道徳教育に係る評価等の在り方に関する専門家会議(第3回) 議事録

1.日時

平成27年8月6日(木曜日)13時~16時

2.場所

ミツヤ虎ノ門ビル3階
東京都港区虎ノ門1-22-14

3.議題

  1. 問題解決型学習の導入など道徳教育の改善に関するヒアリング
  2. 道徳教育の評価の改善について
  3. その他

4.議事録

【天笠座長】
 道徳教育に係る評価等の在り方に関する専門家会議第3回を開会します。本日は大変お暑い中,また,御多忙の中,出席いただきましてありがとうございます。
 本日は,佐藤委員,柴原委員,中橋委員,脇田委員が欠席です。また,吉田委員が遅れていらっしゃるという連絡がありました。
 なお,本日は問題解決的な学習の導入などのテーマについて5名の先生方にお運びいただいております。お暑い中,また,御多忙の中,お運びいただき,ありがとうございます。
 それでは,配布資料の確認を事務局よりお願いいたします。

○ 事務局からの配布資料の確認

【天笠座長】
 これより議事に入りたいと思います。まず,本日の議事の流れについて説明させていただきます。
 本日は,まず,問題解決的な学習の導入など道徳教育の改善に関するヒアリングを行わせていただきます。
 次に,道徳教育の評価の改善ということで,まず事務局からこれまでの議論を踏まえた論点メモ(案)及び,昨日,中央教育審議会教育課程企画特別部会で議論されました次期改訂に向けた論点整理(案)について説明をお願いします。その上で,問題解決的な学習の導入など,道徳教育の改善について竹井秀文東京学芸大学附属竹早小学校教諭,松元直文福岡市教育センター長期研修員,渡邉真魚福島県郡山市立明健中学校教頭の3名の先生方から実践事例の御発表をお願いしたいと思います。
 その後,諸外国の道徳教育について,関根明伸国士館大学准教授からお話をお願いします。諸外国の道徳の現状につきましては,資料6として,国立教育政策研究所西野総括研究官に資料の御提供をお願いしました。これまで中央教育審議会等において説明いただいていますので,本資料についての詳細な説明は割愛させていただきます。関根准教授には,その中でも特に韓国の状況についてお話をしていただきたいと思います。
 また,前回会議におきまして,事務局から道徳の評価の変遷について説明がありました。今回は,学習評価全般につきまして,指導要録の変遷などに関して横浜国立大学教授の髙木委員から御発表いただきたいと思います。
 本日は3時間でありますので,前半と後半と分けさせていただきまして,これからは事務局から論点整理(案)等について御説明いただきます。それらを含めて,今申し上げました三つの柱に基づき,それぞれ御説明をしていただいた後,少し休憩を入れさせていただいて,後半は,それらの発表等を踏まえた上での質疑応答ということで,進めさせていただきます。
 それでは,事務局からこれまでの議論を踏まえた論点(案)及び昨日の教育課程企画特別部会で議論されました論点整理(案)について説明をお願いします。
【合田教育課程課長】
 私どもの不手際で1点,座長の進行の補足をさせていただきます。休憩の後,本会議の委員でいらっしゃいます橋本委員から実践事例を御紹介いただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 資料1を御覧ください。本日,橋本委員を含めますと4名の方々に実践事例を御報告いただき,関根准教授からも韓国の状況を報告いただきますが,それに先立ちまして,非常に大きなテーマになっております問題解決的な学習というものをこれからどう位置付けていくのか,日本の道徳教育をどう充実していくのか,ということについての議論を深めていただくという観点から,論点の案を用意させていただきましたので,説明させていただきます。
 資料1の冒頭,(1)で道徳科の指導方法の改善に関する前提というところがあります。まず,道徳の「特別の教科」化の趣旨については,現在,小学校の学習指導要領の解説に書いていますように,問題解決的な学習などを取り入れることによって,答えが一つではない道徳的な課題を,一人一人の児童が自分自身の問題として捉え,向き合い,考える道徳,議論する道徳と転換を図るものであるという趣旨を明確に示しています。
 その上で,問題解決的な学習など,多様な方法を取り入れた指導ということで,今回の小・中学校学習指導要領に,問題解決的な学習,道徳的行為に関する体験的な学習等を適切に取り入れるなど,指導方法を工夫することということを明記しています。
 中学校の解説にありますように,各教科等と同様に問題解決的な学習や体験的な学習を有効に活用することが重要という考えを示しています。それから,道徳科における問題解決的な学習とは,生徒一人一人が生きる上で出会う様々な道徳的な問題や課題,実際に生きる上で出会う課題について,多面的・多角的に考え,主体的に判断し,行動し,よりよく生きていくための資質・能力を養う学習です。そういった問題の課題は多くの場合,道徳的な判断や心情,意欲に誤りがあったり,複数の道徳的価値が衝突したりするために生じるものであえい,道徳科における問題解決的な学習とは何かということを解説で記述しています。
 現在,パブリックコメントを行っております義務教育小学校教科用図書検定基準では,問題解決的な学習や道徳的行為に関する体験的な学習について,適切な配慮がなされていることということが盛り込まれております。こういった配慮が必要であるということです。また,多様な見方や考え方のできる事柄を取り上げる場合には,その取り上げ方について特定の見方や考え方に偏った取扱いはされておらず,公正であるとともに児童又は生徒の心身の発達段階に即し,多面的・多角的に考えられるような適切な配慮がなされていることということも併せて検定基準上明確にしています。
 次に,今朝の朝刊各紙に大きく取り扱われておりましたが,昨日,中央教育審議会教育課程企画特別部会において次期改訂の基本的な方向性,それから各学校種及び各教科にわたる大きな改訂の方向性をおまとめいただきました。今後,各教科等に関する具体的な議論が,この論点整理を軸に行われます。道徳についての記述を御紹介させていただきます。
 まず,道徳の「特別の教科」化自体が,これからの時代に求められる資質・能力の育成やアクティブ・ラーニングの視点から,学習指導方法の改善を先取りしてるということです。今回の学習指導要領改訂の大きな考え方,大きな流れのいわば先取りをしているという認識をお示しいただいています。
 また,道徳教育の実質化とともに質的な転換が今回の教科化の目的ですが,この質的転換は,子供たちに道徳的な実践への安易な決意表明を迫るような指導を避ける余り,道徳の時間を内面的資質の育成に限定し,その結果,実際の教室における指導が読み物教材の登場人物の心情理解のみに偏り,あなたならどのように考え,行動を実践するかを子供たちに真正面から問うことを避けてきた嫌いがあることを背景としています。このようないわば「読み物道徳」から脱却し,問題解決的な学習や体験的な学習などを通じて,自分ならどのように行動をするかを考えさせ,自分とは異なる意見と向かい合い,議論する中で,道徳的価値について多面的・多角的に学び,実践と結び付け,習慣化していく指導へと転換することこそ,道徳の「特別の教科」化の大きな目的です。これは前回,この会議でも御議論いただいたことに重なると思います。
 義務教育においては従来の経緯や慣性を乗り越え,道徳の「特別の教科」化の目的である道徳教育の質的転換が,本日,御発表を賜るように,全国の一つ一つの教室において確実に行われることが必要です。答えは一つではなく,多様な見方や考え方の中で子供たちに考えさせる素材を盛り込んだ教材の充実や指導方法の改善が不可欠であるということを昨日の論点整理の中で中教審としても御提示いただいています。
 その上で,学習指導要領については不断の見直しを行うとされており,質的転換の進展状況を踏まえ,学習指導要領も含めた道徳教育の在り方については,常に見直し,改善することが重要であるという御提起を頂いています。
 本専門家会議においても,問題解決的な学習など,指導方法については抑制的になる必要はなく,名人芸的な道徳の時間を前提とするのでもなく,より多くの先生方が取組可能な実践の積み重ねが重要だというメッセージを出すべきであるという御意見をこれまでに頂きました。また,授業の計画をしっかり立てなければ,子供たちに多面的に考えさせることはできない。何をやれば問題解決的な学習なのかということを整理する必要がある。発達障害のある子供や,一人一人の子供たちへの配慮も重要である。きめ細かい評価は大事だが,教師の多忙感も考慮しながら考えていく必要がある。評価に当たっては,特定の行動の変容を性急に求めてはならない。具体的な評価の在り方としては,ワークシートやポートフォリオの活用があり得るという具体的な御提案も頂きました。それから,現在の指導要領解説に書かれている評価自体の実質化ということについても改めて問い直す必要があるのではないか。高校入試との関係についても御意見を頂きました。
 5ページをごらんください。論点案ということで主査と相談をさせていただきながら,事務的に整理をさせていただいたものです。道徳の「特別の教科」化の趣旨,学習指導要領及び解説,これまでの本専門会議での御議論を踏まえて,次のような点についてどのように考え,いかに改善を図っていくべきかということについて御議論いただければと思っております。
 道徳科の特質として,前回も議論がございましたように,内面的資質ということも大事ですが,同様に,能力といった観点についてどのように考えていくのか。それを育むことを前提とした場合に,道徳的行為や習慣に結び付けるための効果的な指導を位置付けていく必要があるのではないかという観点です。
 それから,従来の道徳の時間は,決まりきった答えを押し付けているという課題があるのではないか。授業の目的が不明確ではないか。内容がつまらない,あるいは発展的ではないということが背景にあるのではないか。
 問題解決的な学習をなぜ重視しなければならないのかということを原理的に考えてみますと,それは問題解決型が学習モデルとして有効であるということがあるのではないか。それから,他者と協働しつつ問題解決をする中で,新たな価値や考えを発見・創造するという点にも重要なポイントがあるのではないか。それから,問題解決の先に新たな問いが生まれ,また解決に向かうというプロセスが重要ではないか。他者との対話や協働の中で行われるコミュニケーション自体に道徳的な価値があるのではないかという御議論をこれまでに頂いたところですが,これについてどのように考えるか。
 それから,問題解決的な学習の上で,多面的・多角的な思考を促す問い自体の質が重要ではないかという御指摘です。個別の道徳的価値とは何かとか,それはほかとはどう違うのかという,いわば原理のレベル,なぜなのかという根拠のレベル,それからどうすれば実現できるのかという適用のレベルといった,それぞれの次元とともに,実践につながるような,方法知の探求といったことについてどのように考え,問いを高度化,質の高いものにしていくのか。多様な読み物だけではなくて,写真,新聞記事,ワークシート,格言など,様々なものをどう組み合わせて質の高い問いを構成していくのか。あるいは,議論し,探求するプロセス,特に結論,あるいは解決の一致よりも,共に考え,議論・探求するプロセスの体験が重要であるという御議論がありましたが,これを実現するにはどうしたらよいかということについて御議論を頂きたいと思っております。
 なお,このような観点から問題解決的な学習を重視した場合の評価の在り方について,前回,様々なエピソードの蓄積,あるいは子供の変容を多くの目で読み取る,子供自身による話合いの評価などが手掛かりになるのではないかという御意見を頂きました。これらの点についても更に御議論,御指摘を頂ければと思っています。
 なお,資料2は,昨日,教育課程企画特別部会で御議論いただいたものです。これにつきましては,昨日も様々な御議論がありましたので,8月20日に教育課程企画特別部会がもう1回予定されております。そこである程度形にしまして,各教科等の具体的な議論に秋以降入っていく予定です。その後,来年度,答申,改訂と進めていく予定です。
【天笠座長】
 ありがとうございました。
 本件に関わる御質問や御意見につきましては,後ほどまとめてお受けしたいと思います。議事を進めさせていただきます。
 まず,竹井先生より御発表いただきます。竹井先生からは,問題解決的な学習を取り入れた道徳の授業実践について御発表いただきたいと思います。
【竹井教諭】
 東京学芸大学附属竹早小学校の竹井です。よろしくお願いいたします。
 道徳科になることを,子供たちに聞くと,「道徳では,命のような難しいこともあいさつのような当たり前のことについても心の底から考えないと本当に分かることができないと思う」や「誰もが当たり前だと思っていることでもなぜ大切なのかということを考えた結果,成長できたと思う」など,子供たち自身が考える道徳授業を望んで求めています。この望みは,問題解決的な道徳の授業によって達成可能なのではないかということを本日はお話しさせていただきたいと思います。
 まず,問題解決といっても,ただ問題解決をすればよいというわけではありません。子供主体の授業,共に考える授業を全国の先生方がスタンスとしてもつことで,考え,議論できる問題解決的な道徳の授業が可能ではないかと思います。
 従来の指導案を見ても,授業過程は,導入,展開(前段),展開(後段),終末となっています。問題解決型といっても,すべて変える必要はありません。では,何を変えていけばよいのでしょうか。それは,まず子供と一緒に考えようというスタンスをもつことです。そして,そのスタンスをベースにして,日常生活の中からの問題提起を導入,資料の中の問題解決を展開(前段),それから問題解決の話合いを展開(後段),問題解決の結論を出す終末という授業過程に変えていこうということなのです。もっと簡単に言うと,問い見付け(問題づくり),話合い(議論),生き方(考え)づくりとなります。さらに,子供とともに教師も一緒に考えて,よりよい生き方につなげていこうとする時間となればよいと思います。
  また,終末に体験的な学習(活動)などとセットにした授業も効果的です。とにかく,全国の先生方が授業構造を変えていこうという思い切った気持ちや子供とともに考えようとするスタンスを大事にすることができれば,やっていることは今までの指導案上では変わりはないのではないかと思います。
 では,具体的な実践をお話します。いじめについて考えたいという子供たちの問い「いじめはどうしてなくならないのか」から,その理由を考え,いじめをなくす作戦を考えようという実践です。ここで気を付けていただきたいのは,ただ作戦を考えればよいのではなく,どのような作戦においても正義(公正・公平)という心が必要であり,その正義について「自分はこう考え,ああ考えた」と子供一人一人がいろいろな考え方をつくりだすことです。さらに,そこで授業を終わらせるのではなく,正義を実現するには,日頃からこんなことが大事なのではないか,それを継続していけばよいのではないかという意見を導き出すことも大切です。このような授業実践を通して評価の在り方を考えるとき,最も重要なことは,ねらいです。ねらいをいかにたてるのかが重要になります。この黄色い枠組みがいわゆる評価できるポイントになるのですけれども,そこにはきちんとねらいがあって,指導と評価の一体化をねらっていくという,他教科と同じような発想が必要になってくると思います。
