いじめ防止対策協議会(平成27年度)(第1回) 議事要旨

1.日時

平成27年9月4日(金曜日)13時~15時

2.場所

文部科学省3階 3F2特別会議室

3.議題

  1. 岩手県矢巾町における事案等を踏まえたいじめ防止対策推進法に基づく対応について
  2. 平成26年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」の一部見直しについて
  3. いじめに関する教員研修の在り方について
  4. その他

4.出席者

委員

相上委員,愛沢委員,新井委員,石鍋委員,木太様(柏木委員の代理),高田委員,實吉委員,水地委員,種村委員,寺本委員,道永委員,村山委員,横田委員,森田委員

文部科学省

小松初等中等教育局長,伯井大臣官房審議官,浅田内閣官房教育再生実行会議担当室長,坪田児童生徒課長,平居生徒指導室長,丸山生徒指導調査官

5.議事要旨

※議事に先立ち,座長及び座長代理の選出が行われた。その後,小松初等中等教育局長及び森田座長より挨拶があった。
※配付資料について事務局から説明があった後,協力者として出席いただいた小森美登里氏との意見交換が行われた。

【小森氏】私は,NPO法人ジェントルハートプロジェクトの理事をしており,それと同時に,17年前,一人娘の香澄をいじめ自殺で失ったいじめ自殺遺族である。当法人は,学校に関わる子供たちのいじめ問題に特化し,約13年間様々な活動をしている。その中の講演活動(対象は,児童,生徒,教員,PTAやその他全般)は,1,400回を数える。本日は,講演会開催を通して先生と児童生徒からの直接の声を聞かせていただく立場とし,その声と,そこから感じたことを御報告させていただこうと思っている。
 まず,現状を一言で言うと,大人の無知が子供を死へと追い詰めていると思う。本来,子供たちの命は大人によって守られなければならないはずだが,その命を守るためのすべを大人たちが持っていないことがこの問題がとても大きい重要な部分であると思う。このことは,先生方は自ら私にそう語ってくれる。多くの事件・事故の相談を受けてきた当法人は,岩手県矢巾町の事件のような子供の訴えに対して,教師が動かなかった,動けなかったという対応が,あの学校だけではないことを知っている。また,大変恐ろしいことに,自分のやっているいじめ対応が間違っている,そのことにすら気付かず問題を深刻化させ,大人の間違った対応が自殺へと追い詰めている。先生が正しい対応を知らずに今までいじめ対応してきたという事実については,私の教員対象の研修聴講後に先生の感想文を頂くので,そこから示したいと思う。
 自分がしていたことが,どれほど子供を追い詰めていたか分かった。見落としていた視点,足りない部分を指摘された。間違った声掛けをしていたことが分かった。目からうろこだった。この講演を全教員で共有したい。加害者の背景を考えることを知ったなどである。
 講演中の先生の反応で気付いたことは,加害者の背景に寄り添った声掛けの仕方という話をするとき,多くの先生がメモをとることから,先生にとってのいじめの指導が被害者に寄り添うことに偏っていたのではないかということである。先生の感想文を読んでいつも感じるのは,話せば伝わるということである。そして,先生方が知らないだけなのであれば,伝えれば子供たちの命を救えるということである。
 次に,当法人が教師対象に行ったアンケート(中学生について,183名中144名が回答)結果を報告する。(回答は複数回答可)
 「いじめの報告は誰から受けることが一番多いか?」については,「他の児童生徒から」が43.1%,「本人から」が36.8%,「親から」が10.4%と,この三者からの報告で90.3%を占めている。多くの子供や親が教師を頼っている事実があることから,報告を受けたときの教師の対応がいかに重要か,示されていると思う。
 誤解がないように申し上げるが,私は学校だけに責任を転嫁するためにこれを示したのではない。教師の対応の重要性を強調したものだ。しかし,私たちが活動で知る自殺事例のほとんどが,指導する大人側に大きな問題があったと感じているのは事実である。
 また,教師との講演後の会話の中で,「いじめがあったら気付かないはずがない」という言葉をよく耳にする。また,ある中学校の先生は,「9教科のうち誰も気付かないなんてあり得ないし,誰か気付いたら9人での情報共有は簡単にできる」とのことであった。そして気になったのは,「やはり評価は気になる」という言葉である。幾ら文部科学省や教育委員会から,いじめのあったクラスの担任にマイナス評価はしない,発見し,解決したことが評価になると言われても,残念ながら現場の教師はそう思っていないので,自身の評価を気にして,誰にも相談せず,一人で握ってしまうことになるのではないかと思うので,ここの改善が必要と思われる。
 また,残念ながらこのアンケートでは,他の教師や養護教諭との情報共有がわずかしかないという現状も浮き彫りとなり,カウンセラーは,その他の枠2.1%の中に入っていたかもしれないという状況であった。多くの子供たちがいじめを原因として死へと追い詰められている現実に対し,いじめ防止対策推進法が施行されたが,それが教師のスキルアップには反映させておらず,現状は変わっていないようである。各学校でいじめ防止対策チームを作っても,各自治体や各学校が方針を作っても,読んだことがない,又はいじめ対策に関する勉強会開催や情報共有の場がほとんどないというのが多くの学校の現状ではないか。せっかくの常設組織を機能させる工夫が必要と思われる。
 そこで,教員研修に関しては国の積極的な介入が必要であると実感している。研修を何回やったかではなく,実のある正しい内容の教員研修を徹底し,問題が起きたときに対応できる教員になること,せめてやってはいけないことを知っている教員になることが,子供の命を救う手立てになると思う。研修によって知識を備えた教員が各学校でその機能を十分発揮してもらうようなシステムが必要だと思うので,教員研修の内容の精査をしっかりやることが重要と思う。
 また,研修とともに,その後,実際に子供たちと一緒にいじめを考えるワークショップその他のプログラムを具体的に提供することも重要だと思う。
 次に,もう一つのアンケートについて,教師の自信のなさがうかがえる結果となった。「解決できる」,「ほぼ解決できる」と回答した中学校の先生は26.3%だが,どうしてよいか分からない教師は,「しばらく様子を見てみましょう」と時間稼ぎをし,その間に子供たちは,誰も動いてくれないんだ,助けてくれないんだという孤立感の中,死へと追い詰められているのではないだろうか。
 今,メディアで話題となっている仙台市の中学生も,自殺前日にこれと同じような言葉を母親に語っていたとのことであるし,矢巾町の自殺事件も,やはり教師の対応に大変大きな問題があったことははっきりしている。「大人の無知が子供を死へと追い詰めている」,最初に申し上げたこの言葉は,決して過言ではない。
 この状況は,17年前,私たち親子の状況と全く同じである。いじめの相談を先生に12回しながら,娘が自殺し,その後,事故報告書に,「パイプの詰まりがあった」と記され,裁判でもいじめが認定されたが,いまだに娘の死因は,「その他」の枠の中におり,いじめ自殺とは認めてもらえていないままである。虚偽隠蔽(いんぺい)によって事実に向き合うことができていない現状は,再発防止策策定に大きな足かせとなっている。学校ができる初動調査が現在確立していない。事実にしっかり向き合うためのシステムが存在していない。
 いじめ防止対策推進法の28条には,保護者に対し,事実関係等その他の必要な情報を適切に提供するとなっているが,山形県天童市中1女子自殺の場合,市教委は法律の「適切に提供する」という言葉を曲解させ,「開示は適切ではないと考える」とした。法律があるにもかかわらず,まるで市教委側に開示の判断が委ねられているかのような勝手な判断をした。このように情報共有の面で大きな偏りが生じており,この部分も法律によって解消されたとは言えない。学校は発生した現場として,被害者やその親は家族として,同等の当事者であり,その情報は当事者同士が同等に共有するべきである。行政側にのみ開示の判断基準が委ねられているというアンバランスはあってはならないはずである。学校行政が作った文書の多くが開示しても黒塗りとなってしまい,被害者側と共有できないことが第三者調査委員会立ち上げや民事提訴へとつながるとともに,これこそが隠蔽(いんぺい)を生む引き金となっている。このように,隠蔽(いんぺい)が今もまかり通るシステムをそのままにしておくということは,学校,児童生徒,親,地域が事実から学ぶ機会を奪い,次の子供の命を守る上で重大問題である。
