しく精査をしていく必要があるのではないかと思います。

○  それでは,2点申し上げたいと思います。第1点は,確かにシルバーの活用は重要なポイントではないかと思います。高齢化社会がどんどん進んでいるわけでありまして,これからの日本の社会の中で,高齢者がいかに活用されるかということで,社会が活性化するかどうかということが決まってくると思うわけであります。そういう観点から考えましても,シルバーを教育の中で活用することは重要だと思います。
  それから,さっき委員からもお話がありましたが,語り部ですね。シルバーはまさに語り部として最も適任だということでございます。それから,おじいさん,おばあさんとふだん接触する機会がなくなっている子どもがたくさんいるわけでありますから,そういう意味から言いましても,これは非常に重要なことだろうと思っております。ぜひこれは進めるべきではないかと思っております。これが第1点であります。
  第2点は,前回の中央教育審議会の教養教育についての御提言の中に,個性を重視することも重要だけれども,同時に基本を大切にすることが大切であるという御指摘がございますが,これは誠にごもっともだと思うのでございます。その中の基本というのは一体何かということでございますけれども,いろいろありますが,その中で,ぜひ基本の中に入れていただきたいことに,これから国際化がどんどん進むという状況の中で,国際的な場で仕事ができる人をつくるという観点から,教養教育の基本の中にぜひ入れていただきたいことは,一つは外国語です。殊に国際語である英語ということ。もう一つは,異文化への適応性についての教育,この二つはぜひ基本の中に入れるべきでああろうと思います。
  英語のほうは,そういう点での案ができておりますけれども,異文化への適応性は,教養教育の中でもう少し基本として考えるべきではないかと思います。もちろん日本の文化とか,日本の歴史についての知識を十分に持つことは必要であります。同時に異文化に抵抗なく適応できるということが,日本人にとっては非常に問題でありまして,私が若いころに言われておったことで,今でもまだ言われておることの一つに,外国へ行きますと,日本人同士がすぐかたまるということがあるのです。これは海外に駐在しても,いまだに日本人は現地の社会に溶け込むということが,もちろんそういう人もおりますけれども,一般論としては十分にそれがなされていないということがあるわけです。それはなぜかというと,異文化への適応性が欠けているからだということだと思います。異文化への適応性を教養教育の中でしっかりと教えていく必要があるのではないかということを強く感じております。異文化への適応性をどうやって教えるかということは,いろいろ細かいことになりますので触れませんけれども,この2点だけ申し上げておきたいと思います。

○  皆さんのお話を伺っていて,ひとつ疑問に思うのは,学校が与える,誰が教えるという提供者側主体の視点になっていて,学ぶ・学習する人が主体になっていない点です。何を与えるか,教えるか,という点に対するウェイトが高く,文部科学省主導,学校主導,国主導という姿勢が非常に強いと思います。多分今までもお話はたくさん出てきていると思うのですが,これだけ学ぶことが多様になり,変化のスピードが速い中で,そのニーズを中央が皆把握して,それを与えることはほとんど不可能です。
  これだけ世界が近くなり,変化のスピードが早い時代においては,個人がどこへいってもやっていけるように,個人がいつでもまた常に学習できるような仕組や施設,やり方を考える必要があります。つまり,「学習を原点とする」という視点が重要だと思います。個人が一人で世界へ出ていくことを考えると,先ほどからお話が出ているように,体も鍛えなくてはならない,新しい人と付き合うためには日本語も英語も知らなくてはならないということが明らかです。
  個人が,継続的に学習するという観点から,検討事項を見ていくと,だいぶウエイトが変わると思います。教養教育についても,単に初等中等あるいは高等教育機関で学ぶということだけではなく,一生を通して,個人が学ぶ必要があります。学ぶというのは,新しいものに触れ,新しい人に会い,新しいことを知り,新しい体験をして,考えることがどんなにおもしろいかを自分自身で体得することだと思います。そのため,多様な経験ができるように仕組を考える必要があります。奉仕活動も,シルバーを含め多様な人に教員になってもらうのも,そのひとつの手段だと思いますが。

