資料5 「道徳教育の充実に関する懇談会」前回(第6回)の主な意見

1 道徳の目標について

○ 理想的人間像の訓育的内容が目標として挙げられている一方、生きる上での葛藤、矛盾、苦しみといった人間の現実的な姿や関わりが全然見えてこない。それを解決していくよう、陶冶、認知的な関わりで対応していく側面も目標として挙げていく必要。

○ 道徳教育の目標は、一般の人が読むと、一体、何を目標としているのかほとんど分からない。何を目標とするのかを明確に記述する必要。それは、(1)善悪の判断を付けさせる、(2)規範意識を持つ、ルールを守る、(3)日本人としてどう生きるかという3つではないか。解説では、道徳的判断力は善悪を判断する能力などと書かれているが、きちんと学習指導要領に明確に書くべき。

○ 道徳教育の目標は、学習指導要領や解説を何回も読んで理解する現状であり、もう少し分かりやすい言葉になるといい。道徳の時間は、即、実践を目指す時間ではなく、道徳的実践力として、将来、出会うところを計画的にやっていくことが大事。

○ 道徳の目標の第一印象として、大変難しいと思った記憶があり、道徳という言葉がいろいろ出てきて、非常に国語力が試されている感じがした。道徳の時間の創設時、押しつけにならないよう、単なる生活上の経験の話合いに終始することにならないよう整理したのだと思うが、もう少し目標を分かりやすくしていく工夫はあっていい。

○ 道徳教育の目標と道徳の時間の目標の整理をどうするかという議論に尽きると思う。教育課程全体の中で道徳を考え、その中で道徳の時間、あるいは新しく教科とされていく道徳をどう位置づけるのかという議論は整理していく必要。

○ 道徳教育の目標について、学校における道徳教育は教育活動全体の根幹に位置付くことを示して、こういう仕組みで道徳教育を行う必要があることを書く必要。また、道徳の目標や内容に加え、方法も一緒に議論してく必要。

○ 総則の道徳性とは、道徳の内容項を抑えているが、第3章道徳の道徳性は、道徳的判断力、道徳的心情、道徳的実践意欲という形になっている。その2つを一緒にして目標が見えてくるが、別々に書いてあるので理解が難しい。道徳教育の特質を抑えた目標の表示だけでなく、各教科等と関連も持たせ、どういう子供を目指すのか、例えば、総合的な学習の時間の目標に相当する目標の示し方、その方法に関わって理解を得られるような記述の仕方を構造的に考えてみる必要。

2 道徳の内容・指導方法について

○ 理想像が教育の指針になるため、目指す人間像を道徳の内容項目の中に盛り込むことは非常に重要。

○ 道徳の内容について、科学の発展や子育てに社会全体がどう関わっていくのか。そういう具体的な話をどこかで入れていく必要はないか。

○ もう少し抽象論から具体論に行って、分かりやすく、ビジュアルなものも入れながら、議論をしていくことが大事。また、高学年になれば知恵を付けていくことも大事であり、どう段階的に分かりやすく議論をしていくか。

○ 道徳の内容項目の記述は、全て訓育的な記述しかない。態度形成にかかわるような形で思考や切替えといったことも視野に入れ、内容の組入れも今後考えていく必要。

○ 道徳の内容について、4つの項目の分け方でいいかどうか、その内容がこれでいいか検討する必要。個人、家庭人、地域、職場の人間、学級・学校・部活の一員、社会生活など、いろいろな立場で我々が生きている中、全部うまくカバーできているか検討する必要。

○ 小学校と中学校で内容の示し方がこれでいいのか、まだ議論の余地があるのではないか。小学校の低学年の場合、指導の重点事項が非常に分かりやすいが、中学校を見ると、難しいことがいろいろ書いており、もう少し議論してもいいのではないか。

○ 新学習指導要領で加わった「道徳の時間を要として」の「要」の意味が明確になっていない。道徳教育の要で、補充、深化、統合を前提とするのであれば、道徳の時間が道徳的実践力、特別活動や総合的な学習の時間が道徳的実践という構造は余り意味をなさなくなる。また、道徳的実践は道徳の時間の本来の役割でないということで済むのか検討する必要。道徳的習慣、すなわち道徳的な実践と実践力をどう構造化するか、今後、教科化する上でも非常に重要なポイント。

