資料2-1 「道徳教育の充実に関する懇談会」これまでの主な意見

1 道徳教育の現状・課題

○ 世界のどこの国にもモラルの教育はあるが、我が国では、歴史の中で経験してきた古い時代のいろいろな問題に妨げられて道徳教育を忌避しがちだった。

○ 道徳教育の実施状況調査で、平均35時間を超過しているというデータについて、実感としては怪しいと感じる。学生に聞いても、小学校、中学校のときに受けた授業の印象がほとんどない。

○  道徳教育は、教科書がなく、評価もないため、それぞれの先生の思いで指導が行われてしまう傾向がある。校内研修を行って切磋琢磨(せっさたくま)し、お互いの力を磨く機会も少ない。教材や指導資料も十分に行き渡っていない。実際に道徳の時間が他の授業に振り替えられている例も結構ある。

○ 現状のとらえ方が、道徳教育の問題状況を指摘する意見が主になっているのではないか。改善の取組として校長のリーダーシップが重要。

○ 道徳教育を含めた教育を学校単位の点として取り組む現状から地域のすべての学校が面として取り組み、成果を生み出しているモデル地域の事例に着目する必要がある。

○ 道徳教育を子供たちがどう受けとめて、それをどのように現実的に生かしていこうとしているのか、学習者の立場から考えていくような取組を入れる必要。

○ 高等学校における道徳教育を実践レベルで推進していくことや、幼児教育における道徳教育の充実も考える必要。

2 道徳教育の改善の方向

<道徳の意義、理念、目標について>

○ 国をつくる、維持するためにどういうことが必要か、自分の命、子々孫々に至る命を守り続けるために何が必要かを子供とともに考えることも大事なモラルの教育。

○ 道徳教育を学校でも家庭でも重視するのは、人間としての品性を高めて、品性の高い人たちの集まりの国を作るためである。

○  知・徳・体の重要性も、何のためかと言えば人間としてより良く生きるためというところに統合されるべきであり、道徳教育が教育の根幹でなければならない。

○ 道徳教育で大事にすべき点は、(1)命、生きること自体の尊さを基礎に、(2)よく生きる、あるいは、よく生きるとはどういうことなのかを自ら問い、考えながら、懸命に生きること、(3)よく生きようとする人々が、互いに協力し、共に生きることができる正しい社会の在り方を問い、あるいはその実現に参画していくこと、この三つをバランスよく実現する力を育成すること。これは教育課程全体の課題であり、全体の枠組みの中でしっかりと位置付けていく必要がある。

○ 道徳性の育ち、指導については、(1)子供自身の自己肯定感を育てながら、自己向上心に向けていくことが基本であり、(2)そこから周囲の人、世の中のいろいろな人への配慮、思いやり、共感、同情心が育ち、(3)そのことにより、社会の中の善悪、ルール、さらには具体的な行動のマナーを守る中で、自他の両立が可能となる、(4)その上で、世の中を良くしていこう、社会を素敵なものに変えていこうという志が育つと思う。そういった全体像を考えながら、教科化した場合に何ができるか、他の授業との関係はどうかなどについて考えるべき。

○ 発達段階に応じて、より広い社会性を獲得させるべき。内的な発達に応じて、外部環境が適切に変化していく必要があり、内的発達と外部環境の相互作用によって、自己と社会に関する新たな概念的認識が形成されていくこと、これが、今後の道徳教育において重要なのではないか。とりわけ中学生の道徳性を向上させるためには、特別活動や社会との交流など、外部環境との関係を真剣に考える必要がある。これまでの道徳教育においては、自分の心の在り方を考える個人道徳が主流あるが、発達段階が進むにつれ、個人道徳だけでは、本当の意味での道徳性を獲得することはできないのではないか。

○ グローバル社会だからこそ誇りを持って発信できる日本特有の伝統的な価値観について考えていくべき。

○ 生徒がいろいろな課題に直面する中で、武道など日本文化を支えるものとの技術的な関わりを通して、自分なりの自信と技術を習得しながら成長していくことが大事。

○ 自分の心が動いて自分で判断し、望ましい道徳的行為をするような子供を育てたい。

○ 道徳教育の目標が何かが明確でない。道徳教育とは何をもって身に付いたと判断されるかについて明確にする必要がある。仮に規範意識や挨拶、礼儀などがそれであれば、学習指導要領にそうわかりやすく書くことで目標を明確にすべき。道徳教育の目標は突き詰めれば物事の善悪の判断ができるようにすることではないか。

○ 学校のカリキュラムとして教科カリキュラムを前提とするのではなく、新たなカリキュラム論に基づいて道徳教育の性格と役割を明確にすべき。

○  道徳教育については、地域間、学校間、教師間の差が大きい。様々な指導法が提示されており、実態も多様なものになっている。例えば、道徳的価値を教え込むべきと考える教員もいれば、一つの道徳的価値について多様な考えを出させ、話し合う時間と考える教員、あるスキルについて行為としてできるようになることを重視する教員もいるなど様々である。道徳教育に関する理解の違いを修正していくことが必要。

○  道徳の問題を考える際、「多様性」が一つのキーワードになると思う。多様性を尊び、社会の一員としての自らを考える、人のことを考える、そういったことができるようにする教育の在り方を考えたい。

○ 最終的に子供たちにどうなってもらいたいか、子供がどのように育ってほしいか、その子供たちは本当に楽しんで学習をしているのかというところが、ずれていると感じる。この懇談会でギャップを埋めていくべき。

○ 道徳の時間というのが、どの学校でも当たり前に特質を生かして行われるようになってくるということが一番大事なこと。

○ 道徳教育はすべての教育活動の根幹にあることを明記すべき。教育基本法に教育の目的は人格の完成を目指すことになると明記されている。その人格の基盤が道徳性であり、道徳性を計画的・発展的に養っていくのが道徳教育である。

○ 道徳教育の意義と理念が、国づくり、人間形成として品性や徳目、社会的規範、善悪の判断などの訓育的側面から指摘されている。

○ 道徳教育の意義と理念については、社会的関与を基盤に自己の人間的資質形成の訓育的側面と社会・文化・科学等に関する学力形成の陶冶的側面を視野に検討する必要がある。

○ 個の人間形成に関連する価値観・思想については国家が関与するよりも個人の自己責任に委ねるべき。学習者の自己責任を教育の基本原理とすべき。

○ 道徳の目標、内容、方法、評価を貫いて考えていくことが重要。その際、「訓育」(態度形成的な領域)と「陶冶」(認識、知識、理解に関わる領域)が人間の本質に関わる側面としてある。また、方法論として、生徒重視の「学習型」と教える立場を重視する「教授型」がある。道徳の性格で言えば、訓育を核にして、教授する側面が非常に強い。これらを意識して、今後、議論する必要。

○ 理想的人間像の訓育的内容が目標として挙げられている一方、生きる上での葛藤、矛盾、苦しみといった人間の現実的な姿や関わりが全然見えてこない。それを解決していくよう、陶冶、認知的な関わりで対応していく側面も目標として挙げていく必要。

○ 道徳教育の目標は、一般の人が読むと、一体、何を目標としているのかほとんど分からない。何を目標とするのかを明確に記述する必要。それは、(1)善悪の判断を付けさせる、(2)規範意識を持つ、ルールを守る、(3)日本人としてどう生きるかという三つではないか。解説では、道徳的判断力は善悪を判断する能力などと書かれているが、きちんと学習指導要領に明確に書くべき。

○ 道徳教育の目標は、学習指導要領や解説を何回も読んで理解する現状であり、もう少し分かりやすい言葉になるといい。道徳の時間は、即、実践を目指す時間ではなく、道徳的実践力として、将来、出会うところを計画的にやっていくことが大事。

○ 道徳の目標の第一印象として、大変難しいと思った記憶があり、道徳という言葉がいろいろ出てきて、非常に国語力が試されている感じがした。道徳の時間の創設時、押しつけにならないよう、単なる生活上の経験の話合いに終始することにならないよう整理したのだと思うが、もう少し目標を分かりやすくしていく工夫はあっていい。

○ 道徳教育の目標と道徳の時間の目標の整理をどうするかという議論に尽きると思う。教育課程全体の中で道徳を考え、その中で道徳の時間、あるいは新しく教科とされていく道徳をどう位置づけるのかという議論は整理していく必要。

○ 学習指導要領の構造を単純化していかないと、社会的にも子供たちにも理解してもらえないのではないか。

○ 道徳教育の目標について、学校における道徳教育は教育活動全体の根幹に位置付くことを示して、こういう仕組みで道徳教育を行う必要があることを書く必要。また、道徳の目標や内容に加え、方法も一緒に議論してく必要。

○ 総則の道徳性とは、道徳の内容項を抑えているが、第3章道徳の道徳性は、道徳的判断力、道徳的心情、道徳的実践意欲という形になっている。その二つを一緒にして目標が見えてくるが、別々に書いてあるので理解が難しい。道徳教育の特質を抑えた目標の表示だけでなく、各教科等と関連も持たせ、どういう子供を目指すのか、例えば、総合的な学習の時間の目標に相当する目標の示し方、その方法に関わって理解を得られるような記述の仕方を構造的に考えてみる必要。