 例えば,従来の指導案では,「いじめをなくそうとする公正・公平・正義を大切にする心情を育む」というねらいをよく耳にしますが,これでは何をどのように評価すればよいのかわかりません。問題解決的な道徳の授業では,ねらいを具体的に立てないと,子供を評価することができなくなるので,主題に対する大きなねらいと,いじめの芽が出てくる嫌な気持ちに気付く(気付き),いじめはよくないと行動することが大切だと分かる(理解),いじめをなくすために偏見をもったりせずに友達と接しようとする(意欲)など,ねらいを具体的に立てることによって,授業がより充実し評価できるようになります。何をやっているか分からないと言われる道徳において,他教科と同じように具体的なねらいを立てていくことが,まず必要なことではないかと思っています。
 続いて,最初に説明した指導案についてお話させていただきます。導入,展開,終末という学習過程も,問題解決的な道徳の授業では,問題づくり,問題解決,生き方づくりとなります。問題づくりでは,いじめについて,何が原因なのか考えて,それをどのように解決するかという問題ができます。問題解決では,資料などで,自分だったらどのような作戦を考えるだろうかという話合い(議論)をしていきます。生き方づくりでは,いろいろな作戦についての発表とどんな作戦においても大事なこと(心)は何かをまとめていきます。この生き方づくりは,自分の生き方づくりとして,正義について自分の考えを道徳ノートにしっかりとまとめていきます。授業における板書では,ここが問題づくり,これが話合い(議論)をした部分です。この資料に書いてある二つの作戦のよいところを考えてから,自分なりの作戦をいろいろと考えていきます。最後に,どのような作戦であっても,自分の心の中における,いわゆる正義(公正・公平)というものの構造的な理解を言葉にして板書でまとめています。
 では,問題づくりとはどういうことか説明いたします。例えば,「主体性とは何かについて考えたい」と子供たちが言うのですが,いつもきちんとやっている人が主体性のある人だとすると,それはどういうことだろうか,ここに何が入るかということから問題をつくります。友情について考えたときは,「けんかになることがあるけど,気が付くと仲直りできている。不思議だ」「それはどういうことだろうか」「友達について考えていきたい」と子供たちが日常生活の中で感じたことや考えたこと,当たり前だと思っていることが,実は問題(問い)になります。「バスでお年寄りに席が譲れなかった。今度見掛けたら,是非席を譲りたい。」この子は親切ではないのでしょうか。行動として親切さは現れていないのですが,心にはすごく親切さをもっている。親切とは,どういうことなのかと考えるようになります。私の学級では,休み時間になると,よくけんかが起きていました。そこで,ある子供が「けんかをなくすためにはどうやって友達と過ごせばよいのだろう」というのです。このように,日常生活の中で子供たちが心に抱いたことは,それ自体が問題(問い)になるのです。
 いじめについて考える実践では「いじめは駄目なことはわかっているのに,どうしてなくならないのか」を考えるきっかけとします。そして,「いじめをなくすには,いじめに負けず,いじめの芽を摘(つ)まないといけない」とわかってきます。そこから,「いじめに負けないとは,どういうことなのだろうか」と深い問題(問い)づくりができます。つまり,子供自ら考えよう,考えたい,考えなければという気持ちをもたせることが重要なのです。問題づくりでの評価は,考えたいという態度や考えてみようとする情意的な力を一人一人がもてたかどうかということを大切にしないといけないと思います。
 次に問題解決(展開)についてです。この資料では,あだ名を使われている子供がいじめに負けないためにどんな作戦をしようかと話し合います。そこでスイミー作戦とガンジー作戦というものをつくり,二人で話し合ってみんなに提案しようというものです。問題づくりにおいて考えたいという気持ちがあるので,子供たちは発問一つで活発にペア,若しくはグループで交流します。人は誰しも自分の考えができた後は,人に聞いてもらいたいという意欲が高まります。その意欲があれば,黒板に出て説明をしたり,みんなで意見を言いあったりします。これがまさにアクティブ・ラーニングとなります。気を付けたいのは,ただペアやグループで交流すればよいというわけではありません。このような活動を支えるためには,教師が,問題解決を続ける発問を連続させて,話合い(議論)を活性化していく必要があるのです。何度も言いますが,子供たちは,考えたいという問い(問題)をもって意欲的に授業をスタートさせています。ですから,アクティブ・ラーニングを有効な教育活動にするためには,問題解決を続ける発問を連続させないといけません。そして,その場面で思考や判断,表現を評価することができるのではないでしょうか。
  では,どのように発問(問い)を連続させるのか,子供の姿を基に分析してみました。まず,問いは子供の生活の中にあります。「友達とは何だろうとか」「いじめはどうしたらなくなるのだろうか」「主体性とは何だろう」などです。次に,その問いをもたせたまま資料を読むと,「この話はとてもいい話だけど,友達をどうしてつくれたのかな」「主人公はどうしていじめをとめることができたのだろう」「最初いじわるだったのに,どうしてやさしくなれたのかな」という問いが問いを生みます。気が付くと自ら考えています。エンジンがかかるようなものです。そして,その後の話合い(議論)により「この前の友達に思いやりの心で接したな」など自己の生き方を問う,自分に向かう問いになっていきます。最後に,その問いは「ああ,友達がふえると幸せだな」など人間のよさに向かう問いかけになるのです。ですから,議論し,探求する問いというのは連続させることができます。教師は,そのような働きかけができる発問を考えていかなければ授業は変わりません。評価もできません。だから,導入におけるスタートの問いも,展開における問題解決の話合いで問い掛けていく問い(発問)も,非常に重要なのです。
 終末は,いよいよ問題解決の結論を出すときです。ここでは,生き方づくりは自分づくりだというスタンスを大事にしていきたいと思います。そのため,子供たちは板書や道徳ノートは一番大事なツールであると考えて使います。それは,議論を通して,いろいろな考え方を互いで吸収して,私はこう思ったということを最終的につくりだすためです。そして,つくりだされた自分の結論が,知識や技能となります。そこを評価できるのではないかと考えています。
 これは,実際の道徳ノートです。いじめをなくす作戦をみんなで議論して考え,一番よいと思う自分なりの作戦を書いたものです。先ほど紹介した資料のスイミー作戦やガンジー作戦のよいところを書きつつも,自分の作戦,ここでは集団作戦と書いてありますが,きちんと1から8まで自分の考えを羅列して書いています。道徳ノートを見ると,一人一人違う作戦が書いてあります。さらに,その作戦を遂行するために大切な心(正義)についての自分の考えや日頃から大切にしたいことなども,授業のまとめとして書いています。もちろんそれを授業のまとめとして発表したり,教師は授業の後で見たりして,評価することができます。
  「いじめをなくすためには人を差別しないで平等に思える心が大事だ」「いじめをなくすためには強さや優しさが必要だ」「みんなが平等に思って協力したらいじめの芽を摘(つ)める」「人と人とが通じ合うことが一番大切だ」「強い心をもってこれからも未来を一歩一歩歩んでいくのだ」「みんなの思いが大切だと思う心が大事だ」「同じ目線で平等にするのだ,そのためにきれいな心で優しくて広い心をもつことが大事だ」など,これらは子供たちが実際にノートに書いていたことです。最初は,「いじめは駄目だ」としか言っていなかったのですが,最終的には,このような考えを自分たちで導き出しており,自分の生き方へつなげていることがわかります。これが,生き方づくりは自分づくりと最初に述べたことです。そして,子供自身による話合いの評価や「僕は話合いによってこういうことが分かったんだ」という自己評価も併せてできるのではないかと思います。
 板書も大切です。では,板書がなぜ大切なのか説明いたします。それは,子供たちの思考を探求したプロセスを示すものだからです。板書計画ありきではなくて,子供の主体性,つまり自ら考え議論することを育むため,子供がどう問題を解決したのかという思考のプロセスを表すボードなのです。今までの実践を通して,様々な板書がありましたので分析しました。その結果,発散・発展型,回避・循環型や比較・発展型などに分類され,子供の思考に合わせてつくりだすため,実に様々なものがありました。
 ノートも重要なツール,教材だと思っています。先ほども述べたように,自分の考えをしっかり書いています。これは,個性伸長の授業をやったときのものです。短く,キーワードでまとめることも大変重要だと思います。「自分らしいとは,得意なことを磨き続けることだ」など,自分の考えをしっかりノートに書くからこそ,自己評価や他者評価もできると思います。
 先ほどの,いじめをなくそうという授業も同じです。いじめの構造をそれぞれの立場で考えようという問題を,自分のクラスはこういうことができているからいじめがないのではないかということを,自分の考えとして,しっかりと書いています。つまり,みんなで話し合ったり,議論したりしたことを基に,自分の生き方につなげていくことができるのではないかと思っています。
 問題解決的な道徳の授業は,授業をして終わりではなくて,その先の体験的な学習(活動)とのリンクが非常に大事になってきます。そうしなければ,よりよい生き方につながっていきませんので,ふだんの生活につなげていかなければなりません。
 そのためにまず,学級通信で道徳の授業で行ったことや子供たちの考えを保護者に伝えます。年度によっては,「毎週木曜日の6時間目にやっていますので是非来てください」とお知らせをして,一緒に参加していただきます。教師だけではなくて,親からの目,たくさんの先生方の目など,ふだんの生活の中で,態度や情意的な力がどれぐらい働いたのか,子供の変容を多くの目で見て,評価できると思うのです。
 最後になりますが,1単位時間の授業だけでは問題解決の授業は効果を発揮できません。よりよい生き方を考え続けるということを目指しますので,特別活動や教科,様々な活動での様々なエピソードを蓄積していかないと評価はできないと思います。これは昨年度,本校で実践した「いのちについて」です。生命尊重の学習は,1時間で終われるわけがありませんので,2学期に3回連続で行う計画を立てました。そこには,総合的な学習の時間の劇作り,国語の詩の学習,相田みつを美術館見学など体験的な学習も入れて,大きな単元をつくりました。この計画では,どの授業においても命についての自分の考えをいかに深めたかというポートフォリオ評価を行うことも同時にねらっています。 
  最初の授業は,国語の授業で命の詩を作りました。それから,総合的な学習における劇作りです。その間に,相田みつを美術館見学で体験的に学んだり,日野原先生が来校されて「いのち」の講演を頂いたりしました。このように学校行事を絡めることはとても効果的です。
  「命はかけがえのない大切なもの」「命は親からもらったもの」というのが単元のはじめの子供の考えです。このような単元を組み,問題解決的な道徳の授業を通して,ポートフォリオ評価を試みます。単元の最後の子供の考えは,「いのちは,自分だけのものではなくて,家族,先祖などの思いがつまっているものとわかりました。ぼくは,今10年間生きてきました。この時間は,人との支えあい,助け合いによってあるものだと思います。だから,生きがいを感じるのです。ぼくたちも,日野原先生や本気で今を生きている人を尊敬したいです。そして,ぼくもこの尊いいのちをむねに生きていきたいと思います。」とあります。このような子供の変容を評価することができると思います。問題解決的な道徳の授業と様々な体験的な学習を関連させることによって,命についての考え方をこれだけ深めることができるのです。ですから,ポートフォリオ評価を通して,充実した考えのよさを評価できるのではないかと思います。また,いじめなどの深いテーマについては,1主題1時間ではなく,複数時間で授業を構成して,同じようにポートフォリオ評価を試みます。
  「特別の教科 道徳」の評価は,他教科と同じようにねらいを明確にした授業評価,問題解決における議論・自己の生き方をつくりだす道徳ノートや板書による自己評価,複数時間構成・大単元によるポートフォリオ評価が,子供の心の成長を評価することにおいて可能だと思います。
 最後に,「特別の教科 道徳」に期待する子供たちの純粋な声です。「今まで余り考えていなかったことの大切さに気付き,良い正しい道を歩くことができます」「道徳は人と別々の考えがあるので,自分の考えを深く考えられるのがうれしいです」「道徳は,人を人生という道へつないでくれます。その道が,日本中を変え,のちに世界を変えられると思います」「道徳で考えることでより明るく楽しい生活を送ることができます。よい未来を生むことができます。」「豊かな日本をつくるためには道徳の力がいると思います」「道徳のすばらしさで一人一人が輝き優しい国に日本を変えたいです」「道徳は,私たちを正しい生き方(道)へ導いてくれました。そんな道徳が教科になったことが本当にうれしいです。」など,道徳科がよりよい授業に変わることを全国の子供たちも現場の先生方も期待しています。
  御清聴ありがとうございました。
【天笠座長】
 ありがとうございました。
 御質問等は後ほどお願いしたいと思います。続きまして松元先生より御発表いただきます。松元先生からは,問題解決的な学習を取り入れた道徳の授業実践や,先生が取り組まれている学校における評価の事例についてお話しいただきたいと思います。
【松元長期研修員】
 福岡市教育センター長期研修員をしております松元です。よろしくお願いします。
 教育課程特例校である,福岡市立松崎中学校での道徳・倫理科における道徳専科としての私の実践です。道徳・倫理科における問題解決的な学習や体験的な学習を取り入れた実践例を紹介します。
 道徳・倫理科における問題解決的な学習とは,ねらいとする道徳的価値を深めるために,問題を発見し,探求し,解決できる力の育成を目指す学習です。自分はどうしているという気付く段階から,自分はどうしたらよいかということを多面的,多角的に考え,自分はこうしようという段階へとよりよい行動や生き方を志向する姿につながると考えます。その際,体験的な学習や議論を取り入れることが効果的だと考えました。
 議論を取り入れた問題解決的な学習として,性善説と性悪説という実践例を紹介します。授業の前半は,教材として,先人や先哲の考えについて,現代のよい行いのニュース,悪い行いのニュースを示しました。授業前半では,なぜこの説を支持するのか,相手に伝えるために資料を根拠として議論してくださいと指示し,ワークシートに考えをまとめさせ,ペアで議論をさせました。これは議論する道徳の基盤作りになると考えました。生徒たちは議論する相手を見付け,互いに上手に自分の考えを伝え合っていました。そして,授業者の称賛にみんな満足そうでした。