 また,仙台市では,遺族の意向によって情報を公にしないことになっている。御遺族は様々な人権に配慮し,また,自身のこれからの遺族としての人生を考えた上だと思うが,学校名その他の情報公開はしたくないということだそうである。私も遺族であり,公にしたくない気持ちは十分に理解をしている。しかし,一人の人間の死については,真相究明しなければならないはずである。調査してほしくないという遺族も確かにいる。しかし,その気持ちに配慮するということは,それも逆に遺族側の偏った情報コントロールになってしまう。そもそもいじめ行為とは虐待行為そのものです。家庭内で,心理的,肉体的,性的暴力,ネグレクトが起きれば虐待と認定され,通報義務まで課せられるが,それらの行為が学校で起こると,「いじめ」と表現されてしまっているだけである。それら虐待行為によって人が死へと追い詰められたのであれば,真相の究明をしないということはあり得ない。刑事事件であれば,遺族が調べてほしくないと願っても,それは許されない。このように事件発生後,いじめ以外の事件といじめによる事件を区別しながら対応してきた歴史がこの問題の解決を後らせている大きな原因ではないか。しっかりと調査し,事実を導き出し,その情報を遺族の思いも酌んでいただきながら,法律の範囲内で情報公開することを望む。私は,警察の介入と厳罰化を願っているのではなく事実を知るためのシステムが確立されていないことの矛盾としてお話しさせていただいた。
 情報というのは,組織の都合や個人の意思によってコントロールされてはならないはずである。検察調書を被害者が見られる時代だが,いじめ問題については,学校の判断により,個人情報保護の名の下,当事者にすら事実が伝わっていない。いじめ問題に関する個人情報や守秘義務とは,誰が何のために何を基準として決めるのか,この部分を互いの理解の下,精査し,決定することが解決の大きなきっかけとなると考える。天国の子供たちにも人権はあるはずだ。
 次に,いじめに対する先生方の意識についてお話しする。児童生徒対象の講演に伺うと,講演前,多くの教師から,「いじめはない」,「いじめはほとんどない」という言葉を耳にする。私は,耳にたこができるほどこの言葉を聞いているが,その根拠は,からかいやふざけはあるが,いじめと呼べるほどのものではないと先生がいじめの境界線を引き,いじめの有無を判断してしまっているのである。しかし,法律では,対象となっている児童等が苦痛を感じているものと,本人の判断となっているのだから,大人がいじめの有無の判断をしてはならないはずである。そのことから,法律が施行されたにもかかわらず,残念ながら法律の読み込みが現場ではされていないと感じている。
 また,いじめられる側(がわ)にも責任がある,問題があると考えている先生が大変多く,この被害者責任論の蔓延(まんえん)が問題を深刻化させていると感じる。この理論は,解決しないどころか,子供を自殺へと追い詰める可能性がある。理由は,先ほども申したが,いじめとは虐待そのものだからである。「いじめ」と表現されることにより,「いじめぐらいで自殺する子は弱い」,「いじめられる子にも何か原因がある」と被害者側に責任転嫁される。しかし,「虐待ぐらいで自殺する子は弱い」,「虐待される子にも何か原因がある」と言うであろうか。せっかくいじめの相談をしてくれた子供に,「どうしていじめられると思う?」と聞いてしまったり,「嫌だって言わないあなたもいけない」,又は「あなたも弱いんじゃないの。あなたも変わる努力が必要だよ」などと言ったり,中にはストレートに「あなたにも原因がある」と言い切ってしまう教師もいる。こう言われてしまったときの子供の落胆は大変大きく,二度と相談しに来ないどころか,死へと追い詰められてしまうかもしれない。そうではなく,いじめはいじめている子がいじめ行為を止めることによって解決させる問題である。いじめは被害者の問題ではなく,いじめという虐待をしている人間の心の問題,その子の背景の問題,いじめは被害者問題ではなく加害者問題であるという新たな大人の認識が何より重要である。後ほどまたアンケートをごらんいただきたいが,加害者の子供のアンケート中で,いじめていた子供の7割が,その頃つらかった,何か問題があったなど背景があったということが分かっている。
 また,自殺の原因を複数説にしてしまうことが大変大きな問題として考えられる。今回,矢巾町の中学校も,いじめは自殺の一因と報告していますが,原因は一つだけではないというメッセージにもなる。明らかな根本原因があるにもかかわらず,その後,発生した鬱状態や,家庭の対応,その子自身の性格などを自殺の原因の一つとして混同させることは,逆に根本原因を歪曲(わいきょく)化させると感じる。なぜならば,天国にいるあの子たちは,あのいじめがなければ,今生きていた命だからである。根本原因を探ることが重要だ。
 そのほかにも予算の削減が現場では大きな問題となっている。講演や研修で私たちに声掛けいただいても,交通費や講演料が出せないということで断念している自治体,学校がある。日本は教育に掛ける予算が大変少なく,先進国の中で最低クラスである。OECDの各国のGDPに対する学校教育費の比率は,28か国中24位である。
 実は,遺族がいじめが原因だと訴えていても,計上されないことが非常に多い現実がある。先ほど説明したが我が家もその1件である。そして,この表で大変大きな問題となるのは,いじめ自殺が極端に少ないこと。子供の自殺の多くが原因不明なままであることである。これは統計精度が低いと言える。統計精度を上げる唯一の方法は,命に関わる事件事故が学校で起きたとき,学校でできる初動調査を確立し,まずはその情報を当事者たちが共有することである。隠蔽(いんぺい)できないシステムを作ることである。次に,9月1日の自殺問題についてだが,私たちは,内閣府のこの発表を見て当然と感じている。今まで子供の自殺を家庭の問題にすり替えられる場合も多々あったが,9月,4月,1月と長期休み明けの自殺人数が極端に高いということは,子供たちの自殺が学校に関わっているということの証明となった。私は今,法人の活動で講演窓口としても仕事をしているが,9月1日前後の自殺の事実を早い段階から実感しており,夏休み以降の講演依頼は全て夏休み前の開催を提案している。しかし,先生方は私の説明で初めてそのことに気付くという状況である。大人の都合とイベントを優先して,人権週間前後に開催することは,子供たちのためにはならない。もし子供の人権週間を夏休み前に作り周知していただき,子供と大人が一緒に学べれば,いじめ問題については大きな効果があると思う。
 最後に,仙台市の中1自殺問題について感じたことをもう少し述べさせていただく。まず,最大の問題点は,いじめを子供の命に関わる問題としていなかった教師の認識にあると思う。これはこの学校だけの話ではない。そして,本人に直接尋ねたら,「大丈夫です」と言い,解決したということにしている。謝罪の会という絶対にやってはならないけんか両成敗的な対応を形だけやって終わらせている。親からの6回にわたる相談に対して,真剣に向き合い,情報の共有を教員間でしていなかったこと。本人が泣いている姿を担任が確認していたのに,いじめに対して勝手に軽微なものと判断していたことなど様々な対応の間違いがあった。
 また,驚いたことに,ここの教育長は,「いじめによる自殺は仙台市で初めて」と言ったそうだ。毎日どこかで子供が自殺しており,それは毎年続いているので,明日また仙台市で起きるかもしれないという認識の下,対応しなければならないはずである。ましてや,私たちが「指導死」と呼んでいる教員の指導をきっかけ,また原因とした子供たちの自殺も大変多く,教員の資質に問題があることは言うまでもない。
 本日の報告を皆様には是非反映させていただき,よりよいいじめ防止策を確立していただけますよう,心から願っている。