○ 目指す子供像を端的に示せないか。
   例えば、道徳の目標は、基本的には現行のままとし、最後のところを「・・・道徳性を養い、自律的に道徳的実践のできる児童(生徒)を育てることを目標とする。」という表現を加えればどうか。

○ 第3章道徳に書かれる目標は総則の目標を更に具体的に述べるという観点から改善を図ればどうか。
   例えば、「道徳教育の目標は、第1章総則の第1の2に示すところにより、学校の教育活動全体を通して、以下の第2内容に示される内容の指導をもとに、道徳的な心情、判断力、実践意欲と態度などの道徳性を養い、自ら気付き、考え、判断し、道徳的実践を行うとともに習慣化できる児童(生徒)を育てることとする。」としてはどうか。

○ 特別教科道徳の目標は、現在の道徳の時間の目標を踏襲しながら更に各教育活動や日常生活との連携を深めることを強調するという視点から改善を図ればどうか。
   例えば、「特別教科道徳においては、以上の道徳教育の目標に基づき、各教科、外国語活動(小学校のみ)、総合的な学習の時間、特別活動及び日常生活における道徳教育と密接な関連を図りながら、計画的、発展的な指導によってこれを補充・深化・統合し、道徳的価値の自覚及び自己の生き方についての考えを深め(中学校は道徳的価値及びそれに基づいた人間としての生き方についての自覚を深め)、道徳的実践力を育成し、各教育活動や日常生活における道徳教育と響き合えるようにする。」としてはどうか。

<道徳の内容・指導方法等について>

○ キャリア教育との関連でも、道徳の時間における道徳的価値の基盤の育成が重要。その際、現代の子供たちの変容を踏まえたリアリティある内容が必要。

○  中学生は、進路やどうやって生きていくかなどについて話し合いたいという希望が強い。友達関係や異性のことなどについても同様。

○  内容項目については、文言を精査し、時代に対応した内容の加除等が行われることで良い。

○  現行の道徳の内容項目は、わかりやすく整理されているが、価値論からすれば何が一番中核的な価値なのかという構造がわかりにくい。その構造化が課題。また、価値項目を説明する表現が必ずしも明確でないところがある。

○  価値の構造化については、国レベルでそれを示すことは適切ではないのではないか。

○ 学習指導要領に示された道徳の内容項目を見ると、例えば国と国との交際に関わることなど、もう少し補うべきところがあると思う。

○  教育課程の中で、「道徳」「総合的な学習の時間」「特別活動」の3領域の内容のすみ分けがあいまいになっているのではないか。

○  三つの領域がそれぞれの特質を持って存在していることが重要。教科化に当たっては、指導要領において道徳が独立した章立てになっている現在の形をなくさないようにすることが必要。

○ 人間のあいさつは相手に対する尊敬の念や感謝の念などの礼が伴うもので、これを一つずつ身に付けていく、心の中に植え付けていくことが大事。

○  単に教材のみで教えるということではなくて、例えばコミュニケーションするにはどうすれば良いか、オン・ザ・ジョブ・トレーニングの中で取り入れるような在り方があって良い。

○ 実際の人生の中で道徳的理念を実現していくことはかなり難しいことであり、試行錯誤を繰り返しながらやっていく子供たちを支える必要がある。そういう意味では、ある意味での技法を身に付けることができるような配慮も必要。例えば、コミュニケーションが大事ということがわかるだけでなく、自分の思いを伝える、相手の思いを酌むために必要な技法的な側面も身に付けることができるようにすることが大事。

○ 善悪の判断基準は、宗教上のものの考え方や日本古来の伝統行事の意味するところあたりから身についていくのではないか。日本古来の伝統行事について、きちんと子供にも教え、また親にも教えていくのが日本らしい道徳教育の在り方ではないか。

○  日本には礼の文化があることを子供に伝えていくとともに、家庭でもしっかりと育んでいくべき。

○  生涯学習、芸術教育、学校行事、学校給食など、教科ではない特別活動的なものの持つ道徳的な教育力にも注目すべき。

○ 従来、道徳の時間では道徳的価値に関して思考させ、道徳性を高めるという目に見えないものを目標としてきた。一方、教科等では、スキルを高める、ある行為ができるようにすることを重視しており、両者はかい離していたが、本来目指すべきところは一つのはずである。今の子供たちにどういったアプローチの仕方が適しているのかも含め、検討していく必要がある。

○  道徳教育において原理追求は大事だが、どの発達段階で何が必要なのかを踏まえ、様々な方法論を整理した上で臨むことが必要。

○  情報モラル教育のうち、(1)人に迷惑をかけない、傷つけないという側面、(2)生活習慣や健康に関することは、道徳教育とも重なるが、(3)被害者にならない、危険を回避するという部分は、道徳教育の枠組みに入りにくいかもしれない。

○  相手に尊敬や感謝を伝える礼や挨拶にも様々なものがあり、これもあり、あれもありだということを子供たちに伝えるべき。

○ 個々人の道徳心が高まったということも重要だが、それが現に今ある生徒の具体的な人間関係にどう役立ったか、皆が生きやすくなったかどうかということも重要。

○  医学教育でも、詰め込みはやめて、ある症例について自分で調べ、検討するような方法を重視するようになっており、道徳教育についてもこうした在り方が大事。

○  道徳の時間が週1時間で良いかどうかについては議論すべきだが、個人的には少し少ないのではないかという気がする。

○  道徳の時間を増やすとなるとどこを減らすかという問題もある。まずは35時間しっかりとやりながら、全教育活動の中での道徳教育との明確な連携を図っていくということではないか。

○  品川区の「市民科」は、実践に重きを置き、また、実践を振り返って反省する時間もとっている。そうなると、100時間前後ないと対応できない。

○  道徳の時間は例えば年40時間とし、教科との関わりをもっと持たせるなどの改善を図ることがあっても良いのではないか。

○  道徳の時間を5時間プラスすることはあって良いのではないか。また、加配教員と一緒に若い教員が授業をするというような工夫も必要。

○ 特質を踏まえた多様な授業観を切磋琢磨(せっさたくま)し合い、しなやかな道徳授業を生み出していくことが必要。特に、今回、「言語活動の充実」が学習指導要領に入り、「解説・道徳編」でも示されるように、「討論や討議」や「共同的に議論」する活動、ディスカッション型の道徳授業にも今まで以上に心を向けてみることが重要。平成10年の中央教育審議会のいわゆる「心の教育」の答申でも強調されていたこと。

○ 子供たちにとって、道徳の授業を面白いと感じるには様々工夫が必要。偉人伝や読み物を読むというのは、国語の授業との違いがよく分からないということも出る。それによって何を学ばせたいのかということが明確でないと、その効果も生まれないのは当然のこと。ディスカッション能力を高めていくためには、今までの道徳の教え方からかなり大幅にその指導方法を変えるということを検討していくべき。

○ 中学生の段階になると、かくあらねばならぬというよりは、討論、討議、あるいは協働的に議論するということが多分必要だろうと思うし、価値の押しつけということも、中学生段階はどうなのかという感じもする。

○ 主人公の気持ちを追っていくような発問が多くなる授業だと、中学生は、退屈してしまっている。子供たちの発達の段階を見極めた形で言語活動をうまく取り入れていく、又は、発問を工夫するということが、大事になってくるのではないか。

○ 小学校と中学校の実態の違いを踏まえて、発達段階に即した授業へと区別化を図る必要。例えば、中学校段階は、生命倫理、環境倫理、情報倫理などの教育課題に応じた内容も積極的に生かすなど、学習内容や方法のタイプについて区別化を図っていくことも選択肢の一つ。

○ 道徳教育の内容としては、人間としての在り方に関連する価値を基盤とすべき。

○ 道徳教育の内容編成では社会的背景と発達段階を考慮すべき。

○ 基本的礼儀等は教化的に指導すべき。

○ 価値内容よりも価値形成に関連する方法や技能を指導すべき。

○ 道徳における指導方法として教化的に教え込む方法よりも学習者が主体的に学習する方法を取り入れるべき。

○ 道徳教育の内容としては、価値領域とともに知識領域も基盤とすべき。

○ 道徳教育の内容編成では社会的背景と発達段階を考慮するとともに、個の人間形成の記録と学習基盤としての役割を考慮する。

○ 学習者関与を最大限に保障すべき。知識は教えられるものでなく創るものであるとする構成主義的学習に基づく方法を重視すべき。教科書や教材は与えられるものでなく創るものととらえるべき。

○ 学習者の学習過程をポートフォリオとして記録と保存を図り、それらを日本人としての国民性、時代性、人間性の記録資料の社会資本としてとらえるべき。

○ 理想像が教育の指針になるため、目指す人間像を道徳の内容項目の中に盛り込むことは非常に重要。

○ 父母を敬愛するという項目があるが、虐待して自分を殺してしまうような父母でも敬愛しなくてはいけないのか。そこまで極端な状況はないにしても、今の子供の置かれた状況が多様であることをどのレベルで、どういう形で盛り込んでいくのかが必要。