○  私は保護者のほうの立場からですが,まず教養教育の在り方の中間報告を見せていただいて,ピンとこなかったというか,また現場が混乱するのではないか。「教養」という言葉は,今,せっかく生涯学習の中でどうしていこうかという話がある中で,ちょっと混乱をしていくような気がしたので,教養教育については慎重にとらえていただきたいというのが,同じように1点です。
  それから,教師のことですが,これも私は国民会議でもお話ししましたが,そういう社会システムが欲しいなと。企業というのは,今,生き残りをかけて切磋琢磨している中で,先生方を見ているときに,どうしてもそこのあたりの姿勢がまだまだ低いような気がします。それについてはぜひ検討していただきたいと思います。そうすることが,私ども保護者や地域が学校を信頼できることに結びついてくると思います。
  それから,体験学習のところで,「奉仕活動の充実」というのが出ておりますが,生涯学習審議会の自然体験や社会体験の推進を答申されたものは,学校側も保護者側もとてもわかりやすくてよい答申であったと思います。そういう中で,体験したことをどのように生かしていくのか,知恵にしていくのかという,そのあたりのノウハウも含めた上で,奉仕ということも更に広げて,社会体験活動の中に位置付けて活動できると,私たちに親しみやすいという気がいたします。
  もう一つ,社会の在り方ということですが,これについても思いがあります。私どもPTAでは,特に民放連のテレビ番組が,番組として悪質なものが多いものですから,保護者が子どもたちに見せたくない番組のアンケート調査等もしております。青少年と放送の委員会ができるときにも,私どもPTAはその中にメンバーとして入れていただきたいという話をしたのですが,そのときに私たちの団体は入れていただけなくて,それを代表する専門家の先生とか,学識経験者の方だったらいいと言われたのです。やはり保護者の代表,見る側,受け取り手が対等な立場の中で意見交換したり,いろいろな意味でお互いに理解をし合っていくことが,本当の民主主義の社会ではないかと思いますが,どうしても土俵として民放連側,また映倫もそうですが,経営者側の身内で審査をしているという部分があり,自主規制はまだ生ぬるいと思います。経済優先主義なのか,それとも,「子どもたちは社会の宝」と言っている中で,教育を共通概念として,みんなではぐくんでいく社会環境をつくっていけるのかどうかは,私たち保護者にとっても教育改革が進んでいく中で,とても不安に思うところです。ですから,社会がこのように応援するものがあれば大変ありがたいと思います。

○  先ほど来出ているシルバーの活用のことは,さっきの英語教育の場合には既に提言として,特別講師として,海外での経験の豊富な方を日本の学校教育制度の中に取り入れることも既に始まっていると思います。
  恐らく今日の総会で自由討議が終わった後,教養教育の問題は分科会の一つである教育制度分科会で引き続き審議されると思いますので,一言申し上げたいのですが,教養教育をリベラルアーツとしてとらえるのか,あるいはハーバード大学などに見られるように,アーツ・アンド・サイエンスとしてとらえるのか,この辺も一つの論点だと思います。
  もう一つは,今,教養教育を生涯教育としてとらえるという考え方が一方あるのですが,ある一定の年齢を教養教育に充てるという,一つの教養教育の在り方の制度的な設計をどうするかということは,ぜひ検討いただきたいと思います。というのは,今,17歳というのは一番犯罪を起こす年齢だと。17歳というのはいろいろな意味で一つの曲がり角,人生の一つの転換点です。そういう年齢に対して集中的にというか,かつての旧制高校がちょうどその年齢になっていますし,古いところでは若衆組とか,さっきのおみこしの元服の後に,そういうものを一つのコミュニティとしていろいろ学んだ。それは同時に,先ほど出ているように何も古いものに復古するのではなくて,異文化体験と茂木さんがおっしゃったのですが,まさにこれからの国際社会の中でも,その時期はかなりクリティカルな時期だと思います。そうすると,一生涯の中に2年間ぐらいを,教養教育のために過ごさせるような制度設計をするのか。恐らくこれは奉仕という社会体験,あるいは奉仕体験という問題とも結びつくと思います。その辺のことをぜひ御検討いただけるといいのではないか。一般に奉仕ということに対して,私は必ずしもそう思いませんけれども,何となく復古調の抵抗があるようなふうにみなされる意見ももちろんあるわけですから,それをそうではなくて,これからの時代にふさわしいような奉仕も,その時期を設定することによって,うまく合意が得られるというか,解決の方向が出るのではないか。
  教育というのはもともと孟子から出た言葉ですから,ある一定の時期に,聖人が幼体に対していろいろなものを馴致するのです。そういう期間ですから,そういう期間も必要だとすると,教育制度の中に17歳前後の2年間を教養教育に充てるような制度設計をすべきではないか。そのことは教養教育の問題とともに,奉仕という問題とも結びつく。しかも,それは将来に向かってまさにグローバル化の中で考えていただければいいのではないかと思います。