【委員】弁護士会でも,いじめの予防については,いじめ予防事業,あるいは教員の研修ということで学校に寄せていただくことが結構ある。その中で,いじめの問題を人権侵害であると話している。人権侵害,しかもそれは死につながる。その死は自死ということで,自らそういうものを選ばざるを得ない状況になってしまうことを教師の皆さんはしっかりと把握されるべきではないかというところからスタートする。
 それから,いじめは,いつでも,どこでも,誰でも起きるといった,これは当たり前のことだと思うが,そこの意識改革が十分できていないところに大きな問題があるのではないか。
 文科省の資料の中で,評価について,いじめがあったことではなくて,それを認知して,それを解決することが大事だと書いてあり,まさにそのとおりだと思うが,なかなか現場の先生方は,頭で思っていても,実際にはそのように動けていないというのが現状だと感じている。しかしながら,文科省がこういうような指針を出すということ自体は,意味があることだと思っているので,このメッセージを現場の先生方にしっかりと伝えていくことが必要ではないかと改めて感じた。
 2学期の問題,魔の2学期と言われているが前倒しで6月ぐらいから,いろいろな教育や研修をしていくことはすごく意味あることだと思っている文科省が中心となって,もっともっと教員研修を含め,子供たちに対するいじめ授業もそうだと思うがしっかりと予算を付けて,全国的に広げていくことが大事ではないかと思う。私も大津の関係では報告書の作成にいろいろ関わったが,結局それを出しても,それがうまく生かされていないのではないかと感じる。今回の報告書を見ても,我々が出していることと全く同じことがまた提言として出てきている。だから,共有できていないといったところを何とかしなければいけないなと改めて感じた。関係機関も共同体制ができていないところが非常にある種,問題が大きくなっているのかと思うので,是非ジェントルハートを含めて,御遺族の方々の方からも,専門機関がどのような連携を取っていけば今のこの現状を打破できるかということについて,是非お示しいただきたい。

