平成24年3月30日(金曜日)14時~16時
文部科学省 旧庁舎2階第2会議室
新井委員、市川委員、荊尾委員、川井委員、菊池委員、窪田委員、阪中委員、高橋委員、坪井委員
白間児童生徒課長、郷治生徒指導室長、鈴木生徒指導調査官 他
(1)事務局から、配付資料について及び自殺予防教育に関する実施状況調査について説明がなされた。
(2)議事に入る前に前回までの会議の流れが確認された。
(3)議事に従い、委員による討議が行われた。討議は、3人の委員からのプレゼンテーションと、それを受けてのディスカッションという形で行われた。
配布資料について。今日の議事は、「スクリーニング、フォローアップの時期・方法について」ということで、資料1~3は各委員から出された資料、資料4は自殺予防教育に関する実施状況調査について調査票や内容等をまとめたものである。資料4-1は、各都道府県・指定都市教育委員会、市町村教育委員会における自殺予防の研修について、23年度の実態と24年度の計画に関して調査するもの、資料4-2は、自殺予防教育の実施状況について調査するためのものである。調査は5月程度をめどにこれから開始するので、来年度の第1回もしくは第2回くらいまでに結果を提示できればと考えている。資料5は前回の会議の議事録なので、修正があれば4月9日までに事務局まで連絡をお願いしたい。
生徒を直接対象とした自殺予防教育をするには、次の3つを押さえておく必要がある。
以上3点をこの流れで話し合ってきて、今日は3.についてである。まずは2人の委員から今までの経験やアメリカの状況を交えてスクリーニングについてのプレゼンテーションをして頂き、その後にディスカッションという流れにしたい。
(プレゼンテーション1)資料1は、マサチューセッツのNPO(スクリーニング・フォー・メンタルヘルス)が作っている、SOSという中高生向けの自殺予防プログラムの中で用いられるスクリーニングフォームを翻訳したもの。スクリーニング・フォー・メンタルヘルスのプログラムは、まず全ての子どもに自殺予防教育を行い、その後このスクリーニングフォームに記入させ、それに従ってフォローアップの面談を徹底的に行うというもの。プログラムの内容は、自殺そのものについての具体的事実をきちんと伝えること、メンタルヘルスについての正しい知識を提供すること、友達が危機に陥った時の対処についてのDVDの視聴と具体的な援助の求め方を説明することからなっている。こうした教育を事前に一斉に受けているという前提でこのフォームを見てほしい。
スクリーニング・フォームの内容を見ると、まず人種及びうつ病の治療を受けているかの確認をし、真ん中が青年期うつ病簡易スクリーニング(BSAD)・フォームで、下段がアルコールについての質問になっている。生徒が実際にチェックするのは表の部分だけだが、自分でチェックを付けた後に裏を見ると、自分の状態が判断できるようになっている。
ここでは、仮に点数が低くても話せることがあれば話して良いのように、信頼できる大人に話をすることの大切さを説いている。さらに、質問項目のうち自殺企図に関するものについては、他の項目の特徴に関わらず専門家に会うべきとし、アルコールに関する質問でも友達に関する質問でも、繰り返して信頼できる大人と会うことの大切さが書かれている。
事前にメンタルヘルスで鬱になるのは珍しくない、援助を求めることが重要だという予防教育が入った後だからこそ、子どもが質問に比較的率直に答えてくれるのではないかという印象を持った。調査をいつ実施するかによって、子どもたちが自分の危機をきちんと表現するかどうかに違いがでてくるという意味では非常に参考になると思う。
では、次の委員にも発表して頂き、まとめて質問の時間を取ることにする。
(プレゼンテーション2)資料2-1は「子ども用QOLの尺度」である。質問項目の中の「楽しかったしたくさん笑った」「孤独のような気がした」等は学校では結構使いやすいのではないかと思う。
資料2-2は「簡易版自傷傾向評価面接のプリント」で、68項目のうち50までが自殺企図への質問項目になっている。これを子どもに聞くのは少し厳しいかと思ったが、自殺を考えたり自傷行為をしたことのある若者に実際にこれを受けてもらって意見を聞いたところ否定的な意見は出なかった。大人から見ると何度も同じことを聞いているようだが、若者からは、繰り返すことで本当のことが見えてきたり整理ができたりするという声があった。また自傷行為の経験がある養護教諭からは、自傷行為についてはあえて触れない指導が良いということになっているが、自分としてはなぜ自傷行為をしたかについて当時もっと聞いて欲しかったととして、プリントについて肯定的な意見が出された。
