資料3 教職課程の質の保証等に関するワーキンググループ(第1回~第3回)主な意見

下線部は第3回の意見

実践的科目の必修化について

○ 理工系の大学院の目的は最先端の科学技術の研究をさせた上で、社会に送り出すということ。社会というのは、もちろん教育界も含まれているが、最先端の研究までさせるというのが大学院の設立の目的なので、ここで30単位分のほとんどを教育関係の科目にしてしまうと、大学院の設立の趣旨にかかわってしまうので、それはできない。むしろ、最先端の研究をさせたことを、どうやって社会に生かし、教育界に生かすかということが、考えるべきではないか。
○ 必修化すること自体は賛成。しかし、今の教職大学院並みの実習のやり方を、通常の、特に理系の教育学研究科に適用していくのは、なかなか難しい。研究科ごと、種類ごとに整理して議論した方がよいのではないか。
○ 専修免許状は、高度専門職業人である「一般免許状(仮称)」につながるものなので、実践的な授業科目というものの設定がゼロでいくというのはよくない。
○ 教職大学院であれば、教育実習10単位とか、1年間通してとかできるが、その他の大学院も一律にやるというのは、非現実的で、かなり弾力的な運営、運用が必要である。
○ 大学院でも、必修科目として、実践的な科目を取り入れざるを得ない。理工系の大学院の趣旨を考えると、やはり最先端の授業、科学技術の内容を学校に行って教えるという実習が一番適当ではないか。
○ まず、大学の学部の時代に免許状を取っているということを前提にするということは大事。その学生は教育実習の経験がある。だから、その経験がある者に対して、どのようなプラスアルファをつけていくかというようなことを考えると、やはり経験あるから、多分、うまく組めば、実習校にとっては負担ではないのではないか。
○ 教育実習については、将来的に興味があって、なろうと思っている人を受け入れて、優秀な教員を育てないと学校というのは成り立たないので、学校現場で非常に大きな責任を持ってやっており、その点については、教育実習を引き受けたいと思う。知識とか指導法については、一定、考えている人を、ぜひ育てていただきたい。しかし、大学もたくさんあるので、開放制というのは非常に大切なことですけれども、一方では、「じゃあ、実習あるから行ってこようか」みたいなのでは困る。
○ 実際にやるときには、ある程度、運用の幅を持った方がよいと思う。
○ 教職実践に関する科目(仮称)というのは、「教職に関する科目」、「教科に関する科目」、「又は科目」との関係では、どのような位置付けになるように想定されているのか。

 

実践的科目の単位数について

○ 単位数は、1単位でも2単位でも、大学院の修業単位には含めないというようなのが現実的ではないか。大学院の修業単位に含めると、専門の勉強時間が減るとかいうような議論も出てくるので、大学院の修業単位に含めるのは、座学の教育学部とか、教育心理学の授業で指定したものから4単位を取るというような形でどうか。
○ 実習でいうたら4単位でもよいと思うが、その前後の指導ないし、あるいは現代的な教育事情ということでの理論的な勉強というところも含めて、実習4プラス2。2が大学での指導というぐらいだったどうか。

 