【委員】いじめは加害者の側(がわ)の問題だというお話があったが私もそうだと思う。いじめをしている子供をちゃんと止めるというのが大事なことだと思うがそこで,子供に寄り添う視点を持ってきちんと指導するべきだと,関わるべきだというお話を頂いたが,具体的にどういう視点で,どういう関わりを,まずしていってあげるべきなのか。それはいじめに遭っている子供を守るという視点と,それから,いじめをやめさせるという視点と両方大事だと思うが,長く関わっている中で,どこからまずやっていくべきだと思っているか,是非お考えを教えていただきたい。

【小森氏】自分も悩みつらかったことなどがあったかという問いを,いじめ加害者にしているものがある。その中で一つずつ見ていくと分かるが,その当時,自分も何か背景,苦しい思いをしていたという子供が約7割いた。アンケートというのは,皆さんも御存じのとおり,本当の数字はなかなか出ない,少し少なめに出る。それでもこの7割の子供が実はいじめているとき自分もつらいことがあったんだよと回答しており本当はもうちょっと多いかもしれない。そう考えると,やはり加害者の背景に沿った声掛けをすることがまず第一歩ではないかと思っている。
 ところが,残念ながら,学校の先生方に伺うと,いじめ行為そのものについての指導をしている。「何てことをしているんだ,そんなことをしては駄目だろう,自分がやっていることが分かるのか,自分がされたら嫌だろう」というような声掛けを,ついその加害行為そのものにストレートにするが,そうではなくて,背景を抱えているとするなら,「どうしたんだ,何かあったのか」という声掛けに変えることはできないかという提案をさせていただいている。
 そして,この提案どおりに先生方が約束をしてくれて先生方の連携の中,明日から私たちは学校で声を荒らげないという約束をした学校があった。そして時間は掛かったが,荒れていた学校が少しずつ少しずつ元に戻っていったという実例も伺っており,やはり被害を受けている子供の命,心,安全を確保することと同時に,もう一つ,加害者の背景の苦しみに寄り添い,一緒にその問題に周りの大人が向き合うということ,この両輪の中で初めて解決していくのではないかなと思った。

【委員】今日は,資料とは別に,私たちが作った保護者向けのいじめ対策のハンドブックをお配りしている。子供たちが加害者にも被害者にもならないようにということと,家庭で子供たちの状況を,こういったところが変わったら,気が付いたら是非気を付けてくださいねというようなものを,文部科学省の資料も入れながら作ったところだが,今お話を伺っていて,学校の対応,教師の対応というところが大きいと思う。しかし,一方では,先ほどからの話にあるように,子供たちの置かれている状況というと,家庭に大きくあるわけなので,そういった中で家庭において加害者にならないようにとか,また,こういった状況になったときに保護者がきちんとそのサインに気が付いてあげたらとかというところで御示唆を頂けたらと思う。

【小森氏】実は,子供たちのサインを見付けるというのはとても難しくて,全てこういうことが出たらいじめを受けている,いじめているというのがはっきり分かるわけではなく,表裏いろいろな状況の中で探らなければならないので,とても難しいことだと思う。
 ただ,いじめというものの現場である学校の中では,やはり周りのお友達や先生が,かなり高い確率で気付くことができている。だから,そこでの対応が何より重要であるということと,あと,親は,自分の子供が加害者になっているという意識がない人もとても多いと思う。例えば,親の虐待が原因で,そのストレスを抱えている子供が学校でストレスを発散している,自分の心の安定を図るために誰かを傷付けているという子供がいる場合,その子供の親の虐待を止めることは,なかなか現場の先生には難しいことだと思う。だから,加害者に背景があるのであれば,その背景に寄り添った対応とは何かというと,みんなでその子の存在を大切にすること,愛すること,そういった自分のことを心配してもらっているな,愛されているなというような感覚を,被害を受けていれば受けているほど,そういう子には思い切り愛情を注(そそ)いだらどうかと思っている。親が何か発見するというのは,私も遺族だが,本当に難しかったと思っていて,そのとき何をしたかというと,本当に学校の先生を全面的に頼っていた自分の姿を思い出す。

【委員】重大な事態が発生した際,学校ができるだけ即時にいろいろ話を聞いていくことの大切さをおっしゃったと思うがそのとき,加害者になって,本当に自分たちが思っていたよりもはるかに大きな結果になったということを抱えている子供たち,保護者の方も含めてだと思うが,それから担任の先生とか,近くにいた人ほど,その痛みを実は感じているところで,そこの事実関係について明らかにしていくというとても難しい作業があると思う。そこを学校でやっていくためには,本当に先生方は,今求められている連携がとても重要で,そこがものすごくいろいろな配慮とか,スキルとか,事前に勉強しておかなければいけないことがあると思うが,その辺の難しさみたいなものを何かまたアドバイスを頂ければと思う。

【小森氏】やはりお友達が突然亡くなったら,とても大きなショック,それは子供だけではなくて,大人もみんなが大きなショックを受けると思う。だからこそ,子供と大人が事実に向き合って,本当に泣いて,自分の思うことを全部吐き出すという作業が必要だと思う。そこに例えば専門の方が必要だという声もありますけれども,亡くなったその子を知っている先生と,亡くなったその子の周りにいた子供,その子を知っている人間同士が本当に思いをぶつけ合う,吐き出すという場が,今どうしても逆の配慮,こういうときには下手に聞いてはいけないとか,こんな方法では心に傷を与えるとか,何かいろいろな配慮の中で,苦しみを吐き出す時間を逆に奪ってしまっていると思う。
 そして,私の例で言いますと,加害者の子供というのは,自分のやった行為を十分理解していた。そして,香澄を殺してしまったということで,その直後,加害者の子供たちは泣いていた。私たち大人が何をしなければいけないか。それはやはりその子たちが,本当にとんでもないことをして人を死へと追い詰めてしまったという事実に向き合い,そして二度とそういうことをしない人生にすることが私たち大人が絶対やらなければいけないことだが,事実に向き合うことすら奪ってしまっている様々な手法が逆に邪魔していると私は感じている。

