育成すべき資質・能力を踏まえた教育目標・内容と評価の在り方に関する検討会(第5回) 議事要旨

1.日時

平成25年5月20日(月曜日)10時00分~12時00分

2.場所

文部科学省3階 3F1特別会議室

3.議題

  1. 変革的な「形成的」評価の提案―個人個人の学習過程を評価して,次の授業展開につなげる評価はいかにして可能か(三宅なほみ・東京大学大学院教育学研究科教授より発表)
  2. 比類なき技術革新時代の中で問われる学校教育の役割(新井紀子・国立情報学研究所社会共有知研究センター長より発表)
  3. 上田薫・元都留文科大学学長からのヒアリングについて
  4. その他

4.出席者

委員

安彦座長,天笠委員,市川委員,西岡委員,松下委員,村川委員,吉冨委員

文部科学省

関大臣官房審議官,塩見教育課程課長,西辻主任視学官,大金教育課程企画室長,勝野国立教育政策研究所教育課程研究センター長,橋田教育課程企画室専門官

5.議事要旨

(1) 三宅なほみ先生(東京大学大学院教育学研究科教授)より,資料1「変革的な「形成的」評価の提案―個人個人の学習過程を評価して,次の授業展開につなげる評価はいかにして可能か」について発表があり,その後,質疑応答が行われた。

【委員】 個別の学習状況の中にポータブルになるための条件は何か。平面図形の例では「埋め型」と名前をつけていたが,名前をつけることが,他の問題にも適用できるようになるポータビリティのための条件と考えてよいか。

【有識者】 ポータビリティは,言葉や表現の仕方をいろいろ工夫すること。言葉から読んだ資料や実験に戻れるように,最後に分かったことを図にして発表するなど,言葉にすることを大切にしている。

【委員】 「変革的形成的評価」について,ゴールをあえてはっきり決めない方法であるとの御説明であったが,評価は授業の目標やポイントを明確に規定しているからこそできるもの。最初はぼんやりしたゴールであっても,最終的な評価段階では明確なものになっているのではないか。

【有識者】 紹介した授業はゴールが明確でないと作れないものであり,先生方が授業を作る際の取っ掛かりとしても,ゴールははっきりとさせている。ゴールが明確だからこそ,そこからずれてしまったり,超えてしまったりした場合にも,それらを見極め評価していくことができる。

【委員】 学びの個人履歴をどう残していくかという点については,高等教育でも盛んに研究されているテーマであり,方法としては,eラーニングやラーニング・マネジメント・システムのように学習のプロセスをそのままデジタル形式で残していく方法と,eポートフォリオのような形で残していく方法の2つがある。国際データベース化を目指すに当たり,デジタル形式になるのかと思うが,有識者の研究ではどのような形で取り組んでいくのか。

【有識者】 発話の際の動作や向き,言語などの個人履歴は,現在の技術において記録が可能。それらを,まだ技術開発が必要ではあるが,テキストや描画などの分析可能な形に変換する技術もある。こうした技術を用いて,例えば教室内での子供たちの発言,体の向き,ノートの記述等を全て記録し,教師の解釈可能な形に変え,午前中の授業の結果が夕方にデータで出るということも,技術的には可能な範囲。人が秒単位で何を学んでいくかを振り返って判断するためには,一人の人間がその場で把握できる以上の相互に作用し合う情報を扱う必要があり,人の能力を超える。学習履歴について多くのデータを集めて,後から,しかも多様な観点から振り返ることができるようにする必要がある。個人情報保護やデータの共有のためのバリアを克服し,データベースを作ることができれば,学習の研究者にとって強みとなるだけでなく,子供たちの成長や教師の授業力向上が期待できる。さらに,企業もこの分析において周辺的に参加していくこととなり,今よりも確かな狙いと手応えを持った実践ができる教師が育つのではないか。社会全体でラーニング・コミュニティ,コミュニティ・オブ・コミュニティーズを創っていきたいというのが,情報科学系の一研究者としての夢である。

【委員】 授業の記録について,学校現場で実際にこのような学習をしながら子供たちの記録を残し,それを指導や評価につなげようとすると厳しい面がある。ワークシートを工夫し,分かったことや自分の考えを言語で残していくことが大事なのではないか。

【有識者】 授業のプロセスデータを記録する方法として,ビデオやICレコーダーについては相当の学校で受け入れられる土壌があることは確かめてある。先生方の間で,記録することの良さを伝えていただけるとより入りやすくなるため,今はそれをサポートしている。ただし,データの分析には手間と時間がかかる。