実践的科目の内容について

○ 修士課程レベルとなってくると、専門的なものをもっと深くやってもらわないといけない。それをするための実習であったり、あるいは大学院での学びであったりということが必要なのではないか。
○ 実習だけをほかのカリキュラムと切り離してやっても、単位の多さに比較して、効果がそんなにない。
○ 教職大学院で養成する教員と、それから、例えば、理学研究科で養成する教員に、それぞれ個性があっていいだろうと思うが、その個性の基盤となるところを専修免許状で、やはり教員になるという基盤は押さえておきたい。
○ 理数系の先生に限らないが、子どもの状態がわからないとかいう方もいる。子どもの実態を見て、授業を構成できる能力というのは、専門職としては、必要と思う。それを専修免許状に入れるということについては、多様な人材を採用するということと別に保障されてもいい。
○ 学部であっても、大学院であっても、せめて学校で授業しようと思ったら、基礎的なことをきちっと教えていただきたい。できない人がいっぱいいる。
○ 最先端の研究というのは、自分の研究内容と関連した社会で、テレビとか新聞で出たような内容を自分の研究と絡めて話すような機会が、高校生、中学生に対して話す機会があればいいのではないか。
○ 研究科にも専修免許状というくくりの中での共通化をしていくのか、あるいは研究科に応じて弾力的に対応していくようにするのかと、そのあたりでやり方が変わってくるのではないか。専修免許状をベースということで考えれば、共通的なところがよいのかと思うが、一方で、各研究科の特徴、特色を消すようなことはよくない。
○ 中学校でも高等学校でも、特に理系の大学院を出た人が、教育学とか教職大学院で勉強した人と同じ単位を取っていなければならないとは全く思わない。むしろ理系の場合、専門性の高さということの方がより重要。
○ 将来的に教員の成長ということを考えたときに、もっと広い視点からということになり社会教育という視点入れた方がよい。例えば、専修免許状を取るときには、国立青年の家に行って、夏休みに1週間、社会教育という視点から、子どもたちと学習するというようなことがあってもよい。いわゆる専門性プラス、そういう社会性みたいなものを身に付ける機会があってもよい。
○ これから修士レベルをという教員免許状の中の教育課程を考えるときに、基本的なコンピテンシーを、教職大学院なり、大学院の方で考えていただければ、現場としてはありがたい。
○ 実践的な授業について、専門性を生かしたとか、そういったことを文言として入れていただきたい。例えば、理工学研究科といっても、物理だったり、化学だったり、いろいろと領域があるわけで、それぞれの個性というか、専門を生かしてということ。
○ インターンシップだけではなく、学校現場をフィールドとする活動ということも加えられ、それぞれの条件の中でいろいろなことができるような枠組みをつくれるという案に賛成。

 

実践的科目の実施時期

○ 就職活動が、修士1年の11月くらいから始まり、4月か5月くらいまで続くという現状を考えると、教職だけをとりたいという学生だけではなくて、両天秤にかける学生も多いので、9月が適当ではないか。1回だけでなく、複数を回やってもらう。3回から4回やった後は教育課程センターと連携して、ここら辺の内容は全く学生がわかってくれなかったので反省したいとかいうようなフィードバックを今度は教育課程の先生と一緒にやった方がよいというようなことは指摘してもらって、次年度以降に対してノウハウを引き継ぐという形が現実的ではないか。
○ 教育実習について、学校にとっては、一律、9月がよいとか、6月がよいとかいうことは全くなく、それぞれの学校の教育計画に基づいてできるのがよい。
○ 教育実習の時期については、一律にというところは、なかなかしにくいのか。
○ 専修免許状の場合には、やはりその専門性。いろいろな学びの過程というのは違うので、その学びの過程の特色を教育実習のところで生かすというふうに考えれば、あまり共通化ということをやる必要はない。1度教育実習も経験しているので、その上にプラス、専門性というところに重点を置いて学校に行くということが大事。
○ 通年という科目自体は、大学として、非常に扱いにくい状況にある。秋から始めて、春に終わっても構わないという形で、通年ではなくて、半期にしたときのメリットとデメリットを議論していただければと思います。特に一つの学校で、果たしてやるべきなのか。公立と私立でも半期ずつやって、公立と私立の違いを学んでも構わないと思う。
○ 学校の場合は、1年サイクルで動いているということで、基本的に実践的な指導力を形成するためには、理想的な形では、そういう形での実習を組むということはよいのだろうと思う。実際には、それを全て画一的にやれるかというと、それはそうではないので、弾力的に組むということについては、また検討されるのでないか。

 

実施期間

○ 学校の1年の流れを理解するということも、大事かもしれないが、2週間、4週間ぐらいの短期集中型で、その学校がどういう生活をしているのか、子供たちがその中でどうやって生きているのかを見るということも、週1回行くということよりも効果的ではないか。
○ 週1回というよりも、年間で通じて学校に来るのであれば、年間で大体2週間を1つの期間として、年2期間、授業の期間で来てもらう。大学では、2回分で、2単元分の授業の教材研究を前もってしていただく。大学の先生あるいは教員経験の先生方が一緒に、教材研究、教材探しのところから指導いただいて、その二つの指導計画と指導案を持って、中学校なら中学校の方に、この期間とこの期間、この単元ですのでやらせていただきますという形の方が、本人のためにも、現場のためにも、なるのではないか。その他の残りの期間は、例えば学級活動の担任の補助だとか、部活動の顧問の補助だとか、その他のことで学校現場の方に来ていただくという形であれば、かなりいい成果が出てくるのではないか。
○ インターンシップの持ち時間というか、期間の持ち方はやはり学生本人の能力と学校との間で調整をしないといけない。
○ 例示の積算の根拠として、通年週1回程度となっているが、もしできれば、4単位ということで、20日分という形にされた方がよいのではないか。生徒指導上の問題でも、例えば、いじめの問題が起きたときに、それを把握して、どう解決していくということは、連続した日にちの中でかかわることによって、初めて理解できると思う。これを週1回行って、前回起きたことはどうなりましたかと言って、結果だけ知るというのでは、やっぱり実践力というか、そういうものは身に付かないと思う。
○ 学校を1年間、どのぐらいのペースで通すのかは別として、学校を見るのは、後期から次の年の前期というのは、時期としては、大変よいような気がする。準備の期間も、1年生の前期でできるのではないか。