○ 犯罪をする人は、それがいいと思ってやっている人はおらず、悪いと知っていてやっている。技法により知識を定着させることが必要。

○ 道徳の内容について、科学の発展や子育てに社会全体がどう関わっていくのか。そういう具体的な話をどこかで入れていく必要はないか。

○ もう少し抽象論から具体論に行って、分かりやすく、ビジュアルなものも入れながら、議論をしていくことが大事。また、高学年になれば知恵を付けていくことも大事であり、どう段階的に分かりやすく議論をしていくか。

○ 道徳の内容項目の記述は、全て訓育的な記述しかない。態度形成にかかわるような形で思考や切替えといったことも視野に入れ、内容の組入れも今後考えていく必要。

○ 道徳の内容について、四つの項目の分け方でいいかどうか、その内容がこれでいいか検討する必要。個人、家庭人、地域、職場の人間、学級・学校・部活の一員、社会生活など、いろいろな立場で我々が生きている中、全部うまくカバーできているか検討する必要。

○ 小学校と中学校で内容の示し方がこれでいいのか、まだ議論の余地があるのではないか。小学校の低学年の場合、指導の重点事項が非常に分かりやすいが、中学校を見ると、難しいことがいろいろ書いており、もう少し議論してもいいのではないか。

○ 発達段階を考え、最初はしつけとしてどこから入るかという問題と、発達段階に合わせて何を目指していくのかということを整理していく必要。

○ 新学習指導要領で加わった「道徳の時間を要として」の「要」の意味が明確になっていない。道徳教育の要で、補充、深化、統合を前提とするのであれば、道徳の時間が道徳的実践力、特別活動や総合的な学習の時間が道徳的実践という構造は余り意味をなさなくなる。また、道徳的実践は道徳の時間の本来の役割でないということで済むのか検討する必要。道徳的習慣、すなわち道徳的な実践と実践力をどう構造化するか、今後、教科化する上でも非常に重要なポイント。

○ 実践力と実践の違いが混乱したままの状況が現在もある。即効的に実践を求めるのか、生活の現象面から原理追求していく価値教育を提示するのがいいのか、自分でも迷いがある。一方、キャリア教育は、キーコンピテンシーをベースに、能力育成を学校教育全体を通して行うという、様々な教育の上位概念として登場してきた。それは、道徳的実践を目指し、能力につながるが、理念教育としての位置付けは非常に重要。この二つの方向から、これまでの教育課程を踏襲した上で再定義するのがいい。

○ 道徳の内容項目には当然目指すべきことが書かれているが、そう簡単に達成できるとは思わない。ただ読む、聞かせる、何かを見るだけでなく、実践することが今の子供たちには必要。学校教育全体の中でもっと意識してやるべき(実践だけすればいいのでなく、今まで余りにも力を入れてこなかったので、もう少しやるべきではないかということ。意味合いを教えるのは当然のこと。)。

○ 道徳の時間は理念的なことを教え、それ以外の特別活動や総合的な学習の時間の中で実践をしていくのであれば、もう少し道徳と特別活動と総合的な活動の時間をきちんと関連づけてカリキュラムを作る必要。関連付けて指導を行う形で明確にすれば、今の道徳、特別活動、総合的な学習の時間という割り振りの仕方でも、今よりは効果のあることができるのではないのか。

○ 道徳的な行動を実践できるというスキルは、子供は何回も何回もやることによって自然にできるようになるが、「なぜそれをしなければらなないのか。」を考えることを同時に行っていく必要。

○ いじめの問題は、「自分はどうか。」という問題と、「人としてこうあるべきだと考えたときに、それができない状況がある種生まれてきたときに、どう対応するのか。」という問題を考えていく必要があり、発達段階が上がれば上がるほど、後者の方が重要になってくる。理想とそれを実現できない状況の中、どう対応していくのかは整理して位置づけていく必要。

○ 善とか悪という問題について、発達段階が上がるにつれて、表裏や両極や多面的な視点から光を当てて考えさせなければならない。その思考経験をさせるステージとして道徳の時間で実践力が培われ、それを実践することが違う領域に位置付けられているという、日本の教育課程の構造は非常に合理的。ただ、これが現場に届かないまま何十年も経過しており、目標や内容項目を授業レベルできちんと形にしていくことが大きな課題。

○ 今の時代背景を踏まえると、幼稚園や保育園と連携した小学校低学年にとっては、指導の在り方も考える必要。その中で、今までとは違った多様な、少しビジュアルな工夫をした指導の在り方というのもあるのではないか。

○ 教師は、道徳の時間が一体何をする時間なのかということをしっかりと把握して、指導過程や指導法の工夫をしていくことが大事。

○ 今は社会が複雑になっており、いろいろな徳目や項目が矛盾しながら働いているところが多くなってきている。そのとき、どちらを優先すべきかとか、もっとメタ的なものを引き出すための実践が必要。小学校中・高学年になれば、コミュニケーション力や、集団的にいろいろ決めて矛盾した中でよりよいものを選び取る能力を発掘させる指導的工夫が必要。

○ 基本的には現行のままとし、内容の説明を簡潔に示してはどうか。
   例えば、「特別教科道徳を要として学校の教育活動全体を通じて行う道徳教育の内容は、次の通りである。なお、道徳性は様々なかかわりを豊かにすることから育まれることを考慮し(そのための指導内容を学年段階ごとに発展的に)示している。(括弧内は小学校)」

○ 目標と内容の検討に合わせて指導方法に関する議論も詰める必要があるのではない か。
  例えば「積み重ねと発展を実感できる授業の工夫、道徳授業に使う「道徳ノート」の工夫、さらに、「心のノート」を活用した各教育活動や日常生活と連携した指導、家庭や地域社会と連携した指導、今日的課題の解決へとつなげていける指導、関連する様々な学習活動と関連をもたせた指導等の工夫(年間指導計画には、重点目標に関する指導においてこのような視点からの指導計画を明記する)、また、年間指導計画に校長や副校長(教頭)の参加を明確化する、といったことも特別教科道徳の特質を具体化する意味からも考えていければと思う。

○  道徳について議論する中で、その一番の入り口はエチケット。アメリカでは、エチケット(コミュニケーションの仕方、旗を揚げる理由、手紙の書き方など)の教育が大切にされており、参考にすべき。

○  道徳には、「実定道徳」と「批判道徳」の2種類がある。「実定道徳」とは、社会全体で受け入れられている道徳観やエチケットをしっかり身に付けさせるもの。一方、「批判道徳」とは、現在ある道徳を吟味するという視点を最終的に身に付けさせるもの。特に、「批判道徳」は、「実定道徳」が揺らいでいるときや、常識で判断がつかないことを考えるときに必要になってくる視点。発達段階を踏まえ、学年が上がるにつれ、批判的な視点を持っていく必要。
  「批判道徳」や法教育を考えていく上で、基本的な道徳的なものの見方・考え方、公正さや公平さとは何かといった法的なものの見方・考え方の理屈面をしっかり身に付ける必要。

<市民科について>

○ 市民科は、社会の中の個として人間がどう生きるべきかという視点から「道徳の時間」「特別活動」「総合的な学習の時間」を統合したもの。子供たちを取り巻く様々な課題を解決するために、人としての有りようを(1)個の内面、(2)個と集団、(3)個と社会という視点から整理し、児童生徒に育てるべき資質を明確化。その上で、実践的に活用できる態度や行動様式、対処方法として身に付けさせる能力を設定し、義務教育9年間で計画的に取り組んでいる。

○ 「道徳の時間」では、子供の内面に関わることを、長期的な展望、綿密な年間指導計画に基づいて実施するのがコンセプトだと思うが、品川区の市民科では、道徳性を訓練と実践を通じて獲得させている。基本的な道徳、例えば、命の尊厳や親への敬愛などの価値、日本社会における社会的な習慣・行為の習得については、理屈ではなくて徹底的に教え込むことを基本にしている。  
   
○ 市民科の指導には「型」があり、教科書を作っているので、教員や学校の裁量の部分は少なくなっているが、市民科は教科以外のすべての教育活動を統合したものであり、その指導計画の作成には学校が膨大なエネルギーを費やしている。

○ 評価については、基本的には、5領域15能力の中で、各領域について、主に取り扱ったものを、学期ごとの通知表で返す。自治的活動能力では、こんな活動をして、こんな成果があったと、記述で通知表に書いて評価をしている。

○ 重要なのは社会性の問題であり、自分の問題は自分の問題だと考えるだけではなくて、自分を社会の中に位置付けて、社会の在り方と、自分の役割と、自分の生き方というのがトータルに見られるようになって初めて社会の規範性が身についていく。
  教科の編成としてどうなのかということは議論があろうが、市民科では、社会的なものとも結びつけたり、コミュニケーションをとらせようとしており、基本的には中学段階についてはこの方向が適当なのではないのか。