【委員】いじめに関する教員研修の在り方について学校の中でというか,その学校全体あるいは教員がどう今回の法律を理解し,学校の中からそういう状況を生まない方法をどう考えるかという組織体の問題が一つあるだろうというふうに思う。
 私どもは私立の学校であり,飽くまでも自分の学校でいろいろなことを処理していかなければいけないという事情があり,どこにも責任転嫁ができない。したがって,理事長あるいは学校長が自分の学校を守るという,自分の学校を守るということは子供たちを守るということだが,そういう意識をどれだけ持っているか,公立の学校の場合にどの程度できるのかというのはまた御議論いただければ有り難いと思う。法律があっても,法で何かできるということはない。法は飽くまでも運用である。したがって,その法をどう理解していくかという,その法を活用する人間がどういう立場でいるのかということの方が大事だと思う。

【委員】先ほど,小森さんもおっしゃったが,今回の矢巾町の事案を見ても,それぞれのいじめとされる,あるいはいじめと判断されなかったケースもあるが,これは非常に軽微な手口がほとんどである。これは,このケースの特徴だろうと思う。それが2年間にわたって,通常の学校だったらこの程度はという具合に見過ごされる,あるいは軽く見られる,あるいはいじめではないという具合に判断される,こういうケースも,その本人に蓄積されていけば,非常に追い詰めた状況の中へ追い込んでいくというケースの典型事例だと思う。
 ある意味では,このいじめの初動調査だが,これまでの現場での解釈や流れが,この基本方針以来,少し変わってきていると思う。それは,いじめと疑わしきものに関して,まず子供,保護者の痛み,苦しみというものに向き合っていき,それに沿って対応しながら事実を確認していくという流れに変わってきている。今までは,事実確認して,これがいじめであれば対応の体制を整えるという流れだったが,そうではなくて,まずその状況に問題を感じながら,そこから対応し,そして事実を確認しながら対策を立てていく流れに変わったと思う。事実確認,対応ではなく,対応が先にあって,事実確認がそれと並行しながら進んでいくとい手順に大きく変わってきたと思っている。
 そういう意味では,いじめと疑わしきものは現場で受け止めれば何でもかんでもやらなければいけないのかという,そういうことを感じるだろうと思うが,やはり我々は子供を中心にしながら軸にしてどう対応していくかということが非常に大事だろうし,それが初動調査というものの最初の動機付けというか,きっかけとして考えていかなければいけない問題だと思っている。

【委員】今回の問題で,やはり中学校としては非常に危機意識を持たなければならない。資料等を見せていただいて,ハッとしたのは,今回の校長先生の危機意識と責任についてというところで,落ち着いた学校という意識を持っていたが,それに伴う過信や心の隙(すき)のようなものがあったことは否定できないとか,教職員の方も,本校から自殺者が出るということを予見できなかったという部分だ。いじめというのは,どこの学校でも,誰に対しても行われるのだということは,多くの教員は言葉では大分理解できてきていると思うが,実際に自分の目の前の学校を見てどうなんだとなったときには,やはり子供たちが落ち着いていると,大丈夫だなと思ってしまうというのは,これは現実問題あると思う。そのあたりをどのように,刺激していくか,そういったところをやっぱり我々中学校長会としても考えなければいけないし,また,一つの学校の組織体としても考えなければいけないだろうと思う。
 例えば,組織が機能していないという課題も挙がっているが,これは確かに学校によってはそれぞれあって,機能している学校とそうではない学校はまだ差があると思う機能していない学校は,その組織は作ったが,話合いの場所を作っていない,時間を確保していない,忙しいので時間が取れないというようなことが多々出てくるが,そのあたりの時間を取っていくという,強制的にも時間を設定していくというようなことも,我々校長は手を出していかなければいけないのだろうと思う。 

【委員】日頃から感じていることだが,まず,教員の感度というのか,これはいじめも含めていろいろなことがあるが,今は虐待もあるし,食物アレルギーの問題もあるし,いろいろなことがあるが,教員の感度が落ちていると,その対応が適切にできない。これは教員の中にも温度差があり私ども校長は,子供たちの一言一言,親御さんの一言一言,子供同士の一言一言が,その先生がしっかり高い感度を持って認識して,そして次に,自分だけではなくて学校体制としてそれをしっかり受け止めていくということがとても大事になってくるかと思う。そして,それが適切にできているかどうか,できていないところが比較的事故を起こしやすい,事件になりやすいのかと思う。私ども小学校長会でそのような情報連携をしながら,毎年新しくなられた先生方がどのように感度を高めていけばいいのかということを,ただ法とか文書を読むのではなくて,本当に敏感に感じてそれに反応できることを重視して考えていくことが必要だと思う。 