 

非常勤講師とインターンシップの関係について

○ 非常勤講師として報酬をもらっている時間と、学生としてのインターンシップの時間は分けて考えるべき。
○ 大学院の学生には、必ず非常勤講師をさせている。インターンシップとしての教授活動のプログラムをきちんとつくり、例えば、授業案を提出させるとか、授業案についての討論会を持つなど一定の条件を付け、大学院の学修としてプログラム化されていれば、必ずしも非常勤を排除する必要はないと思う。
○ 非常勤講師の時間とインターンシップの時間は明確に分ける必要があると思うが、勤務している学校とインターンシップをしている学校を別にしなければならないということではない。
○ 大学で指導するとういこうとを担保するのであれば、非常勤講師をインターンシップとして認めることがあってもよい。
○ 非常勤講師を1年やったことによって専修免許状が取れるのならば、あらゆる先生は1年間学校で教えたら専修免許状に切り換えなければいけないことになってしまうので、そうではないものを必ず加えるという方針でやった方がよい。

 

その他

○ 博士号は持っているけれども免許は持っていないという、教員がいた。そういった人たちに共通しているのは、高校の教育をしたいという強い熱意であった。しかし、いわゆる教員免許を構成するための授業を学部時代、当然、大学院でも取っていないから、そういったところについては、採用した教育委員会であるとか、あるいは学校現場でどのようにサポートしていくのかということが大事。
○ 大学によっていろいろ事情が違うという中で言えば、事前の段階で専修免許状を取ろうとしている、そういう学生同士が意見交換をするような場をいろいろなところでつくる必要もある。
○ 特に小学校の授業では、専科の教員も一部いますけれども、基本的には全ての教科を1人で担当する。そうなると、小学校時代の学びの質というか、深さという点で非常に課題があると思う。一つの例として、音楽を専門にしていた先生が国語の授業をするとか算数の授業をするとかといったときに、指導方法として、形はできているのですけれども、本当に算数を学ぶおもしろさであるとか、国語を学ぶおもしろさであるとかといったようなことが十分に理解できているのかというのを感じることがある。
○ 指導体制については、教職専門の人がコーディネーター的な形でかかわる必要がある。その人が配置されていないとすれば、やはりそこは措置する必要がある。原則としては、個々の大学で人員も配置しながらやるということが望ましいが、場合によっては、大学間の連携ということもあり得るのでないか。
○ 実習を、大学院レベルでの実践的な指導力を研修させるための実習を充実していく体制を組んでいくということは、必要。
○ モデルで提示されている「教育実践」の実践が、単に学部でやる教育実習とは違うというところで、「実践」という意味が、非常に大きな意味を持っていると思う。教育委員会、大学で体制を整える必要がある。
○ 本当にこれは実現するためには、いろいろな工夫なり、体制なりの整備が必要。例えば、大学の担当職員の方が、一緒に実習校というか学校に行って、そこでいろいろな課題を、指導教官も共有化してくれるかどうかという体制も必要。
○ 一部の大学では、自分の担当している教育実習生の研究授業がどうであって、その後の最後の報告会に参加するということもない。そのような中で、果たしてこういう課題が、実りあるものに課題解決できるのか。
○ 学生の適性という点で、単位なので、適性がない場合には単位を認定しない。それによって、残念ながら、教員になれないということは、厳しく見ておかないといけないのではないか。
○ 経験年数の豊富なベテランの教員たちが、管理職も、大量退職しています。そういう人を雇えるようなシステムを作る必要がある。
○ 教員、指導主事、あるいは、管理職候補者が長期研修ということで、大学院に研修に1年間行くという制度があり、非常に効果が大きい。現場の生の情報だけでなく、指導主事をやった人は、授業についても、「授業の達人」ではないけれども、そのクラスの人たちが来るので、いわゆる一般の大学院生にとっても効果もあるし、大学の教職課程の先生方にとっても、非常に効果があるという話を聞いている。そういった人たちを、もっと教職大学院なりに、いわゆる長期研修生として受け入れて、一般の大学院生と交流させるという形を、一方で、こういった実習関係とは別にやるということも、検討していった方がよいのではないか。
○ 現場あるいは教育委員会にいる指導主事などの人材を、大学院の中に交流させるということも、一つの提案・意見ということで受け止めていただきたい。
○ 評価に際して、学校現場の教員の意見が反映されるよう工夫していただきたい。

