資料3 「道徳教育の充実に関する懇談会」これまでの主な意見

1 道徳教育の現状・課題

○ 世界のどこの国にもモラルの教育はあるが、我が国では、歴史の中で経験してきた古い時代のいろいろな問題に妨げられて道徳教育を忌避しがちだった。

○ 道徳教育の実施状況調査で、平均35時間を超過しているというデータについて、実感としては怪しいと感じる。学生に聞いても、小学校、中学校のときに受けた授業の印象がほとんどない。

○  道徳教育は、教科書がなく、評価もないため、それぞれの先生の思いで指導が行われてしまう傾向がある。校内研修を行って切磋琢磨(せっさたくま)し、お互いの力を磨く機会も少ない。教材や指導資料も十分に行き渡っていない。実際に道徳の時間が他の授業に振り替えられている例も結構ある。

○ 現状のとらえ方が、道徳教育の問題状況を指摘する意見が主になっているのではないか。改善の取組として校長のリーダーシップが重要。

○ 道徳教育を含めた教育を学校単位の点として取り組む現状から地域のすべての学校が面として取り組み、成果を生み出しているモデル地域の事例に着目する必要がある。

2 道徳教育の改善の方向

<道徳の意義、理念、目標について>

○ 国をつくる、維持するためにどういうことが必要か、自分の命、子々孫々に至る命を守り続けるために何が必要かを子供とともに考えることも大事なモラルの教育。

○ 道徳教育を学校でも家庭でも重視するのは、人間としての品性を高めて、品性の高い人たちの集まりの国を作るためである。

○  知・徳・体の重要性も、何のためかと言えば人間としてより良く生きるためというところに統合されるべきであり、道徳教育が教育の根幹でなければならない。

○ 道徳教育で大事にすべき点は、(1)命、生きること自体の尊さを基礎に、(2)よく生きる、あるいは、よく生きるとはどういうことなのかを自ら問い、考えながら、懸命に生きること、(3)よく生きようとする人々が、互いに協力し、共に生きることができる正しい社会の在り方を問い、あるいはその実現に参画していくこと、この3つをバランスよく実現する力を育成すること。これは教育課程全体の課題であり、全体の枠組みの中でしっかりと位置付けていく必要がある。

○ 道徳性の育ち、指導については、(1)子供自身の自己肯定感を育てながら、自己向上心に向けていくことが基本であり、(2)そこから周囲の人、世の中のいろいろな人への配慮、思いやり、共感、同情心が育ち、(3)そのことにより、社会の中の善悪、ルール、さらには具体的な行動のマナーを守る中で、自他の両立が可能となる、(4)その上で、世の中を良くしていこう、社会を素敵なものに変えていこうという志が育つと思う。そういった全体像を考えながら、教科化した場合に何ができるか、他の授業との関係はどうかなどについて考えるべき。

○ 発達段階に応じて、より広い社会性を獲得させるべき。内的な発達に応じて、外部環境が適切に変化していく必要があり、内的発達と外部環境の相互作用によって、自己と社会に関する新たな概念的認識が形成されていくこと、これが、今後の道徳教育において重要なのではないか。とりわけ中学生の道徳性を向上させるためには、特別活動や社会との交流など、外部環境との関係を真剣に考える必要がある。これまでの道徳教育においては、自分の心の在り方を考える個人道徳が主流あるが、発達段階が進むにつれ、個人道徳だけでは、本当の意味での道徳性を獲得することはできないのではないか。

○ グローバル社会だからこそ誇りを持って発信できる日本特有の伝統的な価値観について考えていくべき。

○ 生徒がいろいろな課題に直面する中で、武道など日本文化を支えるものとの技術的な関わりを通して、自分なりの自信と技術を習得しながら成長していくことが大事。

○ 自分の心が動いて自分で判断し、望ましい道徳的行為をするような子供を育てたい。

○ 道徳教育の目標が何かが明確でない。道徳教育とは何をもって身に付いたと判断されるかについて明確にする必要がある。仮に規範意識や挨拶、礼儀などがそれであれば、学習指導要領にそうわかりやすく書くことで目標を明確にすべき。道徳教育の目標は突き詰めれば物事の善悪の判断ができるようにすることではないか。

