資料3 「道徳教育の充実に関する懇談会」前回(第8回)の主な意見

1. 教材・教科書の取扱いについて

○ 教科書検定制度を前提に考えると、道徳を教科にするのであれば、教科書を用いないということは基本的にはない。また、「心のノート」を国の著作教科書として位置づけることも望ましくない。
    検定基準の設定においては、諸外国の例を参考に、多様な価値観を認めつつ望ましい価値へと探究を進めていくという方向性であれば問題ない。
    原則として政治的・宗教的中立性を担保しながら、教育基本法、学習指導要領の趣旨に基づいた教科書検定制度を確立していく必要。

○ 道徳の教科書は、いろいろな出版社が切磋琢磨し、よりよい教科書を作っていくという教科書検定制度の趣旨に合致させてやっていくべき。
    道徳的な価値観は、多様化が認められていいものではない。日本人として、生きていく上で絶対に外してはいけない価値観を、教科書の中できちんと示していく必要。

○ 検定教科書を支持したい。これまでは、「心のノート」が考えさせる課題、民間の副読本が読み物というすみ分けがあったが、今回改訂で「心のノート」が両者を兼ねるため、民間の副読本が余り使われなくなり、「心のノート」の国定教科書としての性格が強まることになる。民間の事業者が作成し、価値観の多様性がより反映される検定教科書制度の方がよい。

○ 教科書会社にとって、道徳の教科書は、新たなマーケットとしてパイを奪い合う熾烈な競争が始まる。内容が良く、魅力的で、先生が教えたくなる教材開発に結び付く。民間の活力に期待したい。

○ 検定の方法として、メディアの有害情報の規制の問題と似ている。メディアでは、行政や業界から形式的に独立した第三者機関が有害性を判断しており、道徳でも、こうした方法が検討対象となるのではないか。

○ 「道徳の時間」に行われる指導については、教科書に当たるものをもって指導する必要。現在の副読本を教科書のような形で認めていくことが、学校現場を考えたときに入りやすい形ではないか。
    「検定」という言葉は一般的にも強いため、「教科化と同時に教科書化していく」という考え方が素直。

○ 副読本を検定教科書化することで、現在副読本を採用していない学校も、そうした教材を活用した道徳の時間の確実な実施が担保される。
    これまでも郷土資料と副読本を併用する中で、各学校や担任が子供たちの実態にふさわしい教材を選んできた。副読本が学習指導要領の内容項目に書かれている価値観をベースに、長い時間とエネルギーをかけて吟味されてきたことに鑑み、検定に左右されることはないと感じている。

○ 副読本を作る民間の教材会社は、一つの資料を探すのに500~600の資料の中から選んでいる。民間の力を借りて、多様性を担保することが必要。ただし、たくさんの価値の中で、これから生きていく日本人としてどこに重点を置いて教えるかは、現場の先生方にとって悩ましい問題。

○ 教科書検定においては、準拠性、正確性、公正性が重要。特に、政治・宗教の扱いや、取り上げる題材の選択・扱いに公正性を持たせるかどうかは大きな問題。

○ 要となる「道徳の時間」の指導が必ずしも十分ではない。教えやすく学びやすい教材があった方がいいが、副読本の購入のため、家庭に相当な負担を強いている。「道徳の時間」の指導を充実する観点から、無償の教材を提供することが大事であり、その場合、検定教科書が最も相応な対応。
    教育再生会議の提言では「多様な教科書」の部分が実現できなかった。今回の教育再生実行会議の提言と併せて、教科書を入れることがこれからの道徳教育充実の大きなポイント。その際、「心のノート」の要素を大事にし、単なる読み物資料の羅列にとどまらず、子供たちが自省や振り返り、記録を継続できる形が望ましい。

○ 検定の考え方として、学習指導要領の準拠性、政治的・宗教的な中立・公平性、記述の正確性という基本に立ち返るべき。その範囲で、学問的、学術的、教育的、専門技術的な観点に限定した、出版する側の自由な発想・創意が尊重された検定である点について、国民の理解を得る必要。

○ 「特別の教科 道徳」という形で教育課程の中に明記すべき。これを通して、特質を生かした自由な在り方が多様に考えられてくる。
    授業の充実のためには、しっかりとした教材の確立が必要。生活科を創設した際も、教科書を作るかどうかが議論になったが、教科書を作ったことで生活科の位置付けや性格が理解され、指導の充実につながった。先生方が開発した教材や地域の教材を財産として活用し、例えば3分の2は年間指導計画の中に位置付け、3分の1は学校の独自性を生かした指導を可能とするなど、「特別な教科」である意義を明確にしていくことが必要。

○ 教科書検定における準拠性や公平性、正確性は、学問や価値観として共通認識があるものには適用できるが、明確な基準のないものに対しては適用が難しい。基本的な価値観を押さえた検定ができるのであれば、検定教科書は学習にとってよいものとなる。

○ 学校現場では、副読本を主たる教材とし、「心のノート」は学校教育全体を通して行う道徳教育の副教材として使われている。数編の読み物資料を導入すれば「道徳の時間」の教材になり得るわけではない。これまで副読本を編集してきた方々の知恵を借りながら、道徳的価値の自覚を深めることをねらいとした「道徳の時間」にふさわしい教材作成が重要。

○ 「心のノート」は、学校の教育活動全体における道徳教育を担保していく趣旨で作られたが、今回の改訂で道徳的な教材の色彩が強まっている。検定教科書と「心のノート」を併用すると、同じような教材の並立により教育現場の混乱が予想される。「心のノート」は存続させず、検定教科書のモデルのような形で位置づけることが必要。検定教科書を主とし、副読本として「心のノート」などを使用するという方向性も考えられる。