【委員】子供たち,大人もそうだが,非常に精神的にダメージを受けて,死まで考えるときというのは,大きなストレスや出来事があったときであり,周りにも分かりやすいし,理解もしやすいが,先ほどから出ているように,今回のことなどは,非常に冗談ぽい,周りから見ると大丈夫かなとか,遊びかなというように思うことがあるかもしれないが,大きなショックの出来事も,あるいは小さなストレスも積み重なるとダメージは一緒でありそのときに本人は絶望を感じることがある。重大ないじめがあったときには周りが気付きやすいが,小さいことが積み重なったときも同じだと思う。
 それと,例えば,いじめを受けている可能性がある子供が,「大丈夫」と言ったら指導をしないのかということが気にかかる。大丈夫でも,人権の問題であり,本人がそれを笑っていても,大丈夫と言っても,人権の問題と考えて,不当な扱いを受けているときには,「やめなさい」という指導が必要だと思う。その不当な扱いというのは,重大なこともあれば,些細(ささい)なこともあるが,やはり「やめなさい」という指導をしなければいけないのだろうと思う。
 いじめた子供たちと話をしているときに,罪悪感を抱かない子供たちがいる。子供たちが自分のやった行為で相手が自殺まで考えたということで,普通はそこで罪悪感を抱くが,なぜこの子供たちは感じないのか。それはその子供たちも同じぐらいの傷付きを感じているからだと思う。先ほど小森さんも言われたように,あの子たちに責任を取らせるとか,罰を与えるとかということではなしに,その子たちに対しても愛情を持って接するということは,すばらしいことだと思う。

【委員】高等学校の場合は,学級に加えて授業の選択によりコースがあるなど居場所が多様になっているという側面がある。一日の大半を学級の中で過ごす,小中学校と比較し,居場所が複数化をされていじめが緩和をされる,若しくは,いろいろな相談相手がいるというメリットはあるのかと思う。
 もう一つは,高校段階だと,いわゆるフィフティー・フィフティーの人間関係のトラブルとして捉えてしまう傾向が強いと思う。明確な力の差とか,多数が一人をという形よりは,比較的個別的なトラブルから物事が始まっていく。そのような事情で十分いじめとして捉え切れていない面があると思う。
 先ほど,研修というお話が出てきたが,まだまだ教員は法等に対する認識が低い面もある。やはり研修等の中で具体的ないじめの事例をどう捉えていくのかということを繰り返し研修をしていく必要があると思う。組織的な対応と教員研修の充実ということをしっかりやっていくことがまず当面やるべきことだと思う。

【委員】教員の資質の問題があるように感じる。子供に目を向けるそういう目線とか,心というか,これらをもう少し扱っていかないと,本当に子供を大事にしている気持ちが伝わらないのではないかと思う。
 幅広く一人の子供を見ていくというようなことが大事であり見たことを隣の担任の先生,テーブルの隣の人というふうに,話をしていく中で,頻繁に会議を持てというのは無理ですから,そういうところで話題を広げて,しっかりと子供を見ることが大切だと思う。大学では,教員採用の前の単位取得に教育心理があったりするから,そういうものももう少し学ばないといけない。カウンセラーなどにも,学校へ来ていただいて,こんなところに気を付けて担任はした方がいいよとか,もっと先生方が,教科だけではなくて幅広く子供との行動そのものに入っていっていろいろなものをキャッチしてあげるということが大事だと思う。時には母親になったり,父親になったり,あるいは兄貴になったり,そんな形でやる必要があるのではないかと思う。そういう幅の広い,心の広い教員がやはり必要になってくるのではないかと思う。

【委員】どうやって先生方の感性を高めるかということについて,教員の皆さんばかりで集まってしまうと,やはり同じような感性の人たちの集まりになってしまうのかなと思う。今回の矢巾町のことでも,危機意識がなかったという点は,やっぱり同質性の人たちが集まってしまうと,どうしても安心して落ち着いた状況だからいいよねというふうな見方が広がってしまうのかと思う。
 その意味では,法律の中で出てきている他職の専門家との連携を意識すると大分違うのではないかなと思う。
 例えば,何かトラブル事例があったときに,教員だけで考えるのではなく,例えば臨床心理士のスクールカウンセラーが入ったり,ソーシャルワーカーの方が入ったり,場合によってはスクールロイヤー制度があるようなところでは弁護士がそこに入ったりということで,そこに関わっていくことで,何か打破できることがあるのではないかと思う。
 ここの会議のいいところは,各専門家が一つの事例に対してどのようにアプローチできるかといったところを言うことではないかなと思う。そういう意味では,今回の岩手の件について,各専門家はどういうような形で入っていけばうまく予防できたのかといったところを各団体の方で意識して発言をしていくことが大事ではないかというふうに思う。

【委員】教員養成をしている立場で教員の感度をどう高めるかについて思うことだが教員養成学部の学生は学校に対して,あるいは先生に対していいイメージを持っている学生が多く,必ずしもそうではない子供の気持ちに想像力を働かせながらどれだけそこに寄り添うことができるかが大切だと思う。それを考えたときに,学生時代に異質な他者とどのくらい触れ合うか,自分たちとは違う考えの者とどのくらいぶつかるか,あるいは,大学の外でどのぐらいの経験を積むか,ということが極めて大切だと思う。教員採用試験に向けてペーパーだけ勉強する,あるいは教育実習もかなり構造化された中でやっていくのとは別の学びが必要だと思う。
 また,私の大学には,現職の教員の方が研究研修ということで学んでいるがとても真面目で優秀である。ただ,一つ思うことは,認識の枠組みが比較的固定化していて,それを打ち崩すのにかなり時間が掛かるということだ。恐らく学校の中でもそういうことが起きていると思う。間違った考え方をしているとか,不誠実だとか,そういうことではなくて,当たり前に流れてきている中で,ある種の固い認識ができてしまう。これをどう打ち崩すかということがあると思う。
 その点で,教員の専門性は何かと言われたときに,難しいが,私は一つは省察(リフレクション)ということだと思う。自分の教育実践を振り返って,それがどういう意味を持っているのか,なぜうまくいったのか,いかなかったのかということを振り返り,次の実践に生かしている。個々の先生はやっていると思うので,組織としてのリフレクションをどのくらいやるかが重要である。
 法ができて,各学校で基本方針を作るというのは,本当は一番いい機会である。外部の声を聞く,子供の声を聞く,保護者の声を聞く,それで学校のありようを見直していく,異質な声を聞きながら対話をして基本方針を作っていく,作っただけではなくて,見直していく,これを学校の組織としての省察を進めていく機会にするということを改めて強調したいと思う。 