○ 学校のカリキュラムとして教科カリキュラムを前提とするのではなく、新たなカリキュラム論に基づいて道徳教育の性格と役割を明確にすべき。

○  道徳教育については、地域間、学校間、教師間の差が大きい。様々な指導法が提示されており、実態も多様なものになっている。例えば、道徳的価値を教え込むべきと考える教員もいれば、一つの道徳的価値について多様な考えを出させ、話し合う時間と考える教員、あるスキルについて行為としてできるようになることを重視する教員もいるなど様々である。道徳教育に関する理解の違いを修正していくことが必要。

○  道徳の問題を考える際、「多様性」が一つのキーワードになると思う。多様性を尊び、社会の一員としての自らを考える、人のことを考える、そういったことができるようにする教育の在り方を考えたい。

○ 最終的に子供たちにどうなってもらいたいか、子供がどのように育ってほしいか、その子供たちは本当に楽しんで学習をしているのかというところが、ずれていると感じる。この懇談会でギャップを埋めていくべき。

○ 道徳の時間というのが、どの学校でも当たり前に特質を生かして行われるようになってくるということが一番大事なこと。

○ 道徳教育はすべての教育活動の根幹にあることを明記すべき。教育基本法に教育の目的は人格の完成を目指すことになると明記されている。その人格の基盤が道徳性であり、道徳性を計画的・発展的に養っていくのが道徳教育である。

○ 道徳教育の意義と理念が、国づくり、人間形成として品性や徳目、社会的規範、善悪の判断などの訓育的側面から指摘されている。

○ 道徳教育の意義と理念については、社会的関与を基盤に自己の人間的資質形成の訓育的側面と社会・文化・科学等に関する学力形成の陶冶的側面を視野に検討する必要がある。

○ 個の人間形成に関連する価値観・思想については国家が関与するよりも個人の自己責任に委ねるべき。学習者の自己責任を教育の基本原理とすべき。

<道徳の内容・指導方法等について>

○ キャリア教育との関連でも、道徳の時間における道徳的価値の基盤の育成が重要。その際、現代の子供たちの変容を踏まえたリアリティある内容が必要。

○  中学生は、進路やどうやって生きていくかなどについて話し合いたいという希望が強い。友達関係や異性のことなどについても同様。

○  内容項目については、文言を精査し、時代に対応した内容の加除等が行われることで良い。

○  現行の道徳の内容項目は、わかりやすく整理されているが、価値論からすれば何が一番中核的な価値なのかという構造がわかりにくい。その構造化が課題。また、価値項目を説明する表現が必ずしも明確でないところがある。

○  価値の構造化については、国レベルでそれを示すことは適切ではないのではないか。

○ 学習指導要領に示された道徳の内容項目を見ると、例えば国と国との交際に関わることなど、もう少し補うべきところがあると思う。

○  教育課程の中で、「道徳」「総合的な学習の時間」「特別活動」の3領域の内容のすみ分けがあいまいになっているのではないか。

○  3つの領域がそれぞれの特質を持って存在していることが重要。教科化に当たっては、指導要領において道徳が独立した章立てになっている現在の形をなくさないようにすることが必要。

○ 人間のあいさつは相手に対する尊敬の念や感謝の念などの礼が伴うもので、これを一つずつ身に付けていく、心の中に植え付けていくことが大事。

○  単に教材のみで教えるということではなくて、例えばコミュニケーションするにはどうすれば良いか、オン・ザ・ジョブ・トレーニングの中で取り入れるような在り方があって良い。

○ 実際の人生の中で道徳的理念を実現していくことはかなり難しいことであり、試行錯誤を繰り返しながらやっていく子供たちを支える必要がある。そういう意味では、ある意味での技法を身に付けることができるような配慮も必要。例えば、コミュニケーションが大事ということがわかるだけでなく、自分の思いを伝える、相手の思いを酌むために必要な技法的な側面も身に付けることができるようにすることが大事。

○ 善悪の判断基準は、宗教上のものの考え方や日本古来の伝統行事の意味するところあたりから身についていくのではないか。日本古来の伝統行事について、きちんと子供にも教え、また親にも教えていくのが日本らしい道徳教育の在り方ではないか。

