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資料4
未定稿

子どもを守り育てるための体制づくりのための有識者会議(第2回)主な意見

馬居委員説明
「社会が変わった、子どもが変わった、いじめが変わったことを理解するために」
 
 人口が減少していく中で、子どもの生活を真剣に考えていかなければならない。大切なことは、「人の間」を再構築する社会システムであり、子どもたちが規範を守りあえる世界を構築する必要がある。
 普通出生率の低下に伴い、子どものいない家が増えており、子どもたちが家の外で遊ぶ仲間を失っている。
 現在は、専業主婦を中心とした社会制度となっており、働く女性を中心とした社会となっていないことが少子化の一要因ともなっている。
 団塊世代が日本人として最後の古いタイプであるが、自分たちが育つ過程の中で父母になることを学んでいる。
 学校の役割も変化してきており、少産世代と団塊ジュニアにおいては少数者にならないための競争を行う場、少子世代においては落とされないための競争を行う場となっている。
 世代によりいじめの性質も異なっている。団塊世代にとっては、生まれたときから兄弟姉妹によるいじめもあり、学校の教室だけが人生ではないという状況があった。
 少産世代にとっては、学校の中ではじめて、いじめを受けるということを体験する。それでも部活など教室の外で友を得ることはできた。
 少子世代にいたっては、他者とコミュニケートする術を学ぶことなく学校に入り、学校ではじめて集団生活を経験している。
 教員はこれまで、ある程度の人間関係を構築することができる子どもを前提として教えてきたが、状況が変わってきている。
 いじめは、団塊世代にとっては「弱点克服学習」、少産世代と団塊ジュニアにとっては「逸脱批判学習」、少子世代にとっては「差異隠し学習」といえる。

植山委員説明
「スクールカウンセラーの役割」
 
 スクールカウンセラーとして、生徒・保護者の個別相談に応じている。また、常に教職員との情報交換に心がけている。
 個別対応だけでは対応が難しいため、不登校生徒の親の会を実施している。
 学生による学習支援ボランティアのマネージメント、不登校生徒などで必要のある生徒に対する家庭訪問を実施している。
 外部専門機関への紹介や連携に関する調整、研修会や研究会への協力を行っている。
 クライシスの発生が予想される場合の予防的対応や未然防止にも協力している。
 生徒を対象とした相談室便りを発行し、問題となりそうな事柄に焦点をあてて、解決のヒントなどを掲載している。また、保護者向けのコラムも設けて情報提供を行っている。
 スウェーデンのいじめ対策では、先生、心理学士などからなる「いじめ監視対策グループ」が中心となっていじめ調査を行っている。いじめっ子に対しては、対話から始めることを重視している。この「対話」は日本のものとまったく同じとは言えないようだが、直後に対話から始まる事は日本と共通である。
 日本のスクールカウンセラーとしての留意点は、まず子どもの不安を解消させ、事実関係を確認する。その際、一人で解決することは難しいが、多くの仲間を見つけることなどで解決が可能となることを説明し、「必ず守りぬく」という相当な覚悟を持ってことにあたることが重要である。

スクールカウンセラーなどカウンセリング機能
 
 スクールカウンセラーと医療機関などの外務専門家との連携はとりやすい体制になっているのか。
 各学校の現場により状況は異なる。関係機関とのネットワークを構築し、情報共有していくよう心がけている。
 現在は他者に対する意識がなくなってきている。戦後教育の中で人間が一人一人異なるということを十分に教えてきていなかったのではないか。一人一人の人権を認め合う個人主義の中で、自由であるということが強調されてしまい、利己主義的な社会になってしまったのではないか。人間が支えあうことが非常に重要だと考えている。
 スクールカウンセラーの役割は大切だが、十分に機能しているのかということが問題である。一方、本当に傷ついている人は、そっとしておいてほしいという気持ちがあり、その意味でも保健室の機能は重要ではないか。スクールカウンセラーと保健室の連携も考えていくべき。
 スクールカウンセラーにもそれぞれ特徴があり、子どもの評判がいい者、保護者の評判がいい者など様々である。
 また、第二の保健室的機能として図書室に地域の方が来て、子どもと対話をすることも必要ではないか。保健室機能あるいはカウンセリング機能を分散させていくべき。
 いじめの内容も、暴力行為で警察沙汰になるようなものから、話合いで解決する程度の軽いものまであるが、最も学校で問題となるのは中間レベルのものである。このようなものは、外部の医療機関や児童相談所など専門機関との連携は難しく、外来で予約をしても2〜3ヶ月間またなければいけないという状況である。
 子どもたちがいきなり相談室にいかなくても、第二、第三の居場所として受け入れられる場所がいくつか必要である。
 また、民間企業でも心のケアをビジネスとして行っている例もあり、24時間相談を受け付けている会社もある。正式外来を通さなくても、医療機関と学校が連携できるような場があればいいと考える。
 日本では子どもをみる専門のドクター(児童精神科医)が少ない。
 小児の精神科は儲からないため、ドクターを希望するものが少なくなる。
 子どもの生きていく場として学校を多元化していく必要がある。多元化するためには、教員のみではなく地域の人達が学校に入り、専門家としてのソーシャルワーカーを配置していくという政策が必要ではないか。
 兵庫県では、スクールカウンセラーの半分以上が機能していないのではないかと感じる。専門の資格を細分化させていくのではなく、1人の方がたくさんの職種をもたせるようにする方がいいのではないか。

命の大切さをどのように教えるか
 
 他人の痛みを分からないことがいじめをひきおこしている。これまでは特別の方法で教えてきたものではなく、日常生活の中で人のいやがることをしないということを学んできた。死に対する概念も分からないまま成長している子どもが増えている。命の大切さを教えていくという教育も必要である。
 最近は、死んでも生き返られる、死後の世界があると考えている子どもが多い。大人でも死後の世界を信じているものが増えている。死に対する空想的なイメージが自殺にも影響しているのではないか。
 兵庫県では、小・中・高校で命の大切さを教えているプログラムを実施している。
 これからは高齢者の死を身近に考えていかなければならない。教育課程の中で命の大切さを教えていく必要があるのではないか。
 法医学者の本を読んだら、死は全くロマンチックではないということを感じることができる。総合学習の時間などで、死の現実がわかるような本を読ませることも必要ではないか。
 テレビの影響は非常に大きい。最近では、死者の言葉を霊能者が代わって語るというような番組もあるが、このような番組から、死んでも生き返るというような認識が植えつけられてしまうのではないか。


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