○ 実践力と実践の違いが混乱したままの状況が現在もある。即効的に実践を求めるのか、生活の現象面から原理追求していく価値教育を提示するのがいいのか、自分でも迷いがある。一方、キャリア教育は、キーコンピテンシーをベースに、能力育成を学校教育全体を通して行うという、様々な教育の上位概念として登場してきた。それは、道徳的実践を目指し、能力につながるが、理念教育としての位置付けは非常に重要。この2つの方向から、これまでの教育課程を踏襲した上で再定義するのがいい。

○ 道徳の内容項目には当然目指すべきことが書かれているが、そう簡単に達成できるとは思わない。ただ読む、聞かせる、何かを見るだけでなく、実践することが今の子供たちには必要。学校教育全体の中でもっと意識してやるべき(実践だけすればいいのでなく、今まで余りにも力を入れてこなかったので、もう少しやるべきではないかということ。意味合いを教えるのは当然のこと。)。

○ 道徳の時間は理念的なことを教え、それ以外の特別活動や総合的な学習の時間の中で実践をしていくのであれば、もう少し道徳と特別活動と総合的な活動の時間をきちんと関連づけてカリキュラムを作る必要。関連付けて指導を行う形で明確にすれば、今の道徳、特別活動、総合的な学習の時間という割り振りの仕方でも、今よりは効果のあることができるのではないのか。

○ 道徳的な行動を実践できるというスキルは、子供は何回も何回もやることによって自然にできるようになるが、「なぜそれをしなければらなないのか。」を考えることを同時に行っていく必要。

○ いじめの問題は、「自分はどうか。」という問題と、「人としてこうあるべきだと考えたときに、それができない状況がある種生まれてきたときに、どう対応するのか。」という問題を考えていく必要があり、発達段階が上がれば上がるほど、後者の方が重要になってくる。理想とそれを実現できない状況の中、どう対応していくのかは整理して位置づけていく必要。

○ 善とか悪という問題について、発達段階が上がるにつれて、表裏や両極や多面的な視点から光を当てて考えさせなければならない。その思考経験をさせるステージとして道徳の時間で実践力が培われ、それを実践することが違う領域に位置付けられているという、日本の教育課程の構造は非常に合理的。ただ、これが現場に届かないまま何十年も経過しており、目標や内容項目を授業レベルできちんと形にしていくことが大きな課題。

○ 今の時代背景を踏まえると、幼稚園や保育園と連携した小学校低学年にとっては、指導の在り方も考える必要。その中で、今までとは違った多様な、少しビジュアルな工夫をした指導の在り方というのもあるのではないか。

○ 教師は、道徳の時間が一体何をする時間なのかということをしっかりと把握して、指導過程や指導法の工夫をしていくことが大事。

○ 今は社会が複雑になっており、いろいろな徳目や項目が矛盾しながら働いているところが多くなってきている。そのとき、どちらを優先すべきかとか、もっとメタ的なものを引き出すための実践が必要。小学校中・高学年になれば、コミュニケーション力や、集団的にいろいろ決めて矛盾した中でよりよいものを選び取る能力を発掘させる指導的工夫が必要。

3 道徳の評価について

○ 他の教科と同じように、目標を設定し、評価基準を設定し、評価基準を指導と評価の計画に位置づけ、評価月間のうち記録に残す場面を明確にして授業を行って観点ごとに総括するという流れを援用すれば良い。評価の観点も、関心・意欲・態度と思考・判断・表現、技能、知識・理解の4つに構成をして、早急に評価基準を策定すれば良い。諸外国での評価基準なども参考にしながら進めていけば、それほど難しい問題にはならないだろう。

○  道徳性の評価は、その子供がやる気を起こさせるような評価を基本にすべき。4つの指導内容に関わって、子供たちの成長した部分を一つでもいいからしっかりと記述しようという程度の評価でいいのではないか。

○ 1学期間の始めと終わりを比べてみると、進歩のあったということを、「君、よくやったね。」とか、「君はできなかったことができるようになったね。」という表現があったら、子供は元気が出ると思う。

○ 学習者自身がメタ的に自分なりに振り返って評価するという関わりも保障すべき。

○ 道徳が教育課程全体を通じて実現していくものであって、教育の究極の目的の人間性に関わるものと位置付けようとすればするほど、通常の教科と同じように統一目標を掲げての達成度という評価は、基本的になじまない。

○ 挨拶や友達と仲よくというのは、行動の記録で付記してある部分。内面を評価するというのは、記述にしても大変難しい。ある一記述でも、その一部分の評価なので、全体の人間性について道徳性の評価はできないと思っており、大変慎重にすべき。

○ アジア諸国における道徳の評価の内実をもっと深く調査する必要。

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