 後半は,意図的に自分の支持する説を相手に根拠をもって伝えられたら,よりよい社会は実現できるのかという厳しい問いを突き付けました。生徒は戸惑い,考え込んでしまいました。しばらくすると,行動がないと意味がないことに気付きました。そして,「あなたならどうする」という番組を試聴させました。内容は,店員が黒人の女性を差別する場面で,ほかの客の反応を追ったものです。次に,同じ場面に出会ったら,自分ならどうしますか,理由も示してくださいと問い掛けました。より現実的に考えさせるために,一人のとき,友達と一緒のとき,家族と一緒のときなど,異なる状況を示しました。生徒は,知らないふりをする,何もできないかもなどと,自分の行動を予想しました。さらに,先ほどの議論は何だったのかな,これではよりよい社会は実現できないよねと畳み掛けたことで,現実の難しさなどの新たな問題を発見しました。自分はどうしたらよいか考え,解決方法がないかペアで議論し,途中で相手を替えることも認めました。最初は安易な解決法しか出ない生徒も,それでは何も解決しないなどと突っ込みを入れ合って,友達の解決法を聞くことで,多面的な考えに深まっていきました。次に,何かよい方法があったか尋ねると,様々な解決の手掛かりが出てきました。最後に,今日の学習は,身近な学校生活に当てはまらないか問い掛け,授業を終えたの感想を書かせました。感想には,よりよい社会の実現のために,自分の身近な学校生活から行動しようなどと書いている生徒も多くいました。
 体験的な学習を取り入れた問題解決的な学習として,「裏庭の出来事」という実践例を紹介します。教材として,「裏庭の出来事」のビデオを視聴させました。健二と大輔,雄一の三人は親友です。裏庭でサッカーをしてガラスを割った雄一は,先生に報告へ行きました。その間に,健二はまたガラスを割ってしまいました。大輔は先生に2枚とも雄一のせいにして健二を弁護します。健二はこのままでよいか悩みます。
 健二はなぜ悩んでいるのだろう,どんな気持ちから決断したと思いますかという発問は,これまでの道徳の時間によく用いられていました。しかし,生徒たちはよりよい道徳的価値に気付いても,行動に至らないことがありました。現実場面では,自分で考えていない,うまく行動できない,気持ちを伝えられない生徒がいます。本授業では登場人物になったつもりで先生に謝りに来てみましょうと指示し,体験的な学習として問題発見するためのロールプレイを実施しました。生徒は3人1組,生徒たちで配役を決めました。授業者は生徒の行動や言葉によって臨機応変に対応しました。実際やってみると,うまくできる生徒もいましたが,大輔のせいにしてしまったり,しどろもどろになったりするグループもありました。体験的な学習を通して,生徒たちは自分で考えて行動する難しさという新たな問題を発見しました。その後,授業者は,自分で考えて行動することや気持ちを伝えることの難しさの確認と,ロールプレイの演技を称賛しました。
 次に,実際の行動での解決方法を考えましょうと問い掛けました。授業者が問題を整理し,解決法を考えさせました。生徒からは何を伝えたいかはっきり伝える,自分のこととして考える,正直な気持ちを伝える,自分で考えるなど,解決の手掛かりとなる具体例が出ました。授業後の感想には,責任ある行動をしたい,自分の弱い心に負けない,自分で考えて行動しようと思うなどと書いていました。
 先ほど紹介した実践例が問題発見するためのロールプレイだとすると,学んだことを確認するロールプレイも有効だと思います。この体験的な学習も,模範的な言葉や行動をしてみることで解決の手掛かりがよりよい行動や生き方を志向する姿につながると考えます。
 次に,道徳・倫理科における昨年度のポートフォリオ評価の実践例を使って,本年度の記述式個人内評価の試案を述べます。よりよい記述式個人内評価を目指すためには,生徒による振り返りが重要だと考えました。本年度4月に1学期の振り返りとしてポートフォリオ評価を用いました。生徒は学期を通して,毎時間の教材とワークシートを集積しました。印象に残った授業,自分の大切だと思う道徳的価値,自分の成長についてポートフォリオ評価を用いて振り返りました。12月と3月にも実施することで,自分の心の成長や行動の変化に気付くことができると考えました。
 この後,授業者が各生徒が書いた自己評価でもある振り返りシートを分析し,4観点で記述式個人内評価をします。授業者が生徒一人について記述する時期は8月と12月が適当だと考えました。振り返りシートと記述式個人内評価を併せて,各生徒に9月,1月に戻すのがよいと考えました。この時期に戻すことで,新学期からの生徒の行動化への意欲が高まると考えました。
 それでは,ポートフォリオ評価を用いた振り返り,昨年度の実践例を紹介します。これは,Aさんの振り返りシートです。Aさんは,これまで集積したワークシートや教材を見つつ,以前の自分と現在の自分の考えや行動を比べながら振り返っていました。右の方には10月まで行った教材名等が書いてあります。この振り返りシートを更に詳しく見てみると,Aさんは自分の内面まで踏み込み,自分の生き方について考えていました。そして,自分の心の成長や行動の変化を捉えていました。
 次に,記述式個人内評価の試案1を示します。Aさんが印象に残った授業は,「性善説と性悪説」「福山雅治東北ライブ」「僕は一歩ずつ」でした。授業者がポートフォリオに該当するワークシートを中心に分析し,記述式個人内評価を行います。Aさんは,問題解決的な学習の中で,自分が危険な目に遭わないように友達を連れてきて相談して一緒に抗議するなどとワークシートに書いていました。これを基に,授業者が,記述式個人内評価として書きます。これが例になります。
 次に,記述式個人内評価試案2を示します。Aさんが大切な道徳的価値,生き方,そして心の成長や行動の変化を実感している点を分析し,授業者が個人内評価を行います。これが授業者が書いた試案1と2を総括したAさんの記述式個人内評価例です。自分のこととして考えを深めている点,よさ,成長を認める点,そして励ましなどがこの評価の中に含まれています。記述する際,観察や面接による評価方法を加味することも視野に入れています。
 最後に,生徒に戻す試案として,生徒の自己評価でもある振り返りシートと,授業者の評価である記述式個人内評価を生徒に戻します。通知表とは別に道徳の時間の学習記録として考えています。これらにより,生徒の行動化への意欲の高まりが期待できると考えます。さらに,授業者や他の教師の見守りや支援,保護者の見守りや支援だけでなく,家庭での会話の材料としても期待できると考えます。
 次に,観点のことをお話しします。道徳・倫理科の4観点についてです。高等学校公民科倫理の4観点をヒントに,毎時間の指導,振り返りの指導で関心・意欲・態度,道徳性に関わる指導で思考・判断・表現,道徳性を育成する基盤としての指導で知識・理解と資料活用の技能の観点を見取ることを考えました。今後,基盤となる,この二つの観点は,知識・技能としてまとめ,3観点とすることも視野に入れています。
 これで実践例の発表を終わります。ありがとうございました。
【天笠座長】
 ありがとうございました。
 続きまして,渡邉先生に発表いただきます。渡邉先生からは,役割演技を取り入れた道徳の授業実践及び評価の実践についてお話を頂きます。
【渡邉教頭】
 福島県郡山市立明健中学校,渡邉真魚と申します。よろしくお願いいたします。
 私は中学校籍ですので,中学校での授業実践,それから評価実践,そこから考えられる新しい評価についての試案ということで御報告させていただきます。
 中学校の子供たちは,分かっていながら行動できないということに非常に悩みを抱えております。勇気がない,自信がない,気付かない,失敗するのが嫌,間違いが怖い,焦ってしまう。子供たちにとっては,道徳的価値を知っていながらも心理的な葛藤があり,道徳的行為に至らないという問題があります。問題を解決するためにどう行動してよいか分からない。そのような子供たちに役割を与えて演技をさせることで,道徳的行為が体感できないかということで,役割演技を取り入れた道徳授業の実践を試みました。ロール・プレイングそのものに関しては,感情的な共感と理性的な理解と実践的な行動の3面に働き掛ける力強い方法であるという理論がございます。これに基づいて,学習指導要領の解説には動作化や役割演技に関して,既に,指導方法の創意工夫に明記され,このたびの教科化に当たっては,学習指導の多様な展開に「生徒に特定の役割を与えて即興的に演技する」という文言が小・中学校に加わったということが私にとっても重要なところです。
 さらに,道徳的行為に関する体験的な学習等を取り入れる工夫に関しては,道徳的行為の難しさ,すばらしい道徳的行為に注目させ,考えを深めると明記されています。そこで,中学生の発達段階の特徴を改めて振り返ってみたいと思います。中学生の子供たちは,生活経験から取り得る行為の傾向性が少しずつ固まりつつあります。しかしながら,自我の形成過程において道徳的価値の再構成の時期にもあります。私がロール・プレイングが最も効果が高いのではないかと考える根拠の一つに,中学生の子供たちは言語能力が高いので,個人の内的な質的変容を表現できるというところにあります。また,生活経験がありますので,日常生活の行動を想起しやすく,振り返りによる内省する力があり,反省的な思考が可能です。このように,子供たちには効果的な手法なのではないかと考えています。
 従来の道徳授業は心情を高めることのウエートが大きかったように思われます。心情を高めて,道徳の時間以外に道徳的行為を期待する。そういった授業から脱却し,道徳の時間の中における役割演技を通して,取り得る行為を選択し,どう行動するかを考えさせることで内面的資質も強化していくという仕掛けです。
 授業構想はこちらです。道徳的価値を含む場面においてロール・プレイングを行います。ロール・プレイングは2段構成になっております。1回目が再現のロール・プレイング,思考への働き掛けをしてモデルとし,それから2回目に解決のロール・プレイングを取り入れて一般化するという授業です。この2段構成のロール・プレイングを授業の中で行って,子供たちに気付きと学びをもたらすという手法です。
 始めに道徳的価値を含む場面を提示します。現行学習指導要領の道徳の特質を生かした授業になっておりますので,本時は読み物資料を使いました。4-(2)の公徳心なのですが,電車の中で席を老婦人のために譲ってほしいと訴える主人公がいます。新聞を読みながら座っているサラリーマンは,「自分だって早くから並んでやっと座ったんだ」と言い張って席を譲らないという場面です。
 まず,ロール・プレイングのウオーミングアップとしてペアインタビューを行います。主人公とサラリーマンになってお互いに聞きたいことを聞き合う活動です。左側の写真は男女のペアで,右側の写真は男の子同士のペアです。「どんなお仕事をされているのですか」とか「どうして疲れているのですか」といった心情を聞き合う時間です。右側の写真の男の子たちは,しっかり意気投合して握手をしたという場面も見られました。
 ここから再現のロール・プレイングを行います。場面を再現します。左側の写真は,新聞を広げて座っているサラリーマン,手前は立っている老婦人役の男の子,奥側が主人公の男性役,座っている乗客二人という場面です。プレイの後は必ず演じた生徒に感想を聞くようにしています。このとき,サラリーマンを演じた生徒の感想は,「僕はいたたまれなくて座っていられませんでした」という内容でした。
 子供たちの感想を集めて,行動に対する感想なのか,それとも学習活動に対する感想なのか,判断によるものなのか,それから道徳的行為によるものなのか,を色分けしています。本日は別紙2ということでプレイをした子供たち,それからそれを見ていた子供たちの感想も添付しています。
 次に,新たな場面を提示します。一般化を図りたいと考え,資料から離れて子供たちに教示文を読み上げました。給食の時間の配膳場面です。給食当番に大盛りにしろと迫る男の子がいて,デザートのプリンを俺によこせと,一見,ジャイアンとのび太のような関係ですが,子供たちに,この場面を解決しようと提示しました。資料を聞き終えた後にプレイが始まります。今度は,問題を解決するプレイなので,どう行動するのか,それぞれの行為に働き掛けます。こちらは,場面を解決するAグループです。左側の写真は配膳をしている様子なのですが,子供たちは配膳が終わると,特に指示はしなかったのですが,それぞれ座り始めて,食事をしながら対話の中で何とかこの場面を解決しようとしていました。こちらの写真は別の角度から見たBグループです。
 この子供たちに感想を聞きますと,今度は,過去の経験を想起するような感想が寄せられました。Aグループでは,「自分も同じような出来事を経験したことがある」「この出来事を振り返ることができた自分の場合は,せっかく席を譲ったのに違う人が座ってしまい,その人に怖くて主張できなかったことを少し後悔している」という感想が,Bグループは,「へ理屈や,怒りの言葉でもって相手を説得しようとしてしまった。そのことが解決にはつながらない。もっとお互いに納得できるような考えが即座に浮かぶようにしたい」という感想が寄せられました。
 ロール・プレイングは,実は見ている子供たちにも大変影響力のある手法で,見ている子供たちの感想の中にも,「思いやりが大切だ,後半の解決のプレイでは,一時,冷静にさせた方がいいと思った」あるいは「思いやりの心,公共の場所での心遣い,親切にしない人は格好悪い」など,価値を含むような感想なども寄せられています。
 いつも思うことなのですが,道徳の授業を終えたときに子供たちから感想を取りますけれども,これをどうやって授業者が処理をしていくかということが課題です。私は大まかに二つに分けます。学習内容によるものなのか,学習活動によるものなのかということです。内容に深く感想を書いてくる子供たちの中には,資料の価値や経験,今日の授業のねらいに特化して,自分との関わりで感想を書いてきます。それに対して,学習活動が「面白かった」で終わってしまう子供たちもいます。今回だと,ペアインタビュー,ロール・プレイング,話合い,それから,例えばゲストティーチャーを呼んできたとなれば,そのゲストティーチャーの話に終始してしまうとか,あるいは映像資料を見ると映像資料の感想で終わってしまうということです。
 この子供たちの感想を評価につなぐためにどのようにしたらよいのかということを後半で報告したいと思います。現行の学習指導要領の評価の意義に私の大好きな「道徳的な成長を温かく見守り,共感的な理解に基づいて,より良く生きようとする努力を認め,勇気付ける働きをもつ」があります。このことが授業者である私の支えになって,日々,道徳の授業を実践していくのですが,そのために私は,エピソード評価というものを実践してまいりました。エピソードというのは,偉人,名人の「逸話」ではなくて,本筋とは直接関係ないのですけれども,物語の中に挟み込まれる「挿話」という定義をしています。生徒自身のエピソードを挿話として累積していくという方法です。エピソードの収集の方法に関しましては,子供の発話や子供の行為など,授業中の活動を記録したものを短期エピソード,学校生活全体を通じて授業の前後で出てくる生活の中での言動や記述を長期エピソードと考えています。そこで使用していた表がこのマトリックスです。縦に生徒の発言・記述をとっていく。それから,教師の観察助言をこちらに記入していくというものです。短期エピソードは,授業の場面で取ったエピソードなので,その前後を学校生活全体から取るというものです。