○  日本には礼の文化があることを子供に伝えていくとともに、家庭でもしっかりと育んでいくべき。

○  生涯学習、芸術教育、学校行事、学校給食など、教科ではない特別活動的なものの持つ道徳的な教育力にも注目すべき。

○ 従来、道徳の時間では道徳的価値に関して思考させ、道徳性を高めるという目に見えないものを目標としてきた。一方、教科等では、スキルを高める、ある行為ができるようにすることを重視しており、両者はかい離していたが、本来目指すべきところは一つのはずである。今の子供たちにどういったアプローチの仕方が適しているのかも含め、検討していく必要がある。

○  道徳教育において原理追求は大事だが、どの発達段階で何が必要なのかを踏まえ、様々な方法論を整理した上で臨むことが必要。

○  情報モラル教育のうち、(1)人に迷惑をかけない、傷つけないという側面、(2)生活習慣や健康に関することは、道徳教育とも重なるが、(3)被害者にならない、危険を回避するという部分は、道徳教育の枠組みに入りにくいかもしれない。

○  相手に尊敬や感謝を伝える礼や挨拶にも様々なものがあり、これもあり、あれもありだということを子供たちに伝えるべき。

○ 個々人の道徳心が高まったということも重要だが、それが現に今ある生徒の具体的な人間関係にどう役立ったか、皆が生きやすくなったかどうかということも重要。

○  医学教育でも、詰め込みはやめて、ある症例について自分で調べ、検討するような方法を重視するようになっており、道徳教育についてもこうした在り方が大事。

○  道徳の時間が週1時間で良いかどうかについては議論すべきだが、個人的には少し少ないのではないかという気がする。

○  道徳の時間を増やすとなるとどこを減らすかという問題もある。まずは35時間しっかりとやりながら、全教育活動の中での道徳教育との明確な連携を図っていくということではないか。

○  品川区の「市民科」は、実践に重きを置き、また、実践を振り返って反省する時間もとっている。そうなると、100時間前後ないと対応できない。

○  道徳の時間は例えば年40時間とし、教科との関わりをもっと持たせるなどの改善を図ることがあっても良いのではないか。

○  道徳の時間を5時間プラスすることはあって良いのではないか。また、加配教員と一緒に若い教員が授業をするというような工夫も必要。

○ 特質を踏まえた多様な授業観を切磋琢磨(せっさたくま)し合い、しなやかな道徳授業を生み出していくことが必要。特に、今回、「言語活動の充実」が学習指導要領に入り、「解説・道徳編」でも示されるように、「討論や討議」や「共同的に議論」する活動、ディスカッション型の道徳授業にも今まで以上に心を向けてみることが重要。平成10年の中央教育審議会のいわゆる「心の教育」の答申でも強調されていたこと。

○ 子供たちにとって、道徳の授業を面白いと感じるには様々工夫が必要。偉人伝や読み物を読むというのは、国語の授業との違いがよく分からないということも出る。それによって何を学ばせたいのかということが明確でないと、その効果も生まれないのは当然のこと。ディスカッション能力を高めていくためには、今までの道徳の教え方からかなり大幅にその指導方法を変えるということを検討していくべき。

○ 中学生の段階になると、かくあらねばならぬというよりは、討論、討議、あるいは協働的に議論するということが多分必要だろうと思うし、価値の押しつけということも、中学生段階はどうなのかという感じもする。

○ 主人公の気持ちを追っていくような発問が多くなる授業だと、中学生は、退屈してしまっている。子供たちの発達の段階を見極めた形で言語活動をうまく取り入れていく、又は、発問を工夫するということが、大事になってくるのではないか。

○ 小学校と中学校の実態の違いを踏まえて、発達段階に即した授業へと区別化を図る必要。例えば、中学校段階は、生命倫理、環境倫理、情報倫理などの教育課題に応じた内容も積極的に生かすなど、学習内容や方法のタイプについて区別化を図っていくことも選択肢の一つ。

