学校の第三者評価のガイドラインの策定等に関する調査研究協力者会議(第2回) 議事要旨

1.日時

平成21年6月2日(火曜日)15時~17時

2.場所

中央合同庁舎第7号館東館 3F2特別会議室

3.議題

  1. 学校の第三者評価のガイドラインに盛り込むべき事項について
  2. その他

4.出席者

委員

天笠委員、大矢委員、岡田委員、長田委員、風岡委員、金子委員、神林委員、小松委員、實吉委員、島宮委員、竹原委員、千々布委員、永松委員、浜田委員、葉養委員、日永委員、藤原委員、松尾委員

文部科学省

藤野参事官、西田学校運営支援企画官、他

5.議事要旨

・前回欠席した委員の紹介が行われた。
 

(1)日永委員から学校の第三者評価と大学の認証評価制度との共通点・相違点についての説明。その後、質疑が行われた。

    (○は委員からの質問、●は発表者からの回答)

○ 認証評価機関はどのような形で成り立っているのか。

● 大学評価・学位授与機構は国の独立行政法人なので、公的な資金と各大学が評価の際に支払う評価費や事業の収入等で成り立っている。大学基準協会は、評価費収入が中心。日本高等教育評価機構も会費を取っているが、評価費収入が中心。

○ アメリカでは認証機関に対して具体的にどのような認証をしているのか。

● アメリカでは連邦政府は基本的に教育のことに口出しができないという建前になっているが、連邦政府は大学生に対する奨学金を多く出しており、認証を受けた評価機関の評価を受けていれば、連邦政府の奨学金の受給資格を当該大学の学生に認める仕組みになっている。その際には、学生の学習成果についての評価を必ず行うことや、法人の成り立ち、財務運営のあり方など、幾つかのことを基準の中に含み込むことが連邦法で定められている。

○ 国立大学の場合には、認証評価とは別に国立大学法人の評価があると思うが、両者の関係はどのようになっているのか。

● 認証評価と法人評価は相互に独立したものであり、国立大学法人の場合は両方の評価を受ける必要がある。法人評価は中期目標・中期計画の達成状況を評価するものであるが、それが大学としての目標にもなるので、実際には認証評価でもほぼ同じ目標に対する評価ということになっている。
  法人評価は大学評価・学位授与機構が一手に引き受けている。ほとんどの国立大学では法人評価が行われた年と大体同じ時期に認証評価を合わせて受けるということで対応している。
 

(2)事務局より「学校の第三者評価のガイドラインに盛り込むべき事項」について説明。その後、自由討議が行われた。

    (○は委員による発言、●は事務局からの回答)

○ 大学と大学以外の学校との性格の違いというのは十分考えていかなければならない。大学における認証評価がこうであるから、義務教育あるいは後期中等教育の第三者評価もこうであるべきだという議論が成り立つかどうかは疑問がある。
  大学というのは市場原理の中で争っているが、公立の義務教育の場合は、学校選択制を採っている地域であっても、ほとんどの子どもが住所地の近くの学校に通っているという違いを考える必要がある。
  アメリカの場合、私立学校については大学より下の段階でもアクレディテーションの仕組みがあるので、そちらの方が参考になるのではないか。
  教育委員会や地域住民が一緒に教育活動を支えていることを考えると、マネジメントの責任が校長や教職員だけに負わされることになると違和感がある。

○ 学校教育法では、学校評価をもとに学校を改善して、最終的には教育水準の向上を図るということが規定されている。学校評価というのは自己評価でも第三者評価でも最終的には教育水準の向上につながらなければならないが、実際の学校評価では評価の客観性ばかりが意識され、学校改善に結びついている事例が少ない。学校改善ということをもっと前面に出した第三者評価のあり方を考えてもよいのではないか。

○ これまでの自己評価や学校関係者評価の取り組みの中で、十分でないところもあれば、良くなったところもある。このような積み重ねの中で、第三者評価をどのように取り入れて生かしていくのかを考えることが必要だと思う。

○ 自己評価というものをきちんと見据えていかないと、学校改善に結びつかないのではないか。学校自身による改善をきちんと見ていくという観点が必要だと思う。

○ 以前の学校関係者評価の議論の際にも、私立学校の場合は、私立学校法上の評議員会がその役割を担っており、新たな組織をつくることは難しいという話があった。私立学校では第三者評価のための外部組織等を設けることは難しいこともあるのではないか。