 

教職課程に関する情報公開の在り方

○ 最低限、これは公表いただければいい。その際、中学生が読んで分かるような内容にしていただけないか。少しでも早い段階から、これは新しい学習指導要領が、キャリア教育ということも考えますので、行き先としての大学ではなくて、社会の中の存在としての大学を認識できるようにしていただけるとありがたい。
○ こういった内容は、ほとんどの大学が公開はしていると思いますが、どの大学がどこに書いているのかということは、全然わからなくて、各大学でばらばら。統一的なデータベースみたいなものを、つくったほうがよいと思う。
○ 教職課程データベースのようなものがあって、各大学にその内容に合った情報提供をお願いする。もしくは、リンク先を集めたようなもので、形式を統一しないと、各大学がやるようにと言われても、もうやっています、公開していますという返事が来るだけでは、改善にならないと思う。
○ 大学での統計データのまとめ方ということもあるが、学科とか学部を切り口としていくのか、それとも、教員免許からデータをとっているのかというところで、見せ方とか見え方が変わってくる。
○ 特に採用、就職率で難しいところは、教員採用で、特に中高免の場合、現役でストレートで合格する人ばかりではないという状況があるので、その情報の取り扱いを少し慎重にする必要がある。数字のデータで並べてしまうと、単に数の大小で比較されるということになりがちなので、そこは気を付ける必要がある。
○ 学校種、免許種によって、相当に事情が違うという。例えば高校の免許状でも、一種でくくってしまえば、丸められてしまうところもあるけれども、教科自体が、教員の数が非常に少ないような教科もあるので、その部分を細かく出せば、出すほど、だんだん差がついてしまう。
○ それぞれの大学の養成教員像だとか、教員養成の理念というところが違うので、そこで個性を出していくということも、当然できる。数値だけにとらわれないで、もっと自分の大学の教員養成の理念、養成する教員像を、しっかりと宣伝するというか、アピールすることが大事。

 

教職課程のグローバル化対応について

○ グローバル化対応について、いろいろなプログラムを用意し、どんなプログラムが教員養成課程では有効かということを、議論をしながら、その中で留学をさせた場合に何が壁になっているのかという問題点を洗い出してから議論をした方がよい。
○ 教育実習の時期をフレキシブルにすることを考える必要があると思う。今の仕組みだと、大学の4年間の単位で見ると、非常に窮屈なので、どこかを弾力化する必要がある。
○ 単位の問題ではないと思う。一般の留学をしたときに教職に関係する単位は、外国の大学では取れないと思う。教育学を専門としていない人たちが教育心理学というのを英語で取るというのは、あまりイメージができない。物理を専門としている学生が、自分の専門外の科目を他の言語で取得するのはほとんど無理だと思うので、そこは単位の互換というよりは留学のタイミングの問題ではないか。
○ グローバル化対応で単位の互換とか留学促進とか、それは必要なこと。
○ 教員のグローバル化というのは、日本人の学生にグローバルな視点からものを教えられる人材を言っているのか。それとも今後増えるであろう日本への留学生の対応とか、学校の経営とかでグローバルな視点を持っていることを言っているのか。どちらのグローバル化を言っているのか。
○ 教員養成のグローバル化でもいろいろな方法だとか手段があって、留学だけに議論を絞らず、その他にも方法がたくさんあるのではないか。単位互換だけでなく、ほかの方法もあると思う。
○ 留学の説明会をすると多数の学生が来る。だから、関心はある。その関心をうまく留学に結び付ける制度化が大学の方でなかなかできていないのではないか。

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