○  二つの点について話をしたいと思います。この審議会では教育改革を通して社会の在り方,あるいは価値観,この辺のところを考えていかなければいかんのではないか。ほかにもそういう意見が出ていたと思いますが,私はものすごく簡単に考えて,今も,50年前も,100年前も,オギャッと生まれてきた子どもはみんな基本的に同じではないか。その子どもたちをどのように育てていくかというのは,世の中の在り方,価値観が非常に大きく影響しているのではないか。ですから,この問題の本質というのは,今の社会の価値観,在り方のゆがみからきているのではないか。このことについて,この審議会でも真剣に検討をしていく必要があると思います。
  これに関連して,私が非常に感じますのは,神仏ではありませけれども,目に見えない,人間を超えた大いなる存在を我々がだんだん信じなくなってきた。物質万能,科学万能主義になってきて,そして地球を支配しているという人間のおごり高ぶりが,我々を間違った方向に持ってきた。よく教育の話になりますと,「今の子どもは」とか,「世の中が悪いんだよ」と。どっちも間違っていると思います。問題は我々大人一人一人にある。子どもでもない,世の中でもない,自分自身の問題です。そこをみんなで考えていく。これは非常に大変なことですけれども,世の中の在り方,価値観というところを問うていかないと,変えていけないのではないか。これがまず第1点です。
  第2点ですけれども,最近,マスコミ等でもゆとり教育のことが非常に問題になっております。委員からも自然体験の話が出ました。他の委員からも,今の先生も子どももみんな忙しいと言われました。実際にいろいろなデータでは,子どもたちはものすごくストレスを感じております。ゆとり教育というのは,実験とか,体験を大事にしていく。屋外での教育を大事にしていく。それから,問題発見・解決型,双方向。それから,特に算数,数学等ですと,十分理解できないままに上に進んでいる者も多い。ですから,基礎・基本を徹底していこう。そういうことを通しながら,学ぶことの大切さや生涯を通じて学ぶことの楽しさ,こういうことを教えていこう。ただ,進んでいる人間に対しては,例えば飛び級とか,習熟度別ということもあるのですが,そういうことで個々に応じてと。どうもゆとり教育に対しての誤解があるのではないか。このこともどのようにここでとらえるのかということも,一度考える必要があるのではないか。