 別紙2として,3人のエピソードを持ってきました。ここで紹介するのはAさんのエピソードで,Aさんのための授業です。彼女は卓球部に所属していましたが,できない自分がつらくて悔しくて辞めたくなるのですが,そんな彼女のために用意したのが1-(2)の「希望,勇気,強い意志」で,内容は部活動がテーマになっている資料を使いました。野球部の生徒の話ですが,この授業の前後に,Aさんにどんなエピソードが出現したかという記録,これを丹念に取っていくというものです。この番号は,それぞれ出現した順を表します。Aさんは資料の主人公に非常に共感をして,めげない気持ち,諦めない力,頑張る力などということを授業中に発言していました。
 学校生活では,彼女は特設陸上部に入りまして,短距離で1位を頂いてくるというめざましい活躍をします。そのときに,諦めなくてよかったと発言しています。これを機に彼女は卓球に打ち込んでいきます。あるとき,授業の終わりにうれしそうに駆け寄ってきて,「私,これから物語を書くんだ」「その物語の主人公は卓球をする少女なんだ」と言いました。私は,彼女が,その少女に,自分をなぞらえて成長させたいんだなということを見て取りましたので,「物語の主人公は,最後には成長するのよね」と励ましたというエピソードです。総合所見をとりながら,エピソードを評価として振り返り,励まし,勇気付けながらも,道徳の時間でも,道徳の時間以外にも,個に応じた新しい行為を提案していくという作業を続けていきました。
 ところが,このエピソード評価は大変時間が掛かります。道徳の時間以外にもやらなければいけないからです。でも,そうでなければ,道徳の時間の評価にもならないし,子供の道徳性の評価にもつながらないと考えます。エピソード評価の効果として,二つのことが考えられます。一つは,生徒自身に振り返りをさせる。このことが自己の表現力の向上につながり,自分の成功体験を強化して,失敗体験も意味付けられるような子供たちに育つのではないか。もう一つは,教師自身において,生徒のエピソードを語ることにより,生徒の問題解決につながり,授業改善につながるのではないかと考えます。
 今回御紹介したロール・プレイングの授業は,指導案の形式で別紙1として添付してあります。二つ目の授業実践は思いやりについてで,同じ車中での出来事です。そこで,こうした子供たちの感想全てを集め,その生徒の感想の中から評価の観点を作ることはできないかと考えました。まず,これを色分けして,子供の学習内容に関わるものなのか,学習活動に関わるものなのか,大きく大別して,更にもう少し細かく分析をしてみました。内面が赤,判断に関わるところが緑,行為に関するところがブルー,そして学習活動に関することが黄色と分けてみました。整理しますと,学習内容は,心情に関すること,判断に関すること,行為に関すること,価値に関することという学びが浮き彫りにされました。学習活動の方では,ロール・プレイングという特別なことをしたので,再現のプレイから,解決のプレイ,ロール・プレイングを見て学んだことという内容の感想が寄せられました。
 これをパフォーマンス評価という形で,ルーブリックに盛り込めないかと考えました。これが私の評価の試案です。学校が大変煩雑で,非常に多忙化しているということも考えて,子供たちの感想を,学習内容なのか学習活動なのかということで,まず大きく二つに分ける。その中から観点を六つほど挙げました。エピソードに関しては,細かく区切らずに,子供たちの成長の見取りを記述していきます。
 別紙4は,本校で取り組んでいる通知表の所見の前段です。これは子供たちのよさから始まるわけですけれども,この通知表の前段の後には,学習面のことや,夏休みの過ごし方いう保護者向けの所見を入れていきます。そして,最後の欄は指導要録の行動の記録で,このクラスの担任の先生に,現在,ロール・プレイングをした子供たちに丸を付けるとしたらどこが可能かを聞き取り,丸が挙げられた項目を添付してきました。たった1回の授業では言えないことなのですけれども,授業と通知表の評価と,それから指導要録と,これらの整合性がとれるような記録を今後考えていく必要があるのではないかと思っております。
 最後に,ロール・プレイングを活用した道徳授業の評価について,これまで獲得された子供たちの道徳的なスキル,例えば道徳的場面における選択の傾向性が固まりつつある子供たちに,心情・判断・行為の3面に働き掛け,新たな道徳的なスキルの獲得をねらうということが,道徳の授業に,特に問題解決に向かって授業が進められるということに有効なのではないか。それによって,分かっていながら行動できない生徒の問題を解決し,どう振る舞ってよいか分からない子供の問題を解決することにつながるのではないか。パフォーマンス評価を活用する場合は,ルーブリック内にエピソードの視点を入れていく。この部分は子供たちの成長とともに,授業者の授業改善にもつながっていくのではないかと考えています。
 以上です。ありがとうございました。
【天笠座長】
 ありがとうございました。
 それでは,続きまして関根准教授より御発表いただきます。西野総括研究官からは,諸外国の道徳教育の例につきまして,資料6として資料を御提供いただいております。その中でも特に,韓国の事例について御発表いただきます。それでは,よろしくお願いいたします。
【関根准教授】
 国士館大学の関根です。よろしくお願いします。
 韓国においては,道徳科という教科として行われているのですが,どのような指導法,そして評価がされているかということについてお話ししたいと思います。大きく三つの柱でお話をしようと思います。まず,韓国の学習指導要領に相当するものは教育課程といいますが,その概略についてです。それから,指導法です。具体的にどのように指導しているのか。今日は韓国の道徳科で使っている教科書での指導法について御紹介したいと思います。さらに,評価は具体的にはどのように行っているのかということです。資料として道徳の教師用指導書を用いながら御紹介したいと思います。
 まず,道徳科の教科目標です。この資料は2012年に発表された道徳科の,すなわち学習指導要領に当たるものです。これをまとめますと,韓国の道徳科では,まず四つの価値の関係性に対する理解というものを基本に考えております。我が国の四つの視点に大変よく似ています。今回,我が国でも視点の順序が変わりましたので,日本と韓国での四つの枠組みは全く同じになったと言えるかと思います。
 それから,韓国の目標では,道徳的規範や礼節の学びというものが入っており,知識の学習も入っています。日本の場合は,知識という言葉は出てこないのですが,韓国では,教えるべき内容に関する知識の学びも重視しています。
 それから,「道徳の問題」という文言が入っています。これは,日常で起こる様々な生活上の課題及び現代的な課題に相当するものだと思います。これらに対峙(たいじ)していくということが目標に書かれています。
 それから四つ目として,認知的な側面,情意的な側面,行動的な側面,三つの側面から学習していく。これは先ほど示しました教育目標にも関わっています。
 次に,これは初等学校の内容体系を示したものです。韓国の場合ですと,初等学校の1年生と2年生は統合教科というものがあり,道徳と社会科が合体した統合教科「正しい生活」というものがあります。したがって,1年生と2年生には道徳科はありません。初等学校の3年生から中学校の3年生までが道徳科という教科になっています。また,日本の高校では公民科という教科があって,その中に「倫理」という科目があります。つまり,日本では社会科の中に「倫理」がありますが,韓国では道徳科の一つの科目として倫理関係の科目が設定されています。したがって,韓国では,初・中・高と一貫性のある道徳教育が行われていることが特徴になっています。
 ここでは,初等学校の道徳科の内容体系を示しました。これを見ると,3・4年生の内容,5・6年生の内容というように,2学年ずつに内容項目が整理されております。例えば,3・4年生では「インターネットのマナー」,5・6年生では「情報社会での正しい生活」などです。しかし,中1から中3までは,まとめて内容項目が示されています。例えば,「サイバー倫理と礼節」とか,「グローバル時代の我々の課題」などが3年間にまたがって設定されています。また,生命倫理や情報倫理などの現代的な課題が入っています。
 それから,特に中学校では,道徳的とは何か,そもそも道徳は何か,人間存在は何なのかなど,いわゆる高等学校の「倫理」に近い内容を中学校で教えているし,心理学的なテーマも多く扱われています。
 韓国ならではの特徴としては,「分断の背景と統一の必要性」「正しい統一の姿」などのように,分断国家としての韓国の課題,そして将来的には北朝鮮と一つになるための統一の問題も道徳科で扱われています。
 次に,実際に内容項目について見てみたいと思います。これは教育課程,学習指導要領における内容項目の初等学校5・6年生の中の,「私たち・他の人との関係」です。その中の「対話と葛藤の解決」という単元があります。「葛藤」というのが初等学校での日本語にはなかなかなじまないので,ここでは「争い」と訳しました。「対話と争いの解決」という内容項目ですが,まず前文があって,そしてその次に,丸1,丸2,丸3と小項目が並べてあります。このような書き方で貫かれています。
 この内容項目における表記には大きな特徴があります。まず1点目は,表記の仕方が到達基準で書いてあるということです。つまり,「ここまで到達すべきである内容」としての表現になっているのです。ここに,「争いの原因と対話の重要性を理解する」「長所・短所を分析する」があります。これらは,認知的側面での到達基準となります。それからもう一つは,「平和的な解決法を具体的に提示する」「提示できるようにする」とあります。これは行動的な側面での到達基準が書かれてあります。つまり,この内容までは到達してほしいという基準が内容項目に表現されているのです。
 それから,目標と内容と学習活動についてです。教師側から言えば指導だと思いますが,これらが一体になっています。追求する理解や心情,行動・態度を具体的な行動形態で明示されています。例えば「〇〇を理解し,〇〇することができるようにする」という,「何が分かるか」から「何ができるか」という,コンピテンシーの話題がありますが,まさにこの形態で書かれていると思います。
 それから,不明確で曖昧な表現が非常に少ないことが特徴です。評価をする場合に,不明確な言葉で規準が示されると,評価が非常に難しくなってしまうからです。例えばこれは,日本の前学習指導要領の「道徳」の内容ですが,ここには先ほどと同じような項目の内容が出ています。しかし,「謙虚な心をもつ」とか,「広い心」と書かれていますが,なかなか定義付けが難しいし,表現や評価は困難な表現だと思います。なぜなら,人の心の「謙虚さ」や「広さ」は人によって考えが異なるからです。ですので,内容項目ではこういう言葉はできるだけ少なくなっています。
 そして,認知的な側面,情意的な側面,行動的な側面から記述されています。
 次に,指導法について見ていきたいと思います。韓国の場合はまだ初等学校は国定教科書になっていますが,中学校は検定教科書になっています。初等学校もいずれは検定教科書になる予定だと聞いてますが,現段階では国定教科書です。ここでは「争いを対話で解決しよう」という単元を例に,教科書に沿って見ていきたいと思います。これが大単元だとすると,中単元は,丸1,丸2,丸3と展開しています。中単元の丸1というのは,「争いとその解決」,これを正しく知るということです。これは認知的な側面での学習の単元になっています。中単元の丸2では,「争いを対話で解決しよう」となっています。これは様々な読み物教材,これを中心とし,主に情意的な学習をしていくという単元になっています。そして丸3ですが,これは,「共に争いを解決していこう」となっています。ここでは解決の方法を探る探求活動,実践意欲を喚起するような,解決方法を探らせる単元になっています。したがって,これらは認知的な,情意的な,行動的な,各学習が展開される中単元になっています。
 大単元の下に中単元が三つありますが,その中単元自体もよく見てみると,小単元が三つずつあります。その中身も,認知的な,情意的な,行動的なというように,つまり一つの単元が入れ子型のスパイラル的な学習で,何回も反復しながら,しかも総合的に学んでいくという形態をとっていることが分かります。
 あと,一応教科書ではこういう展開になっていますが,実際の授業の中では,指導法については,教師の裁量に任されています。説話やディスカッション,モラルジレンマ学習などを臨機応変に使うようにと書かれています。
 次に,評価についてです。一般的に評価というと,判定・分類としての評価観と,それから成長・改善としての評価観がありますが,前者がよく批判される部分ですけれども,韓国の場合も改善に役立てるという後者の評価を重視していこうというスタンスになっています。
 基本的な評価の方法としては,まず目標志向的であるという点を指摘することができます。目標にかなったものを評価していくわけです。それから,妥当性の確保があります。これは評価する場合にも指導法と同じように,認知的な側面と情意的な側面と行動的な側面から総合的に評価していくということです。一つだけに偏るとこれは妥当ではないということで,三つの側面から総合的に見ていく。それから,信頼性と客観性の確保のためには,多様な評価方法を選択するようになっています。例えば,道徳的な知識・理解であるならば,筆記式の穴埋めや選択肢のテストを行います。道徳的な心情や行動については自己評価,相互評価,パフォーマンス評価などを使っています。あくまでも改善に役立てるということが基本的な方向性になっているわけです。
 実際に評価の手順はどうするのかということなのですが,まず1番目に評価する徳目を設定します。「正直」や「礼節」,「思いやり」などです。その徳目の設定に対して,次に到達基準です。韓国では成就基準と言います。いわゆる評価規準の設定です。目標に対して評価規準,到達基準をはっきりさせるということです。その際に,「内容+行動」という表現の仕方で評価基準が設定されています。その規準に対して,どれだけ到達したのか,それを設定するのが判断基準であり,評価基準になります。例えばこの例では,「節約する生活を実践する」という評価規準,到達規準がありました。それに対しては一番高次の評価基準としては,「公共のものを大事に使う」です。その次は,「自分のものを大事に使う」,そして,一番下は「物を大事に扱えない」という形で評価基準が設定されています。
 評価に際しては,様々な機会と場面の設定,多様な場面での評価,それから多様な機会での評価というものを原則としています。またパフォーマンス評価は具体的にはどのように行っているかというと,先ほどの「争いを解決しよう」という単元ですけれども,「争いの二つの側面について理解する」ということと,「民主的な対話を通じて争いを平和的に解決しようとしているか」という2点に関して項目を立てています。例えばここでは左側の,「理解しているかどうか」という認知的側面と,「平和的に解決しようとしているかどうか」という行動的な側面の二つを立てています。それに対して,段階的に5,3,1という形で数値化します。初等学校の場合には,数値化して評価する場合と記述式で評価する場合があり,選択は学校の裁量に任されているようです。ただし,中学校ですと,全ての学校では数値評価になっています。