○ 検定教科書が出るまでには何年も時間がかかるため、その間の当面の措置として、改訂した「心のノート」を活用するのがよい。

○ 「心のノート」は「学校の教育活動全体を通じて行う道徳教育」を推進するための教材として残し、家庭・地域との関わりの中で活用していくとともに、「道徳の時間」でも活用できる形にしていく必要。

○ 検定教科書と「心のノート」を併用していくことが望ましい。ただし、これまで副読本を採用してこなかった地域や学校にとっては、教科書の購入という財政的な問題が生じる。教科書に関しては国がしっかりと保障するようお願いしたい。

○ 現在の教材・教科書は、教師の指導書的な性格が強いが、「心のノート」は学習者の関わり方を保障しているところに特質がある。
    インターネットなどの情報処理ツールの普及の中で、教材・教科書も「与えられるもの」ではなく学習者が「作り上げるもの」とする考え方が出てきている。今後ウェブ教科書のようなものが作られていくことを視野に入れた検討を行うことが必要。「心のノート」もこうした学習スタイルを保障するとともに、道徳を核とした各教科との関連を明確に位置付けることで、活用の必然性や重要性が見えてくるのではないか。

○ 改訂する「心のノート」については、教員も大きな期待をしている。
    民間出版会社が作成している副読本は、学習指導要領に準拠し切磋琢磨して研究されている。これを「教科書に準ずるもの」という形で捉え、認めていく方向がよい。

○ 「心のノート」と道徳の教科書はどちらも必要。「心のノート」については、教科書の枠ではない形での予算措置を検討いただきたい。
    教科書ができるまでの移行措置として、副読本をしっかり使い、「心のノート」も併用していくべき。その際、「調査検討」という形での補助は可能ではないか。移行期間の対応も学校現場の意識を規定することになる。「心のノート」を自己形成ノート的なものとして位置付け、子供たちが活用できるようにしていくことが必要。

○ 道徳教育の要として用いる教科書ということを考えると、他の領域や学校の教育活動全体の中で道徳教育をどうするかという前提に立ったものである必要。新たに作られる検定教科書の中に「心のノート」や副読本の要素を組み込んで、充実させていくという方向性が実質的なのではないか。

○ 「心のノート」をモデルに道徳教科書を考えるのは無理なこと。「道徳の時間」は内面化を図るものであり、「心のノート」は内面化されたものを日常生活の中で追究することがベースにある。今回の「心のノート」の改訂では、「道徳の時間」と他の教育活動との響き合いを意図している。「心のノート」と響き合えるような教科書を作り、トータルとして道徳教育を充実させることが望ましい。

2. 新たな枠組みによる教科化について

○ 道徳の教科化といった場合の教科の考え方として、学習指導要領第2章の「各教科」の中に位置付けていく教科ではない。現在は第3章「道徳」の中に「学校の教育活動全体を通じて行う道徳教育」と「道徳の時間における指導」の二つがあり、後者を一つの教科として、第2章でいう「教科」とは違う教科の捉え方をしていく必要。

○ 道徳の教科化は時期尚早ではないか。現時点では「心のノート」の充実化と改訂を進め、その活用を通じて新しい道徳というものの在り方を検討していくのがよい。

○ 道徳教育については、実態として教育委員会でも余り深く議論がなされてこなかった。現場の先生方の意識を変えていくには、まだ少し時間が掛かる。
    ゆくゆくは教科化し、普遍的な考え方を織り込んだ教科書を作っていくべきだが、まずは改訂する「心のノート」を学校現場で定着させ、成熟度を高めていけるような丁寧さが必要ではないか。

○ 道徳は、学習指導要領の第2章の各教科と同じ「教科」ではない。第3章の「道徳の時間」が各教科に準ずるものである一方、学校全体の教育活動の中での道徳教育も大事にする必要。教科書も限られたものにならないよう、慎重に考えるべき。

○ 教科化の問題は、資料2-1の考え方で進めてよい。教育再生会議で指摘された「徳育を従来の教科とは異なる新たな教科と位置付ける」という内容とほぼイコール。中学校においても学級担任が指導するところが、他の教科と異なる点。

○ 数値による評価はしない、学級担任が授業を行うという形式面や、「道徳の時間」を要とし、他の教科・領域との補充・深化・統合を図るという目的面のいずれにおいても、道徳は「特別の教科」としての性格を持たざるを得ない。

○ 社会に生きる人としての基本的な在り方を学ぶ機会として、社会や家庭が機能していない中、学校はそうした教育を受ける上で、公平性・確実性のある場として重要。教科化によって、教員や教材の質がかん養されるのであれば、それは非常に重要なメリット。

○ 道徳を教科化する場合、現行の教科カリキュラムの中に「特別な教科」という形で位置付けようとしても、一般化しにくいのではないか。教科カリキュラムではなく、教科外を統合するようなコア・カリキュラムのような新しいアイディアを出す必要。教科とするならば、陶冶と訓育の2つの側面が入らなければ、教科としての性格は保ちにくい。「道徳」という名称にこだわらず、道徳の内容も含めた教科的なものをコアとして位置付けるような新たなカリキュラム論の中で検討すべき。

○ 道徳の教科化が必要な理由として、家庭の教育力の低下がある。学校現場の過剰負担を考えると、道徳の目標・内容を明確化し、学校で教える範囲を定めることが必要。
    一方で、教科化をしないと学校が真剣に道徳を教えないという問題もある。評価をされる側の子供の受け止めを丁寧に考える必要。

○ 私学において「宗教」を道徳に代えることについては、道徳を「特別の教科」のような枠組みで考えるのであれば、現行通り維持すべき。

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