○  社会を変えようとして,教育関係のところで,生涯学習社会の実現ということを平成になってから言っているわけです。これに関しましては,もちろん昭和56年の中教審答申にも「学習社会」とあります。緊急の課題というので,文部省,文部科学省は,生涯学習社会の教育・学習システムをつくることに力を注いできてくださったと思います。これは漸進的アプローチですから,なかなか見えない。でも,20年前と今を比べてください。どれだけ変わったかということが分かると思います。ところが,生涯学習社会のビジョンの検討が欠けているのです。どういう生涯学習社会を目指すのかということについては,まだ本格的な議論がなされていないのです。
  教育の審議会ですから,先ほどの社会を変えようということでいったら,生涯学習社会をどう描くのかということが一つあると思います。個人レベルということでいうと,人の一生をどうとらえるか。昔は,我々の先祖たちや先輩たちは,まず一人前を目指して,一人前になって働く。その後,隠居するというのが社会の通念として何となくあったと思います。ただし,そのとき,御隠居さんのイメージがよくないと,子どもたちは嫌になってしまいますけれども,今はそういう通念がない。先ほどからシルバーという話がありましたけれども,私どもが地域に行ってみますと,高齢者の方々は自己の完成を目指して,一所懸命になって努力している。それを社会で認めてほしいということがたくさんあるわけです。それならば,従来の通念は通用しないので,先ほど会長が言ったように,社会に呼びかけるでいいのですが,新しい通念を作っていってはどうか。例えば「成熟」を目指して一所懸命努力をしていく。成熟したらば,その中で働いていく。その後は「完成」を目指す。「完成」というのは,オリジナルではありません。ギリシャの市民社会はそれを目指してやっていたわけです。それで教養を身に付けてきたわけですから,お借りするしかしょうがないのですが,完成を目指す。そういう中で,社会にも貢献するとか,自己の充実を図るとか,そういうビジョンを出していけばよい。
  例えば,奉仕活動についても,18歳以上といいますけれども,18歳以上の人たちが「何でこんなのをやるの」と言うことは目に見えているわけです。でも,このようなコンテクストの中で,「あ,そうか」と納得してくれれば,これは意味が出てくると思います。せっかくの中教審ですので,その辺のところの検討をお願いできればと思います。

○  教育というのは,もちろんある世代が歴史的に積み重ねてきた知恵を,次の世代に伝えるということにほかならないわけですけれども,その中で,学校教育というのは何をやっているかということです。恐らく学問を媒介にしてやっている。これを今日はつけ加えておきたい。皆さんから大変心に響く話を伺ったのですが,これからあまり響かない話をするわけですけれども。
  したがって,今の教育の状況,特に教養教育について申し上げたいのですが,教養教育の問題点は,実は今の学問的状況を反映しているのだということを認識しないと,物事は解決しないだろうと思います。それはどういうことかというと,今の学問の状況は,最近というか,近代に入って,いわゆる学者,科学者と言われる人たちがみんな職業化して,専門化し,細分化されている状況があるということです。したがって,学問を媒介として一つ一つ教育をしているのが学校教育ですから,細分化され,分割化された状況の中で教育が行われているという問題があります。
  恐らく分割には二つの問題があって,一つは専門化です。文学があったり,経済学があったり,理学があったり,こういう分割化。もう一つは,これもどなたかが御指摘になったのですが,昔の知識は必ずファクトについての知識と,それをどう使うかというユテライゼーションの知識はペアになっているわけです。ある知識があれば,それがどのように役に立つか。しかし,近代の職業化された科学の中では,ファクトファインディングだけが専門化して,それをどう使うかは社会にゆだねるということになって,本来使われるほうの学問がなくなってしまった。実はこれは,説明は省略しますが,私は仮説を持っているので,いわゆるファクトファインディングの知識とユテライゼーションの知識の分割は,実は文科と理科の分割なのです。恐らく文科系あるいは社会科学系というのは,本来ファクトを利用するものだと思います。それが分割されたいうことで,近代というか,現代の人類が持っている知識は非常に特殊な状況にあるということで,これを背景にしないと教育はうまくいかない。恐らく教養教育というのは,こういった分割された知識をバインドするものとして存在しているのです。ですから,文科と理科を融合する,あるいは細分化された諸知識を融合する。そうしたときに,知識が個人にとって行動の原理となり得るということです。したがって,学ぶことが行動を可能にするという形をつけたときに,実は教育が新しいモチベーションを獲得するという方程式が存在していて,これを今忘れているのではないかという気がします。
  どんなに教えても,私は工学部にいるので,どちらかといえば行動に近いのですが,どんなに機械工学だけを教えても何もできないわけで,あらゆるほかの学問を知らなければ,1台の機械の設計ができないわけです。今,そういった教え方をしているということの中に非常に大きな問題があって,教養教育というのは教養学という一つの学問分野が別に存在するのではなくて,すなわちプラスアルファの学問ではなくて,現在の学問状況に対して一つの非常に欠けている部分を補完する。必要条件としての教養教育という位置づけをしないと,今の教養教育にはモチベーションもないし,あるいは専門化というものも生じてこないという状況にあることは,ぜひ考えていかなければならない。放送大学のような教養学部だけしかないという大学にいると,ここには差別も何もなくて,仲良く教養学の話をしているわけですけれども,教養というのはそういうものだと私は思っています。