【委員】 授業の中で大事にしているのは最後の振り返り。書かせた当初は情意的・抽象的なことしか書かないが,分かり始めると具体的・認知的な振り返りを書くようになり,子供たちの学びが全く変わってくる。学校現場での活用を考えると,書かせることが大事だと考える。

【有識者】 書かせることはとても大事であるため,ワークシートを工夫し,実際のシートはPDF化した上で返却している。回数を重ねるうちに,書かせることが教師にとってのデータとなるだけでなく,子供たち自身の学びの確認や工夫につながるという教育価値に教師自身が気づいていく。今後は,データ収集と分析のしやすい一覧性のある見せ方,自動分析まで持って行きたい。

【委員】 知識がなければ話合いに参加できない。教科書や資料などを,自由度の中で実際にどう活用しながら,子供たちを学習に参加させていくのか。

【有識者】 授業を支える課題,その授業で答えを出したい問いの作り方,その問いに答えるのに十分適切でかつ簡潔な教材の作り方が一番難しい。資料は,一つ一つが答えなのでもなく,そのどれかが他より適切な答えであるというわけでもない。それらを統合して,今頭の中にも,資料の中にもない答えを作り出していく活動を求める。まず話し方として,分かるまで考えてから説明するのではなく,考えながら話してほしいということ,人の話を取り込んで自分の考えに変えていくため,無理に話さなくてよいことを,実際に先生方に経験していただくことで納得してもらうようにしている。そして,話し合って答えたくなるような問いを教師が責任を持って作り,分かる範囲で話せば答えが出るような授業を作る中で,次第に子供たちが自分の言葉を取り戻し,話すようになることが報告されている。これらは全て,現場の先生方から教わりながらデータをとりつつ進めてきた結果であり,今後もより多くのデータを集め,分析していきたい。

【委員】 学習理論と学級集団の捉え方について,学級集団を所与の前提として捉えているのか。それとも,御提案の学習方法を進めていくことで,学級集団の編成等にも話が及んでいくものと捉えているのか。

【有識者】 所与にしているのは学級集団そのものではなく,自分の気になる問題について考えを発言したり相手の意見を聞いたりすることで,建設的相互作用が起きるということ。これをうまく引き起こせる形の問いを準備しておけば,予想以上の授業を作ることができ,その結果として学級集団が集団として出来上がっていくという報告は受けている。

【委員】 御提案の授業を現場で実践していくに当たっては,先生方が既に持っている授業や学級経営の技術の大幅な修正や,あるいは新たな学びが必要なのか。それとも,技術体系としては既に持っていて,あとは使い方や考え方の問題なのか。

【有識者】 新たな学びが必要な側面もあるものの,先生方が既に持っていらっしゃる技術の多くが活用されていると感じる。先生方の実践の中では,予想を超える授業が起きることがあり,それを定常的に起こすことができるよう,先生方に学習理論や判断力を持っていただくための研修をパッケージとして提供している。研修では,先生方に実際に授業を体験いただき,御自身で話合いができる状況までもっていくことで,県や学校でも先生方が話合いをしてくださるようになる。私たちは,それをネットワーク越しに側面から支援していく。

【委員】 最初に教材を開発する段階では,先生方に既存の教材をお渡しする形をとるのか。

【有識者】 最初は教材を作ったこともあったが,今は狙いになりそうなところの既存教科の例がほぼそろっており,それらは連携先の教育委員会との間で貸し借り自由との約束となっている。先生方には実際に既存の教材を触っていただきながら,最終的には御自身の教科で応用することについて話し合っていただいている。

【委員】 「共同学習」という考え方も普及しているが,先生が御提案されている「協調学習」と意味がどう違うのか。

【有識者】 両者の違いとして,「ジグソー法」は,単に集まって手順を教え合うのではなく,それぞれが断片的な知識を持ち,それを寄せ集めることで何らかの答えを作り出す方法。個人が完全な知識を持っているわけではないが,協調して話し合いながら,実験や教材を通じて分かったことの抽象化のレベルを上げていく形のことを「知識構成型ジグソー法」と呼んでいる。問いがあって答えを作っていくこの方法については,やはり「コラボラティブ・ラーニング」と呼んでいきたい。