○ 道徳教育の内容としては、人間としての在り方に関連する価値を基盤とすべき。

○ 道徳教育の内容編成では社会的背景と発達段階を考慮すべき。

○ 基本的礼儀等は教化的に指導すべき。

○ 価値内容よりも価値形成に関連する方法や技能を指導すべき。

○ 道徳における指導方法として教化的に教え込む方法よりも学習者が主体的に学習する方法を取り入れるべき。

○ 道徳教育の内容としては、価値領域とともに知識領域も基盤とすべき。

○ 道徳教育の内容編成では社会的背景と発達段階を考慮するとともに、個の人間形成の記録と学習基盤としての役割を考慮する。

○ 学習者関与を最大限に保障すべき。知識は教えられるものでなく創るものであるとする構成主義的学習に基づく方法を重視すべき。教科書や教材は与えられるものでなく創るものととらえるべき。

○ 学習者の学習過程をポートフォリオとして記録と保存を図り、それらを日本人としての国民性、時代性、人間性の記録資料の社会資本としてとらえるべき。

<市民科について>

○ 市民科は、社会の中の個として人間がどう生きるべきかという視点から「道徳の時間」「特別活動」「総合的な学習の時間」を統合したもの。子供たちを取り巻く様々な課題を解決するために、人としての有りようを(1)個の内面、(2)個と集団、(3)個と社会という視点から整理し、児童生徒に育てるべき資質を明確化。その上で、実践的に活用できる態度や行動様式、対処方法として身に付けさせる能力を設定し、義務教育9年間で計画的に取り組んでいる。

○ 「道徳の時間」では、子供の内面に関わることを、長期的な展望、綿密な年間指導計画に基づいて実施するのがコンセプトだと思うが、品川区の市民科では、道徳性を訓練と実践を通じて獲得させている。基本的な道徳、例えば、命の尊厳や親への敬愛などの価値、日本社会における社会的な習慣・行為の習得については、理屈ではなくて徹底的に教え込むことを基本にしている。

○ 市民科の指導には「型」があり、教科書を作っているので、教員や学校の裁量の部分は少なくなっているが、市民科は教科以外のすべての教育活動を統合したものであり、その指導計画の作成には学校が膨大なエネルギーを費やしている。

○ 評価については、基本的には、5領域15能力の中で、各領域について、主に取り扱ったものを、学期ごとの通知表で返す。自治的活動能力では、こんな活動をして、こんな成果があったと、記述で通知表に書いて評価をしている。

○ 重要なのは社会性の問題であり、自分の問題は自分の問題だと考えるだけではなくて、自分を社会の中に位置付けて、社会の在り方と、自分の役割と、自分の生き方というのがトータルに見られるようになって初めて社会の規範性が身についていく。
  教科の編成としてどうなのかということは議論があろうが、市民科では、社会的なものとも結びつけたり、コミュニケーションをとらせようとしており、基本的には中学段階についてはこの方向が適当なのではないのか。

○ 市民科の取組に関しては、道徳的実践力を育てる道徳の時間の内容が薄いのではないか。心情的な部分の育成も重視すべきではないか。

○ 市民科では、理性・判断というところで、合理的で実利的な能力が子供たちに身につくと思う。一方で、道徳の中には、やはり人間としての生き方の部分、例えば、人がどう生きていくのかとか、生き方の展望とか、生き方を考えさせることが必要。

<評価について>

○ 評価が難しいから教科化ができないというロジックは成り立たない。評価が簡単な教科などない。

○  評価に当たっては長期的な視点での見とりが重要であり、数値的な評価や個々の言動を評価するようなやりかたは不適切。意欲や可能性を引き出すような記述による評価は可能ではないか。

○  数値による評価は行わない方が良い。指導の記録や「心のノート」と連動した生徒の変容の記録などの形での評価については開発可能かもしれない。

○  評価については、数値評価はしないということで良いのではないか。評価の在り方についても新しい枠組みで考える必要があり、「関心・意欲・態度」という観点からの評価を指導要録の中に記述式で行う欄を設けることが考えられる。

○  評価は子供たちの成長の振り返りや指導計画・指導方法の改善のために必ず実施すべき。指導要録の行動の記録をうまく活用することが考えられる。子供たちがどう伸びていったかを積極的にプラス面で評価すべき。