 次に,評価ツールの設定について説明します。認知的な側面を評価する場合は,主に筆記式で行われます。主観式あるいは客観式のかたちで行われます。そして,情意的な側面についてですが,よくある批判として,「心の情意的な内面は評価することができない」というものがあります。韓国でも同じような批判や議論がありますが,韓国ではそのような情意的な部分の評価についても,自己評価や相互評価,あるいは面接法などを取り入れながら,できるだけ評価しようとしています。
  あとは,行動的な側面です。これは主に観察法,パフォーマンス評価などを使いながら,行動として表れた部分をどのように評価するかということに絞られています。
  具体的な例を少し紹介いたします。例えば,これは自己評価のツールです。二つの観点がありますが,それについて自分はどう考えるかということで5段階によって評価しています。
 また,これは実際に現場で使っている自己評価紙です。ソウル市立九老初等学校というところで頂いたものですが,それを訳したものです。
 それから,これは「評価基準案」です。教員としてどのように評価すべきか,こういうものをインターネットのサイトで先生たちが自由にダウンロードして使えるような形で準備されています。
 以上ですが,今までお話ししたことをまとめると,まず一つ目に言えることは,韓国の道徳の場合には,目標と内容と子供たちの活動,先生から言えば指導ですけれども,評価と一致するように,目標からしっかりおりてくるような形で整理されているということです。つまり,学習指導要領に忠実に,目標と内容を児童・生徒の活動形態に落として,それを評価と一致させるような工夫をしているということです。
 それから,二つ目は,評価をする際には,認知的,情意的,行動的な側面という,総合的なかたちで指導した上で評価をしています。つまり,指導法も評価法も認知的,情意的,行動的の側面から総合的にアプローチしようとしていることになります。これまで,日本の道徳教育は心情主義が主流であったので,評価に関する批判もその心情的なものだけがとりあげられて話題となっていたのですが,総合的に指導したり評価したりするという観点は,我が国にも示唆される点が大きいと感じます。
 それから,三つ目として評価基準,つまり,到達基準をはっきりさせるということです。しかも「内容+行動」というかたちで設定しているということです。つまり,授業者たちが分かりやすい形で評価できるように工夫しているということが言えます。
 そして最後に,様々な評価方法を組み合わせ工夫して評価している点です。認知的な面は主に筆記式で行い,情意的な側面は,これはなかなか目に見えない部分ですので,子供たちの自己評価や相互評価等を活用しながら,目に見えない部分もできるだけ把握していこうという工夫がされています。そして,行動的な側面には,パフォーマンス評価などを積極的に取り入れています。
 韓国の場合は,70年代,80年代はどちらかというと注入的な道徳教育が主流でした。しかし,21世紀になってからは,少しずつ道徳教育に対する本質的な研究が進められるようになってきました。以前の注入的なものから,「考えさせる道徳教育」へ,「教科としての道徳教育がどうあるべきか」,「教科のアイデンティティーはどうあるべきか」ということが随分研究されてきています。1973年に教科になってから,約40年以上,教科の歴史がありますが,21世紀になり,教科アイデンティティーというものを重視しながら,より本来の姿に近付けていこうという動きがあります。
 以上です。
【天笠座長】
 ありがとうございました。
 それでは,続きまして,本会議の委員でいらっしゃいます髙木教授に,御専門でもありますこれまでの指導要録の改訂と学習評価の変遷について発表をお願いします。
【髙木委員】
 私の専門は教育方法学で,特に授業研究を中心に行っておりまして,その中でも評価についてお話をしたいと思います。特に,日本の学校教育の一般的な評価というのは,指導要録,これは児童生徒指導要録というのが正式ですが,そういったことから出ています。今までどのように変わってきたか,そしてその中のポイントを文部科学省の資料を使いまして御説明をいたします。
 一番初めに出てきたのが昭和23年です。ここで一番問われたのは評価の客観性です。そこで,相対評価,特に集団に準拠した評価で,簡単に言ってしまえば5,4,3,2,1でパーセントを付けた評価を行ったというのが戦後教育の始まりです。それは戦前の認定評価という非常に主観的な評価に対するものであり,ここで公平性を担保する客観性ということが出てきました。
 そして,昭和36年も同じように,絶対評価を加味した5段階相対評価という,融合的な評価が出てまいりました。
 昭和46年,相対評価というのは,基本的に5は7%,4は13%,3は24%と決まっているのですが,正規分布でなくてよい相対評価が可能になってきたというのがこの時代です。それが学力観の変遷の中で,時代に合わせて,柔軟に評価の在り方を変えていこうという考え方になったからだと思います。
 そして,昭和55年に初めて観点別学習状況の評価が導入されました。実はこれは昭和52年にゆとりと充実,個別化・個性化という学習指導要領ができたために,それに合わせて,観点,特に関心・態度というものを大事にするということで,この辺りから観点別評価が出てまいりました。これ以降,恐らく今日もこれが続いているのですが,一般に言われる興味・関心と,観点別学習状況の評価としての「関心・意欲・態度」というのが混同されていて,興味・関心を関心・意欲・態度だという考え方がとられてきたということが学校教育の実践の中でかなりあると思います。
 そして,指導要録で,小学校は3段階,中学校は5段階の評定という形になりました。実は平成元年にかなり学力観を変えていこうということで,そこでも今まで以上に観点別学習状況の評価ということを重視するようになりました。そして,そこで出てきたのが4観点,今の基になっているものですが,関心・意欲・態度,思考・判断,技能・表現(又は技能),それから知識・理解,この4観点です。特にこのときに関心・意欲・態度が大事だから,4観点のうちの一番上に置こうということが決まりました。関心・意欲・態度の重要性ということがこのときから特に強調されるようになりました。
 そして,このときに関心・意欲・態度という,これが情意面の評価ですが,それまでの評価というのはほとんどが認知面の評価,知識理解を中心にしてペーパーテストで評価するという形のものを,この辺りから変えていこうということで,そこに出てきたのが評価の客観性という,評価の公正性と公平性が大きくそこに関わってきたということになります。
 次に平成10年についてです。平成3年のときには学校教育の中に,教科外に生活科が入りました。平成10年の学習指導要領は総合的な学習の時間を入れまして,そこで初めて目標に準拠した評価(いわゆる絶対評価)となりました。文部科学省は「いわゆる」という言葉が好きなのです。今回も「いわゆるアクティブ・ラーニング」となっています。これには,気を付けなければなりません。「いわゆる」という言葉です。ところが,当時のメディアを含めて,これが絶対評価と言われてしまったために,かつての認定評価であるための絶対評価と,ここで言っている目標準拠評価の混同がかなり大きく起きました。この目標準拠評価というのは,簡単に言ってしまうと,日本の独自の評価であると私は考えています。クライテリオン評価とか外国のいろいろな似たような評価がありますが,この目標そのものは,学習指導要領の目標と内容,更に言えば指導事項を対象にしている評価であり,繰り返しになりますが,日本の独特な,日本のオリジナリティーがここにあると評価しています。
 さて,13年の指導要録では,特にその前,平成8年,1996年に「生きる力」がPISA調査の4年前に出ております。PISA調査と同じ内容を日本の方が早く出しているのですが,それに合わせて,「児童生徒の学習と教育課程の実施状況の評価の在り方について」という答申が出てきます。ここで目標に準拠した評価,いわゆる絶対評価の一層の重視ということが出てきます。さらに,個人内評価を行うということもここで出てきています。ただ,そこで一番ポイントになるのは児童生徒の一人一人のよさや可能性,進歩の状況を積極的に評価することです。一人一人の子供たちを重視するということが出たのが昭和52年の学習指導要領ですが,その後20年ぐらい掛かってここまで到達してきたという状況です。
 そして,観点別学習状況の評価で,各教科の目標の実現状況ということがここで出てくるのです。到達でも達成でもなくて実現状況です。割と評価のときに安易に使いますが,到達という言葉をよく使っているのはブルームの評価論で,そちらへ戻ってしまうのですが,あくまでも実現状況を見ていこうということがここでのポイントになると思います。そして,この平成13年の評価では,少し整理され,関心・意欲・態度と思考・判断と技能・表現と知識・理解になりました。そして,その実現状況ということがポイントになると思います。これは今回の指導要録にもこの実現状況ということはいまだ継続されている言葉です。
 そして,平成13年の指導要録は,指導に生かす評価です。要するに,指導と評価の一体化です。最初,学校現場ではなかなかこの意味が分からなくて,何を指導と評価と一体化するのかということですが,ここに書いてあるのは,評価は学習の結果に対して行うのではなく,学習指導の過程における評価の工夫をより必要とするということです。これは実は学力観に関係しています。いわゆる勉強ができるということをずっとペーパーテストに頼ってやってきたことに対して,授業の中で評価する。授業の中で評価するというのは,そこで値踏みをするわけではなくて,学習者をより生かしていく,より支援していく。そういう形の評価がここで出てきたのです。評価規準という用語がここで出てくるのですが,よく言われるのが基準と規準ということで,先の方に規準と書いてありますが,これは質的な面に関する評価です。ですから,学習指導要領の指導事項というのは数値で表されていませんので,あくまでもそれは質的な評価です。それに対して評価基準というのは量的な評価です。要するに数値で測ることができるものです。ですから,今,実は,数値で量ることができないのです。ということは,前の5,4,3,2,1の評価,5,4,3とかいうことが実はできないのですが,評価の総括というところで,評定というところでその自己矛盾を今は少し起こしていると私は思っています。この平成13年の評価は,A,B,Cの評価です。要するに質の評価ですから,5,4,3,2,1ではなくて,A,B,C,Dを基準とした評価であるというのが平成13年の評価になるのです。
 そして,この平成13年の評価は,学習指導要領の各教科の目標に照らして実現状況を総括的に評価していくというものです。それが今度は数値に表して,これについて実は私は評価の論理としてはちょっと自己矛盾を起こしていると思っておりますが,3,2,1というのが妥当であるかどうか。このときはそういったものになったわけです。中学校は併せまして,5,4,3,2,1という形で行われています。
 指導要録の記述,評定という形になりますが,学期ごとに評価を総括して評定する。だから,評価の総括,これも総括的評価というとブルームの話になりますので非常に気を付けていきませんと,総括的評価と評価の総括は違うということです。今は評価の総括をしているんだということで,丸1,丸2という形でそこに示されています。
 評定についてですが,先ほどのところで言うと,低学年が3,2,1,中・高学年で5,4,3,2,1になりました。さらに,所見がこのときから出ていて,個性を生かす教育に一層役立てる。これは先ほど出ている個人内評価というところにもつながりますが,ここの段階では所見ということで示されています。
 そして,平成13年に,国立教育政策研究所で初めて評価基準をどうしたらよいかというので,参考資料が出ました。そして,平成22年に,初めて目標に準拠した評価となります。少し気を付けていただきたいのは,これは「(いわゆる絶対評価)」を取っています。ですから,今行っているのは,目標に準拠した評価ということになります。
 そして,4観点も変わりました。ただ,今回,この平成22年の評価で一番ポイントになるのは,学校教育法の第30条の第2項に示されている学力の重要な要素,この三つが出てきているということです。この観点別評価を平成22年に決めるときに,実は,主体的に学習に取り組む態度というのを,一番下にあるからこのままにしようかという話もあったのですが,先ほど出たように,かつて大事だから一番上にしたということで,一番下に持ってくると,知識・技能が一番上になってしまい,知識・技能を大事にしたと誤解されないように,今までの4観点を残しているということになります。
 そして,ここでも先ほどの実現状況ということが出ています。何をするかというと,学習評価というのは授業の改善や教育活動の改善ということ,そこが眼目であるということです。繰り返しになりますが,最初の会のときに私も発言したのですが,値踏みではないということです。
 そして,今度は,評価の観点です。今言ったことと関連付けますが,成績付けのための評価ではなくて,指導の改善に生かすということです。今までの評価は,どうしても成績付けのためという形になっていますが,そうではないのだということです。
 それから,観点別の評価は,昭和56年版からも出てきていることなのですが,児童生徒一人一人を見ていこうとするものです。ところが,なかなか一人一人を見る評価になりませんでした。どうしても集団の中で見ていくという癖が付いているので,30年たっても,なかなか一人一人を見るという評価が難しくなっています。
 そして,これが現行の指導要録の基になったものなのですが,中教審の児童生徒の学習評価の在り方についての報告で,これからの方向性ということで示されています。ポイントになるのが最初の後段で,評価基準や評価方法等,評価の計画も含めた指導計画や指導案の組織的な作成です。要するに,今まで日本の学校教育では,明治から指導案は教師一人で書いていたのですが,ここでは学校として組織的に指導案を書くというようなことが示されていることがポイントになってくると思います。
 そして,生きる力は継続であり,3観点も継続です。そして先ほど出た学校教育法第30条第2項,ここで三つの学力を示しています。その三つの学力から知識・理解,技能,思考・判断・表現,関心・意欲・態度ということが出てきたということです。
 そして,言語活動ということと思考・判断・表現の関係がその中に示されています。それは,言語活動は,思考・判断したことを,その内容を表現する活動と一体的に評価する観点,それを思考・判断・表現としています。だから,思考・判断・表現を評価するときには,必ず言語活動をそこで行わなければいけないということがここに示されています。ここはなかなか学校の方でまだお気付きでない学校も随分あるように感じています。
 そして,これが先ほど学教法第30条第2項と合わせた三つのそれぞれの観点,4観点をそれで分けたということです。まず知識・理解についてはこのようなことが行われる。それから,技能・表現は,引き続き技能で評価するということです。そして,問題は次の思考・判断です。思考・判断はどういう形でするか。思考力・判断力・表現力が児童生徒の身に付いているかどうかを判断するのですが,実はそれはここに書いてあるように,従来の思考・判断に表現を加えて示した趣旨は,この観点に係る学習評価,言語活動を中心とした表現に係る活動と一緒にしていくということです。だから,思考・判断・表現には必ず言語活動がないと,評価ができないということになります。
