北住委員提出資料

<特集 医療的ケア>
提言   医師の立場から(心身障害児総合医療療育センター外来療育部長 北住映二)

1.必要性と意義の再確認を

1 総合的な必要性と意義

 学校での医療的ケアのために多くの医師が各地で積極的に関わり、学会としての活動も行っている。それは、実際の例を通して、必要性と意義を強く認識しているからである。

(1)医療的意義
 例えば、学齢期に嚥下機能が相対的に低下し経管栄養を必要とするに至る生徒がかなりあるが、学校スタッフは経管栄養ができない、家族も来校できないという理由で、教員が誤嚥のリスクを冒しながら無理に経口摂取を続けている例が少なくない。(このような意味では、経口摂取より経管での注入の方がはるかに安全である。)学校での対応が可能であれば、このような危険性は回避される。学校スタッフが医療的ケアにかかわることを通して適切な医療的配慮も向上し、医療的ケアの実施が進む中で、生徒の急変や死亡が減少したとの報告もある。
(2)教育的意義
 医療的ケアが学校で行われることにより、登校が可能になる、家族の都合による欠席の減少、授業の継続性の維持など、教育条件が改善するという意味での教育的意義だけではなく、医療的ケアを学校教員が行うことを通して、生徒への理解、信頼関係が深まる、生徒の自発性・主体性が高められるなど、教育内容の深まりや、教育の質の高まりなど、より深い意味での教育的意義も確認されてきていることは、厚労省研究会の報告にも記されている通りである。
(3)福祉的意義
 学校での医療的ケアの実施を家族にのみ限定することは母親家族の過剰負担を強いることになり、障害児福祉の見地からも大きな問題である。学校は本来は教育の場であり、福祉サービスの場ではないことは基本としてあるとしても、現実には学齢期における福祉的機能を学校が大きく担っている。このような客観的な社会的機能・価値と、その一つとしての学校でのスタッフによる医療的ケア実施の福祉的意義は、関係者とくに福祉行政関係者に、強く認識されるべきである。
 私がかかわっているある児童は、中学生になり嚥下機能が低下し経管栄養と吸引が必要となった。母親は生計のための仕事があり、しばしばの来校は困難で、家庭で日中にこの子を見る人もいない状況で訪問教育籍への変更も不可能であった。教員が学校看護師と連携しながら本児の医療的ケアを実施できる体制を早めに進めることにより、通学が継続できた。学校スタッフが医療的ケアを行うことによって、学校教育の継続、健康の保持、家族の生活の維持が、可能となった訳である。学校での医療的ケアの実施が不可能であったなら、母親が仕事を辞めて生活保護を受給するか、この生徒の施設入所を選ばざるを得なかったことになる。

2 教育・保健・福祉の総合的見地からの、看護師配置の措置を

 このように、学校スタッフによる医療的ケアの実施は、教育的意義とともに、医療的意義、福祉的意義を大きくもつものである。医療的ケアの対応の前進のためには学校への看護師の配置とそのための予算措置が現実的な大きな課題であるが、このような意味で、学校への看護師配置は、保健医療施策・福祉施策の一環でもあることは、予算措置のための根拠として、より強く認識されるべきである。学校での医療的ケア実施は、入院治療や施設入所の減少や回避、訪問看護やヘルパー派遣の回数の減少などにより医療費・福祉予算の行政支出の削減にもつながる。文部科学省や教育委員会関連の予算の枠内にあるとしても、保健・福祉施策としても充分に位置付けられるものであり、限られた教育予算の枠内での予算のやりくり、一般教員との定員枠のやりくりや取り合いという次元ではなく、大局的な見地から、行政判断と予算措置がなされるべきである。

2.医療的配慮をふまえた、適切な日常的な教育的かかわりが基本

 痰の吸引は、呼吸が苦しくならないようにする手段の一つである。緊張によって気道が狭くなり苦しくなったり、そこに痰がからむことによりさらに呼吸が苦しくなる場合には、吸引するよりもまずリラックスさせることで呼吸が改善することも多い。表情変化などの生徒からのサインの読みとり、精神的な充足感が得られるような、生徒の発達段階と心理的状態に合わせた活動(授業)、適切な語りかけなどが、緊張が緩和された状態と楽な呼吸をもたらす。気道を広げた状態を保ち胸郭が動きやすいようにすること、そのために、下顎を適切に保持したり、腹臥位などの全身姿勢を適切に保つこと、胸郭やその周辺を上手に動かしてあげることなども必要であり、それによって痰も出やすくなり、吸引をしなくて済むことも少なくない。このような基本的対応をしながら、必要な場合にそのタイミングを把握して、吸引が行われることが望ましい。
 経管栄養に関しても、誤嚥を防ぐための適切な条件(姿勢、食形態など)での食事水分摂取の介助が基本であり、その上で必要に応じて経管での注入がなされる。経管栄養が主体となった生徒でも、嚥下機能と食べる楽しみの維持のために、誤嚥を最小限にする条件での経口摂取の努力が安易に放棄されるべきではない。
 吸引や経管栄養注入の技術的面だけの習得や実施は、多くの場合さほど難しいものでは無い。むしろ、このような、医療的配慮も踏まえたより基本的な教育的なかかわり、教育的ケアが適切に行われることが重要であり、かつ難しくもあり、そのための力(技量)をスタッフが習得し、実践できることが必要である。安易に吸引や経管注入だけに頼るのではなく、このような基本的なケアがしっかり行われる中で、必要度と必要なタイミングに合わせて直接的な医療的ケアが行われることが重要である。教員、看護師の双方が、この点の認識を共有して連携・協働していくことが必要である。