○ 評価を最終的に取りまとめて報告を受け取る側の判断で評価者を選ぶというところは、かつての大学の外部評価と同様に、第三者性に対する社会からの疑問が予想される。また、ある程度の共通性を保つような配慮をしないと、同じような学校なのに評価結果が全く違うということになるおそれがある。

○ 実際に評価をやる機関の独自性、自立性を担保するためには、実施主体とは別に、教育委員会の事務局の力を借りながら、自律して評価を行う評価主体という概念があったほうが良いのではないか。

○ 複数の自治体が地方自治法上の広域連合や事務組合などで学校を運営している場合、実施主体と設置者がずれることがある。公教育の質を満たしているかどうかという観点であれば、実施主体は広域的な団体でもよいが、評価を改善に結びつけようとする場合、改善の主体はあくまでもそれぞれの教育委員会であり学校であるため、そのずれについて検討が必要だと思う。

○ 第三者評価の実施主体について、当該学校や当該教育委員会と関係ない人でなければならないというのはこだわり過ぎだと思う。大事なのは、評価において身内であるがゆえに陥りやすい弊害を修正する役割の人が関わっているということであり、全員が関係のない第三者である必要はない。

○ 企業とのアナロジーで言わせていただければ、大学と高校以下の学校には大企業の場合と中小企業のような違いがある。大学は上場した大企業に相当し、高校以下の学校は、中小企業に相当する。経済界でも中小企業のガバナンスは親会社や金融機関などの関係者がチェックしている。その観点からいえば、大学とは異なった評価の仕組みが考えられるべきである。ただし、仲間うちだけで評価しているとどうしても甘くなることがあるため、第三者の目というものが評価の中で必要になってくるといった観点が重要である。

○ 大学の場合は、自己点検評価などを支える組織的なキャパシティがあるが、学校評価を支える学校のキャパシティを考えた場合、目標を限定的に考えていく必要があるのではないか。
  おそらく第三者評価は数年に1回行うということになると思うが、同じ学校の評価の継続性を担保する必要はないのか。大学の場合は7年に1回評価を行うため、どのような評価が当時なされ、その評価結果を受けて大学がどう改善したかというのを見られるよう、7年前の資料は見ることができるようにしてある。

○ 監査を行う際に100項目以上行った場合、改善について誰が責任を負うことになるのか。例えば学力面で指摘を受けたとしても、学力を規定する社会文化的背景も存在しており、学校の教職員の自助努力だけに帰することができるほど単純ではない。監査ということの意味付けを本質論として詰めていかないと非生産的になる懸念がある。

○ 第三者評価の実施時期は、自己評価や学校関係者評価の結果を踏まえるとなると、年度末になると想定しているのか。あるいは過去数年分の自己評価や学校関係者評価の結果を参考として実施するというイメージなのか。

● 現時点においてはそこまでの具体的なイメージはない。

○ 公立の場合、前年の11月ぐらいに次年度の予算編成を始めて、翌年の1月か2月ぐらいに決まる。そうすると、年度末に評価を実施しても予算編成が既に終わっており、改善が実効あるものになりにくい。現実的には、中間評価を行って、それを生かしていくことになるが、年度内に2度の評価をするとなると現場にとっては非常に負担となる。

○ 私立学校にとって一番大事なことは財務体質であるが、過去の試行事業では学校経営の状態についての観点がない。私立学校には第三者評価はあまり馴染まないのではないか。また私立学校では、保護者は子どもの教育方針と学校の理念や哲学が一致する学校を選択し、子どもを預けている。その間のずれについては、自己評価や評議員会を含めた学校関係者評価で見ている。

○ 公立学校、特に義務教育では個別の学校で改善できることは非常に限られており、財務面などは設置者の問題になる。客観性担保ということはいいが、学校の改善を支えるシステムがない限り、評価結果を学校が生かすことができないのではないか。
  また、大学と異なり初等中等教育諸学校では学習指導要領など様々な基準を踏まえた上で特色を出しているので、客観性や共通性を過度に強調する学校評価システムとなることには懸念がある。

○ 多くの学校が2学期末までに次年度の教育課程、予算、人事等について教育委員会と相談することになるので、第三者評価で専門家の意見をもらうにしても、2学期末までにもらって学校運営の改善に役立てるという流れにするのがいいのではないか。