 では,言語活動とは何かというと,記録,要約,説明,論述,討論といった活動です。ですから,思考・判断・表現の評価をするときには,記録,要約,説明,論述,討論という活動がそこにはなくてはならないということになると思います。
 それをどのように見ていくかというと,今回も実現状況を見て,さらに,その思考・判断は全国学力学習状況調査の活用面で見るということです。そして,その思考・判断はその過程を含めて評価をするということです。そして,この観点,思考・判断・表現は内容と表現との活動を一体的に評価することということが示されています。
 やはり学校の現実の中で一番難しいのは,関心・意欲・態度です。それについても実は書いてあり,読んでいくと何を評価すればよいかが分かります。一つは主体的に取り組む態度です。関心・意欲・態度というのは,学習内容との関わりです。それから自らがそれに関わろうとしているかどうかです。だから,学習内容との関わりがなければ評価できません。ノートを出しただけでは駄目です。それから,宿題をやってきただけでは駄目です。もっと駄目なのは,目がきらっと光ったなどです。これは,関心・意欲・態度になりません。そして,取組状況ということをきちんと見なければならない。だから,評価の観点というのは実はかなり示されています。特に,教師が発言回数だけ見るのではないということです。さらに,他の観点に関わる資質や能力の定着に密接に関係する。だから,他の3観点の中で,その単元の最重点課題と関心・意欲・態度とは関わるということです。独立して関心・意欲・態度があるということではありません。そして,それを個人内評価として見ていくということが必要になってくるということになります。
 そのためには,今まで昭和23年には公平性ということを言っていたのですが,今回は妥当性と信頼性ということが評価において非常に大事になってきます。繰り返し,その妥当性,信頼性,そしてそれを組織として行うということが出てきています。
 もう一つは,なかなかこれも組織的に取り組まれていない状況があるということです。それから,保護者の方がかつて自分が原体験として受けてきた評定,5,4,3,2,1みたいなものの方が分かりやすいということで,どうしても,昭和20年代の評価を行っている状況があるのではないかということです。例えば,今も観点別評価だと,平均点は出さないことになっているのですが,いまだに全国の中学校では平均点を出していて,それは相対評価ですよという話も随分するのですが,なかなか自分の体験,経験の枠組みから出られなくて,評価が変わっているのだということが理解されていない状況がまだあるということです。
 そして,自己評価や相互評価は,児童生徒の学習活動であるということです。自己評価,相互評価ではなくて,評価は誰がするのかというと,あくまでも教師が行う評価であって,自己評価,相互評価は学習活動です。今の日本の評価ではそのように定まっています。それは変えて構わないとは思いますけれども,今はそのような約束の中で行われているのだということを最後に申し上げて私の発表を終わりたいと思います。ありがとうございました。
【天笠座長】
 ありがとうございました。
 5人の皆さんに,それぞれ中身の深い発表を頂きました。それに伴いまして,少し予定を変更させていただきたいと思います。終わりの時間は守るとともに,討議の時間をしっかり確保するため,当初,休憩を入れると言いましたけれども,その時間がなくなりましたので,引き続き議事を進めさせていただきたいと思います。
 次に橋本委員から提出資料がありましたので,橋本委員からその内容について御説明いただきたいと思います。
【橋本委員】
 世田谷区立池之上小学校の橋本でございます。よろしくお願いいたします。
 今日発表された先生方のお話には,共感する部分がたくさんありました。今回の「特別の教科」化の動きの中で,日本中どの学校でも学びの質が保証された道徳授業が当たり前に行われるようになるというのが大きな目的の一つだと思います。そのためには,学びの質を上げていくということは外せないと思っています。その中で問題解決的な学習ですとか体験を取り入れた学習というものが出てきていると考えています。
 学びの質を上げるためには,授業の前に行うべきことが必ずあって,それは指導の計画であり,評価の計画であると考えています。今日,お持ちして皆さんに見ていただいているのは,平成25年と26年の2年間掛けて総合初等教育研究所というところで道徳の時間の評価について取り組んだ研究なのですが,そこには,授業の前に準備することの提案が含まれています。今回,このように授業を変えていきましょうということと,今回の学習指導要領の改訂が出る前のものであるので,その方向に沿っていない部分はあるのですが,授業を作るという根本のところでは皆さんに聞いていただくものがあるのではないかと思い,今回,提出資料として出させていただきました。
 ポイントとしては,本日は御欠席ですが,脇田委員がカリキュラムマネジメントが大切だということをおっしゃっておられましたが,私は池之上小学校に勤務しており,学校長の方針に沿って,こういう教育をしていこうということを明確に打ち出した上で,道徳教育の全体計画の別葉,どの場面で,どのようにして各教科において道徳教育を行うのかという計画を立てています。別葉にして示しているのですけれども,かなり量の多いものになりますが,全職員で作ったその別葉の計画を基に,学校全体の教育活動における道徳教育を充実させるという提案と,その中で子供の道徳性,よさを見取っていくという提案が含まれています。それから,道徳教育全体での見取りを基に,道徳授業の子供の姿を見取っていくという提案も入っています。
 授業の中で何を考えさせるか,何を学ぶのかということをきちんともっていないと,授業はどんなににぎやかな活動をしていても学びがないものになってしまいます。授業の前に何を考えさせ,そのために指導方法はどのように工夫し,それをどの場面で見取って評価していくのかという指導の評価についても触れています。授業の抜本的な改革には必ず必要な論点であると考えていまして,これなくしては指導方法の良しあしは語れないのではないかと考えます。他教科では当たり前に行われていることですが,道徳では学校や教員によって差が激しく,文部科学省の御指摘のとおり,全体的には不十分な状態であると思われます。この間,柳沼准教授から道徳授業はつまらないというお言葉がありましたが,そこにもつながっていると私は考えています。ですから,抜本的に改革していくには,指導の計画,評価の計画をきちんともって授業を構成していくということは外して考えられないということを,聞いていただければと思います。
 研究テーマも,今回の改訂を加味する前からのテーマなので,少し外れているところもあるかもしれませんが,このようなテーマで考えさせていただきました。授業の質ということを,確かな学びという言葉に置き換えさせていただきます。研究所の研究テーマが確かな学びでありましたので,そのように捉えていただいて聞いていただければと思います。必要なものは学校の教育活動全体で行う道徳教育を確実に計画性をもって,しっかりと行うことです。それから,要となる道徳の時間の指導について,しっかりと指導と評価の計画を明確にすることです。これが確かな学びにつながると思います。そして学校の教育活動全体で行う道徳教育については,先ほど竹井先生からもお話がありましたけれども,道徳の授業以外でもたくさんの道徳教育を子供たちに行っています。授業の前後に行き当たりばったりではなくて,きちんとこの場面でこの指導ができるという計画を立てました。その学校によって重点内容項目が違ってきます。この事例では,当時の4-(1),規則の尊重のところの重点内容項目で取り組んだものの例なのですけれども,成長を見守って,努力を認めたり励ましたりする評価を積み重ねることで,その見取りを道徳の時間の評価につなげていくというものです。道徳の時間の評価に関しては,指導の計画と評価の観点を明確にします。これは指導の評価ではあるのですが,道徳性を培うためには,道徳科の確かな指導がなければならず,授業の深まりこそが児童の道徳性を育むという考え方からであります。
 小学校2年生の実践事例で,規則の尊重,公共心のことについて考えさせる授業です。「私たちの道徳」の「黄色いベンチ」という資料を使ったものです。縦軸に国語,生活,日常生活とあります。これは,学校教育活動全体や国語,生活,日常生活においても規則の尊重,公徳心に係る道徳教育しており,これは計画に基づいているということを示したものです。その中で,この3名の児童を例に,その学習の中での見取りを示しています。
 そして,これは平成25年度,26年度のものなので,そのときの解説では,道徳の時間は道徳的価値の自覚を含めることを目標にしておりましたので,価値を深める学習として,価値について理解を深めること,自分との関わりで価値を考えること,思いや課題を培うことという,学習に必要とされていた観点を縦に,それから,それを実現するためにどのような指導の工夫をして,どのような意図をもって指導の工夫をするのかということです。それから,評価の場面もしっかり計画を立てています。ですから,次の学習指導要領のものになりますと,ここも知識・理解,それから自己を見つめる,多面的・多角的,それから自己の生き方,四つの観点になっていくのだと思います。
 これは例ですが,道徳的価値についての理解を深めるための学習を大きくしたところです。このような意図をもって,このような指導の工夫をします,そして授業をしながらこういうことの話合いで期待する具体的な姿を児童の姿として表現して計画を立てており,どのような姿を目指しているかを明確にしています。では,評価は何でするのか。話合いや板書で行っていくということを示しています。
 その計画を基に授業をし,それを考察したものです。思いや課題を培うというところは,自己の生き方を考えるということと大きく関連してくるところだと思うのですけれども,話し合ったことが,登場人物,資料の中,教材の中の人物についての議論で終わっていては,やはり道徳の時間の目的を達しないと思うので,自分がどうだったかということをしっかりと振り返らせるために行った工夫です。
 これは,先ほど3人の抽出児童の姿を一覧表で示したものですが,その中のT児の例でお話ししたいと思います。生活科で公共心に関わる指導をしたときに,町探検で公園やおばあさんや赤ちゃんもみんなが使うものだよと,授業を深める発言をしましたので,それを記録しました。それから,国語の図書室を使う学習では,図書室の整頓のことを私は指導しましたが,T児は整頓をしませんでした。「T君,整頓しようか」と声を掛けたら,1冊だけ本を直しました。私が「よく頑張ったね,次の人,気持ちいいね」と声をかけると,うれしそうにしていました。それも姿として記録をしました。それから,道徳の時間で家族愛の指導をしたときには,T君のおばあちゃんは亡くなっているのですが,おばあちゃんが大好きでとってもかわいがってもらい,泣きながらおばあちゃんの愛情について振り返っていたという姿がありました。そして,今回の指導の本時になります。このT児は,他人の気持ちを考えるときは常におばあさんのことが最初に来るのだなという評価を私自身がしておりました。それはおばあさんのことしか気が付かないという評価ではなくて,おばあさん,高齢者のことを真っ先に考えるよさがあるということですので,それを認め,励ましていくことで他者の思いに気付くきっかけにしたいということです。これが子供たちの成長を願って伸ばしていこうとする評価の姿ではないかという内容の研究でした。
 道徳性は日々変容しながら成長していくものですが,先ほどから話が出ておりますように,努力を認める評価,それから励ます評価,その中で指導として大切にしなければいけないことは,この別葉を基にした道徳教育の充実と,道徳科の指導の充実です。それにはやはり指導の計画と評価の計画というのはどこまで考えさせるのかという計画,プランを持っていなければ,このような指導はできない,実りある授業は生み出せないということが今回の提案です。
 文科省の方から頂いた資料の中に,アクティブ・ラーニングの失敗原因という資料があり,興味深く拝見いたしました。自分はどのような指導方法をとっていたとしても,根本なるもの,建物で言うと分かりやすいかもしれないのですけれども,地上に出た建物がどんな建物かという議論ではなく,私が申し上げたいのは,地面の下です。基礎工事の部分を大事にする。つまり,きちんと計画を立てて指導し,評価の計画まで立てておけば,上の建物の部分はしっかり建つというお話がしたくて今日は持ってまいりました。私の提案は,地面の下の部分,授業が始まる前の部分,基礎工事の部分をしっかり行おうという提案です。
 アクティブ・ラーニングの失敗原因の話なのですが,そこにはやはり授業への準備不足,それから教師の過剰な介入,逆に介入しないことなど,三つほど,今回の話と関係することが出ていました。アクティブ・ラーニングを成功させるためにも,授業の基礎工事の部分はきちんと論じていかなければいけないと考えています。それが必ずや評価につながっていくと考えています。十分にお話しできたかどうか不安ですが,考え方の一つとして聞いていただきました。ありがとうございました。
【天笠座長】
 どうもありがとうございました。
 発表いただいた方に改めてお礼を申し上げたいと思います。
 これから,発表いただいた内容などを踏まえまして,委員の皆さんより発表者への御質問,御意見などを頂ければと思っております。その際,今日最初に説明がありましたけれども,資料1の論点メモを参照いただきながら,御質問,御意見を頂けると,より有り難いと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
【髙木委員】
 道徳を専門にしていない者からの発言ということで,先生方に御質問したいと思います。本日まで3回の会議が開催されました。私は道徳を専門的にしているわけではないですが,何回か会議に参加し,実践例がすばらしいと思います。素朴に,こういう実践例が日本中でたくさん行われているのかどうかということが気になります。現状は一体どうなのか。特別の教科道徳となった理由は,私はほかにもあるのではないかと思います。今の道徳がよいからそのままでということではなくて,これをいろいろな先生に毎日の学校生活の中でできるようにするにはどうしたらよいか,そのようなことをお伺いしたいと思います。
【天笠座長】
 どうしてもこういう会は,関係者の中で煮詰まって,先端の話が展開されるということが往々にしてあると思います。そのような点からも,髙木委員の御質問にどなたか答えていただける方,御自身のお考えでも結構です。橋本委員,いかがですか。
【橋本委員】
 まさに御指摘のとおりでありまして,私が今,申し上げたこともそうなのですけれども,授業の質として十分でないものの方が圧倒的に多いのです。体育部,算数部など,どこかの教科に入って研究をしていますが,道徳部に入って勉強している人間が圧倒的に少ないのです。それも広がらない一つの原因だとは思うのですが,各学校に道徳を専門に勉強している教員が一人もいない学校もたくさんあるので,どのように指導したらよいのか,学びたくても直接聞けないような状況はたくさんあり,授業の質としては十分でないという実態があると私は思います。ですから,何を考えさせるのかということをきちんと考えていかないと,今後も授業の質は上がらないだろうと思います。