○ 市民科の取組に関しては、道徳的実践力を育てる道徳の時間の内容が薄いのではないか。心情的な部分の育成も重視すべきではないか。

○ 市民科では、理性・判断というところで、合理的で実利的な能力が子供たちに身につくと思う。一方で、道徳の中には、やはり人間としての生き方の部分、例えば、人がどう生きていくのかとか、生き方の展望とか、生き方を考えさせることが必要。

<評価について>

○ 評価が難しいから教科化ができないというロジックは成り立たない。評価が簡単な教科などない。

○  評価に当たっては長期的な視点での見とりが重要であり、数値的な評価や個々の言動を評価するようなやりかたは不適切。意欲や可能性を引き出すような記述による評価は可能ではないか。

○  数値による評価は行わない方が良い。指導の記録や「心のノート」と連動した生徒の変容の記録などの形での評価については開発可能かもしれない。

○  評価については、数値評価はしないということで良いのではないか。評価の在り方についても新しい枠組みで考える必要があり、「関心・意欲・態度」という観点からの評価を指導要録の中に記述式で行う欄を設けることが考えられる。

○  評価は子供たちの成長の振り返りや指導計画・指導方法の改善のために必ず実施すべき。指導要録の行動の記録をうまく活用することが考えられる。子供たちがどう伸びていったかを積極的にプラス面で評価すべき。

○  教員に十分な専門性がない、理論的に詰められていない状態であればこそ、評価については慎重に考えるべき。道徳教育について、ある程度内容をまとめてやっていくことになるのであれば、内容にとっても広く合意が得られるものとなるよう時間をかけて議論すべき。     

○ 行動の記録の評価の観点が何に基づいているのか整理されていないので、行動の記録も含めながら、通知表や指導要録の問題をどのように整理していくのかが一つの課題になる。

○ 点数化による評価はしないことを明記すべき。

○ 子供たちの道徳的学びに関する成長の芽<よさ>を記述式で記入すべき。(そのことにかかわらせて課題も明記することがあってよい。)

○ 評価の方法としては、数値や行動などによって明確にすることはできないが、学習者の意欲や可能性を引き出す評価の在り方について検討すべき。
○ 評価の方法としては、教師による評価と学習者自身による評価も組み入れ、学習者自身の成長を促進できる方法を検討する必要がある。

○ 「教科」化した道徳に限って評価を行うのか、道徳教育は教育課程全体の中で実現していくべき教育であるという基本的な考え方を堅持し、教育課程全体の中で児童・生徒の発言・行動などを見て、児童・生徒の道徳性を向上させていく上で必要な評価を行っていくのかが問題であり、後者の考え方が適切であると思う。道徳教育は、一般の教科のような到達目標とその達成度という観点からの評価になじむものではなく、あくまで、児童・生徒が道徳性を向上させていくために必要な助言・援助を行うために、行動の記録などを参考にしながら、記述的な評価を行うことを検討すべき。

○ 他の教科と同じように、目標を設定し、評価基準を設定し、評価基準を指導と評価の計画に位置づけ、評価月間のうち記録に残す場面を明確にして授業を行って観点ごとに総括するという流れを援用すれば良い。評価の観点も、関心・意欲・態度と思考・判断・表現、技能、知識・理解の四つに構成をして、早急に評価基準を策定すれば良い。諸外国での評価基準なども参考にしながら進めていけば、それほど難しい問題にはならないだろう。

○  道徳性の評価は、その子供がやる気を起こさせるような評価を基本にすべき。四つの指導内容に関わって、子供たちの成長した部分を一つでもいいからしっかりと記述しようという程度の評価でいいのではないか。

○1学期間の始めと終わりを比べてみると、進歩のあったということを、「君、よくやったね。」とか、「君はできなかったことができるようになったね。」という表現があったら、子供は元気が出ると思う。

○ 学習者自身がメタ的に自分なりに振り返って評価するという関わりも保障すべき。

○ 道徳が教育課程全体を通じて実現していくものであって、教育の究極の目的の人間性に関わるものと位置付けようとすればするほど、通常の教科と同じように統一目標を掲げての達成度という評価は、基本的になじまない。

○ 挨拶や友達と仲よくというのは、行動の記録で付記してある部分。内面を評価するというのは、記述にしても大変難しい。ある一記述でも、その一部分の評価なので、全体の人間性について道徳性の評価はできないと思っており、大変慎重にすべき。

○ アジア諸国における道徳の評価の内実をもっと深く調査する必要。

○ 指導要録には、道徳の評価欄を設けることが必要。

○ 道徳の授業を充実させるための様々な評価方法が開発されるよう働きかけることが大切。ただし、指導要録の評価欄には、授業を通しての道徳的成長のみを記述するようにすればよいのでは。道徳性は人格の基盤となるものであることから励まし勇気づける評価を基本にしたい。
  例えば、四つの視点ごとに子供の中で成長したと思える道徳的心情や判断力、実践 意欲・態度などについて簡潔に記述してはどうか。

<教科書・教材について>

○ 道徳教育を充実させるためには、資料の充実、指導法、教員の育成が大事。

○  道徳教育の充実のためには、校長の姿勢や指導力のほか、教材の充実が必要。

○ 生きること、よく生きるということが難しい以上、道徳教育が簡単になることはあり得ないので、先生方も悩むことが大事。その意味では、教材もこれさえあればすぐに道徳教育ができるというものではなく、先生方に自分なりの取組や努力を求めるようなものにすべき。

○  道徳教育を充実させる際の原点となる教材はやはり「心のノート」ではないか。

○  障害のある子供、家庭事情もいろいろな子供など多様性がある中で、そういう子供たちにとって教科書がどういうものであるかという視点を押さえておくことが必要。

○  教員の姿勢や指導力等によって授業に極端な温度差や充実度の差がでないような教材が必要。

○ 道徳用教材について、資料のスタイルの多様さを認めつつ、地域教材などと併存させながら活用できる環境を整備することがとりわけ大切。

○ 道徳の教科書について、民間の会社から出されたものの中から教育委員会が選んでいくというやり方は余りなじまないのではないか。教科化するならば、国で教科書を作って無償配布すべき。

○  教科書の検定基準をどうするかについてはかなり長い議論が必要。当面は、文部科学省が著作の名義を有する教材を作ってすべての子供たちに配布し学校で活用することで良い。

○ 検定教科書の問題は少し深い大きな問題になり過ぎるため、「心のノート」の充実をまず最初の目的においてやっていくのが、比較的分かりやすい方法ではないか。

○  道徳で「教材を教える」のは良くない。教材で何かを教える、何かを考えさせることが大事。その意味で、通常の教科とは異なり、教材の扱いをじっくり考える必要がある。現段階ですぐに検定教科書を考えるよりは、その点は慎重に考えた上で、「心のノート」を使って考えさせる方向を基本的に維持していくのが良い。

○ 教科書の問題は、もう少し幅広くやらなければ、方向性は決められないのではないか。同時に、中教審等の議論を踏まえてやる必要があるかと思う。

○ 学習指導要領の趣旨に添っているか、憲法や法律の趣旨に添っているかなどの大きな基準、枠の中で多様な教材を開発することを考えれば、検定も難しくはないのではないか。

○ 教科書の工夫を提案してはどうか。(例えば、それぞれの指導内容項目に関する指導に資する資料の掲載は当然として、自分を複数の道徳的価値から見つめられる教材(結果的にトータルに自己を見つめられるようにする)、人間とは何かを、生きるとはどういうことか、学ぶとはどういうことかについて学年段階ごとに考えられる教材、重点的内容項目を発展的に学習できる編集上の工夫、各教科等と関連をもたせて学ぶ教材、日常生活や調べる学習等と関連をもたせて学ぶ教材、家庭や地域との連携を前提とした教材等を取り入れるようにする。)

○ 道徳の授業について記録でき、授業後も個人的な道徳学習等を記録できるノートを工夫し、児童生徒が授業を振り返ったり、学びを確認したり、発展させたり、自己の成長を実感したりできるようにしてはどうか。(ポートフォリオ評価にも活用できる。)

○ 道徳の指導のためには、全教育活動を通して道徳教育に資する教材と、要である道徳の時間の指導に資する教材の二つが必要であり、「心のノート」と教科書の両方が必要。今回、「心のノート」で、道徳の時間でも使える教材も盛り込みながら、全教育活動とどう響き合わせて指導するか示せるようにすることが必要。

○  道徳について、基本的には検定教科書にしていくのが原則だろう。その際、「心のノート」との関係をどうするかが課題。仮に検定教科書を用いず「心のノート」だけを使うことになると「国定教科書」化ということになり望ましくないのではないか。

○  既に副読本が作られていることを考えると、それが教科書になったからといってそれほど大きな問題が生じるかは少し疑問。国語ができるのであれば道徳も可能なのではないか。
○  価値観に関わる問題を一方的に方向付けすることは難しく、検定基準については難しい議論になると思う。ただ、多くの子供、大人が多様な価値観を出し合えるようなものを投げかけることは可能ではないか。