【委員】 形成的評価を中心に御説明いただいたが,最終的には総括的評価も問題になる。総括的評価はどのような方法で行うのか。

【有識者】 総括的評価において,各単元で覚える知識や式の形までは,ジグソー法であっても「全員同じ形」に持って行くことがある。しかし,その考え方が正しい理由や式の意味,より良い答えはどんなものかなど,個人個人の分かり方を問題にすると,個人によって回答が異なってくる。ゆえに,穴埋めや多肢選択であれば,知識構成型ジグソー法で実施した授業であっても全員の答えが同じになることはあり得るが,理由を問うような問題では,個々人の回答が異なるので,その違いを正統に扱える評価方法を開発しなくてはならない。これからの学習では,式が使えるかどうかという総括的評価のゴールに到達することよりも,ゴールを超えて次に学ぶべきことを個人個人が見いだすなど超える先に進むことが大事であるため,教室内での一人一人の存在の価値へと話が及び,この方法が学級経営に最適であると評する校長もいる。

【委員】 知識構成型ジグソー法は何千校もの学校で実践されているとのことだが,一人の先生が年に一度やっている場合もあれば,多くの先生が多くの時間を取り組んでいる場合もあるなど,実際は温度差があるのではないか。数字の内訳を教えてほしい。

【有識者】 一つの学校で一人の先生が一度やって終わりということもあれば,他教科や指導主事,教科指導の先生方にまで普及していく例もある。ただし,学校単位ではなく,教育委員会との連携によって行っているため,孤立した学校への教育委員会側からの支援や,教育委員会による先生方のネットワークの構築,さらには行政組織や教育委員会の内部組織の変化といった効果も生まれている。これをどのような形で,県内や義務教育段階まで広げていくかについては,教育長や教育行政の長たちのコラボレーションの中で動いている問題になっていて,学校内での一人の教師による個人的な希望のレベルで動いている話ではない。

【委員】 目標として,大半の授業を知識構成型ジグソー法にて行うべきとの御主張か,それとも,年に数回でもやっていただければ子供の見方が変わる,という程度か。

【有識者】 原理屋としては,全ての授業で知識構成型ジグソー法が可能であると考えているが,どの内容で行うのが一番良いかについては,個々の先生方の力量など様々なものの関数によって決まってくる。この授業に生徒や先生方が慣れていくことが大切。

【委員】 社会的構成主義について,「学習者は自ら互いに学んでいく力がある」との前提に立つと,教師の役割が極めて過小評価されてしまう。例えば,受容学習といっても,学習者には能動的な姿勢が必要ではないか。また,ジグソー法においても,教師はできるだけ関わるべきではないとの困った解釈がなされているが,教師の説明や介入はむしろ社会的リソースの一つと言えるのではないか。

【有識者】 先生の役割は外せない。問いを発し,全員を引きつけ,配った資料で答えが出ることについて覚悟をつけて見せるためには,それだけの教材研究が必要。さらに,子供たちの中で当初想定した建設的相互作用が起きているかについて,その場で起きていることを判断しながら軌道修正していく必要もある。授業のクラスという空間の中で知識が社会的に構成されるとき,教師はそのメンバーの一人であるため,どのタイミングで分かりやすい説明をするかは教師にかかっている。事前に定めた狙いをどう超えていくか,その場で勝負するのが授業であり,周りの教師との話合いによって経験を抽象化することで,次の授業を良くしていくことができる。この意味で,ラーニング・コミュニティを先生方の中にも作っていけたらと考えている。

【委員】 「期待する要素」をどう明確化するかがポイント。学習指導要領や教科書の記述の中から,子供たちの実態に応じて切り出し,臨機応変に指導していくことは,非常に難しく経験を要する。実際に教育委員会のリーダーシップの下,各学校で進めていく上で,最初に取り組むべき点や重視すべき点はあるか。

【有識者】 まず,先生方が本来行っている,問いを設定し授業のゴールを定めるということを,より明確化したい。ただし,決まった答えがあるわけではなく,教材研究にも時間がかかるが,それを楽しんでくださる先生方が,一生懸命に取り組んでくださっている。また,この形で練り上げたものが子供たちの中にどう入っていくかを見ながら,次の授業を計画していくということも,授業を考案し,実践し,その中で起きたことを振り返って次の授業に続けるという,教員の本来的な取組の一つ。知識構成型ジグソー法では,型で話ができるため,教員間で話合いができるようになり,先生方の授業力も,それを見ている子供たちの授業を受ける力も伸ばしていける。これを可能とするためには,教材を作る際に自分が一番教えたいところを明確にした上で,狙いをかけるのが効果的だが,教材を実際に試す前に手触りが欲しいときには,実際の指導案と配付資料,ビデオの断片,子供たちの記述の一部からなるパッケージをホームページから無料でダウンロードしていただければ,すぐに利用が可能。利用の際には,気付いたことをフィードバックしていただき,こちらからも考えをお伝えするというサイクルで回していき,やりたいところから入っていただければと考えている。