【古屋委員】
 全国的な実践の状況ということは十分に把握していませんが,私の経験の中では,東京都の実践を見ると,相当,道徳の授業の特質を押さえた授業は充実はしてきていると思います。ただ,まだまだその実践の中には,国語の授業と道徳の授業の違いはどうだとか,あるいは登場人物の心情の理解のみに終始するような授業とか,あるいはスキル的なもの,エンカウンターやソーシャルスキルトレーニングのみを行うような授業も見られると思います。また,改善方法については,今,橋本委員がおっしゃったように,やはりまだまだ指導者の不足とか,校内研の充実なども足りないという実態はあろうかと思います。どうやったらよいのかというのが現場の悩みでもあろうかと思います。
 したがって,御発表いただいたような今後の道徳の授業を考えるような新たな視点も現場の方には大いに提供しながら,より一層,多様で効果的な指導方法を広げていくということが重要だと思っております。
【島委員】
 お二人の委員がおっしゃった通りだと思います。特に,授業を見ていても,どうしても教師が一方的にしゃべる授業,伝達型の授業になり,一方,子供たちも分かりきったことを言っているだけになっています。また,道徳の教材を見たときに,分かりきったことが書かれているとか,結論が書かれているといったことをよく言われるのですけれども,これは,行動と考え方という内面的なものとを分けずに,行動の直接的な指導が道徳の時間の指導であると思っている方がたくさんおられるので,分かりきっていることが書かれていると捉え,それを教師が言うだけで,子供も面白くないし,教師も面白くないという授業になってしまっているというのが現状ではないかと思います。
【髙木委員】
 私がいろいろな学校へ行っていて拝見している授業もほとんどそうです。せっかく特別の教科道徳になるので,小学校の先生は特に御自身の専門教科もないし,8科目全部やらなければならない。それから,今日の御発表の中で中学の教科担当みたいに道徳をされていた実践事例も出ましたが,ほとんどの中学ではそうではないので,そのような中で,どのように全ての先生方がきちんと学習指導要領の内容として出てくるものを授業として毎日の中で実践できるかということを考えておかないと,評価につながっていかないと思います。余り難しいことを示してしまうと,それは私はできませんという方がいっぱいできてしまい,広まらなくなるので,いろいろな方が,これならできそうだということを何とか知恵を絞って示すことができればよいと思っています。
【天笠座長】
 今の髙木委員の指摘は大切なことだと考えます。御承知のように,学校行事に時間を押されて,道徳の時間の時数の確保自体がなかなかままならないような学校が厳然とこれまで存在していましたし,今も存在している可能性があるのではないかと思います。授業の方法や評価などの観点からその在り方について議論を深めることは,それはそれで当然大切なのですけれども,やはりどちらかというとマネジメントや組織運営の観点から道徳の在り方について議論を深めていく必要があるのではないかと思います。
 そういう点では,カリキュラムマネジメントということが提起されてきておりますので,委員の方から,学校の組織運営と道徳の授業の時間の確保の在り方,授業の質の維持の仕方などの観点から御発言いただき,そういう文脈の中に新たな今回の展開ということも意義付けたり位置付けたりしていただけるとよろしいかと思います。
【島委員】
 マネジメントについては,校長先生の,道徳についてきちんと本質を理解してやっていくという思いが一番大切になってくると思っています。
  また,今回の教科化に当たって,現場の先生方には,道徳科を要として,教育活動全体を通して道徳教育を行い道徳性を養っていくという考え方は変わっていないが,それに即した授業や実践がなかなかできてこなかったのではないか,だから,基本的な考え方は変わっていないのだけれども,授業や取組は大きく変えないといけないという話をずっとしてきています。授業改善を第一の課題とし,多様な授業を進めることは,とても大事なことだと思います。
 そのときに気を付けなければならないことは,授業の特質や本質を外してはいけないということです。内面にばかりになっているということですが,直接,行動そのものを指導するのではなくて,今後につながることを大切にする必要があります。行動そのものの直接的な指導をすることではないということは押さえておく必要があると思います。
  特に,問題解決的な学習や道徳的な行為に関する体験的な学習については,先ほど,課長のお話にもありましたし,資料1の中に,目標である道徳性を養うことに資するものであることと,道徳的価値の理解を基に自己を見つめ,物事を多面的,多角的に捉え,人間としての生き方について考えを深めるということ,ここが大事なんだということをおっしゃっていただきました。ここはとても大事にしていきたいところです。
 そのときに,先ほど最初に申しましたように,実践につながる方法というところのHowなのですが,そのHowを「どう行動するか」と捉えてしまうと,行動の直接的な指導になってしまうと思います。そうではなくて,「どう考えて行動するか」,その「どう考えて」にしっかりと焦点をもっていくことが大切です。これが道徳的な価値というものを真正面から捉えて多面的,多角的に考え,そして将来にわたっての様々な選択をしていくときの基になってくるものにつながります。その意味で,まさに道徳性や道徳的価値の自覚は,汎用的な力そのものであると私は考えています。
 竹井先生が御発表の中で,常にこういう心が大事なんだということを大切にしてきたとおっしゃっておられました。ここをやはり大切にすることが,道徳科における,いわゆる問題解決的な学習であるとか,道徳的行為に関する体験的な学習につながっていくのではないかと思います。
 例えば,子供たちはいじめに対して,偏見や差別をしてはいけない,といったことはもう分かっていると思います。でも,どうしていけないのか。それは同じ教室の中にいる,同じ人間として,一人が苦しい思いをするということは間違っていることなのだといった考え方や,一人の人間としてそれぞれの人に家族や支えてくれる人たちがいて,その人たちを悲しませることになる差別や偏見はいけないのだといった,いわゆる集団や社会の視点としての公正,公平の考え方など,そこをしっかりと捉えることが大切かと思います。
 竹井先生の命の授業においても,四つの授業がありましたが,全てにわたって,ねらいを,単に命を大切にするということではなくて,中身として,つながりやかけがえのなさなどを押さえておられます。そういう意味で私は,こういったことを大切にしながら,「どう考えて行動するのか」という部分をしっかりと捉えていくことが大事だと思います。
 そこで伺いたいのですが,松元先生の発表にあった,「裏庭の出来事」について,最終的に危険を回避するために友達を連れてきて一緒に行動する,これで終わってよいのでしょうか。どうしてそれをしようと思うのか,そこにしっかりと論点をもってこないといけないのではないかと思います。
 あるいは,渡邉先生が最後に感想を書かせており,いろいろな感想がありました。その中には,道徳的な価値に迫る自分の弱い心に負けないことが大切だ,ということが出てきていましたが,感想で終わっています。まさに,そこを授業として展開することが必要なのではないかと私は思います。そのようなことについて教えていただけたら有り難いです。
 それから,関根准教授にお伺いしたいのですけれども,韓国の場合には,我が国のように,日常生活においてどう行動していくことが大切なのかという,いわゆる自己決定,意思決定を図るような,「学級活動」に相当する授業というのはあるのかどうかについて教えていただけたらと思います。
【古屋委員】
 先ほど,天笠座長からお話があったカリキュラムマネジメントの件については,橋本委員のお話の中でもありましたように,各学校の推進体制をどう充実させていくかということが極めて重要なことであると思います。島委員からもお話があったように,校長によって変わるということがないように,全国の全ての学校で特別の教科道徳になった以上は,それを推進していく体制をどう整えていくのか。そのためには指導と評価の計画ということが極めて重要であろうと思っています。したがって,そういう視点でも何か提言をしていく必要があろうかと思います。
 それから,それぞれの実践を御発表いただいた先生方にお伺いしたいのですが,まず竹井先生の御発表で,評価の件です。ポートフォリオの評価がありました。特別の教科道徳,これまでは道徳の時間の評価,それから,道徳教育,つまり教育活動全体を通して行う評価と,この二つを分けて考えなくてはならいのではないかと思います。ポートフォリオのお話は,道徳教育の評価になっていくのではないかと思います。その点をどのようにお考えになっているかということをお伺いしたいと思います。
 それから,渡邉先生にお伺いしたいのですが,エピソード評価,とても参考になりました。短期エピソードや長期エピソードということで,すばらしい実践をされていると思いました。その中で時間が掛かるというお話がありました。これから評価を考えたときには,全ての先生方がそれほど負担も感じずに行えるということも重要です。これまでの御経験を生かして工夫できる点などがあったらお話しいただけたらと思っています。
 そして,関根准教授の御発表の中で,韓国における情意的側面の評価については,自己評価と相互評価が中心になっているというお話がありました。その後,評価の変遷の中で髙木委員から自己評価と相互評価については学習活動であるというお話がありました。ただ,道徳科の評価を考えたときには,自己評価,相互評価というものも,評価をする上での貴重な記録になるだろうと思います。その際には,どういう活用方法,活用の仕方をすればいいのかということについてお考えがあれば教えていただけたらと思います。
【樋口委員】
 私は特別支援教育の専門ということで参加させていただいていますが,「よりよい」ということについてです。よい,悪いということは一般の者にとっては自明のものであり,言うまでもない価値のように思えるのですけれども,この「よりよい」ということが,発達障害のある,特に自閉症圏の子供にとっては非常に分かりにくい価値観だと思います。
 韓国では,どちらかというと価値観をある程度教える時期があると受け取りましたが,例えば,対話を通した平和的な争いの解決方法とあります。平和的に争いを解決することの方がよりよいものであるという理由,なぜけんかや武力による解決よりもよいのかということをどこかで教えなければいけない。指導しなければいけないという気がしています。ですから,発達の遅い,特にコミュニケーション,人間関係能力の発達の遅い子供には,一般の子供であればいつの間にか身に付けていくことを,きちんと言語的に説明ができる,理由をきちんと説明しながら教えていく段階がないと,よりよいか,より悪いかの判断も付かないのではないかと思います。そういったよさ,悪さのあやふやなところから,どうやってよさの方に気付かせていくかということで工夫されている点があれば教えていただければと思います。
【吉田委員】
 貴重な現場の発表を聞きまして,大変参考になりました。特に3名の方々のお話を聞いていまして,アクティブ・ラーニングにしても,結局は質的な転換を図るには,道徳教育にまずメスを入れるとすれば指導法からしかないのでは,というように聞いておりました。指導法だけに終わってしまったら駄目でしょうけれども,切り口はそこから行かざるを得ないと思って聞いていますと,私なりに納得できるところもありました。それぞれの先生方のやり方が,全国の先生方にエピソード評価も始め,すべての評価を使えることをいろいろ提示していただいて,自由に使えるようなツールをどんどん出していただけるという意味でよかったのではないかと思っております。
 ただ,私の立場からは,どの先生方も,どうしていつも心,心と言うのかなと思いました。豊かな心,強い心と,いつも心ばかりに終始しているところが,私自身は「心理主義」という言い方をしますが,非常に不満に思っています。ついつい,広い心だったら何センチになったのですかと聞いてみたくなります。深くなるとは,どのぐらい深くなったのですかとか聞いてみたくなります。あやふやな表現が非常に目立ちました。これは現場の先生の特徴だと思います。
 その点,関根准教授から御発表のあった韓国の例は,参考になるのではないかと思います。要するに,そこの点は厳しくしていかないと,これから評価をするときに非常にあやふやな状態のところに評価を組み合わせると危険かと思います。そういう意味で韓国のその部分は学ぶべきであると思い,参考にさせていただきます。
 あと,髙木委員からの発言にあった,四つの観点別の評価というのは,ゆとりと充実から出発しているということはポイントだと思います。これから「ゆとり教育」からの脱却という形でやるのであるならば,その「ゆとり教育」の評価をそのまま残していってよいのかということです。特に,「関心・意欲・態度」という観点別評価の部分が,道徳の場合にも一番はじめに出てくることになると思いますが,他教科と同じように道徳にも当てはめてそれで本当によいのだろうか。道徳科には不適切ではないのかと思っています。そういう意味で,四つの観点別評価それ自体については,道徳の評価の委員が言うべき問題ではないですけれども,今後,他教科の中で四つの観点で本当によいのか,もう一度吟味しなければ,これから改革を進めていく上で,問題が生じてくるような気がします。
 また,橋本委員からも指摘がありましたけれども,道徳的価値の自覚とか,理解とか,深めるとか,道徳の専門家の人たちがいつも使う用語がよく出てきました。これについては,道徳を専門としない人たちから見ると,こういう言葉が出始めるとすぐに引いてしまうところがあります。例えば道徳的価値というのは,もし学者の中で討議すれば,英語で何と言うのか,と私だったらまず指摘しようかなと思います。道徳的価値という言葉がグローバル社会で本当に通用するのか。それを直訳した言葉として,「モラルバリューズ」という言葉を想定すると,本当に世界の言葉として通用するのか。つまり,自分たちの業界の用語を,いつも同じような言葉を何回も並べても,道徳教育の専門の方の中では通じても,そうでない人たちは,引いてしまうのです。だから,今日の発表の中で,髙木委員が,道徳的価値について「生き方」というわかりやすい表現をされていましたけれども,もう少しやわらかい表現をしないと,英語にもなりにくいような道徳的価値という言葉を何回言っても,議論が深まらないのではないかと思います。
 それと同じように,例えば公徳心の例を橋本委員が示されましたけれども,では高校で,これから公共という形で言葉を表現するのであれば,公共心と公徳心とはどう違うのか,道徳関係者だけが公徳心を使い,ほかの人が公共心を使えば,また話がうまくかみ合わないのではないかと思います。やはり自分たちだけで通じる言葉ではなくて,他教科を専門とする人たちにも分かるような言葉に変えていった方がよいのではないかと考えます。
 そういう意味で,私は道徳というのは最終的にこれから高校で検討される公共,あるいは,キャリア教育や主権者教育の問題とか,そういったものもすべて含めた形でつながっていくように小・中学校の道徳教育があればよいのにと思って聞いておりました。そういう意味で,もし何か御意見がありましたら伺いたいと思います。