○  民間や自治体の読み物資料について、道徳の時間で活用するに適切か不適切かといった基準を明確にすることは、価値観にかかわる問題となり、困難ではないか。

○  教科書を作ることは可能と思うが、その際、様々なものが出てくることについて、それも良いだろうと認めていけるような覚悟が必要。

○  教材については、教科書を発行することも考えられるが、それには時間がかかるので、当面は現在出版社が発行している副読本の購入予算を付けて、選択や活用状況の報告をさせながら授業で活用していくこと、また、「心のノート」を発展させ、年間を通じて道徳の授業の実施に十分な内容のものにし、全校に配布することが考えられる。

○  教科書の検定については、政治的、宗教的中立性や学習指導要領の範囲との関係、検定基準の示し方などとの関係で現実問題としてはなかなか難しいという意見もある。

○ 教科にすれば、教科書を発行し、授業で使えるようにすべきである。その際、教科書は複数のものから選べるようにする。更に道徳の教科書は、各教科や日常生活、家庭との連携などにも使い、授業においては3分の2程度使うようにし、後の3分の1は様々な資料を使って授業ができるようにしてはどうか。

○ 道徳教育においては、道徳の教科書と全教育活動における道徳教育の教材である「心のノート」の両方に係る経費を全額国で負担する必要がある。

○ 道徳教育の充実を図る上で、教材と教科書の開発と活用、更に「心のノート」の効果的活用が指摘されている。

○ 教科書の内容として読本的な教材だけでなく、多様な資質形成や学習活動を含み入れた内容を検討する必要がある。さらに、「未来対応型」の教科書としてインターネット機能を有するウェブ教科書なども検討する必要がある。

○ 教科書検定制度を前提に考えると、道徳を教科にするのであれば、教科書を用いないということは基本的にはない。また、「心のノート」を国の著作教科書として位置づけることも望ましくない。
    検定基準の設定においては、諸外国の例を参考に、多様な価値観を認めつつ望ましい価値へと探究を進めていくという方向性であれば問題ない。
    原則として政治的・宗教的中立性を担保しながら、教育基本法、学習指導要領の趣旨に基づいた教科書検定制度を確立していく必要。

○ 道徳の教科書は、いろいろな出版社が切磋琢磨し、よりよい教科書を作っていくという教科書検定制度の趣旨に合致させてやっていくべき。
    道徳的な価値観は、多様化が認められていいものではない。日本人として、生きていく上で絶対に外してはいけない価値観を、教科書の中できちんと示していく必要。

○ 検定教科書を支持したい。これまでは、「心のノート」が考えさせる課題、民間の副読本が読み物というすみ分けがあったが、今回改訂で「心のノート」が両者を兼ねるため、民間の副読本が余り使われなくなり、「心のノート」の国定教科書としての性格が強まることになる。民間の事業者が作成し、価値観の多様性がより反映される検定教科書制度の方がよい。

○ 教科書会社にとって、道徳の教科書は、新たなマーケットとしてパイを奪い合う熾烈な競争が始まる。内容が良く、魅力的で、先生が教えたくなる教材開発に結び付く。民間の活力に期待したい。

○ 検定の方法として、メディアの有害情報の規制の問題と似ている。メディアでは、行政や業界から形式的に独立した第三者機関が有害性を判断しており、道徳でも、こうした方法が検討対象となるのではないか。

○ 「道徳の時間」に行われる指導については、教科書に当たるものをもって指導する必要。現在の副読本を教科書のような形で認めていくことが、学校現場を考えたときに入りやすい形ではないか。
    「検定」という言葉は一般的にも強いため、「教科化と同時に教科書化していく」という考え方が素直。

○ 副読本を検定教科書化することで、現在副読本を採用していない学校も、そうした教材を活用した道徳の時間の確実な実施が担保される。
    これまでも郷土資料と副読本を併用する中で、各学校や担任が子供たちの実態にふさわしい教材を選んできた。副読本が学習指導要領の内容項目に書かれている価値観をベースに、長い時間とエネルギーをかけて吟味されてきたことに鑑み、検定に左右されることはないと感じている。

○ 副読本を作る民間の教材会社は、一つの資料を探すのに500~600の資料の中から選んでいる。民間の力を借りて、多様性を担保することが必要。ただし、たくさんの価値の中で、これから生きていく日本人としてどこに重点を置いて教えるかは、現場の先生方にとって悩ましい問題。

○ 教科書検定においては、準拠性、正確性、公正性が重要。特に、政治・宗教の扱いや、取り上げる題材の選択・扱いに公正性を持たせるかどうかは大きな問題。

○ 要となる「道徳の時間」の指導が必ずしも十分ではない。教えやすく学びやすい教材があった方がいいが、副読本の購入のため、家庭に相当な負担を強いている。「道徳の時間」の指導を充実する観点から、無償の教材を提供することが大事であり、その場合、検定教科書が最も相応な対応。
    教育再生会議の提言では「多様な教科書」の部分が実現できなかった。今回の教育再生実行会議の提言と併せて、教科書を入れることがこれからの道徳教育充実の大きなポイント。その際、「心のノート」の要素を大事にし、単なる読み物資料の羅列にとどまらず、子供たちが自省や振り返り、記録を継続できる形が望ましい。

○ 検定の考え方として、学習指導要領の準拠性、政治的・宗教的な中立・公平性、記述の正確性という基本に立ち返るべき。その範囲で、学問的、学術的、教育的、専門技術的な観点に限定した、出版する側の自由な発想・創意が尊重された検定である点について、国民の理解を得る必要。

○ 「特別の教科 道徳」という形で教育課程の中に明記すべき。これを通して、特質を生かした自由な在り方が多様に考えられてくる。
    授業の充実のためには、しっかりとした教材の確立が必要。生活科を創設した際も、教科書を作るかどうかが議論になったが、教科書を作ったことで生活科の位置付けや性格が理解され、指導の充実につながった。先生方が開発した教材や地域の教材を財産として活用し、例えば3分の2は年間指導計画の中に位置付け、3分の1は学校の独自性を生かした指導を可能とするなど、「特別な教科」である意義を明確にしていくことが必要。

○ 教科書検定における準拠性や公平性、正確性は、学問や価値観として共通認識があるものには適用できるが、明確な基準のないものに対しては適用が難しい。基本的な価値観を押さえた検定ができるのであれば、検定教科書は学習にとってよいものとなる。

○ 学校現場では、副読本を主たる教材とし、「心のノート」は学校教育全体を通して行う道徳教育の副教材として使われている。数編の読み物資料を導入すれば「道徳の時間」の教材になり得るわけではない。これまで副読本を編集してきた方々の知恵を借りながら、道徳的価値の自覚を深めることをねらいとした「道徳の時間」にふさわしい教材作成が重要。

○ 「心のノート」は、学校の教育活動全体における道徳教育を担保していく趣旨で作られたが、今回の改訂で道徳的な教材の色彩が強まっている。検定教科書と「心のノート」を併用すると、同じような教材の並立により教育現場の混乱が予想される。「心のノート」は存続させず、検定教科書のモデルのような形で位置づけることが必要。検定教科書を主とし、副読本として「心のノート」などを使用するという方向性も考えられる。

○ 検定教科書が出るまでには何年も時間がかかるため、その間の当面の措置として、改訂した「心のノート」を活用するのがよい。

○ 「心のノート」は「学校の教育活動全体を通じて行う道徳教育」を推進するための教材として残し、家庭・地域との関わりの中で活用していくとともに、「道徳の時間」でも活用できる形にしていく必要。

○ 検定教科書と「心のノート」を併用していくことが望ましい。ただし、これまで副読本を採用してこなかった地域や学校にとっては、教科書の購入という財政的な問題が生じる。教科書に関しては国がしっかりと保障するようお願いしたい。

○ 現在の教材・教科書は、教師の指導書的な性格が強いが、「心のノート」は学習者の関わり方を保障しているところに特質がある。
    インターネットなどの情報処理ツールの普及の中で、教材・教科書も「与えられるもの」ではなく学習者が「作り上げるもの」とする考え方が出てきている。今後ウェブ教科書のようなものが作られていくことを視野に入れた検討を行うことが必要。「心のノート」もこうした学習スタイルを保障するとともに、道徳を核とした各教科との関連を明確に位置付けることで、活用の必然性や重要性が見えてくるのではないか。

○ 改訂する「心のノート」については、教員も大きな期待をしている。
    民間出版会社が作成している副読本は、学習指導要領に準拠し切磋琢磨して研究されている。これを「教科書に準ずるもの」という形で捉え、認めていく方向がよい。

○ 「心のノート」と道徳の教科書はどちらも必要。「心のノート」については、教科書の枠ではない形での予算措置を検討いただきたい。
    教科書ができるまでの移行措置として、副読本をしっかり使い、「心のノート」も併用していくべき。その際、「調査検討」という形での補助は可能ではないか。移行期間の対応も学校現場の意識を規定することになる。「心のノート」を自己形成ノート的なものとして位置付け、子供たちが活用できるようにしていくことが必要。