資料2-3は「児童用抑うつ性尺度」で、市販されているもの。30部で5000円かかるが、2分くらいの検査でうつ性がきちんとわかる。ただ、「いじめられても自分で「やめて」と言える」「生きていても仕方がないと思う」という2項目については倫理的な配慮からか除外されて使われることも多い。
資料2-4は、かつての勤務校で実施していた「生活に関するアンケート」で、自殺親和性尺度を入れ込んで作った20項目のアンケート。教育相談の資料とするために、毎年4月に10年以上実施していた。名前は書かせないが、最後に出席番号を書かせるので実質的には記名式になっている。アンケートの結果は、点数の高い子から学級順五十音順で一覧表にして、会議や研修の際教師に渡していた。また、高得点の子だけでなく、全部元気だと付ける子や何も書かない子なども気を付けるべき子としてピックアップし、生徒理解に努めていた。
以上4つ、スクリーニングになると思われるものを提示させて頂いた。
2人の発表に沿って意見を聞きたいと思うが、その前に今の発表からいくつ浮かび上がってきた問題点を整理したい。一つ目は、自記式のスクリーニングをやってそれで診断が付いたと思う人が学校に限らず職場でも多いということ。ここは専門家でない一般の人がよく誤解する点だが、自記式のスクリーニングはあくまでも気付きの第一歩であって、専門家による診断の代わりにはならないということが大前提である。二つ目は、スクリーニングでうつやメンタルヘルス全般を判定するのか、それとももっと自殺に特化して判定するのか、という問題。三つ目として、2人は触れていなかったが、スクリーニングを自殺予防教育の前にするのか後にするのかという議論もある。前者は、事前にスクリーニングをすることでハイリスクの子どもは別に扱うべきだという考え方、後者はそれでは費用対効果が悪いので全ての生徒を一緒に扱って終わってからスクリーニングをするべきだという考え方である。四つ目は、データの匿名性について。「生活に関するアンケート」では、生徒は名前や出席番号を書くのにはあまり抵抗はないとのことだったが。
回答を全て「1」にする、のように、「答えない」という行動を取る子もいる。そういう子に対しては「答えるのが嫌なのだ」という生徒理解をする、と考える。
大人の場合は精神的健康度を大雑把に図るGHQのようなものが使われていると思うが、子どもの場合はどのようなものを一般的に用いるのか。
子どもの場合は年齢で大きな差があるので、一般的に使われているものはない。
では、自殺予防教育の対象となる中高生くらいだと、たとえばどのようなスクリーニングが普通なのか。色々なものを使っても良いと思うが、この検討会で2つ3つアイディアを出す必要があるとすれば、どのようなものが広く使われているか知っておきたい。
学校現場での性格テストの尺度は色々な業者が作っているので、中には精神的健康度を測るものもあるのかもしれないが、今述べられたようなスクリーニングに特化したものがあるかどうかはわからない。
教育現場で使われているので、きちんと標準化されたものがあまりないのかもしれない。しかし標準化されなければ結果も相手にされないし、後で色々言われないためにも標準化の作業は必要だろう。
実施のための時間も考えなければならない。あまり長いと子どもの負担になるし、子どもの知的レベルに合わず答えられないというのも困る。「生活に関するアンケート」は15分程度だが。
島根県では、予算の関係で学年は限定されているものの、全県下の5年生を対象にQUというテストを実施している。県で予算化しているので年1回は確実に実施され、その結果を見て、各学校で配慮が必要とされる児童については学級の中の位置関係を確認した上で対応する。そして変化を見ながら、秋にもう一度、今度は学校の自己負担でテストを実施する。自殺予防に限定した取組ではないが、子どもには自尊感情というものがあるので、1つの関わり集団の中での自分の価値というのはとても大切。したがって、学級の中での位置関係を確認するというのはとても有効だと思う。