3.教員が実施者としてかかわることの必要性と意味の確認を

 厚労省研究会の報告を受け厚労省や文科省から出された通知の中では「教員によるたんの吸引等を盲・聾・養護学校全体に許容することはやむを得ない」という消極的な印象の表現がなされている。しかし、教員による実施について、研究会で消極的評価がなされた訳ではない。ヒアリングや教員の実施場面の視察などを踏まえて、報告書本文でも「看護師を中心としながら看護師と教員が連携・協力して実施するモデル事業等の成果」と表現されている。
 学校に関わっている医師も、教員による実施を支持している。教員による実施のために時間を取られるよりも看護師にケアを委ねた方が、医師の負担は、はるかに少ないにもかかわらず、各地で多くの医師が教員による実施のための研修指導にかなりの時間とエネルギーをかけているのは、教員による実施の意味と必要性を実感しているからである。小児神経学会による「見解と提言」では、教員による実施による深い意味での教育的意義とともに、次のように述べられている。
 「担当教職員はその子どもを良く知り信頼関係も深く持てる立場にあります。関係の深い人によって『医療的ケア』が適切なタイミングで上手になされ、子どもも安心してケアを受けている場面を私たちはしばしば経験しています。障害のある子どもへのかかわりにおいては、このような関係性が専門性よりも重要な意味を持ち得るのです。さらに、『医療的ケア』には、経管栄養注入や導尿など決められた時間に行う定時的なケアと、痰の吸引など必要な状態の時にすぐに行うべき随時的ケアがあります。緊急性を要する随時的ケアを少数の看護師に限定していては、迅速に適切に行うことは困難であります。定時的ケアでも対象児が多数いると少数の看護師では対応しきれません。」
 家族や看護師がやるべきことの肩代わり、という消極的な意味ではなく、教員が医療的ケアの実施にかかわることを通して医療的配慮にもとづいた適切な対応が向上していることも含めて、教員が教育的かかわりの一環として医療的ケアの実施を担うことの意義が確認されてきている。
 看護師を多数配置して、それに任せればよいという基本姿勢ではなく、看護師の配置を進めつつ、医療面での専門性の高い看護師と、生徒との関係性の深い教員が連携協働し、教員も一定範囲の直接的ケアの実施を無理のない範囲でしっかりと担えるようにしていくという基本姿勢を、関係者が共有していくことが、学校での基本的在り方を支えるものとして必要である。そして、このような在り方が、特別支援教育における教員の力と専門性の深まりにもつながると考える。
 また、このような在り方を維持するには、看護師、教員の継続性が必要であり、同じ看護師が継続的にかかわれること、専門性を深めた教員が長期にかかわれるような体制が必要である。

4.「メディカルコントロールのもとでの安全確実な実施」という基本を踏まえた、幅のある対応を

 厚労省研究会の報告書とそれに基づく通知で、「教員が行うことが許容される行為の標準的な範囲」が述べられている。私も委員として参加しているこの研究会では、「咽頭より奥の吸引や経管栄養の開始時の確認は、看護師によって行われることが望ましいが、児童の状態等から安全性が確保される条件が整っていれば、看護師によって行われることを絶対条件とすべきではない」「報告書案での、教員が行える範囲は、しばりが強過ぎる」などの意見も出されている。その結果、最終的に、「報告書で範囲として示すものは、厳密な範囲でなく標準的なものとして考えられれば良く、具体的な範囲については幅を持って考えられて良い、その意味で、文章に『標準的な』と付ける」ということとなった。報告書において、あえて「標準的な」と付いていることや、文章において、「ねばならない」や「べきである」ではなく、「適当である」「望ましい」などの表現が用いられているのは、このような了解の反映である。また、この研究会に与えられたテーマは学校においてモデル事業の三行為が一般化できるかということであり、「これ以外の医療的ケアについては研究会の検討対象としていないのでこの三行為以外については研究会としてイエスでもノーでもない、この報告書に書いていない行為は全て禁止であるというような反対解釈がなされるべきではない」ということも了解されている。
 基本は、(1)メディカルコントロール(すなわち、医師の指示や指導管理と、看護師による指導)のもとで、(2)協議会や委員会などの組織体制を整え、(3)研修・手順書作成・看護師との連携協働・実施内容の点検などの具体的作業による、安全確実な実施である。この中において、教員の実施については、モデル事業を踏まえ、全国的レベルで無理のない一定のラインとして、「標準的な範囲」がある。この「範囲」に機械的に拘泥するあまり、生徒や家族にとって不利な状況を招くことになるならば、それは、研究会での検討の方向性に反する。法律的整理としての「違法性の阻却」の適用される範囲も、研究会の検討内容および報告書の基本点と表現の内包する意味を踏まえたものとなると考えるのが妥当である。それぞれの地域・学校の状況、生徒の状態などを踏まえての、幅のある判断がなされてしかるべきである。逆に「標準的な範囲」内の行為であっても、生徒や学校の状況によっては実施が困難な場合もあろう。このような両義的な意味で、基本と現実を踏まえた、幅のある対応が必要である。

(出典 「文部科学省初等中等教育局特別支援教育課編集 季刊「特別支援教育」16号 平成17年3月31日発行」)

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