○ 道徳教育の要として用いる教科書ということを考えると、他の領域や学校の教育活動全体の中で道徳教育をどうするかという前提に立ったものである必要。新たに作られる検定教科書の中に「心のノート」や副読本の要素を組み込んで、充実させていくという方向性が実質的なのではないか。

○ 「心のノート」をモデルに道徳教科書を考えるのは無理なこと。「道徳の時間」は内面化を図るものであり、「心のノート」は内面化されたものを日常生活の中で追究することがベースにある。今回の「心のノート」の改訂では、「道徳の時間」と他の教育活動との響き合いを意図している。「心のノート」と響き合えるような教科書を作り、トータルとして道徳教育を充実させることが望ましい。

○ 検定教科書を採用した場合、「心のノート」との併存は、教科書検定制度の趣旨及び予算的な面で不可能。「心のノート」を存続させる場合は、(1)教科書は検定であるが「心のノート」が実質的に国定となることの説得的根拠、(2)「心のノート」が「学校の教育活動全体で行う道徳教育」の趣旨を担保し効果を上げていることの説得的根拠の2点が必要だが、これらを示すのは難しいのではないか。「心のノート」の趣旨を実現する検定教科書の作成を前提とすることが望ましい。

○ 道徳の教科書は、多様なものが開発される必要があるが、教科書以外にも教育委員会等で開発した資料、郷土資料や学校で開発した資料、自校の児童生徒の実態や学校の実態に応じた資料などが使えるようにする。(例えば、授業の3分の2は教科書を使用し年間指導計画に位置付けるが、3分の1は学校独自に資料を選び活用できるようにする)

○ 個に応じた指導を行うためには、ノートによる指導が不可欠である。授業及び事後に使える「道徳ノート」の開発と活用を強く求めたい。

○ 道徳の授業と新「心のノート」が響き合えるように指導を工夫することを積極的に求める。

○ 教科書は絶対に必要である。検定教科書を使用できるようにすべきである。

○ 新「心のノート」は教科書と並行して使用できるようにすべきである。新「心のノート」は、道徳の時間と響かせて全教育活動や日常生活で使えることを目的とする、全教育活動を通しての道徳教育の教材である。道徳の教科書は、全教育活動での道徳教育を踏まえながら道徳的価値の自覚を計画的・発展的に深めていくことを目的とする。したがって、道徳の教科書と新「心のノート」が響き合って使用されることによって道徳教育が充実することになる。道徳の教科書と新「心のノート」の併存を強く主張したい。

<教員の資質向上について>

○  きちんと道徳を教えられる先生を真剣に育てる必要がある。

○ 教員養成の段階で十分授業に耐える資質を育てる必要があり、教員養成のカリキュラムを教科並みに変更していくことが必要。

○ 教員養成課程において、道徳の授業の展開方法を必修として定着させるべき。

○  教員養成課程では2単位しか道徳を扱っておらず、増単位が必要。理論的な内容に加えて、現場ですぐに使える実践的なものも教えてほしい。

○ 大学の教員養成課程では、道徳の時間の授業づくりに特化した2単位があって、そして、道徳教育、道徳の時間に対するプラスイメージを培うような学習が2単位というのが必要ではないか。

○  教育実習における道徳の必修化も必要。教育実習で道徳の授業をさせれば、教育実習生を受け入れる現場サイドにおいてもそれを指導するための方法や理論を詰めざるを得なくなる。

○  道徳という専門の免許は必要ないが、研修の充実が必要。

○  教員免許については、基本的に専門免許の発行は必要ないが、教員の普通免許に道徳教育関連科目の単位数を増やすことが必要。その際、道徳教育の理論面を強化するため、理論研究に関する科目を設けるべき。大学院レベルでは「道徳」の専修免許を出すことは考えられる。道徳教育関連の講座・専攻を設置することは積極的に考えられるべき。

○  各学校の道徳教育を指導する立場にある者、各学校の道徳教育推進教師、道徳主任等に対する研修の充実が必要。学校を挙げての校内研修が重要。

○  教員養成課程の2単位だけでは難しいので、校内研修を充実する必要がある。

○  小中の連携により道徳教育に取り組むことは教員の指導力向上に有効。

○  管理職になる前の段階から、道徳教育の指導方法などについてしっかりと研修をしないと、校長になってからでは対応できない。

○ 意識改革のためには、管理職の道徳に対する研修等も必要。

○  道徳の時間の取組は、校長の取組方針や各教諭の姿勢によって温度差、充実度の差がある。校長が取組方針を明確にして、全教員の共通理解を図り、道徳の授業の改善・工夫に取り組むことが必要。

○  校長のリーダーシップで道徳教育を学校経営の柱に据えて取り組むことが必要。

○ 校長のリーダーシップは重要だが、校長の個人的な意欲や資質に任せることには限界があり、道徳教育の充実に向けて校長がリーダーシップをとれるように、教育委員会等において、必要な助言等を行うことができる体制を整備する必要がある。ただ、こうした体制が名目的なものになってはならず、各学校を訪問し、道徳教育の全体計画の策定について指導・助言を行ったり、授業改善の援助を行ったりするなど、実質的な指導・助言を行えるようにすることが大切。また、こうした指導・助言の体制は、教育現場の状況を十分に踏まえて、校長あるいは各教諭の授業改善の努力を支援していく形になるように工夫をしていく必要がある。

○  指定校などへの財政的な支援や、道徳に余り目を向けていない学校への啓発も必要。

○  道徳教育のための加配教員があると良い。

○  道徳の指導は教師全員がやるが、道徳の特質を踏まえると、それを補充していくために加配教員や特別な人に指導してもらう機会を設けるなどの配慮が必要。   

○ 「道徳教育推進教師」の意義を押さえ一層有効なものとするためにも、協力体制の要としての人材の実質的な確保のための措置が重要。

○ 各都道府県では、3年周期くらいで全教員が道徳の研修を受けられるようにすべき。

○ 校長や副校長(教頭)の就任前の事前研修では、道徳の時間の演習を必修にすべき。

○ 各学校に道徳教育の研修費及び教材費の予算化を義務付けるべき。

○ 教職免許法の改正を行うべき。(道徳教育に関する単位は増やす必要があるが、そのことを活用して道徳免許を取得できるようにしてはどうか。その方法として、各教員免許を取得する際に、例えば「道徳教育科目を8単位修得すれば当該免許と道徳免許を取得できる。どの教員免許も道徳免許と同時でないと取得できない。ただし、一つの教員免許取得後に他の教員免許を取得するときには免除される。」といったことが考えられる。)

○ 道徳教育推進教師への特別手当を設けてはどうか。(リーダー的人材を確保する。)

○ 例えば中学校区を基本としながら道徳教育担当の加配教員を配置してはどうか。(当面は退職教員の配置で対応することもできるのではないか。)

○ 教師の資質形成の対応としては、大学における教員養成の改善と学校における教員の研修や連携が必要。

○ 教師の資質向上の対応として、社会の制度や組織の側面だけでなく個々の教師が主体的に取り組み、教師としての資質形成に関連する活動の保障と活用を図る側面も検討する必要がある。

○  学校における指導体制の確立強化の大前提として、なぜ道徳教育が充実してこなかったのかという反省点を認識すべき。

○ 子供たちが自分が受けた道徳教育をどう思っているか、学校教育全体の中で道徳をどう位置付けているのかという観点は大切にして議論を進めていきたい。いい先生に出会った子供は、道徳の時間に対していい印象を持っているのではないかと思う。子供とのいい関わり方ができる教員をいかに確保するかということが最大のポイント。

○ 学習指導要領に基づいた道徳教育がなされていないために、道徳的実践力という内なる力、いわゆる心の在り方が系統立って育てられていないのではないか。道徳教育を充実するためには、学習指導要領に基づいた道徳教育を全ての学校で行うことが必要。

○ 道徳教育推進教師も、ベテラン教員がなっているところもあれば、新卒2~3年目 の教員がなっているところもあり、校長の姿勢が大事。

○  道徳教育の充実については、学校経営の中でどれだけ具体化されているかが問題。例えば、職員会議で道徳教育推進教師が何番目に発言するとか、教育予算の中で道徳予算がどれだけ割り当てられているかなどの指標が考えられる。こうしたものを教育委員会が調査しながら、校長の評価もするような仕組みが必要。
  また、道徳教育推進教師にリーダーシップの発揮できる教員が割り当てられるよう、手当のような措置をしたり、道徳教育推進予算を各学校に配ると、研修が必ず行われると思うし、それがどう使われているか評価しながら進めていくことが必要。

○ 研究の指定を受けた学校の研究発表が蓄積されていないため、国や都道府県レベルでまとめておき、次に研究開発をやる学校が出てきたときに、従来の研究を参考にしながら、一歩でも二歩でも進める成果を出せるようにすべき。一つ一つの研究をいかに有効に残していくかを考えた方がよい。

○ 指定校での研究成果を蓄積するため、「初等教育資料」の別冊を復活していただけると有り難い。

○ 東京都では、かつて教育研究所に膨大なデータベースがあったが、教職員研修センターに変えたときに全部捨ててしまった。データベース化はこれからの課題。

○ 地域の人々の理解・協力を得るための取組の充実が必要。道徳の公開授業を積極的に行い、地域の人々にも入ってもらって、どのような道徳授業をやれば良いか一緒に検討すべき。