【委員】岩手県矢巾町の事件のいろいろなことを見返してみると,担任の先生は子供と一生懸命付き合おうとしている姿勢は本当にあったと思う。しかし,その中でその子を救うことができなかった。やはり大勢の子供が関わっていて,そして日々指導しながらひとつひとつのことに向き合っていくという,先生一人でできることの限界もやはり考えなければいけないだろうと思う。何らか大変な状況に気付いたときに,先生がSOSを出せたり,カウンセラーと一緒に連携しながら子供と向き合ったり,家族と連携したり,関係機関も含めてソーシャルワーカーが関わったりとか,先生が一人で全部抱え込まないで済むような仕組みをどこかで作って,チームとして関わっていけるような,そういう体制を作っていかなければいけないのではないか。それが結果的に子供を守ることにもなるし,いじめられている子,いじめている子,両方に役割分担とか,それぞれの専門性を持ちながら広く関わっていく,そういう取組の仕方をここで作っていくべきではないかと感じる。

【委員】学校の中で,学校が組織として,自殺,いじめ防止に関わっていくという,言ってみれば,リスクマネジメントということになるかと思う。私は,かつて医療機関のソーシャルワーカーとして仕事をしていたことがあるが,医療でも医療事故が頻発する中で,事故をどう予防していくかという観点から,リスクマネジメントがここ10年,15年ぐらいで,取り入れられてきている。基本的にどこでも実施していることは,ヒヤリハット報告である。スタッフがヒヤッとしたこと,ハッとしたことを何でもいいからペーパーに起こしてもらって提出をしてもらう。ただ,その提出に関しては,例えば人事考課には一切影響しないということをきちんと保証するということが前提である。今回の,例えば,いじめの調査の一部見直しということで,いじめに関する認知の在り方について,これは,とってもいい通知だろうと思っており,認知件数が多い学校をむしろ肯定的に評価すると国として通知を出すことはとても大事なことだと思う。しかし,そうは言っても,なかなか現場の教員の方々は評価を気にしてしまうというところがあると思うので,それをいかに学校という現場,組織の中で,正しい理解を徹底していくかというところが,リスクマネジメントの観点からは非常に大事なことだろうと思う。

【委員】先ほどから出ている,感性というか,あるいは心の込め方というか,単に法を解説する,あるいは法にのっとった対応というだけではなくて,その前段階として,教員の心構えが非常に大事だと思う。それをそれぞれが高めていくことも大事なことだと思うが,しかし,それぞれの能力,資質においても,やはり差や違いがある。そのそれぞれの長所,短所をどう補っていくか,その在り方が一つの組織の在り方だろうと思っており,例えば校長,教頭,学年主任,教務主任という形で組み上げても,それは組織というものではないだろうと思う。その組織が本当に機能するためには,そこに今のような前提が必要になってくるし,それをうまくそれぞれの持ち味の中で組み合わせていく,その知恵が必要だと思う。
 例えば,情報共有にしても,単に個人の知ったことをその組織へ上げるだけではなくてこのようなフォーマルな組織体を裏打ちするセミインフォーマルあるいはインフォーマルな日常の例えば休み時間での「これ,どうなったんだ」とか「あれ」「おや」という感じを,感覚,感性みたいなものに触れ,これをどう情報共有できるかというところまで関わってくると思う。このような密な組織体というか,本当に動く,機能する組織体をどう作っていくかということがこの情報共有に大きく関わってくると思う。

【委員】私は,いじめ問題に関する指導者養成研修の講師を1回させていただきましたが,講演の後に事例協議ということで,先生方が,各自,自分の学校で問題となっている事例を出し合って,いろいろ討論していることがあった。あれは非常に有益なものだと思った。
 教員同士で議論がすごくいい形で進んでいたが,せっかくあれだけの規模になっているので,そこに外部の目から見たらこれはどういうふうに映るのか,どういうふうに関わっていったらいいのかといったところを入れたら更にいいと思った。
 弁護士だったら,こういうところはこういう切り口でこういうふうに指導できるのではないかとか,あるいは,臨床心理士の方であれば,心理面からいくと,このときに加害の子は,こんなにしんどくなっている部分がありそうだから,こういう形でフォローしたらいいんじゃないかとか,あるいは,ソーシャルワーカーの方だったら,もっと全体的なことを見た上でこうじゃないかとか,そういうようなアドバイスみたいなことができていくと,何かあったときに,例えば専門家に話を聞いてみようかとか,あるいは,この間,研修へ来て,こんな視点があるんだということを学んだと同僚に伝え,情報共有ができる。外部の講師というわけではなくて,一緒に連携していく協議会のような形でできると,もっと幅が広がるのではないかなと思う。

【委員】横山委員がおっしゃったのは,要するに,OJTではなくて,OJLといいますか,ON the Job Learningと言われるこの手法がそれに当たるのだろうと思う。そういうものを重ねながら,校内の先生方の力量を高めていただく。
 あるいは,新井委員がおっしゃったように,基本方針作りというのも,これは学校の中のある部分の先生方だけがお作りになって,最初から最後までよくわかっているがその他の先生方はよく理解していない場合もあり,それを全体で共有していただくのもいいんですが,それだけではなくて,保護者あるいは子供たち,あるいは地域の人たちがそれをどのように子供たちのためによくしていくかという,絶えず見直しを,省察を使いながら高めていく方法もできるだろう。また,小森さんがおっしゃったように,情報をいろいろな方々で共有できる体制や体質を学校の中に作っていくということも非常に大事なことだと思う。 