(2) 新井紀子先生(国立情報学研究所社会共有知研究センター長)より,資料2「比類なき技術革新時代の中で問われる学校教育の役割」について発表があり,その後,質疑応答が行われた。

【委員】 学習指導要領の成果が十分に現れていないとの話であったが,現場を見て回った経験から,学習指導要領が変わったからといって必ずしも授業は変わらない。ただ,新学習指導要領の考え方で授業改善を行っている高校もたくさんあるため,高校3年生への調査や,授業改善を行っている学校とそうでない学校との比較がより大事。もしそのような調査の実績があれば教えてほしい。

【有識者】 そのような調査の実施主体として,日本数学会が適切かという問題がある。「第一回大学生数学基本調査」は,いわゆる「ゆとり世代」の学力について調査しており,各学校における取組との相関については把握していない。ただ,この調査の翌年に,定型的な問題によるフォローアップ調査を実施したところ,1980年代に行われたTIMSSと同じ問題では,正答率が20ポイント落ちていた。単純比較はできないが,定型的な学力が確実に低下しているだろうと予想される一方,論理的思考力も上がっているとは思われず,厳しい内容であった。なお,この要因としては,教育内容や学習指導要領と単純に決められることではなく,少子化等の環境変化など様々なものが考えられる。

【委員】 機械との競争がこれからもっと加速していくとすると,今後,機械との競争に勝てる人間の層が狭まっていくのではないかと感じたが,教育の改善によってその競争に追いつくことはできるのか。例えば日本数学会が出題されたような問題がごく一部の学生しか正答できないという状況を見ると,非常に限られた層しかコンピュータに勝てないこととなり,教育で何とかするのが極めて難しいという悲観的な予測が立つが,どう考えるか。

【有識者】 コンピュータには,学んだことから何が重要なのかというパースペクティブを得ることが極めて難しいため,コンピュータにはできない能力としてパースペクティブのある人間を育てることが重要。その意味では,機械と競争できる分野は極めて広く,機械に代替できる範囲は限定されると考えている。ただ,パースペクティブの欠ける子供たちも少なくないので,この点が初等中等教育で非常に重要となる。

【委員】 記述式問題の導入を御提案いただいたが,どのような記述式問題を想定されているのか。全国学力・学習状況調査のB問題にあるような比較的短い問題か,それとも十数行にもわたるような記述式問題か。

【有識者】 国立教育政策研究所が行った論理的思考力調査において,四~五割とれている問題があり,長文をきちんと読み論理的に正しく答えることができるという点で,日本の教育はそれなりに立派という印象をもった。同様の調査がもっと行われることを望んでいる。B問題については,リード文が多過ぎることについては,いかがかと思っている。特に「偶数+奇数」の問題は,中学校のB問題で何度か類似の問題が出題されているのにもかかわらず毎回できないことから,論理的に考える基礎ができていないのではないかと心配している。

【委員】 「原理的」と「技術的」を使い分けておられたが,「原理的」というところまで変わってしまったら,予想がつかない範囲までコンピュータで代替できるようになることが予想されるが,その可能性についてはどう考えるか。

【有識者】 コンピュータ・サイエンスはもともと数学が原理であるため,数学として理論化されていないものはプログラムにはならない。それは基本的に,論理・確率微分方程式・統計に類別されると言ってよいだろう。教育や社会のように,物理モデルが明確にならないタイプの問題を無理に統計や微分方程式で解こうとしても,ずれてしまって不可能だろうと考えている。

【委員】 科学技術と経済学と教育学との連携によって,次の時代の教育を設計する必要があるという提言を大変重く受けとめた。科学技術の進歩やグローバル化によって,それに応じられる少数の人と,うまく対応しきれない膨大な人が生み出されるならば,社会政策的な側面も組み入れていかなくてはならないが,学校の教育の在り方はどう考えたらよいか。

【有識者】 近代的な学校制度は,産業資本主義に基づき,産業革命後の工業社会において付加価値のある働き手の提供を使命として確立した。現在,科学技術革命によって知識資本主義が出てきたときに,学校はどういう人材をつくればよいのかが根本から問い直されている。科学技術のスピードや技術の性質などから分析し,どのような人を育てればシステムとしての教育が続き得るのかについて考える必要がある。また,現在,経済が上向いているにもかかわらず失業が減らない状態であり,機械との競争が労働市場に対して大きな影響を与えていることは間違いない。

【委員】 コンピュータの進化によって仕事を奪う可能性があることと,教育あるいは子供たちが学習活動として何をするかということは,直結しないという考え方もある。例えば積分は,コンピュータでできるからといって学ばなくてもよいということにはならず,仕事における実用性や,文化や子供の思考過程の育成といった両面の議論があるかと思うが,数学の世界ではどのように論じられているか。