○ 各学校に道徳教育部のような組織を創り、そのリーダーを道徳教育推進教師とする。
 (道徳教育部は、道徳主任、特別活動主任、学年担当委員などで構成する)

○ 道徳教育推進教師は原則として主幹教諭を充て、手当が出るようにする。
 (副校長や教頭が担当することもある)

○ 教育委員会は管轄する学校に一定の道徳教育研修予算をつけるようにする。
 (道徳教育研修予算として特別枠で設けるようにする)

○ 学校・家庭・地域連携の道徳教育振興会議(委員会)を設けるようにする。
 (特に地域の人々に協力いただき意見交換だけではなく具体的活動を行うようにする)

○ 教員研修においては、戦前戦後の道徳教育の歩みの反省に立って、認識を新たに出発していくことが必要。

○ 中学校だけでなく、小学校の教員も忙しく、外国語活動、総合的な学習の時間、生活科など新しい仕事が出てきて、いろいろ研修を受けなければならない状況。このため、小学校の教員が道徳の研修を十分受けられ、かつ、教育活動が展開できるような条件整備をしていく必要がある。研修の中心は校内研修にあり、お互いの道徳の授業を見せ合う研修が一番のポイント。さらに、教育委員会や国が行う研修を体系的にもっと充実すべき。

○ 教員研修については、例えば、3年か4年に1回、どの教員も研修が受けられるようなシステムを確立し、そのための補助をしていくことが考えられる。

○  道徳教育を充実させるためには、一人一人の教員が1時間の授業をしっかりやることが一番大事。そのために、学校という組織で充実していく必要があり、校長が意識を改め、高めるため、校長の任用前研修などに道徳の研修を必ずいれることが大事。

○  中堅教員と管理職の研修が非常に重要であり、指導法だけでなく、理論的な部分についても理解が求められる。

○  校内研修をいかに充実するか、また、校長が研修会をいかに作っていくかが要となる。特に、短い時間の中で道徳を究めるためには、それしかない。

○  学校の先生方は、学校という組織しか知らない方がほとんどであり、一般社会の経験や知識が少し乏しい印象がある。子供たちに社会の厳しさを教えていく必要があることを考えると、企業での研修などの機会を増やす必要があるのではないか。

○ 研修する教員への助成や研修期間、いろいろな学校の視察の機会の保障など、教員の自主性を引き出すような施策の方向も考える必要。

○ 教員の指導力の向上は、校長のリーダーシップのもと、校内研修会で実践例を中心に充実させていくことが最も大切と考える。このために、校長等の管理職の道徳教育への理解と指導に関する研修の充実も図る必要がある。

○ 都道府県教育委員会は、全教員が、3~5年周期で道徳教育の研修を受けられるようにする。(実際に行っている県もある)

○ 毎年の校長研修において、必ず道徳の時間の指導(模擬授業演習)を取り入れる。

○ 道徳教育推進教師に対する研修を充実させる。
 (全体計画、年間指導計画、学級における指導計画、指導案の作成及び実施について自校の取り組みを持ち寄って研修する)

○ 研修講座では必ず道徳教育の研修を入れるようにする。
  (各教科等の研修においてはその教科等における道徳教育について研修内容に入れる)

○ 道徳教育に関して大学を始め研究機関や研修機関で長期研修が受けられるように制 度化する。(修了者には道徳教育指導員の認定書が発行されるようにする)

○ 教職大学院には道徳教育を専攻する教員を必ず派遣する。

○ 大学の教職課程に、エチケットや日本の伝統行事を学ぶカリキュラムがないと、今求められている道徳教育の成果には実践的につながらないのではないか。

○ 教職課程では、道徳教育の授業が並んでいるが、その基本となる道徳や法をどう考えるかという部分をある程度充実した方が、教員が自信をもって生徒に臨むことができるのではないか。

○  大学での道徳教育の理論面での研究が非常に弱く、結果的に教員養成、指導法、研修の問題などに全部つながっていく。例えば、研修の成果指標も確立されていない。 現在の学習指導要領の内容そのもののが、今の子供たちの育ちにとってどういう意味を持つのか相対的な観点から考えてみる必要。
  修身の中では、道徳的な実践としてエチケット教育、礼儀教育がカリキュラムに組み込まれていていたことも理解されておらず、歴史的な観点からの弱さもある。
  教員養成課程も指導法2単位だけで済んでおり、教科に関する科目8単位から道徳は対象として抜け落ちており、理論面の充実が必要。
  構造的な問題として、教員養成・免許の問題を捉えていくことが必要。

○ 資料2の大学の教員養成の指導案のような形で、教員養成をやっていただきたい。理論と実践をやっていただきたいし、単位数を増やすのに超したことはないが、教職課程ではいろいろな単位が増えているので、全体のバランスの中で考えてほしい。ただし、教育実習の中での実践は必要であるので、是非やってほしい。教育委員会側の教員養成大学への要望をもっと言っていくべき。

○ 大学の単位数を増やし、特に教育実習では必ず道徳の授業をさせ、実習後にシュミレーションの授業をすることが大事。

○ 教員養成について、理論と実践の双方から科目の時間割を義務づけることが必要。また、教科専門研究と教科の指導法研究のせめぎ合いがあるが、実践力を担保する教育が重要であり、教育実習期間中に道徳の時間の授業を義務づけることが必要。道徳の授業の基本形と多様な指導法を大学で学べるようなシステムを構築すべき。

○ 小学校の一種免許状を出す上においても、専修免許状への道徳教育分野の取扱いを応用して、一定の単位取得をその授与条件と位置付けてはどうか。そうなると、大学教員の確保や様々な分野の研究開発も必要となり、教員養成系の大学の道徳講座が充実してくるし、大学院の博士課程や国立道徳教育研究所のようなものができて、研究・実践ともに深まっていけば良い。

○ 教員自身が情報モラル教育に取り組めるよう、教員養成課程、教員研修、免許更新講習でも、情報モラル教育の学習や研修の充実が望まれる。特に教員養成課程では、道徳関係の単位が増加して、情報モラル教育の内容が含まれると有り難い。

○ 道徳では、行動がとても大切だが、逆に一歩間違えて、行動に心が入っていないことが起きては本末転倒となる。一つの行動について、「なぜそうしなければならないのか」ということを考えたり、物事の善悪について討論する時間をしっかりとっていくことが必要。こういった考えさせたり討論する授業ができる教員の養成を考えてほしい。

○ 理論研究の成果を出すことが核になるとは言えるが、現実の事実や道徳現象から考えていく方法で取り組むことも必要。

○ 道徳が教科となった場合、他の教科と同様に、教科に関する科目と指導法に関する科目を両面として設ける必要が出てくる。例えば、道徳教育学概論といった理論的な側面を強調した科目を設置するなど。また、大学の理論研究の強化のため、教員養成課程の中で、道徳教育を専門とする講座や専攻を設けていく必要。大学院の専修免許については、現行の括弧書きの道徳教育だけでなく、道徳教育専攻の専修免許の可能性を考えていくべき。

○ 教育基本法で我が国の教育の目的は人格の完成を目指して行うことにあると明記している以上、教員は全員が道徳の免許をもつように教職免許法を改正する。

○ 教員養成・免許の改善に合わせて教員養成機関や研究者養成機関における道徳教育 の充実(特に道徳講座や指導者の充実)を図る必要がある。

<家庭や地域との連携について>

○ 道徳教育を充実させるためには、家庭を巻き込むことが絶対に必要。

○  保護者を巻き込むため、公開授業や学校便りも活用しながら、保護者に道徳教育を理解してもらい、一緒に考えてもらうことが必要。

○  道徳は実践すべきで、地域社会や家庭でやっていくべきことについては、地域の団体としても担いつつ、両輪としてやっていきたい。

○  道徳教育を充実する新たな枠組みとしては、保護者や地域社会への説明責任を果たすことも考えるべき。

○ 「心のノート」を使って、いろいろな団体やボランティアをしている人を巻き込みながら取り組む方が、学校も楽になるし子供たちも楽しい。また地域でこういうことに関わりたい人を巻き込む機会にもなるのではないか。

○ 家庭や地域との連携を前提とした道徳の授業を年に何回か行うことを義務付けてはどうか。

○ 道徳教育フェスティバルのような取り組みを学校・家庭・地域が一体となって行ってはどうか。

○ 道徳の授業に保護者や地域の人々に一緒に参加いただいてはどうか。

○ 保護者や地域の人たちを対象に道徳の授業を行ってはどうか。

○ 道徳教育を含む学校教育の充実には、学校の活動が地域の文化として意義づけできるように連携を図る必要がある。

<新たな枠組みによる教科化について>

○  児童・生徒の人間形成にとって、なぜ、どういう意味で道徳教育が必要なのか、なぜ教科化が必要なのかを考えることが必要。

○ 道徳の時間が形骸化しているのは、教科でないからである。戦後、道徳教育に関する改善の方針は出尽くしており、それでも活性化させるためには枠組みを変えるしかない。

○ 道徳という領域が持っていた特質をもう一度再確認して、その必要性を前面に出す一方で、新しい枠組みの道徳教育の扱いを、どういう形でカリキュラムの中に編成していくのかという議論が必要。