そして、「生活に関するアンケート」のようなものを短時間で行い、その結果を見ながら個別に採用していくというのは恐らくどこの学校でもしていると思う。こうしたアンケートについては、自殺予防教育の前か後かはあまり関係なく、アンケートをするときの学級の雰囲気が大切なので、アンケートに真剣に取り組める雰囲気を学校全体で作る必要がある。アンケートそのものが「教育」になることが大切。
あくまでもこれは島根県で全生徒対象で定期的に行っているもので自殺予防教育とは関係ないということだが、最初のスクリーニングを自記式で行い、指導が必要な生徒をすくい上げるということに関して反対はなかったのか。つまり、自記式だけで子どもの調子の善し悪しを判断するのは危険だと思う。たとえ最初のスクリーニングでは問題がなくても、教師が毎日の関わり合いで危ないと感じたらその次の二次スクリーニングに必ず入れるといった配慮はなされているのか。
私の学校ではテストよりも教師の目が一番確かだろうという話合いはあったが、しかし調査そのものへの異論はない。
QUはあくまでも子ども自身が学級の中で承認や信頼をされているかどうかについて子ども自身の認識を問うものである。そこで非承認群や要支援群が出てくることの意味は、子ども自身にメンタルヘルス上の問題があるということよりは、どういう問題があろうとも子ども自身が疎外感を感じていることを事実として浮き彫りにし、それに対して担任を中心に支援できるようにするということである。よって、そもそもこのテストの趣旨は「現場の先生の学級経営に生かす」ということなので、今危惧されているように自記式によるスクリーニングで子どもが取りこぼされるという問題は生じないのではないか。
学校現場には、メンタルヘルスについてハイリスクの子どもを捉えたいというニーズがある一方で、そこに焦点をしぼって標準化されたテストをやることに対する抵抗感も強い。よって、多くの学校でやっているような生活面の全体を押さえるアンケートで日常的な把握を行いながら、自殺予防教育については、きちんとした指導後にそれに特化したもので拾い上げるという二本立ての考え方の方がしっくりくるのではないか。
プレゼンテーション3とも関係するかもしれないが、自殺予防教育やスクリーニングの有無に関わらず、教師は危ない子についてはだいたい把握していると思う。むしろスクリーニングは、教師の目では気付かなかった子どもを捉えるくらいのつもりでやらなければならない。そうではなく、検査で引っかかった子どもばかりが注目され、点数には表れないが潜在的にハイリスクな子どもが見逃されてしまえば、むしろ検査をやるデメリットにもつながりかねない。先ほどの発表であったアメリカでのスクリーニングの仕方を見るとこんなものなのかという感じを受けるが。
アメリカでのスクリーニングの仕方は、メンタルヘルス上の問題を抱えることは、不自然なことでも恥ずかしいことでもなく、治療をすれば治るものであることや援助を求めることが大切であることをまずはきちんと教育し、その上で子どもたちに表現してもらい、表現されたものについては確実にフォローするという形で行われている。
質問項目については日本独自の検討がいると思うが、日本でも自殺予防教育を学校で行うならこのような形で行うのが自然だと感じる。
プレゼンテーション2で説明があった「生活に関するアンケート」の位置づけについて質問がある。このアンケートは発表した委員が作成して勤務校で使ったものなのか、それとも市町村等ある程度の地域レベルで使ったものなのか。
勤務校で、飛び降りやリストカットをする子どもへの対応のために作成したのがきっかけ。最初は勤務校独自の生活アンケートだったが、養護教諭が市全体の集まりで出したため、市全体でも何年かやっていた。他の県でもやりたいという声があれば対応したが、現在も勤務校独自で行っている可能性は高い。今回は確かめていないが、一昨年までは確実に行っていた。
全国的な取組として紹介したわけではないということか。
「生活に関するアンケート」だけは違う。他のものは全国的な取組で、本やネットから引いた。
アンケート自体は丁寧に「標準化」されているわけではないが、個別の項目については他の研究者が標準化した自殺親和性尺度やストレス尺度等を合算して用いている。
つまり、アンケートの内容や実施方法については、すでに「標準化」されたものを基礎とした上で独自に作成されたものであるということか。
養護教諭が変わっても、アンケートの得点によって「しんどい子」の名前がきちんと浮かび上がってくるのはすごいという現場の声がある。記述式の部分もあるので、得点だけでなく、子どもが何も書かなかったりふざけていたりすることで気付くこともある。先ほども指摘があったように、日々生徒の様子を見ている教師の目と重ね合わせて検証するようにしていた。