○ 現場で行われている学校の特色づくりを考慮すると、第三者評価の客観性や共通性については慎重に考えるべき。特に評価項目にインフラなどが入ると、現場ではどうすることもできないため、改善には教育委員会等の力を借りなければならない。

○ 今の学校評価の枠組みは年度当初に計画を立て、それを評価して次年度の計画に反映するというマネジメントサイクルの中で学校が改善されるという考えを前提にしているが、校長の日常的な教員への指導を変えるなど、すぐに改善できるものもある。学校を改善していくためには、学校評価者の資質よりも指導主事の資質を重視すべきだと思う。指導主事の力量にはばらつきがあり、特別なトレーニングも行われていない。

○ 第三者評価では、学校の実情について事前にかなりの知識がないと適切な評価ができない。評価者の資質というよりも、事前にどれだけの情報を評価者に与えられるかということが重要である。

○ 一人の評価者に完璧な資質を有することを期待するのではなく、評価者がそれぞれの役割を果たしながらチームとして評価することを考えるべき。

○ 評価者を「当該学校及びその設置者と直接の関係を有しない者とする」という形にした場合、特色を売り物にする高等学校などについては、評価者が理解できるのかという不安があるので、「関係を有しない者とすることが望ましい」ぐらいの余地を残しておいたほうがいいと思う。

○ 資質や育成の話になると、学校関係者評価に関わる人と第三者評価に関わる人というのは別々に考えるべきか、一体としてとらえるべきかといったことも検討課題ではないか。

○ ジャッジをされて学校の元気がなくなってしまうような結果は避けるべき。学校の第三者評価は学校のモチベーションが上がるような仕掛けにしていかなければならない。第三者が改善策を提案することにより校長、教員、地域などの役割分担が明確になるなど、学校を元気にするような外の風を入れる形にすることが望ましい。

○ 中立性といった場合、むしろ学校と設置者の間に立つ中立性というものを考える必要があるかもしれない。また、改善方策の提案ということについては、評価する側が改善策について責任を負えるのかという懸念がある。海外では評価結果に対してダメージを受けたということで、実際に評価機関に対して訴訟が起こされている。

○ 提言を行うとなるとコンサルティングに近くなり、2,3日の調査でそこまでできるのかという問題がある。

○ 学校運営の文脈を踏まえた評価であれば学校側の共感が得られて改善に結びつきやすい。学校側の共感を得られるような第三者評価とはどういうものかがポイントになる。また、評価の技法として褒める評価も積極的に入れるべきではないか。

○ 校長の立場としては第三者評価を学校運営の改善に役立てたいという気持ちがあるのだから、校長と評価者の意見交換の場を作ることが大切ではないか。評価される側が納得できるかどうかが学校を元気づける上で重要である。評定については、公表される前提であれば難しい。

○ 高等学校は生徒や保護者等による選択の対象であるため、評価結果の公表については義務教育諸学校とは考え方を変えたほうがよい。

○ 教育はすべての人が経験しているものであり、様々な意見が出てくるので、第三者評価の哲学や理念を明確にすることが肝要なのではないか。

○ 実施時期については様々な意見を踏まえつつ検討すべき。

○ 事務処理状況などでは監査的要素が強くなると思うが、そういった部分については共通性が必要である。現場での認識として、財務や教育環境整備についての自己評価はあまり取り組まれていないと思う。このことを学校や教育委員会に気づかせるという意味でも外部からの評価は必要ではないかと考える。

○ 現状で日本中全体で専門家を揃えて第三者評価を実施するというのは、専門家の確保が難しいこともあって実効性が乏しいのではないか。むしろ、第三者評価を行う際は、定着しつつある自己評価や学校関係者評価をどう役立てていくかを考えることが重要なのではないか。むしろ、共通項目を作って学校間の比較ができるようなものを専門家が作っていくことが必要なのではないか。

○ 国がガイドラインをつくるのであれば、コンプライアンスの部分が重要だろう。財務面では私費会計部分の管理に問題のある例が多い。
  提言型の評価は担える人材が限られるので、養成や研修が重要になる。提言型は校長との関係がうまくいけば喜ばれる。
  第三者評価を実際にきちんと行うためには、事務局組織がかなりしっかりしている必要がある。教育委員会の中に事務局を置くのか、民間の力を借りるのかといった議論もあるだろう。

 ・事務局から今後の会議の予定日時について説明があり、閉会した。

お問合せ先

初等中等教育局参事官(学校運営支援担当)付

(初等中等教育局参事官(学校運営支援担当)付)