  橋本委員が少しおっしゃっていましたけれども,私も,以前にも言いましたように,道徳教育というのは,内容がきちんと体系化されていないところがあると思っています。つまり,計画を立てて評価をするというのは,他教科のような形である程度系統化されてきた領域ならば可能ですけれども,不十分な状態で計画や評価をしても,ますますおかしなことになりかねません。そういう意味で,橋本委員の言葉で言うと,基礎ができていないのです。道徳は何を教えるべきかという根本の問い,何を根拠にして公徳心が出ているのか,何を根拠にして友情が出るのか。その最初の根拠が何もないのです。
 例えば,先ほど韓国の例として四つの区分がありましたけれども,これを構造化と言えるのか。この四つを構造化と言うのであれば,構造化という言葉をどう考えているのか,少し疑いたくなります。つまり,四つは単なる区分でしかないのです。だから,きちんと構造化していくには,これから私を含めた研究者がもっとしっかり研究しなければいけないのです。そういうことをきちんとできていないのをこれからやっていくということを大きな課題として,まず現状で指導のところからメスを入れていくというのは理解できます。
 最後に申し上げたいのは,やっぱり道徳は,何のためにあるか,目標,内容をもう少ししっかりと確認しないと,指導力や計画,評価につながってこないということです。一番はじめの例で,いじめだったら,いじめをなくす作戦ではなくて,なぜいじめはいけないのかという問いをきちんと出さないと,なぜ人を殺してはいけないのか,なぜ盗んではいけないのかという問いに全部共通してくるものは何なのかという,そこの深みが出てくるような問いをアクティブ・ラーニングでやれば,より一層深みのある授業になったのかなと思いました。
【橋本委員】
 吉田委員から観点についてお話がありました。知識・理解と,各教科等について四つの観点で評価されているところがありましたけれども,道徳の時間の学習では一体何をするか。吉田委員もおっしゃっていましたけれども,解説の16・17ページに四つ示されています。私の先ほどの発表と共通しますが,道徳性を培うために行う道徳科における学習として,こういう学習をしましょうということが書かれています。一つ目が理解,二つ目が自己を見つめる,三つ目が多面的・多角的,四つ目が自己の生き方についてです。こういう学習を道徳科ではしますと書かれていますので,それに沿った評価や観点ができないか,というのが私の考えです。
 それから,名人芸というお話が出ておりましたが,名人芸がなぜ名人かというと,自分が授業で何を深めたいかということを明確にもっているということです。問題解決的な学習が導入されたとしても,何を授業で考えさせるのかというものをもたずに問題解決の形だけまねしていたら,絶対に授業改善にはつながりません。竹井先生からもお話がありましたが,話合いが何を目指しているのかというのをしっかりもとうという点はすごく共感できるところであり,私の主張と重なるところです。そこが髙木委員からのお話にありました,授業の質を変えていくというところの根幹に関わる議論となりますし,評価にもつながると考えています。
 それから,どなたの意見ということではなく,伺っていて自分が感じたことをお話しさせていただきたいのですけれども,様々な指導方法を工夫するという方向性には賛成です。ただ,今まで登場人物のこととして,「この人はどう思ったと思いますか」といった発問をしてきたのには意味があり,ここは十分注意して問題解決的な学習を進めていかないと,これからお話しするような問題点が起こってきます。「あなたならどうするか」という質問を安易にしてしまうと,学級内の人間関係や力関係が影響して,発言力の強い友達と違うことが言いにくくなる。人間関係がしっかりしているクラス経営の中で行われるのであれば,きっと功(こう)を奏しますが,微妙なクラスもたくさんあり,そこに配慮をしていく必要がある。また,なぜ登場人物はどう思ったかと言わせているかということに関しては,僕はこう思います,ああ思います,こうしていきますと言った途端に,周りから「君,言っていることとやってることが違うじゃないか」と指摘を受ける授業の展開になっていく危険性が十分にあります。そのようなことも踏まえて,登場人物の気持ちを考える指導の方法があったということは,今までの研究を十分加味しながら,これからの在り方を考えていく必要があると思います。
 それから,心情を耕す授業から脱却する必要があるのではなくて,脱却すべきは何を学べばよいのか,どのように授業を深めるのか分からないということから脱却するべきということであって,子供の心情を耕すことは悪いことではなく,道徳教育でねらっている大切なことであるということは確認させていただきたいと思います。ただし,御指摘のとおり,国語の読み取りのように心情理解だけに終始していた授業があったことは事実です。そこの部分は改善していけるのではないかと考えています。
【天笠座長】
 いろいろな意見が出ましたけれども,それについて何か応答できるところについて,御提案していただいた先生方から御発言をお願いしたいと思います。限られた時間ですので,それぞれ1分でお願いしたいと思います。その中で,橋本委員に質問させてください。橋本委員の資料の中に,指導案が載っているかと思うのですけれども,授業改善を前提にしてここで検討を始めているわけですので,道徳の指導案としてこのスタイルでよろしいのでしょうか。お示しされた,先生のお名前の入った指導案について御意見を頂ければと思います。これは,変えていかなければならないという点はないのかどうか。指導案を変えていくということも,道徳の授業を変えていくときに大切な視点ではないかと思います。それでは,よろしくお願いします。
【竹井教諭】
 全国の先生ができることは,指導案の見直しだと思います。それから,ねらいを具体的にすることは,全国のどの先生でもできるし,1主題で終わりということでなくて,複数扱いというのも大事だと思っています。
 ポートフォリオの評価の御質問がありました。教師として「命」というのがどのように深まっていったのかということをポートフォリオにしますし,それが生活の中にどう生かされ,どのように生かしていくのかというポートフォリオ,この2面で評価する必要があると思いました。
 それから,あやふやだということについて,心というのは,内容項目をどれだけ理解できたか,自分なりにどう理解するのかということがすごく大事だと思います。それが膨らめば膨らむほど,未発達で繰り返し行われるほど生活につながるのではないかと思っています。生き方は,あやふやだと言われましたが,よさを見いだすことだと思っています。自分の中に,友達を大事にするよさとか思いやりがあるんだということを発見し,伸ばすことが「特別の教科」化では大事だと思っています。つまり,教えるのではなく,引き出すという評価です。指導の評価の中で,先生たちのスタンスを変えないと,教え込もうとか教えようというスタンスの方が大き過ぎると思います。そうではなくて,子供の中にあるよさを引き出そう,人間としてよいことはこういうことなんだということを,やはり多くの理想を重ねていく,そういう道徳の授業を実践していきたいと思っています。
【松元長期研修員】
 なかなか耳の痛い質問もありましたし,行動面の解決につながるような指導に対しての危惧についての御指摘も頂いたと思いますが,やはり今までの道徳の時間が悪いというわけではなくて,すばらしい実践もたくさんあると思います。そういうものも大事にしなくてはいけないのですけれども,また新しいスタイルを見付けるということが,大事なところではないかと思っています。
 校内研修でよく呼ばれる機会がありますが,私たちはどうしたらよいのですかとよく聞かれます。まずきちんと道徳の時間をして,普通の道徳の時間ができるようにしてくださいと言っています。それができて新しいこともチャレンジしてください。解説も出ていますので,そういうものを見て,新しいチャレンジをすることもとても大事ですけれども,足元が固まっていない状態で新しいことばかり目指すと大変なことになるかもしれません,というアドバイスはしています。
 それから,あやふやではないかという御意見がありました。ある種,よりよい生き方というのは哲学なのかなと思います。私も少し分からないところもあるのですが,そういう意味で言うと,「私たちの道徳」の中に格言が載っています。そのようなものを子供たちが知ることも大事ではないかと思います。
【渡邉教頭】
 五つの質問を受けたと認識しています。
 子供の感想を持ってまいりましたが,それは子供の変容を見ていただきたいという理由でした。特別の教科になれば,前の時間の感想から次の時間の学びが立ち上がるので,連続性が担保されると思っています。
 エピソード評価につきましては,時間が掛かりますけれども,これは教師にとっては得意分野の評価方法だと思っています。これに観点が付けば,幾らかは整理された形で指導と評価が一体化されると思っています。
 3点目の発達障害の子供たちについてですが,本校にも特別支援学級が2クラスありまして,道徳的な価値を含むスキルトレーニング等が有効ではないかと思っています。今のところ考えられるとしたら挨拶,マナー,ルール等ですが,私の学校では子供たちに副読本を使って読み聞かせなども行っています。
 それから4点目の心情主義であったり,業界用語であったり,基礎ができていないというのは,本当に耳が痛いのですけれども,学校教育現場のよりどころは学習指導要領です。ロール・プレイング一つ取っても,即興的なという文言が入ったということで,学校では役割を与えて動作化するという誤解を生んでいます。こういったところを熟読して取り組んでいます。
 最後に,「あなたならどうする」という人間関係なのですが,例えばロール・プレイングでいじめの場面も想定しています。いじめっ子役をした子供たちのロールを解除しなければいけません。こんなときに拍手をすることで現実とフィクションの中の想定された場面の切替えをするのですけれども,専門的だと言われそうですが,小学校と中学校が一緒に論じられてしまい,発達の段階が違うということを押さえない限り,中学校の道徳教育の改善は見込まれないと感じています。
【関根准教授】
 まず,島委員からの学級活動に相当するものはあるかどうかというお話ですが,韓国は特別活動と,それから日本の総合的な学習の時間に似たような時間,裁量時間というものが7・8年前までありました。ところが,今,カリキュラムのスリム化ということがあり,特別活動と裁量時間を合わせて,創意的な学習の時間という名称に変わっています。その中に学級活動的な時間がもたれています。
 古屋委員からは,自己評価と相互評価にはどういう活用方法があるのかというお話を頂きました。基本的に韓国でも,道徳の評価はやはり難しいという議論が随分とありました。ただし,見えない部分をできるだけ可視化し,客観的な評価をしていこうとしてきました。したがって,行動に表れた部分で評価していこうとしてきたわけです。教員の思い過ごしであったり,いろいろな意味で価値観を押し付けたりということを防止する意味でも,子供に自己評価をさせたり,お互いに相互評価させたりすることなどを取り入れていると私は解釈しています。
 樋口委員から,よさなど,知識的なものを教えているかどうかという御質問がありました。例えば情報倫理の授業ですと,まずインターネットについての功罪について教えます。インターネットは善でも悪でもないということについてです。それを使う人間がどのように使うかによって変わってくるということで,インターネットの特性について四つの視点から教え,その上でインターネットを使うときにはどうすればよいかを考える授業があります。したがって,今回の「特別の教科」化において私も注目しているといいますか,やはりそういう知識的な部分,今まで余り触れませんでしたが,現代的な課題を扱う場合にはわずかですけれども,そういう知識の部分を扱わないと,対応できないのではないかと私は思っています。
 吉田委員から道徳の内容や目標の体系化が必要ではないかというお話がありました。私は韓国の道徳を研究しているのですが,まさに韓国がやってきたことは40年間,道徳教育の学問化,体系化についての研究だったと私は理解しています。そういった意味では,今後,日韓でいろいろと参考にできる部分が多くなってくるのではないかと考えています。
【髙木委員】
 評価についてです。現行の評価に道徳が入っていないのですが,先ほど吉田委員からもありました,関心・意欲・態度は,これは実は非常に重要な評価項目で,関心・意欲・態度だけ独立しているわけではなく,他の観点に関わる重要な要素,要するに思考・判断・表現や知識・理解や技能,これに関係するものだということです。ただ,道徳ということで,この会議でも考えなければいけないのは,この会議は「道徳教育に係る評価等の」とあるので,道徳の評価を特別に考えてはいけない場所だと私は思っています。例えば道徳の時間だけいい子として振る舞い,時間が終わればいいかげんなことをしている子供がいたとすると,それは時間の中では評価できないということになります。そういうことを含めて,道徳の評価をやはり特別に考えていかなければいけないだろうと思います。他教科では学力を付けていかなければいけない教科内容等があります。道徳の教科というのはどこでその評価を判断していくか。何のために評価ということがあるのか。それから,初めに話題に出しましたが,全国でどれだけ授業がきちんとできていて,そこで本当に同じような評価ができるのか。そういったことも含めて,もう一度評価を考えなければいけないと思っています。
【橋本委員】
 指導案の形式に関してです。これはこの時点でよいだろうと思って書いた指導案なのですが,形式に関しては,自分はこれがいいと思って出したものではありません。これから改善の余地があると思っています。ただ,自分のこの指導案の中で外して考えてはいけない部分,これからの改善に対して必要なものというのは,学校全体の道徳教育がどんなものであったか,それが本時にどう生きているか,どう関連してきているかというものを示している点です。また,話合いの中で何に気付かせようとしているか。その発問はどういう意図で行っているかということをきちんと表記しているので,それは指導と評価の一体化につながるものなので,それをきちんと示している点に関しては提案となると考えています。
【天笠座長】
 どうもありがとうございました。
 お約束の時間が迫ってまいりました。今日はそれぞれの委員の方,おいでいただいた方から,いろいろ貴重な御発言,御発表,御提案を頂いたことに改めてお礼申し上げたいと思います。時間が足りなかったところがあるかと思いますので,後ほどペーパー等でお願いできればと思います。
 発言いただいたことは,また次の会にもつなげていくというような形をとらせていただきたいと思います。今日は終わりにさせていただきたいと思います。
 意見,お気付きの点がありましたら,事務局の方に御連絡いただければと思います。よろしくお願いいたします。
 次回以降の会議の日程につきまして,事務局より御説明をお願いいたします。

○ 事務局から,次回以降の会議の説明

【天笠座長】
 本日はここまでにしたいと思います。長い時間,どうもありがとうございました。
── 了 ──

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初等中等教育局教育課程課第1係

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