○  教員に十分な専門性がない、理論的に詰められていない状態であればこそ、評価については慎重に考えるべき。道徳教育について、ある程度内容をまとめてやっていくことになるのであれば、内容にとっても広く合意が得られるものとなるよう時間をかけて議論すべき。     

○ 行動の記録の評価の観点が何に基づいているのか整理されていないので、行動の記録も含めながら、通知表や指導要録の問題をどのように整理していくのかが一つの課題になる。

○ 点数化による評価はしないことを明記すべき。

○ 子供たちの道徳的学びに関する成長の芽〈よさ〉を記述式で記入すべき。(そのことにかかわらせて課題も明記することがあってよい。)

○ 評価の方法としては、数値や行動などによって明確にすることはできないが、学習者の意欲や可能性を引き出す評価の在り方について検討すべき。

○ 評価の方法としては、教師による評価と学習者自身による評価も組み入れ、学習者自身の成長を促進できる方法を検討する必要がある。

○ 「教科」化した道徳に限って評価を行うのか、道徳教育は教育課程全体の中で実現していくべき教育であるという基本的な考え方を堅持し、教育課程全体の中で児童・生徒の発言・行動などを見て、児童・生徒の道徳性を向上させていく上で必要な評価を行っていくのかが問題であり、後者の考え方が適切であると思う。道徳教育は、一般の教科のような到達目標とその達成度という観点からの評価になじむものではなく、あくまで、児童・生徒が道徳性を向上させていくために必要な助言・援助を行うために、行動の記録などを参考にしながら、記述的な評価を行うことを検討すべき。

<教科書・教材について>

○ 道徳教育を充実させるためには、資料の充実、指導法、教員の育成が大事。

○  道徳教育の充実のためには、校長の姿勢や指導力のほか、教材の充実が必要。

○ 生きること、よく生きるということが難しい以上、道徳教育が簡単になることはあり得ないので、先生方も悩むことが大事。その意味では、教材もこれさえあればすぐに道徳教育ができるというものではなく、先生方に自分なりの取組や努力を求めるようなものにすべき。

○  道徳教育を充実させる際の原点となる教材はやはり「心のノート」ではないか。

○  障害のある子供、家庭事情もいろいろな子供など多様性がある中で、そういう子供たちにとって教科書がどういうものであるかという視点を押さえておくことが必要。

○  教員の姿勢や指導力等によって授業に極端な温度差や充実度の差がでないような教材が必要。

○ 道徳用教材について、資料のスタイルの多様さを認めつつ、地域教材などと併存させながら活用できる環境を整備することがとりわけ大切。

○ 道徳の教科書について、民間の会社から出されたものの中から教育委員会が選んでいくというやり方は余りなじまないのではないか。教科化するならば、国で教科書を作って無償配布すべき。

○  教科書の検定基準をどうするかについてはかなり長い議論が必要。当面は、文部科学省が著作の名義を有する教材を作ってすべての子供たちに配布し学校で活用することで良い。

○ 検定教科書の問題は少し深い大きな問題になり過ぎるため、「心のノート」の充実をまず最初の目的においてやっていくのが、比較的分かりやすい方法ではないか。

○  道徳で「教材を教える」のは良くない。教材で何かを教える、何かを考えさせることが大事。その意味で、通常の教科とは異なり、教材の扱いをじっくり考える必要がある。現段階ですぐに検定教科書を考えるよりは、その点は慎重に考えた上で、「心のノート」を使って考えさせる方向を基本的に維持していくのが良い。

○ 教科書の問題は、もう少し幅広くやらなければ、方向性は決められないのではないか。同時に、中教審等の議論を踏まえてやる必要があるかと思う。

○ 学習指導要領の趣旨に添っているか、憲法や法律の趣旨に添っているかなどの大きな基準、枠の中で多様な教材を開発することを考えれば、検定も難しくはないのではないか。

○ 教科書の工夫を提案してはどうか。(例えば、それぞれの指導内容項目に関する指導に資する資料の掲載は当然として、自分を複数の道徳的価値から見つめられる教材(結果的にトータルに自己を見つめられるようにする)、人間とは何かを、生きるとはどういうことか、学ぶとはどういうことかについて学年段階ごとに考えられる教材、重点的内容項目を発展的に学習できる編集上の工夫、各教科等と関連をもたせて学ぶ教材、日常生活や調べる学習等と関連をもたせて学ぶ教材、家庭や地域との連携を前提とした教材等を取り入れるようにする。)