【有識者】 「機械ができるからといって人間はしなくてもよい」という誤解を招くのは良くない。例えば計算はもう電卓がやるからしなくてよいということではなく,計算とは何かを考えるということはいつまでも必要。計算機構に対する認識を持たせるために,計算,筆算を今でもやらなければならないが,問題は,教師がそのような認識を持って教えているかどうか。計算機構への理解のために筆算を学ぶという点について,教師が理解した上で授業を展開しない限り,近代型の教育にとどまり機械に負けてしまう。文化的価値の問題については,教育も投資であり,投資の上では説明責任が必要であるが,それが「文化的価値」というだけでは不十分。筆算や英語など,こういう時代であってもやらなければならない論理的な説明が必要となってくる。

【委員】 人間の特性として,習っても間違えてしまうことや意図した答えへのコースをたどらないことなどが想定されないまま,間違いについて批判されてしまう。数学に限らず,学校では正しいことを教えれば,そこで教師の役割が止まってしまうという問題が基本的にあったと考えるがどうか。

【有識者】 リアリティの問題だと考える。リアリティやパースペクティブが持てるところまで教えないと,形式的な知識では身に付かない。教師側もそれを目指していく必要がある。

(3)上田薫・元都留文科大学学長からのヒアリングについて,座長より説明があり,その後,議論が行われた。

【委員】 上田先生の時代認識,特に世界の未来を厳しく捉えるという御指摘については,非常に的を射ていると切実に感じた。また,「想定外と正対しうる」実力が必要,「失敗」できるような力こそがむしろ重要という御意見に非常に共感した。ただ,「結果だけでなく過程をより重視(プロセスこそ貴重)」という御意見や,数値化に強い懸念を示しておられる点に関しては,パフォーマンス評価のようにプロセスに取り組む力そのものを評価する考え方も出てきている。プロセスの中で,成功と失敗の間にある程度の違いについて,ある程度レベル分けして捉えることもできる。上田先生のお考えを生かしながら,学校の説明責任や学力保障ということを考えていく必要がある。

【委員】 上田先生の歩みと将来的な展開をどう接合させ,継承されてきたものを新しい状況の中でどう展望していくかを検討する上で,上田先生のメッセージが生きてくる。

【委員】 理念としては納得する点が多かったが,具体化の仕方次第で,様々な形があり得るのではないか。子供の数だけのカリキュラムは難しいが,有識者が個性的な学びを保障する教育方法を御提案くださったし,予測困難な状況の下で自分で判断することの必要性も,有識者の御説明にあったパースペクティブの育成という課題とつながってくるように思われる。

【委員】 上田先生が関わられた戦後すぐの学習指導要領や教科書を見てみると,先に議論になったリアリティの部分で非常に高いものが使われている。改めてそれらを見直すとともに,各教科の学びが教科にとどまるのではなく,将来や社会,実生活における様々な教育課題とどうつながっているのかということを,国としても例示していく必要がある。

【委員】 理念的には全く賛同。ただ,想定外における問題解決について,発達の視点を入れると,小学校1年生のうちから想定外の問題を与え続ければ,いろんな場面で対応できる力が育つわけではない。外からの吸収やそれまでの経験によって,想定外の場面で対応できるものと考えるため,学校教育のカリキュラムに取り入れる際は,発達段階を十分考慮した上で,配列や活動を考える必要がある。

※後日,(3)上田薫・元都留文科大学学長からのヒアリングについて,委員より以下のような内容の意見の提出があった。

 一番考えさせられたのは,「世界の未来を厳しく捉える」の部分。「地球環境問題」を正面に据えたものにすべきとの主張は,謙虚に聞くべき。外国の学者や日本の哲学者で類似のことを言う人も多く,杞憂(きゆう)とすることのできない重要問題。企業も環境問題に配慮しなければ,今後外国へ進出することができない。個性的な人間として,個々の子供のかけがえのなさを重視すること,想定外と正対しうる子を育てること,カリキュラムの重点化・動態化についても,重要な御意見。どこまでやれるかは分からないが,やれるだけやるという原則で,具体化していくべき。また,ヒアリング記録にはないが,言われたこととして,終戦直後の時のように,学習指導要領を「試案」にすることも,「規制緩和」の方向で考えてもよいのではないか。学校現場での自由裁量を認める方が良いというのが,フィンランドの教育関係者の考え方。ただし,それには他の条件整備と一体的に行う必要がある。

―― 了 ――

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