「生活に関するアンケート」は、あえて自殺予防教育として、ではなく、生徒理解のために何年か続けていた取組ということ。
似たようなアンケートや商業ベースの適正検査を実施している学校は多くあるが、「死にたいと思ったことがある」「生きていても仕方がない」といった質問項目はほとんど外されている。アメリカのうつ病簡易スクリーニングテストでは「深刻に自殺したいと思うか」という項目が入っているが、学校で自殺予防教育が実施されなければこうした項目を入れるのは極めて難しい。
そうした事情がある中で、「生活に関するアンケート」にはこの項目が入っており、少なくとも十数年間続けられた。この項目を入れるに当たって職員や保護者から抵抗はなかったのか。
初年度には少し抵抗があったが、学校内の「しんどい子」と丁寧に関わるためには知ることが大事だという空気もあった。そこでまずは1回やってみようという話になった。記名式にするか否かは議論があったが、「しんどい子」と関わるためにはやはり記名が必要なので、無理には答えさせない方針で記名式での実施を決めた。
実際やってみると子どもは答えるし、アンケートが嫌だという声もなかったので、次年度からは特に抵抗なく実施できた。いくつかの項目への回答がうっかり抜けているものはあったが、特に深刻な項目をわざと書かずに提出する子はいなかった。
今までの話は、子どもの心の健康状態を理解するために数値として子どもの健康度を調べ、高い子どもに対してはフォローアップをするという考え方であって、「自殺予防教育」のためのスクリーニングとしてそれを推進するのは違うのでは。自殺予防に特化していて、かつ実施も評価も簡単な標準化された検査を用いるべきだと思う。
たいていの学校では教育相談が学期に1度くらい設けられており、事前に何らかのアンケートを実施して、それを元に教師が相談を受け、必要があればカウンセラーにつなぐという形が既に取られている。既存のものを生かしながらも「自殺予防」の観点をもう少し取り入れて、自殺予防教育を実施した後でよりかっちりしたスクリーニングをするという流れが良いのではないか。
自殺予防教育をするなら、その後必ずスクリーニングをしなければならない。その時に使えるような、回答や評価が簡単で、かつ専門家によるお墨付きがあるテストを宿題として探してきてもらえないか。
その通りだと思うが、自殺の標準化はとても難しいし、アメリカでの標準化が日本でそのまま使えるわけでもない。日本に標準化されたものがあるとも聞かないので難しい。自殺に限らず、日本では長期間のフォローアップがなされなかったり調査対象者が少なかったりで、こういうものの「標準化」が非常に遅れている。
そこで出てくる議論としては、自殺に焦点を当てるのかそれともメンタルヘルス全般を扱うのかという問題や、ハイリスクの子どもに対してどのレベルでフォローアップする必要があるかという問題等がある。
では、フォローアップの問題について、高校での経験が豊富な委員から発表して頂く。
(プレゼンテーション3)私は、ハイリスクの生徒に対して、危機予防・介入の観点から関わってきた。通常のカウンセリングではなく直接的な指導として行い、「ピンチはチャンス」の考えの下、ピンチを生かして生徒が今後良い方に転換できるようにすることが大切だと思ってきた。
具体例をいくつかお話したい。
こうした事例に対応する際常に考えていたのは、目撃者としての責任と学校教育でできる範囲の責任をどう考えるかということ。キャッチしたからには何らかの手は打つが、学校としてできることとできないことははっきりさせる必要がある。そこで、「作戦会議」と称してチームで対応できるような体制を作った。管理職の教師と専任カウンセラー、養護教諭と生活指導代表の4者は必ず連絡を取り合い、作戦会議の相談の場には、担任や教科担当、事務室職員に入ってもらうこともあった。また、校内だけでなく医師や福祉機関等、外部の関係者と話合う際にも「作戦会議」という名称を使い、小さいものも含めて年461件行った。他にも、生徒指導部で行う情報交換会を年2回、校内研修会や事例検討会を年8回、管理職などの情報交換の月例会を月1で行い、他の教師の参加も自由に認めて生徒をサポートするための情報共有に努めた。