○  教養審で三つの答申を出しましたけれども,その審議に取っかかる最初の動機は,第1点が大きな社会変化,第2点は学校が当面する深刻な事態にどう対応するか,この2点があったわけです。それに対応するために,新しく教員にどんな資質・能力が求められるか。その資質・能力を,いつの時代にも求められる資質・能力と,今後特に求められる資質・能力に分けて考えていた。そこまではいいわけですけれども,審議のプロセスでもって,資質・能力の中に教養教育的な発想について議論をすることがほとんどなかった。このことは非常に大きなことではなかろうということを,ここでメンションしておきたいということです。
  なぜそういったことを持ち出したかということですけれども,「審議のまとめ」を見せていただきますと,初等中等,高等教育一貫して教養教育に当たるべきだという考え方,更には生涯学習のプロセスの中で考えるべきという御提言がございます。そうなった場合に,当然,そのプロセスの中で,初等中等教育を担当する教師の役割を重視しなければならない。その教師自身の教養教育の問題についても当然考えなければならない。そういうことを考えた場合に,今後,教養教育の在り方について詰めていく場合に,教師教育に対する投げかけのようなことも念頭に置いて,どうぞ御審議をお願いできればということです。以上です。

○  先ほど学習のモチベーションにかかわっての教養教育という発言をさせていただいたのですが,実際問題として,日本の場合は教科主義が牢固として育ってきましたので,教養というのは教科を深める行き先にあるという感覚があるのです。大体そういう議論がされているわけです。しかし,個人的に私が考えた,教養教育がすべての場にあるというのは,教科の行き先ではなくて,もっとずっと手前にあるもので,具体的な例で言いますと,結論としては一般的に英語を身に付ける人たちと,国際社会で活躍できる英語を身に付ける人たちと分けようではないか。そういう形で,日本人全員が英語が身に付くような裾野をつくろう。その中から育てていこうという議論で結論が出たのですけれども,教養も全く同じと考えています。
  そういう意味では,裾野を広げるという意味で,教科の行く末にある教養という意味ではなくて,新しい教養教育を提言しないと,日本では学ぶ人がどんどん空洞化していってしまう状況になりつつあるのではないかと思っております。

○  先ほどシルバーの方々が実際に教育の現場に行って,今までの経験を伝えるというお話がありました。実は経済界でも,経済人が教育の現場でどんな役割を果たせるのだろうかということで,経済同友会などがそういった試みを行っています。その結果ということだけでもないのですが,実社会に出て様々な経験をしてきた経営者が,中学,高校などに出かけて行って,自分たちの経験の話をする。そういう中で,先生方との交流とか,またPTAの方々との交流も含めて,これはある意味では生々しい経験も踏まえた上での教養の実践という形で,一つの貢献ができるのではないかと思っております。そういったこともぜひ検討していただけたらと思います。