○ 道徳の授業について記録でき、授業後も個人的な道徳学習等を記録できるノートを工夫し、児童生徒が授業を振り返ったり、学びを確認したり、発展させたり、自己の成長を実感したりできるようにしてはどうか。(ポートフォリオ評価にも活用できる。)

○ 道徳の指導のためには、全教育活動を通して道徳教育に資する教材と、要である道徳の時間の指導に資する教材の2つが必要であり、「心のノート」と教科書の両方が必要。今回、「心のノート」で、道徳の時間でも使える教材も盛り込みながら、全教育活動とどう響き合わせて指導するか示せるようにすることが必要。

○  道徳について、基本的には検定教科書にしていくのが原則だろう。その際、「心のノート」との関係をどうするかが課題。仮に検定教科書を用いず「心のノート」だけを使うことになると「国定教科書」化ということになり望ましくないのではないか。

○  既に副読本が作られていることを考えると、それが教科書になったからといってそれほど大きな問題が生じるかは少し疑問。国語ができるのであれば道徳も可能なのではないか。

○  価値観に関わる問題を一方的に方向付けすることは難しく、検定基準については難しい議論になると思う。ただ、多くの子供、大人が多様な価値観を出し合えるようなものを投げかけることは可能ではないか。

○  民間や自治体の読み物資料について、道徳の時間で活用するに適切か不適切かといった基準を明確にすることは、価値観にかかわる問題となり、困難ではないか。

○  教科書を作ることは可能と思うが、その際、様々なものが出てくることについて、それも良いだろうと認めていけるような覚悟が必要。

○  教材については、教科書を発行することも考えられるが、それには時間がかかるので、当面は現在出版社が発行している副読本の購入予算を付けて、選択や活用状況の報告をさせながら授業で活用していくこと、また、「心のノート」を発展させ、年間を通じて道徳の授業の実施に十分な内容のものにし、全校に配布することが考えられる。

○  教科書の検定については、政治的、宗教的中立性や学習指導要領の範囲との関係、検定基準の示し方などとの関係で現実問題としてはなかなか難しいという意見もある。

○ 教科にすれば、教科書を発行し、授業で使えるようにすべきである。その際、教科書は複数のものから選べるようにする。更に道徳の教科書は、各教科や日常生活、家庭との連携などにも使い、授業においては3分の2程度使うようにし、後の3分の1は様々な資料を使って授業ができるようにしてはどうか。

○ 道徳教育においては、道徳の教科書と全教育活動における道徳教育の教材である「心のノート」の両方に係る経費を全額国で負担する必要がある。

○ 道徳教育の充実を図る上で、教材と教科書の開発と活用、更に「心のノート」の効果的活用が指摘されている。

○ 教科書の内容として読本的な教材だけでなく、多様な資質形成や学習活動を含み入れた内容を検討する必要がある。さらに、「未来対応型」の教科書としてインターネット機能を有するウェブ教科書なども検討する必要がある。

<教員の資質向上について>

○  きちんと道徳を教えられる先生を真剣に育てる必要がある。

○ 教員養成の段階で十分授業に耐える資質を育てる必要があり、教員養成のカリキュラムを教科並みに変更していくことが必要。

○ 教員養成課程において、道徳の授業の展開方法を必修として定着させるべき。

○  教員養成課程では2単位しか道徳を扱っておらず、増単位が必要。理論的な内容に加えて、現場ですぐに使える実践的なものも教えてほしい。

○ 大学の教員養成課程では、道徳の時間の授業づくりに特化した2単位があって、そして、道徳教育、道徳の時間に対するプラスイメージを培うような学習が2単位というのが必要ではないか。

○  教育実習における道徳の必修化も必要。教育実習で道徳の授業をさせれば、教育実習生を受け入れる現場サイドにおいてもそれを指導するための方法や理論を詰めざるを得なくなる。