もう一つ、異動のある公立学校である以上、誰がやっても一定程度の実践ができるようにする工夫が必要だということも常に考えていた。予防介入プログラムをマニュアル化した冊子を全職員に配布し、特に自殺予防についてはページをコピーして担当を決めていた。新任職員にはこのプログラムを使って研修を実施した。
さらに、学校だけでは当然不十分なので、生徒本人や家族の了解を得た上で、生徒と関わりのある各機関とFace to Faceで話合う機会も設けていた。医師や、バイト先の店長等も含め、それぞれができることをする、というスタンスで臨んでいた。
入学時の保健調査票や相談カードを活用し、内容によっては校外のリソースと連携するのにその情報を使っていた。相談室は学校内の「飛び地」ではなく「組織」であり、連携するのは当然のことだと考えている。
ここまで細かくハイリスクの子どもに対応できている高校はほとんどないだろう。今の発表で非常に重要だった点は、一人で抱え込まずに、教師同士や保護者、医療機関と十分な連携を取りながら子どもを支え、見守っていくということだ。ハイリスクの子どもに対応できる学校作りについては、総論としてはみな賛成するだろうが、いざ作ろうとすると必ず懸念が出てくると思うが、今回こうしたシステムを率先して作ろうとしたのは誰なのか。
相談室にいた常勤の専任カウンセラーと養護教諭の連携から始まった。単位制で時間もばらばらな高校で全体が把握しにくかったため、担任も巻き込んで学校全体のシステムをコーディネートしたという経緯だった。
つまり、元々問題を抱えた子どもが生徒であるという認識を持った教師が集まり、なおかつ細かいフォローアップをしようとしたということか。
自殺予防教育が話題になっているが、教育を実施してスクリーニングをした場合にある程度のカットオフ以上の子どもを見つけた時、学校で支えていける子どもなのか、専門の精神科医に任せるべき子どもなのか、そういう段階的なレベルはイメージできているか。
現状では自殺予防教育はしていないが、専門機関につなぐべき生徒は一定数おり、その場合はスクールカウンセラーが中心となって、保護者や医療機関と十分な連携を取っていくこととしている。
原則はそうありたいと思っているが、困難を抱えた子の保護者から相談が出てくるまでに時間がかかったり、スクールカウンセラーも限られた勤務時間しかとれなかったりで、専門機関との迅速な連携が難しいこともある。ただ、以前よりスクールカウンセラー制度が定着したことで、専門機関との連携は随分進んだと思う。
自殺ということだけにターゲットを絞って行うのは教育現場ではきついかもしれないが、現場の教師やスクールカウンセラーのボトムアップは必要だと思うし、それらの養成課程にそのような視点を入れることも重要だと思う。
この会議でも、自殺予防教育について意見が一つにまとまっているわけではない。一般的な傾向を重視すべきという人もいるし、もう少し自殺予防に特化すべきと考える人もいる。これがこの会議の一つの意見でもあると思う。
ただ、現場で一人よがりの自殺予防教育を始めてしまっている人がいるのが問題なので、それに対してこの会議で何か意見が言えないかは考えたい。自殺予防教育をやるかやらないかは脇に置くとして、もしやるならば、押さえるべきところを押さえなければ思わぬ副産物が出る可能性がある。
たとえば、自殺対策の助成金を出しているところの審査会に出ていた時に時々子どもを対象とした自殺予防教育が出てくることがあった。しかし、教師の不安についての考慮や、保護者や地域の専門家等関係者とのコンセンサスもないまま、単純に教育委員会のお墨付きだけもらって始めてしまうこともある。内容についても「命を大切に」というメッセージが前面に出てきてしまうだけだったり、スクリーニングやフォローアップについて何も考えていなかったり。このように、独善的で子どもへの影響を検討しない自殺予防教育に対して、文科省の検討会として何らかの形で意見をまとめる必要はあるのではないか。
子どもの自殺は、子ども、保護者、教師にとって大きなダメージになるので、文科省として正面から取り組むべきだ。今までは臭い物にふたをしてきた印象がある。自殺予防教育の捉え方には、全体の中で行うのとピンポイントで行うのと両方の視点がなければならないし、現場だけでの努力では難しい問題だと思う。
私はある程度自殺に焦点を当てた方が良いと思う。今ここで議論したことを踏まえると、自殺予防教育の内容とスクリーニングテストの内容、そしてフォローアップが全て連動していると思うからだ。また、その結果を地域とつなぐために、国を挙げて教育と医療を連動させていくことも必要だろう。