○  教養教育ということに関しまして,初等中等教育から高等教育まで含めて行うものであるが,どちらかというと高等教育に焦点があたっているというような御説明だったように思います。教養というのは皆様がおっしゃいましたように,人が身に付けてほしい,知識でない部分と考えますと,社会性とか市民としての責任とか学び方を学ぶこと,生き方を学ぶことなどを含むかと思います。
  「教養教育」という名称は,先ほどいろいろ御提案がありましたように,ふさわしい名称をここで考えていく必要があると思います。それとともに考えなければならないことは,大学進学,大学院進学が多くなり,社会人として現場に出るということからいうと,モラトリアム期間が長くなっていくことと関係したことです。
  学校で学ぶ期間が長くなって社会人としての教養を学ぶ時期が先送りになってきているように思います。個性の尊重を大切にすることを考えると,義務教育が終わったところで社会に出る人があってよし,高校を卒業して,社会に出て生産人口に加わるのもよしなのですから,どの段階で社会に出るにしてもその時なりの教養,生き方や学び方を考える力がついている必要があると思います。分科会で教養教育について詰めてお考えいただきますときには,ぜひ大学まで出てから社会人になるという考え方ではなく,各学校種の年代でどのようなことを教養教育の内容として扱っていったらいいのかということについて,中学校レベル,高等学校レベルということも視野に入れていただきたいと思っております。

○  教養教育については,私も前からかかわっておりましたし,教育制度分科会に所属することになっていますから,多くを申し上げませんけれども,これまで皆さんがおっしゃったように,教養教育の今日的な意味での重要性については,17期の中教審でかなり議論してきて,鳥居会長はたしか「生き方の座標軸」という副題をつけたらどうかということをおっしゃって,基本的に皆さんが様々おっしゃったように,人間としてどう生きていくかというその基本になる,もちろん知識が全くなくてはあれですが,知識だけではなくて,基礎・基本の上に立った人間の生き方を,今,日本人自体が見失っているというか,生きる目標,目当てを必ずしもはっきり持ち得ないでいる。日本の大人社会自体が失われた10年を含め,今,日本丸自体が漂流しているような状況の中で,そういうことが重要だということです。
  その意味で,今,教育学者の中では,子どもたちが学びから逃避しているという言い方を――学習(勉強)時間が二極分化して,ブランド志向で有名な大学に行く人は競争意識が激しく,勉強時間も長いのですが,どこでもいいと言えば,ほとんど全入に近い状況になって,学校以外にはほとんど勉強しない子と,二極分化している。その基本は人間として,社会人としてどう生きていくかということを,大人社会自身が見失っていて,子どものほうはなおさら見失っているという意味で,この前,大臣がおられるときに,全体の「新生プラン」の中に,そういう面での理念とか,哲学が欠けているのではないかという趣旨で言ったので,教養教育ということのかかわりの中で,その辺の問題を少し掘り下げて議論していくのが重要ではないかという感想を持っております。また次回以降,具体的にどうするかという問題については申し上げたいと思います。
  それから,教員の免許制度については,ここで書かれているように,今の学校教育の基本的な在り方の中で,子どもの成長をどのようにサポートしていくかという観点から,今,学校の校種別,大学は別として,小学校,中学校,高校の12年間でトータル的に考えようというのが,初等中等教育と高等教育との接続の考え方の基本になっているので,だんだん小・中・高の校種間の壁を低くしていこうということを言っていますので,今のように小学校は全教科を担任して免許の教科別はない,中・高は専門分野別の教科という,それが果たしていいのかどうか。学級王国ということについてもいろいろな弊害があるということも出されていますから,そういうものを含めて抜本的に免許制度,教員の養成,採用,それから鳥居会長は去年の暮れあたり,教員の後継者をどうするかという問題は重要な課題だと。これだけ難しくなってくると,本当に優秀な人材が教職を目指して,試験の競争率は確かに高いのですが,教育をめぐる厳しい課題が山積している中で,そんなにしんどいところより,民間の会社に行ったほうがいいということにもなります。教育は人なりで,全体としてどういう人を教育の場に得るかということで,トータル的にこの免許の問題を中心にして議論をしてほしいと考えていることを一言申し上げまして,あと具体的な問題については次回以降にさせてもらたいと思います。