○  道徳という専門の免許は必要ないが、研修の充実が必要。

○  教員免許については、基本的に専門免許の発行は必要ないが、教員の普通免許に道徳教育関連科目の単位数を増やすことが必要。その際、道徳教育の理論面を強化するため、理論研究に関する科目を設けるべき。大学院レベルでは「道徳」の専修免許を出すことは考えられる。道徳教育関連の講座・専攻を設置することは積極的に考えられるべき。

○  各学校の道徳教育を指導する立場にある者、各学校の道徳教育推進教師、道徳主任等に対する研修の充実が必要。学校を挙げての校内研修が重要。

○  教員養成課程の2単位だけでは難しいので、校内研修を充実する必要がある。

○  小中の連携により道徳教育に取り組むことは教員の指導力向上に有効。

○  管理職になる前の段階から、道徳教育の指導方法などについてしっかりと研修をしないと、校長になってからでは対応できない。

○ 意識改革のためには、管理職の道徳に対する研修等も必要。

○  道徳の時間の取組は、校長の取組方針や各教諭の姿勢によって温度差、充実度の差がある。校長が取組方針を明確にして、全教員の共通理解を図り、道徳の授業の改善・工夫に取り組むことが必要。

○  校長のリーダーシップで道徳教育を学校経営の柱に据えて取り組むことが必要。

○ 校長のリーダーシップは重要だが、校長の個人的な意欲や資質に任せることには限界があり、道徳教育の充実に向けて校長がリーダーシップをとれるように、教育委員会等において、必要な助言等を行うことができる体制を整備する必要がある。ただ、こうした体制が名目的なものになってはならず、各学校を訪問し、道徳教育の全体計画の策定について指導・助言を行ったり、授業改善の援助を行ったりするなど、実質的な指導・助言を行えるようにすることが大切。また、こうした指導・助言の体制は、教育現場の状況を十分に踏まえて、校長あるいは各教諭の授業改善の努力を支援していく形になるように工夫をしていく必要がある。

○  指定校などへの財政的な支援や、道徳に余り目を向けていない学校への啓発も必要。

○  道徳教育のための加配教員があると良い。

○  道徳の指導は教師全員がやるが、道徳の特質を踏まえると、それを補充していくために加配教員や特別な人に指導してもらう機会を設けるなどの配慮が必要。   

○ 「道徳教育推進教師」の意義を押さえ一層有効なものとするためにも、協力体制の要としての人材の実質的な確保のための措置が重要。

○ 各都道府県では、3年周期くらいで全教員が道徳の研修を受けられるようにすべき。

○ 校長や副校長(教頭)の就任前の事前研修では、道徳の時間の演習を必修にすべき。

○ 各学校に道徳教育の研修費及び教材費の予算化を義務付けるべき。

○ 教職免許法の改正を行うべき。(道徳教育に関する単位は増やす必要があるが、そのことを活用して道徳免許を取得できるようにしてはどうか。その方法として、各教員免許を取得する際に、例えば「道徳教育科目を8単位修得すれば当該免許と道徳免許を取得できる。どの教員免許も道徳免許と同時でないと取得できない。ただし、一つの教員免許取得後に他の教員免許を取得するときには免除される。」といったことが考えられる。)

○ 道徳教育推進教師への特別手当を設けてはどうか。(リーダー的人材を確保する。)

○ 例えば中学校区を基本としながら道徳教育担当の加配教員を配置してはどうか。(当面は退職教員の配置で対応することもできるのではないか。)

○ 教師の資質形成の対応としては、大学における教員養成の改善と学校における教員の研修や連携が必要。

○ 教師の資質向上の対応として、社会の制度や組織の側面だけでなく個々の教師が主体的に取り組み、教師としての資質形成に関連する活動の保障と活用を図る側面も検討する必要がある。

<家庭や地域との連携について>

○ 道徳教育を充実させるためには、家庭を巻き込むことが絶対に必要。

○  保護者を巻き込むため、公開授業や学校便りも活用しながら、保護者に道徳教育を理解してもらい、一緒に考えてもらうことが必要。

○  道徳は実践すべきで、地域社会や家庭でやっていくべきことについては、地域の団体としても担いつつ、両輪としてやっていきたい。

○  道徳教育を充実する新たな枠組みとしては、保護者や地域社会への説明責任を果たすことも考えるべき。

○ 「心のノート」を使って、いろいろな団体やボランティアをしている人を巻き込みながら取り組む方が、学校も楽になるし子供たちも楽しい。また地域でこういうことに関わりたい人を巻き込む機会にもなるのではないか。