【事務局】研修については,やり方は今からでもすぐ間に合うと思っているので,今の各委員から頂いたように,ケーススタディー型というか,事例を使って,具体的な事象についてあなたはどう動くか,管理職としてそれを知ったら,どう指導するかなど考えをぶつけ合って,最後,それに対して外部の専門家がアドバイスをすることで議論を深めて全体が高まり,対応力を身に着けるようなものとしたい。この秋の研修から是非とも,本当に実効性のあるものにしていきたいと思う。
 また,スクールカウンセラー,スクールソーシャルワーカーが次第に定着を図られてきているが,大事なのは,異質性とか,外部性ということだと思う。教員の同質性,同質の側(がわ)での同じ感性になってしまうところに刺激を与えて感性をまた磨くということを,今後,チーム学校ということで,なるべく常勤に近い形に専門化しようとしているが,一方では外部性が失われると,なれ合いになってしまう,同一化してしまう懸念もあるのでそういうことは気を付けていきたい。その方々が大いに遠慮せずに振る舞って,いじめの対策組織でも大体メンバーになっているので,そこで得た情報で主体的に動けるような体制にしていく必要がある。今後のことだが,スクールロイヤーという言葉も最近よく聞くようになっており,法律の専門家の方も,これまでの心理,福祉に続いて,第三者として活用していくことも考えられるのかどうか本協議会でも御意見を頂けたらと思う。

【委員】スクールロイヤーに関しては,実際,大阪府の教育委員会に,大阪弁護士会の方から,昨年度9名が委嘱されている。
 具体的にどういうふうにやっていくのかはこれから積み重ねになるとは思うがもう実質3年目になっているので状況をフィードバックさせていただければいいのかと思う。
 あとちょっと難しい点として,弁護士が入ったときに,その立ち位置がどうなるのかということがある。例えば,子供たちから直(じか)に話を聞くような場合に,子供たちからもらった情報を学校と共有しなければいけない部分はあるが,守秘義務の関係もある。このような問題をいろいろ詰めていかなければいけないとは思う。弁護士が入ることによって,うまく回るようなケースもあると思うので,スクールロイヤーということについても,是非いろいろ御検討いただければなと思う。

【委員】私もこのいじめ問題に関する指導者養成研修の講師を2日目の午前,午後やっている。午後は事例検討を中心に進めているが,横山弁護士がおっしゃるように,そこに私一人が指導者という形で入っていますから,違う方がもっと入ってくればいいと思った。
 この研修は,3日間に,例えば小森さんもおいでなっている,横山弁護士もおいでになって講演がある,非常に充実した研修だと思う。これを続けられるような予算措置が必要だと思う。
 それから,ここに来て学んだ人たちが学校現場にどれだけ広げていくかが重要である。自分が受けた研修を現場に還元することをシステム化していかないと,指導者何人かはできるけれども裾野に広がっていかない。そこが一つ大きなところかなと思う。

【委員】いじめの講演の依頼を受けてそのあといろいろ質問等,意見交換をしたときに依然としていじめられている方が悪いみたいな感覚を持った人がいることを強く感じる。いじめられている方には問題はないということが徹底されれば,あと,感性とかいろいろな部分もあるが違ってくるのではないかと思う。
 今日の事例で,自殺を気付けなかったなり,適切な対応ができなかった先生と言われるが,あの先生が教室で見ているときには,その子が死ぬというような感覚を持たれなかったんじゃないかと思う。だから,その辺の感覚のところを他職種の例えばカウンセラーであるとか,そういう人間がお話を聞いたときに,そういえば,この子がこれだけ書くということは,いろいろこの子自身,悩みがあるんじゃないでしょうかというようなことは絶対に一緒に考えていけると思うが,残念なことに,先生の方からスクールカウンセラーの方には声を掛けていただけなかったんだろうと思う。
 大津市の提言の中に,カウンセラーがカウンセリングルームにいて,子供たちが相談に行くことをほかの子に知られないというようなこともあったが,やはり我々がやっているのは,職員室にいて,先生方と,学年の島であるとか,そういうところにいて,日常的に休み時間にいろいろ先生方が感じられたことを我々はどういうふうに感じるという情報交換や日常的なやりとりの中でいろいろな感想を意見交換することが重要だろうと思う。
 小森さんのデータにもあるように,スクールカウンセラーがいじめを発見するのは2.1%と出ているが,子供たちが相談に来たときに,不登校であるとか,様々な身体的な不調で訴えてきたときに,でも,これはひょっとして背景にいじめがあるんじゃないかなと気付くこともあるが,子供たちがそうやって直接SOSというふうにスクールカウンセラーに助けを求めてくるケースは非常に少ない。では,どこで発見するのかということを考えたときには,私自身,スクールカウンセラーをしているが,そこの学校で学期に1回,調査を行う。質問紙法とか,いろいろなことでの調査をして,そこで気になるお子さんたちを担任の先生と一緒に考えていく。
 感性を磨くというのもあるが,その学校の先生方が一緒に子供たちといるときには,どうしても見えないこともあるだろうと思うので,違う目で見ることも重要なのではないかと思った。

【委員】今日,少し話が出ていたが,市町のいじめ防止対策推進法に基づく組織作りというのは,昨年度のデータを見てもまだ進んでいないところがある。事が起こってから組織を作るものではなくて,あらかじめ作っておいて,その町の行政,あるいはいろいろな学校の基本方針等の徹底,そういうものを見ていただかなければいけないところがあるので,この点は今後とも文科省の方でもお進めいただきたい点だろうと思う。
 それから,外部からの風というものについて御意見を頂いた。中央研修でもいろいろと試みられているが,研修の成果を各学校へ広げていくシステムを作っていかなくてはならない。
 ここにいろいろな関係団体の方々がいらっしゃるので引き続き,御協力をお願いしたい。


―― 了 ――

お問合せ先

初等中等教育局児童生徒課