○  単に教科にすれば道徳教育が充実できるということではなくて、教育の根幹である道徳教育に関するヒト・モノ・カネ、さらには仕組みを抜本的に改善していくことを提案したい。

○ 教科化の性格と課題などの質的議論を図ること、更に教科化以外の方策案も検討する必要がある。

○ 教科というものが教育学的にどう定義されるのかよくわからないが、道徳を教科化という場合には、算数・数学や国語とは違って、もう少し緩やかな意味で使われているのではないか。緩やかな形にしながらも、各学校において指導が確実に行われるようにすることとの兼ね合いを検討すべき。

○  戦後、道徳教育が政治マター化したことによって、修身科や教育勅語も含めて戦前的なものがすべてタブー視され、断絶が起こった。そのために道徳教育に関する理論的な研究が貧困なものとなり、そのことが教員養成や研修、実践、指導法、それを全部総括する意味での政策評価の分野にまで及ぶ機能不全を招いている。道徳の「教科化」によって道徳教育の学問的な体系を構築する必要がある。

○  「新しい枠組み」による教科化に当たっても、その教科を「道徳教育の要」にしつつ、基本的には学校教育全体で道徳を行うという方針で良い。その意味で、他の教科と横並びでない「特別教科」としての枠組みになるのではないか。

○  道徳の教科化とカリキュラム論の関係をどう考えるか。現行のカリキュラム論を前提にしている限りは、「特別教科」を具体化することは難しいのではないか。

○  道徳は教科でないために、大学においても専門家が育たず、理論が構築されていない。教科になれば、目的と内容と方法を体系化しなくてはならなくなる。

○ 教科化を決定してから、実際にそれが動くまでの時間はかなり取って、内容についても広く合意が得られるようなものにしていく手順を踏んでいく必要がある。

○  様々な教育問題が複雑化する中にあって、「現実対応型」あるいは「未来対応型」の総合科学的な道徳教育という発想が必要。生命倫理や環境倫理、公共哲学、情報学など様々な科学を総合的にイメージしていくことが必要。

○  道徳を教科した場合に私学の「宗教」をどう扱うかについても検討が必要。

○  戦前の修身については、(1)専門の教員を配置した、(2)優・良・可という数値評価をした、(3)教科書の内容が徳目主義に偏りすぎたという問題があり、形骸化を招いた。

○ 新たな枠組みの第1には、道徳の特別性を明記すべき。すなわち道徳教育はすべての教育活動の根幹にありその要として道徳があることを明確にするために、教育課程の表記において各教科と横並びにするのではなく、特別教科道徳あるいは総合教科道徳として別枠で示す必要があるのではないか。(もし、併記することになっても、各教科の最初に位置付け、但し書きで例えば、「道徳は、全教科と関連をもたせて指導するものとする」といった記述をする必要がある。)

○ 道徳の教科化といった場合の教科の考え方として、学習指導要領第2章の「各教科」の中に位置付けていく教科ではない。現在は第3章「道徳」の中に「学校の教育活動全体を通じて行う道徳教育」と「道徳の時間における指導」の二つがあり、後者を一つの教科として、第2章でいう「教科」とは違う教科の捉え方をしていく必要。

○ 道徳の教科化は時期尚早ではないか。現時点では「心のノート」の充実化と改訂を進め、その活用を通じて新しい道徳というものの在り方を検討していくのがよい。

○ 道徳教育については、実態として教育委員会でも余り深く議論がなされてこなかった。現場の先生方の意識を変えていくには、まだ少し時間が掛かる。
    ゆくゆくは教科化し、普遍的な考え方を織り込んだ教科書を作っていくべきだが、まずは改訂する「心のノート」を学校現場で定着させ、成熟度を高めていけるような丁寧さが必要ではないか。

○ 道徳は、学習指導要領の第2章の各教科と同じ「教科」ではない。第3章の「道徳の時間」が各教科に準ずるものである一方、学校全体の教育活動の中での道徳教育も大事にする必要。教科書も限られたものにならないよう、慎重に考えるべき。

○ 教科化の問題は、資料2-1の考え方で進めてよい。教育再生会議で指摘された「徳育を従来の教科とは異なる新たな教科と位置付ける」という内容とほぼイコール。中学校においても学級担任が指導するところが、他の教科と異なる点。

○ 数値による評価はしない、学級担任が授業を行うという形式面や、「道徳の時間」を要とし、他の教科・領域との補充・深化・統合を図るという目的面のいずれにおいても、道徳は「特別の教科」としての性格を持たざるを得ない。

○ 社会に生きる人としての基本的な在り方を学ぶ機会として、社会や家庭が機能していない中、学校はそうした教育を受ける上で、公平性・確実性のある場として重要。教科化によって、教員や教材の質がかん養されるのであれば、それは非常に重要なメリット。

○ 道徳を教科化する場合、現行の教科カリキュラムの中に「特別な教科」という形で位置付けようとしても、一般化しにくいのではないか。教科カリキュラムではなく、教科外を統合するようなコア・カリキュラムのような新しいアイディアを出す必要。教科とするならば、陶冶と訓育の2つの側面が入らなければ、教科としての性格は保ちにくい。「道徳」という名称にこだわらず、道徳の内容も含めた教科的なものをコアとして位置付けるような新たなカリキュラム論の中で検討すべき。

○ 道徳の教科化が必要な理由として、家庭の教育力の低下がある。学校現場の過剰負担を考えると、道徳の目標・内容を明確化し、学校で教える範囲を定めることが必要。
    一方で、教科化をしないと学校が真剣に道徳を教えないという問題もある。評価をされる側の子供の受け止めを丁寧に考える必要。

○ 私学において「宗教」を道徳に代えることについては、道徳を「特別の教科」のような枠組みで考えるのであれば、現行通り維持すべき。

○ 私学において「宗教」を道徳に代えることは基本的に賛成。ただし、教科書、免許、学習指導要領について、現行の制度的枠組みに必ずしも整合性が弱く、道徳を「教科」とする際に両者の「ねじれ」を可能な限り解消する試みが必要。具体的には、(1)宗教で使用する教材(教科書)の内容について学習指導要領に準じた「ガイドライン」の策定、(2)今後作成される道徳の検定教科書の検定基準・執筆基準に準じた「ガイドライン」の策定の2点について検討する必要。

○ 学校教育の中核としての道徳教育、その要としての道徳の時間という現行の学習指導要領のしくみをそのままにして、道徳の教科化を図る。
    そうすると、道徳は各教科と横並びの教科ではなく、それらを包み込んで児童生徒一人一人の人間としての自分らしい生き方を追い求める基盤となる道徳的価値の自覚及び道徳的実践力の育成を計画的・発展的に行うことから、「特別の教科 道徳」とし、学校教育法施行規則に、「特別の教科 道徳」「各教科」(国語、社会・・・)・・・によって編成するものとする、と明記すればどうか。
   
○ 道徳教育の目標は、自律的に道徳的実践のできる児童生徒を育てることをさらに強調する必要がある。そして道徳教育の日常化、習慣化を図ることと、学校、家庭、地域社会が一体となって取り組むものであることを明記する。
   そのことを踏まえて、要としての「特別の教科 道徳」の目標を明確にする。現行の道徳の時間の目標を基本とするが、さらに、全教育活動や日常生活、家庭や地域社会との連携などを積極的に工夫することを明記する。

○ 「特別の教科 道徳」の指導方法においては、他の教科等との連携を明確にした指導(例えば「総合道徳」などと明記して)を重点目標や社会的課題に対して計画し、年間指導計画に位置づける、といったことを明記してはどうか。

○ 「特別の教科 道徳」の指導においては、児童生徒の実態を的確に把握して個に応じた指導を充実させる必要がある。そのためには、教師が指導する内容について分析し、児童生徒の自覚の状況がどの程度かを評価し指導を充実させることが求められる。児童生徒に示す評価は、そのような指導の結果、育まれてきた道徳的成長を記述するということでいいのではないか。

○ 「特別の教科 道徳」の特質を勘案して、教科書の一部としてサブノート的なものの開発を求め、児童生徒が自己の道徳学習を振りかえったり、成長を実感したり、課題を見出したりして、自己学習を深められるようにする指導の工夫が必要ではないか。

○ 「特別の教科 道徳」の指導は、特質から考えて、学級担任を中心として全員がかかわれるようにする必要がある。そのためには、道徳教育を指導できる加配教員の配置や、専門的な指導(研修)を受ける機会を充実させる必要がある。

○ 大学の教員養成課程において道徳教育科目は増やす必要があるが、教員免許を取得する全員に道徳免許を交付できる仕組みを作ることも考える必要がある(例えば該当教員免許の取得の際に道徳教育科目を8単位取得することで道徳免許が同時に交付されるなど)。

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