○ 家庭や地域との連携を前提とした道徳の授業を年に何回か行うことを義務付けてはどうか。

○ 道徳教育フェスティバルのような取り組みを学校・家庭・地域が一体となって行ってはどうか。

○ 道徳の授業に保護者や地域の人々に一緒に参加いただいてはどうか。

○ 保護者や地域の人たちを対象に道徳の授業を行ってはどうか。

○ 道徳教育を含む学校教育の充実には、学校の活動が地域の文化として意義づけできるように連携を図る必要がある。

<新たな枠組みによる教科化について>

○  児童・生徒の人間形成にとって、なぜ、どういう意味で道徳教育が必要なのか、なぜ教科化が必要なのかを考えることが必要。

○ 道徳の時間が形骸化しているのは、教科でないからである。戦後、道徳教育に関する改善の方針は出尽くしており、それでも活性化させるためには枠組みを変えるしかない。

○ 道徳という領域が持っていた特質をもう一度再確認して、その必要性を前面に出す一方で、新しい枠組みの道徳教育の扱いを、どういう形でカリキュラムの中に編成していくのかという議論が必要。

○  単に教科にすれば道徳教育が充実できるということではなくて、教育の根幹である道徳教育に関するヒト・モノ・カネ、さらには仕組みを抜本的に改善していくことを提案したい。

○ 教科化の性格と課題などの質的議論を図ること、更に教科化以外の方策案も検討する必要がある。

○ 教科というものが教育学的にどう定義されるのかよくわからないが、道徳を教科化という場合には、算数・数学や国語とは違って、もう少し緩やかな意味で使われているのではないか。緩やかな形にしながらも、各学校において指導が確実に行われるようにすることとの兼ね合いを検討すべき。

○  戦後、道徳教育が政治マター化したことによって、修身科や教育勅語も含めて戦前的なものがすべてタブー視され、断絶が起こった。そのために道徳教育に関する理論的な研究が貧困なものとなり、そのことが教員養成や研修、実践、指導法、それを全部総括する意味での政策評価の分野にまで及ぶ機能不全を招いている。道徳の「教科化」によって道徳教育の学問的な体系を構築する必要がある。

○  「新しい枠組み」による教科化に当たっても、その教科を「道徳教育の要」にしつつ、基本的には学校教育全体で道徳を行うという方針で良い。その意味で、他の教科と横並びでない「特別教科」としての枠組みになるのではないか。

○  道徳の教科化とカリキュラム論の関係をどう考えるか。現行のカリキュラム論を前提にしている限りは、「特別教科」を具体化することは難しいのではないか。

○  道徳は教科でないために、大学においても専門家が育たず、理論が構築されていない。教科になれば、目的と内容と方法を体系化しなくてはならなくなる。

○ 教科化を決定してから、実際にそれが動くまでの時間はかなり取って、内容についても広く合意が得られるようなものにしていく手順を踏んでいく必要がある。

○  様々な教育問題が複雑化する中にあって、「現実対応型」あるいは「未来対応型」の総合科学的な道徳教育という発想が必要。生命倫理や環境倫理、公共哲学、情報学など様々な科学を総合的にイメージしていくことが必要。

○  道徳を教科した場合に私学の「宗教」をどう扱うかについても検討が必要。

○  戦前の修身については、(1)専門の教員を配置した、(2)優・良・可という数値評価をした、(3)教科書の内容が徳目主義に偏りすぎたという問題があり、形骸化を招いた。

○ 新たな枠組みの第1には、道徳の特別性を明記すべき。すなわち道徳教育はすべての教育活動の根幹にありその要として道徳があることを明確にするために、教育課程の表記において各教科と横並びにするのではなく、特別教科道徳あるいは総合教科道徳として別枠で示す必要があるのではないか。(もし、併記することになっても、各教科の最初に位置付け、但し書きで例えば、「道徳は、全教科と関連をもたせて指導するものとする」といった記述をする必要がある。)

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