参考資料2 外国語教育における「CAN-DOリスト」の形での学習到達目標設定に関する検討会議(第10回)主な意見

○ 教科書の在り方が中学と高校ではかなり違うところがあり、中学校の場合は4技能を総合的に指導しやすい教科書が多いのに対して、高校の教科書は、言語活動を行うに当たって工夫が必要となるものが多いのではないか。中学校のものは規定の度合いが高いのに対して、高校のものは教師によって違いが出る。

○ 高校の教科書の題材には、深い読みに値するものも多い。読んだ内容に基づいて、どのように生徒の表現を引き出すかといった発問の仕方、活動の組み合わせ方も自在である。一つの食材がいろいろなレシピや味付けによってどんな料理にもなるのと同じように、一つの観点だけではなく、言語材料や言語活動を多様に組み合わせて統合的に扱っていくことを可能にするのが高校の教科書だと思う。

○ 高校では、入学してくる子供たちの状況を知るという観点から、中学校でのCAN-DO形式の目標や指導・評価の状況を把握する必要がある。

○ 生徒間の外国語能力差が大きい中での目標設定の難しさを課題としてあげる教員が多い。例えば、2段階構想の目標設定も考えられるのではないか。

○ 例えば、「要望する」といった特定の行動、タスクは、難しい言語材料を使ってもできるし、易しい言語材料を使ってもできるのであり、生徒間の差というのは、言語材料が多いか少ないかという問題である可能性もあるのではないか。

○ 言語知識なしにはタスクは行えず、言語知識の蓄積に大きな差があると感じる。

○ 教科書などからボトムアップでCAN-DO statementsのリストを作ると、難易度の順番が逆転していることがあるという話が出たが、その場合でも、言語材料は学年進行で難易度が上がっているはずである。どのような行動ができるかというときに、例えば「物語を読むことができる」としても、言語材料によって難易度が変わってくる。こうした部分は、行動が中心の記述だと捉え切れないという課題がある。

○ CAN-DOと併せてCAN-SAYも重要だとする意見もある。CAN-SAYとは、「~することができる」という前に、それについてどういう言語材料、言語知識を持っているのかを見逃すことはできないとの考え方とも言える。前回の会議でCEFR-Jやジャパン・スタンダードに関する発表があったが、これらの取組においても、必ず、その裏にある語彙のレベルなどについて、非常に困難かつ綿密な調査を進めておられると聞いた。それらがCAN-DOの前の素地として大きな役割を果たすのではないかと期待している。

○ GTEC for STUDENTSのスコアを見ると、リスニングがリーディングに比べて低い。実際に中学校や高校を回ると、リスニングの指導が課題になっていると感じる。リーディング用の教科書の文を聞く程度で終わっているところも多いのではないか。

○ リスニングは高等学校の教科書での位置付けも付随的ではないか。大学入試の影響もあるかもしれない。リスニングについて、オーセンティックな英語をインターネットでどの程度、聞いているかについて調査したところ、定期的に聞いている生徒は少なかった。

○ リスニングについては、例えばあるまとまりのある対話やスピーチなどを聞かせるというレッスンが独立している高校の教科書は余り見たことがない。したがって、高校の教科書を見ると、リーディング中心だと捉えられてしまう。教科書によっては、その教科書のウェブサイトに各レッスンで使えるオーセンティックマテリアルを示しているものもある。ただし、それが、生徒が手にするテキストに載ってないと、リスニングも重要な技能として入っているということが伝わりにくいのではないかという懸念を持っている。

○ リスニングについて、高校の教科書にCDが付いているが、高校生全員がこうしたCDを持ち、自宅でも聞けるようにすると、復習もできていいのではないか。

○ CAN-DOについて、各学校では熱心に取り組まれているのが分かったが、CEFRのような全体像が見えず、統一感がない。それぞれのやっていることが全体の中のこの辺に位置するといったことが見えない。また、テスト実施団体のCAN-DOは、テストが先にあり、CAN-DOは後付けという印象だが、CAN-DOのタスクやアクションに応じたテストが作成され、その結果とCAN-DOを関連付けるということもできるのではないか。

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