やはり教育の中で、死というネガティブなものを取り上げたくないという教師は多いと思う。ネガティブなものを問題にすること自体が教育とは違うという前提を、完全にぬぐい去るとはいかなくても少し緩和することも考慮しながら、自殺予防教育の方法について一貫して考えることが重要だと思う。
私の周りでは、学力の高い不登校の子がプレゼンテーション3で紹介された高校への進学を目指すことが多い。一人一人が自分のための教育を組み立てられるというのが魅力の一つで、もう一つは危機が起きた時にチームを組んで作戦会議を行う体制が整っていること。自殺予防教育には合意形成が一番大切という話があったが、日常的にチームで作戦会議ができるだけの地盤があれば、合意形成は当然できてくる。それがない中で教師に「死」について考えろというのは無理がある。自殺の問題はメンタルヘルスの問題であることを教師がきちんとわかり、自分がわからないことは精神科医やカウンセラーが助けてくれるということがわかれば、教師も自殺予防教育や「死」の問題に踏み出すことができる。
まずは教師が「死」を考えている子どもがいるという現実に目を向けること、次に多連携協力によって教師が安心して取り組めるようにすること、その両方が必要である。
ある状況が揃わないとできないという発想はやはりまずいので、自分たちの足下の問題から取りかかるという発想が重要だと思う。
道徳教育で「命は大切だ」のような耳障りの良いメッセージを前面に出すと、精神疾患で追い詰められている子どもが自分を否定することにもつながりかねないので、それは自殺予防教育にはならないと考える。
子どもを対象にした自殺予防教育は、生涯を通じてのメンタルヘルスの基礎作りであり、全ての人を対象に体系的な教育ができる枠組みは学校教育以外にない。自殺対策全般の中で、文科省が実施する子どもに対する自殺予防教育こそが、国民全体の自殺率を下げたりメンタルヘルスの向上を担うことになるのではないか。また、フォローアップの段階では、医療との連携等厚労省を始め他省庁との連携も必要となるので、文科省としては子どもの自殺の問題に取り組むことが国民全体にとってどのくらい重要かを整理して発信してほしい。
アメリカに視察に言ったとき、問題を抱えることは一生のうちに必ずあるということ、問題を持ったら一人で抱え込むなということを、自殺予防やメンタルヘルスに関わる人が皆強調していたのが印象に残っている。
具体的な例で言うと、スクールカウンセラーの導入や特別支援教育での専門家人材の活用は英断だったと思う。教育の中だけで考えるのではなく、外部から人を入れるということを文科省から言ってもらえると現場はやりやすい。
時間が迫ってきたので事務局から今後のスケジュールについて説明してほしい。
今年度はこれで終わりだが、来年度は年度当初から早々に開催したい。具体的な日程はまだ決まっていないので、後日調整する。
また、進め方については、今までの議論や自殺予防教育を実施する際の要点等を事務局で整理してまとめ、来年度からの議論の出発点にしたいと考えている。
調査票の4-2について質問がある。都道府県、指定都市、市町村、学校とあるが、「独自の取組」というのはどういう意味で使っているのか。
学習指導要領にある保健や道徳の範囲を超えて、独自に自分たちでテキストを作ったり、授業を行ったりしている学校を紹介してほしいという意味。
3の「自殺予防教育」にも「独自の」とあるが。
自殺予防教育はそもそも学習指導要領にはないので、ここでの「独自の」は自殺予防教育をしているところという意味。
実際に行っているだけでもすごいのに、「独自の」と限定することでかえって答えにくくなるのではないか。今の説明のように丁寧に書いた方が答えやすいのでは。
確認だが、2の「心身、精神の健康教育」とは、保健の単元の中に入っているメンタルヘルスの問題をイメージしているのか。
はい。
随分前の原案では、自尊感情を高めるといったような間接的な自殺予防教育について尋ねたいと思っていたが、ここではメンタルヘルスに関するものだけを聞くということか。
第3回か第4回の議論を反映してそちらに特化した。
調査の発出はまだだということなので、今回の意見を反映して検討してほしい。委員はもし他にも意見があれば1週間以内に事務局まで提出するように。
―了―
初等中等教育局児童生徒課生徒指導室