○  簡単に二つのことを申し上げたいと思います。一つは,社会が悪いから教育が悪いのだということはもっともで当然なのですが,だから社会へも発信して社会を変えてくれと。それもわかるのですが,社会を構成しているのは人間ですから,人間を変えるのが教育なので,そういう意味で,学校教育,教育からやらない限り,これは永遠に鶏と卵みたいになると思います。しかし,鶏と卵の関係というのもおかしいので,発生学的には卵は単細胞ですから,卵が先なので,そういう意味では人間を対象とした教育の改革からということが第1点です。
  第2点は,この会議の共通理解で大事なことだと思いますが,教育と学習の概念の区別を強調し過ぎると,これは進まないと思います。何か臨教審の影響で,それまで「生涯教育」と言っていたのを「生涯学習」に切りかえ,法律も「生涯学習振興法」にしてから,何か学習のほうが教育よりいいのだ,学習は自発的で,教育は強制的で,上から与えるものだという二分化論がありますけれども,教育という広い概念には学習も含まれるので,それはメダルの表と裏なので,これは二つに分けられないのです。人間というのは初めから自立しているのではなくて,他人に依存しながら自立していくので,学校の先生に教えてもらいながら自立する。大人に依存しながら自立する。そういうものですから,あまり学習だけを強調しすぎると困るのではないか。強調するなら,中央教育審議会も中央学習審議会にするとか,社会教育の人がよく,社会教育の基本は自己学習,相互学習だと言うなら,社会教育も社会学習にすればいいのに,社会教育と言っている。というように考えてくると,おかしなことがたくさん出てくるので,これはあまり強調しないほうがいいのではないかという感じがいたします。
  ですから,教育と学習については,自発的にやるのが学習で,上から教えるのが教育だからという気持ちはわかりますけれども,我々は自発的な学習をするために,放送大学等に依存しながら学習しているわけですから。こういうことを少し整理しておかないといけないのではないかということで申しました。

○鳥居会長  ありがとうございました。本当にたくさんの御意見をいただくことができました。特に今日は,テーマを六つほど掲げた中の,主として教養教育に御審議は集中いたしましたけれども,これはこれで非常に有意義であったと私は思っておりますし,皆様も恐らく御同感いただけると思います。これを事務局に整理してもらいまして,次回の第3回総会までにはお手元に届くような何らかの方法をとっていただきたいと思います。
  第3回目の総会は,また教養教育のところでグルグル回りしてしまってもいけませんので,少しテーマをずらして,もちろん教養教育についても御審議をいただきますが,もう少し視点を変えて御議論をいただくように,最初からまた申し上げるつもりでございます。どうか第3回の審議もぜひ積極的に御参加をいただきたいと思いますので,よろしくお願いいたします。事務局のほうから何かアナウンスがありましたらどうぞ。

○事務局  ありがとうございました。次回の総会は,資料3を御覧いただきたいと思いますが,3月28日に考えさせていただいております。次々回,第4回は4月11日でございます。ただいま鳥居会長からもお話がございましたとおり,本日も貴重な御意見を教養教育について多数お伺いしたわけでございますが,次回も教養教育について更に審議を深めていただく,こういったこともお入れしていただきながら,第3回総会の議題を私どもとして用意をさせていただきたいと思っております。
  また,各分科会の関係でございますが,お手元の資料のとおり,教育制度分科会,生涯学習分科会につきまして,3,4月の日程を現段階で決まっておりますものを入れさせていただいておりますが,他の分科会につきましても,3月中を目途に第1回分科会が立ち上がるように諸準備を進めたいと思っているわけでございます。

○鳥居会長  ありがとうございました。それでは,本会はこれで閉じさせていただきます。

以  上